日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

知らずに拝んでいるもの

2022-04-24 16:56:10 | メッセージ

礼拝宣教 使徒言行録章17章16-34節 

 

本日はパウロのアテネでの伝道について記された個所から、御言葉を聞いていきます。

アテネはギリシャ哲学の中心都市でありソクラテスやプラトンの出生地でした。当時のギリシャの首都コリントと並んで政治、文化が栄えていました。

哲学をはじめ、科学、天文学、医学、美学などの学者や大家が世界中から集まるところであったのです。しかしその先端の文明、文化が栄えるアテネの丘や街頭、家々にも偶像が祭られ、祭壇があり、大理石に刻んだ女神像や男女の像、動物の像などがアテネの市内外のいたるところに立ち並んでいたのです。当時アテネには3000の宗教施設があり、数えきれないほどの偶像があったようですが。

私の前任地、福岡県にある篠栗キリスト教会は新四国霊場の札所の只中に建っております。この町は春秋のシーズンになると白装束に杖を持ったお遍路姿の人びとでにぎわいます。又、アジア最大級の涅槃像が建造された南蔵院というお寺がありますが、そこのご住職が「ジャンボ宝くじ」の1等が当たり一躍有名になられ御利益に与ろうという参拝者で大変にぎわったこともありました。教会はそのようなただ中に建っていましたので、教会堂の玄関に向かって拝む人、玄関先にお賽銭を置いていく人など様々おられました。  

その後、私は2005年4月にこの日本バプテスト大阪教会に転任いたしました。教会のある天王寺も古くから多くの宗教施設が建ち並ぶ町です。商業地であり学校や予備校も多い中、聖徳太子ゆかりの四天王寺をはじめ、宗教問わずに納骨を受け入れておられる一心寺さん、お隣の金光教会さんはじめ、ほか様々なお寺や神社、諸宗教施設がたくさんございます。

かのアテネならずとも、現代社会のこの日本で、都会のど真ん中に建つオフィスビルなど様々な施設に「赤い鳥居」や「祠(ほこら)」があったりいたします。科学や文明がこれだけ進んだ社会の中でこういったものがあるというのはどこか不釣り合いのようにも思えます。が、そこには文明や科学がいくら進んだとしても、使徒パウロが言うように、「人間は創造主に造られた者として、本来の真に拝むべきお方を慕い求める存在である」ことを、それらは物語っています。

今日は使徒パウロが如何にそのようなアテネの人たちと向き合い、生きておられる真の神を伝えようとしていったのかに目を留めつつ、同様の社会に生きる私たちに向けられた御言葉のメッセージとして聞き取っていきたいと思います。

 

冒頭16節で、「パウロはアテネでシラスとテモテが来るのを待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」と記されています。パウロにしてみれば、真の神は人間が作った偶像に留まるようなお方ではなく、自由に生きてお働きになるお方であるのに、人がそれら偶像を神のように崇拝の対象としていることに強い憤りをおぼえたのであります。

そこで血気盛んなパウロは、アテネのユダヤ会堂に向かい、ユダヤ人や神をあがめる人々と論じ合い、又広場では居合わせた人びとと毎日議論を交わします。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者とも討論しますが。「このおしゃべりは何を言いたいのだろうか」「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」などと言う者もいたようです。

そのパウロが「イエスと復活についての福音」について話したところ、それが「目新しい教え」に映った人びとはパウロをアレオパゴスの評議場に連れていきます。様々な学問の見聞を広げたような、又それなりの立場のある人びとを前にしたら、何とも萎縮しそうなものですが。パウロは怖じ恐れません。彼のアレオパゴスでの福音宣教はよく準備されたものであり、かつ大胆なものでありました。何より自分に出会ってくださった救い主、キリストを伝えずにいられません。

パウロはまずこう語ります。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」

それはアテネの人びとに対して敵対的な立場をとるのでなく、又上から目線で優越的に教えるような態度でもなく、まず彼らの信仰心や世界観に一定の理解を示すところから始まります。それはかつて自分自身が生きておられる神を知らず、キリストとその信徒の迫害者であったその反省からの態度であったのかも知れません。パウロは最初から、「あなたは間違っている」と、一方通行にねじふせようとはせず、相手が心閉ざすことがないよう配慮しつつ話します。

このパウロの演説を読むと、確かに彼は多くの偶像を見て憤慨します。しかしそれはアテネの人たちに直接向けられたものではないことが分かります。アテネの人たちは信仰篤く、神を畏れ敬う心を持っている。が、その方向性が的外れであり、偶像という神ならざるものに囚われ、支配されている。その現状に激しい憤りをおぼえていたのであります。

そういった思いをもってパウロはアテネの人たちに語りかけます。「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」

この「知られざる神に」と刻まれた祭壇とは、古代ギリシャ作家によればこうあります。「BC600年頃、恐ろしい疫病がアテネを襲った。町の指導者たちは、彼らの祀る数多くの神々のうちいずれかが怒ってその疫病を起こしたのだと信じた。神々にいけにえがささげられたが、何の効力もなかった。その時エピメ二デスが立ちあがり、その原因は恐らくアテネの人々が知らない神を怒らせたために違いないと主張し、そのまだ「知られていない神」のための祭壇がアテネの至るところに築かれ、いけにえがささげられると、疫病は治まった」。そうして建てられたものだということです。

このような話を聞きますと、アテネの人たちの宗教心はパウロが認めたように確かに篤いものであったといえるでしょう。そのことを踏まえたうえでパウロは、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの」、それこそが「世界とその中の万物とを造られた神、その方です」と語ります。

パウロは続けてアテネの人たちの理解と大きく異なる点を次のように説明します。

「この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」

かのダビデの子ソロモンがエルサレムに初めて神殿を建てた時。その献堂式で「神は果たして地上にお住みになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください」(列王記上8章27-28節)と、祈りました。

教会もそうです。この教会堂に神が住んでおられるということではなく、神に招かれた者が御声に聞き、共に祈りをささげる中に神も共にお働きくださるのです。救いの神をたたえる私たちの賛美に神は臨んでくださるのです。

語られたとおり神は、「人の助けを必要とされるような方ではなく」、逆に真の神は私たちが生きるために必要なものをすべて備えてくださるお方であります。自然の空気や水も太陽の熱や雨も、命の糧も、その源は神であり、すべて神からの賜物です。その生ける神を知らず、手で造った偶像を神として拝むことが虚しいのです。現代にあっても神ならざるものを崇拝し、神がお与えになる恵みが損なわれています。如何に虚しく、神と人との関係性を損ねているといえるでしょう。

さらにパウロは語ります。「神はひとりの人から、あらゆる民族をつくり出して、地の全面に住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。」

ひとりの人とは初めの人であり、これは人に神を求めさせるご計画だというのです。そして又、それは人が探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにという神の御心であるということです。

パウロは続けて、「実際、神は私たち一人一人から遠く離れておられません。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです」と、万人に対する神の招きを語ります。

実に、「知られざる神に」と刻んだ祭壇まで築いて、神を探し求めているアテネの人たち、あなたがたは神の子孫であって、探し求めさえすれば、真の神さまを見出すことができることができます。神はあなた方の近くにいます。そう熱く神の福音を語るのですね。

パウロはここで、アテネの人たちを前に、自分の持てる限りの信仰とその知識と、又彼らに馴染み深いギリシャの詩人の言葉を引用し、彼らの土俵にあがって神の存在を説き明かすのです。

彼は後に生ける神を信じ受け入れた信じ受け入れたコリントの信徒たちへの手紙にこう書き記しています。

「わたしはユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして幾人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(第一コリント9章)

パウロは主イエスの福音に共にあずかるため自分を神に明け渡し、キリストの愛を伝えあかしするのです。

そして、パウロはアテネの人たちに最後の訴えかけをします。

「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させ、すべての人にその確証をお与えになったのです。」

このアテネでのパウロの福音伝道の成果について、「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った、と記されています。

彼らはもうそれ以上は聞こうとはせず、外の目新しい話しをする者のところへ散って行きます。

「いずれまた」とはいつのことでしょう。それはいつか必ず来る日のことではありません。人は「いずれまた」と口にする時、すでに真理から顔を背けているのです。

パウロは適切に、「神は今はどこにいる人でも皆悔い改める(真の神を信じ、立ち帰る)ようにと命じておられます」と語りました。「今」というのは、イエス・キリストによって万人のための救いが成し遂げられたなのです。それは、差し出された恵みを受ける今なのです。「いずれまた」とは、その機会を失ったということです。

その一方、ここには「信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシモ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた」と記されています。

このパウロの福音伝道は失敗したかのようにも見えるわけですが、決してそうではありません。町の人から信頼を得ていたアレオパゴスの議員と、一婦人と、他にも何人かが、パウロの説き明かしを通して、神の恵みと計画によって悔改め、福音を信じるに至ったのです。

このアテネでの伝道、さらにこの後のコリントでの伝道はパウロにとって厳しく、苦しい体験をすることになりますけれども、しかし着実に聖霊の導きによって神の福音の種があまたの地に蒔かれ、救われる人たちが起こされていくのであります。こうして教会小アジア一帯、そしてアテネを含むローマ全土へ、そしてヨーロッパ、さらに全世界に福音が拡がっていき、世々の時代、国境を越えて、私たちのもとにも神の福音が届けられているのです。

本日はパウロのアテネでの伝道からメッセージを聞いてきました。

パウロがこうして神の福音を語り得たのは、彼自身救いようのない罪深い者であるにも拘わらず、ただ神の恵みによって救われ、生かされているという体験をしていたからです。であればこそ、神の福音、救いはどのような立場の人にも与えられていると確信し、このように伝え続けることができたのでありましょう。

伝道とは本当に不思議な働きです。それは人間の計算や計画によるものではなく、神の御業なのです。神に用いられ、神に動かされて、神のご計画の中を生きる。そこに神の偉大な業が働いているのです。そこに私たちの真の平安と幸いがあります。

今日は「知らずに拝んでいるもの」という題をつけました。私たちを造り、今も生かしておられる神は、一人ひとりの魂のうちに、「わたしを探し求めさえすれば、見出すことが出来る」と、語りかけておられます。ここに救いがあります。「今」、「今日」という日にこの真の神のもとに立ち帰り、神の子として生きる者とされてまいりましょう。

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希望の約束

2022-04-17 14:15:07 | メッセージ

イースター礼拝宣教 マルコ16章1~8節 

                                       

救いの主、イエス・キリストのご復活を記念するイースターおめでとうございます。

教会歴ではクリスマス、聖霊降臨のペンテコステとともにイースターは大きな祝祭の一つです。
そのような祝祭にあって、ロシア政府と軍によるウクライナへの侵攻から2ヵ月が経とうとしておりますが、未だ停戦の目途も立たず、その影響が世界にも及んでいます。ウクライナでは無残にも亡くなられた多くの市民の遺体が放置され、いたたまれない思いです。

人類の罪をその身に負って十字架におかかりになられた神の子イエス・キリスト。救い主、イエス・キリストは今日もすべての人間が創造主、命の源であられる神に立ち帰り、神との和解に与って生きるようにと、とりなし続けておられます。

 

本日は、先週の受難週の「主イエスの十字架の受難と死」の記事に続き、「主イエスのご復活」についての記事から、「希望の約束」のメッセージを聞いていきたいと思います。

 

イエスさまが埋葬されて3日後、主イエスの復活の知らせを最初に聞いたのは先週の箇所にも登場した女性たちでした。最後までイエスさまに仕え、イエスさまが十字架にかけられて苦難の末に息を引き取られていくのを遠くから見守り続けた正にその女性たちでした。

一方、主イエスのペトロはじめ弟子たちは皆、「何が起ころうと、あなたにどこまでも従います」と豪語していましたが、イエスさまが捕えられると、逃げ去り身を隠していました。


さて、「週の始めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐに、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人の女性たちは、イエスさまに油を塗るために香料を買って墓に行った」と記されています。パレスチナ地方では人が死ぬと目を閉じてから、身体をきれいな水で洗った後、香料を塗って葬るという慣習がありました。
イエスさまが息を引き取られたのは、金曜日の安息日が始まる日没前の午後でありましたので、安息日の間の金曜日没から土曜日没までは規定により出歩くことができなかったのです。そのため日曜日の明け方になったわけです。
金曜日の主イエスが十字架から降ろされた後、アリマタヤのヨセフという身分のある議員が自ら申し出て、その遺体を亜麻布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納めた、とあります。ユダヤの議員の中にもイエスさまを敬愛していた人がいたのですが。安息日が間近に迫っていたので彼も遺体を埋葬するのに手いっぱいで、香料まで塗るいとまがなかったのでしょう。この間女性たちは事のなりゆきを見守るほかありませんでした。この女性たちはせめてイエスさまに香油を塗って葬りの備えができないものかと切に願い、安息日明けの日曜日の朝早くからイエスさまのご遺体の納められている墓にいそいそと向かうのであります。イエスさまの死からまだ3日。彼女らは心神喪失ともいえるほどの状態であったに違いありません。

重い心で墓に向かう彼女らには1つの心配事がありました。それは、「だれが墓の入り口をふさいでいる大きな石を転がしてくれるでしょうか」ということでした。

墓の入り口は女性たちの力では到底動かせない大きな石で塞がれていたからです。それでも何とかイエスさまのご遺体に香油を塗ってさしあげたいという一心で彼女らは墓に向かったのです。

ところが、いざ女性たちが墓の入り口に着いて目を上げて見ると、石は既にわきへ転がされてあったのです。マルコの福音書には、「転がされてあったその石は、非常に大きかったのである」とあるように、当時のお墓は岩を掘った横穴に大きな円盤状の石を立て掛けるようにして蓋がされていたのです。マタイの福音書には、「イエスさまが埋葬された墓の石の上にさらに封印がされ、番兵がおかれていた」とあります。

まあ、そのように厳重な警備と封印のされた墓がどういうわけかすでに開かれ、番兵の姿はどこにも見当たりません。


女性たちが一体何が起こったのかと墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っていました。彼女らはそれを「見て、ひどく驚いた」とあります。無理もありません。

すると、その若者は女性たちにこう言います。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」
「驚くことはない」と言われても、そりゃあ動転するでしょう。墓は開いており、番兵の姿も無く、墓の中に入ると、そこに埋葬されているはずのイエスさまは見当たらない。代わりに見たことのない若者が座っていて、神の使いのような白い衣を着ていて語りかけてくるのです。

女性たちにとってショックだったのは、何と言っても「イエスさまがいない」という事実を目の当たりにしたことです。

たとえその青年が天使であって、「イエスさまは復活された」と聞かされても、「わぁ、そうですか、うれしい」とはいきません。あまりに無残なイエスさまの死にゆくお姿を目の当たりにし、心引き裂かれるような思いをした。そこに、イエスさまがいない、というありえない事が起こったのです。自分ではどう気持ちを整理してよいのかもわからない状態。たとえ天使にそう言われても、返事もできない。いわばパニック状態に彼女たちは陥っていたのではないかと、想像することができます。

女性たちはさらにこの若者から、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と」、そのように伝言を受けるのでありますが。

なにしろ心身喪失の状態である彼女たちは、「墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と、ありのままに聖書は伝えます。

「イエスさまが復活された」という素晴らしい喜びの知らせも、そのような心の状態であった女性たちには届きません。それはリアルな彼女たちの実際の状態でありました。

しかし、実に、この出来事から復活のキリスト、神の福音の御業が始まっていくのです!

先週は主イエスの十字架の箇所からお話しました。
イエスさまが十字架上において、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言われて、最期は絶叫されて息を引き取られた。そのお姿は無残な死そのものでありました。しかし、それはすべての人間の苦悩と叫びに、「神我らと共に居ます」お姿なのです。ほかでもない神のひとり子が生身の人間となって、私たち人間の闇の深淵にまで下り、その最も深い所からの叫びを共にしてくださっている。その神の慈しみ、愛のお姿であられるのです。

イエスさまの十字架刑の指揮をとるため、そばにいたローマの百人隊長はそのイエスの最期を見て、「本当に、この人は神の子であった」と言いました。彼もまた、何か鮮やかな奇跡の中にではなく、暗闇の只中で神に絶叫するイエスの姿に、人の苦しみ、死の悲しみに共鳴する神を見たのです。

 

この女性たちのように、私たちにも、もう何がなんだか分からないようなひどい驚きと恐れに震撼するようなことがいつ起こるかも知れません。私たちが生身の人間であるからです。

しかし、その嵐のような日々が通り過ぎた後で、「あの時、あの聖書の言葉に支えられていたんだなぁ」「祈られ、守られて、導かれてきたんだなぁ」と知らされます。これこそ、主が共におられる生きた体験のあかしです。私たちはそういった歩みを通して、実に神が共におられる。神は愛であられるという経験を日々させて頂いているのです。主イエスは正にそういうお方として、私たちと共にいてくださるのです。

その白い衣を着た若者は確かに伝えました。

『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』。これこそ、復活の主イエスとお会いできるという「希望の約束」です。

「ガリラヤ」。そこはかつて弟子たちが主イエスと出会われた場所。悲喜こもごもの日常が交差する生活の場であります。「ガリラヤ」は、エルサレムの都から辺境の地、「何の良いものが出ようか」と人々から見下されていた地。差別や偏見を受け、貧しく小さくされた人たちと主イエスが共に喜び、共に泣いて、神の国の訪れを分かち合われた場です。


白い衣を着た若者は女性たちをとおして、「弟子たちとペトロに、そのガリラヤで復活のイエスさまにお目にかかれる」と告げています。
弟子たちはイエスさまが捕えられると散り散りに逃げてしまいました。しかし、主はそのような弟子たちを決して見捨てられることなく、「ガリラヤで再び会おう」とおっしゃるのです。何という幸いでしょう。

又、ここでペトロを名指しなさいます。それにはわけがありました。

この時、ペトロは深い自責の念に駆られ、絶望の淵に陥っていました。あれほどどこまでもイエスさまに「従います」と言っておきながら、イエスさまを3度も知らないと言い放って否定した自分のふがいなさ、その罪深さに自分を責め続けていたペトロ。

しかし復活の主イエスは、そのペトロに、「はじめにあなたと出会った場所、出発の地『ガリラヤで待っている』」と伝言なさるのです。ガリラヤはペトロや弟子たちが最初に主イエスから召命を受けた地です。そこに主イエスが先立ってくださり、そこで再会できるというのです。ペトロはじめ弟子たちが主に立ち帰って新たに生きる場所、そこがガリラヤなのです。そこから彼らの確かな神のご計画、主の証し人として生きる人生が始まっていくのです。

復活の主は私たちのガリラヤ、悲喜こもごもの日常のいとなみの中に先立ち、そこで待っておられます。「かねて、言われたとおり、そこでお目にかかれる」。

私たちも又、この希望の約束に生かされて、今週も救いの主の証し人として、それぞれのガリラヤへ遣わされてまいりましょう。イースターおめでとうございます。

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キリストの受難日

2022-04-15 07:12:41 | メッセージ

聖金曜日

本日はキリストが十字架の受難と死を記念する受難日です。

キリストは人間の姿となり、その深い罪を嘆き、

自ら負って死なれたことを覚え、祈りつつ一日を過ごします。

平 安

 

「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり

 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。

 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ

 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

              (イザヤ書53章5節)

「キリストは、神の身分でありながら、

 神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

 かえって自分を無にして、僕の身分になり、

 人間と同じ姿になられました。

 人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、

 それも十字架の死に至るまで従順でした。」

              (フィリピ2章8節)

 

 

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十字架につけられたままなるキリスト

2022-04-10 13:37:54 | メッセージ

礼拝宣教  マルコ15章25-41節 受難週 

                                  

3月第一週から受難節・レントから始まって、主イエスのご受難を覚えつつ、今日の受難週を迎えました。本日からの7日間、全世界の救いを成し遂げるために歩まれた主イエスの御あとを偲びつつ、その愛と恵みを覚えてまいりましょう。

 

ウクライナでは、戦争で惨殺された多くの市民、お年寄り、女性や子どもの遺体が無残なかたちで

市街に晒されるように放置され、命の尊厳が踏みにじられているありさまを連日ニュースで知り、人間の残虐さを目の当たりにしていたたまれない思いです。

軍事侵攻が激しく起こっている都市では、多くの市民のライフラインが絶たれ、避難を余儀なくされておられます。その人々のところに食料や衣料、生活必需品が届けられ、命が守られますように。又、愚かな戦争による犠牲者をさらに出さないために一刻も早く停戦がなされていきますように。同時にこれらの残虐行為は、人間が命と平和の源であられる神に背を向け続けることから起こるものであることを、今日も十字架につけられ給いしままなるキリストの姿から覚え、平和の福音の訪れを神にとりなし祈り続けてまいりましょう。

 

本日は、先ほど読まれましたマルコによる福音書15章から「十字架につけられたままのキリスト」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。この題は、私が神学生時代に新約学の教鞭をとられていた青野太潮先生のご著書のタイトル「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」よりお借りしたことを始めに申し添えておきます。先生は特に使徒パウロから、「十字架の神学」の研究なさった第一人者であられます。

 

この記事は主イエスが十字架にはりつけにされた午前9時から午後3時までの6時間に至る場面であります。

ローマ帝国の支配下における極刑は、この十字架刑でした。それは、予め鉄の刺のある鞭で犯罪人の身体を傷めつけ衰弱させた上で十字架にはりつけにし、見せしめのため徐々に死に至るまで長時間群衆の晒しものにされるという残酷なものでした。

主イエスは大勢のローマ兵に囲まれ虐待と暴力を受け、衰弱し、人としての尊厳までもはぎ取られ、十字架に両手両足を釘で打ち抜かれて磔にされるのです。主イエスの耐え難い苦しみに全被造物がうめくように、「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた」と聖書には記されています。

あのモーセの時代の出エジプトの直前、主の過ぎ越しが起こる前にもエジプト全域が暗闇に覆われて、人々は3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかった、ということが出エジプト記に記されています。

主イエスが十字架にはりつけにされたお昼の12時から3時は、本来は太陽が燦燦と照り輝く真昼の一番明るい時間帯であるにも拘わらず、その時全地は闇に包まれるのです。

 

かつてエジプト領内だけに臨んだ闇が、ここでは「全地は暗くなった」とあります。

それは、これから成し遂げられようとしている神の救いが、全地を覆う闇の支配からの解放であることを暗示しているのです。

イスラエルの民は闇の中で屠られた小羊の血をもってあがなわれ、災いを過ぎ越して囚われの地から解放されます。それは今や、罪なき神の小羊、主イエス・キリストによって罪の滅びからの解放の道が人類に拓かれようとしているのです。

 

そのような中、3時になると、主イエスは大声で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、大声で叫ばれます。

 

そばに居合わせた人々はそれぞれに、「そら、エリヤを読んでいる」とか、「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言ったと記されています。

人々はしるしを求めますが、聖書は「しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた」と、淡々と伝えるのみです。

 

それは、主イエスが大声で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫び訴えたことに対して、神からの答えや助けが何もなかったということです。

 

先々週のペトロの離反の個所でも小説家の遠藤周作さんの「沈黙」という史実に基づく小説についてふれました。私は小説を読み、その後舞台となった海沿いにある「記念館」で、実際の踏み絵を見、なんともやるせない思いをしました。数年前には映画にもなりましたので観にも行きました。

その映画のシーンの中で、役人に捕まっても棄教しない、転ばなかった隠れキリシタンの人々は、潮が満ちて荒波迫りくる海岸沿いの岩場で、十字架にはりつけにされながら、ただ刻々と近づく死を待つほかありませんでした。又、愛する者のその痛ましい状況を苦悩のうちにただ見守り、祈るほかない者たちもいました。無残な現実を前に、無力感しかないというような場面であります。中には、棄教に追い込まれ自らの弱さと自責の念に押しつぶされそうになりながらも、その光景を見つめ、立ち尽くすほかなかった隠れキリシタンたちもいたのです。神の沈黙とも言える状況の中で、私ならどうするだろうかと、心さぐられる思いでしたが。

 

聖書には、イエスが十字架にかけられて無残な死を遂げられるまでの一部始終を、「婦人たちも遠くから見守っていた」とあります。又、「この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた」と記されてあります。

他の福音書にもそこにいた数名の女性たちの名前が記されていますが。女性の立場が考えられないほど軽んじられ、疎んじられていた時代にあって、主イエスは区別なくいやされ、神の国をお話になりました。主イエスをとおして多くの女性たちが神の慈愛と自身の尊厳の回復を体験し、実感したのです。主イエスからあふれる神の愛と慈しみをこの女性たちは慕い、遂に主イエスの十字架のもとまでついて来たのです。それはたとえ細々で、遠くからであっても、主イエスを見守り続けたのです。

この女性たちは、主イエスが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫されて、息を引き取られたそのお姿をどのような思いで見守っていたのでしょう。

この女性たちも又、「神よ、なぜ罪なきイエスさまをお見捨てになったのですか」「なぜですか」と。震えながら見守るほかなかったのです。

 

神の子であるはずのイエスさまが十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んでも、何の助けも、応答もなく、ただ沈黙のみであった。それは又、私たち一人ひとりの人生における苦しみの中で、同様に発せられる叫びでもありましょう。

 

確かに十字架上の主イエスは弱く、無力な方となられたのです。それは、無力にされたというより、自ら無力な者となられたのです。なんのためにそんな愚かと思える道を主イエスは受けていかれたのでしょう。それは私たち人間をどこまでも愛し抜くためです。

主イエスは私たち人間の、「なぜですか、なぜですか、なぜですか」という不条理で理解しがたいような事どもを、引き受け、苦しまれ、十字架にかかられます。だからこそ、どんな時も、どんな苦しみの中にも共にいる、あなたと共にいるといわれる神の愛を信じることができるのです。

 

先週の水曜日の聖書の学びの時に、この聖書箇所からある方が、「神さまは私のために無力になられた。私の『なぜ』というところまで来てくださった。私はそこで救われている」と、おっしゃっていました。

 

主イエスが十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てにったのですか」と大声で叫んだ時、そばに居合わせた人は、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言って様子を見ました。

主なる神は目に見える奇跡現象やしるしでもって救いの御業をなさいませんでした。

「なぜ」なのか。立ち尽くすほかないこの罪の闇に包まれる世界で、私たち人間とどこまでも共に痛まれ、うめきを共にしてくださるお方となられるためです。それは今も、十字架につけられたままのお姿で最も深い闇ともいええる私どもの現実、そのような時代にあっても、神は必ずそこに共に居給う。神は愛であり、救いの主イエス・キリストであられるのです。私たちはまさに、このお方に希望を抱いているのです。

 

十字架の主イエスの前を通りかかった人たちは、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」、さらに「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架ら降りるがいい。それを見たら、信じてろう」と主イエスを次々にののしります。多くの人がこのことに躓くのです。ユダヤ教徒もイスラム教徒も無神論者も、ともすればバプテスマを受けた人も「他人は救ったのに自分は救えない」と。

 

ところが、今日の個所でそのような主イエスの無残な姿を目の当たりにしながらも、神の栄光を見出した人物がいたのです。

それは主イエスを十字架で処刑するため、その最初から最後まで指揮にあたり、イエスのそばに立っていたローマの百人隊長です。彼は、「イエスがこのように息を引き取られるのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」のです。

 

どうしてこの百人隊長はそのように言い得たのでしょうか。この人は何を見たのでしょうか。目に見える限り、主イエスの死は、神からも見捨てられた絶望にしか映りません。

並行記事のマタイの福音書では、主イエスが十字架上で息を引き取られた後、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに避け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」とあり、これらの出来事を見て、百人隊長らは非常に恐れて、「本当に、この人は神の子だった」と言ったと伝えております。もし彼が目に見える衝撃的な現象を目の当たりにしてそう言ったとなれば、わかりやすいですが。

本日のマルコ福音書では百人隊長は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫なさった主イエスの方を向き、イエスが息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言っているのです。それは目に見える奇跡的現象によってではなく、十字架につけられた無力なイエスの方を向き、「この人は、本当に神の子だった」と、確信するのですね。

なぜだろう、と思います。いろんな説があるでしょう。ある百人隊長が部下のため主イエスにいやしを願い出る話がありますが、その本人なのか。その話を人伝えに聴いたのか、本当のところは分りません。ただ、この人はイエスの姿に躓かなかった。神の子の救いをそこに見るのです。

 

主イエスが息を引き取られた後に、エルサレムの神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けるという出来事が起った、と記されていますが。

それまでは、神が人と出会う場所は、神殿の幕屋の奥まった至聖所であったのです。神殿の幕屋には、ユダヤの特別な階層、宗教家や律法学者、祭司、レビ人といった人たちのみが近づくことを許されていました。それ以外の庶民は中庭まで。ユダヤの社会で罪人とされていた人、女性や子ども、異邦人などは決してそこに入ることも、近づくことすらもできなかったのです。

 

しかし、神の子イエスさまが私たち人間の罪をすべて担って死なれたその時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。それは、永い間そういう特別な人しか近づくことができないようにされていた神と人との仕切り、隔てが全く取り除かれたことを表しています。ユダヤの民のみならず文字通りすべての人、全世界の人が直接神と出会い、罪のゆるしに与ることができる驚くような救いの道が開かれたのです。

この百人隊長はユダヤの一部の指導者がもっていた特権意識や選民思想、民族主義的なイデオロギーをもっていませんでした。だからこそ、幼子のように神の子の本質に目が開かれ、「本当に、このイエスこそ、神の子であった」と言えたのではないでしょうか。私どももそのような柔らかな感性をもって神の御心と御業とを、察知できる者でありたいと願うものです。

 

最後に、先週の水曜祈祷会に私が神学生時代から何かとお世話になったご婦人が出席してくださいました。この方は下関バプテスト教会で主イエスと出会い、クリスチャンになられたそうですが。こういうお話をして下さったのです。「当時の牧師であられた尾崎主一先生が十字架のキリストについて口癖になさっておられたのが『一回即全回』という言葉でしたね」と。

主イエス・キリストは唯一回、十字架にかかり死なれましたが。それは過去のことで終わるのではなく、今も、私たちの日常はじめ、世界中のどうすることもできないような無力と弱さの中にいまし、共におられる神。その絶え間ない救いを先生はそのように言い表されたと思うのです。

「一回即全回」。本当に力強い福音のメッセージですね。

 

私たちはこの主イエスの十字架によって、日々、何度も主の命に生かされているのです。唯、感謝と賛美をもって主の愛と恵み恵みに応えていきたいと願うものです。

今日から始まりました受難週、その一日一日を「十字架につけられ給いしままなるキリスト」と共に、神の救いを見出してまいりましょう。

 

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとって愚かなものですが、わたしたち救われている者には神の力です。」コリント一1章18節。

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茨の冠キリスト

2022-04-03 14:04:52 | メッセージ

礼拝宣教  マルコ15章1-20節 レントⅤ 

 

先週は捕縛された主イエスの後を大祭司庭まで追って行ったシモン・ペトロが、そこにいた人たちから問いただされると、自分の身を守るために三度主イエスとの関係を否定してしまう記事を読みました。しかし、主の愛の眼差しは変ることなくペトロ注ぎ続けていたのです。

その大祭司の最高法院というユダヤの大法廷で、ユダヤの多くの議員たちが招集される中、無実の罪で捕らえられた主イエスは裁判をお受けになるのです。大祭司が主イエスに、「お前はほむべき方の子、メシア(救世主)なのか」と問うと、主イエスは「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と、お答えになります。

メシアとは「神に油注がれた方」という意味で、旧約聖書の時代には、正しく国を治める理想的な王を表し、後には神の救いをもたらす救い主、メシアと呼ぶようになりました。イエスさまの時代ユダヤはローマの統治下におかれていましたので、その政治的抑圧から解放をもたらしてくれるようなメシア像をユダヤの人々は待望していたのです。

主イエスはここで、御自分がメシア、ほむべき方の子、つまり神の子であることを明言なさるのですが。それを聞いた大祭司は怒りをあらわにして衣を裂きながら、「これでもまだ証人がいるだろうか。諸君は冒瀆の言葉を聞いた。どう考えるか」と言うと、「一同は、死刑にすべきだと決議した」ということであります。彼らは、イエスが畏れ多いことに、自分を「神の子」と発言したことが許しがたい冒瀆罪であり、重刑に価すると判断したのです。

 

その大祭司廷での裁判が夜遅くまで続いた明け方。15章1節「祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に・・・・・イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した」とあります。

ピラトはローマ皇帝からユダヤ人を管轄する総督の任を負っていました。

彼らがピラトのもとを訪れたのは、自分たちの手でイエスを処刑したくないという思いがあったのです。群衆の中には主イエスを慕い求め、この方こそ来るべきメシアではと期待する者も多かったこともあるでしょう。そればかりでなく、祭司長たちも又、主イエスのなさった数々の御業に対して恐れを感じていたのかも知れません。自分たちは責めを負いたくないという身勝手な思いをもっていた彼らは、主イエスをピラトに引き渡し、主イエスが「メシアである」ことを公言なさったことを逆手にとって、「ユダヤの王」を名乗り、ユダヤだけでなくローマをも揺るがす政治犯としてイエスが活動していたと訴えるのです。ローマのご機嫌をとりつつユダヤの指導者という立場を守ろうとするその思惑が働き、主イエスを死に引き渡したのです。

 

ピラトによる主イエスへの尋問が始まります。

ピラトは伝え聞いたように、「お前がユダヤ人の王なのか」と問います。すると、主イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とはっきりとお答えになります。メシアであることと、あなたが言うような地上の権力者である王とは違う。主イエスはそうおっしゃりたかったのかも知れません。あるいは、ここで主イエスはピラトに対して、「ではあなたは私を何ものと言うのか」と問い返されているのかも知れません。

ピラトも薄々思っていたのでしょう。本当に主イエスが「ユダヤ人の王」となるような政治的手腕を発揮して活動していたなら、武力による組織的な反乱が起こってもおかしくないが、そういった騒動が起こった事実はない。このイエスを政治犯として裁き、重罪に処するには無理があると。

 

ピラトの尋問を傍らで見ていたユダヤの祭司長たちは、主イエスの罪状を補完しようと、「いろいろとイエスを訴えた」とあります。そしてピラトは再びイエスに尋問します。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているというのに」。しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは「不思議に思った」とあります。

イエスがここではっきりと自己弁明すれば助かるかも知れないのに、何も言おうとはしない。それがピラトには不思議に思えたのです。

私たちは先々週の礼拝において、ゲッセマネの園での主イエスと父なる神との対話から、それが神の御心のままに従って行かれる主イエスのお姿であることを知らされました。

 

旧約の預言者イザヤの書53章6-7節には、神の御心に従う僕が、多くの人の救いのために罪を背負い苦難を受けるその姿が衝撃的に記されています。

「わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。苦役に課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない小羊のように/彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命をとられた。」                              主イエスはゲッセマネで父なる神と一対一で向き合い、御心がどこにあるのかを尋ね求め続けたのです。そして、主イエスは人を愛する愛のゆえに、罪深きすべての人間が救いに与るために神の御心をその身に受け、自ら苦難の道を選び取られたのです。

さて、7節にバラバという人物が出てきます。ピラトは祭りのたびに人々が願い出る囚人を釈放していたということで、あの出エジプトの際、屠られた小羊の血をかもいの柱に塗り、死の使いが過ぎ越していったことによって救いと解放がイスラエルの民にもたらされます。イスラエル、ユダヤの人たちはその神の救いを記念する記念する過越しの祭りを毎年行うのですが。そこで一人の囚人を解放するのは、過越しの祭りにふさわしいこととされていたのでしょう。

そこで、ピラトは主イエスを解放したいと思い、群衆に「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」、さらに「いったいどんな悪事を働いたというのか」と問いかけるのです。

まあ、ピラトにすればこれが精いっぱいであったのでしょう。

ピラトは主イエスがゲッセマネで捕らえられる時に、剣と棒を捕えに行った神殿の兵士、さらに剣を取って対抗した弟子双方に対して、暴力を持って争うことを止めさせたことを伝え聞いていたのかも知れません。その主イエスにローマに敵対する政治的王としての姿を見ることができなかったのでしょう。

ユダヤの祭司長ら指導者たちに扇動された群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てます。群衆が解放を訴えたのは、無実の主イエスではなく、政治的暴動と殺害を犯したバラバでした。彼はローマの圧制に対抗する集団の一つに属していたとされています。主イエスに着せられた咎をまさに地でいく人物であったのです。しかし、その彼が赦され解放を受け、無実の主イエスは身代わりに罪人として十字架につけられていくのです。

ピラトは遂に群衆の勢いに押されるかたちで、バラバを釈放し、主イエスを十字架につけるために引き渡します。

 

16—20節において、主イエスはローマの最大600人からなる部隊の兵士たちに囲まれ侮辱と嘲笑にさらされます。彼らは主イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と、あざけりの挨拶を主イエスにあびせました。その嘲りは、神に従い柔和に生きようとする者への侮辱です。

「また、何度も。葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした」とあります。ここでの葦の棒は、王が手に持った笏に似せたものです。王の手にあるべきもので王の頭を打つことは最大の冒瀆を意味します。顔に唾を吐きかける行為も酷い屈辱です。「ユダヤ人の王、万歳」と愚弄され、暴力とともに主イエスの王権はユダヤ人たちだけでなく、ローマ人たちからも徹底的に踏みにじられていくのです。しかし主イエスは黙して、その苦難をその身に負われるのです。ひとえに成し遂げられる救い、私たちへの愛のゆえにです。

 

本日の主イエスが十字架に引き渡される箇所から知らされますのは、ユダヤの指導者たちの「ねたみ」が主イエスを十字架にかけたということです。ねたみの行き着くところは殺意まで引き起こすのです。

もう一つは、ピラトの自分を有利に守ろうとする自己保身です。彼は主イエスが重刑に値するような犯罪者でないことを分かっていながら、結局は正義を捨て、15節にあるように「群衆を満足させるため」に主イエスを十字架に引き渡すのです。それは角度を変えれば、ユダヤの指導者たちや群衆の同調圧力にピラトが屈したのです。

群衆も主イエスがエルサレムに入城した時は、「王にホサナ」と大いに讃美して主イエスを迎えましたが。それが逮捕されてしまうと、期待したメシアとしての姿ではないことに幻滅します。そうして指導者らの扇動にまんまと乗って「イエスを十字架につけろ」と訴える側になっていくのです。

先日、若者の生きづらさについての講演を聴いた時に、若者の抱えている生きづらさの中で、スマホのLINEやSNSのやりとりにおける同調圧力によって、若者たちが孤立してしまう問題が生じていることが取りあげられていました。最初は一対一で会話や対話をしていたのが、途中で当人以外の人が「いいね」とか「そう思う」とかいうような意見が一方の方にのみ入り込んできて、一対一の話がもう成り立たなくなってしまうということです。同調圧力がそこに働いてくるのです。言葉の強い人、又数や力の優位な側に意見が偏り、押し切られていく。巻き込まれていく。それは昔も今も変わりません。

それとは対照的であったのは主イエスです。どのように状況が変ろうが、圧力が働こうが。主イエスは父なる神の御心に生き、ご自身に与えられたなすべき道を歩みとおされます。

その力の源はどこにあったのでしょうか。それは私たち人間を愛される、それも罪に滅びる外ないようなふがいない者の弱さを知って、なおもいつくしみ愛されるその愛のゆえに、主イエスはご自身を神に明け渡されるのです。

私たちも日々の歩み、その日常の生活の中で、様々な出来事に翻弄される時、ほんとうに疲れを覚え、又自己を見失うような時もあるかもしれません。しかし、そう言う時こそ、この主イエスの愛が私たちとともにある。苦難をともにしてくださる神の救いがあることを忘れないでいたいと思います。主イエスの愛に満たされる時、私たち自身も愛に生きる者とされていくことを信じ願います。

今週も主イエスのお姿を心に刻み、主の愛と御救いを仰ぎつつ歩んでまいりましょう。

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