外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

楽しく歳をとりたい

2011-02-18 22:11:40 | 大学野球
この週末。
正直なところ、休日出勤したいぐらい、業務がパイルアップしています。

しかし、コンピュータ・サーバーの入れ替えでオフィスが使えない上、東伏見・所沢での用事もあるので、できるところまで今夜中に処理しておこうと思っています。

もっとも、東伏見等の用事は私が勝手に創り出して、自らの首を絞めているだけなのですが…。
(^^)v

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昨夜、ジェームス・テイラーとキャロル・キングのコンサートの模様を、NHKで放送していました。

私が中学生の頃にメジャー・デビューしたジェームス・テイラーとキャロル・キング。


『シンガー・ソング・アンド・ライター』の先駆けである彼らは、電子楽器とアコースティック楽器を自然体で併用するサウンドを生み出して、「ソフト・ロック」と呼ばれることもありました。

洗練され、抑制の効いたサウンドをバックにした、理性的なラブソング。
それは日本のポピュラー音楽にも劇的な変化をもたらしました。

あれから40年経ちました。しかし、ジェームス・テイラーもキャロル・キングも、実に良い顔をしていました。
こんな感じで歳をとりたいものです。
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明日は、練習を見学した後に、東伏見で食事します。

早稲田の先輩・後輩、そして現役学生の皆さんとの楽しいひとときが、今から楽しみです。
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「高校野球_ 弱者の戦法」

2011-02-17 20:39:49 | 大学野球
沖縄キャンプが始まるまで、あと10日あまり。
選手諸君は、メンバー入りを目指して部内競争と体調管理に一所懸命です。

かたや、故障や流感が原因で出遅れている選手がいないではないようですが、それはそれとして、焦って無茶をするのではなく、3月半ばから始まるオープン戦に照準を合わせてもらいたいです。
二軍戦での活躍を認められてメンバー入りする選手は、毎年何名もいるのですから。
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「今年の早稲田は、どうなんでしょうか?」
毎年、この時期になるとファン同士で交わされる挨拶の定番です。

この質問には、次のような様々な意味が含まれています。
「昨年から主力の選手は、今年も順調か」
「成長株はいるか」
「有望な新人は入ったか」
「新しい監督の下、練習の雰囲気はどうか」
「ネット裏の雰囲気はどうか」等々、

さりげない質問をきっかけにして、大学野球ファン同士の会話は、無限の広がりをみせるのであります。
(*^_^*)

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今年度の早稲田が、来たる春季リーグ戦で優勝できるかどうかかは、野球の神様にしか分かりません。

とても気ままで移り気な野球の神様に微笑んでもらうために、どんな心構えで、どのような準備をしなければならないのか。

そのためのヒントをてんこ盛りにした本があります。
「高校野球_弱者の戦法」(日刊スポーツ出版社。1,575円)です。

スポーツ・ジャーナリストの田尻賢誉さんが甲子園で頂点を極めた高校チーム数校を徹底的に取材してお書きになった本です。

各校の指導者が、どのような困難に直面し、どのように対処してチーム力を蓄えていったのか。

恐らく、少年野球から大学野球まで、あらゆるアマチュア野球チームに参考となるヒントが満載です。
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更に、早稲田ファンが見逃せないところ。
それは、2007年夏に佐賀北高校が甲子園優勝に辿り着くまでの軌跡を、50ページにわたって等身大に描かれていて、その中で、市丸くんが如何に重要な役割を果たしていたのかが描かれている点です。
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皆様もご存知の通り、今年度の副将・市丸くんは、大学野球の捕手として、決して恵まれた体格ではありませんし、飛び抜けた強肩でもありません。

しかし、彼が捕手の定位置を確保するや、早稲田が大学日本一まで登りつめたという事実。
東伏見ファンの中に、「本当に『持っている』のは市丸だ」とおっしゃる方がいるのも納得です。
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そんな市丸くんが大学四年生となって、学生野球の集大成を見せようとする時に、同郷の大先輩・岡村猛さんが監督として戻っておいでになるのは、野球の神様の思し召しだと私は思うのです。

今年の早稲田。
必ずや、学生野球ファンの皆様から、幅広く応援していただけるチームになっていくと私は確信しています。
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生きざま

2011-02-16 21:48:31 | 音楽
ブログ運営者の専用画面には、アクセスの状況を分析する様々な機能があります。
その機能の一つに、どんな言葉が検索された結果、このブログがヒットしたかを知らせてくれるものがあります。
例えば、「六大学野球」という単語でキーワードとしてネット検索した結果、本ブログに辿り着いたという人が、昨日は10名いらっしゃったということが判る機能です。

もちろん、野球選手や居酒屋さんの名前で検索されてヒットすることが多いのですが、少し前から、「奥浩平」「青春の墓標」というキーワードで検索されて、このブログの過去記事に辿り着く方の数が増えてきていました。

しかし、「なぜ、この時期に?」と、私にはその理由が判りませんでした。
「青春の墓標」へのリンク

そうして不思議に思っていたところ、文藝春秋三月号に、奥浩平さんに関する記事が掲載されていたことを知り、やっと納得いたしました。

文藝春秋の記事を読んで、青山高校の大先輩の熱くはかない青春を、久しぶりにに振り返りました。
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写真は、NHKで放送していた、ジャズピアノの大御所・秋吉敏子さんの上海でのコンサートの模様です。


中国大陸でお生まれになった秋吉さんにとっては、ある意味、里帰りコンサート。
元のご主人であるサックス奏者のルー・タバキン、そして歌手の娘さんもステージに上がったのには、大切な人たちと一緒に、生まれ故郷の空気を吸いたかったに違いないなあと思いながら、洗練されたサウンドを楽しみました。



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若くして単身アメリカに渡ってジャズ・ミュージシャンとしての生き方を究め、時には別れたご主人とも一緒に演奏する秋吉敏子さん。

かたや、マルクス革命を目指すも、恋に破れて、21歳で自ら人生を絶った奥浩平さん。

いずれも鮮烈な生き方で、とても私には真似できません。
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週べ今週号

2011-02-15 21:21:45 | 大学野球
昨夜、横須賀線を降りると、あたかも雪国でした。


雪による交通機関の乱れを考えると、都心のホテルに泊まるべきだったかなあと不安になりました。
しかし、今朝は平常どおり電車が運行されていまして、用心して早めに家を出た分だけ、普段よりも1時間近く早くオフィスに到着してしまいました。

まだ真っ暗な丸の内。
自宅で眠ったこと自体が夢であったかのような気持ちになりました。
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さて、週刊ベースボール今週号。
須田、斎藤、大石、福井ら、ルーキーたちの動静に関する記事が、否応なく目に飛び込んできます。

メディアも、評論家諸氏も、そして早稲田OBまでも、斎藤くんら人気ルーキーたちのネタで、ひと稼ぎしようと群がってくるのですから、選手本人たちは大変です。

もちろん、運動部における上下関係は十分尊重してもらいたいです。
その上で、斎藤くんたちには、後輩を本気でサポートしようとしてくれる先輩と、見返りを求めて近寄ってくる先輩とを見極めて、適切な距離を置くよう、助言したいです。

まあ、ずっとメディアに接して様々な経験を積んできた斎藤くんたちならば、きっと上手くやってくれるでしょう。
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私が最も注目した記事は、石田雄太さんのコラム。
日本のプロ野球が、育成枠を積極的に活用するチームと、全く使わないチームとに二極化した現状を、石田さんは指摘されています。

独立リーグや社会人野球も含めて、日本野球の将来をきちんと見極めて、グランド・デザインを描く時期がやってきたように思います。
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Deep People

2011-02-14 18:07:36 | 大学野球
雪の休日であった2月11日(金)、NHKの「Deep People」で、フォークボールを極めた3投手、“マサカリ投法”村田、“稀代の頭脳派”牛島、“大魔神”佐々木が台本なしでフォークボールにまつわる話を交わすという、実に興味深い企画を放送していました。
番組紹介へのリンク

他の変化球と比べて1.4倍もヒジに負担のかかるため、現在のメジャー・リーグでは殆ど投げる投手がいなくなったというフォークボール。

そんな過酷な球種を己の武器と見定め、何年もの間、魔球を投げ続けるために、彼らが行なった「腕の腱」の鍛錬と日頃からの節制、敵チームに球種を読まれないための様々な工夫、相手の強打者を討ち取るための投球の組み立て等々、

およそ素人には想像もできないプロフェッショナルの世界の高みを、対談を通じて垣間見た思いです。
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番組の中では、フォークを投げる投手にとって、どんな捕手が投げやすいのかという質問もありました。

三氏は、異口同音に「ミット捌きの巧い捕手よりも、体で止めようとする捕手が良い」という答えでした。

ミット捌きだけでフォークボールを捕りにいって後逸されると投手はガックリくるが、体全体で止めにいって、それでもボールを止めることができなければ気持ちの上で諦めがつくと。

このあたりは、落ちる変化球が全盛の学生野球の捕手にとっても、大いに参考となるところでしょう。

しかし、実際に村田さんたちのフォークを受けていた袴田捕手たちは、
「揺れ動くボールを握りいくために、ミットの綿を抜いて素手に近づけて捕球していたので、とても痛かった」
「人差し指と中指の間が裂けて、何針も縫った」
「アゴで挟んでもいいからボールを止めろと言われ、必死に練習した」と、体を張って魔球を止めるための尋常でない苦労を証言していました。
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また、「フォークボールを伝授したいと思う投手は誰か」という問いに対して、三氏とも西武・大石投手の名前を挙げていました。

あの恵まれた体格から投げ下ろす豪快な速球とフォークボールのコンビネーションは、三氏からみても大いなる可能性を感じるようです。

もっとも、もし大石くんがフォークボールを武器としてプロの世界を生き抜こうとするならば、腱の鍛錬を毎日行なうなど、気が遠くなるようなトレーニングを積み重ねていかなければなりません。

いやはや、プロで飯を喰っていくということは、本当に大変なことであります。


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今日の東伏見(2/13 )

2011-02-13 21:22:48 | 大学野球
やっとお日様が顔を出した日曜日、嬉々として東伏見に向かいました。

準硬式グラウンドの横を通りかかると、雪が残っています。(写真)
一瞬、不安がよぎりましたが、硬式グラウンドは、日陰部分で霜が凍りついていたものの、朝日がさんさんと当たっていたため、直ぐに使用可能となりました。
\(^O^)/

人工芝の有り難さを改めて感じます。
一昨年までの土のグラウンドであったならば、毎朝霜柱が溶けて泥々となって、少なくとも今後1週間は使用不能となったことでしょう。
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今日は、朝一番からOBの吉澤さん、午後からは広岡さん、徳武さんも指導においでになりました。
ネット裏には、本村さん、増田さんもおいでになりました。
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新入部員も続々と登場しています。

有原投手(広陵)、高梨投手(川越東)、吉澤内野手(日大三高)、中村内野手(天理高校)のスポーツ推薦組、
土屋捕手・小野田外野手・鈴木投手らの早実組、
千葉投手・玉置捕手らの早大学院組、
そして、横田外野手(栃木・真岡高校)らの自己推薦・指定校推薦組の新人たちが練習に合流してきたので、グラウンドに活気がみなぎります。
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午前9時から練習が始まりました。

まだ濡れているグラウンドでジョギング。
室内に移動してストレッチング。

そして、グラウンドに戻って、ロングティー打撃が行われました。
注目の新人・吉澤くんは白沢くんと、中村くんは江塚くんとペアとなって、外野フェンスに向かって打ちまくっていました。

次に、ゲージ打撃。
真ん中のゲージでは、四年生の高橋哉至くん、米村くんら、本職の投手が投げましたので、かなり本番に近い球を打つ練習です。

お昼からは守備練習。

投内連携と内外野ノックは、概ね次のような顔ぶれでした。
※インフルエンザのため、何名かが練習を休んでいます。

1塚田、高橋、米村、鶴谷、田中、横山、小山田、大野克
2市丸、羽鳥、土屋
3古山、高橋直、河村、江塚
4渡辺、川崎、深澤
5徳井、東條
6佐野、川口、吉澤、中村
7桜庭、白沢
8川西、佐々木、大野大
9八木、小野田
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全体練習終了後は、先週と同様、紅白戦が行われました。

主審:東條
塁審:大野大、白沢、江塚
(スタメン)
1大野瑠
2吉原
3森
4深沢
5酒松
6福田
7玉真
8林
9山地

1鶴谷
2土屋
3足立
4南
5中山
6沼座
7中野
8坂本
9若杉
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それにしても、寒い朝でした。


写真の通り、マイカーは凍り漬け。
乗ろうとしてもドアが凍りついてなかなか開けられず、エンジンをかけてからも10分以上車内を暖めないと、前後左右の窓の氷が緩んできませんでした。

出かける際の外気温はマイナス3度。
早く春が来てほしいです。
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善波達也さん

2011-02-12 21:08:25 | 大学野球
今朝、窓を開けたら久しぶりの銀世界。
やむなく東伏見詣でを断念しました。

一方、父が入院中のリハビリ施設からは、「インフルエンザ対策のため、家族といえども面会禁止」と通知が届いているため、2日連続で自宅で過ごすことになってしまいました。

父のリハビリは順調でして、今後、何度かの一時帰宅を行なった後に退院する予定となっています。
既に、和室用の椅子を購入したり、父の居室に手すりを増設するなど、我が家の受け入れ準備は万端です。
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さて、東京六大学野球。

現在の六大学各校の布陣を眺めると、私よりも年下の監督さんが2人います。

1人は、立教の大塚監督。
大塚監督の記事

そして、もう1人は、明治の善波監督(捕手。桐蔭学園出身)です。
1984年度(昭和59年度)の明治の主将でした。

その年の明治は、前年に春秋連続で首位打者となった広沢(小山高校)と福王(日大三高)が打の主軸、竹田(日大一高)が主戦投手という強力な布陣で、その年の秋季にリーグ優勝を果たしました。

地味で泥臭いチームカラーの明治としては、スター選手が揃う、ちょっと珍しい時代だったという印象です。

あの島岡御大もご健在で、ユニフォームの袖に猪が縫い込まれていた時代です。

なお、現在は六大学の審判を務めていらっしゃる戸塚さん(内野手。明大中野)が、その年の二年生でした。
戸塚さんといえば、審判として、早稲田の前監督・応武さんとは、試合中に色々なことがありました。
(;^_^A
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その年の早稲田の主将は、鈴木康生外野手(静岡高校)。

リーグ優勝は叶いませんでしたが、3年生の湯川外野手(宇治高校)が春の首位打者を獲得して、気を吐きました。
(写真は、湯川選手と宮崎監督(旧制・小倉中学))


個人的には、この年の3年生がひいきの学年でして、首位打者・湯川選手ばかりでなく、足立投手(松商学園)、木村恒内野手(天理高校)、小島啓民内野手(諫早高校)、山川内野手(高松商業)、守屋外野手(掛川西)ら、素晴らしい選手たちが揃っていました。
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また、1984年は東大が輝いた年でもありました。

主戦の大越健介投手(新潟高校。現NHKキャスター)が春秋で7勝をあげる大活躍。
大越健介さんの記事

この年の東大監督は、伊藤仁さん(東海高校)。
私と同じ世代の伊藤仁さんは、第一次赤門旋風の主役の1人でしたから、彼が監督をされている東大に対しては、個人的な思い入れを持って、勝手に声援を送っていました。

その声援が届いたのか、その年の東大は、前年の秋季から二季連続で五位となるとともに、秋季には、立迫浩一内野手(浦和高校)が首位打者を獲得しました。


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「ニューオリンズ」

2011-02-12 02:31:49 | 音楽
先日まとめ買いしてきたDVDの一枚が「ニューオリンズ」。
1947年制作の作品で、1917年のニューオリンズを舞台にして始まる音楽映画です。
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港町ニューオリンズの盛り場ベイスン・ストリートにある酒場で、黒人ミュージシャンたちによって演奏されていたラグタイム・ミュージック。
あくまでも、ギャンブル場併設の黒人酒場で飲む客たちが楽しむ音楽でした。

そのバンドマンたちが、人種差別も絡む事件のとばっちりを受けてニューオリンズを追い出されて、移った先がシカゴ。
そこで、ホンキートンク・ミュージックなどの影響も受けながら、ダンス音楽として白人たちにも広く親しまれるようになりました。

映画の中では、シカゴの酔客が"Jass it up!"(Jassは性行為などの意味)と叫んだことをヒントに、JAZZと呼ばれるようになったとされています。

そして、最後にはクラシック音楽専用であった格調高いホールでも、ジャズ演奏が許されるまでに。
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この映画の最大の見どころは、ルイ・アームストロングが全編に渡って準主役で登場して唄と演奏を聴かせてくれること。


そして、ビリィ・ホリデー、ウディ・ハーマン楽団も登場して、絶頂期の歌声と演奏を披露します。



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とにかく唄と演奏が素晴らしいので、一度ディスクをプレーヤーにセットすると、いつも何回か繰り返して観てしまいます。

先日、このDVDを書店で見つけた時は、他の古い名画と一緒に並んでいて、何と390円(販売元:永岡書店)で売られていました。
この値段で、最高のジャズ演奏を、目でも耳でも楽しむことができるとは。

騙されたと思って、買ってみてください。

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荒井修光さん

2011-02-11 16:11:34 | 大学野球
天気予報どおり、雪の休日となってしまいました。

やむなく、押入から何枚かのDVDを引っ張りだしてきて、ノンビリと過ごしています。
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さて、我らがオフ会のオリジナル・メンバーであるdawase86さんが、ご自身のブログで荒井修光さん(我孫子高校-早大-日本ハム)を取り上げていらっしゃいました。
携帯用リンク
パソコン用リンク

荒井さんの球歴は、dawaseさんがブログで詳しく紹介されている通り。
荒井さんのプレーの記憶を辿っていると、どうやっても優勝まで届かない当時の早稲田の我慢の時代を思い出してきてしまいます。

荒井さんは、甲子園に出場し、高校ジャパンにも選ばれた一流投手として、鳴り物入りで早稲田に入学してきました。

早大入学後、一年生でさっそく2勝をあげて、「さあ、これから」と思った矢先の二年生の春に、石井連蔵監督によって捕手にコンバートされてしまったのですから、あの時は早稲田ファンの誰もがビックリ仰天させられたものでした。
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私は、プロ入り直後の荒井さんから、手書きの封書をいただいたことがあります。
まだ東京を本拠地としていた日本ハムの一員となった荒井さんが、「日本ハムのシーズン席を購入してください」と、切々と訴える文面でした。
早稲田の卒業生名簿を見ながら、恐らく何百枚も書かれたのだと思います。

新人選手の頃から、球団経営に対しても一所懸命であった荒井さん。
彼が、現役引退後も球団スタッフとして大活躍されているのも納得です。

以前にも書きましたが、斎藤佑樹投手は、立派な先輩のいる良い球団に入りました。
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最後に、荒井さんが大学四年生であった1995年(平成7年)の頃の東京六大学を振り返ります。

我らが早稲田は、石井連蔵さんが勇退されて、「マックス」佐藤さんが新監督に就任。
ご存知のとおり、佐藤さん(天理高校)は、今の岡村猛監督の同期です。

当時の早稲田の布陣です。
1三澤(3年、帝京)
2荒井(4年、我孫子)
3中村壽博(3年、西日本短大付属)
4峯岡(3年、天理)
5杉本(2年、早実)
6田中(4年、三本松)
7篠原(3年、広陵)
8平野(4年、早実)
9大森(4年、主将、天理高校)、矢口(2年、木更津)

投手部門が三澤くん1人を頼みとするところが苦しいかったですが、野手はなかなかの顔ぶれでした。

いま思えば、スポーツ推薦制度(いわゆるスカウト入試)のない時代、一浪・二浪での入学が珍しくない時代に、ここまでの陣容を整えるまでには関係者の大変なご苦労があったことでしょう。

斎藤佑樹投手の入学以降に東伏見においでになるようになったファンの方の中に、「佐藤監督の時代? 早稲田は弱かったんでしょう?」と、当時の事情も知らずに簡単に言い放つ人がいるのは、残念なことですし、本当に悔しいです。

全国に名を轟かす有望選手がせっかく早稲田を受験してくれても次々に不合格となってしまう、早稲田スポーツ受難の時代でした。

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荒井さんと同期で、当時の東京六大学を代表するスター捕手であった、慶応の高木大成選手(桐蔭学園-慶応・主将-西武ライオンズ)です。

当時の慶応は、後藤寿彦さん(岐阜高校)が監督。
高木主将は、1学年下の高橋由伸選手(桐蔭学園-慶応-巨人)と共に、アマチュア野球屈指の強力打線を形成していました。
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こちらは、法政の主務であった岡本さん。
現在はベースボールマガジン社に勤務されていて、大学野球の選手たちに関する記事を、温かい眼差しで書いてくださっています。

当時の法政は、「小さな大投手」山中正竹さんが監督。
伊達投手(法政二高)、真木投手(東筑紫学園)、副島内野手(桐蔭学園)、平馬遊撃手(横浜高校)ら、いかにも法政らしいスケール感のある選手たちが揃っていました。
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悲しき天気予報

2011-02-10 19:33:38 | ビジネス
明日の東京は、都心でも積雪が予想されています。

東伏見は、都心よりも内陸部になりますので、練習の見学は難しいものと思われます。
せっかく有望新人たちが合流したのに、その様子を見ることができないのは本当に残念です。
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ところで、昨日の朝、私のデスクにある電話が突然鳴りました。
受話器を取ると、「青高のYです。ay、元気でやってるか?」と懐かしい声。
都立青山高校の三年生の時に同じクラスだったYくんでした。
私たちはファースト・ネームで彼をケンジと読んでいます。

ケンジは、高校時代は天文部。
東京外語大から邦銀に進み、後に外銀に転職。
今は、外資系の投資信託会社の役員を務めています。

「今度、ayの銀行と取引が始まるという書類が社内で回ってきたので、声を聞きたくなった」

彼と電話で話した内容は他愛ないものでしたが、アルファ波が身体を満たしていくのが自分でも分かりました。
クラスメイトというのは有難いものです。

ケンジとの電話が終わり、私の脳裏には、やはり高校の一、二年生時代のクラスメイトであるFくんの顔が浮かんできました。

Fくんは、高校時代はラグビー部。
早稲田から邦銀に進み、そこで役員に就任しました。
私と同じ時期に、従業員組合の中央執行委員を務めていたこともあります。

前回のクラス会で会えなかったので、声を聞きたくなりました。
ウェブサイトで調べたら、なんとFくんが子会社の社長に転出していることが分かり、さっそく電話。

「何だかんだで、銀行に三十年勤務したよ」
「それは、ご苦労様でした。ところで親父さんはお元気?」
「いやぁ、年齢相応に、体のあちらこちらガタが来てるよ。」
「そうか。僕の父もリハビリ施設にいるんだ。」

Fくんのお父上は、私の父より一歳若い大正14年生まれ。
お互いに同じような状況にいることが分かり、少し気持ちが楽になった気がしました。
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同じような話は不思議と続くもので、今度は私の邦銀時代の同期生であったYくんから、「3月に同期会をやるぞ」というメールが、同じ日の午後に届きました。

Yくんは、静岡県清水市出身で、二枚目の立教ボーイ。
銀行時代は不動産担保ローンのプロとして活躍し、今は中堅上場企業の役員です。
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勤務先は異なるのに話の波長がスンナリと合うのは、同じ時代に同じ業界で汗をかいてきたという共通項があるからでしょう。

私のようにテキトーな人間が現在までやってこれたのは、間違いなく良き友たちの存在です。
彼らには頭が上がりません。
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