Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【てつどう】リニアモーターカーの時代はそう来ないだろう、という「よげん書」を見つけました(汗

2011-07-05 | てつどう。




...リニアモーターカー。
昭和の高度成長時代から画策され、ようやく開業の目途が立ってきた、「夢の鉄道」。
とはいえ整備計画が出来たのが今年の5月、で、
開業は首都圏のどこか(品川?)と名古屋で2027年
東京のどこかと大阪が2045年予定。って、えらい先なわけなのですが。
2027年でおれ56歳、全線開業時においては、74歳のおじいちゃんになっておりますw

となると、いまリニアモーターカーを開発されてる方、
2045年の全線開業時にはおしなべてご高齢になってます(涙


ちなみに東京~名古屋40分、東京~大阪は77分程度、
2027年より前に先行開業が見込まれる
橋本(相模原)~甲府はなんと15分で結ばれるんだそうだ。
速いですなあ...って、誰かその先行開業区間「橋本~甲府」に
「誰が乗るんだよ!」ってツッコんでくださいw






で。このリニアモーターカーなんですけど、自分(1971/昭和46年生まれ)の子供のころから、
もちろん「未来の夢の鉄道」というイメージで、子供向けの鉄道知識系の本に
よく書いてありました。

いちばん覚えているのが、昭和40年代の本に、「昭和55年に開業」ってあって、
子供心に「んなわけない」って思ってたこと(笑


1977(昭和52)年当時のリニアモーターカー、ML-500。
連結もしてないし、人も乗れなかった。




そして、いまだもって、計画段階といえば計画でしかない「リニアモーターカー」、
ほんとにまだまだ、開業までかかりそうだし、
あの当時からすれば、2027年なんて相当な未来です。


で、その「リニアモーターカーの未来」を、1977(昭和52)年に予想した
「よげん書」を見つけましたので、
ここに出してしまおうかと思います。
しかもこの「よげん書」は、リニアモーターカー以外にも、さまざまなことを当てている、
おそろしい「未来予想」なのです...。








...それが、これです。






















...子供の文集ですが何か(笑





でも、この文集には興味深いことがたくさん書かれています...。


ぼくは、「てつどう」のうんてんしに、なりたいです。
ぼくは、6才ぐらいの時から、のりものがすきで、てつどうがいちばん、すきなんです。
みらいになると、リニアモーターカーがでます。
それは、早いだけですから、ぜんぜんおもしろくありません。
それだし、せっかくのったのに、すぐついちゃうしいやです。

今の、車りんで走る、でんしゃが、いちばんです。
でも、リニアモーターカーは、じしゃくとじしゃくの間を、
二cmから五cmまでにあけなきゃならないので、とう分、でないとおもいます。

うんてんしになるには、やく、三年ぐらいはかかるけど、
ぼくはなにがあってもなってみたいです。
やなことは、みらいになると、コンピューターや、きかいでうんてんするので、
しごとがありません。

でんしゃのうんてんは、きまったじそく、きまったじかんに、
駅につかなければいけないんですが、それはしんぱいしていません。
てつどうの、車両のことなら、なんでもしっていますが、
駅のことは、あんまりしりません。

でも、リニアモーターカーのように、はやくいってしまうより、
ゆっくり、すわりながら、遠いところにいくのがいいんです。
なぜ、リニアモーターがでるのでしょうか。でなければいいのに。
リニアモーターカーはぜったいうんてんしたくありません。



リニアモーターカーを思い切り、全力で否定してますねこの小学生(笑
のんびりがいいとか、なんというか、夢がないw


まあ文章の脈絡が無いのはおいといて、
だけど、おそるべき予言がいくつかあるのです。


1)リニアモーターカーは、とう分、でないとおもいます。
→ぜんぜん出て(開業して)ません!

2)やなことは、みらいになると、コンピューターや、きかいでうんてんするので、
しごとがありません。

→都営三田線や大江戸線などでは、完全自動運転で、運転手はボタンを押すだけ。
「ゆりかもめ」「舎人(とねり)ライナー」などでは、運転手もいません!


うーん、昭和52年にここまでの予想...なんておそろすぃ「よげん書」なのでしょう
(ガクガクブルブル)



で...。もうお気づきかと思いますが、この「よげん書」、ワタクシieが書いたものです(汗
これ見ると、ieって変わってない、というか、「三つ子の魂百まで」って
よく言ったものだなって、自分で笑っちゃいました(爆

・てつどうの、車両のことなら、なんでもしっていますが、
駅のことは、あんまりしりません・・・いまでも変わらんw

・はやくいってしまうより、
ゆっくり、すわりながら、遠いところにいくのがいいんです・・・
これもいまと何も変わらない(涙






あと、この冊子の表紙に描いてある新幹線が(ところどころディティールが間違ってるんだけどね)、
961形」...。
→961形は、全国新幹線網対応車両として開発された6両だけの試作車...。
メジャーな量産車0系ではなくプロトタイプを持ってくるあたり、がっかりです(汗

あと、新幹線のレール幅「1435mm」を強調して描いてたりとか
→(新幹線と在来線はレールの幅がそれぞれ1435/1067mmで違うのだ)、
メインの新幹線の右横には「951 961・・・(と読める)」の、
各プロトタイプの新幹線とか描いてるし...いやほんとに、ヤな小2だな...(汗






>>なお余談の余談なのですが、「磁気浮上式鉄道」を
「リニアモーターカー」っていうのは日本だけ(和製英語)で、
世界では「Maglev(マグレヴ)」で通用します。

>>なぜ浮くのか?なぜ進むのか?については、このサイトがわかりやすいです。
ネオマグさんという、永久磁石のメーカーさんです。
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【てつどう】南海の電車、実は東急車両製。

2010-12-03 | てつどう。


関西ネタがまだ続きますね...。


関西の民鉄の車両は、阪急のアルナ工機、近鉄の近畿車輛、京阪の
阪神のなど、基本的には在阪の企業によるものが多いです(最近はそうでもないが)。


でも、そのなかでも、南海は、関東系鉄道車両の雄である、東急車両製造(以下東急車両)製が多いのです。
多いのです、というか、ほとんど東急車両製です。



東急製の電車といえば、東急7000系、8000系をはじめとした、
関東型とも言える機能一点主義的なステンレスカー、
そして昨今ではJR東日本の209系を端に発する「走るンです」とも称される(いい意味でのあだ名では無い)、
一連のステンレスカーを製造しています。


なんでこんな話になったか、といいますと、
南海の電車、東急車両製って知るまでは、そうは見えなかったのです
(それを知ったのは高校生くらいだったのだけど)。
関西らしさにあふれた車両群だなあってさえ、思っていました。


でも、東急車両製だって聞かされたとき、へえーって思った。


なんで関西の南海が、横浜に拠を構える東急車両が車輛製造を担当しているか、というと。
南海の電車を作っていた旧梅鉢⇒帝国車両が東急車両製造に合併されたという経緯で、
かつての旧帝国車両=東急車両製造との取引を残している、
ということらしいんですね。



これは、南海の6000系です。




東急7000系・京王井の頭線用3000系と同じく、
バッド社の技術を用いた「オールステンレスカー」として1962(昭和37)年に登場。
東急と京王は18m3扉でしたから、実は日本初のオールステンレスカーでの20m4扉車は、
この南海6000系だったりするのです。
ちなみに南海6000系、なんと全車健在のようす。ステンレス車ってすごいんだなあ。
って、東急はこの車両よりも新しいステンレス車を
バカスカ廃車してるけどもね...。


ところでこの6000系、
言われなければ、片開きのドアや、丸く造形された前面、
独特の形式名書体など、非常に関西の電車っぽい風情をもっています。
このあとの6100系など両開きドアを持っている20m4扉車はしばらく、
関西特有ともいえる車端部の窓の数が違う21m級の左右非対称車体で製造され、
それもまた関西ぽかった。


車内も、シートの袖にポールが無く、蛍光灯にはカバーがつくなど、関西らしさを持っています。


でも、「東急車両製」って聞かされてからよーく見てみると...。



左が6000系、右が旧8000系⇒現6200系の●+■併結。すべて高野線用





高野線用旧8000系⇒現6200系と、本線筋の7000系など





高野線用9000系





高野線用の17m車 2000系が、山を下りて本線の7000系の置き換えで走る






そして、これがまさに「The・東急車両製」の東急8000系。
そこかしこに、似たような要素を感じませんか。




こうして比べてみると、
南海の電車たちに、ステンレスのコルゲート、尾灯の部品などに、東急車両製らしさが見えてくるので不思議です!




で、最後。

関西の車両っぽく見せることを放棄した感のある、
ここまで来るとまんま「走るンです」な8000系





ただし民鉄用で裾絞りがあるのはかっこいい。それになんで前パンタなんだ!ほれてまうやろw




車内もどこかで見たような風景。林立するポールが冷たい感じがして、沿線の方々には評判が悪いそうな。




>>南海系の軌道、NHKの連ドラ「てっぱん」にも登場する阪堺。
ここのモ700は珍しい東急車両製の路面電車ですが、この電車の車内など、
東急8000系の更新車の路面電車版みたいな感じ(シートモケットが茶色の2トーンだったり)。





>>それにしても、南海本線の7000系は塩害に悩んでいるということなのですが、
なぜかつては本線がスチール、山に向かう高野線がステンレスなのか、と疑問だったのですが、
これ、理由があって、当時踏切が多く事故が絶えなかった本線系では修復の手間を考え普通鋼製に、
逆に踏切の少ない高野線にはステンレスカーを、ということになったらしい。へえー。

>>ということで、関西民鉄の雄の一角が、実はコッテコテの関東型車両メーカー製である、というお話でした(^^;

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【てつどう】交通科学館でDD54を見る。

2010-11-26 | てつどう。


まだまだ、関西訪問のネタでひっぱります...。
今日は、大阪交通科学館に保存されている「DD54」のお話。




ところで、「54は悲運のナンバー」だって、ご存知ですか。


これは、鉄道趣味の世界では知っている方は多いと思うのですが、
C54、DD54、EF54、ED54など、悲劇の機関車と言われる車輛たちに、なぜか「54」がつくものが多い、
ということなのです...。


これらの機関車は、たいてい少数製造で、海外からの技術を導入したために
当時の日本では技術力が追い付かず保守管理が困難なため早期廃車になったりしてしまったため、
「54」がつく機関車はたいてい長持ちせず、廃車の時期が早かったのでした。


DD54もまた、そんな「54」のジンクスを背負ってしまったディーゼル機関車だったのです。






昭和30年代中葉には、既に国鉄の幹線・亜幹線用ディーゼル機関車としては
傑作の誉高いDD51形がすでに実用化されていたのですが、
DD51は1000馬力級エンジン×2基のため、変速機なども倍必要になってしまう。
そこで、2000馬力クラスの大出力エンジンを1基のみ装備して車両重量の軽減・保守の容易化、
さらには製造コストの削減を目指して開発がスタートしました。


でも、当時の日本では2000馬力級のエンジン、そして変速機を製造することはまだままならず、
鉄道先進国である西ドイツ(なつかしいね)から技術を導入して開発することになりました。
それが、このDD54です。三菱で40両が製造されました。


DD54は、亜幹線と呼ばれる、線路とそのベースが幹線クラスよりも弱い路線にも入れるように、
1軸構造の中間台車を設けて、軸配置を B-1-B という独特なものとしています。
車体は車体の中央にキャビンを設けたDD51と異なり、一般的な箱形となっています。


運転台



DE10の2軸台車と同じ、インサイドフレーム型台車DT131型。



搭載されたエンジンは、V型16気筒のDMP86型ディーゼル。
西ドイツのマイバッハ(!)が設計したエンジンを三菱重工業がライセンス生産したものです。
変速機(液体式)も西ドイツのメーカー、メキドロ設計のライセンス品でした。



車体中央に据えられた定格出力1820PSのディーゼルエンジン DD51の1100PS×2より
出力が抑えられているのは、使用線区を考慮してのもの



1966年に先行試作の3両が福知山区に投入されて以降、本格量産が開始されて
1971年までに量産車37両が製造され、全40両が福知山機関区と米子機関区に配属され、
C57形、C58形等の蒸気機関車を置き換えていきました。


でも、そのさなか、DD54はたびたびトラブルを起こします。
推進軸(ユニバーサルジョイント)が破損して、落ちた推進軸が線路に突き刺さってDD54が脱線・転覆。
その後も同様の事故が続き、対策を施し推進軸による事故はなくなったものの、
やがてエンジン・変速機の故障が多発しはじめます。





西ドイツ製のエンジンと変速機をはじめとした各部は、極めて高度な設計であったものの、
それはすなわち構造が複雑であるゆえの保守の困難さも要求し、
そもそも舶来品のエンジンを変速機であるがゆえに、それまでの国産のものとは取り扱いが違うこともあって、
原因のわからないトラブルや足りない部品などは本国のメーカーに問い合わせが必要、
というなんだかフランス車乗りだったら経験したことがありそうな(涙)状態になり、
なんとDD54は、投入からわずか12年後の1978(昭和53)年には全車廃車になってしまったのでした!



実際のところ、DD54に搭載されていたマイバッハ製エンジンはヨーロッパでは定評のあるエンジンだったそうで、
それが日本では維持が困難だった、というあたり、なんだか
きちんとしたメカニックがいないと修理・維持が出来ない各種欧州車を思い出させますね...。
DD54は性能、メカニックの設計も素晴らしかったのですが、日本ではそれが生かされることなく、
結局早期淘汰されてしまったのですから、たしかに「不運」な機関車だったと言えます。



そう思うと、素晴らしい性能があっても、それを生かしきれなかった欧州車って、
かつてはいっぱいあったのじゃないかな、って思います。

今でこそ(ほんとうに信頼出来るところは限られているにしても)
欧州車を修理出来るショップは日本全国津々浦々にあるのですが、
でも、昭和30年代、40年代はわずかながらの正規の指定工場くらいしかなかったはずで、
あの当時に欧州車に乗っていたひとたちって、ホントに大変だったんだろうなあ...。


シトロエンのハイドロとか、みなさんどうやって維持していたのでしょうね...
先達の方々には頭が上がりません。


なお、同じく交通科学館には、箱型ディーゼル機関車、DF50も保存されている。
ねえ、知ってた?DD51よりも登場古いんだよ!






>>交通科学館、かなり楽しいです。オススメ。保存車も機関車だけではなく、電車・機動車、客車が多いのも
うれしいところ。
廃車後柳井駅に放置されていた80系のクハ86001とモハ80001の2両(なぜ柳井駅を強調するかというと、
1985年、まさにこれを見に行こうと思ったら数日前に撤去された、という思い出があるので)、
キハ81、スハシ38、マロネフ59(旧皇族用貴賓車)、ナシ20(実際に食堂として営業)など、
なかなかマニアックな顔ぶれ。旧客の食堂車と寝台車だぜ...萌えないわけがないぜ!
ちなみに、スハシ38は「スシ28 301」として保存してありますが、
これ、保存にあたって普通車との合造をやめて全室食堂車に改造された際に、
わざわざスシ28の300番台という架空の番台を設定して改番した、という
なんだかニヤリとしてしまうようなコダワリ(汗




>>キハ81




>>ナシ20




>>ということで、クハ86。この半流もいいけど、やっぱり湘南型も保存してほしかったなあ。



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【てつどう】日本一(いや、世界一)長いモノレール 大阪モノレール

2010-11-12 | てつどう。




1か月前の大阪出張の記事をまだひっぱるieです(汗


赤川鉄橋を訪問した後、淡路駅から京都方面に向かうことにしたのですが、
ただふつうに行くのは面白くないので、淡路駅から千里線に乗って山田で降りて、
山田から大阪モノレール(正式には大阪高速鉄道というのですが)に乗って、南茨木から阪急京都線、
もしくは門真市まで乗って「おけいはん」で行くか、悩んだのですが、
嵐山線の6300系を見たかったので、南茨木までの数駅だけ、空中散歩を楽しむことにしました。


大阪モノレールは、大阪モノレール線=本線(大阪空港~門真市) 21.2km、
国際文化公園都市線=彩都線(万博記念公園~彩都西)6.8kmの2路線からなり、総延長は28kmになります。

一般的な鉄のレールでの鉄道で28kmとはそんなに長くは無いんですが、
モノレールでは日本最長、というか、実は世界最長の路線長を持ち、ギネスにも乗ってるとか云々。
参考までに東京モノレールは17.8KM、沖縄のゆいレールが12.9km。
廃止路線では名鉄の犬山モノレールが1.2km、小田急の向ケ丘遊園のモノレールが1.1kmです。

本線は、東京でいえば武蔵野線とか東武野田線のような、
放射路線に対しての横のつながりを作っている路線で、
私鉄の路線間連絡等の際は、結構便利です。







大阪モノレールの車両は、1000系と2000系の2種類。
開業が1990年と新しい路線なので、2種類とも古くは無いし、つくり・デザインともに
なかなかいいですね。
ちなみに大阪モノレールは跨座式(こざしき)といい、コンクリのけたを左右から挟み、
けたの上をゴムタイヤで駆動する方式になっています。

東京モノレールも、ゆいレールも跨座式ですが、
前者は「日立アルヴェーグ式」で、後者はそれが日本独自の発展を遂げた「日本跨座式」と呼ばれる方式。
そして大阪モノレールも、「日本跨座式」に分類されます。

東京モノレールに乗ったことがあれば、車内の床にでっぱりがあるのを見たことがあると思いますが、
これはけたの上で回るゴムタイヤのハウジングカバーなのです。その上を荷物置き場などにしてますが、
それでもちょっと邪魔な感じはしますよね。


で、日本跨座式では、それを避けるために、床を上げてでっぱりを無くしたもので、
車内はふつうの電車みたいになっています。


その反面、日本跨座式は、車輛の全高が高くなった、トンネルなどの掘削にコストがかかる、
などの欠点も生んでしまいました。




閑話休題。
大阪でも千里の周辺は丘を切り開いて新興住宅が立ち、幅広い道路が貫いている印象がありますが、
このモノレール沿線もそれを象徴しているかのような景観で、
見慣れないieにはすごく新鮮でした。





遠くにいる特撮のモンスターのようなものは...おお、あれだ
(あと、左はしの黄色いのは新しいカングーだ!)。















万博記念公園駅前後で、モノレールの眼前に聳え立つ太郎先生の傑作。
この道中、時間があまりなかったゆえ、ほんとは降りてゆっくり見ようと思ったけどかなわず。
次回、要リベンジ(死語)。





>>モノレールにもいろいろ種類があります。先日紹介した姫路モノレールは、
小田急の向ケ丘遊園モノレールとならんで、「ロッキード式」でした。


>>大掛かりな施設であるモノレールは、企業の姿勢や路線の盛衰などで大きく
その後の運命を左右することになるのですが、それの端的な例がこの「ロッキード式」。
ロッキードは1970年にモノレール事業から撤退。
そうなると、部品の確保、車輛のメンテなどに、大きな問題が出てくるようになります。

>>姫路は、末期保守が行きとどかず、乗り心地が悪かったらしいですし、
小田急も構造的な欠陥が見つかった際に、唯一のロッキード式になっていたこともあり、
莫大な修理費をかけても、今後も台規模な故障なことがあればまた同じ問題に直面することなどを考え、
廃止の道を選ばざるを得なくなってしまったのでした。



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【てつどう】‰(パーミル)会は伊達じゃない!普通に見えて実は登山電車 神戸電鉄

2010-10-29 | てつどう。


‰(パーミル)って単位、ご存知ですか。


1/100を1とする%(パーセント)に対して、パーミルは、1/1000を1とする単位です。
百分率に対する、千分率、といえばなお分かりやすいでしょうか。


鉄道を趣味とする方々では、「パーミル」と聞けばそれは、「坂の勾配の角度」と即答する方が多いと思います。
鉄道に関わらず勾配を表す単位によく用いられるのですが、
でも一般的に「この道路は300パーミルだ」とはあまり言わないですよね(道路は%で示すことが多い)。


鉄道(ゴムタイヤ式やモノレール除く)は、鉄と鉄の摩擦で走っているので、
クルマのタイヤ+アスファルトなどと比べて、粘着力が弱いのは想像に難くないと思います。
なので、鉄道の坂の勾配は、道路に比べてずっとゆるやかです。
そのため、パーミルという単位を用いるのです。



鉄道の歴史はこの「勾配との戦い」でもあったのですが、
わが日本は、基本的に平地の少ない「山岳国家(大げさ?)」なので、
鉄道も様々知恵を絞り、その困難を乗り越えてきた歴史を持ちます。


では、鉄道にとって「キツイ坂」というのは、どのくらいか。


長野新幹線の開業で廃止になった、JRでいちばん勾配のきつかった区間。。。
信越本線 横川-軽井沢間では、66.7‰。1000m進むのに対して66.7mあがる、という坂です。
ぱっと聞くと大したことないようですが、電車に乗ってみると
座っていて電車が傾いているのがわかったほどの、急傾斜でした。

ここを通すために、わざわざ専用の電気機関車を開発、連結して
上るときは後押し、下るときはブレーキの役割を担わせるほど、たいへんだったのです


専用の峠越え補助機関車はいくつかありますが、いちばん有名なのはこのEF63です。




キツイ勾配は、鉄道にとっては上ることだけでなく、降りることもたいへん厳しい。
下り坂では、少ない摩擦故、どんどん速度が上がってしまう。

とくにブレーキについては専用とも言える二重三重の重装備を持ち、坂道を転げ落ちることの無いよう開発されていました。



さて、前振りが長くなってしまいましたが、
前述のように山岳路線・急勾配が多い日本。
有名なところでは箱根登山鉄道。ここはなんと80パーミルの路線を持ちます。
80パーミルは、3両で45mの電車の前と後ろで高さが3.6mも違う、と聞けば、いかに急勾配かわかるかと。
ほかにも山岳路線はいくつかあって、それらはみな急勾配と戦っている会社ばかりです。


これら急勾配な山岳路線を持つ鉄道会社が結成したのが、全国登山鉄道‰会(パーミル会)
加盟しているのは、南海、神戸電鉄、富士急行、大井川鐵道、叡山電鉄、箱根登山鉄道。
中には車輛に勾配に対する特殊装備をしていない会社も含まれてはいますが
(例:富士急。でも40‰の連続勾配が続く立派な山岳路線)。







ああ、まだ前振りじゃないかw


ということで、この間の関西出張の際に時間を作ってちょい訪問したのが、
パーミル会加盟の私鉄、神戸電鉄です(出張時テツの話も引っ張るなあw)。


神戸市中心部と有馬温泉を結ぶ観光路線の側面と、神戸市への通勤通学路線の性格を併せ持つ
有馬線などで構成される69.6km(神戸高速鉄道の湊川-新開地間含む)の中小私鉄です。



ここの最大の特徴は、六甲山地をかけのぼる50パーミルの勾配を持つこと。
全路線69.6kmのうち、勾配区間は8割、35パーミル以上の区間は3割、
さらにさらに50パーミル区間は2割という、いうならば「ほぼ急勾配」の鉄道。
そして、ここに立ち向かうのは見た目完全に通勤向けの電車でありながら、
実は山岳路線専用の装備を持っていること。
しかも有馬線の急勾配は、一般的な「山岳部に向かうほど急峻な路線となる」のではなく、
新開地・湊川を出てから間もなく、一気に50パーミルの坂を駆け上ることです。
これは平地が少なく、いきなり山になるこのあたりの地形も影響しているのでしょう。


新開地駅。厳密には神戸電鉄の駅では無いのですが、そのあたりも
神戸高速鉄道が無くなることで解消していくでしょう。
名物、高速そばを食べなかったのは不覚。


2000系のVVVF制御バージョン、5000系。
起動加速度は3.0km/h/s、最高時速100kmを誇る高性能車。これは山岳用としては高い。
回生ブレーキを持ちますが、回生ブレーキがの失効した際のために電気ブレーキを持ち、
ブレーキ系を二重化して安全性向上を図っています。




訪問した日はもう夜も遅く、新開地~鈴蘭台を往復しただけでしたが、
それでも前述のごとくこの区間ですでに急勾配なので、
上り下りする電車を堪能できました。


途中鵯越駅(ひよどりごえ)で降りて駅撮り。


1370系。1300系列の中間車1320系に運転台をつけたもの。このクラシカルな外観がいい。


鈴蘭台に向けて勾配を上っていく。電車が去った後は、ただ虫の声と漆黒の闇。






鈴蘭台にて。
2扉と3扉車が混ざって使用されています。内外装は、クラシックな雰囲気。
やっぱりどうも、こういう昭和30~40年代の電車が好きなようです。


1100系。昭和44(1969)年から製造の2扉車。
外観的にはすでに廃車になっている800系や1000系の流れをついだ、いかにも高度成長期なグッド・デザイン。




鉄道が勾配に挑む姿が好きな方は多いと思いますが、自分もそのひとり。
そんなファンたちにとっては、坂を登るだけでなく、降りるときのほうが実はハイライト
だったりするかもしれない。

電車には、クルマのフットブレーキ多用によるブレーキ力の低下を防ぐエンジンブレーキのような、
「電気制動」というものを持っているのですが、神戸電鉄の場合下り坂はほぼ電制を多用するので、
その独特の「加速時とは違うモーター音」がたまらないんですね。



ウルトラマン電車ともいわれる3000系。


登場は昭和48(1973)年。いまみても斬新。1991年まで長く製造が続けられたのも特徴。



神戸電鉄の車輛は先に紹介したEF63のように、急勾配に対する様々な対策が行われています。
それは、登坂能力を高めるための高い電動車比率、勾配区間での焼きつきを抑えるべく容量の大きくなった抵抗器、
高い減速性能と天候の変化に強い鋳鉄ブレーキシューの採用、
また、「非常電制」といわれる「最後の手段」も用意されています。
これは、通常の車輪を停める空気ブレーキが故障して使用できなくなった場合でも、
モーターをブレーキとして限界まで使用する装備。ちなみに、これを使った場合、モータは壊れるそうです。



そんなこんなで、上りも下りもそこそこ堪能。あ、でももう22時!帰らなきゃ、と、
後ろ髪惹かれる思いで、新開地から山陽電車に乗り込んだのでした...。





>>阪急・阪神系列の会社なのですが、電車は阪急の色が濃いです。
とくに内装はマホガニー壁、シックな緑色のシートなど、かなり上質なものもあります。


>>3000系車内。


>>そして関西私鉄では珍しく、ステンレス車(6000系)を持ちます。
でもさほど冷たい感じがしないのは、さすが関西というべきでしょうか。

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【てつどう】ついに来た、夢の赤川鉄橋

2010-10-18 | てつどう。


木曽の話を間に入れたので、話が前後してすみません。
関西出張の鉄分補給の続きです。


この折りに、やっと実現出来たことがありました。


それが、「赤川陸橋への訪問」。


この名前を聞いてピンと来られる方もいらっしゃるかも。


赤川鉄橋は、正式には「城東貨物線淀川橋梁(じょうとうかもつせんよどがわきょうりょう)」
といいます。
最寄駅は阪急京都線の淡路駅。ここから徒歩15分。
淀川を渡った先の駅ですが、梅田から5駅。大阪の中心部梅田には近いエリアです。





城東貨物線は歴史が古く、
関西本線~東海道本線間の貨物輸送を城東線(現在の大阪環状線)では遠回りになることなどから
昭和6(1931)年に全通した貨物支線です。

現在でも、百済駅(JR貨物所有)~吹田駅の間を、定期貨物列車が1日あたり数往復運転されていて、
しかも機関車はディーゼル、という路線です。


それだけでも訪問・撮影の対象になるのですが、
なぜ「夢」というほどに赤川鉄橋に行きたかったのか...といいますと、
それはこの鉄橋が、こんな状況の橋だからなのです。





1929(昭和4)年の古いけど(古いが故に)そのトラス構造が美しいこの鉄橋は、
実際には複線化出来る幅になっています。
でも、いま現在なお複線化は行われ人道橋」があるのです。
しかも、木製!!




で、ここをDD51とかDE10が牽引する貨物列車が通るとどうなるかというと...こうなる。



定刻より少々遅れて(吹田駅1343発で考えた時)、吹田方から3083レがやってきた!







キターーーー




ドギュゥゥゥゥゥゥン





思いのほか速いスピードで、目の前を1100HPのDML61Z型ディーゼルエンジン×2台をうならせて
走りさるDD51!





その後ろにはコンテナ車(コキ)が続き、あっというまに橋を渡って去っていきました...。




これが日常的に見られるなんてすごい!


でもまあ、自分の実家も八高線に近かっただったので、DD51重連が走る音と振動で
家が揺れたもんだ。ふつうに日常だったもんなあ...。



ちなみに、この橋の長さは610m。地元の方々の見物客も多く、それと
すごい勢いで渡っていくこれまた地元のチャリ。この界隈の貴重な対岸に渡る橋として
立派に利用されていることが分かりました。







>>城東貨物線はその一部が「おおさか東線」として開業したことでも知られていますが、
放出(はなてん)から先の旅客線転用はまだ先のこと(2018年)。
それまでは、この変わった鉄道橋+人道橋はこの姿を保ちますが、
でもいよいよ残り年数のカウントダウンが始まったといえそうです。
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【てつどう】いまだ残る姫路のモノレール跡を見る。

2010-10-12 | てつどう。


3連休はちょっとおでかけしてまして、その記事も書かないといけないのですが、
まだ写真の整理が終わっていないので、ひとまず、これまたたまってる大阪編のネタで今回も行きますね。


ということで、姫路のモノレール(運営は姫路市交通局)のお話をちょっとだけ。

えー、姫路にモノレールなんて、ということですが、「跡」とあるとおり、
もう廃線になってしまった路線です。

でも、実際には車両や遺構が結構残されていて、山陽線の姫路駅界隈でいつも見ていた
モノレールの橋脚をもっと近くで見てみたいと思っていました。


姫路のモノレールは姫路駅から手柄山駅までを結んでいたモノレールでした。
手柄山で開催された「姫路大博覧会」へのアクセス交通という名目で昭和41(1966)に開業...
はしたものの、博覧会のオープンには間に合わなかったそうです。


しかも、この手のアクセス交通のサガ、博覧会後は案の定利用客は激減。
これには博覧会の有無だけでは無く、路線が1.6キロしかない、でも運賃は高い、
終点手柄山駅が住宅地では無く公園(しかも高台)にあった、などの要件もそれに輪を掛けたようで、
結局営業不振ということで1974年休止扱いののち、1979年に廃止となりました。



姫路市内にまだ大量に残る遺構=橋脚は、撤去だけで数十億円かかるとのことで、
なかなか工事が進まず、いまなおその多くが建物に取り込まれたまま、
もはや日常生活の一部分として生き残っている、ということのようです。


山陽姫路駅のガードのわきを歩くと、早々に目に入ってくる橋脚。



完全にオブジェ



こんな風に、古い建物がすっぽりと囲んでいて、建物全部壊さないと
橋脚撤去できないといった感じです。




果たして橋脚が先なのか、建物が橋脚と一緒に立てられたのか
建物が橋脚を囲んで建てられたのか、考えてしまいました。



どうもこの界隈、再開発が進んでいるようで、この遺構もいよいよ見おさめな感じがしました。


こんな廃(ハイ)な感じがあふれていてとても好きなんですけども




そしてこれが姫路のモノレールの遺構の中でも見たかった、大将軍駅跡。





駅?跡?

そうなんです、建物の中に、モノレールの駅があったのです。


モノレールの駅の下はビジネスホテル、上は公団住宅。
この斬新な発想が、昭和41(1966)年にあったことがすごい。

でも実際にはこの駅から姫路駅はすぐで、乗るよりあるいたほうが早いということなどもあって
開業してから2年後にこの駅は廃止になったそうです。
でもそれがまだ残っているっていうのが、すごい。
ちなみに、ビジネスホテルは廃業していましたし、前述の通り再開発をしているっぽいので、
果たしてこの建物、いつまで存在するのでしょうか。
まだ住人の方は住んでいるっぽかったので、大丈夫かしら...。





>>あいにく時間が無くて、大将軍駅後までの散策となりましたが、はじめて見て以来25年以上の宿願、やっと叶いました(^^
まあほんとは手柄山駅も見たかったんですけれどもね...。

>>ところで、廃止になって30年以上たったというのに、モノレールの車両自体はなんと保存されていました。
それが昨年一般に公開されるとあって色めき立ったのですが、
結局、見に行けなかった事はすごく悔やまれるところです。
整備されて展示はされるようなのですが、出来れば「廃なるもの」の状態で見たかったのです。

>>ちなみにモノレールの構造としては小田急向ケ丘遊園のモノレールと一緒で、「ロッキード式」。
製造は川崎航空機。ほんまものの飛行機メーカー製でした(^^;
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【てつどう】激走!キハ181「はまかぜ」を撮る

2010-10-08 | てつどう。
撮るよりは乗ってばっかりの乗りテツ、ieです。

先日の山陽電鉄詣での際に、ちょうど時間的に都合が良かったので、
山陽の須磨浦公園で降りててくてく歩いて向かったのは、超がつくほど有名な撮影地、
JR神戸線(山陽本線)須磨-塩屋

ここで待つは、いよいよ今年の11月(ってもう来月じゃん)に予定を早められて引退する、
キハ181系「はまかぜ」。
4年ほど前に乗りに行ったはまかぜですが、ついに終焉のときが来たようです。

とはいえ、東京でいえば東海道線の横浜とか東京の間に、そして東京駅に、
キハ181系が現役で出入りしているという風に置き換えたら、
どれだけすごいことかわかります。


何しろ基本的に撮ることをしないie、中高生時代~大学時代はそこそこ
いろいろ撮影地に行ったものですが、最近(最近とは言わないなw)はすっかりご無沙汰。
いまや腕はほぼ無いに等しいので、はまかぜが来る間に、しばし練習。



うーん、こんなんで大丈夫かしら。


223系。



かっとんでいく下りスーパーはくと。智頭急行のHOT7000系ディーゼルカー。尾灯をつけんさい!


207系...じゃない、JR西日本の量産型通勤車321系。関西の車輛の例にもれず、出来が良い。


まだまだ頑張る221系。これ大好き。圧倒的なオーバークオリティのバブル電車。



この日は同業者さんが他に3名ほど。
みなさん白レンズでした(^^;


しばしこんな感じで撮影を楽しむ。同業者さんはまったく撮ろうとしないんですが
こういう何気ない車両を何気なく撮っておいたほうが
あとあと「ああ、撮っておいてくれたあの時のオレサンキュー」
になるのでは、と思います。


さて、いよいよ時間...カーブの向こうにキハ181系の姿が見えます。
35mm換算300mmのレンズなので、見えた瞬間にフレーミングしないと間に合わない。

きたきた!




結構な勢いではまかぜがファインダーのなかを駆け抜けていきました。



そしてあとには、あのキハ181系特有のエコじゃない青黒い煙とエコじゃない排気ガスの
においが...(でもスキw)。



そのあとしばらくいて、EF66の貨物や、下りのはまかぜを撮影して撤収。
うーん、腕が落ちた。また撮影にいかんといけませんなあ。






>>大阪滞在中大阪駅で偶然見かけたはまかぜの回送シーン。
ご覧のように見事な青黒い排気!これがあってのキハ181系なのです。




>>中高生のころはワインダーもモードラも持てず、
1発勝負でしかもマニュアルの露出+マニュアルフォーカス。
それが当たり前だったけど、今思うとすごいよねえ。写真の出来はさておき...(^^;
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【てつどう】ザ・写り込み王 美しすぎる電車・阪急に萌え

2010-10-04 | てつどう。


ひごろ関東東京住まいの身には、
関西の鉄道、とくに民鉄に触れることが大好きです。
それは大手、準大手、地方の違いに関係なくです。

関東の民鉄にも各社特徴がありますが、関西の場合はその特徴がさらに明確で、
しかも伝統を重んじていたり、何かにこだわっているところがあったりと、
ここで説明するには足りないくらい魅力的。
先日は準大手山陽の話題をちょっとしましたが、
今日もそんな民鉄のお話をしたく思いますです。


で、タイトルの通り、今日は「阪急」なわけです。
古い歴史、高級住宅街、街の開発と鉄道路線を一体で考えた初めての会社、
などさまざまな側面をもつ阪急。
今日はそんな中でも、やはり阪急のイメージを形づくる最大の部位「電車」についてだけに触れたいです。

しかも、その中でも「写り込み」について(^^;



電車は昨今どんどん銀色のアルミ車ステンレス車にシフトしていて、
塗装がされた電車は数少ないです。

でも、阪急はすごいぜ。
もうずいぶん前からアルミ車を作っているというのに、いまだにギンギラ車がいない。
阪急線内を走っているのは、阪急に乗り入れてくる先の大阪市営と山陽くらいのものです。
なんと、アルミ車にさえわざわざ伝統的なマルーン色を塗り続けているくらいのこだわりよう。

で、その塗装も、どうも他の会社と違うような気がする。
電車の塗装は基本的には艶消しではないので、光沢もあるし、
反射して自分の姿や風景が電車に写り込むことももちろんあります。
でも、阪急はその濃くて上品な色合いがそうさせるのか、ieの思いこみなのか、
来る電車来る電車すべてが、「全検あがりかよw」って突っ込みたくなるよう美しさ。



いつまで使うんだ!な京都線2300系。昭和35(1960)年登場。
この2313Fは少なくとも50年以上近く前に製造されているはず。

信じられない!


ご覧の通り検査あがり。2800系にも使われていた金属バネのFS345台車もピカピカ。
いかにもミンデンドイツ型のデザインがイイ。

そして車体もピッカピカw


ホームで電車に乗る前のお客さんもこのように電車に写り込む。



十三の駅で9300系と離合する7300系。9300系に鏡のように写っています。




昭和30年代初期に登場以来、ほぼ不変のマルーン+銀の窓枠という素晴らしい配色、
時代の流行を取り入れつつも奇をてらい過ぎない落ち着いたデザイン。
それと、異様に長い間電車を使い続ける姿勢(涙→これは阪急の経済事情にもよるのですが...


最新モードの9300系。関東の住人には考えられない高級な通勤車。



たしかに最新の9000系や9300系は内装の色が濃いし、
更新車は伝統の金属製ブラインドがロールカーテンになったりしていますが、
それがどうした!というくらいの高級感のある内外装にびっくりです。


これが旧来の車内。マホガニー調の壁。アンゴラの上品な緑色のシート。
金属(アルミ)製のブラインド(ひよけ)。うーん、素晴らしい。




阪急の一大ターミナル、梅田。
美しい電車が9本ある櫛形ホームにひっきりなしに出入りしてくるのを眺めているだけで一日過ごせますw




梅田の駅はなぜかホーム上面もピッカピカwww




>>塗装にこだわっていた?京急もついにステンレス車になってしまったので、
塗装車体の西の雄、阪急はどう出るのか、今後興味がありますね。

>>京都線特急に乗ったのは2年ぶり。すでに6300系・6330系の姿は無く、信じられない感じ。
でも嵐山線で余生を過ごす6300系は、そのエレガントな車体をこれまた美しく保ち、
それなりに「合っている使い方をされていると思いました。
優雅に老後を過ごす、的な感じです。




>>同じく6300系の車内。嵐山線用にずいぶん変わってしまいましたが、
これはこれでいいのかも。というか、支線用でこのアコモ。うらやましい...(涙

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【てつどう】MB3020の咆哮 山陽5000系直通特急に萌え死に

2010-09-24 | てつどう。
先日大阪出張が何回か続き(ましたので、合間を縫って関西の鉄道探訪を楽しんできました。

その探訪記事1回目は、山陽電鉄の5000系です。



梅田から山陽車に乗れる喜び



山陽電鉄は準大手私鉄に分類される63.2kmの路線を持つ民鉄。
特徴として、全線にわたり、JRと並走しているため完全な競合関係にあることがあげられます。

現在の主力である3000系以降の車両は、神戸高速鉄道を介して乗り入れる先である
大手の阪神や阪急と設計を同一にする必要もあり、準大手私鉄でありながら、
非常に高いクオリティを持っているのも特徴の一つです。
また、製造も地元の川重が一気に引き受けているのも山陽電鉄らしいところです。


その3000系列は、輸送力増強・旧型車の置き換えとして
1964年から1985年まで22年の長期間、合計133両が製造されましたが、
その長い製造年月も手伝って、山陽電鉄の車両の性能の標準化とアコモデーションの向上、
そして同じ車両を作り続けるが故の保守の合理化とコストダウンに成功しました。

この3000系列の後継車として、1985年に登場したのが5000系です。

当初の役割は、当時まだ山陽電鉄に残っていた旧型車の一掃だったのですが、
国鉄の分割民営化の足音が聞こえる時期になって、ライバルであった山陽本線が
これまで以上に強敵になることが予想されたため、5000系は普通車用でありながらクロスシートを装備し、
3000系列後期モデルから継いだ丁寧な作りのアルミボディを持つ、
レベルの高い車両として登場したのでした。

外観は3000系と同様のパノラミック・ウインドウでありながらも、
ブラックフェイスとして大幅にイメージチェンジ。
奇をてらわず、そして見あきないグッドデザインです。


山陽姫路にて。



制御方式は界磁添加励磁制御です。この制御方式の特徴は、
当時すでに各社で採用されていた界磁チョッパやVVVFインバータ制御を用いずとも、
既存の3000系で使用していたモーターを流用しつつ省エネも図れる、ということ。
ここでも、保守管理の徹底的な合理化策が伺えます。


クロスシートの車内。


グローブ付き蛍光灯、内張りのある側扉、綺麗な内張り。何もかもが上質。うーん、うらやましい。

当初は固定のクロスシートでしたが、途中から転換クロスシートで製造され、
一部の固定クロス車も転換化改造がされています。

このシートがふかふかで、なかなかの一品だったりするんですなあ。




ちなみに、5000系登場当初、15年ぶりのクロスシート採用が失敗に終わった時のために、
すぐにロングシートに戻せるようにしてあったそうですが、それは杞憂に終わり、
それよりもむしろ5000系は、その性質上優等列車主体で使用されるようになり、
3両だった編成も現在では、5000系のマイナーチェンジモデルである5030系を含み
6両貫通編成10本、4両編成2本の組成となり、
前者は神戸高速鉄道へ乗り入れてからの悲願であった、
阪神梅田への直通特急(1998年運転開始)に集中的に充当され、日夜山陽路を爆走しております。


ちなみにこれはVVVF車の5030系。


で、この5000系を語るには、(実際には5000系というより、山陽電鉄を語るには)そのモーターについても語りたい。

というのも、5000系のモーターは、MB3020という「名機」なのです。
このモーターを最初に搭載されたのは、あの奈良電デハボ1200系(のちの近鉄680系)。
1954年、まだまだ高性能(カルダン)車の黎明期に登場したデハボ1200系は、
当時としてはたいへんすっきりとした斬新な外観もさることながら、
技術的にも画期的な高性能電車だったのでした。

その後、このモーターはデハボ1200系での実績を買われ、
近鉄初の量産型高性能車800系、さらには近鉄初代ビスタカー10000系、
そしてその後継のビスタカー2世、10100系にも採用された、
初期の標準軌間用カルダンモーターの傑作なのです。

この名機が、山陽ではVVVF車である5030系、2000系のモータを持つ3200系以外は
まだまだ味わえるのですが、
特に5000系は直通特急としてかなりの速度で飛ばしてくれるので(号泣
MB3020の「昭和20年代以来のカルダンモータ」の咆哮を味わえる貴重な車輛なのです!

この21世紀になってもなお、
目をつぶって、もはや貴重になった初期高性能車を堪能できるというのは、
とても幸せな気分なのでした。



めったに会えない4連の5000系。しかもトップナンバー車だ。
そう、山陽は阪急のように、0番から製造がはじまります。




>>それにしても5000系は1990年代中期まで作られていたわけですが、
それにMB3020が積まれていたことがすごい...。

>>ちなみに近鉄でもまだMB3020搭載車は残存しています。
「あおぞら号」20100系の機器を流用などした1000系、
そして本物のビスタカーのモーターの生き残り・2000系、2680系などです。
あ、でも2000系も2680系も3両ずつしかないし、さらには2680系は鮮魚列車だから
乗れないジャンね(汗
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【てつどう】銀河鉄道999×西武3000系。

2010-09-03 | てつどう。



正直こういった「企画もの」にはあまり興味が無いのですが、
あまりに出来がいいので紹介した次第...というのが、
最近西武が池袋線に走らせている、この「銀河鉄道999」のラッピング電車。


先日ほとんど乗る機会のない池袋線に用があって乗った時に見つけてびっくり
(この手の列車の情報にはちょっとばかり疎くて...汗)。


東京ウォーカーの記事によると、
「「松本零士先生が大泉学園在住で、練馬区の名誉区民なんです。
その先生の『子供たちの夢に出てきそうな電車を走らせたい』という思いで実現した企画です」
と西武鉄道広報部の佐藤さんは言う。
“電車に乗る楽しみを発見して欲しい”“美しい地球の絵柄から環境保護も感じて欲しい”
という松本さんの思いと、アニメによる地域の活性化を目指す練馬区、
さらに沿線の魅力アップを図りたい西武鉄道…と三者の意向が合致して誕生したのが、この“西武鉄道999”なのだ。」

とのこと...

この記事には「気合が違う」と書いてありましたが、このような全体を覆うような
ラッピング列車は数あれど、たしかにデザインのインパクト、
8両全部が統一されたデザインで、しかも「純粋な広告では無い」のはたしかにすごい。




見ているほうが恥ずかしくなるような出来の良さと迫力でした、たしかに。
こりゃほんと、気合がスゴイわ。。。お見事です!


おお、車掌さんの帽子がちゃんと西武仕様に(汗





>>というか、このラッピング車、去年の5月から走っていたのですね...知らなかった(汗

>>ここまでラッピングされていても、すぐに「3000系がベース」ってわかっちゃうんだよなあ。
この無駄な知識と形状認識力(対クルマのこともそうなのだけど)って
何かの役に立たないものかしら(大汗




>>左がベースの3000系。過去の記事から引用すると、
「過渡期、が好きなieにはこれもまた萌え、な3000系。昭和58(1983)年、
すでに4扉の2000系が製造されていたなかで、
当時の池袋線の性格から「あえて」3扉で作ってしまった異端児。
性能的には2000系の系統なので、3扉でありながら既存の101系などを連結できない、
などといった不便さ・中途半端さもまた魅力的?」
な車輛で、個人的にツボです(^^;
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【てつどう】藤沢駅のホームにある電車型KIOSK

2010-08-27 | てつどう。
先日所用があって藤沢に行った時、
東海道線の上りホームに鎮座している「あるもの」が目に留まりました。


それがこれ。。。









80系のクハ86を模したKIOSK(駅売店)。


クハ86をかたどった売店が前々からあったことは知っていましたが、
それが藤沢駅だったことは忘れていたので、見つけてびっくりしました。
ぱっと見た目80系というだけで、再現性は低いのは確かで出来はそれなりですが、
こういうものを作ろうという気概がいいね!





ちなみに番号は国鉄フォントで「クハ86 023」になってます。
わざわざ国鉄フォントにしてあるあたりが憎いですし、この「86023」も、
それなりに意味のある番号なんで、ニヤニヤしてしまいました。



80系電車は、1950(昭和25年)、
それまでの「電車は近距離の通勤用、長距離列車は客車(機関車が引っ張る列車)」という概念を覆した、
いわゆる「湘南電車」。

長距離でも電車が使用できる、といった運用方法を実現したこの80系の存在なくして、
ほとんどの旅客輸送を電車で行っている現在日本の鉄道の姿=「電車王国」
があるといっても過言ではありません。

つまり、80系で成功した「長距離運用できる電車」の概念は、
その後の東海道新幹線の登場にも影響したのです。
新幹線は世界でも当時では類を見ない「電車による高速列車」でした。
欧州をはじめとした鉄道大国でさえ、長距離・高速列車は、(いまなお基本的に)機関車+客車の方式だったのです。
ちなみに、TGVでさえ厳密には電車ではなく、「両端に機関車を配置した客車列車」です。



80系はその運用だけにとどまらず、鮮やかな「2トーンカラー」で出たことも凄かった。
それまで茶色1色だけだった電車を見慣れていた人々には、相当なインパクトがあったでしょうね。
そしてもう1点忘れてはいけないのが、「湘南顔」と言われる、この鼻筋の通った2枚窓のデザイン。
ゆるやかに真ん中に落ちる塗り分け「金太郎塗り」とともに、当時の鉄道デザインで大流行したのでした。


80系の先頭車(クハ86)は当初半流と呼ばれた丸い顔に類じたものだったのですが、
この「湘南顔」になったのがこの「86023(クハ86の23番目)」以降だったからなのですね。
さきほど「86023」には意味がある、と書きましたが、そういうことなのです。
まあ、それが根拠でこのナンバーがこの売店に振られているのかは謎ですが(^^;



>>80系が最後飯田線を去った1983年頃には間に合わず(小学生だったので自由に旅行が出来なかった)、
リアルな体験は実際にはありません。
東海道線の東京口からの撤退、山陽線広島界隈からの撤退も昭和50年代初頭でしたし。
乗りたかったです。

>>その山陽線で使っていた80系が、昭和60年くらいまで山陽線の柳井駅構内に留置されていた事実を知って、
見に行こうとしたら寸前に撤去されてしまっていました。
その80系が、大阪の交通科学館に保存されたことを知ったのは、その後のことでした。

>>皮肉にも、大阪のクハ86は初期車で湘南顔ではないのです。
なので、この「藤沢駅のレプリカ風」が、80系湘南型電車を伝える存在になっています。
ちなみにレプリカといえば、ある病院の院長が本物のクハ86の設計図使って敷地内に
クハ86を作られていたそうです(現在解体済み→見に行けば良かった!)。
てことはますますこの藤沢駅の「レプリカ風」が貴重なことに(汗
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【てつどう】「赤くない電車」京急新1000形にフクザツな思い

2010-08-20 | てつどう。



関東民鉄でありながら18m車体で標準軌、
緩急列車の差が激しくあからさまにライバル会社に戦いを挑むといった
関西の民鉄的要素がとても高い京急が好きなんですが、
その理由のひとつに、コダワリを持っていることがあります。

先頭車は電動車でないといけないとか、
ボルスタレス台車全盛のこの時代においてもなお、ボルスタレス台車の採用をしないとか、
ステンレス車やアルミ車といった無塗装の電車がふつうになった昨今でも、
「赤く塗った」電車を出し続けてきたことなど、枚挙にいとまが無いです。

実際には「無地でも出せる」アルミ車は1500形、新1000形、2100形など、かなりの両数にのぼるのに、
これらの車両はすべて、「赤い電車」でした。



でも、その京急も、ついに時代の流れに押されたのか、コストダウンという避けられない状況を受け止めたのか、
2007年(もう3年前なのね...)から登場した
新1000形の6次車から、ステンレス車体で塗装しないという形態で電車を送り出してきました。

しかも、俗に言う「走るンです」車体を持って。






たしかにほかの会社よりは、貼られるシール部分が多く、赤い電車のイメージを残そうという努力は見られますし、
塗装しないということに関するコストダウンはかなりのものでしょう。
こればかりは仕方ないことなのではないかと思うのです。


でも、それよりも問題にしたいのは、これは実は京急だけに限らないのですけど、
デザイン的に猛烈に退化しちゃった感じがすることです。

「走るンです」車体は、基本的にE231系と同様、側板と屋根を雨どい部分で結合するという作り方のために、
雨どいが低く、張り上げ屋根じゃないんですね。
これだけでも、デザイン的に美しかったそれまでの新1000形などよりも、垢ぬけない感じがしてしまいます。
しかも、走るンです車体は、側窓のRが妙に大きく、古臭い。
ドアの窓の抑え方も含め、フラッシュサーフェス化が進んだ鉄道車両が、
これら一連の車体を持つ電車が大量に増えたことで、一気に古臭くなったような気がするのです。


新しい電車でも、美しい外観を持つ日立のAトレイン、工法は独特ながらも、
まだ屋根のRが薄く、見栄えもする日車の車体などは、ステンレス・アルミ車でもいいと思うんです。






京急の新1000形に至っては、前面も退化してます。
ワイパーカバーがなくなったとかそういうレベルではなく、
ガラスのむこうに全部収まっていたヘッドライトや方向幕といったものが
ステンレス車バージョンでは個別に無造作に穴を穿って配置されたような感じで、
窓のデザインもなんだか、ただ四角いだけ。それの周囲を黒く塗って丸いブラックフェイス風にしてる感じ。
それまでは、ちゃんとガラス自体がブラックフェイスの造形になっていたのに...。

ぱっと見は同じようなブラックフェイスなんですけど、ただ塗ってあるだけなのか、
造作としてのそれなのか、の違いは個人的には大きい。
まあ確かに、この作り方なら、コストダウンにはなると思いますが...。



これが新1000形のアルミ車。ワイパーがカバードされているのでスッキリした印象。



>>コストダウンは仕方ないです。それは会社が生き残るため、仕方のないこと。
車内の見つけがグレードダウンしたといっても、それがゆえに乗客が減るわけではないし、
新しい車両はバリアフリーも、省エネ化も、進んでいる。

>>だけど、京急には正直、こだわって欲しかったような気がしたんですよね。
それに、関西(阪急、近鉄など)はまだ、こだわりと高いクオリティを保っていて、
頑張っていると思うんです...。関東でもメトロの16000系のように、
高い質感とデザインを持って出てくるものもあるだけに、なんとも残念なのでした。
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【てつどう】やたらに遭遇する”希少車” 1本しかないメトロ06系

2010-07-30 | てつどう。
先日のメトロ千代田線5000系のネタに続いて、今日も千代田線の話で恐縮です。


いくつかの路線には、「めったに遭遇しない」という車両がいたりするものなのですが、
前述の千代田線には結構そんな車種が多く、
以前は207系900番台が1本いたりしました。



で、その千代田線希少車の中の白眉?が、06系。






登場は1993年...ってうそでしょ!ってことはもう17年前の電車!
もうそんなに経つのね。
大きなパノラマ窓の、滑らかな前面形状を見る限りでは、
まったく古く見えないですねえ。



06系の特徴は、これと同系の07系、一部の05系と同様に、ドア配置がちょっと変わっていること。

ふつう、20m級の4枚ドアの通勤電車場合、ドアの感覚は同じなので、車内の着席数も
「3人・ドア・7人・ドア・7人・ドア・7人・ドア・3人」という並びが一般的なのですが、
これらのグループは
「4人・ドア・6人・ドア・7人・ドア・6人・ドア・4人」となっていて、
外観上もドアの位置が均等割りになっていません。


この変わったドア配置もこれらのグループで終わり、また、07系・06系自体も合計してもわずか数本で製造を終了。
それぞれの後継車は、07系は10000系、06系は16000系の登場まで
かなりの時間を掛けることになりました。

それにしてもこの06系、50本(編成)以上もある千代田線に乗り入れてくるほど
電車の両数があって...しかも運転区間が常磐線と小田急にまたがっているという中で、
ieは妙によく会います。基本的には仕事以外で千代田線は使用しないのですが、
それなのに、5回乗ると1度は会うんです。
いやほんと、なんでだろー?



>>でもその一方でわざわざ遠くまでお目当ての車両に乗りに行くと、
それ(お目当て)が来なかったりするんですわ、ワタクシ(号泣
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【てつどう】消えゆく小田急の「顔」5000形

2010-07-23 | てつどう。




先週はメトロ(営団)5000系の記事でしたが、今週も「戸袋窓付き田の字窓」車でいきます(^^


いまや小田急も1000形以降のステンレス車がその勢力の大部分を占め、
現在残る小田急伝統のアイボリー+ロイヤルブルー帯のボディを持つ普通鋼製車は、
5000、8000形のみになってしまいましたね。


実際に小田急に乗りに行ってみても、ほとんどが1000、2000、3000形で占められているように感じるほど、
「白い」電車が来る頻度が減りました。
中でも3000形は312両!もあるので、むべなるかな、という感じですが。



3000系8連。3653Fなので、日本車両製の3次車か。あ、でも実は結構好きです(汗



これら「白い」電車のうち、8000形は経年が新しくチョッパ制御車であるためか、
重更新が行われてしばらく安泰な様子ですが、残る5000形(5200形含む)は、
あと50~60両ほどまで減ってしまっていて、風前の灯のような状況なのです。


小田急といえばこの顔・・・
黄色い2灯ライトをおでこにかかげ、
標識灯を下部に持たない独特の灯火配置、いまや関東では珍しい貫通扉に方向幕を持ったスタイル・・・
を持つ最後の系列、5000形。





田の字窓ではなくなった5200形も含めると1969(昭和44)年から1982(昭和57)年の製造なのですが、
もうこの頃の電車も置き換え対象なのか、と思うと
いつもながらなんともしみじみしてしまいますね。
確かに東急8000系列(8000系は全廃)、京王6000系(ほぼ全廃)、
西武101系(低運転台車は全滅)なども、同じような状況ですものね。




中桟付き窓が作る「田の字」の光。昭和の通勤電車の残影。




ところで、
よくよく考えると「経年が古くない」と書いた8000形も、実際は製造開始は1982(昭和57)年なので、
さして年式の違わない電車同士なのに、
かたや廃車がすすみ、かたや更新がすすみ...ということになってますけど、
5000形は抵抗制御車である以上、仕方ないことなのでしょう。
それと、8000形は車体のつくりも長持ちする設計(高耐候性のスチールを使用)
になっているそうですし。



8000形。今見ても出来の極めていい、ハイクラスな通勤車。


平成22年度は4000形が2本増備されるようなので、5000形にもなんらかの余波があると思います。
いつもこんな風にコンデジで駅撮りだけ済ませてしまう事も多いのですけど、
ちゃんと撮影地で構えて、記録に残しておいたほうがいいかもしれないですね...。



>>個人的には小田急顔にの一段下降窓を備えた過渡期的な外観を持つ大好きな5200形が、
もう6連×3本しか残っていないことが衝撃...。
最大で20本くらいあったのに。
コメント (8)
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