銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

菅義偉氏は、成岡庸司君と結びついていて、河合案里議員をスケープゴートに仕立て上げた功績で、総理大臣になりましたか?

2021-02-27 10:54:02 | 政治

 以下の文章を書いたのは、土曜日の深夜です。で、24時間後になって、相当量の加筆をするつもりです。特に自分として、地震がある加筆部分には、緑色のフォントを使っています。

副題1、『菅義偉総理大臣は、横浜選出議員にしては、考え方が古すぎるが、それは、なぜなのか?』

 長いものを書き始めていましたが、ちょっと、考えがあって、それを引っ込めて、新たに投稿をします。こちらでは、簡潔に、要点を書きましょう。

  菅総理大臣は、頭の良い方だとは、思います。秋田という地盤で、自民党の代議士をしても、総理大臣にはなれないのだと、考えて、東京に出てきたのは正しい選択です。

 ところで、菅総理大臣にとって、小此木彦三郎代議士(元大臣)の秘書で、政治家人生が始まったのは、ラッキーでしたね。小此木家で、奥様とのお見合いが、(若い使用人として、二人が、使われていた。が、それは女性の方が、自然なるお見合い相手として、選ばれていたと考えるべきであろう。)設定された模様だし。奥様は、静岡大学附属中学校出身だそうです。

 ところで、小此木家は、代々の材木商です。昔は、大きな材木は、長いまま、いかだに組んで、船で曳航してきたので、小此木家が、大岡川(横浜港にそそぐ川としては、一番大きい)沿いの、京急・黄金町駅もよりに、事務所を構えているのは、歴史を考えると、おかしくないです。

 で、私の方は、1984年から京急の北久里浜という駅を利用する様になるので、京浜急行を利用して、小此木ビルを眼下に見下ろしながら、黄金町駅を通り過ぎると、いう風になりました。北久里浜に停車する特急は、黄金町では止まらないのです。

 たまたま、絵を描いているものですから、関内駅そばの、横浜市民ギャラリーというところ(今はないらしいが)へ、頻繁に出入りしたので、ここらあたりは、よく知っているのです。で、小此木ビル近辺は、伊勢佐木町と、その裏通りの歓楽街(居酒屋などが、集積しているところ)の商店と、お付き合いのあるところです。

 国会議員秘書として、また、市会議員として、その人たちと付き合うわけですが、お酒を好まない菅総理は、どういうお付き合いをしたのでしょうか?

 ともかく、菅義偉・総理大臣の、首相就任以降の行動を見ると、浜っ子、固有の行為とは、とても思えないです。古い、古いコンセプトに基づいて、おこなわれています。どうして、そうなるのかが不思議です。以下の青緑色のフォントで、書いた部分は、二日目に挿入する考察です。

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副題2、『菅義偉・現・総理大臣の、古臭さとは、氏が秋田県雄勝町で、獲得した、田舎で、生じた競争心に、隠微な形で負けた側の人間の、復讐心の発露だと、私は、見ている。菅家の、父君は、実力は高いが、嫌われているエリートの、方で、田舎特有の、複雑微妙な上下関係の中では、後から伸びてきた、実力者一家として、ひそかに、嫌われていたと、私は、考える。

 それを、残念だと、思う息子の勝気さが、全生涯を通じて、菅義偉の中にキープされていると考えると、私の心には、ぴったりと来る。菅・現・総理大臣は、自民党内では、珍しい、都会派、政治家と、みなされている模様だが、それは、違う。本当は、秋田発の古臭いタイプの政治家なのだ。もっとも地方派、らしい総理大臣である。古い、古いコンセプトをキープしている人で、横浜を愛する人間の一人としては、横浜、横浜と、連呼してほしくないと、思う。ヨコハマという概念は、菅氏が、本心を偽る外套でしかない。それを、忘れないで、置きたい』

副題2、『早稲田・閥、および、横浜国立大学付属小・中・閥を利用して、現代日本最高ランクのCIAエージェントである、成岡庸司君と、菅義偉・現総理が、結び付いている可能性に言及しよう』

 ただ、一つ、これが、真実であろうか?と、思うポイントがあります。それはね。小此木氏が早稲田卒ですって。

 で、私が

 その人物こそ、現代最高位の、CIAエージェントであろうと、思う人物=成岡庸司君が、早稲田卒です。成岡君が、40(1982年)ぐらいになった時に、横浜市内の、経済界における、横浜国立大学附属中学校卒サークルを利用して、以前から軽い付き合いのあった、小此木氏に相当に深く食い込み始め、その秘書、菅義偉現総理大臣に、『これは、使えるぞ』と、言う風に、目をつけ、当時34歳の菅氏を、自分側にひそかに、組み入れたと、考えると、そのころから、現在に至る、菅義偉氏の出世ぶりが、理解できるのです。

 まあ、キリスト教における受洗、仏教における受戒、フリーメーソンに入会する際のイニシエーション儀式など、にも、似た特定の儀式を経過して、いわゆるCIAエージェント化してしまったとしたら、現在の菅首相の、強権主義も理解ができます。横浜市の市会議員として、たった、当選二回なのにもかかわらず、陰の市長と呼ばれたとあるのも、理解ができます。

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副題3,『で、強権は付与される。しかし、義務もまた、菅総理大臣には、負荷として、かかるのだった』

 そして、河合案里・元・議員をスケープゴートに仕立て上げるべく、一億五千万円もの党費を彼女に注いだと、言う件も理解ができるのでした。マキャベリズムの極致ですが、

 一回ほど、案里議員の、散財の出所を知らない私が、間違った記述をこのブログ内で、したのです。

 「どうせ、自分のお金を使っているわけです。それは、国家のお金を、湯水のごとく、自分の策謀に使う、伊藤玄二郎などよりも、よほど、普通で、おかしくないことです。炎上しているのは、ほかの目的がある」と書いたか、

 それとも、「桜を見る会・騒動に、おける安倍晋三総理大臣の、浪費よりも、少ない金額であろうに、これほど、炎上型で、騒ぐのは、おかしいと」、・・・・・と、どちらかを書いた記憶があります。

 それが、間違っているということにして、読者を、このブログから外して、引っ剥がしていき、このブログの、人気が落ちる様にさせようという目論見で、河合案里議員をスケープゴート化していったと、考えると、あの逮捕騒動の、ちびり、ちびりとしていて、私が、ブログで、新しい真実を書くたびに、彼女が、逮捕、再逮捕、再々逮捕と、悪い方へ、格上げされて行って、結局は有罪になっていった、形が、見事に理解ができるのです。

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副題4、『表向きの報道が事実なら、なぜ、繰り上げ当選者が、記者会見を全国区の報道として、開かないのか? そして、岸田氏もなぜ、勝利宣言をしないのだ。不思議なことである』

 表向きには、この様に報道をされています。・・・・・菅・現・総理の最大のライバルは、岸田氏で、その岸田氏の、もっとも、有力な参謀と、バッティングする選挙区に案里議員をたたせて、競合する相手を、落選させ、その結果、岸田氏の、力を弱体化させようと、した、・・・・・と、報道をされています。

 それなら、河合案里議員が有罪になったら、「それ見たことか!」という風な勝利宣言を上げればいいでしょう。ところがなぜかシーンとしています。

 おかしいです。それは、相手側にも、手が出されていて、シーンとして騒がない様に、と言われているか、または、何も言われていないが、私がここまで理解ができる様に、この事案の忌まわしさも、当然理解ができるので、

 かわいそうな案里議員を、静かに放っておこうと、考えているのか?

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なぜ、菅総理大臣の息子という人物の、静止画も、動画もNHKには出ないのですか?△

2021-02-26 05:13:14 | 政治

  私はいつも、NHKニュース録画版を、一日分、まとめてみることにしています。すると、重なっているところは、早送りして、見ることができるからです。しかし、そこが狙われて、レコーダーの、早送り機能が利かないと、なります。すべての行動が監視をされていて、困る方向、困る方向へ、バグを入れられます。まあ、それは、私個人の問題であるとして、皆様には、関係がないので(でも、それが、言論弾圧の一つの手法なのですけれどね)先へ進みましょう。

 すると、2021年2月26日早朝、現在は、菅総理大臣の長男が、接待を繰り返した問題が、重要らしくて、繰り返し報道をされて、いて、それを見ることを強制されます。

 その件については、特に本体については、今のところでの報道内容では、「そうですか?」 と、いうほかないのですが、ただ、一点不思議でたまらないところがあります。どうして、菅総理大臣の息子さんの方の動画、または静止画が出ないのでしょうか? この質問に対する答えですが、

 ・・・・・まあ、法律的に、何らかの、縛りがあって、その人は、まだ、犯罪者ではないので、人権を守って、静止画も動画も出ないのだ・・・・・・と、いうことになるのでしょう。

 しかし、ごく、ごく、普通の人である私は、物事はすべて、原因があって、結果があるわけだから、どうして、原因者である、菅総理の息子さんの、映像(静止画にせよ、動画にせよ)が、NHKニュースの中に出ないのかが、不思議です。

 しかも、菅総理大臣に関しては、自分自身でも、それにすでに気が付いていますが、鷹揚ではない。また、ノブレスオブリッジがないという感じで、細かいポイントでも復讐をする人間だと、感じています。で、それで、相手の方は、(顔が静止画としても、動画としても)さらされるのに、菅総理の、息子さんの方は、一切出ません。これは、ジャーナリズムとしては、おかしいでしょう? 

 今、現在NHKキャスターの降版人事で、NHK側が、菅総理大臣に、忖度しすぎているのではないかという論調が、出てきているのにも、ネットで知って、私は気をもんでいます。

 これは、恐ろしい。日本の暗黒国家化が、そこまで及んでいるのですか?と、言えますね。菅総理大臣は、就任最初期に、自分の事を「ガースーです」と、自己紹介をして、・・・・・自分は、若者言葉にも堪能であり、庶民を理解している・・・・・と、見せつけたらしいのですが、実態は、空恐ろしいほどに、狡猾で、かつ、強権者らしいのです。これは、本当に困ったことですね。

 しかも、私自身、生活を普通に送っている中で、24時間、それに気が付いているのですが、・・・・・・現在の日本社会には、私が鎌倉エージェントと呼ぶ、特権階級がいて、CIAの脅かし行為を背景に、特別な、権利を保有しています。一般人でも、そちらの陣営に入っている人間には、種々様々なご褒美が与えられるのに、反対の、陣営に属していると、みなされると、損失ばかり襲ってきて、守ってもらえません。先程も、521字から、先を書いたところで、システム異常を起こされて、文章が消えました。この様な、ハッカーによる攻撃を、毎晩、20~50回は受けているので、ノートパソコンが30台(21年間で)壊されています。もちろん、無理がかかって居るわけですが、それとともに、ヒステリックな攻撃用文章が送られてくると、送った人物、例えば(保坂涼子さんとか、開発チエさん)を守るために、私のパソコンが壊れます。心理的な攻撃を受けた上に、一台につき、10万円程度の、経済的損失があります。

 開発さんの裏には、酒井忠康氏をトップとする、慶応閥(美術評論家としてのそれ)があるだろうし、保坂さんの裏には、武蔵野美大閥(作家としてのそれ)が、あります。そのさらに上に、井上ひさしが、発案実行した9条の会があります。

  2021-2-26 早朝5時半から、8時半まで、

 なお、このブログの、2010年より数え始めた、延べ訪問回数は、6374447です。  雨宮舜(本名 川崎千恵子)

  短いので、推敲をして、書いた日付と署名を入れました。そのしるしである恒例の△を総タイトル右横につけておきます。

 

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さいばら茸、三国屋善五郎、大前研一、湊晶子 + 佐々木茂索・・・・・井上ひさしの対私いじめ謀略発案への報酬は6千万円/年?

2021-02-25 05:16:47 | 政治

副題〇、『この章を書くにあたってのお断り』

 今は、2021-2-25の、午前二時です。先ほど、例の激しい睡魔に襲われ、一時間ほど、椅子に直角に座ったまま寝ました。で、健康保持のために、このまま布団へ移動しようかと、考えながら、ふと結構、確かな感覚で、覚醒したのです。

 その際ですが、ブログを書くつもりはなくて、ただ、パソコンがネットにつながっているかどうかを確認するために、非常にシンプルなゲームをはじめました。新しいブログ分は、書かないつもりで、ただ、インターネット環境を確かめるためにする、慣習的、作業です。数独の初歩を、二行ぐらい埋めて、次に四川省を一回だけやり、次にマイクロソフトが提供するフリーセルを三回ぐらいやってから、その時点で、相当に頭がピンシャンしてきたので、新しいものを書こうかと気分が変わりました。しかし、前報の、充実ができるほどの、時間と体力がありません。で、今日は、簡単な文章を書いて、読者の皆様に、自分が元気であることだけを伝えようかと、考えて、この2021-2-22に、行ったパフォーマンスの、うち、以下のブログに書いたものとは、違う行動を、書いてみようかと、考えたのです。これを後注1と、記号付けしておきます。

春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 01:13:32 | 政治

 あの日も、たくさんの妨害行動に出会うのですが、そういう攻撃用行動を受けながら、私は、きわめて健康に、過ごしているのですよ。一個、一個の、攻撃に見事に、穏やかに、対処しつつ、大目的に向かって歩いているのです。その日の大目的とは、石春産業がどう出てくるか?を探る事でした。しかし、鎌倉霊園内の、或る道路に、私が自分の実家の墓に入る前にも二台車が駐車していた上に、小石の間から、3㎜ぐらいの目を出している大量の小さな雑草の、草取りを45分間やって、もう帰ろうとしたときに、異様な車が、待機していたのでした。警備と書いてありますが、霊園に、警備の車が停車していたことなど、かつてありません。

 そして、利口なのか、バカなのか、どちらだから、そうするのか、運転している人間は、15mぐらいの向こうから、私を見かけたとたんに、発進をして、走り去りました。私を狙っていて脅かすのが目的だと、はっきりわかる様にです。で、私のそばでは、結構な、スピードを出していたので、彼を、止めて、誰何することはできませんでしたが、警察、特に特殊部隊の人間(50代なので、ベテランの手合いだと思うが)であることは、はっきりとする様なとげとげしい顔の人間であり、私は、・・・・・自分が、石春産業に、向かうと、ブログで、書いてから外出したので、こうなるのだ・・・・・と、はっきりと、わかりました。で、それだけで、十分だったのです。

 しかし、その日、その時間帯には、あの広い霊園に、私と墓が近傍にある持ち主(あるご婦人が、義母の、50年目の命日に、お参りに来ていた)の二人だけだったのです。私は、彼女がそばで、お参りしているのには気が付きませんでしたが、彼女の方が私に気が付いていたそうです。赤いセーターを着ていたので、目立っていたのでしょう。

 五時、5分ぐらいにやってきた、鎌倉駅のバスに、乗車するにあたって、その奥様に、「私は、浄明寺でおりますから、このバス停で、お別れしましょうね」と、言って、別の席をとりました。実は、鎌倉霊園内の事務所で、お茶をいただきながら(ただし、自動給湯機から出るお茶ですが)、スマホから、石春産業に電話をかけて、いつもの場所で、営業をしているかどうかを確かめておきました。その際、電話ではなくて、スマホのホーム頁で、調べて、営業時間も確認して、午後五時までと、ありました。

 あ、ここで、それも言わないといけないのですが、突然、ソフトバンクのスマホが、利用できなくなったのです。数か月にわたって、そうなっています。シムカードが入っているのに電話しかできません。しかし、鎌倉霊園の休憩室には、Wi-Fiが、設置されていたので、それを使って設定しなおして、場所や、営業時間を確認したのです。

 私は、その時に、五時前までは、到着できないと感じて、すでに、行くのをやめるつもりでした。が、相手が、「川崎千恵子が、そちらに向かうはずです。こういう風に応対をしてください」と、言う連絡を、すでに、受けているかどうかを知りたかったのです。彼ら(=石春産業の経営者および従業員)は、私のブログを読んでいるわけはありません。連絡がいくとしたら、鎌倉警察署の生活安全課からか、伊藤玄二郎からでしょう。

 で、すでに、連絡は、行っていると感じ取りました。電話をとったのは、年配の女性で、かすかに緊張しているのが分かりました。こちらは、川崎千恵子ですとは、名乗っていないのですよ。それに今から行くとも言っていません。事務所の所在場所を聞いただけです。しかし、受話器からは、確実に、彼女の緊張感が伝わってきます。社長夫人か専務(社長の弟)夫人だと、思いました。既に、60歳は過ぎているはずで、人生の酸いも甘いも、かみ分け切っているはずなのに、緊張しきっているのです。

 それは、石春産業が行った、アジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅工事について、私が、絶対に、すごいというか見事な文章を書くはずで、それに対して、少しでも、鎌倉エージェント側が、防衛するために、「絶対に、へまをやってはいけないぞ」と、言い含められているからでしょう。

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副題1、『しかし、この日、私は、大刀洗のバス停で、ベンチに座って、バスを待っているときに、鎌倉街道を、東から西へ向けて、目の前を通り過ぎる、石春産業の軽トラックを見つけて、・・・・・しかも、それを運転していた若い男が。十二所(じゅにそうと、よむ)の作業場で、その車を降りるのを、バスの中から、見つけて、・・・・・・あれ、あの男って、私が、本日で、五回目ぐらいに出会う、警察の、特殊部隊の、一員でしょう。イケメンですが、間違いない・・・・・と感じて、それで、四個目の、かれら、CIAエージェントの動きを察したので、バス待ちのお客(あの、広い、広い、霊園に、その日の4時半過ぎには、たった二人の人として、存在していた、お客さん)に、浄明寺でおりますよと、乗車前には、断っておきながら、実際には、浄明寺バス停では下りなかったのです。尚、浄明寺バス停とは、神秘の女優原節子が、兄弟の家の庭に、別棟を建てて、済んでいたと、言うことで、有名な地域です。そこに石春産業があるのですが、そこでは下りずに、八幡宮前まで、バスをそのまま乗り続け、主人に、「遅くなりますよ。夕飯は、あれを食べて」と、断っていた、その予定時間より、40分は、早く家にたどり着き、前報

花輪夫人のフレイル状態・・・・・1000行ぐらい空白を入れられた(というシステム破壊に出会った)のでコピペした新稿

2021-02-25 01:36:41 | 政治

を書いたのでした。(これを後注2と、記号付けしておきます)一般の読者様は、この一文をつまらないものとお考えになって、パススルーなさった方も多いのだと、推察しています。というのも人気記事、10本の中に入っていませんでしたからね。

 ところが、ところが、これは、非常に重要な記事だったのです。自分でもそれが、わかっていました。ただ、一般の方にとっては、花輪夫人とは、何者ぞ? 私には関係がないと、思われたことでしょう。したがって、人気記事には入っていませんでした。24日には、そうでした。25日には、入ってきましたが。

 というわけで、一般の方には、それって、なんですか? という様なブログだったと思いますが、例の敵さんたち(CIAエージェントと、その手したたる警察の面々)にとっては、非常に重要な文章だったのです。

 どうして、重要かというと、そこには、彼らの、だましうちのテクニックが丁寧に、丁寧に、書かれているからです。それは、世間一般に流布しているニュースに対しても当てはまる、そういう複雑さの、一端が開示されているからです。

 で、敵さんは、早速の防衛措置に出ました。まだ、原文(後注2)が完成もしていないのに、激しい防衛措置に出てきました。

 それが、NHKニュースが、急に高須院長の、愛知県知事の、リコール問題を取り上げ始めたことです。その現象の持つ意味を掘り下げていきましょう。

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副題2、『そのニュースが、突然に、NHKの主要ニュースの画面に登場したのは、私の関心をそちらに、向かわせ、今書いている花輪夫人のこと、および石春産業の問題点について、書かせなくさせるためである。したがって、ここでも、このニュースについて、その内容については、本格的には、触れない。しかし、先ほど来、二時間かけて、このニュースを各メディアが、どういう風に取り上げているかを、チェックした。

 その結果、語るべきことを発見したので、語りたい。二時間のチェックの結果、そこから、このニュースが、120%のレベルで。CIAが関与していることが明らかになった。それを、語ろう。

 まず、NHKで、知ったわけなので、NHKオンラインニュース新着を、検討した。ところが、これだけど、単純に、発表された、時間順に、発表をされるので、なかなか、求めるものに到達しにくい。それで、地域と、言う欄を開けてみた。 なお、この現象は、2021-2-25の午前3時のことだと、思ってほしい。そのあとでは、私のブログに応じて、修正される可能性があるからだ。

 これほどの、大きなニュースだったら、地域という欄の、愛知県を、クリックすると、愛知県のニュースとして出てくるのが、普通なのだ。しかし、出てこない。

 『なアールほど、やっぱりそうだった。これは、120%、鎌倉エージェントが噛んでいるニュースですね』と思い当たる。で、NHKで、見tからないので、仕方がないのでグーグル検索をかけてみた。これも、2021-2-15の、午前四時のことだが、グーグル検索を五頁まで、開いてもNHKニュースオンラインで、私が見た・・・・・このリコールに関するニュースは出てこない・・・・・のでした。で、グーグル検索では、朝日新聞のものが大量に出てきます。で、朝日新聞とは、120%CIAの、国民洗脳用手段ですから、このニュースが、CIA主導で出てきたと、言うことが分かります。

 このニュースが、ここで、出てきたということと、そのニュースが、真に狙うものについては、別の日に語ります。ただ、この大村愛知県知事っリコールというニュースが、ここで、出てきたことは、その複雑さが似ていると、言う点で、ある共通項があるのです。

 そちらには、従軍慰安婦像を、どう扱うかという、ちょうがつくほどの、複雑さが、込められているのですが、こちらも、

一見すると、花輪夫人と、柳沢昇の立ち話が、普通のことと、見える可能性があるのです。しかし、内実は、全く違います。まだ、未完ですが、完成するとあの二人の裏側に、どれほどの、積み重ねがあるかが、わかるでしょう。で、その複雑さと、言う点で、二つは、そっくりなのです。

 井上ひさしが絡んでいると、すぐ、瑕疵が見つかるので、それで、動いている連中は、「バカだ。馬鹿だ」と、今まで、語ってきていますが、・・・・・どうだ、俺たちは、バカではないのだ。お前に読めるかよ。俺たちが、真実狙っていることが・・・・・と、言いたいのが、この二つのニュースです。

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副題3,『井上ひさしが、久しぶりに動きました。それほどに、花輪夫人を利用したことが、痛いわけです。なぜ、痛いかというと、もしかしたら、花輪夫人が、忌まわしいウソに耐えきれなくなって、真実を語るかもしれないからです。

 真実を語るかもしれない、そして、私の味方になるかもしれない、・・・・・それが大問題です。石井羊一さん一家は、引っ越しを迫られて、私の味方になるかもしれない人だからです。引っ越していきました。花輪夫人は、鎌倉市内に、もう一軒の家を持っています。だから、この山には、住まない様に、と、迫られても、困らない人です。そちらはマンションだと、思いますが、エレベーターがあるので、この山の多数の石段を登らないでも済むから、かえって、幸運かもしれない。

 ところで、書くことは、プラスマイナス、フィフティフィフティです。こういうことを書くことによって、私は、大切な人、決して見方ではないが、常識を外さない賢い人・花輪夫人を敵に回すこととなります。それが、わかっていないわけではない。

 しかし、2020年12月22日、突然騙されて毒(新コロナウィルス)を飲まされたのですよ。たまたま、熱いスープを、150cc©同時に飲んだので、ウィルスが死滅して、助かったけれど、罹患をしているのに、病状を隠して、忍耐をしているのだと、疑われて、特措法とか、感染対策法と、言うのが、急に設定をされて、2月13日から発行をするはずではなかったですか?

 しかし、私はたまたま、鎌倉市内の、パソコン教室に通っています。12月25日は、ドアから、一歩も中には入らせませんよという勢いでした。裏から罹患をしているはずだと、言う情報が入っていたのでしょう。しかし、それから、2021年1月2017年7月11日には、義弟から、妹が、隠微なやり方で殺されたことを聞かされました。

 息子の旧勤め先(かどや製油)でも、息子さんを、隠微なやり方で、殺された上司がいるそうです。

 皆様、どうか、暗い気持ちにならないでくださいね。ここに書いていることは地獄といっても語弊がないほどに、恐ろしいことばかりですが、神様っておられるのですよ。ですから、時々ですが、神様が、救ってくださったと、言うお話も登場します。だから待っていてください。最後まで、読んでくださいね。

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副題4,『かどや製油の社長(現在は会長)も、息子いじめ、というか、私いじめに動いた。私がファンになって、掲示板に投稿までしていた【つばさ】の視聴率が悪いという嘘発表をして、冷水を浴びせたのだが、そのあさドラ【つばさ】を用いて、だいぶ後に、次の攻撃をしてきたのだった。主役の一人だった高畑淳子が、あの熊手の様な派手な背中を背負い、足丸出しの、とサンバの衣装を着て、スーツ姿の、小沢かどや製油社長(当時)と、一緒に動画を撮影し、BS日テレの、【おぎやはぎの、愛車遍歴】に登場した。

 私は母に「あなたは、いつも何か考えているから、危ないから駄目よ」と禁じられているので、運転免許を持っていないが、その番組だけは、登場人物の素顔が、見られるので、人間研究が大好きな私は、愛・視聴・していたのだった。

 私がよく見る番組が攻撃に使われるというのは、【なりきり都市伝説】という番組で、高須院長と西原理恵子が出てくるのも同じ。プライベートジェットで、世界中を飛び回る映像が、その番組の、重要なコマーシャルとなっている。猫の番組を装って、養老先生が出てくるのも同じである。猿之助が、6月に歌舞伎座で、日蓮上人を演じるそうだが、それも、【養老先生とまる】と同じく、妙本寺の、お見合いの件と連動していて、脚本は、別名を使う、井上ひさしが書くはずだ。

 かどや製油の社長(現在は会長)にいったん戻ろう。彼は、何度も全面広告に全身写真を載せている。新聞社が、安く提供するのだと、思うが、全面広告を何度も打っている。しかし、こちらは、ある点で、陽気な攻撃であるが、三国屋善五郎の社長の上村卓美という人の攻撃は、隠々滅々たるものだった。書くのもおぞましいほどのことだが、遺書の一つとして、ちゃんと記録をしておこう』

 その息子さんが、謀殺をされたという上司は、かどや製油を、今の会長のクーデター(同族争いの中で、主導権を握った人)の、せいで、出世の道を断たれ、早期に、おやめになった人です。息子の方は、19年務めて、課長代理程度で、追い出されました。

 その上、二度目の勤務先のはずだった、長慶飯店は、それを喜んで電話で私に告げたから、盗聴によって、裏から手を回されて、いつの間にかだめになりました。たぶん、慶応三田会か、私の横国大付属中学時代の同窓生のうちの誰かが、動いたはずです。

 息子は一人で、次の勤務先・・・・三国屋善五郎・・・・を見つけました。喜んで、山下飯店で、祝賀会を五人で、開きました。

 が、伊藤玄二次郎か、警察署生活安全課からのお達しでしょう。お料理が、タイミング悪く、一遍に、運ばれてきて、冷めたものを食べないといけないとか、個室を使えないので、非常に嫌な思いをしたのです。もう、36年間も鎌倉に住んでいて、いろいろな行事で、そこを使っているのですが、いつもは個室を使えるのに、その日だけは大部屋で、三組一緒でした。息子のこどもは、自閉症の気味があるので、座っていられないのです。その、二歳か三歳程度の、孫に向かって、隣のテーブルの主婦が、「なんて、しつけができていないんでしょう」と大声で言ったりしました。

 祝宴に水を差されて、私は、私が原因だから、息子夫婦に、申し訳ない思いで、身が縮む様でした。いっぱいでした。が、こういうことを告げても、二人がかえって、損になるのではないかと思って、真実を語れないのでした。

 彼がひとりで見つけた会社とは、三国屋善五郎でした。茶舗ですが、包み紙が、モダンなので、結構、人気がある会社でしょう。

 そこですが、そこも、今般話題になっている高須院長が、誰か、経済界の人で、CIAエージェントである人に、実質婚の、妻、西原理恵子さんを提供する様に言われて、策謀に加担をして、やめさせられたのです。ですから、今般の愛知県知事リコール問題も、単純に彼が、善人であるとは、言えないのですよ。複雑怪奇です。

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副題5,『いじめの主役が西原理恵子だったなんて、五年ぐらいわからなかった。ただ、神様が、ここにもいて、真実を秋葉原で、教えてくださったのだった。私にとっては、最大の防衛策が、自分の文章力にあるのだが、すでに、公刊の書物が、一〇冊は出ていいと思うほどの、実力はあるのに、一九六五年に、ICUで、ベイカーさんというアメリカ人学生スパイに、頭の良いことを見つけられてしまって、彼に一回殺されそうになっていて、そこから、救われている(これも神様のおかげですよ)ので、かえって、絶対に、出世できない様に諮られている。その上、実力がありすぎるので、最近では、殺すしかないと、なって、ご近所様を使って、その策謀が、連夜行われている。もっとも、驚くべきは、平木伸明・裕子夫妻だ。ああ、何を考えているのだろう。こんな悪人とつるんでと、思うが、彼らに、リアルな世界で、注意することはない私だった』

 西原理恵子さんは、吉祥寺に脱税御殿と、ご近所様が言っているらしい、10億円の豪邸を建築しているそうです。それの在る吉祥寺から、渋谷も、新宿も、銀座や、日本橋も使わずに、わざわざ、横浜駅まで遠征してきて、横浜駅東口、地下一階の商店街、ポルタにある、三国屋善五郎で、法事用のお茶を買いました。そして、店員(派遣社員が多いそうですが)は、社長からの直接の命令で、法事用の、紙ではなくて、わざと、間違えたふりをして、祝儀用の包み紙で、包んだのです。これらのことはすべて、息子が休憩事件でいないときか、休日を利用して、行われた罠でした。

 西原理恵子は、その間違いに、激怒したそうで(むろんお芝居の脚本があった上ですが)、謝罪へ来いと言って、譲らなかったそうです。社長【上村卓美氏】は、自分が策謀で、作り上げた失敗であるのにもかかわらず、「飛行機代も出せない」とか、「ホテル代も出せない」と、言ったそうです。

 ただ、私が異変に、気が付いて、お嫁さんを訪ねたのです。息子は、私にも愚痴を言わないし、お嫁さんにも愚痴は言いません。で、お嫁さんも相手が誰だか知らないけれど、「かくかくシカジカで、明日、高知県に行かないといけません」と、言いました。

 で、私は、高知県に住む大物で、絶対に謝罪をしないといけない相手とは誰だろうと、調べられるところまで調べました。このブログに前田清子さんという人が頻度高く、登場します。その連れ合いが、祝一氏と言って、今、私が問題としている、石春産業の、証拠隠滅工事を、主導した人なのですが、その人が別の機会に、「下の方の、道路っぱたの地主が、高知県の人なので、樹木、一本切るのにも、連絡を取るのが、非常に難しい」と、言っていました。

 で、お嫁さんから、聞いていた四国、特に高知県に謝罪に行かないといけないと、言う言葉を頼りに、法務局へ行きました。前田祝一氏が言っていた、四国に住む人がだれかを知るために。すると、前田祝一氏が、うそを言った可能性が高くなりました。その土地は、崖が急峻で、利用のし甲斐がない土地なので、持ち主の移転もされておらず、神田土地というところが持っているケースが多いのでした。ただし、細切れ、こま切れです。

 私は神田土地とは、この山を、藤本真澄東宝重役から買って、土地開発をした業者だろうと、想像しました。ネットで、本日も調べたところ、神田土地という会社は、存在している模様です。だが、その会社が、この山の捨て地を何ぴつかに分けて持っているかどうかは知りません。同じ会社ではないかもしれないほどです。かろうじて、見つけた個人名が、可知〇子という女性名義でした。しかし、高知県には住んでいない模様です。ともかく、全く売れないし、貸すこともできない崖地なので、所有権移転も済んでおらず、私は、可知〇子という女性は、すでに死んでいるだろうと、推察し、そこで、いったん、探索は、頓挫しました。

 私の母が、「あんたの老後は大丈夫よ。あの子がやさしいからね」と言っていました。だから、母親に、心配をかけまいとして、言わないのです。ただね、この件ですが、息子が、「僕は、おかんの面倒は見られないよ。(連れ合い)が、そういうことは好まないからね」と、言いに来ました。しかし、それは、私がブログに、母の言葉を書いたので、誰かが、彼に差し金をして、そういわせているのだと、感じました。ともかく、お世話にはならない様にしようと考えています。娘の方は、連れ合いが、長男で、しっかりしたおうちなので、そちらに、100%の奉仕なので、あてにはなりません。

 ただね、心筋梗塞で、「死ぬ、生きるは、五〇%ずつです」と、言われた主人が、見かけは悪いですが、一応、何も介護をしないで、済む自立型の、復活を遂げているのです。これも、まさしく、神様のご援助だと、考えています。どこまで、それが可能かどうかは知りませんが、自分たち二人で、助け合って生きていこうとしているところです。この・・・・・・主人の圧倒的な回復・・・・・があって、私は、・・・・・・かれが、右半身不随でスプーンで食べさせてあげないといけない・・・・・とか、・・・・・・お風呂へは、ついて入らないと危ない・・・・・・とか、言うことがありません。本当に、救われています。

 昨日もユザワヤ横浜ベイクォーター店で、35%の値引きカードを利用して、1万円以上の買い物をしたのです。すべて、アイデアがあって、これから先、こういうものを作りたいと、思う、素材でした。ところでね、以前買ったもので、まだ消費しきれていない(というのは、作品として作り上げていない)素材が、これまた、わんさとあるのです。ということは、一日一時間、娯楽の一つとして、刺しゅうなどの手仕事をするにしても、後10年間は、それができる素材があるのよ。もう買っちゃあだめよと、自分に言い聞かせるのでした。で、電車の中で、つくづく、「自分には、10年分の生きがいと、希望があるのですね。本当に楽天的だこと。これなら、いくら攻撃を受けても、ノイローゼになるはずもないと、考えるのでした。そして、心の中で、ひそかに笑うのです。

 とはいうものの、それは、ある一面で会って別の側面では、苦しみ抜いいているところもあるのです。特に、その四国への、謝罪旅行は、私がお嫁さんを訪問したので、その異常さには気が付いているということで、飛行機代と、ホテル代は出たそうです。しかし、恐ろしいいじめは続きました。なんと降格をされて、一社員として、綱島駅から歩いて徒歩10分のところにある綱島支店に、回されたのです。で。結局はやめざるを得ませんでした。自分の失敗ではないのですよ。女性社員の失敗を口実に、詰め腹を切らされて、収入の道を断たれたのです。

 しかし、やがて神様は、真相を明らかにしてくださったのです。

 つまり、敵からの攻撃が、私を救うのでした。西原理恵子が、NHK【最後の講義】で、東京女子大を使ったことで、真相がますます明瞭になってくるのでした。つまり、石塚雅彦 → 大前勇介 → 大前研一 → 上村卓美というラインです。

 もう一方のラインとは早稲田卒で、一時期主人のオフィスに頻繁に訪れて、私を脅かして帰って、木村某氏(元電通マン、今は、フリーメーソンのしるしを、自社のロゴとして使っていて、シンガポールに本社を置く、ファンドマネージャーをしている。

 その人が高須院長と懇意で、彼を動かしているでしょう。

 そこまでが分かったのは、パソコンが壊されて秋葉原に行き、待ち時間に、ブックオフに行き、偶然に【さいばら茸・・・8巻】を買ったからでした。そこで、18歳で、上京して以来初めて帰郷したとありました。継父の33回忌だったのでしょうかねえ。ともかく、彼女こそ、策謀に乗っかって、息子に土下座でも強いた女性だったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『大前研一という人は翠嵐高校を通じて、妹と、同じコミュニティに属する人だ・・・・・と、思っているし、また、石塚雅彦という人物は、絵の同窓会展を一緒にやり、また、小学校の同窓であり、かつ麻布中学と高校は、弟が卒業をしているところなのに、

 かくもひどいことをやってくる。石塚さんの奥さま、雅子さんに問いたい。あなたって、1946年から66年まで、文芸春秋社社長を務めた佐々木茂索氏のお嬢様ですよね。私はあなたの雰囲気が好きでした。ほんわかとしてやさしくてね。ひとつだけ難をつければ声に透明感が足りないこと。それ以外はすべてが完璧な美しさです。

 そんなあなたのご主人・雅彦さんが、上にあげたエピソードだけではなくて、日大アメフト騒動にも絡んでいることをご存じでしたか? 日大卒業生なんて、文芸春秋社に、原稿を載せる様な人材ではないから、「知ーらなーい」で、終わりですか?

 古村浩三君が見つけてきた、宮川泰介選手に、内幸町で、記者会見を設定してあげたのもご主人でしょうし、

 後藤健司さんを断った三歳で、捨てた、実母の石堂順子さんに、有楽町の外人記者クラブで、記者会見を開かせてあげたのもご主人さまですよね。

佐々木来目夫ちゃんをラグビー部のつながりで、動かして、その姉であり、女子美大の学長でもある佐野ぬいさんに、鎌倉雪の下での、大原光孝さんを使ったいじめとと、銀座のガレリアグラフィカと、塩見和子さんの縁を利用して、と、お茶大付属高校同窓会まで、2016年の、豆腐屋鵜飼いでの、同窓会での、激しいいじめを起案したのにも、一枚かんでおられますね。

 この先延々と続きます。しかし、すでに、28時間置き続けています。で、無理にでもここで、終わりとさせてくださいませ。途中で、一時間ほど、椅子に直角に座ったままで、仮眠をとっていますが、この状態っで、文章を書くのはまずいです。

 では、お待ちいただきたく存じます。ここで、書くか? 別のところで、書くかは、予想できないのですが?

 井上ひさしから来た、latest(直近)の、コメントを二通置いておきます。ちょっとニュアンスを変えてきていますが、彼一流のしばいっけを見せて、あたかも、自分が、本当に死んでいると、見せつけるためのものでしょう。

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Unknown (Unknown)

2021-02-24 07:20:13

ところで貴女は実際に井上ひさしと会ったり言葉を交わしたりしたことがあるのですか?

Unknown (雨宮舜)

2021-02-25 01:25:01

ありますよ。鎌倉駅ホームにあった、喫茶店内です。ただし、その件をブログに書いているので、彼は、その喫茶店をつぶしました。

 

 

コメント (3)
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花輪夫人のフレイル状態・・・・・1000行ぐらい空白を入れられた(というシステム破壊に出会った)のでコピペした新稿

2021-02-25 01:36:41 | 政治

副題1,『この章を書くにあたってのお断わり』

 これは、100%前報

春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 01:13:32 | 政治

の補遺です。そちらで、加筆した方が、文脈が整い、わかりやすくなるとは、思うものの、こちらも、相当に長くなる可能性があるので、独立をさせました。

ところで、私は一種のブランド住宅街に住んでいるのですが、大規模不動産開発地ではなくて、小規模開発業者の、作った住宅街なので、ご近所様が、21軒しかありません。しかも、空き家とか、別荘に使われている住宅もあるので、実際に人が住んでいて、寝起きをしている家屋は、17軒しかありません。その中で、単身家庭が、すでに4件になっているので、昼間活動をしていると見える主婦はたった9人です。勤務がある女性が、4人いますので、日曜日などは、13人の主婦に出会うことになりますが、ウィークディに活動する主婦は9人しかいません。

自然環境としては、鎌倉駅からも、北を見れば、目に入る丘風の山の中にあるのです。下からは見えない、樹木に囲まれた小さな谷戸になっていて、その中は、ちょうどギリシャの円形劇場の様な、構造です。したがって、山の中で、誰かが誰かと、立ち話をしていると、すぐ、それが、聞こえてくる一帯です。

これが、本日の重要なポイントであって、私は、自分の家の玄関を出た途端に、誰かが、道で、立ち話をしていることに気が付きました。

山ノ下へ降りる道は、曲がりくねっています。で、全部は、我が家からは見えません。

だけど、誰かが、立ち話をしているのは、姿が見えなくても、音によってわかるのです。

私は、すぐさま、その立ち話は、私狙いだと、判断をしました。

で、それに対して、どういう風に対処するかと、いうことを、一瞬に考えて、腹を決めたのです。

実際に、降りていくと、最初の曲がり角を、曲がると、すぐ見える場所に、柳沢昇と、花輪夫人が、立ち話をしていました。

この時に、右側にいた花輪夫人が座っていたのです。それは、79歳にならんとする彼女がどれだけ、長時間、井戸端会議をしていたかを、示していることでした。この山には、同年代の主婦が現在のところ、5人いますが、一人元気な、安野智紗夫人を除いて、すべての人が、どこかに、弱点を抱えていて、フレイル状態です。フレイル状態とは、100%の健康は、維持できていないということ。病気で入院をするほどではないが、ぎりぎりの限界に近い体力であって、それが、好きなら、すでに、老人ホームには、入っていても、おかしくない状態だが、老人ホームの実体を知っているので、まだ、入りたくないし、子供と同居もしたくないとして、頑張っている専業主婦が、4人いるわけですが、その四人は、すでに、無理の利かないからだなのです。

それなのに、花輪夫人は、命令を受けて、長時間、立ち話をさせられていたのでした。で、疲れ切って、しゃがんで、待っていたのです。誰をというと、私をです。

で、私が何時に家を出るかということは、我が家の家庭内会話を、盗聴している人間にはわかるはずで、(盗聴の結果は、安野家には直接入ると、思っている。まあ、パソコンをその状態で、軌道をしておけば、盗聴の結果が、即理解できると、いうシステムになっている可能性が高い。間に警察を通さないでも入るはずだ)それで、午前11時過ぎには、そこを、私が通るはずだと、判断をした、安野夫人と伊藤玄二郎たちが、柳沢昇と、花輪夫人を組ませて、立ち話をさせていたのでした。で、二人は、30分以上の長さで、立ち話を続けていたのでしょう。花輪夫人は、すでに、耐えきれなくて、しゃがんでいたのです。

それが本日のタイトルでもあり、前報でも、その中にそれを書こうとしていた、花輪夫人のフレイル状態と、いうことにつながります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ここで、もし私が柳沢昇という人間の、人格が高いとか、能力が高いとか、頭脳が優秀だと、認めていたら、ぶっちゃけた話として、…‥どうして通せんぼなんかしているのよ。誰に命令されたの? 安野さん、それとも前田さん。それとも、伊藤玄二郎?・・・・・って、話しかけて、彼ら二人に、自分たちがやっていることが、すべて、オミトオシであり、効果がないことを悟らせたと、思うのだけれど、

 柳沢昇のバカさ加減とは、2005年7月26日(日)に、私の猫があそこの夫婦よりも、私の方を好きだと、いった日に、警官を呼んで、大騒ぎを起こしたケースと、

 次に、

2016年9月28日に、柳沢昇が、私に暴言を吐き、その直後電話を伊藤玄二郎にかけているので、それは、この殺人未遂につながっていく謀略を計画し、実行をしたのが、伊藤玄二郎であると、自白しているのと同じことだから、「そこまで、あなたは、わかっていて、伊藤玄二郎に電話をかけているのですか?」と、質問をしたくて、ガラス窓を外からコンコンと叩いたら、さすがに伊藤玄二郎の方は、柳沢昇のバカさ加減に気が付いて、電話を、さっと切ったみたいでした。柳沢昇は、何故伊藤玄二郎が電話を瞬殺で、切ったのか、暫時、理解できなかったのではないですか?

 というわけで、2021年2月22日、午後、0時50分に、彼は、私をいじめているつもりだったかもしれないが、反対なので、これは、高枝切り事件と、猫の事で、警官を呼んだ、交通事故の調書の話を再び、展開できると、思って、内心では、大いに、喜んだぐらいですよ。

 でね、その程度の人間であって、この山の住民の中では、ひときわレベルが低い彼が、ひときわレベルが高い、花輪夫人と話が合うわけもないのです。

 でも、それが、役に立つと考えている、井上ひさしあたりからの、命令で(間に、伊藤玄二郎を挟んでいるか)または、鎌倉警察署生活安全課課長から間に安野夫人を挟んだ命令のどちらかで、動いているわけですから、さぼるわけにもいかないのです。どうしてかというと、安野夫人というのは、どす黒い怖さを持っているいわゆるボスだからその命令に歯向かうことはできないのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『それは、京橋の画廊に、乗り込んできた馬越陽子さんと、同じであって、他人から命令をされて、あるいじめ行為をするのだけれど、それが、役に立たない行為だと、わかったときの疲労感は、ひときわ耐え難いものだったのだろう。馬越さんは、「疲れた、疲れた」と、いう言葉を連発した』

 私は、画廊では、お茶を飲まないし、滞留しないこととしているのです。で、噂話が、入らない人なので、白田貞夫さんが亡くなっていることを知らなかったのでした。しかし、2017年の夏に、「白田貞夫の利いた足音」と、いう展覧会があって、そこに亡くなったと、書いてあったと、いうある人のブログを読んだときに、ああそうか、それで、と、思い当たることはあるのでした。

 白田さんが亡くなった後で、誰が、主人になったかですが、外部から男性を招く可能性はあります。ただし、お子さんに、後継者として、社長業を継がせると、いう向きもあるでしょう。

 あそこの画廊は、白田貞夫さんを除いて、四人の女性が詰めて、仕事をしていました。1)、奥様、2)、メガネをかけた、お嬢様と言われる背の高い女性。2)、同じく背が高いが、メガネをかけていない女性。4)、背が低くて、メガネをかけている女性・・・・・その中で、お嬢さんと、呼ばれている女性とは、そのお父さんが亡くなった後では、顔を合わせていないのですが、

 その人以外の、女性とは、顔を合わせたことがあって、その三人の態度が激変したのでした。私に対する態度としては、野暮になったというかなんというか。で、やはり、シロタさんの、賢さが、失われた後では、だいぶ、賢さというものが、あそこから、失われたのだなあと、思い当たった次第です。

 でね、そういう具合で、私は、画廊のオーナーについては、ほとんどの画廊のオーナーの性格とか、人格とか、勉強家かそうではないかとか、いろいろ、わかっているつもりです。

 でも、体力が衰えるにつれて、訪問する画廊の数を減らしましたので、いわゆる作品を売る画廊と、いうのには、あまり、出入りせず、したがって、そのオーナーを知らない画廊も、むろんのこといっぱいあるのですよ。

 で、2001年ごろの事ですが、京橋にある画廊で、いいものを見たのです。それは、私には案内状が来ない画廊でしたがって、私が、知っている、女流画家協会と、国画会と、それに、類似した公募団体展とは、全く関係がない作家を扱っていて、しかも毎週は、展示替えがないのです。この画廊は、私が海外へ行っていて、日本を留守の間に回廊をしたらしいし、また、馬越陽子さんが、対私いじめに、使役された一件がこの画廊を舞台にして起きた後では、六本木か、どこかに移転をしてしまったそうです。

 しかし、個々のオーナーには、不思議な、頭の良さを感じるのです。お喋りではないのですよ。しかし、毎週は、展示品がないのですが(ということは、貸し画廊が、メインの仕事ではないと、見える)展示品がない日にもオーナーは、きちんと仕事をしているのですね。作業机を出して、版画集を作ったりしている。

 でね、私には、美術に関する思いや、知識やうんちくが、わんさとあるわけです。それを、文章で発表するのもいいことですが、目の前にいて、黙ってはいるが理解をしてくれている人に話すのは、楽しいことですね。それで、その画廊で、入り口近辺のガラス壁を通してオーナーがいるなと、思うと、入って、三分から五分。おしゃべりを摺る様になりました。それが尾行とか、盗聴によって把握をされていて、その画廊なら、私が、五分はいるから、鉢合わせができると、計画されて、馬越陽子さんが、入ってきたのです。誰かの車の中で、待機していたのでしょう。その路地は、銀座、京橋界隈では、ことさらに暗くて、人通りが少ないので、運転する人間が中にいる限り、駐車をしていても、誰からも咎められないからです。

 で、そこでわざと鉢合わせをする様に計画が練られたうえで、馬越陽子さんが、入ってきたのでした。むろん、彼女にとっては、初めての画廊です。オーナーはさすがの馬越さんですから、顔を知っていたでしょう。で、ご自分の名前は名乗らずに、そっと、斜め前方を見ながら、北京で、個展をしてきて、その結果、凱旋個展を三越でい開くことになったので、「忙しい、忙しい」と彼女は、のたまいました。

 私には、この邂逅の意味が瞬間的にわかるのです。それはね。北京で、個展を開く、次に三越で、個展を開く。そういう馬越さんは、お前より、はるかに上なんだよ。お前、偉そうにするなよ」と、井上ひさしが言っているわけです。この時が、いつだったか、パソコンが30台も壊されているので、ブログで、書いていない文章は消えてしまっているので、わかりません。ただ、彼が、公的に、死んだということにした後だったか、前だったかは知りませんが、いずれにしろ、彼は、常に、私を、やっつけて、緩慢な死に至らせたいと、思っていますので、どういう形でさえ、ノイローゼにして、病院へ収容してしまえば、そこで、薬を使って、どうにでもなるので、こちらの勝ちさと、思っているわけです。

 それが一瞬にして読めるので、私は馬越さんに向かってそうですか、それは、すごいですね」ともいわず、ただ、黙って、馬越さんに命令したのは、野見山さんでしょうね。まず、山口千里さんが、馬越さんに電話をかけて、その次に、野見山さんが代わって、馬越さんに骨子を命令してその次にまた、千里さんに代わって・・・・・と考えるので、大作家、馬越陽子が、今は、単なる攻撃用弾丸として使われた存在であるなあ・・・・・・とみるわけです。特に馬越さんは、バカではないです。で、ご自分の役目を恥ずかしがっておられるので、私の方を見ないのです。自分よりはるかにしたの位置にいる人間に、自慢をしまくるというのは、馬越さん程度の、教養のある人(東京女子大卒で、芸大大学院卒、父親は弁護士)だと、恥ずかしいことなのです。命令されたからやるけれど、恥ずかしくてたまらないことなのです。

 私の方はずっと黙っています。というのも馬越さんに、ぶつけるのに、いわゆるぶっちゃけた話というのはだめなのです。お互いに育った環境が似ているので、おばさんチックな会話がだめなことは、わかっています。それで、私はただ、黙って、1.5m離れたところに横を向いて、立っている馬越さんを見下ろします。繰り返しますが、馬越さんは、バカではない。こういうことを発案する連中ほど馬鹿ではない。で、自分が、命令されたとおりにやっているが、全く目的が、かなっていないこともわかっているのです。で、突然に、馬越さんは、自分がやっていることのあほらしさに目覚めて、「ああ、疲れたー。」と、言い始め、それを連発し、そしてドアを開けて、帰っていきました。私は、画廊のオーナーには、「じゃあ」と言って、そこを辞しました。何にも影響を与えられていません。だって、馬越陽子は、馬越陽子であり、私は私なのです。独立不羈の精神を持っていなくて、なんで、アーチストなど、やっていられますか。ただ、疲れたーを連発した、馬越さんのことは、かわいい人だなあとは、思いましたよ。で、それを、メルマガに書いています。

 しかし、この時、馬越さんが連発した、疲れたーという言葉をしっかりと、覚えている私は、花輪夫人が道路にしゃがんでいるのを見て、馬越さんが発した疲れたーを、強烈に思い出したのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『馬越陽子さんと、花輪夫人は、些少のバリエーションはあるが、骨子は同じだった。つまり、

 ・・・・・・「この山では、安野夫人を実質的なボスとして、みんなが、そこに、集合している。お前は、仲間はずれで、誰とも立ち話ができないではないか? 花輪夫人の方が価値なんだよ。どうだ、負けて悔しいか? それに通るとき、かの女に無視されたら、ショックだろう。彼女は、いつもはお前を無視しないよね。だけど、本日は、無視してやる様に命令をしておいたから、無視するはずだし・・・・・

 花輪夫人が、しゃべっているところは、安野家のベランダのすぐ下で、彼女が、聞き耳を立てているので、逃げ出すわけにもいかないのだぜ、「ちゃんと、任務を果たして頂戴ね」・・・・・と言わなくても、彼女は利口だから、ちゃんとわかっているさ。どうだ、まいったか?……と、井上ひさしか、伊藤玄二郎か、鎌倉警察署生活安全課の課長かが、その午後零時50分に、花輪夫人と、柳沢昇の会話を、スマホで、盗聴しながら、それにかぶせて、言っているのをひしひしと感じました。まあ、こういう風に分析をされてしまうと、井上ひさしが、丸見えになるので、彼は、23日の午後五時ごろ、2本のコメントをよこして、「また、妄想女め!」と、言って毒づいてきています。

 ここで、どうして花輪夫人が使役をされたかを、推察しましょう。この通せんぼをされたのが、22日ですが、その前の21日に、割と長い(?)会話を、石段の途中で、交わしたので、それが、盗聴をされていて、意外と仲良しなら、それをひっくり返せば、彼女(私のこと)は、嘆くぜ、早くノイローゼになるぜ」と思い至ったのでしょう。誰が、というと、上に名前をあげた三人の鎌倉エージェント(CIA側の特権者)だろうとは、思いますが、

 この山に住んでいる人のスマホが、すべて、盗聴可能で、それが、安野夫人のもとに入る様になっていたら、安野夫人が、企画をして、花輪夫人を、中立ではない方向で、動かして、それを見せびらかしてやろうと、したのではないですか? その日は、私は、割と早く出て、(それは、野菜市場に行きたいからだが)午後1時半ごろ、帰宅をして、山の中の石段で、花輪夫人とすれ違ったのです。

 上の方で、この山では、実働、9人しか主婦が動いていないと、言っています。ほかにお勤めをしている女性が、四人います。が、21日は、日曜日だったので、会うとしたら、13人の主婦と会うはずでした。玄関で、右側に、花輪夫人の存在を感じたのですが、左側に関本夫人が下のお子様と一緒にいるのを感じました。こちらも、お子様の方に、いささかの問題があると感じました。また、安野夫人か、大原光孝さんが、何かを告げていて、何かがあると、感じました。ただ、この女性が、三井物産勤務かもしれないと、思っているので、タッチしないで、済むときは、タッチしないでおこうと、思っている女性なので、私は左側には顧慮はせず、右に向かって、山の下へ降りていきました。すると安野夫人の真下に、120度の角度で、曲がっているところがあって、そこは、山を下りる人にとっては死角となります。

 また、山を上がってくる人にとっては、反対側に隠れていると、それもまた、死角になるので、脅かしの役に立つと、考えられているはずです。それを実行をしたのが富沢夫人で、日時は、2020年12月25日でした。

 その富沢夫人の例があるので、今回の花輪夫人の動きも、即座に正解に達したわけですが、富沢夫人のケースを振り返ってみましょう。

 実は、2020年12月22日に、新コロナウィルスを武蔵小杉の病院内ドトールで、飲まされたと、語っています。

22日にドゥトール・武蔵小杉で、水の中にコロナウィルスを入れられた哉? 其は、19日のハックドラッグ・鎌倉での謀略の延長で!

2020-12-23 04:01:55 | 政治

で、そのリンク先をお読みいただく、必要はないのですが、でも、死ぬな!と、思ったので、次の文章も書いています。相当な覚悟を持って、殺されそうですよと、書いているわけです。それが次のリンク先です。

磔刑のキリスト…【美術9条の会】渡辺豊重、一ノ瀬智恵乎、…【多摩美】佐野研二郎、宮崎進、彦坂尚嘉 

2020-12-25 03:19:26 | 政治

  上の章も、お読みいただく必要はないのですよ。だけど、公開した日付だけはご注意をいただきたいところです。25日の午前三時となっていますが、実際は、24日の深夜書いたと、言ってよいでしょう。で、太陽が上がってから、いったん寝て、そして、午後外出しました。

 その日の外出は、散々でした。スマホを持って出たと、言うこともあるし、私のブログが、鎌倉中の私を知る人の間で、広まったらしくて、散々な目に出会いました。

 それを書いたのが以下のブログです。すみません、ここで、午前6時になるし、完璧な睡魔に襲われたので、、入眠をさせてくださいませ。

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

 

 ところで、これ以降、大量の空きスペースを入れられています。今、直そうとしましたが、無理でした。で、これをコピペで、移動をさせます。

 この一文ですが、原文は、2021ー2ー23の夜九時半から書き始めています。そして、空白を入れられたことに驚いて修正したのは、25日の午前一時半です。しかし、すべての文章が、ある一日の先頭に来ていた方が、私が後で、見つけやすいので、これは、2月23日の、夜22時から、公開したことにさせてくださいませ。どうかよろしく。

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21-2-22に見分をした事、その2 + まだ実際には生きている井上ひさしの対私いじめ謀略発案への報酬は6千万円/年?、いやもっと上かな?

2021-02-25 01:36:41 | 政治

副題1,『この章を書くにあたってのお断わり』

 これは、100%前報

春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 01:13:32 | 政治

の補遺です。そちらで、加筆した方が、文脈が整い、わかりやすくなるとは、思うものの、こちらも、相当に長くなる可能性があるので、独立をさせました。

ところで、私は一種のブランド住宅街に住んでいるのですが、大規模不動産開発地ではなくて、小規模開発業者の、作った住宅街なので、ご近所様が、21軒しかありません。しかも、空き家とか、別荘に使われている住宅もあるので、実際に人が住んでいて、寝起きをしている家屋は、17軒しかありません。その中で、単身家庭が、すでに4件になっているので、昼間活動をしていると見える主婦はたった9人です。勤務がある女性が、4人いますので、日曜日などは、13人の主婦に出会うことになりますが、ウィークディに活動する主婦は9人しかいません。

自然環境としては、鎌倉駅からも、北を見れば、目に入る丘風の山の中にあるのです。下からは見えない、樹木に囲まれた小さな谷戸になっていて、その中は、ちょうどギリシャの円形劇場の様な、構造です。したがって、山の中で、誰かが誰かと、立ち話をしていると、すぐ、それが、聞こえてくる一帯です。

これが、本日の重要なポイントであって、私は、自分の家の玄関を出た途端に、誰かが、道で、立ち話をしていることに気が付きました。

山ノ下へ降りる道は、曲がりくねっています。で、全部は、我が家からは見えません。

だけど、誰かが、立ち話をしているのは、姿が見えなくても、音によってわかるのです。

私は、すぐさま、その立ち話は、私狙いだと、判断をしました。

で、それに対して、どういう風に対処するかと、いうことを、一瞬に考えて、腹を決めたのです。

実際に、降りていくと、最初の曲がり角を、曲がると、すぐ見える場所に、柳沢昇と、花輪夫人が、立ち話をしていました。

この時に、右側にいた花輪夫人が座っていたのです。それは、79歳にならんとする彼女がどれだけ、長時間、井戸端会議をしていたかを、示していることでした。この山には、同年代の主婦が現在のところ、5人いますが、一人元気な、安野智紗夫人を除いて、すべての人が、どこかに、弱点を抱えていて、フレイル状態です。フレイル状態とは、100%の健康は、維持できていないということ。病気で入院をするほどではないが、ぎりぎりの限界に近い体力であって、それが、好きなら、すでに、老人ホームには、入っていても、おかしくない状態だが、老人ホームの実体を知っているので、まだ、入りたくないし、子供と同居もしたくないとして、頑張っている専業主婦が、4人いるわけですが、その四人は、すでに、無理の利かないからだなのです。

それなのに、花輪夫人は、命令を受けて、長時間、立ち話をさせられていたのでした。で、疲れ切って、しゃがんで、待っていたのです。誰をというと、私をです。

で、私が何時に家を出るかということは、我が家の家庭内会話を、盗聴している人間にはわかるはずで、(盗聴の結果は、安野家には直接入ると、思っている。まあ、パソコンをその状態で、軌道をしておけば、盗聴の結果が、即理解できると、いうシステムになっている可能性が高い。間に警察を通さないでも入るはずだ)それで、午前11時過ぎには、そこを、私が通るはずだと、判断をした、安野夫人と伊藤玄二郎たちが、柳沢昇と、花輪夫人を組ませて、立ち話をさせていたのでした。で、二人は、30分以上の長さで、立ち話を続けていたのでしょう。花輪夫人は、すでに、耐えきれなくて、しゃがんでいたのです。

それが本日のタイトルでもあり、前報でも、その中にそれを書こうとしていた、花輪夫人のフレイル状態と、いうことにつながります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ここで、もし私が柳沢昇という人間の、人格が高いとか、能力が高いとか、頭脳が優秀だと、認めていたら、ぶっちゃけた話として、…‥どうして通せんぼなんかしているのよ。誰に命令されたの? 安野さん、それとも前田さん。それとも、伊藤玄二郎?・・・・・って、話しかけて、彼ら二人に、自分たちがやっていることが、すべて、オミトオシであり、効果がないことを悟らせたと、思うのだけれど、

 柳沢昇のバカさ加減とは、2005年7月26日(日)に、私の猫があそこの夫婦よりも、私の方を好きだと、いった日に、警官を呼んで、大騒ぎを起こしたケースと、

 次に、

2016年9月28日に、柳沢昇が、私に暴言を吐き、その直後電話を伊藤玄二郎にかけているので、それは、この殺人未遂につながっていく謀略を計画し、実行をしたのが、伊藤玄二郎であると、自白しているのと同じことだから、「そこまで、あなたは、わかっていて、伊藤玄二郎に電話をかけているのですか?」と、質問をしたくて、ガラス窓を外からコンコンと叩いたら、さすがに伊藤玄二郎の方は、柳沢昇のバカさ加減に気が付いて、電話を、さっと切ったみたいでした。柳沢昇は、何故伊藤玄二郎が電話を瞬殺で、切ったのか、暫時、理解できなかったのではないですか?

 というわけで、2021年2月22日、午後、0時50分に、彼は、私をいじめているつもりだったかもしれないが、反対なので、これは、高枝切り事件と、猫の事で、警官を呼んだ、交通事故の調書の話を再び、展開できると、思って、内心では、大いに、喜んだぐらいですよ。

 でね、その程度の人間であって、この山の住民の中では、ひときわレベルが低い彼が、ひときわレベルが高い、花輪夫人と話が合うわけもないのです。

 でも、それが、役に立つと考えている、井上ひさしあたりからの、命令で(間に、伊藤玄二郎を挟んでいるか)または、鎌倉警察署生活安全課課長から間に安野夫人を挟んだ命令のどちらかで、動いているわけですから、さぼるわけにもいかないのです。どうしてかというと、安野夫人というのは、どす黒い怖さを持っているいわゆるボスだからその命令に歯向かうことはできないのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『それは、京橋の画廊に、乗り込んできた馬越陽子さんと、同じであって、他人から命令をされて、あるいじめ行為をするのだけれど、それが、役に立たない行為だと、わかったときの疲労感は、ひときわ耐え難いものだったのだろう。馬越さんは、「疲れた、疲れた」と、いう言葉を連発した』

 私は、画廊では、お茶を飲まないし、滞留しないこととしているのです。で、噂話が、入らない人なので、白田貞夫さんが亡くなっていることを知らなかったのでした。しかし、2017年の夏に、「白田貞夫の利いた足音」と、いう展覧会があって、そこに亡くなったと、書いてあったと、いうある人のブログを読んだときに、ああそうか、それで、と、思い当たることはあるのでした。

 白田さんが亡くなった後で、誰が、主人になったかですが、外部から男性を招く可能性はあります。ただし、お子さんに、後継者として、社長業を継がせると、いう向きもあるでしょう。

 あそこの画廊は、白田貞夫さんを除いて、四人の女性が詰めて、仕事をしていました。1)、奥様、2)、メガネをかけた、お嬢様と言われる背の高い女性。2)、同じく背が高いが、メガネをかけていない女性。4)、背が低くて、メガネをかけている女性・・・・・その中で、お嬢さんと、呼ばれている女性とは、そのお父さんが亡くなった後では、顔を合わせていないのですが、

 その人以外の、女性とは、顔を合わせたことがあって、その三人の態度が激変したのでした。私に対する態度としては、野暮になったというかなんというか。で、やはり、シロタさんの、賢さが、失われた後では、だいぶ、賢さというものが、あそこから、失われたのだなあと、思い当たった次第です。

 でね、そういう具合で、私は、画廊のオーナーについては、ほとんどの画廊のオーナーの性格とか、人格とか、勉強家かそうではないかとか、いろいろ、わかっているつもりです。

 でも、体力が衰えるにつれて、訪問する画廊の数を減らしましたので、いわゆる作品を売る画廊と、いうのには、あまり、出入りせず、したがって、そのオーナーを知らない画廊も、むろんのこといっぱいあるのですよ。

 で、2001年ごろの事ですが、京橋にある画廊で、いいものを見たのです。それは、私には案内状が来ない画廊でしたがって、私が、知っている、女流画家協会と、国画会と、それに、類似した公募団体展とは、全く関係がない作家を扱っていて、しかも毎週は、展示替えがないのです。この画廊は、私が海外へ行っていて、日本を留守の間に回廊をしたらしいし、また、馬越陽子さんが、対私いじめに、使役された一件がこの画廊を舞台にして起きた後では、六本木か、どこかに移転をしてしまったそうです。

 しかし、個々のオーナーには、不思議な、頭の良さを感じるのです。お喋りではないのですよ。しかし、毎週は、展示品がないのですが(ということは、貸し画廊が、メインの仕事ではないと、見える)展示品がない日にもオーナーは、きちんと仕事をしているのですね。作業机を出して、版画集を作ったりしている。

 でね、私には、美術に関する思いや、知識やうんちくが、わんさとあるわけです。それを、文章で発表するのもいいことですが、目の前にいて、黙ってはいるが理解をしてくれている人に話すのは、楽しいことですね。それで、その画廊で、入り口近辺のガラス壁を通してオーナーがいるなと、思うと、入って、三分から五分。おしゃべりを摺る様になりました。それが尾行とか、盗聴によって把握をされていて、その画廊なら、私が、五分はいるから、鉢合わせができると、計画されて、馬越陽子さんが、入ってきたのです。誰かの車の中で、待機していたのでしょう。その路地は、銀座、京橋界隈では、ことさらに暗くて、人通りが少ないので、運転する人間が中にいる限り、駐車をしていても、誰からも咎められないからです。

 で、そこでわざと鉢合わせをする様に計画が練られたうえで、馬越陽子さんが、入ってきたのでした。むろん、彼女にとっては、初めての画廊です。オーナーはさすがの馬越さんですから、顔を知っていたでしょう。で、ご自分の名前は名乗らずに、そっと、斜め前方を見ながら、北京で、個展をしてきて、その結果、凱旋個展を三越でい開くことになったので、「忙しい、忙しい」と彼女は、のたまいました。

 私には、この邂逅の意味が瞬間的にわかるのです。それはね。北京で、個展を開く、次に三越で、個展を開く。そういう馬越さんは、お前より、はるかに上なんだよ。お前、偉そうにするなよ」と、井上ひさしが言っているわけです。この時が、いつだったか、パソコンが30台も壊されているので、ブログで、書いていない文章は消えてしまっているので、わかりません。ただ、彼が、公的に、死んだということにした後だったか、前だったかは知りませんが、いずれにしろ、彼は、常に、私を、やっつけて、緩慢な死に至らせたいと、思っていますので、どういう形でさえ、ノイローゼにして、病院へ収容してしまえば、そこで、薬を使って、どうにでもなるので、こちらの勝ちさと、思っているわけです。

 それが一瞬にして読めるので、私は馬越さんに向かってそうですか、それは、すごいですね」ともいわず、ただ、黙って、馬越さんに命令したのは、野見山さんでしょうね。まず、山口千里さんが、馬越さんに電話をかけて、その次に、野見山さんが代わって、馬越さんに骨子を命令してその次にまた、千里さんに代わって・・・・・と考えるので、大作家、馬越陽子が、今は、単なる攻撃用弾丸として使われた存在であるなあ・・・・・・とみるわけです。特に馬越さんは、バカではないです。で、ご自分の役目を恥ずかしがっておられるので、私の方を見ないのです。自分よりはるかにしたの位置にいる人間に、自慢をしまくるというのは、馬越さん程度の、教養のある人(東京女子大卒で、芸大大学院卒、父親は弁護士)だと、恥ずかしいことなのです。命令されたからやるけれど、恥ずかしくてたまらないことなのです。

 私の方はずっと黙っています。というのも馬越さんに、ぶつけるのに、いわゆるぶっちゃけた話というのはだめなのです。お互いに育った環境が似ているので、おばさんチックな会話がだめなことは、わかっています。それで、私はただ、黙って、1.5m離れたところに横を向いて、立っている馬越さんを見下ろします。繰り返しますが、馬越さんは、バカではない。こういうことを発案する連中ほど馬鹿ではない。で、自分が、命令されたとおりにやっているが、全く目的が、かなっていないこともわかっているのです。で、突然に、馬越さんは、自分がやっていることのあほらしさに目覚めて、「ああ、疲れたー。」と、言い始め、それを連発し、そしてドアを開けて、帰っていきました。私は、画廊のオーナーには、「じゃあ」と言って、そこを辞しました。何にも影響を与えられていません。だって、馬越陽子は、馬越陽子であり、私は私なのです。独立不羈の精神を持っていなくて、なんで、アーチストなど、やっていられますか。ただ、疲れたーを連発した、馬越さんのことは、かわいい人だなあとは、思いましたよ。で、それを、メルマガに書いています。

 しかし、この時、馬越さんが連発した、疲れたーという言葉をしっかりと、覚えている私は、花輪夫人が道路にしゃがんでいるのを見て、馬越さんが発した疲れたーを、強烈に思い出したのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『馬越陽子さんと、花輪夫人は、些少のバリエーションはあるが、骨子は同じだった。つまり、

 ・・・・・・「この山では、安野夫人を実質的なボスとして、みんなが、そこに、集合している。お前は、仲間はずれで、誰とも立ち話ができないではないか? 花輪夫人の方が価値なんだよ。どうだ、負けて悔しいか? それに通るとき、かの女に無視されたら、ショックだろう。彼女は、いつもはお前を無視しないよね。だけど、本日は、無視してやる様に命令をしておいたから、無視するはずだし・・・・・

 花輪夫人が、しゃべっているところは、安野家のベランダのすぐ下で、彼女が、聞き耳を立てているので、逃げ出すわけにもいかないのだぜ、「ちゃんと、任務を果たして頂戴ね」・・・・・と言わなくても、彼女は利口だから、ちゃんとわかっているさ。どうだ、まいったか?……と、井上ひさしか、伊藤玄二郎か、鎌倉警察署生活安全課の課長かが、その午後零時50分に、花輪夫人と、柳沢昇の会話を、スマホで、盗聴しながら、それにかぶせて、言っているのをひしひしと感じました。まあ、こういう風に分析をされてしまうと、井上ひさしが、丸見えになるので、彼は、23日の午後五時ごろ、2本のコメントをよこして、「また、妄想女め!」と、言って毒づいてきています。

 ここで、どうして花輪夫人が使役をされたかを、推察しましょう。この通せんぼをされたのが、22日ですが、その前の21日に、割と長い(?)会話を、石段の途中で、交わしたので、それが、盗聴をされていて、意外と仲良しなら、それをひっくり返せば、彼女(私のこと)は、嘆くぜ、早くノイローゼになるぜ」と思い至ったのでしょう。誰が、というと、上に名前をあげた三人の鎌倉エージェント(CIA側の特権者)だろうとは、思いますが、

 この山に住んでいる人のスマホが、すべて、盗聴可能で、それが、安野夫人のもとに入る様になっていたら、安野夫人が、企画をして、花輪夫人を、中立ではない方向で、動かして、それを見せびらかしてやろうと、したのではないですか? その日は、私は、割と早く出て、(それは、野菜市場に行きたいからだが)午後1時半ごろ、帰宅をして、山の中の石段で、花輪夫人とすれ違ったのです。

 上の方で、この山では、実働、9人しか主婦が動いていないと、言っています。ほかにお勤めをしている女性が、四人います。が、21日は、日曜日だったので、会うとしたら、13人の主婦と会うはずでした。玄関で、右側に、花輪夫人の存在を感じたのですが、左側に関本夫人が下のお子様と一緒にいるのを感じました。こちらも、お子様の方に、いささかの問題があると感じました。また、安野夫人か、大原光孝さんが、何かを告げていて、何かがあると、感じました。ただ、この女性が、三井物産勤務かもしれないと、思っているので、タッチしないで、済むときは、タッチしないでおこうと、思っている女性なので、私は左側には顧慮はせず、右に向かって、山の下へ降りていきました。すると安野夫人の真下に、120度の角度で、曲がっているところがあって、そこは、山を下りる人にとっては死角となります。

 また、山を上がってくる人にとっては、反対側に隠れていると、それもまた、死角になるので、脅かしの役に立つと、考えられているはずです。それを実行をしたのが富沢夫人で、日時は、2020年12月25日でした。

 その富沢夫人の例があるので、今回の花輪夫人の動きも、即座に正解に達したわけですが、富沢夫人のケースを振り返ってみましょう。

 実は、2020年12月22日に、新コロナウィルスを武蔵小杉の病院内ドトールで、飲まされたと、語っています。

22日にドゥトール・武蔵小杉で、水の中にコロナウィルスを入れられた哉? 其は、19日のハックドラッグ・鎌倉での謀略の延長で!

2020-12-23 04:01:55 | 政治

で、そのリンク先をお読みいただく、必要はないのですが、でも、死ぬな!と、思ったので、次の文章も書いています。相当な覚悟を持って、殺されそうですよと、書いているわけです。それが次のリンク先です。

磔刑のキリスト…【美術9条の会】渡辺豊重、一ノ瀬智恵乎、…【多摩美】佐野研二郎、宮崎進、彦坂尚嘉 

2020-12-25 03:19:26 | 政治

  上の章も、お読みいただく必要はないのですよ。だけど、公開した日付だけはご注意をいただきたいところです。25日の午前三時となっていますが、実際は、24日の深夜書いたと、言ってよいでしょう。で、太陽が上がってから、いったん寝て、そして、午後外出しました。

 その日の外出は、散々でした。スマホを持って出たと、言うこともあるし、私のブログが、鎌倉中の私を知る人の間で、広まったらしくて、散々な寝ぬな目に出会いました。

 それを書いたのが以下のブログです。すみません、ここで、午前6時になるし、完璧な睡魔に襲われたので、、入眠をさせてくださいませ。

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

前報を夜10時ごろに、いったん、完成(未推敲だが、骨子は、完成という意味で)としたものの、その五時間後に、引っかかるところがあって、それを加筆しますと、23日に入ってから加筆部分を書きはじめています。心残りというか、引っかかるところは、4か所あったのです。 最初のみっつは、鎌倉霊園にある、実家の墓が、三年ぐらい前から、徐々に徐々に破壊をされていると、いうことを語り始め、それに関連して、石春産業という、会社に触れていっています。石春産業とは、鎌倉霊園に、もっとも、近い場所で、石屋を経営しています。

 ところで、これ以降、大量の空きスペースを入れられています。今、直そうとしましたが、無理でした。で、これをコピペで、移動をさせます。

 

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花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 21:38:17 | 政治

 この文章ですが、後半に、300行縮めても治らないほどの、空白を入れられました。で、この上に、コピペで、それを直したものを入れてあります。こちらを削除したいのですが、それをすると、また、記事がないと、言う妨害を受けますので、そういう処置をしたことで、お許しくださいませ。

副題1,『この章を書くにあたってのお断わり』

 これは、100%前報

春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 01:13:32 | 政治

の補遺です。そちらで、加筆した方が、文脈が整い、わかりやすくなるとは、思うものの、こちらも、相当に長くなる可能性があるので、独立をさせました。

ところで、私は一種のブランド住宅街に住んでいるのですが、大規模不動産開発地ではなくて、小規模開発業者の、作った住宅街なので、ご近所様が、21軒しかありません。しかも、空き家とか、別荘に使われている住宅もあるので、実際に人が住んでいて、寝起きをしている家屋は、17軒しかありません。その中で、単身家庭が、すでに4件になっているので、昼間活動をしていると見える主婦はたった9人です。勤務がある女性が、4人いますので、日曜日などは、13人の主婦に出会うことになりますが、ウィークディに活動する主婦は9人しかいません。

自然環境としては、鎌倉駅からも、北を見れば、目に入る丘風の山の中にあるのです。下からは見えない、樹木に囲まれた小さな谷戸になっていて、その中は、ちょうどギリシャの円形劇場の様な、構造です。したがって、山の中で、誰かが誰かと、立ち話をしていると、すぐ、それが、聞こえてくる一帯です。

これが、本日の重要なポイントであって、私は、自分の家の玄関を出た途端に、誰かが、道で、立ち話をしていることに気が付きました。

山ノ下へ降りる道は、曲がりくねっています。で、全部は、我が家からは見えません。

だけど、誰かが、立ち話をしているのは、姿が見えなくても、音によってわかるのです。

私は、すぐさま、その立ち話は、私狙いだと、判断をしました。

で、それに対して、どういう風に対処するかと、いうことを、一瞬に考えて、腹を決めたのです。

実際に、降りていくと、最初の曲がり角を、曲がると、すぐ見える場所に、柳沢昇と、花輪夫人が、立ち話をしていました。

この時に、右側にいた花輪夫人が座っていたのです。それは、79歳にならんとする彼女がどれだけ、長時間、井戸端会議をしていたかを、示していることでした。この山には、同年代の主婦が現在のところ、5人いますが、一人元気な、安野智紗夫人を除いて、すべての人が、どこかに、弱点を抱えていて、フレイル状態です。フレイル状態とは、100%の健康は、維持できていないということ。病気で入院をするほどではないが、ぎりぎりの限界に近い体力であって、それが、好きなら、すでに、老人ホームには、入っていても、おかしくない状態だが、老人ホームの実体を知っているので、まだ、入りたくないし、子供と同居もしたくないとして、頑張っている専業主婦が、4人いるわけですが、その四人は、すでに、無理の利かないからだなのです。

それなのに、花輪夫人は、命令を受けて、長時間、立ち話をさせられていたのでした。で、疲れ切って、しゃがんで、待っていたのです。誰をというと、私をです。

で、私が何時に家を出るかということは、我が家の家庭内会話を、盗聴している人間にはわかるはずで、(盗聴の結果は、安野家には直接入ると、思っている。まあ、パソコンをその状態で、軌道をしておけば、盗聴の結果が、即理解できると、いうシステムになっている可能性が高い。間に警察を通さないでも入るはずだ)それで、午前11時過ぎには、そこを、私が通るはずだと、判断をした、安野夫人と伊藤玄二郎たちが、柳沢昇と、花輪夫人を組ませて、立ち話をさせていたのでした。で、二人は、30分以上の長さで、立ち話を続けていたのでしょう。花輪夫人は、すでに、耐えきれなくて、しゃがんでいたのです。

それが本日のタイトルでもあり、前報でも、その中にそれを書こうとしていた、花輪夫人のフレイル状態と、いうことにつながります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ここで、もし私が柳沢昇という人間の、人格が高いとか、能力が高いとか、頭脳が優秀だと、認めていたら、ぶっちゃけた話として、…‥どうして通せんぼなんかしているのよ。誰に命令されたの? 安野さん、それとも前田さん。それとも、伊藤玄二郎?・・・・・って、話しかけて、彼ら二人に、自分たちがやっていることが、すべて、オミトオシであり、効果がないことを悟らせたと、思うのだけれど、

 柳沢昇のバカさ加減とは、2005年7月26日(日)に、私の猫があそこの夫婦よりも、私の方を好きだと、いった日に、警官を呼んで、大騒ぎを起こしたケースと、

 次に、

2016年9月28日に、柳沢昇が、私に暴言を吐き、その直後電話を伊藤玄二郎にかけているので、それは、この殺人未遂につながっていく謀略を計画し、実行をしたのが、伊藤玄二郎であると、自白しているのと同じことだから、「そこまで、あなたは、わかっていて、伊藤玄二郎に電話をかけているのですか?」と、質問をしたくて、ガラス窓を外からコンコンと叩いたら、さすがに伊藤玄二郎の方は、柳沢昇のバカさ加減に気が付いて、電話を、さっと切ったみたいでした。柳沢昇は、何故伊藤玄二郎が電話を瞬殺で、切ったのか、暫時、理解できなかったのではないですか?

 というわけで、2021年2月22日、午後、0時50分に、彼は、私をいじめているつもりだったかもしれないが、反対なので、これは、高枝切り事件と、猫の事で、警官を呼んだ、交通事故の調書の話を再び、展開できると、思って、内心では、大いに、喜んだぐらいですよ。

 でね、その程度の人間であって、この山の住民の中では、ひときわレベルが低い彼が、ひときわレベルが高い、花輪夫人と話が合うわけもないのです。

 でも、それが、役に立つと考えている、井上ひさしあたりからの、命令で(間に、伊藤玄二郎を挟んでいるか)または、鎌倉警察署生活安全課課長から間に安野夫人を挟んだ命令のどちらかで、動いているわけですから、さぼるわけにもいかないのです。どうしてかというと、安野夫人というのは、どす黒い怖さを持っているいわゆるボスだからその命令に歯向かうことはできないのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『それは、京橋の画廊に、乗り込んできた馬越陽子さんと、同じであって、他人から命令をされて、あるいじめ行為をするのだけれど、それが、役に立たない行為だと、わかったときの疲労感は、ひときわ耐え難いものだったのだろう。馬越さんは、「疲れた、疲れた」と、いう言葉を連発した』

 私は、画廊では、お茶を飲まないし、滞留しないこととしているのです。で、噂話が、入らない人なので、白田貞夫さんが亡くなっていることを知らなかったのでした。しかし、2017年の夏に、「白田貞夫の利いた足音」と、いう展覧会があって、そこに亡くなったと、書いてあったと、いうある人のブログを読んだときに、ああそうか、それで、と、思い当たることはあるのでした。

 白田さんが亡くなった後で、誰が、主人になったかですが、外部から男性を招く可能性はあります。ただし、お子さんに、後継者として、社長業を継がせると、いう向きもあるでしょう。

 あそこの画廊は、白田貞夫さんを除いて、四人の女性が詰めて、仕事をしていました。1)、奥様、2)、メガネをかけた、お嬢様と言われる背の高い女性。2)、同じく背が高いが、メガネをかけていない女性。4)、背が低くて、メガネをかけている女性・・・・・その中で、お嬢さんと、呼ばれている女性とは、そのお父さんが亡くなった後では、顔を合わせていないのですが、

 その人以外の、女性とは、顔を合わせたことがあって、その三人の態度が激変したのでした。私に対する態度としては、野暮になったというかなんというか。で、やはり、シロタさんの、賢さが、失われた後では、だいぶ、賢さというものが、あそこから、失われたのだなあと、思い当たった次第です。

 でね、そういう具合で、私は、画廊のオーナーについては、ほとんどの画廊のオーナーの性格とか、人格とか、勉強家かそうではないかとか、いろいろ、わかっているつもりです。

 でも、体力が衰えるにつれて、訪問する画廊の数を減らしましたので、いわゆる作品を売る画廊と、いうのには、あまり、出入りせず、したがって、そのオーナーを知らない画廊も、むろんのこといっぱいあるのですよ。

 で、2001年ごろの事ですが、京橋にある画廊で、いいものを見たのです。それは、私には案内状が来ない画廊でしたがって、私が、知っている、女流画家協会と、国画会と、それに、類似した公募団体展とは、全く関係がない作家を扱っていて、しかも毎週は、展示替えがないのです。この画廊は、私が海外へ行っていて、日本を留守の間に回廊をしたらしいし、また、馬越陽子さんが、対私いじめに、使役された一件がこの画廊を舞台にして起きた後では、六本木か、どこかに移転をしてしまったそうです。

 しかし、個々のオーナーには、不思議な、頭の良さを感じるのです。お喋りではないのですよ。しかし、毎週は、展示品がないのですが(ということは、貸し画廊が、メインの仕事ではないと、見える)展示品がない日にもオーナーは、きちんと仕事をしているのですね。作業机を出して、版画集を作ったりしている。

 でね、私には、美術に関する思いや、知識やうんちくが、わんさとあるわけです。それを、文章で発表するのもいいことですが、目の前にいて、黙ってはいるが理解をしてくれている人に話すのは、楽しいことですね。それで、その画廊で、入り口近辺のガラス壁を通してオーナーがいるなと、思うと、入って、三分から五分。おしゃべりを摺る様になりました。それが尾行とか、盗聴によって把握をされていて、その画廊なら、私が、五分はいるから、鉢合わせができると、計画されて、馬越陽子さんが、入ってきたのです。誰かの車の中で、待機していたのでしょう。その路地は、銀座、京橋界隈では、ことさらに暗くて、人通りが少ないので、運転する人間が中にいる限り、駐車をしていても、誰からも咎められないからです。

 で、そこでわざと鉢合わせをする様に計画が練られたうえで、馬越陽子さんが、入ってきたのでした。むろん、彼女にとっては、初めての画廊です。オーナーはさすがの馬越さんですから、顔を知っていたでしょう。で、ご自分の名前は名乗らずに、そっと、斜め前方を見ながら、北京で、個展をしてきて、その結果、凱旋個展を三越でい開くことになったので、「忙しい、忙しい」と彼女は、のたまいました。

 私には、この邂逅の意味が瞬間的にわかるのです。それはね。北京で、個展を開く、次に三越で、個展を開く。そういう馬越さんは、お前より、はるかに上なんだよ。お前、偉そうにするなよ」と、井上ひさしが言っているわけです。この時が、いつだったか、パソコンが30台も壊されているので、ブログで、書いていない文章は消えてしまっているので、わかりません。ただ、彼が、公的に、死んだということにした後だったか、前だったかは知りませんが、いずれにしろ、彼は、常に、私を、やっつけて、緩慢な死に至らせたいと、思っていますので、どういう形でさえ、ノイローゼにして、病院へ収容してしまえば、そこで、薬を使って、どうにでもなるので、こちらの勝ちさと、思っているわけです。

 それが一瞬にして読めるので、私は馬越さんに向かってそうですか、それは、すごいですね」ともいわず、ただ、黙って、馬越さんに命令したのは、野見山さんでしょうね。まず、山口千里さんが、馬越さんに電話をかけて、その次に、野見山さんが代わって、馬越さんに骨子を命令してその次にまた、千里さんに代わって・・・・・と考えるので、大作家、馬越陽子が、今は、単なる攻撃用弾丸として使われた存在であるなあ・・・・・・とみるわけです。特に馬越さんは、バカではないです。で、ご自分の役目を恥ずかしがっておられるので、私の方を見ないのです。自分よりはるかにしたの位置にいる人間に、自慢をしまくるというのは、馬越さん程度の、教養のある人(東京女子大卒で、芸大大学院卒、父親は弁護士)だと、恥ずかしいことなのです。命令されたからやるけれど、恥ずかしくてたまらないことなのです。

 私の方はずっと黙っています。というのも馬越さんに、ぶつけるのに、いわゆるぶっちゃけた話というのはだめなのです。お互いに育った環境が似ているので、おばさんチックな会話がだめなことは、わかっています。それで、私はただ、黙って、1.5m離れたところに横を向いて、立っている馬越さんを見下ろします。繰り返しますが、馬越さんは、バカではない。こういうことを発案する連中ほど馬鹿ではない。で、自分が、命令されたとおりにやっているが、全く目的が、かなっていないこともわかっているのです。で、突然に、馬越さんは、自分がやっていることのあほらしさに目覚めて、「ああ、疲れたー。」と、言い始め、それを連発し、そしてドアを開けて、帰っていきました。私は、画廊のオーナーには、「じゃあ」と言って、そこを辞しました。何にも影響を与えられていません。だって、馬越陽子は、馬越陽子であり、私は私なのです。独立不羈の精神を持っていなくて、なんで、アーチストなど、やっていられますか。ただ、疲れたーを連発した、馬越さんのことは、かわいい人だなあとは、思いましたよ。で、それを、メルマガに書いています。

 しかし、この時、馬越さんが連発した、疲れたーという言葉をしっかりと、覚えている私は、花輪夫人が道路にしゃがんでいるのを見て、馬越さんが発した疲れたーを、強烈に思い出したのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『馬越陽子さんと、花輪夫人は、些少のバリエーションはあるが、骨子は同じだった。つまり、

 ・・・・・・「この山では、安野夫人を実質的なボスとして、みんなが、そこに、集合している。お前は、仲間はずれで、誰とも立ち話ができないではないか? 花輪夫人の方が価値なんだよ。どうだ、負けて悔しいか? それに通るとき、かの女に無視されたら、ショックだろう。彼女は、いつもはお前を無視しないよね。だけど、本日は、無視してやる様に命令をしておいたから、無視するはずだし・・・・・

 花輪夫人が、しゃべっているところは、安野家のベランダのすぐ下で、彼女が、聞き耳を立てているので、逃げ出すわけにもいかないのだぜ、「ちゃんと、任務を果たして頂戴ね」・・・・・と言わなくても、彼女は利口だから、ちゃんとわかっているさ。どうだ、まいったか?……と、井上ひさしか、伊藤玄二郎か、鎌倉警察署生活安全課の課長かが、その午後零時50分に、花輪夫人と、柳沢昇の会話を、スマホで、盗聴しながら、それにかぶせて、言っているのをひしひしと感じました。まあ、こういう風に分析をされてしまうと、井上ひさしが、丸見えになるので、彼は、23日の午後五時ごろ、2本のコメントをよこして、「また、妄想女め!」と、言って毒づいてきています。

 ここで、どうして花輪夫人が使役をされたかを、推察しましょう。この通せんぼをされたのが、22日ですが、その前の21日に、割と長い(?)会話を、石段の途中で、交わしたので、それが、盗聴をされていて、意外と仲良しなら、それをひっくり返せば、彼女(私のこと)は、嘆くぜ、早くノイローゼになるぜ」と思い至ったのでしょう。誰が、というと、上に名前をあげた三人の鎌倉エージェント(CIA側の特権者)だろうとは、思いますが、

 この山に住んでいる人のスマホが、すべて、盗聴可能で、それが、安野夫人のもとに入る様になっていたら、安野夫人が、企画をして、花輪夫人を、中立ではない方向で、動かして、それを見せびらかしてやろうと、したのではないですか? その日は、私は、割と早く出て、(それは、野菜市場に行きたいからだが)午後1時半ごろ、帰宅をして、山の中の石段で、花輪夫人とすれ違ったのです。

 上の方で、この山では、実働、9人しか主婦が動いていないと、言っています。ほかにお勤めをしている女性が、四人います。が、21日は、日曜日だったので、会うとしたら、13人の主婦と会うはずでした。玄関で、右側に、花輪夫人の存在を感じたのですが、左側に関本夫人が下のお子様と一緒にいるのを感じました。こちらも、お子様の方に、いささかの問題があると感じました。また、安野夫人か、大原光孝さんが、何かを告げていて、何かがあると、感じました。ただ、この女性が、三井物産勤務かもしれないと、思っているので、タッチしないで、済むときは、タッチしないでおこうと、思っている女性なので、私は左側には顧慮はせず、右に向かって、山の下へ降りていきました。すると安野夫人の真下に、120度の角度で、曲がっているところがあって、そこは、山を下りる人にとっては死角となります。

 また、山を上がってくる人にとっては、反対側に隠れていると、それもまた、死角になるので、脅かしの役に立つと、考えられているはずです。それを実行をしたのが富沢夫人で、日時は、2020年12月25日でした。

 その富沢夫人の例があるので、今回の花輪夫人の動きも、即座に正解に達したわけですが、富沢夫人のケースを振り返ってみましょう。

 実は、2020年12月22日に、新コロナウィルスを武蔵小杉の病院内ドトールで、飲まされたと、語っています。

22日にドゥトール・武蔵小杉で、水の中にコロナウィルスを入れられた哉? 其は、19日のハックドラッグ・鎌倉での謀略の延長で!

2020-12-23 04:01:55 | 政治

で、そのリンク先をお読みいただく、必要はないのですが、でも、死ぬな!と、思ったので、次の文章も書いています。相当な覚悟を持って、殺されそうですよと、書いているわけです。それが次のリンク先です。

磔刑のキリスト…【美術9条の会】渡辺豊重、一ノ瀬智恵乎、…【多摩美】佐野研二郎、宮崎進、彦坂尚嘉 

2020-12-25 03:19:26 | 政治

  上の章も、お読みいただく必要はないのですよ。だけど、公開した日付だけはご注意をいただきたいところです。25日の午前三時となっていますが、実際は、24日の深夜書いたと、言ってよいでしょう。で、太陽が上がってから、いったん寝て、そして、午後外出しました。

 その日の外出は、散々でした。スマホを持って出たと、言うこともあるし、私のブログが、鎌倉中の私を知る人の間で、広まったらしくて、散々な寝ぬな目に出会いました。

 それを書いたのが以下のブログです。すみません、ここで、午前6時になるし、完璧な睡魔に襲われたので、、入眠をさせてくださいませ

 

 

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

前報を夜10時ごろに、いったん、完成(未推敲だが、骨子は、完成という意味で)としたものの、その五時間後に、引っかかるところがあって、それを加筆しますと、23日に入ってから加筆部分を書きはじめています。

心残りというか、引っかかるところは、4か所あったのです。

 最初のみっつは、鎌倉霊園にある、実家の墓が、三年ぐらい前から、徐々に徐々に破壊をされていると、いうことを語り始め、それに関連して、石春産業という、会社に触れていっています。石春産業とは、鎌倉霊園に、もっとも、近い場所で、石屋を経営しています。

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春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 01:13:32 | 政治

 実は23日の午前一時半に、字数が三万字を超えたので、アップできないといわれました。でね。こちらへ、コピペしました。その前にマイクロソフトワードで計数すると、7602文字だといいます。このグーブログのボックス絵は、19502文字だと、言います。しかし、公開すると、言うボタンをクリックすると、突然に、30000時を超えるので、公開できないといいます。ものすごいウソを、グーブログ側が、言います。しかし、グーブログが言うのではなくて、ハッキングをしている連中が言うのでしょう。そして、一回、アップ用の処理をしただけで、一万字増えていました。まるで、めちゃくちゃです。しかし、彼らにとっては、公開されたら困る、真実が、いっぱい入っていることは確かです。

 今は、23日の午前零時10分です。今から、下の分へ加筆をしますが、特に気にかかっているところを加筆します。全文の推敲より前に、そこを充実させます。!)、フェレットがどうして鎌倉霊園で死んでいたか? 以前は飼いきれなくなった人が捨てたのだろうと、思っていました。しかし、ちょっと違うかもしれないと思いなおして、それを詳細に書いていきます。その次に2)、なぜ総タイトルに、石春産業に行きますよと、宣言をしたかです。マイケルムーア監督の手法に倣えば、何も言わないで、訪問をした方がいいですね。しかし、あえて、それを宣言して出かけた。その理由は何か? 花輪夫人と柳沢昇が通せんぼをしていたということの意味は、様子を詳細に語りま章。でないと、被害妄想だと、言われてしまいかねないので・・・・・・

副題1、『鎌倉では、2021-2-22(月)は、ひどく暖かいです。で、二、三日前から、準備しておいたお墓参りに行こうと思っております』

 今朝は、朝四時に目覚めました。昨日は、夜十時ごろから睡魔に襲われ、食卓の、やや低めの椅子に座ったまま、一時間半ほど寝て、・・・・・・これは、外部攻撃でしょうね。その日は、午前八時半に起きましたので、起きてから、一三時間半しかたっていません。この段階で眠くなるのは、決定的におかしいです・・・・・と判断をしました。五年前ぐらいは、そういうときでも頑張ったのですが、すでに、七十九歳です。頑張らないで、就寝しました。なぜ、それほど妨害を受けたかというと、全豪オープン(後注1)とは、大勢の人が、注目をする大会で、しかも、そこで、起きたことは、政治的に、このブログとっ直結するからです。それを、書かせたくないと、言うことで、睡魔に襲われる設定が、なされました。どうしてそういうことが可能なのかの、その技術的側面については、本日、この章では語りません。

 で、朝の四時半に起きたのですが、普通の仕事(生きるためのもの)を、十一時半の今まで、やっていて、その後、お墓参りに行くつもりで、今、家を出るところです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『鎌倉霊園に、ある、実家のお墓が、ジョジョに、徐々に、破壊をされている。で、単なる草むしりと、お花を添えるだけのお参りでは済まないのだ』

 しかし、私の実家のお墓には、大きな問題点があります。

 少しずつ少しずつですが、破壊をされているのです。三年前ぐらいからですが、気が付いています。しかし、墓石がひっくり返るほどではないので、放っておいたのですが、墓石を安定させるための、ぐり石が、穿り返されているのです。あたり一面に、それが、散らかっています。これは、一般の人には、思いもつかない破壊工作です。お墓を作った人でないと、気が付かない破壊工作です。

 しかし、このお墓を作った人が、そういう悪さをするでしょうか? 違う人がやっているでしょうね。

 それで、六か月から、三か月前のある日、鎌倉霊園事務所(親会社は、西武鉄道ホールディングスだと想像しているが)に、届け出たのです。すると、恐るべきことに、さらに、強く、大きく破壊を受けることとなりました。前回行ったときに縁石が、少し、斜めになっていました。周囲は、4辺あるのですが、最も目立つところが破壊を受けていました。

 しかも、わざと柄杓を置いて行ったり、・・・・・それは、私がだらしがない人なので、前回の、お墓参りの時に、きちんと返しておかなかったと、言う嘘の設定にしておいて、真向かいのお墓の人に、だらしがない人ねと、思わせる目的があったでしょう。

 まあ、たまたま、端っこにあるので、その柄杓を見る人間は、真向かいのお墓の人だけですが・・・・・・

 非常に悪意ある設定なので、例の鎌倉エージェントの仕業だと、思っています。ここで、重要なことは、花の鉢が、ひっくり返されていることです。これは、最初期に起きたのは、一〇年以上前で、柳沢昇がやっていると、思います。それが、二日前にも、同じことが起きています。しかし、この山には、四種類の泥棒がいますので、ほかの人が、私が間違えることを狙って、行ったのかもしれません。

 しかし、鎌倉霊園の、私の実家のお墓に、くわえられる攻撃とは、ご近所様が、やっていることとコンセプトがまるで同じなのです。したがって、鎌倉エージェント(伊藤玄二郎と、まだ生きている井上ひさし、と、鎌倉警察署生活安全課課長)がかかわっている可能性があるからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『特に、最近、重度の、攻撃性を持つ、コメントが、井上ひさしから、送り込まれたのだが、それが、始まったのが、以下の章で、鎌倉霊園が問題になっている章だった。だから、フェレットの死骸を置いたのも、同じ連中かもしれない。ただ、たまたま、フェレットの死骸を見つけたのは、私の実家の墓ではなくて、そこに上っていく途中だったのだけれど。

フェレットが鎌倉霊園に捨てられて死んでいた。私は動物をショップで買うことは、絶対に反対だ。

2021-01-11 23:07:31 | 政治

 で、このお墓の破壊工作は、組織的なもので、単純ないたずら行為ではありません。

 で、これから先の文章は、帰ってから書くとして、まず、お墓に行って、現状を確かめて、その後、石春産業に、よる予定です。

 ::::::::ここで、上にリンク先を置いた章では、フェレットは、ペットで、飼いきれなくなった人が車で、持ってきて捨てたのだろうと、言っています。フェレットは、寒さを防ぐために、くるっと丸まっていて、毛がすべて逆立っていたので、最初は子猫かと、間違えたほどでした。で、人間の背の高さだと、広井霊園のどこに事務所があるのかが見えますし、そこまでいけば人間がいるのだと、わかりますが、フェレットの背の高さですと墓石群が見えるだけです。アメリカ製の近未来映画の中で、エイリアンの国に迷い込んだ人間みたいなものです。

 しかし、本日はっきりとお墓の破壊を語り始めました。三年前から気が付いていたのですが、本日初めて語り始めました。そして、今、帰宅して、本日見聞したすべての現象を総括すると、あのフェレットは、わざと殺されて、私を脅かすために、死骸があそこに置いてあったのかもしれません。というのも、私はある日、北久里浜駅前ロータリーで、フェレットの、引き綱をつけて、散歩をしている人を見つけて、びっくりしたのです。リードをつけて散歩をさせるのは犬ですね。でも、犬にしてはあまりにも華奢なので、本当に驚いて、帰宅して主人に言ったのです。若い青年で、社会人風でした。彼にとって、フェレットを飼うということは、『自分は、珍しいペットを飼っているという点で、ひとより、優れているのだ』と誇示したいのでしょう。そのあたりは、主人には、伝えなかったのですが、フェレットを散歩させると、言う一種の無理には驚いて、あの青年は、まだ、未熟だなあと、思い至った次第です。それが、室内盗聴で、利用をされて、脅かしのために、順路が二つある、その午後四時過ぎに霊園に到着すると使う道の方に置いてあったので、それは、言論弾圧用の脅かし策だと、考えるのも、一つの筋なのです。

 我が家では電話も盗聴をされていますが、夫婦の会話もすべて盗聴をされています。一方で霊園に行くのもほぼ毎月です。で、こういう策謀がなされたと、考えるのも一つの筋です。というのもここに書いてあることはすべて真実です。で、ばれないと思っているおバカさんたちが次から次へと、策謀を企ててくるのですが、全部ばれています。養老先生が、どういう風に使われているか? 先生と飼い猫まるの番組が、(再放送も終わったら)丁寧に、書きましょう。川井良一先生のことは最近書きましたね。東京理科大の、交響楽団の指揮者にして、北鎌倉女子学園の先生だった人です。養老先生も、川合先生も、妙本寺のお見合いで、我が家の西隣の遠藤嬢を押しこんだはずです。それが、本当(または、裏側で)は、どういう意味を持っていたかについては、何度も語ってきているので、ここでは語りませんが。私はそういうものは大っ嫌いです。と、何度も言っているのだから、やらなければいいのに、賽の河原と、言ってよいほど、同じことを繰り返します。で、もう殺すしかないと、なっているのですが、すでに七回ぐらい、殺されそうになっているのに、すべて、助かっているので、もう、脅かしと嫌がらせの連続で、のいろーぜにさせるしかないという結論になっていて、家の中でも、プリンターがガタガタ言ったりして、(17日は、夜の10時に一回、18日の午前三時に、三回、電源が入って、がたがた言った)脅かされるのですが、外へ出ると、さらに、新規なやり方で、脅かされ、嫌がらせを受けるのです。

 この賞は、お墓が、少しずつ、すこしずつ、破壊をされていることを語る生です。:::::::::::

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『マイケルムーア監督が、なぜ、あれほどの、表現(主張)ができるのかを研究した時期がある。すると、彼は、やはり、巨大な勢力の悪を暴露したり、批判をすることに対して、一応の、おそれを抱いていて、徐々に段階を踏んで、表現を拡張していったことが分かった』

 私はマイケルムーア監督は、大好評の人だから、かえって、長期間触れなかったのです。自分は、大勢が好むものは好まないという主義でしたから。ただ、ごく最近、NHKが、ボーリングフォーコロンバインを放映して、なるほど、相当に昔から、主張は変わらないのですねと、感想を新たにしました。

 しかし、それほど、抵抗をしていたのに、とうとう、

  • キャピタリズム〜マネーは踊る〜』 - Capitalism: A Love Story(2009年)の時は、劇場へ見に行ったのです。その時に、彼のアポなし取材こそ、真実をあぶりだす、重要な手法であることを知りました。

 今般、NHKニュースウォッチの有馬キャスターが、三月いっぱいで、降版となり、それは、菅総理に、事前の、提出稿にはなかった、質問をぶつけたせいだと、知り、菅総理大臣が、きわめて、問題の、多い人間だと、改めて知った次第です。

 で、私は、その映画、【キャピタリズム~マネーは踊る】を、・・・・・ああ。おおじゃあないの……と、思ったものですから、例のごとく、集中的に、マイケルムーア監督について、研究をすることとなりました。

 レンタルビデオ屋さんで、手に入るものは、すべて借りました。そして、その時も【シッコ】、医療問題を扱ったものが、紛失になったのかな? これは、その後、鎌倉市(立)図書館の、雑誌、2011年6月号の、【演劇界】が、紛失すると、言う件で、再度、表出して、深い攻撃を受けた謀略の一種ですが、ともかく、【シッコ】は、7000円強を出して、買ったと、思います。我が家にはあるはずですが?????

 さて、その時に、シッコ以外の全作品をレンタルビデオ屋さんで、借りたのですが、テレビ番組が、秀逸だと思いました。

wikipedia によると、次の、2作品が出ています。それぞれ、ボックス型の、DVDで、何枚かを見たのですが、一見すると、バカ番組に見えます。

日曜日の、お昼に、日本でも、放映をされていた、てなもんや三度笠みたいな設定で、ホールに詰めたお客さんに、見せて、反応をも、番組内に、収録すると、言う方式です。笑わせるわけですが、用意周到に、身を守る設定だと、思いました。

 ひどく斬新なこと、しかし、真実極まりないことが、展開します。そして、笑い飛ばします。しかし、それを、普通のドキュメンタリー番組にでもしたら、どこの放送局でも放映を拒否したでしょうし(しかし、アメリカでは、100近いチャンネルがあるので、放映可能なところもあるかもしれないが)・・・・・ともかく、非常に危険な内容なのです。しかし、観客が、300人程度でもいれば、その人たち、および、テレビ視聴をしている、20万人ぐらいには、確実に伝わっていて、その人たちが、もし、ムーア監督が逮捕されでもしたら、救ってくれるはずです。

 まあ、高校時代から、活動をしていたそうですから、私には真似すべき手法でもないのですが、その自己防衛の、精神と手法は、参考にはしています。私が、文章が完成していないのに、数節ごとに、公開するのもそれの応用です。アポなし取材と、ちょっと、似ていて、手の内をさらさない様にしながら、公開してしまうと、言う方針は、ムーア監督を参考にさせていただいているのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『それなのに、なぜ、今から石春産業を訪問をすると、書いたかというと、

 いろいろ、理由があるのですが、それは、帰ってから、書きましょう。では、出かけていきます。

 :::::::::ここで、言う理由とは、彼らは、必ず、動くのです。その動きを見ていると、彼らの考えが分かるので、それを見たいがために、石春産業に行くと、広言をしたわけです。ただね、実際には、野菜市場、覚園寺、という風に、そちらによらざるを得ない設定になってしまい、いろいろ間が悪くて、12時50分に家を出たのに、午後五時まで、石春産業を訪問できなかったのです。でもね、宣言したことはプラスでした。四つほど、はっきりと、墓を壊しているのは鎌倉エージェントだと、わかる証拠をつかみましたので。それをつかむために、わざと広言をして外出したのでした。彼らの手口というかやり方って、もう手に取る様にわかるのですよ。1000回位ぐらい同じ、手法で、攻撃を受けていますので。::::::::::以上、23日真夜中の加筆、その2

 で、先ほど、霊園から帰宅して、その後、書いていた初稿に戻ります。

########################

  今は、22日の夜七時半です。

 今日はスマホ二台を持って出て、お墓の微妙な破壊の跡を、写真を撮ろうとしていたのに、つい、忘れて帰宅をしています。

 お墓に向かう際、霊園内道路の、途中で、車二台に出会いました。それと、自宅近辺の、山の中で、柳沢昇と、花輪夫人が、明らかに、通せんぼをしていたので、上に書いたことが重要だと、感じていましたし、広大な墓の途中で、二台の車が、待っているだけで、

 私が書こうとしていた、・・・・・・お墓を壊しているのは、アイデアは、鎌倉エージェントから出ていて、特に井上ひさしから出ていて、

 最近の特措法とか、そのほかと、全く同じく、ご近所の安野智紗夫人、前田清子さん、小野寺夫人、渡辺賢司夫妻、平木さん、一家などが、動いていること・・・・・・と、100%関係があると、感じました。特に安野夫人を助けるために、お墓まで、壊すという形の脅かしを受けているのだと、感じました。そして、背丈5mm 根っこ、2cmの小さい小さい草を、45分間かかって、四分の三ほど抜いて、お墓から去ろうとしたときに、先ほどの、道路の、15mぐらい離れたところに、警備と、書いた車が止まっているのに気が付きました。

 普段、全くいない車です。で、すぐさま、警察が派遣した車だろうと、考えました。その車は、私が、その、道路まで降りて、その車を認識したとたんに、発車し始め、私のそばをさーっと通り過ぎました。運転する人間を見ると、鬼の様に怖い顔をした人間で、その車が、私を脅かすために、待機していたのを知りました。その人間は、警察の特殊部隊の人間で、私の墓を破壊しているのもその人間かもしれません。しかし、徐々に徐々にお墓を壊していくにあたって、お墓の構造を知らないと、うまくいきません。どしっと、一遍に、倒壊したりしたら、

 私は即座にその写真をここに載せて、鎌倉エージェント特に井上ひさしが、お墓まで、倒壊をさせました。むろん、彼は、死んだことにしているのですから、実行は警察の特殊部隊か、石春産業にやらせたでしょう。でも、これは、一番悪辣な安野夫人を守るための、業務ですね。彼女が死ぬまで、こういうことは続くのでしょうね・・・・・・・と書くはずです。それは困るのです。で、ぐり石を穿り出して、徐々に、墓石がゆがむようにしてあるのです。しかし、実行部隊の、若者って、ものすごく頭が悪いです。それは、以下のリンク先で、丁寧に、書いています。

保土ヶ谷のネットカフェ内での、罠

2014-06-13 00:40:11 | Weblog

 で、もし墓がべしゃっと、一遍に倒れたら、・・・・・・そりゃあ、例の連中がやりましたね。安野夫人を助けるために・・・・・と即座に書くことができます。それは、鎌倉エージェント及び警察庁長菅にとってはとても困ることなのです。

 私は何も悪いことはしていませんよ。ただ、被害を書いているだけです。で、加害者側に、CIAがべったりと引っ付いていて、そのまた、家来として、警察が動いているので、こういうことになるのです。

 したがって、私は、その時、石春産業にはいかないで、いいと、思いました。

 墓を壊したのは、墓のことをよくわかっている人間で、鎌倉霊園と、一番近い石屋は石春産業です。でも、ここで、・・・・・・壊したのは、石春産業だろう・・・・・・とは、言いません。ただし、アジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅工事をやったのは、石春産業です。

 その時、社長の、弟で、専務という人間が来ました。どれほど、恐ろしいことをやったのか、今思い出してもぞっとするほどです。それでね。それを、まとめないといけないと、感じました。その作業をやってから、それをプリントアウトしてから、それをもって、訪問をしてもいいのですが、墓を実際に壊したのがだれであろうと

 安野智紗夫人と前田清子さんが、主体となっていた井戸端会議で、我が家の花畑が盗まれてしまっている話を書いている私を、どうにかして、殺したいという、そういう方向で、悩ませようとして、墓を壊しているのです。

 だから、誰が、実際に壊しているかどうかを問わなくても、最近のあれこれと、全く同じ流れであると、言うことです。で、はっきりとわかっている、石春産業の、アジサイ畑欺罔事件の、事を、ここで、まとめないといけません。しかし、それには、膨大な時間がかかるので、ここでは、後回しにして、最近、書き始めていて、途中になっていることへ戻ります。

 ただね被害者として、被害を語っているだけなのに、こっちが、弾圧をされ、あわよくば殺してやろうとする、人達の恐ろしさ、驚くべき、心情です。数の論理で、こちらが負けていますが、

 まあ、神様は、すべてをお見通しだと、確信していますので、さして、イライラしないのですが、

 どれだけ、多くの人が殺されていることか、安野智紗夫人と、前田清子夫人がやったことを隠ぺいするためにね。それに協力する平木さん一家、それとか、花輪夫人とかには、ただ、ただ、驚いています。

 ここで、花輪夫人のフレイル状態という加筆があります。だが、それは明日加筆をいたします。お待ちいただきたく存じます。

 ただ、ベイカーさんが、首を絞めて、殺そうとしたこととか、(私をですよ)北久里浜の大土地詐欺事件とか、裏がいろいろあるので、ここでは全部を説明しきれませんので、また、誤解を招くでしょうが、神様を信じているので、心配しません。

 今日は、ここで。

 明日から、途中になっている文章をまとめていきます。

 

 

 
 
 
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墓が壊された話。妨害を受けて、公開できない様にされたので、別章に移動をした

2021-02-22 11:23:31 | 政治

 以下の原稿は、一万g字程度なのですが、三万字を超えたので、公開ができないと言われたので、全文をコピペした(つまり、りせっとをしたのです)ものを、

以下の章で、公開をしています。

 

春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態

2021-02-23 01:13:32 | 政治

 

 

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全豪オープン無観客試合は、なぜセッティングされたのか? サッカー界と、五輪関係は、仲が悪いのかな?

2021-02-20 21:43:38 | 政治

 この文章は、公開時間だけは、20日の夜九時になっています。しかし、実際には、次の日の、21日の夜から、文章を入力し始めます。

副題〇、『現在の私の心境』

 珍しく、長時間、パソコンに触りませんでした。特にこのgooブログの、ボックスに、入力しませんでした。でも、私は、とても元気です。2020年12月22日、武蔵小杉の関東労災病院内ドトールで、新コロナウィルスを、提供された冷水(実際には、ぬるい水だった)に入れて、人為的に飲まされたらしいのです。しかし、病院へ駈け込まないので、発症したのに隠していると、鎌倉エージェントたちに疑われて、菅内閣に、特措法(特に感染対策何とか、条項)を国会に提出させました。その法律が私狙いだったことは、100%真実でしたね。

 だって、2020年12月22日から、すでに、2か月以上、経過し、1)、JRメトロポリタンホテル鎌倉内、無印良カフェとか、2)NTTドコモとか、3)パソコン教室とか、4)高血圧対策のための内科のお医者様とか、5)証券会社とか、種々様々な、体面的、要素がある場所に出かけていますが、相手が、アクリル板を隔てて、1mのところにいても、私の様子に、2か月前と、同じく、全く異常がないので、すでに、検温もされないほどです。

 私にとって、目下の、面倒なことで、まだ、慣れていないこととは、新コロナではなくて、高血圧です。一日に三回血圧を測らないといけないと、言うことで、それを、すぐ忘れてしまいます。きちんとノートにつけて、一か月に一回ほど、お医者さんに通わないといけません。身につくまで大変そうです。(苦笑) 後、膝の関節の検診。と、目の白内障手術後の、検診。そういう人にはなりたくなかったのに、いわゆる、病院のロビーをにぎわわす老人の一人になりそうです。

 ともかく、発症を隠している人は逮捕するのなんのという法律が、私狙いだったことは確かです。今の私が、あまりにも、普通であり、別の言葉でいえば、ぴんぴんしているものですから、あの法律は、雲散霧消しました。ただね。私にしてみると、鎌倉エージェントの面々が、どれほどに、悪意が強い人間か、はっきりわかったので、それに、連動して動く、安野智紗夫人、前田清子さん、小野寺夫人、平木さん一家に、+、渡辺賢司夫妻、大原光孝さんなどに対する・・・・・深い、深い、軽蔑の念をさらに強くしたところです。特措法って、毒を飲ませたのが、自分たちだと、自白をしている様なものです。それに連なって、いろいろ、やってくる人たちですから、一般人などとは、とても、言えませんよ。悪人の極みです。

 私の様に、何でも分かっていて、しかも文章力がある人間に対して、ばかげただまし討ちを、35年以上にわたってやってきて、そのいきさつを書かれてしまって、困り切ったので、病院に、強制的に、入院させて、殺してやれ、っとは、本当に乱暴で、しかも、幼稚な頭脳です。しかし、12月の22日から、1月の15日あたりまでは、その、件で、脅かされていたことは、事実です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『森喜朗氏、たたきは、特措法を、雲散霧消させるために、使われた事案ですね。それほど、大きなことではないのに、外国まで、使って、大事(おおごと)にしました。

 森喜朗氏が、自分が辞めるのなら、ほかの人に迷惑をかけない様にしましょうと、普通に考えて、後任にいったん川渕氏を選びました。

 その日のうちに川渕氏が、引き受けたそうで、私は、その、人事には、いぶかしさを感じました。メディアが、発表している方向で、いぶかしく思ったわけではないのですよ。そうではなくて、私は、今回の五輪は、成功しないと、見ている人間なので、すでに、サッカーで、相当、大きな名誉を受けている川渕氏が、なんで、そういう損な役目を引き受けるのか?という点で、不思議だったからです。

 案の定、次の日に、川渕氏は、就任辞退を申し出でました。失礼な憶測ながら、高円宮妃殿下が、ご出馬あそばして、川渕さんに、「おやめあそばせ、そんな、損な役割」と、助言なさったのではないかしら。

 ここで敢えて、高円宮妃殿下を出すのは、この方が、ここ数年間、秋篠宮家を批判することがおびただしいからだ。むろんのこと、中には、的を得ているものもある。真子様の、結婚に批判的なのは、的を得ている。しかし、それに関連して、恋愛と、結婚は別物と、言うのは、下品を通り越している。皇族が発言なさる言葉ではない。私も、真子様と小室敬君の結婚委は、反対だ。だけど、「うちは、そんなバカげた結婚を許しません。名家同士で、結婚を、致しますよ」という言葉は、お出しになるべきではない。

 それから、佳子様の英語がだめだと、言う発言。確かに、佳子様の、英語には、私も、びっくりした。sと、th の区別とか、bとvの区別とか、lと、rの、区別が、佳子様の場合は、はっきりしていない。本当に、びっくりした。学習院から、途中入学なので、国際キリスト教大学の、一年次の、激しい英語訓練がなかったのかしら?とは、思うものの、外部に向けて、高円宮妃殿下が、批判的に、それを、おっしゃるのは、どうかと、思う。注意すべきは、注意すべきだから、上皇后、美智子様を通じて、注意なさればよかった。または、当時は、現職でいらっしゃった、天皇陛下を通じて。高円宮妃殿下は、年齢が、お若いかもしれないが、おばと、言う立場なのだから、明仁様と、美智子様には、お話しできる立場だと、思うけれど。

 良かれと、思っておっしゃっていることだと、思うけれど、外野から見ていると、単なる意地悪に見える。

 そういう高円宮妃殿下は、サッカーの件で、川渕三郎氏と親しいと、聞いている。猫の首に鈴が、つけられないと、よく言うけれど、川渕氏に、助言をできるのは、高円宮妃殿下だろうと、私は、推察している。

 今回、こんな役職を、一階でも、引き受けると、言ってしまう陰に、何らかの、負い目があるのかしらと、思い至って、川渕氏の、wikipedia を、本日=2020-2-21に、初めて開いてみた。すると、下の者から、相当な批判を受けている可能性は、感じた。

 しかし、しっかりしたところもある人だった。例えば、w杯東京大会が、急に韓国と共催となった時に、憮然とした顔をしたらしい。それは、当然のことだと、思う。そこにおいて、ご本人の感性は、正しい。

 で、川渕氏個人にとっては、今般の、役職は、引き受けない方が、当然、だけれど・・・・・ただ、ご、本人の、気持ちと、高円宮妃殿下からの、助言だけで、撤回宣言が出たとも、思わない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3,『川渕氏が、トップを引き受けると、まずいという何らかの裏側があったに違いない。

 ここで、睡魔に襲われかけ名kjなりました。続きは明日書きます。

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「ばかげている」 試合中のファン退去に米選手が怒り 全豪OP

2021年2月13日 15:42 発信地:メルボルン/オーストラリア

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全豪オープンテニス、男子シングルス3回戦。試合中に不満をあらわにするテイラー・フリッツ(2021年2月12日撮影)。(c)William WEST / AFP

【2月13日 AFP】全豪オープンテニス(Australian Open Tennis Tournament 2021)の男子シングルスに出場していた米国のテイラー・フリッツ(Taylor Fritz)は、12日に行われたノバク・ジョコビッチ(Novak Djokovic、セルビア)との試合中にファンが会場から退去させられたのは「全くばかげている」と主張し、四大大会(グランドスラム)ではあってはならないことだと怒りをあらわにした。

 開催地メルボルンを中心とする豪ビクトリア(Victoria)州は、新型コロナウイルスの影響で同日深夜から600万人以上が5日間のロックダウン(都市封鎖)に突入することになっていた。そのためフリッツ対ジョコビッチの3回戦では、大会側が午後11時30分に試合を一時中断して会場のロッド・レーバー・アリーナ(Rod Laver Arena)を無観客にした。

 大会スタッフが観客がいなくなるのを確認する間、両選手はコートから出るように指示されたが、そのときフリッツは勝負を最終セットに持ち込むべく、けがに見舞われたジョコビッチとセットカウント2対2で並ぼうとしていたところだった。

 同選手は試合を振り返り、「正直なところ、まさに本音で言えば、第4セットの途中でコートから10分間出て行くように言われるなんて、グランドスラムの試合では全くばかげている」とすると、メジャー大会ではあってはならないことだと強調した。

 さらには、「ビクトリア州が再びロックダウンに突入し、人々が会場から出て行かなければならないのは理解できる。それならば、試合が時間までに終了できない可能性を想定し、今夜は試合をするべきではなかったんだ」と主張した。

 スタジアムでは騒々しく盛り上がっていた観客の大半がフリッツに味方していたのに対し、通算8度の全豪優勝を誇りながらも大歓迎されたことは一度もないジョコビッチにはやじが飛ばされる場面があった。

 フリッツは第4セットを制したものの第5セットでは調子を崩し、「ファンがいなくなったことが、自分にとって痛かったかもしれない。なぜなら、彼らが後押ししてくれていたから」と話し、無観客となったことが影響したと分析した。

 感染力が増している英国型のウイルス変異株がメルボルンの空港ホテルで見つかったことによる今回のロックダウンでは、ファンは試合の観戦が禁止され、選手たちは衛生的に安全が保たれた「バブル」の中で過ごすことになっている。(c)AFP

By AFP

 

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大阪なおみ選手が、マスクに殺された黒人の名前を書いて全米オープンに出場したのは、自分自身への差別を悲しんだ事も大きいだろう

2021-02-19 10:14:34 | 政治

 この章ですが主意は、【全豪オープンで、準決勝とその前、無観客で試合が行われた。なぜだか、皆様ご存じですか?】と、政治的な方向で、まとめるつもりです。ですから、最終的には、総タイトルを、そこに戻す可能性が、あります。しかし、例のごとく、マスメディアが、遠慮をしているのか、または、問題が、大きすぎるせいか、取り上げていない問題があるので、それをはっきりと書いていきましょう。人種差別の本当のところをです。

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副題〇、『私は、ほっとしているし・・・・・意外と早い回復だったなあ・・・・・とも、思っている。

 私は、なおみ選手の、コーチ解任は、彼女がひそかに、サーシャコーチに恋をして、それを、拒否する行動をサーシャコーチが行ったので、深く傷ついて、別れる決意をしたと、いう文章を書いている。後注1.

 日本の現在の若い女性のように、はっきりと、申し出でたわけではない。なおみ選手はとても、シャイなのだ。しかし、こういうことは相手には、はっきりとわかるものだ。サーシャコーチというのは、主に、精神面で、彼女を、導いた人なので、そういう指導が可能なためには、一段と、上に立って、状況を見ていないとできない。だから、それが、十分に分かっているうえで、なおみ選手に、婉曲に、断りを入れた。

 この恋愛は、なおみ選手も、告白をしておらず、サーシャコーチもだれか、ほかの人に、事態を明言したわけではないので、表には出てこなかった出来事だ。もちろん、キスもなければ、ベットインもない恋愛だ。だけど、プラトニックな恋愛の、失恋は、それは、それで、傷が深い。

 それで、コーチ解任について誤解に基づく諸説がでて、なおみ選手が、傲慢だと、いうより大きな誤解が、生じた。それで、はっきりと、この恋愛と失恋の事を書いたのが、以下の、ブログだ。これをあと注1とする。

なおみ選手は、サーシャコーチに恋をした。しかし、コーチはその愛を受け入れなかった。結果、なおみ選手は、一緒にいる事を苦痛に感じ始めて

2019-02-13 22:51:09 | 政治

 人気者、特に若い女性(当時、21歳)の、私生活に踏み込んだ、文章の様に見えると思うが、サーシャコーチ解任の、件に関して、真実とは、全く、異なった解釈が流布しているので、気の毒だと、思って書いた。誤解に基づく見解は、結局はサーシャコーチを良いものにする説であり、可哀そうな、一人の女の子を、さらに窮地に追い詰めるものだった。真実の愛情に満ちている善人(!?!)である、私には、とても、看過できない出来事だった。だから、上の文章を書いた。回復には、相当時間がかかるとみていたが、今回の全豪で、素晴らしい回復と進歩を示している彼女には、「本当によかったね。自分の力で、頑張ったのね」と、言いたい。

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副題1,『大阪なおみ選手が、Black is Matter の、運動に賛同して、全米オープンに、必ず、黒いマスクをして現われ、全七試合のすべてに、殺された、人間の名前を書いたうえで、出場したのは、自分自身の、悲しい、人種差別を、経験したからに、他ならない』

 サーシャコーチが、どういう形で、なおみちゃんを、苦しめたかですが、フィアンセという女性を、オーストラリアまで、帯同したことが、最も大きかったでしょう。全米の、時にもそれは、見えていた現象かもしれないけれど、ニューヨークのそのシーズンなんて、世界中のセレブがニューヨークに集まり、一大社交場となるはずです。あっち、こっちの高級レストランなどでの会食、ダンス、また、どこかのセレブ邸での、立食パーティなど、それぞれ、主催者が、異なって、週十回、繰り返されると、思います。

 ここで、数千字が消えました。別に政治論を展開しているわけではなくて、一人の大人の男と、10歳以上年下の、ほとんど、少女と言ってよいほどの、若い女性との、恋愛の諸相を書いているわけなので、ほとんど、問題がないと、思って用心をしていなかったら、消えました。システム異常を利用して、消すのです。敵方が、何故、その部分を、公開させたくないと、感じたかというと、ここに今、書いていたことが真実だし、それは、一般の方が、お読みになっても、『そうでしょうねえ』と、お思いになる様な、書き方だから、私の、真実の能力が高いと、いうことが世間にわかってしまうからです。それで、消し去るのでした。仕方がないので、その部分を書き直していきたいと、思います。

 この様なパーティの席ですが、大阪なおみ選手は、自分が、世間に、公表してよいボーイフレンドがいない段階ですから、欠席した可能性があります。全部欠席でもないでしょうが、全部出席でもないでしょう。セリーナウィリアムズとか、その他、すでに有名である選手が出席すれば、そのパーティの名目はたつのです。サーシャコーチの方ですがこの全米オープンの、優勝後のパーティには、過去、出席したことはなくても、すでに、30台の白人なのですから、パーティ文化は、熟知しています。で、半年後の、全豪オープンの時には、NHKテレビカメラにも「フィアンセです」と紹介した、女性(白人)と、一緒に出席したはずです。

 それは、全豪の、優勝が決まった後ではなくても、プレイヴェントの時に、すでに、明瞭になったことだと、推察します。

 大阪なおみ選手、および、母、姉、父は、暗黙裡に、ほかの誰とも付き合っていない直美選手の、手を取って、カップルとして、出席してくれるのは、サーシャコーチだと、思いこんでいた可能性があります。しかし、実際には、違う状況になりました。それで、直美選手は、急きょ、父親、または、チームのトレーナーで、妻がいても、オーストラリアまでは、来ていない男性と、腕を組んで出席した可能性があります。で、映画祭の受賞候補者が赤いじゅうたんを踏んで、会場に向かうほど、派手ではないとは、思いますが、それでも、注目の的であり、『あれ、なおみちゃんって、まだ、ボーイフレンドさえいないの?』と疑問を持たれたりして、彼女は、恥ずかしいとか、きまり悪いとか、いう気分を味わったはずです。

 これが、お母さんが言う(ツィッター投稿)、「家族同然だと、思っていた人に裏切られた」ということだと、思います。しかし、すぐ、引き上げられて、今は、見られないそうですが。なお、それを、紹介した文章が、私と、カップルを組んで、googleで紹介をされていましたが、中身を詳細に読むと、世間のたいせいと、同じで、別に、真実を公開しているとは、とても、言えないものでした。こういうもので、私のblogが隠蔽されているのでした。

 一方でサーシャコーチの心の中も、私には、想像できるのでした。選手とコーチとして、結婚後どうなるか? 女は、家庭の主婦、および、母となったら強いです。その上、大阪直美選手は、体格が、大きいです。30過ぎたら、圧倒されるでしょう。そして、どなり飛ばされるかもしれない。その時、40過ぎのサーシャは、自分が、四大大会で、優勝をしたことがないと、いう悲哀を味わう筈です。きっと、そういうことまで、推察したと、思います。でも、一番基本のところは、これを言うと、直美選手ファンに怒られそうですが、サーシャコーチの根っこのところにあった、人種差別主義です。

 でも、もし愛して居たら、恋は、盲目ですから、乗り越えられます。しかし、理性で、自分と相手をコントロールしているから、直美選手の心理面を改善できたわけですから、サーシャバインコーチには、常に、なおみ選手は、お金を稼ぐ、ツールでしかないのです。

 直美選手は、成果を挙げて、彼に、ご褒美と名誉を与えれば、状況が改善できると、信じていた日々もあったはずです。しかし、改善できなかった。人種差別は、自分自身に、原因や、罪があるわけではありません。歴史的状況とか、社会的状況が生んだものです。自分一人では、決して覆すことのできないものです。つらかったと、思います。でも、この別れは、サーシャコーチの決断ではなくて、直美ちゃんの決断です。賢い。だけど、立ち直るのに、時間がかかるだろうと、見ていたのに、二年で、復活、しかも、ずっと、大人として、そして、テニスの技術においても、成長した姿で、コートに現れました。

 立派です。

 しかし、彼女が復活したからこそ、語りたいのですが、彼女にまつわる、誤解は、もう一つあるのです。2020の全米オープンで、彼女が毎試合、黒いマスクをして、会場入りをして、そのマスクには、白い文字で、全米で、警察官に、不条理に殺された犠牲者の名前が、書いてありました。

 それに関して、ネットで、どこかで見たのですが、「スポーツに政治を持ち込むのは、いかがなものか?」と、いっているのをです。これが誤解です。彼女は、自分の影響力が大きいから、そのメッセージが、役に立つと、考えてあのパフォーマンスを行ったわけではありません。ほとばしる様な、思いから、作ったマスクでしょう。その裏に、「自分はこの人たちと同じなの、理不尽な、現象で、苦しめられています。自分は、この人たちと同じ、フィールド(=陣地)に立っているのです。少しでも、私は改善していきたいのです。これが、力になるとも思わないけれど、少しでも、改善していきたいのです」

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副題2、『ここで、今朝、電話のそばに、瀬木慎一へ向けて発信しようとして、私が準備した、内容証明の、コピーが、七枚も置いてあったことを語らないといけない。瀬木慎一さんから、2010年4月5日着、6日に、私が開封した手紙で、告訴予告を受けた。それは、どうして起きたかというと、その年の、1月17日に、京橋の画廊のオーナー山口みつ子さんが、殺された。私は、その二月に、すでに、メルマガでか、こちらでか、「彼女は他殺である」と、書き始めている。それが真実なので、それを書いている、または、これから書くであろう私を、木っ端みじんにして、文章を書けなくさせるために、井上ひさしは、伊藤玄二郎らと組んで、銀座7丁目にある、exibit Live and Morisで、ただで、個展を開かせてあげますと、いうお誘いを企画した。おどろくべきことに、それを利用して、10個ぐらいの、恐ろしい攻撃を受けた。それを、書き始めるはずだと、考えた、いのうえひさしは9日に、急に自分を死んだことにしたのだった』

 なおみ選手は、なんと、誤解を受ける選手だろう。自分も、自分のことをよくは、知らない、鎌倉エージェントから、彼らが、推定する、人物像に基づいて、私の本当の姿を知らない人に過大な、讒言を与えられている。角野栄子さんなど、その最たるものだ。少女向けヒット作を作る人が、新橋駅で、示した、冷酷極まりない態度は、伊藤玄二郎と、井上ひさしが、推定している私の、人物像を、1000倍、悪い人、劣った人として、画像込みで、事前に伝えていたから、起きた事だったと、考えている。

 今朝も、主人が、八時前後に外出した。私は、6時半に寝床に入り、午前八時半に二時間だけの睡眠で、目を覚まし、とこを出て起きた。絶対に泥棒が入るだろうと、予期していたが、確かに入っていた。美術評論家の、瀬木慎一さんから、告訴すると、いう脅かしを書いた内容の手紙を受けたのも、その古典の最中で、月曜日の、夜に読んだ。で、瀬木さんに、内容証明で、対抗しようとした、その原稿のコピーが、七枚複写して、泥棒が、自由に入れる、二階の居間の電話のそばに、11年後の今朝、置いてあったのだった。とても白い上等な紙で、コピーがとって会って、我が家で、コピーをしたものではなくて、しかも、昨日、そんなものは、そこに置いてはいない。

 この件が、どうして出来したかというと、清泉小学校の生徒に、カソリック雪ノ下教会前で、「逮捕するぞ」と、私に向かって言い放たせて、そのうえで、走って逃げる様に、指導的処理したのと同じで、逮捕とか、告訴とか、強制入院とか、措置入院とかいう語彙を使って、常に私を脅かし続けるのが、彼らの手法なのだ。

 瀬木真一さんは、中央大学法学部政治学科の卒業生であり、伊藤玄二郎と100%の同窓なので、使役をされたのだと、見ている。それを電話で、いうと、氏は、拒否してきたが、事前に、「こういう質問を、雨宮舜から受けたら、拒否をしてください」と、シュミレーションができていたと、私は、考える。

 読者の皆様には、ご安心をいただきたいが、むろん告訴などには発展をしていない。瀬木さんの方が告訴など、摺るべきではないと、自分で、思い直してくれたのだが、そのきっかけは、たった一つの、語彙、おとがいと、いう言葉であった。

 私は、1999年、ニューヨークで、アサコ(仮名、気違い沙汰=殺人未遂事件=を起こしたので、その噂が、学内に広まり、次の学期、学生が、だれひとり、担当教授デニスムーランの講座に申し込まなかったので、彼女は次の学期美大を、やめざるを得なくなった。アサコが教授の嫉妬心(私に対するもの)を先取りして、私を苛め抜いた結果なのは、学生全部が知っていたのだった。量を通じて、噂が広まった。それほどに、アサコは、異常なことをした。アサコは、京都西安という美術大学卒。だが、その美術大学は名前を変えたらしくて、今は、存在しない。私立美大が名前を変えるほどに、私は大物なのだ。)と、口喧嘩をして、センテンス、三行分ぐらい説明をしただけで、一気に勝ってしまって、彼女が狂った日以来、喧嘩になったら、絶対に勝つと、いう自信を持っている。

 その2010年4月は、突然に瀬木さんから、喧嘩を売ってきた、根拠のないことで、告訴すると言ってきた。で、一応、内容証明で、対抗するべく、準備はしたが、それでも、告訴など、開始したら、消耗が激しいので、まあ、一応電話をかけてみるかと言って、銀座の公衆電話から、コインを大量に使って瀬木さんの自宅へ電話をかけた。その電話一本で、ことは、簡単に終わった。告訴など始まらなかった。その時、何が瀬木さんを反省させたかというと、私が・おとがい・とう言葉を知っていたことが、決定的要因となった。

 瀬木さんの方から、「あんたは、僕の事を知っているの?」と聞いてきた。無論のこと、各種のパーティで何度も言葉を交わしている。こっちは、しっかりと、記憶をしている。しかし、瀬木さんは、お金を氏に払わない人=文章の注文を出さない人は、記憶に残らないらしい。それで、私の実物の記憶が、2010年四月、6日には無かった。

 で、私は、ええ、知っています。「おとがいの、小さな人です」と答えた。おとがいとはあごの事だが、瀬木さんは、顎が、小さいことで、それが目立つ男性だったのだ。で、瀬木さんは、びっくりして、「あんたは、おとがいという言葉を知っているの?」と聞くので、「ええ、知っています」と答えた。それだけで、瀬木さんは、反省をしたらしい。告訴など、発展しなかった。

 この個展は、期日が突然に変更になって、それも攻撃の一つだった。何故かと言えば、山本容子のスケデュールが空き、ガラリア・グラフィカで、個展ができる日に、私の方を、合わせたものだったし、大きく心が通じていて、味方であった、山口みつ子さんが、すでに、殺されてしまっていたので、画廊のオーナーもだれ一人来てくれなかった。ただ一人、三岸節子さんの画廊のスタッフが来てくれたら、署名をしないでいいと、オーナー森さんが言ったり、

 事前にシロタ貞夫さんが、来て、「あれ、日にちを間違えましたか?」と言ったりした。そのこと一つをとってみても、シロタさんが、抜群に頭がいいことがわかる。私の個展には、行ってはいけないと、いう暗黙の命令が、銀座・京橋中に、下っていたと、思うのだけれど、日にちを間違えたということで、事前に、言っておけば、一応、対私への保障になる。私が、その日以来、シロタさんの悪口を書かないと、いう保険になる。

 この2010年4月3日(土曜日、準備の日)から始まって、10日までの、9日間は、これほど、消耗した日はないと、いうほどに、消耗をした。しかし、5日の木曜日に、かまくら春秋社に、個展の案内状をもっていって、「ぜひ、見に来てください」といったことで、井上ひさしは、6日に自分を死んだことにしたのだった。悪事がすべてばれていると、考えたのだった。ばれていますよ。すべて。上に書いた以外にもひどいことは、計画をされていたが、すべて、わかっています。

 それを象徴する為に、来るはずもない、かまくら春秋社の社員全体に、来てくださいと、勧誘をかけたのだった。

 さて、この続きは、膨大なものとなります。しかし、本日も外出をしないとならないので、この続きは別の章で、書くと致しましょう。

 

@@@@@@@@

今、そのころのほかの人の投稿をチェックしなおしているところだが、私と同意見のものは、直美選手の母のもの(*しかし、実際には、詳細を語っているものではない)しか見当たらなかった。間違った方向のものを一つ取り上げておこう。zakzakというサイトから、マイクロソフトが提供するニュースサイトに載ったものだった。違うでしょう』

 私が違うでしょうと、いうニュースでは、・・・・・なおみ選手は、大きな大会で、優勝経験のあるコーチと、それがないサーシャ・バイン氏とを、取り換えたがっている。・・・・・と、なっています。それは、%%%%罫線以下に置きます。しかし、違うと、私は発言をしています。google検索で、珍しくも出ていました。2017年ごろまでは、アリとあらゆる項目で、私の文章が出てきたものですが、最近、私に対する言論弾圧が、ものすごく、なってきていて、私の真の実力が、世間に知れ渡ると困ると、いうことで、ほとんどの、文章が、google 検索の、それぞれ、ぴったりの項目で、出てこない様になりました。その攻撃のしつっこさタルヤ、どこまでですか。あなた方鎌倉エージェント(CIA +その手下としての警察の特殊部隊)の方が、圧倒的に、気違いですよと、言いたいほどです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『瀬木真一さんに送ろうと、試験的に書いた内容証明が、今朝、2021-2-19に、電話のそばに置いてあった。私は、午前六時に布団に入って、8時半に起きた。主人は、8時前に、北久里浜に向かったので、その間に泥棒が入って置いていった模様だ』

 今朝も、2010年4月9日、井上ひさしが、自分を死んだことにして、NHKを電波ジャックした、その週の6日に、来信した瀬木慎一さんからの、

「あなたを訴えるよ」という書状に対して、私が、送ろうとトライして、下書きを書いた、内容証明が、居間に入れ込められていました。

 

 

%%%%%%%%%%%%%%%% あと注2と、する。

大坂なおみ、バイン氏と決別に…世界がなぜだ? 非情の“恩師解任”でイメージダウンも大坂なおみ

2019.2.13

  •  

 女子テニスの世界ランキング1位、大坂なおみ(21)=日清食品=がサーシャ・バイン・コーチ(34)との契約を解消したニュースは、物議を醸している。

 大坂はバイン氏に「我慢すること」の重要性を説かれて精神面が成長し全米、全豪を連覇。

 しかし、バイン氏にはトップ選手をコーチとして指導した経験がない。大坂は課題のドロップショットやボレー、相手に応じて最良の試合運びを教えてくれるコーチが必要と感じ始めたのかもしれない。

 元ESPNのスポーツライターで「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」紙の編集者、ニコラス・アトキン氏はこれを「不必要なリスク」とバッサリ斬る。

 「全豪オープンに勝った後、大坂がインスタグラムに書き込んだバイン・コーチへの謝意は『この2週間、私と打ち合ってくれてありがとう』だけだった。大坂の心がバインコーチから離れていたのは明らかだ。女子テニス界の顔になった今、大坂はコーチのイスにはもっと大物が座る必要があると感じたのかもしれない。だが、性急なコーチの交代は成功するとはかぎらない。また、このタイミングでの“恩人解任”は大坂の人気に水を差しCM価値を下げかねない」と懸念している。

 一方、英紙「ザ・ガーディアン」は「昨季四大大会で勝ったハレプ(ルーマニア)とケルバー(ドイツ)が相次いでコーチを解任したことを考えると、大坂の行動も驚くべきことではないのかもしれない」と理解を示している。

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2021-2-13の福島沖大地震は? 自分の心中を8%だけ曝して裏側を分析しておく・‥‥有馬氏の降版、ビートたけしの大出世、ベンツがバカ売れの仙台?

2021-02-17 20:19:52 | 政治

 

副題1、『私は元気だったが、柄沢斉と、大原光孝に関する、文章の続きを書くか、それとも、福島浜通りで起きた、新地震について書くか、どうかを迷っていたのだった』

 自宅で、パソコンを開いている最中に、その地震が起きたのだが、自宅で、経験するものとしては今まで、最も大きかった。2011年の、3月11日に、起きた、福島沖、大地震の時は、たまたま、三菱銀行鎌倉支店内にいた。それも、むろん大きくて、三菱銀行の書類記帳台の、下に隠れようかと思ったほどだった。で、そこと、自宅二階では、正確な比較はできないが、それでも、今回には、相当に驚かされた。一階まで、降りて、どこか、外へ出る、ドアを開けておこうかと、思ったほどだった。ただ、窓から、ご近所様を見ると、どの家も騒いでいないので、私もドアを開けるのは、やめておいた。

 その時、直感として、これは、人工的に、生起させられたのではないかと、思った。

 もし、13日のうちに、それを発信していたら、それこそ、私の負担が、大きくなって、自分の生活が、しっちゃか、めっちゃかになって、大いなる疲労が、積み重なるので、ここは、その直感を、読者の皆様に開示するのは、やめておこうと、思った。

 柄沢斉とか、版画界のあれこれについて、書く方が実質的に、防衛能力が高いと、考えている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私が、ブログで、全く新しい現象を書き始めると、インスタントなる攻撃として、ジェット機の編隊が、頭上を通る。もう少し、緩やかな攻撃として、頭上をヘリコプターの爆音が、通り過ぎる。ヘリコプターの方は、ブログで、は、何も書いていない。しかし、ジェット機の編隊が、頭上を低空で、通り過ぎるのは、ブログが、原因であると書いている。

 その当時は、茅ケ崎市が、ホーム頁で、堂々と、この件を書いていた。・・・・・米軍の、ジェット編隊が、頭上を通ります・・・・・と、市のホーム頁上で、まで、書いていた。したがって、私の判断は正しいとなる。茅ケ崎には、むすこが住んでいるので、脅かし策として、使ったと、見る。

 しかし、一応、第二次的、脅かしである。一時的脅かしとは、まず、私の頭上を狙ってジェット編隊が、通るという方が正し。それが、起きるのは、私のブログが、全く新しい、真実を書き始めたときなのだと、言うのも正しい。茅ケ崎市のホーム頁が「米軍の演習が、茅ケ崎市の頭上を通ります」と、言う記事を市の。ホーム頁に載せるのは、あくまでも、米軍の、ジェット編隊が計画通り出撃していて、対、私脅かしではないと、言いたいが、ために、松尾崇鎌倉市長などと、谷垣貞一さんなどが、茅ケ崎市の、市長を篭絡して、そういう情報を載せ、しばしば、米軍の、ジェット機が、茅ケ崎市まで、遠征する状態が続いたのであった。

 私はツイッターのアカウントは二つ持っている。しかし、発信は、一切していない。ところが、フォロワーとしては、恋有働をしていて、主に米国からの、情報が、入りましたよと、AOLを通じて入ってくるのだった。ミセスクリントンと、トランプ大統領の、つぃーとが最も頻繁に入るものだったが、

 そのシステムを利用して、米軍第七艦隊の、つぃーとをフォローすることにした。第七艦隊の、原子力空母が、横須賀に、入稿しているときに、このジェット編隊が、頭上を通るので、今、原子力空母が、横須賀に入港しているかどうかを確認する必要があったのだ。

 そうこうしているうちに、この頭上をジェット機の編隊が、大爆音を立てて通り過ぎる行為は収まった。2008年ごろから始まって、2013年ごろまでは、とても、目立つ攻撃用、または、脅かし用行為だったと、思う。

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副題3,『何が、(米国に、たぶんその本体が、置いてある)CIA本部、および、日本のCIAエージェントたちに気に入らなかったかというと3.11に対する、記述だったであろう。それが、もっとも、鋭くて、真実だったからだと、自認している。

 その鋭さとは、2011年3月16日には、これは、メルトダウンだと、はっきり言明している。

 世間の人たちが水素爆発だと、騒いでいるときに,はっきりと

「メルトダウンである。それは、広島方原爆と全く同じものだから、早く逃げなさい。今、あなたが、日本のどこかに、潜り込めば、日本全国の人は、既得権益を脅かす敵として、あなたをみなさないであろう。引っ越してきたあなたを、いじめたりしたら、自らが、日本人として不道徳、極まりないことを、自白する様なものだから、あなたを競争相手とかライバルとはみなさないと、何度も強調をしている。

 しかし、そういう形をとると、原発というものが、真実危険なものだと、言うことが、日本全国に広まってしまう。それを、よくないこととしているウラン売り付け型(=ロックフェラー一族)は、

 私が、ブログで発信をしていることをことごとく、打ち消してきた。

 その最も悪い政策実行が、除線行為である。こんな無駄なことはない。ともかく、その結果、福島第一の周辺では、すべてが、どうしようもなくなっているのだ。漁民を、浜通りから、おい出しておいていないから、「汚染水を流すな」と、反対が、起きている。だけど、その冷却水はたまりすぎていて、もうどうしようもないのだ。安倍晋三内閣の、無為無策も結果、こうなっている。

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副題4,「もし、今般、2021-2-13日、23時8分に起きた地震が、人工的に、生起させられた、物ではなくて、天然自然に起きたものだと、仮定すると、私の結論は簡単になる。

 ・・・・・為政者が、よくない政治を行うときには、天変地異が起きる・・・・・と、言う中国古来の、格言の顕現だとなる。したがって、ことは、単純極まりない分析で終わる。私が安倍晋三内閣総理大臣を、戦後政治の中で最悪の総理大臣だと、言い続けてきたのは、

 この原発の危険性と、忌まわしさを、できるだけ薄める方向で、政治を行ってきたからである。それでも、まだ、彼には、いささかの、救いが、少しあった。それは、お坊ちゃま育ちなので、ある程度、以上に人が好いと、言う点があることだった。

 一方、その後継者、菅総理大臣は、たたき上げらしいので、器が小さい。そして、どこか、恐ろしいところを持っている。河井案里元議員の選挙違反事件への分析が、このブログ内では、中途で、止まっていて終わっていないが、

 河合案里議員の、膨大な量のwikipediaを見ると、彼女は、菅総理を尊敬しているそうで、しかも、1億5千万円は、菅総理より出ていたと、後だし、じゃんけん風に、少しずつ出てきている事実だ。

 今、日本庶民に向けて、開示をされている情報だと、菅総理大臣は、政敵の岸田元政調会長との覇権争いに勝つために、岸田陣営の、知将たる大物議員の落選を願って、対抗馬として、河井案里議員を擁立し、多額の軍資金を与えたと、言うこととなっている。そういう報道が、もし正しいのなら、菅総理大臣は、この件に対して、節々で、何らかのコメントを出さないといけないし、裏工作で、アンリ議員を救い出さないといけない。

 しかし、ほうっかむりで、一切の救援の措置を取らない。だから、上に紫色のフォントで、書いている、解釈は、嘘なのだ。カモフラージュである。

 ここで、挿入に入りたい。NHK ニュースウォッチの有馬キャスターが三月いっぱいで、降版となる話が、ネットをにぎわわせていた。原因が、菅総理大臣に対して、学術会議の、候補、拒否に関連して、

 事前に用意されていない質問を行ったので、総理大臣の逆鱗に触れたので、左遷をされると、言う話のことだ。私は、ニュースウォッチは、録画をしておいて、必ず点検をする人間だけれど、菅総理というものを頭から否定をしているので、有馬キャスターが菅総理大臣へのインタビューを行っている画面を見ていなかったらしい。つまり、背中でそれを再生しながら、4m離れたところで、お茶碗でも洗っていたと、考えられる。で、その現象には、気が付かなかった。

 しかし、外国暮らしの方が合うと、言っているぐらいだから、私が、その画面を見たら、拍手喝さいを送ったであろう。しかし、菅総理大臣の本音とか素顔を、国民の目の前にさらそうとした、有馬キャスターの企画力、または、気概が、立派だからこそ、それが、菅総理の損失につながる・・・・・それゆえに弾圧される(というか、表舞台から、消えないといけないと、なると、

 日本のジャーナリズムは死ぬだろう。これは、松平定知アナが、タクシーの運転手に暴行をしたということで、失脚した日以来の、ひどい仕打ちだ。タクシーの運転手も悪かったかもしれないのだ。わざと、引っ掛ける方向で、酔っている松平アナに殴られる様な挑発行為をした可能性はある。

 それと、ビートたけしが、自分の軍団を率いて、愛人問題で、暴力をふるって、講談社編集部を襲ったのも、画期的に、悪い方向へ進んだのだけれど、今般の、有馬キャスターの降版問題も、戦後民主主義社会の中で、決定的な汚点となるべき出来事だ。

 その功績で、ビートたけしには、莫大な褒章が、特に海外から、下っていて、すでに、芸大教授の名誉も得ている。自分の年収は、13億だと、か、うそぶいている。そして、ほとぼりが十分に冷めたし、自分の地位もゆるぎないとなって、その愛人(ピアノを教えてくれた若い女性)と、入籍型の結婚生活に入っている。やりたい放題だ。CIAをバックにした、人間特有の、大々出世。阿川佐和子さんが、くっついているのは、誰の手配なのだろう。

 アウトレージにしろ、何にしろ、激しい暴力シーンがあるのは、過去の出来事よりさらに激しい暴力をフィクションとして描くことで、自分自身の後ろめたさを、カバーしていると、見ている。

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副題5、『河合杏里議員は、10年以上かけて、育てられて、鎌倉エージェントが私を弾圧留守道具として、使役をされた。どこで、発見したが、コピペしなかった情報に、もし、離婚になったら、克行氏は青くなるはずだと、出ていた。つまり、アンリさんは、山本美香さんと、同じレベルで、育てられ、劇場型犯罪のヴィクティムと、なるべく、養成されたのだが,それは、克行氏がお見合いに応じたときから、始まっていると、仮定すると、克介氏は、そちら側として、生きていたので、真実の愛とは遠いとなる。

 今、私は、野島稔さんが結婚をしているのかどうかを長時間にわたって調べた。で、このブログから、離れていた。案里さんは、離婚をして、野島稔みたいな、一流の人、しかし、静かで、控えめで、誠実な人と結婚をして、内助の功に、専念したらいい。晩年の高峰秀子みたいな生活を送ったらいいのだ。

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副題6、『我が家では、以前も夜、相当大きな地震があったが、テレビをつけてみると、報道されていなかった。それで、我が家の下に、免振装置とは真逆の、地震発生機みたいなものが、埋め込まれている可能性をも感じていた。こういうことを言うと、この土地が売れないし、貸せないことになるのだが・・・・・

 さて、今般の地震も同じかもしれないと、思っていたが、テレビ報道があった。しかも、14日など、7時のニュースを一時間に延長して報道をされた。

 で、ジェット機の轟音という脅かしの前に、プリンターが真夜中に突然、カタカタ、言いだす、そういう、脅かし策があったのだが、今、先ほど、(23時)に、それも発生した。数年ぶりのことである。

 こういう風になると、本当にCIA軍団とは、幼稚だなあと、思う。特に、左手(特に中指を中心として)が、夜の10時ごろから、痛みを伴うけいれんを起こしている。これは、病院で、芍薬甘草湯と、言うのを処方していただいている。よく効く。しかし、今は、ブログを書いている最中だから、飲まないこととしている。真夜中に、よく足が吊る。それには、飲んでいて、よく効く。

 もし、この地震が、人工的に、生起されたものだったと、仮定すると、何が原因で?となる。

 それは、柄沢斉が、私のライバルとして設定をされて、大出征をしたと、書こうとしていたことが、大問題なので、それを阻止するために、脅かされたと、推察している。

 どうしてそれが、大問題化というと、柄沢斉は、実力も人気もある、版画家なのだけれど、2000年ごろ、神奈川県立近代美術館で、大個展を開いたと、思う。その版画集(素晴らしいものだったが)が、我が家から盗まれているので、それもあって、・・・・・しかも、小説ロンドの、単行本(文庫ではない方)も、盗まれているので、この解釈は確かなのだ。

 その上、そういうことを企画したのが、石塚雅彦さんなので、この人が、CIAエージェントの中枢だから、しかも、エージェントの考え方の核心に触れたと、言う総タイトルにしていたので、石塚さんを守りたいので、

 福島県沖の、地震発生装置にもスィッチを入れられたのだと、考えている。

 しかし、もし、この地震が天然、自然に起きたものだったら、仙台で、ベンツがバカ売れをしていると、言う現象に対する神様の、ご叱責だと、思う。

 福島県民に対してではなくて、為政者への怒りをお示しになったと、見る。つまり、除染などというバカげているし、無駄なことをやった安倍晋三総理大臣へのオ怒りだ。しかし、今の時点で、自然発生的、天然自然に、あの地震が発生したと、なるとそれは、菅総理大臣へのご叱責である。菅総理大臣とは、国民が頭上に置くべき人ではない。そういうことをお示しになったのだと、推察している。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7,『河合杏里元議員への慰めのために、野島稔側にとっては大迷惑で、お断りをしたいだろうが、彼女の傷をいやすのは、「野島稔、見たいに、すでに、高齢だが、優れていて、誠実な人と、結婚をして、家の中で、内助の功に励んだらいい。晩年の高峰秀子みたいに」と、考えて、独身だと、推察している野島稔が、もし結婚をしているといけないので、ネットを、結構、長時間調べていた。それは、副題5で、すでに公表していることだが、ここで、新たな攻撃があったといわないといけない。ネットサーフィンの最中に突然に、菊之助に関するニュースが飛び込んできたのだった。

3月に、国立劇場で、【時今也桔梗旗揚】という演目で、光秀を演じる。戯曲としては、こちらの方が、圧倒的に古い。しかし、もし、長谷川博己の、キリンが来るなどを、期待しておいでになると、相当に違う。

 だけど、それが、問題なのではなくて、私が以前から懸念をしていたことが、あまりにも如実に、そのニュースに出ているので、それが、突然に今、私のパソコンに現れたこと、その現象そのものが、私への攻撃にあたることに気が付いた。

 どういうことかというと、菊之助は、吉右衛門のお嬢さんと結婚をしている。

 それ以来、吉右衛門に欲が出た。それ以前は、自分の後継者は、又五郎の息子、歌昇と考えていたと、推察する。ところが、菊之助が、すでに、歌舞伎俳優なのだから、『菊之助を跡目にしたい』と、内心で、思っている。

 菊之助には、実父菊五郎がいるので、名跡を継ぐとしたら、尾上菊五郎となって、中村吉右衛門とはならない。しかし、名跡は、それでいいとしても、芸の上で、後継者になってほしいと、思っている。吉右衛門は、女形以外、なんでもできる役者だが、どちらかというと時代物と言って、武士が、主役のものを得意としている。一方、菊五郎は、この人も何でもできるが、どちらかというと町民(江戸の市井のいなせな男)を、演じるのが得意な人だ。そして、若い時は、美形で女形も演じた。

 菊五郎が、NHK大河ドラマで、【源義経】を演じたときに、富士純子(当時は、藤純子と名乗っていたが)が静御前を演じて、恋に陥ったのだった。当時の菊五郎は、驚くほどの美形で、スマートだった。息子の菊之助だが、若い日の父親と比較をすると、お顔が、より丸くて、穏やかで、やさしい風情がある。で、息子の菊之助が、演じる際に、新作を見ると、自分のことがよくわかっていると見える。蜷川シェークスピア【十二夜】にしろ、【マハーバーラタ】にしろ【ナウシカ】にしろ、無理はない。ニンはあっている。この、一節は、自分の元来持っている特質が、役柄とあっているということ。

 しかし、光秀役は、困難の少なそうに見える(そうだ、いまの、幸せいっぱいの)、菊之助には、向かない役柄に見える。特に私は、松緑が、この役を歌舞伎座でやっているのを見ているので、釈然としない。菊之助と、松緑は、おなじカンパニーに所属をしている仲間なのだ。仲間が、すでに、業績を上げている演目を横取りする感がある。

 吉右衛門は、立派な宝物を手に入れたのだから、それだけで、満足をしてほしい。ところで、今、起きてから、13時間後ですが、激しい睡魔が襲って来ているので、ここで、かっくのをやめます。続きは明日書きます。

 

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偽版画出回るー3・・・尾崎正志、腸詰屋、川喜多記念ビル、伴清一郎、川合邸

2021-02-14 21:34:57 | 政治

副題1、『尾崎正志という人物は、鎌倉小町通りに、新規店舗を開いた・・・腸詰屋の主人・・・に、似ているところがある』

 鎌倉小町通り商店街が、終わって、次の区画(町)に入り、その終点に達する場所に、川喜多記念ビルと、いうのができました。それは、川喜多かしこさんの娘・和子さんの連れ合いだった柴田某氏の、遺族、が、建設していると思います。上階は、貸しマンションで、一階は貸し店ようテナントです。

 この建物ですが、柴田氏は、フランス映画社の経営者として、レオスカラックス監督に映画【TOKYO(第二部)】を作らせたと、思います。ので、それは、とんでもない侮日映画ですから、何らかの天からの制裁が、降りてくるはずだと、見ていました。(この辺りは、特に侮日映画というところの、説明は、この章では、省きます)

 ところで、顔を見たこともない、そのビルのオーナーですが、ど うも、腸詰屋の主人とは、知り合いらしいです。腸詰屋の主人というのは、相当に、人懐っこいですから、知り合ったのもあり得る、ことです。で、腸詰屋の主人の提案を受け入れて、ビルのテナント側に、植栽を植えて、ビルが、環境が良い様に、なる様なデザインとしています。

 しかし、私は腸詰屋の主人にしたたかに裏切られて、いやな思いをしたことがあるので、腸詰屋の主人と仲良くする限り、このビルは、二重にCIAエージェントに協力したことになるので、うまくいかないだろうと、予測を立てていました。

 私の予言は、ことごとく当たるのです。ただし、失敗の予測というのは、失礼ですね。だから普通は、外に出しません。だけど、じっと観察はしています。すると、五軒分のテナントがあるのに、腸詰屋一軒しか入っていません。腸詰屋は、いささかの責任を感じているのか、それとも、以前から、そうするつもりだったのか? 2.5軒分の、テナントを借りています。そして、あれこれの、モノを店の前に置いて、飾り立てることが好きなので、ほぼ、三軒分の広さで、テラス部分を使っているので、テナントの空きが、目立たないで、済んでいます。

 テナントが埋まらないのは、新コロナ騒動も、影響をしています。しかし、新コロナウィルス騒動を含めて、天の采配というのを信じている私は、やはり、レオスカラックス監督の侮日映画を製作したからでしょうと、そのビルのオーナー一族に向かって、ひとり呟いているところです。

 その映画のプロット(筋)は、井上ひさしが考案したと思っています。2008年に制作をされていますので、筋を考案したのは、2007年以内ですから、むろんの事、井上ひさしは、生きていました。公的にも生きていました。ただし、この章は、尾崎正志氏が、主役なので、川喜多記念ビルについては、この程度でとどめておきます。また、将来別の章で、語ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『このビルを中心として、私のblogに、登場した家が、三軒もある。ここは伊藤玄二郎が采配する、謀略の渦巻くメッカだ』

 この美麗な新ビルの斜め前に、反対側へ、入って行く路地があり、その突き当り当たりに、瓜南直子さんの、実質婚の相手である、伴清一郎さんの家がある。そこに、歩く看板がある。それも、むろんの事、私に、真実を書かせたくない連中(CIAエージェントたちが、考案して、その路地のどれかの家にやらせていることだと、考えている)詳しくは、以下のリンク先をご覧いただきたい。

鎌倉小町通には歩く看板がある。瓜南直子さんに死を齎した連中が、自分を守る為に置き、かつ私のblogに応じて歩かせている  2021-01-05 00:42:17 | 政治

 上の写真の中で、人があるいている道は、小町通りで、一番、左端の男性の斜め前が、川喜多記念ビルだ。ところで、中央より右寄りの位置に、ジーンズを履いた人物があるいている。その後ろが梶田家だ。そのお宅のご夫婦は、大変な、善人だが、鎌倉市役所移転反対運動に駆り出された、気の毒なご一家だ。無論の事、市役所移転騒動そのものが、最初から、嘘の、謀略だから、伊藤玄二郎が最も悪いのだが、それを、知っている人間が、梶田さんに協力した人間の中に何人いるだろう?

 ここにあとで、リンク先を見つけて置いておきます。2018年か、2019年の一月だったと、記憶していますので、見つけられるでしょう。

 次に、あげないと、いけないのが川合邸だ。梶田さんの邸宅の、北側りんきょは、山安という干物専門店で、その北側に川合邸がある。

 去年の12月25日、スマホをもって、鎌倉市内へ出かけた、私のスマホの、GPS機能を利用して川合良一先生が、ジャストインタイムで、私の目の前に、木戸を開けて、出てきて、こちらをにらんだので、妙本寺のお見合いに、出席した、遠藤家側の、仲人が、川合先生であることは、ほぼ確定したと、思う。これは、このブログを連続してお読みいただいていないと、理解できないところだけれど、まあ、一本だけリンク先を示しておこう。

`高枝切り事件に関するリンク先・・・時間が逆順ですが・・・北鎌倉女子学園の川合先生が、私の目の前に現れた事を機に公開します  2021-01-27 20:06:06 | 政治

 これらは、すべて、伊藤玄二郎と、井上ひさしが、どれほどに、幼稚な考察をする人間であるかを証明している。

 さて、この伊藤玄二郎に利用された人々が、集積しているメッカと、いうに等しい場所に、住んでいる(または、商売をしている)人間の内、本日、集中したいのは腸詰屋だ。だが、腸詰屋が、本当は、どういう仕掛けを仕掛けてきたかは、まだ、語らないで、置きたい。もっと、伊藤玄二郎たち、鎌倉エージェントの悪辣な謀略について、書くことを積み上げてから、語りたい出来事だ。

 特に猿之助が歌舞伎座六月公演として、日蓮上人の新作を演じるそうだ。その脚本だがゴーストライターとして、井上ひさしがいるのではないかと思うし、・・・・・で、それを見た後で、腸詰屋については、取り上げたいと、思っていて、ともかく、将来に回した方がいいと、判断をしている。

 しかし、説明抜きでも、いいから、腸詰屋と、いう名前をここに取り上げたのは、理由がある。

 腸詰屋の主人と、尾崎正志氏は、どことなく、類似点があるのだ。川喜多記念ビルの一階のテナント用入り口にテラスを作り、そこに武蔵野に生えている様な、樹木の若木をうえた・・・・・のを見た時以来、腸詰屋は、私の頭の中に、常に、注目ポイントとなっている。が、それ以外にも、二人には、いろいろ、似ている点があるのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3,『尾崎正志さんは、すでに、1998年にblogを書いていると、いっていた。彼は、摺師として、難しい版画の技術をこなすぐらいだから、パソコンの使いこなしにも熟達していて、今では、尾崎正志版画工房の、フェイスブックを持っていて、往年に、それを書いていると言っていた、ブログ文章は、こちらへの注力とともに、消えていると、推察している。

 そのフェイスブックの最新記事が、「OPENという看板を、自分で作った」と、いうものだった。そこが、腸詰屋と、似ている点だ。一生懸命、からだを動かして、働く人だ。一般人よりも、からだを動かす人間としてのエネルギーが高い。だから、一見すると、とても、いい人に見える。

 しかし、私は、彼ら二人の、極端に変な(それは、尾崎さんの方だが)、またはあくどい(それは、腸詰屋の方だが)面を見せつけられてしまったので、もう、二度と会いたくない(尾崎さんの方)と、思ったり、油断をしてはダメよ(腸詰屋の方)と、思ったりする。

 ところで、新コロナ騒動が始まる前の事だった。今ほど、私への攻撃が強くなくて、あまり、泥棒の心配をしていない時期だった。で、歌舞伎座にも言っていた、次期だった。ほかの用事をすることもあって、夜の、10時過ぎに鎌倉駅へ到着することも多い時期だった。駅から、小町通理、800m、そのあと、鎌倉街道を、100mぐらい北へ進むと石段が始まる。寝室までは、160段以上上がらないといけない。で、体力補強のために、駅前のマクドナルドに、よって、熱い紅茶を、いっぱいすするのが習慣だった。鎌倉駅前のマクドナルドって、相当の人が利用をする。夜でも入店している人の数も多いし、年齢も多彩だ。老人も多い、そういうお店だ。でも、座って、紅茶をすすっていると、目の前の、小さなテーブル席に、腸詰屋の主人と、若い女の子が座って、だべりんぐをしているのを見つけた。

 これは、エロティックなものではない。女の子は、人生の先輩として、メンターとして、腸詰屋の主人を慕っていると、見えた。腸詰屋の主人の方は、わかいひとのかんがえ方を知りたいと思って付き合っていると、考えた。

 でも、夜の10時半に、若い女の子と、話し合っているという図は、鎌倉市内だけに限れば、すでに、いっぱしの有名人であろう腸詰屋の、主人の振る舞いとしては、危険なものの様に感じた。確かに、彼は、私に気が付くと同時に、女の子を、せかせて、そそくさという感じで出て行った。

 ところで、私の方だが、すでに、6年以上歌舞伎座に通っていて、最近では、全部は、見ないと、いう風に変わってきている。で、夜の部だけど、数か月おきに、

 

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偽版画の3・・鬼籍に入っている事をこの15日に知った白田さんを軸にして、尾崎正志氏が20年前に、柄沢斉氏が、23年前から今まで、行っている暗喩的な攻撃を分析していく

2021-02-14 14:50:59 | 政治

副題〇、『この章の一部分を、15日に書き、二日目の16日に入れる、お断り』

 今は、16日の午前10時です。この章は、15日には、末尾で、睡魔に襲われ、未完のまま、終わっていました。16日に入って、午前8時半から、続きを書いているところです。ところで、この章は最初の総タイトルを、【一連の解析の結果、CIAAgent たちの核心に触れる事になった私・・・処で、肝心の人シロタさんは既に鬼籍に入っておられたが!?!】にしておりました。が、16日の午前10時に上のものへと変更しました。というお断わりを入れて、最初の文章の頭へ戻ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『私は、2021年2月15日の午後4時ごろ、シロタ画廊のオーナーが、すでに、2017年の8月に亡くなっていることを、初めて、知った。どうしてわかったかというと、念のために、白田さんの経歴を知りたいと思って、wikipediaを、探した結果だった。今まで、それをしなかったのは、氏が例の鎌倉エージェント(CIA)側に、使役をされている、特に、重要なキーパーソンであるので、そういう人については、wikipediaが、たっていないことが多いからだった。

 その種の例として、国際キリスト教大学卒業生の内、特に、対、私攻撃弾丸として、重要な人物である、以下の人々については、そのwikipedia が立っていない。笠松敦子、川名昭宣、古村浩三、野々村泰彦、三輪喜久代、中西輝子、など、すべて、その世界では、エリート中のエリートなのだが、wikipedia が立っていないし。

 しかし、本日は、白田さんの変身について、研究をしたくて、初めて、卒業大学を知りたいと願った。ここでいう変身とは

・・・・・今般の、NHK他が、多大な量で、報道をした、大阪の画商が注文し、奈良の工房で、摺られていた、偽物【?】エスタンプを、画商協同組で告発すべきだと、提案した・・・・・のがシロタ画廊の筈で、その暗喩的効果で、シロタ画廊とそこで、専売的に扱っている、柄沢斉に注目せよと、いわれていると感じていたからだが、・・・・・そういう謀略に、コミットするというのが、白田さんの、通常の生活ぶりからは、信じられないことであり、

・・・・・そこが、変身だと、感じていたのだった。で、無いはずだと、思いながらも、wikipedia を調べてみたのだった。

 確かに、本日の私には、白田さんについて、wikipedia は、見つけられなかった。しかし、シロタ画廊が、保持していて、文章を、書いているツィッターに、

先代オーナー白田貞夫の意思を継ぎ、

 とあって、私が知っている白田さんが、二代目なのかどうかと、いぶかしく思って、いろいろ、あっちこっち、探しているうちに、

 ある個人のblogで、白田さんが、2017年の、8月に亡くなっていることを知り、

 それは、私がよく知っていて、

かつ、常に、そういっていた、銀座と、京橋の画廊街で、もっとも賢くて、慎重な人である、白田さん、本人であることを確認をした。夫妻の写真というのが、そこに載っていて、確かに、その人だった。

 以下に、そのブログを置いておく。今のところ、氏が亡くなっているとかいう明確な情報が、私のパソコンでは、見あたらないし、氏のwikipedia も、見つからないから、そうさせておいてもらう。

贈り物・・・。シロタ画廊「白田貞夫の聞いた足音」 | 田沼敦子公式ブログ (ameblo.jp)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『では、誰が、画商協同組合を牛耳って、このニュースを流す方向で、動いたのだろうか?』

 で、この偽物版画という項目で、書き始めた前々報〈後注1〉と、前報〈後注2〉の中で、シロタ画廊のオーナーと書いていた部分は、すべて、違う名前にしないといけなくなった。

 それは、大変な手間ではあるが、一方で、いささか、ほっとしている。

 私がよく知っている、賢くて、慎重な白田さんが、これほどに、見え見えに、鎌倉エージェントの言うことを聞いて、マスコミに、暗喩的であっても、登場することは、大旋回であって、おかしいなあと、思っていたから、別の人が、その画商協同組合で、提案したと知り、ほっとしているのだ。

 では、誰が、その任を取ったのか? 今度は、それが問題となる。

 ところで、今、本気になって白田さんではなかったとしたらだれなのだろうと、調査中なのだが、そもそも、日本版画商協同組合の情報などは開示されていないと、思っていたのだけれど、意外にも開示されていた。そして、参加・画廊名も開示されていた。のだが、たった41画廊であり、ユマニテも、ガレリアグラフィカも、シロタ画廊も、その41画廊の中には、入っていなかった。その41画廊の中で、私が画廊内部を知っているのは、NANTENSHI GALLERY, ギャラリー川船、ギャラリー椿、養清堂画廊 の4つだけだ。

 で、かろうじて、NANTENSHI GALLERY が、酒井忠康氏に頼まれて、こういう動議を出したと、考えられるが、私が、入ったことのない、ほかの、37の画廊の後ろに、誰かCIAエージェントが働きかけたのかもしれない。

 それ以外の、私が、よく中に入って作品を見ている、4つの画廊については、思い入れもないし、オーナーの性格なども、よくわかってはいないので、これから先の、時間で、行う処置としては、シロタさんの部分を削るという形で、解決しておくほかはない。

 しかし、この4つの画廊が、エスタンプを扱っているとは思えない。特に、平山郁夫、東山魁夷、片岡球子を扱っているとは思えない。となると、このニュースはやはり、私狙いであって、柄沢斉について思い出せよと、いわれていると感じる。

 しかし、前報との、連携でいえば、私がいま語りたいのは、摺師・尾崎正志氏の事である。そこから、大きな政治的構図が見えてくるし、彼と、私、および、シロタ画廊オーナー白田貞夫さんとの関係は、1998年から、2000年にかけてのものであって、古いからこそ、書きやすいことだからだ。

 と、ここまでは、夜の、7時半から、11時半にかけて、五時間を費やして、書いた部分です。その前、午後二時から、五時まで、書けて、書いたものが下に置いてあり、そこへ、今から入って行きます

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『前報で、尾崎正志と、いう有名摺師の、私生活(下半身問題)にまで、踏み込むことになった私だが、それにしても、彼の、1998年から、2000年にかけての諸行動は、不思議極まるものの連続であった。本日は、何故、彼が、そういう不可解な行動をとったのか? その答えを探る一章としたい。これは、彼をターゲットにする文章ではなくて、例のCIA本部をターゲットにする文章である。CIA本体が、内包する謎を、解いていきたい』

 私は、常に、CIA側人間としてやまゆり園事件の謀略を練ったり、京アニ放火のアイデアを練ったりする、井上ひさしを、そのアイデアの中に、瑕疵が含まれているので、謀略だと、すぐわかると、いっています。ちなみに、井上ひさしは、まだ、生きていますよ。死んだと、いうのは、責任を取らないで済むということと、あまりにも素早くかつ大量に、文章を書く、私と対応するには、会議や、社交に携わっていると、不可能だと、考えたからでしょう。

   彼と二人羽織というほどに、緊密な、連携をとっている伊藤玄二郎は、私の現在の住所の、ご近所住人を動かすことと、銀座の画廊街の人間を動かすために、実際に、使役する予定の人間と、お茶または、お食事をしたり、電話を掛けたり、メールを送ったりしています。安倍晋三内閣、および、菅内閣が、その言うことを聞いているのも、伊藤玄二郎が、直接の連絡を入れたり、それぞれ、適切なコマを動かして、間接的に、行っていると、推定しています。

  しかし、その二人よりもさらに、上位にいて、計画を、練る連中がいるのです。なんの計画かというと、それらの、個別の計画ではなくて、長期的視野に立った割と、大まかな計画です。なんのための長期計画かというと、私を弾圧するための長期計画です。それの首謀者、または、発案者が誰かは、まだわかりませんが、川名昭宣、石塚雅彦、成岡庸司の、三人は、そこに、加わっているはずです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『その長期計画には五本ぐらいラインがあるのですが、本日は、版画家としての、私をつぶすと、いう長期計画について、語りたいと、思います。その分野については、今までは、ほとんど語ってきていません。

 ところで、いままで躊躇していたのは柄沢斉が、重要なコマとして、使われていると、考えていて、彼について、あれこれ、分析しても、読者が、ついてこないだろうと、見ていたからでした。彼の作品は、木口版画と言って、小さいです。したがって、買いやすいです。有名人の作品としては、値段が比較的安く、手に入るからです。で、大量の愛好者がいるので、私が、彼が敵だとか、悪人だと、規定すると、私の方が嫌われる可能性が高いです。 

 そこを突破するためには、大きな覚悟をする必要がありました。

 で、2021-2-15日には、その大きな覚悟をして、読者が、ついてこなくてもよい。これは、神様への報告書であるから、徹底的に、真実を語って行こうとど決意したのでした。本当は、相当、あと(=将来)で、語るはずの、現象です。例のパーセントとしての、真実の開示率でいえば、80%の段階に達している部分です』

 と、語っていて、柄沢斉が、小説を書いたり、日経新聞が、大後援をして、個展を開いたり立派な版画作品集を作るのを手助けしたりするのは、「どうだ。お前なんか、版画家としては、とても、小さいぜ、もう、版画の道は、あきらめろよ」と、いっているわけですが、・・・・・・

 今般、尾崎正志さんについて、分析を重ねているうちに、彼の不可解な行動は、すべて、上の2行と同じことを言っていたのだと、気が付いたわけです。

・・・・・私を、版画家として活動をさせないために・・・・・行われた。と、考えると、つじつまがあう事が、わかってきました。

 尾崎正志さんに、そういう風に動けと、命令をしたのがだれなのか?ですが、…‥そう、それが、その人、シロタ画廊のオーナーです。別にNHKニュースが、それを発表したというわけでもないし、トレースとして存在して居る、味方としての、美術界の住人が、それを、教えてくれたわけでもありません。でも、絶対の真実でしょう。私を馬鹿にしなさんなと、いいましょう。ここでは、それを、はっきりとさせていきます。特に、1997年から、2000年にかけてのことで、今から、20年は前の事だから、シロタさんは、ぴんぴんしていた現役です。

 尾崎正志さんとは、毎日会うのですよ。彼は、午後出社してきて、三階の壁に取り付けられてあった神棚に礼拝をします。まあ、会うというよりも見かけると、いった程度ですが。しかし、その彼が、画廊で、ある作家の個展がありますから、来てくださいと、いうメッセージが入っている個展の案内状をくれて、それを見に出かけて行った日に、見分したことが、もっとも、深い意味を持っていると、感じます。

 尾崎さんの当時の工房、プリントハウスOMは三階建てで、その日は三階は、すでに、しまっていて、招じ入れられた二階にも、普段そこを、使っている会員は、一人もいませんでした。しかし、スタッフは、全員詰めていて、全員が、大掃除をしています。

 掃除をしていない人間は、私ともう一人、後日、尾崎さんがシロタ画廊の応接室で、熱弁をふるって、推奨をしていた、男性作家です。このビルは、三階と、一回は、しっかりした床が付けてあります。というのも重い、重い、プレスと、いう版画製造用機械を置くからです。

 二階は、有名建築家に設計を依頼したであろうモダンな、作りになっていました。一部が吹き抜けになっていたのです。で一階が、見下ろせる形式でした。吹き抜けの周囲を取り囲む様に、手すりが付けられていて、一階を、誰でも簡単に、覗き込める様になって居たのです。

 そこに三台の、超・大型プレスが置いてあって、それは、一般の版画家には度肝を抜かれる見世物でした。濡らして絞った洋紙と銅板を置くテーブルと言われるあつさ5cmぐらいの鉄の板が高圧下で、滑って行きながら、銅板についているインクを紙の方へ圧着させるのですが、テーブルが長いのです。普通は、120cmぐらいですが尾崎さんが持っていたのは、600cmは、あろうと、いう巨大なもので、それが、二台か、三台置いてありました。だから、一回は、工房というよりも工場と言った方が近い、風情でした。

 その機械で、尾崎さんは、1990年代は、エスタンプを作っていたと確信をするのですが、エスタンプというのは、極言すれば、コピーですから、秘密裡に制作したいものなのです。で、二階から、機械はのぞき込むことはできるのですが一階のドアは、鍵がかかって居て、一般のお客さん(特に作家系の人は入れないこととなっていたのでした。

 これは、強調をしておかないといけませんが、その新横浜の工房から、鶴見に引っ越した後は、彼はエスタンプを作っていないと、考えます。鶴見の方には、そんな秘密のスペースはない模様ですから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『子供っぽいところがある尾崎正志さんだが、シロタ画廊の応接室で、自分が推奨するリトグラフ作家、ミスターXを、熱弁をふるって、オーナーに売り込んでいたのは、あれは、お芝居だったと、今の私は考えている。

何が目的のお芝居かというと、私に版画家になるのをあきらめさせる、という目的があったと、考えている。』

 その大掃除の日に、私を招じ入れたのは、二階の吹き抜けの回廊をめぐる壁に、展示されていた、作品(個展)を見てくださいと、いうのは、本当の目的ではなかったと、考える。敵は本能寺にありという種類の、目くらましであって、本当のところは、ミスターX  の作画場面を見せつけることにあったと、今では考えている。二階の手すり部分には、部分的に、平台が設置されていて、普段は、そこに画集等が、置いてあって、好みのものを買う形式になっていた。ところがその日だけ、それらの、売り物用、画集は片付けられていて、ミスターXが絵を描いていくための紙が、20枚ぐらいずらっと横に並べられていた。

  そして、私が入室したとたんに、ミスターXは、その紙に、墨に浸した幅15cmくらいの刷毛で、ぐしゃっと、一本の線を引き始めた。リーウーファンのごとき、まっすぐの線ではなくて、ぐにゃっと曲がっている線だ。まっすぐの線を引くのは、緊張を要するが、曲がった線を引くのは楽である。

 この姿を見て、ある程度は、驚かされた。あまりにも楽々とした作画だったから。あまりにも手抜き工事と、見えた。普通の作家は三階の、静かな部屋の作業机で、きちんと座って(考えながら)作画をする。ミスターXの方は、周辺で、尾崎さんの二人の子供を含む大勢の人が、バックグラウンドこみで、大掃除をしているのだ。

 その作業は、私が、取り掛かっていて、その後、ずっと携わるへいたー方式と、比べると作画(製版)だけで、一千分の一ぐらい、少ない労働で済むし、摺る作業についても片づけまで、入れれば、一千分の一で済む。でも、私は、外見に似合わず、成熟した大人なので、人は人。自分は自分と思うから、ああ、そうですか!で、その日は終わった。

 で、後日、シロタ画廊の応接室で、摺り上げた単純極まりない、三さんの大きさの例のリトグラフを両手に持って、立って熱弁をふるっている尾崎さんと、うっすらと微笑みながら座って、話を聞いているシロタさんのシーンを見た事を、合わせて、今、理解していることは、あれは、『全部お芝居だったのですねえ』と、いうことだ。

 何を目的のお芝居だったかというと、私が行っているヘイタ―方式が、あまりにも手間がかかって、しかも費用対効果が、少ないので、対極にある作家の作品を、誇示し、私が自分のあほらしさに気が付いて、ヘイタ―方式の版画の制作を、自らやめてしまう事を狙っていると、今では、わかっている。

 で、お芝居だったから、尾崎さんも過剰な熱意を示していたのだし、シロタさんも、その大熱演に接したのにもかかわらず、その作家、ミスターXの作品を応接室(=第二展示室)の壁に、そのミスターXの作品を置くことはなかった。

 ところで、ここで、余波が起きて居る。この様なお芝居に、彼を巻き込むために、相当な、悪口が、彼に、吹き込まれていて、その結果、尾崎さんは、私を人間扱いしなくてもよいと考えて、自分の下半身の、秘密=奥さんをすでに裏切っていて、セックスをするときの肉体的な心地よさは、味わえるが、頭は、悪い事務員と自分との特殊な関係さえ、私に、見せつけたのだった。

 しかし、それは、気持ちの悪いことおびただしい現象だったが、あとで、秋山祐徳大使が、何故、晶文社から自伝【ブリキ男】を出版することができたか?とか、私の小学生時代の友達K子ちゃんが、パソコンのシステムを使って、隠微な隠微な方法で、かつ緩慢に緩慢に殺されていったエピソードにつながるので、私の方も使わせてもらっている。彼を誹謗中傷するために、それを使っているわけではない。大きな、そして、隠微すぎる殺人事件に絡んでいるから使わせてもらっている。すべては、フィフティ、フィフティなのだ。彼らCIAエージェントたちが、『これで、勝つ』と、思いこんで、展開する謀略は、私にもある程度の、メリットを与えるのである。

 ところで、この図式は、ご近所様にも応用をされていて、銀座の画廊街でも、むろんのこと繰り返されている。ご近所住民渡辺賢司が、この30年間、無効から、挨拶をしてきたことがないのも、こういういじめを利用した言論弾圧の一環だから、何か、ことが起きれば、彼の名前を使わせてもらう。つまり、彼としては、小野寺夫人とか前田清子さんからの命令は、正しいことだと、認識しているらしいが、違うのですよと、常に言っている通り、彼は、政治的な弾圧の道具として使われる、もっとも末端のパイロットランプなのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『ああ、今、確認をしたが、柄沢斉の版画集(日経新聞後援)が盗まれている。やはり、やはり、彼が使われていたのだった。つまり、版画界に、私が乗り出すのを阻止する為に、壁となる様に、柄沢斉が、選ばれていて、相当量の、活動を今まで、行ってきているのだった』

 ここから、先は、夜書きます。私も生きるための普通の仕事というのがあります。それを行わないといけません。本日の、分を行って、夜、この続きを書きましょう。お待ちいただきたく存じます。

 

~~~~~~~~~~

後注1,

偽物を売りつけたという事でデパートが謝罪。驚いた。白田さんは、すでに亡くなっているー1

2021-02-12 12:13:21 | 政治

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版画界における『敵は本能寺にあり』と言うお話・・・驚いた、白田さんは、すでに亡くなっていた

2021-02-13 22:16:37 | 政治

副題-1、『驚いた。白田さんは、すでに亡くなっていた』-その二

シロタさんと、いう部分に別の名前を入れないといけません。それは、あとで、致します。

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副題-1、『驚いた、シロタさんは、すでに亡くなっていた』

2017.12.25.夕方、ギリッギリで銀座7丁目 「シロタ画廊」へ・・・。8月に85歳で白田氏が亡くなられ、発表せずにいらしたとのこと・・・。

2日間だけゆかりの方の作品を展示。

上は、下記のblogより、取った情報です。

贈り物・・・。シロタ画廊「白田貞夫の聞いた足音」 | 田沼敦子公式ブログ (ameblo.jp)

 これは、私には入ってきていなかった事実です。しかし、思い当たる、むきはありますね。非常に頭がいいと、思っている白田さんが、采配をしているにしては、これは、ばかバカしい行動だと、思うことが、このころ以降に、頻発していましたから。

 以下の文章から、シロタさんの名前を抜いて、そこに別の人の名前を入れます。それは、あとで、直します。今は、新しい文章を書いている最中ですので、お待ちいただきたく存じます。

副題〇、「一晩を経て、ここに入れる、この章で、書き表したいこと。そのまとめ』 

 今は、14日の、朝10時半です。30分かけて、500文字書いたのに、システム異常を用いられて、消え去りました。とても、重要なことを書いているときに、頻発する、出来事です。で、そこを繰り返しましょう。

 昨夜は、夜11時ごろから、睡魔に襲われ、ここに書いている項目を書かせたくないと、いう敵方の意思をひしひしと感じました。どうして、そうなるかというと、この章の主役は、雪ノ下二丁目のご近所サマより、社会的活動が、大きい人物なので、より、多くの人に、このブログの存在が、広まることになるだろうと、例のCIAエージェントたちが考えて、それを恐れて、睡魔を肉体に与え、次の日の朝には、パソコンへの攻撃として、文章を、消し去る作業を裏から、やっているわけです。

 しかし、昨夜の11時まで、書いているエピソードだけだと、私が他人の恋愛、もしくは不倫を、世間にさらしているだけで、終わりそうだったので、それでは、自分がただの、のぞき見・野郎になってしまいます。で、必至に自分の肉体にムチ打ち、とろとろと、書き進めました。が、むろん昨夜だけで、完成したわけではありません。

 この章は、実は、・・・秋山祐徳太子が、どうして、晶文社から、自伝【ブリキ男】を出版することができたか?・・・とか、その陰に、

 ・・・私の小学生時代の友人・K子ちゃん・が、緩慢に緩慢に殺されていった話(彼女が開いているパソコンの液晶画面を用いて、彼女に心痛を与え続けた話)とか、・・・まで、連続している話なのです。

 そして、並行的に語りたいのが、尾崎正志という人物に象徴される、現代日本社会のありようなのです。拝金主義、それから、一夫多妻制度を、富裕層は、実質的に、実行をしている話など、・・・・・それを明文化すれば、恥ずかしい社会であって、日本・上げ・あげ・など、とんでもない社会なのです。欧米の中流社会の住民の間では、まだ、しっかりと、キリスト教精神が残っています。それから、イスラム圏でも、中流階級もしくはそれ以上の間では、宗教的縛りがしっかりと、残っている模様です。しかし、日本社会には無い。

 それが、1998年(もしくは1997年だったか?)以来知り合って、22年間の空白を開けて、今般の偽版画問題の報道によって、再び、その存在が脳裏に上がって来た尾崎正志という人物によって、見事にも、表面に浮かび上がってきたのでした。この22年間こそ、とても大切です。まるで、龍宮の玉手箱が開いたみたいに、はっきりとした変化として、私の脳内に、それが出現したのでした。 

 私は、よく、神様が、この世を統べていると、申しております。今般のメディアを使った報道は、・・・・・私狙いのもので、「シロタ画廊の存在を忘れるな。そして、大原光孝について書くのをやめよ」と、いう・・・・・警告的命令だったわけですが、それに対して、解説を加え、例のごとく、「本当の裏側は、こうですよ」と、いう論考を書く機会を与えられたのですから、ある意味で、ラッキーだったとも言えます。それが、神様の、ご意思が常に私を、守っていると、いうことの実質です。

 今般、急に大原光孝と、いう人物から、筆を離し、尾崎正志という人物に移行をしたのは、なぜだったかというと、その一夫多妻制度、一つをとってみても、大原光孝と、いう人物は、小さい器の人間だからです。彼は、せっかく支配していた一羽の文鳥さえ、手元から、とび立たせてしまった男ですが、それに比較をすると、20年間にわたって、めんどりを支配し、20年目には、二羽目の愛玩対象として、カナリアまで、獲得した、尾崎正志の存在は、私の心をひくのです。皆様におかれましては、ビートたけしという人物の生涯を、思い浮かべて、くださいませね。という前書きを入れて、この章の昨夜、書き始めた冒頭に戻ります。

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副題1、『これは、版画界における、敵は本能寺にありと、言うお話だ』

 今回話題になっている、版画のもとだねは、本画と言って、絹本、または、紙に日本画用の画材を使って、丁寧に描いた1枚の絵です。それを、写真製版し、それを使って、オフセット印刷という様式で、作り上げた、一種の版画ですが、それを美術界専門の用語ではエスタンプと、言います。その形式の版画は、素人だましの、嫌な製品だと、私は前報(後注1)で、言っています。最近、言い始めたわけではなくて、大昔から、それを言っています。

 そのエスタンプのさらに、質の悪いものが、出て、偽物だと、版画商組合が騒ぎ出して、それが、NHKニュース他が、報道をして、多大な話題になりました。NHKニュースによれば、色などが質が悪いそうですが、そういう意味で、偽物だと、騒いでいるわけではない・・・・・違う目的があって、流されたニュースだというのが、私の見解です。問題は、原画を持っている、所蔵者、もしくは、平山郁夫などの、遺族の許可を得ていない、形で、エスタンプを作っているので、所蔵者、または、遺族に、許可料が入らないわけで、それを許していたら、エスタンプそのものの信用度とか、値段が、激烈に下がるから、版画商組合が、怒っているというわけです。

 しかし、私は、このニュースは、目くそが鼻くそを笑うたぐいのニュースであって、敵は本能寺にありで、

 本当の狙いは、陰にいるシロタさんの存在に、私が気が付くことを狙っている、そういうニュースだと、言っています。そして、シロタさんの画廊で、専売的に扱っている柄沢斉の役割に、も、私に、気が付いてほしいと、言う狙いを持って、このニュースが、発表をされました。発表をというか、流されました。

 シロタ画廊で、専売的に扱っている柄沢斉にも気が付けよというお話です。柄沢斉は、日経新聞の後援によって、大個展を、神奈川県立美術館で、行っています。だから、最初期に、この章の総タイトルに、石塚雅彦さんと酒井忠康氏を入れていたのでした。

 だって、これは、犯罪でも何でもないのですよ。本物という方だって、もし、それを買った人の子孫が、50年後に、【なんでも鑑定団】、または類似の番組に持っていったら「印刷物です」と言われて、1万円のお値段がついて、満場の観客から、笑われる類のものです。ここでNHKがいう偽物と、本物の差とは、お墨付きが、ついているか? ついていないか?の差でしょう。

 もしついていたと仮定して、そのお墨付きが、偽物だったと、言うことでしょう。本来なら原画の所蔵者、または、遺族の許可を得て、エスタンプを作り、それを一枚につき、50万円で売るのだったら、1枚につき、10万円から、15万円ぐらいが、収入として入るはずだったのです。その、支払われるはずのお金が、遺族または、所有者に入らないと、言うことになります。

 私はね。個人美術館を経営している作家の遺族が、美術館の運営費をひねり出すために、エスタンプを作るのは、許容できるけれど、それ以外は、作るべきではないと、思っている人間です。父または祖先が、人気がある画家だったと、言う誇りを、持つだけで、十分ではないかと、思っている次第です。ただ、市とか県とかが、公的資金援助をしていない個人美術館の場合は、運営費を入場料=切符代だけでは賄えない可能性があるから、仕方がないが、それ以外のエスタンプづくりは強欲すぎますよ・・・・・と思っている次第です。

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副題2、『シロタさんは頭が良い人だ。銀座や京橋で、画廊を経営している、人物の中で、私は、一番賢い、人物だと、思っている。だが、その頭の良さというのは、自分が生きていくのに、どうしたら、一番有利かという部分に、突出して、注がれていると、感じている。このニュースは、その次の人物として、シロタ画廊が、専売している版画家、柄沢斉が、浮かび、それに対して、「気が付け、お前!」と、鎌倉エージェントから、言われている点が控えており、それが最大の狙いであるニュースだ。

 もちろん、私は、気が付いている。ところで、柄沢斉が、頭がいいかどうかを私は知らない。

 もう一人、重要な人物がいる。それに、気が付けよというのが、このニュースの最大の狙いだ。その人物とは、柄沢斉と同じ美大を出た、後輩としての、大原光孝という画家だ。その人物が、私の近所に住んでいて、自分が頭がいいと信じているのか、または、柄沢斉から、命令されて、それを行っているのか、もう、しっちゃかめっちゃかというほどのバカげた、攻撃を繰り返してくる。騙せると、思っているみたいだが、全部、裏側は見通せている。で、いよいよ、彼が行ったケースの中で、最大の悪辣さを内包している植木鉢の怪と、言う現象に取り掛かろうとしていたところだった。

 それを書かせない様にするために、脅かしを仕掛けてきたと、言うのが、この偽版画騒動である。

 私は、シロタさんが、頭がいいのに免じて、彼をしかりつける様なことは、今までは、一切、してこなかった。しかし、今回だけは、はっきり、言おう。「シロタさん、あなたは、誰に、依頼をされて、こういうニュースに、一枚加わったのですか? その時に、あなたは、このニュースが、長期低落傾向にあるデパートの、信用をさらに失墜をさせることを、予期しましたか? また、それを、私がブログで、書くことをも、予期していましたか?」と。

 「それに、デパート側にも、大迷惑行為でしょう。NHKが、言っていることが本当なら、返金を拠出しないといけません。しかし、赤字続きのいま、それを、拠出するのが、難しく、担当者は、必死でしょうね。だって、エスタンプって、一種類につき、最低、300枚は、作るでしょう。今回10種類見つかっているそうですから、3000枚になります。まあ、全部は、売れなかったと仮定して、2000枚だとしても、合計10億円です。いくつかのデパートに分かれていますが、各デパートの美術商部門が、2億円程度、賠償金を用意しないといけません。今、新コロナ騒動で、お客の出足が鈍っているデパートにとって、大きな痛手ではないですか?」と。

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副題2、『そのシロタ画廊の、応接室で、20年以上の前の、ある日、奇妙な光景に出くわした。ソファに座っているシロタさんに向かって、立って、熱弁をふるっている、尾崎正志さんがいたのだった。彼は、そのころは、髪が黒く、しかも、長髪で、それをポニーテールというか、ちょんまげとして、結んでいたので、見・間違う筈もなかった。

 その光景が、今般、急に、記憶に上ってきた事もあるが、エスタンプを、1990年代は、尾崎さんが、作っていたと、信じるので、前報で、突然に、尾崎さんについて、話し始めた。

 この章では、今は、副題1に続く文脈としては、大原光孝さんについて、話を進めるべきだとは、思うのだが、実際には、尾崎さんについて、書きたくてたまらない。それで、しばらく方向転換をして、尾崎正志研究を始めたい』

 この私が、シロタ画廊に入った途端に、尾崎さんが、熱弁をふるっている姿を見たことは、事前に計画されていたことなのか? それとも偶然のことだったのか? その真偽については、今は、ペンディングとさせておいてください。

 尾崎正志さんという人物は、FBで、相当量の情報が出ているし、google検索でも、大量にデータが出てきます。ところで、彼がシロタ画廊で、熱弁をふるっていたのは、彼が、当時(2000年前後のことだっただろうか?)推奨していた、リトグラフ専門の作家・X・を、シロタさんに、専売作家としてもらいたい、と、言うことだったと、思います。シロタさんは、その提案を受け入れなかったと、思いますよ。

 どういうことかというと、私はシロタ画廊の事務室で、シロタ画廊が推奨する作家の版画を、何十年間にもわたってみてきているわけですが、その作家Xの、作品を見たことがないからです。シロタさんは、リーウーファンを除けば、わかりやすい、きれいな作品を推奨していると、思います。そして、やはり手が込んだ作品を好きですよね。今シロタさんが、一押しの作家はだれか?などと、わかっていますが、その名前は伏せます。その作家は、シロタさんの、現在の収入源の、生命線だと、思うから。

 ところで、その、私の方が、今は、名前さえ忘れてしまった男性のリトグラフ版画制作作家については、その制作現場を新横浜時代の、プリントハウスOMで、直接見たことがあるのですが、太いブラシ(刷毛)に、墨をたっぷりと含ませ、横に並べた、20枚程度の白い紙(サイズは、三三  606×455)の上に、ばしゃーっと、言う形で、くねくねとしたラインを、一本引いて終わりと、言う形象です。そして、一枚の紙に、一本の線を引くだけだから、あっという間に、20枚の、原画制作は終わりました。

 その制作中のXの、横顔を見たのですが、まあ、品が良いお坊ちゃま風ですが、どこに、・・・・・・この単純な形象を生み出して、これで良しとする・・・・・過去の履歴があるのか? または修練があるのかが、さっぱりわからないのでした。

 この時、尾崎正志さんの方は、すでに、エスタンプを作っていたわけですから、そのお金儲け主義と対照的な作画をする男性なので、エスタンプ制作の毒消し用に、この子を売り出そうとしているのかしら?と、思ったりしましたが、いずれにせよ、本当に不思議に思いました。

 今になると、彼を極端に支援することで、私を無視してやれっと、例のエージェントから、すでに命令を受けていたのではないかと、思います。というのも、その日は、個展のお招き場をもらっていたので、訪問をしたのですが、その案内状が、作家本人から来たのか、それとも、尾崎さんが出したのかが、今となっては、わからないからです。

 それは、1999年の年末だったと、思います。その22年後の、今では、改名した尾崎正志・版画工房で、展示をしてある作品は、相当に違います。改名と同時に、りっちも、変えました。引っ越した先の、ホーム頁で、紹介されている版画は、数点ありますが、女性作家が、制作した、丁寧で、わかりやすい形象の作品群でした。で、『これなら大丈夫ですね』と、思う様な作品群ですが、あの22年前の、X押しの、熱狂は、どうしても理解しがたいところがあったのです。だって、つまらなさすぎる作品でした。ミニマリズムだったとしても、ミニマリズムに至る作家の信念とか、生き様というものがまるで、見えてこない作品だったのです。単なる、子供じみた遊びで作り出される原版でした。

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副題3、『その日は、大掃除だったので、奥さんと、お子さんも来ていた。リトグラフ作家、Xも含めて、全員13~15名が、二階で、作業をしていて、私は、そういう二階へ、招じ入れられたのだった。

 この時に、私は尾崎正志という人物の性格を本当に疑った。というのも彼が、自分で、その人との特殊な関係を示唆した、愛人(事務職スタッフ)と、奥様とお子さんを、同じ場所で、同じ作業に向かわせていて、愛人の方が、苦渋に満ちた顔をしていたからだ。そのエピソードは、順序が逆だが、次の章、副題4で、書くはずだ。

 その上、奥様は、利根山行人の娘だと、言われていて、尾崎正志という人物が版画界で、大物へと、階段を上っていくにあたって、その結婚が、役立ったと、聞いていた。

 田中角栄と、言う人物の正式な結婚と、その後、秘書を愛人とした、関係と似ていた。田中角栄・夫人という人は、その佐藤昭さんという女性の存在は、知っていた。が、角栄氏に、向かっては、「宮中に参内するときは、私を連れて行ってくださいね。(でも、それ以外は?・・・・・)」と、言っていたそうだ。カッコ内は、私が付け加えた、言葉で、実際には、どういう発言をされていたかは知らない。

 私は、この二階での、シーンを見ながら、『尾崎正志は、非常に残酷な人間だ』と、思い至った。奥様は、田中角栄夫人とは、違っていて、何も気が付いていない模様だった。

 私は、人間観察にたけた種類だから、奥様の特徴と、愛人の特徴を比べて、なるほどと考え込んだ。奥様は背が高く、健康スポーツ・ウーマン風なな感じで、すでに、おばさん顔に近い風情だった。でも、性格は、明るい。一方の事務員の方だが、若い。奥様よりも20歳は若くて、背が低い。体の筋肉は、ふんわりと、柔らかそうだった。これは、いかにも、男性が抱きしめたくなる様な、肉体なのだろうと、ようふくの下に隠れているものを想像をさせた。性格は湿潤で、あんまり、はっきりとした主張はできないタイプだと、思われた。

・・・・・まだ、成功をしていない男にとって、もし、こういう女性が、妻だったら、成功しないのではないかなあ? てきぱきした、内助の功は、期待できないタイプだ。だけど、成功した後の男性は、慰安を求めて、こういうタイプを愛するのだろうか? この二人は、違うタイプで、だから、両方を味わい尽くす尾崎正志という人物は、今太閤になった気分なのだろう。エスタンプがそれほど、儲かるのだろうか? まあ、最盛期には、2億円から、5億円に喃々とする、年間・純利益が出ていたと、思うけれど・・・・・などと、その時に思い至った。

 お金、お金、お金なのだ。お金が、彼に、こういう自由を与えている。

 ここで、尾崎さんの、愛人問題を語るのは、それが、エスタンプが、影響を及ぼす。陰湿な部分の反映だと、思うから・・・・・が、一つであり、

 もう一つは、尾崎正志という男性が札幌で、育ったということを、この2021年2月11日に初めて知り、

 保坂涼子(現在は、航子という名前で、活動中)=相馬市出身とか、長瀬いずみ(国画会会員)=秋田県に住んでいるはずだとか、前田清子さん(静岡大学の出身だと、聞いているので、22歳までは、静岡県在住だと、思われる)、とか、何歳まで、高知にいたかは知らないが、高知県出身の画家としてくくられている、大原光孝さんだとか、私の息子の職を謀略をもって奪った西原理恵子などと、同じく、田舎で、育った人間だと、言うことが分かったということだった。

 ということは、

 私が常に言っている、都会のブランド住宅街に育つと、角を矯めた牛状態に、陥ってしまう恐れはあるが、一方で、東京圏のブランド住宅街で、育つ限り、用心深さは、涵養できる。近所にどういう人間が住んでいるかがわからないから、常に、突拍子もない行動はとらない。どういう人間がという部分だけれど、昔のことわざみたいに、悪い人間が住むという意味ではなくて、上等な人間が、ひそかに羽を休めているという意味で言っている。したがって、慎重で、用心深い行動をとる・・・・・という、態度を涵養するのだ。

 上に名前を挙げた、人物たちは、私に言わせると、それが、全くないレベルの未熟で子供じみた人間なのだけれど、この年末の二階のプリントハウスOM内で、見せた、尾崎正志の態度も、それに該当すると、なる。

 尾崎正志という人は、それが、正しい行動だと、彼が、思うことを、1998~2000年にかけて、私に見せ続けたのだったが、その相手が、22年後に、こういう文章を書いてブログに発表をすることを予期していたのだろうか? それが、東京圏の特にブランド住宅街で、育った人間が、熟知している怖さなのだけれど、尾崎正志は、札幌で、育ったので、そういう怖さを知らなかったと、推察する。

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副題4,『ここで、ビートたけしが、愛人との仲を、週刊誌に書かれたことを怒って、編集部に、軍団を率いて、殴り込んだことを思い出す、私だった。

 男って、若い愛人ができると、それほどに、狂うものだろうか? 尾崎正志さんが、1998年のある雨の夕方、私に示した態度も、今思うと、驚天動地の態度だったが?・・・・・ああいう、とてつもない態度をとる理由の一つが、エスタンプがもたらす、大金のせいだっただろうか?』

 ここで、私の学習態度を申し述べないといけません。私は、これっと、思うと、集中するタイプで、そのフィールドに対して、ある程度の目鼻がつくまで、お金をかけて、集中的に学びます。園芸がしかりだし、歌舞伎がしかりです。で、1997年(?)だったか、1998年だったかも、同じことで、新横浜のプリントハウスOMで、版画を習い始めると、集中的に、学習するので、たちまちに材料が、大量に、要る様になりました。

 で、そのころは、始めたばかりだったので、版画用の材料をどこで、買っていいかを知りません。今だと、秋葉原に、専門店があり、プロ化している人間だと、用具や資材を、口頭で、頼めるので、そこに、電話で注文を出します。紙も、銅板もインクもウエースも、汚れ落としようの溶剤も、全部そこへ注文をします。紙は、50枚、とか、100枚単位で、注文をするのですが。

 それでも、事情がさらに分かってくると、ロッドが小さい注文は、配達してもらうよりも、神田神保町の、文房堂で、買ってきた方が早いなあなどと、わかってくるのです。

 でも、1998年当時の私には、全く、未知の世界ですから、OMの、事務所に、買いに行くし、そこにないものは「取り寄せてください」と、頼むわけです。 当時のOMの事務室には、二人の若い女性が、詰めていました。一人は眼鏡をかけた、美大卒の女性で、もう一人は、上で、言っている、若い女性です。愛人と、私に悟らせたり、感じ取らせたりした、女性です。美大卒の女性はまともで、しっかりしているのですが、商品類の購買は、もう一人が担当しているそうです。

 しかし、彼女がダメ女なのですね。注文を処理できない女だったのです。私の方は、たちまちに、多くの注文が、生じたのですが、そこに準備していないものが、多かったので、カラーインクの注文をしたいと、思いました。

 一般的な銅板画だと、黒いインク、数種類で、済むのですが、私はカラーインクを大量に使うヘイター方式を、面白いと、思い始めたので、カラーインクを多種類ほしいのでした。ところが、チューブ形式のインクの備蓄がないのです。エスタンプを制作しているのですから、缶に入っている形式のインクは置いてあるのでしょうが、少量のサイズのものは、置いていないのでした。で、「注文をしておいてくださいね」と、言うのだけれど、次の機会に行っても、まだ、用意していないのでした。

 こういうことが三度ぐらい続いたので、仏の顔も三度という形で、「ちゃんと、準備しておいてください」といったのです。私は、叱り飛ばしたという記憶はないのです。しかし、元来の顔が、非常に柔和なので、とてもおとなしくて、弱々しいと、感じ取られているらしくて、この女子事務員も、そう考えて、私の注文に対して、いい加減だった、向きがあるのでしょうが、言うべき時は、きちんと、かつはっきりというのが、私なので、その時になって、初めてというか、急に、私の恐ろしさに気が付いたと、言うことになるらしいのです。で、私の叱る感じの態度を、恨んだらしいのでした。

 その彼女の恨みを晴らす機会が、ある雨の日に訪れました。そのエピソードは、まことに面白いものなので、詳細に語らせてくださいませ。

 版画を、会員(お客)の方が制作する部屋は、10mX15mぐらいの広い部屋なのですが、窓がない形です。壁は、素(または、白木というべきか?)のべニアで囲まれています。で、三階にあります。エレベーターが、無い形式のビルなので、とんとんと、階段を、一階まで、降りて、玄関まで来て、はじめて、雨が降っていることに気が付きました。

 私が、今の様に、おばさんチックな、ぶっちゃけた会話ができる時期だったら、二階の事務所に戻って、「使っていない傘はありませんか?」と、質問をしたと、思います。だって、社員が、10人は超す会社です。そして、お客の方は、延べ人数を言えば、100人を超す会員がいたと、思います。合計110人の人が、何年にもわたって何度も、出入りするのですから、当然に、忘れて帰ってしまった傘は、あるはずで、それを借りに行こうかなあと考えている、その瞬間、二階から、とことんとことんと、二人の人間が下りてきました。尾崎正志さんと、例のとろい事務員です。

 時制が、逆順になって、表現していますが、前の節、副題3で、その苦々しそうな表情を発見してしまった事務員です。

 二人は、私の顔を見ました。だけど、何も声をかけず、一本のビニール傘を相合傘にして、歩み去ったか、それとも二本のビニール傘を使って仲良く歩み去ったのか、傘の本数については、その詳細は、忘れましたが、ともかく、「俺たちは、非常に仲がいいのだ。お前なんか、これを見て反省しろ、この女性に、生意気な口をきくんじゃあない」と、尾崎さんが、言っているのは、感じ取りました。

 ただ、ただ、驚きました。「あなた、何をやっているのよ。私の方は、お金を払って、お宅を使っているお客ですよ。お客様は、神様だって、三波春夫が言っているではないですか? それなのに、自分の身内の方を大切にするなんて、どういうこと! これは!」と思いました。

 で、仕方がなくて濡れながら、新横浜駅まで、公称8分を歩きました。でもねえ。そりゃあ、いやな気分を味わわされましたよ。だって、そこで見たボディラングエッジは、イメージとして、尾崎正志さんが、突然ズボンの、チャック(ファスナーを下ろして、股間の黒い叢を見せつけたという感じのものでしたから。

 この現象を見たことと、それから、そこの工房が、最長で、三時間しか使えないことを、知っていたので、『これは、自分のプレスを持ち、自分の工房を作らないとだめですね』と、感じ入った次第です。そういう流れで、作った逗子のアトリエです。たまたま、文化庁の在外研修生として、1998年の秋にパリに行き、自分には、海外住まいが向いていると感じました。一人暮らしをするのが、最初の目的ではなくて、プリントハウスOMの主宰者、尾崎正志氏に、股間を見せつけられたいやな感じを二度と味わいたくなくて、作った工房です。しかし、そこで、寝泊まりをする様になると、まず、安野智紗夫人がそれに目をつけて、冬物セーターなどを取りに来る私に、自分が見ているわよと、顕示して、やがて、ご近所人間に、「川崎さんは、家出をして、離婚をするらしい」と、言いふらし始めます。彼女は、この期間、鎌倉エージェントの支援によって、銀座で、染め物の個展をしたそうです。しかし、この36年間、彼女の着ているものを見続けてきていますが、色合いも悪ければ、質も悪いものばかりです。国画会主催の、国展には染色部門があります。で、初日のパーティでは、作家とも会うわけですが、100%、違います。

 結局は私を悲しませるのに役に立つとして、CIAエージェントたちに、個展を準備された単なる主婦さんです。だから、彼女が「離婚をするはずよ」という噂をばらまいても、「また、バカがうろちょろしている」で、終わりです。

 同じことを大原光孝さんから、いわれたときは、ちょっと違います。彼の、言動は、将来文章化しようと、決意しています。それを彼自身にも、20年前から告げてあります。それなのに、それを言えば勝つと、思ってバカげた捨て台詞をはいてきます。で、そちらで、妻の恵美子さんが家出をしたら、それが、六年を超えた時点で、しっかりと文章化していきます。

 上で、ビートたけしの、講談社襲撃事件を語っています。それを、世間は、忘れています。しかし私は忘れません。言論弾圧を暴力で、実行した事件です。それゆえに、それ以降、ビートたけしという人は、CIAエージェントにごひいきにされていて抜群の出世を遂げています。そして、数年前に、ビートたけし・・・・・いや、ご出世なさって北野武監督になっておられるわけですが、・・・・・は、糟糠の妻と離婚をして、ある女性と、再婚をしました。その相手は、講談社襲撃事件の引き金となった、ピアノ教師だと、推察していますが、週刊誌等が、一切追いかけません。

 一方で、東出昌大君の、不倫騒動は、大騒ぎだったみたいです。私は、一切、そのニュースショーは見ていませんが、大きくたたかれたみたいです。こういう風に、ケースによって、集団リンチの対象になったり、ならなかったりするのは、国民の気分を暗くします。法治国家ではないと、国民が感じるので、不安になるからです。

 でも、国民の気分が暗くなるのは、CIAとか、世界的大富豪たちにとっては、うれしいことなのです。この国を支配し、富を略奪していくためには、その支配下の国民が、去勢をされていた方が、支配が楽なのです。

 私は、ビートたけしと、尾崎正志さんは、濡れ手で粟と、言うほどの大金を、儲けた人として、類似性がある様な気がするのです。すると、尾崎さんの引っ越しは、地価の安い物件に引っ越したわけで、元の奥様(または、その人との間に生まれた子供)に、あの新横浜の、物件を、譲り渡して、地価の安い物件に、引っ越したのではないかと、思うところがあるのでした。

 ところで、午前4時になりました。ここで、筆をおいて寝ないといけないのですが、尾崎さんの、あの一連の行動が、エスタンプという後ろめたい仕事で、大金を稼いでいたせいで、起きている、不可思議な出来事か? 

 それとも、尾行等で、この新横浜の工房に通っていることを察して敵方が尾崎正志さんに、私を、いじめる様に命令をしていたからなのか? が、問題として、残ってきています。

 が、 ここで、午前四時になりました。ここで、激しい睡魔に襲われ続けたからだが限界に達して、パソコンのそばを離れました。この続きは、冒頭の、副題〇に続きます。そして、今は14日の午後3時ですが、途中を、推敲したので、14日だけで、5時間を費やしました。で、本日の、ブログに、消費する予定の、労働と、時間は、十分だと、考えます。で、この章は、ここで、終わりとさせていただいて、ここで、パソコンのそばを離れます。続きは、後日、別章を立てて語ります。

後注1,

偽物を売りつけたという事でデパートが謝罪。之は無論、鎌倉agentがシロタ画廊を動かして出てきた話です。大原光孝さんとその悪事について私が書かない様にする為の一種の脅かしです

2021-02-12 12:13:21政治
 
 なお、このブログの2010年より、外から知らせてくる延べ訪問回数は、  です。
 2021-2-13から、14にかけて、これを書く
 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
コメント
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偽物を売りつけたという事でデパートが謝罪。驚いた。白田さんは、すでに亡くなっているー1

2021-02-12 12:13:21 | 政治

 さて、以下の章を、12から13日にかけて書きました。大意は、変える必要はないと、思うのですが、驚いたことにシロタさんは、すでに亡くなっていました。それで、以下の文章から、シロタさんと、いう部分に別の名前を入れないといけません。それは、あとで、致します。

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副題-2、『驚いた、シロタさんは、すでに亡くなっていた』

2017.12.25.夕方、ギリッギリで銀座7丁目 「シロタ画廊」へ・・・。8月に85歳で白田氏が亡くなられ、発表せずにいらしたとのこと・・・。

2日間だけゆかりの方の作品を展示。

上は、下記のblogより、取った情報です。

贈り物・・・。シロタ画廊「白田貞夫の聞いた足音」 | 田沼敦子公式ブログ (ameblo.jp)

 これは、私には入ってきていなかった事実です。しかし、思い当たる、むきはありますね。非常に頭がいいと、思っている白田さんが、采配をしているにしては、これは、ばかバカしい行動だと、思うことが、このころ以降に、頻発していましたから。

 以下の文章から、シロタさんの名前を抜いて、そこに別の人の名前を入れます。それは、あとで、直します。今は、新しい文章を書いている最中ですので、お待ちいただきたく存じます。

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副題-1,『この章は、総タイトルを最初は、【有名画家の画を、版画に直して手元に置くのは、しみったれた邪道で、偽物とか本物とか言うのもおこがましく、かつ恥ずかしい】としておりました』

 最近NHK他が、おおげさに報道をした、偽版画の件です。で、それを書くにあたって、私の版画のうんちくが展開しています。で、版画って、制作が、大変手間がかかるもので、上條陽子さん(安井賞受賞と、脳溢血か脳梗塞から復帰した画家として、伝説にまとわれている有名画家)、など、「携わるのは、まっぴらごめんです」と、おっしゃっている分野です。`子供の時に学校で、作った芋版とか、ゴム版(消しゴム版画)などは、楽ですが、銅版画、リトグラフ、シルクスクリーンなど、機械を使って摺るヨーロッパ原産の版画は薬とか、手順が、相当に面倒くさいのです。

 それを逐一文章で、説明しているので、読むのが、とても、面倒くさいと、お思いでしょう。でもね、これもまた、政治の分野の話なのです。私が最近、連続して書いているシリーズ、植木鉢の怪というのは、本当に忌まわしい話ですが、ご近所住まいの画家大原光孝さんが、主役で、行われた大規模な謀略です。殺人こそないが、心理的には、非常に恐ろしいものです。それを今書いている最中なので、

 大原光孝さんの、木口版画の先生である柄沢斉を、通じて、こういうニュースを大々的に発表をさせました。誰が?というと、例の、鎌倉エージェントで、井上ひさしが、発案し、伊藤玄二郎や酒井忠康氏が、動いて、設定をしています。

 一般の人は、そういう裏側をご存じないでしょうが、私には、裏側を推定し、正しく、わかることを、計算に入れて、発表をされたニュースです。それが、脅かしの役目を果たすので、その恐ろしい話を書かないだろうとみなされて発表をされたニュースです。しかし、デパートは、大損ですね。信用が亡くなったので。

 そういう結論を最初に置いておいて、以下の文章をお読みいただくと、わかりやすくなると、思います。

 でも、ここでいう偽版画とは、本物自体が、大いに怪しいもので、

 目くそ、鼻くそを笑うたぐいの、話です。本当の美とも、大画家の、一枚しかない、本作品とも、はるかに離れたものですよ。そこが、この文章の大義です。で、それは、正義を重んじる私には、とても大切なことなので、割と、一生懸命、力を入れて書きました。お読みいただければ幸いです。

 この文章ですが、副題ゼロから、副題3までも、むろん、お読みいただきたいのですよ。しかし、副題3の途中から、以降は、驚くべき書き方と、なっていくでしょう。誰も、知らない真実を書いていきます。

副題0、『昨日は、本当に変だった。起きてから、11時間で、眠たくなる・・・・・これは、おかしい』

 昨日短い、ブログを送っています。ご近所の様子が、『お前を弾圧してやったぜ。こっちが買ったのだ」という意思表示です。それは、よく経験していることだから、別にーと、言うたぐいの事象ですが、と、同時に、起きてから、11時間で眠くなり、11日に書くべきことと、して予定していた新稿もかけないし、前々報の後半を推敲加筆することもできませんでした。

 それで、こういう風に解釈をしました。推敲をまだ行っていない、後注2の後半部分をやらせないために、外部から肉体への攻撃として、睡魔に襲わせたと。

 では、後注2の、後半とは、非常に大切な部分となります。それで、こちらにコピペして、推敲やら、加筆をしていきましょう。しかし、少しは、変化をつけないと、読者の皆様も面白くないと、思います。それで、全く違った角度から、それに、向かって進みたいと、思います。

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副題1、『昨日もちらっと述べたが、CIAエージェントたちが、私を弾圧するための、一手法として、ニュースを用いる。今、取り掛かっている河合杏里元議員の選挙違反運動など、ほぼ、6か月以上にわたって、少しずつ、拡張されながら、繰り返し、浮き上がってきて、報道をされた。それは、すべて、私のブログが、鎌倉市内、および、雪の下2丁目、および、同窓会へ、言及したときに、それを欠かせないがために、膨張していったのだ。

 それに付随して、並行的に、水虫薬もんだいと、鳥インフルエンザ問題が、起きた。両方とも、うそであろう。どういう形で、小林化工という会社が、言うことを聞いたのかは、わからないけれど、これは、JTの冷凍餃子に、毒が入っていた問題、マルハニチロの冷凍食品に毒が入っていた問題、GSユアサのバッテリーが、空中飛行中に黒煙7を出し始めた問題、川沿いの地盤が弱い場所で、建設されたために、基礎が、ゆがんだ、旭化成建材の、くい打ち疑惑と、軽井沢スキー事故などにも同じものが見られる謀略で、水虫内服薬で、死んだ人など、いないと、信じている。

 千葉県での鳥インフルエンザも同じ。鳥インフルエンザは、処分した分の鶏、は、国家賠償されるのだろうと。推察している。7兆円を超す、官房機密費が、必要なのは、そういうわけで、実質上、それは、鎌倉エージェントのお財布だと、言ってもよいだろう。

 で、それらと、似たものとして、出てきた、ニュースが、偽物の版画が出回り、間違えて、それを、売ってしまった、三越と、西武などは、お客に賠償金を払って、買い戻すというものだ。これは、誰も、死者が、出ていないニュースなので、無視しようかと、思ったけれど、やはり、裏側については、きちんと書かないといけないと、思っている。その原文は、%%%%%罫線以下に置いておく』

 このニュースでいう版画とは、美大で、版画を専攻した人間とか、美大卒でなくとも、現在版画を実際に作っている人、例えば私などは、それを、版画とは、認めない分野であって、心の中で、軽蔑している作品たちです。で、そういう人たちの中で、よく物事が分かっている人は、エスタンプと、それを、呼びます。版画とは、言いません。

  私が、版画の講習を最初に受けたところは、OMと、言う大きな版画工房でした。版画を作家として作る人間は、二階を使います。しかし、一階に作家連中は入れない部屋があって、そこにものすごい大きなプレスと、言う機械が三代ぐらい置いてあります。もしかすると、こういう場所で、特別な(有名美大卒を含む)スタッフが、引き受けている仕事なのではないかと、推察している製品です。まず、版画として、一つの長い紙に、原画が6号なら、それと同じ6号サイズで、制作した版を置きます。が、その、最初の版に、同じ図柄が50枚程度、彫り込まれている、そういう版で、長いロール紙に、印刷をかけ、それを、後で、切り分けます。そのあとでだろうと、思いますが、美大出身の、専門家が、平山郁夫作品だったら、日本画の画材のできるだけ、本画に近い色彩を選んで、膠、もしくは、薄めたボンドに、とかして、薄く乗せていきます。本画には、各、部分に応じて、たくさんの色彩が使ってあります。

 ここですが、これは、1998年に見た新横浜での工房の内部です。しかし、本日夜に入って、尾崎正志さんのホーム頁類を見て、今では、新横浜から、綱島の、東に、移転し、名称を尾崎正志、版画工房と、変更した模様です。建物も、新横浜時代と比べると、シンプルで、建設費が安そうです。その移転が、2016年で、それ以降はエスタンプは引き受けていないと、推察できます。彼は、金儲けから、芸術家支援の方向へ、シフトした模様です。しかし、この文章は、1990年代の、私の観察に基づいたまま、しばし、進行をさせます。

 今回、偽版画が、作られた三人の作家は、すべて、日本画家です。でも、今、私が語りつつあるエスタンプは、それら偽版画と、呼ばれているものと、全く手法で、作られている正当な、版画(?)の方です。偽物ではなくても、一種のコピーです。だから、それらは、傷みやすいですね。薄ーく、絵の具が乗っているだけだから。で、掛け軸と、して、制作される事はなくて、2cm~3cm程度の深さを持った、6号とか、8号のパネル(木の台)に貼り付けられ、絵の表面に、しっかりとガラスが、はめ込まれた、豪華(?)な額に入れられて、裏側は、ぴっちりと、封印して、あかない様にして売り出すと、思います。

 しかし、もし、裏側が開封できる形で、糊付けされていなかった場合は、証明書が、入っていると思います。

 その証明書には、

 1)、遺族、もしくは、その作品を保有している、人物とか組織のコピーをとること=版画化すること=を、許す文言があり、

 2)、今回の制作で、「何枚、完成品を出しました」という部数を、証明する書類。・・・・・版画の場合は、枚数のことを慣例的に、エディションと言います。浜口陽三が、多数制作したサクランボの版画などで、300枚程度のエディションでしょう。そして、浜口陽三の版画では、エスタンプは、作られていないはずです。

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副題2、『私がエスタンプをことさらに嫌うのは、価格が高すぎる設定になっていると、言う点もある』

 私が、このエスタンプの、実際の、売り物を見たのは、馬越陽子展が、三越の、画廊で、開かれていて、そこに行く際に、五階か、六階のエスカレーター乗り口に、小さな、おもちゃの、イーゼルに立てかけて、売っていたのを見たのが、最初で、最後です。それ以降は、三越日本橋店の、五階か、六階まで、行かないからです。その時の販売ですが、三越本体が、売っていたのか、テナントとして、場所を借りて、出店した、どこかの画廊が、売っていたのかは、知りませんが、馬越陽子個展とは、まるで、違うものとして、売られていたのでした。

 つまり、まことにはっきり言うと、そちらの方は、ド素人相手の販売であって、馬越陽子展の方は、本当に絵が分かる人相手の商売なのです。ノーベル賞受賞者の大村聡先生が、毎回、この個展で、馬越陽子作品をお買いになったかどうかは知りませんが、そういう人を相手の商売であって、エスタンプの方は、成り上がり物で、教養がない人が買う作品と、言う違いがあります。

 値段としては、馬越陽子さんの作品も油絵で、一号10万円ですから、一枚・小品・六号を買っても60万円支払わなければなりません。しかし、馬越さんの作品は、本画というたぐいで、この世の中に、一点しかありません。そして、馬越陽子は、すでに、レジェンドを持つ、有名・油絵・作家ですが、文化勲章でも、受賞して、さらに、画家として、格があがれば、将来、240万円に化けることはありうるのです。それが、絵画好き、で、お金持ちである人の、購買の形式です。もしかすると孫が、本当に苦境に立って、売るかもしれない。でも、利ザヤが、50年の間に、180万円になっているので、ほかのどの投資よりも、高率です。

 エスタンプに戻ります。その価格設定が、「一枚、50万円以上で」となっていたので、ひどく、憎む様になりました。私が取り組んでいた版画はへいたー方式と言って、抜群の手間がかかります。一日、10時間働いても、準備と後片付けに、6時間程度かかるので、三枚から、五枚程度しいかすれません。逗子のアトリエで、鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りに出す予定の、作品を摺ろうとしてことがあるのです。版が深堀りと言って、いち、いちの線の境目が、紙が破れそうで、怖くて、プロの摺師に頼んだのでした。普段だと、フランス製の、厚い紙に、摺りつけるわけですが、鶴岡八幡宮が、下さる日本紙(奉書紙か?)は、そのフランス製または、ドイツ製の、版画専門紙と比較すると、薄葬で、しかも弱そうで、そこの上にに摺る自信がなかったので、専門の摺師にお願いをしました。相手は、一枚につき、一万円をとって、しかも片づけないで、帰りました。

 浜口陽三風の作品をする場合、ガラス板は、30㎝平法のものを使い、その上に、30g~50gのインクを溶剤少量で、伸ばしていきます。その際は、へらで、練ります。サクランボの作品だったら、黒と、赤のガラス板、二枚に、溶剤で、インクを伸ばしますが、赤の方は、少量で済むでしょう。少量つかうか、大量つかうかは、消費するインクの値段が、カラーだととても高い(鮭缶一個程度で、5000円以上)と、言うことも関係があるのですが、片付けが、ひどく大変なのです。パリなんて、アルコールしか溶剤を使えないし、日本でなら、買うことのできる。木綿のウエース(ぼろ布)というのを売っていないので、インク除去は、本当に大変でした。ニューヨークでは、灯油を、インク除去のために使っていいのでしたが、ウエースの方はありません。日本は江戸時代に、物を大切にする習慣が人々の間に根付いたので、古布を回収して、特に木綿は、洗濯したのちに、1キロか2キロの角型に圧縮したものを、売っているのです。すべて20年前の値段ですが、500円です。パリにもNYにも、それは、ありません。しかも、私の場合は、1m平方のガラス板二枚に、インクを伸ばし、かつ、へらではなくて、直径30cmの、金属芯のゴムローラーで伸ばします。それも二本を使います。それらの道具類は、毎日洗浄しておかないと、使えなくなるので、毎日の労働は、すさまじいわけです。

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副題3,『版画工房、OMの主催者、尾崎正志という人物は、摺師一族の二代目か三代目だと、聞いている。ただ、彼は、不動産にも目がない人物で、横浜駅周辺の、高層ビルに一室、使ってはいない部屋を確保していたほどで、富裕層になることを目指す人だった。その工房が、金儲け主義ではなかったら、私の人生も、相当に変わっていただろう。OMが、パリや、ニューヨークで、私が、見つけた、作家(または、芸術家)優先のプロ用の、工房であって、使う人に、それなりの会費は、取るが、鍵を渡して、一日中、朝の五時から、夜の10時まで、(その時、プレスと言う機械が空いている限り)、使わせてくれる様な、工房だったら、私は、逗子に、自分専用の工房を作る必要もなかったし、パリやニューヨークへ修行をしに行くこともなかった。

 で、別にそれを恨んで言うことでもないが、尾崎さんが、強い意志を持って、お金を儲けたいという主義の人なので、エスタンプも作っているはずだと、私は考えている。で、自分の工房がとる制作費より、安い費用で、作り上げる、今回の奈良の工房を、つるし上げようとした、人物の一人ではないかと、最初は、推察した。各地の画商や画廊に、安い価格で、格の低いエスタンプ(作品保有者などに、許可をとっていないと、言う点では偽物だが、質としては、ほぼ同じものだ。私に言わせると、どっちも同じだと、言うことになる。しかし、)を、尾崎正志という人は、自分の利益が、少なくなるので、それを許さない人だと、思っている。

 ここに書いた尾崎さんへの批判ですが、後半に行くと逆転します。お待ちいただきたく存じます。彼は、一時期は作っていたエスタンプを、今は、作っていないでしょう。ただ、エスタンプとは、スタッフの、大勢いる、相当に大きな工房でないと、作れないと、言うのは確かですよ。

 で、今般、このニュースが、表面化した陰には、版画界の大企業OMが、躍起となって、正式な許可を得ていない、一種の海賊版の出版元である、大阪の画商と、奈良の工房をひねりつぶし、殺しをやろうと、していると、私には、見えてきてしまう。だが、OMだけが主役ではなくて、どうも、シロタ画廊さんが、もう一方の、主役であると、見えるのだ。

 ところで、自分の方の人生の、さらに、詳しいことを言うと、OMが、自由に使えないのなら、鎌倉の自宅で、制作をするべきだと、なる。ところが、プレス(版画を摺る機械。日本の木版画と違って、西洋の版画は、高圧をかける必要があり、それを行う、鉄製の機械)を作っている会社が、まず、「鎌倉のご自宅には、プレスは、持ち上げられません」といったので、どうしても、逗子のマンションの一階に、アトリエを作らないでは、いられなかった。が、そういうことは、知らないで、いる安野智紗夫人は、洋服などを自宅へ、とりに時々かえって来る、私に、わざと、自己顕示をして、「見たよ」と、知らせ、その後、大原光孝さん一家などに、「川崎さんは、離婚をするよ」といううわさを流した模様である。

 人の私生活の、本当のところは、なかなか、他人には、わからないものだと、思う。その時点=1998年で、私は、まだ、メルマガも、ブログも始めておらず、彼らが、1985年以来、連続して、やってきている悪事にも、一切触れていない。美術一本やりで、生きていた。だけど、記憶は確かに、あって、今、大原光孝という人物とか、安野智紗夫人が行っていることを詳細に、分析している。実は、この章も、シロタ画廊が、主人公であって、それは、すなわち、柄沢斉、大原光孝と、つながっていくのだった。シロタ画廊さんは、月刊ギャラリーの編集長、本多隆彦さんにも、強い影響力を持っているので、月刊ギャラリーの連載を、たった、一年で、終わらせられてしまったのもシロタさんの采配だったと、見ている。そして、日曜美術館が、この正月以来三度も、、李禹煥(リ・ウファン)を、取り上げるのもシロタさんの存在を誇示し、したがって、大原光孝について書くなと、言う婉曲の命令だったと、言うことは、わかっている。』

::::::::ここで、、李禹煥(リ・ウファン)を、取り上げた、日曜美術館の番組の、ごく単純な紹介をNHKのサイトから、引っ張ってきて、置いておきます。スターの方は、二回、放映をされました。

「STARS それぞれのデビューから現在」

東京・六本木に、日本が世界に誇る現代アーティストたちが大集結。草間彌生、李禹煥、杉本博司、宮島達男、奈良美智、村上隆。1950年代から2000年代まで、それぞれの時代で日本を飛び出し、世界に衝撃を与えた6人です。彼らは、いつどのようにして世界に認められ、今何を考えているのか。「出世作」と「最新作」を通して、日本の現在地を読み解きます。豪華な対談とインタビューは必見!

出演者

  • 出演村上隆
  • 出演李禹煥
  • 出演奈良美智
  • 出演杉本博司
  • 出演宮島達男
  • 出演草間彌生

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「李 禹煥(リ・ウファン) わたしと雪舟」

去年生誕600年を迎えた雪舟は、日本絵画史上ただ一人国宝6点を描き、“画聖(がせい)”と呼ばれた男。その雪舟にかねてから惹かれているのが、現代美術のトップランナー、李禹煥(リ・ウファン)。「雪舟の自然観に、呼びかけられている」と語る。<絵を描くとはどのような行為なのか>、<現代において雪舟を見るとはいかなる体験なのか>。李のまなざしを通して、時空を超え今、雪舟が語りかける!

東京国立博物館蔵 TMN Image Archive

 斉年寺蔵 京都国立博物館寄託:::::::::::ここで、本文に戻ります。

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 この節、副題4でいっているシロタさんと、いうところは、別の名前を入れないといけない。後で、直します。

副題4、『シロタさんは、ニュースに登場しない。顔を隠して、首から下を映した、奈良の工房の主とも、違って、このニュースの、どこにも、その影も形も見えない。しかし、このニュースが、「画商協同組合から出ている」と、聞いて、・・・・・きっとシロタさんが、主導をしたのでしょうね。そしてそれは大原光孝さんについて、これ以上書くな。僕は、力があるんですよ」と、言う暗喩的、支配と、脅かしですね・・・・・と、私は、受け取った。

 しかし、山口みつ子さんが、殺され、さらに、その7年半後、妹も殺されている私にとって、かれは、シロタ?  who?  という存在でしかない。しかも、こういう風に、本当の、原因者が隠れているケースは、特措法の罰則規定が、全国知事会議から、菅内閣へ、提示されたという流れと、そっくり同じだ。

 黒岩神奈川県知事は、そのニュースの中では、姿を現さない。しかし、公的には、自分を死んだことにしては、いるが、実際には、生きていて、各種謀略を発案している井上ひさしが、この案を鎌倉在住の酒井忠康氏などと、図って創出し、柄沢斉、もしくは、伊藤玄二郎を通じて、シロタ画廊に、働きかけた可能性は、高いのだ。

 というのも、シロタさんが、版画商協同組合の、偉い人の一人であるのは、確かだから、今、組合長ではなくても、全体を動かすことは可能だからだ。

 なお、今から、外出しますので、長時間、書くのを中断させてくださいませ。

  今、帰宅して、気合を入れなおして、書き始めているところです。夜の10時半から再開しています。

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副題5、『シロタさんが、なぜ、版画商協同組合の偉い人であるかを考えると、版画協会での、賞を出して、若い人を発掘する、三つの大きな画廊の一つだからだ。三つの大きな画廊とは、養精堂とギャルリーユマニテを含む。この三つのうち、養精堂が、一番、地価の高い場所で、経営をしていて、しかも、池田万寿夫をお抱え作家として、擁していた。そして、一般の人にとっては、版画を、買いやすいシステムを持っている。一階が、版画売り場であって、手に取って、版画の実物を見て、選ぶことができる様になっている。こういう画廊は、神田神保町に、古い版画を扱う画廊があるけれど、現代の作家を扱う画廊で、これほどに、買いやすいのは、養精堂だけだと思う。したがって、大画廊と言えるのだ。だけど、創設者が、亡くなっていて、二代目だと思う。で、年齢的には、シロタさんとか十束さん(ギャルリーユマニテのオーナー)の方が、上になっているだろう。

 また、池田万寿夫に次いで、マスコミに、乗って有名人となっている山本容子を擁しているガレリアグラフィカも、当然版画商組合に入っていると、見られるので、ここのオーナー栗田玲子さんが、「このニュースをマスコミに流しましょう」と、提案をしたのかもしれない。

 いずれにせよ、これが、私狙いであることは確かなのだ。このニュースは、誰も、本名をさらしていないからこそ、対、私弾圧用ニュースであると断言できる。目的は、大原光孝について書くなと、言うこと。このニュースの裏に、シロタさんがいて、そのお抱え版画家のひとりとして、李禹煥(リ・ウファン)がいて、柄沢斉がいる。鎌倉エージェントの面々にとって、大原光孝さんの動きを詳細に書かれることは、本当に困ることなのだ。というのも、彼らは、ばれないと思って、彼に相当にあくどいことをさせている。彼は、誰からもらったのかは知らないが我が家の合いかぎを持っているし、

 三越本店で開かれた、(第X回目の)春季院展に・・・・・べニア板にアクリルを使って描いた、乱暴な日本画・・・・を、中島千波さんと酒井忠康氏等の援助によって入選させている。画題が、そっくりそのまま、後輩の画題を盗んでいる。目的は美術評論家として、好評を博していた、私をつぶすためだ。他人の画題の剽窃という、プロの画家としては、あるまじき恥ずかしい行為を行いながら、酒井忠康氏などという大物と会食を一緒にするなどと、言うパフォーマンスに、舞い上がって、有頂天になっていて、すれ違いざまに捨て台詞を吐くなどという行為とともに、それ以外にも恐ろしいことを数々、おやりになってくださっている。それは、むろんのこと書きますよ。だって、植木鉢の怪などという現象は、人間としては、行いえない行為です。それを実行するのですから、こりゃあ、文章書きとしては、面白すぎる素材です。しかも、18年ぐらい前から、始まっていて、ちゃんと、最初は、警告というかたしなめていますよ。しかし、全く持って、わからん人です。だから、彼については、引き続き書きます。

 ところで、私は、このブログのいたるところで、『私は小細工が嫌いです」とか、「すべての物事は、わかっていますよ。今は、壮大なミステリーを説いているところです」と、一般論を、話しているし、

 大原光孝さん個人に対しては、「あなたが、ちゃらちゃら動くと、シロタさんにやがて迷惑をかけますよ」と、常に言っているのです。しかし、やります。奥さんの、恵美子さんが「川崎さんて、あなたの手におえる人ではないから、付き合ってはダメよ」というのは、その種のあくどいことをやるなと、言う意味だと、思うのですが、彼は、自分の方が上だと、思い込んでいるので、次から次へと、小細工を弄してきます。

 で、今般、このニュースを聞いて、シロタ画廊さんを、叱る方向で、文章を書くことといたしました。『シロタさん、あなたは、エスタンプを作っていませんね。お仲間たちも、作っていません。銀座とか、京橋で、画廊を開いている人はレベルが高いので、模倣作品であるエスタンプには手を染めていません。

 しかし、今般のニュースは、エスタンプをさらに、上回る、大衆だまし業者がいると、言うニュースです。しかも、デパートさんが軒並み、謝罪をして、「返却に、応じます。お金は賠償します」といっています。

 しかし、そういう流れって、エスタンプを売る人々の助けになりますか? 大衆をだまして、高額のお金をとる。そういうエスタンプの仕組みに、大衆を、覚醒させてしまい、結局は売れないという方向に流れるのではないですか? 

 下に出てくる尾崎さんが、今は、エスタンプを作っていないらしいのは、大型プレスが、すでに、現在の工房にはないから、私が、そう判断をしたのです。オリジナル版画を作る、作家(芸術家)向けのプレスしか置いていないからです。それは、高度な気概に目覚めたというよりもエスタンプが作っても、予想通りには、売れなかったから、   一時期、経営が不振に陥ったうえで、見切りをつけて、撤退したと、考える方向もあるのです。

 むろん、売れなくてもいいのですよね。エスタンプってあくまでも、大衆をだましていく、まがい物です。50万円以上のお金をとるのは、本当におかしいことです。しかし、それで飯を食っていた人が、大勢いたと、思います。そういう人たちの恨みを買いませんか?

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副題6、『ところで、今、ちょっとというつもりで、開いてみた尾崎正志氏のネット情報を見て、23年ぶりに接した彼の顔が、立派なものに変化していることを知り、ちょっと、見直した。

 実は、1998年には、小さないじめを色々受けた。

 まあ、今、彼が開示している経歴を、読んだが、その経歴や、生活歴が、私のそれとは、全く違うので、いじめられたという側面もあり、一方で、すでに、CIAエージェントがまとわりついていたのを、今では、知っているので、尾崎さんの後ろに、そういう筋からの讒言が入っていたのかもしれないと思う。

 ただ、ほかの人にもそれは、共通するのだが、彼からの嫉妬を、私の方が浴びていた可能性もある。私は、あっという間に、技法やそのほか、いろいろ、習得するのだが、それを見て、15歳の時から、この職業に入り、ひたすらにたたき上げ的努力を繰り返してきた彼が、悔しい、とか、憎たらしいと思う側面もあったであろうし。

 ただ、彼には通じないとは思うが、私は、ニューヨーク一古い版画工房を、経営していたロバートブラックバーン氏から、高く評価されているのですよ。日本人の友人(女性版画家)を通じて、2003年か、2004年、「ぜひニューヨークに来てほしい」といわれています。それはね。彼が、死ぬ直前、彼の工房の、一部屋に貯蔵してあった、相当数の、版画コレクションの、一部を私に託したかったのだと、推定しています。

 私が、自宅を画廊喫茶にしたいと、言うのは単純なる日銭稼ぎが、目的ではないのです。ニューヨークの版画家の作品は、結局廃棄されたと思いますが、別の人の作品を支援する、ための個人美術館に発展をさせたいと思うのです理想は高いのです。が、最初は、画廊喫茶ぐらいから始めるのがよかろうと、思っているのです。しかし、台所とトイレを、家族用とは、別に作れとか、台所には三つに分かれた流しが必要だとかが、あって、改装費、および初期運営費(今79歳なので、週の半分は、他人を雇って、お給料を、出さないといけないと、思います)で、一千万円がかかると、思って、今は、それに回すほどの余分なお金がないので、ただ、ただ、我慢をしているところです。

 私の【黄色いサクランボ】という書物は、この間、アマゾンで、11200円という値段がついていましたが、それらの登場人物を含む、ニューヨークでの、ニューヨーク一古い版画工房でのお話です。

 それから、尾崎さん、私はね。ニューヨーク滞在中は、とても元気なので、あらゆるチャンスを利用して、自分の版画を批判をしてもらいに行きました。自分が学んでいた、プラットインスティテュートでは、版画と油絵の小品を、見せるだけで、大学院入学許可です。で版画の講座は、一学期、26万円(日本円相当です。2000ドルだったか?)・・・・・・それだけの授業料を支払っていないのに、ソーホーのビルの六階に住んでいるレディクリシュナ氏の最終講義に参加してしまったのですよ。というのは、私が、籍を置いているのは、クリシュナ氏が、美術学部長をしていたニューヨーク大学ではないわけですから、今思えばなんと勇敢なことか?となりますが、絶対に、自分の才能を信じている私には、わけもないことでした。というわけで、私は、海外にいるときは、時間に期限があると、思うので、ひたすらに、積極的になるのです。で、授業料を払っていないから、疎外をされているなんて、気が付きもしないし、信じもしないのです。だってとてつもないレベルで、性善説の人だから。

 で、格の高い指導者(もしくは学者、特にニューヨーク大学の美術学部長)なら、批判を乞う人間の、作品を批判をしてくれると、言うことを、一豪も、疑わないわけです。 それでも、クリシュナ氏は、予定されていた、講義時間の間中は、私を、無視し続けました。で、時間が終わってから、学生たちが、帰った時を狙って、私は、氏の住居の工房部分の作業机の上に、自分の作品をさっと広げたのです。すると氏は顔色を変えて、お嬢さん(インド・アメリカ混血・・・・・奥様が白人なので)に、「学生たちを呼び戻しなさい」と、おっしゃったのです。学生たちと秘書(日本でいう助手)はすでに、一階まで、降りていたそうですが、エレベーターのないビルを、6階まで、戻ってきてくれて、私の版画を中心に技法や、芸術的表現について、後、20分ぐらい時間をかけて、クリシュナ氏は解説をなさったのでした。

 まあ、こういうことを今言うのは尾崎さんが、私をいじめた陰に、一種の嫉妬があったと思うのです。それは、プラットインスティテュートの女性教授もそうでした。私と密に接する人は、いずれ、そういう状態になるのです。しかし、そういう状態を、二年も続けると、相手にとって、私が大切な、同僚と、なっていき協力関係が成立するのですが、雇用関係のない場合は、そこまで、到達できないうちに、どちらかが、我慢ができなくなって分かれると、言うこととなります。

 ところで、尾崎正志氏の、全貌を知るのは、横浜市が、平成21年に、氏を、マイスターに選定しています。そのリンク先が、版画の、全体像を示していますので、ここに置いておきましょう。URLだけですが。

https://www.city.yokohama.lg.jp/business/kigyoshien/ginou/mystar/042ozaki.html

 まあ、CIAエージェントが裏にいるので、こういうエピソードはすべて、消し去る様に、レディクリシュナ氏にも、通達が入っていることでしょう。2002年に、もう一回、ニューヨークへ行くことがあって、プラットインスティテュートを訪問したら、ロバートCモルガン教授の態度が、激変していたので、それは、推察できます。

 しかし、ここで、重要なことを発見しました。プリントハウスOMは、尾崎正志版画工房と名前を変えて、住所を新横浜から、綱島の、東へ、移転をさせています。それは、ちょっとの間。経済的に苦しかったことを示唆します。地価の高い、新横浜の立派なビルを売って、鶴見区駒岡に、ソーホーとか、ウエストチェルシー風(元、工場風)の建物で、版画工房を開いています。その建物は、元本当に工場だったものを、彼が買い取ったのか? それとも、彼が、新築したのかは、わかりませんが。でね、新しい工房の写真を見ると、どうも、もう、エスタンプはやっていないと、見えます。昔、エスタンプを作っていたのではないかと、思われる、スタッフしか入れない秘密の場所は、無いみたいで、二階部分は、広い画廊スペースになっています。もし、貸画廊として、その場所を、運営をするのだったら、経営は、それなりに安定をするから、エスタンプに手を出さないでもいいと、思います。

 いじめられた記憶があるから、厳しい言い方になってしまったけれど、彼の成長を見て、喜ばしく思います。厳しい顔に変化していますが、その方がいいですよ。以前は、どこか、怪しげなところというか、浮ついているところがあったけれど、・・・・・

 

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平山郁夫などの偽物の版画流通か 奈良の工房が制作関与認める

2021年2月8日 21時20分

戦後を代表する日本画家、平山郁夫などの作品をもとにした偽物の版画が、数年前から百貨店などで流通していたとみられることが関係者への取材で分かりました。画商でつくる組合の調査に対し、大阪の画商が販売したことを認めているということで、警視庁は著作権法違反の疑いで捜査しています。

偽物の版画が流通していたのは、日本画家の平山郁夫や東山魁夷、それに片岡球子の作品です。

版画を扱う画商でつくる「日本現代版画商協同組合」などによりますと、原画をもとに職人が制作する版画は通常、画家本人や遺族の許可を得たうえで数を制限して販売していますが、去年の春ごろ、特定の版画が百貨店などで多く流通していることに組合員が気付いて調査したところ、色合いなどがわずかに異なる偽物が含まれていたことが分かったということです。

さらに、流通ルートを調べた結果、大阪市で画廊を営む50代の画商が関わっていることが分かり、組合の調査に対し、数年前から販売していたことを認めたということです。

偽物の版画は、確認できただけで10作品あるということで、組合は去年12月、この画商を除名処分にしました。

また、捜査関係者によりますと、偽物の版画は奈良県にある工房で制作していた疑いがあるということです。

警視庁は去年12月に著作権法違反の疑いで関係先を捜索し、複数の版画を押収したということで、今後、鑑定を進めるとともに流通ルートなどを調べることにしています。

奈良県の工房経営者 8年前から偽物制作していたことを認める

偽物の版画が流通していることについて、奈良県にある工房の経営者がNHKの取材に応じ、大阪市の50代の画商から依頼されておよそ8年前から偽物を制作していたことを認めました。一方、「何に使うかは一切関知していなかった」と話しています。

奈良県大和郡山市にある工房の経営者は、これまで40年以上にわたって版画の修復に携わってきたということですが、さまざまな画廊とのつきあいの中で、およそ8年前に大阪市の50代の画商から制作について依頼を受けたとしています。

その後、依頼されたとおりに平山郁夫や東山魁夷などの作品をもとにした版画を制作し、納品していたということです。

一方、偽物の版画が百貨店などで流通していたことについては「結果的に加担したことは悪いと思っているが、何に使うかは一切関知しておらず、このような形で流通するとは知らなかった」と話しています。

「そごう・西武」販売の71点に偽物の疑い 調査進める

大手デパートの「そごう・西武」は、これまでに販売した版画の71点に偽物の疑いがあるとして、顧客から作品を預かって調査を進めていることを明らかにしました。

「そごう・西武」によりますと、偽物の疑いがあることが分かったのは、2009年から去年までの間に販売した3人の日本画家の作品をもとにした71点の版画で、販売額は合わせて5500万円分に上るということです。

関係者によりますと、この3人の日本画家は、平山郁夫と東山魁夷、それに片岡球子だということです。

そごう・西武は去年12月に画商の組合から連絡を受けて調査を進めていて、今後、顧客から作品を預かって第三者による鑑定委員会に調査を依頼し、偽物と判明した場合は作品を引き取って顧客に返金するとしています。

そごう・西武は「このような事態を招き、多大なご迷惑とご心配をおかけしましたことを、深くおわび申し上げます。抜本的な再発防止策を講じます」とコメントしています。

デパート業界では、このほか大丸や松坂屋を運営する「J.フロント リテイリング」や、「高島屋」も同じように偽物の疑いがある作品を過去に複数、販売していたことが確認されたということで、調査や返金の対応を進めているということです。

版画とは

画家の作品として流通している版画には、画家が描いた原画を基に職人が制作する複製版画と、画家が版画用に下絵を描くオリジナル作品の2種類があります。

画家自身や許可を得た画商などが版元に制作を依頼し、偽物の流通を防ぐため、画家本人や遺族などのサインや印、それに通し番号を付けて枚数を制限して販売されるのが一般的です。

関係者によりますと、偽物の版画を見分けるには、本物として流通している版画と比較して、絵の色合いやサインの形などが同じかどうかを確認します。

弟の平山助成さん「作品の価値が下がることにつながる」

 

平山郁夫の多くの作品を所蔵する広島県尾道市の美術館の関係者からは非難する声が聞かれました。

平山郁夫が生まれた尾道市瀬戸田町にある平山郁夫美術館には、原画や版画などおよそ70点の作品が所蔵されています。

美術館によりますと、今回見つかった偽物の原画や版画は所蔵していないということですが、偽物を流通させるのは作品の価値をおとしめる行為だとして非難しています。

平山郁夫の弟で、美術館の館長の平山助成さんは「今回見つかった盗作は、ラクダとブルーモスクという非常に人気が高いモチーフが描かれたものだと聞いている。本来、流通する版画は本人が確認して許可したものだが、偽物が出回ると、作品の価値が下がることにつながるので非常に迷惑でやめてほしい」と話していました。

調査委員会が鑑定 呼びかけ

この問題を受けて、版画に関わる美術商や組合などは臨時の調査委員会を立ち上げ、対象となっている作品の所有者に対して鑑定を受けるよう呼びかけています。

版画に関わる美術商や組合などは、美術品の公正な取り引きを確保して美術愛好家の安心を取り戻そうと、「臨時偽作版画調査委員会」を立ち上げ、調査を行ってきました。

それによりますと、これまでのところ平山郁夫が2点、東山魁夷が3点、片岡球子が5点の合わせて10作品について、偽物の版画を特定したということです。

いずれも非常に精巧に作られ、技術の高い版画職人によるものと考えられるということで、調査委員会は作品の所有者に対し、購入した美術商などを通じて鑑定を依頼してほしいと呼びかけています。

また、別の作品の偽物が新たに確認された場合、鑑定の対象にするよう努めたいとしています。

鑑定については、版画を専門とする機関が国内にないことから、絵画や工芸品を鑑定している「東美鑑定評価機構」が臨時に依頼を受けるということです。

調査委員会の代表に就任する予定の青木康彦さんは、「これまで築き上げてきた版画への信頼を大きく傷つける問題だ。真がんをはっきりさせないと版画の商品が取り扱えない事態になってしまうので、できる限りの協力をしていきたい」と話しています。

偽物版画 特定の10作品とは

「臨時偽作版画調査委員会」が偽物の版画を特定したのは、以下の10作品です。

【平山郁夫】
 ・月光ブルーモスク イスタンブール 
 ・流沙朝陽

【東山魁夷】
 ・秋映
 ・草青む
 ・風吹く浜

【片岡球子】
 ・富士
 ・河口湖の赤富士
 ・うららかな富士
 ・「冬」
   版画集「富士四題」より
 ・桜咲く富士

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