銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

古村浩三と笠松夫妻の連携。館野博雄とフェリス卒医学書院入社女史との連携…その二つから立花隆と私との融和を察していく

2024-04-16 22:25:40 | 政治

  この一文は、16日の深夜書き始め17日の午前6時で中断をしております。しかし、それだけ間をあけたのですから、今から、続きを書くとしても、何を目的としていて、何をこの中で、書いているかについて、前置きとして、きちんと説明をしておきたいと感じています。18日の午前5時にですが!!!!!

 この文章の大構造は、立花隆と、私との間に、不思議な形で、和解が成立していると、いうことを書こうとしています。1979年(今から45年前)に、トルコ・エフェソスの大遺跡の、真ん中で、熱暑の中でたった二人だけの人間として、私は彼に出会い、トルコ旅行中にもかかわらず、トルコとトルコ人を軽蔑しきる彼のあまりの軽さと、おっちょこちょいぶりに怒って、限定された人間にのみ配信していたメルマガで【紫色のズボンの男】として、軽蔑をしていると、いうことを書いています。無論のこと、彼の実名は、あげておりません。

 だけど、(そして、私のメルマガは、彼には送っていないにもかかわらず)すぐ、彼にその文章は伝わり、彼は、報復措置として、エーゲ海に関する写真が、一枚おきに入っている書物を出版します。私は、朝日新聞書評欄で、それを、初版時に知ります。しかし、報復の報復を、私はせず、ずっと、放っておき、時たま、このことを、部分として、取り上げてブログを書くぐらいで、収めておりました。しかし、ちくま文庫として、2020年に再刊をしていたのには、驚嘆をし、これには、猛反発をしました。その事実を2024年4月15日に知った私は、怒りのあまり、恐ろしい文章を書き始めます。主役は、その再刊の手配をしたであろう元筑摩書房勤務(多分定年まで勤務した筈、そして、学歴は、東大卒であろう)の、Mr笠松の実名と、その妻である、笠松敦子さん(元筑摩書房勤務、なお、40代から独立系編集者として活躍)が、私に対して、なした虚々実々のいじめ行為(または、無礼行為)について、書き始めます。

巷房で出会い、話が合ったMr中村=光文社の名前を出した途端、私の仕事の邪魔をしないでと怒鳴ったMrs笠松=元筑摩書房      2024-04-13 19:49:13 | 政治

  この総タイトルに登場する中村さんは、普段書いているご近所主婦たちよりも、登場人物として、大きいのですね。それと、井上ひさし(まだ、実際には生きていますよ)と、伊藤玄二郎らにとって、同じ業界に住んでいる人間であり、表向きには、伊藤玄二郎より、偉い人物となります。伊藤玄二郎の主力商品は、タウン誌【かまくら春秋】です。光文社が、発行する雑誌類より、部数も知名度も低いでしょう。そして、単行本のたぐいも同じです。たまたま、養老孟司氏の書物はヒットしています。しかし、それ以外は、ほぼ私費出版であり、著者から、出版費用+αをとっている書物です。これは、一般人には見えない部分ですが、出版のプロならみんな知っている事実です。

 ここまで、午前六時に書いて、その後、9時間休んでしまいました。家事をするためです。恐れ入ります。今、午後二時ですが、再開をいたします。

 したがって、社長とは言え、その存在は、光文社のMr中村よりも、小さいのです。しかし裏側は、騒然とするほどの、力を持って居るのですよ。CIAエージェントの一人ですからね。だから、Mr中村よりも強いのです。

 Mr中村は、悪いことをしたわけでも、私をいじめたわけでもありません。しかし、登場人物として、総タイトルにその名前を使ったことは、私の強い強い覚悟を示しています。ライターとしても、TB企画(一銭ももうからない出版プロダクション)の経営者としても、伊藤玄二郎を相手にして一歩も引かないよと、言う覚悟を示しています。ルビコン川を渡ったのです。それほど、笠松夫妻にひどいことをやられ続けてきています。

 でも、あの二人に裏切られていると書くのは、一種の敗北です。しっかりと、このブログを読んでいない人、特に、ICU関係者には、大笑いをされかねないテーマです。だから、必死で、我慢をしました。20年間もです。

 しかし、単純に我慢をしていくだけだと、まいっちゃいます。それこそ、敵さんたちが願っている通り、うつ病にでもなりかねないです。ですから、ひそかな自己救済の、秘密兵器を心の中だけで、涵養していました。それが、1968年ごろから、こっちから付き合いを断ってきたAAAAさんです。事情があって、名前を明かしません。だが、ICU同期入学組には誰のことかはわかるでしょう。それでいいのです。

 だが、一般の方が、皆目、状況をつかめないと、おっしゃるといけないので、容貌は女優の【鶴田真由】に似ていますと、言っておきましょう。ただ、鶴田真由は、女優なので、甘い甘い雰囲気です。それを、もっと、硬くすっきりと知的な感じにした女性で、フェリス卒、国際基督教大学卒、入社試験トップで医学書院入社の女性です。(この事実は彼女からではなくて医学書院から漏れうかがっています)

 私はベニサンピットの入り口で、鶴田真由と、蜷川幸雄が、歓談をしているのを見ました。【桜の園】を見に来ていたのです。私は物理専攻で、東大院卒、特許庁勤務だったの1937年生まれの、旧姓西大寺さんを、その年度で、生まれた女性のうち、最高レベルのインテリだと、常に言ってきています。一方で、その6歳下の年度、1943年生まれの女性のうち、このAAAAさんを、日本で最高レベルのインテリだととらえています。

 この人を思い出すたびに、私は、心が洗われ、非常にいいものに満たされたのです。しかし、1968年ごろ、こちらから別離を決定し(誰にも秘密にしたが)それ以降、手紙も電話もしていません。しかし、恨みとか、憎しみを持ってそうしているのではなくて、深い愛情をもってそうしているのです。

 その間の複雑な事情は、

私は笠松敦子さんの対照例として、フェリス卒ICU経由・医学書院勤務だった友を思い出しているのだった   2024-04-14 21:20:22 | 政治

 に詳しく書いています。そこで、秋山豊寛(ICU1966年卒、のち、TBS報道記者となる。立花隆、筑紫哲也などと、仲間を形成していた)が多分CIAと、通じていて、彼が自分の秘密がAAAAさんを通じて、私に漏れることを嫌っていると知って、私が身を引いて、AAAAさんとの友情を捨てたのです。

 実は私は、1965年から、日本一すごい人だったのです。CIAにとって、警戒すべきという意味でです。

 私は自分でそれを知っていたけれど、それを外部に言っても誰も信じないでしょう。だから誰にも言いませんでした。ところで、この章では、「館野博雄君について書いているエッセーを、やめなさい。(というか、引き揚げなさいでしょう)かわいそうですよ。彼が」という手紙を、AAAAさんがくれたのですが、そこまで、書きたいと思っています。しかし、まだ、大同窓会(120人出席=1998年)で私がお歌を歌って、館野博雄君に、見なおされたと、言うところまで・・・・・しか書いていません。この章内で、続きを書くか、一気に立花隆に飛んでしまうか、今、思案中です。

 ところで、今、この章だけを振り返ってみても、ICU内にある二つの潮流を、感じ取ることができます。それは、古村浩三君に代表される・・・・・成果主義で、アメリカと関係があり、現代日本社会での、「自分たちは、勝ち組である」と自認する人たちと、

 もう、一方は、

 お金のあるなしにかかわらず、・・・・・ちょっと違うんだなあ・・・・・と、思っていて、古村浩三君主催の、クラス会には出てこない人たちです。葉っぱちゃんも出てこないし、川名昭宣氏も出てこないし、あんずちゃん(公使夫人という勝ち組なのに、)も出てこないし、AAAAさんも出てこないし、館野博雄君も出てきません。大金持ちですが、控えめです。ともかく、いろいろ理由はあるのですが、古村君みたいに、モノを考えない人=・・・・・割り切りの強い人・・・・・とは、違うんですよと、言う一派がいることは確かです。

 ここで、この1962年入学組に関するさらにいろいろがあるのです。それ=国際基督教大学全体が学長を含み理事長を含んで、私に対して、嘘をつくこともある。まあ、でも、それに入ると字数が足りなくなるので、ここで、無理にストップをします。で、ここに書いてあることは、ある事実のしかも、ほんの、一部分ですが、結構、重いことですよ。・・・・・という前置きを、18日の、午後三時に入れて、外出します。では、

 ここで16日の早朝、6時までに、書いた原文の冒頭に入ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『立花隆について、和解の感覚を抱いたのだが、その前に、竹本油脂の、もとトップ、館野ひろお氏について、少し語りたい。それは和解の感覚という意味で、共通項があるからだ』

  昨日は危うく、他のテーマに移りそうでした。しかし、知の巨人・・立花隆について、書き始めているので、そこから離れてはいけないと、自戒し、その発想を無理に押し込めて我慢をしたのです。で、本日はその発想の、熱がだいぶ冷めたので、知の巨人に戻りましょう。

 本章もあっちこっちへ寄り道をしますが、それでも、最後には、死期が迫った立花隆を、長いブログで、説明している文芸春秋社の編集者(後で、名前を記します)を、読んでいるうちに到達した

 不思議な和解の感覚を書き留めたいと思います。で、その感覚を抱いて後よりは、立花隆を、有名人の常として、敬称なしで、呼ぶよりも、なんだか、たかしちゃんと、呼びたくなったほどです。 

 こういう風に呼ぶのは、館野博雄君以来でしょう。今では、【ひろおちゃん】【ひろおちゃん】と呼んでいます。亡くなっていますけれどね。

 館野君というのは、竹本油脂のトップでした。「CEOですよ」と彼は言うのです。苗字は違いますが、江戸時代から続く、創業者一族のお坊ちゃまで、ごま油の、製造元として、有名です。1965年にすでに車高の低いオープンカー(ヨーロッパ車だと思う・・・・・これですが、今日本で多数見かけるミニクーパーではないですよ。もっと、平たかったし、屋根のオープン度が、もっと、大きいです。それから、色がもっと鮮やかでした)で、国際基督教大学に、成城から通っていたのです。

 江戸時代から続くゴマ油会社ですから、上 皇后 美智子さまの実家が、おしょうゆメーカーであり、末弟が、1942年生まれであられるので、軽井沢のテニスクラブで、館野君は、正田氏(教育大付属だったと記憶しているが? 大学は東大か?)とも親しいのでした。

 しかも、2010年ごろ、私の長男にひどいことをしたのです。しかし、この章は立花隆がメインですから、その2010年の、竹本油脂が行ったひどいことについては、ここでは触れません。あまりにも残酷で恐ろしいことだから。1965年の方は、短編小説にしてもいいような、ぷそいど(=pseudo) ラブなので、シニカルに、館野君の失敗を書いているもので、人が死ぬの死なないのという話ではないから、書いているのです。私にとっては、一種の笑い話です。だから、私が書いていることは、ほとんどが、40%程度で抑えているといってよいでしょう。

::::::::::::すみませんが、ここで、うんちくを傾けさせてくださいませ・・・・・プソイドというのは化学薬品(特に複雑なもの・・・・・主に医薬品の成分に)冠言葉として使われるもので、ある基本的な化学式の一部(基と呼ばれる部分)を、取り換えて、別の薬品にするときに、プソイドを使います。私と館野君ともう一人、三輪喜久代という人物が、当時、大変優秀な科学者(NHK 科学の時間の講師)として知られていた湊宏、先生の卒業実験を同じクラス、同じ実験室で、行った仲間だから、つい科学用語が出てしまいます。

 この三輪喜久代さんが、小保方晴子さんの、でたらめ論文をNATUREに、押し込んだ人物です。私が書いている文章は、(自慢気に言って申し訳ございませんが)ものすごくスケールが大きいのですよ。無償で読んでいるあなたは、超ラッキーな人物です。(苦笑):::::::うんちくを終わります。館野君に戻ります。

 私がICUで、もっとも、容貌が美しく、かつ、心が深いといっている、葉っぱちゃんと、AAAAさんと館野君は、みんなアート部所属でした。(+あんずちゃん と、私)

 その中で、AAAAさんと私が、section Fというクラスで、27人一緒で、一年間、ほぼ朝から晩まで英語学習漬けで、過ごしました。同じことを、葉っぱちゃんと、館野君は、section Dで、一緒に過ごして、学んでいたので、葉っぱちゃんは、館野君のことをよく知っています。そしてね。ある時、「館野君って、やさしいでしょう?」といったのです。これがひどいことをされていながらも、館野君をこのブログの世界では、ひろおちゃんと、言い続ける一つの理由です。

 ところで、素敵な男の子と、素敵な女の子が、たった25人程度で、一日、4時間は、一緒に過ごし、後の二時間も50人とか、100人とか、200人だけで、すごすとなると、カップルができやすいのです。しかし、葉っぱちゃんは、お兄さんが、すでに、国連職員だったかなあ。だから、大きな世界で、生きるつもりだったので、だれとも深い入りしなかったし、館野君は、館野君で、正田美智子さんクラスの女性と、お見合い結婚をするつもりだったでしょう。だから、だれとも深入りしなかったのです。で、二人はカップルにはなりませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『1960年代のICUでは、トロフィーカップルができやすかった。女子学生の中に大変美しくて、家柄の良い人が多かったからだ。新幹線を作った島さんのお嬢様が一期下にいて、ある男性が、見え見えの逆玉を狙って、付きまとっていた。まあ、学内だけでの話であろうし、そのころは、ストーカーという言葉はなかった。だけど、授業中にも見え見えなので、見ている私の方が、赤面をするというか、何かだった。私は、同窓会では、情報通ではないが、ある筋から、二人が結婚に至らなかったのを知って、ほっとしたのだった』

 このICUでは、カップルができやすいという意味では、のちに、大竹しのぶに、略奪されてしまう、妻どのと、服部靖次さんのカップルが目立ちました。と、同時に、常に一緒にいた、秋山豊寛・AAAAさんカップルも目立ちました。

::::::::また、また、挿入ですが大竹しのぶはテレビドラマ【ひとの不幸は蜜の味】と、【犬神家の一族=最近のNHK版】を、見ただけです。演技は非常に上手だと思う。だけど、絶対に好きになれず、彼女の出演番組は、見ないです。服部靖次さんは、癌を発症するのです。これはね。大竹しのぶが、原因を作っていると、考えるので、彼女は、絶対に好きになれません。大竹しのぶの、お子様二人はね。しのぶさんの母や、妹が育てた思うので、西原理恵子家よりも順調らしいけれど、将来はわかりませんよ。

 ここで、今年の2月7日に三本の、西原理恵子に関する紹介記事が、MSNというサイトに乗りました。その近辺で、西原理恵子が、我が家に及ぼした悪について語るだろうと、敵さんたちが想像したのでしょうね。で、防衛策として、西原理恵子は、上等だと、言うネット記事が三本も浮かびました。

 または、その時に書いていた文章が、鎌倉エージェントにとっては、恐ろしすぎるので、話題を変えさせようとして、西原理恵子を使ったのかもしれません。

 あと註1に、その三本を置きます。ただし、私が過去に書いた文章は探すのが大変なので、待ってくださいませ。

:::::::元に戻ります。館野博雄氏に戻ります。 

 あまり書いていないけれど、2010年にひどいことを館野君の会社が行います。で、怒ったわたくしが、1965年のエピソードを書き始めました。2010年の方がひどいのですよ。息子は絶対愚痴を言わないのですが、私は株を買ったりして(竹本油脂は、非上場である。しかし、会社四季報の、非上場会社に関する情報を調べた。その結果、なぜ、館野君が、化学を専攻をしたのかの意味が分かった。竹本油脂とは、現在は、化学メーカーだったのだ。界面活性剤を主力商品としていて、圧倒的な利益をそこから得ている。どうもほかのごま油専門の会社の五倍ぐらいの規模があるらしい)結局は自分だけで、すべての真相を突き止めます。

 西原理恵子が我が家に対して行った悪も、その真相は、秋葉原のブックオフで、【さいばら茸第八巻】を、帰りの電車内の暇つぶし用に買っただけで、謎が解けたのでした。私は、常に神様に見守られています。秘書もいないし、調査費も出せないし、むろん探偵など野党事もしません。だけど、すべての悪辣な仕組みの真相はすべて、明確に解けるのです。今だって立花隆との出来事は、45年も前のことですよ。だから、時間はかけます。ところで、本日、白井夫人、平木家、安野忠彦、前田清子さんの合計四組が意味あり気に、動きました。ちょっと、ブログを書くのを休んだだけで、こっちが参っていると、考えるのです。まったくおっちょこちょいです。もうね。苦笑ではなくて、おお笑いをしてしまいます。今日はね。だから、まったく違うことを書いているのですが、離れているわけでは無いのですよ。

 館野君に関して書いたエッセーを、「かわいそうです。そういうことを書くのはやめなさい」と手紙で言ってきたのが、AAAAさんなのです。この手紙がどうして、今見つかるのか? これも不思議で、

 一旦盗んで置いて、今、寝室に私が留守の間に入れ込んだのではないかと思います。

 前報で、私は、AAAAさんと、付き合いをやめると、1967年ごろ決心をしたのだと、書いていますね。

私は笠松敦子さんの対照例として、フェリス卒ICU経由・医学書院勤務だった友を思い出しているのだった

2024-04-14 21:20:22 | 政治

 で、このお手紙にも返事は出していません。で、AAAAさんは、不思議に思ったでしょうし、その時点で、私を捨てたと思います。でも、いいのです。彼女に何も説明をしないで、結婚の約束を破った秋山豊寛氏の本心は、彼が、CIAに通じていることがAAAAさんと私が仲良しだけに、私に見破られる可能性があると、考えたからでしょう。特に、私の頭の良さを恐れて、165年度内に、ICUで、私を殺そうとした、ベイカーさんから忠告を受けたはずです。それが1967年の時点で、すでに、わかっていましたから、どんなにAAAAさんを、好きでも、別れるべきだと、考えていました。

 私はメルマガを送っていたかどうかも覚えていないのですが、たぶん送っていなかったと思います。となると、私がブログをやっていることも、AAAAさんは、知らなかったと思います。ので、AAAAさんは、誰かに「そうしなさい」と言われて、私に手紙を書いたのだと思います。その命令者が誰かという点ですが、たぶん、アート部の先輩である、石塚雅彦さんであろうと思います。が、確定しているわけではありません。

 ただ、ただ、すべては、CIAが絡んでいると、言う一点で統合をされており、私の頭の中ではすべてが連携しています。ただ、全部をこの章内で、書くわけでもないと言っておきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『館野君と私とのトラブルとは、小倉百人一首の中の、すこぶる現代的な和歌に、同類の発想が凝縮している。

平兼盛(40番) 『拾遺集』恋一・622

しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)
ものや思ふと 人の問ふまで

つまり、館野君は、こう考えたのです。私=前歯に、金冠をはめたみっともない女性=が自分に恋をしていると。この誤解って全く同じことが東大勤務時代にも起きるのです。だから、東大時代は、本当に不思議なことだなあと思っていました。でも、1960年代のわたくしが20代で、結婚適齢期には、謎が解けなかったのです。

 しかし、1997年、パリへ行く直前に、手相を見てもらった、日傘雅水さんに、言われたことで、謎が一辺に解けました。日傘さんって、日大芸術学部出身で、坂本龍一らの、YMOのマネージャーもしていたことがあり、やがて、私を裏切っていく人なのですが、(ということは、週刊女性に、私の様に、二重線がある人は二重人格の人だと、書いていくのですが)、それでも、第一回目は、ふつうの態度で、ちゃんと見てくれたのです。

 実は彼女は閉鎖的で、非常に見てもらいにくいい人なのですが、私は、日傘さんの、ムックを発刊していたマガジンハウス社に電話をかけて第一関門を突破し、第二関門も、ちゃんと突破して、見てもらったのでした。なぜ、それほどに執着したかというと、彼女だけだったのです。太陽線について、詳しい解説をしているのは。それは、芸術とか芸能に関与する線でした。

 彼女は言うのです。「あなたは、芸術家でよかった。これが、ふつうの専業主婦だったら、事件を起こしていますよ」と。どうしてかというと、恋愛やフェロモンをつかさどる、禁制帯というのが、両手に二本ずつあるので、すごい人なのだそうです。恋愛体質というか、せとうち寂聴体質というか?

 しかし、私は常に創作をしたいと願っていて、そのためには、毎日、規則正しいというか、毎日同じスケデュールで、動かないとだめなのですね。でも、用事があれば外出します。だけど、基本的に一人が好きだし、一人だと、ぐんぐん仕事がはかどりますので。だから、自分が恋愛体質だなどとは、夢にも思っていなかったのです。

 ただ、水も滴るいい女という言葉があるでしょう。ああ言う種類の女だったのです。知らなかったです。自分でも。でもね。何かを発していたのです。それを館野君はキャッチしてしまって、避けたい。でないと、結婚をすることになるだろうと、思ったのでしょう。で、二人乗りオープンカーを持ってきて、必ず、目の前で、横に三輪喜久代さんを乗せて、四時頃帰っていくのでした。

 私はとても恥ずかしかったです。だって、1961年から、主人と知り合っていましたから。ただ、ペニスとワギナの、conjugation は、やっていませんよ。でも、和服を着て、主人と並んで立っている写真などをとっていますし、何よりも、主人が進路について、私の意見とか、忠告を尊重してくれるので、・・・・・つまり、商学部から、他大学の工学部へ、転身したので、なぜか、深い縁を感じていたのです。しかし、同棲とかを経ない、まじめすぎる結婚は、あれ、こういう人だっの? 事前の想像とは、違っていますね』というところはいっぱいです。でも、館野君よりは、人生や進路についてあれこれ語っているのだから、縁は深いと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ここで、1998年に飛ぶ。その年、大きな政治的課題が、私に降りかかる。それは、川名昭宣(河出書房新社勤務)が、入江多喜男君を、復学させるので、彼を祝う同窓会をしたいと、言いだしたからあ。で、川名君は、ICUに、大迷惑をかけた入江君を復学させるのだから、ものすごい権力を持っているということになる。CIAの最高クラスのエージェントである可能性すらある。桜井万理子さんを、東大教授にしたのも、

 ところで、私は、入江君を叱りたいという決意を、深く抱いていた。それは、彼が、1966年、私が卒業した後で、佐藤忠一君という日比谷高校出身者を、600対1ぐらいの言論リンチにかけ、つるし上げをしたために、苦しくなった、佐藤君は、千鳥ヶ淵で、飛び込んだそうだ。しかし、助け上げられた。この事実から、成岡君が尾行をしていたのではないかと、私は考えている。日比谷高校で、二人が知り合っていたら、成岡君は、佐藤君の性格が、とても良いこと(=====秋山ほうかんとは、真逆である)を知っていて、助けたいと思ったのではないだろうか?

 で、佐藤君は、引き揚げられ、精神病院で、強制的に連続睡眠をとらせられて、復活したのだそうだ。その後、立派な組織に就職したと、聞いている。しかし、ICUとは、一切連絡を取らなくなった。

 これを電話で、教えてくれたのは、中西輝子さんであり、逗子のアトリエでその話を聞いたと思う。

 さて、入江さんは、その件で、大学を退学させられたわけでは無くて、1967年2月の入試を阻止して、行わせなかったのだ。これは、東大もそうだったかな? 違う。ちゃんと、入試を実施した?

 ともかく、資本主義を担う人材を養成するという影の目的がある大学が、【たとえ、入江さんが自治会長をしている新左翼は、CIA側のダミーだと言え)入試を、一回ほど、なくしちゃったのだ。その責任を取らされて退学になったのに、復学させるという川名君に、私は、勇気をもって、連絡を入れた。

「川名さん、あなたは、このことを、「どう考えているの?」と。すると彼は、僕は当時フランスへ留学していたので、そんなことはしません」と答える。

 私は言論弾圧もとんでもないが、入江多喜男くんの、もりあがった居丈高ぶりが、想像できるので、特に彼と、常に行動を共にしていたであろう渡辺某を、ターゲットにして、叱ろうと考えた。しかし私は、前歯に金冠をはめていたので、ICU在学中は、きわめてランクが低かった。この1998年のパーティでは、前歯をすでに白くしていたので、容貌の上で、劣等感は無かった。

 でも、みんなの記憶の中では、列島をした礒部(いそべ)千恵子であろうから、それを逆転させないといけない。で、マイクを使って、例のごとくお歌を歌った。オペラ【カルメン】から(ハバネラ)を選んだ。歌詞も覚えていないし、伴奏もないのだけれど、圧倒的な表現力を持っていて、それを、聞いている人が感嘆してくれているのを悟った。それは、初めてのことではない。だから、まったくもって、平静で、自信たっぷりだった。

 具体的には三人が、感想の言葉をかけてきた。まず、ポン、この時、すでに、夫が東大教授だっただろうか? お嬢様はフェリスから、優秀大学へ進学しているはずだった。だから、人生の勝ち組であり、私に対して、嫉妬心など、みじんも持っていなかったであろう。謡と仕舞と、お茶をやっているので、和服(小紋)をびしっと、着つけていたが、にっこりと笑ってくれて、「変わったわね」と、肯定的に、受け止めてくれた。ところが最も仲が、よいはずで、笠松敦子さんと、電話往来をする以前は、その人と最も電話往来が、激しかった、超お嬢様Dちゃまが、機嫌が悪かった。私は、「美貌の面では劣っているので、彼女と同じくらい、ICU同期生(特に男子には、)持てないはずだと、みなしていたのに、色気を、急に出して、私=Dちゃんを出し抜いて、裏切ったわね」「と、考えているのがわかった。だけど、その推察を、否定する、時間も場所もなかったので、そのままにしておいた。最後に、お歌の感想を述べてくれたのが、館野君だった。「よっているの?」と彼は、聞いてきた。わたくしはむろんよっていない。だけど、館野君がたーげっとではないから、ただ、ただ、目礼を交わしただけだわかれた

 すみません。まだ、家事が終わっていないので、ここで、中断をします。午前六時に寝ます。

後註1

西原理恵子の、本当の姿    2024-02-07 01:10:39 | 政治

西原理恵子、ツィッターで怒る     2024-02-07 15:43:07 | 政治

辛坊治郎、西原理恵子を擁護    2024-02-07 15:50:26 | 政治

 

副題3、『13日の夜に書きたかったことは、雪ノ下黒物語のさらに、具体的な事項である』

 この雪ノ下の鶯が谷(やつ・・・・と読む)に引っ越すように、手配をされた(まったく独自なA4サイズの、チラシが、何度も北久里浜の家に入った・・・・・一般的な不動産会社のチラシではない。しかも、北久里浜の家と、鎌倉鶯が谷では、電車で移動をしたら、1時間半かかるのだ。だから、これは、私をこの谷に追い込んで、タコ部屋的小さな環境で、殺す事を目的として、瀬島龍三が仕組んだことだと、考えられる・・・・・それに乗ってしまったのは、まずかったとも思う。・・・・・しかし、38年前で、実動18軒、今では、15軒という狭い社会であるからこそ、政治の真実がビンビン読み取れるので、自分が、秘匿された、大物ではなくて、ブログの世界だけだけれど、表に出た大物になれたので、それは、よかったと思う)

 昨日書きたかったことは、安野夫妻に、一回殺されそうになったこと(これは、今、立憲民主党の、国会議員をしている、早稲田悠季さんが我が家を訪問したことでもわかる様に、すごいことなのですよ)とか、前田夫妻の命令で、交通事故に出会った私を眠らせないとした二回目の他殺未遂等、ひどいことが連続して起きている一帯です。

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