孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国  “中国民主化の一里塚”烏坎村の挫折 民主化に不可欠な「民」の自覚

2014-03-24 22:57:15 | 中国

(広東省・烏坎(ウーカン)村 村民委員会の主任(村長)選(2012年3月3日)に向け、それを監視する独立選挙委員会の委員を選出する村民投票の様子  “flickr”より By pengjo  http://www.flickr.com/photos/pengjo/6930708391/

現代版「百姓一揆」は、政府側の「完敗」で決着
2年以上前の話になりますが広東省・烏坎(ウーカン)村での出来事が、中国共産党の意向ですべてが決まる感がある中国において異例の展開を見せ、中国民主化にとっての一歩となるかも・・・と注目を集めたことがあります。

烏坎村での“画期的”な出来事は概略は以下のとおりです。

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「暴動」以前の烏坎村一帯では、長らく不動産開発を狙う企業と地元の村政府が組んで農民から農地の使用権(耕作権および居住権)を安く買い取り、それを転売して巨額の利益を上げるという手法が横行してきた。

怒った農民らは一昨年の2011年9月、数千人で村政府の建物や警察の派出所を包囲、一部は破壊行為に及んだ。
同年12月、再び大規模な衝突が発生、この時、警察に拘束されたリーダーの1人が署内で死亡したことから村民は激昂、村の周囲にバリケードを作って立て籠もり、当局側は逆に村を封鎖して「兵糧攻め」にするという事態にエスカレートした。一触即発、全面衝突の危惧が高まったところで、突如として広東省政府高官が地元テレビに出演、同村の民衆の訴えに理解を示し、破壊行為に対しても逮捕や処罰しないことを約束した。

前後して市の幹部が村を訪れ、政府の手法に不当なところがあったことを認めて謝罪する一方、過去の土地収容を見直し、交渉に応じる考えを伝えた。2012年2月には村の幹部を選ぶ選挙(中国では村レベルでは以前から条件付きながら選挙が行われている)が実施され、抗議活動のリーダーが村政のトップに就任、12月の「暴動」で警察に捕まった5人の村民のうちの1人が村の選挙管理委員会の委員に選出された。

さらに警察署内で不審死した男性の娘が高得票で村民代表(村議会議員のようなもの)に選出されるという結果になった。

かくしてこの現代版「百姓一揆」は、政府側の「完敗」で決着、農民との間で土地返還交渉に乗り出すことになった。【2013年03月04日 田中 信彦氏 WISDOM】
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烏坎村での“画期的”な出来事は、このブログでも
2012年1月18日ブログ「中国 烏坎(ウーカン)村争議リーダーが党支部書記に 中国共産党は変わるのか?」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120118)で取り上げました。

しかし、現段階では烏坎村の事例は“異例”であり、中国の政治改革が全体的に進むうえではまだまだ大きな課題、強い抵抗があることも、烏坎村の事例とも関連しながら
2012年2月6日ブログ「中国 温家宝首相、改めて改革開放の必要性強調 安定維持重視の保守派との路線対立か」
2012年3月1日ブログ「中国 党大会・権力移譲を控えて、改めて表面化する政治体制改革論議」
などで取り上げたところです。

進まない土地返還 噴出す村民の不満
その後、烏坎村についての記事は目にすることもなくなりましたが、“やはり・・・”というか、厳しい現実に直面しているようです。

****直接選挙実現の中国の村、有力2候補を当局拘束****
共産党支部書記らの長年の専横に住民が抗議し、「公正な直接選挙」が2012年に実現した中国広東省陸豊市烏坎村で、抗議運動の中心人物で先の選挙で村民委員会副主任(副村長)に選ばれた2人が今月中旬、相次いで当局に拘束された。

2人は同委主任(村長)・副主任を決める31日の次期選挙への参戦を予定しており、村民の間では、出馬阻止のため当局が圧力をかけたとの見方が広がっている。

陸豊市検察当局の発表などによると、拘束されたのは楊色茂、洪鋭潮の両副主任。ともに村の民生工事に絡んで賄賂を受け取ったとして連行された。楊副主任はその後、保釈された。

また、香港紙・明報は24日、やはり抗議運動の中心人物で任期途中で村民委員を辞任した荘烈宏氏が滞在先の米国で、「当局による迫害への懸念」から政治亡命を準備していると伝えた。【3月24日 読売】
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村政府に抵抗して村民の民意を反映した選挙を行い、住民の利益を代表する代表を選ぶという“民主化、政治改革への一歩”を踏み出したかのようにも見えた烏坎村で一体何が起きたのか?

烏坎村の改革が壁にぶつかっていることは、すでに1年前には明らかになっていたようです。
そのあたりの事情を、1年前に書かれた前出田中信彦氏のリポートで紹介します。

****深層中国 ~巨大市場の底流を読む 第48回あれから1年、烏坎村はどうなったか ~「民主」への遠い道のり****
・・・・それから1年の時間が経って、この村はどうなったか。
結論から言えば、残念ながら事態は全く前に進んでいない。というよりむしろ中国社会で「民主化」というものがいかに困難であるか、その実現には恐ろしく長い、難しいプロセスを踏まなければならないことを実感させるものになりつつある。(中略)

曖昧な農地の財産権。「土地の奪還」は不発に
ここまではよかった。大変なのはここからである。新たな村指導部は農民が「奪われた」土地の返還もしくは相応の金銭的な補償を求めて交渉を始めたのだが、これがまったく埒があかない。

土地を買い取ったデベロッパーにしてみれば、腐敗した指導部とはいえ、当時の正式な村政府の許可を得て「合法的に」買い取った土地を返さなければならない理由はない。

もし村政府が「土地を返せ」と要求すれば、デベロッパーは投資した資金と損害賠償を請求するだろう。そんなカネが村政府にあるはずもなく、旧指導部の責任を問うたところでカネが出てくるわけでもない。

結局、村の新指導部が農民に土地を返そうにも、その土地の大半はすでに「合法的に」人手に渡ってしまっており、手が出せない。その背景にあるのが、中国の農村の土地制度の曖昧さである。
都市部の不動産であれば、土地の所有権は国にあるが、都市部住民や企業は50~70年といった期限付きではあるが、その土地の使用権が法的に財産権として確立しており、それが侵害されれば法律に基づいて抗議し、裁判に訴えることもできる。

しかし農村部では、土地は法には「集団所有」といって村の農民全体に集合的な所有権がある建前になっている。
「全体の所有権」とは事実上、誰にも所有権がないのと同じで、現実の管理者である国や地方政府に大きな裁量権が生まれる。正当な手続もないまま農民の土地がタダ同然で収用され、転売されてしまう事態が発生する根本的な原因はここにある。このあたりの制度改革なしに土地を取り返すことは難しいのが現状だ。

民主化のせい」で開発がストップ
一方で古い指導部からこれらの土地を獲得したデベロッパーが大儲けしたのかといえば、そうでもない。
これらの土地はすでに開発されてマンションや高級戸建て住宅などになっているが、この村の「暴動」は全国的に有名になってしまい、いつ農民に取り戻されるかわからない。

こんな物件を買う人も借りて住む人もいるはずがなく、開発された物件は塩漬けのまま放置されているという。デベロッパーとしては商売のアテが外れて大きな損害を受けた格好になっている。このことがさらに次の問題を生んでいる。仮に農民から正当な手続を経ずに収用された土地であったとしても、そこにマンションが立ち、リゾート開発がなされたりして新たな投資が入れば村の経済はそれなりに成長する。
新たな住民や観光客が入り込むなどして経済が活性化することで地価がさらに上昇するなど経済的なメリットを得ることもできる。

ところが今回の抗議活動のおかげで同村の新たな開発は事実上ストップし、新たな資本の流入は期待できなくなり、村の成長戦略が描けなくなってしまった。こうした事態に対して、村の中で意見の対立が表面化し始めた。不当な手続で土地を奪われた農民が抗議するのは当然としても、村民の間にも温度差はある。

直接に大きな損害を受けていない村民にしてみれば、村外の資本による開発で新たに入るはずだった資金や地価上昇の期待、経済成長のチャンスが騒ぎのせいで水泡に帰したと映る。
「余計なことをしてくれた」という感覚である。

こうした村民たちは新しい指導部に対して「自分の土地を守るために村全体の利益を犠牲にしている」と攻撃を始めた。これには新しい村の指導部はかなり精神的にショックを受けたようだ。
今回の村民たちの抗議活動の中心人物で、選挙後に村の党書記(村政のトップ)に選出された、村の長老格である林祖恋氏は最近のテレビインタビューで「自分が指導者になったのは村の人々のためであって、自分の利益など一切考えていない。そうでなければ誰がこんな損な役回りを引き受けるものか。今ではリーダーになったことをひどく後悔している」と語っている(東方衛星テレビ局13年2月14日放送 「烏坎前維権骨幹争奪権力村主任後悔維権 (*日本の漢字に置き換えています。)」)。

国内の政治的事件も影響か
中央の政治的雰囲気もこの事件の「その後」に影響を与えた可能性がある。
抗議活動が起きた11年9~11月、事件の民主的な解決を主導したとされているのが、当時の広東省トップの汪洋氏である。改革派で豪胆な人物との評価が高い。
「暴動」の初期段階で広東省の高官を村に派遣し、いち早く謝罪をさせて村民の怒りを鎮めたのは同氏の指示というのが定説だ。

ところが翌12年に入ると、秋の党大会で中央政治局常務委員会入りを狙う同氏は突出した動きを控えたとみられている。
最大の後ろ楯の姿勢の変化を反映してか、広東省政府は以後、烏坎村の問題に積極的な関与を少なくしていく。

また12年2月には中国の政界を震撼させた薄熙来事件が発覚、クーデター説も飛び交う異常な状況に政府は民主化どころではない状況に陥ったこともこの問題解決の足を引っ張った。

かくして村の期待を集めつつ民主的な選挙で選ばれた新指導部は村民からは「何の成果もない」「自己利益を図っている」と批判され、上級政府からは「面倒なことをしてくれるな」と疎んじられ、デベロッパーには損害賠償を求められかねないという孤立無援の状態に陥ってしまった。

運動の熱が冷めてみれば、村の民主化のためにあえて立ち上がったはずの新指導部を支援する人は次々と消えてしまったのである。【2013年03月04日 田中 信彦氏 WISDOM】
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また、高口康太氏は「選挙だけでは民主主義は育たない、「烏坎村の苦境」を評す―中国(1)」【2013年5月22日 KINBRICKS NOW】で、烏坎村の出来事を「中国民主化の重要な一里塚」ともてはやす見方を厳しく批判する李昌金氏(中国の農民問題専門家)の下記のような指摘を取り上げています。

****なぜ今、烏坎事件的な騒ぎが起きるのか****
烏坎事件的なもめ事、すなわち村役人が不当に安く村の共有地を企業に売り渡し、村民たちが正当な権利を求めて抗議するといった事件は中国ではごくごく一般的だ。

だがそれを「横暴な村役人と騙されていた村民たち」という図式で理解するのは間違いだと李氏は指摘する。

烏坎的なもめ事が生み出されるメカニズムは以下のとおりだという。

・改革開放後、農村にどうにかして企業を誘致しようという動きが広がる。
・企業誘致のリソースとなったのは土地。農村の土地などもともと安いもので、当時は農民たちすらたいして重視していなかった。そこで激安、あるいは無料で企業に提供することで誘致するという戦略が広まった。
・こうして企業を誘致した村役人は、上級自治体からは「見事な思想開放っぷりよ」と褒めたたえられた。また村民には「投資家が工場を建てれば、地元に税金を払い、地元の人間を雇う。土地提供の優遇政策は損ではない」と説明され、村民たちも納得していた。
・だが奇跡的な成長を遂げた中国では土地の値段が暴騰。10~20年前に企業が取得した土地の値段、あるいは年々払われる土地貸借料は安すぎるのではなかろうか、と不満を招く。
・土地を提供した当時、村民たちは納得していた。だが調べてみると、村の重大な決定をする場合には開くべきである村民大会が開催されていなかったなどの手続き上の瑕疵が見つかる。
・“騙された農民たち”の決起。

なお李氏は烏坎において村トップが収賄や横領などの汚職をしていたかについては分からず、中国全土に通じる一般的な状況だと説明している。【2013年5月22日 高口康太氏 KINBRICKS NOW】
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【「民」の自覚の変化なしに指導層を取り替えても、政治の仕組みを多少変えてもどうにもならない
一言で言えば“カネをめぐる争い”に過ぎないということでしょうか。
烏坎村の出来事を絶賛する人を激しく批判する李昌金氏も、中国農村の現状には改革が必要なことを指摘しています。そして「選挙をやっただけじゃ民主主義は根付かない」ということで諸々の制度改革の必要性を訴えています。

その点において、前出田中信彦氏のリポートも同様です。

****仕組みが変わらない限り、何も変わらない****
どうしてそうなってしまったのだろうか。まず言えるのは「仕組み」が変わらない限りどうにもならないということだ。

確かに今回の農民たちの抗議活動で村の指導部は民主的な手続で交代した。これは画期的なことには違いないが、新指導部を取り囲む制度や仕組みは何も変わっていない。
農地の所有権の問題も、デベロッパーと地方政府の利害関係も、開発業者と発注する官庁の構造的癒着も、村の長年の姻戚関係も、何も変わっていない。

そういう中で指導部の顔ぶれが変わっても、結局のところ何もできなかったということだ。確かに以前の村の指導部は腐敗しており、デベロッパーや建設業者などから不正な利得を得ていたとされる。

だがこうした腐敗行為が深く経済活動に組み込まれていると、腐敗を前提にシステムが出来上がっているため、役人が腐敗しないと政府の仕事全体が動かなくなってしまう。

住宅を建てるのも、学校や病院を建設するのも、結局のところ政府の投資である。役所の仕事が回らなくなれば人々の生活に差し支えるから村民は不満を持つ。その状態が長期化すれば、逆にそのことが攻撃の対象になってくる。

つまり「民主化」への移行期にかかるコストを人々は本当に負担する意志があるのかという問題である。現時点では村民の意識はあくまで自らの損害の補償にあり、政治の民主化を望んでいたわけではないというのが現実だ。

前述したリーダーの林祖恋氏は同じインタビューで「一部の村民たちは理性を失い、新しい指導部にいいがかりや無理難題をつきつけて責めたてている。新しい指導部を転覆させようとしている者もいる」などと語っている。

本来、やっとのことで自分たちの力で新しい代表を選んだのだから、多少のことは我慢しても指導部を支持し盛り立てていくのが筋だろう。ところが現状はその逆になっているようだ。

一時の熱気に駆り立てられて古い指導部を追い払うことはできるが、新たな政治の仕組みづくりに関与しようとはしない。それどころか自ら選んだはずの新指導者に無理難題を突きつけ、要求が実現しないと罵倒する。

献身的に努力してきた指導者たちは村民たちの姿勢に嫌気が差し、新指導部の数人はすでに村政の場から去り、リーダー格の林氏も「後悔している」と公開の場で発言するまでになっている。新たな村政は崩壊寸前である。 

「民主化」か「経済的利益」か
(中略)それに対して村民の側は、運動が高揚している間は「カネより民主」だったが、事が落ち着いて冷静になってくると「民主よりカネ」と言い出す人々が増えてきた――ということだろう。

「民主」となればカネは自分で稼がねばならない。専制的な権力の下では、言うことを聞いていれば政府がなんとかしてくれる。もちろんそのプロセスで権力に連なる人々はさらに潤う仕組みになっているのだが、そこは見ないふりをしていればいい。

権力者の言うことが多少気に入らなくても、腰を低くしてさえいれば後のことはすべてお上が考えてくださる。権利がないのだから自分では何も政治的な判断をする必要はないし、投票したわけでもないから責任を取る必要もない。貰えるものだけ貰って、充分に貰えなければ文句を言う。

「民」としてはある意味で楽な仕組みである。こういう感覚が数十年にわたって持続してきた社会で、「自ら道を決め、自ら責任を取る」という「民主」の発想が根付くには想像を絶する変化を経なければならないだろう。

そういう「民」の自覚の変化なしに指導層を取り替えても、政治の仕組みを多少変えてもどうにもならない。そのことは今回の烏坎村の問題の推移を見れば容易に想像がつく。

怖いのは、中国という国全体が「烏坎村化」する事態である。「民」の意識も社会の構造も変わっていないのに、充満したガスが何らかのきっかけで爆発し、既存の仕組みが崩れる。

もしかしたらそのきっかけは外国との武力衝突かもしれない。広東省の一農村で起きた小さな問題ではあるが、事の顛末は中国社会の改革の難しさを明瞭に示している。【2013年03月04日 田中 信彦氏 WISDOM】
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中国の農村問題だけでなく、“アラブの春”後のエジプトなど、“民主化”に踏み出したとされる国々での混乱ぶりにもつながる問題に思われます。
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