ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

来年のカレンダーを作り、今年の前期を振り返る

2018-12-31 17:57:10 | 生き方
2018年ももうすぐ終わろうとしている。
毎回半年ごとに作っているカレンダーも、2019年用のものができた。
例年、(平成〇〇年)と書いていたのだが、今回は、それはなし。
5月からどういう元号になるかわからないから。


今年の1~6月までに撮った写真を、ごちゃごちゃとカレンダーの横に貼り付けて作ったカレンダー。
見るたびに、その月の1年前のことが思い出となってよみがえる。

今回作ったものの中で、最大のこととなってしまったのは、6月のことだ。
埼玉の義兄が訪ねてきたときに、家族で撮った写真があった。
奇しくも、それが生きていた義兄を撮った最後の写真となってしまった。

それ以外には、1月から3月は、RUNの大会のことがある。
1月は、元旦マラソンで、息子は5kmで、私は10kmで、それぞれの年代別の種目で入賞を果たすことができたのであった。
2月には、私はいわきサンシャインマラソンに出場。
13年前に亡くなった母の故郷路を完走することができた。
3月には、新潟ハーフマラソンに息子と出走し、ハーフの自己ベストを出すことができた。

5月には、待望の花咲く春を迎えて、夫婦で久しぶりの山歩きをした。
ヒメサユリのきれいさに支えられ、八木ヶ鼻から袴腰山に登ったのであった。

そんなことが、いろいろと思い出される。

ただ、何といっても、昨日でちょうど4か月を迎えた義兄の急逝は大きな出来事だった。
今後の人生に、大きな影響を及ぼすことになるだろうな、と思っている。
あれからの4か月は、過ぎるのがすごく早かったように思う。

その喪に服する期間は一応明けてはいるだろうが、一般に年賀状を出すことは慎むようなので、新年の年頭のあいさつはしないことにした。

来年は、自分にとっても、これを見てくださっている皆様にも、よきことが多い1年でありますように。
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冬空の色は?

2018-12-30 22:04:27 | 自然・季節
冬空の色って、何?
そう尋ねられて答える色は、住んでいるところによって、ずいぶん違うだろうなあ。
当地では、まず間違いなくねずみ色の連想だ。
それが、県境の山を越えて関東に入ると、ねずみ色を連想する人はいないだろうなあ。
向こうでは、青でしょう、絶対に。

ねずみ色の雲に覆われて、雪や雨が降る。
それが、こちらの冬というもの。

昨日走りに出た時点では、空の一部に明るさもあった。
これなら雨や雪は大丈夫かな?という思いで、走ろうと決めたのだった。
それが、走っている時に、一瞬で暗くなってあられが降ってきた。
まったく、なんて変わりやすい天候だ。
その後は、また日が差したりしているのだから、本当に冬空は変わりやすい。

変わりやすいものとして、「ナントカ心と秋の空」というが、こちらでは秋の空よりも冬の空の方が、変化が激しい。
仮に少し晴れていたとしても、いつ急変するか、わからない。

今月の中ごろに、埼玉に行ったときは、向こうの青空が本当にうらやましく思えた。
関東の冬空は、一般的に青空が普通だ。

冬空の色は?と聞かれると、「青!」と答えて正解だろう。
向こうではふとんが干せる、ということが、新潟に住んでいる人には驚きである。

明日の天気予報で、当地では、くもり時々雪、最低気温2℃、最高気温3℃だそうだ。
埼玉の方の天気については、NHKのニュースでは、晴れ、最低気温マイナス2℃、最高気温10℃ということであった。
最低気温は、埼玉の方が低い。
朝の冷え込みは、向こうの方が厳しいとも言える。
明朝は、凍るかもしれない。
だけど、こちらは2℃なら凍らないであろう。
ただし、雪のために日陰ではわからないが。

明日は、大みそか。
1年の最後の日。
暗い気持ちでなく、明るい気持ちで過ごしたいものだと思う。
そのためには、明日の空の色は、ねずみ色ではなく、快い青であってほしいなあ、と思う。

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雪中RUNは、今年のラスト・ラン

2018-12-29 21:54:38 | RUN

ここ数日天候が荒れ、気温が低く雪が降るようになって、道路が凍りついた。
道路では降り積もった雪の下は圧雪となって凍っているものだから、始末が悪い。
何もないつもりで油断して歩いたり早歩きしたりしようとすると、滑って転んでしまう。
雪が降り始めた一昨日は、走る予定の木曜日だったが、走るのをやめた。
湿気の多い雪が降っていた昨日も、走りはしなかった。
今日は、凍った圧雪の上に新雪で滑りやすいという悪コンディション。
気温は、「凍結注意」の0℃。

だけど、1月1日は恒例の元旦マラソンに出場する予定だから、いくら10kmしか走らないとしても、走りの間が空きすぎるのもどうかと思うので、今日は10kmくらい走っておきたかった。
午後、少し日も差したりする時間があったので、車があまり通らない道で、しかも消雪パイプの設置されている道を選んで走ることにした。

消雪パイプがあると、くみ上げられた地下水をちょろちょろと出して雪をとかしてくれる。

雪が降ると水が出るようになっているところが多い。

今日は、走っている最中にあられのような雪が降ってきた。

走っている時にあられが顔に当たるのは痛い。
それにもめげずに走っていると、降り続くあられに、足元が白くなってきた。
滑るかもしれないから危ないな、走りにくいなと思っていたら、さっそく消雪パイプから水が放水されるようになってきた。

そうしたら、今度は道が水で濡れたり水がたまったりして、靴にしみてきて、これまた大変になってしまった。
それでも我慢してそこから2kmほど走り、10kmを走り終えた。

今日の走りは、ここまでにしておこう。
いや、今日だけでなく今年の走り自体が終了だ。
今日の雪中RUNが、2018年のラスト・ランである。
明日明後日は走らないで、元旦マラソンに備える。

今年1年元気に走ることができた。
9回のレースに出場した。
うち2回はフルマラソンで、自己記録も更新できた。
6回出場したハーフマラソンでは、3度自己記録を更新した。
よい成果を出すことができた。
年が明けると、また1つ歳をとる。
年齢が上がると走り続けることは難しい。
しかし、プロスキーヤーであり冒険家である三浦雄一郎は、90歳でのエベレスト登頂も視野に入れている85歳だ。
そこまでは無理かもしれないが、長く走れる体でいたいものだ。
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まずは一歩の行動力~「定年デジタル」(吉越浩一郎;ワニブックスPLUS新書)を読んで~

2018-12-28 22:02:57 | 読む

書店で新書のコーナーを見ていたら、目に留まったものがあった。
「定年デジタル」(吉越浩一郎;ワニブックスPLUS新書)がそれだ。

題名の前に「リタイアライフが10倍楽しくなる」と書いてある。
退職後の人生について、どう生きるか、ということについて書いてある。
さっそく購入して、読みやすかったので一気読み。

著者は、フランス人の奥さんを妻に持つ。
フランス人等は、リタイアした後の人生を楽しみにしているが、日本人は仕事だけをがんばってやり続け、やめてから何をするかを考えられていない人が多いという話をまず出していた。
そして、リタイア後の人生で、最も大切なものは、夫婦をはじめとする様々な人とのコミュニケーションであると主張している。
そのうえで、スマホやSNSを使うことが、非常に便利でコミュニケーションツールのひとつであるから、とデジタルライフを勧めている。
苦手意識をもたずに、まずは積極的に動いてみようと、いうことだった。

あまり詳しい話は展開していないが、初心者的な方々でも取り組みやすいように話を進めている。

読みやすいので一気に読んでしまった。
著者自身が社長経験があり、家族との時間をもてるように勤務のあり方を変えたり時間のもち方を工夫したりしていたということに、自分の時間を大切に生きてきたということが分かった。
よくPDCAというが、日本人は、ACTIONのAではなくあきらめのAとなってしまうことが多い。
だから、まず一歩の行動が大切だということが、この本から最も学んだことだった。
様々なアプリの紹介も、一歩踏み出しやすくなるために書いてあった、という印象だ。

理由をつけて前に歩を進めることをためらうよりも、まずは一歩踏み出すことが人生を豊かにすることにつながる。
この学びをこれからに生かしていきたいものだ。
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寒い日、YUMINGの冬の歌を聴きながらカレーを作る

2018-12-27 22:31:53 | うた
今日は、最初は雪交じりの雨であったが、その後ずっと雪が降り続いた。
一日中雪ではあったが、極端に冷え込んだわけではなかったので、積雪量は、幸い夕方でも2㎝ほどでしかなかった。

年末の休みになったので、家庭サービスのカレー作り。
具材は平凡、いつものように、ジャガイモ、ニンジン、タマネギと豚肉。
野菜の皮むきから始まって、肉と野菜を炒め、そして煮込み、カレールーを入れてまた煮る。

カレー作りに要する時間が、およそ1時間45分ほど。
そうすると、台所で何か曲を流しながら作るのを楽しむ。
先回作った時に聴いたのは、歌詞のないオカリナで演奏された曲たちだった。
今回の選曲は、雪が降っていることもあり、年の瀬が押し詰まってきたこともあり、いかにも冬という感じの曲を聴きながらの調理作業にしたいなと思った。
それで選んだのが、「seasons colours」というアルバム。

副題に「秋冬撰曲集」と書いてある。
聴いたのは、そのうち「winter」編。
誰のアルバムかというと、ユーミンこと松任谷由実ですね。
今から10年余り前に出ていたもの。
今回聴いたのは、冬の曲ばかりを集めたもの。
ラグビー部の学生のことを歌ったと思われる「ノーサイド」から始まるが、だいたいは12月から冬が深まる順番に並んでいる。
久々に聴きながら、これらの曲の中にはあまりアップテンポの曲は多くなく、バラードが多かったことに気付いた。
本来ベストものだと、「恋人はサンタクロース」あたりが入っているはずなのだが、3曲クリスマス関係の歌はあったが、アップテンポのそれは入っていなかった。

しみじみと聴かせる歌は、今日の自分の気分にぴったり合っていた。
収められている曲たちの中で、「ノーサイド」や「ロッヂで待つクリスマス」、「ブリザード」当たりの曲たちは、学生時代を終えて社会人となって働き出して何年かの頃のものだったので、あの頃を思い出して非常に懐かしかった。
懐かしくなるのは、曲調がよいのもあるが、微妙な心情を表した歌詞がやはりすばらしいなあ、と思う。
学生時代からの20年余りは、本当によくユーミンを聴いていたのもうなずけると、再認識した。

それぞれの曲がよく聴かれた頃の思い出を一つ一つ思い出しては懐かしんだ。
そうやって懐かしみながら、落ち着いた心で作った今日のカレーは、一段とおいしくできたのであった……………!!?
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山形県まで行って、学ぶことがあった

2018-12-26 22:06:54 | 生き方
今日は、日中ひとり車を運転して、山形県まで行って来た。
昔一緒に勤めた、同年代の同僚だった男性のお父様が亡くなり、その告別式に参列してきたからだ。
その男性の実家は、山形県の置賜地方にあり、当然のように葬儀はその地元で行われた。
いろいろと縁があってお世話になった存在の方の父君なので、弔意を表したいと思った。
山形県と言っても、式の会場は、当地からだと90kmくらいしかない。
この距離は、当地から新潟県内だと長岡市に行くに等しい距離でしかない。
私にとっては、大した距離ではないから行こうと、訃報が入った時から決めていた。

告別式で得た情報によると、その父君は、私の父と同じ昭和3年生まれの方であった。
私の父は、まもなく勧奨退職というところで亡くなったので、退職後の第2の人生というものはないままとなってしまった。
元同僚の父君は、同様に少し早く退職したが、その後町議となって3期12年務めたそうだ。
その後もいろいろな役職に就かれたと聞いた。
役職に趣味にとまっすぐなエネルギーを持っていた方だったそうだ。
享年91歳。
その年齢に至るまでに、私はあとおよそ30年ある。
とはいえ、8月末に亡くなった義兄は65歳であったが、毎日は充実していたようだ。
義兄が亡くなった時の年齢までは、3年余りでしかない。
だから、どうという訳ではないが、やはり自分なりの思いというものをもって毎日を過ごしていくことが大事だなあ、と今日も思った。

定年退職までが、第1の人生だとすると、今は第2の人生の入口にまだ立っているような気がする。
今日は、告別式に参加しながら、亡くなった方の人生について知ることによって、これからの自分の人生について、もっと真剣に考えていかなくては、と思った。
まだまだ自分の人生は続く。
人生を充実させるための何かをもたなくてはいけない、という思いをもつことができた。
山形県まで行って、学ぶことがあった。


…さて、日々ボーッと生きているような私。
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
チコちゃんに叱られないようにしなくては。
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クリスマスで、歌といえば、「(フォーライフ)クリスマス」

2018-12-25 21:24:31 | うた
クリスマス。
洋楽で有名な歌が多いが、クリスマスを歌った日本の曲も多くなった。
日本でも自由にクリスマスを歌うようになったのが、1970年代だったと思う。

強い印象を与えたのが、「(フォーライフ)クリスマス」。

小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげるの4人が設立したフォーライフ・レコード。
その創立1周年を記念して作られた特別なアルバム。
発売する時には、限定何十万枚だったかなあ?限定版というので、購入意欲をあおられたように覚えている。
クリスマスの名曲を、4人がソロで、あるいは4人で一緒に、カバーして歌うものあり。
自作の曲を歌うものあり。
結構楽しんで何回も聴いたものだった。

最初の曲が、「赤鼻のトナカイ」で、「イエ~イ」と言って泉谷しげるが歌い出す。
2曲目が、「お正月」で、「もういくつねると お正月…」と、吉田拓郎が真面目に歌っていた。
3曲目に井上陽水が、自作の「夏願望」という曲を歌い上げる。

ほかにも、吉田拓郎が、「諸人こぞりて」やボブ・ディランの「BLOWIN' IN THE WIND」を歌ったり、泉谷しげるがふざけ半分に「きよしこの夜 星は光っちゃう」と歌っただけでやめてしまう「きよしこの夜」があったりして、楽しかった。
また、ギターだけの「GREENSLEEVES」の演奏も美しかった。
このギターは、石川鷹彦によるものではないのかな?
私のお気に入りであった。

4人のコーラスで歌う曲では、井上陽水の声量だけが非常にありすぎて困ったものもあったのだとか。
マイクから井上陽水一人だけ、だんだん遠く離れていって、最後には室内の壁まで下がってもダメで、後ろ向きに壁に向かって声を出してやっとOKとなったという。

非常に楽しいアルバムだった。
テープに録音したものを教室に持って行って流すと、泉谷の「赤鼻のトナカイ」は、いつも大人気で子どもたちが踊り出したものだった。

このアルバムは、限定版のはずだったのに、その後何回か発売されて、CDでも何度か再発売されているらしい。
ただ、私は、あの時の感激や楽しさを忘れたくないせいか、CDの買い直しはせずに、レコードで持っているだけなのだが。

クリスマス。
クリスマスの歌、といえば、一番初めにこの歌たちが入ったアルバムを思い浮かべる私である。

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RUNの同行が何よりのプレゼント

2018-12-24 21:06:42 | RUN
クリスマスだから、何?
…というような気分になっている60代ではある。
若い訳でないし、何かときめくようなことを期待する気もない。
欧米から来たキリスト教を信じている人からは、家族で過ごす大切な日だとよく聞かされてきた。
だからといって、私たちにとって特別どうという日ではない、と思いながら今は過ごしている。
ただし、家族での時間は大切にしたいなあと思うのだ。
家族間でプレゼント交換があるわけではないが、みな元気で今を過ごせていることが最大の幸福だと思う。

昨日は、雨が降ったので走るのをやめていたので、今日はなんとか荒天の合間をぬって走りに出たいものだと思っていた。
午後からは雪になるという予報が、午前から雪が降るというものに変わってしまった。
仕方がないから、雪が降ってきてもいいや、と午前10時過ぎから走り出そうとした。
すると、珍しく息子が、「今日はどう走る予定?」と聞いてきた。
「いつもどおりのコースを16km走ろうかと思っている。」と答えると、
「じゃあ、後ろから付いていくから、気にしないで。」とのたまう。
…ということで、10月に埼玉の河川敷を走って以来、2か月半ぶりに一緒に走ることになった。

走り出したときには、冷たい風が吹いていて、あられっぽい雪がちらほらと落ちてきていた。
私はいつものガチユル走なので、ガチで1kmを2回走った。
目の前を息子が走る。
さすが30代前半だけあって、動きが軽い。
少し前で、私の目標となって走ってくれた。
そのせいか、2回とも結構速いスピードで走ることができた。

その後、ロードを走ると、空から陽射しが差し込み、それなのに雪が舞い散るという幻想的な風景の中を走ることもできた。
息子は、私の後ろではなく、だいたいは私の横か少し前で走ってくれたので、いい感じで走れた。
残り3kmからは、速度を上げていったが、さすがに息子はもっと速く走っていった。

走った時間は1時間半弱ではあったが、天候がよくない中であったが、親子で同じことをして、同じ時間を共有できたのはうれしいことだった。
健康でないと走れない。
気持ちが和やかでないと誰かと走ろうという気になれない。
12月24日、親子でとても健康なよい時を過ごさせてもらえた。
そんなことを考えると、今日のRUNの同行は、息子から何よりのクリスマス・プレゼントのような気がした。
1年のよい締めくくりの走りともなった。

走り終えた途端に、陽が射し、そして大粒のあられが落ちてきた。

すぐに暗くなって、もっと大粒のあられが大量に降ってきた。

こんなに降られるのが、走っている途中でなくて、終えてからでよかった。



来週は、もう新年を迎える。
今年も、2人で元旦マラソンを走る予定だ。
今年も息子は5kmを、私は10kmを。
今年は2人で入賞することができたが、入賞うんぬんよりも、来年の元旦マラソンも、まずは気持ちよく走れるといいなあ。


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女子フィギュア全日本選手権のレベルの高い戦いに

2018-12-23 22:25:22 | スポーツ
レベルの高い、すばらしい大会だと思った。
フィギュアスケートの全日本選手権をテレビで見ていた。
目がくぎ付けになった。
出る選手、出る選手のフリーの演技の出来がすばらしい。

注目の紀平梨花は、トリプルアクセルを2本決めて、きわめて高い得点を出して、トップに躍り出た。
三原舞依は、ジャンプにスピンにステップに、どれも質が高くノーミスの演技だった。
宮原知子は、さすが全日本5連覇の女王だけあって、貫禄の演技を見せたが、ジャンプで1つだけ小さなミスをしたこともあって、僅差で紀平に及ばなかった。
坂本花織は、最終滑走でやりにくさが半端なくあっただろうが、去年以上に技術が高くなり勢いもあった。
ほぼ完ぺきと言える出来で、シーズンベストを10点も上回り、なんと逆転優勝。
4人のどの演技もすばらしく、結果は以下のようになった。

1位 坂本花織228.01点(ショートプログラム75.65、フリー152.01)
2位 紀平梨花223.76点(シ68.75、フ155.01)
3位 宮原知子223.34点(シ76.76、フ146.58)
4位 三原舞依220.80点(シ72.88、フ147.92)

三原舞依の演技もすごくよく、220点を超えるものだっただけに、表彰台に上がれないことは不運、と気の毒に思った。
宮原だけが20歳だが、あとは皆10代だ。
10代でないと勝てないようなスポーツはなかなかないだろうな、と思う。
今日は、ドラマを見ているような、先の分からない面白いマンガを見ているような気持ちになって、女子フィギュアの放送を見ていたのであった。

見ていながら、面白いマンガと言えば、35年ほど昔、女子フィギュアスケートを描いたマンガで、「青春白書」(上原きみ子)というのがあったなあ、なんて思い出した。

教え子の女の子から、「読んでみて」と言われて、「ほいほい」と全8巻を借りて一気読みしたことがあったっけ。
主人公の女の子が、4回転ジャンプを決めてしまう、なんていかにもマンガみたいな(まさしくマンガである)話が展開されていたのだった。

さて、現実のフィギュアでも、男子は4回転が普通にできないと得点が伸びなくなっている。
また、女子でも今や、紀平やロシアの選手たちによって、本当に4回転ジャンプの時代が近いように思えてきた、今日の試合の技術の高さであった。
現実がフィクションに近づいているなあ…。
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冬桜を見に行く

2018-12-22 21:57:19 | 草木花
「花を見に行きたい。」
この時期当地で咲いている花と言えば、サザンカくらいのものだ。
ただ、それとは違う花を見に行きたいという、かなり無理な妻の要望。

「でも、桜公園なら冬桜がまだ咲いているかもしれない。」
えっ?桜公園?
あそこは、この秋、クマが出たということがあったはずだ。
…うーん…。
まあ、行ってみよう。

車に乗って桜公園のある駐車場まで行ってみると、何台かの車が止まっていた。
年輩のご夫婦やグループなどが、山登りの格好をして歩いていた。
どうやら、クマの心配は大丈夫のようだ。

しかし、歩き出してみると、雪だまりが。

先日雪が降ったからだ。
こんな環境で冬桜なんかまだ咲き残っているのかな?
そう思って行ってみると…、

あった!

冬桜が咲いていた。

さすがに、ピークは過ぎていたけれども、まだ花は咲いていた。

ただし、きれいに花びらがそろっているものは少なかったけれども。

それでも、雪が降ったあとでも咲いていることに驚きを感じた。
冬桜。なぜこんなに寒さの厳しい冬に咲くのだろう。
蝶や鉢など花粉を運ぶ虫たちもいないだろうに…。


花が見られて、妻も一応満足して、帰ることにした。



冬桜…というと、埼玉県児玉郡の神川町の城峯公園は、冬桜の名所なのだという。
去年の秋、妻は、埼玉に行ったとき、兄妹でその冬桜の花見に出かけたのだそうだ。
兄妹二人でのお出かけというのは、ほとんどなく、最初で最後の花見になってしまったと、以前話してくれたことがある。
脳裏にその思い出があるから、今年、冬桜を見に行きたいと思ったのかもしれない…。





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