今は、6月30日の午後2時です。以下の文章ですが、天皇陛下と、レオスカラックス監督の映画『メルド(オムニバス映画、TOKYO中の第二部に当たる)』との関係性を明らかにする部分を残しています。そこはまだ書いておりません。また、各種のリンク先を探す仕事がまだ、終わっておりませんが、初稿としての、因果関係は書き終わりました。それで、総タイトルに、そのしるしとして恒例の□印をつけて置きます。どうかよろしく。
ところで、天皇・皇后両陛下と、この映画Tokyo( の第二部メルド)と、どう関係があるか、について、本日30日中には書けなかったので、総タイトルを変えました。。
これは、事実上、前報(後注1)の続きです。だが、この部分だけ抜き出して、一章とさせてくださいませ。オムニバス映画『TOKYO』の第二部、メルドが、如何に問題が大きいか。そして、それを指摘したことから、大きな被害が、私に降りかかって来ているかを、これから、書き表していきます。だから、これは、単なる、映画批評ではありません。グーブログの管理者が文化と言うジャンルに入れてくださっていたみたいですが、事実上政治モノです。
しかも、カラックス監督の映画の、脚本は井上ひさしが名前を伏せて書いたのではないかと、ここで、推察しています。それは、2007年ごろにできているはずなので、井上ひさしは、実際に生きていた時代です。ものすごく新しいお話しへ入っていっています。
副題1、『映画TOKYO(特に第二部が含まれている)のDVDは2012年まで見つからなかった』
副題2、『カラカイの極致で、日本が軍国主義国家だと、暗喩している悪意について・・・・・まず、主人公が知的障碍者であるという逃げについて』
副題3、『日経新聞のコラム、文化往来で、高名な映画批評家がこれを批判していたが・・・・・ほかは、みなカラックスの名声に目がくらんで、ほめまくっている。文化面も御用学者ばかりだ』
副題4、『問題点のひとつ、天皇制・批判の部分について・・・・・・・・・・糞人(メルド)が、菊のご紋章を食い散らす画像は、誰が発案をしたのかな?』
副題5、『何故、フランス人から、からかわれながら、天皇性を批判されないといけないのですか?・・・・・しかも、ご苦労を、ものともせず、沖縄のお出かけになり、対馬丸・記念館を訪問されているご高齢の、天皇・皇后両陛下を』
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副題1、『映画TOKYO(特に第二部が含まれている)のDVDは2012年まで見つからなかった』
ところで、その映画の第一部と第三部は、まったく問題が無いのです。むしろ文芸映画、または、実験映画として、すばらしい。だが、本日2014年6月30日にグーグル検索をしたところ、しっかりした、wikipedia は、存在するものの、2012年までは、DVDを案内する広告は見つかりませんでした。
ところで、第一部は、ミッシェル・ゴンドリー監督の制作であり、第三部は、ボン・ジュノ監督の制作であり、その関係国(=アメリカ、フランス、韓国)では、いまだに、完成版が、で回っているとすると、大問題をもたらすと、思われます。
レオスカラックス監督が制作した第二部を見た、外国人は、日本人が非常に好戦的な民族であり、敗戦後、65年が経つのに、いまだに、第二次大戦中の軍事国家のままであると、誤解をする可能性があるのです。
東京の地下下水道内に、いまだに戦車や、手榴弾が、保存をされているという設定ですから、参ってしまいます。しかも、カラックス監督は、確信犯として、この映画を作っています。そこが、悪意に満ちているのですが、どうして、そう言う風な悪意をこめて映画を作ったかと言うと、彼は、デュポンの、一族の生まれだそうですから、誰かから、教唆をされて、こう言う込み入った形の反日映画を作ったと思われます。
かれは、たった、2週間で、その映画を撮り上げ、映画のロケ地やスタジオ(芸大、北野教室、を使ったらしい)以外は、どこも見物することなく、さっとかえって行きました。
その帰国時に、『日本の方が親切なのには驚いたし、ありがとうと言いたい』と言い残して去っています。いや、こんな映画だったら、制作中に、激しい抵抗を受けると思っていたのでしょう。日本人の有名俳優としては、石橋蓮司、島田久作等が出ていますが、自分の出演シーン以外の脚本は渡されていなかったと思われます。
だから、スタッフ、キャストともに、抵抗しようにも抵抗ができないほど、全体像を知らされないまま、短時間で撮り上げられたと、推察されます。日本人俳優達は、主人公ではないので、全体で、3日ぐらい拘束されるだけだから、脚本も渡されていなかったでしょう。
そして、ツイートが、第一部と、第三部を含めて、五本しか、されていないし、フェイスブックのいいねも、全体を含めて、7本ですから、どうしようもないほど、無視され続ける映画なのですが、なぜ、秘匿されるかと言うと、その第二部メルドに、こめられた悪意が、すさまじいレベルで、深いから、さすがに、カラックス監督自身と、かラックス監督を使った、上部の人間達自身が『これは、まずかったかもしれない』と、思い至ったからでしょう。
映画『コーヴ』とか、映画『靖国』以上のレベルで、秘匿されています。それは、・・・・・日本国内では・・・・・と言う意味でです。悪意ある彼らが、これを海外で、上映したら、本当に目も当てられません。
数年間、短縮版(つまり、レオスカラックス監督が制作した第二部メルドを削除したものだろう)が1800円前後で、出回っていたのですが、今はそれも売っていないと言うことらしいです。
:::::::::::::::: ところで、私が書く事は、必ず、公的に否定をされていくので、もし、否定をされているといけないと思って、グーグル検索をあっちこっち、別方向からやってみたところ、事実上完成版が出回っている事が解りました。・・・・・しかし、2010年から、12年までは、神経質なほど、秘匿をされていたのです。今はほとぼりが冷めたということか、私が、この問題を書いた『消された映画』と言う本を、準備中ですが、実際には5年間も寝かせていて、公刊していないので、すっかり安心したということかな?
でね、いまでは、U-NEXT と言うところでただで見られたり、DVD版がてに入るみたいです。タダシ、問題の場面が削除されている可能性もありますが::::::::::
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副題2、『カラカイの極致で、日本が軍国主義国家だと、暗喩している悪意について・・・・・まず、主人公が知的障碍者であるという逃げについて』
映画TOKYOの第二部『メルド』の、主人公は、メルド(フランス語らしいが、日本語訳をすると糞と言う意味)と呼ばれている浮浪者(ホームレス)です。演じるのは、ポンヌフの恋人で、知的障碍者ながら、ヒロインの心を射止めるスキンヘッドの若者を演じたドゥニ・ラバンです。彼が今度は、長髪をたなびかせる、一種のキチガイを演じます。
どうして、私が「きちがいだ」と、彼を、規定するかと言うと、手榴弾を、渋谷・・・・(プログラムや各種宣伝だとそう書いてあるが、実際のロケ地はどこかはわからない。真夜中にロケをしている。大体、歩道橋を中心に、爆発をさせていく・・・・・背景から考えると、もしかしたら新宿かな?)・・・・・で、めちゃくちゃな、爆発を繰り返し、説明も無い暴力が続くからです。
ポンヌフの恋人の印象が強いので、前提条件として、日本の観客は、主人公メルドを、知的障碍者として、見るでしょう。だが、知的障碍者イコール、きちがいだと、私が言っているのではなくて、この主人公が、めちゃくちゃな、暴力(=手榴弾を投げまくる)を、意味も無く振るうことをさしています。
知的障碍者風の設定は、映画全体の中で、とくに重要です。彼は、他人とのコミュニケーションが取れないという設定になっていますので。つまり、意味のある言葉は発せられないのです。ウォーっと言うような叫び声しかあげません。
そこが逃げなんです。この映画の巧妙な逃げなんです。最初はカラックス監督が、そう言う悪意ある人かと思って、5年間も国際関係を壊す話だと思っていましたが、最近のお隣の小野寺夫人の行動を見ているうちに、井上ひさしたち(=伊藤玄二郎+安の負債、プラス、前田夫妻)のあくどさをしみじみ感じ、この映画は、脚本が、日本側で用意されているのではないかと思い当たりました。それを、丁寧に後半で書いていきます。
元に戻れば、逃げが用意されていることは、もし、この映画の悪意を見抜いて、批判を、投げつけてくる人間が居たら、そいつに対しては、『あなたは、理解が足りない。この主人公は、知的障碍者なのだから、まともに取り合う方がおかしい』といって逃げるつもりでしょう。
あっけに取られるほどの、深い悪意を日本に対して表現している映画なのです。
顔は、外人です。しかも、後日メルドが、日本の裁判の場に引っ張り出されるのですが、世界でただ一人メルド語を使う彼の翻訳ができる男性と言うのが登場し、彼は、メルドが言っている事を、フランス語に直します。そのフランス語を日本語に、映画の画面内で、通訳するのがジュリー・ドレフュスさんです。ジュリー・ドレフュスさんもフランスでは名門の家柄だと聞いていますが、世界中を支配する大富豪の、200家族の、一族に、姻戚関係で、連なっているかどうかは、私は、知りません。
だが、この人が、その後、急にテレビの世界で露出しない様になっていますね。それは、私がもし、テレビの世界で、彼女を見かけたら、この映画メルド(=TOKYO)について、言及するはずなので、それを避けるために露出していないのかもしれません。
映画は、40分以内と言う短さなので、主人公メルドが、知的障碍者であるかどうかの説明はありません。また、見るからに欧米風な風貌であるのに、どうして、来日したのかの、説明もありません。フランスから、これほどの貧しい人間が、ヨットでまたは豪華客船で、来日するはずも無く、飛行機でしか来日できませんが、その説明もありません。
これは、筋の方は、ただ、ただ、荒唐無稽な筋立てだけで推移します。でも、この映画を作った目的だけは、はっきりしている映画なのです。その目的とは、侮日、または、日本へのカラカイだけでしょう。『日本や日本人が、クールジャパン等といって、うれしがっているのは、許せない』という欧米人の、発想が、如実に反映している映画です。
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副題3、『日経新聞のコラム、文化往来で、高名な映画批評家がこれを批判していたが・・・・・ほかは、みなカラックスの名声に目がくらんで、ほめまくっている。文化面も御用学者ばかりだ』
それに私の方が、気がつかなかったのですが、本日のブログは、グーの管理者が、勝手に(?)文化面に、入れておいてくれたらしいのです。しかし、私が真に書きたいことは政治です。この映画は、ひとえに、政治を含んでいる問題作です。しかも、からかいの極致で、侮日的ですから、困るのです。
しかし、思いがけず前日の、訪問者が少なかったです。このブログの読者は、インテリが多いと思います。文体は易しいですが、内容は深い(笑い)ので、これについて来てくださる人は、相当なインテリだろうと、思います。
が、そう言う人は、レオスカラックス監督の事が大好きで、カラックス監督を批判をしているだけで、引いてしまったのだと思います。残念です。この映画はもしかすると、かラックス監督の名声を利用した、鎌倉エージェント達の発案かもしれないからです。カラックス監督はその名声を利用されただけなのかもしれません。
だから、きちんと批判をしておかないといけませんし、もし、この推察が当たっていたら、カラックス監督も被害者です。でも、読者数が少なかったのは事実なので、めったにやらないことなのですが、他にもこの映画を批判をしている人が居ると、申し上げましょう。
私は2010年に『消された映画』と言う本を、準備し始めました。その頃、この映画は秘匿されきっていましたので、消された映画に該当しました。
で、よみがえって、過去のデータを当たったのです。すると驚いた事に我が家にある筈の、プログラムが盗まれていました。その盗難・・・・・・(もしかしたら、これも警察がやっている?)・・・・・を書き始めてから、瓜南直子さんが、映画のプログラムについての、エッセイをフェイスブックで投稿をし始めます。それも大問題なのですが、そちらは、後で、語ります。
鎌倉市立図書館では、「スクリーン等の映画雑誌を置いていない」といいます。この章の最後の方で、このカラックス監督の映画も、鎌倉人(伊藤玄二郎と、井上ひさしをさす)が、企画したのではないかと言っていますが、鎌倉市立図書館で、映画雑誌を見せてくれなかった事が、その根拠のひとつとなっています。
そりゃあ、私より、伊藤玄二郎の方が、鎌倉市内では力を持っているでしょう。しかし、彼に教唆をされて、データを隠すなんて、文化都市、鎌倉の名が恥ずかしいことです。そして、そう言うことは、江戸時代まで、時代がさかのぼってしまったと同義語です。
これもまたひどいですね。表向きの理由は、「メインテナンスが何とかかんとか」とか、「収蔵スペースが少ないので保存をしていない」とか言っていましたが、これもまた、ひどい仕打ちです。
鎌倉市立図書館には、伊藤玄二郎の「て」が隅々まで入っていて、非常に使いにくい事となっています。鎌倉の図書館で見聞した諸所のエピソードと、問題点については、また、別章立てて語ります。ともかく、鎌倉では、調査ができないので、その時点で、別の図書館で、この映画に関する、ありとあらゆるデータを調べて見ました。
すると、映画製作時のインタビューは例のごとく、カラックス監督を、ちやほやのしまくりです。外人崇拝、有名人崇拝の、スノビズムのオンパレードです。まあ、有名な監督だし、映画はまだ、完成をしていないのですから、仕方がないと、ここは、目を瞑りましょう。
しかし、完成後の試写会がありますね。そして、宣伝を目的に、各メディアが、いっせいにこの映画について、書き立てます。
それもまた、ほめ言葉のオンパレードです。特にプログラムは、映画を見た当日に買ったのですから、そこに寄稿をしていた文化人がどれほど、頭が悪いか、または、心が空白かの証明になります。
ところが、ほんの小さなコラム、日経新聞の『文化往来』の中で、高名な映画評論家が、問題が有ると、言っていました。大変困った問題が有ると、言って居ました。今コピーのもちあわせが見当たらないので、その実名をここで、表記するのはやめて置きますが、やっと、ただひとつまともな批評を見つけました。この映画は、恐るべき侮日・映画なのです。
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副題4、『問題点のひとつ、天皇制・批判の部分について・・・・・糞人(メルド)が、菊のご紋章を食い散らす画像は、誰が発案をしたのかな?』
私は銀座を、隅から隅まで、知っているつもりです。で、この映画(TOKYOの第二部メルド)のなかで、昼間のシーンが銀座で撮影されていますが、それがどこかは、すぐわかります。和光前から始まって北の「きやうばし(石碑)」まで向かう歩道です。映画に出てくるのは、教文館(現在、花子とアンで舞台となっている出版社、兼、本屋)から、田中貴金属あたりまで、ドゥニ・ラヴァンが、疾走します。時間にして、二分ぐらいの場面です。
その時、彼は、花を手に持っています。それを、食いちぎりながら走ります。その花は、多分ですが、造花です。直径が、20cm強ぐらいで、芯が、10cmぐらい。花びらは、ひらひらしていて、長さが10cmぐらいですが、風にはためくので、花全体が20cmぐらいの小ささに見えます。造花なのですが、それを、食いちぎりながら、ドゥニ・ラヴァンは、走ります。
別に意味も無いと思われます。何度も言いますが、その間の、200mぐらいを疾走するといっても、フィルムが、長時間ノーカットで、回るわけでもないので、全部で、2分ぐらいの動画です。筋が無いに等しいし、ともかく、落ち着かない映画なので、感情移入もまったくできず、したがって、この場面も私には意味がわからず、上映中には、看過されました。ところが帰途、プログラムを読んで、唖然ボウ然、あの造花は、菊のご紋章を象徴しているのだそうです。 だから、16枚の花弁があるそうです。
だがね、カラックス監督はたった、2週間で、撮影を切り上げ、さっさと帰っていったのですよ。そして、フランスで、編集をして、日本へ送り返し、それを、オムニバス映画に作り上げたのは、プログラムを発行した会社のはずです。そして、その会社はつぶれています。そこが、また、また、怪しいところです。と言うのも、曽野会社は、川喜多かしこさんが経営していたはずの会社で、あって、したがって、大きく伊藤玄二郎が、顔を利かせている会社のはずだからです。
そして、もっとも大切な事は、普通、監督とは、鑑賞者に、解釈を委ねるはずであって、自分から、映画が表現している意図を、詳細に解説したりはしないものなのです。となると、あのたった2分程度の疾走シーンに、どうして、天皇制(・・・・・尚、今、ハッキングを受けていて、誤変換が多発しています。それは、私が正しい事を書いている際の特徴ですが、天皇制も、典脳性と、何度も誤変換をされています・・・・・)批判が入っているのが、わかるのか?
その謎を解けば、わかってくるのは、そのアイデアが、日本発だということです。ここで、二度目として、井上ひさしたち、鎌倉エージェントが、『こういう映画を作ろう、しかもカラックス監督で』、と、アイデアを出したと、確信されてきます。
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副題5、『何故、フランス人から、からかわれながら、天皇性を批判されないといけないのですか?・・・・・しかも、ご苦労を、ものともせず、沖縄のお出かけになり、対馬丸・記念館を訪問されているご高齢の、天皇・皇后両陛下を』
今までで、二つほど、この映画が、ただ、単に、レオスカラックス監督に、作らせた、原初のアイデアが、鎌倉発のものである事が解るポイントを述べています。
ここですが、本日ではなくて、別の日に、書きます。リンク先を見つけないといけないので。
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副題6、『私がパリやニューヨークで経験した、欧米人のアジア蔑視と、キリスト教精神に基づいた謝罪の表明』
今回は具体的な事は、書きませんが、私は1998年パリ、1999年ニューヨーク、2000年ニューヨークと、毎年秋、三ヶ月ずつ、版画工房に所属をして版画を制作し続けてきました。その際、三回とも、アジア人蔑視の風潮は、身にしみて感じました。
ところが、ぎりぎりのところで、私にはチャンスが訪れて、相手に、『あなたのなさっている事が、いけないことである事は、こちらには判っておりますよ』と告げる事ができるのです。つまり、アジア人蔑視なんて、誇りの高い芸術家とか文化人がやってはならないという事です。全て、こちらがそこまでは、理解ができないだろうと見くびられていて、失礼な事をやられているので、『その裏側とか、因果関係が、こちらには、全て、わかっておりますよ』と、告げる事ができると、驚くほどの反省を示して、謝罪をしてくれるのです。
まあ、全て、幸運な推移だったといえますが、明瞭なる謝罪であって、版画において、必要な力仕事を、帰国直前の、最後の二週間は、全部先生がやってくれたりとか、いろいろな良い経験も、しております。そこで気がついた事は、やはり、欧米とは、キリスト教・精神で、物事が運ぶ国だということです。
つまり、人間存在を超えた、大きな存在としての神があり、その下では、人間である限り、全ては平等であるという精神です。で、謝罪をしてもらえる理由は『本当は、平等だったのに、アジア人だから、あなたを、つい、格下の人間として扱い、失礼をいたしました』と、心から言ってもらえ、それをまた、態度で示してもらえる事なのです。
それを、パリやニューヨークで、欧米人を相手に、三回も経験したのですから、気分はいいですね。元気いっぱいになって帰って来ます。
::::::::::タダシ、これが有効になるためには、言葉が、できないと駄目です。いざとなれば口、または、メール(英文)で説明ができるほどの、力量はないと駄目です。ニューヨーク等では、1999年の事ですが、ひと晩で、英文、レターサイズ(ほぼA4と同じ大きさである)、三枚分ぐらいのメールを書き送りました。もちろん、塩化第二鉄原液と言う猛毒(普通は800倍程度に薄めて銅版の腐食に使用する)を、或る日本人女子学生に、床にぶちまけられたという事件後で、私は怒り心頭ですから、火事場の馬鹿力が出たともいえますが。・・・・・・・・・・・
先生に、私が怒りのメールを書いたのは、先生が私へのスパイ役を振り当てて、ひいきしている女子学生がやった事だったからです。遠因は先生にありましたから、先生に思い(=私に、解っていること、または、私が考えていること)を告げました。学生をスパイにするのは最低だと、底まで書いたかどうかについて、気億は無いのですが、ともかく、先生が、まともな方だったら、・・・・・・・
先生は次の学期にやめざるを得なくなりました。私が学校にちくったわけでは無いのですよ。この事件が口コミで広まってしまい、誰も、授業を取らなくなったからです。先生は、私に嫉妬するぐらいですから、器の小さい、そして、自信の無いタイプでした。
学生は見事に見破っています。しかし、そんな先生でさえ、私が帰国する直前には、謝罪の意思を示したのです。それが、欧米人の基本形です。インテリで、素養の高い人の基本形です。
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副題7、『何故、レオスカラックス監督は、日本、および日本人に謝罪をしないのか?』
なお、私が、この映画、メルドの問題点を見抜いてしまった事は、当然、レオスカラックス監督には、伝わっているでしょう。谷垣さんの死刑執行も、それを、理由に行われていますから。だけど、伝わってはいるが、カラックス監督が、謝罪の意思を、日本や日本人に対して示さないのはどうしてでしょうか? 無論のこと間に立つ日本人が居て、「こう言う風にしてください」と、新しい教唆、伝言をしているからでしょう。
その中保者としての日本人にとって、もし、カラックス監督が謝罪をしてしまったら、私のブログが正しい事になります。そうなると、このブログの人気が増します。それは、絶対に避けたいことですから、「謝罪をしないでください」と頼むはずです。その上、「日本人が書いた批評のうち、好評な文章もありますから、不評なものはお気になさらないで」とも言っておくはずです。
その好評な文章ですが、国画会・準会員・長瀬いずみに対しても長文の、好評な文章が出ています。だから、長瀬いずみも、私のブログ等、気にしていないでしょうね。だけど、読者数が違うと思いますよ。私はかずを低く、グーグルに抑えられて発表をされていますが、あんなものではない、読者数が、2011年度には、すでに有ったのです。だから、それ以来、毎日、訪問回数は、記録して置く様にしています。それに、長瀬いずみをほめまくっているブログを、読んでいる読者と、このブログを読んでいる読者では、インテリである度合いが違うと思いますが・・・・・
レオス・カラックス監督は、世界の大富豪の、一メンバーとして、15歳ぐらいまでは、育っています。だから、アジア人蔑視の発想は、ひどく強いだろうし、むろんの事、基本的には、傲慢でしょう。だから、『謝罪をしないで済むのなら、それで、いいね』ぐらいの軽い気持ちで、日々を過ごしていると思います。が、でも、創作者である限り、心の中にしこりは残るでしょう。
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副題8、『もし、奥島孝康氏等が使者にたって、日本発のアイデアとして、あの映画メルドが制作をされたのだったら、またもや、鎌倉エージェントが、日本と日本人を裏切っている実例となるが』
フランス政府とは、今では、このエージェントの要請に、即座に動く政府となってしまっています。アルジェリアでの、日揮襲撃事件の際の、フランス大統領の動きの分析をこのブログで、すでにやっていると思います。が、そのリンク先は後で探すとして。
で、これから先は、見てきた様な嘘を言いのひとつですが、
あの映画の制作そのものが、鎌倉エージェントの発想だったとしたらどうでしょう。推敲と加筆の際に、上のほうで、二つの論点で、その可能性を上げています。が、初稿の段階では、ここではじめてそれに触れています。そう言うわけで、二日目では、ここで、3つ目のポイントとして、なぜ、日本人の原案であろうと言うかを語ります。
私はレオスカラックス監督のポンヌフの恋人を見た後で、パリに、版画修行に行ったのです。投宿は、嶋田しづさんがパリサンポール駅傍(それは、また、ノートルダム寺院に歩いていかれる場所でもあるし、パリへの芸術部門留学生の拠点であるシテ・デザールの最寄り駅なのですが)に持っていらっしゃった瀟洒なアパルトマンです。その駅から、シテデザールへ向かう道の途中右側に、コインランドリーがあるのです。
その床に、あのポンヌフの恋人に出てきた時期のドゥニラヴァンにそっくりなホームレスが寝ていたのです。それを、実際に見たのは、1998年ですが、私は、2001年から、2008年の間のどこかで、メルマガで書いているはずです。AOLのメルマガは、ハードディスクには残らない方法だった時期であり、パソコンが何台も、壊されていますから、時期が特定できませんが、ともかく一本エッセイを、『ポンヌフの恋人』に関して書いていて、それは、一般的な、映画批評と比較をすると群を抜いて面白い文章となっていたと、推察されます。自分で。それを言ってはおしまいですが、パリで、そっくりなホームレスを見たし、それに対して、サンポールのお店の人々がどれほど、優しいかを書いています。
井上ひさしが、熱心に、私のエッセイを検討していて、そこに出てきた物事をつぶして行くと言う形で、攻撃をし続けていた時期であり、鶴岡八幡宮の、珍しい木・アメリカキササゲが伐採されたり、そのほかすさまじい攻撃に出会っていた頃であり、こう言う企画が作られた可能性は大きいです。
それを傍証する話をし始めましょう。その頃、新聞で、評判が高かったのは、トウキョウソナタでした。小泉今日子と香川照之が、夫婦役で、競演をしている映画です。私はTOKYO WALKER か、ピアを、本屋で立ち読みして、渋谷のある映画館で、それを上映をしている事を、確認をしてから行ったのです。Shibuya O-East ビルの、近所で、地下一階の劇場でした。今は無いみたいです。近所にユーロスペースが今はありますが、私が訪問したのは、あくまでも地下一階にあった劇場でした。・・・・・と、記憶していますが、今のユーロスペースが名前を変えていて、それに入ったのかもしれません。ともかく、入ったのは、2009年の3月4日だったと覚えております。
ところが、その劇場がなかなか見つからなかったので、すでに、広告の上映が終わっている頃に入場しました。始まってみると、びっくり、どうも違う映画の模様でした。トウキョウソナタは、評判が高くて、筋も熟知して行っています。ところが、出演者も筋もぜんぜん違うのです。で、第二部メルドが始まって、びっくり仰天です。ひどく悪意の強い反日映画だったからです。第三部も終わった頃、電気がついて、会場を見渡すと、全部で、6人しかお客が居ませんでした。そのお客もむろんの事不満そうでした(?)
私は映画館のスタッフを探して、どうして、上映作品が違うのかを問い合わせようとしましたが、7時開演の最終上映会だからか、誰も出てこないので、仕方が無くて、黙って帰宅しました。で、その後の、9日だったかな? 目黒の映画館で、トウキョウソナタも見ましたよ。ちゃんと目的どおりに。
しかし、その頃はそれだけであって、まさか、この映画を私に見せるために、渋谷の上映館が選ばれて使われた』とも思わなかったし、この映画そのものが、私をやっつけるために、日本側から提案をされたとも思いませんでした。
しかし、今般、6月2日と、12日の二日間も、暗殺未遂に出会っているし、9日には、お隣の小野寺夫人と、安野夫妻、が、五時間のおスシパーティをやっています。
:::::::::ここですが、やはり神様はいらっしゃるという結果になっています。何をどう考えても、これは、すさまじい悪意の表明です。A子夫人というのは、プロの刑事ですから、騙しつつ、私を攻撃してくるのはありです。だけど、小野寺夫人と言うのは一般人(=市井の人で、今は無職の専業主婦です。それが、深い悪意の隠された、だまし討ちをやってくるのですから悩みは深かったのですよ。特に表面は仲良し風に装っていますからね。
だけど、「西側(オタクと接している方)を、リフォームをしたので、見にいらっしゃいません?と、誘っても、来た事がありません。彼女の家は、渡辺篤志の建物訪問(テレビ朝日)で、拝見していますから、我が家に来てもらう事が対等だと思いますが、来てくれません。
しかし、私個人をいれてくれたことはないのに、別の主婦を入れています。それだけでも、相当に敵意のこもった仕打ちですが、ほかにも、いやみたっぷりな仕打ちが、いっぱいあるのです。でね。彼女がそこまで、攻撃的に出てきてくれたおかげで、
このレオスカラックス監督の、不思議な悪意に満ちた映画も、鎌倉びと(達の発案だったと、解ることとなりました。そして、それをこのブログの世界で、曝す事について、何の気兼ねも感じないし、良心のやましさも感じません。
安野夫妻って、本当に強欲の塊で、かえって、金の卵を殺してしまっています。もう、絶対に、小野寺夫人が、スナイパーとして、向かってきても無視するだけですから。すでに、役立たずに成ったのです。
しかし、過去の事例を数々、再検討をすると、このおすしパーティが白井・小野寺夫妻と、安野夫妻だけが、計画したことではない可能性も強いのです。彼らの上部に居て、自分の保身のためにあれこれ、画策をしている、伊藤玄二郎+井上ひさしの発案である可能性乙宵のです。他にも、私の周りにすさまじいレベルでの、諜略行為が飛び交っているし、その主役が警察だとわかりました。
私は、警察に追われる様なことは一切しておりません。だから、逮捕する等と言う形をとる事ができず、闇の中で拉致、誘拐し、筋弛緩剤等で、殺してしまって、その上で遺体を青木が原、などに放置して、白骨化した後で、自殺したと発表をするつもりでしょう。
でも、どうして、そこまで、私がいじめられないといけないのですか? 信じがたい乱暴狼藉です。しかも、警察がやってくるのですよ。警察が関与しているから、この渋谷の映画館も、急遽・上映作品をトウキョウソナタから、映画TOKYOへ、変更することを了承したのでしょう。そして、トウキョウソナタは、リヴァイバル上映だったはずなので、自然に任せてもお客は少なかったはずですが、・・・・・・・・・・・そのうえ、保土ヶ谷のネットカフェで、そうしてあったみたいに・・・・・・・、あの6人のお客が、全部警察官の変装だったりしたら、誰も、「上映映画が、事前の情報とは違う」という文句を言うはずもないですね。
ほんと、小野寺夫人には感謝申し上げます。むろんの事、・・・・・・超絶の皮肉ですけれどね。・・・・・私ね。彼女から、20回以上、深く、心理学的な意味で、傷つけられ、苦しめられています。が、やはり、神様はいらっしゃいました。これから、徐々に彼女のやった事を書いていくつもりです。
それが解っていて、安野夫妻と、あんなに、目立つ形で、お寿司パーテイを五時間を越える形で、やったのは、12日に、私が死ぬ予定である事を知っていたからではないですか?
いや、小野寺夫人は、知らなかったとしても、警察は知っていて、安野夫妻やら、小野寺夫人に、「目立つ形で仲良くせよ」と命令したかな? それとも、それを、前田夫妻か伊藤玄二郎に告げて、そこから情報が入ったかな?
私は、繰り返しますが、本当に警察に追われる様な、悪いことは、何もやっていないのですよ。だけど、レオスカラックス監督さえ、使役したとなれば、それを、私に、書かれたら、伊藤玄二郎は、大変でしょう。
卑怯な井上ひさしなら、そう言う(=私にとっては、ばればれの=)秘密を自分や、ゆり夫人、そして、ゆり夫人との間にできた男の子のために、守りたいと考えて、殺人を計画しかねないです。しかも、彼は警察の協力者ですから、「お互いもちつ、もたれつです。川崎千恵子の殺害は、オタクの方で、やってくんない』などと、警察に頼んだ可能性は大きいです。、
そして、警察は鎌倉エージェントの言うなりです。保見容疑者が、やっていないのに、「やリました」といったのも、そう命令してくる相手が○○だからかな?
私ね、こんなことで殺されたらたまりません。しかも、弁明もできないし、家族にも看取られない形で、死ぬなんて、絶対に許せません。だって、こう言う悪さは全て、伊藤玄二郎が、石川和子さんと若い日に恋愛関係にあった事を隠したいからおきているでしょう。
そんな下半身の秘密を、奥さんとか、子供のために隠したいから、これほどの、悪を生み出す心って、信じがたいです。が、彼は過去にやった数々のだまし討ちも、その真実がばれない限り、自分は大丈夫だと考えているのでしょう。間接的にやるのだから、自分は絶対に逮捕されないのだと、信じているはずです。
ともかく、彼は、付き合いの広さを最大限に利用して、私をやっつけるつもりだったでしょう。デモ全ては、裏側がばれていますから、今から書いていきます。五億円の被害がありますというのはあながち誇張ではありません。
酒井忠康氏、鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司、覚園寺様、泉湧寺様、浄智寺様、瓜南直子さん、誰かを通じて、野見山さん、その秘書の山口千里さん、など、自分としては、迷惑を掛けると、困る相手を利用した過去を次から次へと、私に暴かれているでしょう。
それが困るんですか? だけど、そちらが困るといっても、私だって、とんでもない目に出会っています。これは、防衛しないといけないでしょう。だから、書き続けていきます。
2014年6月29日より書き始め、30日に二倍に加筆して、推敲を終わる。 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
後リンク先を数々見つけないといけませんが、本文だけは、ここで、完成とさせておいて、くださいませ。
尚、このブログの、2010年より数えはじめた、延べ訪問回数は、2287329です。