【致道博物館(2)】
旧庄内藩は現在の鶴岡市と酒田市を中心にして栄えた町です。武士の鶴岡と町民の酒田が住み分けています。徳川家の四天王の一人酒井忠次が藩祖で、高崎、高田、松代を経て、ここ庄内に移ってきました。
戊辰戦争では幕府軍の中心となり戦い、連戦連勝で秋田まで攻め上りましたが、会津が落ちついに降伏しました。破軍星旗を先頭に進軍する二番大隊の酒井玄蕃の活躍がよく知られています。

(破軍星旗を先頭に向かうところ敵なしの二番大隊)

(庄内藩の肩章は日の丸です)

(庄内藩の戊辰戦争)

(ご当主酒井様の特別の計らいで戊辰戦争絵巻を見る)
(鶴岡市)
この頃の暑さは一体どうしたことでしょうね。
日本が亜熱帯地方になるのもすぐなのでしょうね。
山形へ行ったら庄内地方へいてみます
庄内藩のことでしたと思いますが…
全国のお殿様勢揃いの会議の交流会で
庄内藩士の末裔の方々から
「うちの殿様は地元にお住まいです!!」
と自慢話をされたそうです。
私達も負けずにお殿様の自慢話しましょうね~
私は旅と職場でお酒と一緒に自慢話してます~
庄内は山形でも新潟寄りで、出羽三山が有名ですね。
時間があれば羽黒山の石段を登ってみたかったですね。
猛暑ですがお元気でしょうか。
明治の初め、ほとんどの藩の殿様は東京に住んだのですが、庄内のお殿様は
鶴岡に住み続けたと聞きます。
今の殿様は知道館博物館の館長ですし、若殿様は松ヶ岡開墾村にお勤めですね。
今回の旅では、お二人に挨拶をしてきました。
地元に溶け込んだお殿様はいいですね。
今は仕官出来てますね♪
庄内のお殿様も地元密着で善政の方々かと思いますが、
我々のお殿様や若様の人柄などを負けず劣らず宣伝しましょうね!!
私は旅先でその土地のお殿様自慢される時には、私の仕えさせて頂いているお殿様の自慢話でお返ししますよ=3
当店で日本酒に関心を持たれた方々にも、蔵元のために書かれた絵画がパンフレットにありますから、
「この絵はお殿様がお描きになられたのですよ!!」
と宣伝してます。
きょうも暑い一日でした。
今年ももう少しで寅太の師匠河井継之助の命日が近づいてきました。
只見で遺言を聞いた寅太は、商人になるんでしたね。
高校野球の季節になると、阪神電鉄やアサヒビールよりも、
阪神タイガースと寅太の関係が注目されます。
最近「阪神電車」という本に甲子園にあった外山脩造の銅像が
載っており、関西方面からの問い合わせがあります。
庄内と酒井様と同じように、長岡と牧野様も地元密着ですね。
時代は変わっても誇りに思う殿様を持つことはうれしいですね。