ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

12月31日、カレンダーの話2つ

2023-12-31 20:08:57 | 生き方

毎年恒例の、小さい写真がいっぱい入った半年分のカレンダー作りを今年も行った。

前年の(つまり今年の)出かけたこととか、思い出に残ることなどの写真や家や出かけた先で撮った花写真を入れることにしている。

写真を選びながら、1年の(今は1月~6月の)できごとを振り返る。

1月 ・30余年前の教え子たちの同級会があった。40代の彼らは、職場や家庭での働きの中心であった。

   ・10年以上前の、娘の愛車シボレーとの別れ。次の車は、中古車ながら可愛いキャンバス。

2月 ・娘が10年ぶりに社会復帰。週に4回ほど、短時間ではあったが、働くことができた。

   ・12月に大雪で幹から折れてしまったロウバイだったが、バケツに水を入れて立てておいたら、見事に花がたくさん咲いた(だが、葉が出てくることはなく、さすがに枯れてしまった)。

3月 ・アルビの2023シーズン開幕戦、札幌相手に2-2のドローだった

・WBC、大谷の活躍もあり、日本チームが世界一になった。

   ・4年ぶりに新潟ハーフマラソン開催。青学大岸本・横田、城西大山本ら、箱根駅伝で活躍した選手がゲストランナーだったので、参加した(われながら、ミーハーである)。

4月 ・3月から桜が咲く異常事態。燕さくらマラソンに出た頃に、桜は完全に葉桜。

          ・桜だけでなく、たくさんの山野草も咲く季節。花々を満喫。

5月 ・3か月働いた娘の試用期間満了。

   ・50代となった新採用時代の教え子の方々と40年ぶりに再会し、彼らの人間性豊かな成長に感銘を受けた。

6月 ・4年ぶりに関川マラソン開催。息子とともに参加するも、暑さにやられたのかレース後は目がチカチカ。

   ・新発田に移築した大倉喜八郎の蔵春閣内部を見て回った。

   ・あやめ、バラ、タマサボテンなど、4月に比べ大きい花々が咲いて見応えがあった。

   ・アルビ伊藤涼太郎がベルギー・シントトロイデンに旅立った。

 

7月以降の分は、後期のカレンダーをまた来年6月に作るからそのときに…。

 

おおかたこのカレンダー製作が終了した頃、わが家の玄関に来客があった。

その方は、私が30歳前後の「育」業の現職真っ最中だったときにかかわった、かつての教え子Eさん。

「アルビが大好きだということで、職場からこれを持ってきました」

と言って私に2種類のカレンダーを手渡してくれた。

 

そのうち1つを広げてみると、4選手が写っている。

髭のない舞行龍、なかなかりりしい。泰基はいなくなっちゃうのが残念だなあ。新井も高木も、似合っていてかっこいい。

サッカーのユニフォームじゃないけど、この制服は、ひょっとして…。

カレンダーの下部に目をやると…。

やっぱり!!

 

…というような、1年の終わりにふさわしい(?)カレンダー落ちの話で、2023年終わりであります。

本年、このブログを見ていただいた方々、ありがとうございました。

皆様、よいお年を!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年最大の出会いは

2023-12-30 21:25:14 | 「育」業

まもなくあと1日で、2023年が終わる。

退職してから、世間との接点が少なくなっている(?)私だが、それでも素晴らしい人間性に触れる機会があったことをうれしく思っている。

 

なかでも、今年最大の出会いは5月に再会したKO君のことだ。

KO君は、とても立派な料理人&経営者になっていた。

そのことは、5月にここに書いたとおりだ。

 

40年余り前の教え子たち3人と再会、今は同じ実年世代 - ON  MY  WAY

3月、「天上のT君がいたずらして、K君に会わせてくれたのだろうか!?」という記事を書いたことがあった。天上のT君がいたずらして、K君に会わせてくれたのだろうか!?-ON...

goo blog

 

 

後日談がある。

 

訪ねて数日後、KO君からメールが届いた。

そのメールのやりとりで、KO君の素晴らしい人間性に触れることができた。

最初に届いたメール一部には、次のように書かれていた。

正直、自分の思うようにはなりません。世の中、正義が必ずしも勝つという訳には行かない日本になってしまっています。人を信用出来ない世の中がつらい時もありました。しかし、自分は人を信じて生きて行きたいし、騙すより騙された方が良いです。

 

彼の、「自分は人を信じて生きて行きたいし、騙すより騙された方が良い」と言い切れるそのしっかりとした信念は、人として最も大切なものだろう。

自らの力で、いい人生を生きているなあと思った。

「育」業にかかわっていた私の信条は、「自分で考え判断し行動できる人を育てる」であったことを挙げ、時を経て、まさにそういう人になっているKO君の生き方に感銘を受けた。

そのことを書いて、返信メールを送った。

 

すると、さらに長文の再返信メールが彼から届いた。

「自分で考え判断し行動できる人を育てる」

この言葉は、衝撃を受けました。まさにこの言葉をアルバイトさんに教育しています。欲しいと思った物はほとんど手に入ってしまいます。しかし、有るのが当たり前ではないのです。誰かに助けられてる?して頂いているから?生きていけているのだと思ってます。

中国に1年半程仕事で行った時が有りましたが、中国の人たちは何事にも貪欲で「知りたい!学びたい!稼ぎたい!」それをものすごく感じました。

今の日本の若い人達は、用意されている事が当たり前になってしまっているように感じます。

成功するには、自分で考え判断し、行動し、修正し、結果が見えてから、どうするのか?

何よりも気付く事が一番大事な事だと思います。

 

自分は、前職で大変な労働環境で働いてました。年間20日以下くらいの休みしか取れず、退職する前の5年間ほどは、9時~深夜12時までのほぼ休憩なしで1月1日の正月のみの年間1日しか休みがない状態でした。

その25年間の間に経営者の車は良くなり、家は良くなり、外向けには業者さん優良会社に思われ、7店舗まで店舗は増えましたが、働く人達はまともな報酬は貰えずでした。優秀な人達は退職してしまい、残された人達が可哀想に思い退職まで踏み切れませんでした。会社のNo.2にも自然になりました。

しかし、売上も伸びなくなってきてから、悪いことは自分の責任にされ、自分達が企画成功させた事は、まるで自分がしたかのようにする経営者になり、コロナが流行し出した時に経営者の化けの皮が剥がれたのを目の辺りにし、絶望感を感じ退職に至りました。

正直、憎さ半分・感謝半分です。このような事を体験しなければ、今の自分はないと思いますし何事も行動した事には無駄はなかったのだと思います。行動しなければ結果は見えないです。

 

先生の教育信念は、知らないうちに先生の信念には劣るとは思いますが、しっかりと引き継がれているのかなぁ?って、思わされました。

この度は、良い再会ができて良かったですし、良い確認をさせて頂きました。

人に感謝し、一期一会、少しでも人の役に立つ、の精神で生きて行きたいと思っています。

また、いつか会える日を楽しみにしております。

本当に有り難うございました。

 

…「本当にありがとうございました」と言いたいのは、こちらの方であった。

小学校の大切な3年間を、かつて青二才であった私に教わったために、損をしたことは多々あったことだろう。

あの頃を思うと、本当に恥ずかしくなってしまう。

でも、そんな彼の少年時代にかかわれたことが、改めて誇らしくも思えた。

今では50代となり、すばらしい人間性を備えて生きているKO君。

今や私の方が、深く学ばせてもらうようになったのだと、感慨深かった。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年走り納め

2023-12-29 21:58:33 | RUN

570km余。

今年、私が練習及び大会で走った距離の総計。

レースに出る人としては、少ない距離だよなあ、なんて思ったりもする。

 

今年は、COVID-19感染症が5類に移行したこともあって、RUNの大会がほとんど復活した。

だけど、加齢で体力が落ちていたり、感染症禍で練習量が減ったり、走った後に体調不良に陥りやすくなったりしているので、以前のように記録向上を目指して本気になって走ることはなくなった。

その分、前以上に走れることがうれしいと感じるようになった。

 

今年出たレースは、

3月 新潟ハーフマラソン(ハーフ)

4月 笹川流れマラソン(ハーフ)

燕さくらマラソン(ハーフ)

6月 関川マラソン(ハーフ)

9月 たいない高原マラソン(8.9㎞)

10月 新潟シティマラソン(フル)

11月 ごせん紅葉マラソン(ハーフ)

フルマラソン1つ、ハーフマラソン5つ、8.9㎞1つに出場した。

もうこれだけで、42.195+21.0975×5+8.9=156.5825(km)

自分が年間に走った距離の30%近くは、レースだったというわけだ。

 

記録向上よりも、大会自体を楽しむファンラン中心にして以降、大会に出るのが楽しいが、完走後に余力がなくなっていることも味わった、という今年であった。

だから、走る回数も週2回だったのが、今は週1回くらいに減っている。

 

さて、突然の大雪に驚いた今回だったが、2日間降った後、雨が2日ほど降ったら、あっという間に雪がなくなった。

それならば、急に走りたくなって外に出た。

雪がなくなったと言っても、いつも走っているコースの一部はこんな状態だった。

だから、除雪してある歩道を選んで走って行った。

ところが、歩道除雪していない道は、このとおり、先に進めない。

仕方がないので別な道を走る。

道の両側の田んぼはまだ真っ白なところが多かった。

2日前、こんなふうにして雪のない道を10km走って今年の走り納めとした。

 

年が明けたら、まもなく67歳。

いつまでレースに出て走ることができるやら。

同年齢でよくレースで一緒に走った人から、走るのをやめたという話を、何人からか聞いている。

自分の場合は、走ること自体をまだ楽しめるから、走る距離や回数が減っても、まだまだ「なんちゃってランナー」として、走ることは続けていきたいなあ…と思っている。

よく大会で一緒になるSIさんは、高校時代まで運動は苦手だったはずだ。

なのに、フルマラソンを100回近く走っているし、新潟シティマラソンでも私より1時間以上早くゴールしていた。

彼が走っているうちくらいは、自分も走っていたいものだ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「緊急事態宣言の夜に ボクたちの新型コロナ戦記2020」(さだまさし著;幻冬舎)

2023-12-28 20:40:18 | 読む

「緊急事態宣言の夜に ボクたちの新型コロナ戦記2020」(さだまさし著;幻冬舎)

この本は2021年2月25日第1刷発行となっている。

COVID-19感染症による不安が世界中に広がり、まだどのように収拾するのか分からなかった頃の出版だ。

本書は大きく第1部と第2部に分かれている。

 

第1部 2020年のさだまさし

第2部 風に立つライオンとさだまさし

 

第2部は、さだが2015年に設立した「風に立つライオン基金」の活動をめぐる話が中心となる。

創設から2020年に至るまでに行った活動が書かれている。

第1部でも、その基金の活動ぶりについての話は多い。

なぜなら、さだは、今回の感染症禍で、その基金の活動を通じて少しでも役に立ちたいと立ち上がったのだったから。

本書は、その基金の設立者として、試行錯誤しながら取り組んだ1年間の活動が述べられている。

 

とりあえず、その活動について詳細な話はおいておくが、第1部には、感染症が広がった2020年の様子が詳しく述べられている。

 

2020年の9月1日、6か月半ぶりに開いたコンサートのことから、話は始まる。

採算の取れない50%制限の入場者。

観客の、入場時の検温、靴底の消毒、アルコールによる手指消毒、マスク着用の徹底、換気、2m以上のソーシャルディスタンスなど、様々な考えうる限りの配慮をして、コンサートは行われたのだった。

 

そこに至るまでの感染の脅威が始まる1月からの変遷が、書かれている。

最初の緊急事態宣言が発出された4月7日は、奇しくもさだの母の祥月命日であった。

そこでさだによって書かれたエッセイは、4ページほどしかなくさほど多いわけではないが、しっかりした内容があったと思う。

都市封鎖が行われない日本の法律は、日本が民主主義国家であり、自由な国である証で、誇りに思うべきだと述べている。

 

そして、このエッセイを読んだスタッフから、「あなたは歌手なのだから、このテーマは歌うべきでしょう」と言われ、翌日夜に書き始め、一気にその次の朝までに完成させたのが、「緊急事態宣言の夜に」という曲だった。

この曲がどんなものだったかは、歌詞はネットで調べればすぐに分かるだろうし、YOUTUBEで歌を聴くこともできるだろうから、確かめてもらえれば幸いだ。

 

そして、この頃、医療現場で物資が不足しているから、風に立つライオン基金で何かできないか、という相談があり、支援物資を送るなど、感染症禍での基金の活動が始まっていく。

ちょうど、前述の歌が発表されてから、取材が増えてきたこともあり、その活動は本格化していく。

 

その1年間に並行して起こったことが、そういえばいろいろとあったのだ、と改めて思う。

・7月の九州の豪雨被害

・8月の第102回夏の甲子園大会の中止

・マスクの買い占め

・自粛警察

・大学の授業停止

 

今となっては、3年前のこととなって遠く感じる。

けれども、われわれが経験してきたこの大変さを、簡単に忘れてはいけない。

まだ変異株は次々と登場し、感染者は多く存在する。

少しずつ乗り越えてきたことを考えながら、無防備に感染禍前と同じ振る舞いをすることは避けたいものだ。

 

それにしても、さだまさしの行動力にはほとほと感心する。

この感染禍にあっても、自分にできることを次々と探し、チャレンジしていっている。

ただの歌うたいではないなあ、との思いを新たにした。

歌い手であり、物書きであるだけでなく、ある種のリーダーなのだなあ、と今まで思ってもみなかったことを、本書から感じたよ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏切り者呼ばわりは違うんじゃないか!?人生は一度きりなのだから

2023-12-27 20:05:41 | アルビレックス新潟

噂はあったが、やはり、渡邊泰基選手は移籍か。

 

「松橋監督の指導でせっかくCBとして覚醒し、新潟で先発メンバーとして起用されるようになったら、もう出ていってしまうのか」

「新潟市出身で、アルビレックス新潟のユース上がりだということで、貴重な地元選手だったのに」

「地元出身ゆえに、アルビのレジェンド本間勲の15番を背負っていたのに」

「移籍先が横浜F・マリノスだということで、やはり高額な年俸がいいのか」

「残ってほしかった」

「来季もアルビで戦ってからの移籍でも遅くはない」

「せっかく花開かせてもらったら、簡単に行ってしまうとは恩義を感じていないのか」

「まさか泰基に裏切られるとは思わなかった」

…などなど、アルビサポから様々な批判の声が上がっている。

ひどいのになると、裏切り者呼ばわりになっている。

 

だけど、こうした声というのは、サポーター側からの一方的なものにしか過ぎない。

あまりに強い批判に、サポーターはその思いをぶつけるだけでいいのか、と思う。

 

渡邊泰基選手の側に立ってみたら、どうだろう。

彼は、クラブの公式ホームページで、次のように言っている。

 

■コメント

このたび、横浜F・マリノスに完全移籍することになりました。高卒で2018シーズンにアルビレックス新潟へ加入し、ツエーゲン金沢への期限付き移籍も含めて6年が経ちました。素晴らしいクラブ、監督、コーチ、チームメイト、アルビレックス新潟に関わるすべての方々のおかげで、今の自分がいます。

 

新潟市出身選手として、このたびの移籍にいろいろな意見があると思いますが、自分の決断を尊重し、快く送り出してくださったクラブには、本当に感謝しています。生まれ育ったこの街で、アルビレックス新潟の選手としてプレーできたことを誇りに思っています。

 

これからも1人のサッカープレーヤーとして満足することなく、上を目指し続けます!6年間、本当にありがとうございました。

 

本人も、

素晴らしいクラブ、監督、コーチ、チームメイト、アルビレックス新潟に関わるすべての方々のおかげで、今の自分がいます。

と、自分がここまで成長したのは、自分一人の力でないことは十分認識し、感謝の思いを示している。

さらに、

新潟市出身選手として、このたびの移籍にいろいろな意見があると思いますが

と、批判的な多くの声が出ることも、ちゃんとわかっている。

だから、自己中心的な判断だけで移籍を決めたのではないのだ。

そして、クラブはというと、

自分の決断を尊重し、快く送り出してくださったクラブ

と書いている。

だから、彼も、本当に感謝しているというわけだ。

クラブ自体が、彼の判断を尊重し、快く送り出しているのだから、第3者にうだくだ言われる筋合いはないだろう。

 

サッカー選手の選手寿命は、長くない。

24歳の彼だけど、あと何年プロとしてプレーできるだろうか?

そして、すばらしいパフォーマンスを見せるプレーを、いつまでできるだろうか?

プロの世界は、はたで見ているほど甘くはないだろう。

常に群雄割拠の世界だ。

他のチームから乞われる今が旬なのだ。

今を逃すと、来季は同様ないい話は来ないかもしれない。

ひょっとすると、大ケガをしてしまうかもしれない。

予想しなかったことが起こって、選手生活が終わりを迎えるかもしれない。

人生は一度きりだ。

後戻りはできない。

今回、オランダのチームと契約した三戸ちゃんは言っていた。

一度きりの人生だからと海外でプレーすることを決断いたしました

そう。人生は一度きりなのだ。

その一度きりの人生を、悩みながらも悔いなく進んでいこうとする若者の選択を、他者が自分の都合を中心にして文句を言うのは違うことだろう。

 

三戸ちゃんのように海外に出ていくのなら、言われる文句も少なかったかもしれない。

だが、チームを選択するのに海外も日本もない。

 

だから、渡邉泰基選手には言いたい。

 

今までアルビレックス新潟のためにがんばってくれて、本当にありがとう。

だけど、来季は敵チームになるから、今までのように応援はしないからね。

今回の選択・判断が、人生で誤りだったと思わないようにがんばれよ。

 

…と。

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日(12月26日)のブログを5年前まで振り返る

2023-12-26 21:56:15 | 生き方

早いもので、今日が終われば、今年もあと残り5日しかない。

日々大きな変化がないせいか、毎日があっという間に過ぎていく。

1年前の今頃は、何をしていたのだろう。

2年前、3年前…は?

そんなことを、時に思う。

 

高齢者の仲間入りをして間もなく2年になる。

定年退職をしてからは、6年9か月だよ、早いものだ。

定年退職を機に、自分に課したのは、手帳に毎日自分がしたことを書き留めることに加え、ブログを毎日更新することだった。

この6年9か月間に更新を怠ったのは、たぶん3日間しかない。

だから、前述で問題にした、1年前に何をしていたのかは、手帳に書いてある。

まあ、中身が何時に起きたとか、何をしたなんてことは、読んでいても面白くない。

 

それよりも、1年前ブログにどんなことを書いていたのか、改めて読んでみる方が面白い。

ちょっと振り返って見ようか。

【去年の今日】

 

4回目のワクチン接種に行ってきた - ON  MY  WAY

COVID-19感染症の感染者数、新潟県では、今日は1,121人の発表があった。先々週は最も多いときには4,000人近くを記録したが、先週は3,000人前後を推移した。なかなか減らない...

goo blog

 

4回目のワクチン接種だって。

そうなのだ、1年前はまだ感染症禍の中にあったのだ。

4回目の接種をして以降、1年後の今、5回目はしていない。

だが、5類に移行してからも、油断はしていないつもり。

場に応じたマスク着用、帰宅後等のひんぱんなうがい・手洗いは欠かしていない。

 

【2年前の今日】

 

年賀状を書き始めて… - ON  MY  WAY

年賀状を書くシーズン。いつもながら、クリスマスを過ぎないと新年を迎える気分になれない私。郵便局から、早めに投函を、と呼び掛けられるが、生来の怠けもの根性は、尻に...

goo blog

 

年賀状を書くことについて書いていた。

「みな、しぶとく生きていてほしい」と書いていたのだが、新採用時代の教え子が1年前の夏に亡くなっていたことを今年になって知ったのだった。

2年前には、あいつも生きていたのにな。

50歳を過ぎて何年もたった訳ではなかったので、非常に残念に思っている。

 

【3年前の今日】

 

あまりにも気の毒な棄権敗退 ~高校バスケ・ウインターカップ男子 開志国際高~ - ON  MY  WAY

そんなばかな!!?なんでオレたちが戦わずに棄権しなくてはいけないのだ!?選手たちは、そう思っていたのではないか?夏には開かれなかった全国大会の分もガンバロウ、と...

goo blog

 

対戦相手の感染症のせいで、強制的に棄権させられた新潟県代表の開志国際高校。

その後、その悔しさを晴らすように、去年の大会では見事に優勝を果たした同校。

3年たった今年の大会でも、今日の試合で勝利し、ベスト8に進出してがんばっている。

 

【4年前の今日】

 

スーパーシニアのランナー、すごい !  …昨夜のNHKBS「ランスマ」を見て… - ON  MY  WAY

昨夜、久々にNHKBS1の番組「ランスマ」を見た。昨日の特集は、「いつまでも走り続けたい!スーパーシニアが続々登場」というものだった。私自身もすっかりシニアなの...

goo blog

 

「ランスマ」でスーパーシニアのランナーに刺激を受けたことを書いていた。

あれから4年たって、自分もその年代が近づいてきたが、年々走った後がしんどくなってきた。

あの頃には週2回だったRUNも、4年後の今は週1がやっとになりつつある。

今となっては、スーパーシニアとなって走ることは、意外に難しいことなのだなと感じ始めている。

 

【5年前の今日】

 

山形県まで行って、学ぶことがあった - ON  MY  WAY

今日は、日中ひとり車を運転して、山形県まで行って来た。昔一緒に勤めた、同年代の同僚だった男性のお父様が亡くなり、その告別式に参列してきたからだ。その男性の実家は...

goo blog

 

山形県まで行って、元同僚の父君の告別式に参列してきたことが書いてある。

新潟に家があり、県外に実家がある、その元同僚。

5年後の今は、私の埼玉行き以上に頻繁に、毎週山形と新潟を往復しているという。

事情が似ていてなかなか大変だろうと思っている。

 

…5年前までのブログを振り返って見た。

このブログ元の「goo」からは、1年前の自分のブログがどんなものだったか知らせるメールが毎日届く。

それを見るたびに、あれから1年がたったのか、早いなあと思う。

 

とりあえず、ブログをぐだぐだと続けながら、ある種の達成感みたいなものが得られてもいる。

これからも、可能な限り毎日更新に努めていくことにしよう。

まあ、内容の出来不出来には目をつぶり、継続に注力して…だけどね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラッキーなクリスマスプレゼント(?)届く

2023-12-25 21:33:59 | アルビレックス新潟

アルビレックス新潟をサポートするスポンサーになっている新潟日報社が、今季「インスタグラム #アルビと共に! キャンペーン」というのをやっていた。

投稿した人の中から、抽選で合計200名にアルビレックス新潟ホームゲーム観戦チケットやアルビグッズなどをプレゼントするというものだった。

期間に応じて第1弾、第2弾、第3弾とあって、第3弾は、9月1日から12月10日までであった。

第3弾の当選グッズに、三戸舜介選手のサインがあった。

「それがほしい!」と、娘がアルビレックスに関わる写真とメッセージを投稿して、12月上旬にこのキャンペーンに参加した。

でも、応募者がきっと多いだろうから…とあきらめていた。

だが、今日、ちょっぴり厚手の新潟日報社の封筒が、娘に届いた。

 

すると、中には、1枚の紙と、段ボール紙が入っていた。

その紙には、こんなことが書かれていた。

「…お客さまが当選となられました。商品をお送りいたします。ご当選おめでとうございます。ご笑納ください。」

だって。

いやあ、もう、これは文字通り「笑納」…笑って納めますよ!

 

段ボールにはさまれていたのは、欲しがっていた三戸ちゃんの色紙。

9月に練習見学に行ったことがあったのだが、そのときは、三戸ちゃんはパリ五輪世代の遠征に行っていたものだから、会うことができず、もちろんサインももらえなかったのだ。

だから、いつか別な機会にサインもらいたいなあ、と言っていた。

 

サイン色紙はダメでも、何か三戸ちゃんに関するグッズが当たらないかなあと、私は、グッズ売店で、誰のが入っているか分からない袋を選び、見事に三戸ちゃんのクリップを引き当てた。

「サインは来年もらいたいね」となぐさめのつもりでその三戸ちゃんクリップを娘にあげたのだった。

 

ところが、今シーズン終了後、彼はオランダに旅立つことになってしまった。

だから、「あ~あ、サイン欲しかったなあ…」と言っていたのだった。

 

でも、まさか新潟日報のインスタのキャンペーンに応募していた娘に、ほしかった色紙が当たるとは!

いやあ、よかったなあ。

娘のもとに今日届いた、とてもすてきなクリスマスプレゼントになった。

三戸ちゃん、新潟日報さん、ありがとう!

オランダに旅立つ三戸ちゃんを、これで心おきなく(?)「ガンバレ!」と見送ることができるよ。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「VISION 夢を叶える逆算思考」(三苫薫著;双葉社)で、三苫選手のプロフェッショナルさを知る

2023-12-24 22:11:21 | 読む

今をときめく三苫薫選手の著書である。

表紙からページをめくると、大きく最初に出てくるのは、あの有名な「三苫の1ミリ」の写真。

そして、日本代表やブライトン、サン・ジロワーズ、川崎フロンターレなどでの写真のページが合計8ページ続く。

 

文章は、最初に「プロローグ プロサッカー選手を目指す子供たちに伝えたい3つのこと」から始まる。

僕には、 「後世に語り継がれる選手になる」という目標がある。

心の中には常に「人生は一度きりなんだ」 「サッカー人生も残りの人生も悔いなく終えたい」という思いがあり、だからこそ、サッカーをやっているからにはできるだけ上に行き、多くの人の記憶に残る選手になりたいと思っている。

 

今、僕が何を考えているか―その答えは2023年1月にJPFA最優秀選手賞をいただいた時に、海外に挑戦してみたい子供たちに向けて送った「3つのアドバイス」の中にある。

として、

1つ目「自分にしかない武器を持つこと」

2つ目「自分を分析する力」を身につけること

3つ目「毎日の努力を積み重ねる」

を挙げている。

 

本書の書名になっている「逆算」という言葉は、プロローグの中で、次の文章に初めて出てくる。

僕自身、小さい頃から夢を持ち続けていた。そして、そのためにすべきことを毎日実践してきた。「将来なりたい自分」にたどり着くために逆算をして、技術やフィジカルといった選手としての能力を伸ばす計画を立て、色々な知識や考え方を学び取りながら、成長してきたのだと思う。

…それで書名の最初に「VISION」と書いてあったというわけだ。

 

本章は、次の8章から成る。

第1章 / サッカーとの出会い

~三笘薫を作った少年時代の「ドリブル基礎練習法」「三笘家の教育」「食事」~

第2章 / 川崎フロンターレ「ジュニア」・「ユース」

~プロを目指すための「利き足練習法」「目標シート」「1試合に集中するメンタル」~

第3章 / 筑波大学

~「プロに行かずに実現した肉体改造法」「三笘ドリブルという武器と型」「世界に最速で行くための伸ばし方」~

第4章 / Jリーグ 川崎フロンターレ

~「得点力を伸ばした頭を使うコンビネーションの考え」「もう一つの武器・アウトサイドパス」「強者のメンタリティ」~

第5章 / 日本代表

~「ワールドカップ激闘の裏」と「個のボールを握るサッカー」、三笘の1ミリを生んだ「ゲームを読む力」、多くの人に伝えたい「あきらめない力」~

第6章 / ベルギーリーグ ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ

~"世界基準"のサッカーに勝つ「エゴの活かし方」「上昇志向メンタル」「背負うドリブル技術」~

第7章 / プレミアリーグ ブライトン

~「ゴールの軸と新しい型」「ドリブル」「自由自在のプレー比率」~

第8章 / 僕を作るメソッド

~「逆算思考法」「フィジカル・トレーニング法」「食事メニュー」「メンタル」「睡眠」「走り」~

 

そして、それぞれの章の中で、いくつか見出しを付けて項を起こして述べている。

その見出しに毎回リード文ともいえる文をつけ、問題提起のようにしているのが読む気にさせる。

各章では、幼少のころから現在までの選手のサッカー選手としての歩みが順を追って綴られる。

そして、その折々に出合った考えや経験したことから何を学び、自分はどう努力してきたのかが明らかにされている。

また、章の最後のページに「まとめ」が必ずあるのも、学びを有効化しようとするようで面白い。

 

サッカー人生を語る本は多いが、そんなふうに構成されているせいで、結構字数が多いし、ページも多い。

だから、内容的に重複するように感じる文章も多いのだが、繰り返し出てくるものは、彼が強調したかったことなのだろうなあ、と思った。

 

「夢を叶える逆算思考」とはいうが、サッカーをしながら、彼は様々な経験をしていく。

ただ、感心するのは、逆算思考そのものよりも、非常にポジティブだということだ。

時には不遇な体験もするのだが、それも「なりたい自分」になるために必要なことととらえて乗り越えてきている。

だからここまで力を伸ばしてきたのだろう。

 

また、専属のトレーナーや栄養士と契約して日常生活やピッチ外での不安を取り除く工夫をしていることも初めて知った。

そうやって、体のケアや食事の管理まですることで、自分の理想とするサッカーができるように努力しているということだ。

 

そんなことは一端にすぎないが、三苫選手は考えすぎるくらいきちんと考えてサッカーに向き合っていることがよく伝わってきた。

そんなことまでするのか、してきたのか、と、長いページをあきずに読み終えることができた。

プロはここまで考えるのか、ここまでするのか、と分かり、なるほど自分にはここまでできないな、と思ったのであった。

だけど、彼は、最初のプロローグで、次のようにも書いていた。

僕には、「自分が学び取ってきたことを、次に続こうとする日本人選手や子供たちに伝えたい」という気持ちが強くある。また、これまでの自分の歩みを振り返ることは、この先の自分の進み方を自身が整理することにもつながると思う。

本書では、 僕のサッカー選手としての歩みを振り返りつつ、 普通のサッカー少年だった僕が、その時々で自分の目標や理想像に向かって自身をアップデートしていった考え方や練習法、フィジカル、メンタル、食事、教育法、言葉、海外挑戦などすべてについて書いている。なぜ体の小さかった僕が大学卒業後に、日本代表や世界最高峰のプレミアリーグでプレーできるようになったのか?本書がサッカーに励む子供たちや中学、高校、大学の選手、さらにはお父様、お母様、指導者の方々、そしてビジネスパーソンなどを含むすべての人の一助となれば幸いだ。

だから、本気になってプロを目指す人、プロフェッショナルを目指す人には、指針となる1冊かもしれない。

 

そんな三苫選手、先日の試合でけがをしたのが気がかりだ。

大きなけがでないことを祈り、今後のさらなる活躍を期待したい。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月の降雪と車の運転の失敗談

2023-12-23 22:23:13 | 生き方

昨夜、当地では思ったより降雪は少なかったようだ。

今朝、恐る恐る玄関の戸を開けてみると、夜に寝る前に見たときの雪の量からあまり増えていないように見えた。

ああ、これは幸いだなあと思った。

今日の午前中を過ぎれば、今回の寒波による降雪のピークは過ぎると聞いていたからだ。

ちなみに、庭の積雪を計ってみると、80cmの印より30cm近いところだから、積雪52cmというところかな。

昨日より雪が少し締まったから、降っても積雪量は増えていなかったようだ。

 

今朝除雪車が通って、車庫前に置いて行かれた雪も、今日はこのくらい。

これなら除雪に多くの時間はかけなくてもすむ。

それでも、何回もスノーダンプで雪を運んで、車が出られるようにした。

 

12月の降雪と車。

まだ雪に完全に慣れていない時の運転に、失敗は多いのだ。

だから、この寒波で全国各地で交通事故のニュースが後を絶たない。

冬用タイヤに交換済みだったとしても、事故は起こりやすい。

 

今回の雪で、知り合いの人は、車を雪の壁にぶつけてしまい、修理代がかさむ、ボーナスの想定外の使い道だと嘆いていた。

まあ、他者を巻き込まずに、自損事故で済んでいるからまだましなのだけれども、

 

私自身も、若いときを中心に、12月の降雪で車を運転していろいろな失敗をした。

 

①新潟に戻って働き始めた初めての冬、午後から急に雪が降り出して、大いに困った。

なぜなら、まだ普通タイヤだったから。

なんとか家まで帰りたいと思ったが、赤信号で止まった交差点で発車できなくなった。

ほんの少しだけ上りの傾斜があったからだ。

何度試みても、タイヤは空回りするだけで、後続の車に多大な迷惑をかけた。

仕方なく、なんとか路肩に車を寄せて、そのそばの家の人に事情を話して車を置いて帰ったのだった。

 

②同じ年、雪が少し多くなったとき、轍(わだち)を通っていれば大丈夫だ、と思って注意しながら、ゆっくりめに車を走らせていたときだった。

急に道に凸凹が生じて、ハンドルを取られた。

こういうときは、反対側にハンドルを切るのだったな、と思ってやってみたが、思った通りに車は動かず、道端の雪壁に正面からぶつかっていき、ラジエーターを破損した。

 

③別な年、雪が降った朝、通勤に支障が出たから乗せてほしいと、車を持たない先輩から連絡があった。

待ち合わせた場所まで行き、その先輩の姿を見つけた私は、車を止めようとして少しだけハンドルを左に回した。

ところが、車は急にガガガガガと音を立てて左側から何かに乗り上げた。

車を止めて見てみると、車道と歩道を分ける縁石に乗り上げてしまったのだった。

雪のために縁石があるとは気づかなかったのだ。

縁石に乗り上げたせいで、タイヤは空回り。

脱出するのに何分もかかり、職場には先輩と2人して遅刻した。

(その後、先輩から車に乗せてほしいと言われることは2度となかった…。)

 

雪による失敗はまだあるのだが、とりあえず12月の失敗だけ並べてみた。

 

こんなふうに雪が降ると、退職して仕事に出なくなったから、車を運転しなくてもいいのがうれしいなあ、と思う。

現職当時は、毎朝重労働な除雪をして、神経がすり減る車の運転をして出勤するのは大変だったからねえ…。

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雪じゃあ…!

2023-12-22 20:49:47 | 新潟

昨日の午前中は、2℃の気温ながら、積雪ゼロどころか降雪もゼロなので、久々に7kmほど気持ちよく走ってきた。

その後夕方が近づいて、雪が降り始めた。

昨日の夜の天気予報で言っていた。

「新潟は、平野部でも最大60cmの降雪が予想される」と。

まさか、そんなには降るまい。

そう思っていたのだった。

 

ところがどっこい!

降るもんだねえ。

夜の窓に映る雪明りの影にも、しんしんと降り積もるのが見てとれた。

夜中には、雷の音で起こされた。

俗にいう、「雪降らし」の雷であった。

朝起きて見ると、玄関先の風除室の先は、山のような雪が。

30cm物差しを雪に差してみたが、このとおりそれの2倍近くはあろうかという積雪。

なのに、新聞はちゃんと届いていた。

新聞配達の方、こんなに寒く雪の深い中、大変でしたね。

配達ありがとうございました。

長靴をはいても、膝まで埋まる雪の深さ。

さて、ちゃんと積雪量を計ってみよう。

どれどれ。

30cmものさしを2つ重ねた近くまで積もっているということですよ。

積雪55cmと判定。

 

しなりの強いナンテンは、雪をかぶって重くなり、雪の中に倒れていた。

そして、これは、以前にもここでクイズ風に出したことがあったけど、全く何かわからない。

…それは、生ごみ等を入れるコンポストでしたっ!

 

車庫前は、除雪車が通って雪を置いて行った。

だから、完全に車が埋もれて出られないくらいになっていた。

家の玄関までのスペースもすっかり雪で埋まって、通れるのは軒下のわずかな狭いところだけ。

さて、しからば、車庫から車が出られるように、道路から家まで普通に歩いて入れるように除雪しなくてはいけませんな。

ということで、除雪用のスノーダンプを使って、娘と二人で何度も何度も何度も雪を運んで除雪した。

 

車庫前もスッキリ!

疲れてしまったので、家の玄関前は、人が通れるくらいに除雪して、今日はここまで。

 

幸い、除雪中は降雪が大したことがなく、途中から薄日も差したくらいになった。

当地では、夕方になって大雪警報が解除され、大雪注意報に下がった。

だが、冷え込むにつれて、また雪がしんしんと降り始めた。

明日までにまたどのくらい降るのやら…。

昨日まで、積雪ゼロだったのになあ…。

あれ!?
そういえば、この冬は暖冬という予報だったはずだったけど、大雪ってどういうこと…!?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする