ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

逆戻り!?

2024-04-30 16:37:37 | 生き方

逆戻り。

いや、逆戻りではないのだが、感覚的にはそんな感じ。

熱が出た。

昨夜の夜中から38.3℃の熱を記録し、一晩中寝つけなかった。

最初は、寒くて震えが来たのだが、その後は体じゅうが熱くて熱くて…。

 

なんでこうなった!?

ひと月前にCOVID-19感染症陽性となり、あれだけ苦しんだのに、またこんな短いスパンで再び同様な症状に陥るとは…。

思い当たるのは、土曜日のサッカーの試合観戦。

隣に座った方が言っていた。

「この1週間、体の調子がよくない。夜中になると熱が出てよく眠れない。のども痛いから、声がかすれてお客さんと対面で話が満足にできない。仕事にならない。」

…へえ~、そうかあ、大変だねえ。

と、そのときは相槌を打つだけで済んだのだ。

だが、試合を見ながら彼は、マスクはしていたが、プレーについていちいち口にしていたから、うつっされたのかもしれない。

現に、この症状、夜中になると熱が出る、のども痛い、よく眠れない…これらは、彼が言っていたのとまったく同じものだ。

観戦で感染するとは、いかんせん…(熱でうなされております)。

ひと月前にCOVID-19感染症を経験していたから、少し油断があった。

 

仕方がないので、また近所の医者を予約して受診してきた。

発熱外来は、一般の患者と分けて診察してくれている。

医者は、COVID-19感染症にかかったのなら、3か月くらいは耐性があるはずだから、今回はそれではないでしょう、と言った。

じゃあ、インフルエンザか?と思い、検査してもらった。

だが、インフルエンザは陰性の反応が出た。

ならば、この症状は何が原因なのだろう?
わからないまま、医者は、3日分の解熱・鎮痛剤を処方してくれた。

 

医者で熱を測られたら、37.1℃まで下がっていたのに、家に帰ったら寒気がして、再び熱は上がった。

やっぱり38.3℃になっていた。

昨夜眠れなかったから、2時間余り寝たが、体が熱くて目が覚めた。

熱は変わらず38.3℃、頭も痛い、全身がだるい…。

しかしまあ、体が弱くなったなあ。

先月といい、今回といい…。

 

そんなわけで、今日はこれまで。

まだ夕方前だけど、おやすみなさい…。

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珍しい品種のチューリップばかりで、目がテン! ~五泉市一本杉の新潟県花卉球根農業協同組合のチューリップ畑~

2024-04-29 20:37:35 | お出かけ

花の五泉市、少し前の4月中旬ころまでまではチューリップ祭りをやっていたと思うのだが、今はどうなっているのだろう?

そんな疑問から、今が旬で混雑が予想される牡丹園には向かわず、一本杉方面に車を走らせた。

チューリップの跡がないなあと思いながら行くと、1枚の田んぼくらいのスペースに、色とりどりのチューリップが咲いているのを見かけた。

その畑の道を挟んで反対側にあるのは、新潟県花卉球根農業協同組合の建物だった。

そこに車を止めて、道を横断して、そのチューリップ畑に歩いて行った。

その畑の看板には、「にいがた産チューリップ品種展示場」と書いてあった。

すでに咲き終わった品種もたくさんあったが、今きれいに咲いている種類のものもたくさんあった。

これがなかなかきれいだった。

一つ一つ見ていくと、どれもこれも写真に撮りたくなる珍しいものばかりだった。

時々目がテンになった。

 

チューリップというと、

こんなふうに咲いているのを連想する。

でも、それらの種類は、とりあえず「一重咲き」という咲き方になる。

 

ここのチューリップは、一重咲きだけではない。

たとえば、八重咲のチューリップたち。

 

花びらが裂かれたように見えるのは、ユリ咲きというのだということは、初めて知った。

 

枝咲きなんていうのもある。

一本の茎から分かれて数輪花が咲くのをいう。

 

王冠咲きなんてのもあった。

 

日ごろは気持ち悪いなんて思っていたが、今回一番引き付けられたのは、フリンジ咲き。

 

その特徴は、花びらの縁がギザギザしてフリルのようになっているもの。

 

それ以外の咲き方もあるのだが、それらはスペシャルということらしい。

 

それぞれのチューリップには名前がついている。

「タコ」「ケアンズ」「雪うさぎ」「ヨセミテ」「ストロベリークリーム」…どうしてそれらの名前がついたのかは、不明だ。

 

2種類一緒に咲いているのも面白かった。

「ブライトサン」と「デルタストーム」のコラボ

「ホワイトトライアンファーター」と「ブルースペクタル」のコラボ

ほかにもいろいろ面白かったけど、紹介しきれない。

 

広い敷地一面に咲いているのはよくあるけれど、こうして珍しい品種が咲いているのはなかなか見ないので、広大なチューリップ畑に行くより、とても楽しかった。

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五泉市の新たな菜の花畑に行ってきた

2024-04-28 19:31:03 | お出かけ

「満開の菜の花&新緑がベストマッチ♡ 新潟五泉市に新たな映えスポット♪」

なんていう記事が新潟日報紙に載っていた。

場所は、五泉市愛宕の村松公園近くだという。

村松公園といえば、5か月前の「ごせん紅葉マラソン」の発着となったところだ。

なんでも、五泉市が新潟大学農学部の農場の一部を無償で借りて、新たな集客スポットとして整備したのだそうだ。

そういえば、あの辺りに新潟大学農学部の農場を示す看板か立札が立っていたように記憶している。

まあ、とにかく菜の花がきれいそうなので、行ってみることにした。

 

ちょうど村松公園にあるグラウンドの、道を挟んで反対側に、その菜の花畑はあった。

およそ50アールの菜の花畑。

 

ここの菜の花は、背丈が1メートルほどある。

2週間前に見に行った福島潟の菜の花の草丈はせいぜい膝上くらいだったので、大きく感じた。

 

豊かな気分、菜の花畑 ~福島潟~ - ON  MY  WAY

いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなかすかなるむぎぶえいちめんのなのは...

goo blog

 

畑の中は、歩いて回れるように小径が作られていた。

普通の大人の人が歩いていると、体はうもれてしまって、ちょうど首から上だけが菜の花畑に浮かんでいるようにも感じられる。

 

なるほど、日報の記事のように、菅名岳を背景に写真を撮ってみたくなる。

福島潟ではできなかった、花に埋もれながらの写真も楽しい。

 

ただ、残念なことに、花がピークを過ぎて散り始めていた。

そして、福島潟だと背景に山だけでなく、水辺や建物などを入れることができたのだけれど、ここにはそういったものがないので、ちょっと単調だった。

だけど、花いっぱいなのはいいなあ。

種や肥料は市が購入し、去年秋に種をまいたのだそうだ。

 

花と五泉市といえば、今月上旬は、チューリップ祭りのようなことをしていたはずだし、今は牡丹園の牡丹が美しいはずだ。

村松公園だって桜の名所となっている。

また新たに花の名所をつくろうとしているのだね。

五泉市、花関係がんばっているなあ。

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強度と精度で負けた ~2024第10節ホームFC東京戦~

2024-04-27 22:43:00 | アルビレックス新潟

試合後のこのスタッツを見ると、得点が多くて勝ったFC東京と敗れたアルビレックス新潟の数字が逆なような気がしてしまう。

ボール保持率、シュート数、枠内シュート数、パス成功数といずれも新潟が上回っているではないか。

だけど、試合は1-3で敗れてしまった。

どこで差がついたのか?

試合直後のベンチでの会話がSNSでモバアルからの映像の一部を流していた。

そこで聞こえた声。

小島「質だよ質。質が低い。」

小野「あそこからあんなにパワー出るんだったら、やれるでしょ、最初から。」

この二人の言葉が、すべてを表しているように思えた。

 

強度と精度の問題。

新潟は、多くのチャンスを与えなかったが、FC東京はわずかなチャンスを確実にものにして見せた。

試合が始まると、東京は新潟のボールを持った選手に出足鋭く寄せてきた。

そこから、両チームの激しいボールの奪い合いが始まった。

両チームともこんなにボール奪取がうまかったのか、と思うくらい熾烈だった。

ただ、東京の方がわずかながら強度は上だったかもしれない。

新潟に決定機を作らせないように激しく奪いに来ていた。

だから、新潟にパスの判断を誤らせたり、実際にミスさせたりする場面があった。

それが、ペナルティエリアの近くで起こると、東京は迷わずすばやくゴール前にボールを蹴り込んだり上げたりした。

そこに飛び込んだ選手が、ゴールを決めていた。

前半見ていて、東京の仲川選手の動きのよさや素早さに不安を覚えていた。

案の定、先制点は、ゴール前へのボールに飛び込んだ彼の足から生まれたのだった。

後半の2得点も、またしかりであった。

少ないチャンスを生かして2点の追加点を与えては、新潟に勝ち目はなくなった。

 

だけど、後半途中で投入された選手たちは、それでも逆転しようという強い意志をもってプレーしているのが伝わってきた。

そして、相手を押し込んで90分には、早川のヘッドで1点を返すことができたのだ。

選手たちは、急いで戻り、その後も追いつこうと必死のプレーを見せてくれた。

だが、それはかなわなかった。

冒頭に紹介した小野の言葉、

「あそこからあんなにパワー出るんだったら、やれるでしょ、最初から。」

まさしくそこなのだと思う。

チャンスを作ろうと、きれいにプレーしているから、怖さが出てこないのだ。

どのチームも、逆に新潟のそこを突いて自チームのチャンスにつなげようとしてきている。

 

最初から怖さが出せるか。

それが、打ち続くJ1優勝経験チームとの対戦に問われている。

選手は、東京に比べて劣っているようには見えなかった。

ただ、強度と精度で上回れてしまったように思えるのだ。

個々の選手を見ても、宮本は高に見劣りしなかったどころかフィジカル面でも速く強いところを示したし、途中出場の稲村も特別指定選手とは思えないほどチームになじみ、力のあるところを見せた。

小野や長谷川巧、長谷川元希ら、他の交代選手たちも、こういうサッカーが見たい、と思わせるようなプレーを見せてくれた。

藤原、早川の両サイドバックは、フル出場しながら最後まで高いパフォーマンスを維持した。

早川は、打点の高いヘディングで一矢報いた。

 

「やれるでしょ、最初から」

この小野裕二の言葉を具現したような試合を見たいと思う。

あの終盤の選手たちの気迫のこもったプレーを見たい。

次の試合は、6日後の広島戦。

上位に臆せず戦い、勝利してほしいと願う。

 

Visca Albirex !!

 

【おまけ】

試合終了後、FC東京の小泉慶と高宇洋が、新潟のゴール裏にあいさつしに走っていった。

たくさんの拍手が彼らを包んでいたことに、新潟サポの温かさを感じたのであった。

 

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土の庭で春の花を楽しむ

2024-04-26 20:44:43 | 生き方
住宅街では、当初この地に家を建てた親世代から、次の子世代になって、改築する家も多くなった。
昔ながらの木造の家が、現代風の家に変わっていくのは、オールド世代としては少しさびしい気もするが、家を継ぐ者がいなくて家も土地も荒れ果てていくのよりはうんといい。
新しくなった建物には何も言うことがない。
だが、建物以外のスペースを見ると、多くの場合、がっかりする。
その理由は、ほとんどがコンクリートやアスファルトでおおわれて、なんとも無機質な感じだからだ。
大概は自家用車を止めるスペースが必要だからということで固めてしまうのだろう。
だけど、車を止めても余るスペースがあるのに、土が見えなくしてしまっているのは、どうもなあ…。
土が見えない方が、草は生えてこないから、庭の世話も必要ないだろう。
だけど、コンクリートやアスファルトの土地には生物の命が感じられない。
見ていて味気ないことこの上ないなあと思うのである。
まあ、確かに初夏から晩秋まで雑草の除草に追われるのは、仕事をもっている人にとっては無為に時間が消費されてしまう感覚になるだろうけど。
 
わが家の場合、除草は生前の母ががんばってくれていたし、今はだいたい妻を中心に少し私がやるというような状況である。
でも、植物が生える土の庭があるから、季節の移り変わりを感じることができる。
今の季節、春の庭は、次々に様々な種類の花が咲く。
今までロウバイ、ヒマラヤユキノシタ、レンギョウなどが咲き終わったが、
ハナモモ
チューリップ
スイセン
スノーフレーク
プリムラ
ハナニラ
オキナグサ
…などの花が、今は庭を彩っている。
 
その花たちを眺めているひとときは、ほっとする時間だ。
生える雑草もまだ大量でないから、草取りにかける労力も少なくすんでいる。
 
イチゴやオダマキ
スズランの花も咲き出したし、シランやシャクヤクの背も伸び出したからやがて咲くだろう。
 
手入れの大変さはあるが、土の庭に育つ植物たちの花や育つ姿を、これからも楽しんでいきたい。
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50年以上たっても、本質的な問題は変わっていない ~「恍惚の人」(有吉佐和子著;新潮社)を今さらながら読む~

2024-04-25 19:48:54 | 読む

50年以上も前にベストセラーとなったことを知っていたが、読まずにいた。

それは、自分が若かったからだし、老人を描いた小説なんて読みたくなかった。

なにしろ、1972年の作品だったから、その頃自分は高校1年生。

恋バナとかもっとワクワクするものを読みたかったのである。

だが、自分が高齢者となって、読まずにおいてはいけない気がして、今回初めて読んでみた。

それが、この有吉佐和子の「恍惚の人」。

 

姑の突然の死によって、認知症になってしまっていた舅を、家族として介護せざるを得なくなってしまった主人公の昭子。

1972年の頃であれば、たしかに嫁が老いた舅の世話をしなければいけない時代であった。

時代を反映するように、話の始まりから、人が亡くなった時に家庭で一般にどのような手順を踏んでどんなことを行いながら葬式まで行うか、まったく知らなかった昭子を追いながら、それらを示していく。

今は、葬儀会社に連絡すれば、つつがなく行ってくれはするが、あの時代はまだ各家庭で行っていたのだった。

そんなふうに時代を感じながら、読み進んでいった。

 

途中途中ではさまる情報が、当時の様子を伝え、と未来(われわれが生きている現在)の姿を示唆してくれていた。

 

例えば、会話に現れる、当時の平均寿命。

「なるほど、女の方が平均寿命が長いんですからな。七十歳でしたかね」

「七十四歳ですよ、あなた」

(略)

「男の平均寿命は何歳でしたかな」

「六十九歳」

…そういえば、このくらいだった。

現在では、2022(令和4)年のデータで、日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳というから、ずいぶん長命になったものだ。

 

そして、1970年頃には、明治時代に生まれた人間も元気な人が多かった。

明治生れが全人口の三パーセントに減少しているというのに、我々の会社は未だにこの三パーセント族に押さえこまれているではないかと一人が嘆けば、日本人口の老齢化が我が社においても顕著であると一人が和す。

 

本当か嘘か知らないが、今から何十年後の日本では、六十歳以上の老人が全人口の八十パーセントを占めるという。

昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという。

 

文明が発達し、医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき超老大国が出現することを予告していた。

そして、現にほとんどそれに近い形になっている。

現在、年老いて長生きすることは、幸福につながっているのだろうか。

物語で、昭子の息子の高校生敏は、祖父にあたる茂造の姿を見るたびによく言うのであった。

「パパも、ママも、こんなに長生きしないでね」

 

小説では、時間の経過とともに認知症の程度が深まる舅の茂造の様子が、具体的で詳しく書かれてあった。

そして、介護に取り組む嫁の昭子のかかわり方や心の移り変わりも。

 

本書では、認知症となった高齢者の症状や、その介護についての問題、嫁姑の問題、夫婦間の問題、働く女性の家庭との両立の問題など、たくさんの問題があぶり出されていた。

それらの問題は、50年たった今でも、少しも色あせずに残っているのが何とも言えない。

本質的な問題は、何も変わっていないのだ。

 

昔この本を読んでも、ちっともピンとは来なかったかもしれない。

だが、自分も60代後半まで生きて経験を重ねてきたから、今になって本書の登場人物の心情がわかるようになったと思うことも多くあった。

 

幸い自分の場合、自分の両親も妻の両親も、認知症の問題には直面せずに済んだ。

齢を重ねることは誰でも経験することだが、さて、自分は今後どうなる?

昭子が茂造の様々な行動に疲れ切ってしまいながらも、しっかりと対応していたのは立派であった。

私自身はどうだろう?そんな訳の分からない状態になったら、彼女のような対応を周囲の人にしてもらえる自信がない。

自分の身に置き換えて、様々なことを考えさせられた。

 

とにもかくにも、ずっと気になっていた「恍惚の人」という小説を読み終えることができた。

「恍惚の人」にならないようにするには、どうすればよいのかは分からないが、自分なりに「終活」を意識しながら、日々生活を充実させて生きていきたいものだとは思うのだが…。

 

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今夜の横浜、野球もサッカーも雨中の激闘、画面見つめて大興奮

2024-04-24 22:28:35 | スポーツ

雨中の熱戦。

今夜の横浜は、雨だった。

にもかかわらず、野球もサッカーも試合が行われた。

風雨の強いコンディションなのに、どちらも激闘の好試合だった。

 

野球は、DeNA-阪神の試合をBS-TBSで観戦。

0-1の阪神リードで、5回を終えたところで雨で中断。

30分たって再開すると、DeNAは投手を代えたが、阪神は先発伊藤がここまで無安打に抑えていたこともあり、交代せず続投。

無安打だからとその後も投げていたが、ついに、7回に連続安打を打たれ、右翼手森下の後逸もあって、3点を入れられ、逆転された。

伊藤は、塁に出たり残ったりしていたから体力の消耗も激しかったのだろう、気の毒だった。

試合は、このまま終わるのだろうと思っていたら、降り続く雨の中、DeNAの抑え山崎を攻め、無死満塁のチャンスを作った。

ここで、森下が汚名返上の(?)死球で1点差。

その後、大山のタイムリー、ノイジーの四球、木浪のタイムリーで、一挙4点を取って大逆転。

DeNAも、その裏2死1,2塁のチャンスを作ったが、阪神が、5-3で雨中の熱戦を制した。

激しい風雨の中、最後までどちらが勝つのか分からない、好ゲームだった。

 

サッカーの方は、ACLの準決勝、横浜F・マリノス対蔚山をDAZNで観戦。

マリノスは、アウェイの第1戦を0-1で落としている。

今日は、勝つためには2点差以上のゴールが必要であった。

ホームでの決戦に、マリノスは、出足から好調に得点を重ねた。

前半の30分までに3点を取ったから、合計3-1になり、マリノスが勝てる、と思った。

しかし、好事魔多し。

蔚山に1点を返されると、39分だった。

マリノスのDFがスライディングすると、相手の蹴ったボールが手に当たり、決定機阻止でハンドの反則を取られPKを与えてしまった。

それだけでなく、同時に一発レッドでの退場処分まで下されてしまった。

PKは当然決められてしまい、合計3-3の同点となってしまった。

なのに、この先、ずっと1人少ない10人でマリノスは戦うことになってしまった。

前半はおろか、後半もずっと蔚山に攻められっぱなし。

いつ失点してもおかしくないなか、粘り強くよく守った。

相手のゴールが決まったかに見えたときも、VARによってノーゴール判定になった幸運もあった。

後半も全員でよく守り、15分×2の延長戦も、相手に得点を許さなかったマリノスは、ついにPK戦での決着に持ち込んだ。

すると、相手の5人目のキックを、ここまでナイスセーブを連発してきたGKポープ・ウィリアムが、しっかり阻止した。

マリノスは、最後のキックを決めて、PK戦を5-4で制した。

これで、初のACLの決勝進出を決めた。

本当によく耐えて、激闘を制したマリノスに、拍手だった。

 

今夜は、こうして、テレビとパソコン画面を両方見ながら、サッカーと野球とどちらの試合もハラハラしながら、勝敗の行方を見守った。

いやあ、興奮した。

横浜での雨中の激戦2試合は、感動ものだった。

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特別な山野草たちの花見に、今年も恒例の場所に行ってきた

2024-04-23 19:38:01 | 草木花

植物は、その種類によっては、その場を動かずにまた次の年に美しい花を咲かせて生きていく。

昨日のブログでは、そんなことを書いた。

 

特別な山野草たちが見たくて、去年もおととしも出かけた恒例のその場所へ、今年も行ってきた。

 

その場所で見たかったのは、主に3種類の山野草。

まずは、この花。

ニリンソウ。

1か所から2本の花が咲くからニリンソウ。

ときに3本出ているものもあるが、それでも名前は、ニリンソウ。

 

だけど、本当に見たかったのは、もっと珍しい花。

残念ながら、花は終わって実がなっていた。

その名は、コシノコバイモ。

咲いていれば、こんな花が見られたはずなのだが…。

花が見られず残念ではあったが、実がなっているものを3本確認できたから、来年に期待したい。

 

この時季、この場所ならこの花が確実に咲いているはずだから、ということでここに来た。

その花は、オオルリソウ。

瑠璃色の花だから、きっとこの名がある。

だけど、紫色のものがあったり、

ピンクの色のものがあったりする。

その色の色々を楽しむこともできるのがいい。

 

それ以外にも、わが家の近くでは見ない野草も見ることができた。

イカリソウ。

キランソウ。

マムシグサ。

など…。

 

 

次の場所に移動。

そこは、去年、初めてこの花に出合った場所。

今年は、去年ほど咲いていなかった。

でも、会えてうれしかったよ、アズマシロカネソウ。

名前は、去年のブログを見ないと思い出せなかった。

山野草の花は年々きちんと咲いているが、それを見る私は、年々着実に老人力が高まっている。

 

ここでは、大好きなミヤマカタバミの花にも会うことができた。

白く清楚なこの花は、よく晴れていないと開いてくれない。

今日はくもりがちで、下向きで開き切らないものが多かったが、見られたこと自体がうれしい。

 

3か所目は、この花見。

ヒトリシズカ。

ヒトリと言いながら、群落になって咲いていた。

 

 

最後に、明るいこの花が咲く場所へ。

レンゲソウ。

意外と見ることがなくなってしまったから、生き残っているのを確認できて安心した。

 

こうして、今年も、期待した山野草の花などを見ることができた。

それは、植物たちの生命力にふれることができたということでもあった。

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走って汗をかき花を見て、ほんの少しだけ癒された思い

2024-04-22 21:36:20 | RUN

どうにも、もやもやした思いが吹っ切れない。

自分が努力して吹っ切れるものなら、吹っ切れるように努めるのだが、そのたぐいのもやもやではない。

少しでも払拭したくて、走りに出ることにした。

走りといっても、今はジョギングでしかないのだが。

 

そして、気を紛らわすには、自分の場合、やっぱ花見が最適なのだ。

そこで自然の中で咲いている花たちに会いながら走る、という方法を選んだ。

 

気が重いと、体も重く、足取りも重い。

ひいこらするほどの速さではないのに、最初の2kmほどは、なんでこんなに進まないんだ!?…という思いで、グダグダだった。

 

最初に見かけたのは、ツツジの花。

陽当たりがそんなにいいとは言えない場所なのに、がんばって咲いていた。

そうか、もうツツジが咲く季節を迎えているのだなあ。

 

もう少し行くと、オオイワカガミの花がこちらを見つめていた。

もう自分たちの季節だよ、と言っているようだった。

 

だけど、見たかった花のイワナシは、もう花期を過ぎていた。

花が茶色く枯れていたり、もう実になっていたりで、花を見つけられなかった。

 

時間が過ぎる、季節はめぐる。

人の都合なんか全く関係なく、植物のありようは変わっていく。

 

ここでは、桜の花がまだ咲いていた。

ソメイヨシノではなく、山桜に近い種類の桜なのだろう。

葉もあるが、花はまだまだきれいだった。

 

桜の花を見ると、亡くなる前の年に入院していたときの母を思い出す。

「きれいな桜を見せてもらったよ。」

看護師さんの押す車椅子で、病院のそばの満開の桜を見せてもらいに行って帰ってきたときの穏やかな笑みは今も忘れることができない。

あれから、もう20年になるのか。

その母を見送ったわれわれが、「られる」方になる時も近づいているのかもしれない、などとも考えた。

 

そんなことを考えたせいか、白菊ならぬ「白オオイワカガミ」が見つかった。

まったく…。

 

母のことや人生を思いながら、山野に咲く花を見ながらの走り。

人の命には限りがあるし、植物も花を咲かせ実をつけてやがて枯れていく。

しかし、植物は、その種類によっては、その場を動かずにまた次の年に美しい花を咲かせて生きていく。

考えようによっては、野草は、人より強いのかもしれない。

そんなふうに、命のことまで考えながらの7kmジョグRUNになった。

 

もやもやした気持ちが吹っ切れはしなかったが、汗をかき花を見て、ほんの少しだけ癒された思いがした。

 

 

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「いつか君が運命の人 THE CHAINSTORIES」(宇山佳佑著;集英社)を読んで

2024-04-21 20:25:53 | 読む

学生の頃、NSPが歌っていた曲に「赤い糸の伝説」というのがあった。

運命の人と赤い糸がつながっている、という伝説をもとにした歌だった。

あの歌の出だしは、

♬ あなたと僕の 小指の糸が ほどけないように 結びましょ

だったなあ。

そんなことを懐かしく思い出しながら、間違いなく若者向けの本なんだけど、このオレンジ色の表紙にひかれて、本書を手に取った。

 

まあ、ファンタジーだと思いながら読んだわけだけど、その指輪をつければ、「運命の赤い糸」が見えて、自分と赤い糸で結ばれた運命の人が分かる。

この本は、そんな指輪を巡る、6つの連作短編集だ。

 

①僕らはあの頃と変わらない

②どうして機嫌のいいときしか好きって言ってくれないの?

③わたしのものって思っていいですか?

④わたしを失望させないで

⑤わたしが求めているもの

⑥今、誰を愛してる?

…という6編から成り、それぞれに指輪が絡んでストーリーが進む。

そんな不思議で素晴らしい指輪なんだけど、1か所にとどまらないで、次の話に登場してつながっていく。

さすが、CHAINSTORIESというだけある。

 

読んでいて途中でびっくりしたのは、第1ストーリーの終盤に、それまで主人公だと思っていた登場人物が亡くなってしまったこと。

こんな展開をする話は、今まで読んだことがなかった。

 

そして、決して確実にハッピーエンドとは言えないような予想外な結末になるのは、どの話も同じ。

短編の1つ1つが、読んでいた自分の想像をはるかに超えた結末になりながらも、読み終えるとどこかしみじみした思いになって、次の話に移ることができるのだった。

その締めくくりが、最終話では、最後に第1話につながる展開になって、しんみりした思いも抱かせられた。

 

 

個人的には、認知症になってしまった母との関係をめぐって話が展開する、まるで赤い糸とは関係ないような第5話が、好きだ。

 

まあ、およそ67歳の男が読むのにふさわしい本かといえば、NOだろう。

でも、恋の話で、自分が忘れていた若いころの不安な感覚を思い出したりするのも悪くないし、第5話のように遠からぬ自分を感じさせる(?)高齢者の登場だってある。

 

夕日は、人を感傷的にさせる。

そんな夕日が描かれた表紙絵からの感傷で、珍しくこのような本を読んだが、個人的には面白かったなあ。

宇山佳佑氏の本、いつかまた違うものを読んでみよう。

心を若くして…?

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