外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

新たなプロへの挑戦

2010-02-28 18:15:53 | スポーツ全般
今日は津波警報が全国各地に出され、地域によっては非難命令も出るという緊迫の1日となりました。

幸い、我が家は高台に建っていますので、津波の被害を受ける心配はありません。
駅まで遠くて、普段の通勤には不便な立地なのですが、今回は初めて有り難く思いました。
今のところ、大きな被害は報じられていないようですが、このブログをご覧いただいている皆さんはご無事でしたでしょうか。

さて、冬季五輪が行われているため、既に現役を引退した名選手たちがコメンテイターとしてテレビ画面に登場して、専門家としての意見を聞かせてくれています。

プレーではなく、あくまでも話すことが仕事ですから、本職のアナウンサーと同じように、正しい発声と話し方ができる方が望ましいのは言うまでもありません。

早稲田出身のコメンテイターでは、男性ならば複合の荻原健司さん(群馬・長野原高校出身。現・参議院議員)、女性ならばフィギュアの八木沼純子さん(東京・品川女子学院出身。現スポーツ・キャスター)の発声と語り口が一番安心して見ていることができます。
二人とも、現役時代から爽やかな語り口でしたから、今の職業に就いているのも納得です。

フィギュアの村主章枝(すぐり・ふみえ)さんも、我が家に近い清泉女学院から早稲田にやってきた選手なので、私はずっと応援しています。
でも、彼女の場合、鼻にかかる発声と語尾上げする語り口が少し気になります。
トップ・スケーターとしての素晴らしい経験をいかして活躍の幅を更に拡げるために、これからは話す技術も研いてくれたらいいなと思っています。

一方、世界を見渡すと、世界の頂点を極めた後、あっさりと別の道を歩き始める選手もいます。
1980年のレークプラシッド冬季五輪の男子スピードスケートの王者、エリック・ハイデンです。

ハイデンは、過酷なトレーニングで鍛え上げた強靱な体を武器に、500m、1,000m、1,500m、5,000m、10,000mの5種目全てで金メダルを獲得するという、文字通り空前絶後の偉業を成し遂げた氷上の王者です。

ハイデンが現役引退した時、CMなどへの出演依頼が殺到しました。
しかし彼は「金メダルを金儲けに利用したくない」と全てのオファーを断り、大学に戻って外科医となりました。
こんな生き方もあるんですねぇ。

写真は2003年秋のドラフトで指名を受けた直後の早稲田の4選手(左から比嘉、由田、青木、鳥谷)。
あれから7年が経ち、比嘉くんは今年から球団の広報担当として新しい道を歩き始めました。

比嘉くんは、沖縄尚学で甲子園優勝チームの主将であり、学業でもオール5、そしてルックスも二枚目という完全無欠の秀才。
政経学部でも理工学部でも、きっと彼は合格したでしょう。

早稲田でも主将として四連覇を達成し、教職課程も修了して卒業しました。

比嘉くんは頭の回転が速くて語り口も明快ですから、新しい仕事でも必ずや活躍してくれることと思います。
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入試問題に挑戦

2010-02-27 18:08:36 | 早稲田大学
明日の2月28日(日曜日)に行われる東京マラソン。
東京六大学各校の応援部員たちによる合同応援が、新宿駅近くで行われるそうです。
ちなみに歌舞伎町町内会からの要望によるものだそうです。
(それにしても、なぜ歌舞伎町なのかなぁ)

さて、毎日新聞のHPに、早稲田ほか主要校の入試問題が掲載されていました。
記事へのリンク

さっそく35年前に入学した法学部の最新の入試問題に挑んでみました。
社会科は、当時と同じ政治経済を選択しました。

英語は何とかなりそうですが、国語も政治経済もかなり難しいですね・・・

思いのほか、記述での解答を求められる問題が多いのには驚きました。
昔は、もっと択一型が多かったような記憶があります。

ちなみに、1970年代前半の私の受験生時代、政治経済に関しては、受験参考書に加えて、経済白書、労働白書、厚生白書などの最新版、あるいは新聞の縮刷版を図書館で読み込んで、要点をノートにまとめていました。

当時、ノートにまとめたと記憶しているトピックは、石油ショック、スタグフレーション、産業構造の高度化、南北問題、乱立する年金制度、公害訴訟問題、尊属殺人罪の法的問題、長沼ナイキ・ミサイル基地の訴訟問題、公務員の争議権などがあったと思います。

今年の入試問題に出題分野を見ると、情報化社会におけるプライバシー侵害の問題、世界経済のグローバリゼーションと環境問題、規制緩和、証券投資と金融工学、消費者保護行政など、現代を反映したトピックがずらりと並んでいて、時代の変化を感じさせられます。

「あれっ?」と思ったのは、出題が時事問題ばかりだということです。

私の受験生時代の「政治経済」という科目には、フランスの人権宣言あたり以降の世界と日本の近代史、あるいは経済学や政治学の基礎知識、も含まれていました。

したがって、日本でいえば、帝国憲法、普通選挙、日独伊三国同盟、治安維持法、翼賛選挙、日本国憲法、農地解放、日米安保協定などの、近代政治に関する重要な出来事の年号や説明などを求める設問、あるいはケインズの貨幣論、マルクスの資本論などの経済学に関して「乗数理論」「有効需要」「唯物史観」「階級闘争」などのキーワードに関する設問、あるいは憲法の主要な条文、労働三法、国民皆保険制度などに関する設問に答えられるように、広く浅く知識を詰め込んだものでした。

英語と社会科に限っては、国立大受験用の「地理」「倫理社会」も含め、意外に楽しみながらの受験勉強だったように思います。

あの時代から「政治経済」という教科自体の領域が見直されたのか、あるいは早稲田の法学部が意識的に出題傾向を変えたのかは分かりません。

今回の挑戦の結論をいえば、もし法学部をもう一度受験しようとしても、ちょっとやそっとの努力では合格はおぼつかないという厳しい現実であります。

古文と政経を一年間勉強したら結構いい線まで行けそうな気もしますけれど、とにかく最近は根気がなくなってしまいましたから。
2、3時間勉強したら、すぐに焼鳥屋さんに行ってしまうようなことでは、確実に万年浪人です。
(*^_^*)

写真は、昨日の朝7時ぐらいの東京・丸の内の仲通り。
明るくなるのが早くなるとともに、日射しが少しずつ春めいてきました。

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稲葉誠治さん

2010-02-26 18:02:36 | 大学野球
もう一度観たいのに、なかなかDVD化されなくて残念な映画が何本かあります。
その一つが「南の島に雪が降る」。

俳優の加藤大介さんが、第二次大戦中、陸軍の下士官としてニューギニアでご苦労された実体験をもとに書かれた本(写真)を、1961年(昭和36年)に東宝が映画化したものです。

加藤さんが昭和18年に送り込まれたニューギニアには、何万人もの兵士が投入されるも戦局が悪化し、昭和19年に入ると食料補給も途絶えて毎日栄養失調などで死者が相次ぐ悲惨な状況となりました。
そして半数の兵員が撤退しましたが、加藤さんは居残り組に。

「連合軍が上陸したら、すぐに玉砕だ」と、食糧を食べ尽くしてしまったが、ちっとも加藤さんたちの陣地に連合軍がやってこない。
実は、連合軍が「飛び石戦法」をとったため、加藤さんの部隊がいる地域は攻撃対象から外れて孤立してしまったのです。
このため、補給路を断たれ、食糧も食べ尽くしてしまった日本兵たちは生殺し状態となりました。

そこで日本軍は、ジャングルに畑を作って芋を栽培するなどして自給自足の長期戦の態勢をとったのですが、次第に兵士達の気持ちも荒んできました。
例えば、捕まえたカエルやトカゲを奪い合って激しい喧嘩が起きたりするような有様でした。

農作業の合間に一時休憩をとり、さあ作業を再開しようとした時に立ち上がらない兵隊がいる。
どうしたのかと思ったら、休憩で座りこんだ姿勢のまま死亡していたということもあったそうですから、気持ちが荒れてくるのも仕方ありません。

その状況への対処に将校たちが悩んだ結果、慰問の芝居をやろうということになり、司令官の号令の下、各部隊から俳優経験者、脚本家、カツラ職人、裁縫職人、染物職人、針金細工職人、三味線弾きなどが集められ、即製ながらもプロの揃った劇団が結成されました。
もちろん本職の俳優であった加藤さんも中心メンバーとなりました。

その慰問劇団の芝居を月一回観るために、各地域に散って陣地を構えている多数の部隊が交替で芝居小屋のある場所まで、ジャングルや川を越えて集まってきます。

ある時「瞼の母」の芝居が上演されました。
白い落下傘で作った雪原に、紙を細断した雪を降らせたところ、ある部隊は大歓声をあげましたが、東北出身者で編成されている部隊は、両手で顔を覆って全員が肩を震わせて泣き出したそうです。

この場面だけ取り上げれば苦しい中にも心温まる逸話となります。
でも、芝居を観るために自分の陣地から芝居小屋まで移動する際には、部隊によっては数日間も山野を歩かねばならないし、その間の弁当は芋の葉っぱだけ。
芝居を観終った兵隊さんが、自分の陣地に戻り、「ああ楽しい芝居だった」と伸びをしたまま息を引き取ることもあったそうですから、極限の状態ということに変わりはありません。

この劇団は、終戦後に全員が捕虜となった以降も、連合軍兵士も観劇できることを条件に英国軍の司令官が認めてくれて、復員するまで慰問活動が続けられました。

とにかく、ニューギニアの兵隊さんたちが、現在の私たちには想像もできない大変なご苦労をされたことが、この本から良く分かります。

さて、原作の文庫本を読んでいて、驚いたことが一つあります。
戦後に慶応野球部で監督をされた稲葉誠治さんが、ニューギニアで加藤大介さんと同じ地域の部隊で陸軍伍長として兵役に就いていらっしゃったことです。

稲葉誠治さんは、愛知県の旧制岡崎中学から慶応義塾に進まれた野球選手で、現役時代は投手。
戦前の六大学野球で活躍されました。

戦後は、創成期の横浜高校野球部の監督を経て、慶応義塾の監督を1956年-59年と4年間務められ、在任中に大学日本一を達成されました。
中田、衆樹、巽らの名選手が慶応にいた時代です。

その後は日通浦和を率いて社会人野球でも日本一を達成。
次いで流通経済大の野球部創設に尽力された後、プリンスホテルの初代監督として再び社会人野球スポニチ大会で全国優勝するなどの輝かしい実績を残されています。

私は、慶応の監督時代の稲場さんは知りません。
お名前を最初に知ったのは、稲場さんがプリンスホテルの初代監督に就任された時でした。

1979年にプリンスホテル野球部が結成された際、早稲田の監督を勇退されたばかりの石山建一さん(静岡高校-早大)が参加されました。
てっきり石山さんが監督かと思ったら実際には助監督だと聞き、「それでは誰が監督なんだろう」と不思議に思っていたら、稲葉さんでした。

稲葉さんの輝かしい球歴と実績をみれば、西武の堤オーナーから監督に指名されたのも納得です。

稲葉さんは、2001年に84歳で大往生されました。
戦時中のニューギニアでの苦難を乗り越えて、これほど野球一筋の人生を送られた稲葉さんのことですから、きっと天国でも野球をされているはずだと私は思います。
ひょっとしたら、ニューギニアで共にご苦労された加藤大介さんらの戦友たちを招いて、慰問野球試合をされているかも知れませんね。

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アルプスの若大将

2010-02-25 19:01:46 | 映画、テレビ、漫画
今日、東京で「春一番」が吹きました。
3月早々に1週間ばかり休暇を取ってロス・キャンプ見学に行く予定でしたが、どうしても仕事の調整ができず、断腸の思いで航空券・ホテル・レンタカーの予約を全てキャンセルしました。
(T_T)

さて、熱戦の続くバンクーバー冬季五輪が後半戦の佳境を迎えようとしています。

私の世代でウィンター・スポーツを身近に感じたのは、加山雄三さん主演の「アルプスの若大将」だという方が多いのではないかと思います。

「アルプスの若大将」は1966年(昭和41年)に封切りされた東宝作品。
京南大学スキー部のエース・田沼雄一(加山雄三)とパンアメリカン航空の社員・岸澄子(星由里子)とのヨーロッパでの出逢いと恋、そして苗場を舞台にした京南大学と西北大学とのスキー対抗戦(すなわちスキー早慶戦)での若大将の活躍を軸にした青春映画です。
加山雄三さんの人気絶頂期に封切りされた作品ということもあり、その年の日本映画で最多入場者数を記録するとともに、数ある若大将シリーズの中でも最高の興行実績となりました。

共演の星由里子さんは、若大将シリーズ開始当初にはポッチャリした少女の感じでしたが、本作品の頃にはすっかり洗練された大人の女性の雰囲気になっていて、「アルプスの若大将」での星さんは本当に素敵です。
そして挿入歌は「走れドンキー」「蒼い星くず」「夕陽は紅く」「ブライト・ホーン」「モンテローザ」と名曲揃い。
ちなみに、私は「ブライト・ホーン」が一番好きな曲です。
↓「ブライトホーン」のYouTube
携帯用リンク
パソコン用リンク

また、大相撲千秋楽の表彰式での「ヒョウ・ショウ・ジョウ」と言う挨拶で有名となったパン・アメリカン航空のデビット・ジョーンズさんの出演も話題となりました。

映画に登場する40年前のスキーヤーたちのファッションは、さすがに時代を感じさせますが、着ているのが時代を代表する美男美女となれば、やはり格好良いものです。

添付した写真は、作品の中で若大将にモーションをかける女性の役の若林映子さんです。
若林さんは、都立青山高校の私の先輩で、「007は二度死ぬ」に、ボンドガールとして浜美枝さんと共に出演された方です。
若林さんは、特撮テレビ「ウルトラQ」の「クモ男爵」にも出演されたりしています。

ところで私は、アメリカやアジアには仕事や遊びで何度も行っていますが、まだヨーロッパには行ったことがありません。
ですから、「アルプスの若大将」に登場するアルプスの美しい山々とローマの街並みが、私にとってのヨーロッパの原風景です。
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週べ今週号

2010-02-24 18:15:52 | 大学野球
週刊ベースボール今週号では、まず故障からの復活を期す和田毅投手の特集に注目です。

早稲田時代から徹底的な走り込みと独自の投球フォームにより、プロ入りしてからも常に主力投手として活躍してきた和田くん。
しかし昨年は、WBCメンバーから外れたあたりから運にも見放され、不本意なシーズンとなってしまいました。

年齢的には、野球選手としての経験と体力が最高のバランスになる時期ではないかと思います。
今季は、きっと和田くんらしいキレのある投球を見せてくれるものと期待しております。

そして、写真は、東大の新監督として活動を開始された御手洗(みたらい)健治さん(戸山高-東大-三菱商事)です。
商社マンとしてバリバリ活躍されている時にも、海外の赴任地で野球コーチをされたりしてきた、根っからの野球好きである御手洗さん。
三菱商事を定年で勇退され、これからは関係会社二社の顧問をされるものの、フルタイムで野球指導にあたるそうです。

御手洗さんについては、鬼監督の岡田彬さんの記事において、赤門旋風への期待を語らせていただきました。
岡田彬さんの記事

ところで、日本経済の不振が長引く中、東京でも都立高校への志望者が増えています。
今年の入試でも、日比谷、戸山、西の伝統校が高い倍率となったようです。

都立に限らず、日本各地の公立高校への人気が高まることは、大学野球ファンとして大歓迎です。
というのは、旧制中学からの長い歴史を有する伝統校には明治・大正時代からの文武両道の気風が受け継がれており、現在もOBの熱心なサポートに支えられた猛練習が伝統となっている野球部が数多くあるからです。

過去の赤門旋風でも、湘南、戸山、日比谷、新潟など、公立高校出身の選手たちが大活躍しました。
東大が怪物・江川に土をつけた試合などは、六大学野球の醍醐味といって良いでしょう。

大きな声では言えませんが、現在の不景気が続くと、東大野球部が強くなり、その結果、六大学野球が面白くなるのではないかと、秘かに考えています。

戸山高校出身の御手洗監督に、大いに期待したいと思います。
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福井優也投手への期待

2010-02-23 18:37:15 | 大学野球
オリンピック憲章の有名な一節に「より速く より高く より強く」というくだりがあります。

その言葉どおり、アスリートたちが鍛錬を重ねて才能を磨き上げ、技能が常人では決して真似のできない次元に達したとき、人々は最大級の賞賛と尊敬の気持ちを抱きます。

例えば、陸上競技、競泳などの種目では、「より速く より高く より強く」という言葉が、全く違和感なくフィットします。

ところが野球という競技を考えてみると、これが簡単ではないのです。

150キロの速球を投げても、勝負どころで打たれて負ければ一流投手とはいえません。
かたや130キロの投球でも、登板するごとに相手打線を最少失点に抑えて自軍を勝利に導き続ければ、押しも押されぬエース投手となります。

福井優也投手の調子の良い時の投球は、その球威に惚れ惚れさせられます。

それこそ、「より速く より強く」というスポーツの原点を感じさせる魅力があります。

しかし、そこは野球の難しさ。
相手打者との駆け引き、制球力、体と集中力のスタミナ・・・ 
下級生の頃と比較すると、かなり安定感が増してきましたが、これまでのところ、周囲から大エースと呼ばれる域には今一歩という感じです。

今年の早稲田がリーグ優勝するためのキー・プレーヤーは、斎藤主将と共に先発組を形成する福井くんだと私は考えています。
福井くんが伝統の背番号11を背負うことになったのも、周囲の期待の表れでしょう。

福井くんが、毎試合中盤まできっちりゲームを作ることができれば、早稲田はきっと優勝争いで主導権を握ることができます。

高校では、名将・上甲監督率いる済美の大エース。
甲子園優勝投手の誇りにかけて、早稲田でも第一エースの座を斎藤くんから奪い取るぐらいの意気込みで、ロス・キャンプに臨んでもらいたいと思います。

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喜劇新思想体系

2010-02-22 18:33:45 | 映画、テレビ、漫画
今日は2月22日。

1975年に私が早稲田の法学部を受験した際の受験番号が222番でした。
同時に願書を郵送した政治経済学部が1万5千番台だったので、「どういう具合で、こんなに違う番号になったのかなあ」と不思議に思ったものです。

ともかく、その受験番号222を合格発表のボードで発見したところから現在の早稲田スポーツ漬けの人生が始まった訳ですから、私にとって実に意味のある、ラッキーナンバーであることは間違いありません。

さて私が中学生だった頃、少年マガジンを愛読していました。

当時の少年マガジンには、不朽の名作「巨人の星」と「明日のジョー」が連載されているという黄金時代。
きっと、物凄い販売部数を誇っていたはずです。

そんな大物漫画家が大作を連載する超メジャーな存在であった少年マガジンに、ある時「光る風」という作品が掲載されました。

時代は、泥沼化したベトナム戦争で世界が揺れていた頃。
そんな世相を反映してか、「光る風」は、再軍備に着手した近未来の日本を描くがシリアスな内容のマンガで、その作者が山上たつひこさんでした。

そして私が高校に進んで暫らく経った頃、同じ中学からきたクラスメートでジャズ仲間のSくんが、「おいay、『喜劇新思想体系』って知ってるか。面白いぞ」というのです。
Sくんに関する過去記事

堅いタイトルでもありますし、てっきり「光る風」のような作品かと思って読んだらビックリ!
過激な下ネタと禁止用語の連発、上方漫才のリズム感を持った軽妙なストーリー展開、そこはかとなく漂う青春のむなしさ。
そんな様々な要素が渾然一体となったマンガが「喜劇新思想体系」でした。

主人公・逆向春助が住む安アパートに、
小説家志望の筒彦、
修行中の僧侶・時次郎、
三味線の師匠・亀丸、
「割烹おます」の若尾志麻と妹めぐみが常連として加わり、時にはドタバタ、時にはエログロをテーマにして、過激で殺那的な笑いを追求していました。(写真)

ブログで話題にするのがはばかられるような過激な内容だけに、みんな知らんぷりしながら実はしっかり読んでいるという、アングラ的な存在のまま「喜劇新思想体系」の連載は二年ほどで終了。
その後に連載がスタートして大人気となったのが「こまわりくん」でありました。

今になって考えてみると、全共闘世代に愛された「あしたのジョー」から、しらけ世代の「こまわりくん」へと、時代の潮目が変わった象徴だったんだなあというような気がします。

現在、山上さんは小説家になっているらしいです。



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激励会

2010-02-21 20:57:39 | 大学野球
今日は赤坂プリンスホテルで、野球部と応援部の新四年生幹部を招いて、こじんまりした激励会を行いました。
グラウンドが東伏見に移って以来、野球部・応援部の両部員が仲良く接する機会が減ったという理由から、応援部の元監督さんらが中心となり昨年から始まった企画です。

四月から神宮のグラウンドと応援席に分かれて、力を合わせて理想の王座を目指す彼らであります。

野球部は約二週間のロス・キャンプを目前に控えていますし、応援部も一週間の春季合宿が予定されていますので、話題は自然に合宿に関するものが多くなりました。
激しい練習が続く四年生幹部にとって、つかの間の息抜きになったでしょうか。

開幕まで2ヶ月を切りました。
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失われた10 年間

2010-02-20 19:29:58 | 社会全般
なぜ日本がこの10年間で世界経済の発展から置き去りをくってしまったか。

象徴的な例を挙げれば、1996年には世界で3位であった日本の国民1人あたりGDPが、経済の無成長が続いた結果、2007年には23位にまで低下してしまったというのが厳しい現実であります。

大蔵省OBで、銀行法に関する優れた著書を残されている小山嘉昭さんという方がいらっしゃいます。

小山さんが、この経済の長期停滞の理由について、とても興味深い分析をされていたので、皆様にご紹介します。

(1) 輸出産業主導型経済では、海外市場の開拓のため、海外の適地に工場を建設するなどの投資をしていくことになるので、産業自体は稼いでも、その収益のかなりの部分が海外に出て行ってしまう。

(2) 輸出が増えても、輸入は増えなかったので、外貨が貯まり、それを日本は概ね米ドルで保有していた。そのドル資産がドル安・円高で大きく減価してしまった。

(3) 日本企業が長期化する経済停滞をリストラにより乗り切ろうとしたので、経済全体の縮小均衡を招いた。いわゆる合成の誤謬である。

(4) 規制緩和といいながら内需型産業の振興、特にサービス産業の育成に失敗すると共に、効率化の起爆剤となる農業などの産業構造を内から改造できなかった。

(5) 経済大国といわれながら、創造性に行き詰まり、日本が世界を主導するような大型の新商品を世に送り出すことができなかった。

(6) 労働人口の3分の1が非正規社員という状況となった結果、個人消費・購買力の創出に対して大きくマイナスに働いた

(7) 財政再建に失敗した結果、今後の重税の可能性や社会保障への不安から、現役世代の生活態度が縮み志向になった。

どれも、実に説得力のあるご指摘だと思います。

それでは、これからどうするのか。
上記7項目をみても、問題点は多岐にわたっています。

決して一発で効果のあがるような特効薬はありませんので、上記で課題が明らかとなった分野を対象にして、様々な施策を着実に、かつタイムリーに講じていかなければなりません。
そして、何よりも大切なことは、民間の創造力を最大限に活かすための大胆な規制改革を行ない、厳しい国際競争に進んで身を投じることです。

そんな待った無しの厳しい状況で、国会は、いったい何をやっているのでしょうか。

自民党の谷垣さんが指摘する、鳩山さんの言動が健全な納税者意識に与える悪影響は、その点だけを取り上げれば至極もっともです。
しかし、二世・三世議員の多い自民党でも、政治団体を利用した相続税の節税策が幅広く利用されていたと報じられていますから、説得力はないですね。

国会には、もっと政策論争を期待したいです。
「事件」好きの報道機関の責任も極めて重いです。

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5年間の重み

2010-02-19 18:04:19 | 大学野球
社会人、それも私ぐらいの年齢のサラリーマンともなると、5年間という時間は短く感じるものです。
良くも悪くも、毎日の生活にさほど大きな変化を与えずに、時間があっという間に過ぎ去っていきます。
5年前に、ある程度、現在の生活が想像できました。

しかし、高校から大学に進む年齢の若者たちにとって、5年間という時間は、比べものにならない重みがあります。

5年前の2005年の野球雑誌を眺めていたところ、10年間甲子園から遠ざかって苦しむ、当時の早実が紹介されていました。

折しもライバル慶應義塾高校が45年ぶりにセンバツに出場して、見事にベスト・エイトに進出した年です。

かたや早実は、南大沢に王貞治球場が竣工して一年が経つも未だ結果が出ない状況だったので、当然のように、「慶応に遅れをとって、早実はどうした」「監督は、今のままで良いのか」という厳しい声が野球部OBからもあがっていました。
和泉監督が最も苦しかった時期だと思います。

その雑誌の中で、当時の早実は次のように紹介されています。
「今年のチームは、好打者・日野悠三を打の柱とし、高屋敷仁・斎藤佑樹が投の二本柱。守備では、二年生ながら後藤貴司が内野の要で、まとまりの良いチームを目指している」
実は、雑誌の原文では「斎藤祐樹」と名前が誤記されたままになっていまして、そんなところからも、彼がまだ普通の存在であった頃の記事であることを感じます。

添付した写真は、その投の二本柱・高屋敷くんと斎藤くんです。
写真の中で仲良くポーズをとる二人は、5年後の自分の姿を想像できなかったことでしょう。

これまで二人は同じアマチュア投手として、一学年の違いがあるものの、ずっと一緒でした。

しかし、今や高屋敷くんは、学生生活を終えて、テレビディレクターとしての第一歩を踏み出そうとするところ。
かたや斎藤くんは、大学野球の最終学年、そしてドラフトイヤーに臨もうとしています。

いよいよ別の道を歩き始める、これからの5年間。
無限の可能性があります。

就職、大学院進学、恋愛、結婚、海外挑戦…
次に彼らが過ごす5年間に、どんなイベントが待っているのでしょうか。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言われます。
どんな分野に進むにしても、彼らのキャリア形成のために本当に重要な5年間となることは間違いありません。

二人が充実した5年間を送り、逞しく各々の人生を切り拓いていってくれることを期待いたしましょう。

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