孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

バングラデシュ  独立戦争当時の残虐行為に関連して、最大イスラム政党の非合法化を検討

2013-02-21 21:49:54 | 南アジア(インド)

(2月14日 ダッカ 独立戦争当時の残虐行為に関連したとされるイスラム協会指導者の死刑を求める群衆
要求内容は別にして、バングラデシュでは「ホルタル」(ゼネスト)に代表されるように、政治的要求が往々にして過激な騒乱(政治勢力によって意図的に仕組まれることも)の形をとるようです。
写真は“flickr”より By AJstream http://www.flickr.com/photos/61221198@N05/8477446610/)

国旗の赤色は犠牲者の血の色
普段あまりメディアに取り上げられることがないバングラデシュに関して、興味深い記事がありました。
バングラデシュは人口の83%ほどがイスラム教徒というイスラム国家ですが(残りの16%ほどはヒンドゥー教徒)、“バングラデシュ政府が、活動家殺害を理由に同国最大のイスラム政党を禁止することを検討中”とのこと。
最近世界各地で活動が活発化しているイスラム過激派対策か・・・と最初思ったのですが、1971年の独立戦争当時の残虐行為に関係するもののようです。

****バングラ政府、イスラム政党の禁止検討―ブロガー殺害を理由に****
バングラデシュ政府は17日、同国最大のイスラム政党であるイスラム協会を禁止することを検討中だと発表した。首都ダッカで広がった大規模デモの開催を支援した、オンライン活動家を殺害したことが理由だと説明している。

警察によると、15日夜にアハメド・ラジブ・ハイデルさんが自宅前で刺し殺されているのが発見された。ハイデルさんは26歳のブロガーで、イスラム教徒への罰の厳格化を求めるデモの開催を支援した。このイスラム教徒は1971年のパキスタンからの独立戦争で残虐行為を働いたと非難されている。一連のデモは過去20年のバングラデシュで最大規模となっている。

同国のハシナ首相は、16日にハイデルさんの家を訪問した後にテレビ出演し、同国最大のイスラム政党のイスラム協会がハイデルさんを殺害したと非難した。

シャフィク・アフメド法相は17日、記者会見で、政府が「暴力的な戦術」を理由にイスラム協会の禁止を検討していると述べ、「人殺しをする政党が運営を許されることはできない」と説明した。
イスラム協会はハイデルさんの死への関与を否定し、「大規模なプロパガンダキャンペーン」だと政府を非難した。
同協会は声明で、「バングラデシュのイスラム協会も(関連組織も)この恐ろしい犯罪と何の関係もない」と訴え、「われわれは独立した調査を求める」と訴えた。

ハシナ首相のアワミ連盟率いる政府の議員らは17日夜、戦争裁判を支配する法律の改定を承認。これにより、検事が遡及(そきゅう)的により厳しい刑罰を求めて上訴できるようになった。元の法律では、国は無罪判決を求める上訴しかできなかった。
今回の改定ではまた、政府が組織を戦争犯罪裁判にかける権限を得た。アナリストらはイスラム系の政党を起訴する前触れとなる動きかもしれないと語る。
 
1971年の独立戦争では民間人数十万人が死亡したが、その多くがパキスタンからの独立に反対するイスラム武装組織による殺害だった。2010年、ハシナ氏は戦争犯罪の裁判所を設置し、40年間引きずってきた傷をいやそうとした。ここで裁判にかけられた容疑者10人のうち8人が、主要野党のバングラデシュ民族主義党(BNP)と同盟を組むイスラム協会の所属だ。

先月下された戦争裁判所初の判決では、被告不在のままイスラム協会の元リーダーに対して死刑が宣告された。今月あった次の判決では、党幹部のアブドル・カデル・モラに終身刑が下された。
この2つ目の判決を受け、ダッカで大規模デモが発生。子供連れの家族も含めたデモ隊が同都市中心部の目抜通り、シャハバグに次々流れ込み、モラ氏の絞首刑を要求した。【3月20日 The Wall Street Journal】
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イギリスからの独立したパキスタンは、西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタン(現在のバングラデシュ)という、インドによって1000km以上も隔てられた地域が国家を形成する不自然とも言える“飛び地国家”でした。

政治の中心は西パキスタンが握っており、東パキスタンは実質的に西の植民地的地位に置かれていました。
“1970年12月の選挙で人口に勝る東パキスタンのアワミ連盟が選挙で勝利すると、西パキスタン中心の政府は議会開催を遅らせた上、1971年3月には軍が軍事介入を行って東パキスタン首脳部の拘束に動いた”【ウィキペディア】ということから、東パキスタンは独立を求めて戦争状態に入ります。

このバングラデシュ独立戦争においては、独立を阻止するべく西パキスタン軍に加えて過激なイスラム政治団体などが、独立運動活動家はもとより、知識人やヒンドゥー教徒を標的として殺戮を繰り返したと言われています。
今回問題となっている戦争犯罪行為はこのときのものです。
戦争の方は、大量の難民が流入したインドがバングラデシュ独立を支持して介入、1971年バングラデシュの独立が達成しました。

この独立戦争による犠牲者は約100万人とも言われていますが、バングラデシュ政府は約300万人と発表しています。
第2次大戦後の戦争犠牲者としては、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ビアフラ内戦、カンボジア内戦、アフガニスタン内戦などに匹敵するものです。
バングラデシュの国旗は緑地に赤い日の丸ですが、緑は豊かな大地、日の丸はパキスタン国旗の月と星に対抗して昇る太陽を、その赤色は犠牲者の血の色を表しているそうです。

バングラデシュは人口約1億5000万人と、世界で7番目に人口が多い国ですが、1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の75%を超えるという最貧国のひとつでもあります。

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ガンジス川の氾濫により涵養された、世界有数の豊かな土地を誇り、外からの侵略も絶えなかった。「黄金のベンガル」とも言われていた時代もあり膨大な人口と労働力を持っており経済の潜在能力は高いが、洪水などの影響もあり現在では貧困国の一つに数えられる。

バングラデシュは内外問わずに援助を受けているにもかかわらず、過剰な人口や政治汚職などによって未だに貧困を脱しきることが出来ないでいる。バングラデシュの発展を阻害しているものとしては、多発するサイクロンやそれに伴う氾濫などの地理的・気候的要因、能率の悪い国営企業、不適切に運営されている港などインフラの人的要因、第一次産業のみではまかない切れない増加する労働人口などの人口要因、能率の悪いエネルギー利用法や十分に行き渡っていない電力供給などの資源的要因、加えて政治的な内部争いや崩壊などの政治的要因が挙げられる。【ウィキペディア】
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成長を阻害してきた激しい政争
ここ数年は6%台の成長が続き、今後が期待されてもいるバングラデシュ経済ですが、これまでバングラデシュの成長を阻害してきた大きな要因のひとつが“混乱を招く政治的争い”と“身内・関係者の利害を優先した政治”であり、その根幹はハシナ首相率いるアワミ連盟(AL)と、ジア前首相率いるバングラデシュ民族主義党(BNP)の争いでした。

2007年1月には、軍を後ろ盾とする暫定政府が全権を掌握、政治的混乱を招いてきたハシナ、ジア両氏が汚職容疑で相次いで逮捕され、各政党では党内改革も同時に実施されましたが、有力指導者が現れず、結局、ハシナ、ジア両氏とも釈放されています。

激しく争うハシナ首相、ジア前首相の二人の女性政治家は似たような経歴の持ち主で、そのあたりは2008年12月18日ブログ「バングラデシュ 総選挙がもたらすものは民主主義か混乱か?」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20081218)などでも取り上げたことがあります。
“ここで裁判にかけられた容疑者10人のうち8人が、主要野党のバングラデシュ民族主義党(BNP)と同盟を組むイスラム協会の所属だ”というあたり、与党ALと野党BNPの確執も背後にあるような印象も受けます。

ドラえもん受難
バングラデシュを取り上げたついでに、最近の話題をもうひとつ。

****ドラえもん」が放送禁止に、母国語習得に悪影響 バングラデシュ****
バングラデシュで、日本のアニメ「ドラえもん」のテレビ放映が禁止された。番組がヒンディー語版で放映されており、子供たちの母国語のベンガル語習得がおろそかになる恐れがあるためという。

ハサヌル・ハク・イヌ情報相は14日の議会で、同国内での「ドラえもん」放映禁止を関係放送局に公式に通達したことを明らかにし、「政府は『ドラえもん』が子供たちの教育に支障をきたすことを望んでいない」と説明した。

禁止に先立って複数の地元紙は、「ドラえもん」を熱心に視聴する子供たちがベンガル語ではなくヒンディー語で会話をしている点に懸念を表明し、番組の放送禁止を呼び掛けていた。また、与党議員からも、海外のアニメ作品の放映に際してはベンガル語版だけを認可するよう求める声が出ていた。

バングラデシュでは衛星放送を通じて隣国インドのヒンディー語の番組が視聴でき、国内の数百万世帯でベンガル語の番組より人気が高い傾向があることから、自国の文化に影響が出かねないとして政府が非常に神経をとがらせている。

ドラえもんは2008年、日本文化を海外に広める役割を担う外務省の「アニメ文化大使」の初代大使に任命されている。【2月18日 AFP】
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マレーシア・サバ州の帰属をめぐる事件 「スールー王国」再建?

2013-02-21 00:12:45 | 東南アジア

(ボルネオ島サバ州のサンダカンは、かつて日本から貧しい女性たちが「からゆきさん」として渡ったところでもあります。 写真は映画「サンダカン八番娼館 望郷」より)

数日前に、マレーシアのサバ州(ボルネオ島北東部)にフィリピンのイスラム武装勢力数十人が不法上陸したとの報道がありました。

****比の武装集団か マレーシア上陸 政府、国外退去求め交渉****
マレーシア東部サバ州の海岸に、フィリピン南部から来たとみられる80~100人の武装集団が上陸し、発見したマレーシアの軍や警察とにらみあっている。地元の治安当局が14日、明らかにした。周辺住民が人質に取られているとの情報もある。

マレーシア治安当局によると、武装集団は12日、ボルネオ島にあるサバ州東岸タンビサンに複数の小型ボートに分乗して上陸。約60キロ西方のラハダトゥ郊外まで移動したところで、駆けつけた軍や警察が取り囲んだ。
ナジブ首相は14日、「交渉を通じて、平和的に国外に退去させる」と声明を出したが、地元の治安当局者は朝日新聞の電話取材に「上陸の目的や要求もはっきりせず、交渉がまとまる気配はない」と明らかにした。

フィリピン南部では昨年10月、武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)とフィリピン政府が、自治政府の樹立を目指す和平合意に署名した。今回、上陸した武装集団の所属は不明だが、「和平合意に反発するグループ」「武装勢力間の抗争から逃れてきた」などの見方がある。ロイター通信によると、フィリピン外務省報道官は「現在情報の収集中で、マレーシア政府と連絡を取り合っている」と述べた。

サバ州東岸は、フィリピン南部の島々からボートで1時間弱の距離。過去にも越境してきた武装勢力による事件が起きている。ラハダトゥでは1985年に銀行が襲われ、武装勢力が銃を乱射して11人が死亡。2000年には東部沖のシパダン島で、欧米の観光客21人がフィリピンへ連れ去られ、身代金を要求される事件があった。【2月15日 朝日】
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フィリピン南部では上記記事にもある、ミンダナオ島で活動するイスラム武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)のほか、ボルネオ島に近い地域にアルカイダと連携する過激イスラム武装組織アブ・サヤフが存在しています。

アブ・サヤフ相手に「交渉を通じて、平和的に国外に退去させる」というのは難しいのでは・・・と感じたのですが、続報によれば上陸したのは15世紀に成立したとされるイスラム教国「スールー王国」の再建を目指す勢力ということで、どうも事情が異なるようです。

****北ボルネオ領土問題再び フィリピンVSマレーシア*****
王国の末裔”400人不法上陸

マレーシアのボルネオ島北部サバ州に、フィリピン南部ミンダナオ島から、「スールー王国軍」を名乗るイスラム教徒400人が不法上陸した。一部が武装しており、治安部隊に包囲されている。サバ州をめぐり両国は、15世紀に成立したとされるイスラム教国「スールー王国」の歴史に根ざす領有権問題を抱えており、事件は棚上げ状態の争いに再び光をあてている。
                   ◇
グループは今月中旬、サバ州ラハド・ダトゥの海岸に不法上陸した。リーダーはスールー王国のスルタン(君主)の末裔(まつえい)、ラジャ・ムダ・アジムディン・キラム氏。反政府武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)の元メンバーも含まれている。

マレーシアのナジブ首相は、治安部隊と陸・海軍を派遣し「流血の事態を避け、平和裏に彼らを退去させる。軍は事態を掌握している」としている。グループは抵抗せず、警察が交渉に当たっている。一方、フィリピン側は、「身柄の安全と、平和的な解決」(大統領報道官)を求めている。

歴史をひもとくと、15世紀半ばに、フィリピン南西端のスールー諸島を中心に成立したとされるスールー王国の領土は、現在のサバ州にも及んでいた。その後、スペインによる占領時代などを経て1897年、フィリピンが米国に併合されると、王国も終焉(しゅうえん)した。

問題は、北ボルネオが1946年に英国領となり、63年にはマレーシア連邦の成立とともに連邦の1州となって、「分割」されたことにある。フィリピンは北ボルネオを含む王国の領有権を、スルタンと62年に締結した文書により獲得していると主張する。一方、マレーシアは63年以降、スルタンの末裔側に毎年、“租借料”として5300リンギット(約16万円)を支払っており、今日に至っている。

グループを派遣したのはリーダーの兄で、74歳のジャマルール・キラム氏。派遣を「帰国の旅」と形容し、その目的については「戦うことではない。われわれが歴史的に有するサバの領有権の行使だ」と述べている。具体的には、旧スールー王国の承認と、領土(サバ州)の返還などを求めているという。
その背景として、昨年10月にフィリピン政府とMILFが合意し、新自治政府の創設を柱とする和平の枠組みから、サバ州が「除外」されたことに対する不満があると指摘されている。【2月20日 産経】
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スールー王国、及びこの海域一帯の結びつきの強さについては、08年7月20日ブログ「ASEAN  マレーシアの不法移民強制退去問題など」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080720)でも取り上げたことがあります。

産経がこの話題を取り上げたのは、領土問題を“棚上げ状態”などにしておくから、こんな問題がいつまでも続くのだ・・・という主旨でしょうか。
個人的印象としては、サバ州はマレーシアの一部であるという現状は動かし難く、“スルタンと62年に締結した文書”云々といった過去の経緯をもとに現状を否定しようとする行動に滑稽さを感じます。
当事者は真剣なのでしょうが、第三者から見ると争いごとというのはそんなものです。
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