ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

今日は、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の日だと初めて知った

2022-06-30 20:29:58 | 自然・季節
なごしのはらえ?
何だ、それ?

夏越(なごし)の祓(はらえ)
漢字を交えて書かれてみても分からない。

今日の新潟日報の「日報抄」(朝日新聞で言えば「天声人語」)は、この夏越の祓について書いてあった。
私は、この「夏越の祓」という言葉を初めて知った。
簡単に調べてみることにした。

夏越の祓とは、一年を半分にした6月の晦日(みそか)旧暦6月30日に執り行われていた神事のこと。
そして、自身の心身の穢れや、災厄の原因となる罪や過ちを祓い清める儀式であり、「名越の祓」「夏越神事」「六月祓」とも呼ばれているという。
夏越の祓は、宮中の年間行事であったが、応仁の乱で京都市街が荒廃してからは、神仏習合の影響もあり、執り行われなくなってしまった。
しかし、1871年の太政官布告で復活し、新暦となった現在でも6月30日に各地の神社で執り行われているとのことだが、全然知らなかった。

夏越の祓では、心身を清めてお盆を迎えるために大祓詩が唱えられるほかにも、いくつかの特徴的な行事が行われているという。
夏越の祓で、もっとも知られている行事は、茅の輪(ちのわ)くぐりというもの。
参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで厄災を祓い清めるのだそうだ。
茅の輪くぐりは、日本神話のスサノオノミコトに由来するといわれ、「水無月の夏越の祓するひとは、千歳の命延ぶというなり」と唱えながら、8の字に3度くぐり抜けるのが作法とされている。

また、人の形をした紙の形代(かたしろ)の人形に、名前などを書き、自身の調子の悪い箇所を撫でて穢れや厄災を人形に移し、身代わりとして神社に奉納して厄払いする、人形代という行事があるそうだ。
奉納された人形代は、川に流す、かがり火で燃やすなどで厄払いされ、地域によっては藁の人形を使う場合、人が直接、川や海で清めるなども行われているという。

京都では、「水無月」という行事食があるそうだ。
白いういろう生地の上に小豆(あずき)を乗せた、三角形の和菓子が食されることが多いのだそうだ。
その由来は、宮中で行われていた「氷の節句」だといわれている。
6月1日に行われていた氷の節句では、取寄せた氷を口に含み、暑気を払って夏を無事に乗り切れるよう祈願された。
しかし、庶民にとって氷は高嶺の花であったため、氷をイメージした三角のういろうに、邪気を払う小豆を乗せた水無月が作られたといわれている。

近年になって東京を中心に話題になっている行事食が「夏越ごはん」。
これは、雑穀ごはんの上に、緑や赤の旬の野菜で作られたかき揚げを乗せ、おろしだれをかけた丼。
かき揚げは「茅の輪」をイメージした丸い形にされており、米穀安定供給確保支援機構が、米の普及を目指して「夏越の祓」の行事食として推進しているのだそうだ。

なるほどねえ。
日報抄では、この夏越ごはんを取り上げ、米の生産が全国一の本県だから、今晩くらい「わが家流夏越ごはん」を楽しまないか?と柔らかく提起して話を終えていた。

季節に応じて様々な行事や風習があるものだが、夏越の祓なんて初めて知った。
もちろん、夏越ごはんについても。

ちなみに、わが家の夕食では、かき揚げなどにはしなかったが、丸い丼器に入れた「〇〇丼」にした。
(〇〇の内容はヒミツだ。)
「わが家流夏越ごはん」を楽しんだことだけは、確かだったよ。
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日かげの道を選んで、「陽陰者」(吉川団十郎一座)というアルバムがあったことを思い出した

2022-06-29 21:39:23 | うた
「日なたの道を」。
これは、今となってはちょっぴり懐かしい「カムカムエヴリバディ」でよく聞いた言葉。



人生で歩ませたいのは、確かに日なたの道。

だけどねえ、こんな真夏日には、「日なたの道」なんて、とんでもない。
ましてRUNに出たなら、なおさらだ。

梅雨明けが発表されてすぐにこの暑さ。
まだ6月だよ。
カンベンしてよ。

そう思いながらも、週に一度くらいはRUNの習慣を続けたい。
今日は10kmを走ると決めていた。
けれども、走り出す前に気温を見たら、すでに32℃。



熱中症警戒情報も出ているし、無理はできない。



それで、日なたと日かげの道があれば、もちろん日かげを選んで走るようにした。



日かげを選んで走っていたら、ふっと歌が浮かんできた。

どうせ おいらは しがねえ日陰者
流す涙は 誰にも見せたくねえ


突然、頭の中に浮かんできたのは、吉川団十郎一座の「日陰者」という曲。

これって、1976年ころに出されたライブアルバムLP「陽陰者」に入っていた曲だったよな。



アルバム名は「陽陰者」だけど、収録されている曲は「日陰者」だった。
おのれの貧乏な生まれ育ちを嘆く歌ではあった。

すると、走りながら、気持ちはそのアルバムに入っていた曲に気持ちが移っていった。
吉川団十郎一座といえば、「ああ宮城県」がヒットしたよなあ。
宮城県民は元気が出る歌だった。
このアルバムでもその歌の最後には、「宮城県、バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」と万歳三唱もしていたっけ。

「みにくいアヒルの子」というのも入っていたなあ。

みにくいアヒルでも
いつかは なれるさ
きれいな白鳥に


その歌もよかったけれど、自分は、アルバム最後に入っていた「母ちゃん」という曲が、素朴で好きだったなあ。

ああ母ちゃん 長生きしろよ
オレが結婚するまでは


この曲は、東京で1年目の学生生活を終えようという頃、NHKFMの夕方の歌番組にリクエストしたら、採用してもらえた思い出がある。
ただ、その日のラストの曲だったので、最後までは流れなかったことも覚えている。

「日陰者」のように暗く悲しい歌もあったけれども、ライブということもあって、感情豊かで気持ちを明るく元気にさせてくれる歌が多いアルバムだったなあ…。

日なたの道を走れず、日かげの道を選んだから思い出した「陽陰者」の歌たち。
「カムカム…」が放送されていたときは全く思い出さなかったのに、こんな暑い日に走っていて思い出すなんて、面白いものだなあ。
もう46年も前の歌たちなのに。


コメント (2)
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ええ~っ!!? 昨日豪雨で今日は梅雨明け…??!

2022-06-28 20:13:59 | 自然・季節
今朝、明け方まで大雨警報が出ていた当地であった。
朝、地面も濡れていたのを確認した。
まだ、今日も、昨日ほどではないが雨が残るのかな?
そんなことを思っていた。
案の定、外に洗濯物を干していたというのに、午前10時半ごろに急にポツポツと雨が落ちてきたから、急いで家の中に洗濯物を取り込んだ。

そういうことをしていたというのに、驚いたことに、今日は北陸地方まで梅雨明けしたと見られるとの発表があった。
過去最も早い6月の梅雨明け宣言だ。
新潟地方気象台によれば、北陸地方の梅雨明けの発表は、平年より25日、去年より16日早いとのこと。
統計を取り始めた昭和26年以降、最も早い梅雨明けとなるのだそうだ。
関東甲信で梅雨明け宣言をしてしまったから、北陸地方もそれに合わせてしまえ、となったわけではあるまいが…。

梅雨明けと聞いた瞬間、
「ええ~っ!!!?」
と思ったよ。
なぜなら、新潟県では、7月の半ばに集中豪雨によって大きな被害を受けたことが何回もあるからだ。
私が小学生だった50年余り前の頃も、20年近く前の頃も、死者が出るほど大きな水害が起こったのは7月半ばであった。
今は、まだ6月の下旬に過ぎないぞ。
この後、また雨が続くという日があるのではないかと思うのだが…。

もっとも、当地で昨日降った雨は相当な降水量だったから、例年の梅雨の量に相当する雨が降ったとみなしたのじゃあるまいな…???

ブツブツ言いながら、昨日の車庫への浸水で濡れたものの後始末や、倒れたひまわりに添え木をしたりしていた私であった。
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関東甲信は梅雨明け?とんでもない、こっちは集中豪雨だったよ

2022-06-27 18:17:29 | 自然・季節
関東甲信は梅雨明け?嘘だろう!!?
冗談じゃない!!
こっちは集中豪雨だったんだから。

…というのが、新潟県下越地方に住む私の実感。

気象庁は、今日の午前、
「関東甲信、東海、それに九州南部が梅雨明けしたとみられる」
と発表したそうだ。
今日も40度に迫る猛烈な暑さになっているところもあったという。

ところが、当地は大荒れの天気。
昨夜は、夜中から雷と強い雨が繰り返された。
特に雷は、かなり近いところで鳴っては落雷の響きと揺れ。
そのため、ゆっくり眠れず、私は寝不足。
朝も雨は降っていた。
時折その雨が、すさまじい雷鳴と共に強くなったり、雹のように大粒の雨に変わったりして、とにかくよく降っていた。


それが、本当に怖さに変わったのは、昼頃からだった。
なにしろ、雷が止まない。
光ったと思えばすぐ落ちる。
身近に落ちたと思われる早さで雷鳴が何度も轟いた。


そのうえ、雨の降り方が尋常ではなかった。
屋根を激しくたたき、バケツをひっくり返したような量の雨が落ちていた。
それが、2時間以上も続いた。


みるみるうちに、道路にも水があふれた。
そればかりでなく、家の車庫にも水が入り込んだ。


これは、2年前の出水と同じではないか!?

いや、降り方はひどいし、路上を流れる水の量は、あの2年前よりも多い。


近所の何軒かの家は、車が水につかるのを恐れ、そうなる前にと別な場所へ車を移動させていた。
賢明だと思う。
だが、もうすでに少し遅いと感じた私は、車庫から数cm高い家の玄関近くの方へ動かすにとどめた。


午後2時半ころには、当該地域に大雨警報に続いて洪水警報も発令された。
うーん、少し遅いよ、発令が。
荷物を確認して、いざというときの避難の準備もした。

雨は、その後も降り続いたが、午後3時を過ぎてようやく雨の降り方が弱くなってきた。
だが、水の流量はなかなか変わらない。
それでも、上流から流れた分の水がピークを過ぎれば大丈夫だろう。
そう思いながら、見守っていると、少しずつ水が引いてきた。
いや引いてきたというより、道路上を流れる水が減ってきたのだ。
このまま、降るな。
雨足よ、もっと弱くなれ。
そう祈りながら、時折雨音が強くなると、「もう降らなくていいよ」とつぶやいたりもした。

30分以上かけて、少しずつ水がなくなっていった。
ひとまず、さらなる被害は避けることができた。

ホッとした。
2年前の経験から、車庫の中に入り込んだ泥は、ホースの水で早めに流し出した。

それから、2時間近くが経過した。
幸い、雨は、ほとんど気にならなくなった。
この後も、雨はどうなるのだろうか、油断していてはいけないと思う。

2年前に経験したときは、もうしばらくこんなことはあるまいと思ったが、2年もしないうちに再びこんな目にあうとは思わなかった。

天災は、忘れたころになくてもやってくる
だな。
大きな被害がなくてよかったよ。
ふう…。

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負けることもあるさ、ブレずに行こう ~2022アウェイ横浜FC戦~

2022-06-26 21:14:10 | アルビレックス新潟
負けた。
サッカーJ2リーグ第23節、横浜FC対アルビレックス新潟。
アウェイでの首位決戦で0-2。
今季負けた試合はこれまで3試合あったが、いずれも1点差負けだった。
初めての2点差負けであった。
そして、首位を勝ち点46となった横浜に譲り、勝ち点差1で2位になってしまった。

だけど、こんなこともあるさ、と思う。
試合をする以上、すべて勝つことを目指すのだが、勝負ごとですべて勝つなんて、ありえない。
前にも書いたことがあるけれど、「失敗と書いて成長と読む」(byノムさん)
今日勝てなかったのは、どこかに「失敗」があったからだ。
そこを補完することによって、さらに成長することができるはずだ。

それにしても、サッカーで力が拮抗しているチーム同士の対戦においては、先制点は大きな意味を持つものだ。
そう思った試合でもあった。
新潟としてみれば、相手FWの小川については十分にマークしていたはずだ。
だが、ゴール前に入れられたクロスは、GKが取れるだろうとDF舞行龍が見送ったところに、死角から小川が飛び込んできて、失点となってしまった。

それでも前半は、その1点に抑え、後半を迎えた。
暑さもあるので、後半は動きが落ちるだろうから、次の1点を入れた方が勝利に近づくと思っていたが、その1点も、横浜に転がってしまった。
結果、全力を尽くしたが、0-2で数字上は完敗。

だが、繰り返しになるが、こんなこともあるさ、と思う。
新潟は、新潟のサッカーをやり通したと思う。
ゴール前でチャンスも多く作っていた。
DAZNによれば、スタッツは次のとおり。



シュート数、枠内シュート数、ボール支配率、パス成功率、コーナーキック数など、すべてで相手を上回っていた。
新潟のサッカーを貫いた戦いだったのだ。
だが、勝てなかったことは、悔しい。

松橋監督は、「予想通りの戦いとなった」「押し込むことはできたが、こじ開けられなかった」という言葉で、今日の試合を評していた。
そして、「こじ開けることができるように、相手をすべての面で上回れるようにしていきたい」というような内容のことを話していた。
さすがの指揮官だと思った。

ブレないねえ。
頼もしい指揮官だ。

今日の試合のチケットは、新潟側サポーター席が早々に完売していた。
およそ3,000人を超える新潟サポが押し寄せたらしい。



応援に行ってくださった方々、ありがとうございました。
今日は勝てなかったけど、私たちは、松橋監督の姿勢にならい、ブレずにいきましょう。
選手たちの活躍を信じて、これからも応援していきましょう。

Visca Albirex !!

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今度は、「ニッポン博物誌」(山と渓谷社;矢口高雄著)を読み、感嘆!

2022-06-25 22:02:43 | 読む
矢口高雄氏のマンガについては、以前に「マタギ」についての読後感を書いた。
そのとき、普通の人が知らない山人の生活を、本人の経験や取材・調査した情報を交えて描いていることに、すばらしさを感じた。

そのすばらしさにもう一度ひたりたくて、今度は、同様に山と渓谷社から出ている「ニッポン博物誌」を、また1,650円出して買って読んだ。



矢口氏がマンガで描く自然の描写の細かさ・豊かさは、ほかの人が真似できない領域だったのだと改めて実感した。
われわれが子どものころ、マンガを読んで育っているうちに、「劇画」という表現がなされるマンガが出るようになってきたのだったが、今回「ニッポン博物誌」を読んで、氏の描くマンガは、「自然を描いた劇画」だったと感じている。

この本は、たくさんの動物や昆虫などの生き物が出てくる。
それら一つ一つを時には擬人化して心情を描いてみたり、普通は知らない生き物の生態を細かく明らかにしたりしながら、20の短編が綴られている。
これらの作品は、かつて私が学生だった頃の昭和53年から55年までに、「週刊少年サンデー」誌に掲載されたものである。
あの頃は、この作品には注目していなかったから、1つ1つの作品を読んだことはなかった。
自然界に生きる、ムササビ、バチネコ、ニホンカモシカ、ホタル、イワナ…and so on.
どの話も、自然界の生物も登場人物も、みな生き生きと描かれている。
紙面いっぱいに描かれている、1コマ1コマの、その迫力が実に魅力的だ。
読んでいる途中から、20の短編を一気に読むのは惜しくなって、何日かに1編だけ読むようになってしまった。
本当にすごいマンガ家だったのだなあと、矢口氏のことを思う。

本書が山と渓谷社から出版されたのが、わずか2年前でしかない。
あと書きが書かれた日付は、2020年の4月21日であり、初版本の発行日が7月1日となっている。
それなのに、亡くなったのは、その年の11月20日に亡くなっている。
すい臓がんが死因となっているから、本人もあとわずかしか命がないというときに再出版したということになるのだろう。

氏は、地方での銀行勤めを30歳で退職し、マンガ家になって生きていこうと、妻子を秋田に残して上京したのだった。
遅咲きのマンガ家だったが、本当に素晴らしい功績を残した人生だったのだなあと思う。
その死を改めて惜しいと思った。
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瓢湖で、アヤメ、アジサイ、白鳥、クジャク

2022-06-24 21:44:47 | お出かけ
あやめの花の時期。
白鳥の飛来で有名な阿賀野市の瓢湖でも、あやめ祭りを行っている。
ちょっとピークを過ぎたかもしれないなと思いつつ、行ってみた。

うーん、どれもきれいだなあ、という時期はさすがに過ぎていた。

だが、残って咲いているのがあったが、ちょっとくたびれている感が強かった。

それでも、平日なのに見に来ている人はそれなりにいた。


梅雨の時期だけあって、きれいなのはアヤメよりもアジサイの方だった。

色鮮やかなアジサイの花が、

青、

水色、

紫、赤紫、

ピンク、

白など様々に咲き乱れていた。
その違う色合いを、文字通り「色々」楽しんだ。

ところで、瓢湖といえば、白鳥だ。
北へ帰らない白鳥たちが、やっぱり何羽か暮らして(?)いた。

人間になれているものは、餌をもらおうと寄ってきた。

これから猛暑の夏になるけど、この日本でがんばって暮らしなよ。

瓢湖の近くには、クジャク舎があって、そこで何羽かクジャクが飼われている。

春先にはひながかえったニュースもあったが、ここにいるのかどうかはわからなかった。
だが、金網越しに羽を広げてみせてくれた。

戸外で自由な白鳥に比べて、狭い小屋の中で大変だろうけれど、我慢してたくさんの人の目を楽しませておくれ。

梅雨空の下だったが、短いお出かけを楽しんできたよ。
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大谷選手の連日の活躍に感動!

2022-06-23 20:21:37 | スポーツ
昨日、今日と、試合終了までMLBエンゼルスのテレビ中継を見てしまった。
大谷翔平選手が在籍し注目されているせいで、NHKがBSを使ってよく中継放送をしてくれている。
それはやはり、大谷翔平選手が注目に値する活躍をしてくれているせいであろう。

投手と打者の二刀流。
すごいことだと思うなあ。
この2日間の活躍を見て、いっそうそのすごさを思った。

昨日は、打者としてのすごさを見せてくれた。
6回表終了時点で1-6と敗色濃厚だった試合で、その裏に久々の14号3ランホームランを放って2点差に追い上げ、チームに勢いを与えた。
それだけでなく、3点差で負けたまま迎えた最終回の9回、1死1,2塁でバッターボックスに立った大谷は、2ストライクを取られて追い込まれながら、甘い1球を見逃さずに、見事に起死回生の同点3ランを放った。
この日は、犠牲フライも2本放ち、合計8打点を記録した。
ところが、チームは、延長11回、11対12の1点差で敗れてしまった。
大谷は、翌日の先発投手と決まっていた。
それなのに、夜遅くまで延長戦を戦っていて、しかもそれが負け試合となってしまっていたのだ。
疲労を抱えたまま、今日の登板となったはずだ。

しかしながら、大谷のすごいのは、見事に立て直すことだ。
今日の試合は、予定通り投手として先発。
初回には、先頭打者、2番打者と続いて安打を打たれ、さっそく無死1、2塁のピンチ。
ところが、ここからがすごかった。
その後の3人の打者を、見事に打ち取った。
そして、その後は、8回終了まで完ぺきに抑えた。
一度四球のランナーを出したが、それも併殺打で打ち取り、ずうっと3人ずつでおさえていった。
奪三振の数は、13個を数えた。
相手は、前日エンゼルス投手陣を打ち崩し、12点を取ったロイヤルズ打線。
そのチームを抑え切った。

終盤まで1点を争う緊張感のある試合だったが、大谷の好投がチームを鼓舞したようだ。
結果的に、5-0でエンゼルスは勝利し、大谷も6勝目を挙げた。

打の中心選手である、トラウト選手と、抑えの切り札イグレシアス投手が、今日は休み。
連敗中のチームにとって、今日は重苦しい雰囲気の中での試合だったはず。
それは、大谷にとっても同じだっただろう。
しかし、自分を信じて、全力を尽くして戦い、チームの勝利を呼び込んだ大谷の姿には、感動するしかなかった。
これだから、彼の戦う試合を見たいと思う人は多くなるはずだよなあ。

胸を熱くさせる大谷選手のプレー。
これからもその活躍から目が離せない。

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暑い陽射しを浴びながら、輝いて咲くブタナの花たち

2022-06-22 18:13:26 | 草木花
タンポポの季節がとうに終わっても、原っぱのような土地に、よく似た黄色い花が一面に咲き誇っているのをよく見かける。



そのタンポポ似の茎の長い花は、「ブタナ」だ。

青い空の下、
緑色の原に、
無数に咲き乱れている黄色いブタナの花々。



なんてことのない風景かもしれないけれど、
「きれいだなあ…。」
とつぶやいてしまう。

花が咲いた後は、白い綿毛を作る。
そんなところは、タンポポとそっくりだ。



今日の午前中、10km走った。
日当たりのよい場所にある、道路脇の気温表示は、なんと33℃を示していた。



しかし、走りながら見た、ブタナの黄色い花たちが輝いてきれいだった。
ブタナの花たちは、強い陽射しを浴びながらも、暑さに負けず涼しい顔をして風に吹かれていた。
清々しい気分で走ることができたのは、彼らのおかげだな。


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平和を求めて歌うミュージシャンたちがいる

2022-06-21 21:39:38 | うた
「歌うことしかできないから」
COVID-19感染症やロシアのウクライナ侵攻で、閉塞的な空気が流れる中、こういうセリフを言って、「何かできないか」と考えた。
その結論が、「歌うことしかできない」。
そんなことを、先日さだまさしが出演した番組で語っていた。
その彼が、最近歌っている歌が、「キーウから遠く離れて」。



そして、ウクライナ侵攻については、こんなふうな話もしていた。

止められることだったのかもしれないと思うと、なぜ止められなかったのか、ということと、我々には何もしてあげられないというもどかしさを感じています。
僕は歌を作ることが仕事なので、歌を歌って表現しています。


そして、今夜のNHK「クローズアップ現代」は、「いま音楽にできること 桑田佳祐66歳 “同級生”と平和を歌う」と題した放送があった。

桑田佳祐と同じ1955年~56年に生まれた「同級生」の大物ミュージシャンたちによるチャリティソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」が紹介されていた。



桑田佳祐、世良公則、CHAR、野口五郎、佐野元春らが参加して結成されたバンドが発表した曲が大きな話題を呼んでいるという。
桑田と世良の親交がきっかけとなって、ウクライナ情勢や長引くCOVID-19感染症禍の中で、音楽でできることをしようという考えが根底にあったという。
番組では、桑田との独占インタビューを通して、今回のバンドや曲のことについて話が進んでいった。

興味深かったのは、桑田が、自分なりに和訳して、ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」を弾き語りしたことだった。
「50年も前にこの曲を聴きながら、今になってこの歌を自分で歌いたくなるとは思わなかった。」
そう言いながら、後半には、インタビューした桑子アナにハモリを依頼し、その場でギターを弾いて自分訳の「風に吹かれて」を歌う姿は、伝わってくるものがあり、印象的だった。

歌は、やはり、いい。
その歌を歌って、自分にできることをしたいと思うミュージシャンたちが、いい。

「時代遅れのRock’n’Roll Band」の歌詞には、

No More  No War

という言葉がある。
歌は、本来やはり平和なときにこそ、似合っているものだと思うのだ。
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