映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

鈍獣

2009年06月21日 | 邦画(09年)
 渋谷のシネクレストで「鈍獣」を見てきました。

 予告編を見た段階では積極的に見る気は起きなかったものの、「蚊取り線香は蚊を取らないよ!」の“つぶあんこ”氏の評価は星4つで、かつまたご贔屓の浅野忠信が出演していることもあって、やっぱり見てみようと出かけてきました。

 この映画で特に面白いなと思った点は三つあります。
 一つ目は、冒頭近くのシーンで、凸川が小説を書いている場所が、なんと三鷹天命反転住宅なのです!この1点だけで他はどうあろうとも本作品は◎となりました(何しろこの住宅の中は本年2月に最近探索済みで、映画の舞台探しマニア〔!?〕としては内心“ヤッタ!”と叫ばずにはいられませんでした!)。

 二つ目は、浅野忠信が演じる凸川がホストクラブにやってきて「もうお終い?(閉店?)」とエレベーターの中から尋ねるシーンが何度かありますが、予告編で見たときは、このセリフは「もう(俺を殺すのは)お終い?」と言っているとばかり思っていました。おそらく両用に受け取れるように脚本が書かれているのでしょう(とはいえ、浅野忠信は、この映画の場合あまり印象がよくありませんでした〔何かこの役にそぐわないような感じです〕)。

 三つ目は、ユースケ・サンタマリアが「川田っち」と言いながら川田に始終くっついている様は、TV深夜番組の「音楽寅さん」で「桑田っち」と言いながら桑田佳祐に纏わり付いている姿と二重写しになりました。ユースケ・サンタマリアにとり、この役は地で行けて凄くノリが良いように思えました。

 なお、脚本の官藤官九郎が、映画公式サイトにおいて、「この作品を書くにあたって意識したのは「分からない」ことの怖さです。その象徴が凸川という男」云々と述べています。 原作者の見解は勿論尊重すべきでしょうが、そんなふうに言われると、余計に訳が分からなくなってしまいます。
 私の場合、この映画を見ている最中は、「凸川という男」が、そんな“「分からない」ことの怖さ”を象徴しているなどとは思えず、単に“過去の記憶”といったものを表していて、それはどんなにしても消せないのだ、といったようなメッセージがあるのでは、との理解で済ませていました(その程度の浅い理解の仕方でも、マアマア辻褄が合い、この映画を楽しめましたから)。

 また、この映画は戯曲の映画化とのことですが、このような変化に富んだストーリーをどうやって舞台で演じたのか至極興味のあるところです。