銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

緒方一成は、女と男の役割を反対に使った、美人局だった? YUは、立教の拠点? 昔生徒を苛め抜く教師が附属中にいたのだが、超脂性であって

2020-03-10 02:21:50 | 政治

 この章ですが、総タイトルは、色々、変更する可能性があります。3月10日には、第一の総タイトル【緒方一成は、女性と男性の役割を、反対に使い、男性としての、つつもたせ役を果たしたのだろうか?】としておきます。次に、11日の午前11時に上に今あるものへと、変更をしました。

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副題1、『前報に、とても大切な部分が抜けていた。ここに其れを採録したい。コピペで置いておく』

 前報は、色々な、ものがたくさん詰め込まれております。ただ、新コロナウィルスというとんでもないほどの、大勢の人を巻き込んでいる、嘘と、謀略が、満載の、現象が起きているからこそ、以前なら、絶対に語らなかったことを語り始めているのですが、

 其れは、母親同士、娘同士が、仲がよかった、四人が関係している人間関係が壊れた話です。無論、当人同士の間の、問題では無くて、裏に悪人が潜んでいます。政治的工作によって、離反をさせられていると、見ています。

 :::::::::なお、ここで、挿入ですが、新コロナウィルス騒動における嘘とは、隠されている真実が多くあると、いう事を単純化して、嘘だと言って居るわけです。・・・・・それが、生物兵器であり、例のごとく、私の敵さん達が、アメリカにお願いをかけて、アメリカから、習近平に向けて、武漢の研究所で、入手できる、新型コロナウィルスを「武漢で、まきなさい」と命令をしたという部分です。そういう部分が、大メディアでは、公開をされていないと、いう部分を、私が嘘だと、言って居るわけです。また、武漢だけではなくて、世界中で、CIAの下働き連中がばらまいている可能性を感じています。イランの大衆には、中国との接点はありません。また、イタリア北部で、どうして、あれ程のパンデミックが起きるのかが不思議です。一方、日本でも、感染経路のわからない、発病が、数多く出ています。で、これも、人工的にウイルスを、ばらまかれていると、見ていますが、それが、大手マスコミから出てきていません。NHKなど、感染数が、いくらの数になりました。どういう職業の人の範囲に、救済措置が出ますと、その二点だけです。その秘匿されているという部分を、単純化して、嘘だと言って居るわけです。:::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。

 相手は、山川栄子さんと言う立教大学卒で、現代アート系作家として、活動をしている、私より、五歳ぐらい若いチャーミング(又は、キュート)な、鎌倉マダムです。髪はショートで、ちりちりパーマ、イヤリングは、山本寛斎、お洋服も寛斎か、高田賢三で・・・・きわめて洋風なおしゃれを通す、鎌倉マダムです。鎌倉マダムというと、川端康成の【山の音】に出てくる和装の美人を思い浮かべがちですが、最近の鎌倉で、彼女ほど、お値段の張る、かつモダンなものを着ている人は、他にいないのではないかと、いいうほどに、統一がとれた洋服を選ぶ奥様です。背が低くて小太りなので、それらのぷっくりと膨れていて、ウエストを強調しないスタイルの、ブランド物がぴったりと似合うのです。

 上條陽子さんは、私より、彼女の方を隔段に上だと、見ている模様ですが、まさか、お洋服で、そう判断しているわけではないでしょうね?

 その彼女が、明瞭に裏切ってきた原因が何であろうかと、思うのだけれど、一つには緒方一成と、彼女との師弟関係が、関与していると、私は見ているのです。しかも相談を受けた私が、結構邪険に、応答をしています。其れを盗聴で、知っている鎌倉エージェントが、私が、彼女の問題を、外へ漏らしたと、いう風に、

 いやな方向で、嘘の情報を彼女に与えたのではないかと、いうのが、前報の、もっとも重要なところです。ところが、それが、出ていませんでした。そこを青字で、こちらに、コピペしておきます。

ただ、青字の部分が、どういう前提で、青字になっているかを解説しないといけないので、その前段をも採録します。黒字でです。

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 その数年後、私は山川栄子さんから呼び出しを受けて、緒方一成に対する悩みを聞かされることとなります。これから、私が解釈するところの、緒方一成と、山川栄子の間柄に入っていきます。その恋愛の、嘘部分に入っていきます。唯ね、それは、山川栄子を傷つけるという目的で書くわけではなくて、反対なのですよ。これを書いた方が、山川栄子は助かるのです。今から書くことによって、彼女は助かるのです。

 ここら辺、敬称抜きで書いています。一般の方は、私が傲慢だと、勘違いなさるかもしれません。が、画家(作家と、現在では専門家たちは、呼ぶのだが、)を呼ぶときは、敬称抜きだからです。山川栄子は、プロだと、上條陽子さんから、規定をされたわけですからね。敬称抜きです。CIAとの関係を全部書き表し終えたら、上條陽子さんも、上條陽子と、敬称抜きになるでしょう。だが、今は、まだ、女流展に出品していた時代の残渣があるので、さんとか、先生とかいう敬称をつけておきます。

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副題7、

(数字は前報内では7となっている。この章内では、2か?)、

『画廊ヴィヴァンを、実質的に経営している、緒方夫人は、このような、女性たち=自分の夫を慕いぬく、女流作家=に、嫉妬するのであろうか? いや、緒方夫人には、嫉妬の陰はない。緒方一成は、妻には、あれは、政治的問題で、頼まれているからやって居る。僕は常に冷静だよと、説明をしているはずだ』

 私は、山川栄子さんから、『緒方一成を好きで、どうしようもない』と聞かされた時に、ものすごくイライラしたと、申し上げました。前々報の中でです。(後注1へ)

 其れは、私達は、娘同士が友達の間柄です。そういう間柄で出すべき話題ではないのです。彼女は、七人きょうだいの末っ子で、甘やかされて育っているので、こういう風に出てしまうのですが、と、同時にお金持ちの家で、いい意味でですが、放任状態で育っています。太宰治ほどではないが、親が手塩に掛けるというよりも、女中さんに育ててもらったと言う感じかな? 又は、兄弟の姿を見て、自然に育ちあがったと言う感じかな? だから、こうなってしまうのですが、

 こういう話題を、特に、東京の銀座へ、毎週二回は出かけている私に持ち掛けてはいけません。というのも、元、公募団体展に所属して居て(といっても会員ではなくて、連続入選という形なのだけれど)、その後、独立した作家として、私は、緒方一成の様な生き方と、旧来の生き方との、両方の仕組みを知っているわけです。公募団体展というのは、常に相互監視の目があります。中には、色恋沙汰に於いて。そういう野放図な発展家もいるかもしれないけれど、国画会などでは、そういうムードはないです。

 一方独立して活動している作家には、縛りはないです。相互監視の目もないし、上下関係もないです。すると、どこまでも発展してしまいそうですね。そういう想像を私にさせることは、山川栄子の罪です。やっちゃあ、いけないことをやって居る。それもイライラした原因ですが、他にも、『嘘があるわ。この恋愛には』と、いう思いがあるからです。そういう未来像まで見えて来たので、強烈にイライラしたのでした。

 山川栄子は緒方一成に惚れているのかもしれないけれど、反対はないです。反対側は、策略と、言葉の遊びだけです。

 わたくしはエスパーかといわれるほどに、真実がわかる人です。この場合に特に重要な事は、山川栄子を追い込んで、相談を仕掛けないとならないほどに、悩ませておいて、

 挙句の果ては、相談を持ち掛けられた私が、それを、外へばらしたと、いう事にして、私と彼女の仲を決定的に裂くと、いう、目的で、行われた謀略でしょう。それに、お嬢ちゃま・奥様である、心理的に、未熟な栄子さんは、引っかかったのです。そういう未来像まで見えて来たので、強烈にイライラしたのでした。

 つまり、緒方一成は、一種の美人局(つつもたせ)として、特に強烈に、山川栄子さんに接触してきたと、私は見ています。

 前報(後注2)で、松下辰枝さんのケースを挙げています。それがあるからこそ、こういう風に考えます。しかも、前報の中で、もっとも、重要な、この部分が、削除されていて、読者に届いていなかったという事実を、9日の深夜(=10日の午前1時半)に発見して、ますます、この思いが強くなっています。

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 副題3、『私は、既に、太地喜和子の、【花衣、ぬぐやまつわる】を、見ていたし、師弟関係の間の、恋愛感情にまつわる色々については、経験も重ねていて、既に、或る程度の、境地に達していた』

 何度もそれを言う様ですが、彼女はわがままです。それで、私は、自分が損をしていると、思う事は度々ありました。その緒方一成の相談を受ける前、それも相当に前の事でしたが、彼女が、グループ礫という勉強会に誘ってくれました。其れは、ありがたいものでした。が、そこで、主催者の熊沢俶さんという女性の、隠微ないじめに出会ってしまいました。熊沢さんは、主役講師の小関先生と、精神的事実婚の関係にあった模様です。でも、同居はしていません。ところで、小関先生は、既に、恒例であって、一種の、もうろくに近い状況もあって、 グループ内での、女同士の微妙な感情に配慮するなどという事はできない状況だったと、思います。私には、そういう微妙な状況はわかっていましたが、一方で、ものすごい勉強好きなのです。常に勤勉だし、研究熱心です。で、前回に、小関先生が、教えたことを油絵の小品数点に具現化して次の会にもっていくわけです。そうすると非常に喜ばれて、熱心な指導を受けました。それで、合計三時間ぐらいの、講義の最中も、熱心に質疑応答を交わす間柄となりました。

 ほかの人は、公募団体展の直前に、応募する作品をもってきて指導をしていただくというのが目的らしくて、余り、質問をしません。質問をするのは、私と、もう一人の二人だけとなりました。そのもう一人というのは、のちにサントリー学芸賞をもらって、学習院大学の教授になっていく人で、上智出身で、美術評論家を目指す人でした。したがって、熊沢さんは、喧嘩するつもりがないのです。美術評論家を相手にして、喧嘩したら、自分が損ですからね。で、熊沢さんのいじめは、私に集中することとなりました。私としては、自分はイノセントなつもりです。だって、『その教室で、純粋なレベルで、もっとも、深く勉強をしているのは、私ですから、特別にかわいがられるのは、自然なことだわ。別に、先生に色目を使っているわけでもないし』と、おもっていました。ところが、それが通らないのです。で、山川さんにとりなしてほしいと、お願いをしました。すると、何もやってもらえません。まあ、難しい事だったでしょうが、その時に、何もやってくれていないのに、今度は助けてですか、自分勝手すぎるわよ』と、いう思いが、私の方に在りました。

 まあ、私は礫をやめてから、誰のお助けも借りずに、女流展とか、国展とかに入選する様になって、『ああ、よかった。もう先生なしで、暮らせるわ』と喜んだのですが、今度は、新しい難問が出てきました。

 其れは、山寺重子さんからのいじめという問題です。これが裏に政治があるかどうかがわからないのですが、熊沢さんのケースと違って、明確な理由がわからないだけに、難問でした。1991年に初入選以来、山寺重子のいじめには、すぐに、まいってしまって、1994年には、銀座で二度目の個展をしています。其れは、国画会を抜け出るためでした。本当なら、其の1994年の時点で、『今すぐにでも、無所属系作家として行きたい。ほかの公募団体展に、鞍替えしても同じことだろうし、』と、かんがえて、公募団体展を卒業する準備を始めたというわけです。

 それが、渡辺幸子さんの、青木繁大賞展、大賞受賞に、発展をしていくのですが、ともかく、そこまで行く前に、数人の、信頼に足る人を選んで、山寺重子問題を電話で相談をした時の思い出を語らせてくださいませ。信頼に足る人とは、三分間、同席しただけで、相手の人となりがわかる私には、あの700人の国展出品車の内の相当に、いい人だとなります。また、二次会等で、私の近所に座っていて、私の、事も相手方が知っていると、いう人を選んだのです。それから、国画会にも派閥があるので、山寺一派ではない人を選んでいます。 

 ここらあたり、文章がダブって居たり、一部消えて居たりして、裏側から、いじめられています。という事は、真実がどっさり含まれている部分です。

 最初に相談を仕掛けた人は、とてもえらい人で、しかも、すでに亡くなっています。だから、語ってもいいと思うのですが、穏やかな口ぶりで、山寺重子さんが、どういう手段を使って国衙会内部で、中ボス化して至ったかを教えてくれました。非常に分かりやすかったです。かといって、その人が、山寺重子さんの行動や態度を改めてくれるはずもないです。状況は変わらないです。

  二番目の方は、奥様が異様に警戒されるのです。其れは、数年後に、自分が出版した本を持参してお宅に届けた時に、奥様の実物に出会って、その理由がわかりました。しかしその理由は、ここには書けません。

 三番目の人からは、「あんた、僕を、旦那扱いをしないで」と言われました。

その時、まず、びっくりしましたが、次に、人に頼るという事が、どういうことなのか? そして、女が、男と電話をすることが、どういう意味を持つのかを、教えられました。私はもっと、苦労をして育った人から、「ねんね、ねえ」と言われることがあります。

 その同じ言葉を、緒方一成との、間柄を相談してきた、山川栄子さんに投げつけたいと、思いました。それ以前にも相当に甘えられていると、考えてはいましたが、この時は、我慢がならなかったのです。

 ロダンと、その妻との三角関係に悩んだ、クローデルは、狂いました。高浜虚子との関係に悩んだ、きく女も狂いました。田辺聖子の小説が、大評判をとって(わたくしは、お茶大付属高校の先輩が取り上げられているので、田辺聖子の小説も読みましたが)其れから、脚本をつくって、太地喜和子が、きく女役を新宿で演じました。で、劇評がいいので、私は見に行きました。が、彼女の、ムードはこの主人公には、あてはまらず、向いていなかったです。体形も顔も、まるで違うので。

 ところで、山川栄子さんから、話を聞きながら、『これを、そのまま、まっすぐに進めさせると、菊女になるわけですね。でもねえ、今、あなたが、くるってどうするのです。これから、二人のお子さん方が、結婚する時期だと、言うのに』と、思ったので、そういう側面からも、イライラしたわけです。私は、別に自慢はしないけれど、若いうちからたくさんの書物を読み、色々なものを見ているのです。人間とは、どういうものか、相当量を勉強して居ます。だから、よく予言ができると、言って居るでしょう。本当は、資生堂の将来についても予言をしたいぐらいですが、この章内では、行いません。

 だから、つい邪険になったのです。「いいのよ。(ここから先は、無音ですが、私が心の中で、思ったことは、・・・・緒方一成に対して、あなたが、どういう感情をもってもいいのよ・・・・です)ただ、ホテルに一緒に行かなければ」と。

 二人は、ホテルには、行かなかったでしょう。だって、緒方一成は、英国屋の主人・他・誰かから、教唆命令を受けて、山川栄子に近づいたのだと、私は見ていますから。だから当然に、お嬢さんが、資生堂の社長の秘書をしている事だって、知っているはずです。そういうお宅の奥様に対して下種な事をするはずもないです。しかし、山川栄子と、私の間に、何かの、不穏な関係を作り出そうとして、近づいたのは、確かです。

  これは、言い過ぎかもしれないけれど、お嬢さんは大卒新卒時から、秘書ではなかったと、思います。或る時点から、社長秘書になったのでしょうが、それも、この英国屋オーナー(又は、先代)と、石塚雅彦さんとの、交流を通じて、資生堂の社長が、そういう人事をする様に、教唆命令をされた事かもしれませんし。

 ともかく、私は、彼等の、思惑通りに、彼女から、恋・ばな・を聞かされ、イライラして、邪険な、態度で、返事をしました。それだけでも、友情が壊れるはずでした。が、さらに、それを私が外へ漏らしたとなれば決定的な、仲たがいと、なるでしょう。それを書いたのが、前節(後注2)の青字の部分なのに、それが、表出して居なかったのです。非常に悪意ある、攻撃です。ただし、それは、山川さん自身が、私を攻撃したわけではありません。次に書くエピソードは、事態がもっと進展して、彼女自身から攻撃をされる様になったある週の出来事です。

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副題4、『鎌倉、小町通りに、YUという画廊がある。そこで、立教大学・美術部・同窓会展が、開かれたことがある。そこは、私が、JR鎌倉駅へ向かう時に、必ず通る場所であり、不動産屋に言わせると、徒歩三分の、至近距離となるだろう。その画廊のオーナーは、立教大学卒であり、私は、その事を知っている。と、同時に、山川栄子さんも、立教大学卒であり、私は、その事を知っている。こういうグループ展だと、一人当たりが、もらえる招待状は少ない。でも、山川栄子さんって、割とものぐさである。動かない。そういう態度の人だから、公募団体展にも応募しないのだけれど、たとえ、30枚しか数がなかったとしても全部は使わない筈で、私に対して、一枚ぐらい送って来てもいいはずである。それも面倒くさいのだったら、電話一本くれてもいいはずだった。1990年代まで、しょっちゅう電話で呼び出されて、カフェで、悩み事を聞かされたシーズンを考える、と、電話をかけることは、彼女にとっては、軽い話の筈だった。

 しかし、それがないわけだから、これは、激しい敵意の表明だった。私の方には、思い当たるフシと言えば、あの「いいのよ。ホテルにさえ行かなければ」というセリフしかないわけだから、理不尽な裏切り、理不尽な離反である。・・・・・・気が付かなかったふりをして、「ねえ、あなたって、YUに出品していたでしょう。本日見て来たわよ」という電話をかけてみようか?・・・・・・と、一瞬だけど思った。ほかの友人だったら、裏があって、既に、本心では裏切っていても、すぐ様、状況を察して、「あ、御免、案内状を出さなくて。でも、気が付いてくれたでしょう。当然」と、いう可能性がある。彼女は我が家に遊びに来てくれている。だから、我が家の立地を知っていて、私が毎日、YUの前を通るのを知っている。

しかし、彼女は、そうは出てこないと思った。意外と、というか、あっさりと、本当のことを言うと、雑なのだ。そして、わがままなのだ。何か気に入らないことがあると、おおきな画用紙を広げて、クレパスで、ぐあーん、ぐわーんと、千を引く、あっちこっちの方向へ、怒りをぶつけるがごとく線を引く。その上で、後で、絵として、成立する様な彩色を筆などで余白に施していく。そういう絵である。

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副題5、『繰り言になるが、いい関係の時期もあった。1985年に付き合い始めてから15年間ぐらいは、そういういい時期だった。そういう時期に、山川栄子さんは、うちの娘の性格と容姿をほめてくれた。お返しとして言えば、そちらのお嬢様も、正当派系の美女である。高橋惠子、原田美枝子、真野あづさを、足して三で割った様な美貌の持ち主である。お化粧品の資生堂の社長秘書としては、まことに、ふさわしい』

 最近のニュースですごいものを聞きました。幼女が、足を引きずって歩く動画を、夫婦で、スマホで交換をしあっていたそうです。その子は、4歳で、冷水を浴びせられて、低体温症で、亡くなったのですが、その足を引きずった動画が、何故、撮影をされたかというと、母親が、幼女の足の筋肉を、皮膚の上から、引き裂いたのだそうです。それを面白がって、夫婦で、動画を交換していたそうです。まあね。鶏肉の手羽先を、食べるときに、我々は、筋肉が、どういう風についているかを知ります。特にそのかわいそうな子の両親が、肉屋でも経営して居たら、母親が、そういう、いたずらを面白がりながら、やるケースはあるでしょう。ただし、肉屋さんが、全部虐待をするわけではありません。これは、あくまでも、推察の範囲の話です。

 普通、継父が妻の連れ子を虐待すると、いうケースが多いのですが、この一年間は、実の両親に虐待されるケースが、NHKニュース内で、報告をされています。千葉県の方では、小学四年生になっているのに、殺されたかわいそうな女の子がいました。これは、実の父親でした。

 しかし、上の四歳の、女の子のケースは、母親が、嫌っていた模様です。で、典型的なエレクトラコンプレックスの反映でした。特に次女なので、育てる珍しさが、薄れています。ただ、唯、『面倒だ。手がかかる』という意識だけが、先行した可能性を感じます。

 其れは、フロイトが、提唱した・・・・同性の親子は、憎しみ合うケースが多くて、異性の親子は、親しみ合う・・・・・という現象を、総称した、心理学的用語です。男の子しか生まれなかったケースでは、本能的な父親としての愛情が生まれるかどうか、やや微妙なところですが、女の子しか生まれなかったケースだと女親が、微妙になります。

 このフロイトの理論は、母親学級などで、教えた方がいいです。というのも、男の子と、女の子の両方が生まれた時、母親は、男の子の方を偏愛しがちなのです。

 だから、このフロイトの理論は、保健所の母親学級(今は産婦人科で、受けますか?)などで、教えて、その上で、理性をもって、平等に育てなさいと、教えた方がいい理論です。「そういう偏愛の傾向が、ほとんどの人にあるのだから、理性的に気を付けてくださいね』と、赤ちゃんが、生まれる前に、しっかりと、教えておいた方がいいです。

 で、山川栄子さんも、下の男のお子さんの方は、非常に上手にお育てになっています。その子は、職業は、サラリーマンながら、有給休暇が、取れる会社の模様で、世界七大峰への登頂を目指していると、いう事でした。3つか5つかを征服した時点で、交流が切れてしまったので、残りの山の登頂がどうなって居るかは知りません。

 しかし、上の子のお嬢ちゃんの方へは、下の子ほどの、愛情を持てないそうで、お嬢さん自身が、思春期の突破が、難しい局面に達したそうです。そういう時に母としてイライラしてしまうそうです。ま、誰だって悩む時期です。私も男の子の方で、悩みました。が、「それを上手に切り抜けたのは、お宅のお嬢様と、うちの子が、友達だったからよ」と言われました。その子供同士の付き合いの、いい結果への一種の返礼だと思うのですが、「お宅のお嬢さんって、おなり中学の卒業生の間では、松嶋菜々子にの、〇〇ちゃんって言って、大評判なのよ。そして、性格がいいから、うちの子も、仲良くしていただいて、とても助かるわ」と、言ってもらったことがあるのです。

 このおなり中学の卒業生というのは、アルバイト先での、お付き合いの事をさすのでしょう。鎌倉のカフェか、レストランか、大学生になった、おなり中学の卒業生が集まる場所があって、そこでの、お付き合いの同窓会は、今でも、一年に一回ぐらい、やっているみたいですよ。主に夏。つまり、背が高くて、顔が美形で、特にお勉強一途でもないし、かといって、成績が悪いわけでもないと、いう層の集まりです。教室の中心にいる華やかな子供たちと言っていいかな? 番長を形成しているわけではないですよ。他者をいじめたりはしません。でも、青春一直線、幸せな、思春期を送っている、青少年と女子大生です。そういうグループでニューヨークにも一緒に行って居ます。ただし、女の子だけですが。

 しかし、この電話が岐路だったと、思うのです。それ以来、「川崎千恵子と山川栄子の仲を裂け」という風に指令が、下ったのだと、思いますよ。だれから?、だれに? と言えば、

 酒井忠康氏、早川重章氏、前川佳子さん、それから、緒方一成とか、美術界の諸処の人々へ。勿論の事秋山祐徳太子を通じて、上條陽子さんにもです。源泉は、井上ひさしとか、伊藤玄二郎に在ります。アイデアは、そういうところから出ています。やまゆり園事件も、京都アニメーション放火事件も、登戸のカリタス小、通学バス襲撃事件も、保見死刑囚が殺したとされている五人殺しの、周南市の事件も、真夜中にアーケードをさまよって居て、中一の、二児童が、殺されたとされる、山田浩二の事件もです。そして、世界を巻き込んでいる、シャルリーエブド事件、それから、副操縦士ルビッツ君の、自殺願望が、引き起こしたとされているドイツ格安航空機アルプス激突事件などと、並行して企画をされています。そして、私の方ですが、この節で上げた、新聞炎上型派手なニュースと並行して、ひどく身近な人間に、異変を起こされ続けているわけです。

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副題6、『西原理恵子にも、異様に大きなレベルで、苦しめられた。勿論の事、裏側は、わかるまいと、高をくくって、それが、行われる。しかし、私には、結局のところ、わかるのだ。秘密にされていることの、すべては、結局は、わかって来る。

 其れを、わかったうえで、このブログにに書くと、今度は、NHKまで、利用して、そして、テレビ東京の番組へのCMを、通じて、西原理恵子が、アゲアゲで、持ち上げられて行く。反対に、それを見ている方の、私がどれほどに、馬鹿にされている事か? それは、おびただしい量である。

 そして、TVやメディアを使った犯罪事件で、脅かしてくるのもさることながら、ご近所様が使役をされている。高枝切り事件とか、吉田茂穂、宮司のお馬がパカパカ事案等も、その一つである』

 息子の職が西原理恵子を利用して奪われましたよ。これも書きにくい事おびただしいのですが、・・・・・しかも、息子は、一切を、口に出して、私に教えていないのですが、秋葉原のブックオフで、西原理恵子の、漫画アンソロジー集、さいばら茸を買ったことで、真実が、全部、わかったのでした。事件が起こされてから、二年か三年後にです。

 これをやっと書いたら、【やりすぎ都市伝説】と、いう番組のコマーシャルで、西原理恵子と、実質婚場の夫である高須クリニック院長が、プライベートジェット機で、世界中を飛び回っていると、いうコマーシャルが、バンバン、バンバン、放映をされています。私はね。高須院長が癌になったのは、神様のおしかりだと、思いますが、それだけでは足りないほどに西原理恵子には、苦しめられています。で、これは、ずいぶん前から、予言をしていますが、彼女は、子供に嫌われるはずです。10億円もするという脱税御殿に住みながら、子供からは、おはようとも言ってもらえない関係になるでしょう。

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 これから先は、11日の朝、書く部分です。ただし、上の方に置いてある、ここまでの、部分でも相当に加筆をしています。

 まあ、そういう風に四方八方からの、攻撃を、しかも、24時間にわたって受けているわけですが、新聞には、全く載らない様な、山川栄子さんと、上條陽子さんの私からの、離反、は非常に、神経を痛めるものでした。上條さんの方は、まだいいのです。いずれ、ちゃんと書けます。だけど、山川栄子さんは、子供が絡んでいるので、書けないのでした。そこを狙われていると、しっかりわかっているけれど、書けないのでした。じく、じく、じく、じく、した苦しみを、この20年間与えられ続けているのです。

副題7、『西原理恵子にも、異様に大きなレベルで、苦しめられた。勿論の事、裏側は、わかるまいと、高をくくって、それが、行われる。しかし、私には、結局のところ、わかるのだ。秘密にされていることの、すべては、結局は、わかって来る。
 其れを、わかったうえで、このブログにに書くと、今度は、NHKまで、利用して、そして、テレビ東京の番組へのCMを、通じて、西原理恵子が、アゲアゲで、持ち上げられて行く。反対に、それを見ている方の、私がどれほどに、馬鹿にされている事か? それは、おびただしい量である。
 そして、TVやメディアを使った犯罪事件で、脅かしてくるのもさることながら、ご近所様が使役をされている。高枝切り事件とか、吉田茂穂、宮司のお馬がパカパカ事案等も、その一つである』
 息子の職が西原理恵子を利用して奪われましたよ。これも書きにくい事おびただしいのですが、・・・・・しかも、息子は、一切を、口に出して、私に教えていないのですが、秋葉原のブックオフで、西原理恵子の、漫画アンソロジー集、さいばら茸を買ったことで、真実が、全部、わかったのでした。事件が起こされてから、二年か三年後にです。
 これをやっと書いたら、【やりすぎ都市伝説】と、いう番組のコマーシャルで、西原理恵子と、実質婚場の夫である高須クリニック院長が、プライベートジェット機で、世界中を飛び回っていると、いうコマーシャルが、流され、NHKは、BSプレミアム最後の抗議という番組で、さいばらりえこに、東京女子大の学制に向かって、結婚制度とは別に、お処やりまくれ、セックスしまくれ』と、説得をするのでした。これには、石塚雅彦さん、故・湊宏先生の坊ちゃま(有楽町の、電気ビルで弁護士事務所を開いていて、国際弁護士として、活躍中)とか、未亡人の、晶子夫人(東京女子大学長)も手を貸しているでしょうね。::::::::ところで、ここで、スピンオフとなりますが、東京女子大卒の、前田家のお嬢様が、明大の教授になっていくのは、まあ、それも、石塚さんや、湊晶子さんが、関与していると、思って居ますよ。::::::::

 まあ、そういう風に四方八方からの、攻撃を、しかも、24時間にわたって受けているわけですが、新聞には、全く載らない様な、山川栄子さんと、上條陽子さんの私からの、離反、は非常に、神経を痛めるものでした。上條さんの方は、まだいいのです。いずれ、ちゃんと書けます。だけど、山川栄子さんは、子供が絡んでいるので、書けないのでした。そこを狙われていると、しっかりわかっているけれど、書けないのでした。じく、じく、じく、じく、した苦しみを、この20年間与えられ続けているのです。

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副題8、『しかし、私は、この10年間、自分には、天(又は、神)からの恩寵があると、気が付き始めている。おん見守りがあると気が付き始めている。其れを感じるので、
ずうっと、健康に生きている。ほかの人より、エネルギーレベルが高いとは、思わないが、それでも、健康に生きている』

 この三日間は、山川栄子さんに、ついて描いたことで、大きなストレスを感じていました。それで、疲れて、推敲はしないつもりでした。二日目も、一切目を通していません。ただ、或る数字だけが、間違っているのではないかと、気にかかっていました。其れは、正しくは、1955年(=昭和30年)という数字を、1952と、誤記したのではないかと、いう事です。1955年は、戦後10年目です。1952年だと、戦後7年目であって、私は10歳です。1955年だと、中学一年生です。

 そのホームルームで、担任が、ねちねちと、唯、一人を対象に苛め抜くのです。其れは、私ではなかったのですよ。だけど、不条理だし、気の毒だし、私は、本当に苦しめられたのです。

 ただ、その学校がいい学校です。当時は、横浜一名門だと、思われていた横浜国立大学付属中学校です。今、NHKBSプレミアムで、大活躍中の、渡辺あゆみさんも、かまくら分校ですが、同窓です。で、そういう有名な学校についての記述で、年度を間違えることは避けないといけません。出ないと、間違った先生が、悪人だと、誤解をされてしまいます。それだけは、直しておきたいと、考えました。それで、本日、其の一点だけを探して、全文をスクロールしていったのに、見つからないのです。

 しかも、驚いたことには、別のものも消えていました。それが、副題2に置いた青字の部分です。それが、無いと、この一文の、書いた意義が、無くなります。

しかも、驚いたことには、別のものも消えていました。それが、副題2に置いた青字の部分です。それが、無いと、この一文の、書いた目的や、意義が、無くなります。将来とも、長く残っていくはずのこの文章が無意味なものになってしまいます。 

 其れを二か所とも、復活させ得たのは良い事でした。底が、天が、温見守りになった点だと、思って居ます。そして、こういう悪さをするのは、井上ひさし(まだ生きていますよ)だけではなくて、横浜国立大学付属中学校の関係者も、そういう事をするだろうと思い当たりました。それゆえに、成岡康司君(1965年に早稲田の革〇の委員長だった)が、CIAエージェントの枢要な地位を占めているだろうと、いう憶測が正しかったと、わかったことです。それが、わかったことも大きいですよ。彼は、アメリカ大使館内に住んでいると、思います。

 では、緒方一成を、私が、生理的に嫌う、原点となった、1955年初夏ごろから、1956年3月までの、旧女子師範の、ビルの中の、特別な飛び地的教室で、行われていたことを、ここに、コピペさせてくださいませ。其の原文のリンク先は、後注3に置いておきますが、ここにコピペした部分が、その先生の、部分です。

 

 

*3)、さて、三番目は、私が実際に目撃したケースで、被害者の男の子が、亡くなっていると、聞いているので、書いていきたい話です。いじめた方の先生も、無論なくなっていると、推察しています。私は、1955年に、当時は、本牧に在った、横浜国立大学の付属中学に入学しました。当時のその学校は、横浜切っての名門校でした。上にもちらっと書いていますが、

 その一年に在学していた時に、担任の先生が、最前列に座っていた、背の小さい男の子、(但し、ヴァイオリンは、上手で、小学校で、既に、何らかのコンクールに入賞していた)を、ちびり、ちびりと、いじめるのです。それも、ホームルームの、一時間の間中、苛め抜くのでした。

 これは、ある特殊な条件が、加味して起きたことでした。その教室は、大きくて、古風な、コンクリート製ビルの一階に在って、ほかの教室からは、100メートルぐらい離れていて、孤立していました。そのビルは、今は取り壊されていて、存在して、いないのですが、旧制女子師範の、校舎だったのです。1950年代は、横浜国立大学学芸学部の、校舎となっていました。その西側の翼の、一階の最も奥まった一部屋を、付属中学の、一年、△組が使って居たのです。だから、そこの中で、起きていることは、ほかの誰も知らないことだったのです。ほかの先生も知らないし、ほかの生徒も、誰も知らない、密室の出来事でした。いじめを目撃している子は、全体で、50人はいたと思いますが、誰も、その教室内で、起きていることを、親とか、ほかの友人や、先輩に話すことはなかった模様です。

 先生のいじめ方は、こうです。・・・・・この前さあ、【とんま】の母ちゃんがやって来てさあ・・・・・で、始まります。【とんま】君とは、本名は、本間君といいます。しかし、先生は、いつも、とんまという、バカの、一種類を指す、言葉を使って、彼の、お母さんの、悪くちを言い始めるのでした。

 私は、子供ながらに、何でもわかる人ですから、そのいじめが、どうして起きるのかを(たぶんですが)正しく把握をして居ました。其れを、語らせていただきたいです。先生は理科を教える男の先生であって、温室を管理されていました。授業ではなくて、放課後遊びという形で、四、五人の女の子が温室に入って行ったのです。珍しい植物を見せてもらえるという事で。その中に先生の靴下が、あらって干してありました。グループの中に、お家で、かわいがられているらしいので、何の屈託もない、女の子がいて、先生に「先生、どうして、靴下が干してあるの?」と、質問をしました。すると、先生が、「奥さんが、洗ってくれないのよ」といいました。その先生は、アブラ症でした。で、それで、無くても、男性の靴下は、臭いのですが、先生の場合、特別に臭かったと、推察しています。ただ、それを聞いた、

 その瞬間に、先生が、何故、本間君をいじめるのかが、はっきりと、わかりました。先生は、見かけは強い人でしたが、女の人をどう扱ってよいかが、正しい形ではわかっていない人でした。そして、夫婦喧嘩ができない人でした。たぶんですが、女の人(=奥さん)へのうっぷんが、大量にたまっていたのです。

 その陰に、音楽というものが、非常に悪い作用をしていたのです。普通なら、音楽とは、美しい心を生むものですが、このケースでは、先生と、奥様、先生と、本間君のお母さん、また、本間君とお母さんの、人間関係のすべてに音楽が介在していて、しかも、それが、非常に悪い形で、作用をしていたのです。

 先生は、声がよくて、歌が上手で、NHKのど自慢で、鐘を、三つ以上、鳴らしました。それが、魅力となって、同僚の音楽の先生と、結婚をされました。奥様は、芸大卒だと、聞いています。付属中学の音楽の先生は、代々芸大卒の方が、赴任します。先生は、この靴下の件を、私達が、温室で、聞いてしまう時点より、ずっとく前に、既に、奥様の悪口を生徒に聞かせることがありました。「(退職をして)専業主婦として、子育て中の奥様が、化粧品を買うのだが、それが、高くて困る」と、既に、おっしゃっていました。それも、ホームルームだったかもしれません。

 私は、その二つのエピソードとも、聞くのが嫌でした。何か、権威がないと、言う感じがしました。学校の先生とは、そういうものではないと、いう思いがありました。

 そして、そういう風に夫を仕立て上げてしまう、奥様というのが、未熟で、わがままな女性であろうとも、推察しました。先生が、生徒(特に小柄で、子供っぽい男の子)を、いじめる初因は、奥様に在るのだ、とも思いました。芸大に、入学するのは、小学校時代から、まず、ピアノは、習わないと、いけません。戦時中です。食料もない様な時代に、ピアノを習う事が出来た女性です。上流階級の出か、富裕層の、生まれでしょう。先生の方は、そうではないのです。だから、負けていると、いう感覚があって、しかも、それを改善できないで、居る夫婦関係なのだと、思いました。

 後に、この鎌倉の雪ノ下の、ご近所の画家、大原光孝さんから、あれこれの攻撃を受けた時に、防衛のための文章を書くのですが、「あの夫婦は、夫婦間の感情の交流がない。全くスケスケの家庭だ」と分析していきます。そして、「その結果、100%の他人である私に対して、甘えてくる」と、書いています。彼が、あれこれ、攻撃をしてくるのは、今は、どうなのか、わかりませんが、最初期は甘えの変形でした。

  こちらの理科の先生も同じです。先生は、家庭という内側の世界で、甘えることができません。普通の男性なら、家庭で、ストレスを発散してきて、職場では、ちゃんとした、表むきの姿勢を保つはずです。だけど、それが、できていない先生でした。で、教室という職場で、生徒という他者50人に対して、甘えて来ておられるのです。私は、その時、13歳でした。だけど、『参っちゃうなあ』と、思って居ました。で、私は、すぐ顔に出るのです。で、先生から、追放をされて、唯一人だったかな? 二年の時に、別のクラスに、組み替えになりました。其れは、損でもありました。ただでさえ、した(付属小学校)からエスカレーター形式で、上がってくる子たちで、出来上がっているグループ内に入っていくのが大変なのに、また、一からやり直しですからね。でも、そういう損があっても、こっちの方がよかったと、思いました。そして、本当に、ほっとしました。あのホームルームを体験するのは、一種の地獄できたから。

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副題4、『もちろん、本間君のお母さんの、方も悪い点があった』

 もちろん、本間君のお母さんも悪いのですよ。小柄で、年取った人でした。でもね。武蔵野音楽大学、または、国立音大、または、フェリスぐらい出ているのかもしれません。でないと、インターネットもない時代(1950年代)に、どういうコンクールがあって、そのどれに応募すれば、本間君が優勝、もしくは入賞できるか? などという事は、うちの母なんかは、知らない情報ですから。

 で、先生がのど自慢で、鐘を鳴らしたなどという事も、全然評価できなくて、「あら、いやだ。それって、クラシックの世界では、マイナスになると思いますよ。だから、あんまり、外に向かっては、お話にならない方が、いいんではないですか」ぐらいのことを、言って居るのではないかしら。先生としては、自分は、音楽が好きですが、専攻は、音楽ではありません。国立大学の学芸学部と、私立の音大では学費が違います。だから、本間君のお母さんは、上に出たと思いますよ。『私の方が、実家は、上ですよ。婚家先も上ですよ』と、いう態度で、ものを言ったと思います。それが、先生には、カチンと来て居たのでしょう。

後注1、・・・・・以下の章野副題3から、山川栄子さんに関する記述が始まります。あまりに身近な人だったので、其の裏切りについて描くのが、相当にヘビーだったのでした。20年近く待っています。

井上ひさしの、12人の手紙の大宣伝、山川栄子、資生堂、資生堂展in New York University, 晶文社、宮本和雄、横山三田会横浜支部長、びーとたけし、隈研吾

2020-03-05 03:26:41 | 政治

後注2、

緒方一成・・・紳士服の英国屋・・・松下辰枝、山川栄子・・・・・美人局の男女あべこべスタイルとは?

2020-03-08 02:10:40 | 政治

後注3、

1955年・中一の受け持ち男子を苛め抜いた男性教師 VS 1951年受け持ちの小三=私に、生涯忘れられない忠告をくれた担任(女性)

2019-11-12 22:35:40 | 政治

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以下は、10日の夕方書いたメモです。私の頭の中は、そういう予定がありました。

 これから、先、

 *1、松嶋菜々子の逼塞と不利の与えられ方。

 *2、山川さんのお嬢様が、再就職をする際の言葉・・・・もしかしたら、また、小池玲子さんが動きましたか?

 *3、酒井忠康と、竹屋画廊のおばちゃんの話。

 *4、画廊るたん長瀬いづみの個展の日の騒動の話、と、私の為に画廊を閉鎖した話・・・・・その画廊って、竹屋画廊の事ですか?

 *5、リンゴの手土産の話

 *6、上條陽子とパレスチナ支援の話。

 *7、安井賞終焉の話

 *8、毎日現代美術展、終焉の話、

 *9、大久保忠春さんの、交通事故の話。

 *10、山口千里さんと、高田弘子さんの話

 他、延々と続く予定です。

 しかし、本日の様なものを書くのは、非常に疲れる事なので、ここで、中断をします。続きは明日か、又は、将来に書くでしょう。

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