ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

まさか、…

2018-08-31 23:13:47 | 生き方
まさか、ということが時には起こる。
そのため、今さっき関越自動車道を走って埼玉県に着いた。
今日は疲れた。
明日以降また激動だと思う。
今夜は、ここまで。
まずは休みます。
いずれ、明日以降に…。
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ランタナがきれいに咲き始めた

2018-08-30 22:30:09 | 草木花

ここ数日、よく雨が降る。
スコールのように、ざあっと降り、ぱったりと止む。
そんな天気が続いている。

そんな天候なので、蒸し暑くても猛暑からは解放された感がある今週だ。
よく降るので、夕方の水やりからも解放されている日が多い。
あんなに乾ききっていた土も、ようやく湿り気たっぷりとなった。
だから、地面に生えている植物たちが生き生きした様相を見せるようになった。

わが家の外に置いてある鉢植えの植物たちも元気を取り戻したものが多い。
その筆頭格が、ランタナだ。
ウイキペディアには「中南米原産の常緑小低木」ということが書いてある。
わが家で様子を見ていると、冬から春にかけて、葉を枯らして散らしてしまう。
枯れてしまったのかな?と思いながらも春に水をやり続けていると、暖かくなってから、枝から芽を出し葉を広げ始める。
毎年それを繰り返していて、だんだん幹や枝が太くなってきた。

今夏のランタナは、暑過ぎたせいで、日中は葉の水分が失われ、枯れそうに見えて気の毒だった。
それが、ここに来て少し涼しくなり水分がたっぷりな毎日になったら、つぼみをもって花を咲かせ始めた。

色が鮮やかで複数の明るい花を咲かせるので、見ていてきれいだなあと、しばし見とれている。

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清水ではちびまる子ちゃんに迎えてもらったっけ…~さくらももこさんの逝去を悼む~

2018-08-29 20:24:21 | ひと
一昨日、「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこさんが亡くなったというニュースが速報で流れた。
53歳。
私からすれば、まだ若いのに…と残念だ。

わが家では、毎週午後6時は、何とはなしに「ちびまる子ちゃん」のテレビ放送を見ている。
家族や友人たちが個性的なのもいいし、主役のまる子の、子どもらしいものの考えやひがみ根性も、人間らしくて非常に好きである。
楽しい番組だと思う。

そのまる子の故郷は、静岡県清水市(現静岡市清水)である。
私たち夫婦が、家族のことを考えず(?)自由に旅行に行けた、最後の旅行先が5年前の静岡県であった。
そして、そのときは、JR清水駅に降り立ってから、感激したのだ。

清水駅では、清水エスパレスのパルちゃんと、まる子が迎えてくれたのだった。

まる子のふるさととして、人気キャラクターが迎えてくれるなんて、なんていい街だろうと思ったのだった。

「ヒデキ」ではないが、「カンゲキ!」であった。

そして、その利点をフルに利用しているのが、ない側の私たちにはうらやましくもあった。

それは、バスにも使われていた。

いいなあ、なんだかほのぼのする。

バスに乗るだけであったかい気持ちになるような気がした。

遺されたキャラクターたちが、これからも元気なひとり歩き(?)を続けてほしいと思う。

そんなほのぼのとあったかいキャラクターを生んだ作者の早すぎる死は、とても残念だ。
合掌。
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33年前の同僚との再会

2018-08-28 18:14:26 | 生き方
日曜日、新潟に出て、ミニ同窓会のような昼食会を行った。
集まったのは(男性1人+女性3人+私)の5人で、久々の再会を果たした。
メンバーは、3分の1世紀前、つまり33年前の同僚だった皆さんである。
この顔ぶれで会うのは本当に久しぶりだ。

正確に言うと、私ともう一人の男性は、当時の同僚ではない。
ちょうどすれ違い。
34年前に私がその男性のしていた仕事の後釜のようにその職場に赴任したとき、3人の女性はそこに勤めて2年目だった。
ちなみに、その男性と女性の一人は、その後一緒になって現在に至っている。
今回この会を企画してくれたのも、このご夫婦である。

ほぼ同世代だったし、気のおけない同僚だったので、よく皆でいろいろ話をしたものだった。
私は、そこに勤めている間に、父が亡くなったり、途中から妻子と別居の単身赴任となったり、いろいろなことが起こったものだった。
ただ、若い人が多くて、活気のある職場だった。
主任クラスの人たちとは20歳近くも離れていることが多かったが、指導力のある人たちだったので、われわれ若い者たち(当時は)は、安心して仕事ができたのだった。

合唱指導が素晴らしかったM女史。
「ちゃんとお尻の穴を締めて歌いなさい。」などと、まったく恥じらいなく大きな声を出していたっけ。
「去年お会いしたとき、まだまだお元気でしたよ、たしか90歳近いと思うけれど…。」とのこと。
当時最上位の上位だったN氏。
よく若い人々の写真を撮って、それを同封した手紙をわれわれの実家に送ってくれていた。
「今年お会いしたけれど、懇親会では『オレの酒が飲めねえのか。』と、90歳くらいの今でもパワハラできるくらいお元気な様子でしたよ。」
あの頃、ガリ版で印刷物を作っていたけれど、そこに書かれた計画案などの文字が圧倒的に美しかった主任の中心、T氏。
よく気分転換の卓球に誘ってくれた、温かみのある先輩だった。
その2年後くらいに早逝したのだが、その後息子は途中で会社員をやめ、資格を取って試験を受け、父と同じ職業についた。
父同様に絵画指導が得意となり、専門誌に投稿、優秀な賞を受けた。

あの頃は、同年代の若さだったから、職場に残った方がよい仲間がたくさんいて楽しかったのだ。
当時は、宿直専門の管理員が勤務を開始する午後10時まで残って、一緒に仕事をすることが本当に楽しいことであった。
私も、単身赴任となってからは、もっぱら残って好きな仕事をした。
今のように、ブラックな気分など何もなかった。
それもこれも、若い人たちがたくさんいたからである。
自分たちの前5年、後5年くらいまでのいろいろな人たちがいたので、同僚として本当に楽しかったのである。
だから、あの当時別れの時を迎え、送別会の2次会が終わる時は、悲しかった。
若いメンバーで最後に「言葉にできない」(オフコース)を歌って別れるとき、私は、「これで、自分の青春が本当に終わりだ」と、強く感じたのを思い出す。
妻子持ちだったくせに…。

…話し出すときりがなく、思い出話に花が咲いた。

今回会ったメンバーは皆、現在は、(定年)退職後である。
定年の前に辞めた方もいるし、退職後も再雇用(再任用)して続けている方もやめた方もいる。
ただ、皆、以前のような重い責任感からは解放されている、と言っていた。
本当にそうだと思う。
もちろん、働いている人は、今している仕事に対しては誠実に勤めている。
だけど、同じ仕事であっても、あの頃は遅くまで残っていてもつらくはなかった、とやっぱり意見は一致した。


昼食をとって、食後のコーヒーを飲み、あっという間に3時間がたってしまった。
最後に、女性の一人から私たちに、おみやげをいただいた。
それは、その最後の青春の地、特産のものだった。


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レインボータワーがなくなる

2018-08-27 20:43:36 | 新潟

今日から、新潟市の「レインボータワー」の解体工事期間となった。
45年前の昭和48年にできて、新潟市のランドマーク的存在だった。
高さが100mあって、完成当時は県内で最も高い建物だった。
ゆっくりと回転しながらおよそ3分かけて昇り、塔頂で約4分滞留した後、また3分かけて降りていくというものだった。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災の影響で、塔体が一部損傷したため営業を休止。
耐震診断の結果、倒壊の危険性は無いということだったが、改修費用の問題から2012年2月8日に営業を終了していた。
それが、結局解体することが決まってしまったという訳だ。


できた頃は、市内には、すでにもう一つ「日本海タワー」というのがあった。
こちらは、昭和45年にできて、高さ60m余りだった。
高さという点では及ばないが、展望室がレインボータワー同様に回転するのだった。
こちらは、時間制限がないために、いったん入場すると、あきるまでずっと展望することができた。
ただ、時代が変わって入場者の減少から、2014年6月をもって営業が終了となった。

相次ぐタワーの営業終了。
寂しいものがある。
すでに、市内の建築物ではNEXT21(1994年完成)、朱鷺メッセの万代島ビル(2000年完成)が、レインボータワーより高く、回転こそしないが展望室を有している。
時代が変わったということでもある。

昨日、新潟市に行く用があったので、近くまで行って解体前のレインボータワーの様子を見に行って来た。
展望室の周りには、「ありがとう レイボータワー」の文字が付いていた。

閉校する(した)学校でも、「ありがとう ○○学校」などとはよく看板が付いているよなあ、同じだなあ、などと思った。

おりしも、結構な人手。

黄色いTシャツを着ている人もいたし、テレビカメラも…。

おお、日テレ系の24時間テレビの会場の一部であったか。


タワーは解体されるが、今後、新しいタワーを作る計画はないそうだ。
ここにも、東日本大震災の影響がある。
そして、時代の流れを感じる。
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もはや、できの悪い子ほどかわいい、という親の心境

2018-08-26 22:42:35 | アルビレックス新潟

サッカーJ2リーグ第30節。
新潟は、ホーム福岡戦。
こうやって、30試合目にもなるのだが、半分がホームということになる。
ところが、ホームで勝ったことは、わずかに1回だけ。
監督は、片渕コーチの昇格で、正式に監督になってからの初戦となる。

試合前には、サポーター席の前に片渕監督が姿を現し、サポーターに訴えた。

アルビレックス新潟を好きでいてほしい。
勝って、みんなで万歳しよう。

そんなことが耳に残った。

試合前の練習をし始めたら、ピッチがかすむほどの土砂降りの雨が降り出した。

ホーム新潟のあまりにもふがいない戦いぶりに、天もお怒りですよ。

先発メンバーは、今回も、前回と大きく変わった。
GKにムラーリャ復帰、右サイドに川口を起用、左サイドに安田復帰。
MFはボランチに、先日大宮から獲得したカウエを起用。
右に渡邉凌磨、左に田中達也。
FWは、矢野と渡邉新太。


試合は、期待感がもてる始まりだった。
選手全員が、積極的に相手ボールに迫っていった。
そしてボールを奪取する姿も頼もしかった。
久々の川口も積極的に前をうかがうプレーを見せた。
ボランチのカウエも、新潟に合っているようなよい動きを見せていた。

ところが、前半14分、福岡に初めてペナルティエリアに潜入されると、反対側から飛び込んだ選手へのパスであっさりと決められてしまった。
そして、30分になろうかという時間帯にも、侵入を許すとズドンと追加点を決められてしまった。
今節も、前半で2失点。
ああ、つらい試合だ。

しかし、すごいのは、Nスタンドのサポーターたちだ。
「オー、オー、オー、さあ走り出せ、ライド・オン新潟!」
この歌をハーフタイム中も、そして後半を通してずっと歌い通していた。
もちろん、私も歌ったが、太鼓をたたく人たちも大変だっただろうし、歌い続けるのも、すごく大変だったはずだ。


そのすごさに、選手たちも何とかこたえようと、懸命に雨の中、プレーはした。
しかし、チャンスは作るが、決め切れない。
惜しいというシュートもほとんどなかった。
シュート数の比較では、新潟11本で福岡8本。
しかし、点数は0-3の完敗。

6連敗で、8月は去年も今年も勝利はなし。

これが、今の新潟の実力なのだろう。
一生懸命にプレーしているのはわかるが、得点には結びつかず、ピンチで足が止まってあっさり失点する。
これが、ずっと続く今の新潟の実力だ。
悲しいけれど。

カウエも、川口も、田中達也も、矢野も、交代出場した伊藤優汰も、よかったのだが、得点は生まれなかった。
こうすれば点が取れるというものがない。
こうすれば失点を防げるというものもない。
早い話が、実力不足なのだ。

今日の入場者数は、10,463人。
ずいぶん少なくなった。
弱い新潟。
毎回ホームで負ける新潟。
そんなものは、見たくない。
だけど、負けてしまう。

勝てない、できの悪いチームの新潟だが、見捨てる気にはならない。
今は、できの悪い子ほどかわいい、と言われるとおり、できの悪いチームを見捨てようとは思わない。
人生、山あり谷あり、である。
今は、谷の連続。
いつか、山を目指そう。
あきらめずに進もう。
コメント (2)
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湿度や地温が高いと雨の日も走りづらい

2018-08-25 22:45:29 | RUN
いつもの週なら、木曜日と週末土日のどちらかの2回、走ることにしている。
今週は、昨日・一昨日と、35℃を超えるあるいはそのくらいの酷暑・猛暑であったから、走るのを控えていた。
今日は、昼近くから時々ザッと激しい雨が降った。
気温も30℃以下だから、今日は走るのに支障がないなと思った。
夕方、空模様はあまりよくはなかったが、雨に降られてもいいだろうと思い、走ることにした。
走り出したら、さっそく雨が落ちてきた。
こんな雨、どうってことない。
そう思いながら、走り続けることにした。

あれ?
意外と暑いなあ、と暑さが気になった。
陽射しはもちろんないのだが、下から暑さが上って来るような感じであった。
舗道が、日中の暑さで熱くなっていたために、雨が降って濡れても、熱気が上昇してくるのだった。

雨と下からの熱い湿気で、体はあっという間にびっしょりと濡れてしまった。
久しぶりの雨を浴びるので、もう少し気持ちよく走れるかと思ったが、そうではなかった。
前々回、走ったときには気温が25℃で、30℃を下回るとこんなに走りやすいのか、と思ったのだった。
今日も、走り出した時の気温が26℃だし、まして雨降りだし、同様に走りやすいのではないのか、と思ったのだが、そうではなかった。

雨は降っているにしても、そんなに気にならない。
1回濡れてしまえば、もう走ることにはあまり差し支えがない。
それなのに、今日の走りにくさはなぜだろう、と思い、考えた。

それは、やはり湿度の高さと地温の高さではないかと思った。
暑く感じて汗をかくのだが、もう体には雨や蒸気が暑いまま張り付いていて、非常に不快なのだ。
張り付いているから、

後半には、土砂降りとなった。
ただ、それによって少し地温は下がり、少しだけ走りやすくなった
こんな土砂降りの中を走ったのは初めてだった。
全身ずぶぬれで、水がたまっている舗道を水しぶきを上げながら前を進むのは、それなりに楽しかった。
雨はちっとも冷たくなかった。
それだけまだ温度は高かったというわけだ。

今日の一番の教訓。
気温だけではなく、湿度や地温も走りやすさに関係する。
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寝苦しかった夜、台風通過

2018-08-24 20:21:02 | 自然・季節
台風の接近で、昨日のフェーン現象は夜中になっても続き、昨夜は明け方になるまで気温は29℃を下回らなかったらしい。
窓は開けて寝ざるを得なかったのだが、そこは何せ台風。
夜中に日本海沖を通ったらしい。
そのため、時々強風となって、窓枠の網戸が一晩中激しく揺れる音がしていた。

それにしても、ふとんが蒸し暑かった。
自分の体温よりも高いのだ。
体温より高いものと接しているわけだから、自然と汗をかく。
ふとんの右端に寄ったり、左端に寄ったりして、ふとんの少しでも温度の低い方へ行って寝ようとしていた。
そして、時折強風にパラパラと雨が混じり、吹き込んできた。
だが、パラパラ程度なので、そのくらいはかえって気持ちいいと思うことにした。
夜通し寝苦しかった。

明け方、1℃,2℃低くなったので、ようやく1時間ほどうとうとすることができた。

朝、起きてからもぼうっとしている感じだった。
雨がぱらついたので、少しだけ気温が下がったようだった。
とはいうものの、今日も昼近くから気温はそれなりに高くなったので、昨日に続いて、走るのはやめることにした。

予報では、明日からくもりマークに雨マークが入っている日が続く。
まだ降水量が足りない当地では、もう少し降ってほしいし、涼しくなってほしいところだ。
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40℃!?信じられない暑さの日

2018-08-23 21:51:18 | 自然・季節
日本に近づく台風20号。
夜になって四国に上陸したという。
その影響は、当地では異常なフェーン現象となって現れた。

今日は、今までで最も暑い一日となった。
午前11時頃には、道路の気温表示はもう38℃を示していた。


以下、今日の日中のニュースを時系列で見てみる。

11時50分
胎内市で23日午前11時19分に最高気温が39.6℃となり、これまでの県内の過去最高気温の39.5℃を更新。

13時04分
23日の県内は各地で午前中から気温が上がり、三条市で県内としては初めて40℃を超え、各地で猛烈な暑さとなった。
胎内市では県内のこれまでの最高気温、39.5℃を更新して午前11時27分には39.9℃となり、その後、三条市では午前11時54分に40.1℃を観測して県内では初めて40℃を超えた。このほか正午までの最高気温は、新潟市中央区で38.8℃、上越市大潟で38.6℃など猛烈な暑さ。

14時38分
三条市で、23日午後1時43分に40.4℃となり、県内での過去最高気温を更新。

14時48分
胎内市で、23日午後2時27分に40.8℃となり、県内での過去最高気温を更新。

14時53分
23日の県内は各地で気温が上がり、胎内市と三条市で、県内で初めて40℃を超える気温を観測するなど各地で危険な暑さとなっている。
午前中には、胎内市で県内のこれまでの最高気温、39.5℃を更新する39.9℃になり、その後、三条市では正午前に40.1℃を観測して初めて40℃を超えた。
午後に入るとさらに気温が上がり、午後2時27分に胎内市で40.8℃と県内の過去最高の気温を更新した。このほか、午後2時半までの最高気温は、三条市で40.4℃、上越市大潟で40.0℃、村上市で39.9℃などと危険な暑さになっている。

…北陸で40℃以上を記録したのは初めてのことなのだという。
今日は、県内全域で晴れ、フェーン現象となり、山越えの乾燥した熱風が吹いた。
そのため、各地で35℃以上の猛暑日となった。
風はそれなりに時折強いのが吹いたが、なにしろ気持ちが悪い熱さだった。

天気予報によれば、明日の予想最高気温は、上越市で37℃、長岡市で36℃、新潟市で35℃、佐渡市で34℃となっている。
今夜も、気温は25℃を下回らないので、熱中症に警戒が必要だとのこと
この酷暑は24日まで続く見通しだという。

わが家でも、今日の日中は、少しは涼しいはずの台所でも温度計が38℃を示していた。
だから、自分の体温よりも高く、非常に気持ち悪かった。
おまけに、こうして夜になり午後9時を過ぎて外に出ても、まだ蒸し暑い。
夜通し29℃の予報。
暑苦しい夜になりそうだなあ…。
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アルビレックス新潟、片渕ヘッドコーチの監督就任に思う

2018-08-22 17:55:53 | アルビレックス新潟
うーん。
そうきたか。
というよりも、
やっぱりこの手しかなかったか。
…というのが、率直な感想。

「新潟新監督に片渕ヘッドが就任 16年に続き2度目」

前監督を解任したものの、それに代わる人物を招へいできなかったということですな。
1年でのJ1復帰、若手選手の育成…と調子のよいことを並べていたが、J2で下位に低迷。
監督の首を切ったが、今やJ2でも19位と、J3落ちの危機を迎えているチームを指揮してくれるような監督は外部から呼べなかった、ということだ。

この詰め腹を切らされるのは、またしても片渕コーチ。
2年前にも、残り4試合で監督を引き受け、そのときはなんとか1勝してJ2降格は免れた。
そして、昨シーズンは、三浦監督→(片渕コーチ)→呂比須監督となって、ついにJ2降格となった経緯がある。

片渕コーチが監督になる、ということは、選手たちに新しい技術等の指導内容が入らない、ということでもある。
今していることを磨き上げる。
それしかないことになる。
得点力の上がらない攻撃も、8試合連続で先制されている守備も、果たして立て直せるのであろうか?
うーん…。

いや、疑うのはやめよう。
負けようと思ってプレーする選手や監督はいない。
選手や監督・スタッフを信じて応援するのみ。
とりあえずは、目の前の1試合1試合に集中して、勝ち点を積み上げていってほしい。

VAMOS!ALBIREX!!
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