銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

宮台教授襲撃・・・は、鎌倉(CIAAjent)が企画した謀略で、清川まどか先生を守る為ですね

2022-11-30 19:57:04 | 政治

 実は、今、2000字ぐらいがあっという間に消えました。これは、最大級の真実を書いて居る時の敵方の攻撃スタイルなので、これから、もう一回、頭を絞り出して同じことを書いていきますが、今から書いて行くことは真実です。「えっ!」と、お思いになる方も、あるやもしれずと、思います。だが、真実です。最上級の真実です。

副題1、『ウーム。やられたと、30日の朝は、思った。しかし、私は、精神的には、大丈夫だったのだ』

 幕末のざれ歌に、「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」というのがあります。私は、29日の夜は、NHKニュース7時か、8時45分かに、急に短く、宮台教授襲撃のニュースを聞いたわけですが、決して、その夜には、驚かされたり、悩まされたりしたわけではありませんでした。本日も朝から、ずっと、手仕事=御針仕事をしていたのです。こういうことは大好きです。最近、余裕が無くて、していなかったのですが、清川病院で、捏造写真を見せられて、危うく不要な手術をされそうになった罠を乗り越えたのですから、大喜びで、心には、余裕が一杯です。

 昨日も同じでした。22-11-29は、心に余裕があるので、たまっていたクラシック音楽の録画をずっと、見直していたのです。好きな部分は何度も繰り返して。で、レア・デゾンドレと、いう、29歳のめっぞソプラノが、今パリじゅうの市民を熱狂させていると、言う事について、一文を書いて居たほどです。 

 彼女は、最近では珍しくもパリ生まれ、パリ育ちのクラシック歌手なのですよ。それに、今年の四月、パリ・グルニエ宮(古い方のオペラげきじょう)で、久しぶりに公演をされた、フィガロの結婚の、お小姓、ケルビーノで、初めて大劇場、しかも、オペラの重要な役で、デビューをしたのです。それまでは、世界中をあるカンパニー(楽団)の団員として、回っていて、舞台で、しっかりとした役をもらったことはないのです。つまり、オーケストラを伴奏にして歌ったことはないのです。それがフィガロの結婚の中で、すでに、名声を確立した大スター陣に交じって、唯一の新人なのに、堂々と互角に歌って、しかも芝居が上手なので、とても、輝いていたのです。

 ケルビーノって、一種の道化です。主役ではない。しかし、モーツアルトが、伯爵の処女権行使を批判すると、言う結構政治的に、問題を含むオペラの中で、息抜き的存在として使っている役で、ズボン役と言って、若い男の役なのに、必ず、女性が演じることになっている役です。その時の演出がとても奇抜で、舞台裏で、舞台をすると言う二重設定だったので、出演者が着替えのために、結構な回数、裸になるのですよ。または、下着姿に。伯爵夫人役の、マリア・ベングドソンだって青いブラジャーと青いパンツだけの姿をちらっと見せるのです。ケルビーノも着かえる場面があって、その時、股間に大きなふくらみを、作って、装着しているのです。おかしくておかしくて。

 それが四月だったのに、七月には、エッフェル塔の前に集積した、何千人もの聴衆からやんやの喝さいを送られているのです。大変な発展です。体格は華奢で、背も高くないし、言っては失礼ながら、鼻が鉤鼻です。だけど、パリサイ音楽祭では、自分は、デュエットの一人、または、独唱の人として主役だから、「まるで、10頭身ではないですか?」というほどに、長身に見えました。それは、きゃしゃな上半身の下に、膨らんだボリュームのある、しかも色が格段に美しいスカートを着ていたからです。高めのハイヒールも履いていたでしょう。同時に出たアリス・さら・オットーが、はだしで、有名なので、最後の舞台挨拶では、さらより、レアの方が、20㎝は高かったです。そして、新人なのに、悪びれもせず、しかも、傲慢ではない雰囲気で、ケルビーノノアリア『恋とはどんなものかしら』を歌ったのです。聴衆は大喜びです。そして、かれらの「好きだよ、好きだよ」という熱狂を、きちんと、受け止めていたのです。幸福とは、本日の彼女と、彼女の周辺に漂う雰囲気を指すのだろうと思ったほど、輝いていました。

 それが29日の太陽が高い時間帯の事です。が、その前の日の28日だって、幸せな感じがあって、横須賀芸術劇場のサービスセンターで、藤田真央のチケットと、牛田智大のチケットを買っていたのです。私が、もっと、余裕を持って居る時は絵をかきます。しかし、それほどではないが、決して追い詰められてはいないと、感じている時は、音楽と縫物が、定番の楽しみです。それに浸っていたのです。そこへもってきて、たった四杯の上喜撰としての、宮台教授への襲撃です。

 まあ、そりゃあびっくりしますよ。だけど、江戸末期のざれ歌のごとくに、眠られなかった・・・・・というわけではないのです。

 まず、肉体への攻撃として、激しい睡魔に襲われていたので、その事件について、考える余裕も、ブログを書く余裕もなかったからです。で、そのまま、29日の夜は寝ました。朝起きて、・・・・・やっと、あれは、謀略ですね。で、どういう風に民放が、報道をするかは、検討しないといけません・・・・・と、考えて、TBS、とTV朝日のお昼のニュースを録画して置いて、詳しく、検討をしました。と、同時にNHKニュースも検討をしました。

 しかし、こういう謀略を鎌倉エージェントが、起こすと言う事は、事前には、私には、推察ができません。だから、蒸気船の揶揄を思い出したのです。だけど、徳川幕府ではないです。私はね。

 午後二時まで、民放は、短い時間だけを割いて、報道をしました。6chが、7分と2分、テレビ朝日も大体、同じです。が、二回目が長かったかな?

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副題2、『このニュースは宮台教授ご自身の記者会見(病院のベッド上でもよいが)もないし、入院先の病院の記者会見もない。しかも、証言者の一人(学生)によれば、「担架で、運ばれた人が居た。あの人が、教授だと思うけれど、全体を布が覆っていた」と、言っていました。

 これは、鎌倉エージェントが発案をした、謀略の際には、典型的に使われる手法です。一部に嘘を含むので、当事者の姿は、大きく隠します。
 襲われた直後には、学生が目撃者と、なっているわけですが、その学生に向かって、教授は「頭を石で殴られた」とおっしゃたわけです。よね? 

 きちんと意識はあったわけです。その学生が、携帯で、救急車を呼んだわけではないらしく、彼は、すぐ保健室へ走ったと、言っています。 保健室で、手当てをすればよいと、学生が判断をしたのは、それだけ、教授がしっかりなさっていたと、言う事です。椅子に座っておられたそうですが、しっかりなさっていたと、言う事です。傷が軽かったと言う事です。

 もっと、ひどいけがで、地面にうつぶせになっている状態だったら、その学生自身が、119番へ、電話をかけて、救急車を呼んだと、思いますよ。今時、そして、ニュースを見れば、マスクをしているものの、非常に上品なお顔をした大学生が、スマホを持って居ないわけはないです。

  そんなに軽いけがなのに、別の学生が、「担架で、運ばれる人を見た。たぶん教授だと思うけれど、布が覆っているので、お顔は見えなかった」と、言っています。おかしいですね。生きている人を担架で運ぶ場合、絶対に、布では覆いません。死んだ方は、布で覆いますけれどね。布で覆ったら息ができないではないですか。だから絶対に覆いません。教授が生きているのに覆ったのはけがの程度に、嘘があり、それを隠す為でしょう。

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副題3、『教授はなぜ、ご自分で、救急車を呼ばなかったのだろうか? また、他の人に犯人について、暗かったからわからないと、述べておられる。ただし、学生たちが「大学側が不審者が出たので、気を付けてください」という構内放送を流したのが、4時か5時だったと、言っているので、教授の暗かったという証言とは矛盾をする。こういう風に後から、いろいろな矛盾点が出てくるのが、謀略としての事件の特徴で、有名人を駒として、使っているが、あっちこっち、矛盾が出て来てつじつまが合わなくなるのは、過去の、こういう事件と全く同じである。

 この事件については、まだ、まだ、書かないといけません。だけど、本日は、ここまでにしておきます。皆様が、この節を信じられようと、信じないと言われようとそれは、ご自由です。

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東電OL殺人事件、いじめの構造を理解しよう。それをどう覆すかが、大問題だが。ジンジャーと曼殊沙華ー6

2022-11-30 03:17:38 | 政治

 これは、今書いて居るシリーズの第六弾です。肺のレンントゲン写真に、アドビ・フォトショップを使ったであろう、嘘の画像をレイヤーとして重ねて、結核と言って脅かすか、癌と言って脅かすかをして、その上で、癌であれば、不必要な手術を施して2023年の3月ごろまでに、私を殺してしまおうという企みを、述べ始めています。しかし、それは、一応、ここで、ペンディングとさせてください。

 ジンジャーと曼殊沙華のシリーズに戻ります。

副題1、『エリート中のエリート女性だった東電OLを殺した真犯人は誰だ』

 政府が、はっきりと原発依存への傾斜を発表している昨今、それは、私潰しの政策だけれど、それに歯向かっても、いかんせん力不足で、蟷螂の斧にもなりえないので、それに対する反論や解説は、やめておきます。

 しかし、ここで、東電OLだった、ワタナベ某嬢に対して、彼女を殺したのは、瀬島龍三が飼っていた瀬島機関か、それとも、私が、常に言う、アサッシン集団(警察庁内部に、ある組織のブルーカラー部門)がやったのかは知りませんが、一般社会で、通念として広まっている、ヒマラヤ山脈のふもとの国から出稼ぎに来ていた男の犯罪だと、言うのは、当たっていないと家訓をしています。その男は、彼女のその晩の行きずりの相手で、彼のDNAが彼女の膣内から、発見されたとしても、それは、毎晩、行きずりの、男性と、セックスをしては、憂さを晴らしていたらしいW嬢のセックス相手だったかもしれませんが、彼女を殺してはいないと思います。

 その男が去ったのちに、その部屋に入り、筋弛緩剤を注射するか、または、クロロフォルム等を嗅がせた挙句に、酸素を断つ仕組みを用いたか? そういう仕事をする複数の男たちがいて、常に、尾行を繰り返し、彼女の行動パターンを熟知していたと、考えます。

 彼女は、お金を持って居ない男たちを拾う際に、ホテルなどに入れないので、空き家を見つけていたらしいのです。または、現在の貨幣価値で、月三万円ぐらいで、古い木造アパートの一室を借りていたのかもしれません。もし借りていたのだったら、布団を彼女が持ち込んでいた可能性はありますが、ベッドとか、は、入っていなかった粗末なというか、素朴極まりない部屋で、事に及んでいたのでした。

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あたかも、肺結核らしく捏造されたレントゲン写真ー3 ところでこれから、清川病院との関係をどうするつもりか?

2022-11-27 23:22:57 | 政治

 今は、28日の夜九時です。北久里浜の旧宅で、スマホの電源が切れた後、カフェで、午後2時まで、加筆して、その後、7時間、鎌倉の家で、家事をして、今、やっと再び、パソコンを打っております。なお、まったくタイトルが異なっていますが、これは、100%前報(挿入・注2)の続きであって、ジンジャーと曼殊沙華シリーズの第五回といってよいものです。

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副題1、『今、鎌倉中が緊張感で、しーんとしているのを感じる。それは、私が、まどか先生の実名を使って、清川病院で、捏造写真をみせられたと、語り始めたからである。清川まどか先生は、お育ちの良いお嬢様でしかなくて、わがご近所の面々より、か弱い方かもしれない。ただし、鎌倉という、街における、社会階層的、地位、もしくは、知名度において、ご近所人間達より、数段上である。だから、彼女を自分たちの悪の実現する方向で、利用した、伊藤玄二郎達=私が鎌倉エージェントと日頃、呼んでいる面々=は、今、震えあがっているところだろう』

 実は、最近、鎌倉中が緊張していると肌で感じます。それは、清川病院という131年の伝統ある病院の現院長・・・・若いお嬢様、たぶん4代目であろう方・・・・が、偽物のレントゲン写真を私に見せたと、書いたからでしょう。

肺のR写真に偽の影が挿入され、すぐ近所に結核らしいと伝わって平木伸明さんが大喜びをしていた。恐ろしい人間達だ    2022-11-11 23:38:12 | 政治

の、副題αの中で、以下(黒字の部分)の様に書いています。
 私は、自分の話していることが、最先端の政治状況であり、一般の方が理解しにくいところもあるだろうと考えていて、傍証付け部部分に多くの字数を割きます。それを取り去って、主要な部分だけを残し、そこで、書いた部分をはっきりとさせましょう。 

 私は今、高血圧の治療のために、清川病院というところに通院をしている。ところが、清川病院の、清川まどか、院長が、この2022-10-24に、お示しになったレントゲン写真には、私の肺に白い影がある。しかし、私は、瞬間的に、これは、嘘画像だと確信をした。まどか院長が、そういう技術を持っているわけではない。また、清川病院のレントゲン技師が、それを作ったとも思わない。

 だが、伊藤玄二郎を、頂点とする、鎌倉エージェントのアイデアで、それが、製作されたということは確かだ。

 どこで?と、思うと、今、JPEG FILEはすべてスパコンに入るので、あそこだと、わかっているところがある。だが、あまりにもあくどい話なので、どこでとは言わないでおく。だって、正しいことを言ったって、必ず否定をしてくるはずだからだ。

::::::::ここですが、今、22-11-28日に挿入として、解説を加えます。これを書いた最初の日から、すでに、2週間と4日経っています。そして、ジンジャーと曼殊沙華と、言うシリーズを書き始めています。それは、古い話ですが、鎌倉雪ノ下がどれほどにCIAに憑依され汚染をされているかを書いたのです。

 特に岸田淳平家が、お気の毒なことに、ご夫妻ともに、癌にかかっているのですが、奥様の方が、癌にかかったきっかけが、私にあったと、安野智紗さんと、前田清子さんは、言いふらし、ご近所人間に信じ込ませているでしょう。非常に嫌な話ですが、ある人の死の責任を、私にかぶせているのです。そうした方が、村八分の効果がさらに上がるからです。まったくもって、ひどいえん罪です。

 それは、山間の煙と、言うエッセーで、書き表している、産業廃棄物の煙が、原因です。山ノ下・・・・現在は、鶴岡八幡宮の結婚式場の一つ=鶯吟亭となっているお屋敷の前の持ち主=土建業者が、燃やしているごみから出る煤について、私が、出していると、いうえん罪を被った上に、岸田淳平夫人が、それを、町内会当番として、私にひどいこと場d、あなたやめなさい」といったから、「煤は出していません。焚火はしていません。すぐ南側の庭を見に来てください」といったのに、岸田夫人は、いじめ主婦軍団の、前田さんと安野さんのメンツを失わせることを恐れて、現場を見に来ないから、ブログに書いたのです。自分たちの方がそもそもおっちょこちょいの上に、さらにいじめの最高の形として、ご近所主婦を小ばかに仕切っているので、岸田淳平夫人は、その板挟みになって、心身を痛め、それが癌発生の、引き金だったでしょう。煙の出どころで、まず、えん罪を被って、それにさらに輪をかけて、癌を発症させて、岸田淳平夫人を殺した、というダブルのえん罪の積み重ねによって、ひどい被害を被っている、そういう私の現状を書きました。それが、相当に、重要なことであり、それを、書いたうえで、やっと、清川まどか院長が、捏造された肺の写真をみせたということを口外し始めたわけです。

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副題2、『敵さんたちが、今、どういう風に考えているかを推察しておきたい。でないと、大きな損失を被るから、きちんと推察していると、言わないといけません。

 彼らは、<勝手にほざけよ。お前、清川病院はもう出入り禁止だよ。そして、私たちは、厚生労働省を支配しているから、ほかの病院へも行かれないぞ。そういう風に、私たちは、手配をするのだからね。ほえ面かくな>と、考えているでしょう。

 そんなことは、百も承知です。で、どうするつもりなのかについては、きちんと覚悟を決めて、方針も決めてあります。それは、この件をブログに乗せ始めた時から、決めてあります。ただ、今は、その詳細を明かしません。ブログで、積み重ねをしたうえで、方針をさらします。

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副題3、『私は宗興寺の、法事にも参加しなかった様に、ブログを書くことを最優先をしている。その中心的テーマは、伊藤玄二郎達、CIAエージェントの悪を書きぬくことである。ただ、彼らは、自分たちもアメリカの軍産共同体本部の家来であるが、できるだけ、自分たちの姿を隠そうとしていて、私と直接接触するのは、別人である。

今回は、清川まどかさんという人物を表面に押し立てて悪・利用をしてきた。そして、肺結核かもしれない、白い影のある捏造写真をみせられた時刻=午後五時の、二時間後には、平木伸明さんが、堂々と、最高レベルの、いじめ用・嫌がらせをしてきた。そのふたつから演繹できる結論とは、この案件も、伊藤玄二郎が、中心となって進行しているという事。

 しかも、これから先、もし、清川まどか先生が、「やはり、肺がんでした」と診断を下して、清川病院内、もしくは、合併した、徳洲会病院内で、両肺の、三分の一程度を手術して、切り取ってしまったら、私は、三か月以内に死ぬでしょう。「肺に白い影が浮かんでいるのは、捏造です」と、はっきり言わないと、そういう脚本に乗せられて、殺されてしまう。これは、絶対に戦わないと、いけないのです。

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副題4、『では、どこで、かつ誰が、捏造写真を作ったのか?』

 ここに、肺の、レントゲン写真に、あたかも、結核であるがごとき、改悪をした、組織名を書きましょう。それは桜田門に大ビルを持つ、警察庁内の、IT専門技術スタッフだと、推察しています。::::::::という挿入を入れて、その日に書いた原文に戻ります。


 清川まどか先生には、私にこういうことを書かれてしまう一種の落ち度があります。それは、レントゲン写真を撮った、直後に、もう一回問診をなさる・・・・ということをなさらないのです。一か月後に、患者はそれを見るという形です。

 それは、良くないです。清川病院は大病院で、レントゲン室と、まどか先生の診察室が離れているとはいっても、今はすべてパソコンの世界ですから、私が胸の画像を撮影した直後に、まどか先生のパソコンに画像が届きます。

 まどか先生は、私の目の前を、午後五時前に、素通りして、帰って行ってしまいます。それは、本当によくないです。これでは、患者さんは、集積しません。人気が無くなってしまいます。その三十分間は、とても大切です。駅そばのクリニックで、人気があるところなど、夜6時半まで、患者がいっぱいです。午後5時前に帰ってしまわれるのなら、先生が、お帰りになる道は、別に作って、患者には見せないか、ちょっと、コーフィーでも飲んで、診察室に、午後五時まで、いらっしゃるべきです。
 そうしたら、たった、三分で患者は、地下一階から、地上一階のまどか先生の診察室にまで、戻ってくるのですから、十分にその日のうちにレントゲン写真を二人で、検討することができます。そうしたら画像にうその影を入れ込めることなど、不可能になるでしょう。

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副題5、「NHKは、繰り返し告げた。「日本人の二人に一人が癌にかかっている」と。私はそれを聞きながら、「嘘でしょう」と考えていた。例えば、日吉に住んでいた、私の両親の子孫は、孫やひ孫まで、ふくめると、合計12人になりますが、一人も癌には、かかっていません。

私は、安倍晋三元総理大臣が、難病の大腸炎を患って、辞任をなさったときから、CIAは、パソコンにも侵入して、被害を起こすが、人体にも侵入して、被害を起こすと気が付いています。

 それから、厚生労働省と、文部科学省が、今では、大変重要な省となっていて、そこを使って、CIAエージェントは、日本を支配していきます。昔は、大蔵省とか、通産省でした。しかし、今は、まったく違うんです。
 つまり、植民地国家としての日本を経営する側は、働きアリが大切です。働きアリは、数千万人います。それ等から、ひと月で1800円、一年で、二万円・電気代として、実費より上乗せして取るだけでも、軽く、10兆円になります。それが、原発稼働以来、40年間続いたと、仮定すると、400兆円になります。そうやって、日本人は、貧乏になっていきました。私は、安倍晋三元総理大臣が、難病の大腸炎を患って、辞任をなさったときから、CIAは、パソコンにも侵入して、被害を起こすが、人体にも侵入して、被害を起こすと気が付いています。
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 そういうウソの情報を流したうえで、市町村の、役所から、ほぼ全住民に、「がん検診を受けましょう」という連絡が届く。それには市町村の公金だけではなくて、国家からも、お金が出ているでしょう。日本の国家予算は、破綻に、近づいているとみています。膨大な借金(国債の発行を、もってして、借金)を重ねている政府と、日銀だ。
 それは、CIAエージェントたちが、殺してしまいたいと願っているターゲットの胸のレントゲン写真に、白い影を捏造し、「がんのステージ四代に達していると告知して、その結果、手術を受けさせて、健康な肺を、両肺で、20%か、30%切り取ってしまうという形で、干満に殺しえ行く
 それから、厚生労働省です。

@@@@@ここに加筆をする予定があります。

 

副題6、『ここで、偽造されたレントゲン写真と、清川まどか院長からは、いったん離れたい。ビビっているわけではなくて、その件をより明快にさせるために、雪ノ下2丁目の、住人について、さらに解説を重ねる必要があるからだ。

で、伝染性の病気にかかると、如何に、周辺から忌み嫌われるかということへ入っていきたいのだ』

 今、小・中・学校社会で、はびこっているらしい、集団性を利用したいじめのケースですが、それは、人数が、少なくなっているものの、私が住んでいる、雪ノ下2丁目の、雪ノ下、連中が行っていることと、まったく同じです。

 小・中学校のケースに戻ります。特に担任の先生が力量不足で、性格も悪いケースだと、学級崩壊が起こります。すると、先生は、別の方法で、クラスをまとめようとします。それは、先生が、率先して、ターゲットを作り、それを、クラス全体が集中していじめることによって、一応クラスの、統一性が保たれて、荒れた教室とはならないからです。たった一人を犠牲にして、クラスをまとめていく・・・・・そういうケースは、なんと、1950年代当時は、横浜一の名門校だった、横国大付属、中学校でも生起しました。

 その中学校は、戦後の学制改革を経て、設立されてまだ、7年目でしたが、すでに、先輩が、先生方をからかった数え歌ができていました。その第五番目に登場する、当該の、いじめをした、担任は、「いつーつ、いたくら、鬼面冠者」と、呼ばれていました。これは、先輩たちが、すでに、この担任の先生の恐ろしさを見抜いていたのではないかと、推察されます。一方で、優しい先生については、「九つ、クモイの、天平美人」と、言う詞でしたから、イタクラ先生が、どれほどに恐ろしいところがある先生だったかがわかります。

 ところで、いたくら先生のターゲットになった、生徒とは、本間君という男の子でした。後年「本間死んだらしいよ」と誰かが言うと、「あ、とんま!、そう! へー!」と、何の哀悼も示さない相槌を打つ同期生がいて、たこべや的小さな世界での、いじめ(群集心理)の洗脳力の恐ろしさを知ったのでした。

 板倉先生は、ご自分のクラスが派手な方で輝かしい、成績を上げることが目的でかっこいい生徒を集めていました。そちらをAと呼び、Bという別のクラスがありました。私は、入試成績が、ほかの子と、50点の差をつけて、一番で、入学したので、当然Aクラス配属の生徒でした。しかし、板倉先生の本間君への、ホームルームの一時間・全部を使っての、集中的ないじめには、批判的でした。顔は弱〃しいし、おとなしい感じなのですよ。でも、芯は、強いし正義感でもあります。だから、板倉先生に、視線で、批判を示していた可能性があります。で、Aから、Bへとクラスが、変わりました。  

 こんな子は私一人だったので、Bクラスの級友には、「何か板倉先生との間にトラブルがあったのでしょうね」と、推察をされたと思いますが、それで、結構でした。板倉先生の本間君に対するいじめを、見ているだけ程、つらいことはなかったからです。

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副題7、『雪ノ下へ戻ります。ジンジャーと曼殊沙華というシリーズは、後半の主たる登場人物としては、大原光孝というプロの画家を想定しています。しかし、彼にとって、南隣に当たる岸田淳平とは、如何に違う、レベルの人間かと、言うことを書き連ねています。

 それは、平木伸明さんと、同じく、CIAに憑依をされて数々の恐ろしいいじめ・・・・(?50代の、男が、五歳も年上の女に対していじめというのも、あまりに、おかしい言い草だが)・・・・を行ってきている人間だからです。

 岸田淳平氏も、同じことを、周囲から、特に花輪夫人から、聞かされていると、思いますが、表現の仕方が違います。ところで、平木さん一家のいじめとは、2013年の7月22日から、顕在化したのですが、大原光孝のいじめは、2003年ごろから、始まっています。

 でね、数多い捨て台詞を放つ、という形での嫌がらせを受け続けましたが、その一つに、「この山のみんなが、川崎さんは、離婚をするよと言っているよ」というものがあります。

 この際、彼は離婚が、人生の負けだという価値観に基づいて発言をしております。私はね、何か、仕事を持つ女性は離婚をしても、かまわないと、思います。特に収入があり、かつ子供がいなかったら、離婚をしてもいいのです。

 しかし、私の北隣に勝って住んでいた、藤本夫人が、昔、いみじくも言っていた通り、大原光孝の捨て台詞には、小市民社会・びと・典型の価値観が潜んでいて、離婚をするのは、負けであり、「川崎さん、あんたは負けたんだよ」というからかいが、見え見えでした。私は、女性、特にアーチストの離婚や、独居には、賛成していましたので、「あなた、何言っているのよ。芸術家のくせに、古臭い道徳観を持っているのね。小市民階級にしか過ぎない・・・・そういう典型ですよ。また、また、バカ丸出しにした・・・・・という風に思いました。彼は、芸術家でも何でもないです。

 テクニック優先の絵画を描くプロ(または職人)です。自分の作品を売ることを最優先にしている画家です。これは、一生、精神的に苦しいですよ。それなのに、それが、格好がいいと思い込んで、選んだ人生です。そして彼には、今現在も、CIAから、授与される金銭(例えば、酒井忠康氏のお世話で、絵が売れるという形で、収入を得ていると推察しているが)を除けば、非常に貧しい人であり、したがって家族関係にもいろいろなひずみが生じていて、実際には、彼の方こそ、実質的な離婚状態です。あの家には奥さんの影が、十年以上ありません。

 ところで、ここまでは、すでに書いてきた内容です。しかし、これから先、初出の文章を出します。

 私は、彼の言葉を聞きながら、「あ、そうお。わかった。そういっておけば。私はね。あなたのそういうところ===馬鹿さ加減===を、筆に乗せるために、逗子で、一人暮らしをしているのですよ。修行中なのです。そのうち、あなたの今日の捨て台詞も、外部へ発表をします』と、考えていたのです。私はね。逗子のアトリエ、一人暮らしの中で、版画、油絵の修業をもちろんしていました。 だがね。文章の修業が、一番、やりたいことだったのです。専業主婦が、物書きへ移行するのには、ある程度の、修業が必要ですが、家庭内にいて、特に旦那が、共依存に近い形で、べったりと、私に寄りかかっている状況では、集中はできません。

 よく受験生が、図書館で、勉強していますよね。または、プロの物書きが、喫茶店で、書いていたりします。あれも、一種の孤独を求めての姿です。孤独というのは、創作をする人間にとっては、非常に大切なものです。翻訳者とか、編集者は、そうでもないと思いますが、をす創作をする人間には、絶対に孤独が必要なのです。

 すみませんが、ここで、体力が尽きたので、中断をさせてくださいませ。

  雨宮舜(本名 川崎千恵子) 

 

 

 

 

 

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岸田淳平夫人の癌による逝去は、私に責任があるのか?、それとも前田清子+安野智紗に在るのか?

2022-11-26 21:09:43 | 政治

 これは、ジンジャーと曼殊沙華の4と、なります。総タイトルの字数が多いので、シリーズを象徴する名前を、取り去って、書き続けましょう。

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副題1、『その土建業者が、何年に、お屋敷を買い、何年に売り払ったかを、確認すれば、山間の煙というエッセーで、書き表した事件が起きた時期が大体、判るのだが。尚、そのお屋敷は、今では、鶴岡八幡宮の所有物件となり、鶯吟亭と呼ばれ、結婚式関連のお客が使うお屋敷となっている』

 前報の後半で、岸田淳平夫人が、癌にり患をして、亡くなったことに少し触れ始めています。そこは、まだ、まだ、加筆をしたいところです。だが、長時間、このブログを書くことをやらないで、間を開けたのは、自分の精神状態が、非常に落ち着いていて、別に急いで、それを書かないでもよいと、判断をしていたからでした。

 一方で、肉体の方は、敵さんの攻撃==兵糧攻めにして殺そう==への防衛のために、重労働続きで、疲労困憊という状態になっていたので、肉体の回復を待っていたのです。

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副題2、『岸田淳平家には、ブーニンと名付けられた美猫がいた。その猫が、異様に寂しがっていた時期があり、その時期こそ、後で、思うと、岸田淳平家の奥様が、癌の末期で、入院していた時期と重なると、思う』

 私は、二冊目の本『れすとらん・ろしなんて』の中で、岸田淳平家の美猫ブーニンが、毎日、我が家の門柱の上で、座って待っていて、我が家の息子が、その顎を撫でて、出勤するのが、習慣になっていると、言うエッセイを書いて居る。ある日、息子が、泊りがけの出張に行っていて、朝、この家からは出勤をしないことがあった。その日に、息子が言っていた、岸田家の猫がどうなっているだろうか? と、玄関を開けて、道がカーブしているので、曲がって行って玄関からは見えない10mぐらい下の門柱を、見ると、確かに、その猫は、待っていたのだった。

 こういう状況こそ、岸田淳平夫人が、入院していた時期だと、推察される。すでに、お子さん方は、独立して家を出ていたので、妻の見舞いをしている淳平氏が、毎夜は、雪の下には帰らず、私がその存在を推察しているアトリエ(大船あたりにあるのかな?)で、泊まることもあり、三日に一回帰宅をして、カリカリを置き、飲み水を取り換えるなどと、言う作業をしていたか? または、鎌倉在住だと、聞いている次男殿が、猫の面倒を見に来ていたのか? ともかく、ご夫妻が不在だったのだ。

 あの家は、ご夫婦仲が、大変良い。で、家族の間の愛情の交換も、しっかりしている。というのも末っ子さんの性格が大変良いのだ。子供を見れば親が判ると言う。で、あの家には、愛情の交流があり、それが猫にも注がれていたと、推察する。だからこそ、猫は家族の不在の寂しさに耐えられなかったのだろう。

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副題3、『ここで、その人物が、犬派か?、猫派であるか?が大問題となって来る。どうしてかというと、ジンジャーと曼殊沙華というシリーズタイトルに象徴をされている様に、このシリーズは、岸田淳平家の北隣に住む大原光孝という画家へも、言及しないといけないからだ。そちらでは曼殊沙華が、キーアイテムとなり、岸田淳平家では、ジンジャーがキーアイテムとなっている。しかし、曼殊沙華の攻防と、ジンジャーの100%の伐採は、連動している様にも思われ、そうなると、このシリーズは、深い深い政治論と成って行くのだった。特にご近所問題ではなくなるからだ。その二つが連動をしているとすると、これは、伊藤玄二郎ら=鎌倉エージェント(=CIA)の仕業であり、非常に事が大きくなるからだ』

 岸田淳平家は、大型リフォームをする際に、南側に住む石川和子さんとの接触は避けました。しかし、北側に住む大原光孝さんの事は、信頼していたみたいです。そちらに開口部や、家族が、長時間滞在する居間などを設置しています。

 それは、どうしてかというと、お母さんの閑子さんが、上品で、素敵だから、それもあったと思います。で、息子の光孝さんも上品でした。で、15年ぐらい和気あいあいと、暮らしてきたのです。

 しかし、2000年の初夏、旧神奈川県立美術館本館二階の、喫茶店で、ニューヨーク時代の、版画の講評をしてもらっていた時に、「恵美子(奥さん)が、<川崎さんと付き合うな>っていうのですよ。<カワサキさんって、あなたが思っている様な人ではない。あなたの手におえる人ではないから>というのですよ」

 その時、恵美子さんの後ろには酒井忠康氏か、佐野ぬいさんがいると、考えました。だけど、それは彼には、言っていません。ところが、2004年か、2005年のある夜9時ごろに、私が、新橋の、ハナマサで、ワインを2本買って帰ったところ、石段の割れ目のせいで、赤の方が、志一稲荷の上の方で、割れたのです。その時彼が追い抜きざまに、「川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ」といったのです。

 私は、ものすごくプライドが高いから、五歳も年上の、この身に、若い彼が、そんな下卑た捨て台詞を浴びることなど許せないのです。でね。当時すでに、相当数の読者を獲得していたメルマガの下書きで、入力しました。当時は、今より元気だったので、長文です。ただ、名前は伏せました。でもね、一時期仲良しだったわけなので、次の日に電話で、「大原さん、あなたが、昨日の夜なさったことって、文章に表すと、ひどい事なのですよ」と言ったのです。

 この時点で、酒井忠康 → 柄沢斉 彼という流れで、CIAの攻撃用弾頭と化していたので、こういうひどい捨て台詞も言うのだったし、また、私が、ものを書く人間だと、言う事をも知っていたと思います。でも、まるで、恐れていませんでした。というのも対抗的存在として、柄沢斉が、輪舞などを書き始めていたし、その出版先も、決まっていたでしょうし、日経新聞が大個展を準備していることも知っていたから、私の事を屁でもないと思っていたのだと思います。「いいですよ」と言いました。
 その時に、判っていたことは、彼本人は大変貧乏であること。 それは、奥様に言わせると繊細なので、宮仕えができないという形で、給料が無いし(その後、厚生年金も出ていないと、推察される)らしいが、その繊細という部分が、嘘であると言う事。彼は、繊細でも何でもない、普通の人間だ。が、家庭内に大きな緊張があるので、外へ、勤めに出るなどという心理的な、余裕がない事。奥さんは、彼を愛していない事。家庭内の話題が、ご近所の噂話だけだと言う事。彼が、描く油絵が、テクニック重視であり(技術については、最上等な人物だが)、情感とか、哲学を表現しているものではない事。などなどが、判っていて、それを内包した文章を書きました。私のパソコンは、ハッキングを受けているので、これがすぐプリントアウトをされて、彼の手に渡った模様です。
 その後の、20年間にさらにとんでもないことが重なって、曼殊沙華の攻防へと、いたるわけですが、この時点で、大原光孝さんについて、書いたポイントは、すべて、南隣の岸田淳平さんとは、正反対なのです。その後、20年間、彼は、攻撃者であり続け、今、曼殊沙華の攻防という地点に至っているのですが、
 私は、彼が、どんなひどいことをしても、全く驚かないのですよ。それは、どうしてかというと、ある時点で、彼が、私に対して、こういったからです。
「僕は、猫は、だめなんです」と。大体、創作をする人は猫派です。というのも、犬はまとわりついて来て、飼い主の愛情を四六時中求めるので、仕事ができないからです。猫だと、飼い主が、忙しそうにしている時は、じっと待っていてくれます。ただし、新聞を読むなどと言う事は、「これは、仕事ではないね」と、思っているので、すぐ邪魔をしてきますが、パソコンに向かっている間は、何も求めないで、待っていてくれます。飼い主が、やっている仕事の、内容とか、深さが判っているのです。
大体、創作をする人は猫派です。というのも、犬はまとわりついて来て、飼い主の愛情を四六時中求めるので、仕事ができないからです。猫だと、飼い主が、忙しそうにしている時は、じっと待っていてくれます。ただし、新聞を読むなどと言う事は、「これは、仕事ではないね」と、思っているので、すぐ邪魔をしてきますが、パソコンに向かっている間は、何も求めないで、待っていてくれます。飼い主が、やっている仕事の、内容とか、深さが判っているのです。

@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。以下はメモです。本日は、すでに午前三時なので、就寝します。

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副題4、『彼が養子であることは、その時点では知らなかった。だが、スポイルド・チャイルドの典型だとは、書いた。ところで、富沢夫人が、大原さんって、養子なのよと、教えてくれたのだけれど、養子なら尚の事、養父母を敬って他人には、言うべきではないと、言う事を二つ聴いている。

 それは、リフォームの際に、「母親が、紙袋(洋服やさんなどで、買った洋服を入れてくれるもの)を大量に保存していて、始末に困ったのですよ」というのです。(ばかばかしい傾向ですよね)という表情を浮かべながらね。その時は、実母の愚痴だと思っていたので、笑ってやり過ごしたのですが、

 「父が吉原で、開業していたのです」というのは、「良くないなあ。どうして、そういうことを言うのだろう?」と、思いました。だって、吉原で開業していた医者となると、どうしても、性病を診たと推察されます。伝染性の病気というのは、ひどく嫌われます。お嬢さんが、結婚前なのに、どうして、こういうことを言うのだろうと、不思議極まりなかったです。無論彼にしてみれば、「今は、父は、死んでいて、吉原の医院は、閉鎖しているのだから、遠い昔の事であって、梅毒菌などは、僕の周辺には、存在していないのだから、平気」と、言うのでしょうね。

 私は山本容子に関しても「ホックニーの真似だ」とか、平山郁夫に関しても、「部分的に奥さんの代筆である」とか、聞かされました。でね、どうしてこうなるのだと、考え抜いて、やがて分かったのです。彼には、社会的経験というのが、あまりにも乏しいのですね。したがって話題が無い。でも、夕食時、黙っていると、お姑さんと、お嫁さんの間に、緊張関係が生まれてしまう。で、手っ取り早く、話すことが出来て、かつ刺激に満ちていることとして、ご近所の悪口などを家庭内で、言う様になったと。しかし、私にものをいう場合、ご近所の悪口は言えません。で、両親とか、酒井先生からの、柄沢斉を通じての、受け売りを、
 岸田淳平夫人が、その癌闘病の末に、亡くなった後で、

・・・・・・彼女は、川崎千恵子によって殺されたのよと、言う・うわさ・が、この山のご近所主婦の間で、合意的に、流されている・・・・・と、感じているから、大問題だった。しかし、20年以上私は、その件で、ひとと争う事はしなかった。じっと我慢の、日々だった。だが、ここへきて、それを書くきっかけが生まれたのだ。それが、この夏、見事に咲いたジンジャーだった。

 

 そのころ、岸田家の美猫ブーニンは、北隣の、藤本悌子夫人宅をも毎日訪問をし続けていて「開けて、開けて」と、言っていた。なんと天窓まで、上って、開けて、開けてと、言っていた。すると、藤本夫人は、掃き出し窓を開けて、煮干しを五、六本与えて返していたのだった。

 藤本夫人は、私が引っ越してきたころ、村八分の対象になっていて、みんなから大悪口を言われていた。で、それが、我が家の土地が盗まれる決定的な、事件(アジサイ畑欺罔事件)の始まりだったのだが、「特に前田清子さんが、意地悪で、目を吊り上げてにらむのよ」と、私に嘆いていた。彼女は、「でもね、岸田淳平さんだけは挨拶をしてくれるのよ」と、言っていた。そのころ、私は、岸田淳平(ペンネーム)の顔を知らず、したがって、本名で、この雪の下二丁目で、暮らしている彼が、ひとかどの、創作者であることを知らなかったが、

 この山の安野智紗夫人を頂点とするたこべや的、異様なヒエラーキー形成と、それに、前田清子さんが、過剰に奉仕しているのには、気が付いていて、後刻、「岸田淳平が、この山では、もっとも教養が高いのだ」と、メルマガと、ブログで、繰り返し書くこととなる。

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副題2、『この山の人間は誰もが平気でうそをつく。その例を、ここで、羅列して置きたい』

 一方で、岸田淳平家に、大金(現在の貨幣価値に直すと、三億円ぐらい)が入って、あの家を大規模リフォームをした時に、南側に、家を拡幅して、しかも、台所とかお風呂とかを配置していて、北側に、居間などの、長時間、ひとが滞在をする部屋を配置しているのに気が付いて、

 彼の南側に、住んでいる石川和子さんが、一種のごろつきであることには、以前から、私は、気が付いていたのだったが、岸田淳平も気が付いていると、確信をした。石川和子さんは、他の人間にも恫喝をしたと、聞いている。藤本夫人が、どんなに、なつかれても、美猫ブーニンを家に入れなかったのに、石川和子さんが、我が家の猫さびちゃんを、家に、毎日いれてしまって、警察を巻き込む大トラブルに発展したのは、何度も書いて居る通りだ。

 私が警察を呼んだのではない。盗んでいる彼女の方が、警官を呼んだのだった。ばかばかしい逆転現象で、あるが、原因は、私の猫が彼女を嫌って、私を選んだことに腹を立てて、私をいじめるために、警官を呼んだのだから、どれほどに、わがままで、嫌な人間だか、語るまでもないことだった。

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副題3、『この山で、私が見聞したウソ第一号は、我が家には、お砂糖がありません。だから、貸してくださいと、言う、訪問客の言葉だった』

 この山の住人は、誰もが平気でうそをつくのだが、一番最初に気が付いたのは、全く付き合っていない安野智紗夫人が、玄関のベルを押して、訪問をしてきて「子供(中学二年生である)に、友達が来たので、お紅茶を出したいのです。お砂糖が無かったので、お砂糖を貸してください」と言ったときだった。いかにも子供を大切にしているみたいだが、違う。本当の子供ではないのに、三人の子供がいると言う事が、彼女の他者に勝てるステータスシンボルであり、そこを勝利ポイントだと意識しているので、「如何にも子供を大切にしています」と言いたい風情で、訪問をしてきたのだった。

 私は嘘や小細工が大っ嫌いで、・・・・ああ、前から、気が付いていたが、彼女は略奪婚の人で、彼女が、勝利して、三人の子供と、その父親を奪った相手の女性は、その敗北に悲しんで、すでに死んでいるのだと、確信をした。というのも高三、高一、中二と三人のお子さんがいて、順調に育ててくれば、こんなことで、全く付き合っていない家を訪問をしたら、他人からバカにされると、言う事を熟知しているはずなのだから。それを、まったく、知らない模様だったからだ。

 だって、お砂糖など、歩いて駅前まで行けば、すぐ、買えるし、賢夫人を気取っている彼女が、我が家には、六種類ぐらい置いてある、お砂糖を、一種類も用意していないというのは、ありえない嘘だったからだ。
もう一つ、別の目的があることが見え見えだった。その上、子供たちがしーんとして声も上げない様子だったからだ。母親を恐れおののいていると言う事が明瞭にわかった。

 彼女が、我が家を訪問をしてきた本当の目的は、「二人の間柄を、お砂糖を貸し借りできるぐらいの、気さくなものにしましょうよ。そして、私が主催する井戸端会議に出ていらっしゃいよ」と、言いたかったのだと、思う。私は、もともと、こちら雪の下では、主婦同士の付き合いをするつもりがなかった。創作をする、一種の仕事人化するのが目的で、二人の子供がすでに、中学生になっており、子供の友人作りを母親が手伝う年齢でもないので、誰とも、付き合うつもりが無いから、安野夫人が毎日午後井戸端会議を開いているのは、知っていたが、参加する意思は、毛頭、無かった。それが、彼女には、気に入らないのだった。

 どうしてかというと、条件が似ている主婦たち(この場合は、専業主婦であり、子供が、中学生ぐらいで、年齢が、40代であるというくくりとなるが)が、全員参加しないと、その井戸端会議が持つ、束縛力が衰えてしまうからだった。彼女は、自宅前(それは隘路の、首の部分にあたり、誰もがそこを通らないと、駅前まで、行かれない場所で)で、井戸端会議を開くのは、中ボス(または、裏番長)として、他の住民を支配するのが目的だった。目の前にいる女性たちだったら、誰が相手でも、自分が上に立てないと、気が済まない性格の模様だったし。そのための情報収集の場として井戸端会議が機能をしていたのだ。

ところで、ここで、一時間ほど、このパソコンから、離れます。ご容赦くださいませ。

 これから先、私が書く予定の項目は、

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花生姜と曼殊沙華ー3 欺罔を用いて、安野家の日当たりをよくして挙げたのだったが、この章の山間の煙を思い出すだけでも、嘘がばればれだ

2022-11-24 18:39:54 | 政治

 今日は少しずつ開示します。で、完成は明日以降になる見込みです。恐れ入ります。

副題1、『このシリーズの1と、2のまとめ』

 この総タイトルをご覧になると、「ふん、花の話か 僕、園芸など、やっている暇がないので、興味がない」と、おっしゃる方があるやもしれずと、思います。しかし、ちがうんですよ。政治の話です。しかも、どうも、最大級の政治的課題かもしれないのです。

  私の周辺に起きること、特に弾圧していって、殺してしまおうとされている仕組みは、すべて、秘密裡に行われ、なかなか、真相が見えてきません。それで、常に、ミステリーを解くという形になります。その、最初のとっかかりは、ちょっとした違和感です。

 私の家の斜め後ろに、知る人ぞ知る、有名人【岸田淳平(ただし、これは、ペンネームであり、雪ノ下では、違う名前=本名で、暮らしている人物)の家があります。そこの奥様は、1980年代には、大変活発に動いていた人で、一日に山を三回降りて、三回上がってくると、言うほど活躍していたと、噂で、聞いています。山というのは、鶴岡八幡宮のすぐ西側の丘で、下からは、岸田邸で、130段ほど、石段を上がらないとたどり着けない家です。

 それは、お子様が、三人いて、ふたり、または、三人で、すべての担任に対して受けが良くて、PTA活動をしていたので、そうなるのだろうと、私は、推察していました。年齢によって小学校と、中学校をまたにかけて、両方で、PTA役員をしていたと、推察しています。

 1960年代から、その流れは、日本国内で、始まっていたのですが、子供が二人よりも、三人いる家の方が、富裕だと、言う感覚がありました。新興住宅街が、にょきにょきとできて、そういうところに新しく引っ越してきた人々は、そこで、新たに階級形成をするので、そこで、闘争が起きます。まず、富裕度での、比較が始まるので、お子さんが三人いる家は、一目を置かれていたものです。『ほかの家よりも、一段上だなあ』と、自他ともに認められていたでしょう。

 わがご近所の安野智紗夫人という女性は、その種の階級闘争に勝つために、毎日午後、自宅前で、井戸端会議を開いていて、情報収集をしていました。その結果、我が家の土地が盗まれたのです。それもとっても恐ろしいことだが、ほとんど反省をしていません。

 子供の数のことに戻ります。最近では、三人など、珍しくて、『一人でも生み育てる自信がないなあ。猫で、我慢をしておくか』などと、考えているお宅が多いように思います。それは、日本が、被・植民地国家として、この戦後、77年のうちに、どれほど、海外の超富豪たちに、富を吸い取られ、国民全体が、疲弊しきってしまった事実の証明に当たるので、私は、悲しいことだと思っています。

 私は、猫は大好きですが、猫を飼うのは、子供の為と、言う風にしたいものだと、思っています。

 岸田淳平家では、お子様も三人いるし、そのお子様は、海外留学をさせるし(短期ではない)奥様は、大活躍だし、で、やはり、人々が、注目をするので、奥様と同年齢の別の奥様が、みんなの代表としてでも、質問でもしたのでしょうね。その結果何かで、大ヒットを出して、30年以上前に、7000万円(今でいうと、3~5億ではないかなあ?)の一時金が入ったという、答えを岸田夫人から得たそうです。

 そのお金を使って、岸田淳平家は、リフォームを始めました。そのリフォームは、私が引っ越してきてから、目の前で行われました。しかし、その家は、我が家から駅へ向かう道の反対側にあるので、私は、ほとんど関心がなくて、リフォームそのものも、その家の、古い外観も、全く覚えていないのですが、茶色い色のお宅だったのではないかしら。

 この茶色というのが、2020年に、大きな大きな政治的意味を持つので、少し茶色にこだわらさせてくださいませ。

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副題2、『今一戸建て住宅が集積している分譲地内を歩くと、白い家が多い。しかし、1950年代から、1960年代にかけて、建築された家は、ほとんどの外観が茶色かった』

 この山には、私が、引っ越してきてから、まだ、リフォーム前の、茶色のお宅が、8軒はあったのです。茶色というのは、昔は、木の腐敗を防ぐために、水性の、ヨード系の、塗料(ステイン)というのを、塗ったので、茶色く見えるのでした。それは、粘度が薄いので、木の中にしみこんでいき、素早く乾きます。しかし、強烈なにおいを発します。

 最近は、においを避けるためか、ステインを使いません。ステインは、仕上がりが、マット(艶消し)に仕上がります。そして劣化後の姿がきれいです。ペンキは劣化後が、汚いです。油が固化し、劣化した部分がバリバリと剥がれたりします。で、日本人は、あまり、ペンキを好みません。で、ステイン全盛の時代があったのです。

 しかし、私が、この雪の下に2丁目の山に引っ越してきたころ、平地では、すでに、ラス張りという、砂礫を混ぜた壁を塗る形の、外壁が、防火性能も高いということで、一般的でした。私の北久里浜の家だって、1974年完成でしたが、外見は白いラス張りであり、日吉の実家も、1950年代のリフォームですでにベージュ色のラス張りでした。が、ここは、材料の運搬が大変なところなので、木製の壁にステイン塗装と、言う運ぶのに楽な素材の家が多かったのです。横羽目用の材木は主に杉で、軽かったのだと、思います。

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副題2、『この山には、公金が、全体で、数千万円規模で、私をいじめるために降りている。そのもっとも、目立つ形が、2020年の初夏から秋にかけて、この山の五軒が、ペンキ塗り直しをしたり、屋根の補修をしたりしたのだが、全部、半額は、鎌倉市のお金だったと思う。特に安野家の屋根修理は、全額が、公金だったと推察している。すでに、それは一回書いている。(あとで、リンク先を見つけたいのですが、有名な、殺人事件とは関係がない項目なので、見つけられません。お許しくださいませ)

 その際に、花輪家だけは真っ白なペンキを使っているので、半額だけの援助で、残りの半額は、彼女が支払ったと推察している。なぜかというと、夫婦二人共、都庁・勤務だったので、公務員としての、義務違反をしたくないと、言う感じがあるだろうし、それを見越して、半額だけと、業者、または、伊藤玄二郎の代理人として、この山に九十をしている人間からの提案があったのではないかと、私は、考えている。

 しかし、それ以外で、茶色のペンキを塗った、平木家と前田(長男宅、旧中谷家)の、二つは、全額公費だったと、推察している。で何件もの、鎌倉市負担となるので、鎌倉市(特に松尾崇市長は、音を挙げて、安い費用で、仕上げてほしいと、業者側に言ったので、業者は、余ったペンキ=業者の家で、余っていたか、それとも問屋とか、製造元でなどの販売元で、余っていたのかはわからないが、)を使ったと、推察している。焦げ茶色は古い時代のステインを思い出させて人気がないのだと、思う。で、安く手に入るので、焦げ茶色が、使われている。

 ここらあたりは、前田清子さんと、その夫の祝一氏、または、今カチドキにお住まいだと聞いているご長男とか、明治大学の教授になったか、なる過程なのかの、お嬢さんについて、シリーズを起こす可能性があり、その際に丁寧に書こうと思っている。今は、岸田淳平ご夫妻に、こだわりたい。

 なぜなら、ジンジャー(花生姜)を中心とした、植木類が突然、バッサリと、全部伐採をされたのは、大きな政治的課題だと、推察しているので、そちらに、筆を向かわせる、覚悟があり、前田家や、安野家は後回しとなる。

 以上が、2020年に行われた、100%私的な部分への公金授与の、ケースです。

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 一方、法律用語で、欺罔 というものがあります。これは、本当の目的を隠して、嘘の目的を、被害者へ、向けて、加害者が、宣言するもので、鎌倉市の放送が良く聴こえるように、と言って、安野家の日当たりが良くなる様に、鶴岡八幡宮と鎌倉市が、協力して、大量の樹木を伐採してあげたのなど、そのもっとも興著な例です。。

最初は、安野家の日当たりをよくするために、鶴岡八幡宮様が行った工事で(何年だったか、覚えていない)が、次に私を寝かせないということが目的の朝七時からの大轟音を発生させた富沢家の高枝切りという、大伐採が2016年の、9月26日から、27日にかけてあり、その次に、2019年の10月13日に、我が家の東北のがけを崩していこうとする、我が家と、鶴岡八幡宮の、共有のタブしいの、大伐採が、白井さん音頭で、渡辺賢司、石井秀樹、山田某、など、若手大集合で始まり、

 そこに平木伸明さんが、いたかどうかが大問題だ。以上明記した、四人は確実にその場にいた。彼らの労働への謝礼金が、伊藤玄二郎から、白井達雄さん経由で、出たかどうかがわからない。もちろん、公金から出るのだけれど、多分出ていない。

 ゲームとして、人の家を壊していく仕組みなのだ。遊びとして、または、娯楽として、他人の家を壊していく仕組みである。残酷な精神であること、そして、恐ろしい事限りがない。(これは、我が家に何の御断りも予告もなかったので、本当にひどい話です)

 その音頭取りが、

 松田・平田設計事務所の、横浜支店長に、して、重役である、白井達雄さんだから、本当に驚く。こんな不道徳なことを自宅付近、10m以内でやっていて、一方で、一億円平均のマンションを、470戸以上売るのだ。おっそろしい。

 白井達雄さんとは、西隣に住んでいて、東大卒で柔和な紳士ではあるが、さらに、恐ろしいことを、2020年四月にもやってきている。

 声を大にして言いたい。今、横浜駅西口から、ペデストリアンデッキで、信号など無視して、3分から5分で、到達できる、タワーマンションが、鶴屋町にできている。

 69平米で、一億四千万円平均だって、THE YOKOHANA FRONT TOWER。それを設計している人物だ。また、ララ横浜とか、ルネ北久里浜(売り出し時の名前は、そらヒルズ)も、設計したと、私は、推察している。ミューザ川崎とかシェラトンホテルも、松田平田設計事務所担当だ。

 松田平田設計事務所は、5年前は、もっと、駅に近い、相鉄・岩崎学園ビル内にあった。8階だったと記憶している。ところがいつの間にか移転をしていた。それを、これまた、偶然のこととして見つけたのだった。2022年10月現在は、第四安田ビル、八階にある。まあ、鶴屋町の大タワーに近いところへ移動をしたというべきか? テナント料の安いところへ移動をしたというべきか、それとも、私を恐れて隠れたというべきか? 

 まあ、いずれにしても、私は、神様に愛でられているということです。

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副題3、『岸田淳平邸の、南の庭が、丸裸になったのは、だれがやったのだ? それが、ふと問題になってきて、・・・・・そして、推察(ただし、熟考でもある)の結果、・・・・2019年の、10月13日と同等のことが起きたのではないか?と、・・・・・言う、結論に今は、到達をしている。・・・・・そうなると、大問題であるし、大政治的問題へと発展もするのだった』

私は、どこかで、自分の住所を公開しています。番地まで、公開をしています。そして、ご近所に岸田淳平邸があると、言えば、岸田淳平邸がどうていされてしまいます。

しかし、私の被害が莫大です。そして、法律とは、損をしている人間が、それを回復させるものだというのが根幹のはずですから、岸田淳平邸の南の庭が、丸裸になっている写真を公開します。なお、この文章に気が付いて、こちらを、ご訪問をなさっても、岸田という表札はないし、岸田淳平氏は、重病人だから、決してベルを押さないで、ください。

岸田淳平という、知る人ぞ知る、特異で、かつ柔軟で、かつ、個性的な作風の、画家(画像検索で、作品がたくさん出てきます)は、二報前で、語っているエピソードですが、画廊香月のオーナーが、「岸田淳平は、銀座では、この10年間、行方不明なのよ」といった原因ですが、

氏が、*1)、アトリエを保持していて、仕事の話は、全てアトリエでやっていたが、そのアトリエを処分した可能性がある。・・・・・しかし、10年前から、2021年前までは、確実に毎日、朝から、夕方まで、外出をしていた人なので、アトリエは、買ったものだったら、いまだにキープされているはずだ。

 だから、アトリエに届く大量のダイレクトメール(美術関係のもの、岸田淳平を尊敬しているから届くもの)を処理するのが、おっくうになったので、返信を出さなくなり、それが、行方不明といわれる原因の一つだと、推察しています。

 ともかく、銀座の画廊街に向けて、それは、言いたいのですが、岸田淳平は、行方不明ではありません。私が1984年に、引っ越してきてから、38年間、変わらず、この雪の下の谷戸に住んでいる人です。

 しかし、癌で、胃を全適したそうで、それ以降何年たっているかは知りませんが、最近では、大変弱っている存在です。だから、この庭の草木一掃は、彼がやったわけではありません。しかし、こちら側に木戸がなくて、北側から、西を通って、大回りをしないとは入れません。ということは、持ち主の岸田淳平ご本人の許可を得ないとできないことです。

 しかも、岸田淳平ご本人は、秘密主義の部分もある人ですから、ここが、これほど、丸裸になることを好むはずもないのです。ということは・・・・・となっていき、数々の謎が発生します。

 しかし、この謎は、相当大きいので、今は、答えをさらさず、ほかの方面へ伸びていきたいと思います。

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副題4、『岸田淳平邸が、リフォーム後、北側に余地を多くとり、南側へ拡幅をして、南側の庭を狭くしたのを、見て、私は内心で、ニヤニヤしてしまった。あの人は、賢い、この山の住民の性格と、生活様式をよく知っていると思って』

 私が猫のことで、大迷惑行為を、石川和子さんから被ったには、さびちゃんという猫についてでした。

さびちゃんは写真を撮られるときに構えてしまうし、警戒するので、かわいさが表現されていませんが、本当に愛嬌たっぷりで、頭の良い猫でした。石川和子さんとは、大トラブルになったのも、この子が、頭の良さという意味で、特別な猫だったからです。彼女は、欲しがっていたし、自分の方を好きであると、勘違いしていたのでした。でも、ぎりぎりの選択として、猫自身が私を選んだので、彼女は、瞬間的にくるってしまったのです。そして景観を呼び、あそこの奥さんが生意気だから(どうしてですか、猫を返してもらいたいと訪問をしているだけですよ。単純に返してくれればいいのです。)、あそこの旦那に奥さんを叱ってもらう様に旦那に頼んでくださいと、依頼(いや、実際には命令をしたのでした。大勘違いもいいところで、伊藤玄二郎の特権をかさに着て、警官を自分の家来として使ったのです。

 ところで、これは、彼女には何にも言いませんでしたが、前の猫、ちびちゃんも、彼女が当時買っていた、黒猫にいじめられていたのです。ちびちゃんは、6歳ぐらいの時に、北久里浜から、鎌倉へ連れてきた猫で、19歳まで、生きました。子供二人が、小学生の時にやってきて、社会人になってから、死にました。

 子供二人が、本当に悲しみました。好きだったのですね。私は、一応画家なので、フェイスブック(メタ)を始める前までは、写真が嫌いでちびちゃんの写真がないのです。ここに置いているのは、ちびちゃんが、18歳を超えたころで、やせてきたころです。だけど、その前は、本当に静かで、上品で、美形な猫でした。愛嬌がいいというわけでもなくて、普通でしたが、オス猫に慕われました。北久里浜でも、鎌倉ででもです。去勢してあるのに、慕われて、毎日訪問を受けています。ちびちゃんはガラス越しにしばらく相手をするのですが、15分ぐらいたつと飽きてきて、どこかへ行ってしまうのでした。すると、オス猫は諦めて帰るのですが、必ず、次の日にも来るのです。

結婚してから買った猫はたった二匹です。今は長命なので、三匹目の猫は諦めて飼っていません。

しかし、子供を見ると親がわかると、よく言う様に、石川和子さんの黒猫(黄色い首輪をしていた)を見ると、石川和子さんがどれほどに、ふてぶてしい性格の人間だったかが、よくわかるのでした。安野智紗夫人より、人物は善人でしょう。だけど、一種のごろつきに近い生活態度でした。

 で、岸田淳平さんが、大リフォームをした結果、南側の庭が狭くなり、かつ、南側の窓のガラスが、曇りガラスであるのを見て、

 よくわかってるなああの人って、思っていたのです。岸田淳平家っていうのは崖部分がないのです。でも、指導部分はあるので、全体で、公募上は、60坪程度のお宅でしょう。建蔽率40%としても、総建坪、48坪の家が建てられます。そこまで、大きいとも思わないけれど、豪邸です。で窓用サッシなど、1980年代にはやった湾曲している、一間出窓です。そして、全体が真っ白です。あまり、汚れないタイプの白です。それで大変目立ちました。

 この山で、自分が実質的に一番に成りたいと思っているのは安野夫人でしたが、心の中で、自分が一番ですよ、とおもっているひとは、一杯いて、岸田淳平夫人もその一人だったでしょう。しかし、それをカサに着て、ひどい疑いを電話で、私に仕掛けて来たので、大トラブルになり、それが原因で、彼女は癌に罹患をしたのです。

 こういう風に書くと、私が悪人みたいですが、違います。彼女は後ほど、信頼すべき人に、「私は、町内会の、お当番だったから、川崎さんに電話をしてよって、皆んなから、たのまれたので、かけただけなのに。ーーーーそれで大恥をかかされたいから、悔しい・・・・とか、辛い・・・・・とか、言ったみたいです。

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副題5、「ここで山間の煙という過去エッセイが登場するーーーつまり、私は、村八分が、典型的に現れた例として、冤罪を被ってしまったのだが、その、えん罪の晴らしかたが、あまりにも見事だった故に、結果として、一人、岸田淳平夫人が、大恥をかくことになってしまったのだった。現在の貨幣価値にして、三億円ぐらいを、たった一作品で稼ぐ程の、才能ある夫を持ち、この山で、実質的に一番であると自覚して居る彼女が、「自分が手もなく、川崎千恵子にひねり潰されてしまった。しかも正義は、彼女の方にある。自分は間違った疑いを彼女に掛けてしまったのだから。弁解のしようもない。辛い。つらい」と思ったのが癌にり患した、一つの原因でしょう。

 どう言う間違いかと言うと、煤が布団に付着する程の煙が山の下から登って来た時期があるのでした。発生源は、山の下に存在する、瀟洒な数寄屋造りのお屋敷の庭でした。そのお屋敷には、川口順子元外務大臣の母君が住まわれて居たのですが、亡くなったので、売りに出されて、横浜北部に住む土建業者が買ったのです。大金持ちらしく、クレーンで、巨石を入れたり、いろいろ、手当をしていました。でも土建業です。使って居る連中が荒っぽいでしょう。でね、彼も、やっぱり、地金が出るのです。「品の良い別荘を買いました。すごく高かったのですよ。で、私たち一家は、これから、上流階級になるのです」と言うわけでは終わらなかったのでした。

 最初は草ゴミを燃やして居たのですが、そのうち、プラスチック類を燃やすようになったのです。家を壊した廃材を燃やしたとは思いません。別にトラックで運び込むものを燃やして居たとも思いません。新しい建材とか新しい流しとかには、最近、プラスチックフィルムがかかって居たり、プラスチックテープで、束ねてあったりするのです。ベンツで運んできて、焼却炉を設置し、監督人を一人置いてウィークデイにもやすのでした。私自身、迷惑だなあと思いました。しかし、電話で、その雇人に向かって叱るなどとは思いません。思いもよりません。これは携帯などは発達して居なかった頃で、土建業の雇われ人・・(老人)・・が携帯を持って居るはずも無いです。そして、私は、その家の固定電話の番号を知りません。地境地主の一人ですが、上下で20m以上の、高低差があるので、土建業者の方は、山の上の住民など、歯牙にもひっかけていなかったのです。もし固定電話を鳴らしても、山の中腹に設定されている焼却炉のそばにいる、老人には、固定電話の呼び出し音が聞こえるはずもないのでした。

 兎も角、私も困った事だとは思い、下に降りて行って状況を確かめてあり、従って、その煤が舞う日は、外には干物を出さないと言うじこぼうえいをしてはいました。しかし、兎も角のこととして、余程の事がない限り、事は起こさないのです。喧嘩はしないのです。

 娘がお母さんがキレたら怖いと言った事があるのですが、私は、そもそも無礼と言うことを許さないし、その上、冤罪だから、さらに許さないです。この日は、その切れた日野と杖下。ところが、私は、岸田邸に、怒鳴り込んだりはしませんよ。そんな、野蛮なことは致しません。だから、怖いのです。まったくもって上品で静かな形で、戦います。だからこそ、相手のダメージは大きいのでした。

 で、私は内心で、激怒しながら、しかし、岸田淳平夫人みたいに高飛車な物言いでは無くて、冷静にかつ静かに、「私は、やって居ません。すぐ見にきて下さい」と言いました。しかし、五分待っても、岸田淳平夫人はやって来ません。で、ここから先が・・・・あなたは、もし辞めなければ将来、必ず、東大教授になれますよ・・・・と言われていた能力を使い始める時間帯に入ります。

 手書きでA4の紙に委細をまとめました。プラスチックは原料が石油だから、煤が出る事。なども入れてね。私は1999年までパソコンを使って居ませんでした。子供が、「親が、特に、母親が優秀であることを嫌がっていた」からです。だから手書きで、しかも、家庭用プリンターも使っていなかったので、コンビニに行って二十枚程コピーを取って来ました。

 こう言うところは、一般主婦には思いもよらないところで、この頃から、我が家の西隣に夫婦揃って、東大卒であり、仕事の種類も超一流である白井さんカップルをここに転入をさせようと瀬島龍三(戦後CIAのトップ)は考えた模様です。白井さんならこの種の書類をパソコンで手際よく作ることができるから、白井さんを手ごまとして、自分たちの陣営内に、キープして置く限り、こっちが勝てるさと、思い込んで、彼ら夫妻を我が家の西隣に導入をしたのです。

 ところが、さにあらずなのです。白井夫人は偏差値優等生かもしれないけれど、まったく、だめなのです。地頭がよくない。それに性格もよくない。で、ぼろぼろと、敵さんが考えていることがわかるので、あの二人は、実際には、何の役にも立っていないのです。あ、は、は。

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副題6、『ところで、私が、防衛のために、準備行動をしていた間、残酷無比で、無慈悲で、かつ、おっちょこちょいである、この山の主流派主婦軍団は、何をしていたのでしょうか?

 実は、これから先に書くことは、このブログの世界では、初出です。しかし、何故、岸田淳平夫人が、癌に、り患をしてしまったかの、原因の一つであるので、書かせてくださいませ。

 岸田夫人が大変乱暴な言葉と態度で、えん罪を決め付けたわけですが、一つには、大金を得た、おごりがあったと思いますね。夫を愛するのは、かまわないけれど、こういう都会のブランド街に住む限り、隣にモノすごい実力者が住んでいるかもしれないのですよ。必ず、態度は、対等にしておくべきなのです。

 彼女は、千葉県のどこかの育ちではないかなあ。ご主人とは、公立中学、公立高校のどこかで、知り合って、相思相愛の間柄になったのです。彼女は一般的に言うと美形ではないです。ただし、岸田淳平の芸術的発想を喚起させた女性であり、すごい精神性を秘めている女性でしょう。しかし、それと、ご近所関係は、別物であり、自分や夫が、立派な人間であると自覚する限り、礼儀をわきまえないといけません。

 でも、思いがけない方向に事態が、転換したので、岸田夫人は、もしかしたら、前田夫人には、「川崎さんは、やっていないんですって。見に来てくださいと言っていますよ」と、告げたと、推察してみましょう。または、びっくりして、どうしてよいかわからないで、いるうちに前田清子さんから、「あなた、どうしたの? 川崎さんちから、引き続いて、煙出ているわよ」と、叱られたと仮定します。それで、上と同じセリフが出たと、仮定します。

 するとさすがの中学生いじめ軍団の、番長格の、前田清子さんも、ちょっと驚いたと思います。それで、急いで、「あなた、絶対に行っちゃあだめよ。行ったら、こっちが間違っていたことを認めないといけなくなるわ。川崎さんに、こっちが下だと、見くびられて、

頭を下げるのなど、まっぴらごめんだわ。だから、行っちゃあだめよ」と、命令をしたと思います。

 これが第二のポイントです。彼女が癌をり患したポイントです。この山の住民は、ヒットラー統治下のドイツ国民と同じで、群集心理に巻き込まれています。自分一人の独自性など、発揮できません。

 しかし、岸田淳平は、バカではない。そして、彼を生み出し、育てた妻もバカではない。だから、苦しむのです。

 私が、彼女の癌発生の原因者だと、言うことに成っていると、思います。

 しかし、違います。この山のたこつぼ的、群集心理的、バカ化力の影響力と、それに抵抗しようとする、力の葛藤が、彼女にストレスを生じさせたのです。

 もう一つ、三つめがあります。岸田淳平は、文章も書く人です。

放課後読本 岸田淳平 著 目耕書房 1981.9
優良児的青春を殺虫する毒薬に関する狂気の考察 岸田淳平 著 立風書房 1972
犯罪的放浪 岸田淳平 著 立風書房 1972
 この三冊のヒットが、当時の7000万円、(現在の貨幣価値にして、3億円ぐらい)を生み出したのかもしれません。
 だから、無名の私の実相がわかる人なのです。メルマガも、ブログも、やっていない私でも、そのたたずまいを見るだけで、考える人だからいずれ、何らかの形で、文章で発表をするかもしれないと、

すみません、ここで、寝かせてくださいませ。徹夜明けで、死にそうなので、

 

 

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ジンジャーと曼殊沙華*その2・・・日高屋のタンメンを食べながら、超富豪となった同級生を思い出していた私

2022-11-22 04:24:22 | 政治

 これは、100%で、前報

ジンジャーの伐採と曼珠沙華の攻防 (雪ノ下黒物語の、スピンオフとしてのお話)   2022-11-21 13:58:32 | 政治

 の続きです。話が思いがけず、壮大になりそうなので、前報を充実させるよりも、新しい章を起こします。

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副題1、『岸田淳平(=本名、井上・某)氏を、私は、このブログで、長年、ほめそやしてきた。この山で、一番教養が高いと言って。しかし、よく考えてみると、秘密主義のところもある人だった』

 前報では、主に、岸田淳平という文化人(教養という面では、この山一番の紳士)について、主に銀座での、活動を述べております。

 私の画像検索と言ったらひどいものですが、岸田淳平の画像検索では、ご本人の作品が、90%を占めている立派なもので、私が、どれほどに、弾圧をされているかが、わかるのですが・・・・・何は、ともあれ、銀座では、相当な有名人で通っている人です。

 非常に明るい、しかも、正義感に満ちた人ですが、ある部分を秘密にする人でもあり、この22-11-17に、歌舞伎を見た帰りに、ある画廊で、岸田淳平を含むグループ展をやっていたので、寄ったら、オーナーから「銀座では、岸田淳平は、この10年間行方不明なのよ」と、聞き、ひどくびっくりして、あらいやだ。ずっと、我が家のお隣さんとして、住んでいますよ」と答えたので、今度は、相手がびっくりしていました。

 どうせ、尾行や盗聴で、私がどの画廊によったかが敵さんたちには、はっきりと、わかっているでしょう。だから、画廊名を挙げると、【画廊香月】です。

 コロナ禍の前、銀座では、盆、暮の、サラリーマンにボーナスが入る季節には、手持ち作家の、小品展を催す主義のところが多かったのです。今でも、その習慣を残している画廊として香月は、お手持ち作家のうち、オ-ナーが最も誇る作家のひとりとして、岸田淳平を含む、6人展をやっていたのでした。

 画廊香月の、オーナーが好むのは、画家でもあり、文化人でもあるタイプの作家で、詩人兼画家とか、また、作品において、完成度が高いものの、詩情や、コンセプト重視がうかがえる作家などの、なかなかに、高度な、作家をそろえている画廊です。レトロなことで、有名な奥野ビル六階にあります。ネットで、情報を調べて、行ってみていただくのも一興です。しかし、案内に、岸田淳平の名前があるのにもかかわらず、実際には、五人の作品しか、飾ってありませんでした。

 で、不思議に思って、それを質問をすると、彼女は、おもむろに、箱に入った作品を取り出し、「自分が所蔵している作品なのよ」と言って見せてくれました。8号Sの大きさだったと思います。岸田淳平個展を、彼女が北九州で経営している別の画廊の方で、20年以上前に開いたときに、買った(または、画廊使用料代わりにもらった?)一品だそうで、傑作です。岸田淳平の画像検索ででも、三点ぐらい同じ作品が出てきます。だけど、彼女にしてみると、・・・・音信不通だから、岸田淳平は、見に来ないだろう。画廊が狭いので、大切な作家だけれど、画廊に来る作家たちを優先する・・・・と、言う形だったと思います。

 「10年ほど、音信不通だったのは、岸田淳平が、胃がんにかかっていて、胃を全摘したそうで、とても弱っているからですよ」と、香月のオーナーには、答えておきました。胃がんというのは、ご本人から、聞いた話です。まだ、まだ、体力があり、毎日外出しておられた時期に、道端のすれ違い時の、立話として聞きました。

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副題2、『22-11ー17、私は、歌舞伎座から、歩いて二分の所にある日高屋で、野菜いっぱいタンメンを食べた。その時、尾行をしている面々は、この件で、私を笑うのだろうなあと、思ったが、銀座で、昔は、寄っていた俺のベーカリー(今は、料理の種類が変わっている)も、その他のレストランも、行きたくない気分だったのだ。体が、これほど、弱っているときには、野菜たっぷりタンメンが、極上のごちそうとなる』

 その日の私は、画廊香月を、訪問するのが、実際には無理、無理な、疲労度と体力だった。歌舞伎座の予約券は、一か月以上前に買っていたので、その日であることを、忘れていて、前夜、ブログを書くことで、徹夜をしてしまっていた。ということは、前夜、11時に寝て、朝の、3時に起きたという事。さらに、ブログの続きを、書いてていた。朝の7時ごろ、起きてきた主人が、「今日は、歌舞伎に行くのだろう?」と、注意してくれて、突然に思い出したのだった。

 しかも、最近、連続して、大原光孝、柄沢斉、酒井忠康ラインと、公金の話を書いている。大原光孝さんに、この2022年に入ってから、莫大な、レベルで、公金が、下っていて、私より彼が、お金持ちだと、言うサインを示し続けられている・・・・・そういうエピソードを書いている。

 で、その舞台であるシロタ画廊には、行きたいと、思っていた。オーナーのシロタさんは、亡くなっているが、その後のスタッフが、どういう風に、私を扱うかを知りたいと思っていた。

 で、歌舞伎座昼の、座席で、タリーズのサンドイッチは、食べていたが、とても、足りないので、歌舞伎座、すぐ、そばの、日高屋により野菜いっぱいタンメンを食べたのだった。

 で、その三人が、登場する舞台であるシロタ画廊についてもあれこれ、書いて居る。その結果、あの画廊が、私のブログによって、どう変わったかを知りたいと思った。特に問題なのは、若いじょせいスタッフのひとりで、眼鏡をかけておらず、パーマもかけておらず、背が高い人だった。彼女がどう変わっているかを知りたかった。眼鏡をかけていてパーマをかけているのは、先代夫妻の、お嬢様だと、知っている。で、今は二代目であろう。その女性は、ほぼ問題が無い。

 しかし、背が高くて、眼鏡をかけていない女性の方は、京急横須賀中央駅そばの駅ビル四階にある、中央内科(医者は、松岡先生)の医療事務スタッフの一人と同じで、私の人生でも忘れられないほどの、恐ろしい意地悪をした。だから、その理由や、原因が何かを知りたいのだ。それは、北久里浜の、水道山をめぐる、実質的大詐欺事件に根っこがあるのか?、それとも、彼女自身の、根っこに恐ろしい部分があるのか?を知りたいと願っている。

 女性は大体、男性より、意地が悪い。根性も悪い。だけど、全部がそういう人間性を持って居るわけでもない。松岡医院でも看護師さん二人は、普通である。私に関する同じ悪口を先生から、聞いたとしても、その、現れ方が違う。その差が、どういう理由と意味で、発生するのかを知りたいのだった。人間を研究したいと願っているのが、このブログの、もう一つの重要な目的でもあるからだった。

 でも、小さいながら、それは、一つの戦いだから、体力をつけないと向かえない。で、その時、四丁目近辺で、もっとも食べたいものとして、日高屋の野菜たっぷりタンメンが、候補メニューだった。

 しかし、それを食べながら、例の鎌倉エージェントが、軽蔑しまくるだろうと、考えた。差し当たっては、雪の下で、影響が出るだろう。実動、15軒の小さな谷戸の中で、現在のところ、可処分所得が最も多いのは、花輪夫人である。その花輪夫人が、私の目の前に、超上等な普段着で、現れる。一着で、15万円以上(もしかすると、20万円以上)だと思われる、セーターで、表れる。で、そこにも、私を打ちのめしてやって頂戴」と願う、安野夫人からの、伝達という意味があるので、この間、花輪夫人を年金長者と書いた。わざとそう言う風に記載をした。
 そのことで、曼殊沙華の攻防・・・・・(後で、詳細を語ります。ここでは、雪の下で、リアルな世界での、闘争に、私が入ってしまっていると、言う事だけ、語っておきましょう。花をアイテムとした闘争ですが、相当に激しい闘争です)・・・・・が、彼女が発生源として起きたのだろうか? などと考えながら、プチ容器に入った、ラーメンも頼んで、両方で、720円になるような設計で、注文をした。しかしラーメンとは、シナチクだけが、好きなのだけれど、それ以外は、80歳の今は、食べたくないものだった。日高屋に限らず、どこでも食べたくなくなっていて、その日も、シナチク以外は、ほとんど残した。
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副題3、『この時に、日高屋のタンメンを食べていると言う事で、嘲笑するだろう、人物の内、もっとも、社会的にランクが上位の人物である、小学校時代の、同級生、市瀬紀美子さんを思い浮かべた。彼女は、自分の仕事が成功したうえに、ご主人が草創期のゲームソフト制作会社(多分、スクエアーではないかなあ?)の重役なので株式上場時に大金が手に入ったそうだからだ。ただし、ご主人の仕事上の名前は、市瀬ではない。

 今では、超富豪であり、歌舞伎においても、同じ舞台を四回も見るそうである。特に桜姫東文章を、好んでいて、それを四回も見たそうである』

   団十郎襲名の舞台は、さすがに人気が高くて、切符が手に入らない。私は海老蔵は、どっちでもよくて、中村梅枝を見たいだけである。
 で、彼は、夜の部では、助六に出る。白玉という、あんまり大した役ではないが、花魁の、見事な衣装を着て出るし、この役は若手女形の、定位置だそうで、見たいとは、思っている。ただ、仁左衛門が、一世一代、最後の舞台として、助六をやった時に同じ白玉で、梅枝が出ているので、見ないでも、済むのだが、大名跡・襲名記念の舞台に出る姿も、見てみたいのだった。

 しかし、全く切符が手に入らない。それで、思わず、小学校時代の同級生・市瀬紀美子さんに、お手紙でも出して、彼女が手に入れることが出来る、特権用切符の一枚でも分けてもらおうかと思った。だが、必死で、「あきらめろ。接触するな」と、自分へ命令をした。

 実は、ある日、彼女は歌舞伎座の一基しかないエレベーターに四階で、乗ってきた。驚いた。大富豪なので、四階(一幕見、切符が、1300円から1800円である。そういう席には、絶対に来ない人だったから、この出会いは、謀略であることがすぐわかった。
 それは、一緒の箱にいながら、私を無視するという例の鎌倉エージェントたちが、すでに何千回と、使って来た、いじめ用作戦の一つであった。それは、すぐわかったので、あえて、こちらから声をかけた。その時にしたたかにいじめられてしまった。それを一回ブログに書いて居る。

 その前は、一回ほど、特別に親切にしてもらった。日吉の彼女宅の前から、ドライブに誘ってくれて、大倉山のレストランで、ご馳走をしてくれて、お土産も持たせてくれたのだった。その時の訪問の趣旨は、6冊目の自著が郵便を使うと届かないことを知り、必死で、友達の家を巡り歩いて贈呈をしている最中だった。
 彼女の家は、初めて訪問をしたのだったが、のちに東工大教授になる坊ちゃんが、すべて手配をしてくれたという、総坪数、50坪程度の、ヘーベルハウスだったかなあ。今では、プレハブの方が豪華な家である。別棟として今は、アパートも持って居る。2DK化、3DKが、10戸程度の大きなアパートだ。それを教えてくれた。で、ジェットコースターに乗っているみたいに、親切であったり、不親切であったりするのだけれど、それは、すべて慶応大学の理事をしているご主人の教唆命令であろうと思っている。

 そのご主人の後ろには、酒井忠康氏とか、横山和生君(私の中学の同級生、慶応大学の同窓会、三田会の、横浜支部長)がいると考えている。
 私は、どうしてか? ベイカーさんというアメリカ人スパイ(しかし、名門イェール大学から来た交換留学生だが、)から、まゆをひそめただけで、頭の良い人間として、認められてしまい。それ以降、ずっと弾圧を受けている。ベイカーさんは、佐藤忠一君の提案=三鷹駅前で、労働者向けの、啓もう用、ビラを撒きたいという希望を、聞いたとたんに、『あ、僕、三鷹警察署長と親しいから、許可を取ってあげる』と言ったのだった。私は、どうして、一流大学の学生が、警察署長などと親しいのだろうと、思って、眉をひそめたのだった。それで、一度、後ろから、真剣に首を絞めて、殺されそうになっている。それ以来、多大は弾圧を受けているのだった。
 その弾圧が弟にも影響を及ぼしている。これは、本当に書きたくない事なのだが、弟は、実際には、慶応に受かっていたと、思われる。というのも、小学生の時、塾など、全くいかないのに、スッと麻布中学に合格をした。そして、(慶応を父が嫌った後に)電通大を出て、インテルに入社した。シリコンバレーにもしょっちゅう行っているほどに、頭の良い人間なのだ。

 私は弟は、慶応に受かっていると思うのだけれど、慶応大学側から、「少し点数が足りないので、150万円出したら、いれてあげます」というお知らせが来たそうだ。父は秋田鉱山専門学校という(今でいう)大学の石油科第一期生であり、その当時は、私立よりも、国立の方が、難しく、かつ石油は花形分野だった。で、秋田鉱専を出た人が、石油元売り会社の重役のほとんどを占めていると、言う話だったし。
 で、父は、慶応を、それほど、尊敬していなかったところへもってきて、「150万円出したら、いれてあげる」という提案を聞いたので、その提案に激怒をしてしまったのだ。

 で、父には当時、十分にお金はあった。税金の納入額が、日本の上位6%以内に入っているそうで、それを理由に私は、入試優秀成績者に与えられるはずの奨学金をもらえなかった。ただただ、父が、慶応大学に対して激怒したせいで、弟は、慶応に入れなかった。150万円出さないと、入れないと、言うその部分が、絶対に嘘だったと思う。ベイカーさんが、慶応の誰かを動かしたのだろう。


 いや、読者の皆様は、「150万円って、それほど、おかしい金額でもないですよ。だって、早稲田実業が、付属小学校を作る際に、寄付金として提示した金額ですよ。まあ、親側は、猛反発をしたらしいですがね」とおっしゃるだろう。

 だが、貨幣価値が違う時代=1973年の150万円だ。今でいう、700万円から、800万円である。これは、本当に悪意ある、からかいだった。弟は、偏差値というか、試験の合格点としては、、入学許可ラインを超えていたと、思う。だけど、私がベイカーさんに目をつけられた居たために、スムーズに、は、慶応には入れなかったのだ。今でも、CIAe-じぇんとは、おどろくべき悪をなすが、それが、私の目に見えたのは、そのエピソードが終わって、何十年ものちの事だった。そうなると、もうとり返しは、つかない。慶応大学卒と、電通大卒との違いは、お見合いの席で、女性がどう判断するかに現れる。弟は結局結婚をしなかった。

 そして、さらに驚くべきことは、インテルが、半導体工場を日本から、引き揚げてしまったのだ。でソフトプログラマーだった弟は、インテルを退職することになり、NECエンジニアリングへ、入った。これは、スパコンのトラブルを解決する会社で、いったんトラブルが起きると死ぬほどの、任務を課せられるそうである。
 

 このインテルの日本撤退の件を、私が、ここで、書くといけないので、それを阻止するために、半導体不足と、言う脅かしニュースが世界中駆け巡っており、岸田総理大臣は、台湾の半導体工場を、熊本県に設置させるために、7000億円高を拠出するそうである。それは、シーシェパードの大騒ぎと、全く同じ流れである。

 その半導体不足とは、コロナ禍での各種制限と同じ趣旨で・・・・・
 私の反町のアパートのお風呂のボイラー交換も、半導体不足で、三か月待たされると、言う嫌がらせを受けた。しかし、それが、こちら雪の下の方の、岩本工務店の、富沢家の水道事故という嘘を見破ったブログ(後注1)によって解消した。それを書いたのは、10月6日だった。すべては、私のブログ次第なのだ。

 ここで、貨幣価値の変遷について岸田淳平氏の例をもう一回、持ち出そう。ご本人からではなくて、奥様の友達から聞いたのだが、何らかのお歌(きっと作詞だと思うけれど)がヒットして、一時金として、7000万円が入ったという話だった。それだけれど、今の、貨幣価値で、当てはめると、二億か、三億にあたると、思う。生活の諸相にそれだけの、富裕層固有の、雰囲気が出ていた。どうか今の貨幣価値の7000万円だとは、思わないで、いただきたい。そっちだとタワーマンションに、一区画を買ったら、無くなってしまう。そうではなくて、合計で2億か、3億円の、臨時収入だったと、思われ、それほどの、臨時収入が、入ったら、絶対に別宅(オフィス兼アトリエ)を、岸田氏は、作ると思うのだ。毎日の、朝から、夕方までの、外出は、そこへ行くのが目的だったと、推察している。だって、モデルを使わないで、頭の中だけで、表現するヌードは三人のお子様に、見つかるといけないと、岸田淳平氏が、考えたとしても、それはありだからだ。

 しかし、この山の人は、私には、嘘をついていいと、言う合意に達しているらしい。で、岸田氏は、「自分は、アトリエなど、もっていませんよ」と、否定した。

 しかし、しかし、なのだ。私が最も苦しむのは、息子へ対する攻撃である。私立中学二校が不合格だったのは、ありとあらゆる意味で、すでに、裏からの悪い采配が行われたことを察知させている。

 そして、就職にあたってもだ。恐ろしい妨害と弾圧が、息子を襲っている。息子が、私立中学受験をしたのは、1983年だった。が、その三年後、公立、おなり中学で通信簿に1と、2しかないと、言う事で、おいちにおいちにの、あひるさん、と呼ばれていた、安野家の次男が、国立大学の付属高校にご入学あそばされて、海上保安庁勤務となった。

 そして、平成の八墓村事件以来、一家を上げて、安野夫人前田夫人軍団に奉仕をする平木家のご長男は、2020年の秋に、東大へ推薦入学がかなった。

 しかし、そういう苦しみを、日ごろ、心と頭の中で、反芻し続けている、私に対して、さらに恐ろしいことが起きた。

 それは、市瀬紀美子さんのご長男の大・出世の話だった。この間、市瀬紀美子さんが、電話をかけて来て、坊ちゃんの、階級アップを私に告げた。AIを専門にしているとは聞いていたが、就職先を知らなかった。それは、実際には、東工大であり、彼女のおぼちゃまは、40になる直前の、今年(?)東工大の教授になったそうだ。
 彼女は、横浜市立日吉台小学校という(私立中学受験が、現在では、50%を超える)富裕層が多い、小学校で、私立中学を受験しなかった。よくお勉強ができるが、しなかった。とても悔しかったと思う。当時お父さんが、すでにいなかったからだ。すでに亡くなっていたか、離婚だったのか?

 一方で、女の子たちは、総計、6,7人が私立中学進学だった。けれど、今は、すべての女の子に勝る、出世で、市瀬紀美子さんは、大逆転をしている。
 13歳の時に、私は、当時横浜では一流校だった、付属へ、入試成績一番で、入学している。それは、塾の先生を通じて、日吉中(1955年当時は、日吉も人口が少なかった)に広まった。だが、今は、本当に、大逆転をしている。
 市瀬紀美子さんのお子さんが、今、40ですって。変だなあとは、思う。それだと、39歳で、彼女がその坊ちゃんを生んだことになる。彼女は、お子さんについては、その坊やが、AIを研究していると言う事だけしか言わなかったが、なぜ、お子さんが、それほど、優秀なのかというと、ちゃんとしたわけがある。
 彼女のお母さんは、生活の糧を下宿や経営で、たてていたのだと、思われる。そこに入居するのは、ほとんどが、慶応の理工学部の学生である。それで、十分に生活は成り立っていくと考えられるが、彼女が結婚する前に、念のために、横浜国立大学を卒業して、塾を開いた。その先生として、慶応の学生さんにアルバイトをしてもらえば、塾の評判は高くなる。で、はやりに流行ったらしい。彼女は、翠嵐高校へ、入学させることで、有名な、塾の塾長・先生となった。で、翠嵐高校が、神奈川県一、人気が高い公立高校になったのも、彼女の塾の貢献なのかもしれなかった。

 で、彼女の結婚だけど、小学校の時から、慶応の理工学部の学生に接していて、結婚適齢期になると、ある男子学生を選んだと、考えられる。その人に市瀬家に、養子として来てもらうという条件だったと思われる。

 彼女は、美人の方だから、男性も、好意を示されれば、まんざらでもなく、婚約はスムーズに成立したと、推察される。だからお子さんが、現在39歳というのは、どうもおかしいのだが、しかし、それはここでは、問題にしないで置こう。過去に、39歳で、上昇をしてそれを今、持ち出された可能性がある。だって、二所帯住宅を建てる交渉を坊ちゃまが、20代で、始めたとは、思われないので。現在、79歳の彼女が、当時の適齢期に結婚をしたと仮定すると、坊ちゃんは、すでに、55歳程度の筈だった。

 その後なのだ。東工大と、医科歯科大学の合併が、発表をされたのは。それが大問題なのだ。この件は別章で、詳しく書きたい。共立薬科大学が、慶応大学と合併したのも、じょし医科だいがくの研究所が早稲田大学と合併したのも、すべて、私狙いであった。それは別の章を起こして、後日、説明をしたい。出ないと、このブログが終わらないからだ。

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副題4、『日高屋の野菜一杯タンメンを食べた後で、もう一回エネルギー補給をしたくて、銀座・三越別館9階に在る、JA(全農)のアイスクリームを食べた。それで、少しは回復したので、シロタ画廊から、銀座を北上し画廊香月に向かったのだった』

 私は日高屋のタンメンを食べながら、そういうこと(上に描いた、みじめな自分の現状)を考えていた。で、心の中は、悲哀でいっぱいだった。だが、自分で決めた事は、実行をしようと、心身を奮い立たせ、当初の目的通り、シロタ画廊へ行った。目的としていた、女性スタッフは二つの展示室には居なかった。二代目オーナーが今週の作家と、大展示室で、お話をしていたが、彼女は、バックヤードに隠れているのだろうと推察した。それだけで、ブログを書くことが一定の効果を上げたと判断をした。本当に小さな形ではある。だけど、ペンの力で、いじめという暴力に少しでも竿をさせたのだったら、幸いだ。

 で、急に元気を回復して、反対方向に、15分以上歩かないといけない、画廊香月を訪問したくなった。

 ただ、気持ちはどうあれ、体力が限界に達しているのも確かだった。それで、エネルギー補給のために、三越別館九階に向かった。そこのカフェ【minori 】で、提供されるアイスクリーム(または、ジェラート)は、心身にしみとおる、滋養を感じさせるのだった。時には、二カップ食べる。それが四丁目であり、そこから、一丁目の奥野ビルまで、本当に張って歩きたいほどの、疲労の中向かったのだった。

 どうして、そういう事をしたかというと、実は、山の下で、すっきりとした姿勢で、たっている岸田淳平氏に、ごく最近(この二週間以内だったと思うが)あっているのだった。本当にびっくりした。死期が近いのではないかと、思うほど、衰えている姿も見たことがあるからだった。

 そして、その顔には、いつもには見られない、非常に複雑な表情が浮かんでいた。で、私は目礼だけを交わして、言葉をかけないで、去った。その後なのだ。画廊香月の、六人展に、岸田淳平の名前が入っているのを知ったのは。

 私は、このシリーズ、ジンジャーと曼殊沙華では、岸田淳平の、ずるさというか複雑さについて、あれこれ書いて居る。だが、ここのご近所様=の東大、慶応、早稲田など、有名大学卒のエリートばかりそろっている山でも、岸田淳平は、屈指の教養の高さを誇る人物であるという基本的把握は、変わらないのだった。

 それに、ひどい弾圧を受けて、常に騙されており、いじめられているので、それを丁寧に書くから、このブログを読んでいる、人々は、私を悪人だと、誤解をするかもしれない。しかし、私は、自分自身が、善意の人でもあり、他人をも、性善説で、信じるタイプなのだ。画廊香月のオーナーも、難しいところもあり、

 しかも、私は、鈴木紗綾ちゃんの一件を書いて居る。母親の一ノ瀬智恵乎さんへの批判を書いて居る。後注3へ

 それは、珍しく、香月ひとみさんと小堀令子さんとサッポロビールが経営する居酒屋(?数寄屋橋のビル8階にある)へ私が二人を誘って、飲んだから、知った事実だった。事件後、一か月後に知ったのだった。私が、「ヘリコプターが、事件現場の上を、旋回をしているでしょう。あれって、一ノ瀬さんの家、辺りよね」と言ったら、二人が、異口同音に、「なにを言っているのよ。あれって、一ノ瀬さんの家の事だったのよ」と答えたから知ったのだった。

 でも、その後描いた私の文章を一ノ瀬さんは嫌がっている筈だった。そして、香月ひとみ、と、小堀令子はその件で、私を嫌っている筈だった。だけど、私は無理を押して、訪問をした。ただ、一つ、岸田淳平が、作品をもって最近、ここに来たかどうかを、知りたかったからだ。

 そして、香月ひとみが、ばかではないと言う事も知っていたからだ。悪いけれど、はっきり言って、ここの鎌倉、雪の下のご近所主婦とは、一皮も、ふたかわも違うレベルが違う。女性としては、圧倒的に明快で、回転の速い、頭脳の持ち主だと、言える。北九州でだが、テレビで、MCなどをして、活躍していたそうで、その脳みそは、柔軟で、臨機応変だ。

 そして、私の方だが、リアルな世界では、口が早くは、回らないので、世間の人から、ばかだと思われているが、頭脳の中は、香月ひとみに匹敵するスピードで、回転している。

 それで、どんな悪い前提条件があろうとも、私は香月ひとみを恐れない。で、彼女と会話を交わしたいと思った。それは、すべて、岸田淳平の健康状態を図る為だった。

 岸田淳平が作品をもって画廊香月を訪れ、オープニングパーティに参加をしたかどうかを知りたいのだった。

 ここで、この文章は、冒頭に戻っていき、リングが完結する。岸田淳平は、銀座では10年間、行方不明だとのこと。思わず笑いながら、それは違うわよと、否定をしておいた。岸田淳平は交渉事を、(私が、その存在を推察している)アトリエで、行っていて、今では、膨大に届く、郵便のたぐいを処理するのが嫌になっているのだと、考える。それで、10年間、行方不明だと、なっているが、実際には、ここ、鎌倉雪の下の、同じ家で、井上姓を用いながら、ひっそりと、36年間暮らしている人だった。

 しかし画廊香月には、言っていないのだったら、彼はなぜ、140段もの石段を下って、私を待っていたのだ。不思議極まりない。しかし、その後、なぞが一つ解けた。例のジンジャーが丸裸になっていたことだ。その庭だけど、不思議なことに、家の中を通らないと、そこに到達できない。北側の玄関から入って、南側の別ドアから出る形でないとそこには入れない。ますます、なぞが深まった。この項別章へ続く、

@@@@2

 メモ、浜銀が預け入れの際にも、110円をとる話。三菱銀行はさすがにそれをしないが。

 江ノ電バス、大船ー鎌倉間の、切符の値段設定がおかしい。JR東日本も、その値段設定がおかしい。些末なお金でも、搾り取ってやろうとする仕組みをひしひしと感じている。

 この山21軒のうち、我が家だけ、危険・崖地、設定をなされてしまって、土地を売るときに値段が大幅に下げられる可能性がある。

 反町の小さなアパートの二階の住民は、20年以上も済んでいたまじめな人たちなのに、急に出ることとなった。これも、家賃が入らないこととなるし、以前から住んでいた人なら、インテリアが、和風で、古いことも納得だろう(しかし、3室南向きで、しかも独立性が高くて、とても暮らしやすい。反町駅から、徒歩五分だし。絶対に引っ越したくなかったとおもわれるのに、例のCIA連中が仕向けたのだった。どこか、とても、条件によい物件を別に示されたのだと思う)

 このアパートの一階には、豊里盛泰・伊藤美枝子夫妻が住んでいる。厚生年金を二人共、別々にもらっている(で、すでに、月額、生活費、30万円はある形で、五年間、過ごしてきたのにもかかわらず、この二月8日から、生活保護費(実際には、不正受給だが)問題が浮上し、彼ら夫婦は、現在月額、50万円で、暮らしていると推察できる。たまたま、そこへ寄ったときに、伊藤美恵子さんがタクシーを呼んで、お買い物に行く場面に遭遇した。東白楽近辺か、横浜駅周辺へのお買い物だと思われるが、タクシーで、行くのだった。

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ジンジャーの伐採と曼珠沙華の攻防 (雪ノ下黒物語の、スピンオフとしてのお話)

2022-11-21 13:58:32 | 政治

副題1『花が話題の中心ですが、もちろん政治です』

 お約束では、前報(あと注1)を、充実させる筈でした。しかし新しい発想が湧いてしまいました。で、そちらに取り掛かりたいと思います。

 この夏、井上(=有名な画家、岸田淳平)家の南側に、見事なジンジャーが咲いて居ました。私は自宅で、主人に向かって、「きっと奥さんが植えたのよ」と、言いました。

 その後でした。ジンジャーや、そのほかの植木類が、全部、ばっさりと、伐採をされたのは。これは、我が家の室内が盗聴をされて居ると言う証拠で、激しい激しい人権侵害ですが、その伐採に気がついても、当初はあまり気にしていませんでした。私狙いだとは、わかっていました。だが、そのもっとも、深い部分には気が付かず、『盗聴なら、五万 (回) とやられて居るのだから、慣れているわ』と、思って、ただただ看過しておりました。

 ところが、本日、静かな、静かな北久里浜の旧宅で、一人、かたづけをしている内に、『違う違う。これには大きな意味があったのだ』と気がつき始めます。

:::::::しかし、ここで、ジンジャーという花について、すこし、解説をさせてくださいませ。生姜です。ダリアとか、カンナと同じく、根がしっかりしている植物で、種からではなくて、根を買ってきて、栽培します。だが、チューリップとかグラジオラスと違って、育てるのが、難しい植物です。テレビで、野菜として売っている生姜も栽培が難しいと聞いて納得をしました。私は、三回ぐらい、大きな大きな花用の生姜を買ってきたのですが、花が咲いたことがありません。

 だから、井上(=岸田淳平家)家の、ジンジャーがあれほど、見事に育っているのを見て、奥様をしみじみと思い出していたのです。

 ここで、井上夫人について、大量に語りたいが、それを無理に押し殺して、ご主人について語ろうと、思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

~副題2、『岸田淳平という画家が、画壇でどういう立ち位置にあるかを語りたい。一つ、わかりやすい指標は、朝日新聞のチャリティーオークションに選ばれている作家であるという事』 

 井上さんというのが、本名ですが、ペンネーム岸田淳平として、いろいろ活動をしている方です。文筆家でもあり、・・・・・ご本人は、秘密になさっていますが、・・・・・奥さんと、友達だった方が、言っていたことには、・・・・・何か、歌(流行歌か、ポップスかは、知りませんが、)でも、ヒットを出して、7000万円の一時金が、1970~1990年の間に入ったとか?
 ところで、井上(岸田淳平)さんは、心が、大変、おしゃれな人であり、現実遊離というか、現実離脱も好む人なので、私は、井上さん=岸田淳平であるということは彼が、月刊ギャラリーで、特集されるまで、知りませんでした。自分の仕事のことを、この雪の下の山では出さない人なのです。それに、一年ぐらい(=2021年いっぱい)前までは、ほぼ、毎日朝九時ごろから、夕方まで、外出している人でした。多分、別宅(いわゆる仕事場 兼、アトリエ)があるのだと思います。大船でご本人が、キリンビール経営のレストランに入っていくのを偶然に見て、「井上さん、アトリエが、大船にあるの?」と質問をしていますが、「いいえ違います」との答えでした。キリンビールのレストランで、一時間過ごすとしても、それ以外の、時間をどこで、過ごすのですか? やっぱり、何かで、ヒットした人なので、別宅を持っているというほうが、本当だろうと、推察しています。

 月刊ギャラリーの前は、【美術の窓】でも特集をされたそうですから、そのほかの数多い美術雑誌にも特集をされたことがある人かもしれません。
 私は、そういう外部の評価で、彼を高く評価しているのではなくて、ほかのポイントで高く評価をしているのですが、その第一のものは、

 町内会費を、徴収しに行ったときに、玄関に赤い大壺(高さ70㎝ぐらい)が置いてあって、それが、どこの地方の窯の生産品(もちろん、プロが作って、彼が、買ったものだとおもってだが)かを知りたくて、「これは、なんですか?」と、質問をしたら、「ああ、ぼくが焼いたのです」との答えを受けました。

 おどろいたのなんの? 私は、実は、実力者ですが、弾圧を受けているので、正当な評価を受けられません。しかし、モノを見る目は、確かです。その赤い壺は、最高級の作品でした。無造作に、傘立て用みたいに置いてあるのですが、突出した・・成功・・作品です。

 ところで、15m離れている家である、岸田淳平家より、5mほど、我が家に、近いところにかまくら春秋窯というのがあって、主宰者は、石川和子さんと、言います。

 彼女は、伊藤玄二郎の愛人だったそうで、彼によくしてもらっているので、月に200万円の収入があると、私に言っていました。しかし、美的センスも教養もなくて(ただし、人はいいのだろうと思いますけれど)わがままいっぱいの人で、私の猫が好きで、昼間だれもいない我が家から、そちらに遊びに行くと返さないのです。で、取りに行くと、なんと、自分たち夫婦のセックスの高揚感のために、私が来ていることをわかっていながら、寒い外で、待たせるのでした。

 でも、私が、黙って数年間、耐えたのは、彼女は、単なる日銭稼ぎおばさんでしかなくて、芸術の香華とは、まったく無縁の人だと、わかっていたからです。だから、表面には出しませんが、軽蔑をしていました。それで、何をされても、ただ、笑って、見過ごしていたのです。それも、私が、この山で、悠然と暮らすことができる秘密です。ただし、自分の方が、我が家の猫を盗んでいる立場なのに、その猫に嫌われて、猫が私の方を選んだら、その恥ずかしさを注ぐために、警官を呼んで、警官の脅かしによって、復讐しようとしたので、それ以来、私も、怒って、彼女については、洗いざらい書いていますけれどね。

 私はこの山では、自分の存在感をさらけ出さない様に努めていて、静かな人ですが、観察眼は、鋭いから、石川和子さんに限らず、「あなたがどういう人物であるかは、全部わかっていますよ。もし私に対してひどいことをするのだったら、自分がわかっていることをすべて出します」と、住民連中には言っておきたいです。

 その陰に、自分を陶芸家などとは言わない、井上さんの赤い大壺を、見た経験が、大きいのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『岸田淳平と、井上さんが、同定されたのち、銀座の画廊で、その作品を見ることが、多かった』

 企画展と言って、画廊側が「どうか、あなたの作品を出して(貸して)ください。画廊の、使用料は、取りません」という場合があります。そういう画廊では、展示作品は、小さいサイズが多いです。つまり、お客さんが買って、自分の家に飾ることを想定しているからです。荒川画廊。白水画廊、椿画廊 エトセトラ。

 ところで、井上さんの北隣が、大原光孝さんです。彼は、岸田淳平とは、まるで、違うタイプの絵を描きます。技術を重んじたきっちり、した絵を描く人です。岸田淳平の絵は、技術を誇っているとは、見えません。陶芸については、抜群の、技術力を見せた岸田淳平ですが、絵の方では、違うタイプの絵を描く人です。


 ホキ美術館というところがあって、リアリズム絵画ばかりを集めていますが、森本草介が、非常に有名です。

 私は、子供時代から、上野の美術展には、親に連れられて行っていますが、1979年ごろからは、子供が学校へ行っている間に見る様になり、鎌倉へ、引っ越してきてからは、神奈川女流展、東京の女流展、国展、神奈川県展、毎日展などに、出品をするのですが、森本草介の作品は、上野の都美館で、よく見ています。1990年代の国画会は、上野の精養軒で、オープニングパーティをしていました。

 私は体が弱いので、偉い人ではないのですが、壁にある椅子に座っていたのです。すると、隣の椅子に座っている人に向かって、多くの人が挨拶に来るので、その人が森本草介であることがわかりました。驚きました。結構太っていて、脂ぎった肌の人で、しかも頭にアフロ的なパーマをかけていたのです。

 あの静謐な女性美(特に優美な背中の、美しさ)のイメージとはあまりにも違うので。

 でも、70歳を過ぎたころには、森本さんは、やせて来て(もしかすると、癌だったのかしら? ) あの派手派手しい外貌は消えました。

 ともかく、何故、ここで、急に森本草介が、登場するかというと、井上さんの北隣に住む、大原光孝さんの絵が、かっちり、きっちりした、リアリズム絵画なのです。

 ところが、岸田淳平の絵は、まったく違うのです。どうか、ググってみてください。そして、私の言っていることを、ご理解ください。岸田淳平は、ファンの多い、知る人ぞ知る画家なのです。

 ところで、井上(=岸田淳平)家の南側の庭が、すべて、伐採をされて丸裸になっているのには、大きな政治的意味があるのです。ごく簡単に言うと、今、私は大原光孝さんと、りあるな世界でも、たたかっています。それは、曼殊沙華の攻防という命名で、下書きだけ、してあるものですが、それと、この井上家の、庭のまるはだかは、関係があるでしょう。

 白井夫妻と、伊藤玄二郎の11日か、12日の会合とか、清川病院で、見せられた肺に影がある、捏造写真

ここですが、清川病院が、作った写真ではないのですよ。CIAが作成したものです。たまたま、清川病院で、それを見せられたのですが、すぐ捏造だとわかったいきさつは、以前に書いていますね。

、保美死刑囚の、平成の八墓村事件当時から、平木さん一家の子供を含む暗躍・・・・

 とか、

 私の体への、IT技術を使った攻撃とか・・・・・桜田門での、パソコンへの指示が、ルーターを通じて、私の体へ、影響を与えること。

 そして、講談社事件の最高裁判決、????? どうして、一審と、二審をNHKニュースは、報道しないのに、最高裁だけ、報道をするのですか? これも、私を狙った事案の様な気がします。まだ、実際には、生きている井上ひさしとか、ほかのCIAエージェントとか、ともかく、私の敵として、機能しているあたりが、肺の捏造写真の件で追い詰められたので、そういう方向へ、この裁判を、もっていこうとしているのではないですか? 

 前田家の、息子さんのシェアハウス運動の再開、

 ともかく、「画壇では、岸田淳平は、10年、行方不明よ」と、聞いたり、(むろん、胃がんで、具合が悪いから銀座へ、行かないだけでしょうが?)[

 もう、ここには、本当に多数の問題が、詰め込まれているのですが、

 本のちょっとしたことに、大きな傍証を見つけて真実を探っていく私にとって、ジンジャーという、育てにくい花をバッサリ、伐採したのは誰だ? ともなるのです。

 井上さん(=岸田淳平)氏には体力がないはずで、彼が伐採したわけではないでしょう。でも、黙って他人が塀の中の樹木を伐採するはずもなので、これは、不思議極まりないことなのです。

 ものすごく、ふくざつなので、後刻書きますね。もしかしたら間に、別のぶんしょうをいれるかも、しれませんが?

 ところで、私は、今朝は、午前零時半から起きているので、ここで、この文章を留といたします。

 すみませんが、そうさせてくださいませ。

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北ミサイルは、酒井忠康→柄沢斉→大原光孝ラインで、公金が渡っている事、を17日の深夜メモとして書いていた私への脅かしですよ

2022-11-18 21:54:21 | 政治

 この章は、賞味30時間、総タイトルを【積み立てNISAとは、まじめで可哀そうな日本人のお金が、ごっそり海外へ奪い去られる仕組みですよ】としておりました。そして、その間、推敲も加筆も致しませんでした。内容に強い自信があったからです。種々のまだ、皆様へは、語れない、証拠があり、自分としては、以下の文章が、どれほどに、価値が高いかを、確信していたので、かえって、安心して、放っておいたのです。さて、今は、21日(月)の午前3時です。少しだけ加筆をします。

副題〇、『22-11-18早朝の北朝鮮ミサイルは、私が、****罫線以下のメモを、このパソコン内で、書いたから、発射されたのだった』

  ええとですね。皆様は、私が、今回、下に、書いて居ることについては、全くご理解が及ばないと、思います。しかし、CIAの中枢で、動いている人間にはぴったりと、通じるでしょう。

 ・・・・・彼女は、17日の深夜、最大級の真実をばらすメモを、書いた。自分では、それを、公開しないと書いていた。だから、ここで、脅かしておけば、絶対に公開しないはずだ。清川まどか院長と、宮下裕子先生の続きも、書かないでいるでは、ないか? 大原光孝への、公金からの秘密裡に、下げ渡される金銭について、は、公開しないと、自分で言っていた。

 で、さらに確実に、公開をさせないために、北朝鮮にミサイルを打たせた。

というのが、世界の中心で、世界を支配している連中と、日本の桜田門の合意でしょう。しかし、私は、彼らが考えていることとは、反対に、動きます。彼らの心中をにある真実を、すぐ察知するからです。

 ここからは、また、彼らの、心中をおもんぱかった、文節に入ります。

 だが、驚いたことに、平気の平左で、メモを公開しやがったぜ、では、どういう風に次の手(=脅かしと弾圧に、関すること)を打てばよいかなあ?、・・・・・ と、鎌倉エージェント(=CIA本部の日本支部を担っている人物たち、東京に住んでいても、私は、彼らをそう呼んで居る)は、考え始めていると、思います。

 だから、私が未来永劫安心だというわけでもなくて、また、新しい攻撃が始まるでしょうが涼この30時間は、まったく安心して過ごしました。で、ここに手を加えませんでした。加筆も推敲もしなかったわけです。

 初稿を書き終わってから、36時間後に、この一説を加えました。

 なお、女医さん二人への分析用文章を、今、書かないで、いる理由とは、結局は、彼女たち二人の問題ではないからです。伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントが、厚生労働省、および、医師会を支配して、嘘の診断を下している問題なので、膨大な過去ブログを検証しないと書けないから、今、書かないで、いるわけです。

 ビビって、続きを書かないで、いるわけでは無くて、ともかく2010年4月5日に、額田病院から、午後一時に我が家に電話がかかってきたところまでは、絶対に、さかのぼらないと、いけないからです。

 いや、もしかすると、保坂涼子(今は、名前を変えて航子と名乗っている)まで、さかのぼらないといけないので、2005年まで、さかのぼらないといけないので、書けないで、いるだけですよ。今、保坂涼子については、いったん重要な真実を書いたのが、2017年の五月です。その後の活動を探索しつつあるところです。新たに分かったことは、2021年と、2022年に、ギャルリーユマニテで、個展をしていること、これで、合計五回は、そこで、個展をしていること、・・・・・武蔵野美大で、重要な卒業生と、みなされていることなどです。

 この人が活躍するのも政治的に言えば、北朝鮮ミサイルと、同義なので、この人の活動を追うのも、重要です。つまり、表と裏の関係です。大原光孝という人物も同じです。四方八方から攻められているとは、こういうことを指します。ただ、大原光孝の動きは、音と、作業員の動きと駐車で、めにみえるのですが、ほさか航子に関しては、北のミサイルが、打たれたら、ネットで、検索をすると、言う作業に入ります。

 では

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『私が、自分の家の近辺で起きたことで、新しい事実を把握して、それをメモに書くと、必ず、CIAが嫌がらせをしてくる。河井克之、あんり夫妻の選挙違反運動も、その一つだったし、シーシェパード運動もその一つだったし、東京五輪の汚職事件で、電通の重役、高橋某が何度も何度も再逮捕されるのもその関連だし、やまゆり園事件で、自分の娘が死んだと嘆く、吉岡里帆の母親が、顔を隠したまま、NHKニュースに登場するのもそれだし、 

 大阪理財局(そんな部署はない。私がそれをブログに書くと、財務局と訂正してきた)の係長だった赤木俊夫が自殺をして、それに対して、国家を訴えているという赤木雅子という女性も偽物だし、(そもそも赤木俊夫という人物そのものが捏造です)、

 最近、立て続けに、起きた高層マンションから、幼児が転落すると、言うニュースも偽物です。富山湾で、行方不明が、一か月後に死体が発見された二歳男児に関するニュースも偽物です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 そして、北朝鮮のミサイルですが、実際に発射をされていますが、大ウソを内包しているニュースです。どういう部分が嘘かというと、あのミサイルですが、実態は、北朝鮮が作っているものではありません。大型の製鉄所さえない、北朝鮮に、どうしてあれだけの、鉄(金属)を、供給できる体制があるのですか?

 ないでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『北朝鮮のミサイルとは、胴体は、ロシア製で、制御部分はアメリカ製であろう。後者は、中国を通じて、入って来る。鉄道を利用してだが・・・・・どうして、そういう事が可能かというと、もう、現実には、国家とか、国境というものは、機能しておらず。ただ、ただ、超富裕層と、それ以下の一般、国民とに分断をされており、アメリカでも、日本でも同じ様に、中流階級が消え、二極化が進んでおり、富裕層の中の超富裕層は、世界中をまたにかけて、一種のファミリーを形成しているからだ。それは、イラン、インド、トルコなどを別にして、世界中を席巻している、トレンドであり、プーチン大統領、習近平国家主席、金正恩国家主席なども、そのメンバーの一人であろう。バイデン大統領も、その一人であろうが、トランプ元大統領は、いれてもらっていない。

 日本の総理大臣というのは、歴代、それには入っていない筈だった。しかし、アメリカで、幼少期を過ごした、岸田総理大臣は、英語ができると、言う点を買われて、メンバーに入れてもらっているのかもしれない。だから、国連で、演説をしたり、ちょっと、国内で、批判が高まると、すぐ国際社会で、の、ひのき舞台が、用意されている』

 岸田総理大臣は、自民党総裁選の時から、・・・・・休止中の原発はプルトニウムを発生するから、早く活動させたい・・・・と、言い、それに関連して、河野太郎氏に「知っているのか、お前」という風に、表情で、質問を投げ掛けけました。
 その悪意の深さには、ぞっとしました。だって、稼働中の原発も、休止中の原発も、いったん、核分裂反応のトリガーを引いたら、同じ量のプルトニウムを発生させるのです。詭弁というのはね。あたかも、休止中の原発だけ、プルトニウムを発生させる様に、相手にも思い込ませたことです。自分がそれを信じているのはご勝手にです。ただ、河野さんにも国民にも、それが真実だと、思わせたことです。これが、大きな、嘘ですから。
 岸田さんは大学では文系を専攻しているのでしょうね。早稲田の政経学部卒の筈です。だけど、一国の総理大臣を引き受けるのなら、原発の、科学としての、基本的な仕組みぐらい知っておかないといけません。
 東電の幹部にれくちゅあーを受けましたと、おっしゃるかもしれない。だけど、東電の幹部なんて、必死に、休止中の、原発を稼働させようとしているわけですから、稼働中の原発も同じ量のプルトニウムを発せさせるのだという真実を教えなかったと、見えます。
 本当に岸田総理の、無知が恥ずかしいです。ただ、ただ、休止中の原発は、お金を消費するから。稼働させたいのです。稼がないくせに、爆発(=メルトダウン=広島級被害を出すこと)させないために、冷却だけは続けないといけないのです。それに莫大な、お金がかかります。

 河野太郎氏もだめですね。原発反対派には、インテリが多いだろう。自分も神奈川県出身で、早稲田卒で、インテリの一人だ。だから、原発反対を唱えていた方が人気が出る』と言うような考えで、心情的に原発反対を唱えていませんか❓ ガンマ線、アルファ線、ベータ線などの、違いを分かっていて、どの、線が、マイナスイオンの流れであり、だから、体に、もっとも大きな危険を及ぼすなどと言う事に関する知識がありますか?

 ちゃんと、学んでください。二人とも。日本国内に、54基(2011年度・・・・・今は、56基あるとか?)も、原発を抱えているのですよ。本当に国民から選ばれた選良なら、ちゃんと勉強をしてください。二人とも現役の代議士で、一人は総理大臣、もう一人は、これから、総理大臣になろうとしている人なのに、こと、原発に関しては、一、専業主婦にしか過ぎない私よりも知識が無いですよ。本当に困ったことです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『岸田総理大臣が、日本国民よりアメリカの大富豪たちの方を向いているのは、確実で、その象徴が積み立てNISAの、推奨である』

 今は、・・・(その実態は、CIAの手先だ・・・・と、国民一般が目覚めてしまっている)・・・朝日新聞でさえ、岸田総理大臣の欠点をあげつらって分析しています。NHKは、世論調査で、人気が、30%代だと、言っています。週刊誌もさんざんに批判を掻き立てています。だが、岸田総理大臣は、苦労のかけらも見えない顔をしています。何が起きても蛙の面に水です。どうしてですか? 金正恩主席と同じく、超大富豪(軍産共同体の社長たち)に、ファミリーのメンバーとして認めてもらっていて、安心感があるからです。

 誰も批判をしない積み立てNISAを、今日も国民一般向けに宣伝を政府がしていたので、これが、とても危ないものだと、言わせて下アイ。この間、NHKが、バブルを可視化したドラマを放映していました。ものすごくわかりやすいので、皆様もNHK+などを利用してご覧になるのをお勧めします。

  • 2022年 : NHKスペシャル「東京ブラックホール Ⅲ 1989-1990 魅惑と罪のバブルの宮殿」(ドラマ脚本一色伸之・・・・主演。山田孝之・・・・NHK)

その中で、野村證券に、勤務していた人の話が出てきます。この番組は、ドラマ部分とノンフィクション部門(ドキュメンタリー)が、ないまぜになっているので、こちらは、本物の野村證券勤務者で、責任を負って、株安を防ごうとした人が、当時を語ります。

バブルとは何か? バブルの終焉とは何か?を、判らせてくれます。バブルの始まりは、はっきりとは、判りませんでした。ただ、海外の投資家が、日本株を買い続けて、値上がりして、それに浮かれたのか? その開始の、きっかけが何だったかは、判りません。

 ただ、バブルがはじけた理由は、急激な株安だったらしいのです。それは、海外投資家が仕掛けた、金融戦争ともいうべきものだったが、それが、初めての事だったので、見抜けなかったと、・・・・・

 今積み立てNISAが勧められています。主にネット証券会社がやっているみたいで、私が関係しているみずほ証券は、やっていない模様です。ともかく、SBI証券、松井証券、楽天証券、マネックス証券などがやっているみたいで、100円から、貯金感覚で、投資できるらしいです。

 しかし、100円からできると言う事は、今まで、株の投資をしていなかった、庶民とか、若い人を狙っていると、見えますね。しかし、株とは危険性のあるものです。

 うちのは葉なんて、今の貨幣価値でいうと、毎月、50万円程度の月給をもらっていました。しかし、それを生活費には、いれないで済む人だったのです。父の方が、月給が、60万円ぐらいに設定されていたからです。すると、母のお給料は、母が自由に海外旅行をしたり、忙しい自分の分担役として家政婦さんを、月曜日か羅、土曜日まで、雇ったり、経理の仕事の一部分をご近所主婦さんにアルバイトとして頼んだりする、費用を除いた残り、毎月30万円程度を株の投資に充てていました。大変な勉強家で、最後には、パソコンでチャートを見ることもやっていました。が、大体短波放送を提示に聞くという形で、自分が持って居る株の価格推移を把握して、それを方眼紙を横長に切った、お手製のチャートブックに記載をしていました。それが、厚さ5㎝で、数冊ありました。

 母の父は、たぶん明治時代に、山口高商を出た人で、のちに柳井商業(山口県にある)の校長を長らくしました。四十年間とか。ただ、子供の数が多くて、(母の実家で二人、その家を養父母と合わなくて、離縁して出た後の二度目の養子先で7人)、また、その子供たちに高等教育(大学へ進学させる)を受けさせるために、保険の勧誘を始めたので、それで、評価が落ちたと聞いています。が、私は日吉の実家で、その人と会いましたよ。一回だけだけれど。温厚で、品の良い人でした。その人の影響を受けているので、理財に明るい人で、そのころは、男性にしか認められていなかった、信用取引も認められていました。信用取引とは、実際にお金を払わないで、買ったとか、売ったとか、申し出でて、利幅、または、損失分だけを、証券会社とやり取りをする仕組みです。私の想像するに、総額三億円位を運営していたでしょう。

 でも、その母が、人生の最終局面で、まだ、株を持って居ながらも、私に告げたことは、「結局ね。うちがお金持ちになったのは、不動産よ、不動産が値上がりしたから、(次男坊の父は、親から遺産をもらっていないので、金持ちではない出発だった)金持ちになれたの。株ではないわ」と、言っていました。

 つまり、株とは、儲かるものではなくて、一種の頭脳ゲームで、それを楽しむものだと、言う事です。

 それから、高額の資金を株に投入していると、証券会社からちやほやをされて楽しいという、ステータスシンボルでもあります。

 実家では、役割分担をしていて、父が、不動産を買う担当でした。でね。国家の計画、神奈川県の計画、私鉄の計画、国鉄(今のJR東日本)の計画などをよく調べて、その上で、ここが当たるだろうと目星をつけて、辻堂とか、相模原(当時は、日吉に比べると圧倒的に田舎だった)の土地を買って、それが、バブルのはじける前に、父が死んだので、相続の関係で、売ったので、お金持ちになれた模様です。

 特にインターネットが無かったので、父の調査能力が、利益をもたらしたのでした。辻堂何って、今は湘南モールができて、ものすごく発展していますが、1950年代とか、1960年代なんて、駅前に大きな関電工の工場があるだけの殺風景な町だったのです。しかし、個人が、こういううまみを味わう事は今はできないのです。人々が好む住宅がマンションになっていますね。だから、100坪単位の土地が、高く売れるというわけでもないのです。それに、土地所有者もみんな賢くなっていて、100坪単位なんて売らないでしょう。

 でね、株式投資をする場合、現在の貨幣価値にして、三億円ぐらいを投資している人はセミナーなどにお招きを受けて、さらにお金儲けができる仕組みになっています。一方で、一千万円程度の、株主は、スタッフさん達から、ごみ株主と呼ばれている模様です。これは、母から教えてもらった話です。

 今日かなあ。NHKニュースの録画版を見ていて旧来のNISAと、どこが違うのかを説明をしていました。それ阿だけでは、判らないところがあったので、ネットで、些少の調査をしました。すると100円から投資ができて、総額40万円まで無税であると、出ていました。「えっ、それってごみ株主の大量生産ではないですか? 証券会社が、それを、喜ぶの? 手間ばかりかかって、しょうがないなあ。困るよ。と言うのではないですか?」と思ってさらに調べると、ネット証券会社だけが扱っていると、判りました。

 ネットは、人件費がかかりません。だけど危ないのですよ。FTXというビットコインを扱う会社がつぶれたとか言っているではないですか? NHK画面には、20代の女性らしい人が、積み立てNISAで将来に備えると言っていました。うちの母は、保険はやめなさいと言っていました。時代の変動があり、将来へ、投資をする仕組みは危ないと言っていました。それと言わず語りですが、投資信託もやめなさいと、言っていました。

 将棋の桐谷さんが、株主優待品だけで、一年暮らせると言って話題になっています。桐谷さんが、推奨する株は、20万円から、買える株です。そこから始めると、当分の間、ごみ株主扱いをされるでしょう。それは、ちょっと癪です。だけど、自己責任だから、本当に勉強をしますよ。それが、いいと思います。ネットで、甘いことを言われているのは、非常に危ないです。

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 でね、この積立NISAの、本当の目的を言いましょう。それは、庶民が蓄えている円を、株に導入して、海外の大資本家がそれをごっそりと奪うという仕組みです。ネット証券四社のトップは、大金持ちです。だから、海外に別宅をすでに構えているから、日本がどうなってもいいのです。

 この・・・・・日本なんか、どうなってもいいのだ。自分は特権を与えられているのだから・・・・・と言うのが、岸田総理大臣の考えです。

 で、今まで株には、興味のなかった、または、ネット証券には縁がなかった若い人を中心に、2千万人の日本人が積み立てNISAを始めたと仮定します。始める人は、月に一万円は投資をするでしょう。すると、20万円はあっという間に、ネット証券四社に集まります。そこで、4兆円です。四年後には、8兆円です。そして、五年か六年後に株価の大暴落が起きると、それらの、庶民のお金はごっそりと海外へもっていかれたことになります。

 積み立てNISAのデメリットを説明している文章も読みました。しかし、テクニック上の問題点を書いて居るだけで、私が書いて居る様な、国際関係を、説明している文章は、少ない模様です。

 アメリカという国は、庶民は、善人が多いです。だが、国家として、または、トップの富裕層が、決定することは、恐ろしいことが数多くあります。砂漠の中の実質的な監獄であった、マンザナール収容所に入れられた日本人移民たちは、財産全部を失ったのです。そういう歴史もちゃんと思い出しましょう。

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副題4、『そういう風に、国際関係に大局観を持って居る私から見ると、北朝鮮ミサイルは、アメリカ本国のCIA(=超富裕層)の命令で、行われていると見え、もちろんのこと、私狙いである。なぜ、狙われたかというと、******罫線以下のメモに原因がある。で、午前11時ごろは、北朝鮮のミサイルについて、一章のブログを書くつもりでした。というのも北朝鮮のミサイル(特に2022年11月18日の早朝に発射されたものは、100%*****罫線以下においてる、非公開用メモが原因だからです。で、因果関係を明らかにするために、非公開にしておこうと、思っていたメモを、公開へもっていきます。

 というのも昨日深夜、午前二時ごろまでに、*****以下のメモを非公開用として書きました。私は、この種のメモをずっと、手書きで、紙に書いて居たのです。2007年以来です。パソコンは、常にハッキングを受けていて、秘密を守ることが出来ません。だから、重要な気付きは、すべて、紙に書いて居ました。特に主人への手紙という形でね。でもね、紙に書いて置くと盗まれるのです。

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副題5,『泥棒行為は、警察を二組含む四組の人間たちによって、実行をされている。この一週間、例えば、本日も玄関内まで、泥棒が、入った可能性がある。私が徹夜明けで、寝ていて、主人が山の下へごみを捨てに行った間だ。五分程度の間なので、主人は鍵をかけて降りてはいかない。ただし、侵入しようと待ち構えている人間が、彼の家の二階の窓から、我が家の玄関ドアを、午前五時以降、ずっと、見張っていれば、(特に、我が家で、発生するもの音が、入る仕組みを持っている家の人間には)、主人がごみ捨てに行った事が判るので、その間、瞬間的に、嫌がらせにこの家に入ることは可能だ。本日は、特に合い鍵が無くてもできることだったし。で、本日に気が付いたことは、今のところ、嫌がらせ行為だけだけど、昔Iphone6が、玄関から盗まれたのは、事実で、数か月後、横須賀警察署から、返還された』

 泥棒行為は、2007年ごろから、頻繁に起きていたのですが、我が家のアイテムって、何万点もあるわけで、何が盗まれているかを、外出のたびに、確認などしていられません。

 でもね、何か、あれが必要だと、なった時にそれが無いと、言う形で、泥棒行為に気が付きます。

 今、大原光孝という人が、主たる登場人物になっています。彼は、表向きは、一般人です。しかし、対・私用攻撃者として、(前報で、それを書き始めていますが)隠微な行動をとる人物で、非常なる難儀を与えてくる人物です。

 特に柄沢斉とは、関係が深い人物です。

 ここで過去の例を挙げないといけません。過去の例から言うと、北朝鮮のミサイルは、この雪の下のご近所様の弾圧行為と、いじめ行為と、嫌がらせ行為について、一段と進歩したことを書いた時に起きているのです。それで、すぐさま、北朝鮮のミサイルが、****罫線以下のメモが原因である事が判り、したがって、因果関係をはっきりさせるために、公開した方がいいと判断をしました。


 というのも昨日深夜、午前二時ごろまでに、*****以下のメモを非公開用として書きました。私は、この種のメモをずっと、手書きで、紙に書いて居たのです。2007年以来です。パソコンは、常にハッキングを受けていて、秘密を守ることが出来ません。だから、重要な気付きは、すべて、紙に書いて居ました。特に主人への手紙という形でね。でもね、紙に書いて置くと盗まれるのです。

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副題6、『今回、特に22-11-14に、盗まれていることを発見したのは、柄沢斉の画集(展覧会カタログ)だった』


 でもね、何か、「あれが必要だ!」と、なった時に、「それが無い」と、言う形で、泥棒行為に気が付きます。
 この一週間、あれが無いと、気が付いたアイテムが、柄沢斉の図録でした。柄沢斉は、栃木美術館と、鎌倉近代美術館の、二つの場所で、大回顧展を開きました。その時の後援者は、日経新聞です。この日経新聞が、後援をしていると言う事が、柄沢斉が、CIAの手先として動いているという証明にあたるのですが、
 もう一つ、図録を編集し、制作をした、水沢勉先生(現在は、葉山と鎌倉に二つの美術館を持つ、神奈川県立美術館の館長である)に直接献呈をされた、その展覧会の図録が盗まれているのです。その泥棒行為について書くために、大原光孝という人物が、重要になってくるのです。彼が、盗んだとは、言っていませんよ。泥棒の姿を見たわけではありませんから。しかし、かれの柄沢斉との、交流を考えると、この泥棒行為を思い出さずにはいられないのです。。

 ところで、その時期の大回顧展用図録は、素晴らしく美しいものです。
 私は、いただいた時期には、大感動をして、メルマガエッセイにその図録について、どこが素晴らしいかを丁寧に書いて居ます。外箱が、外しやすい様に、奥の紙が無い、枠だけの形式だとか、その外箱にエンボス(浮彫り)が施されているとか、書いた記憶があります。しかし、原文は、40台もパソコンが壊されているので、失われていますけれどね。
 時期だけは、2005年には、いただいていると、記憶しています。展覧会の実際の期日よりは、ずいぶんと前に、そういう準備(図録のデータ制作と、印刷製本)は、なされるから、いただいたのは、実際の展覧会より、ずっと、前だったと記憶しています。
 なぜ、盗まれたかというと水沢先生ご自身が、私と親しかったことを隠したいのか、または、酒井忠康先生や、その後ろにいる伊藤玄二郎や、石塚雅彦さんなどを隠したいのか? または、有名人と親しかったことが気に入らない、まだ、本当は生きている井上ひさしが、奪い返したかったのか?

 ともかく、私が、東大に勤務していた時に、もし、結婚で、退職するのではなければ、将来必ず、東大教授に慣れると、上司から言われたのは、こういう事項で、演繹的手法を用いて、真実に到達することが出来るからです。

 京アニ放火事件が起きた時青葉真司が、ヘリコプターである病院へ、運ばれました。NHKは、最初その病院の名前を言いませんでした。しかし、私は、その大病院の中で、青葉真司が隔離隠蔽される可能性を感じて、その病院名を知りたいと、感じました。

 で、ググったのですが、検索用語彙として、病院、大阪、800床以上と入れると、4つぐらい病院名が上がってきて、写真を見ると、近代附属病院だと、判りました。

 そこから先、例の東大教授に褒められていた、非常に上等だという頭脳、特に演繹や、統合の手法を用いて、BCS賞(建築界における権威ある賞)に入り、その次に、お隣の白井達雄さんが、松田・平田設計事務所の重役にして、横浜支店長だと、言う事実に突き当たりました。これは、非常に重要な事実の把握でした。この時に、自分が神様に見守られていると、強く実感をしました。京アニ放火という謀略が起こされたからこそ、西隣の人物の、建築中から、いじめて来る秘密の源泉が判ったのです。彼は、きっと、北久里浜の大実質的詐欺事件で、私有地となった土地に建っている、美麗なマンション、ルネ北久里浜(発売時の命名そらヒルズ)と、例の傾きマンションで、有名な、ララ、横浜を設計した人物です。

 今日養老孟司先生が、スイッチインタビューで、着ていらっしゃった派手派手なシャツについて、そのメーカー名が、ナイキ(NIKE)らしいと分かりました。偶然です。別にググって探していたわけではありません。それを知りたがっていた、私への神様の贈り物です。

 私は同じくひどいことをやってきている、・・・・・ただし、大原光孝さんよりは、行動がきれいな、・・・・・平木伸明さんの勤務先を知りたいと願っています。これも、きっと真実を神様が、教えてくださるはずです。それほどに、私は神様に見守られているのです。

 だから、汚い汚い事実、又、恐ろしい、恐ろしい、事実をここで書いて居ても、私自身の精神は、清明であり、元気いっぱいです。

 で、反対に汚い汚い行動を、とる、特に今年、また、特にこの一か月に、ひどい行動をとる、大原光孝さんについて、******罫線以下のメモを書いたのです。

*******罫線以下の文章をここで、公開をいたします。解説を入れません。というのも本日=18日の午前中は、このテーマで新しい章を、書くつもりだったのですが、午後になって気が変わる出来事があったからです。

 午後になって、驚くべき奇跡が起きて、私が、かねてより知りたい、知りたいと願っていた、養老先生がNHKスイッチインタビューで、着ていらっしゃったシャツのブランドが判ったのです。私はそちらの方を、本日、18日のメインブログとして書きたいのです。で、*****以下のメモに関して、皆様、一般読者様が、ご理解をなさりやすいように解説を加えることをいたしません。

 養老先生が、どんなシャツを着ていらっしゃったか❓ しかもそれをどこで買ったのか❓

 なんていう事は、北朝鮮のミサイルに比較すると、小さいことだと、皆様は、お考えになるでしょうか? うーん、そうでも、ありませんよ。この世は神様がすべているのだと、言う証明になるので、小さなことでもないのです。

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朝、8時50分に家を出る。ポストに大原さんの新しい工事の、予告が入っていた。事業者は、

ところで、この間、物置(旧アトリエ)を撤去したばかりだ。それと、新設のプレハブ小屋を入れると、両方で100万円から200万円の出費だ。これが、大原さん自らのお金だと、仮定すると、おかしい。というのも立て続けに工事をしている。お母さんでも、亡くなって遺産が入りましたか? でも、もし遺産だったら、最後のお金なので、大切にするはずだ。絵が売れましたか?そちらの収入も、数年分の、お金なので、こんな不要な工事に使うわけがない。私の解説、彼の家は、36坪ぐらいある、プレハブながら、広い豪邸です。そこへ、一人の歩けない人(養母さん)と、彼だけが暮らしているわけなので、プレハブ小屋など、新築する必要はないのです。

 これは、だれが考え出したことかはわからないけれど、相変わらず、頭脳の働きとしては、単純だ。

 私は、業者を相手に、10回ぐらい、「お金がないから、自分で、反町のアパートのリフォームをする」と言っている。それを盗聴して、反対行動を、特に大原さんにやらせれば、こちらに対して、いじめるという意味で、効果的だと、考えているのだ。だから、これは、盗聴を利用できる警察のアイデアであって、資金は、内閣官房機密費から出ていると、考えた方が適切だと思われる。

 だが、証拠がないし(つかめないし)、書いても劇的だとも面白いとも思わない。だから、書かない。

 と、一昨日の夜には、内密のメモとして、書いたわけです。が、私のパソコンへは、ハッキングが常態として、起こされているので、CIAは、私を脅かすために、北朝鮮のミサイルを発射しました。嫌がらせの一種です。

 しかし、それが、発射されてみると、この反町の大きないじめと、大原光孝さんの家の、無駄な工事が、連動している事が判りました。こっちからお金を奪い取り切って、私の周辺の人に、官房機密費、または、市殻、大金を落とす。それに気が付いていると言う事、

 そこが、みそとなって、北朝鮮ミサイルの発射に結び付いています。

 反町のいじめとは、2月8日から始まっている生活保護費の、豊里・伊藤夫婦(実質婚)への不正受給に始まって、松尾崇・鎌倉・市長、山中竹春・横浜・市長が絡んでいる、相当大きな出来事であり、今は、まだ、書くことが出来ません。複雑すぎるケースだから、です。

 でも、アイデアを出す人間が、相変わらず、知能が低いということがわかる。誰がアイデアを出したかというと、山田さん、ほか、今まで、名前が出た人物のうち、・・・・・大前研一、雄介、栗田玲子、大宅映子、きっこさん、可奈子さん、和代さん、腸詰や、美都子さん、十文、旧姓・西大寺、龍村さん、中島千波、養老孟司さん、角野栄子さん、月刊ギャラリーの編集長・・・・などは、のぞく連中で、もしかすると、ご近所様とか柄沢斉とか酒井忠康氏まで含む可能性がある。北久里浜の人間である可能性もある。もちろん、鎌倉警察署の生活安全課の課長の可能性もあるし、桜田門、または、神奈川県警の、CIA,と、直接関連のある部署の、人間である可能性もある。

 まさかだが、大原光孝自身がアイデアを出しましたか? その可能性も入れておこう。ともかく、工事、工事、工事で、石春産業のがけ工事まで入れると、四回連続で、200万から、300万円のプレゼントとなる。彼が何らかの収入があったとしても(例えば酒井氏か、誰か、ほかの人の紹介で、美術の仕事で、高額の収入を得たとしても(いや宝くじ、3億円が当たりましたか? そうなると、こういう無駄な工事をして、私を見返してやろうとするのもあたりとなる。そういう形で、彼に高額のお金を渡す可能性もある。宝くじなんて、だれが買っているかは、不明なものだから)官房機密費からだと、仮定すると、国家予算の中では、鼻くそみたいな額だし、県のお金にしても、支出、は、楽々のはずだ。鎌倉市のお金、それも、議会に諮らずに、出すことができる、市長のポケットマネー的予算がある可能性がある。

 こういう連中に、天の采配・・・・特に処罰が、訪れないのは、不思議だが、・・・・・特に平木家は、いいことだらけみたいだが、?????

 富沢家は、夫婦ともども、衰弱が目立つ。ご主人は、うまく歩けない。奥さんは、やせ細っている。前田家は、ご主人が亡くなった。ただ、それは、高齢だから自然なことといえばいえる。でも、奥さんが、ろっ骨を痛めたそうだ。痛かったでしょうね。骨のトラブルは、痛いです。ただ、彼女は、今は猫を飼っている、柴犬を大事にしていた頃よりは、ものごとの繊細さが、わかる様になっていると思われる。

 安野家と白井家に関しては、今のところ、何も言いたくない。2013年の6月9日、白井夫妻は、安野家に上がって、お寿司を問って、六時間も懇談をしていた。

 ところで、白井家は、五千万円で、買った今の家のある土地にローンを設定しているが、或る年度で、一括して、返している。親の遺産が入りましたか? または、例の連中からの援助でしたか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 22-11-17 16;00PM 芸大図書館は、学生と、教授以外は、専門家しか入れないそうだ。そうですか? というしかない。昔から、いす席全部が埋まっているわけではない。パソコンを置いてある部屋など、だれもいなかった。これも、松竹図書館と同じく、私狙いの、決まり事だと、思われる。だが、これも公開ブログには、書かないで、置こう。メモるだけにしておく。

 松竹図書館など、だれもいないのに予約がないから帰れといった。杓子定規だが、私をいじめることが目的だから、ああいう態度をとることができる。あの時の意地悪女性の名前を知りたいものだ・・・・・と、書くと、私の行動は、すべて尾行が付いているので、彼女は、二度と現れないと、思われる。

 以上で、メモが終わりです。これだけで、北朝鮮ミサイルの発射が起きたとは、一般読者は、信じられないでしょう。しかし、大原光孝に関する忌まわしい出来事は演繹していくと酒井忠康氏に至るので、彼らは、ビビりまくっているのです。というのも酒井氏は、美術界の権威です。それが落ちた偶像となるからです。神戸で、土師淳君を殺して、首から下の遺体を、水道山に運んだ闇の勢力と、酒井忠康氏は、お仲間となるからです。それを書かれることを恐れた連中が、CIA本部にお願いをし、次に、CIA本部は、金正恩を動かしたと私は、推察しています。

 

 

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駅ロッカーとか、夫婦が二階にいるのにも拘わらず玄関からスマホを盗む泥棒の話。その為に牢獄に入れられているのと同じ事に成っている現在の私

2022-11-16 01:55:30 | 政治

 あのね、清川まどか先生と、宮下裕子先生についての、続報は、必ず書きますよ。ただ、最近10日間、雪ノ下で、わが身に起きている、直近の攻撃について、本日は、書かせてくださいませ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『東京駅や、鎌倉駅の駅ロッカーに荷物を預けると、紛失した過去がある私。したがって駅ロッカーを使えなくなっている私。ひどいと思っているが、自分が大物であることを、実感はしている』

 15日(火曜日)、私は、おそうしきにいってきました。とても良い感じのお葬式で、心洗われる感じを受けました。で、普通なら、元気いっぱいになるところですが、実は、火曜日の前日、心底の重労働をしたので、疲れ切っていたのでしょう。お葬式が終わったとたんにほっとしたのでしょうね。どういう形でか、わからないのですが、丸ノ内線・新高円寺駅近辺で、スイカを落としたのです。

 それには、新高円寺から、一つ目ぐらいの駅で、気が付いて、荷物を全部探したけれど、ありません。スイカ入れ自体は、5千円ぐらいのものです。京急の株主優待券が、4枚だけ入っていて、それを、北久里浜の旧宅から、東銀座まで、使うと仮定すると、4000円に当たるので、全部で、5千円となります。

 だけど、このスイカを、鍵として、JR横須賀線・武蔵小杉駅のロッカーに、総額20万円以上のものを、保存してありました。でね。スイカがないと開けられませんね。あのね、常用のパソコンが一台入っていて、それにたまっている資料を、どれだけの時間で、作ったかを考えると、まあ、一般的な時間給が、1000円だと仮定しても、総額200万円か、500万円というものでした。しかしそれが、15日は、スイカがないと開けられませんね。だから、ぞっとして、お葬式の参列者のうち4人が、一緒に丸ノ内線に乗っていたのですが、(主人を含む)ほかの3人にお断りをして、中野坂上で、降りて、とんぼ返りをしました。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『我が家から盗まれた新聞記事の切り抜きの元本(新聞)を探しに、国立国会図書館に二回ほど、調査に行ったのだが、一回目は、入り口に、パトカーが二台停車していた。それは、昼間だったが、別の日に、二回目として、午前6時ごろ、徹夜明けのまま、永田町へ行ったら、機動隊用バスが二台、停車していた。この理由だけれど、下に置いている北久里浜の事件の、主役・益山重夫・元海軍参謀が、「私は、瀬島龍三(元陸軍参謀で、陸軍中野学校で、二人は、同期、または、同窓生だったと、みなされる。瀬島の方は、戦後最大のCIAエージェントであって、警察庁を、家来として、使っている)と親しいのですよ」と、言っていた。したがって、理不尽極まりないが、その時点=2012年ごろでは、まだ、私は、自分の文章が、有名な出版社から、公刊をされることに希望を託していたので、実名主義ではなかったし、・・・・・したがって、こういう真実を書いても、読者が信じないと思ったので、真相は、書かなかった。

 しかし、ロッカーは、ご近所人間にはできない話だとしても、スマホを玄関から盗んだのは、ご近所に潜んでいたり、急に訪問をしてくる警察関係者などの、四種類の泥棒の、一人だと、推察していて、その後、その人物たち、特に合いかぎを持っている、ご近所二軒の住民を丁寧に丁寧に、観察する様になった。

 実は、2003~2012年の間に、東京駅の横須賀線へ降りる中間階(四階)のロッカーに、保存をしていた荷物が、盗まれたことがあるのです。もちろんカギをかけておいたのですが、盗まれました。鎌倉駅のロッカーからも物が盗まれたことがあります。それを私は、駅には届けていません。

 父や母の写真、また、満鉄勤務時代、石油開発技術者というサラリーマンながら、父が、油絵がものすごく上手(安井曾太郎先生の審査で、満州文展の特選をとっていた。むろん戦意高揚・協力画ではなくて、中国、雲崗の石仏などの歴史遺産である)で、ラストエンペラーの宮殿を飾っていた、ことを取材された、1943年の新聞記事の切り抜き13枚、

 そして、下の方に出てくる、北久里浜の実質的、大詐欺事件に関する証拠書類の数々をなどを、こちらは、駅ロッカーからではなくて、自宅から盗まれています。国立国会図書館に、満州時代の新聞を探しに行ったところ、それは、マイクロフィルム化されていると、言うことでした。そういう新聞記事を見て、何となく胸騒ぎがしていってみたところ、

なんと、三種類の新聞全部が、四頁目(多分文化面)がないのだった。新聞とか本というものは、全紙大というサイズに刷って、折り曲げて、その後、丁寧に、四方を裁断して、売り物を作るのです。  その後、マイクロフィルムそのものが破損をしたと言うことになって、父の栄誉は失われました。これは私が、いいいお家の子供であると言うことをこのブログの読者に知らせたくないと、言う鎌倉エージェントの願いに、国会図書館が、協力をしたということです。と、ブログで、書くと、次の年の年始特別番組として、バクモンが、荒俣さんと一緒に、二回に分けて、合計三時間だったか、国会図書館を訪問をするという番組をNHKは、つくりました。

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副題3、『大原光孝という人物は、声を出して物を言う時には、おっちょこちょいであり、だれにも知られていないと、彼が、思っている裏工作をするときには、隠微、極まりない』

さて、こういう泥棒は、国家が行っている泥棒なので、それで、安倍晋三氏の暗殺も、同類項だと、すぐわかるのです。でも、今は、大原光孝というご近所様を分析している最中です。で、彼にに戻りたいのですが、

彼が、二度にわたって、夜の7時か、8時ごろ、ケンタッキー・フライド・チキンの店舗のわきから、急に現れて、私を脅かしたことがあるのです。

 それは、小町通から、三菱銀行の前、鯉之助の前、および、(急に閉鎖されたが)、エクセルシオール前など、真っすぐ、見通せる、道を歩いてくる私を、急に表れて、脅かすためでした。警察官の尾行によって、タイミングを知らされて、急に姿を現して、脅かすという仕組みです。

 それの、一回目が、スマホが盗まれた日です。彼が、盗んだとは、言いませんよ。だけど、盗まれたことと、関係があり、

 スマホが盗まれたので、私が、弱っているとみて、さらに、脅かしてやれっと、言う感じで、彼が、そこに現れたのだと、推察しています。隊民が、警察から、知らされたので、その行動は、彼本人が考えたのではなくて、CIAが考え出したものです。で、盗んだのも彼ではないかもしれないが、CIAと協力しているご近所様、もう一軒と、警察官、自身の可能性があります。

 私は、当時契約をしていたソフトバンク鎌倉支店に出かけようとしていたのです。スマホが、探索できるサービスが、オプションとして、ついているのではないかと、考えたからでした。

 しかし、ソフトバンクは、あなたが、契約者本人ではないので、協力をできませんというのです。これも、むろん警察の裏からの指図です。でね、実際には、ソフトバンク鎌倉支店の人間が意地悪をするのですが、その企業のトップは孫さんです。したがって、孫さんは、最近大損をしましたね。金銭的に大損をしたのです。孫さんは、きっと、善人なのでしょう。でも、CIAの命令で、私をいじめました。というのも、ほかの携帯を使っていた、私たち夫婦に、わざわざ主人の大町のオフィスにまで、出張してきて、契約を迫ったからでした。iPhone4の時代です。それは、ほかのガラ携には、まだ、ついていなかったGPS機能を使って、外出時の私を出先で、脅かすためでした。ここでも、私がいつも言っている、私をいじめると、あなた自身に災いが、降りてきますよの典型が見られます。

 この時、盗まれたのは、iPhone6でした。なんと、数か月後、横須賀警察署に取りに濃いですって。我が家から盗まれたのは、確実なのに、そういうのですよ。このころは、実名主義でもなかったので、なめられ切っていました。

 大原光孝さんというのは、早朝派なのです。雨の日にバスに早朝乗っているのを見て、『ああ、小坪か腰越の魚市場に行くのですね』と推察しました。昔は、小坪は、毎日魚を買うことができたのですが、今は、違うみたいです。で、一般の人が魚を買うことのできる日は、月に数回と少なくなったのです。晴れた日には、彼は、自転車で行っていると思いますが、雨の日はバスで出かけているのです。

 その彼は、今、奥さんが長期にわたって家出をしています。

 どうして、こういう彼の弱点を、ブログで、書くかというと、昔、彼から面と向かって、「この山の人がみんな、川崎さんは、離婚をするよって、噂をしているよ」というのです。これが、柄沢斉とか、中島千波さんが、バックについたと考えた彼のおっちょこちょいで、へらへらしたところであって、奥さんは、松田平田設計事務所の横浜支店長・重役である白井達雄さんが引っ越してきたときに、夫が、自分をだましているということに目覚めたのでしょう。エリートとは、白井さんみたいな人を指すのであって自分の夫ではないと、気が付いたのです。

 それなのに、彼は、白井夫人と何度も結託をして、私をいじめる相談をしています。いかにも仲良しそうにしてね。・・・・ああ、わからん人とは、どこまでも、わからないらしいねえ・・・・と、思って、その二人を見ながら、いつも苦笑しています。

 彼を見限った、奥さんの方ですが、お医者さんのお嬢様で、今は兄が経営する病院から理事待遇か何かで、一定の収入があるでしょう。その、お金持ちの奥様が、いたからこそ、彼は、外部へは、自分を紳士として見せて暮らすことができました。大きなお家へと改築もしました。ただ、家の名義人は奥さまですよ。2500万円ぐらい、奥様がポンと出したのでしょう。

 それは、石井秀樹・あづさ夫妻が、引っ越してくる前のことで、石井秀樹氏の、派手な派手なテレビ露出ぶりを見たら、奥さんは、さらに、光孝さんに幻滅をしたと思いますよ。

 私は、彼には、ものすごく嫌なことをやられています。それを、一千回やられたら、一回やり返すという形で、ある時に、「奥様の姿が見えないみたいだけど、どうしたの?」と質問をしました。すると、奥様は、「マンションが好き」なので、「マンションに引っ越した」そうですよ。奥様は、私みたいに政治問題には、着手していません。フランス語を教えているぐらいです。女子美卒業だけど、アーチストとして活動をしているわけでもありません。だから二人が、本当の夫婦なら、光孝さんがマンションに転がり込んだらいいのですよ。

 ただ、彼が奥様の元へ移動をしないのは、表向きにですが、彼には、養母さんを介護するという義務はあります。

 でもね、今の養母さんの衰弱化を見ていると、これは、もう老人ホームの段階です。老人ホームって、私立だと、月に、25万円は、かかります。頭金を入れれば、毎月の費用は安くなりますが・・・・・大原光孝さんが、奥様のマンションで住み、あの家を、誰かに貸したらいいのです。新築後、25年以内でしょう? そして、広いです。36坪以上はあるでしょう。外人でも、日本人でも、地名のブランド力(八幡宮が、雪ノ下壱丁目一番地で、ここは、二丁目三番地と、四番地です)を利用して賃貸に出せば、うまくすると、月に25万円は、収入があると思いますよ。それで、老人ホームは賄えます。

 昨日出席した(というのも、火曜日に初稿を書き始めても、もう水曜日になったからですが)お葬式は、主人の兄のお嫁さんを送るものでした。すごくいいお葬式でした。お姉さんは、最後まで、夫と、同じ荻窪に住んでいる、お嬢さんに、車で、毎・夕食持ってきてもらって、かつ、最後の日々、助けてもらって、自宅で、静かに、みまかりました。中流の上の人として、幸せな一生でした。篠ひろ子にそっくりな美女です。

 でも、大原光孝家の養母さんにとって、下の世話を、養子(特に男性)にしてもらうのは、苦痛だと、思います。お嫁さんなら、まだよかったし、孫のお嬢ちゃまでもよかったけれど、75歳にたっした男の世話を受けるのは、苦痛そのものだと、思いますれど。

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副題4、『この山の住民は、平気でうそをつく、そのこと、一つをとってみても、如何に格好付けだけの=フェイクな=ブランド住宅街だということがわかる。・・・・・その前篇』

 まえまでの節で、大切なことは、大原光孝という人間が嘘をついているということです。これは、奥さんの住まいの好みの問題ではなくて、実質的な離婚なのです。ただ、外部に対する格好つけのために、秘密にしているだけです。

 私はあの家では、家族間に真実の愛情の交流がないことには、20年前から気が付いています。

 それは、私が石段で、ワインが割れて、どうしようかあ?と困っていた時に、後ろから、追い抜きざまに「川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ」と、この時もまた、へらへらと、下卑た笑いを含みながら、捨て台詞をはいて追い抜いて行った時から始まっている事なのです。

 私はね。本当にびっくりしました。私が結婚前まで過ごした日吉の常盤台って、ここと似ていて、ブランド住民(東大や、慶応卒という事)が多いところでしたが、こんなひどい態度を示す人間なんていやしません。しかも、こともあろうに、大原光孝という人間は、他人を面と向かって、軽蔑をするのですよ。そんなバカって、次に住んだ東本郷(横浜鴨居駅を最寄りとする買取マンション)でも、北久里浜でも、見たことがないのです。むろん、出会ったこともありません。

 私は考えることが大好きです。それで、どうしてこうなるのだと、考え始めました。すると彼の家には、四人家族の間に、真実の愛情の交流がないのだと、言うことがわかりました。彼に、奥さんが、結婚前に期待したほどの、収入がないことが一番大きな原因でしょう。

 だけど、画家専業なんて、みんな同じで、奥さんに働いてもらうことを期待していて、だいたい、奥さんは、月給をもらえる仕事についています。有名な有元利夫だって、芸大出の奥様に向かって、「僕が売れる様になるまで、あなたがサポートをしてほしい」と頼んでいます。

 または、本人が、臨時の肉体仕事をして、お金を稼ぎます。田中一村は、一年に半年は、大島紬の糸染工として働きました。しかし、上流階級を気取っているあの家では、奥様が、午前9時から、午後五時まで、束縛される仕事に就くなど論外だろうし、夫である、光孝さんの方にも、田中一村に見られるほどの覚悟はないのです。で、奥様は、内心で、不満があるがゆえに、真実の愛情もわきません。だから普通なら家庭内で、消え去るはずの或る種の不満が、妻にとっても、夫にとっても、解消をされないのです。でもね。他人である私が、彼の精神的・うんこ・の、便・壺にされるのは、論外です。

 のちに富沢夫人が、私にこういいました。「大原さんって、養子なのよ」って。それを聞いて、『あれ、富沢夫人って、彼の肩を持つの? でも、養子だから出来が悪いのが、許されるのですか? 変な話ですねえ』と思いました。しかし、昔、彼が、「僕の父は、吉原で、開業をしていたのです」といったのを、謎が解けたと、思いました。本当の父親だったら、吉原って、言う言葉は出さないと思います。だって、吉原で医者をしていたと聞けば、どうしても梅毒とか淋病とかを、思い浮かべてしまいます。本当の父親だったら、『赤ひげ先生だったのだ。いい医者だったのだ。弱い人を庇って』と、思っても、吉原という地名を、他人には言わないと、思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『この山の人は平気で、嘘をつきます。それは、安野智紗夫人という女性がトップで、ヒエラーキーができていて、排除(村八分)の論理がはびこっているので、身を守るためでしょうが、あきれてものが言えないというほどのウソを平気で、つきます。例えば、夫と同じ大学で、自分が一期上で、しかも、早稲田大学を軽蔑するので、東大出だと、推察している白井夫人(=夫婦別姓だと、名乗っている小野寺夫人)が、あまりに、目の前で、あまりにひどいことをするので、あなたは、東大卒なのに!」と、絶句気味に言うと、「違います」って、道端で怒鳴ったり、

 私をいじめることへのご褒美としてご長男が推薦入学で、東大へ、入ることができたのですが、その入学式の三日前の、9日に、・・・・・四月に行われた、平木家の南側の家の尾上共同体の・・・・・植木伐採を、奥様が、自分で、鎌倉市役所に、申し込みに行ったはずだ・・・・・・と、言ったり(あと注1)

 この2022年10月6日にも、花輪夫人、富沢夫妻、岩本工務店が、組んで、ありえない嘘を平気で言うんですよ(あと注3)特に、ミスター富沢は、栄光学園、慶応大学卒、三菱重工業勤務→三菱自動車勤務ですよ。学歴としては、東電の清水社長、現在、葉山の美術館の館長をしている水沢勉氏と同じ学歴です。それなのに、中学校程度の、物理の知識もないのです。こういう人が原発の初動期に働いています。核燃料棒製造工場(久里浜)の立ち上げに、参画しているでしょう。


副題4、『ここで、話はそれるが、老境と、死について、語りたい。上品で、清明で、温かい心に満ちた義姉の葬儀に出席して帰って来たばかりなので、それに触れたいのだ』

::::::::話は飛びますが、昨日の夜8時半ごろ、スマホが無効だとか、タクシーが鎌倉駅表駅にも裏駅にもいないという(これも、いじめでしょうが)現象に出会ったので、裏駅の公衆電話を使いました。そうしないと帰宅してもチャイムが居間で、ならないことがあって、私が締め出しを食って、大変なことに成るからです。でね。表駅と裏駅の間をつなぐ、地下道を、往復しました。行きにも見た老人が、五分後にも、同じ様に、歩くのに難渋をしていました。その老人が、まだ、15cmほども進んでいませんでした。

 その人が、自然な存在なのか、それとも、弱い人に同情心あつい私の興味を引くように(それで、また帰宅が遅くなって、主人に怒鳴られることを狙って)、仕込みとして、そこに置かれた人間なのかは、知りませんが、今まで見たこともない様なせむし状態になっている人でした。いや、背中とか、腰とかで、二か所ぐらい、骨折後、固まったと思われる跡があって、人間ダンゴムシ状態だと、言ってもよい人です。

 しかし、洋服は、きれいであり、ホームレスではありません。で、どうして、こういう段階で、電動車いすを借りたり、しないのだろうかと、思いますが、すでに、交渉事ができないのだと思います。
 こういう時に、ちゃんとした子供とか、孫がいないのが、不利になります。役所とか老人ホームへの入所って、手続きなので、結構な体力や、知力がいるのです。
 で、挿入から元へ戻りますが、大原家のご養母さん、閑子さんも、すでに、老人ホームへ入っていい段階だと思いますが、

 光孝さんにとって、夫婦修復の可能性がないので、お母さんが、格好の逃げ道になっているのだと、思います。隠れ蓑というかね。


 ところで、私は、自分を囲む、四人の泥棒にいじめられ切っているので、外出が自由にできません。しかも、葬儀が、水曜日だと誤解をしていた私には、日曜日になって、急に主人から、実際には火曜日だと、聞いて、一日で、泥棒対策をしなければならず、大慌てになりました。しかも月曜日には、反町のアパートで、業者と立会検査(ガス開栓)の予定があり、一日全部を使えないのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5,『本当は、武蔵小杉のロッカーには預けたくなかった。それは、ただ、単純に、追い詰められた結果だった』

 それで、心底、疲労困憊をして、全部は、始末できず、15日、葬儀の当日の朝、持ち手つき紙袋いっぱいの、大切なものを、武蔵小杉駅のロッカーに預けたのです。お葬儀にリモワのアテンダントバッグと、紙袋を持っていくのは、あまりにも、異様です。で、紙袋だけは、ロッカーに預けたのです。本当に仕方がなくです。

 今ね、私が利用する可能性のある、ロッカーは、すべて、スイカでないと、開閉できない仕組みです。

 武蔵小杉駅を利用したのは、横須賀線から、湘南新宿ラインへ乗り換える、間、時間に余裕があったからでした。スイカは、無記名ですが、私の場合、当然、番号は、把握されており、

 そのスイカが無くなったわけですから、私は、メトロ丸の内線内で、真っ青になったほどです。警察がすべて尾行をして、苛め抜いてきているので、当然のごとく武蔵小杉駅の駅員は、非協力的でしょう。だから、真っ青になったのでした。

ここまで、書いただけで、30時間起き続けています。それで、未完成ですが、寝入ることをお許しください。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ここが第一の書きかけ中の最先端です。以下は、朝のうちに書いておいたメモです。重要なメモです。

また、玄関の上がり框に置いてあったスマホが、二階に、夫婦が二人ともいるのにもかかわらず、盗まれました。

 スマホには、GPS装置が付いていて、ソフトバンクでは、探してくれる可能性があるのに断られたのです。

 私の考えでは、こういうことができるのは、警察しかないですね。どうして、警察が、そういうことをするのかというと、北久里浜の実質的大詐欺事件に源泉があります。

~~~~~~~~~~~~~~

副題アルファ、『京急の株主優待券の話と、北久里浜の家が、恐ろしいCIA連中に狙われている話』

 東銀座と北久里浜の間を、都営地下鉄と、乗り入れている京急、前線切符を使って乗るとは、歌舞伎と関係があります。

 歌舞伎座の夜の部を見た後では、心筋梗塞後は、特に、早く寝る主人に迷惑なので、鎌倉の家には、帰れず、北久里浜の家で、寝る様にしていたのです。

 しかし、この北久里浜の家の、一階の掃き出し窓のガラスが割られました。

 この破壊は夫婦の二人ともがいない、時間帯に行われています。しかし、この攻撃以来、夜、北久里浜で、寝ることができず、リッチモンドホテル馬車道か、ワシントンホテル秋葉原に、投宿することに成りました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

だれがやったかというと、例のCIA連中で、

・・・・・ルネ北久里浜(発売時の命名、そらヒルズ)が立っている場所が、実は一種の詐欺を利用して、元の横須賀市の水道山をタダで、取得した人たちが、豪華なマンションを建てたのだと、言う事実を知っている私を脅かすために、やっていることです。彼らの手法は、地積変更届という、仕組みを利用しています。現在、彼らが取得した土地の北部に住んでいる仲野通巳吉の実の姉である、益山智恵子さんと、その夫・重夫氏が、高さ5m以上、幅、2.5m以上の細長い、小屋を作り、その中で、土地を開墾しては、ここは、自分たちの持ち物ですと、主張したのが、地積変更届というものです。そういう悪だくみに、手を貸したのが、杉本正子さんと、その夫で、当時横須賀市側の土木課長だった、杉本俊一氏です。俊一氏の父おや、滋さんが元海軍軍人として、元、海軍参謀、益山重夫氏に、協力して始まった計画かもしれません。

 京急が、北久里浜の駅名を井田駅から、北久里浜に改名したころに、この計画が、実行に移されたのだと、見ています。京急池田分譲地とは、この莫大な、利益を益山夫妻(彼らが死んだら、妻の実弟、仲野通巳吉一族)に、渡そうとする、試みのためのインフラ整備です。

 杉本滋夫妻、および、俊一・正子夫妻には、1984年から、1980年ごろまで、住んでいた、別の家(今の家よりは、敷地も建物も小さいし、建築費も安いもの)をタダで、CIA連中から、提供されていた可能性がある。だって、その家は、法務局で、登記をなされていなかった幽霊建物だったから・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題β、『我が家には、四種類の泥棒が入るが、最近、その実情をこのブログで書くことができなくなった。なぜかというと岸田内閣は、本会議の最終日、何の予告もなく、SNSで他人の悪口を言った人間は、逮捕習慣をするという法律を作ったからだ。だから、はっきりと目に見える、行為だけを書くこととなる。したがって、泥棒行為については、書けなくなったので、代わりに、精神的に、脅かしてくる、平木信明さんを集中的に取り上げることとなった。

 と、そこまで、知っている私を殺そうとする一環として、の、脅かしです。実は、皆様に納得をしていただけるはずの当時の書類類を段ボールひと箱、保存してありました。しかし、いつ盗まれたのか、時期は、わかりませんが、2013年には、それが、盗まれているのを発見したのです。で、私を殺せば、悪事は消えます。したがって、私を殺そうとする仕組みは、限りなく続いていて、
 こちら、鎌倉雪ノ下で、私をいじめる人たちも、すべて、それと、関連しています。ただし、毎日、このブログを読んでいない限り、彼らは、ことの真相は、理解できず、したがって、自分は正しいことをやっていると、思いこんでいます。
 今、鎌倉のご近所様のうちで、最も激しい攻撃者である、平木伸明さんと、我が家の合いかぎを持っている、二軒の家のうち、西の方に住んでいる人間が、この数か月、突出して、動いています。

 平木さんの方は、まだ、人間的な攻撃です。そして、ちゃんと、私の目に見えます。誰もいない二階の天井灯を煌々とつけていると、言うのは、シャルリーエブド事件以来、前田祝一・清子夫妻が始めたことで、それが、白井夫妻(西隣で、あり、寝室から、直接、6mの距離で見える脅かしなので、仕方がなくて、寝室をもと、客間だったところへ移動させたほどです。で、白井さんを使った攻撃が、功をなさなくなったと、気が付いた敵方は、今度は、例の合いかぎを持っている二軒のうち、西の方に住んでいる人間を使い始めました。最近は、特に激しく使っています。しかし、その人間の実名を書くわけには、行きません。

 その計画を無事に進行させるために、神戸で、酒鬼原聖斗(のちに少年Aと呼ばれる)が、土師淳君を殺して、頭部だけを、学校の校門の上に置き、首から下の遺体を、神戸市の水道山へ置きました。両方とも、水道山が、事件現場なので、人々が、恐れて、横須賀市の水道山内に入り込まない様にするためで、その間、粛々と仲野通巳吉の実妹、益山智恵子さんと、その夫、重夫氏が、5mの高さで、遮蔽した、塀の内側で、どんどん、水道山を開墾して、ここは、実は、自分の土地です。と、主張したのが、地積変更届という仕組みです。

 

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今、一本新しいものを書き始めましたが、いったん引っ込めます。

2022-11-15 05:05:25 | 政治

 15日の深夜、=16日の早朝、新しいものを書き始めました。が、午前五時になったのに、完成しないので、いったん、引っ込めます。後で、公開をいたします。

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131年の伝統ある清川病院の院長まどかさんと、鶴見の名女医宮下先生の実名を出したのは、何故か? 天皇陛下のMRI検査もこの章と関係がある

2022-11-13 05:21:15 | 政治

副題1、『私が常々、<五日、ここをいじらなかったら、死んでいると思ってください>と言っているのですが、それは、大げさではありません。実は、この2022年11月15日、私は、自宅以外のある場所で、腕に、激痛が走るのを感じました。

 私は、その時、・・・・・おや、おや、自宅以外でこういうことが起きるのだったら、外で、脳梗塞とか、脳溢血を起こされてしまう可能性もある。これは、もう本当に、具体的に、他殺を狙われているのだなあ・・・・・・と、感じました。

 だから、前報内で、清川まどか院長(多分創業者の曽孫、または四代めの孫に当たるお嬢様です。創業以来131年目ですから。とても若くて綺麗なお嬢様です)と、鶴見で、大変人気のある女医、宮下裕子さんの、実名を出したのです。

 その両先生とも、すでに、鎌倉エージェント(=CIA)に憑依をされていらっしゃるのが、確実だからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2,『私はすでに、横須賀中央駅そばの、雑居ビル内、4階で、開業をしている松岡先生の、事務職がひどいと、書いている。それで、大阪梅田駅近辺の、雑居ビル4階の心療内科に、放火犯が入って、非常に評判の高い、やさしい先生が亡くなった。再就職を支援する先生だとのこと。

 中央内科は、立派なホーム頁をひらいています。いや、立派ではありませんでした。ほかの二つの病院のホーム頁を開いてみると、松岡先生のホーム頁は、地味すぎるし、小さすぎるし、無味乾燥です。ただ、受付の写真が使われています。その写真のたぶん左側の女性ですが、劇的にいじめられました。病院のスタッフとしては、態度が、あまりにも、おかしいと思うし、北久里浜の実質的大詐欺事件と関係があるだろうと、思っているので、それは、ひどいと、ブログに書いています。

 すると、大阪の事件が起きました。それで、中央内科が、CIAに占拠されていることが、わかったのですが、しかし、この2022年に入ってから、さらに、確実に、CIAに占拠されていることが分かったのです。

 その日、私は、横須賀市役所に、用事があっていきました。帰りには、京急中央駅に出て、それから、北久里浜の旧宅へ行きます。で、松岡先生の医院に、ちょっと寄ってみようと感じました。診察を受けるつもりはありません。ただ、あの劇的に意地悪だった、事務員の名前を知りたかったのです。もし、胸に名札を付けていれば、それを見て帰ればいいのです。最近の私のブログは実名主義になっています。彼女こそ、大阪、梅田の心療内科を、CIAがある貧乏な男を使って襲撃事件の、引き金を引いた女性なのです。だって、彼女が原因で、中央内科の実名を挙げました。それを、だめだと、思っている、鎌倉エージェントが、雑居ビル四階の医院を襲うことで、私を脅かしてきたのですから、彼女は、最重要人物です。

 一階のエレベーターに入ると、中央内科は、8階にあると、なっていました。私は以前から、このビル全体と松岡先生の、個人所有物件だろうと思っていたので、「8階に変わったのですね。何か事情があったのでしょう」と、疑いもせず、8階のボタンを押して、8階まで、行きました。すると他のかいとは、まったく異なっていて、テナントとして、貸す予定のないスペースだったのです。綺麗な壁とがっしりしたきれいなドアはあるもののエレベーターホールがないのです。ドアのそばに、紙ではないプラスチックで、心療内科と、書いてありましたが、120%のレベルで、松岡先生の休憩室だろうと、推察しました。で、後から考えると、心療内科というのにも意味があり、それが、プラスチックだったことにも、意味があり、

 彼らCIAエージェントは、いつかは、私が行くことを想定し、松岡先生に、周到に、準備をさせていたのです。エレベーターホールの名札類も、プレート全部を、ドライバーで、ねじを外してね、取り換えたのでしょう。急ごしらえの、モノではなかったです。そのドライバー作業はブルーカラーとしての、CIAエージェント=警察の特殊部隊=がやったのだと思います。
 でも、8階で、松岡先生の休憩室(または、住居)らしいドアを見た際には、そこまでの、ことは、推察ができず、「もとは、四階だったから、四階に行ってみましょう」と、4階のスイッチを押すと、そこには、いつもの通りのエレベーターホールがありました。しかし、医院へ入る玄関に、布とパイプで、できた衝立が立っていて、「コロナ予防のために、この入り口は、閉じています。御用の方は、電話をかけてください。左のドアを開けます」と、書いてありました。紙でです。
 左のドアのノブを回すと鍵がかかっていました。「なるほど」と思いました。私は、契約者本人としてスマホは、持っています。しかし、それを携行して外出すると、行く先々で、エスカレーターが、左右二基とも、私が利用できない方向で、動いていたりして、嫌がらせを受けます。だから、よほどの、約束事がある日でないと、携行しません。その習慣を利用されました。

 しかし、松岡先生って、横須賀一大きな病院である、済生会の部長だった方ですよ。しかも、横須賀一便利な場所に、自社ビルを持っていらっしゃる大金持ちです。

 なぜ、松岡先生が、かくもビビったかというと、こういういじめを企画しているかまくらえーじぇんと(=CIAの頭脳部分、特に伊藤玄二郎と、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には生きている井上ひさし)が、臆病極まりない人間だからです。

 と、同時に、私が大変な大物であるからです。鶴岡八幡宮の上級神官、龍村さん、あなたは、それを知りませんね。そして、私の上に、安野夫人を置きました。私は、・・・・ああ、これで、ブログが、20年かけると、大喜びをしたのですが、・・・・・龍村さんに対しては、何も説明をせず、すっと、踵を返して帰ったから、・・・・・やっつけてやった。上場の首尾だ・・・・とか、誤解をしておられませんか? まあ、いいでしょう。いつかは、わかるはずだから。
 それから、ご近所住民もです。私がどんなに大物なのか? まったく知らないでしょう。まあ、いいでしょう。後で、それがなぜ、すなるかは、具体的な例で、分析をいたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『清川まどか先生のケースは、松岡先生のケースより、複雑である。なぜかというと、CIAエージェントたちも、それなりに学んできているので、以前ほど、単純ではない仕組みで、攻撃をしてきているからだ。』

 松岡先生は、ビビりまくっていました。だが、先生自身は、嘘も言っていないし、いじめもしてきていません。ただ、ただ、眼鏡をかけた女事務員が、性根が悪いのです。一種の悪女、または、ヒステリー性格を内包している女性で、上下関係に敏感で、自分が上だと、考えるので、あれほどの劇的な意地悪ができるのです。

 清川病院の事務室にはたくさんのスタッフが働いているので、ちょっとした警戒心を示されることはあるけれど、別に意地悪ではありません。そして、清川まどか院長も、お嬢様でしかなくて、意地悪ではありません。

 しかし、すでに、伊藤玄二郎からか、それとも、医師会上、上位の方からか、リクルートをされておられて、将来訪れる、可能性のある、措置入院の準備をなさっておられます。それは、私が九月にアモバン=睡眠導入剤をいただきたいと申し出でたときに、何の疑問もなく、一か月分=28錠を処方してくださったことにも表れています。それ以上に恐ろしいことは、10月にも同じ薬が出たことです。私の方は、10月には、申し込んでいません。それなのに、処方箋に、アモバンが書いてあったことです。二か月連続で出ました。私は、ほとんどそれを服用いたしません。二年に一回で、いいし、それでもあまっているほどです。

 私は性善説の人だから、ほかのことで、すでに怪しんではいるものの、処方箋を先生の前で、チェックをする様な失れいな態度はとりません。薬局で向こうから、それを渡されて、初めて気が付いたのです。措置入院が準備されているとね。
 でもね。これが、決定的な証拠となって、まどか先生が、伊藤玄二郎達、CIAの支配下にある、お医者様だと、わかったのです。アモバンこそ、やまゆり園事件(誰も死んでいないのに、19人も死んだという、大嘘を内包している事件)を起こす、動機に当たるものですが、その論拠は、もっと後のブログで、詳述をします。

 ここでは、嘘が、捏造をされているレントゲン写真にこだわります。
 私はその日、清川まどか先生のパソコンに浮かんでいる、私の肺の写真の左下に、(二枚ともに)影があるのを見て、その写真そのものが捏造をされたものであることを知覚しました。

 ここからは、異様な、かつ、不要な手術で殺される可能性のある、肺の白い影について、分析を重ねていきます。
 実際に、私は、何人かの知人が、悪い手術を適用されて、死なないでも済んだ命を散らしてしまったことに気が付いています。
 だから、アモバンの件と、こちらの偽画像の件と、二つ重なったので、これは警戒しないとだめだと、はっきり自覚をしました。

 なお、これは、非常に大切なことですが、清川まどか先生が、指図して、清川病院内の誰かに、この捏造画像を作らせたと、言っているわけではありません。陰の存在=CIAの技術スタッフが、JPEGファイルに加工を施したか? 他人のものとそっくり取り換えておいたのです。こういうことは一般の読者の方には、納得ができないことかもしれませんが、40数台のパソコンが、壊されてきている私には、どういう事が彼らには、出来るのかが、わかっているのです。一般読者さんには、知らされていないが、相当に、進歩した技術を彼らは持って居ます。

 それに、JPEGファイルは、どんなものでも、・・・・・例えば、セックスを楽しむ乱交パーティを、ポラロイドで、撮影をしたとしても、それを、相手にも渡したいし、自分も保有したいと思って、パソコンに取り込んで、二枚プリントアウトをすると、たちまちに、足が付きます。ただし、あなたが、政治的に重要な人物ではない限り、大丈夫です。世の中には、乱交パーティなど多いでしょうし、セックスを主題とする画像も多いみたいですし。普通の人なら、看過されます。しかし、主要なターゲットを落とす前に、一種の脅かしとして、普通の人のセックス画像が出回り、警察に、逮捕されるなどの、ケースはあると思います。一種の見せしめです。

 さて、どうして、昔のものと、今のものがそっくりなのでしょうか? それは、CIAエージェントが分業だからです。写真処理の人間は、何を目的に白い丸を画像内に入れるのかを、聞いて居ません。詳しい状況を聞かされていません。ただ、川崎千恵子の画像を渡されて、「白い丸を入れなさい」と命令されたので、adobe Photoshopでも、使って、別の画像で、作成した、白い丸を合成したのです。それを二枚に、同じように、いれてしまいました。そんなことは、本を六冊作った私には、すぐ、判る仕組みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『宮下クリニックで、白い丸い影の入っていない肺の写真を見せてもらったのが、11月10日である。宮下クリニックは、珍しくも水曜日がお休みで、木曜日に診療があるのだ。一方、清川まどか先生が、二枚の写真を見せて、MRIをとりましょうと、おっしゃったのは、その17日も前の、10月24日である。それでも、私が嘘だと、見破ったのには、明快な、理由がある』

 清川まどか先生は、15インチ、または、17インチの液晶画面に二枚の、レントゲン写真を、映し出して、「昔のものと、どう違うか?(考え中です)」とおっしゃった。この時にまどか先生は、「これは、結核の可能性があります」とか、「がんの可能性があります」とは、おっしゃらなかった。

 それに関しては、まどか先生の親の年齢である私は、老婆心を発露して「グッドでした」と、言っておこう。まどか先生は、軽率ではなかった。

 天皇陛下が前立腺肥大で、MRI検査を受けられたのは、まさしく、今書いていることと連動をしている。何も無いけれど、MRI検査をなさったのだ。清川まどか先生を助けるために。ということは、これも、また、私が、超がつく、大物だとの証明になる。
 普通の人だったら、15インチ液晶画面内で、ほぼ三センチに近い丸い白い塊を見せつけられ、かつ、MRIをとりましょうと、言われたら、ビビりまくるであろう。しかし、写真が捏造だと、わかっている私は、落ち着いたものだった。だから、10月24日、以降、すぐこの件をブログで、取り上げた、わけではない。11月11日の平木さんの行動を見て、書くことを決意した。平木さんというのは、一般人だけれど、私が、その奥さん(特にその子育てマナー)を高く評価してきたために、もっとも、大きく(特に現在は)、CIAに、利用をされている人間である。そのご褒美として、ご長男が推薦入学で、東大へ入ることができた。その推薦の事実を・・隠そう、・・隠そう・・としているので、かえって、それが明白になるのだが、・・・・私を弾圧することのご褒美として、ご長男の、一生の出世街道が、与えられた・・・・・わけである。だから、今でも、最も忠実なCIAの、攻撃用弾丸である。

 ところで、嘘がばれたポイントとは、古い写真と、新しい写真との間に差異が、ほとんどないことだった。
 しかし、古い写真を撮影した後で、清川病院側から、今回の様な注意を受けた記憶がない。それって、清川病院側の落ち度でしょう。それに、まどか先生の態度もおかしい。「あら、あら、この古い写真を撮った時に、すでに、ご注意を申し上げないといけなかったのに、カルテに記録がありません。すみませんでした」と言わないといけない。
 しかし、まどか先生は、古い写真については、何も言わなかった。特に私が、それは、まずいと考えたのは、見過ごした点に関する謝罪の言葉が出てこなかったことである。
 そこが、私が、このレントゲン写真が捏造であると、気が付いたゆえんなのだ。もっとも大きな論拠である。

 しかし、ここで、初稿を書いた、6時間後に、加筆をします。文章が複雑になりますが、より真実に近づけるためには、仕方がないことです。

 実はまどか先生ご自身が、過去のものと現在のものがそっくりなのを、パソコンを開いた時に、気が付いた模様でした。ちょっと、絶句するという感じだったのです。

 そこで、すかさず、「あら、いやだ。先生! 是って、捏造画像ですよね。だから、二つがそっくりなのですね」と、言う手合いもいるでしょう。しかし、私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義です。もし、それを指摘したら、目の前で、喧嘩を売る事と、同じになってしまいます。だから、まどか先生と阿吽の呼吸を合わせて、キツネとタヌキの化かし合いで、その場をしのぎました。

 しかし、まどか先生には、応用力があります。とっさに、事前に用意されていたかもしれない、結核とか、がんという言葉は使わず、ただ、ただ、レントゲン写真が、異常だと、言う意味で、MRIを撮りましょうと、おっしゃったのです。

 ここを本当に深く、深く、掘り下げれば、事前に、伊藤玄二郎からか、それとも、医師会での上位の方からか?「川崎千恵子に、自分はびょう気なのだと、思い込ませてください。養老孟司先生の悪口とか、角野栄子さんの悪口とか、鶴岡八幡宮の悪口とかを言うので、困っているのです。私はそれらの人の悪口を言っているのではないのです。それらの人が、攻撃者として、攻めて来る、状況を正しく書いて居るだけです。

 でも、養老先生とか、八幡宮を捜査している人間たちにとって、私がかいていることが、困る事なので、そういう鎌倉の有名人の名前を出せば、鎌倉の、これまた、じょうりゅうかいきゅうのひとりである、清川まどか先生は、伊藤玄二郎の言う事をお聞きになるかもしれないのです。

 ここらあたりは、今度診察を受けに行った時の、先生のご様子で、判断をします。

 なお、この章内では、詳しいエピソードを上げていないし、明晰で、ユーモアたっぷりな宮下先生は、正しい画像を見せてくださったのだから、お名前を伏せるのが、常識だと、読者様方は、お思いになるでしょう。しかし、お名前を出した方があんぜんなのです。それは、長年の迫害に耐えてきた私の勘が、そういっているから、そうしているだけです。次の章とか、つぎの次の章で、詳しく、説明をいたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『ところで、古い方のレントゲン写真をいつとったかが、重要だ。普通なら、それは、すぐ探すことができる。しかし、私にとっては、五日間ぐらい家探しをしないと、その日付が、把握できない。もし、二年以上前なら、まどか、先生の手落ちも、看過してあげたい。それに、ほかの先生の担当だったかもしれないし。
 しかし、ここで、普通ならすぐ探すことができる、日時が、ご近所人間大原光孝さんのせいで、できないのだ。しかし、それが、どういう意味で、そういうのかが、まだ、書けない。
 この章の一番最初に、も、同じことを述べている。そとで、淫靡な方法で腕に激痛を与えられた。しかし、その場所がどこだったかが、今は、まだ、書けない。と言っている。
 こちらもおなじである。後、五年くらい、この調子で書いていったら、大原光孝さんが、やっていることの、本当の姿を書き表すことができるかもしれない。


 しかし、1984年にここに引っ越してきてから、2000年までの16年間は、彼は、大変いいひとだったのだ。今、【鎌倉殿の13人館】と、呼ばれている、旧近美本館、二階の喫茶室で、ニューヨークで、作った版画を見せたら、大変、ほめてくれたうえで、「恵美子=奥さんの事=がね、川崎さんとは、付き合うなというのですよ。彼女はね。川崎さんというのは、あなたが、思っている様な人ではない。ともかく、あなたの手に負える人ではない。接触したら駄目よ」というんですよと、発言した。
 私は、本当に目を丸くした。この人って、もしかすると、恵美子さんより、私の方が好きなんではないですか? などと、おもったほどだ。
 別の機会に、「素人のお嬢様で、とても、美しい人が、モデルになってくれるのよ。大原さんも一緒に描かない?」と、提案すると、彼は、「その人、色が白いですか?」という。で、「(サーフィンか、テニスか、ヨットでもやってるみたいで)色は白くないわ」と答えると、「僕ね、白いい人が好きなんですよ」と言いながら、じっと私の目を見た。確かに私のお茶大付属高校時代のあだ名は、白ちゃんだ。
 あと注1に置く、版画界の裏話を書いた章も、本当は、ここと関連がある。次に、これを書く前提としてあれを書いた。尾崎正志という摺師が、ありえない形で、彼の愛人を、私に誇示した。また、次の機会には、私としては、全くダメ版画家だと、思う青年を、私の目の前で、大大的に、支援する姿を見せた。あれだけど、今思うと昔の小学生が、よくやっていたスカート捲りのバリエーションだったのではないかと、おもう。というのも、1998年、有名な手相観・日傘雅水さんに、こういわれた。「あなたは、芸術家でよかった。(創作にエネルギーを注げるから。)もし、専業主婦だったら、事件を起こす人となっていますよ」と。つまり、私は、今でいうサークルクラッシャーとか、瀬戸内寂聴さんみたいな、素質が、底の底にある人だったのだ。自分でも、気が付かなかったけれど、感受性の鋭い男性たちは、それに、気が付いていたのだった。論拠は、金星帯という、そういう方面をつかさどる線が両手に、二本ずつ、四本もあるからだった。

 ところで、16年間、いい人であった、大原光孝さんが、2001年ごろから激変をして、悪い人になったのは柄沢斉と、関係がある。それを次の節で、解明していきたい。だって、私は、24時間、被害を受け続けているが、その一つが、大原光孝と、柄沢斉と、関係があるからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『柄沢斉の大回顧展(日経新聞社主催)のカタログが、すでに我が家から盗まれている。誰が、何のために❔』

 柄沢斉は、2006年に、神奈川県立美術館で、大回顧展を開いた。日経新聞社主催という事に、大きな意味があるのだけれど、この章では、その点には触れない。

 その展覧会は、日光市出身の柄沢のために栃木県立美術館でも、開かれたのだけれど作品集を制作したのは、神奈川県立美術館の水沢勉先生だ。この豪華なカタログを、私は、水沢勉先生ご自身からいただいている。日吉の同じ町内会(60戸を創設期のメンバーとしている)で、育った者同士として、私が、大勢の相手の中の一人として、水沢先生に、メールエッセイを送り、先生の方が、時々、感想をくださるという形だった。で、水沢先生が、早朝五時に起きる方で、早朝に研究やら、個人的なやり取りをなさったうえで、歩いて、はやまの美術館(4,50分だが)へ、通勤されているのを知っていた。

 ところで、話は、二重三重に、よこにそれるが、私は、銀座京橋界隈の画廊のオーナーでは、シロタさんが、一番頭が良いと言い続けてきている。しかし、シロタさんは私の見方ではない。それは、十分に知っている。そして、柄沢斉が、シロタ画廊が専売している作家であることも知っている。だから、後注1に置いた章みたいに、柄沢斉の、売値とか、原価とか、摺代について語るのは、本当はご法度だ。柄沢斉のファンにとって、夢が、つぶれかねない話だから。「えっ。二万円で、画商に渡したらしいのですか。でも、私は、6万8千円で買いました。間の、マージンは、だれが受け取っているの?」 などという噂が、素人さん(つまり、買い手側)に、起きかねないからだ。

 それは、日経新聞の石塚雅彦さん・・・・・(わたくしとは、同じ小学校卒、彼は、私の弟と同じ麻布高校卒、大学は同じICU、在学中は、同じアート部。卒業したら、同じ同窓会展仲間として、5つの路線でつながっているのだけれど、反対側でロックフェラー四世=寮のお仲間、寮や、ラグビー部で、一緒だった人の兄である大前研一氏、いとこである、堤義明氏、妻の父である、佐々木茂作=文芸春秋社草創期の社長・・・などの、輝かしい勝ち組ラインを握っているので、私の先輩として慕い寄っている気持など、むげに却下なのだ。彼)・・・・・から教唆命令されたことだろう。大回顧展を開いてもらった恩義があるので、断れないのだ。
 それで、メルマガ仲間に、「これを連載しています」と、宣伝をしたのに、あっという間に終わってしまい、しかも、終わることを、知らせもしないで、という、大恥をかかせた人・・そのものが、柄沢斉だ・・と、考えているからだ。あの、大恥は、月刊ギャラリーの編集長が、負わせたと、最初は、考えていたが、それは、間違いで、柄沢斉が、震源地だったのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『私は、長らく、ギャルリーユマニテのオーナー十束さんを、紳士の極みだと、思っていた。銀座京橋界隈で、もっとも品が、良い人だと、かんがえていた。

 さあ、ここからは、ギャルリーユマニテの戸束(とつか)さんに入っていく。その画廊は、宮崎進を専売作家とする画廊で、その宮崎進は、戦後最大の、CIAエージェント瀬島龍三と、シベリア抑留仲間である。その瀬島龍三は、北久里浜における、実質的な大詐欺事件の真相を知っている、私を、いつかどこかで、殺そうと思っている。で、ギャルリーユマニテにも、さんざん私の悪口を吹き込んでいるはずで、スタッフの金成悠子さんは、銀座京橋切って、いじめてくる人だった。

 画廊るたんのオーナーは、中島美枝子さんも同じである。彼女の方は、ICUでの一年時のたった、23人しかいない同級生・佐々木来目夫ちゃんの姉君・佐野ぬいさんからの讒言で、いじめてくるのだと、思うが、こちらは、・・・・ちゃきちゃきの江戸っ子で、ござんす・・・・という形で、私をいじめるにしても、やり方が明るい。しかし、いじめていいという信念を抱いたらしくて、あまりにも、ぎゃんぎゃん、激しい言葉で、いじめてくるので、やがて行くのをやめてしまった。それと、そこで、展示をしている作家を、ほとんど知っているからだった。公募団体展と関係がある人が多い。ところが、ユマニテは、違う。ほとんどが、公募団体展とは、関係がない作家だ。それを見たかったので、ひたすらに我慢をして通っていた。

 それで、1998年初夏のプルミエビル時代から、ずっと、通い続けている。かなり悠子さんは、いじめてくるがオーナーは、紳士的だった。

 私は、そこに、2017年の、初夏までの、23年間、新規の催しが、開かれるたびに通っており、信頼しきっていた。

すみませんが、ここから先、2万字ぐらい書きたいところです。しかし、すでに、27時間起きているので、それこそ、死にますので、もう、ねかせてくださいませ。

 ただ、私が清川まどかさんから、捏造をされたレントゲン写真を見せられた、途端に、上の様なことを走馬灯のように、全部、思い出し、『おー、いつもと同じやり口ですなあ。しかし、あくどさが、増幅しています。どう処分しようか?』と、考え始めたのを、本日の締めといたします。

 

@@@@@@ここから下は、メモです。

 それと、柄沢斉と、個人的に深い関係を持つ、大原光孝さんに対して、彼の淫靡にして、隠されている攻撃に対して、深い深い怒りがあるからだ。

ギャラリー舫

 

あと注1、

柿沢勇人、小林康夫、養老孟司 藤沢の摺り師、山口みつ子、保坂航子、市川某、高橋典夫、柄沢斉、尾崎正志、反田恭平   2022-11-08 21:43:12 | 政治

メモ

1)

神庫(かみくら)・・・・鎌倉市医師会 材木座 3-5-35

p98~101 まで、湘南鎌倉総合病院が、紹介をされている。#63号

で、湘南鎌倉総合病院の、入り口に置いてあった。

2)

神奈川県の2病院が徳洲会入り
清川病院&山内病院
グループ計73病院に

清川病院の外観。左の茶色の建物が老健JR藤沢駅から徒歩3分に立地する山内病院

神奈川県の鎌倉市にある医療法人養生院清川病院と、藤沢市にある医療法人山内龍馬財団山内病院の2病院が9月1日付けで医療法人徳洲会の傘下病院になった。

これにより徳洲会グループの病院は73施設に拡大。さらに、両院の関連施設である診療所1施設と介護老人保健施設(老健)1施設も徳洲会に加わった。

両院とも歴史が長く、これまで地域医療に尽力してきた。どちらも最寄り駅からアクセス至便な好立地に建つ。

清川病院(清川まどか院長)はJR鎌倉駅、江ノ電鎌倉駅から徒歩5分。鶴岡八幡宮に近く、開設は1891年。病床は一般89床と療養109床の計198床で、内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、婦人科、整形外科、リウマチ科、脳神経外科、眼科、リハビリテーション科、放射線科、糖尿病内科の12診療科を標榜。隣接地には、老健かまくらしるばーほーむ(78床)を併設している。

山内病院(徳山淳院長)はJR藤沢駅から徒歩3分ほど。一般20床、地域包括ケア26床、障害者53床の計99床。開設は1927年で、内科、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、糖尿病・内分泌内科、神経内科の6診療科を標榜。整形外科とリハビリテーション科も外来診療を実施している。関連施設として藤沢市内に藤沢スマートタウンクリニックをもつ。両院とも現院長が継続して院長を務める。

また、11月には京都府宇治市内の病院、来年3月には東海大学医学部付属大磯病院が大磯徳洲会病院(仮称)として徳洲会入りする予定だ。

3)

大原さんが、連続、三回目の工事をする。

一回目は、石春産業の道路工事

二回目は、小屋(旧アトリエ)の撤去工事

 二日または、三日、五人が来て、作業、壊すのと、運ぶのに10人力、又は、それ以上

 工事業者、は、ニッカホーム 0120-01-7549

4)

マンジュシャゲ と  泥棒の関係

マンジュシャゲの攻防は 四種類の泥棒の実名を調べる為だった。一人は、

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肺のR写真に偽の影が挿入され、すぐ近所に結核らしいと伝わって平木伸明さんが大喜びをしていた。恐ろしい人間達だ

2022-11-11 23:38:12 | 政治

 この文章は、当初、総タイトルを【大恩人・旧姓西大寺さんを裏切る様に仕向けた手合いは、今度は安倍さんを西大寺で殺して、その苦痛を思い出させようとした】としておりました。だが、12日の午前4時に上のものと変えました。

副題1,『私は、2022-11-11は、前報

柿沢勇人、小林康夫、養老孟司 藤沢の摺り師、山口みつ子、保坂航子、市川某、高橋典夫、柄沢斉、尾崎正志、反田恭平    2022-11-08 21:43:12 | 政治

の、続きを書くつもりだった』

 私は、昨日のブログ文に大変満足をしており、あの延長としての文案を、昼間家事をしながら考えておりました。あの文の出来が良いと、思われる点は一般の方の解釈とは、まったく異なっており、柄沢斉と、密着している大原光孝というご近所人間に、迫っているという点です。

 これが、まさしく、政治的なラインであり、非常に大きな問題点をはらんでいるのですが、まだ、大原光孝論に入っていく気はありません。どうしてかというと、やっていることがあまりにも汚いからです。人間離れしていて、鬼か蛇か、異形のものかというほどに汚いのです。

 で、この人と同じレベルである、安野夫妻については、ほとんど、書いていません。ビビっているわけではなくて、このブログの世界が、汚れるから嫌なのです。このブログとは、神にささげるものであり、また、神が書かせてくださる文章だからです。

 このブログに登場する人物たちは、たとえ、その行動が、恥多いものであっても、まだ、神の憐憫の中にいる人たちなのです。

 昨日驚くべきエピソードをここで私が展開した摺師・尾崎正志にしても、経営をしている工房が、24年前とは比較にならないほどに、小さな、規模になってるみたいですし、横浜駅東口・スカイビル内にあったオフィスも、きっと手放しているはずです。その理由は、私には推察することができますが、あえて、自分の目の前で、展開したことだけに、とどめておきました。貧乏になったことだけでも、神の采配の顕現であるし、その刑罰に甘んじながら、しかもなお、必死で働いているらしい姿を・・・よし=愛らしい=・・・・とするからです。お顔も24年前よりも、ずっと、良くなっています。髪型も、今の形なら結構です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私は、前報を二つに分けて、後半にさらに山川栄子、前川佳子、早川重章、酒井忠康、上條陽子、などについて、一万字程度加筆し、

 次に安倍晋三・元・総理大臣の暗殺が、CIAの、策略であり、犯人の叔父が、弁護士であることが、彼が、リクルートをされた最大の理由で、これまた、伊藤玄二郎が影にいることを語りだし、次に、その事件が私を脅かすための謀略でもあり、

 旧姓西大寺さんを思い出せよ」という暗号でもあったということを、そこでもまた、「繰り返すつもりだった。

 実名記載主義の私が、なぜ、旧姓西大寺さんだけを、現在の名前で書かないかというと、旧姓西大寺さんが、溺愛している一人息子ちゃまが、プリンストン大学や、ソルボンヌ大学の留学を経て、現在、東大か、上智大学の数学科の教授になっているはずだからだ。

 彼女は、二人だけの時に、こう言っていた。「お見合いの話があまた来るの。でも、私のところで、全部ストップしている。彼が選ぶ人が、現れるまで、待つつもりよ」と。

 ここで、旧姓西大寺さんの学歴と、職歴を語る必要が出てきた。それを語らないと、文章が先へ進まない。

 彼女とわたくしは、お茶大付属高校の同窓生で、その卒業生が作る、今でいうクラブ活動(丸の内のエリートサラリーマンなどの、勉強会の呼び方)の一種であるOPCで、出会った。五歳年上である。東大の大学院を、1960年(昭和35年)に卒業し、通産省に入り、特許庁を経て、原子力規制委員会か、何か、政府の原発に関する諮問委員会の委員を務めた。

 彼女の父君は、たぶん東大か、それくらいの格の大学の教授で、明治以前からのエリート階級なので、テレビに出て、自分を強化する必要性を感じていない人でもある。が、たまたま、3.11より前に、諮問委員会の、任務が終わっており、それで、テレビ露出がないと、言うこともあるだろう。

 で、先祖の代から、位階人臣を極めているので、テレビに出る必要がないということもあろうが、もう一つ、歌人としての顔も、持っている人で、歌詠みが、テレビに出るなどと、言うことを恥ずかしいと、考える人でもあろうか・・・・・と思っている。

 彼女は彼女自身の、(四人で作る)歌集TEA TIMEを、2年か3年に一回、出版している人だが、と、同時に、お茶大付属高校の同窓会誌に、ほかの卒業生と、混じって、一年に一首だけ、投稿をしている。数年前のことだが、・・・・赤ちゃんがいとおしい・・・・・という短歌が載っていた。私はすぐさま、坊ちゃんが、結婚をして、お子様ができたことを知り、はがきでお祝いをしたが、ご返事はなかった。

 どうして、ご返事が無かったかというと、彼女は、物理学専攻のリケジョエリートでありながら、カソリックの信者だから、井上ひさしと、親交を結んでいるはずなのだった。で、彼の教唆により、私を捨てた人なのだった。多分、旧姓・西大寺さんの方が、関口台の、大聖堂のメンバーであることが、利用をされたのであろう。

 で、安倍晋三元総理大臣の暗殺は、表向きは、自分を死んだことにしているが、本当は、生きて地下潜航をしている井上ひさしの発案で、狙いは、

・・・・・「川崎千恵子は、学友たちが、自分を裏切ったことを数々のエッセーに書いている。それだけ、苦しいんだ。だけど、その中でも旧姓・西大寺さんに捨てられたことが、もっとも、大きな傷になっているはずだ。だから、それを刺激してやろうじゃあないか。で、奈良の西大寺で、安倍ちゃんを殺せば、彼女が常に言っている、異様な犯罪の犯人は、身代わりとして、リクルートをされた人間で、真犯人は、CIAのブルーカラー陣だ。というのも、うち消せるぞ、妙案」・・・・・です。これを、井上ひさしは、伊藤玄二郎や警察庁の幹部と話し合ったはずです。

そこらあたりを、下の10本のリンク先で、書いています。

 なお、旧姓・西大寺さんが、なぜ、私にとって、大切なのかというと、彼女こそ、私を、天才的人間だと、認めてくれた人だからです。憐れみを持ってですが、「預言者は、世に入れられずだわね」と、アトリエで、言ってくれた人だからです。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『旧姓・西大寺さんと、私の幸せだった日々を語ろう。そして、次に裏切られた日を語り、それでも、なお、くっついていったのに、渋谷の井の頭線改札口の前で、(岡本太郎の壁画が、今は、設置されている場所)で、彼女が、真夜中の、プリンターの起動について、どうしたら、とめらるかを質問した私に対して、ああ、それは、定期的なものだから・・・・・別にーと、冷たく突き放した日に、私は、とうとう、交流を諦めたのだが、その日まで、を語っておきたい』

 旧姓西大寺さんの菩提寺は、2000年ごろは、瑞泉寺にありました。で、彼女は、しょっちゅう、鎌倉へ来ているそうです。ある時「イタリアンレストランで、一緒にお昼を食べましょう」と誘われました。私は、神田の学士会館で、開かれる、OPCの会合の二次会で、五人ぐらいで、旧姓西大寺さんとお茶のみをしており、すでに、深いお話をしあう間柄でした。

 旧姓西大寺さんは、女子だけが、通学するお茶大付属高校で、リーダーシップをとる人なので、物言いが断定的でした。一種男性的でした。ときどきは、ぎょっとする発言もありました。それは、他者への寸評で、驚くほど芯をついているので、思わず、赤面をしてしまうほどでした。

 いや、その内容について、ここで、語るのはやめておきましょう。ただ、男の人が猥談を酒の席でする様に、女性だって、高収入の人で、社会的ランクの高い人の話は、すごいのだとだけ、言いましょう。でもね。それは、4,5人でお茶のみをしている時だけで、西大寺さんと、私が二人だけの時は、西大寺さんは、おおむねまじめでした。私は西大寺さんの頭の良さに、すっかり魅了されて、いろいろなことを相談をしていました。

 二次会のお仲間は、ほぼ、全員が正規のお勤めを持っていて、しかも現役でした。で、あまり、出歩けないので、鎌倉や、逗子、はやまに、西大寺さんが、来るときは、良くお誘いを受けたのです。

 私は、1999年から、逗子で、一人暮らしを始めて、メルマガを発信する様になり、旧姓西大寺さんも読者の一人だったので、私の頭の良さも認めてもらえていたので、交流がスムーズになったのです。二次会仲間は、東大などの国立大学、特に一期校卒の人が多く、私だけが私立大卒でした。が、メルマガのおかげで、自分と、同じくらい頭が良いと認めてもらっていたのです。

 私と西大寺さんとの関係は、女子高によく芽生えると、聞いている同性愛的なものではありません。ただ、ただ、理解をしてもらえると、言う喜びが、大きかったのです。別の先輩で、五歳も年が、離れてはいない人が、「あなたって、上のはみだしだから、大変ね」と、言ってくれたことがあるのですが、私が話すことを真実理解してくれる人って、現代日本では、本当に少ないのです。それで、文章を書くのが好きになります。目で、読む方が、情報の伝わる量が、耳より多いので、私が、言いたいことが伝わりやすくなります。

 実は、パソコンを使い始めてすぐに、CIA側が弾圧を始めてきたのですが、うっすらと、変だとは思っても、認めたくなくてね。でも、どうしても、不思議なのは、こっちに原因があるとは、思われないのに、人が去っていくという問題でした。

 それを相談すると、「川崎さん、この世には天使がいるのですよ。相手の右肩に、天使が下りてきて、座っているときは、その人はあなたに親切です。でも、天使には、羽が生えているのです。で、自由に飛びます」と、答えが返ってきました。私は、瞬間的に、口はあんぐり、目はぱっちりです。どうして、西大寺さんは、天使なんっていう言葉を、今、出すの? だって、物理専攻で、東大の院、まで出ている、超エリート・リケジョ・ですよ。目に見えない天使の存在を、しんじているなんて、・・・・・と思って。

 しかし、もともと、けんかをしない主義だし、相手は、メンターです。だから、黙って受け止めました。で、西大寺さんって、カソリックだから、ああいうたとえを使ったのですねと、考えました。

 しかし、2005年ごろ、この西大寺さんも去っていくし、メールだけの交換ながら、ありがたい感想を送ってきてくれていて、奥様も親切だった、水沢勉氏夫妻が去っていきます。一時期は、水沢家には、三匹の猫と三人のお子様がいるなどということも知っていました。でも、2004年ごろは、まだ館長ではなかったのです。だから、酒井忠康氏の言うことには逆らえません。でもね。こういう真実を書いても、水沢夫妻の心が戻ってくるわけでもないのです。

 そうなると、天使の羽の話を反芻せざるを得ません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『最近の私はよく神様という言葉を使う。これが西大寺さんの影響かというとそうではない。西大寺さんは、井上ひさし側に立って、日の当たる道を歩くことを選んだ人だ。だが、彼女の忠告=文章を書くのはやめなさい・・・・・に逆らってブログを書き続けている私には苦難がいっぱいだ。

 で、ブログ内では、世界中のニュースは、私の指先が紡ぎだしていると、豪語している。いや、ブログには、まだ書かないけれど、行動で、世界のニュースを動かすことがある。円安が、急に円高に転換したのは、私が鶴見の宮下クリニックを訪問したのが原因だ。

 私は今、高血圧の治療のために、清川病院というところに通院をしている。ところが、清川病院の、清川まどか、院長が、この2022-10-24に、お示しになったレントゲン写真には、私の肺に白い影がある。しかし、私は、瞬間的に、これは、嘘画像だと確信をした。まどか院長が、そういう技術を持っているわけではない。また、清川病院のレントゲン技師が、それを作ったとも思わない。

 だが、伊藤玄二郎を、頂点とする、鎌倉エージェントのアイデアで、それが、製作されたということは確かだ。

 どこで?と、思うと、今、JPEG FILEはすべてスパコンに入るので、あそこだと、わかっているところがある。だが、あまりにもあくどい話なので、どこでとは言わないでおく。だって、正しいことを言ったって、必ず否定をしてくるはずだからだ。

 しかし、24日の夜に、この雪の下の2丁目の山に帰ってくると、平木家が、最高度の脅かしをかけて来ていた。JPEG画像を改悪した人間の個人名はわからない。しかし、雪ノ下二丁目で、平木家が、脅かしてくるのが、重要だ。彼の名前と、これまでの、各種の行動から照らし合わせて、CIAが今、何をやっているかが、解明できるからだ。。

 この理由は総タイトルに書いた通りで、平木伸明さんは、私のブログを読んでいないので、命令者の言うなりに動くので、誰かから、「川崎さんって、結核にかかったらしいわよ。最高じゃあない。私たちの事をブログで、あれこれ書くからよ。罰が当たったのよ。最高。最高。大喜びよ。今日は、うんと脅かしてやりなさい」と、言う話が、入ったのではないかなあと、思うので、CIAがこの偽画像を作ったということが確認できる。

 そして、本日も再びです。本日の方の理由を書くのは、特に必要です。それを書かないと、連中は自分たちが勝った勝ったと誤解をして、ダブル、トリプルの攻撃をかけてくるからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5,『私は、14日の木曜日、鶴見の宮下クリニックを訪れ、先生に「レントゲンを撮ってください」とお願いをした。その前には、慈恵医大に、行って、セカンドオピニオンですがと言って、お願いをするつもりだった。が、時間と余裕がなくて朝8時に家を出ることができなかったのだ。

 ここから先、一万字ぐらい書かないといけないのですが、午前五時になったので、寝ます。それをしないと結核ではないけれど、死にますからね。ともかく、私の肺には、丸い塊状の影はありませんでした。ただ、「結構、汚い肺ね」と先生がおっしゃるのね。で、びっくりして、何が、原因でしょうか?と、聞くと、「80にもなると、みんな汚いのよ。別にびっくりすることでもないのよ。ただ、スキャンしてみましょうかね。がんが、発生しているといけないから」とおっしゃるのです。こういうところが、宮下先生の人気が高い理由です。患者さんは、いつもいっぱいで、6時15分だって、三組残っていましたから。

 すごくずけずけと物をおっしゃるのだけれど、意地悪な感じは、まったくないのです。非常に明るいのです。そして、お医者さんとしての、説明も十分です。しかし、宮下先生が、私の見方というわけでもないのですよ。すでに、CIAの支配下にある方です。宮下先生に、二日連続で行って、本日は、「その塊が、ない写真を、USBに落として下さい」と言ったら断られたのね。だって、それを持って清川病院に行ったら、清川まどか先生は、ぐーのねも出ませんから、使われたら困ると、思っていらっしゃるのです。で、もらえなかったことを、平木さんは、喜んでいるのです。CIAの悪事がばれないで済んだと思って、喜んでいるのです。

 私は、もう、まどか先生に会うつもりはありませんよ。清川病院に行くが別の先生の被に行きます。まどか先生が悪いわけではないが伊藤玄二郎にすっかり、憑依されておられるからです。

 私は事前に、宮下先生がお断りになることは、十分に予期しながらいったのです。だから、断られても別にです。平木さんをはじめとする、この山の連中の脳みそは相変わらず、ちっちゃいです。恥ずかしげもなく、嘘を信じて、攻撃をしてくるのだから。まあ、それによって、坊ちゃんが東大へ、推薦入学で入れたし、ペンキ塗りも、屋根修理も、市か、県か? 国の補助があったでしょう。だから、こういう攻撃をやめられないのです。

 ともかく、寝ます。まだ、途中であり、説明不足ですが、寝ます。

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

西大寺とは私にとっては人名で、かつての恩人です。故に、安倍さん暗殺は雪の下の傲慢主婦連中を助ける為の謀略です

2022-07-12 21:49:53 | 政治

東電に13兆もの罰が下る?・・・変な裁判結果ですが、是も安倍暗殺が内包する嘘の部分を暴くnews です。

2022-07-13 22:28:45 | 政治

山上徹也の母が、不思議なのだ?!? それに救出用車両が、100mも遠く離れた場所に停まっていたとは?

2022-07-15 19:30:38 | 政治

岸田さんがぺらぺらと記者会見を繰り返すのは、この暗殺が謀略だからだと、私は思っている + 中央内科の22-7-7の慌てぶり

2022-07-16 19:23:08 | 政治

山上徹也の試射の際に、支援者(blue colourとしてのCIA軍団)が、5人は居た筈だ

2022-07-18 03:08:12 | 政治

徹也母の宗教への過剰な傾倒は、杏の母のそれを模倣した嘘である筈。結論として、この暗殺は鎌倉発案の謀略である

2022-07-21 10:17:18 | 政治

真犯人達が私の説を早速否定してきた。だからこそ、徹也母の献金と破産は嘘で、杏の母のケースを模倣しただけでしょう

2022-07-22 23:55:19 | 政治

朝永振一郎博士が学長で、教育大学が物理の牙城だったころ、旧姓西大寺さんは朝永先生の下で物理を専攻した

2022-07-27 21:20:55 | 政治

安倍さん暗殺は、警察庁秘密部隊きっての愛玩人物である安野智紗夫人をサポートする為に行われた

2022-08-29 22:27:21 | 政治

鎌倉駅頭の国葬反対行動がすぐ消える。理由は、其が私を脅かす為だから、浜銀から私が去れば動員された連中は帰っていいのだ

2022-08-31 20:33:07 | 政治

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柿沢勇人、小林康夫、養老孟司 藤沢の摺り師、山口みつ子、保坂航子、市川某、高橋典夫、柄沢斉、尾崎正志、反田恭平

2022-11-08 21:43:12 | 政治

 今は、2022-11-10の23時です。あることを思い出したので、ここに加筆として入れます。本当は下部の、その部分に挿入するべきですが、ここに、入れます。全体をすでに、一読なさった方の便宜のために、そう致します。

 尾崎正志という摺師が、シロタ画廊で、熱弁をふるっていたと、言うエピソードが、下の方に出てきます。その時の彼は、長髪で、それを後頭部で、紐(またはゴム)で、結んでいました。女性で言うとポニーテールと呼ばれる髪型です。

 シロタ画廊というのは、版画では大変有名な画廊で、大展示室と、中展示室(応接間を兼ねている)と、バックヤード(スタッフの休憩室や、倉庫)を持っている、広い(=お金持ちの方である)画廊です。でね、入り口を入ると、最初に、中展示室があり、そこにすでに、有名になっている版画家の作品がかかっています。しかし、応接間を兼ねているので、そこで、商談が行われている際は、私はそちらの部屋には入りません。で、尾崎さんの熱弁ぶりを横目で見ながら、大展示室へ入るわけです。

 シロタ画廊は、地下一階を使っているので、玄関用のガラスドアを開けて中に入ると、あとは、すべて、オープンスペースになっているので、私が大展示室の作品を見ている間中、尾崎さんの声は、響いて、はっきりと内容が聞こえているわけです。彼が売り出したいと、思っている若手を、私は、全然だめだと、内心で思っているので、シロタさんの反応や、如何に?、と、それについては、興味津々でした。

 で、シロタさんの大展示室を、新進作家が使う場合、当時の、費用として、作家側が、50万程度、支払う必要があります。中展示室に飾ってある作品の方は画商として、シロタ画廊が扱っている作品なので、作家側は、借り賃を払わず、しかし売れたら、なん十パーセントかを、支払うという仕組みになっているのです。

 尾崎さんの希望としては、大展示室を無料で、貸してほしいと、言うことでしょう。「この作家は大変有望なので、今、50万円をご損をなさっても、いずれ、元は取れますよ」と、言う趣旨だったと、推察しています。私は自分を、二人に対しては、なにも、アッピールはせず、ただただ、内心の興味を押し隠して、通り過ぎただけです。結果がどうなったかは下の方に書いてあるので、そこをご覧いただきたいです。

 さて、なんで、こんな話を冒頭に置くかというと、ショパンコンクール第二位だった、反田恭平君に対して、私が、辛口の、提言ばかりしていることへの、弁解が、ここでできるからでした。

 彼には、テレビ局のインタビューが殺到したみたいで、また幻冬舎が彼の、自著を出版し、大ヒットをしているみたいなので、彼が、侍をイメージして、あのポニーテール姿を選んだということを知っていらっしゃる読者も大勢いらっしゃると、思います。

 だけど、私の方は、「やめて反田君。生半可な、日本・近・現代史を振りかざさないで!」と、言いたいのです。現代の日本で、普通のサラリーマンが、他者との同調圧力の下で、使っている髪型は、つまらないと、彼が考えたのは、いいのですよ。でも・・・・あのポニーテールで、侍・精神を・表せる・・・・などと、考えるのはやめてください。

 女性がポニーテールにするのは、女性にとって、長い髪が、一種の財産になってはいるものの、仕事をする際、それがうっとおしくて、邪魔になるからです。だから、許せる。一方で、男性が、長髪なのは、私は許せないのです。

 というのも、鎌倉時代から、江戸時代の、本当の侍にとって、ざんばら髪と、言うのは、断末魔のイメージだから、決して、良いイメージではないのです。よい家庭に生きている侍というのは、たとえ、高齢で、死の床についていたとしても、家族が、きちんと髷を結ってあげて、畳の上で、布団の中で、死んだのですよ。

 今週私は、たまたま夏祭浪花鑑の映像を二回もNHKの番組としてみました。一つ目は、十八世勘三郎の、ニューヨーク公演で、殺される方の舅・義平次は、笹野高史です。もちろん、勘三郎は、最後には、ざんばら髪になります。もう一つは、愛之助・亀鶴の、コンビでした。この舞台の主役は、侠客と言って、今の言葉でいうやくざです。侍のざんばら髪を舞台に乗せるのは、遠慮をしたのだと、思います。江戸幕府って、結構、歌舞伎を規制する力が強かったと、考えますしね。

 反田君が、「僕は、ジョンレノンが好きです。だから、長髪をマネしました、でも、ピアノを弾くときに邪魔だから、結びました」というのだったら、まだ、許せる。だけど、侍をイメージして、その髪型をしていると、言うのはやめてください。

 と、ここまでの挿入を、10日の深夜入れて、初稿のトップに戻ります。

副題1、『私は、柿沢勇人という俳優を、11月に入ってから、初めて意識した』

 22-10-30日の、【鎌倉殿の13人】で、源実朝が、京都から来た高貴な姫君の肩をそっと抱きながら、「あなたとの間に、子供を作ることが出来ない」ということを言います。まあ、想像するに・・・・女性に対して、勃起をしない・・・・と、言う事でしょうが、それを大変上品に表現した、脚本(三谷氏)の、ここには、びっくりして、氏を褒めたいと、思いました。ずっと、嫌いだ、嫌いだと、言い続けて来ていますが、ここで初めて、氏を『上手な脚本家』だと、思いました。生涯で、初めてですが。

 実朝が、実際に、同性愛の人だったとか言う、歴史的事実はないのでしょう。よく知りませんが、巷間、そういううわさを聞いたことはありません。でも、歌詠みであると、言うところと、実子がいないと、言うところから、こういう場面を紡ぎだしたと、仮定すると、このセリフは大傑作だと、思います。

 それでね。脚本が傑作でも、演じる役者が、下手だったら、そこがおかしく感じられます。不自然になってしまいます。俳優って、実際には、女性に興味満々ですよね。何人もの相手と、下半身の結合をもつのは当たり前だと、されていますよ。

 だから、同性愛の青年であるなどいう事を、表現するのは、かえって難しいと思います。でも、ごく自然だったので、『おや、この俳優は、上手ですね。新人なのに』と思って、11月1日ごろ、初めて、かれについてwikipediaを、ひきました。すると、新人どころか、大ベテランだったと、判りました。主に舞台でね。特にミュージカルでね。

 しかも、曾祖父と、祖父は、浄瑠璃の演・奏・者として、人間国宝だったとか。お父さんは、一般人で、したがって、一般人で、しかもお金が儲かる仕事というと、サラリーマンだったと、推察されます。それで、かれがミュージカルを志して、劇団四季を、受験したいと言い出した時に、家族は猛反対をしたそうです。そうですね。浄瑠璃の世界だったら、家柄とか、曾祖父と、祖父の人間国宝という勲章が生きて来て、コネも効くでしょう。しかし、一かにとっても、未知の世界に勇人君が飛び込む事は、とても危険に思われたのだと、推察します。そういう世界で、人気が出るかどうかは、誰にも予測できないことだからです。

 それに、人間国宝になるほどの、伝統芸能の世界の人だったら、師と弟子の関係がしっかりあるので、修行を続けて行って、ある程度以上の能力があれば、くいっぱぐれはないでしょうが、タレントとか、ミュージシャンとか言う、新しい分野の芸能人は、運と、人気という、本人には、如何ともしがたい、ファクターが関与するので、成功するかどうかは、事前には読めない世界です。だから、親としては、心配で、反対をしたのだと思います。そういう両親というのは、よく理解ができます。

 私は、芸能人のことはよく知らないのです。昔は、新聞は、しっかり読む人でしたが、テレビはあまり見ない人だったのです.ただ、【北の国から】と、【金曜日の妻たちへ】第一シリーズは、見ました。金曜日の方は、ICUの1966年卒の服部靖・ジ・さんが、演出していたからです。それと、日曜日夜の、教育テレビは見ました。日曜美術館とN響アワーです。

 まだ、若くて太っていたころの、野島稔(のちに東京音大の学長、日本音楽コンクールの優勝者、井口愛子さんの子供のころからの弟子。ピアノにおいては、通の間で非常に評価の高い人)さんが、汗を四方八方に飛び散らせながら、N饗と一緒にベートーヴェンを白黒画面の中で弾いていました。そのころには、私にもベートーヴェンをじっくりと聴く体力があったのです。今は、交響曲は、聴きたくないです。誰のものでも、疲れるので、聴きたくないです。シューベルトの、未完成だって、聴きたくないです。室内楽の方を好んでいます。

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副題2、『ラジカセが何台も壊されている。これは、外部攻撃だが、音楽を好きな私に、CDを、聞かせてやらないぞという、鎌倉エージェントのたくらみだと、思う。で、仕方が無いので、今は、NHK BSPの、【クラシック倶楽部】(月~金まで、毎朝5時から、55分間)と【プレミアム・シアター】(日曜日の深夜、四時間)を、録画して置いて、見るのが、唯一の楽しみだ。

 時々、別の発想をも抱く。シンプルな機構の中古のレコードプレーヤー(これは、半導体が入っていないので、外部から、操作しにくいだろう)

を買ってきて、お茶の水で、中古のレコードを大量に買ってきて、 レコードで、クラシックを聞こうかと思うけれど、全く時間が無くて、夢の夢だから、テレビの、その二つの番組の録画は、欠かさない。

 しかし、もう一つ、録画して置いてみる番組がある。清塚信也が、今三代目の司会者をしているクラシック音楽への啓もう番組である。今のタイトルを、クラシックTVという。

 これは、啓もう番組だから、今の私にとっては、つまらない。どこが、つまらないかというと、楽曲を多く紹介するために、すべての楽曲が、省略化されているからだ。短く細切れで、それに関しては、イライラしてしまう。だけど、二つ、長所があって、それで、聞き続けている。

 それは、知らないことが出てくることがあるからだ。グレン・グールドが、常に彼、独自のとても、低い椅子を、持ち歩いていて、ひじを県版の下におろして、手首から先だけを鍵盤に乗せて、弾いていたなんて、初めて知った。普通だと、肩からひじ、そして手首へと続くラインは、90度で、曲がっている。しかし、グレン・グールドの上腕部と、下腕部は、30度から、45度くらいの狭さの、扇形になっているそうだ。そんなことは、、初めて知った。映像を見るから、判る事で、CDを聞いているだけでは、判らない。これは、TVが良き効果をもたらした例だ。

 もう一つ、長所がある。司会の清塚信也と、サブの鈴木愛理のコンビが、とても、感じが良い。組み合わせが、大成功をしているところで、二人の会話が、聞くに堪えるものとなっている。そこにとても良い形の親密性が、生まれて、視聴者にも、良い影響を与えるのだ。是って、歌舞伎座の城内に生成する、親密性と似ている。

  ここまでは、4日(今から、4日前)に描いた文です。初稿としてですが。それを4日後の公開時間にもっていったのが、8日、22時です

  その番組が、11月3日の休日に特番として、普段の二倍の長さをとって、ミュージカルの特集をした。

 そこで、柿沢勇人が出てきたのだった。その時に、私は、二つの事に気が付いた。で、そのうちのまず、一つ目を語りたい。

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副題3,『彼は、何が原因だったかはわからないものの、劇団四季を退団している。それが、番組の構成に微妙に影響を及ぼしていたと、私は見た』

 その番組が始まる直前、10月31日か、11月1日に、wikipedia で、柿沢勇人を引いたばかりで、ミュージカル俳優としての経験を積んでいるのを知ったばかりですから、私は、当然のごとく、彼がその清塚信也が、司会をしているクラシックTV(その日だけは、タイトルが、ミュージックTVになっていた)に出るだろうと、思いました。そして、番組の冒頭でも、ちらっと彼が、歌う映像が出ました。ところが、番組が進むにつれて、あれ、どうしたのだろうと、言う場面に出くわしました。

 それは、この親密度が高い番組において、座談会形式で、語る場面があるのですが、出演した彼が、そこに加わっていないのでした。その前、彼の紹介用に、動画が、瞬時流され、それが、【鎌倉殿の13人】の一場面だったので、・・・・・ああ、旬の人なのだなあ。ミュージカル界として、どういう位置に彼はいるのだろう?・・・・・ と、興味があったので、彼のドラマ以外での素顔を知りたかったので、座談会での、発言を聞きたかったのです。

 しかし、他の出演者は、車座になってあれこれ、語り合うのに、彼は、そこに加わっていません。誰が、そういう脚本を書いたのか? または、彼本人が遠慮をしたのか? 心理学的に言うと、相当に興味深い画面でした。

 しかし、短い時間でしたが、彼が、着ていたダブルのスーツのデザインの大胆さに驚き、こういう風に目立つことが周囲から嫌われ、それで、劇団四季を退団したのかな?などと、余計な想像をしたものです。

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副題4、『彼が着ていた大胆なスーツとは、別布が、一着の間に、使ってある、切り替えを応用したデザインでした。

 それを私は、最初は、オーダーだと、考えており、こういう大胆な洋服を選ぶ、彼(=柿沢勇人)の、ヒロイズムというか、目立ちたがり精神が、嫌われたのか?と、考えたりしました。

 しかし、cool japanの、ご意見番、小林康夫東大名誉教授が、同じく、切り替えの有るスーツを着ていたので、ああ、もしかすると既製服ですか? そうなると、意外と安いカモしれない?!?!?と、思ったりし直しました。

 そういえば、布地が、薄いのです。私はテレビで、それが登場しただけで、使ってある生地が薄いか厚いかがわかります。それは、ですね。洋裁ができるからですが、あまり厚い生地だと、切り替えが、うまくできないからです。切り替えると、裏で、二重になります。そこを、表からは、平らに見える様に、アイロンで、抑えるのですが、使ってある生地が厚いと、ぼてぼてして、縫い際が、目立つので、柿沢勇人が、着ていたほどの、びしっと見えるスーツには仕上がらないのです。ただし、大変目立つものなので、これを、他の番組に出る際に、着て出るのはダサいという形になるので、一回着たら終わりです。黒柳徹子さんが、TBSのクイズ番組に、毎回違う和服を着て、表れた時に、あれは、毎回買ったものではないと、考えていました。

 しかし、玉三郎は、舞台衣装を、ほぼ、自前であつらえるらしいですよ。地味目の物は、松竹が、用意したものを着用するかもしれませんが、綸子やちりめんの、絵柄のある着物は、150万円以上、時には、一そろい、500万円ぐらいの高いものを着用していると思います。が、舞台に来て出るので、最低でも、50回は、着用する可能性があるので一回、10万円の眼福をお客に提供していると、言うわけです。プロの覚悟というものでしょう。それと、すでに、地位が確立している人の、収入の高さの反映だとも言えます。

 しかし、小林教授の方は、明度差の少ない、タイプの切り替え布が、挟まっているタイプで、よおく見ないと、別布が入っていると言う事に気が付かないタイプのデザインですが、柿沢勇人の、着ていたものは、大胆不敵なデザインで、非常に目立つものだったのです。つまり、黒地のスーツに、襟とダブルの胸もと、首から、30センチぐらいに、明度差の大きい、灰色を挟んだものだったのです。

 それがオーダーではないと仮定すると、思いがけず、安いものかもしれません。12,3万円だったかもしれません。ただし、あまり何回も着られるものではないのです。テレビだと、二回使うことはできず、街を歩くにしても、出会う相手が、決まっている会合だと、二度と、着ていかれない、それほど、特殊な目立つ洋服を買うことが出来ると言うのは、旬にあたっている人で、収入が高いことを証明しています。

 ここで、嫉妬の問題に入っていきたいところです。しかし、夜も更け、明日また、外出しないといけないので、本当は、ここで、5000時ぐらい書きたい、育ちの良さと、嫉妬と言いう問題から敢えて離れます。

 そして、洋服のデザインの方へ特化して、語り続けましょう。

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副題4、『養老先生にね、この11月4日、鎌倉駅で、あったんざんすよ。そして、先生が、袖に、切り替えを使っているオーダーメイドスーツを着ていらっしゃるのに、気が付いたのね。本当は、それを、言上げしたくて、まず、柿沢勇人の、大胆不敵なデザインへ、言及したのでした・・・・・だから、今までの、字数は、ほんの導入であり、この章の次が、問題なのです。ほかの有名人(特にそのおしゃれ度が目立った人)について触れていき、やがて、政治の問題に入っていこうとしていたのでした』

 11月4日の、午前11時28分鎌倉駅発の、横須賀線、7号車が(グリーン車)が停まり予定の場所で、養老先生を見かけたのです。そこは、階段があるために、ホームの幅が、とても狭い場所です。

 そこで、出会った養老先生に、「お元気そうで、よろしゅうございましたね」と声をかけて、すれ違い、後ろを振り返ってみて、袖の、切り替えに気が付いたのでした。その袖が付いている本体ですが、相当に着慣れた(または、着古した)、ウールのジャケットですが、背が158㎝ぐらいの養老先生に、ぴったりと合わせたカッティングで、しかも、季節的にアイのジャケットとして、とても上等なものでした。さすが、101冊以上の大ヒット本を出した養老先生です。絶対に既製品ではないと思われる薄手ウールのチェックのジャケットでした。ジャケットだから、スーツと違って、やや派手目な布を使って縫製をしてあります。格子ガラです。

 その、明らかにオーダーメイドだとわかる、薄手ウールのジャケットの、そでに、切り替えが入っていたのです。全体に細かい、チェックのガラのウールで出来ているのですが、ちょっと、大きめの同じ色、同じ格子の、布を使って、袖の切り替えに使っているのです。しかも、その大きい方の格子は体に添う方=他人には見えない場所に使ってあったのでした。

 安い服というのは、袖が、筒状になっています。縫い目が一本だけなのです。薄い生地を使った場合は、特に、そうなっています。今、人々がよく着ている、ポリエステル製の、コートなどは、生地が薄いので、袖は、筒袖です。

 でも、厚めの布(=ウールだと、どんなに薄手でも、木綿の布とか、絹の布よりは厚いので)袖は、二まいに分けて、カットして、それを縫い合わせる形を取ります。人の腕の動きに合わせる為です。だから、縫い目が2本入っているのです。その二枚目の、体に、近い方に、大胆な模様の格子を使うなんて、江戸時代(特に三大改革の時代)の、江戸庶民の発想に近いのでした。つまり、裏地に凝った、というおしゃれの事です。

 で、養老先生のジャケットに戻れば、柿沢勇人君と比較すると、圧倒的に、目立たない形で、貫いたおしゃれでした。いや、すごい、目立たない目立たない形で、「自分は大金持ちです」と、示したジャケットでした。

 ご近所の花輪夫人(後注1で示すが、この10月6日にも激しいいじめを行って来た、元都庁勤務の年金長者)からも、それを誇示されているのですが、お金持ちが着ているものは、庶民が着ているものとは、材質と縫製が、まるで違うのです。私は子供のころには、常に、日本橋に母が、お財布を満帆に膨らませて、連れて行ってくれて、その季節で、最も新しい子供服で、自分の、気に入ったものを、高島屋か三越で、買ってもらっていたのです。

 そして、大学生になったころ以降は、オーダーメイドのお洋服を着ていたので、養老先生のジャケットとか、花輪夫人のセーターなどという、その種の上等なものは、すぐ、材質とお値段が判る人なのです。(苦笑)

 友達にも「私服の時は、いいものを着ているのね」と言われています。私服は母が管理していて、制服類は、父が管理をしていたので、学校では、貧しい子だと、思われていました。父からは、ズックのカバンとズックの靴で、通学をする様に言われていたのでした。ほかの生徒が、ほとんど革のカバンと、革靴で、通って居た横浜国大附属横浜中学校時代の話です。1955年から、1958年までのお話です。

 あー、今、兵糧攻めで、苦しんでいて、お金を分捕られ続けている私としては、内心で、笑うしかない、お金持ちぶりを、11月4日の、午前11時半に、気が付かさせられた、の、でした。あ、は、は。こういう事を、嘆いたって仕方がありませんからね。笑い飛ばして、明るく振り舞うしかないのです。

 その裏にある残酷無比な兵糧攻めの詳細については、10年後ぐらいに語ります。恐るべきレベルで、苦しめられています。理不尽な事極まりないので、怒りを内心で、ため込んでいて、それを外へは、秘めているのです。どうせ、伊藤玄二郎達発の謀略ですから。

後注1,

花輪夫人と富沢夫人から始まり、岩本工務店が主役のいじめ用罠は、実際は鎌倉市長発で裏に伊藤玄二郎が居てね△     2022-10-19 07:52:38 | 政治

 この後で、緒方貞子さんのおしゃれとか、後藤健二さんが、本当に殺されているのか?とか、石堂順子さんのめちゃくちゃな記者会見は、どうして外人記者クラブで行われたのか? とか、川名昭宣君と、伊藤玄二郎との、本当の関係h? とかいう問題に入っていきたいのです。それが、政治問題というわけです。

 だが、兵糧攻めで、追い立てられ続けている私は、最近、疲れ切っているし、明日もその件で、外出しないといけないので、政治的問題とは、何か?と、言う事を、伊藤玄二郎達に、におわせただけで、この章をひとまず、中断をいたします。導入部分だけで、終わりといたします。

 この一文は脛物の発想で、生じていて、意地汚いところで、終わっています。しかし、ブログでは、全体像を、書き表せません。三万字という字数制限もあるからです。だから、これで、仕方がないのです。

 ただ、養老先生が、目の前に、上等な服で顕現なさったことが、『おお、これも、天の助けだなあ』と、思っているから、この一文を書きました。

  そうなんです。伊藤玄二郎達CIA一味が、発想をして企画をしている現在進行しつつある悪事は、すべて、私が見破ることが出来ないだろうと、言う発想のもとで、実行をされています。でも、この一文を書くことによって、・・・・・彼らが何を構想をしているかが、私には、わかっていますよ・・・・・と、彼らに知らせることが出来るでしょう。つまり、お金、特にそれを奪っていく事が、今の攻撃用弾丸です。お金を奪っていくことで、じわじわ、じくじくという形で、殺してやろうと、考えているのが、彼らなのです。

 その種のひどい状況を書き表すチャンスを与えてくれたのが、ここに登場する四人の人々のお金持ちぶりでした。

 誤変換チェックが済んでいません。でも、すみませんが、ここで、寝ます。明日外出しないといけないので・・・・・

 22-11-8~9にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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【蛇足】ー1

 *a)・・・・安倍晋三氏の大腸炎とは、パソコンへの攻撃の肉体版である・・・・

その件に関して、安倍晋三元総理大臣のケースをまず語りたい。

 私は安倍晋三元総理大臣の国葬には無論反対です。しかし、8月の半ばから、は、それについて何も述べませんでした。すると、四方八方から国葬に反対だと、言う声が上がったので、それで、良かったと、思っています。しかし、安倍晋三氏個人に対しては、気の毒な方だったと思っています。安倍夫人が、正常な精神の持ち主でよかったです。夫を大切な存在と思っていることが、示されて、良かったです。

 それに反して、世界中に、酔った姿をさらすという、謀略に引っかかってしまった、中昭正一大臣の奥様って、スケルトンが無い女性みたいです。夫の身代わりで、代議士になった後で、不倫の恋愛に陥ったとか? 父親の最後をつらいと思っている、息子さんと争いになっているとか?   本当に、困ったことです。

 安倍昭恵夫人が、代議士にはならないつもりだとか、義母が亡くなったら、山口県で、暮らすつもりらしいと、報道をされていることは、晋三氏にとって、良かったですねと、言いたい。お子様が無いにしても、今の段階では、それでいいのです。五年後とか、10年後に、彼女に、新しいパートナーができたとしても、人々は、それを許すと思いますよ。今の段階の態度で、人々は、ずいぶんとほっとした事でしょう。

 ところで、除染等を始めてしまった安倍晋三氏は、谷垣禎一氏を間に建てて、伊藤玄二郎の言う事を見事に聴く人だったので、国葬なんて、とんでもないとは、私の方は思っていても、それでも、その私が、氏を気の毒な人だと、感じているのは、安倍氏への肉体的攻撃があったと、感じるからです。

 というのも第一次安倍内閣を放り出した原因である、特殊な大腸炎は、当時は、一般国民には、全く知らされていなかった手法による、外部攻撃だと、私は、確信をするからです。というのも安倍晋三氏は、右翼的な政治家だと、みなされていました。CIAにとって、右翼的政治家とは、つぶすべき対象で、安倍晋三氏の場合は肉体への攻撃として表れていると、感じました。

 田中角栄氏は、ロッキード社からのピーナッツでつぶされ、

 小渕恵三氏は、太平洋に連れ出されて、ロープで縛られた肉体が、海へ漬けられて、脳梗塞状態になったと、言ううわさがあります。

 森喜朗氏には、愛媛丸事件が起こされて、ゴルフをしていたと、言う件で叩かれ(実際には、ゴルフはしていなかったともいわれているが????)

 小泉純一郎氏は、集団訴訟で、靖国参拝が違憲だと、散々叩かれていて、

 安倍晋三氏は、肉体への攻撃(特に排せつの機能障害を起こされる事)で、2007年には、沈没せざるを得なかったのです。

 私は、2007年には、まだ、こういうっ攻撃が可能になるメカニズムを知りませんでした。ただ、直感として安倍氏の大腸炎は、外部攻撃による、ごくごく政治的なものなのだと、考えていて、やがて、それが、当たる日がやってきます。偶然土曜日に、あきはばらに出かけていきました。パソコンが壊れたからです。すると、UDX前広場で、日の丸を乱立させて、安倍晋三氏の、自民党の選挙出陣式に出会う事となったのです。しかし、私が通りかかると、すぐ、現場がしーんとしました。丸川女史もマイクを抑えて、静まり返りました。

 この一事をもってしても、私が、実は、どれほどに大モノなのかを知ることとなるのですが、安倍晋三氏から、警戒をされるとは、右翼とみなされている安倍晋三氏が、すでに、2014年ごろには、CIAのかわいこちゃんになっていたのです。

 しかし、CIAの方にもまだ、遠慮があって、表現が、上品でした。岸田総理大臣は、あまりにも見え見えに動かされている人です。しかし、国民からの、支持率が落ちているそうで、それは、その通りだろうと、私は思っています。

*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*

 *b)・・・・・安倍晋三氏の大腸炎が、外部からの人為的な攻撃によるものだと、私が確信をしていたのは、まず、私への攻撃があるからだった。とても隠微な形でだが・・・・・・

 我が家には、1980年代には、もう、NECのパソコンが買ってあったと思います。しかし、私は使いませんでした。子供がね、偏差値優秀大学へ入れなさそうで、それゆえに・・・・・母親が、インテリであり、かつ優秀であると、家の中で、家族に見せること・・・・・・を、とても嫌っていました。1970年代生まれの子供たちって、第二次ベビーブームの世代だから、どこの家でも、親よりは、偏差値の低い大学にしか入れないという形で、それが、また、引きこもりへつながったりしています。で、私は、自宅では、パソコンを使うことが出来なかったのです。私は入力(キー操作)が、ネイティブアメリカンさえ驚くほど速いし、文章は英文でも、日本語でもすいすい書けますから、この雪の下の家で、私が、もし、パソコンを使ったら、また、また、子供にプレッシャーをかけたと、思いますよ。(なお、2022年の今では、80歳を超えたので、さすがの私も入力のスピードが落ちていますけれど)

 で、1999年にニューヨークへ版画修業に行く際に、初めて、ノートパソコンを買って持っていき、使い始めたのです。ニューヨークの美大の、版画工房の作業机の上で、それを打っていると、まわりの学生みんなが驚愕をしてくれました。ほとんどの学生が、ブラウン管式パソコンを使っていた時代で、私のダイナブックが美麗な上に小さいし、そこで、英文をさら、さら、さらっと、書いて居る私に、驚愕をしてくれたのです。外見がアジア人のおばさんですから、なおさら、驚いてくれました。

 しかし、学生はそれでいいのです。特にアメリカ人とか、ヨーロッパから来た学生は、それで、いいのです。アジアから来た学生でも、真実優秀な人は、他者に嫉妬しませんから。ところが教授がだめだったのです。その時期はすでに引退している学部長(実力者)の愛人だから、教授にしてもらっているという噂の女性で、彼女の私への嫉妬が、悪賢い日本人女子大生を巻き込んで、大波乱を起こしたので、次の学期、誰も、その講座を取らなかったそうですよ。まあ、その話は、過去に書いてあるので、ここでは、詳述をしません。

 しかし、上の方で、清塚信也の番組、特に11月3日に、ミュージカルを取り上げた際に、柿沢勇人が、座談に加わらなかった、または、加われなかったのは、陰に嫉妬の問題が、横たわっていたからだと、思います。それでも、その筋(ミュージカル界の、あれこれ)を、私が解説する必要もないので、触れません。

 あの1998年12月から、2002年8月までの、逗子での一人暮らしを、私は、海外へ行くために、それを許さない家族から離れたと、言い続けています。それが、むろん第一の目的でした。しかし、実際に一人暮らしを始めてみると、思いがけない余得がありました。それはです。100%自分本位に時間が使えると言う事。誰からも、邪魔されず、集中的に仕事ができることです。

 これが、専業主婦には無理なんです。どうしても、他の家族の補佐役としてしか、機能できないのです。つまり、家族という集団の中では、一番劣位の人間となってしまうのです。ただし、子供が小さいときは、自分が面倒を見た方がいい。保育所は、だめですよと、言いたいです。すると、専業主婦になりがちですね。ここが大矛盾です。なんとか、おひとりおひとりで、工夫をなさってくださいませと、言うだけです。

 が、私は、思い切って、58歳で、一人暮らしを始めました。大変良かったです。独立した個人として、集中的に、やりたい事(主に、日本にいる時は、文章を書く修行、海外にいる時は、版画=ヘイター方式という特殊な版画)を修行する‥・・・という形ですが、あの時点で、それが、できたのは、本当によかった。体力は頭脳において、ギリギリだったと思いますが、それでも、修行をして、自分を、追い詰めて、能力を高めることが出来る、時期だったのです。

 文章を書き、挿絵を描き、本を出版するにあたって、機械にかける直前の、IT的データを、自分一人で作るなんて、逗子の一人暮らしの時期が無かったら、絶対に獲得できなかった能力です。

 この逗子のアトリエですが、実際に訪問をしてきた人は6人+宅急便だけです。寝泊りをした日々は、3年強で、その後、日中だけ使いました。合計7年間保持していたと思います。

6人とは、主人、大家さん、市川さん(版画家だけど生活費のために、東美藤沢店に勤務していて、材料を持ってきたり、国展や女流展に出品する版画や油絵を、搬出入をしてくれた人)

 藤沢の版画家(この人はお金に関して、非常に嫌な思いをしたので、名前を忘れています。

 八幡宮のぼんぼり祭りに、献灯することになったのですが、最初は気張って、自分の専門分野の版画を出そうと思いました。これがだめなのね。あのお祭りは、美術展ではないのです。一般の方が判って楽しめる様な、餌出ないとだめなのです。で、二年目からは、その摺師には頼まなくなったのですが、初年度は、気張って、専門分野の作品で、ぼんぼりを作ろうと思ったのでした。その際に、ヘイター方式というのは、銅板上の模様の部分が、アルプス山脈状にとがっています。その上に和紙を載せて、版画を摺ることに、自分としては、

が、私は、思い切って、58歳で、一人暮らしを始めました。大変良かったです。独立した個人として、集中的に、やりたい事(主に、日本にいる時は、文章を書く修行、海外にいる時は、版画=ヘイター方式という特殊な版画)を修行する‥・・・という形ですが、あの時点で、それが、できたのは、本当によかった。体力は頭脳において、ギリギリだったと思いますが、それでも、修行をして、自分を、追い詰めて、能力を高めることが出来る、時期だったのです。

 文章を書き、挿絵を描き、本を出版するにあたって、機械にかける直前の、IT的データを、自分一人で作るなんて、逗子の一人暮らしの時期が無かったら、絶対に獲得できなかった能力です。

 この逗子のアトリエですが、実際に訪問をしてきた人は6人+宅急便だけです。

6人とは、主人、大家さん、市川さん(版画家だけど生活費のために、東美藤沢店に勤務していて、材料を持ってきたり、国展や女流展に出品する版画や油絵を、搬出入をしてくれた人)

 藤沢の版画家(この人はお金に関して、非常に嫌な思いをしたので、名前を忘れています。この人は、八幡宮のぼんぼり祭りに、献灯する際に、和紙の上に、ヘイター方式の版画を摺ることに、自分としては、切れてしまうのではないかしらと、言う風に、思って、自信が無かったので、摺りだけを、専門家に、頼んだのです。10枚だったかな。サイズとしては、非常に小さいものなのに、一枚一万円を摺り代として、彼は、請求しました。その上、片付けをして行かなかったのです。ヘイター方式って、ガラス版二枚に広がったインクや、ローラー日本の上に広がったインクをきれいにしなくてはならず、片付けが、とても、大変なのです。二時間ぐらいかかります。彼が、摺る人なのだから、当然に片付けまで、こみの値段だと、思っていたのに、片付けをして帰らなかったし、なんとお金も、一万円ちょろまかされたと、思っています。

 どういうことかというと、1枚、一万円だと事前に聞いていたので、10万円をちゃんと封筒に入れて、準備していたのです。ところが、狭い玄関で、<9万円しかありません>と彼が言うのね。でね。今の私だったら、<自分にも渡してください。自分でも数えてみます>と、言えるんだけど、あの際は、先輩から、育ちがいいことが、誰に目にも見えるので、嫉妬されるのよと、聞いていたし、確かに、40台から、60台にかけて、美術界で、女性に嫉妬されまくりましたので、

 お金に関してもめることが耐えられなかったのでした。今なら、あらそうですか、こっちによこしてください。私も数えますから」と言えるのですが、20年前は、品の良さにこだわり過ぎました。しかし、残りのお金を銀行の封筒で、チェックしてみましたが、私の方は、間違えていません。非常にひどい男です。

 ただね。現代アートの世界で、特に、版画を摺り師とか、版画工房経営とか,版画教室の先生だけで、食っていくのは大変です。家も建てたばっかりだと言うし、妻もいるし、子供もいるのだそうです。だけど、嫌な感じです。で、名前を忘れています。

 ところで、彼の前に、接触した人物が尾崎正士氏です。この人がまた、派手ないじめを行ってきています。彼については、2,3本エッセーを書いて居ますが、彼、及び、藤沢の摺り師、及び市川さん、及び、市川さんが個展をよくする、画廊T.boxのオーナー高橋典夫氏などから、手ひどいいじめを受けているので、

 こうなると裏に政治があると、見えてきます。

 藤沢の摺り師ですが、一枚、千円ぐらいで、柄沢作品を摺っている可能性を感じます。柄沢斉が、平均、50枚の版画を画商に、一枚一万円で、持ち込む(いや、実際には、画商が、彼の家に、取りに来るのでしょうが)として、その10分の一を摺り師に渡す可能性は、大いにあります。もし、摺った分が全部売れると、見込めば、摺り師に、一枚2000円を払っても大丈夫ですね。柄沢斉が、制版と言って、木口の、面(硬い)材木を彫る時間が何時間かかるのかは知りません。だけど、月に三種類彫ったと仮定して、或る版については、「出来がすごく良いです。二万円で、引き取ります」と、画商が言ったと仮定します。すると月に、200万円の収入となります。

 そのほか、雑誌の挿絵等に、使われたり、ポスターに使われたりするケースもあるので、月収、300万円と仮定しましょう。ほら、有名人って、そういう収入がある人なのです。

 摺り師側にとっては、50枚を、一枚千円で、引き受ければ、5万円であり、一枚二千円で、引き受ければ、十万円となります。摺りに必要な時間ですが、一種類五時間だと、推察します。で、一時間につき、一万円か二万円となります。それとは別に版画教室の運営等で、儲けて生きているというわけです。

 私の電話はアトリエと言えども盗聴をされていたでしょう。で、藤沢の摺り師に、お願いをしますと、言ったのも、CIA連中に通じていて、酒井忠康氏から、柄沢斉氏に連絡が入り、柄沢斉氏が、藤沢の摺り師に、「彼女を軽蔑してもよいのだ」という内容の讒言を告げた可能性があります。

 さて、お金にまつわる汚い話なので、藤沢の摺り師の名前は、忘れたままにしておきます。しかし、尾崎正志さんのいじめは、お金に関係がありません。

 もちろん、こちらにも裏があると、思いますよ。尾崎さんがだれの讒言を入れて、ああいう態度をとっていたのかは知りません。だけど、新横浜の版画工房(新横浜駅から徒歩10分以内だった)から、横浜市鶴見区駒岡(こまがおかと読む)に引っ越したのは、ちょっと、レベルが下がったと、見ますよ。やはり、・・・・・川崎千恵子をいじめたら、災いが起きますよ。事業主(=会社社長)なら、その会社の経営は、利益が下がる筈・・・・・の典型ですね。

 ところで、尾崎さんの、笑うべき姿は、三度見ています。だが、一度目が、最も強烈なので、それをまず書きましょう。当時のOMには、女性事務員が二人いて、後、男性社員が、合計3人か、4人いました。一番偉い立場の人は芸大卒で、3階で、版画を摺っているプロ、または、セミプロ、または、始めたばかりの人たちのお世話をしていました。その人には、問題はありません。

 で、二階に画廊と、事務室がありました。私は始めたばかりで、版画材料の専門店の存在を知りません。で、OMの事務室で、版画材料を買っていました。

 二人の女性スタッフが居ました。一人は美大卒、または、美大在学中のアルバイトかな?と、いう感じで、ツーと言えばカーという感じで、物事の理解がまともです。ところが、お顔のかわいい、もう一人の女性がてんでえ、だめなのです。

:::::::ここで、挿入ですが、彼女が、尾崎さんの命令で、わざと仕事ができない様に、商品を売ってくれなかった可能性すら感じるほど、ちんぷんかんぷんな対応でした。:::::::

 で、これは、1998年の初夏の事で、まだ、CIAの存在など、感じていませんから、上の:::::罫線内のことなどは、思いもよらず、

 どうして、この人は、これほど物が判らないのだろうと、思って、私は彼女を叱ったのだと、思います。すると、それが、尾崎さんに通じたらしくて、ある雨の日にとんでもない形で、私より、彼女の方を大切にする尾崎さんに出くわすのでした。

 ところで、そのえぴどーどに入る前に、その若いお嬢さんが、どういう風に応用能力が無いかを語っておきたいです。

 皆さんは、銅板画というと何を思い浮かべられますか? 浜口陽三のさくらんぼ?の連作ですか? あれも、メゾチント手法という、ちょっと特殊な銅板画です。それでも、使う銅板は、薄くてよいのです。私は薄い銅板を買ったことが無いので、今文房堂のホーム頁を開けて、薄い銅板の、仕様をチェックしました。

 すると、0.3mm、0.5mm、0.8mm とあります。最後のものがメゾチント用と書いてあります。しかし、私が欲しいのは、1.2㎜です。日本ですと、そうで、海外だと、1.6㎜を使用します。

 ところで、とても性格の良い画家である上條陽子さんがある日、私に向かって、『版画って、いやよ。だって、面倒くさいんだもの」って、おっしゃったのね。まず、そうですか?というしかないのですが、確かに油絵を描くよりは、ずっと、面倒くさいし、制作ちゅうに慎重であることが要求されるし、各種の知識も必要です。日本画も、油絵に比較をすると面倒くさいです。しかし、版画の準備の必要性とか、各種段階の複雑さを思えば、日本画の方が楽よねと、言う風な次第です。

 ところで、そのお顔のかわいいお嬢さんですが、版画そのものを愛していないのです。唯通り一遍の、OLでしかないのです。で、通り一遍の仕事で終わらせたいのですが、それでも、版画工房だから、銅板画とは別にリトグラフ用の道具や、インクをそろえて売る必要もあるし、シルクスクリーン用の道具や、インクをそろえておく必要もあるしで、事務員だって、大変たくさん覚える項目があるのです。でね、通り一遍だから、新しい知識を入れようとしません。で、ヘイター方式というのは厚い銅板が必要だと言う知識がありません。

 で、彼女の頭の中には、『うちには、ちゃんと、0.8mmの上等な銅板を置いてあるのよ。それを使えばいいじゃあない。なんで川崎さんは、別のものを欲しがるの? 0.8㎜だと、へなへなと、曲がりやすいから嫌なの❓ それって、ただ、扱い方が乱暴だと、言うわけでしょう。わがまま、言わないで頂戴』と、言う風な思い込みが渦巻いているのでしょうね。だから、いくら頼んでも、買ってくれません。

 今の私だったら、どこに電話をかければ、二日目には、それが手に入るのだと、言う知識があります。しかし、24年前の1998年初夏には、まだ、それが無くて、頼ることが出来るのは、版画工房しかないのに、スタッフが全然動いてくれません。もう、本当にいらいらしました。が、もう一人いるスタッフが詰めている日にやっと、動いてくれて、手に入れることが出来ました。注文を出してから、10日目ぐらいだったと思います。

 その後、驚くべき復讐を二人から受けました。彼女と尾崎さんの二人からです。

 それは雨の日でした。個人のお客は、三階で、仕事をしているわけですが、その部屋には窓がありません。べニア板で、周囲を囲まれています。だから、外の景色も見えないし、外の音も聞こえません。で、午後五時ごろ、一階に降りていくと、玄関で、雨が降っているのに、出くわしました。で、私は、もう一回、二階に戻って、事務室で、「置き笠はありますか、貸してください」と、言いました。

 私って、CIAや、その手下としての警察に脅かされる前までは、ひとから、意地悪をされたことがあまりないので、ひとを性善説で、考えており、例のスタッフがむくれて復讐をしてくるなど、思いもよらなくて、『自分は、ここで、お金を払っているお客だし、こんな大きな組織で、お客さんは、過去も入れれば、50人を超すでしょう。当然、置き傘はある筈よね』と思って、居たのです。しかし、ふくれっ面の彼女に、「傘は、ありません」と言われて、そのふくれっ面ゆえに、一種の復讐をしているのだと、判って、もう、びっくりしました。しかし、「絶対にいじめます」という風情なので、「だめだ。貸してはもらえない」と、覚悟をして、エレベーターのない建物を一階まで、また、とことこ、階段を下りて行ったのです。

 さて、玄関で思案投げ首です。どうしようかなあ?と、考えていると、後ろから、靴音が聞こえました。しかも、とても誇示的にどたどたと、踏み鳴らす感じです。驚いて振り返ると、尾崎さんと、さっきの、かわいい顔のお嬢さんが、一本のビニール傘の柄を両側から持って、相合傘という形で、降りてきたのです。

 ものすごく驚きました。尾崎さんに対してです。私は顧客であり、彼女は、使用人です。どうして、使用人の方をお客より上に置くのですか? と思ってね。

 でも、その時に、国語、特に古文で出て来る『寝屋の語らいすまじき物』と、言う文言をしっかりと思い出しました。それは、「女の人がベッドの中で、相手に向かって、願い事をするのは、やめないといけない」という文脈で出てくる言葉で、男性が、国をつかさどる立場にある際に使われます。女の願いを聞いているうちに、政治が、ごちゃごちゃになって国が亡びる場合、その女性を傾城の美女と呼びます。

 尾崎さんは、社長です。車も当然、持って居るでしょう。で、車で、彼女を送って行けばよいではないですか? ちょっと、けた外れの可愛いがりぶりでした。ただし、社長の器ではないなあと、私は、思っただけです。

 しかし、その数年後(または、、数か月後、パソコンが、40台も壊されているので、正確な年度が判らないが)尾崎さんが、またもや、私を意識して、今度は「作家としての、お前を、僕は、絶対に、上にたてては、やらねえんだぞ」と言う意思を示す場面に遭遇します。

 あれは、年末の事でした。二階にスタッフや、尾崎さんの子供や奥さんが全員集まって、大掃除をしていました。大変にぎやかな場面です。奥さんは背が高くて、筋肉質な女性です。お子さん方は、海外で、学んでいると、誰かが言っていました。つまり、尾崎さんが大変裕福だった時代です。横浜駅至近の高層ビルにも、一区画を、オフィス用(または、他の用事のために?)に彼が、買っている時代でした。そして、例のかわいこちゃんは、その大掃除の日には、ぶすっとしたふくれっ面でした。

 私が、その日、出かけて行ったのは、個展の招待状が来たからです。主役は、国画会の所属者でもなくて、知らない人でした。だから、その招待状は、尾崎さんが出したものだと、判りました。その日個展をしている作家は、眉目秀麗な、30代の男性で、尾崎さんが、有名作家として、売り出そうとしているらしい、リトグラフ(昔は、石版画と言った。今は、石を使わないで制作するが?)の作家でした。

 その後、シロタ画廊の、事務室で、尾崎さんが、シロタさんに対して、熱弁をふるって、この作家を売り込んでいる場面にでくわしました。しかし、その日以降に、この作家が、シロタで、個展をした可能性が無いのです。

 当時の私は、ほぼ毎週、銀座京橋を画廊巡りをしていて、シロタ画廊も抜かしたことはありません。でも、シロタで、この作家の個展を見たことはないし、この作家が、リーウーハン級の有名人になったとも聞いて居ません。

 私は、2010年以降、銀座京橋界隈で、最も頭の良い人として、シロタさんを上げています。その根拠が、五つあるとすれば、この尾崎さんを体よくあしらっていた場面も、その一つです。自信満々な男である尾崎正士を軽蔑しない形で、帰宅をさせながら、絶対に、その審美眼を、シロタ画廊の中には、いれない人でした。かっこいいです。かっこいいです。

 だって、その作家って、大掃除をしている喧騒の中で、B全般のコピー紙(画廊で、売る方は、上等な紙に摺ったリトで、彼が描いているのは、原画だから、安い紙)に、墨汁で、しかも、ホームセンターで、売っている様な、刷毛で、書いて居るわけです。お茶ら気、切った、作画です。芸術への冒涜だと、思われる姿勢でした。でも、その青年が当たってね、一枚が、30万円で売れる様になったら、尾崎さんは、左うちわになります。だって、制版も、摺りも、非常に簡単であろうなあと、思う様な、単純な、曲線だけの形象ですから。幅が、15㎝ぐらいの曲線でしたが・・・・・・

 私はね。本日は外部からの侵略で、体に痛みを覚えることを書こうと思っていたのですが、すでに、午前五時なので、ここで終わっておきます。私は、こういういじめによって、ブログの種を拾い、そして、文章の創作によってアドレナリンがぴっぴと出てくるわけです。だから、いじめられても、いじめた方が思うほどの、効果は出ていないのですよ。あ、は、は。

 2022年11月8=9にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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割られたガラス

2022-11-05 16:05:52 | 政治

副題1,

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松尾崇市長、伊藤玄二郎、松田平田設計(横浜+本店)、鶴屋町、安田財閥、シントラビル、鮎川義介、武部聡志、カルディッロ、山中竹春市長

2022-11-05 12:50:28 | 政治

 22-11-7に総タイトルを変更します。今回の章は、相当大きな広がりと、時空を含めていますが、総タイトルが、悪かったらしいので、読者数が少なったのです。しかし、私に報告をされている数は、2012年の時点で、710万回以上のPVを誇っていたのに、急に32万回に落とされ様に、嘘が含まれていて、重大なことを書いた日こそ、読者数が少ないと言われている可能性もあるのです。しかし、ともかくの事として、中身に沿った内容に、変更いたします。

副題 Ą)、『初稿を書いた次の日に入れる、一種の結論・・・・・初稿で、取り上げた異様なサイレン音は、私狙いであることが確かだと、言う結論を、次の日のトップに入れたい』

 昨日(=2022年11月5日、午前10時に、鎌倉市の、旧市街(山の中)の北部で、鳴り響いた、異様なサイレン音は、私狙いであることは確かです。というのも、山の中の旧市街=鎌倉殿の13人の時代には、そこしか、住民が居なかった場所=では、三か所で、鳴るものなのです。雪の下が、一番音量が大きいです。その次に、東・二階堂にあるもの、その次に、長谷にあるものと、連続して、鳴らされます。

 私は、女性スタッフの声で「防災無線です」という大音響が響いた瞬間に、それが、私狙いの脅かしだと、判っていたので、良く聞こえる場所に移動をして、三か所目の長谷では、鎌倉市が、それを、放送をしなかったのを、確認しています。彼ら=伊藤玄二郎とか鎌倉警察署生活安全課の課長、または、この山の住民山田さんが、計画していることは、瞬時に裏が判るので、注意深く、それを聞いて、確認してあります。

 内心で、苦笑をしながら、園芸の仕事をしていたのです。心の中で、「ほら、又、前田清子さんとか、安野智紗夫人が動いていますね。彼らの力を借りる限り、松尾崇・鎌倉市長(その裏にいるのが、伊藤玄二郎ですが)も、バカ丸出しですね」と、内心で、おお笑いいながら、引き続き、12時半まで園芸の仕事を続けていました。

 *ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*

 我が家にいると、その三つは、何時も聞こえます。だけど、5日の10時5分以降は、二か所からしか聞こえませんでした。私狙いだから、我が家の真下だけで、発生させればいいのですが、それでは、また、裏を見破られて、あの、ブログに真相を書かれてしまうだろうと、見て、二か所=二階堂までは、放送をしたのです。鎌倉市役所名義でね。それ以外のところ、例えば、JR横須賀線でいうと、北鎌倉駅周辺(台、今泉台)、大船駅周辺(大船、岡本、植木)、モノレールの各駅周辺(西鎌倉、深田、他)江ノ電周辺(七里ガ浜、または、鎌倉高校前駅以西)には、放送がなされなかったはずです。

 ただし、これも、伊藤玄二郎の発案なので、夜のNHKニュースで、は、なんとか、防災訓練が、国家事業として行われたと、発表をされました。北朝鮮のミサイルと、関連しているそうです。ここで、岸田総理大臣に入っていきたいのですが、それは、後回しにして、どうして、私狙いだったかを、鎌倉在住の人、及び、鎌倉に住んではいない人のために、語り始めたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題B、『今、伊藤玄二郎は、ビビりまくっている。彼を通じて、異様ないじめ策を、地下工作者として、発案提言をしている、井上ひさしも、ひそかに、ビビっている。ただし、彼の方は、公的には、2010年4月9日に大宣伝の上、死んだことにしているので、「あいつ=わたくしの事、雨宮舜=以外には、真相が、判る筈もない。書けよ。お前が、おかしい人間だと、読者は思うから、こっちは無事だ」と、考えており、伊藤玄二郎よりは、ずっと、楽な気分で生きているはずです。反対に、伊藤玄二郎の方は、より強く神経を病んでいるでしょう。

 その理由は、ブログで、 自分に非常に近い人たちに、私が、触れ始め、伊藤玄二郎との関係を、しっかりと、外部へ知らせ始めているからです。

・・・・カメダタカコさん=15歳から知り合った平沼高校での彼よりは、一年先輩にあたる名家のお嬢様(後注1)・・・・に触れられたり

 川名昭宣(河出書房で、同僚だった、時期がある。彼の方が、川名君に、びょんぶと、言う豪華本の編集を300万円で、お願いした関係にあるはずだ。尚、川名君は、後藤健二にも関係があるはずだが、ICUの同期入学生として、私にも大きな関係がある)について触れられたり、(後注2)

 武部聡志・・・・・たぶん、鎌倉在住であり、私が本を作り始めた、2002年以降、特に、美麗極まりない、【電車の中で】とか、銀座の画廊街のエピソードを集積した【伝説のプレス】を、世に送り出した(ただし、書店で売ったわけではなくて、ほとんどが献呈だが)

 頃から、八幡宮のスピーカーを使って、異様な音・・・・・それが、2022年11月5日、午前10時から、鎌倉市名義で、放送された、音と同じものなのですが、・・・・・流鏑馬まつりの日に、午前九時から放送させる・・・・・っそれは、合計で、20階以上繰り返された異様な音で、この頃、八幡宮様って、うるさいわね‥‥と、市民が考えている音です。それは、春秋の催しですが、夏には、音楽会があって、そこでも、午前九時から、異様な、音源を使って、「マイクの試験中です」という放送が、10回以上繰り返されたのでした。

 その異様な音ですが、音源をシンセサイザーのミキシングで、作ったのが武部聡志でした。それがはっきりと分かった日があるのです。そう言う形で、貢献をしている、友人関係にある筈で、それで、この章を書かれることを、伊藤玄二郎は、痛いと考えているはずで、5日か、6日前にネットで、武部聡志の画像を拾ったときから、このブログで、彼が取り上げられることを予測して、ずっと、嫌がっていた筈です。

 しかし、私の方は、妹を殺され、実家の法事にも出られない(出ようと思えば、出席できますが、その留守を狙って、また、激しい泥棒被害はあるだろうし、宗興寺のお坊さんは、また、喝を入れない、手抜き法事をするはずだからです。そして、出ない方が、ありとあらゆるテーマで、真実を、このブログで、書くことが出来るからでした)

 二つ目の、彼がビビりまくる、理由は、反町のアパートに異様な、弾圧(いじめ、工作)が、数々、行われていると言う事を、私は、9月9日以来、または、生活保護問題が起きた、2月8日以来、気が付いているのですが、

 さらに、大きな進展が、この11月3日にあったのです。それは、スマホのgps機能を通じたり、尾行の機能を通じたり、スマホの盗聴機能を通じたりして、伊藤玄二郎には、直々に入っているでしょうし、そこから、松尾崇・鎌倉市長、及び、山中竹春・横浜市長、及び、桜田門の警察庁本部を守る必要を感じた、彼を含む連中が、動いて、あの5日、午前10時の鎌倉市の放送、及び、10時5分の異様な、サイレン、又、午前11時の、鶴岡八幡宮の異様な長い太鼓うち(ただし、これは、警察が、軽トラに乗せた大太鼓を打っている可能性もあるのだが)・・・・・が発生したのでした。しかし、その因果関係が瞬間的にわかる私は、ほら、ほら、又バカ連中が、幼稚なことをやっていることと、思って、大笑いをしていたのです。本当に頭の中が幼稚です。桜田門が、考えだしたとしてもです。桜田門の長官も、これまた、・・・・・安野智紗夫人と仲良しで、ばか化したという典型となる・・・・・のでした。

 この11月3日、3時半ごろ、神奈川警察署(これは、横浜市の神奈川区だけを管轄している、一つの地方警察署であり、神奈川県警本部の事ではない)に、電話をかけて、居ます。その返事が、スマホにあるはずですが、6日の午前10時半現在、54時間が過ぎているのに、来ていない模様です。一般事例=駐車違反=に関する、単純な質問なので、3日の、午後4時には、来ていないといけないのです。それが来ていないというだけで、悪事の、真相がわかるというものですが・・・・・つまり、はっきり言うと、このサイレン事件も、桜田門と関係があり、さらに、言えば、反町の弾圧も桜田門と関係があり、だから、一地方警察署の、警官は、約束したご返事を、私に対して、通話してこなかったのです。

 次の探索事項として、私は、午後4時半過ぎに、横浜市 神奈川区 鶴屋町二丁目、21~26番地を歩いていました。

すると、驚くべきことに、この11月4日まで、ちゃんと存在していることになっていた、某企業の、横浜支店が、消えていたのでした。

すでに、5,6年前に消えているそうです。ある時期まで、借りていたそうですが、すでに、退去しているそうです。それは、安田第三ビル8階にある筈でした。でも、見つからないので、困惑のみぎりだったら、安田不動産株式会社のスタッフに、「もう、居ません」と教えてもらったのです。それは、3日の午後五時半ごろの事で、次の日4日、金曜日に虎ノ門にある本社にでんわをかけてみると「本日は終日社員研修をしているので、電話に対応をできませんですって。その女性の対応で、ますます、裏側に悪が隠れていることが、立証できました。

 ところが、もっと驚いたことに、その探索過程で、お隣の白井達雄さんが、横浜支店長をしている、(その上、重役でもある)株式会社松田平田設計を見つけてしまったのです。第四安田ビルの八階に在ります。これは、後々、私にとって、大いなる助けとなるでしょう。

 これは、京アニ放火があったころには、別のビルで、駅に近いところに存在していた筈です。そちらのビルの入り口で、ビルのテナントとしての、存在を、確かめたことがあります。でも、転居していたのでした。笑っちゃうほど、神様は、お恵みくださるのです。前のビルは、壊されて駐車場になっているのかな?

 ここでスピンオフに入ります。現在80歳の私にとって、安田財閥というのは、親しい名前です。自分がそこに関係したわけではないが、両親の日常会話には、よく出てきた固有名詞です。日産自動車、富士銀行、火災保険の会社等、大々、企業グループをまとめていた筈で、

 鮎川義介という人が、トップだった筈です。どうして我が家の会話に、氏が、頻繁に、登場していたかというと、長州藩士だからです。私の父も長州藩士(上級士族)だから、鮎川義介は、とても、親しい名前だったのでした。もう、本当に久しぶりに、安田財閥の、遺産を横浜鶴屋町で、見つけたので、それは、ラッキーでしたね。

 で、ここで、スピンオフに入ります。安田財閥を出発点にしているだろう、yasuda estate を調べて居たら、Shin-Tra YASUDA bldg. 

という物件を最近、建設した模様です。そして、そのビルの設計管理が、これまた松田平田設計事務所だそうです。と言う事は、もしかすると、白井達雄さんは、東京本社に、転勤になっているのかもしれませんね。

 しかし、私の、11月4日の行動こそ、伊藤玄二郎発、松尾崇・鎌倉市長、及び、山中竹春・横浜市長、及び、各警察署(もしかすると桜田門まで、遡上するが)が、秘密の隠し事として、行っている悪事の数々を、私が、すでに、見破っていると言う事を、

 私が判ったと言う事を、彼らも、また、判ったから、5日、鎌倉市名義で、脅かし用、大音響サイレンを発したのでした。

 そして、私が、この真相を、まだ書いて居なかったので、・・・・・ほら、ほら、最近の彼らのお気に入りで、ご長男を、推薦で、東大へ、入れてもらった平木伸明家で・・・・・、二階の、天井灯を、二部屋つけて、脅かしていたのです。本当に幼稚極まりない脅かしが、成功したと考えて、さらに、いじめてやれっと、攻撃をしてくるのでした。二かいに用事があればいいのですよ。そうだったら、人目につかない様に、カーテンは閉めるでしょう。誰もいないのに、わざと開けています。彼は、このブログを読んでいませんね。誰か、特に安野家か、前田家の命令通り動いているのでしょう。

 そして、将来だけではなく、現在もペンキ塗りとか屋根補修、又、奥さんが、鎌倉市に雇ってもらっている(だけど、午前10時から、午後四時までという特権的待遇です。たぶん、松尾崇市長の、そばで、働いていると、推察しています。市長室は、広いスペースですが、外部からは、厚い木製の壁をもって、遮断をされているので、特別待遇を受けていることは外部の人からは見えません。し。。。。。。

 この後、岸田総理大臣とかに入っていきたいのですが、主人が「早く外出しなさい」と、命令しているので、ここで、終わりとさせてくださいませ。最近、本当に忙しいのです。

 という前置きを、6日の午前中に入れて、5日に描いた、部分に戻ります。

後注1,

トラス英元首相の辞任について私見 + あれっ、横浜切っての、超お嬢様、カメの写真が見つかったぞ。  2022-10-22 03:55:41 | 政治

後注2,

音便の減少に不満がある私。特に実朝暗殺者を、コウギョウと発音させる事へ大疑問あり。川名昭宣・伊藤玄二郎・井上ひさします    2022-10-27 13:09:55 | 政治

  *ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*

 なお、ここで、署名を入れておきます。川名君と龜田さんの実名を書いて居るからです。尚、タカコさんの方は、結婚されたので、今は、苗字は、異なりますが・・・・・   雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

  *ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*

副題1、『本日のブログは、22-11-5の午前10時に、旧市街、北部部分に鳴り響いた、鎌倉市の発生させた、異様なサイレン音から、書くことを始めたい』

~~~~~~~~~~~~~~~~
  このブログは、最近、冒頭に写真を置くことにしています。本日は、鶴岡八幡宮の、流鏑馬道に入らせない様にしている、幕を置きます。この日(=2018年秋の流鏑馬)では、正門(三の鳥居)からも、観光客は入れず、他の入り口(=今、鎌倉殿の13人館と名前を変えた旧美術館本館、入り口からも入れず、

 観光客は、大回りをさせられたのです。結構暑い日でした。ガードレールもなく、車と接触しそうになる危険な道を、歩いて、流鏑馬を見ようとする人と、結局は、落ち着いて流鏑馬を見られなかった人が、早めに帰ろうとする、お客が交差して、非常に歩きにくい道です。しかも、彼らの、右側には、側溝(深さ1.2m、幅1.2mぐらいがあり、塀とか、境目の突起が無いのですよ。吉田茂穂宮司様は、何を考えて、こういう恐ろしい措置をおとりになったのでしょうか?

 こういうことが起きたのは、私が武部聡志の悪について書いたから、伊藤玄二郎達が、だれかを間に入れたのか、それとも自分たちが、直接ぐうじ様にめいれいをしたからかは、知りませんが、ともかく、彼らは、愛情とか親切心とかは、全くないのです。ただ、自分たちの悪行が、私の暴かれるのが怖いので、一般人に、苦しみを与える形で、私を脅かしてきます。
 そういう中で角野栄子さんは、15年ぐらい前に、新橋駅で、わたくしを恐ろしいレベルで、いじめたことで、莫大な名誉とお金を得ている方です。
 この10月31日だったか、群馬県のブラジル村を、彼女が、真っ赤なプリントのワンピースを着て訪問をされています。非常にきれいですよ。87歳とは、とても思えない、しわ一つないお顔です。色白でね。ハーフだから、とくに色白でね。
 ともかく、この章では、武部聡志が、重要です。これから先、武部聡志についての、説明に入ります。

27位:武部聡志

プロフィール

プロフィール

生誕1957年2月12日
出身地東京都
学歴国立音楽大学
主なプロデュース
ビーチボーイズ ORIGINAL SOUNDTRACK
西遊記
明石家さんま
ASKA

日本の有名音楽プロデューサー30傑の中の一人、27位の武部聡志の画像です。これは、どうも、yahooが、提供する画像らしくて、著作権請求マークがありません。

 まあ、著作権を請求されたら、それが妥当なお値段だったら、お支払いをいたします。そして、その請求者から、武部聡志の連絡先を教えてもらいましょう。

 どうして、こういう事をするかというと、本日の午前10時5分に、見事に、過去、武部聡志が行って来た悪を擁護するための異様なサイレン音を鎌倉市が、防災無線から、発生をさせたからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 その結果、伊藤玄二郎、+、まだ実際には生きている井上ひさし、鎌倉市長・松尾崇氏、ご近所の、前田清子さん、安野智紗夫人、鶴岡八幡宮のしかるべき、担当者(もしかすると、本日も、龍村さんでしたか?)そして、鎌倉警察署の、生活安全課の課長の事を、なんと、お馬鹿さんな人たちだろうと、相変わらずの、失笑をしている次第です。

 結局、ここに名前を挙げた人たちは、すべて、安野智紗夫人が、過去、36年間、行って来た悪を糊塗するために動いている人たちなので、ここにも、・・・・・彼女と仲良くすると、ばか化する・・・・・と、言う典型例が見られるのです。それで、失笑をしている次第です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『武部聡志が、過去何をやって来たかと、私なりに語りたい』

 *1)、一青窈を、売り出したと、聞いています。鎌倉に住んでいるのか? 祖母が、お茶大付属高校卒で、ご本人は、ICU卒の吉野直子さん(ハープ奏者)も、自分の方へ取り込んでいます。

 *2)、素朴な形であった鶴岡八幡宮の夏の演芸祭を、とんでもない形の商業主義へ持っていったのが、誰かはわからないが、そのプロデューサーを引き受けていたのが、武部聡志らしい。

 私は、45台ぐらいパソコンを壊されているので、メディアに取り上げられるほどの大事件に関連したものではないと、リンク先を、見つけるのが困難になる。

 でも、かろうじて発見した文章によれば、それ=鶴舞音楽祭=は、2016年に第一回が催された。そして、急に入場が困難になった。

 ・・・・・ただ、我が家からは、音で、その音楽祭の、すべてが判ってくるが?!?!? それほど、舞殿に近いところに住んでいる。八幡宮様とは、地境地主となっている。ただし、駐車場とのお隣さんであり、高低差はあるが・・・・・

 もっとも、著名な出演者は、平原綾香だった。その平原綾香に、次の年(=2017年)に、私が、20年来、愛唱歌として、大切にしてきた【カタリ=カルディルロ作曲】を、【ジュピター】風に、彼女の声域に合わせて、転調をさせ、日本語の歌詞をつけて、少し崩して歌わせたが、全くヒットしなかった。

 伊藤玄二郎達は、私がそれ以降、パーティで、カタリを歌う時に、聞いている人が、『平原綾香の歌を、あの人、歌っているけれど、あの人(=川崎千恵子)の方が下手ね』と、思わせることが狙いだったと、思う。私は平原綾香より、より高音な原調で歌うし、歌い方が、彼女のように崩さないで、テノール歌手のように歌うので、全く別物となるのだけれど、テレビなどのメディアを使って、大量に流される平原綾香の、【カタリ】が、もし、ヒットしてしまったら、すでに、30年以上にわたって、愛唱歌として、歌って来た持ち歌の一つを、使えなくなる。

::::::::6日の夜の11時になってから、カタリについて調べました。これは、別名というか、正式なタイトルを、‘Core ‘ngrato’,(コーレンオグラート=つれない心)と、呼ばれますが、冒頭に、カタリ、カタリと、切なく呼びかけるところがあって、それで、つい、皆さんが、カタリと、呼ぶようになったのでしょう。作者のカルディッロ(または、カルディーロ=salvatore Caldello )は、同時代の名テノールシャリアピンが、アメリカに来たときにこれをささげたそうでう。カルディッロは、ナポリで、生まれ、29歳の時にアメリカにわたって、映画音楽も作ったそうです。純粋なイタリア民謡ではなくて、少し歌曲の趣がある曲です。アメリカでは、ほぼ40年を過ごしています。イタリアでは、先輩たちが、活躍しすぎていたので、居場所がなかったのかもしれません。

 

 そういう悪意を持って、武部聡志は、平原綾香に【カタリ】を歌う様に勧めたのだと思う。しかし、ヒットしなかった。それで、ショッピングタウンなどの街中で、平原綾香の、カタリを聞くことは短期間で終わった。クラシック音楽を好きな人は、パヴァロッティの持ち歌として、元から知っている曲だが、一般の人の耳には残っていないと思う。神様は、ここでも、その存在をお証になった。

*3)、武部聡志が、三つ目の事として行った悪とは、海老蔵の、源氏物語に、ルネッサンス期の音楽を入れ込めることだった。その前に、じゃぱんオルフェオ(日本イタリア修好150年記念オペラ)で、使われた曲だった。

 そのために源氏物語が、演劇として体をなさなかった。こんなことをしていて、・・・・・特に武部聡志が、かかわる・・・・・と、歌舞伎界はだめになると思ったが、その2022年この秋に、それが、証明され始めている。

 海老蔵の切符が売れなくなったと、ネットで、記事が出ていた。菊之助も切符が売れないそうだが、猿之助が売れますか? 勘九郎と七之助だと、売れますか? 歌舞伎座支配人は、トイレの中に、受動喫煙防止マークを張ったころから、『ああ、衰退に向かいますよ』と思ったが、伊藤玄二郎と、井上ひさしを大切にして、私を貶めている限り、大きな衰退に向かうと思う。私は海老蔵のファンではない。海老蔵の、秀明発表は早すぎると思っていた。コロナ禍で、伸びたので、それは、彼と、カンゲン(今度、新之介になる)にとっては、時間稼ぎになった。しかし、ネット記事に書いてある、海老蔵の、女性関係が原因で、銀座のマダムたちが、切符に手を出さなくなったと、言うのは、100%の真実ではないと、思う。

 歌舞伎界が、悪い方向で、鎌倉からの支持を受けて、それを守っている限り、衰退に向かう筈だから。

 ただ、これは、本筋とは関係が無いが、切符を売ろうとする人たちが、坊ちゃんを表にたてて、売っていると、聞いた。確かにカンゲン君は凄い。彼に驚かされた、ブログが、見つかったので、そのリンク先をここに置きたい。

大・大・大スター誕生の瞬間を目撃して、涙が、8分間も止まらなかった。堀越かんげん君、お見事!   2019-07-04 18:40:06 | 歌舞伎

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*4)、

 その前にアッと驚くことがあった。ジャパンオルフェオは、土曜日と日曜日公演の筈だったが、その二日前に、例の異様なサイレン音(今朝=2022年11月5日)の午前10時、鎌倉旧市街地、西から雪の下、小町、西御門、二階に、響き渡ったのと、同じ音が、武部聡志によって、発生をさせられていることを知った日の事だ。

 それを発見した日の詳細が、本日、偶然にも見つかったので、蛇足1として、巻末に置きたい。

 その異様な音は、シンセサイザーのミキシングで、生まれるのだった。武部聡志は、得意気に、その機械の、突起ボタンを、ぴゅーぴゅーと左右に動かして、ジャパンオルフェオの、舞台が、50時間後に始まるのにもかかわらず、その異様にして、迷惑音でしかないものを、「マイクの試験中です」という言葉とともに、雪の下と、小町、西御門一帯に、大音響で、ばらまいていたのだった。

 その時に、私は、この音が、流鏑馬の日に朝九時から流される、迷惑音と同じものだと、気が付いた。流鏑馬は、音楽と関係が無いので、武部聡志が、作った音源を、鶴岡八幡宮様が、神宮内スピーカーで流すのか、警察が、軽トラに乗せた、スピーカーで、流すのかは知らないが、

 音源は、武部聡志の物だった。それで、流鏑馬の、被の朝に、大音響で流される、「マイクの試験ちゅう」という音が、一人で、本(印刷機にかける直前のデータまで)を作ると言う、人間としての限界を超える、仕事をしている、私の邪魔をするために、鶴岡八幡宮を発生源として、流される、異様なぷわーんぷわーんという音源を発生させているのが、

 ミキシングを新しく、行う機械操作は、音楽会だけの日かもしれないが、流鏑馬の、日のご近所迷惑でしかない、あの大音響を出す人間が、武部聡志に、収斂した、伊藤玄二郎と、いまだ、生きている井上ひさしの悪であることを確信し、それを、

 書いたのです。すると、反省するのではなくて、さらに攻撃する方向で、出てきたのですが、何の罪もない、観光客に、ひどい負担をかけて、彼らがやっと、境内に入ると、今度は止まるな歩けと言って、別の道を通って、三の鳥居から出るように責め立てて、流鏑馬を落ち着いて、見ることは一切できなかったのでした。

 罪もない観客が、それほどに、苦労をした、2018年秋の流鏑馬は、すべて、武部聡志に、原因があるのですが、彼は、また、後ろに、鎌倉の地縁で伊藤玄二郎の、教唆命令があるので、そう動いているのでしょうし、

 もう一つ、麻布高校出身で、このブログの主要な登場人物の一人であ、武部から見れば、15歳年上の、石塚雅彦さんの命令で、動いている可能性もあるのでした。それが、(蛇足2)の部分です。

 ミステリーを解くわけなので、ありと、あらゆる可能性を考えて、論を張っておきます。

 

(蛇足ーーーー1)

 武部聡と、ジャパンオルフェオ

 

副題4、『犬も歩けば棒にあたるという。その日山の下へ降りていって、音源に接したことは、非常に良いことだった。ミキシング装置を扱っているのが浅黄色の袴の神官ではないことをも知ったし、

 何よりも、その音源をつかさどる人間の、悪意に満ちた表情と、私の、言う事を一切聞かない態度から、類推して、彼が、武部聡志本人だと、確信をしたし、

 その、他人からの常識いっぱいの、質問に、応じない態度とか、いう事を聞かない、態度というのは、その一年半後に示された石春産業の、工事人たちの態度と、通底するので、裏で、伊藤玄二郎が、控えていて、あれこれを、命令教唆していることは明々白々だったし・・・・・・』

 ともかく、音源は、おお石段の、下右側の、テント内にありました。そのテントが、武部側が持ち込んだものか、八幡宮様側が貸与したものかは、知りませんが、そこは、お正月などの、大きな行事のある時は、一種の出張社務所と、して設定がなされる場所で、神官が、一般の、お客たちに対応をするところです。ですから、鶴岡八幡宮様にとっては、枢要な場所の一つです。ぼんぼりまつりでも、県知事と、市長の雪洞がたつ場所です。

 そんな場所にミキさーしつがあるなんて私は,ひどく驚きました。歌舞伎座にしろ、宝塚劇場にしろ、シアターコクーンにしろ、ミキサー室なんて、お客さんの目には、触れない処にあるものです。私は事前には、社務所内の、一か所を、使わせてもらっているのだろうと、推察していたので、実情の差には、ひどく驚きました。

 最初は、NHKの中継車が、何台も来ていたので、そちらかと思って、そう質問をすると、違うと答えます。もし、NHKが、あれほどの、非常識な時間帯に、かつ、あれほどの、非常識な音量で、忌まわしい、ぷわーん、ぷわーんという音を流したのだと仮定をすると、私は質問攻めにしないといけませんし、このブログでも、その非常識さを、また、対応の傲慢ぶりを問題としないといけないのです。

 NHKとは、エリートの集団ですよ。しかし、その運営は、一応税金に等しい視聴料で、なされています。だから、お客様は、神様なので、もっと、丁寧にかつ紳士的に対応をしないといけないのです。

 しかし、驚くべき傲慢ぶりでした。信じがたい威張り様でした。で、二年後の、今では、あれは、武部聡志であり、それ以前に、行われた何回(11回を数えた)かの、鶴舞音楽祭において、鶴岡八幡宮様と、懇意になり、それをバックにして、私を軽蔑しきっているのだと、考えました。

 今では、それにプラスして、私が誰であるかを事前に、知っていたと、考えます。そして、私に関する悪口を石塚さんからか、または、伊藤玄二郎からか、聞いていると、推察しています。どういう話が出たのかは知りませんが、それを、うのみにして、私を虫けら以下に扱いました。彼が言う二は、気象状態とかで、音声が変わるので、二日前からチェックしているそうです。気圧や、湿度が問題なのだそうです。ただし、二日前だからこそ、当日とは、気象状態が、変わるので、別に試験放送をする必要はないと思いますけれどね。ただ、ただ、そういう答えを出す様に、命令をされていたのでしょう。それを聞いたときに、私はその案を出してのが、井上ひさしだったら

コメント
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