民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「玻璃の中の仙人」 南 伸坊

2014年08月26日 00時40分18秒 | 雑学知識
 「仙人の壷」 南 伸坊 著  新潮社  1999年

 「玻璃の中の仙人」 P-93  玻璃(はり)=水晶

 前略

 私はコドモの頃から仙人の話が好きで、
「いずれは研究して仙人になってやれ」とも思っていたけれども、大人になってばかに厚くて立派な「仙人の本」を読んでみると、なんだか長生きするのにキューキューとして、老けないように、チビチビ生きてるような、しみったれた話ばかりですっかり幻滅してしまいました。
 コドモがよろこんだのは、自由に空を飛んでみたり、壁を抜けたり、その姿が見えなくなったり、虎や美女に変身したりと、おもしろおかしいことをするからだったので、そんなに地味に「ただ長生き」したところでつまらない。
 まあしかし、仙人というのは、普段はひどく地味で、というよりまるで乞食のような汚ないナリをしている場合が多いんですが、そのまま正体をあらわさなければ、ホントにただの乞食同然ですから、そうそう謙遜なばかりじゃ面白くない。
 時折に自己顕示欲をあらわしたり、凡庸な俗人どもを、ビックリさせてくれないことには仙人譚になりません。
 日本人の仙人は、飛行中に洗濯中の若い婦人の大腿部に気をとられ、落下事故を起こしてしまった久米仙人ばかりが有名で、メザマシイ活躍をするのがいなくて、ナサケナイような気がしていたけれども、大人になってみると、このイロッポイようなフガイナイような、ダラシナイような仙人というのも、なかなかいい味でてると思えてきます。
 この空中飛行にかぎらず、仙人が普通人がしばられている時間や空間の制約から自由である、というところが不思議であり、魅力でもあるようです。
 不老不死のイメージの魅力も、コドモにとっては「時間からの自由」に力点があったのじゃないでしょうか。
 空を飛んでみたい、と思った人間は、飛行機やヘリコプターを発明した。発明して空を飛べるようになったのに、まだなんだか満足していないらしい。
 表現したかったのは、空を飛ぶというそのこと自体じゃなかったのかもしれない。

 中略

 これはおそらく「思ったとおりに実現したい」というワガママなココロでしょう。
 世の中は、なかなか思ったとおりにはいかないものだ、というのは、ちょっと人間をしていればわかってきます。
 世の中は、自分の思い通りにはいかない。とわかることを「大人になる」と言うけれども、コドモにだってそれはわかる。
 「大人になる」というのは、ほんとうは、「思い通りにしたい」と思うことから自由になることなのだろうと思うけれども、そうなると、世の中にいる人のほとんど全部は、大人じゃないことになる。
 仙人は、おそらくそうしたコドモたちが、思いえがく理想の状態です。

 思い通りに、好きなだけお菓子を食べて、
 思い通りに、好きなだけ寝ていて、
 思い通りに、好きなだけSEXできて、
 思い通りに、好きなだけ他人を支配できる。

 しかしそれは、それらすべてを断念したときに、どうも実現できるらしいのでした。