先日、高校時代の友人に会おうと、雨の夕方に環七を走っていたら、私の前を走っていたミニバンが、立体交差の分岐点に真正面からドカーンと激突。
車は大破して、フェンダーなどの部品がバラバラと宙から降ってくる惨状となりました。
幸い、車間距離を長めにとっていたので、私は無事に事故車を回避して停車。
すぐに警察に電話しました。
暫くして事故車の運転手さんが車から自力で這い出してきて、ぐちゃぐちゃになった車を眺めて呆然としていました。
見たところ、大きな負傷はしていなかったようで、何よりでした。
ともあれ、雨の夕方に運転するのは本当に危ないですね。
さて話は変わって、私の高校と大学の二年先輩である、俳優の石田純一さん。
本名は石田太郎さんとおっしゃって、高校時代は野球部。早稲田では芝居に熱中されていました。
石田さんは、女性を追いかけてばかりいる軟派の代表のようにマスコミで扱われている印象を受けます。
石田さんとは、高校の部室棟ですれ違うぐらいの接点しかありませんでしたが、素顔の石田さん、実は、なかなかの硬派なんですよ。
今は閉店してしまった銀座の「ようすけ亭」。
ここのご主人であった佐々木庸介さんが青山高校野球部から早稲田に進まれた方だったので、青山高校野球部の卒業生名簿を手にしながら、たびたび石田さんにまつわる武勇伝を聞かせてくださいました。
私にも、俳優になられた後の石田さんにまつわる、いくつかの思い出があります。
以前、何気なくテレビをつけたときのことです。
芸能人の野球大会の番組を放送していて、そこに石田さんが出演されていました。
その時、何と石田さんはAOYAMAと胸に書かれた野球ユニフォームを着ていらっしゃったのです。
「そうか、石田さんは今も青山高校が大好きなんだな」と直感し、とても嬉しく思いました。
また、何かのイベントで、早稲田の大隈講堂に石田さんが招かれた時のことです。
司会者から「石田さん、早稲田の先輩として、後輩たちに一言アドバイスをお願いします」と請われた時、「僕は、芝居に夢中になって早稲田を中退してしまった男。それなのに、僕を先輩と呼んでくれるんですか・・・。本当にありがとう」と、石田さんは大隈講堂の壇上で、人目をはばからず嬉し涙をボロボロと流されました。
こうやってエピソードを書いていると、石田純一さんが女性にモテる本当の理由が理解できるような気がしますね。
石田さんが高校時代を振り返った記事をネットで見つけました。
石田さんの青高に対する誇りと愛着が伝わってきます。
大学で、他の高校出身のクラスメートに話しても、なかなか理解してもらえなかった「自由の青高」。
学校紛争~全学バリケード封鎖~機動隊突入~生徒会長逮捕~実刑判決という、今では考えられないような特別な状況だったからこそ存在し得た、つかの間の空間だったのかも知れません。
でも、当時の青高生は、男子も女子も、エリート官僚もバンドマンも、今でも無茶苦茶に仲良しなんです。
石田さんの言葉から、当時の青高の雰囲気を感じ取っていただけれは嬉しいです。
前編
後編
なお、文中に登場する八幡先生に、私も教えていただきました。
天気の良い日には、生徒を連れて教室から原宿の明治神宮に移動し、庭園のベンチに腰掛けて古文の授業をされたりする先生でした。
車は大破して、フェンダーなどの部品がバラバラと宙から降ってくる惨状となりました。
幸い、車間距離を長めにとっていたので、私は無事に事故車を回避して停車。
すぐに警察に電話しました。
暫くして事故車の運転手さんが車から自力で這い出してきて、ぐちゃぐちゃになった車を眺めて呆然としていました。
見たところ、大きな負傷はしていなかったようで、何よりでした。
ともあれ、雨の夕方に運転するのは本当に危ないですね。
さて話は変わって、私の高校と大学の二年先輩である、俳優の石田純一さん。
本名は石田太郎さんとおっしゃって、高校時代は野球部。早稲田では芝居に熱中されていました。
石田さんは、女性を追いかけてばかりいる軟派の代表のようにマスコミで扱われている印象を受けます。
石田さんとは、高校の部室棟ですれ違うぐらいの接点しかありませんでしたが、素顔の石田さん、実は、なかなかの硬派なんですよ。
今は閉店してしまった銀座の「ようすけ亭」。
ここのご主人であった佐々木庸介さんが青山高校野球部から早稲田に進まれた方だったので、青山高校野球部の卒業生名簿を手にしながら、たびたび石田さんにまつわる武勇伝を聞かせてくださいました。
私にも、俳優になられた後の石田さんにまつわる、いくつかの思い出があります。
以前、何気なくテレビをつけたときのことです。
芸能人の野球大会の番組を放送していて、そこに石田さんが出演されていました。
その時、何と石田さんはAOYAMAと胸に書かれた野球ユニフォームを着ていらっしゃったのです。
「そうか、石田さんは今も青山高校が大好きなんだな」と直感し、とても嬉しく思いました。
また、何かのイベントで、早稲田の大隈講堂に石田さんが招かれた時のことです。
司会者から「石田さん、早稲田の先輩として、後輩たちに一言アドバイスをお願いします」と請われた時、「僕は、芝居に夢中になって早稲田を中退してしまった男。それなのに、僕を先輩と呼んでくれるんですか・・・。本当にありがとう」と、石田さんは大隈講堂の壇上で、人目をはばからず嬉し涙をボロボロと流されました。
こうやってエピソードを書いていると、石田純一さんが女性にモテる本当の理由が理解できるような気がしますね。
石田さんが高校時代を振り返った記事をネットで見つけました。
石田さんの青高に対する誇りと愛着が伝わってきます。
大学で、他の高校出身のクラスメートに話しても、なかなか理解してもらえなかった「自由の青高」。
学校紛争~全学バリケード封鎖~機動隊突入~生徒会長逮捕~実刑判決という、今では考えられないような特別な状況だったからこそ存在し得た、つかの間の空間だったのかも知れません。
でも、当時の青高生は、男子も女子も、エリート官僚もバンドマンも、今でも無茶苦茶に仲良しなんです。
石田さんの言葉から、当時の青高の雰囲気を感じ取っていただけれは嬉しいです。
前編
後編
なお、文中に登場する八幡先生に、私も教えていただきました。
天気の良い日には、生徒を連れて教室から原宿の明治神宮に移動し、庭園のベンチに腰掛けて古文の授業をされたりする先生でした。