韓国にはハングルの日という日があります。10月9日です。ハングル専用政策を押し進めた朴正煕大統領が1970年にハングルの日を休日にしたことがあるそうですが、私が韓国にいたときは休日ではありませんでした。
ハングルの日の前後の新聞には、きまってハングルと民族主義を結びつける記事が出ます。今年の中央日報は、日帝時代の「朝鮮語抹殺政策」についての記事を載せました。(→①、②)
「韓日併合後には‘国語=日本語’になり、朝鮮語は付随科目になって授業時間も大幅に減り、30年代に入るとなくなってしまった」
これを読むと、日韓併合後に朝鮮語はあまり教えられなくなったように思われます。併合時に「国語」が日本語になったのはその通り。しかし朝鮮語も必修科目として教えられており、授業時間数は日本語の約半分は確保されていました。
また「30年代に入ると」という表現は「30年代前半」を思わせますが、実際に朝鮮語が必修科目から随意科目(必修ではない科目)になったのは1938年のことでした。
朝鮮時代の主要な教育機関であった書堂(男子のみ通うことができる)では、漢文が教えられていて、ハングルは漢字の意味を知るために付随的に教えていたにすぎない。日帝時代の朝鮮語教育(男女平等)は、朝鮮時代に比べれば充実していたともいえると思うんですがね。
はたしてこれを「朝鮮語抹殺政策」と呼べるのかどうか。
それはともかく、記事の中で紹介されていた「韓民族を呼び起こす!国語教科書1世紀特別展」のホームページに、日帝時代の朝鮮語の教科書がありました。(→リンク)
教科書の文章は、縦書き、国漢混用(漢字ハングル混じり文)、分かち書きなし、でした。ただし、低学年用には漢字が少なく、分かち書きがあります。日本の国語の教科書も、まだ漢字が少ない低学年では、ひらがな文を分かち書きにしているのと同様ですね。
ただ、分かち書きは文節単位ではなく、単語単位。したがって、名詞+助詞の間にも分かち書きがあるのが、現代韓国のハングル文とは違う。また、綴りも今とは異なる単語が多い。
学校における朝鮮語教育は、1910年から1938年までの30年弱続き、このときの綴り方や表記法は、戦後のハングル表記法に大きな影響を与えたと思われます。
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させようとして、その際大衆に読めるハングルを
使えと指示した、というようなことをどこかで読んだ
記憶があるのですが、このようなことはどう評価
されているんでしょう。無視されているんでしょうね、きっと。
最初の国漢混用文は、「漢城周報」のはずですが、そのハングル活字は福沢が日本で作らせたものだという説明がウィキペディアにありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%9F%8E%E5%91%A8%E5%A0%B1
「姜韓をはじめとする朝鮮側と福沢諭吉、井上角五郎ら日本側の努力により、ハングル使用の新聞発行が実現できたと評する韓国言論史の崔俊などの見解がある一方で、福沢・井上ら日本側の侵略性を指摘する韓国の研究者も存在している。」
好意的に解釈されることが難しいのは理解でき
ます。