先週月曜、妹は言葉が出なくなり、掛かりつけ医の手配で緊急入院しました。検査の結果、診断は脳梗塞が原因の言語障害ということでした。
こちらの言うことは理解しますが返事ができません。まだ、集中治療室で治療中ですが、手当てが早かったためか、少し言葉が出るようになりました。まだ、安心という状態ではないのですが、すでにリハビリらしき訓練も始められています。
ところが、留守宅に一人残っていた連れ合いの義弟が、突然の静脈瘤破裂で、あっけなく先立ってしまいました。通夜、葬儀と慌しく日が経過してゆきました。
妹には報せても、帰宅できるわけではないので、可愛そうですが、親族、医師とも話し合って、報せないでおくことにしました。
篤実で穏やかな人柄の義弟は、現役を引退後は派手な場は一切避け、一歩引いた世捨人風の暮しに徹していた人だったので、喪主を勤めるべき妹も入院中とあって、近親者と親しくしていた隣組の人だけ、20名余りで、離れることのなかった自宅での葬儀としました。
小倉中学の同級生であった夫が、しみじみと語りかける若かりし日のエピソードのあれこれの、故人の思い出を語る弔辞は、甥や姪たちの知らなかった話で、感銘深かったようです。心の篭った温かな葬送となりました。会葬の人たちも、このような送られ方をしたいという人が何人もありました。
ただ、半世紀の人生を共にしてきた連れ合いの永訣に立ち会えず、何も知らずにベットに横たわる妹には、憐憫の情、切なるものがあります。
読経の間中も、祖父の突然の死を受け入れることができず涙が止まらない孫、そして「次郎」と名づけて故人が可愛がっていた柴犬が、何時までも主を探すしぐさを見せるのが涕を誘いました。
四季はなほ定まれるついで(順序)あり。死期はついでをまたず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死あることを知て、まつこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
徒然草155段
人生の節目ごとに、妹が驚くほどの身辺整理をして、書物をはじめ物を処分していた人でした。自らを顧みるとき、こうした最後を迎えるとしたら、私はどんなに無様な数々のものを残して逝くことになるかと改めて考えさせられたことです。
こちらの言うことは理解しますが返事ができません。まだ、集中治療室で治療中ですが、手当てが早かったためか、少し言葉が出るようになりました。まだ、安心という状態ではないのですが、すでにリハビリらしき訓練も始められています。
ところが、留守宅に一人残っていた連れ合いの義弟が、突然の静脈瘤破裂で、あっけなく先立ってしまいました。通夜、葬儀と慌しく日が経過してゆきました。
妹には報せても、帰宅できるわけではないので、可愛そうですが、親族、医師とも話し合って、報せないでおくことにしました。
篤実で穏やかな人柄の義弟は、現役を引退後は派手な場は一切避け、一歩引いた世捨人風の暮しに徹していた人だったので、喪主を勤めるべき妹も入院中とあって、近親者と親しくしていた隣組の人だけ、20名余りで、離れることのなかった自宅での葬儀としました。
小倉中学の同級生であった夫が、しみじみと語りかける若かりし日のエピソードのあれこれの、故人の思い出を語る弔辞は、甥や姪たちの知らなかった話で、感銘深かったようです。心の篭った温かな葬送となりました。会葬の人たちも、このような送られ方をしたいという人が何人もありました。
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読経の間中も、祖父の突然の死を受け入れることができず涙が止まらない孫、そして「次郎」と名づけて故人が可愛がっていた柴犬が、何時までも主を探すしぐさを見せるのが涕を誘いました。
四季はなほ定まれるついで(順序)あり。死期はついでをまたず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死あることを知て、まつこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
徒然草155段
人生の節目ごとに、妹が驚くほどの身辺整理をして、書物をはじめ物を処分していた人でした。自らを顧みるとき、こうした最後を迎えるとしたら、私はどんなに無様な数々のものを残して逝くことになるかと改めて考えさせられたことです。
お妹様の変事が引き金になったのでしょうか。篤実なお人柄といわれるお連れ合い様が我が身を捨てて奥様をお守りしよう、との意志が働いたのではないでしょうか。
永年のご友人でもあられたご主人様の落胆もいかばかりかと存じます。Boa!様もお辛いことでしょうが、どうぞ、ご主人様と相支え合ってこの時をご無事にお過ごしください。
ここ数日、海も振るえています。
妹の手を取らずに、ある意味では大往生だったと考えることにしています。
喪失感はまだ実感できませんが、自分も遠からず辿る道と、自覚ができました。
身辺整理を思い立つことにしました。あらためて、眺めると捨てねばならぬものばかりです。
退院後には、旦那さんに美味しい料理を食べさせたい、その為にも早く回復をと頑張っておられる事でしょう。
子供さんが来られた時に、”お父さんは来てくれないはね、風邪でも引いてるの?”なんて言葉を発することができるように
なった時、どうするか?次に控える難問。
いや、そうでもないかな?
病院はいろんな菌があるからお父さんにうつるかもしれんけん、お家で留守番が良いでしょう・・、
なんて言われるかもしれませんね。
どちらにしろ、退院してご自宅に帰還され、ご主人の位牌に接する時の情景を考えると
どの時期に言うべきか?苦渋の選択となりましょう。
お子様方では判断つかず、才ある伯母さんにアドバイスを求めてこられるやもしれません。
妹さんの気性を熟知されおる姉上様の出番でしょう。
葬儀一切の最高司令官も担当されたでしょうから、本難問もご担当されますか?
そう、告知のタイミング。
ところで、
義弟さん。
名門小倉中学で勉学されていた時代は、我が国は15年戦争の半ば、軍事国家だったでしょう。
B29が飛来する前に卒業されたのが幸いだったかもしれませんね。
卒然としてお隠れになるとはこのような場合なんでしょうか?
ご冥福を祈ります。
仏壇を購入する時点まで、退院できない場合は、妹の意見も聞かなくてはならないので、それまでには告げなくてはならないと思います。
一人息子が多分告げると思います。妹の性格からは、案ずるよりで、不自由な自分の体を思うとき、悲しみは当然として、安心するかもしれません。
周りに屈強な親族が揃っていますので、こういうときには心強い限りです。みんなで、相談して決めます。
ありがとうございました。