川村湊は『妓生』で,
「李朝五百年は「妓生政治」「妓生外交」によってその平和が保たれていたといってよい」
と述べています。
「妓生は王侯貴族の慰み物ということだけではなく,政治的,政策的にも有効に使われた。
辺境地区を守る将兵たちを慰撫するために,朝鮮王朝ではそうした周辺部に妓女たちを配置した。国境の豆満江に至るまでの六ヶ所の「鎮」や,女真族の出没する白頭山近辺の四ヶ所の「邑」に妓生を派遣して,将兵の衣服の繕いや酒食の相手や夜伽として侍らせた。大きな「鎮」には六十人もの妓生を置き,危険と不安と無聊と退屈とに悩む鎮護の将兵たちの慰安婦として彼女たちにサービスさせ,士気を鼓舞しようとしたのである。
さらに,妓生は外交にも積極的に使われた。古くは貢女として中国へ貢ぎ物として「輸出」された。
高麗時代には宋の使いに対して,着飾った妓生を配して接待させた。外国の使臣が来れば山台戯という大がかりな飾り物(架設舞台)を作らせ,使臣の観覧に供した。山台という豪華絢爛なデコレーションをほどこした舞台の上で百戯や女楽を実演させ,その目を楽しませた。もちろん,酒食付き,色気付きの饗宴がそれに続いたことはいうまでもない。朝鮮は常に隣の大国,中国に事大主義を貫き,その軍事的脅威については,使臣への供応によって友好外交を継続しようとしたのであり,女色の供応はそのための安価な代価(生贄)にほかならなかったのだ。
明,清からの外交使節にもこうした「妓生外交」は続き,倭人と呼ばれた日本人にも,妓生の侍る宴席を設けて,これを鄭重にもてなした」
続いて,同書は
「(このような)妓生なくして成り立たない国家体制を引き継ぎ,一大「遊廓国家」を創り上げようとしたのが,一九一〇年の「日韓併合」以後の大日本帝国の植民地支配による総督府政治だったのである」
と結んでいます。
日帝時代に,妓生が公娼制に改編され,商業的売春が盛んになったのは,同書にも記されている通りですが,それをもって「一大遊廓国家」と呼ぶのはいかがなものでしょうか。日本政府は別に,妓生を政治や外交に活用したわけじゃありませんから。
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古い時代の雅な心の時代も垣間見つつ、国防国策
や支配者に翻弄される女性の歴史について知るいい
機会になりました。
私も読んでみようと思います。