外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

石田純一さん

2009-06-30 17:54:29 | 都立青山高校
先日、高校時代の友人に会おうと、雨の夕方に環七を走っていたら、私の前を走っていたミニバンが、立体交差の分岐点に真正面からドカーンと激突。

車は大破して、フェンダーなどの部品がバラバラと宙から降ってくる惨状となりました。

幸い、車間距離を長めにとっていたので、私は無事に事故車を回避して停車。
すぐに警察に電話しました。

暫くして事故車の運転手さんが車から自力で這い出してきて、ぐちゃぐちゃになった車を眺めて呆然としていました。

見たところ、大きな負傷はしていなかったようで、何よりでした。

ともあれ、雨の夕方に運転するのは本当に危ないですね。


さて話は変わって、私の高校と大学の二年先輩である、俳優の石田純一さん。

本名は石田太郎さんとおっしゃって、高校時代は野球部。早稲田では芝居に熱中されていました。


石田さんは、女性を追いかけてばかりいる軟派の代表のようにマスコミで扱われている印象を受けます。

石田さんとは、高校の部室棟ですれ違うぐらいの接点しかありませんでしたが、素顔の石田さん、実は、なかなかの硬派なんですよ。

今は閉店してしまった銀座の「ようすけ亭」。
ここのご主人であった佐々木庸介さんが青山高校野球部から早稲田に進まれた方だったので、青山高校野球部の卒業生名簿を手にしながら、たびたび石田さんにまつわる武勇伝を聞かせてくださいました。

私にも、俳優になられた後の石田さんにまつわる、いくつかの思い出があります。

以前、何気なくテレビをつけたときのことです。

芸能人の野球大会の番組を放送していて、そこに石田さんが出演されていました。

その時、何と石田さんはAOYAMAと胸に書かれた野球ユニフォームを着ていらっしゃったのです。

「そうか、石田さんは今も青山高校が大好きなんだな」と直感し、とても嬉しく思いました。

また、何かのイベントで、早稲田の大隈講堂に石田さんが招かれた時のことです。

司会者から「石田さん、早稲田の先輩として、後輩たちに一言アドバイスをお願いします」と請われた時、「僕は、芝居に夢中になって早稲田を中退してしまった男。それなのに、僕を先輩と呼んでくれるんですか・・・。本当にありがとう」と、石田さんは大隈講堂の壇上で、人目をはばからず嬉し涙をボロボロと流されました。

こうやってエピソードを書いていると、石田純一さんが女性にモテる本当の理由が理解できるような気がしますね。

石田さんが高校時代を振り返った記事をネットで見つけました。
石田さんの青高に対する誇りと愛着が伝わってきます。

大学で、他の高校出身のクラスメートに話しても、なかなか理解してもらえなかった「自由の青高」。
学校紛争~全学バリケード封鎖~機動隊突入~生徒会長逮捕~実刑判決という、今では考えられないような特別な状況だったからこそ存在し得た、つかの間の空間だったのかも知れません。
でも、当時の青高生は、男子も女子も、エリート官僚もバンドマンも、今でも無茶苦茶に仲良しなんです。

石田さんの言葉から、当時の青高の雰囲気を感じ取っていただけれは嬉しいです。

前編

後編


なお、文中に登場する八幡先生に、私も教えていただきました。

天気の良い日には、生徒を連れて教室から原宿の明治神宮に移動し、庭園のベンチに腰掛けて古文の授業をされたりする先生でした。
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広岡達朗さんの講演(その2 )

2009-06-29 13:14:58 | 大学野球
昨日の広岡さんの講演で、前回は書ききれなかった話題を追加しておきます。

なおhchs21さんのおっしゃる通り、広岡さんらしい辛らつなコメントも沢山ありました。
(;^_^A

※下にご紹介したコメントも結構きついですが、実際にはもっと厳しいものもありました。でも、ここでは割愛しています。

お孫さんのお話をされている時を除き、広岡さんのお話は、私にも耳の痛いご指摘が多いです

(1) 単位取得の苦労

* 早慶戦の入場券を大学の職員に渡して、教授ごとの過去の出題例を教えてもらった。

* その過去問題の中から1-2題を選んで、模範解答を作成し、それを丸暗記した。

* 万が一、予想が外れても、暗記した模範解答を答案用紙の裏表にびっしり書き込めば、単位はもらえた。いつの時代も運動部員は単位取得に苦労するものだ。

(2) 早大野球部

* 髪の長い部員が気になる。当たり前のことを当たり前に教えることが何故できないか。

* かつての野球部は、早稲田の伝統について、ことあるごとに上級生たちから教え込まれた。

* 斎藤佑樹投手が入学して来た時、読売新聞紙上で、よりによって「伝統を守ることは嫌いだ」と話しているのをみて、ガックリきた。そういうことを突っ張って言う若者はいつの時代もいるが、将来、彼自身が指導をする立場になった時、伝統がどれほど価値のあるものかを痛感するだろう。

* 伝統とは、先輩たちが長い年月の中で培ってきた、技量上達のため、あるいは他人に迷惑をかけないためのノウハウの結晶だ。

(3) WBC

* ヤンキースは、選手たちのヒゲや長髪を絶対に認めない。それがヤンキースの求めるスター選手の姿。

* WBCのジャパンの候補選手の中に、頭のこめかみに筋を入れたヘアースタイルの選手、あるいは茶髪の選手を見つけた時、その場でコミッショナーに電話した。「全国の野球少年たちが、あれがスター選手だと勘違いしたらどうするのか」と。

* 原監督が指導して、WBC本番ではきちんとした身だしなみになっていてホッとした。原は、なかなか丁寧にコミュニケーションする男。

(4) お孫さんたち

* 孫の1人が日大三高で野球をやっていた。私よりも背が高く、手足も長いので期待していたが、ちっとも試合に出してもらえなかった。

* 高校二年の時、「勉強で大学に行く」と言って、退部してしまった。どうなるかと思ったら、周囲が驚くほど一所懸命勉強して、一浪したが早稲田の商学部に合格した。

* やはり孫が母校に入学してくれると嬉しいもの。お祝いに角帽と制服を買おうと思ったら、お店の人から「広岡さん、今どきの学生は喜びませんよ」と言われて、残念に思った。

* 大学を卒業する時に達成感が残るようなクラブ活動を選んでほしいと思っていたが、なんとダンスのサークルに入っちゃった。

* もう1人、宝塚に行っている孫がいる。バレーの練習はやっていたが、音楽は何もやっていなかった。それでも一発で合格してしまった。自分で言うのもなんだが、彼女は美人です。息子夫婦のルックスをみても全く大したことはないので、突然変異だろう。ですから、今日の会場にいらっしゃった方々も、突然変異もありますから、希望は捨てないでください。(場内、爆笑)


(5) 巨人の伝統

* 昔の巨人は、リーグ優勝して当たり前。日本シリーズで勝って初めて、ひと仕事したという雰囲気だった。

* 水原さんは、リーグで優勝しても、日本シリーズで西鉄に勝てなかったのでクビになった。

* その伝統が崩れたのが長嶋監督の時代。現役選手時代からの熱烈な長嶋ファンが多いため、勝っても負けても、長嶋がいれば良い。スター選手の人気への依存というマスコミの報道姿勢が、巨人をダメにした。

* フリーエージェントで選手を集めることはルール違反ではないが、やはり生え抜き選手を鍛えて、育てて、勝つ。 そんな巨人になってもらいたい。

(6) 天覧試合の思い出

* 長嶋がサヨナラ本塁打を放った試合。その前の回に、一死二三塁という絶体絶命のピンチがあった。

* 二塁走者に隙を感じたので、藤田投手にサインを送って、あうんの呼吸で牽制。二塁走者を見事に刺してピンチを脱した。なお、今の野球ならば捕手がサインを出したりするが、あの頃は年下の森捕手がサインを我々に出したら「生意気だ」と怒られる時代。森は何もサインを出していません。

* マスコミは長嶋のホームランのことばかり書くが、あの試合のポイントは、ピンチで二塁走者を刺したことです。(場内、大拍手)

(7) 指導者の心得

* 指導者自身が熱心に勉強していてこそ、その言葉が選手たちの心に響くし、指導者にインスピレーションも湧く。

* 気になることがあったら、すぐに指摘することが重要。見て見ぬ振りをすることが一番悪い。

* 大脳で理解するだけでは、分かったことにならない。基本を繰り返し、繰り返し練習して、小脳で憶え込まなければダメ。

* 駆け出しの野球評論家の時代、放送局の早稲田の先輩に、「良い文章を書くためにどのように訓練したら良いか」と訊ねたら、「これは良い文章だと思ったら、その文章を暗記して、頭の中で反芻しろ」と教えられた。それが身につけば、自分自身で書く文章も自然に洗練されてくる。これが小脳で憶えるということ。

* スポーツも同じだ。選手を指導して、選手が「分かりました」と言っても、実際には少しも身についていない。そういうものだと心得て、粘り強く練習を繰り返すこと。
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広岡達朗さんの講演

2009-06-28 17:48:59 | 大学野球
先にご案内した「早稲田フェスタin小田原」に行って、広岡達朗さんの講演を聴いてきました。

---------------
第二次大戦中、呉の軍需工場に勤労動員されている時に、広島に投下された原爆の噴煙を目撃した。
その直後に黒い雨が降り、その雨に広岡さんも濡れたが、幸い放射能の害は免れた

戦後、学校でクラブ活動が復活した時、野球をやろうとは考えていなかった。
英国流の海軍将校の影響で、呉はテニスが盛んな土地だったからだ。
しかし兄が持っているグラブとミットに目をつけた野球部から誘われて、野球をやることになった。


地区の決勝戦で敗れて甲子園には行けず、広島大学か山口大学への進学を考えていたら、早稲田の野球部からセレクションに誘われた。
セレクションに行ったら甲子園のスター選手ばかりで小さくなっていた。
それまで三塁手しかやったことがなかったのだが、森監督からショートを守ってみろと言われて、これは自慢の強肩をアピールするチャンスだと、一塁手の石井藤吉郎さんのミット目がけてビュンビュン投げていたら目立ったようだ。

受験では、最初に法学部を受けて不合格。
次に受けた教育学部に合格して、早稲田の制服と角帽を身に着けた時の誇らしい気持ちは今も忘れない。

大学を出てプロ入りした時も、自分は早稲田でやってきたという強いプライドを持ってプレーして新人王も獲得したが、それか川上哲治さんは気にくわなかったようだ。
一塁への送球が少しでもそれると、プイと横を向いて捕ってもらえず、公式記録は、みんな遊撃手の失策となった。

別所投手も厳しかった。
エラーしてベンチに戻ると、「オヤジさん(水原監督)、あんなショートじゃ、私らは食べていけませんや」
コンチキショウと思ったが、何とかしなければと一所懸命に工夫しているうちに、技術的に一つの境地に辿り着いた。
すなわち、守備で構えた時にヘソの辺りに水の入った皿を置いた感覚を持って、その水をこぼすことなく左右にスーっとスムーズに移動する足の運びが重要だと。
バタバタとしたフットワークでは、目線が揺れて打球のイレギュラーに対応できない。
これができるようになってから、守備がぐっと安定した。
(現役時代の広岡さんの守備のフォームを私は鮮明に憶えていますが、確かに、顔と両肩の三角形が、揺れることなくスーっと左右に移動する感じでした。)

そこまで技術的に到達できたのは、厳しく注文をつけてくれた先輩たちがいたからこそ。
本当に感謝している。

---------------
広岡さんは、意見の相違から13年プレーした巨人を追い出され、早稲田の留学生から英会話の特訓を受けた後、単身アメリカに渡り、自分自身の野球理論の正当性を実証すべく四ヶ月間、メジャーリーグの野球を勉強し、帰国してからは解説者、広島カープ、ヤクルト、西武で指導者として大変な実績を残されました。

今日の講演は、監督時代の苦労話、長嶋茂雄さんの思い出、現在の原巨人への注文、あるいは健康管理の方法などにも話が及ぶ幅広いものでした。

世田谷区や横浜市から駆けつけた熱心なファンから質問も出る盛況ぶりでしたよ。

会場となった県立小田原高校は、明治34年に旧制神奈川県立二中として創立された名門。(一中は現在の横浜・希望ヶ丘高校)

長い歴史を有するだけでなく、大学の教室のような最新鋭の視聴覚教室、パソコン実習室などが整備されており、予想を超えたモダンな雰囲気が印象的でした。

ところで、ラグビー関東学院との試合。
B戦は早稲田が勝利するも、肝心のA戦は早稲田の完敗。
高校野球・早実/慶應義塾高校の練習試合(第一試合)は早実が逆転負けしたようです。

今日は早稲田スポーツにとって残念な1日となりました。
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今日の東伏見(6/27 )

2009-06-27 22:17:42 | 大学野球
今日の東伏見では、午前、午後ともに紅白戦が行われました。

リーグ戦期間中はサポートに回っている控え部員たちが、野球少年に戻って溌剌とプレーしました。
彼らがファインプレーや殊勲打で会心の笑顔を見せ、味方ベンチからやんやの喝采。
だから、私は紅白戦を観るのが大好きです。


紅白戦に出場した選手のうち、投手の顔ぶれをお知らせします。

大野(2年、静岡商業)
山田荘(1年、早大学院)
矢島(4年、早実)
塚田(2年、早実)
高屋敷(4年、早実)
池下(3年、大冠)
佐藤(4年、早大学院)
田中(1年、早実)
楠田(4年、岡山理大)
高橋英輝(4年、沼田)
米村(2年、筑紫丘)
小峠(4年、筑紫丘)
阿久根(1年、早実)
森(1年、浦和学院)
梶原(2年、松山東)
江村(2年、長岡)
福井(3年、済美)

また今日は、かつて科学研究班の敏腕スタッフだった永見くん(現在は早大大学院でスポーツ科学を研究中)がやってきました。
彼は高速度カメラをブルペンに持ち込んで、斎藤くんの投球を撮影していました。
斎藤くんのピッチングフォームを解析し、今後の練習メニューづくりの参考にするようです。

紅白戦終了後は、全員で外野ポール走を30本こなして今日の練習が終わりました。

明日の東伏見は、地元の野球少年たちを集めた野球教室が行われます。

最後に高校野球ファンの方々へのお知らせです。
明日の日曜日の午前9時から、早実と慶応高校の練習試合が南大沢で行われます。

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東大応援部(その2)

2009-06-27 08:19:23 | 大学野球
昨日の番組の内容を、私の記憶の範囲でお知らせします。

華やかな東京六大学野球に応援団は欠かせない存在。
東大応援部員は、殆ど勝つことのない母校のチームを応援するために、一般の学生とかけ離れた厳しい鍛練の日々に身を投じている。

学内で行われる練習は熾烈で、手のひらは裂け、練習中に卒倒する一年生もいる。

母校が負けると、その原因を自分達の応援が足らなかったのだと彼らは考え、神宮近くの公園で罰練を行い、次の機会への決意を再確認する。

そんなストイックな日々を送っているのだが、下級生部員の中には、ふっきれていない者もいる。

一般学生のクラスメートから、応援部で活動する意義を問われて返答に窮する、ある二年生部員。
彼は、高校時代、柔道部の厳しい練習に耐えられずに退部してしまったことを悔いているのだが、東大応援部員となった今も、どうも気持ちが整理できずに苦しんでいた。

そんな二年生の心の迷いを、四年生のリーダー長は見逃さなかった。

応援部にとって大切な行事である「六旗の下に」に向けた猛練習が始まり、体力のついていない一年生部員が練習中にフラフラになった。
しかし、その二年生部員は一年生を気にかける気持ちの余裕がなかった。

すかさず「一年生は、お前の背中を見てるんだぞ!」とリーダー長の厳しい叱責が飛んだ。
自分の弱い気持ちをズバリと指摘されて、顔色を失う二年生。

その後、二年生部員は一年生にも気を配りながら練習に取り組むようになった。

六旗が無事に終わった。
会場である日比谷公会堂の玄関脇に東大応援部が集合し、リーダー長から訓示があった。
「俺は未だ十分だと思っていない。しかし、お前たちは今日の気持ちを忘れずに、これからもやれ。」

全員で肩を組みながら部歌を斉唱。
その中に、応援部員としての手応えを感じて号泣している、あの二年生がいた。


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東大応援部

2009-06-26 19:01:58 | 大学野球
今日の午後7時30分から、NHK総合で、東大応援部に関する番組があります。
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都市対抗野球

2009-06-26 18:51:08 | スポーツ全般
今年も都市対抗野球が8月21日(金)から始まります。

毎度のことですが、都市対抗野球とオール早慶戦の日程が重なるために、有力なOB選手がなかなか参加できません。

今年の夏のオール早慶戦は松山で行なわれますから、例えば宇和島東出身の田中幸長くんは最有力候補となるわけです。
しかし、所属するトヨタが早々に都市対抗への出場を決めていますので、彼のオール早慶戦参加は難しいでしょう。

現在、都市対抗の予選が佳境を迎えています。 トヨタの他にも、新日本ENEOS,ホンダ、パナソニックなど、強豪チームが次々と出場を決めています。

もちろん予選で奮闘中の早稲田OBの所属するチームの勝利を期待するのですが、「井上くん、北崎くん、本田くん、須田くん、山縣くん、生島くん・・・・ 彼らのWASEDAのユニフォーム姿がもう一度見たい」という願望も、実は心の片隅にあったりします。

ファンというのは身勝手なものです。
日本野球連盟
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松山のオール早慶戦

2009-06-25 17:47:59 | 大学野球
8月22日(土)に松山で開催されるオール早慶戦。
実際に行くことができるかどうか未だ分からないのですが、とりあえずチケットだけは買ってあります。

当日は16時に開門されて、18時に試合開始。
ナイトゲームですから、当日は一泊して、翌日に帰京することになります。

ご当地選手の福井(済美)、宇高(今治西)の二人が帯同することは間違いないと思いますが、松下(明徳義塾)、藤原(観音寺一)、森本(鳴門)という四国の他県出身者も「出場したい」と内心思っていることでしょう。

私個人としては、地元にUターン就職した甘井くん(済美‐早大‐愛媛トヨタ)とも会えたらいいなあと。
仕事柄、恐らく土曜日も仕事だろうとは思うのですが。
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星野繁一さん

2009-06-25 06:40:20 | 大学ラグビー
今日(6月25日)の日経朝刊最終面に、早稲田ラグビーの生んだ名スタンドオフ、星野繁一さん(現在は龍谷大学准教授)が、日本ラグビーの父・エドワード・B・クラーク教授について投稿されています。
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男子陸上5,000m

2009-06-24 18:53:30 | 大学駅伝
次の土曜日(6月27日)、平成国際大学陸上競技場(埼玉県加須市)で行なわれる5,000mの競技会に、早稲田から次の選手たちが参加します。

下級生部員が多数エントリーしていますので、楽しみですね。

金子純(四年、佐久長聖)、、神澤陽一(4年、早大学院)、福島啓太郎(4年、長崎青雲)

北爪貴志(3年、早実)、湯浅義人(3年、早実)

井上太郎(2年、八幡浜)、大串顕史(2年、水戸一高)、亀山翔平(2年、久我山)、神澤雄一(2年、早実)、柴田聖也(2年、岡山城東)、星雄之(2年、会津)、安永陽(2年、早実)、山下良祐(2年、天草)、

市川宗一朗(1年、岡崎)、小森祐一(1年、久我山)、佐々木寛文(1年、佐久長聖)、神内隆年(1年、山城)、高瀬和人(1年、愛知成章)、田澤範樹(1年、磐城)、萩原涼(1年、早実)、八幡聖(1年、早大本庄)

(注)一年生は7月4日の入部式終了後に競走部HPの部員名簿へ掲載されます。

なお、会場となる平成国際大学の陸上競技場を調べてみたら、本当に素晴らしい施設。
箱根駅伝の実際のコースを模した練習トラック(!)まであります。
平成国際大学競技場

ご参考までに、我らが早稲田の選手たちが普段練習している、織田幹雄記念陸上競技場も素敵なグラウンドです。
織田幹雄記念競技場

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