Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【てつどう】‰(パーミル)会は伊達じゃない!普通に見えて実は登山電車 神戸電鉄

2010-10-29 | てつどう。


‰(パーミル)って単位、ご存知ですか。


1/100を1とする%(パーセント)に対して、パーミルは、1/1000を1とする単位です。
百分率に対する、千分率、といえばなお分かりやすいでしょうか。


鉄道を趣味とする方々では、「パーミル」と聞けばそれは、「坂の勾配の角度」と即答する方が多いと思います。
鉄道に関わらず勾配を表す単位によく用いられるのですが、
でも一般的に「この道路は300パーミルだ」とはあまり言わないですよね(道路は%で示すことが多い)。


鉄道(ゴムタイヤ式やモノレール除く)は、鉄と鉄の摩擦で走っているので、
クルマのタイヤ+アスファルトなどと比べて、粘着力が弱いのは想像に難くないと思います。
なので、鉄道の坂の勾配は、道路に比べてずっとゆるやかです。
そのため、パーミルという単位を用いるのです。



鉄道の歴史はこの「勾配との戦い」でもあったのですが、
わが日本は、基本的に平地の少ない「山岳国家(大げさ?)」なので、
鉄道も様々知恵を絞り、その困難を乗り越えてきた歴史を持ちます。


では、鉄道にとって「キツイ坂」というのは、どのくらいか。


長野新幹線の開業で廃止になった、JRでいちばん勾配のきつかった区間。。。
信越本線 横川-軽井沢間では、66.7‰。1000m進むのに対して66.7mあがる、という坂です。
ぱっと聞くと大したことないようですが、電車に乗ってみると
座っていて電車が傾いているのがわかったほどの、急傾斜でした。

ここを通すために、わざわざ専用の電気機関車を開発、連結して
上るときは後押し、下るときはブレーキの役割を担わせるほど、たいへんだったのです


専用の峠越え補助機関車はいくつかありますが、いちばん有名なのはこのEF63です。




キツイ勾配は、鉄道にとっては上ることだけでなく、降りることもたいへん厳しい。
下り坂では、少ない摩擦故、どんどん速度が上がってしまう。

とくにブレーキについては専用とも言える二重三重の重装備を持ち、坂道を転げ落ちることの無いよう開発されていました。



さて、前振りが長くなってしまいましたが、
前述のように山岳路線・急勾配が多い日本。
有名なところでは箱根登山鉄道。ここはなんと80パーミルの路線を持ちます。
80パーミルは、3両で45mの電車の前と後ろで高さが3.6mも違う、と聞けば、いかに急勾配かわかるかと。
ほかにも山岳路線はいくつかあって、それらはみな急勾配と戦っている会社ばかりです。


これら急勾配な山岳路線を持つ鉄道会社が結成したのが、全国登山鉄道‰会(パーミル会)
加盟しているのは、南海、神戸電鉄、富士急行、大井川鐵道、叡山電鉄、箱根登山鉄道。
中には車輛に勾配に対する特殊装備をしていない会社も含まれてはいますが
(例:富士急。でも40‰の連続勾配が続く立派な山岳路線)。







ああ、まだ前振りじゃないかw


ということで、この間の関西出張の際に時間を作ってちょい訪問したのが、
パーミル会加盟の私鉄、神戸電鉄です(出張時テツの話も引っ張るなあw)。


神戸市中心部と有馬温泉を結ぶ観光路線の側面と、神戸市への通勤通学路線の性格を併せ持つ
有馬線などで構成される69.6km(神戸高速鉄道の湊川-新開地間含む)の中小私鉄です。



ここの最大の特徴は、六甲山地をかけのぼる50パーミルの勾配を持つこと。
全路線69.6kmのうち、勾配区間は8割、35パーミル以上の区間は3割、
さらにさらに50パーミル区間は2割という、いうならば「ほぼ急勾配」の鉄道。
そして、ここに立ち向かうのは見た目完全に通勤向けの電車でありながら、
実は山岳路線専用の装備を持っていること。
しかも有馬線の急勾配は、一般的な「山岳部に向かうほど急峻な路線となる」のではなく、
新開地・湊川を出てから間もなく、一気に50パーミルの坂を駆け上ることです。
これは平地が少なく、いきなり山になるこのあたりの地形も影響しているのでしょう。


新開地駅。厳密には神戸電鉄の駅では無いのですが、そのあたりも
神戸高速鉄道が無くなることで解消していくでしょう。
名物、高速そばを食べなかったのは不覚。


2000系のVVVF制御バージョン、5000系。
起動加速度は3.0km/h/s、最高時速100kmを誇る高性能車。これは山岳用としては高い。
回生ブレーキを持ちますが、回生ブレーキがの失効した際のために電気ブレーキを持ち、
ブレーキ系を二重化して安全性向上を図っています。




訪問した日はもう夜も遅く、新開地~鈴蘭台を往復しただけでしたが、
それでも前述のごとくこの区間ですでに急勾配なので、
上り下りする電車を堪能できました。


途中鵯越駅(ひよどりごえ)で降りて駅撮り。


1370系。1300系列の中間車1320系に運転台をつけたもの。このクラシカルな外観がいい。


鈴蘭台に向けて勾配を上っていく。電車が去った後は、ただ虫の声と漆黒の闇。






鈴蘭台にて。
2扉と3扉車が混ざって使用されています。内外装は、クラシックな雰囲気。
やっぱりどうも、こういう昭和30~40年代の電車が好きなようです。


1100系。昭和44(1969)年から製造の2扉車。
外観的にはすでに廃車になっている800系や1000系の流れをついだ、いかにも高度成長期なグッド・デザイン。




鉄道が勾配に挑む姿が好きな方は多いと思いますが、自分もそのひとり。
そんなファンたちにとっては、坂を登るだけでなく、降りるときのほうが実はハイライト
だったりするかもしれない。

電車には、クルマのフットブレーキ多用によるブレーキ力の低下を防ぐエンジンブレーキのような、
「電気制動」というものを持っているのですが、神戸電鉄の場合下り坂はほぼ電制を多用するので、
その独特の「加速時とは違うモーター音」がたまらないんですね。



ウルトラマン電車ともいわれる3000系。


登場は昭和48(1973)年。いまみても斬新。1991年まで長く製造が続けられたのも特徴。



神戸電鉄の車輛は先に紹介したEF63のように、急勾配に対する様々な対策が行われています。
それは、登坂能力を高めるための高い電動車比率、勾配区間での焼きつきを抑えるべく容量の大きくなった抵抗器、
高い減速性能と天候の変化に強い鋳鉄ブレーキシューの採用、
また、「非常電制」といわれる「最後の手段」も用意されています。
これは、通常の車輪を停める空気ブレーキが故障して使用できなくなった場合でも、
モーターをブレーキとして限界まで使用する装備。ちなみに、これを使った場合、モータは壊れるそうです。



そんなこんなで、上りも下りもそこそこ堪能。あ、でももう22時!帰らなきゃ、と、
後ろ髪惹かれる思いで、新開地から山陽電車に乗り込んだのでした...。





>>阪急・阪神系列の会社なのですが、電車は阪急の色が濃いです。
とくに内装はマホガニー壁、シックな緑色のシートなど、かなり上質なものもあります。


>>3000系車内。


>>そして関西私鉄では珍しく、ステンレス車(6000系)を持ちます。
でもさほど冷たい感じがしないのは、さすが関西というべきでしょうか。

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【シトロエンC5】遠出ラクチンカーで、こころを洗いに木曽へ。

2010-10-27 | シトロエンC5。




10月3連休の遠出について、バラバラ記事が進んですみません。



木曽の王滝森林鉄道フェスティバルに行ったとき、ほとんど初めて行くに近い木曽を堪能してきましたので、
C5のことも絡めて、ちょっと書きます。


王滝村での運転イベントは10/10(日)だったのですが、今回の旅行は泊まり旅なので、
前日の10/9(土)に出発。


でも、この土曜日はあいにくの雨。
雨だけど混むのはいやだから、連休渋滞をおそれ早めに出発、中央道を西へ。
渋滞には遭遇せず、C5は安楽GTカーの底力を見せつけながらあっという間に塩尻ICまで。
法定速度+程度の領域での微振動は気になりますが、それにしても乗り心地はいい。
タイヤの存在を忘れる、というまではいかなくとも、
浮いている感じは確かにする。これは、さすがにオイルと空気の上にボディの乗っかった
ハイドロ(厳密にはハイドラクティブ3+)の良さですね。






少なくとも前週もいつものことながら仕事はキツキツで、かなーり疲れていたにも関わらず、
フランス車はそんなときでも安楽に、遠くに連れて行ってくれます。

もう散々このブログでフランス車の良さを語って来たけど、

柔らかいシート。ゆりかごのような乗り心地。
高い着座位置。広い視界。
運転に必要な覚醒だけを残し、あとはこころをリラックスさせてくれる不思議な精神状態。
(C5はまあまあだけど)矢のように突き進む直進安定性。
出だしは遅いけど、いざ走り始めたら止まるのが面倒になるような機関の性格
(ちょい古シトロエンだけか?)。
止まると却って疲れる。ふつうは逆だよね。走ってるほうが楽だなんて。
立ってるより座ってるほうが腰が気持ちいい。

そういうすべての「疲れさせない性能」の集合体。それがフランス車の魅力です。



疾走。地の果てまで。



この「性能」が、大きな車だけでなく、そして新しい車だけでなく、
古くは2CV、キャトル、そしてサンク、AX、205、TWINGO、サクソ、106、206といった小さな車からして
そうなのだから、ほんと、ほんとにすごい。
だからまあ、仏車ばかは仏車をやめられないわけですなあ。



閑話休題。

で。塩尻ICで降りるころには、残念ながら雨足が強くなっていました。


まずは19号で南下。雨足はどんどん強まりましたが、途中、木曽福島まで中央西線の木造駅舎を見たり、
江戸時代の街道の風情が残る奈良井宿をゆっくり散策しました
(奈良井宿はすごく良かったので、別に記事にします!)。



中央本線(西線)、洗馬(せば)駅





同じく中央本線、贄川駅



まさに寄り道



木曽福島ではこの日ちょうど「木曽福島宿まつり」を行っていて、
楽しみにしていたのですがとにかくひどい土砂降り。
カメラも構えられず、残念ながらこの日はそのまま宿に向かいました。



この日のお宿は、木曽福島から約20km、開田高原にある「ロッジ上天気」さん。
テレマークスキーヤーのカングーオーナーさんが経営されている、自然豊かな中に建つ
素敵なペンションです。

到着時は開田高原は土砂降りで気温も低かったのですが、
ペンションでは薪ストーブが温かく迎えてくれて、
パエリアメニューのディナーもとてもおいしくいただけました。

(ああ、なんてこと、超居心地のいいペンションの中の写真とか
料理を撮って無い...)







そして翌朝。自家製パン、開田高原の卵などのおいしい朝食を食べ終わった頃には、
天気予報よりも早く天候が回復。
前の日には雨+夕暮れでわからなかったんですが、
雨上がりの清冽な朝の光に照らされたペンション界隈の自然の美しさに
目を見張りました。
なんとすぐ裏には小川が流れていて、しばし散策...気持ちいい~。





オーナーご夫妻に見送っていただき、いよいよ王滝村を目指します。
距離にして約1時間。でもせっかく開田高原まで来たので、いくつかよりみち。



よりみちひとつめ:木曽馬の里



小さくてがっちり。木曽馬、可愛い。
本州唯一の日本在来種。江戸時代の武士の馬だったらしい。

ホントは昔はきっと皆こんな馬に乗っていて、
時代劇の中に出るような馬はいなかったのかな、と思わされます。

特徴は
・中型馬。肩までの高さ(平均)雌=133cm、雄=136cm。体重=350kg~420kg。
・短足、胴長、太い体。
・山間部で飼育されていたため、足腰が強い。
・肢がX状になっているて踏ん張りがきくため、山の斜面の移動も出来る。
・蹄が堅く、蹄鉄を打たなくてもよい場合がある。
・盲腸が長く、草のみでも飼育可能。
だそうです。なんだか、質実剛健。まさに江戸の馬って感じです。





よりみちふたつめ:開田高原アイスクリーム
コーンソフトクリームなるものを食す。美味なり。
とうもろこしのほのかな甘みと濃厚なバニラの組み合わせ。これはおいしいぞ。

あ、でもすみません、アイスの写真は無いです(涙



ってC5の写真ですみませんw




そして王滝村では以前の記事のように王滝森林鉄道フェスティバルを楽しみ、
そのあとは「やまばと号」を見に、王滝村滝越の水交園に向かったのですが、
その途中にある「自然湖」にも立ち寄りました。





自然湖は、カーナビにも地図にもその文字が載っていないこともある、
1984年の「長野県西部地震」地震で出来た、新しい湖です。





立ち枯れた樹を包む静寂。周囲には何もなく、穏やかな湖面には波一つ立っていません。
晴れた午後でこの美しさ。早朝や夕暮れの雰囲気がいかほどか、想像に難くないです。





そのあとは渋滞を避けるためと新しく開通した権兵衛峠を通りたかったこともあって
飯田まで行って(権兵衛峠道路のおかげで異様に早く着いた)、
伊奈北ICから中央道に乗り、いつものところで多少の渋滞にはまって、帰ってきました。
思ったより渋滞なかった感じです。


ちょっと渋滞中




この2日間での全移動距離は700km程度。
まあ、全然たいしたことなかったのですが、
それでも、相変わらず、遠出ラクチン安楽カーでしたよC5。
ステアリングの微振動は...まあ、我慢かな(汗



背景が白樺になるだけで一気におフランスな感じに。


いたずらで、日本のナンバーを消してみる。



あら、これはいい!




>>初めての木曽。よく通った蓼科や長野、小布施などと同じ長野県なのですが、
空気の感じとか、雰囲気が違って楽しかった。
遠くは無いので、紅葉、そして厳冬(開田高原はとくに信州でももっとも寒いエリアに属するという)
に改めて来たいな、って思いました。

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【セダン蒐集癖】Vol.245 1年おきのモデルチェンジ ダッヂ・ダート(1961年型)

2010-10-25 | セダン蒐集癖。
さてさて、ちょっと掲載に間があいてしまいましたが、
久しぶりのセダン蒐集癖コーナーでございますよ。


ええと、今日は自信が無い。






これは、1961年くらいのダッジ・ダートでいいのかなあ...。

なんだかセダン蒐集癖のコーナー、案外アメ車が多くて、
守備範囲の微妙に外の1960年台前半になってくると、
さすがにわかんなくなってくる...。


ダッジダートは、1960年に追加されたダッジのいフルサイズセダン。
このころのアメ車の特徴か、1960年、1961年、1962年では全然デザインが違うのよ。


これが1960年型。


1950年代アメ車の雰囲気を濃厚に残す。


で、今回取り上げているのが1961年型。
ずいぶん変わったように見えますが、キャビン部分は一緒。
でもそれにしても変え過ぎw

ちなみにリアはこんな感じ。
リアオーバーハング長え~。





さらに、ここまで来ると有名になってくる、1962年型。
ボディサイズこそフルサイズながらも、ホイールベース的には
その下のライン・インターミディエートに近い性格に。
ということは、フルチェンジに近い変更。





で。1963年。これ見たことがある人多いかも。
もはや完全にインターミディエートを飛び越えコンパクト化したダート。




で、これが1966年型。わずか数年。ここまで変わると追い切れないw






しかしまあ、この1961年型ダートは大きい。全長5.3m×全高1.98m。


こんな大きな車が、まあふつうに作られ、売られていたわけですね。
案外この時代のクルマというのは当時の日本にも輸入されていたと思うのですけど、
現代より狭かった日本の道で(まあ、クルマ自体も少なかったとは思いますが)
乗るのは大変だったんでは無いかな、とか思ったりします。



>>それにしても1年おきにこの変わりよう。
アメ車に限らず、日本車でも初代シビックだったかな、
ぱっと見同じフェンダーに見えても実は年ごとに微妙に違うので
年式の合った部品じゃないとダメだとか、聞いたことあります。
現在に比べると変化の度合いが大きかったようですね。
コメント (13)
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【ナローゲージ】木曽森林の静態保存車(やまばと号など)を少しめぐる。

2010-10-22 | ナローゲージに思いを馳せる


順番が前後しまくりですが、10月の3連休の木曽旅行の際には、
上松の赤沢森林(ほんとはここにはたくさんあるんだが...それは次回のお楽しみ)、
以外の保存車で見られるものは、可能な限り見てくるようにしました。


まずは。
王滝に向かう途中、中央西線薮原駅近く、「木祖村郷土館木工文化センター」の入り口に
看板も無く突拍子な印象で置かれているモーターカー「No.20」。
昭和25(1950)年酒井製。なんともかわいい。


雨の木曽谷にたたずむ。


昭和25年頃といえば、キャブオーバー型のバスはすでに出ていたと思いますが、
主流はまだボンネットバス、という時代に、こんな箱型のボディを持っていたのは斬新。

それにしてもなんてすばらしいデザインなんだろう(^^:


うしろ。他のモーターカー同様、うしろから乗り降りする仕組み。





車内。張り出したエンジンカバーとマニュアルの長ーいギアが目につく。





惜しむらくは明らかに放置状態なこと。
窓は落ち、車体は錆びてる。
でもよくこの華奢なのりものが、この放置プレイ状態で
この「そこそこ綺麗な状態」で保たれているなあとも思ったり。


先日の「王滝森林フェスティバル」のあと向かったのが
王滝村をさらに山のほうにクネクネと10kmほど奥に向かった「滝越」エリアにある、
水交園(すいこうえん)」にある保存車群。
ちなみにこの水交園、そばが本当においしかったです。
3連休ということもあってか、昼過ぎには売りきれるほどにぎわっていましたよ。
本気でおすすめです。



で、ここには「やまばと号」が保存されてるので、見に行きたかったのです。

「やまばと号」は、道路事情が悪く、森林鉄道が事実上の主要交通機関であった時代の通学専用列車でした。

滝越には王滝小・中学校滝越分校があったそうなのですが、
昭和34(1959)年に王滝村中心部にある王滝村小中学校の本校へ統合されてしまったため、
滝越エリアの子どもたちはこの通学列車「やまばと号」に乗って通学することになりました。
ちなみに滝越~田島(王滝村の中心に近い)間は12km。ここを約1時間かけていたそうです。

滝越エリアにとって、子どもたちの未来を担っていた大切な存在だった「やまばと号」は、
専用機関車(酒井製7t機。無番。王滝村所有だった)とともに、
屋根付きで大切に保存されている...というなんとも温かいお話なのです。





で、やまばと号の客車。かわいらしい青と黄色の2トーン。




昭和34(1959)年、岩崎レール製の客車ですが、それまで(やまばと号以降も)木造だった客車が、
この「やまばと号」だけは車体がスチール製だったそうです。
子どもたちの安全を考えた、とのことで、これもなんだかいい話です。


車内。シートがちっこい。。。
子どもたちはこの客車に揺られて、何を思い、どのように通っていたのでしょうね。





それ以外にも水交園には、

運材台車





関西電力の除雪車
(新潟鉄工製。自走は出来ないので機関車に押してもらう。見ての通りロータリー式。)




No.119 5t機(酒井製)




などが置いてあります。

なおNo.119はトルコン(オートマ)車で、しかもトルコンの製造は岡村。
そう、あの家具の岡村です。
岡村製作所は、なんと昔、ミカサというクルマ(昭和27(1952)年製でトルコンつき!すごい)を製造してましたし、
トルコンといえば岡村、という時代がありました。


これはミカサツーリング

ちなみに「ミカサ」はFFで、エンジンは空冷フラットツインの600CC...で、
さらにこのホイールといえば...何か思い当たるフシが...。



そう!このミカサのもとになったのは、シトロエン2CV。
オカムラは2CVを研究し、ミカサを送りだしたのでした。
たしかに3穴のホイルなんてそっくりですよね。




>>惜しむらくは開田高原に行ったというのに、開田郷土館にあったNo.135+C型客車を
横目で見つつ通過してしまったこと...。
あー。でも次は上松に行くので、そのときに組み合わせてまた見に行く事にしましょう!

>>話が森林鉄道からそれますけど、ミカサにはコマーシャルバンがありました。
その名も、ミカササービスカー(写真右)。
これの窓なし・リブ入り荷室バージョンは2CVのバンにもなんとなく似てます。





>>さらに脱線。オカムラは最近の鉄道車両のシートも作っていたりして、小田急のVSEロマンスカーは同社のものらしい。
でもひとこと言いたい...堅過ぎます



>>ということで何回かにわけた木曽の旅、次回で最終回。
森林鉄道以外の観光(と、C5)のお話です。。。
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【シトロエンC5】ミドルシトロエン+vert(緑)で、奇跡の3台並び。

2010-10-20 | シトロエンC5。



先日、拙ブログを読んでくださっているマツモトさんから、
「ミドルシトロエン、しかも3台とも緑色で並べませんか」とのお誘いを頂戴しました。

最近は作成がすっかりご無沙汰ですが、
XMまでのフラッグシップ(SM含む)、



(いま見るとCXとXMが寸詰まりだな)


等などを作ってみたり、
二回目以降の開催が出来ていない(ごめんなさい...涙)、懐かしや第一回ギザルノー会では
(二度と出来ないであろう)R9(ヌフ)- R14(キャトルーズ)-R19(ディズヌフ)



という並びをやってみたりするほど「系統並べ」が大好きなie、
この御誘いは一つ返事でOK!を出させていただきました。


今回の参加は、お誘いいただいたマツモトさんのBX19TZi、
同じく拙ブログにコメントをいただいたKeiQさんのXantia、そしてワタクシの先代C5の3台。
ミドル世代が見事に並んでいるだけでなく、
今回の企画のキモは、「全部緑色」ということにあったのでした。
その名も、「Vert(ヴェール=仏語で「緑」)会」


3台で12時ころ集合場所の代官山を出発。向かうは外苑前、絵画館正面の並木道。
日曜日は絵画館前の周回路は通行止めになっているので、そこを利用して撮影するのですね。
なるほど!これはすごいアイデアです。




じゃじゃーん。


今思うと左端の垂れ幕を消すように取ればよかった(号泣


案外見たことの無い、3世代並べ、しかも緑色のみ。


興奮してバシバシ写真撮る。


しかしまあC5はでっかいわ



緑色が全部微妙に違うのがもミソ。

色名的には、
BXはヴェールトリトン(VERT TRITON コード=ERT)。
Xantiaはヴェールヴェガ(VERT VEGA コード=ERY)。
C5はヴェールロンシャン(VERT LONGCHAMP コード=KSD)。
となります。




並び方を変えて気分はパリー。



赤いC2は偶然いたクルマ。その前には(映っていないけど307)。



面白いくらい四角→丸になっていくのがわかる。






続いてサイドヴュウを一台ずつ...。

BX。猫澤君、親父のクルマでずいぶん乗ったな。思い出の詰まったクルマ。
やっぱりいいねえ...ガンディーニの傑作。全長4.2mちょっと。でも室内超広い。


ヘッドクリアランスは少ないのが欠点か。



Xantia。ieが乗っていたのは最初期型のV-SXだった。
これも思い入れのあるクルマ。いまもって最強のミドルクラスサルーンだと思う。
乗り心地、直進安定性、リアの居住性ともに、C5を凌ぐ。


ノーズ&テールの長短バランスが最高にいい。



うちのC5。旧型前期+バンパー黒化。


もっさりしてるけど、たしかにシトロエンのスタイルなのね。



ということで、すごく楽しかったです。
紅葉の有名な場所ですが、あえて緑色の中に置く緑色。
それもまたよし、でしたね。
ちなみにKeiQさんはxantiaを降りられるとのことで、
このミドル3台並びは、まさしく最初で最後の邂逅になりました。



企画いただいたマツモトさん、ご参加いただいたKeiQさん、今後ともどうぞよろしくお願いします。
3人ともテツですし...(^^;





>>GSはいませんでしたが、新C5が出る前に作ったミドル並びがほぼ実現したのは嬉しかったです。




>>今回は、このミドル3台並びの前に、毎月XM/Xmオーナーさんが主体で代官山のカフェ・ミケランジェロで開催している
、「あすなろブランチ」に参加させていただきました。

>>初めてお会いする方ばかりだったのに、とても気さくで、案外人見知りする(ほんとかなw)
ieも、すぐに打ち解けることができました。
みなさん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。。。

>>壮観なXM群(軍!?)の後ろ姿。


>>さりげなく実現している、フラッグシップ並び。


>>代官山という場所にぴったりなDS。美しすぎる。





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【てつどう】ついに来た、夢の赤川鉄橋

2010-10-18 | てつどう。


木曽の話を間に入れたので、話が前後してすみません。
関西出張の鉄分補給の続きです。


この折りに、やっと実現出来たことがありました。


それが、「赤川陸橋への訪問」。


この名前を聞いてピンと来られる方もいらっしゃるかも。


赤川鉄橋は、正式には「城東貨物線淀川橋梁(じょうとうかもつせんよどがわきょうりょう)」
といいます。
最寄駅は阪急京都線の淡路駅。ここから徒歩15分。
淀川を渡った先の駅ですが、梅田から5駅。大阪の中心部梅田には近いエリアです。





城東貨物線は歴史が古く、
関西本線~東海道本線間の貨物輸送を城東線(現在の大阪環状線)では遠回りになることなどから
昭和6(1931)年に全通した貨物支線です。

現在でも、百済駅(JR貨物所有)~吹田駅の間を、定期貨物列車が1日あたり数往復運転されていて、
しかも機関車はディーゼル、という路線です。


それだけでも訪問・撮影の対象になるのですが、
なぜ「夢」というほどに赤川鉄橋に行きたかったのか...といいますと、
それはこの鉄橋が、こんな状況の橋だからなのです。





1929(昭和4)年の古いけど(古いが故に)そのトラス構造が美しいこの鉄橋は、
実際には複線化出来る幅になっています。
でも、いま現在なお複線化は行われ人道橋」があるのです。
しかも、木製!!




で、ここをDD51とかDE10が牽引する貨物列車が通るとどうなるかというと...こうなる。



定刻より少々遅れて(吹田駅1343発で考えた時)、吹田方から3083レがやってきた!







キターーーー




ドギュゥゥゥゥゥゥン





思いのほか速いスピードで、目の前を1100HPのDML61Z型ディーゼルエンジン×2台をうならせて
走りさるDD51!





その後ろにはコンテナ車(コキ)が続き、あっというまに橋を渡って去っていきました...。




これが日常的に見られるなんてすごい!


でもまあ、自分の実家も八高線に近かっただったので、DD51重連が走る音と振動で
家が揺れたもんだ。ふつうに日常だったもんなあ...。



ちなみに、この橋の長さは610m。地元の方々の見物客も多く、それと
すごい勢いで渡っていくこれまた地元のチャリ。この界隈の貴重な対岸に渡る橋として
立派に利用されていることが分かりました。







>>城東貨物線はその一部が「おおさか東線」として開業したことでも知られていますが、
放出(はなてん)から先の旅客線転用はまだ先のこと(2018年)。
それまでは、この変わった鉄道橋+人道橋はこの姿を保ちますが、
でもいよいよ残り年数のカウントダウンが始まったといえそうです。
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【ナローゲージ】第3回王滝森林鉄道フェスティバルに行ってきた!

2010-10-15 | ナローゲージに思いを馳せる


実はまだ大阪編の続きはあるのですが、
イベントモノのUPは早いほうがいいと思いますので、先にあげます
(木曽旅行全体についての記事は、また後日アップします!)。



ということで、先週末の3連休のうちの土日、木曽まで行ってきました。


目的は、長野県には数え切れないほど訪問しているのに、
なぜかほとんど行ったことの無い木曽地方に行って「疲れはてたこころを洗う」ことと、
3年ぶりの開催になる「王滝森林鉄道フェスティバル」に行く事です。



今年の「王滝森林鉄道フェスティバル」は3年目・3回目の開催。
王滝村・松原スポーツ公園内に施設された軌道はしだいに伸び、
今年はなんと往復1.5kmに達したとのこと。
ここを、美しくレストアされた名車(迷車?)・珍車が動くというのですから、
森林鉄道にはあまりくわしくないieですが、
ナロー好きとしては足が向かわないわけにはいきませんでした。
過去2回とも行っていないので、なおさら行きたかったのです。




松原スポーツ公園に到着したのは昼前。
到着してC5を駐車場にいれたとたん、駐車場わきの軌道を結構なスピードで
やってきたのは142号機+このイベントにあわせて復活したB型客車!
ちなみに142号機は昭和54(1979)年北陸重機製。
この記事のトップ画像の機関車です。ライトがギョロリとしていてかわいいですね。





駐車場のあたりがちょうど終点なので、ここで機まわし。
機関車牽引なので、ちゃんとつけかえの施設があるのはすごい。





客車を残し...





機関車はさっきとは逆向きに連結
そして出発!





復活した軌道ではB型客車による体験運転以外にも、
デモとして132号機...昭和35(1960)年酒井製)+ほんもののヒノキを積んだ
運材台車での森林鉄道再現列車が往復!





積んでいるのは、なんでも350年もののヒノキだとか...




メイン会場ではちょっとした物販コーナがあってそばやタコ焼きが食べられたり、
ミニSLがこどもたちを載せてぐるぐるまわっていたり、
別棟では木曽森林鉄道をHOナローで再現(超絶に出来が良い!)したモジュール
が展示されていたり、盛りだくさん。


潜在的に持っている鉄道模型魂に火が付きそうです




さて、松原スポーツ公園の奥には、保存車輛たちの基地と体験試乗ののりばがあります。





そしてここは、さながら百鬼夜行の様相。



モーターカーNo.4 昭和25(1950)年酒井製。エンジンはトヨタのR型OHV。




うしろはハッチ式で乗りこめる。しかしまあのっぺりしたデザイン。
むかしの商用バンそのものの風情。






関西電力のモーターカー。
森林鉄道の王滝線廃止後も、関西電力の専用線はあったようで、人員輸送のために
昭和50年に岩崎レール工業で作られたモダーンなモーターカーで、無番です。


こどもと比べてもいかに小さいかわかるかと思います


ショッキングなほどにかわいいうしろ姿。これはイイ。。。ドアに開けられた丸い目玉。
なんでこんなデザインが出来るんだ(驚愕






今回のフェスティバルに合わせて復活したもう1両の目玉、モーターカーNo.14。
昭和27(1952)年酒井製。トラックのような武骨なデザイン。



エンジンはなんとプリンスG1型だそうです!うひょー!
2代目スカイラインに積んでいた「封印」エンジン。
でも、スカイラインのほうがずっとあとの登場なので、エンジンは換装されたと考えるべきか。



大集合w
すごい光景。ちっこいけど、みんな立派な鉄道車両。






そしてこのちっこいモーターカーたちも、続行運転でw保存線を走り始めました。




No.4。





関電モーターカー。




そしてNo.14。消音機の無い派手で武骨なエンジンサウンドを響かせて走り去ります。
しかもプリンスのエンジンだ!





やはり「本物が動いている」という衝撃はすごい。
ほんとにほんとにすごい!

家が近かったら、すこし経済的に余裕があったら、
こういう運動に参加してみたい。。。
これは、素晴らしく社会的意義のある運動ではないかと思います。

そして、これら保存車輛を、村の大切な歴史として保存し、フェスティバルを開き、
きちんと活動している王滝村も素晴らしい。


D51やSLも好きですし、素晴らしい文化遺産。
でも、軽便鉄道もまた、時代を映す鏡。
小さい車輛たちがこうして遺されていく素晴らしさ。
人を荷物を運んだ、産業を支えた大切な輸送機関だったのですものね。


最後に、木曽森林鉄道についてかんたんに説明...

木曽といえば、ヒノキを代表とする林業がさかんなところです。
森林鉄道は、伐採した木を運ぶために作られた鉄道で、
wikiをそのまま引用しますと、
「林野庁長野営林局管内の長野県の木曾谷の国有林の運材のため運行していた森林鉄道の通称である。
木曾谷には最盛期に10営林署が存在し、各署が1,2線の森林鉄道を保有していた。
中でも上松運輸営林署管内の小川森林鉄道と王滝森林鉄道は規模も大きく、
かつ比較的最近まで残っていたことから全国の森林鉄道の中でも高い知名度を誇っている。
最盛期には、路線の総延長は400Kmにものぼっていた。
しかし、道路が整備されてトラックが木材の輸送を担うようになってから姿を消していった。」

とあるように、かつては木材運送の重要な手段だったのです。


ですが、他の中小私鉄、貨物輸送と同様に、
道路の整備が進み、バス・トラックでの輸送に切り替わったことで、
木曽の森林鉄道は、昭和50(1975)年を最後に、廃止されることになりました。


木曽界隈には、昭和60(1985)年から赤沢自然休養林で森林鉄道が観光用として復活していましたが、
それ以外にも、「りんてつ倶楽部」が車輛の保存・運転活動を長年にわたりおこなっており、
今回の復活運転をはじめとして、木曽森林鉄道の保存活動に尽力されています。





>>このあとは森林鉄道の保存車を廻ったりしつつ、帰宅しました。
保存車のことは、別途記事にしたいと思います。

>>なんだかんだで、動いているナローめぐりも、結構行っていますね(嬉
こうなると丸瀬布のSLは必須ですねえ...。北海道は遠いなあ。
保存車もまだまだ見ていないのがいっぱい。楽しみは続きそうです。
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【てつどう】いまだ残る姫路のモノレール跡を見る。

2010-10-12 | てつどう。


3連休はちょっとおでかけしてまして、その記事も書かないといけないのですが、
まだ写真の整理が終わっていないので、ひとまず、これまたたまってる大阪編のネタで今回も行きますね。


ということで、姫路のモノレール(運営は姫路市交通局)のお話をちょっとだけ。

えー、姫路にモノレールなんて、ということですが、「跡」とあるとおり、
もう廃線になってしまった路線です。

でも、実際には車両や遺構が結構残されていて、山陽線の姫路駅界隈でいつも見ていた
モノレールの橋脚をもっと近くで見てみたいと思っていました。


姫路のモノレールは姫路駅から手柄山駅までを結んでいたモノレールでした。
手柄山で開催された「姫路大博覧会」へのアクセス交通という名目で昭和41(1966)に開業...
はしたものの、博覧会のオープンには間に合わなかったそうです。


しかも、この手のアクセス交通のサガ、博覧会後は案の定利用客は激減。
これには博覧会の有無だけでは無く、路線が1.6キロしかない、でも運賃は高い、
終点手柄山駅が住宅地では無く公園(しかも高台)にあった、などの要件もそれに輪を掛けたようで、
結局営業不振ということで1974年休止扱いののち、1979年に廃止となりました。



姫路市内にまだ大量に残る遺構=橋脚は、撤去だけで数十億円かかるとのことで、
なかなか工事が進まず、いまなおその多くが建物に取り込まれたまま、
もはや日常生活の一部分として生き残っている、ということのようです。


山陽姫路駅のガードのわきを歩くと、早々に目に入ってくる橋脚。



完全にオブジェ



こんな風に、古い建物がすっぽりと囲んでいて、建物全部壊さないと
橋脚撤去できないといった感じです。




果たして橋脚が先なのか、建物が橋脚と一緒に立てられたのか
建物が橋脚を囲んで建てられたのか、考えてしまいました。



どうもこの界隈、再開発が進んでいるようで、この遺構もいよいよ見おさめな感じがしました。


こんな廃(ハイ)な感じがあふれていてとても好きなんですけども




そしてこれが姫路のモノレールの遺構の中でも見たかった、大将軍駅跡。





駅?跡?

そうなんです、建物の中に、モノレールの駅があったのです。


モノレールの駅の下はビジネスホテル、上は公団住宅。
この斬新な発想が、昭和41(1966)年にあったことがすごい。

でも実際にはこの駅から姫路駅はすぐで、乗るよりあるいたほうが早いということなどもあって
開業してから2年後にこの駅は廃止になったそうです。
でもそれがまだ残っているっていうのが、すごい。
ちなみに、ビジネスホテルは廃業していましたし、前述の通り再開発をしているっぽいので、
果たしてこの建物、いつまで存在するのでしょうか。
まだ住人の方は住んでいるっぽかったので、大丈夫かしら...。





>>あいにく時間が無くて、大将軍駅後までの散策となりましたが、はじめて見て以来25年以上の宿願、やっと叶いました(^^
まあほんとは手柄山駅も見たかったんですけれどもね...。

>>ところで、廃止になって30年以上たったというのに、モノレールの車両自体はなんと保存されていました。
それが昨年一般に公開されるとあって色めき立ったのですが、
結局、見に行けなかった事はすごく悔やまれるところです。
整備されて展示はされるようなのですが、出来れば「廃なるもの」の状態で見たかったのです。

>>ちなみにモノレールの構造としては小田急向ケ丘遊園のモノレールと一緒で、「ロッキード式」。
製造は川崎航空機。ほんまものの飛行機メーカー製でした(^^;
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【てつどう】激走!キハ181「はまかぜ」を撮る

2010-10-08 | てつどう。
撮るよりは乗ってばっかりの乗りテツ、ieです。

先日の山陽電鉄詣での際に、ちょうど時間的に都合が良かったので、
山陽の須磨浦公園で降りててくてく歩いて向かったのは、超がつくほど有名な撮影地、
JR神戸線(山陽本線)須磨-塩屋

ここで待つは、いよいよ今年の11月(ってもう来月じゃん)に予定を早められて引退する、
キハ181系「はまかぜ」。
4年ほど前に乗りに行ったはまかぜですが、ついに終焉のときが来たようです。

とはいえ、東京でいえば東海道線の横浜とか東京の間に、そして東京駅に、
キハ181系が現役で出入りしているという風に置き換えたら、
どれだけすごいことかわかります。


何しろ基本的に撮ることをしないie、中高生時代~大学時代はそこそこ
いろいろ撮影地に行ったものですが、最近(最近とは言わないなw)はすっかりご無沙汰。
いまや腕はほぼ無いに等しいので、はまかぜが来る間に、しばし練習。



うーん、こんなんで大丈夫かしら。


223系。



かっとんでいく下りスーパーはくと。智頭急行のHOT7000系ディーゼルカー。尾灯をつけんさい!


207系...じゃない、JR西日本の量産型通勤車321系。関西の車輛の例にもれず、出来が良い。


まだまだ頑張る221系。これ大好き。圧倒的なオーバークオリティのバブル電車。



この日は同業者さんが他に3名ほど。
みなさん白レンズでした(^^;


しばしこんな感じで撮影を楽しむ。同業者さんはまったく撮ろうとしないんですが
こういう何気ない車両を何気なく撮っておいたほうが
あとあと「ああ、撮っておいてくれたあの時のオレサンキュー」
になるのでは、と思います。


さて、いよいよ時間...カーブの向こうにキハ181系の姿が見えます。
35mm換算300mmのレンズなので、見えた瞬間にフレーミングしないと間に合わない。

きたきた!




結構な勢いではまかぜがファインダーのなかを駆け抜けていきました。



そしてあとには、あのキハ181系特有のエコじゃない青黒い煙とエコじゃない排気ガスの
においが...(でもスキw)。



そのあとしばらくいて、EF66の貨物や、下りのはまかぜを撮影して撤収。
うーん、腕が落ちた。また撮影にいかんといけませんなあ。






>>大阪滞在中大阪駅で偶然見かけたはまかぜの回送シーン。
ご覧のように見事な青黒い排気!これがあってのキハ181系なのです。




>>中高生のころはワインダーもモードラも持てず、
1発勝負でしかもマニュアルの露出+マニュアルフォーカス。
それが当たり前だったけど、今思うとすごいよねえ。写真の出来はさておき...(^^;
コメント (8)
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【ルノーな話】ZOEプレビューに注目。次期クリオ(ルーテシア)なのかな?

2010-10-06 | ルノーな話。


毎年パリショーは楽しみなのですが(むろん見に行くわけではないがw)、今年も何台か仏メーカーから
面白そうなコンセプトカーが出てきましたね。

大衆小型車フェチなieとしては、やはり注目は次期クリオ(ルーテシア)と目される
「ZOEプレビュー」




純粋なEVとしての出展ですが、この手法はフルエンスの時も使ったような気がするので、
基本的にはこれに近い形で市販車が登場すると見ていいでしょう。
それと、フルエンスにZ.E(EV)が用意されたように、このクルマにもEVがラインナップされると思います。

となると、まさかクリオの名前も消えて「ZOE」になっちゃたりして。



これのEV出たら考えちゃうなあ。欧米のEVはインフラ的に日本のEVと合うのか、という
危惧もありますが、ルノーのEVって中身リーフなのかしら。
うーん、不勉強。もしそうなら、日本でもルノーのEV売れるんじゃないかしら。
というか、今後輸入車も将来的にはEV主体になっていくのでしょうね。

そう思うと、内燃機関の時代のピークはまさにいまが最後で
思った以上に早くEV時代になっていくのかもしれない。
ううむ、こうなったらルノー17とかを早く買わないと(違




で、ZOEです。なんともまるっこいスタイル。
全長4086×全幅1788×全高1540mm、ホイールベース2575mm。





.........全幅1788mm!?

げえー。もうこうなるとBセグメントじゃないよ....。
まあコンセプトカーだからでしょうね。
市販型はもう少し大人しくなって出ると思います。



注目は、またまた新しいデザインのグリル。




ラグナ3、メガーヌ3、クリオ(ルーテシア)3のグリルレスの顔の車種のうち
実際にはまだクリオ3しか入っていないため、この顔になじむ間もなく
ZOEコンセプトとか同じパリショーに登場したEVスポーツ「ドゥジール」のような
ひし形マークをブラックアウトして左右のライトに広がるデザインに移行してしまうのかも
しれませんね。
日本はなんだか取り残されてる感じ(^^;


これがドゥジール すごいドアの開き方!新しいアルピーヌって言われても悪くないかも


ちなみに現行型のクリオ3の寸法は
全長4025×全幅1720×全高1485mm。
ホイールベースは2575mmで同じ。
シャーシがキャリーオーバーな予感がしますね(^^


最初期のシトロエンDSチックな内装。むろんこの装飾のまま市販されないとは思いますが、
基本造形やイメージは市販型でも継承されるといいな。





このコンセプトカーを下敷きにした市販型は
2012年から生産、ということなので、どうなるのか楽しみにしています。



>>そういえばZOEはこれで実はコンセプトカーなのに3代め。
初代は2005年のジュネーブショー。このときはEVじゃなく、3人乗りの高級コミュータ的なのりもの。



カゲスター見たいな顔w


>>で、2代目は去年のZOE Z.E Concept。
これはデザインスタディの域を出ませんが、正直言ってカッコいいです。


コメント (11)
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【てつどう】ザ・写り込み王 美しすぎる電車・阪急に萌え

2010-10-04 | てつどう。


ひごろ関東東京住まいの身には、
関西の鉄道、とくに民鉄に触れることが大好きです。
それは大手、準大手、地方の違いに関係なくです。

関東の民鉄にも各社特徴がありますが、関西の場合はその特徴がさらに明確で、
しかも伝統を重んじていたり、何かにこだわっているところがあったりと、
ここで説明するには足りないくらい魅力的。
先日は準大手山陽の話題をちょっとしましたが、
今日もそんな民鉄のお話をしたく思いますです。


で、タイトルの通り、今日は「阪急」なわけです。
古い歴史、高級住宅街、街の開発と鉄道路線を一体で考えた初めての会社、
などさまざまな側面をもつ阪急。
今日はそんな中でも、やはり阪急のイメージを形づくる最大の部位「電車」についてだけに触れたいです。

しかも、その中でも「写り込み」について(^^;



電車は昨今どんどん銀色のアルミ車ステンレス車にシフトしていて、
塗装がされた電車は数少ないです。

でも、阪急はすごいぜ。
もうずいぶん前からアルミ車を作っているというのに、いまだにギンギラ車がいない。
阪急線内を走っているのは、阪急に乗り入れてくる先の大阪市営と山陽くらいのものです。
なんと、アルミ車にさえわざわざ伝統的なマルーン色を塗り続けているくらいのこだわりよう。

で、その塗装も、どうも他の会社と違うような気がする。
電車の塗装は基本的には艶消しではないので、光沢もあるし、
反射して自分の姿や風景が電車に写り込むことももちろんあります。
でも、阪急はその濃くて上品な色合いがそうさせるのか、ieの思いこみなのか、
来る電車来る電車すべてが、「全検あがりかよw」って突っ込みたくなるよう美しさ。



いつまで使うんだ!な京都線2300系。昭和35(1960)年登場。
この2313Fは少なくとも50年以上近く前に製造されているはず。

信じられない!


ご覧の通り検査あがり。2800系にも使われていた金属バネのFS345台車もピカピカ。
いかにもミンデンドイツ型のデザインがイイ。

そして車体もピッカピカw


ホームで電車に乗る前のお客さんもこのように電車に写り込む。



十三の駅で9300系と離合する7300系。9300系に鏡のように写っています。




昭和30年代初期に登場以来、ほぼ不変のマルーン+銀の窓枠という素晴らしい配色、
時代の流行を取り入れつつも奇をてらい過ぎない落ち着いたデザイン。
それと、異様に長い間電車を使い続ける姿勢(涙→これは阪急の経済事情にもよるのですが...


最新モードの9300系。関東の住人には考えられない高級な通勤車。



たしかに最新の9000系や9300系は内装の色が濃いし、
更新車は伝統の金属製ブラインドがロールカーテンになったりしていますが、
それがどうした!というくらいの高級感のある内外装にびっくりです。


これが旧来の車内。マホガニー調の壁。アンゴラの上品な緑色のシート。
金属(アルミ)製のブラインド(ひよけ)。うーん、素晴らしい。




阪急の一大ターミナル、梅田。
美しい電車が9本ある櫛形ホームにひっきりなしに出入りしてくるのを眺めているだけで一日過ごせますw




梅田の駅はなぜかホーム上面もピッカピカwww




>>塗装にこだわっていた?京急もついにステンレス車になってしまったので、
塗装車体の西の雄、阪急はどう出るのか、今後興味がありますね。

>>京都線特急に乗ったのは2年ぶり。すでに6300系・6330系の姿は無く、信じられない感じ。
でも嵐山線で余生を過ごす6300系は、そのエレガントな車体をこれまた美しく保ち、
それなりに「合っている使い方をされていると思いました。
優雅に老後を過ごす、的な感じです。




>>同じく6300系の車内。嵐山線用にずいぶん変わってしまいましたが、
これはこれでいいのかも。というか、支線用でこのアコモ。うらやましい...(涙

コメント (14)
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