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神の福音

2017-04-23 17:10:55 | メッセージ
主日礼拝宣教 ローマ1章1~17節  

神の御子イエス・キリストが私たちすべての人間の救いのために罪の贖いとして十字架に死なれ、3日後に復活なさった。先週はそのイースターの喜びを共に分かち合いました。イエスさまは、又その復活のお姿を度々弟子に現され、「全世界に出て行ってこの救いのよき知らせである福音をすべての造られた者に宣べ伝えなさい」と、その働きを弟子たちに託されの後、天にあげられた、と伝えられています。そして弟子たちはその主イエスのお言葉を握りながら、祈りのうちに聖霊に満たされ、福音を伝え続けることで多くの人が主を信じ、教会が誕生していったのです。しかし同時に迫害も激しく起こり、今日のこの「ローマの信徒への手紙」を記したパウロも、初めはキリスト教会とその信徒たちを激しく迫害する人でありました。しかしそのパウロは復活されたイエスさまと出会うことで、主イエスの御救いを信じクリスチャンとなり、主に小アジア、ヨーロッパの異邦人に福音を伝える働き人とされるのです。

さて、本日の礼拝からそのパウロがローマの信徒に宛てた手紙を読んでいきますが。
ちょっと理屈ぽく、とっつきにくいと感じるところもあるかも知れませんが。この書を読んでいけば、私たちに開かれた神の救い、福音のゆたかさと深さをさらに知ることができますので、そこは少し腰を据えてその言葉に耳を傾けてまいりましょう。

先ほど読まれました1章は、はじめの1-7節が「使徒パウロのあいさつ・自己紹介」。そして8-15節が、「この手紙を書いた目的」。さらに16-17節は、「この手紙の全体的な主題、テーマ」が述べられています。

まずこのローマの信徒への手紙が書かれた目的についてですが。
8節以降に小見出しとしてあるとおり、パウロはまだ訪ねたことがない、ローマの教会への訪問を強く願っていたのです。
新約聖書の中で使徒パウロが書いた手紙は、このローマの信徒への手紙の他にもコリントの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、テサロ二ケの信徒への手紙等があります。
これらコリント、フィリピ、テサロニケの3つの教会はパウロが伝道旅行で実際にその地に赴いて福音を伝え、教会の基礎を築いたのですが。
しかしこのローマの教会はそれらの3つの教会の事情とは異なり、パウロの伝道する前からすでに福音が伝えられ、クリスチャンとなった信徒たちを通して、家の教会が複数形成されていたようですね。
ちなみにローマでキリストの福音を伝えたのはバルナバとかペトロとか、あるいは聖霊降臨の日にエルサレムに旅に来て、ペトロの説教を聞いて信じてクリスチャンになり、ローマに戻っていった人たちとかいわれていますが、はっきりとしたことは分かっていません。

そのローマの信徒とパウロをつないだのは、コリントの町で出会ったアクラとプリスキラの夫妻でした。彼らはローマにおいてクリスチャンであるために、激しい迫害に遭い、コリントに逃れてきたのです。そこで彼らからローマの信徒たちや教会の事情や情勢についてパウロは詳しく話を聞く機会があったようです。

当時ローマはすべての世界に通じる中心地でした。パウロはそのローマの地を訪れることによってそこが伝道の拠点とされ、さらにイスパニア(スペイン)まで福音が伝えられていくという幻・ビジョンが与えられていたのです。
ユダヤ以外の人たちにもキリストの救いを伝える。それはまさに冒頭の1節でパウロ自身が「神の福音」のために選び出され、召されて使徒とされた、神さまのご計画がここにあるということですね。
先に神に選ばれたユダヤ人だけでなく、ギリシャ人、ローマ人、あらゆる人々に、それこそ神さまがお造りになった全世界に、この「神の福音」が伝えられていく。その目的のためにこのローマの信徒への手紙は書かれたといえます。

パウロは、ローマの信徒たちと互いに協力し合うことで、そのビジョンが成し遂げられていくことを強く願っていたのですね。
ここでパウロは、まだ一度も会ったことのないローマのクリスチャン、信徒の人たちに向けて、「あなたがたの信仰が全世界(この当時のユダヤ人の世界観ははパレスチナ周辺の小アジア(トルコ)、そしてコリント(ギリシャ)まで射程にあったようですが。)に言い伝えられていることを神に感謝している」と述べます。そして「わたしは、祈るときはいつでもあなたがたのことを思い起こし、何とかいつかは神の御心によってあなたがたのところに行ける機会があるように、願っています」。「霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」。と彼らに対する熱い思いを語ります。
それは、パウロが一方的に何か与える側に立つというのではなく12節にあるように、ローマの信徒たちと対等の立場で「互いに持っている信仰によって、励まし合いたい」、と願っていたということですね。これはパウロの単なるリップサービス、方便ではありません。
パウロは様々な知識もあり弁のたつ人で、又いろいろなしるしを伴う伝道活動もなしていました。しかし同時に、彼ほどの人でも、自分の力ではどうしようもないという無力さも経験している人であったのです。そういう時に犠牲を払ってまでも祈り、働きを共にしてくれる教会の信徒のつながりというものは、どんなにか彼の支えと励ましになっただろうかと思います。

信仰は神と私という一対一の関係ではありますけれども、独りだけで信仰を保つことは困難であります。それほど人は強くはありません。どんなに強い信仰の確信を与えられても、主にある兄弟姉妹、神の家族として祈り合い、共に御言に望みをおいて支え合う共なる礼拝の場やつながりがなくなってしまえば、個人の霊性はなえてしまうのです。

反対に互いに持っている信仰によって励まし合い、共に霊の賜物によって神の国を求め務めるなら、そこにはさらにゆたかな恵みの体験が起こされていきます。福音のゆたかな拡がりがもたらされていくんですね。それは2000年を経た今も同様であります。

パウロは「わたしは、ギリシャ人にも未開の人にも、知恵ある人もない人にも、果たすべき責任があります」とビジョンを語っていますが。その働きはパウロ一人では到底出来うることではなかったのです。

ローマの信徒たちのうちには、ユダヤ人もいたでしょうし、ギリシャ人、ローマ人など様々な地域の人たちがいたようですが。ユダヤ人ばかりのエルサレム教会よりもアンテオケアの教会のように、実に様々な国、民族、立場を越えた方々が招かれている主の共同体に、福音を世界に伝えるための可能性をパウロは見い出していたんでしょうね。
私たちのこの大阪教会も、このところ世界の様々な地域から主イエスにある兄弟姉妹がおいでになり、地域や国を超えてゆたかな福音の分かち合いがなされているその中に、神の国を見せられる思いで感謝であります。それぞれの国にお帰りになった折には、あかしとして伝えられていると思いますと、うれしい限りです。

さて、今日はこの冒頭の使徒パウロの挨拶、自己紹介のところから「神の福音」という題をつけました。これが今日の箇所のテーマだと思ったからです。
パウロは、自らをキリスト・イエスの僕、「神の福音」のために選び出され、召されて使徒となったと述べます。
イエス・キリストの僕、この僕とはギリシャ語でデューロス、奴隷という意味です。
フィリピの信徒への手紙3章のところに彼はかつての自分についてこう述べています。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」

彼はいわゆるユダヤ社会とその教義においてエリートであった。彼は神のために熱心に働き仕えてきて、神を冒涜していると考えていたキリスト教会とその信徒たちを迫害し、弾圧を繰り返していたんですね。
そのある日、パウロは神の声を聞くのです、それは「なぜ、わたしを迫害するのか」という衝撃的な復活されたイエス・キリストの御声だったんですね。パウロが熱心に神のため神のためと迫害し、弾圧したのはまさに愛してやまなかった神さまご自身であったのです。
パウロはあまりに強いショックと後悔から目が見えなくなってしまうのですが。主がパウロのもとに信仰の人アナニアを送り、聖霊に満たされると、目からうろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになり、その場でバプテスマを受け、すぐに、あちこちのユダヤ会堂で、イエスのことを「この人こそ神の子である」とあかしして回ったということです(使徒言行録9章・サウロの回心の記事)。
彼はイエス・キリストこそあの旧約聖書で預言された救い主であり、苦難の僕となって人の、それもこの自分のこの罪を担い、審かれて死なれたお方であることを知るのです。パウロは自分こそが救い主イエス・キリストを十字架につけて殺したのだと思い至り、深い回心へと導かれるのです。主イエスはどこまでも神と人に仕え愛し、デューロス:僕となられた。
そのパウロが書いたフィリピの信徒への手紙2章6節以降には、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と述べています。
パウロはそのイエス・キリストにならい、自らを「キリスト・イエスの僕」とされた者、「神の福音」に捕えられ奴隷となったパウロ、と言っているんですね。主の救いに与っておられるみなさまも又、大なり小なりそのようにキリストに捕えられた者、そのお一人おひとりではないでしょうか。捕えられて生きるというのは何か不自由なマイナスイメージがあるかも知れませんが。世の巷の「何とかの奴隷」ではなく、本物、神さまから捕えられて生きるのなら、こんな光栄はありません。そのように尊い「神の福音」、それをパウロは9節「御子の福音」と述べているように、御子イエス・キリストの十字架を通して現された福音なのでありますが。

今日の16節―17節は、ローマの信徒への手紙の全体の主題・テーマといっても過言ではないでしょう。
パウロは述べます。「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」

パウロはコリント信徒への第一の手紙にも次のように述べております。
1章18節「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
1章22節-24節「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられた(いる)キリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であるが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」

先ほども触れましたが、使徒パウロも熱心なユダヤ教徒であった時は、十字架のキリストに敵対し、それを福音として伝えていたキリスト教会とその信徒を徹底的に迫害しました。
しかし彼は復活の主イエスと出会い、これまで誇りとしてきた血統、学歴、知識、業績などのあらゆる能力やステータスが、イエス・キリストを知ることの価値の偉大さに比べれば、如何に塵あくたのようなものであるかを思い知らされたのでした。まさに、人の目には愚かと見える主イエスの十字架こそが、信じる者すべてに救いを得させる「神の力」であるということを実体験したのです。

自らの正しさと行いによって自分を正当化して人を裁いて生きていたパウロは、十字架と復活の主イエスとの出会いによって、自らの罪を知り、打ち砕かれました。そんな自分を滅びから救う「御子の福音」。そんなパウロだから「福音を恥としない」と宣言するんですね。
私たちの日本の社会や文化の中で、自分はクリスチャンだと言うことは多少言いづらい、あえて言うことはないという方も多いでしょう。けれど私を生かす神の力、神の愛に生きる時に、溢れてくる思いや言葉、行動は大切にしていきたいですね。

十字架のキリストを信じ受け入れるということは、自分の弱さをさらけだし、無力であることを告白するということでもあります。それはある意味確かに勇気がいることです。
自分を主にすべて明け渡していくということだからです。けれど「そこに」神の力がゆたかに働くのです。まさパウロがここで述べていますように、福音の力、神の力によって神の栄光が現わされていくのです。
すべて信じる者に救いを得させる神の愛と神の力、御子イエスの十字架の福音に心から神に感謝します。さあここから、また御子の福音に生かされて、それぞれの馳せ場へ、遣わされてまいりましょう。
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主イエスの復活の知らせ

2017-04-16 13:57:23 | メッセージ
イースター宣教 マタイ28:1-10

イースターおめでとうございます。
受難節の約一ヶ月を経て、先週は特に主イエスの十字架の死を偲ぶ受難週を過ごしました。金曜日、十字架で死なれ墓に葬られた主イエスは、3日目のこの日曜日の朝、死よりよみがえり、封印された墓を打ち破られた。その朝に主イエスの復活を記念するイースターを心からお祝いし、その御恵みに私たちも共に与りたいと願っております。

キリスト教の信仰は、神の御独り子であるお方が人としてお生まれになった事。そして、そのお方が救い主として苦難と死による贖いの業を成し遂げられた事。さらに、死と滅びから復活された事。この受肉、十字架の苦難と死、復活の三本柱にございます。

イエスさまがもしこの地上においでくださらなかったなら、そして私たちの罪のために死なれなかったなら、人間は自らの責めを負い、滅びるほかありませんでした。
主イエスがすべての人の罪の裁きを自ら受け、罪の清算を完全になして下さった。ここに救いの道が開かれたのです。神さまは罪に滅ぶ人間、私たちを惜しまれました。そのいつくしみの愛のゆえに御独り子イエスさまをこの地上に救い主としてお遣し下さったのです。私たちがその主イエスの愛のうちにあるなら、十字架で流された御子の血によって罪を赦されています。
けれどもどうでしょうか。もしイエスさまが十字架で処刑されて死んでしまった、ということで終わっていたら、どうなっていたでしょうか?もしイエスさまの復活がなかったなら。どうでしょうか?

私たちがたとえこの一度限りの人生を罪赦されて生きたとしても、死という破壊的力を前にしては、なすすべもなく、唯絶望するほかありません。諦め、観念し、悟ったように死んだとしても、その先がうつろであるなら、旧約聖書のコヘレト(伝道の書)が「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい」と言っているように、人は草のように枯れ、花のようにしぼんでいく存在でしかありません。
しかし、イエスさまは「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マルコ13:31)とおっしゃいました。
神の言葉と約束は変わることがございません。主イエスが死の滅びを打ち破って、よみがえってくださったことによって、今まさに私たちに永遠のいのちの希望が開かれているのです。

使徒パウロはコリント第一の手紙15章17節以降で次のように述べています。
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中あることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」

こうしてイエス・キリストが死から復活されたという出来事が起こったからこそ、現に聖霊があらゆる世界や時代を超えて働かれ、実に2000年以上もの間生きた信仰の体験が証しとなって語り伝えられ、分かち合われてきたんですね。

本日はマタイ28章1~10節より「主イエスの復活の知らせ」と題し、御言葉に聞いていますが。こどもメッセージにもありましたが「安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」と記されています。

安息日が金曜夕方から始まり土曜夕方に終わりますので、その安息日の規定のため動くことができなかったこの二人の女性たちは、日曜日の夜明け頃、墓に置かれたイエスさまを見にいきます。
それまでずっとイエスさまに同行して来た二人のマリア。彼女たちはイエスさまが十字架で処刑される折も、ずっとその最期まで見守っていた人たちでした。
弟子たちは逃げ去ってエルサレム周辺の場所に身を隠していたようでありますが。彼女たちは心からイエスさまを慕っていたのです。それは女性であるために低くされ、神への礼拝までも規制されてきた彼女らに、イエスさまは一人のかけがえのない人として分け隔てなく、神の愛と救いの招きをもって接していらしたからではないでしょうか。それだけに彼女たちのイエスさまを失った悲しみや嘆きはいかばかりであったでしょう。
そうして彼女たちがやって来たお墓ですが。これは横穴式の洞窟のような岩をくりぬいた造りになっていて、その入り口には大きな丸くひらぺったい石がずっしりと置かれて封印されていたのです。ところが彼女たちがお墓に着くや「大きな地震が起こり、主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座った」というのです。

先週の箇所で、イエスさまが十字架上で息を引き取られた後に、「地震が起こった」という記事がありました。神の子によって完全な贖いの御業が成し遂げられたという全世界における重大な出来事の折に「地震」が起こります。そして、今日のイエスさまが死より復活される折にも、「大きな地震」が起こっているのです。
さて、そこに現れた主の天使は、「その姿が稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」とあります。他の福音書などによりますと、長い衣を着た若者とか、二人の天使とか、それぞれの表現がありますけれども。共通しているのは、それは、神のご意志を伝えるために遣わされた存在であるということです。

番兵たちはこの光景をみると、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになってしまいます。大事なことは、神の言葉は、それが実現した時、信じる人、受入れる人には喜びと希望であり、それを拒む人、信じない人にとっては恐れ、絶望なのです。

この番兵たちは、前の62節以降に記されているように、イエスが生前「三日後に復活する」と言っているのを聞いたユダヤの祭司長や律法学者たちが、弟子たちによって遺体が盗み出され、復活したなどと言いふらされるなら、人びとが惑わされることになりかねないとピラトに願い出て、そこに配置された番兵たちでした。墓にはさらに封印をしていたのですが。神の御業とご計画に対する不信や反逆は、必ず打ち砕かれるのです。

一方、女性たちは主の天使から「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」と告げられます。

そうして、空っぽの墓を見ることになるのです。
この女性たちも、大きな地震とともに起こっている目の前の出来事にやはり恐れを抱くのであります。しかし、番兵たちと違っていたのは、彼女たちがイエスが前もって告げていた死の後「三日目に復活する」という言葉を聴いていた。そして主の天使があの方は「復活なさったのだ」との言葉を受取った、ということです。同じ出来事に遭遇して片や不信の中で死人のようになった番兵たち。片や天から希望を受け取った女性たち。

私たちの生活においても、どうでしょうか。同じようなことが起こっていないでしょうか。不信が起これば不安や恐れに取りつかれ、自分を見失ってしまいかねない。けれども主イエスの言葉を聞き、心に留め、それを拠所としていく者は、恐れや不安の中にあってもなお光を見出し得るんですね。

先週も多くの方々と祈りを共にしました。様々な問題、状況の中で、希望を見出すのは本当に困難なことです。けれども、それは私自身も経験することですが。ともに祈る人がいる時、その祈りのうちに主が共におられることを覚えて、大変勇気づけられたり、不思議に平安が与えられます。もしクリスチャンでなかったら、どうしていただろうか。おそらくあの番兵たちのように震えあがって死人のように身動きがとれなくなることが度々あったんじゃないかと思います。ほんとうに主の救いに唯感謝であります。

話を聖書の方に戻しますけれど。
主の天使は彼女たちに、「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました」と語りかけます。

すると、それを聞いた女性たちは、「恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」とありますね。
「恐れながらも大いに喜んだ。」一見相反するようなその様子。それは主イエスの無残な死に直面し、大きな地震、主の天使の思いがけない言葉、想像もつかなかった非日常が次々に起こったのですから、恐れが生じるのも当然と言えば当然です。
けれども、天使から「ガリラヤ」という言葉を聞いた時、また「そこで、主にお目にかかれる」と聞いた時、言葉では言い表せない大きな喜びが湧き起こってきたんですね。 
「ガリラヤ。」それはかつてイエスさまに仕え、ともに従って歩んだ日常があった場所です。そこで復活なさったイエスさまにまたお会いできるという希望の知らせ。
彼女たちはまだ復活の主イエスをその目で見たわけじゃない。その復活の主イエスと顔と顔とを合わせたわけじゃない。けれどもガリラヤという主と共にあった場所、日常の場に復活の主イエスが待っておられる。

私たちも時に非日常的な出来事に遭遇する時があります。不安になったり恐れをもったりする時。教会の兄弟姉妹の声を聞いてホッとしたり、先ほども言いましたように祈りを共にする中で、主が共におられるというクリスチャンとしての日常の平安を取り戻したりといった経験はないでしょうか。

Ⅰペトロの手紙1章8節に「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ち溢れています。」
とございます。
それは何事もない中で語られたのではなく、むしろいろいろな試練に悩み苦闘する人たちの間で語られた言葉なのです。主イエスを慕い、拠所とする者は、墓という場所に象徴される絶望や悲しみの中に封印されるのではなく、たとえそのような状況の中でさえ、主にある希望と喜びを見出し得る。これが聖書の福音のメッセージであります。

さて、こうして恐れながらも大いに喜びつつ、彼女たちは急いで墓を立ち去り、このよき知らせを一刻も早く弟子たちにもたらしたい、伝えなければならないという思いで走り出します。
このマタイ福音書は他の福音書には見られない場面を記しています。
9節「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われた」というのですね。この「おはよう」はギリシャ語の原語では、日常で交わす挨拶のようなものだということであります。
何と復活の主イエスさまが直接この二人の行く手に立っておられ、本当に常日頃おっしゃたように「おはよう」とお声をかけられるのです。
「女たちはイエスに近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」とありますが。彼女たちの喜びがいかばかりであったか伝わってくるようですよね

私もいつの日かこうしてイエスさまにお会いできる日が来る、と想像しますと何ともいえない喜びというかうれしさ、安心感が湧いてきますが。

さあこうして、今日の最後のところで大きなポイントとなることを、復活の主イエスはこの女性たちに伝えます。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

復活のイエスさまは、ここで弟子たちのことを「わたしの兄弟」と呼んでおられます。大事な時に、イエスさまを見捨てて逃げ去っていった弟子たちを、イエスさまは「わたしの兄弟」とお呼びになるんです。

そこに私はイエスさまのゆるしと愛を見る思いがいたします。あの人たちでも、彼らでも、弟子たちでもなく、「わたしの兄弟。」なんとあたたかなまねきの言葉でしょうか。
人の弱さのゆえにつまずき、大きな取り返しのつかないような失態をさらした彼らを、復活の主イエスは「わたしの兄弟」と呼び、彼らの日常のフィールドで「わたしに会うことになる」と約束されるのですね。

今日は「主イエスの復活の知らせ」と題し御言葉に聞いてきましたが。私たちの死と滅びの墓穴を打ち破る新しいいのちの始まり。それは主エスの日常におけるいつもの「おはよう」の挨拶。又「わたしの兄弟」というゆるしと愛の呼びかけによってもたらされました。復活の主イエスにお会いする私たちのガリラヤ。私たちの日常へと、今日の御言葉をもって今週もここから遣わされてまいりましょう。祈ります。
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本当に、この人は神の子だった

2017-04-09 14:29:14 | メッセージ
宣教 マタイ27章45-56節 受難週

今日から受難週に入りました。全世界に主の御救いがもたらされるため、神の御子であるイエスさまが捕えられて十字架へ引き渡される、苦難の7日間。それはエルサレムへの入城に始まり、弟子たちの足を洗われる洗足、そして最後の晩餐。先週はゲッセマネの園における祈り共に与りました。そうして弟子の一人ユダの裏切りによって捕えられたイエスさまは、ユダヤの法廷、次いでローマ総督の前に引き出され、鞭打たれ、嘲りを受け、自ら十字架を負われて、遂に十字架に釘打たれるのであります。

聖書は、イエスさまが十字架にかけられてから「昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた」と記しています。日が高い真っ昼間というのに全地が暗闇に覆われた。このマタイ福音書の全地という「ゲー」という言葉は、単にユダヤの地だけを指すのではでなく、全世界を意味しています。そのとき暗闇が全世界を包んだという意味なのです。
旧約聖書で預言者アモスは「その日が来ると、と主は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ 白昼に大地を闇とする」(8章9節)と預言しました。それは、終末に際してやがて来たるべき、救い主の到来を前に、人類が経験するであろう闇でありますが。今日のところでは、終末の預言を彷彿とさせるような闇が全世界を覆うのです。

そして3時頃、イエスさまは十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)と大声で叫ばれました。

絶望的といえるこの叫びは、今日に至るまで多くの人の信仰の躓きともなってきたのは事実です。イエスは十字架で敗北者の叫びをあげ無残に死んだ。救いの業は失敗に終わったのだという人たちも多いのです。
ユダヤ教でもそうですが。イスラム教もイエスを預言者の一人とは認めても、メシアだとは認めていません。ではどうして私たちはそのようなボロボロになぶり殺しにされた十字架のイエスに救いを見出すのでしょうか?それはまさに神の子であるこのお方が、人間の救いがたいような闇の奥底にまでくだられた。人の深い苦しみ悩みを知られ、耐え難い痛みをその身に負われた。そこに「共におられる」インマヌエルを見るからです。

先日、シリアのアサド政権が反体政派への空爆に毒ガス、枯れ葉剤などの極めて残虐な化学兵器を使用し、その多くの被害者は一般の市民であり子供たちであることがとても直視することのできないような映像とともに報道されました。それから間をおかずして、アメリカ軍がこのシリアのアサド政権の軍事基地に向けて大量の空爆攻撃をしました。人道に反する化学兵器を使用したことへの制裁処置と、その正当性を主張し、日本の安部首相もそのトランプ大統領を支持するとコメントしておられますが。ほんとうにそれでいいのでしょうか。アメリカの空爆によってもシリア市民や幼い子供たちが巻き込まれ貴い命が奪われたことがすでに伝わっています。さらに憎しみが憎しみを生む連鎖が生じ、この機にISの温床となり、テロが増幅していく脅威となっていくことを、ほんとうに恐れ、何とかその闇の方向へ向かわないための道筋が立てられていくようにと祈るばかりですが。遠い国の小さな出来事などではなく、権力や体制の下で、ものの数にしか数えられない、すべて私たちの叫びにつながっています。

「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫するほどに苦しみ痛まれたイエスさまの叫び。それは、蔑ろにされ、踏みにじられ、排斥されるすべての人々。置き去りにされ、小さくされるすべての人々。そして罪深く肉体的限界を生きざるを得ない人間。それは私たち一人ひとりへの神の共鳴です。ここに私たちは救いを見出すのです。

次いで、前の32節以降のイエスさまが十字架につけられる場面では、そのイエスさまに向けて、人々が代わる代わる「神の子なら、自分を救ってみろ」「他人は救ったのに、自分は救えない。そうすれば、信じてやろう」などと罵倒する者たちがいたことが書かれていますが。
それは厳しい現実世界を見るにつけ、人が「神の救いはどこにあるのか」「神なんかいないじゃないか」という憤りであり、神に反駁するような人の罪でありますけえども。そのような不信の中で、イエスさまは「エリ、エリ」(わが神、わが神)という叫びを聞いた人々は、エリヤを呼んでいると言う者もおり、その一人が「海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒をつけて、イエスに飲ませようとし」、他の人々は「エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言ったとあります。それはイエスの痛みを和らげるという同情からではなく、イエスが自分から延命を望んでエリヤの助けを求め、エリヤが助けに来るかどうかを試すためにそうしたのです。

物見高に何がおこるか伺う、そうして神を試みるような人もいたわけです。けれどもイエスさまはエリヤを呼ばれたのではなく、酸いぶどう酒も一切受け取られませんでした。その痛みと苦悩をどこまでもご自身に負われ、そして遂に「再び大声で叫び、息を引き取られた」のです。
「神よ、なぜですか」、という問いかけに対して神の答がないまま、最期までその痛みと苦悩を身に負って死なれたのです。
イエスさまはとことん人間のもっとも深い苦悩と痛みを身に負われたということであります。実はここに私たち主イエスを信じている者にとっての救いと平安の根拠がございます。預言者イザヤの書53章5節「彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」。
「神の子であられるイエスさまがわたしの最も深い苦悩と痛みをその身に共に負われ、死なれた」。「わたしの痛み、わたしの傷が神の子イエス・キリストの痛み、苦しみとつながっている」。この共におられる神だからこそ、わたしたちキリスト者は救いの希望を見出し得るのであります。

さて、イエスさまがそのように息を引き取られた後、聖書は、63節「そのとき(原語では「そして見よ」と感嘆詞)、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が避け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」と記されています。

「神殿の垂れ幕」は、聖所と至聖所、つまり神殿の聖なる所と神が臨在なさる最も神聖な所とを仕切るもので、年に一度大祭司だけがこの垂れ幕の奥にある至聖所に入ることが許され、民のために罪のための犠牲をささげました。ところが、イエスさまの壮絶な十字架の死によって、この仕切りの垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたというのです。ご存じのように聖書はイエスさま以前の旧約とイエスさま以後の新約に分かれているのですが。旧約の時代には人は罪を犯す毎に牛や羊といったいけにえを捧げ、その罪が贖われることを願っていました。これが古い契約です。しかしそれでは罪深い私たち人間の根本的救いにはなりませんでした。しかしそういった旧約の時代が終わり、イエス・キリストの贖いの血による犠牲によって赦しと救いがもたらされた。すなわち新しい契約の時代が到来した。神殿の垂れ幕が真っ二つに避けた出来事はそのことを象徴的に表しているのです。

そのことについてヘブライ人への手紙9章11節にこう語られています。
「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたものではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自分の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
さらに10章19節に「わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。」
「新しい生きた道」。それはキリストによる新しい命の道です。今日のところに地震が起こり、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返り、主イエスの復活の後には、都に入って多くの人々に現れた、とございます。
イエス・キリストの贖いの業によって新しい時代、救いの恵みによって新しい命に生きるときが始まったのです。私たちはその新しい契約の救いの時代に生かされているということですね。それは何と幸いなことでしょうか。

さて、イエスの十字架刑を実際に執行した責任者であったローマの百人隊長と兵士たちがここに登場していますが。彼らはこれらの出来事を見て、非情に恐れ、「本当に、この人は神の子であった」と言うのであります。無残にも神に見捨てられたように死なれたイエスさまを、罵り嘲っていた者たちが、「本当に、この人は神のであった」と告白するのです。
それまではユダヤ人、それも大祭司といった人しか神のおられる至聖所に入ることができなかったわけですが。それが十字架の主イエスの血と死を通して、ユダヤ人以外の
異邦人、すべての人が、主の深い御憐れみによって神のおられる至聖所にキリストを通して入れるようになったという大いなる恵みを、このマタイ福音書は私たちに示しているんですね。十字架の受難と死をもって主イエスが私たちに代わりその罪の裁きを受けて死なれた。そのことによって私にも新しい生きた道が、新しい命の道が開かれていることを唯々感謝するばかりであります。

最後になりますが。55節には「また、そこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた」と記されています。
十字架の主イエスのその最期まで見守り続けていた大勢の女性たち。「彼女たちはガリラヤからずっとイエスさまに従って来て世話をしていた人々である」とあります。
主イエスと弟子たちとともに神の国の到来を待ち望んで仕えてきたこの女性たちは、主イエスと共に、十字架にかかるほど心を痛め、苦しい思いをしたでありましょう。
次週の話になりますが、復活された主イエスは打ち砕かれた彼女らに、その復活の栄光、神の御救いを顕わされるのです。
旧約の時代には決して聖所に入ることの許されなかった女性もまた、この主イエスによって隔ての幕が取り除かれ、神の至聖所に招き入れられる幸いな人とされたことがここに表明されているんですね。

今日、主イエスの十字架上での御言葉を私たちは頂きました。
使徒パウロは次のように述べています。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
この主イエスのお姿に神の義(ただ)しさと、血を流されるまでの慈愛を仰ぎ見つつ、私たちもまた、来たるべき主が来臨なさる日まで、新しい命の道を歩み続けたいと切に願います。今週もここからそれぞれの馳せ場へ遣わされてまいりましょう。

祈ります。
主イエスが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てにならえたのですか」と絶叫されるまでに苦悩し、痛んで、血を流して死なれたことによって、私たちが神さまと和解し、新しい命に生きる道をあゆむことができます。神さま感謝します。
一方で、未だに私たち人間の現実の世界では、暴虐、殺意、憎悪、略奪、搾取、蹂躙が繰り返され、イエスさまを十字架にはりつけにした事と同様の罪が絶えません。わたし
たちも決して無関係とは言えません。主よ、私たちの罪をおゆるしください。
あなたが、一番のお望みなっておられることは、すべての人たちが神さまあなたと和解し、新しいに命に与って、主の救いと平和の福音がこの地に満たされていくことと信じます。
どうか、主よ、私たち一人ひとりがあなたの御心を知り、祈り、御心を行なう者となるとができますように、導きお守りください。
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SOUND CLOSER  コンサート vol.8 ~陽ののあたるところに温かな音楽を~

2017-04-05 10:02:53 | お知らせ

2017.4.9(日)

1st:16:00-
  (open15:45-お子様連れ歓迎)

2st:18:00-
  (open17:45-)

ticet:前売り ¥1,800/当日¥2,000

会場:日本バプテスト大阪教会
   各線天王寺駅より徒歩5分(大阪市天王寺区茶臼山町1-17)

  
   出演

ゆかり☆ゴスペル
YOSHI BLESSED
野田常喜(piano)/住吉健太郎(uitar)/酒匂賛行(drum)/MC YUSHI(rap)

主催
info)http://yoshiblessed.com
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ゲッセマネの祈り

2017-04-02 15:06:55 | メッセージ
礼拝宣教 マタイ26章36-46節 受難節Ⅴ

4月に入り大阪のサクラ開花宣言は?駐車場のサクラは5%咲きくらいでしょうか。今年は例年とは異なり関東が先に開花宣言し、名古屋・福岡の開花となりましたが大阪はもう数日後でしょうかね。次週の礼拝後にはゆかり☆ゴスペルさん、YOSHI BLESSEDさん他のコンサートが予定されております。ぜひお時間を作ってご参加くださると大変恵まれるかと存じます。

さて、レントの時、主イエスのお言葉に聞き、祈りつつ過ごしてきましたが。本日は「ゲッセマネの祈り」の箇所から、御言葉に聞いていきたいと思います。
先週の聖書教育のところでしたが。イエスさまはこのゲッセマネの祈りの前に、12人の弟子たちと一緒に食卓につかれ、ご自身の流される血と裂かれる肉による救いを示す主の晩餐を行なわれました。宣教後に主に晩餐が行なわれますが。
その際イエスさまは、「弟子の一人がわたしを裏切ろうとしている」と指摘されたのですが。不安になった弟子たちは、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた、と記録されています。そのひとりとはイスカリオテのユダのことでしたが。その後イエスさまは弟子たちが「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われます。それは弟子たちが一人残らず皆イエスさまを見捨てて逃げ去る、という予告でした。

このイエスさまの言葉に対してシモン・ペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と宣言します。するとイエスさまはペトロに「はっきり言っておく。あなたは今夜鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うであろう」と言われるのです。ペトロはむきになって「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどと決して申しません」と答えると、弟子たちも皆、同じように言った、とここに記されています。

そういうことがあって、今日の箇所のゲッセマネの出来事、遂にイエスさまが捕えられ十字架の道を歩んで行かれることになっていくのであります。

「祈りが変えられる時」
イエスさまは弟子たちと一緒にゲッセマネといわれる所に来られます。
それはご自分が捕えられて裁きの場へ引き渡され、十字架につけられる受難と死を前に、父の神に祈るためでありました。
ゲッセマネとは「油をしぼる所」という意味があるそうですが。ここでイエスさまは、
いわば身をよじるように苦悶しつつ、血の涙と汗をしぼり出すような祈りをなさったのであります。
ここでイエスさまは3度父の神に祈られました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。それがイエスさまの正直な思いでした。
杯は、すべての人間の罪の裁きを一身に負う苦難を象徴するものです。
イエスさまができることなら、そのような十字架にかけられる苦難の道ではなく、他の救いの方法はないのでしょうかと、率直に自分の願いを訴え祈られます。けれそも、その直後に「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」とおっしゃるのです。さらに2度目、3度目には「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」と、祈られています。

「あなたの御心が行なわれますように」。
イエスさまはこのゲッセマネのしぼり出すような祈りの中で、父の神の御心に従いゆく道、すなわち十字架のご受難と死による救いの業を成し遂げるその杯を受け取っていかれるのであります。
私たちの救いは、それは又、このような父なる神の断腸の思いともいえる御心によって成し遂げられたことを忘れてはならないと思います。

大阪教会では今年度「祈り」をテーマに掲げていますが。そもそも祈りとは何でしょうか?いろんな祈りがあるでしょう。それはとても一言で言い表わせないですね。むしろ言葉に言い表せない思いだからこそ祈りなのかもしれません。どんな人も、たとえ特別に信仰をもたない人であっても、祈る気持ち、実際に祈らずにいれない思いというのはあります。その折に触れて湧いてくるでしょう。困ったことが起ったり、強い願いを持った時などもそうです。春の高校野球の昨日大阪の高校同士の決勝戦が行なわれ優勝校が決まりましたが。そのテレビ中継で応援席で祈っている学生の姿が映しだされましたが。まあそれも祈りに違いありません。ただ、祈りというものが、神に自分の願いを要求するばかりになっているなら、それは一方通行であり、そこに神との生きた関係性は築かれていきません。願望が満たされなければ神はいるのかと不満に思い、叶えば神を忘れてしまうでしょう。

イエスさまは率直に「できることなら、この杯を過ぎ去らせてください」と願われました。けれどもあえて「わたしの願いとおりではなく、御心のままに」「あなたの御心が行なわれますように」と祈られたんですね。それはこの世界を創造し、すべ治められる父の神へんの全幅の信頼と確信が、まさに祈りによって揺るぎなく築かれていたからでしょう。

イエスさまはかつて弟子たちからどのように祈ったらいいのですかと尋ねられた折、「父なる神さまの御心が天におけるように地の上にも行なわれますように」と、祈るようにおっしゃいました。父の神の御心がどこにあるのかということを尋ね求める時、信頼と確信、すなわち信仰が与えられていくのだと思います。

私たちは主に祈るとき、「わたしの願い」と「天の父の御心」が占める割合はどうでしょうか?それはきっと混在しているでしょう。けれども、祈りの対話を通して、生きた神さまとの関係が深められ、おのずと祈りは変えられ、御心に生きる恵みの御業を体験する者とされていくのではないでしょうか。

「わたしと共に目をさましていなさい」
次に、先にも触れましたが、イエスさまは弟子たちと一緒にゲッセマネに来られます。
その弟子たちとは、「わたしは決してつまずきません」「あなたのことを知らないなどと決して申しません」と豪語した、ペトロをはじめ弟子たちすべてのことです。
イエスさまはこの弟子たちが皆、ご自分を置き去りにして逃げることを重々ご承知のうえで一緒に行かれたのです。

さらにイエスさまは、弟子のペトロ及びゼベダイの子ヤコブとヨハネの3人の弟子たちを伴い祈り場へと向かわれました。その時イエスさまは悲しみもだえ始められ、この3人の弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われて、一人祈るために少し進んで行って、うつ伏せになって祈られました。イエスさまは神のひとり子としての権能をお持ちのお方であられます。それが弟子たちの前で悲しみもだえ「死ぬばかりに悲しい」と口になさるのです。

祈祷会の時に、ある方が以前、大変大きな問題を抱えておられた教会のある牧師さんが、数名だけの祈りの場で「わたしは死にそう」とご自分の弱さを吐露された時、「その牧師に対してがっかりした」という経験をお話されました。「牧師は教会で祈りなさい。信仰、信仰と言っているのに、自分に災難が降りかかるとこんな事を言うなんて」と思ったそうです。けれど、その後この方が今日の箇所のところを読まれて、イエスさまでさえも「わたしは死ぬばかりに悲しい」とおっしゃられたということを知った時、牧師であっても一人の人間として苦悩し、一緒に祈ってほしいと願うのは当たり前だなぁと考え直したそうです。

イエスさまはこの聖書に記されたとおり、人の弱さを身におびた方でした。けれどそれはヘブライ人への手紙4章15節(口語訳)に「この大祭司(イエスさま)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについてわたしたちと同じように試練に遭われたのである」と記されていますが。そのとおりイエスさまはご自身のその苦しみによって私たちの抱えている弱さや苦悩をも知っておられるお方なのです。ここに私たちの救いと平安がございます。
一方、「自分たちは決してつまずきません」と豪語した3人の弟子たちは、イエスさまが戻ってくると「眠っていた」とございます。さらにイエスさまが2度祈りに行かれて戻ってくると、その2度とも眠っていた。つまり弟子たちはイエスさまが3度祈っている間終始ずっと、「眠っていた」ということですね。確かに霊は燃えていても肉体は弱いのです。人の決意や表明は何ともろく、弱いものなんでしょうか。

このゲッセマネの祈りは、マルコ福音書にも同様に記されているのでありますが。そのマルコ福音書では、イエスさまは弟子たちに単に「目を覚ましていなさい」とおっしゃっているのです。ところがこのマタイ福音書では「わたしと共に目をさましていなさい」と、「共に」ということが強調されているのですね。

イエスさまが「わたしと共に」とおっしゃっているのは、まさに十字架の苦難と死を前に「人としての弱さを身にまとい、もだえ悲しみ祈る。そのわたしと共に」ということです。弟子たちは、自分の頑張りや使命感によってイエスさまに従うことができると思い込んでいました。しかし、そういった熱意だけでは人は燃え尽き、つまずき、神の前に目を覚ましていることができなくなってしまうのです。
そうならないために出来ることは唯一つ。弱さや欠けももろともに、すべてを知っておられる主イエスと共にある、ことです。

私たち人間の抱える弱さやもろさ。イエスさまはそれらを自らゲッセマネの祈りにおいて、その身に担われたのです。共に負われたのです。
そうして十字架の苦難と歩んでいかれました。その弱さの先に私たちの救いの道が開かれているのです。そのイエスさまと共に生きる、共に目を覚まし祈り続ける。その主イエスと共に神の御心に生きる私たちでありたいと切に願います。今日もここからそれぞれの祈りの馳せ場へと遣わされてまいりましょう。祈ります。

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神さまからのプレゼント

2017-03-26 16:44:12 | メッセージ
あかしのメッセージ ヨハネ15:16 Ⅰヨハネ4:9~10 

今日はいつもの聖書教育の箇所からではなく、私のあかしを礼拝のメッセージとさせて頂きます。

◆教会に行くはめになったことからの始まり。
私が初めて教会に行くことになったのは小学校4年生の時でした。
その頃近所の同年代の仲間たちとよく家の近くにあった西南女学院中学の空き地で草野球をしていました。
その仲間の一人に学校では秀才と言われていた男がいまして、彼と草野球の対戦をしたとき、ひょんなことからあるかけをしたのです。
彼は、「俺のチームが勝てば俺のいうことを聞いてほしい。ただしお前のチームが勝てば、何でもいうことを聞く」と言ってきたのです。
どういう意味かは深く考えず、よしゃ受けてやろうということになりましたが、試合の結果は私のチームが負けてしまい、結局彼のいうことを飲むはめになったのです。
その言う事というのが、「次の日曜日に教会に来いよ」というものだったので、ちょっと面くらったのですが。ともかくその日曜日から、朝9時から始まるシオン山教会の教会学校に行くようになった、というのがそもそもの始まりだったのです。
まあ、教会学校での礼拝や分級は正直よく分からなかったのですが、何がよかったのか不思議と通い続けました。何が楽しかったんだろうか。教会学校の行事で遠足に行って遊んだり、花の日に消防署を訪問して消防自動車が間近に見れたことが嬉しかったのか、教会学校の分級後にクラスの仲間たちと騒ぎまくれたのがよかったのか、ともかくそんなことが小学4、5、6年生と続きました。

◇少年会の恩師との出会い。
教会とのつながりがさらに密になったのは、中学生になってからのことでした。
中学になるや、「毎週土曜日の夕方から少年会という集まりがあるから、おいでよ」と、教会の中学、高校、さらに大学生のお兄さんたちが誘ってくれて、例の友人と参加するようになったのです。この当時は少年会と少女会が別個にあって、それぞれ活動をしていたのです。   
少年会のメンバーはだいたいコンスタントに5、6人くらいが集まりました。
夕方になってから教会に行くと、玄関の内側から、中学や高校のお兄さんたちのワイワイガヤガヤと時に奇声も聞こえてきます。何事かと入ってみるとピンポンがエキサイティグに繰り広げられていました。当時は巷でもピンポンがはやっていてピンポン台がある教会も多かったようです。
白熱した時間を過ごした後、少年会の部屋に案内されて、今度は何が始まるんだろうと緊張していると、何やら30歳くらいの青年のような少年会の顧問の方が、「讃美歌453番を歌いましょう」と言い出して、皆が一斉に「聞けや愛の言葉を・・・」と歌い出すのです。
祈りに続いて、聖書の輪読が行われた後、そこからのお話がその顧問よりなされます。
そのやや緊張した約40分間が終わると、またフリータイムの始まり。トランプ、人生ゲームやモノポリーというゲーム、再び卓球をする者など様々でした。
だいたい午後9時頃に終わり、家に帰り、また翌日日曜日の礼拝に行くと言うのが以来私の土、日の生活パターンになっていったのです。
 少年会では今思えばゾッとするような事もしでかしたものです。教会の横に学生寮が建っていたのですが、そこへ向けてロケット花火を飛ばして遊んだのもその一つでした。
土曜の少年会の翌日はよく婦人会の方から、少年会の部屋がいつもきたない、と怒られたものでしたが。そこで決まってしりぬぐい役となったのは少年会の例の顧問でした。日曜日教会で、妙に落ち込んでいる顧問の様子を見ても、何ら意に解せず騒ぎまくっていた私たち少年会でしたが。しかし、ある時すごい剣幕でこの顧問の方が、「ボクはこの少年会のある土曜日の時間を何とか確保し、ここに自分をかけて来ているんぞ」と、本気で自分たちを叱りつけたことがありました。
当時この方は中高の教員であり、教師としてとても忙しい日々の中で何とか自分とご家族の貴重な時間を少年会のために割いて来てくださっていたのです。今思えば、単に楽しいだけでなく、少年会のみんなで讃美し、祈り、聖書を開いて読み、お話を聞く機会を作って頂いたこのような顧問の方との出会いがあったから、自分は教会につながることができたんだと、そう思うのですね。

◆さて、その少年少女時代私は神さまからすばらしいプレゼントを頂きました。
その一つはバプテスマです。
中学生になってからの教会の活動でもう一つ大きなものをあげるとしたら、北九州地方連合、略して北九連の少年少女会でした。当時北九連の少年少女会では1年に春修、夏のワークキャンプ、クリスマス会並びに刑務所慰問という3つのイベントがあり、他に例会が数回持たれていました。春修はその中でも一大イベントでした。特に印象的だったのは、夜のゴールデンタイムに、りらっかし会なるプログラムがあり、文字通りリラックスして互いのあかしを聞き合うというものでした。それはよく少年少女が抱えている学校、恋愛、身近な問題や社会の問題についてであったり、又障害者の抱えている問題、自殺の問題、戦争や飢餓の問題を取り上げ、真剣に考え、意見を出し合う時そのような場でした。みな若いですから、時にはあまりに議論が白熱し、涙を浮かべながら意見を戦わせるような場面、緊張した空気が張り詰めてシーンと静まりかえるような場面などもありましたが、いい思い出です。
こういった北九連の少年少女会の活動を通して、私は神さまと出会いクリスチャンとなるきっかけをもらいました。そして中3の時に参加した伊豆の天城山荘で開かれた全国少年少女大会で、イエスさまを救い主として信じる決心を表し、高1のイースターに信仰告白して、バプテスマを受けたのです。
そこまでに至る道のりは、教会とその暖かく寛容な交わりに支えられ、背後で私はずっと祈りに覚えられていたということをその時初めて知りました。そしてやはり連合の少年少女会での出会いや交流によって支えられ、励まされてきたのも大きかったですね。このようにして主イエスはいつも私を招き育み導いてくださったのですね。今こうして高校1年の春のイースターから今年のイースターでもう38年という随分な年月を迎えようとしていますが、このバプテスマは少年少女時代に与えられた私の人生において最も大きな神さまからのプレゼントです。
神さまの前で不完全で決して純粋とはいえない者であったにも拘わらず、それを神さまはダメだと否定なさることはありませんでした。その時のあるがままの私をまるごと受けとってバプテスマへと導いて、新しくされた者として生きる祝福を与えて下さったのです。多分この高校1年のイースターの時を逃していたら、バプテスマを受けていたかどうか?その後、教会につながっていたかどうか分かりません。
 ここには既にバプテスマを受けた方も多くおられるでしょう。その方にお尋ねしますが。あなたはどのような信仰告白をされましたか?思い出せる方もおられるかも知れませんが、「ずっと前だから思い出せん」「もう忘れた」という方。又「親や牧師に勧められて受けた」という方もおられるかも知れませんね。中にはあの時の信仰はあいまいで動機も不純だったので、もう一度バプテスマを受け直したいと思っている方もおられるかも知れませんが。そうではないんです。どんあ形で始まったにせよ、イエスさまとつながっている今がある。そのイエスさまが今も共におられる。又それは、どんなに大変な出来事や辛く悲しい出来事があろうとも、そのイエスさまのもとにいつでも帰るところがあるということですね。それが大切なんですね。
実は私はバプテスマを受けた後、高校生時代にいじめに遭いめちゃ悩み苦しみました。
社会人になってからも、上司とうまが合わず日々顔を合わすのがしんどかったり、企業のやり方にもやるせなさを感じたり、挫折も経験しました。
けれども、そんな時にも、イエスさまの十字架と復活の救いを信じて、知識においては足りない者でありましたが、そのあるがままの信仰でバプテスマを受けたことが、前に進んでいく原動力になっていったんですね。苦しく辛い時にも、イエスさまとつながっているということが私を支え力づけてくれました。そのように、自分のあゆみの原点、出発点がこのバプテスマにあるという経験を何度もいたしました。バプテスマを受けるということは、そういう祝福であると思います。

2つ目のプレゼントは3人の友です。
少年少女時代に与えられたもう一つの大きな神さまからの贈物といえば、やはり教会を通して与えられた友です。小学生から中学生、青年になり就職し、さらに神学校に行き、それから牧師になってから今に至っても、教会、そして連合の少年少女時代に出会った私の場合3人の友との永い付き合いがずっと続いています。

1人目の友は、最初にお話しました、私が教会に行く羽目になった原因の奴です。彼は小学生の時から伝道熱心でした。教会の牧師先生に伝道新聞を作りたいから教会案内を書いてくださいと直談判し、自作のマンガを入れてガリ版に刷り込んだ100枚の教会新聞を教会の周辺に配りたいから、一緒にやろうと強引に誘われ道連れにされたことがありました。彼は普通の住宅以外に神社やお寺にも押しかけては、「教会に来て下さい」と教会新聞を宮司さんや住職さんにひたすら手渡していくのです、そして何と大きな創価学会の会館にまで押しかけていったのですが、さすがにここは取り合ってくれませんでしたが。
まあ教会では、彼こそ将来牧師になるに違いない、と言われていたものです。その彼は、日本で一番の難関を突破し、その大学を出たのですが。何と国際飢餓対策機構の仕事がしたいということでエチオピアでの飢餓対策の働きを数年しました。その後、外務省の関係の仕事をイギリスでし、今は東京で大学の教員をしています。

2人目の友は、同じ日にバプテスマを受けたやつです。教会は互いに違っていたのですが。臆病だった私は彼に同じ日にバプテスマを受けようと約束を取り付けたんですね。
彼は1つ年上なのですが、私が小5で彼が小6の時に山口県の秋吉台の国民宿舎で行われた北九州連合の夏期学校で初めて出会ったのです。
その時からホンマに仲良くなり、いろんな話ができる友だちになれました。後で分かったのですが、私の家と彼の家とはほんの車で5分弱で行ける距離だったのです。
彼と中高時代意気投合したのは、やはり信仰問答でした。彼も結構熱かったのですが、それ以上に彼の人柄というか、それは優しく暖かい男であったのです。そんな彼とは北九連の役員やリ―ダーを一緒にさせてもらったり、青年になってからも青年会でクリスマスコンサートなどを喫茶店で打ち上げたりしていましたが。その大学当時、彼が自分で訳して作った「あしあと」という歌はよく唄われていますよね。ほんとうに一緒にいろんなことをしました。そんな彼もやはり神さまが離さなかったのか、今は牧師になって大活躍されています。皆さんもよくご存じの牧師さんです。
お互いに牧師になってよかったことが一つあるんですが。それは、もし何かあって天に召された場合、「葬儀の司式はよろしく」と互いに約束ができた事です。これは一つ安心ですね。

3人目の友は、北九連の春修で初めて出会った男です。当時少年少女会の修養会でもピンポンがはやっていまして、熱中していた白熱していた時に、「一緒にやらせろ」と声をかけてきたのが始まりです。彼は牧師の家庭に育つ3男坊でしたが。作詩作曲をしてはギターを自由に操る賜物がありました。春修では私も好きなフォーク系のシンガーソングライターの曲をコピーして弾き語りをするものですから、話が盛り上がり遂に2人で当時は好きだった曲目の「案山子」という名をかりて素人バンドを結成してしまいました。下手なりにもいろんなコンテストやフェスティバルに応募してチャレンジしては予選敗退ばかりでした。どうも私が彼の足を引っ張っていたようですが。
彼のオリジナルのゴスペルソングも春修でよく歌ったものです。恋愛曲とゴスペル曲のオリジナルを合わせると100曲以上あったようです。今でも讃美歌を作っていると思います。連盟の新生讃美歌の中にも彼のオリジナルが何曲か載っています。彼は牧師になるつもりはないと断言していましたたが、「愛のポストマン」という歌を作ったこともあってか、今も福岡で郵便局長さんをしています。
この3人の友を少年少女時代に与えられた事は、私にとってほんとうに大きな財産になっております。今でも、どこにいようが、何をしてようが、変わることのない友、神さまからの贈物なのです。

◇次にお話しますことは「神と私との関係」についてです。
先にも少しお話ししましたが、私は高校を卒業して、家庭が経済的にも厳しかったもんで紙業会社に就職して現場で働きました。主な仕事内容は種々の産業用パッケージ袋を、ドイツ製ボトマーという機械を通して、一日に数万枚も出荷していました。連日機械と向き合い格闘しながら1日が終わるのです。オーダーの出荷が機械のトラブルで遅れて間に合わない時は残業が続き、午前さんになる日もありました。
それくらいはよかったのですが、日曜出勤も時にはあり、それがほんとうに辛かったで
す。というのは、学生時代は日曜日はまったく考えなくとも、この日は教会に行く日、
礼拝の日というのが当然のようになっていたわけですので。社会人になるとそれが当た
り前にはできなくなったというのが苦しかったですね。しかし、そういう信仰の闘いが
起こることになってから、神さまと自分との関係、信仰を見つめ直すようになっていっ
たのですね。それで教会の日曜礼拝の他にも水曜祈祷会に極力出るようにしました。
仕事帰りの肉体的には疲労していても、この水曜祈祷会に出て、共に御言葉を聞き、讃美し祈り合うことで、ほんとうに心が元気にされましたね。次の日曜日が出勤で礼拝に出れなくなったとしても、水曜祈祷会で信仰の給油をしていたら、また次の水曜日までの1週間あゆんでいく力を蓄えることができたんです。
信仰の油を切らさないようにする。神と私との関係をしっかり築いていくことの大切さを、社会人になってからほんと知らされましたね。
少年少女の学生時代は教会の友や仲間がいたこともあって楽しく、又、自然に教会や礼拝にゆくことができていた。まあそれを妨げるような信仰の戦いや葛藤がなかった。それは確かに良かったともいえます。しかし、どうなんだろう、その後順調にいって、信仰の戦いや葛藤もないまま、ただみんなが教会に行っているから自分も行っている、というような薄っぺらな気持だけでいたなら、多分自分は青年時代になれば教会を離れていたのかも知れないと思うのです。ある意味、日曜出勤で礼拝が守れない、残業で祈祷会に出れない、そういう妨げや障害が生じることで、神と自分との関係を再び見つめてみる機会ができたといえると思います。

◆「母の存在」の再発見についてもお話しますが。
話は随分さかのぼりますが。私が小2の時に父の大病と入院が度重なり、経済的なこと様々
な事情で両親は止む無く離婚の道を選びました。母はそれから働きに出るようになり、妹
と二人で日中は過ごすようになりました。幼いながらも動揺があった私は、近所の悪そグル
ープに誘われ、彼らのいうままにお菓子やガムを集団で盗む犯行に加わったりしました。し
まいは店のおじさんに見つかり、こっぴどく叱られましたけども。この頃の自分の心は幼い
ながらにすさんでいました。これも不思議ですが、最初にお話したようにそんな時、友人と
草野球でかけをして、負けてしまい教会に行くはめになった。神さまに拾われたんです。そ
うなんです、この思ってもみないようなタイミングというか出会いがなかったら、どうなっ
ていたんやろうか、とホンマに思うのです。
その頃母に「ボク教会に行くからね」と言うと、母は「反対はしないが、信者にはなりなさんなよ。あれは自分を犠牲にしなければならないからね。そこまでなることはないよ」と、そう答えが返ってきました。今から思えば、一理あるなと思いますが。まあその頃自分も信者になるつもりなどなかったのです。けれども、中学になってからの少年会の恩師との出会い、連合の少年少女会や3人の友との出会い、さらにいつも暖かく受けとめ、祈り支えてくださっていた教会のいろんな人たちを通して、「神さまが生きておられる」ってことを私に気づかせてくださったのですね。
中3の時に母にバプテスマを受けたいと、ストレートに伝えると、初めは反対されまし
たが。あきらめず粘り強く、少し恥ずかしくて勇気がいったんですが、手紙を書いて手渡
すと、母が「としやが選んだ道なんだから、そうしなさい」といってバプテスマを受ける
ことを許してくれたのです。思いをきちんと伝えられ、それが伝わったこと、ほんとうにう
れしかったですね。

そうしてクリスチャンになり先ほどお話ししたように、自分と神との関係について見つめ
直す時期があり、20歳過ぎた頃でしたが。私はもっと聖書を学びたいという思いに導かれ
ました。
それで、大学でも短大でもいいからとにかく神学が学べるところはないものかと。とはいっ
ても自分は高校卒業以来勉強といえる勉強もせず学力もない、どうしたらよいものか相当
悩みました。それで、あらゆる大学の入試情報が載ったリクルート誌をしらみつぶしに探し
ていくと、大阪にキリスト教の短期があり、そこに神学科もあるというのを見つけたのです
試験科目は、聖書、英語、小論文、面接の他に、もう1つ「讃美歌」というものに目にとま
ったんです。年齢は神学科の場合問わないということでした。「これや」という思いが起こ
り、そこを受験することに決め、勤めていた会社に退職届を提出し受理されました。が、
入学するためには2つの関所を越えないといけません。1つはむろん入試ですが。1番の難
関は母です。どう自分の思いを伝えるか。バプテスマを受ける時もそうでしたが。その時な
何とか理解してくれましたが。今度は、仕事を辞め家を離れて出て行くことになりますから
相当悩みました。でも自分の思いはきちんと伝えようという決意をもって母にそのことを
打ち明けました。最初の反応は、当然ですが母に泣かれ、叱りとばされました。しかし、そ
れでも最後は、「俊也、お前の道だから」と、いってくれました。確かに、こんな親不幸者
がいるかと思います。母親の腕一本で育て、高校まで出してもらったの
に、家を出て行くというわが子の親不幸。
 そして21歳の春、大阪にあるキリスト教短大神学科に晴れて入学しました。ちなみに
その入試のできは、学びたい思いを率直に伝えたことと、讃美歌テストで、その時歌った「主
よみ手もて」という讃美歌がおもいきり讃美できたので、どうも拾ってもらえたようです。神学科には2年在籍しましたが、このキリ短の神学科のすごいところは、あくまでも当時
ですが神学科生の授業料はすべてキリスト教短大の母体でありますフリーメソジスト教団
の奨学金によって私の授業料は全額免除されたのです。あとは生活費を育英会の奨学金や
アルバイトで何とか補うことができました。

大阪での2年間は天王寺にあるこの大阪教会に在籍し、お世話になりました。
親から離れ1人でバイトし、生計を立てていく苦労を痛感しながら、母のこれまでの愛と支えの尊さを実感しました。
旧約聖書で「母」という言葉は元来「土地」のことを指していました。「母なる大地」という言葉を聞いたりもしますが、そこから来ています。出エジプトをしたイスラエルの民の目的地として「カナンの地」が与えられていくのですが、エイリッヒ・フロムという社会心理学者は、この土地は「乳と蜜の流れる母なる大地」とあることから、そこには母親の2つの愛が象徴的に示されているというのですね。1つは、母親が乳飲み子にお乳を与えるという面です。1人の命が世に誕生した時に、赤ん坊が1番最初にオギャーオギャーと泣き叫びます。それは母親に愛情とお乳を一心に求める声です。その切なる求めに応えることができるのが母親であります。自らのお腹を痛め、身体の一部から産まれ出たという本能から愛情を注ぎ、お乳を与えることができるのです。けれどもこのフロムという人は、母にはお乳を与えるだけでなく、さらに蜜を与える面があるというのですね。そこにいわば本来の母の証があるというのです。どういうことでしょう?
私のことでいうなら、自分の腹を痛め、乳を与え、誠心誠意尽くし愛情込めて育ててきたわが子を手元から手放していくその決断は、本能的な母性からくる辛さや寂しさを越えて、ひとり立ちしていこうとする私に与えてくれた愛情と信頼こそが、蜜を与えるという豊かな言葉で言い表されている、と思うのです。

Ⅰヨハネの手紙4章10節で、ヨハネは「神の愛」についてこう語ります。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛した」。ここに神の愛があると。ヨハネ福音書15章16節にも「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と神さまの先立つ選びについて記されています。

私の思いすべてに先立つ神さまの愛。それは私にとっての母の存在と教会や連合の主にある方々、兄弟姉妹とのつながりの中で知らされ、拡がり、深められていきました。
「わたしが神を愛したのではなく、様々な主にある出会いを通して、神さまがわたしを愛してくださっている」ということを、それらの体験を通して本当に知る事ができたのです。
みなさんお一人おひとり神さまとの出会いの時、救いの日、信仰のあゆみがおありでしょう。その中で教会の主にある交わりは、つながっていくほどに、主は神の愛の広さ、深さを豊かに与らせて下さいます。どんな時も主と主の教会につながっていく祝福。今日の私のあかしはこのことをまずお伝えたかったのです。
その主、神さまは今も生きて、信じる者と共におられます。祈ります。
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2017-03-19 14:51:35 | メッセージ
宣教  マタイ25章1-13節 

この「十人のおとめ」のたとえ話は、通常、主イエスの来臨、又終末に如何に備えるかという事を示していると言われています。そしてそれは、花婿である主イエスが再びこの地上にお出でになるその時に、花嫁なる教会に呼び集められた私たちひとり一人が主イエスを如何にして迎えるか、という問いかけでもございます。
今日は「用意していますか?」という題で、この主イエスのたとえ話からメッセージを受け取っていきたいと思います。

さて、ここに「花婿が来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」とあります。この「花婿の来るのが遅れた」というのは、主イエスの到来、終末がいつ来るのか。私たちにはそれがいったいいつになるのか分からない、ということを示しています。カルト教団の中には「何年何月何日に主の再臨がある」とお告げがあったから、すべてを教団にささげなさいとか、教祖という指導者の言うとおりにしないと滅びるとか脅して、信じ込んでしまった当人や家族に悲劇をもたらした、というようなことが実際世界各地に起っております。けれど主イエスさえ「その日その時がいつくるかわからない。唯父なる神だけがそれをご存じなのだ」とおっしゃっていますね。ましてや私たちにその日その時が分かるはずありません。唯はっきりしているのは「必ずその時は来る」という御言葉の宣言と約束であります。

花嫁なる教会は、その御声に聞き呼び集められたキリスト者の群れであり、やがて来られる主の日に備えて、ともし火をかかげ続ける一人ひとりによって聖霊のお働きのもと形づくられているのです。

そうした上で、今日のところは花嫁なる教会にあって主を迎えるものみなが、眠気がさして眠り込んでしまったというんですね。私たち人間はいつも緊張感をもって過ごすというのは大変難しく、困難なことでしょう。

主イエスが受難の十字架を前にして最後の祈りを捧げるべく、ゲッセマネの園に弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われて行かれたとき、イエスさまはその弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われて、少し離れたところにおられたのですが。彼らのところに戻って来ると、彼らは眠っていたのです。そこでイエスさまはペトロに「わずか一時でもわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い(マタイ26:35以降)」と、おっしゃいました。
「心は燃えても、肉体は弱い」。弟子たちはイエスさまのただならぬご様相やこれから何が起ろうとしているのかという不安もあったのかも知れません。ルカ福音書には「彼らは悲しみのあまり寝てしまった」と書かれています。人間、体が疲れると眠くなるものですが、気疲れや悩み悲しみがつのる時も眠くなるんですね。「目を覚ましていなさい」。そう聖書を通して再三語られ頭では分かっていても体は正直です。そういう限界をもっている、それが私たち人間であります。

今日のたとえには、花婿をちゃんとお迎えすることができた賢いおとめたちと、お迎えすることができなかったおとめたちが出てまいりますが。興味深いのは、そのどちら側のおとめたちも、思ったより花婿の到着が遅いので、「みな居眠りをしてしまった」ということです。賢いと言われたおとめたちも緊張感や頑張りだけでは身がもたなくなって遂には眠り込んでしまったというのは、どこかほっといたしますけれども。
まあそうしてみな寝入ってしまったわけです。
ところが、花婿が突然真夜中、遂にやって来た。とうとうその日その時が現実のものとなった。その時に、「賢いおとめは皆起きて、それぞれのともし火を整え」、花婿を出迎えて一緒に婚宴の席に入り、祝宴にあずかります。
しかし、一方、慌てふためき右往左往してしまった愚かなおとめたちは、なんとも残念なことに、その喜びの祝宴にあずかることができないのです。

この違いは何でしょうか? 
その違いは唯一つ、ともし火を灯し続けるための「油」を十分に壺に入れて持っていたおとめたちは賢かった。遅れて花婿が来ても対応できるようにと備えを怠らなかった。一方のおとめたちは、十分に油を常備してなかった。すべての条件は同じで用意しようとすればできたのに、それをしなかったことにおいて、彼女らは愚かでであった、とイエスさまはおっしゃるのです。そこに両者のおとめたちの決定的な違いがあったのです。
絶やさずにともし火を灯し続け、いざという時にそれをかかげ周りを照らしたり、ほんとうの花婿の主イエスであるかを確認するためには、欠かすことのできない油を常に切らすことがないようにすることが必要なのですね。

では、この油とは何でしょうか? いろんなことが言われていますけれども。
それは聖霊の油とか、あるいは信仰の油だとか。いろんな解釈があるでしょう。
みなさんは何だと思われますか?イエスさまはその答えとなることは何もおっしゃっていません。しかし、ここに一つだけそのヒントとなることが語られています。
それは、この油がその人それぞれのものであり、それは人に分けてあげたりすることはできないものだということです。
8節のところで「愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです』と言うと、賢いおとめたちは『分けてあげるほどありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい』と答えた」とあります。ここを読みますと、賢い5人のおとめたちの答えは一見冷淡にさえ思えます。「クリスチャンであるならちょっと分けてあげたらいいのに、それが隣人愛じゃないか」という考え方もあるでしょう。
しかしここで語られていることは人の情や親切といった道徳ではなく、神との一対一の確かな関係性なのです。この油は、他の人には代用できない神との関係性のなかで保たれる油です。神と私という一対一の関係によって与えられる油ですから、ほかの人に分けてあげることはできません。分けようがないんです。
10人のおとめはみな同じように灯をもっていました。しかも同じ場所で、同じ時間にそこにいたのです。ただ、ともし火をともす油を絶やさなかったか、気づいた時には手遅れとなるほど油が欠乏していたか、この違いが決定的なものとなったのです。それは外から見ただけは分かりません。本人さえ分からないのかも知れません。遂に花婿が来たという声を聞き、「あっ、これでは油が足りない」と気づくまで。

さて、このたとえ話の中で、花婿が遅れて到着した。しかしそれは真夜中であったというのは考えさせられます。10人のおとめたちにとっては、今か今かという期待がやがて、もうおいで下さってもいいのではという焦りに変わり、夜の冷え込みとともに闇が深まっていく中で不安や疲れ増して、ついには寝入ってしまうのです。

ここで覚えたいのは、主を待ち望む教会も私たち信徒ひとり一人も、その時代その「時代に起って来るさまざまな苦難や闇とも思える状況、又困難な問題に直面し、揺さぶられ、試みられるということです。しかし、そういうような状況の中にあっても、なお賢いおとめたちは活きた信仰という壺に油を絶やさなかった。一方、ともし火は持っていたものの、壺に油を常備していなかったおとめたちは愚かな結末となってしまったということであります。

それにしても、油が足りないことに気づいたおとめたちは、分けてもらうわけにもいかず随分焦りながら、一応油を買いに行くのですが。戻ったときにはもう花婿が到着していて戸が閉められており、「ご主人様開けて下さい」と言ったけども、「わたしはおまえたちのことを知らない」と言われた。これはあまりに衝撃的で悲しい結末のようにも思えます。でも、これはあくまでも、主の日の約束に備えてのたとえ話であるということですから。そこで私たちはこのたとえから今を如何に生きるかということを具体的に読み取って活かしていきたいものです。

私は今回、この10人のおとめのたとえ話から、ともし火をともす「油」の備えというのは、今年度の大阪教会にとっては「祈り」であると思いました。年間標語に掲げています「祈りの教会」の私たちひとり一人の祈りだと、そう思ったのです。

私たちもまたしんどい時には眠気をおぼえるような弱い時もあるかも知れませんけれども。日々祈り続けることは出来るのではないでしょうか。主イエスの御もとに座してその救いと神への感謝の祈りを捧げる目覚めの時。主の愛を思い起こし、隣人のため執り成し祈る夕べの時。神の国と神の議を求めて祈る。それらの祈りは神との活きた対話の時であり、今日主が語っておられる「ともし火を灯し続けるための油の備えときっとなっていきます。
 先週の祈祷会でも、教会に来ることの出来ない方のところへご訪問くださっている方が、「信仰は個人的なもの(神さまとの一対一の関係)であって、人が代わりようのないものだけれど、教会はその私たちひとり一人の信仰のサポーターだと思います」とおっしゃったのですが。ほんとうにそうですね。祈られていること、又主にある兄弟姉妹としての関わりはどんなにか大きな支えであり励ましであるでしょう。
又、その日の夕方の祈祷会である方が、「自分はいろんな宗教といわれる施設にも行きましたが、キリスト教会とそこに集まっている人は、いわゆる家内安全というような祈り、自分のための祈りだけでなく、人のために祈るんですね」と、言われていましたが。その背後には聖書の救い主イエス・キリストの愛と祈りが今も活き活きと生き、信じる私たちのうちに働いておられるんですよね。
互いにおぼえ合い、祈り合っていくことで、油を携えていたおとめたちと同様、ここに集うだれもが花婿なる主イエスを迎えるためのともし火を、絶えずかかげ続けることができれば何と幸いなことでしょう。

「日々ともし火を灯す油の用意をする」ということで、最後に、以前にもいたしましたお話をして宣教を閉じます。
私どもの教会で3日のうちに2名の方が天に召され葬儀が続いたことがありました。
お一人は90歳の男性で求道者でしたが、病のため昏睡状態になりながらも不思議に意識を戻され、その与えられたチャンスの中で、主イエスを信じる信仰告白をされ病床受洗なさり、その後10日間ご自宅でご家族と過ごされて天に召されました。
その二人目の方は、まだ当時52歳でしたが。いくつかの病気を抱えておられ独り暮しでした。彼は悩みと病のために死ぬばかりでありましたが、教会を訪ねて来られ、主イエスの福音に触れ、バプテスマに与り、教会の奉仕とクリスチャンとの出会いや関わりを恵みとしておられました。随分と病も重くとうとう独り静かに息を引き取られたのです。その知らせを聞いたのが、先に天に召された方の葬儀が終わり火葬場から帰宅したばかりの時で、私は大変ショックを受け、頭の中が真っ白になりました。しかしこの方を通して神さまは幾つかの奇跡ともいえる出来事を見せてくださったのです。
一つは、訪問ヘルパーさんが彼のことを私に知らせに来てくれたことです。もし、それがなければ全く連絡がとれないまま一体彼の身に何が起こったか、もはや知るよしもなかったでしょう。話を聞いて分かったのは、実はこの訪問ヘルパーさんが、生前彼から「自分はクリスチャンで大阪教会に通っている」ということを常に聞かされていたそうなのです。彼は日頃から証しすることで、信じて救われたキリストの教会で兄弟姉妹に見送られ祈りとさんびの中、天国に帰ることが出来ました。
二つ目は、彼が天に召される数日前の水曜祈祷会に、2年近く大阪教会に来られていなかったある姉妹が突然いらっしゃったそのことです。姉妹はその兄弟と仲が良く、時々家族ぐるみでお食事をしたり交流があったのですが。その兄弟からいつも大阪教会に来るようにいわれていたようです。けれどそれがなかなか出来なかったんですね。ところが、その日の水曜日に何か不思議と教会に行こうという思いが起こったそうです。そしてそれが姉妹にとっては彼との最後の貴重な時間となりました。その祈祷会後バザーの残ったお弁当が丁度人数分あったのでみんなで頂き、それが彼との最後の晩餐となったのです。姉妹は、これはきっと神さまがお働きになってひきあわせてくださった事と、私にそう話されました。。姉妹はその故人の遺志を受け継ぐように教会の礼拝に再び出席されるようになりました。
三つ目は、彼のお母さんと連絡が不思議にもついて私と連れ合いがお母さんの家を訪問した時のことです。お母さんは重い病気を抱えていて、お友達がいつもお世話をしておられたのですが。「お話はありがたいですけど、福祉の方にお葬儀は全部お願いしていますので、お断りします」といわれたのです。福祉の葬儀は仏式で行うということです。意志は固く3度も「せっかくですがお断りします」といわれました。実は私たちが来る前に既にお二人で申し合わせて堅く決めておられたそうなのですが。それでも彼のことを思うとあきらめきれず、「お母さん。息子さんはクリスチャンとなって教会の礼拝や祈祷会に毎週こられ奉仕されていました。そこでいつもお母さんのご病気がいやされるようにと祈っておられました。その信じるところに沿うかたちのキリスト教のお葬儀で送ってあげることを、ご本人もきっと望んでおられるのではないでしょうか」と、そういう言葉が私の口から自然に出たのです。
するとお母さんのお隣にいらしたお友達の方が、お母さんに向かって、「私の思いを言っていいかなあ。私だったら息子が一番願っていることをしてあげたいと思う。お話を聞いて初めて、息子さんが教会によく通い、奉仕をされているその様子が私には分かりました」といわれたのです。そうするとお母さんが、「そうやね、それならぜひ息子のお葬儀をお願いします」とおっしゃったんですね。私たち夫婦は兄弟が亡くなられてから、どうか神さまあなたの御手と導きがありますようにと祈ってたのですが。まさに、その時、私は神の手が動いたと感じました。教会の祈りは主に聞かれていたのです。

私は主に救われた喜びをもって日々証しする者として生きているだろうか。感謝と祈りの日々を生きているだろうか。
今日のたとえ話の「賢いおとめたちが、ともし火をともす『油』の備えを怠らず」主と共によろこびにあふれて婚宴の席に入っていくその姿を思い描きつつ、今週もここから主に遣わされてまいりましょう。
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SOUND CLOSER vol.8 ~陽ののあたるところに温かな音楽を~

2017-03-17 10:46:22 | イベント
2017.4.9(日)

1st:16:00-
  (open15:45-お子様連れ歓迎)

2st:18:00-
  (open17:45-)

ticet:前売り ¥1,800/当日¥2,000

会場:日本バプテスト大阪教会
   各線天王寺駅より徒歩5分(大阪市天王寺区茶臼山町1-17)

  
   出演

ゆかり☆ゴスペル
YOSHI BLESSED
野田常喜(piano)/住吉健太郎(uitar)/酒匂賛行(drum)/MC YUSHI(rap)

info)http://yoshiblessed.com





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ろばの子に乗った主イエス

2017-03-12 15:36:22 | メッセージ
宣教 マタイ21章1~11節 

「主イエスのエルサレム入場」
さて、受難節・レントの第二週を迎えましたが。今日のマタイ21章の箇所からイエスさまは救い主としていよいよここからエルサレムに入城されます。しかしそれは世に言う勝利者のようなエルサレム行進ではなく、十字架:受難へと向かわれるための道なのであります。
今日の箇所は他のマルコ、ルカ、そしてヨハネの福音書にも共通して記されています。それほど聖書は「イエスさまのエルサレム入城」を、神の救いの重要なご計画として示しているということですね。
中でも、9節「主の名によって来られる方に、祝福があるように」という讃美は、全ての福音書に同じ言葉で記されています。それはこのイエスさまこそ、すべてを統めたもう神さまによって「救いのご計画」を成し遂げるために来られた救い主、キリスト(メシヤ)であるということを表しています。その主の名によって来られるお方、イエス・キリストは、今も世界の一人ひとりの魂を救い続けておられ、私のところにもおいでくださり、生きてお働きになられる救い主なのです。まさにアーメンです。

「ろばに乗った柔和な王」
さて、イエスさまはエルサレムに入城されるためにろばを用いられたということであります。王としていかにも勇ましく格好のよい軍馬ではなく、ろばに乗られるのです。
私も幼少の頃、親に到津動物園・遊園地に連れられてろばによく乗せてもらった思い出がありますが。ろばは、通常旅行者がその旅の便宜のために乗ったり、荷を運ぶのに用いられていました。又、労働力として家畜用にも飼われていたのです。ろばは労働や奉仕をするための動物だったのです。一方の馬は、軍事的な戦力、又王の行進のために用いられるなど、権力を象徴するものでした。
イエスさまはエルサレム入城というここ一番の時に、自らを英雄としてアピールしようなどとはなさいません。自らの勇ましさや力を誇示するために馬をお用いになるのではなく、軍事力や権力とは関わりのない、人々の日常の生活ときってもきれないろば、地道に奉仕し、労働するろば、しかもまだ一人前とはいえないような未熟で小さく弱々しい子ろばをお用いになられるのです。

そのことについて、4節以降に「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった」とございます。そしてその預言者ゼカリヤの「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」という言葉から引用されています。ちょっとそこを開いてみましょう。旧約1489頁。ゼカリヤ9章9節「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。」まあ少し違いますが。
いずれにしましても、ここで大事なことは、旧約時代において「娘シオン、娘エルサレム」は、つまり、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマなどの大国の支配のもとで打ちひしがれ、翻弄され、神に見捨てられてしまったかのようなユダヤの人々のために「救いの王である主が来られる」という神のご計画と約束が記されているんですね。その預言が、イエス・キリストによって今や実現されるに至ったということであります。
そのように救世主である王は、「高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って来る」という預言が今まさに目の前に実現されているのです。
人々の熱狂的な歓迎ぶりには、そのような重く暗い時代背景と祈りとがあったのです。「ダビデの子にホサナ」。このホサナは「主よ、救ってください」「主の救いバンザイ」というような意味合いがありますが。まさにイエスさまの到来にユダヤの民はかつてのダビデ王の統治と栄光の時代が取り戻されることを大いに期待していたんですね。
とりわけこの群衆の多くをしめていたのはガリラヤやエリコといった都エルサレム周辺の地からイエスさまを追って来た人たちでした。エルサレムの都の傀儡政権のもとで比較的安定した生活を送る人たちより、貧しく置き去りにされたような郊外の人たちの方が切実さもあって救い主の到来を歓迎したのです。この5節の「柔和なろば」の「柔和」というのは、国語辞典等見ますと「性質や態度がやわらかであること」とありますが。その言葉の原意は詩編37:11の「貧しい人々は地を継ぎ」の「貧しく打ちひしがれているさま」。あるいは又、イエスさまが「貧しい人々は幸いである」とおっしゃった、その貧しさと区別できないほど同じ意味だということですね。

救い主を待ち望むほかない打ちひしがれた貧しいシオンの娘、取るに足りないもののようにされたエルサレムの住民たち。その痛み苦しみ、悲しみ悩みを神は知っておられる。柔和というよりどこか貧弱ともいえるようなそのろばの子に乗って来られたイエスさまのお姿にイ彼らも、そして今も、私たちも神の救い、ご慈愛を見るのであります。

「主がおいり用なのです」
今日の箇所はこれまで何度も読んでいたんですが、今回改めて気づかされたことがありました。それは「主がお入り用なのです」というお言葉についてであります。

これまで私はこのくだりを読むとき、今日はイエスさまのエルサレム入城について聖書から聞いてまいりましたが。私は個人的に、自分をこの2人の弟子に置き換えて、主の御言葉に聞き、お言葉に従っていくことによって主は栄光を顕わされると、そこに焦点をおいて読んでいたのです。まあ牧師という仕事がら、自分はイエスさまの弟子であるから罪や悩みに縛られている人の縄目を解いて主のもとに連れてくるようにと主イエスが言っておられると、そこを気にかけて読んでいたんですね。気負いがあったのです。
けれど、今回この「主がお入り用なのです」と言いなさいという主のお言葉を聞くとき、この引いてこられた「ろばの子」こそ、まさに私、自分なんだと思ったんですね。私はこの子ろばのように、神の前には何も誇れるものが一つもなく、未熟なものであるということにハッとさせられたのです。ろばが「つないであり」というのは、罪につながれ、その縄目に縛られている自分であります。主イエスの救い、「あなたの罪は赦された」という宣言によってしか自由になることのできない私自身であります。そんな私を主は罪の縄目から解き放ち、ご用のために用いてくださる。主は私のような罪深き者、取るに足りない者を、救い、解放の喜びのうちに用いてくださる。そのもったいなさといいますか。アーメン、唯感謝です。主が勇ましく戦いに優れている軍馬ではなく、小さく未熟な子ろばを神の救いのご計画のためにお用いになられる。それは人の業がたたえられるのではなく、だれも誇ることがないように。唯主のみ救いであることが明らかにされるために敢えて、ろばの子のような者をお用いくださるのですね。

私たちは自分の能力や賜物を用いて神さまの栄光を表したいと願います。もちろんそれは良いことに違いありません。けれども、すべてに優って大事なことは、罪や囚われから解き放ってくださる主、それも自ら貧しく小さき者、柔和な者となられる主の、その愛と救いに生かされている証しと感謝です。それを主は、何が出来るかということにも優っていることなんですよね。

レントの只中、この「柔和なろばの子に乗って来られた私たちの救い主イエスさま」に、「ホサナ」と、感謝と喜びを賛美しながら今日もここからそれぞれの生活の場へ遣わされてまいりましょう。

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3・11を忘れない

2017-03-11 09:54:42 | 巻頭言

東日本大震災から6年目を迎えました。
日本政府は「節目を越えた」ということで、3・11東日本大震災のこれまで例年この日に続けてきた政府会見をしないということですが、
未曾有の大地震・大津波・原発事故は終わっていません。日本政府としての説明責任をきちんと果たす必要があります。
未だに12万人以上の方々が避難生活を余儀なくされておられることを忘れてはなりません。
先行きが見えず悲しみ苦しみの中におかれている被災者とそのご家族の方々がたくさんおられます。
「3・11を忘れない」を合言葉に、被災者の方々の心に負っている精神的ケアと回復のため、又財政的支援がなされていくために覚え祈り続けてまいります。

今日は「大阪人権博物館:リバティ大阪」にて「今日の難民問題、日本ができること」と題して、国際連合難民高等弁務官事務所・UNHCR副代表の小尾尚子さんのご講演が行なわれます。
現在特別企画のブースで、世界の各地にも難民として悲しみ苦しみの中におかれている方々の現状とさまざまなかたちで難民支援の活動なさっている団体の働きについて知ることもできます。
日本は今から36年前の1981年に「難民条約」を批准し、難民を受け入れる責務を持った難民受入国となりました。2015年の時点で紛争や迫害によって難民として移動を強いられた方々が世界で6,530万人にものぼるということです。一方、2015年のデータとして日本に難民認定を申請した方が7,000人を初めて超えたそうですが。そのうち難民として認定されたのがたわずか27人で、不認定率が99.62%という現状でここ数年不認定率99%が続いているそうで、日本の難民の方々に対する非情な受け入れの現状について心痛みながら知ることができましたが。その背後には「治安が悪化する」などといった「外国人」に対する誤った理解、偏見があるからだと思わされました。これからの難民と私たちというパネルの言葉にこう記されていました。
「難民の人々は平和な祖国と家族との安全な生活を望んでいる人たちです。あなたがこの問題に関心をもってくれることを必要としています。一人でも多くの市民が日本の難民の受け入れの問題に関心を寄せ、できることから『やってみようと』と思ってほしいのです。」
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