黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

各「法曹養成課程」の存在意義(1)・旧司法試験とその受験勉強

2006-04-12 13:03:25 | 司法一般
 法科大学院は,2004年から第1期生が入学し制度がスタートしていますが,早くも第1期生が卒業する前から様々な問題や批判が起こり,現在議論の状況は混沌としています。
 その原因の1つは,法科大学院制度を設置するにあたり,あるべきカリキュラムの内容を具体的に詰めることなく,先に制度という箱だけ作ってしまったことであり,その結果具体的な教育内容について法科大学院間にかなりばらつきが生じているように見受けられます。
 このブログのコメント欄に寄せられるご意見を読んでいるだけでも,東大ローのように,企業法務のエリートを養成しようとしてやたら高度な教育を行い,本当に必要な基礎知識が身に付いているのか疑問を感じるようなところもありますし,旧試験時代から批判の多かった司法研修所の要件事実教育を(おそらく何の疑問もなく)取り入れているようなところもあるようですし,大学の法学部と大して変わらないような教育をしているところもあるようです。
 その結果,法科大学院の卒業生の評価についても,卒業者全員に法曹資格を付与するのが相応しいとする意見もあれば,司法試験の択一免除すら相当でないとする意見もあるという始末で,黒猫もこのブログでの議論をどう進めていったらよいか頭を抱えています。
 おそらく,実際の新司法試験合格者の実力を,司法修習で多くの法曹関係者が目の当たりにしたあたりで,ようやく評価も固まって次の議論に進める状態になると思いますが。

 この記事では,後日書こうと思っている法科大学院教育の在り方を論ずる前提として,旧試験下の各「法曹養成課程」にどのような存在意義があったかを考えてみたいと思います。最初は,全部書き上げた時点で公表しようと思っていましたが,かなり長い記事であり,しかも書き上げるにはあまりにも時間がかかりそうなので,とりあえず書けたところから順次公表していくことにしました。

1 旧司法試験及びその受験勉強
 旧司法試験は,正確には第一次試験と第二次試験がありますが,実際の受験者の大半は大学の単位取得等により第一次試験の免除を受けていますので,以下単に「旧司法試験」とするときは,旧司法試験の第二次試験を指すものとします。
 旧司法試験は,択一・論文・口述の三段階で構成されており,択一は憲法・民法及び刑法の3科目,論文はこれに商法・民事訴訟法及び刑事訴訟法を加えた6科目から出題されます。口述試験は憲法・民事法・刑事法の3科目です(民事・刑事について,実体法と手続法が統合されています)。
 もっとも,試験科目については歴史的経緯があり,論文試験について平成11年までは民事訴訟法・刑事訴訟法のうちいずれか一方を選択すればよく,その代わり法律選択科目(行政法・破産法・労働法・国際公法・国際私法・刑事政策の中から1科目。ただし,これに代えて民事訴訟法と刑事訴訟法の両方を選択することも可能)を受験する必要がありました。平成12年から法律選択科目が廃止され両訴必修となるとともに,口述試験の商法が廃止され,前述の憲法・民事系・刑事系の3科目に再編成されました(それ以前は,口述試験の科目は論文試験と同様でした)。
 また,平成3年までは,別に教養選択科目というものがあり,政治学・経済原論・財政学・会計学・心理学・経済政策・社会政策といった科目から1科目を選択する必要があったそうなのですが,なにぶん黒猫がまだ子供だった時代のことなので,詳しいことは分かりません。年輩の弁護士さんと司法試験の話をすると,時々この教養選択科目の話が出てきます。
 
 旧司法試験の受験勉強については,口述試験の合格率は概ね9割以上で,しかも口述試験に一度落ちても翌年に口述試験から再受験することが可能であったため,択一試験対策と論文試験対策が勉強の中心となっていました。
 基本的には,論文試験が司法試験一番の山場であると考えられていたと思いますが,択一試験は短時間で長文の問題文を読み的確に正解を選ぶ必要があり,相当の事務処理能力が必要であるため,年輩・ベテランの受験生の中にはむしろ択一試験が山場になってしまう人もいたようです。
 昭和の頃の受験生がどのような勉強をしていたかはよく知りませんが,黒猫が受験した時代には既に予備校通いが基本であり,大学の授業は司法試験対策にはあまり(論者によっては「全く」)役に立たないというのが既に定説化していました。
 司法試験の受験予備校は,LEC(東京リーガルマインド)・早稲田セミナー・辰巳が三大大手と呼ばれており,黒猫の時代には伊藤塾が台頭しつつあるという状況でした。
(注:黒猫は平成11年の合格者で,受験は平成10年と11年の2回です。平成10年は論文で落ちています。)

 カリキュラムや講座の内容はそれぞれ微妙に違うと思いますが,基本的な流れは1年目の「基礎講座」で基本的な知識の講義を受け,2年目からは論文試験の答案練習(答練)でアウトプットの訓練をするのが中心になるというものであり,こうした流れ自体はどこの予備校に行ってもおそらく変わらないと思います。
(注:黒猫は早稲田セミナーの出身者です。)
 基礎講座は,大学と異なり市場競争により「教える実力」のある講師が選別されてはいましたが,それでも頭の良い人には途中で受講を辞めて自習し,それでも短期間で合格したという人もいますので,絶対的な意義があったというほどのものではないと思います。
 ただ,黒猫は一応律儀に受講しており,その結果以前はよく理解できなかった大学の講義にも付いていけるようになったので,多くの受験生にとっては意義のあるものであり,そのノウハウは今後の法曹養成課程にも活かされるべきものであると考えています。
 論文試験の答練は,1科目あたり2時間という短時間で実際に答案を書き上げる訓練をするものです。この答練によるアウトプットの訓練は,まさに実際に法曹になってから使う能力を鍛え上げるものであり,旧試験合格者(特に平成に入ってからの合格者)の中でその必要性を否定できる人はほとんどいないと思います。
 黒猫の場合,ベテラン受験生の話に出てくるような条文の丸暗記とか,基本書を初めから終わりまで精読するといった勉強はやりませんでしたが,答練を受けてよく分からなかった点や疑問に思った点は納得できるまでレジュメや基本書を読み込むといった形で,実力を付けていった記憶があります。
 なお,この時期の黒猫は,大学の講義にも出席し,必要単位数を遙かに超えて実定法科目の単位をほとんど取り尽くしたり,行政法はともかく財政法・租税法・独禁法といった司法試験科目とは全く無関係な科目のゼミに出席したりもしていましたが,それはそれで,法律的な教養を身につけるという意義はあったのではないかと思っています。
 
 ここまでの話で黒猫が最も言いたいことは,実際の法曹の仕事は,法律的な判断を素早く的確に行い,さらにそれを的確に文章に表現することが求められるものであり,旧試験の論文試験にはその能力を測るという重要な意義があったということです。
 黒猫は実質2年半の受験勉強で合格できましたが,もちろん必要な能力が身に付くまでは何回受験しても合格できない難関試験であり,実際には合格まで5~6年もかけ,受験予備校も何校か渡り歩くような受験生も珍しくありませんでした。最近は合格者数が増えたせいか,約1年4カ月の勉強で合格した受験生もいるそうですが。
 このブログで,新司法試験の方が試験科目が多く法科大学院で執行・保全などの勉強もしているから実力は上のはずだというようなコメントを書いてきた人がいますが,問題は範囲の広さではなく中身の深さです。
 すべての法科大学院で上記のプロセスに代わりうるような充実した教育が行われているならよいですが,もしそうでない場合,法科大学院卒業者に与えられる新司法試験の受験準備期間はせいぜい数ヶ月であり,しかも新司法試験の合格率も高いとなると能力測定の機能も十分に果たし得ず,その結果従来の概念では到底法曹とは呼びがたいような,「法律をちょっとかじった」程度の浅い知識レベルでしかない司法試験合格者が多数実現し,実力の不十分は人は言うに及ばず,旧試験でも合格できたような十分な実力を持った人まで,新試験合格者ということであらぬ「汚名」をかぶることになり,法曹界の市場において正当に評価されない事態が生じるのではないかと危惧しています。

(今回は以上です。次回は,司法修習の要件事実教育について触れようと思います。)
 

5 コメント

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Unknown (通りすがり)
2006-04-13 02:52:50
興味深く読んでますが、

東大ろーが企業法務のエリートを育てようとしてる、

ってのはちょっとよくわかりません。



ヨンダイの先生方がいるってだけでは?





あげあしとりですが
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Unknown (nov)
2006-04-16 18:47:28
初めまして。法律分野に興味のある会社員です。

ロー・スクールで教鞭をとっている弁護士さんが、ロー・スクールについて書かれた本の冒頭で、旧司法試験についてこう書かれていました。

「法学部に入学しても、講義そっちのけで、予備校に通い、非人間的な生活になるほど数年間勉強し、それでも運が良くなければ合格できない」

黒猫さんの受験時代もそんな感じだったんでしょうか。

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黒猫先生ではありませんが (ねどべど)
2006-04-17 00:15:37
>>「法学部に入学しても、講義そっちのけで、予備校に通い、非人間的な生活になるほど数年間勉強し、それでも運が良くなければ合格できない」



勝手な想像ですが,このあとには「だから旧試験はよくない。ロー&新試験万歳!」みたいな文章が続くのでは?

だとしたら,このような先にロー礼賛という結論ありきの部分だけを切り取ってそれを独立に議論してもあまり意味がない気がするのですが。



それに「非人間的な生活」って何でしょうね?わたくしが受験生だったころは,とにかく「社会人はもっと大変な思いをして働いているのだから,自分ももっと頑張らなくては!」と自分を叱咤していました。少なくとも,自分がこの世で一番大変だとか不幸だとかなんて間違っても思いませんでしたが。
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Unknown (nov)
2006-04-17 01:55:52
お返事ありがとうございます。

なにぶん、本屋で少し冒頭を読んだだけなので、引用はかなりあやふやです。



私のような門外漢にとっては、司法試験ときくと、とてつもなく苛酷な勉強をしてようやく合格できるというイメージがあるもので(新、旧関係なく)、実際受験して合格した方の勉強時代はどんなものだったか興味があり質問させていただきました。
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Unknown (黒猫)
2006-04-17 12:12:57
 novさんのご質問については,別記事にて回答させて頂きます。
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