ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

秋の花見行 天元台高原へ

2011-08-30 23:24:06 | お出かけ
天元台高原に行ってきた。
正確に言うと、天元台高原を経由して山登りに行って来た。
山形県米沢市で、福島県にも近い。
天元台高原は、麓から5分で430mを一気に登るロープウエーで行ける。
その後、しらかばリフト、しゃくなげリフト、つがもりリフトと、3つのリフトに乗って行くことができる。
着く先は、北望台という1820mの地点。
そこからは歩いて行く。
およそ45分ほど歩いて行くと、お花畑である「大凹」(おおくぼ)に着く。

出かけた理由は、簡単だ。
秋の高原の花、ウメバチソウを見たくて。
ウメバチソウの花は、私も妻も好きな花である。
まさに、梅の花の形をしているが、さわやかで1つ1つがきりりとして立っている。
その咲き具合が好きだ。
今回も、大凹周辺で、たっぷり観賞した。


この時期になると、高原のお花畑大凹でも、ウメバチソウや
ミヤマリンドウが中心である。


あとは、ネバリノギランが目立つくらいでもある。


そんな中、一か所、アオノツガザクラが咲いているところが見つかって、うれしかった。


すでに、紅葉が始まっている。
草は、イワイチョウをはじめとして、黄色くなってきていた。


さて、今回は、余力があるので、さらに登り続けることにした。
大凹から次に目的とする地点までは、大きな石(岩)がごろごろしている急な登り坂である。
そこを30分ほど歩くと、大きな岩が固まっている「梵天岩」に着く。
初めて天元台高原に来た時は、ここまでで引き返したことのであった。
前回も、周囲の視界は開けていなかったが、今回はその時よりさらにガスがよくかかっていたのは残念だった。
ここでは、元気なオジサマ・オバサマ方のグループに、幾度も出会った。
福島県なまりのその大きなしゃべり声と大笑いの連続に、パワーが伝わってきた。
震災・原発の被害に負けないぞという気概が、そこには感じられた。

さらに15分ほど行くと、「天狗岩」と呼ばれる地点に着た。

ここで、昼食のおにぎりを食べて帰る予定だった。
ところが、抜きつ抜かれつでここまで来た男性2人が、「ここで帰るなんてもったいない!」と言ってくれた。
あと20分歩くだけで西吾妻山に着くのだそうだ。
帰りのロープウエーの時間にも余裕で間に合うから、と助言してくれた。
その2人に、気が向いたら行ってみる、と答え、見送ると昼食にした。

昼食を終えたわれわれは、「やっぱ、西吾妻山まで行ってみようか。」ということになった。
水のたまった悪路もあったが、しばらく行くと湿原があり、オヤマリンドウがあちこちでたくさん咲いていた。

これは、歩き続けたごほうびのように感じられた。

その後たしかに、20分ほどで西吾妻山山頂に着いた。
残念なのは、見晴らしがよくない。
いや、見晴らしが、ない!
仕方がないので記念写真だけ撮って、来た道を戻ることにした。


この時期、多くの花は見ることができないことに、山は完全に秋なのだということがよくわかった。
もう、夏は終わりかあ。
少しさびしさも感じた秋の花見であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた惜敗、勝利が遠い新潟…

2011-08-27 22:39:42 | アルビレックス新潟
さすがにアウエーの広島戦は行けません。
…ということで、お決まりのスカパー参戦。

相変わらず、1点勝負のいい試合をする新潟。
チャンスは広島と同じくらいはあったような気がする。
最終的にボールの保有率は、広島59%。41%の新潟ながら、防戦一方というわけでもなかった。
勝つチャンスも、低くはなかっただろう。
でも、勝てなかった。
0-1。
危険と思っていた佐藤寿人は抑えたが、後半途中、交代出場したムジリに決勝ゴールを決められた。

毎試合毎試合、新潟は、よい試合をするのだが、勝ちがついてこない。
よい試合になるのは、守りが結構安定しているということだ。
しかし、勝てないのは、得点が少ないからだ。

見ていると、物足りなさを次の2つに感じる。
①ボールを早く持っていっても、速い流れの中でシュートまで持ち込めないことが多い。
 その間に、相手の守備陣形が整ってしまう。
 だから、その間隙を突いてシュートをゴールに決めることは難しい。
②意外性が少ない。
 敵にすると、いつシュートが来るのか、そのタイミングがわかりやすい。
 フェイントや切り返してのシュートが少ない。
 蹴り方やキックの方向も読まれやすい。
素人目には、そんなところがゴールの遠さにつながっているように思える。

勝利が遠いとは言うが、完敗ムードの試合というのは少ない。
少しの改善できっと勝利は近づくと思う。
2週間の試合休戦期間を有効に活用して、チーム力を高めてほしい。
がんばれ、アルビレックス新潟!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の山の歩き方

2011-08-26 16:04:17 | 生き方
先日、大した高い山ではないが、若い人たちと一緒に山に登った。
山に登る、ということだけで、彼らは、ひたすら登るために歩き続ける。
だからであろうか。
小休止すると、若い人たちは、みなへたりこむ。

私の山の歩き方は、まず登るために歩くのではない。
何か、いい花咲いてないかな?
何か、面白いもの、ないかな?
と、キョロキョロしながら歩くのである。
第1目的が、登ることではなく、見つけることなのだ。
極端に言えば、山頂に行かなくても、気に入った山野草が発見できれば、それでよいのである。
そういう目で辺りを見回しながら、「ついでに」歩いている状態なのだ。
だから、きれいに咲いている草花や、様子の面白い樹木などを見つけると、うれしくなって立ち止まり、写真に撮る。
そして、前の人たちに少し遅れた分、ちょっと急ぎながら追いつく。
追いつくまでに、また新しい発見があったりして困る時もあるが。

山野草の名前がわかってくると、面白い。
あ、またこんなところにも咲いていたな、ガンクビソウくん。

この時期になると、いつもさいているね、ヌスビトハギさん。

ずいぶんいいにおいを放っているなあ、たぶんリョウブくん。

などと、心の中で話しかけながら、写真を撮ったり、そばを通り過ぎたりしていく。

そんなことをしているから、ひたすら歩くことに没頭して疲れてしまうことはない。
先日の山登りでも、また新たに名前のわからない山野草に出合った。
名前を調べているのに、なかなかわからなくて悔しい思いをしている。

今回は、この白い花と

この緑の花。


この2つの山野草と初めて出合った。
だから、ウキウキしている、と若い人たちに話してみたが、彼らは、「それのどこが楽しいのですか?」という顔をしていた。

私も、彼らと同じ年の頃は、こんなことが楽しいとは思っていなかった。
今は、こういう新しい山野草との出合いをもっぱら楽しむ山歩きである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝てないなあ…

2011-08-24 21:39:56 | アルビレックス新潟
新潟0-0大宮。

ホームでも勝てませんでしたか、新潟は。
前半途中から、スカパー観戦しただけだったけど、戦いっぷりがもったいなかったなあ。
決定的な場面は迎えるのだが、最後のひと蹴りが枠の中に入らない。
チョ・ヨンチョルがけがをしてから、今いち強引さが欠ける。
ゴール前がかたくても、こじ開けてでもシュートしていたヨンチョルだったが、今は守る相手に隙がないのかもしれないけど、パスを選択したりファウルの判定に期待したりしていることが多い。
ちょっと、けがの後、怖がっているような印象があるなあ。
がんばって、またあの強引な突破を見せてほしいなあ。
もっとも、ヨンチョルだけじゃなく、ブルーノ・ロペス選手やアンデルソン選手も、譲り合わずに、積極的にゴールをねらってほしいなあ。
怖さがないといけないよ。

これで、大宮とはリーグ戦、5戦連続引き分け。
いくら、敵の監督が新潟の前監督鈴木淳氏であっても、遠慮しなくてもいいのに…。

引き分けといえば、今日のJ1は引き分けが多すぎる。
9試合中6試合が引き分け。
あまり順位が変わらない。

さて、次節は早くも広島戦。
アウエーに乗り込む。
寿人の強引さを真似て、ゴールを量産してほしいものだ。
今が正念場。
がんばれ、アルビレックス新潟!!!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の全国高校野球大会、終わる―新潟県と東北各県代表の健闘に拍手―

2011-08-21 22:04:15 | スポーツ
夏の全国高校野球大会が、終わった。
途端に、とても涼しくなった。
今日は、1日長袖でもよいくらいの気温。
昔、大学生時代に、甲子園で夏の高校野球大会に記念品を売るアルバイトをさせてもらったことが、あった。
その時も、高校野球大会が終わると、暑さは残暑という感じがした。
ツクツクホウシが鳴き、秋の訪れを感じたものだった。

さて、一昨年は日本文理高が準優勝、昨年は新潟明訓高がベスト8。
今年の日本文理高も期待されたが、結果は1回戦負け。
何せ、相手が悪かった。
その相手は、昨日の決勝戦を11-0という圧倒的大差で勝利し、優勝を飾った日大三高だったのだ。
今年の日本文理高だって、そんなに弱いチームではなかった。
春の選抜では準優勝した九州国際大付属高に2回戦で敗れたとはいえ、接戦だった。
夏の新潟県大会だって、いろいろな相手にどんな展開になっても負けない強さを見せていた。
一昨年ほどではないが、打力のあるチームだと思っていた。
日大三高との試合でも、2点を先取し、3回までは勝っていたのであった。
しかし、日大三高の打力のスケールは、日本文理高をはるかに凌駕していた。
試合が終わると、3-14の大敗であった。
でも、日大三高に敗れたチームを見ると、みな、とにかくよく点を取られていた。
だから、今年は言える。
初戦の相手が日大三高というのは、相手が悪かった、と。
日本文理高の主戦投手の2人は、まだ2年生である。
来年に向けて、さらに力を高め、再び甲子園に戻ってがんばってもらいたいと思う。

今大会は、総じて、東北勢がよくがんばった。
青森代表の光星学院は、準優勝。
秋田代表の能代商は、秋田県勢の連敗をストップしただけではなく、2勝し、3回戦では延長戦での惜敗であった。
岩手代表の花巻東は、下馬評の高かった帝京高相手に1点差の接戦を演じた。
宮城代表の古川工は、初出場であり、前半に大量点を取られたが、後半よく点を取り返した。
福島代表の聖光学院は、初戦を逆転勝ちし、2回戦で好投手同士の対決となって残念ながら敗れてしまった。
聖光学院などは、外で十分に練習ができていたら、もっとよい成績をおさめられたのではないかと考えられる。

だが、改めて、高校野球大会などが普通どおりに行われることが平和なことだと思った。
どの学校も、どの試合も、確かに「がんばろう、日本」を具現していたなあと思えたのだ。
決勝戦が終わってしまった今日は、とてもさびしい気がした。
秋が近いなあ…。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作新学院、小針監督の信頼に満ちた采配に脱帽

2011-08-19 08:27:56 | ひと
選手を信じ切った見事な采配だった。
作新学院、小針崇宏監督。28歳。

夏の高校野球大会準々決勝は、智弁学園と接戦を演じていた。
5回を終えて、前半の劣勢を追いついて5対5。
さあ、ここからという大事な時。
そんな時に、エースを交代させ、控え投手にあとを任せた。
後ろに絶対的な投手が控えているなら、それもあるだろうけれど、決してそうではなかったはずだ。
まして、準々決勝という大舞台だ。
日頃出番の少ない選手が、この大舞台で実力以上の力を、いや普段通りの力を発揮できるかどうかは、難しい。
しかし、その控え投手を送り出すということは、信頼して任せるということ。
交代するエースにも、控えにも、納得のいく言葉かけが必要なはずだ。
それをあえて行ったところに、この青年監督の、選手を信頼し、力を出させようとしていることがうかがえた。

残念ながら、懸念した通り、その回には、1点のビハインドを被ることになってしまった。
だが、その後も、今度は初めて登板する1年生投手を送り出した。
彼は、期待にこたえ、強力な智弁打線を三者凡退に抑えた。

監督が、選手一人一人を信頼して送り出す。
その采配にこたえ、その選手たちが一人一人結果を出す。
このまま負けるかもしれないが、監督の采配が、素晴らしいと思った。

試合は、5対6と、1点差のまま最終回を迎えた。
作新学院最後の攻撃。
1番打者が安打で出る。
普通は、2番打者は送りバントで2塁に走者を送り、まずは同点をねらうところだ。
ところが、その気配はない。
強攻。見事にヒットが続く。
無死1,2塁。
今度こそ、送りバントで1死2,3塁にとしたいところだろう。
ところが、小針監督は、3番打者に「おまえは、チームで一番の好打者だ。おまえなら打てる。」と、励まし、バントではなく、強攻させるのだから、すごい。
見事に、これに応えた選手は、同点タイムリー打を放った。
この後、3塁に走者を置いた作新学院。
やはり常識通り、スクイズを試みた。
が、ファウルで失敗。
すると、今度は、スクイズを捨て、打者に強打させた。
これが、犠牲フライとなって、逆転に成功した。
強打に変更することも、選手を信頼していないとできないことだ。

その裏の攻撃を三者凡退に抑え、ついに作新学院は勝利した。

日頃から一人一人の選手のよさを把握する。
そのよさを十分に発揮させるべく、信頼して送り出す。
周囲から非難されることも予想される中、腹を据えてどっしり構え、選手の力の発揮を信じて、見守る。
小針監督の采配は、高校野球はこういうものだ、というセオリーの一段上を行っているもののような気がした。

信頼と励まし。
それが、人を大きく成長させる。
十分な力を引き出す。
改めてそのことを感じさせてくれた采配であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北の離島、利尻・礼文への旅5ー宗谷岬は平和への祈りに満ちていた―

2011-08-16 14:57:59 | お出かけ
旅行もいよいよ最終日。
稚内空港発12:20の便に乗る。
それまでの時間、どこで過ごすか?
日本の最北端、稚内に来た以上は、必ず訪れたい場所、まだ行っていない場所と言えば、ここしかない。
そう、そうや!
宗谷岬しかない!
(さすが、オヤジである)

ホテルを出て、8時、近くのレンタカー店で、予約しておいた車を借りて、宗谷岬を目指す。
稚内市街から宗谷岬まで、海岸沿いに国道をまっすぐ30km余り行けば、目的地に到着する。
レンタカー。

最初は慣れないため、ブレーキの踏み具合が合わず、急停車してしまったりもした。
(助手席の妻を怖がらせてしまった。)

海岸沿いの国道238号線は、走りやすい。
時速60~70kmで車を走らせていると、後ろから来た車が、次々に追い越していく。
対抗意識は一切持たず、マイペースで走っているだけで、30分ほどで宗谷岬に到着。


晴れてはいるが、あいにく海上は、くもり。
近くの間宮林蔵の像が見つめているはずの樺太は、今日は見えない。

樺太=サハリン。
これもまた、北の離島である。
かつては、その半分が日本の領土であった。
日本の最北端の地に立った。
この地でも、日本という国の歴史を感じてしまう。

近くの岬公園を散策した。
この公園は、「宗谷岬平和公園」であった。
「平和」にかかわる建造物がいくつもあった。

まず、この「旧海軍望楼」が目立つ。

国境警備・監視に使われたというのがうなずける。
その近くには、「平和の碑」があった。

宗谷海峡における日米の戦いで、米潜水艦ワフー号が沈没させられたことがあった。
この碑は、日本側の人々とワフー号の乗員の家族によって、平和の祈りを込めて建てられたものだと刻まれていた。

その隣に、「宗谷海域海軍戦没者慰霊碑」があった。1980年9月に建立されたもので、終戦間近1945年7月に稚泊航路で臨時運航した第12海防艦がアメリカに撃沈され152名が亡くなったことにちなむものだそうだ。

ひときわ目立つのは、折り鶴がデザイン化されたと感じる「祈りの塔」だ。
1983年にサハリン沖で起きた大韓航空撃墜事件の慰霊碑であった。
鶴のくちばしが差している方向は、事故が発生した地点の方角を指しているのだという。

「子育て平和の鐘」というものもあった。

他にも、あけぼの像だとか、ラ・ペルーズ顕彰記念碑、宮沢賢治文学碑などがあった。
なお、この公園は、大岬中学校という学校の跡地らしいとわかった。


とにかく、目にする様々なものが、歴史的であり、国際的であり、平和への願いに満ちていた。
平和な願い、ということは、日常安心して暮らせることへの願い、ということだ。
同じ日本で大震災や原発事故があったのは、まだ今年のことだ。
夫婦で30年を記念した旅に出られるというのは、平和である以外の何物でもない。
現在、自分の身が平和であることが、改めて実感として湧き上がってきた。
旅の最後の日に、偶然、平和への祈りに満ちたここに立ち、すべての人の平和を、安寧を、願った。
震災の起こった今年、北のこの地に旅して、その旅の最後にこうして平和について考えたことは、自分にとって、必然だったように思えた。

<世界平和の鐘>


後は、帰るだけ。
ここから、丘陵地帯を車で行く。

いかにも北海道らしい景色。
高い立木がなく、丘の遠くが見渡せ、牛がところどころで草を食べている。
向こうに、何基も風力発電の風車が回っていた。

車を止めて、ぐるりと丘陵地帯を眺めまわし、風景を味わった。
この広々とした感覚、まさしく北海道。
自分の前を、北海道らしい積荷をしたトラックが通って行った。


ガソリンスタンドに寄って、借りた車の燃料をいっぱいにする。
レンタカーの満タン返し。
…といっても、大した乗っていないので、3Lくらいしか入らなかったが。

空港に行く前に、少しの時間を利用して、大沼なる場所に立ち寄る。
鳥インフルエンザ対策が徹底していて、駐車場に石灰がまいてあったり、靴を洗って入るよう指示があったり。
でも、今は、渡り鳥とは関係が薄い季節のようである。
鳥は、ほとんど見かけなかった。

最後に、空港近くにあるメグマ沼湿原の入口まで行ってから、レンタカーの空港店に借りた車を返した。

空港での昼食は、最後の北海道での食事ということで、ホタテラーメン塩味を注文。

12:20稚内発の便に乗る。

千歳で14:00発の新潟行きに乗り換えた。
さすがに、機内では眠気が襲ってきた。
うつらうつらしているうちに、「着陸態勢に入ります」のアナウンス。
翼の下には、見覚えのある道、ホームセンターなどの大型店が見えた。

予定通りの時間に、新潟空港に着いた。

新潟の空気は、いつになく暑く感じた。
毎日毎日猛暑が続いていたという。

北の離島への旅が終わった。
明日からまた日常が始まる。
だが、この数日間の楽しかった非日常の生活がよい思い出となって、われわれの背中を押してくれることだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北の離島、利尻・礼文への旅4ー礼文島・林道コースを苦しみつつ歩く―

2011-08-15 20:17:56 | お出かけ
旅も4日目。利尻島で迎える朝も、今朝で最後だ。
今夜の宿は、稚内市内にとってある。
この利尻・礼文の最終日、どこへ行こうか?ということになった。
昨日は、礼文島で花をたくさん見たのだけれど、心にひっかかっているのは、レブンアツモリソウをこの目で見ていないこと。
レブンアツモリソウの開花時期は、とっくに過ぎてはいるのだが、礼文島の高山植物園では、開花時期を遅らせて咲かせているものがある、とのこと。
見たい。
ここまで来たのだから、実物を見てみたい。
ここで見に行かないと、ずっと後悔しそうな気がする。
後悔は、したくない。
レブンアツモリソウを見た後は、バスで戻って、礼文林道コースを歩いてみよう。
そのコースには、レブンウスユキソウの群生地もあるということだし。
…ということを妻に話し、2日連続して、礼文島に渡ることにした。

鴛泊への道も、少し見慣れた感がある。
毎日が、思い出の道。
初日の夕方、路線バスでホテルまで行ったこと。
2日目の、自転車でサイクリングロードを約25km行ったこと。帰りは、強い向かい風の中を帰ったこと。
3日目は、朝、ホテルのバスに乗っていくと、鴛泊港まであっという間に着いたこと。
そして、4日目。今日も、ホテルのバスで行く。
今日も、沓形方面からは、霧や雲で利尻山が見えなかった。
それどころか、鴛泊方面からも、厚い雲に覆われて見ることができなかった。
利尻山に、別れが言えなかったヨー…。

そんな感傷はともかくとして、今日もフェリーは、礼文島・香深港に着く。



地面には、レブンアツモリソウをこんなデザイン化したものも。

さっそく観光案内所で、
・高山植物園に行ってレブンアツモリソウを見に高山植物園に行きたいこと
・稚内行きのフェリーが出るまでに礼文林道を歩いてみたいこと
などを話した。
案内のおネエさんは、私も前もって調べていた路線バスの時刻表を取り出し、
・10:50発のバスでスコトン行きに乗ると、「第3上泊」に11:21頃に着くので、そこから15分ほど歩くと高山植物園に着くこと
・また歩いて第3上泊に戻ると、スコトンから折り返す路線バスが12:25頃に通るので、手を上げると、乗せてくれること
・12:30過ぎに着く香深井という停留所で降ろしてもらい、40分ほど歩くと林道の入り口に着くこと
・そこからがんばって歩くと、16:10発の稚内行きに乗れること
などを教えてくれた。

さて、第3上泊で降りてみると、目指す高山植物園は、登りの坂道の上にあった。


15分歩いてもまだ着かず、妻は、「話が違う。」とヒーヒー言っていた。
(実は、この時はまだ楽だったと、後で気付くのである。)
20分ほどかけて、たどり着いた高山植物園。
入ってみると、小さな建物の中には、4つの植木鉢に咲いているレブンアツモリソウが展示されていた。

これが、今日の努力の成果だ、実物のレブンアツモリソウ!
清純な白さ。ふっくらして、上品だ。
名前の由来が、「平敦盛」だけあって、ひょっとして「平安美人」?

植物園の庭には、レブンソウ

や、イブキジャコウソウ

カセンソウ他、この地特有のいろいろな植物が植えてあって、少し花の名を知る助けとなった。

園内を見るのもそこそこに、また20分かけて、坂道を今度は下って降りる。
途中には、以前は「上泊小学校」だったらしいところが「想い出ミュージアム」と名づけられて残っていた。

日本中どこも少子化で、学校統合が進み、閉校となっているところが多い。
ここも例外ではないわけだ。

なぜかクレヨンしんちゃんの立て看板のあるそばで、再びバスに乗った。

運転手さんは、行きのバスでも会った運転手さん。
香深井で降ろしてもらい、歩き始めた。

やけにカラスの鳴き声が多く、不吉に聞こえたのは、これからのわれわれが遭う災難の前兆だったのであろうか。

「どこかで昼食にしよう」なんて話しながら歩いていたら、林道が近づくほどに、われわれ2人の周囲が騒がしくなってきた。
ブーン、ブンブンブン、ワーンワンワン…。
私たちの周囲に何十匹、いや百匹を越える山アブが、―。
林道に入り、歩いても歩いても、追いかけてくる。
それだけでなく、脚を中心として私らの体にくっついてくる。
手を振って歩いていると、その手にバチバチと当たる。
2人の体に、脚に虫よけスプレーをかけてみた。
効果がない。
前を行く妻の後ろ姿、太ももやふくらはぎの裏に何匹も山アブがついている。
そして、体の前後左右に、無数に飛び回っている。
2人とも、ただただ前を向いて、林道を歩いた。



樹木があろうとあるまいと、日光が当たろうと当たるまいと、虫たちはようしゃなくブンブンと飛ぶし、まとわりつく。
3か所ほど手や耳の一部をさされてしまって、かゆくなった。
いつになったら、いなくなるんだ?
そう思いながら、汗だくになりながらゆるやかな登り坂の林道をひたすら歩いた。
写真を撮りたくなるほどの植物もなく、車が1台楽に通れる林道だ。
1時間半近くも歩いて礼文滝方面との分かれ道に来た。

ここまで来て、ようやく虫たちの大群も、数匹になって、やれやれだった。
ここで、パンを食べ、14:00。
元地方面出口まで3kmとの標示。
ここまで、誰ともすれ違っていないし、追い越されてもいない。
誰も来ないの?
不安になっていたら、地元のパトロールの人が車に乗って通り過ぎていった。
向かい側から、バイクが1台走り去って行った。
ここって、完全に、車向けの林道だよなあ。
歩いている人は誰もいない。
だから、山アブたちには、格好の獲物だったのだろうか、私たちは。

やっと、レブンウスユキソウの群生地にたどり着いた。
そこは、昨日の桃岩コース同様に多くの植物たちが咲いていた。






でも、「群生」というほど、レブンウスユキソウは多くない。

もう季節はずれになりそうなのだろう。

でも、昨日見た数多くの花々に「再会」できたのは、うれしかった。
また、さすがにここには、花見に訪れた団体が2つ3つあり、久々に人間に会うことができた。
月の丘という小高い展望台に登り、海を眺める。

植物を眺める。

まもなく、礼文の旅も終わる。
昨日今日の礼文であったことを思い出し、少し感傷的になった。

だが、疲れた足で下り道に入り、やがて舗装された道路に出たら、その感傷も吹っ飛んだ。
まっすぐ向こうに港が見えるのに、道がそこにスッといかないのだ。
舗装道路は車道なので、山をぐるりと回るようにくねくねと大きく曲がっている。
人間の足には、この遠回りは疲れる。
まして、山アブに追いかけられてあれだけ急いで歩いた足だ。
この3日間、歩きに歩いている足だ。
そして、16:10発のフェリーの時刻が迫ってきているのだ。

舗装道路を必死で歩いて30分、なんとか15:50に香深港に着くことができた。
フェリーの船室では、汗にまみれたリュックを下ろし、服を着替えた。

やがて、フェリーは、懐かしい(?)鴛泊港を経由して

18:50に無事稚内港に着いた。

普通なら歩いて7分という距離では、決して使うことを許さない妻が、タクシーに乗ることに同意した。
着いた稚内市内のホテルでは、筋肉痛の妻の足腰に、買ったばかりの鎮痛薬を塗布することが、夫としての私の務めであった。
なんてったって、結婚30周年記念旅行なのだから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不快感の多かった、ホーム浦和戦

2011-08-14 22:20:20 | アルビレックス新潟

あーあ。
2-3で、負け。
なんだかいやな思いだけが残る試合だったなあ。
今回の対戦相手、浦和には、しばらく勝ったことがない。
かつて、浦和がJ2落ちしたときには、新潟が6-1で圧勝したときもあったのだが(過去の栄光にすがりたい気分)。

ビジター・スタンドは、試合前から、浦和から大挙してやってきたサポーターたちが、やかましい。

場内アナウンスは聞かないし、自分たちだけ声や音を出して、我が物顔だ。
他のチームのサポーターたちとは、時にエールの交換などまで行われるというのに、この相手を受け付けない、自分たちだけの世界に酔っている浦和のサポーターたちには、閉口だ。

<「うなぎ」のような「うらわ」フラッグはユーモラスだったが。>
その2階にあるSスタンド2階席の1列目は、縄張りがされていて、入れないようになっていた。
これは、うっかり2階席から何か落としたら、1階の浦サポたちが黙っていない、トラブル必至!…ということで、未然防止の対策であろう。

試合直前、ピッチを整備する人たちが、荒れた芝を修正したりしているのに、その中でも浦和の控えの選手たちは、練習をやめない。
サポーターも選手も、なんだか傲慢なイメージ。

試合が始まった。
見ていると、いらいらしてきた。
浦和の選手たちのプレーが荒っぽいのだ。
至るところで、手を出す、足を出す。
審判に見つからなければいい、というようにも見える、そのアンフェアな態度。
おまけに、主審は、その荒っぽいプレーに目をつぶる。
よほどひどいものでなければ、笛を吹かない。
そこにつけこんで、浦和の選手たちはますます激しさを増す。
新潟から移籍したマルシオ・リシャルデスは、警告累積で今日は出場せず。
彼が出場していれば、浦和ももう少し冷静なプレーをしたのではないかと思う。

<コーナーキックの亜土夢までやけにおとなしく感じる>
その荒っぽさについていけない感じで、前半2点を取られてしまった。
おまけに、2点目を取ったのは、今季移籍したばかりのDF永田充。
恩を仇で返すのかい?
新潟時代は、ほとんど得点のなかった君じゃないか!?

後半、PK獲得。
獲得したのは、ブルーノ・ロペスだというのに、蹴るのはミシェウさん。
GOAL!1-2。
さあ、あと1点!!
…なのに、なぜか新潟の選手たちの動きが鈍いとき、追加点を決められ、1-3。
新潟の選手たちが、線審に猛抗議している。
そうか。新潟の選手たちには、明らかにオフサイドと思えたのか。
それで、動きが鈍かったのだな。
―でもなあ。判定が覆るはずもない。
今日は、審判に泣かされる。

黒崎監督が、選手を交代させ、追い上げを図る。
新外国人選手アンデルソン、藤田、鈴木を入れる。
鈴木を入れてからは、鈴木、菊地、千葉の3人で守り、あとは攻撃に参加させる。
菊地も千葉も、時にはボールを持って上がる。
徹底的な攻撃追求。
そのかいあって、ロスタイムに、相手方ペナルティエリアで、浦和の選手がハンド。
2つ目のPK獲得。
誰だ、そんなドジを踏んだ浦和の選手は?と思って、見ると、永田。
義理堅いね、永田さん。
でも、もう少し前の時間だとよかったね。
ブルーノ・ロペスがこれを決めたけど、時間が足りない。
ノーサイドの笛。
傍若無人な浦サポたちがいつまでも喜ぶ姿は見たくないので、さっさと脱出。

うーん。
人がいい新潟の選手たちは、浦和の「マリーシア」にしてやられたような気がする。
審判までが、浦和の流れに乗せられていた感じがする。
37,375人の入場者と、今季第2位の入場者の中には、かつての新潟サポが多くいたようだ。
レプユニの人名が、「NOZAWA」「YAMAGUTI」「LIMA」「TERAKAWA」など、懐かしいものが多くあった。
前の清水戦の快勝で、「アルビ愛」が呼び起こされたのかな?
そういう人たちのためにも、勝ってほしかったなあ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北の離島、利尻・礼文への旅3ー礼文島、桃岩コースを歩く―

2011-08-13 18:52:00 | お出かけ
3日目、美しき花の島、あこがれだった礼文島に渡る。
島全体で平地が広がるところはあまりなく、丘がずっと続いている印象。
礼文島は、利尻島以上に、平地で高山植物が見られるといわれている。
そんなこともあって、時間によって歩けるコースもいくつか整備されている。
島全体を縦断する8時間コース。
北端のスコトン岬を巡る4時間コース。
礼文岳登山コースも約4時間。
約2時間というのは、礼文林道コース。
そして、最も人気があるのが、花も海岸の景勝も見られるという桃岩コースも2時間コース。
いくつかある中で、最もよく花見ができるということで、桃岩コースを歩くことを選んだ。

利尻島に宿泊していると、礼文島まで渡らなければいけない。
利尻島から出る礼文島行きの始発は、9:30発で鴛泊港から出発するフェリーである。
ホテルの車を頼んで、鴛泊港まで行く。
前日自転車で通った道路は、すでによい思い出である。
この日も、前日同様沓形周辺は曇り空。
それなのに、鴛泊港では、利尻山がはっきり見えるほどにそびえていた。
利尻島は、たいした大きさの島ではないのに、島の中で天気が大きく違うことは、発見であった。
ただ、礼文島は晴れという予報であった。
特に、午後からの方がよいらしい。
期待を込めて、フェリーに乗船した。

40分ほどで、礼文島の香深港に着いた。
フェリーターミナルには、観光案内所が設けられていた。
桃岩コースを行きたいのだ、と言うと、まもなく「知床」行きのバスがあるから、そこまで行くとよいとのことであった。
知床、と言っても、あの知床半島ではない。
礼文島の南端の地名が「知床」なのである。
10分ほど揺られると、バスは終点知床に着いた。
案内板に誘導されて畑の中の道を登っていく。

次第に、利尻・礼文特有の、大きな樹木のない風景が広がるようになっていく。
いかにも北海道、いかにも利尻・礼文らしい緑の広がりに、感心する。
そして、次第に、こちら特有の植物たちにも出合い始めた。
トウゲブキ

シオガマギク

キタノコギリソウ

エゾノコギリソウ

クルマバナ

チシマワレモコウ

私たちは、花を見つけては写真を撮る。
後から来た、同じバスで来た人々に、次々に追い越されていく。
でも、私ら夫婦の目的は、じっくりと花見旅なので、一向に気にしない。
しだいに、前後に誰もいなくなってしまった。
それと時期を同じくして、周囲が霧に包まれるようになってしまった。

元地灯台という景勝ポイントに来たが、やはり濃い霧の中。

前方から、ガイドさんが先頭になって、年輩のおじちゃま・おばちゃま方のグループが、大挙して反対方向からやって来た。
待ってあげていると、そこは皆様礼儀正しく、「こんにちは。」「ありがとうございます。」と声をかけて行く。

ここで、私のデジカメに赤の点滅の表示がされるようになった。
しまった。昨夜充電しないままだった。
ま、いいや。なるべくOFFにしておいて、完全にバッテリー切れになるまで撮れるだけ撮ろう。
そう決めながら、あまり写真は撮らずに前へ進む。
時折、霧が少しだけ晴れる。

そうすると、眼下に海が見える。

霧さえなければ、きっとこのコースは、本当は色とりどりの花々と青い海で美しい風景が見えるのだろうなあ…と、残念に思う。
霧に包まれた歩道の周辺は、白、黄、ピンク、紫などの色した花々が花畑のように、散らばっていた。




その中に、ついに、礼文島の固有種、レブンウスユキソウも発見!


やがて、霧が少し晴れて来た。

遠方が見えて来た。
島の丘のアップダウンが見渡せるようになってきた。
草原の向こうに、山のような重なりがいくつか見えた。

もう少し早く晴れてくれれば、先程の場所ではきっと素晴らしい景色を見ることができたであろう、と改めて口惜しい。


空腹を感じて、景色のよいところで昼食。
前日買っておいたパンを食した。
そこから200mも歩くと、コースの終点。
あとは、急速に下るだけ。
この下りが急で、結構ひざに来た。
途中で、翌日名前がわかった「イブキジャコウソウ」を目ざとく発見。

山道の出口で、ウバユリも発見。

たくさんの花見ができて、とてもウキウキした。
途中から、あまりにもたくさん見過ぎて食傷気味になるほど楽しかった。
とはいうものの、今日は、ここを歩いただけで、なんだか疲れを感じた。
前日のサイクリングの疲労が徐々に出て来たか?

…ということで、14:10発のフェリーに乗ることにした。
この便は、礼文島・香深から利尻島・沓形に直接渡ることができる。

フェリーの場に向かう途中、かもめが働く人間の近くにいるのを見た。
その体も、態度も、結構でかいのに驚いた。


やがて、乗ったフェリーが沓形港に着いたが、まだ午後3時で、早い。
沓形岬公園周辺をうろつくことにした。

エゾオグルマ

と思われる植物を見たりしながら、ホテルに戻った。
節電(?)が効果があってか、デジカメのバッテリーもなんとかもたせることができた。

併設されている温泉保養センターの湯につかり、疲れをとった。
前日もこの日も、温泉に入ることができるのはいいなあ、と思ったしだいである。

夕日の輝きも美しく、3日目の滞在で、初めて沓形から利尻富士を眺めることができた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする