孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ポーランド  “カチンの森”事件を超えて、対ロシア関係改善の兆し

2010-05-23 13:45:46 | 国際情勢

(映画「カティンの森」の処刑シーン “flickr”より By Peio Sanchez
http://www.flickr.com/photos/46251304@N05/4339824853/)

【「正当化できない全体主義による残虐行為」】
アンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」を観ました。
30数年前、パイプ椅子を並べただけの新宿の狭い空間で、同監督の「灰とダイヤモンド」や「地下水道」の暗い映像を観た頃が思い出されるものがありました。

周知のとおり、“カチンの森”事件は、第2次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約4400人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソ連の内務人民委員部によって銃殺された事件です。(「カチン」は現場近くの地名で、事件とは直接関係ないものの、覚えやすい名前であったためナチス・ドイツが名称に利用したとのことです。)
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両方に侵攻されたポーランドは敗北しましたが、ソ連の占領下に置かれたポーランド東部では、武装解除されたポーランド軍人(ソ連軍発表で23万人)や民間人がソ連軍の捕虜になり、強制収容所へ入れられました。その一部が“カチンの森”事件の犠牲者です。

独ソ戦の勃発後の1943年、この地域を占領下に置いた際にこの情報を耳にしたドイツ軍が最初に遺体を発見。ナチス宣伝相ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために調査・発表を行います。
これに対し、ソ連・スターリンは、1941年に侵攻してきたドイツ軍によってなされた犯行であると主張、ポーランド側にも「“カチンの森”事件はドイツの謀略であった」と認めるように迫ります。

ソ連支配下のポーランドでは、ソ連側の虐殺と知りながらも、それを口にすることは許されず、ナチス・ドイツの犯行という嘘を受容することが国民に強要されます。
父親がこの“カチンの森”事件の犠牲者でもあるアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」は、犠牲者の残された家族が、ソ連による嘘の強要を認めず、生命の危険を冒しながら抵抗するさまを軸に展開します。

以来、“カチンの森”事件は、ポーランドとソ連・ロシアを隔てる心の壁となっていましたが、長い時間を経て、1990年、ゴルバチョフはソ連の内務人民委員部がポーランド人を殺害したことを認めました。
そして、2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にスモレンスク郊外の慰霊碑に揃って跪き、事件を「正当化できない全体主義による残虐行為」とソ連の責任を認めました。ただし、ロシア国民に罪をかぶせるのは間違っていると主張し、謝罪はしていません。【以上、ウィキペディアより】

【赤の広場に連合国軍、ポーランド軍】
今月9日に、ロシアの赤の広場で、第二次世界大戦の対ナチス・ドイツ勝利65周年を祝う記念式典が、ポーランド軍部隊も軍事パレードに加わる形で挙行されました。
****ロシア:対独戦勝65周年 ポーランド軍も65年ぶり参加******
ロシアは9日、第二次世界大戦の対ナチス・ドイツ勝利65周年を迎え、全国72都市で記念式典が開かれた。モスクワの「赤の広場」ではロシアや旧ソ連から1万人以上の兵士が参加して軍事パレードが行われ、大戦時に旧ソ連とともにドイツと戦った「連合国」の米英仏軍部隊約300人が初めて参加。ポーランド軍部隊も対独戦勝利直後の45年6月以来65年ぶりに行進に加わった。

式典でメドベージェフ大統領は、「自由のために戦った」当時の旧ソ連や連合国の兵士をたたえ、現代の脅威に立ち向かい、世界の安全保障を確保するための「連帯」の必要性を訴えた。
式典にはドイツのメルケル首相、中国の胡錦濤国家主席ら20カ国以上の首脳が出席。ポーランドからはコモロフスキ大統領代行(下院議長)、ヤルゼルスキ元大統領が出席し、関係改善を強く印象づけた。ただオバマ米大統領とブラウン英首相は内政事情で欠席。サルコジ仏大統領とイタリアのベルルスコーニ首相は出席の意向を表明していたが、ギリシャ財政危機をめぐる欧州内の対応を理由に直前に訪問を取りやめた。
旧ソ連からはバルト3国のラトビア、エストニアら7カ国首脳とキルギス臨時政府のオトゥンバエワ代表が出席。08年に交戦したグルジアのサーカシビリ大統領は招かれず、野党指導者のブルジャナゼ元国会議長らが出席した。ウクライナ、ベラルーシ、モルドバの大統領は式典に先立つ8日に行われた独立国家共同体(CIS)首脳会議に出席後、自国での式典などのため帰国。ウズベキスタンのカリモフ大統領は今回、訪露しなかった。【5月9日 毎日】
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昨年6月6日に行われた、第二次世界大戦中に連合軍がナチス・ドイツ占領下の欧州大陸を解放に導いたノルマンディー上陸作戦の決行日「Dデー」65周年の記念式典について、ロシア政府は、オバマ大統領以外の各国首脳の演説で、ナチス打倒に果たしたソ連の貢献への言及がなかったと抗議を表明していました。
今回は、諸般の事情で(あるいは、それを理由に)欧米首脳の列席はなかったものの、米英仏軍部隊約300人が参加する形になっています。ラトビア、エストニア首脳の参加も意外な感があります。

また、対ナチス・ドイツ勝利65周年記念式典に、ドイツのメルケル首相が出席しているというのも興味深いものがあります。過去のナチスと現在のドイツを峻別する論理的整理によるものでしょうが、日本との違いは大きいようです。ただ、実際のメルケル首相の胸中はどんなものでしょうか。

そうした興味深いこととは別に、ポーランドとの関係で言えば、部隊・首脳の参加という形で、ロシアとの関係改善が印象的です。
秘密にされてきた事件に関するロシア側の資料も、ポーランドへ引き渡されることになりました。

****「カチンの森」ロシア軍資料、ポーランドへ引き渡し*****
ソ連スターリン体制下でポーランド人将校ら2万人以上が集団銃殺された70年前の「カチンの森事件」をめぐり、ロシアのメドベージェフ大統領は8日、ポーランドのコモロフスキ大統領代行に対し、ロシア軍検察の捜査資料67巻を引き渡した上で、引き続き資料の秘密解除を進めていくと言明した。
ソ連政権は「カチン事件はナチスの犯行」と偽り、同事件は長く両国関係の摩擦の象徴だった。メドベージェフ氏は、9日の対独戦勝65周年式典のため訪ロしたコモロフスキ氏と個別に会談、自らの命令で秘密解除を続けると表明。コモロフスキ氏は「カチンの真相解明は両国関係発展の基盤になる」と歓迎した。
ゴルバチョフ政権がソ連秘密警察の犯行と認めた1990年以降、軍検察が捜査を始めたが、被疑者死亡を理由に2004年に終結。捜査資料も国家機密保護を理由に183巻中67巻のみがポーランド側に開示可能とされていた。
今後、捜査資料の公開が進めば、スターリンら指導部の犯罪者特定や被害者の名誉回復につながる。【5月9日 朝日】
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【「事実を尊重して初めて、国と国が信頼しあえる」】
こうした関係改善を加速させた要因のひとつとして、カチンの森事件の式典へ参加予定だったポーランドのカチンスキ大統領夫妻ら96人を乗せた政府専用機が4月10日、ロシア西部で墜落・全員死亡した事故に対するロシア側の対応・配慮が、ポーランド側に概ね好感を持って受け入れられたことがあります。
対ロシア強硬派の先頭にいたカチンスキ大統領が、自らの事故で関係改善を推し進めたというのも、皮肉な結果ではあります。

今後のロシアとの関係について、ポーランド・シコルスキ外相は「(墜落の)3日前には、両国首脳が会談し、カチンの森事件の慰霊碑の前で初めてロシア首相が追悼のスピーチをした。この地域では歴史が重要だ。(歴史の)事実を尊重して初めて、国と国が信頼しあえる」【5月26日号 Newsweek日本版】と語っています。

両国が冷静に歴史的事実に向き合うことを可能ならしめたのは、事件からすでに70年ほどが経過したという“時間の流れ”ではないでしょうか。
当時20歳の若者も、今は90歳。大きな悲しみと憎しみの感情を乗り越えていくには、やはり時間が必要でしょう。

【「スターリン復活」に見る危うさも】
一方、ロシア国内では、スターリン再評価の動きと、これに反対するロシア首脳の発言があります。
****スターリン礼賛…露大統領府が阻止へ圧力*****
第2次大戦の独ソ戦戦勝65周年を祝う9日の式典に合わせて、ロシア各地で旧ソ連の独裁者スターリンのポスターなどを公共の場に掲示する動きが相次いでいる。
ロシア第2の都市サンクトペテルブルクでは5日、巨大なスターリンの顔が車体にペイントされた路線バスが登場した。モスクワ市も2月、幹線道路沿いなどにスターリンのポスター10枚を展示する計画を発表。極東ウラジオストクではポスター掲示が始まった。

こうした動きに、露大統領府は反対する姿勢を明確にしている。大統領直属の戦勝記念式典実行委員会はモスクワ市の計画に待ったをかけた。同市は4月末、「クレムリンの圧力により」(ベドモスチ紙)計画の撤回に追い込まれた。
ロシアでは、原油価格の高騰で経済が好調だった2008年末ごろまで、国営テレビで「スターリン礼賛」が横行するなど、ソ連を大国に導いた「偉大な指導者」としてスターリンを再評価しようとする当局の意向が明らかだった。
だが、メドベージェフ大統領は09年10月、スターリンの「犯罪」について「いかなる理由でも正当化されない」と発言。プーチン首相も今年4月、「全体主義の残虐行為への評価は覆しえない」と述べるなど、軌道修正している。
政治学者アレクセイ・マカルキン氏は、08年の金融危機を境に、政権は経済を近代化する必要を痛感したと指摘。そのために利用できる欧米との関係を悪くしないため、政権は「スターリン復活」による対外イメージの悪化を避けようとしていると話す。【5月8日 読売】
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その時の事情次第で「スターリン復活」もありうるような危うさがあります。
単に漫然とした“時間の流れ”だけではなく、論理的整理・総括も必要なようです。


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