ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

冬支度あれこれ

2016-11-27 22:14:49 | 新潟
この土日、昨日の土曜日は青空の晴れ。
今日日曜日は、くもり空で時々雨。
11月最後の週末、冬支度となることをいくつか行った。

昨日は、庭木の剪定。
特に、少し高くなり過ぎて隣家に枝を伸ばすハナミズキとイロハモミジを、脚立を使ってのこぎりでギコギコして切り落とした。
サザンカやツバキは脚立は不要だが、見た目をよくするために剪定。
積雪があると、雪の重みで枝が折られてしまうことが多いのである。
だから、切っておくことが大事になる。
本当は、その後には植木の1本1本を冬囲いしようとも思っていたのだが、枝の切り落としで力を使い果たしたので、そこまでで終了。

今日は、早朝より落葉掃きを中心とした町内清掃。
町内の中でイチョウ並木があるのだが、そこの清掃。
昨日は晴れていたのに、今日は、弱い雨。
その中を清掃。
今年は、例年よりイチョウの落葉が早かったため、今日はすでにそんなに落葉は残っていなかった。
しかし、雨に打たれながら、国道の道路端やその脇の歩道にはみ出した枯草などまで、町内の人々と一生懸命に掃き集めた。

午後からある研修会に参加して帰宅した後は、いよいよ冬用タイヤを準備し、車庫の中でタイヤ交換。
車を運転するようになってから、タイヤ交換だけは、自分で行っている。
4本のタイヤの交換作業を終えたら、ガソリンスタンドに行き、空気圧の調整をしてもらった。
よし。これで、いつ雪に降られても、とりあえず車の運転は可能。

大して雪の降らない地方の人にはわからないような冬支度がいろいろあるのだ。
まだまだ様々な冬支度はあるのだが、怠りなく準備あるのみ、である。

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山の頂が3度白くなったが、こちらに雪は降らなかった

2016-11-24 21:05:43 | 自然・季節
以前ここで書いたこともあったと思うが、「山の頂が3度白くなると、雪が里に下りてくる」と言う。
つまり、本格的な雪の降る冬を迎えるということだ。
新潟の今住んでいるところでは、今朝が3回目の頂が白くなった日であった。
今月初旬が、1回目であった。

写真を見ても、本当に白くなったかどうかは、わからないくらいである。

2回目は、11月10日。

夕方、夕陽を浴びて赤くなった山の上部が、白くなっていた。


以降、その白さが消えてしまっていたのだが、今日はしばらくぶりに山が白くなっていた。

…と言っても、上部は雲に隠れて見えない。

別方向の、それよりは300mほど低い山は、このように美しくなっていた。

しかし、山の頂が白くなったのが今季3度目の今日なのに、里に雪は降りてこなかった。

当地では、今季、まだ降雪・積雪はないのである。
それなのに、今日は、東京をはじめとする関東甲信で、降雪はおろか積雪まで記録したという。
びっくり!

ニュースでは、降雪は54年ぶりだが、積雪は観測以来初めてだと言っていた。
その54年前、私はまだ5歳だったが、新潟では俗に言う「サンパチ豪雪」となった年である。
幼いころの記憶だから定かではないが、家の外から家に入る時、相当高く積もった雪の上から家の玄関までをかなり下って入ったことだけを覚えている。

新潟では、11月に降雪や積雪は、何年かに一度はある。
私が高校生の頃にも、どっと降ってバスが来ず、通学に困ったことがあった。
だが、今季、降雪すらまだなのである。
今までの人生の中で、新潟より東京が先に積雪したのは初めてのことであった。
今日会った人は、「東京の方が先に雪が降ったり、地震が頻発したり、どうなっているんでしょうかねえ。」と言っていた。

うーん…、どうなっているんでしょうねえ…。

新潟の冬は長い。
今度はどんな冬になるのだろうか…?



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福島県沖で地震発生

2016-11-22 20:28:08 | 自然・季節
ズシッと言う音がして緩やかに揺れた。
「地震だ。」
と、寝床から天井を見上げながら口にした。
寝室には、妻と娘が寝ているが、二人とも揺れていると認識していた。
寝室の電灯や火災警報器のにつながるひもが揺れていた。
その後、横に揺れるのが続くのを感じていた。
長いな、と思った。
ただ、揺れ方はそんなにひどくなかった。
震度3かな?震度4まで行くくらいだろうか?
震度4なら、勤務先にすぐ向かって、被害状況報告が必要になる。
そんなことを考えて起きると、当地新潟の震度は3ということだった。
ただ、NHKのテレビは、福島県沖で起きたマグニチュード7.4の地震だと告げた後、ずっと福島県いわき市の小名浜港を映していた。
津波警報が出ていたのである。
「3mの津波が来るから今すぐ逃げて。」と、繰り返していた。
東日本大震災以来の津波警報。
いわき市は、母の実家がある。
いとこなど親戚がたくさん住んでいる。
言っているほど大したことがなければいいが、と思った。
ただ、親戚たちは今、避難するので大変だろう。
そう考えて、電話やメールは慎むことにした。
「小名浜港に60cmの津波が到達」というニュースは見たが、その後まもなく出勤した。
8時20分頃、いとこからメールが入った。


ご心配をおかけしております。
地震の被害はありません。
津波も現在のところ、目だった兆候は見られません。
近くの老人介護施設に避難しています。
2人の息子や家族の無事も確認しています。
とりあえずわが家の状況の連絡です。


ほっとした。
どうやら、その後も大したこともなく、1日が終わったようだ。

夕方、メールで知らせてくれたいとこや母の実家へ電話連絡をした。
いずれの家も、5年前の経験を生かし、それぞれ安全のための避難行動をしていたことが分かった。
無事でよかった。
電話では、余震が結構あるとも伝えてくれた。

今年4月、熊本では、2度目に起こった地震の方が本震となった。
油断していてはいけないだろう。
まずは、これ以上のことが起こらないことを祈っている。
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ごせん紅葉マラソンに初出場~おもてなしの心のこもった、心地好い大会~

2016-11-13 17:38:45 | RUN
初めてごせん紅葉マラソンに参加してきた。
スタート・ゴール会場は、五泉市の村松公園の陸上競技場。

ハーフマラソンのコースは、紅葉マラソンの名に恥じないように山の方へ向かって走る。
しかも、それが3方向あって、いずれも戻って来るようになっている。
3方向だから、まるで、もみじの葉脈を描くようなコースになるわけだ。

ただ、この大会は、また参加したくなるような気分にさせてくれる「おもてなし」がたくさん感じられるものだった。
役員や様々な人々が、みんなで盛り上げてよいものにするぞ!という気概に満ちていた。
控室のある村松体育館「さくらアリーナ」にシャトルバスが到着すると、高校生たちが左右の列になって声を出し迎えてくれていた。
参加賞を配る女子高生たちも、元気がよかった。
コースのあちこちに、専用の手袋でハイタッチしてくれる「ハイタッチガールズ(!?)」の皆さんが出てくれていた。
そして、ゼッケンの選手名は、番号と同じくらいの大きさで書かれてあるのだ。
「でかい!」と思ったけど、これにはちゃんと訳があった。
文字が大きいので、沿道で応援する人も、ゼッケンを見て選手の名前を呼んで応援してくれることがあるのだ。
固有名詞で応援してもらえるのは、なんともありがたい。
ランナーたちと一緒に走る応援団の人たちも、何人もいて、よく声を出して励ましていた。
「応援団長」とか「副団長」とかいうロゴをつけて走っている人たちは、本当によく頑張って応援しながら走っていた。
また、沿道で、私設のエイドを行って、チョコレートをかごに入れてサービスしてくれている方々もいた。
そして、ゲストランナーの人たちがまたすばらしかった。
銀メダリストエリック・ワイナイナさんは、最後尾から抜いていって、ランナーの背後からそっとタッチして励ましていく。
折り返すと、今度はハイタッチしてくれる。優しい人だ。
競歩の世界選手権メダリスト山崎勇喜選手は、本当に競歩で勝負していた。
ところが、その速さがすごい。一般ランナーに負けず、そうとう上位でゴールしたはずだ。
彼は、競技場内で、帰って来たランナーたちをハイタッチで迎えてくれていた。
うれしいなあ、このゲストランナーン皆さんの実力と謙虚さは、改めてすごいと思った。

新潟県や地元のキャラたちがスタート・ゴール地点に並んでいた。

キャラたちに負けないのは、コスプレ・ランナーたちだ。
このマラソン大会は、仮装にも力を入れている。
だから、今まで参加した中で、最も仮装ランナーたちが多かった。
水戸黄門御一行、auのCMの3太郎(桃・金・浦島)、ヒョウ柄、メイド、タイガーマスク、マスクマン各種、ガチャピン、…その他いろいろ。
まあ、仮装ランナーに次々に抜かれていったのだけどね。
最も驚いたのは、金太郎に抜いていかれた、と思ったその瞬間であった。
腹掛けの裏側は、お尻がむき出しだったのである。
もっとも、Tバックのようなものははいてはいたのだけれども。
今日は秋晴れで、気温がだいぶ上がったので、かぶりものをしている人たちにはそうとうつらかったと思う。

さて、私自身だが、前半は調子こいて、10kmぐらいまで1kmあたり5分台の前半のタイムを刻んだのであった。
しかし、その後15kmあたりまでは5分台の後半になり、16kmから20kmまでは6分台の前半が続き、最後は6分42秒もかかってしまったのであった。
コースについて言えば、3つの往復コースがあるうち、最初のコースは結構平坦だった。
アップダウンが激しいのは、最後のコースである。
苦しくなっているのに上りが続き、苦しさを増長する。
なのに、折り返し点の前に、一気に下る所があり、ゲゲッと思った。
なぜなら、そういう場所は戻って来るときにはきつい上りの急坂になるからだ。
折り返し点の近くに、私設チョコエイドがあった。
チョコは大好きなのでうれしかった。
しかし、例の急坂はきつくてガクンとスピードが落ちてしまった。
また、残り3km地点あたりでも、私設チョコエイドはあった。
いやしい私は、3,4個取ったのだが、1個落としてしまったのでしゃがんで拾おうとしたら、ズキン!
右脚のふくらはぎがつってしまった。
そして、残り1kmで最大の上り坂がある。
後ろから来たランナーたちは、ラストスパートをかけて私を抜いていく。
私もがんばりたいが、右脚に続いて左脚もつってしまった。
懸命に腕だけ振って、なんとかゴールにたどり着いた。

2時間2分台になってしまったが、完走!

参加賞の1つ、焼き餅をいただくために並んでいたら、目の前が真っ白になった。

ハーフを走った後は、いつもこんなふうになってしまう。
力を使い果たしたってことですな。
ここ村松公園は、モミジやイチョウの紅葉・黄葉が美しい。

以前、この時期に妻と何度か来たことがある。
今年は、夫婦で紅葉見物ができなかったな、などと思いながら、会場を後にした。


これで、今年のレース出場は終了。
村上・元旦マラソンで10km、笹川流れマラソンそして関川マラソンでハーフを、かみはやし穀菜マラソン10km、新潟シティマラソンで42km、そしてごせん紅葉マラソンでハーフ。
ふくらはぎ痛、首痛などの体調不良に悩まされながらも、すべて完走できたことが何よりうれしい。

還暦を迎える来年も、走れる体でいたいと思う。
(そのためには、もうちょっと意図的計画的に鍛えていく必要がありそうなのだが…。)
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娘よ(81)~親子で20年ぶりにピンポンを楽しむ!~

2016-11-07 22:01:29 | 生き方
長い距離を走るようになったことによって、体重が減った私。
病に倒れてからの運動不足と薬の影響によって、体重が増えた娘。
以前は、35kgほど体重が違っていたのが、今は10kgくらいしか差がない。
いつぞやは長距離を走って帰った後の私の体重と娘の体重の差は、7kgほどしかないという時もあった。
毎日の運動量確保が課題なのだが、近頃は寒くなってきたので、散歩もできず出不精になる。
出不精が、その読みのとおり「でぶしょう」つまり娘には「デブ症」に直結してしまうのだ。

おまけに、この頃は頭の痛みを訴えることもある。
頭の痛みは、入院中は、けいれん発作の前触れであることが多かった。
11月は、2年前に最後の発作が起こった月である。
3年前は、よくなってきていたのに日に5回も発作を起こしてしまい、完全にダメージを受けた月でもある。
だから、油断はできないのだ。
今は、頭痛を訴えた時は、多少でも楽になれば、と思って肩もみをしてやったりしている。
ただ、頭が痛いのに、あまり激しい運動をさせるわけにもいかない。
ただし、運動不足はあまり良くないだろうとは思う。

運動不足を少しでも楽しく解消できれば、ということで、これを取り出した。

そう、卓球である。
わが家には、娘たちが小学生の頃に買った、ひと回り小さいサイズの卓球台がある。
まあ、卓球用というより「ピンポン用」と言った方がよいのだが。
20年ぶりに、これを引っ張り出した。
ネットもないけど、これを車庫に出して、娘とラリーを楽しんだ。
中学校時代は、卓球部に属し、あの当時あまりレベルが高くない市であったとはいえ、市内大会で優勝したこともある娘である。
さすがに、普通のフォア打ちやハーフボレーによるショートなどは、結構できるものである。
まともにフォア打ちを続けたら、30本近くラリーが続いたりもした。
体が、ここまで回復したということ。
2年前は、立ち上がっただけでよろめいて倒れたりしていたのだが。

小さい台なので、すぐに入らなくなるのだが、ピンポンができるのは楽しい。
小・中学生時代の娘とは、よく近くの体育館に行って卓球を教えたものであった。
懐かしいなあ、と思う。
ラリー自体が、親子の、父娘の会話、といった感じがする。
コート(台)が狭いので、本格的に打つには難しさもある。
だが、広いとたくさん動かなくてはいけないので、ちょうどいいとも言える。
時々強く打ったり回転をかけたりして変化をつけると、もちろんなかなかとれない。
でも、そんな1つ1つをたっぷり楽しむことができるのだった。

30分くらい卓球をして過ごすことは、今まで3,4回やった。
足腰が少ししっかりしてきているからできるのだ。
休日の際など少しでも運動不足を補い、またピンポンを楽しみたい。

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新潟、(他力本願ながら)今年も奇跡的な残留を果たす

2016-11-03 22:46:39 | アルビレックス新潟
最終決着はついた。
新潟、J1残留!
新潟は、たった1点が取れなかった。0-1で負け。
しかし、名古屋がこけてくれた。1-3で負け。

駐車場は、浦和戦ほどではないが、いつもより混んでいた。
イタリアンを食しようとしたが、列が混んでいて、なかなか前に進めなかった。
中に入れたのは、試合開始直前。

サポーターのNスタンド1層目は、立って応援する人が2列3列になっていた。
2層目に回ったが、空席を探すのが大変だった。


いよいよ試合が始まる。
ブラジル勢の主力が2人いないと、電光掲示板に迫力がない。
しかし、試合は五分の展開。
試合開始直前には、陽が射していたのに、くもってきた。
すると、20分、今までノーチャンスに抑えていたのに、広島のピーター・ウタカにあっさり先制点を許す。
なんてこったい!
チャンスはあったが、枠をとらえないシュートが多い。
それでも、懸命にボールを追う選手たちからは、気迫を感じた。
なかでも、レオシルバに代わって入っていた小泉慶は、鈴木武蔵と共に坊主刈りになっていたが、最も試合にかける気持ちが伝わってくるプレーぶりであった。
彼がもらったファールから、何度もフリーキックのチャンスを得ていた。


ハーフタイムになって、他会場の経過報告がスタジアムに流れる。
名古屋は、0-2で負けていた。
場内に、ホッとした空気が流れた。
しかし、まだまだわからん。
(現に、前半2-0でリードしていた川崎が、後半ガンバ大阪に3点入れられ、逆転負けした。)
後半開始してからしばらくは、雨。

泣く結果になるのか?と思ったが、途中から再び陽が射してきた。
観衆は、27,091人。3万人には満たなかったが、終盤も応援に声を枯らした。

最後の選手交代が、攻撃の選手に代えて、守備の大野だった。
…ということは、名古屋が負けているから、余計な失点をしないための交代か、と思えた。
タイムアップ。

結局0-1で、新潟の負け。

間もなく新潟の残留が告げられた。
場内は歓喜するというより、安堵したという雰囲気であった。


最終戦セレモニーでは、「おめでとうございます。」という言葉で、一人米山新潟県新知事がはしゃいでいた。
田村社長の挨拶の際には、サポーターのNスタンド一層目を中心に、激しいブーイング。
声がよく聞こえないほどの声と太鼓の音だった。
拍手で迎えられたのは、残留をとりあえず果たした片渕監督。

監督は、選手に、サポーターに、スポンサーやスタッフに、そして闘病中の史哉にと、拍手を要求した。
その心遣いに、責任感の強い優しい人なのだなと思った。
最後に、選手を代表して主将の小林祐紀が挨拶をした。

残留争いになってしまったのは、選手、特に主将である自分のせいだとして、今後サッカーだけにもっと没頭してがんばることを誓っていた。

2016年シーズンが終わった。
期待に満ち満ちていたのに、2年続けて残留争いでドキドキするだけになってしまうなんて。
そして、今年も、奇跡的に残留することができた。
勝ち点は、わずかに30。
名古屋と同じだったが、得失点差でわずかに上回ることができたことで、生き残ることができた。
また来シーズンも、J1で戦うアルビレックス新潟の試合を見ることができるのは、非常にうれしい。
一度J2に落ちたら、そう簡単に戻っては来れないだろう。
捲土重来。来年の奮起を期待しよう。

さて、まだ天皇杯が残っている。
9日後に4回戦、準々決勝目指して横浜・F・マリノス戦が向こうのホームで行われる。
残念ながら、試合時間中は、仕事の関係で、試合時間の観戦はできないけれども…。
J1残留を決め、ふっきれた選手たちの躍動する姿が見たいと思う。
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いざ、最終決戦!

2016-11-02 21:34:53 | アルビレックス新潟
休日明け、大阪に行ってきた職員は、申し訳なさそうに帰ってきた。
ガンバ大阪と新潟の戦いをしっかり最後まで見て、落胆して帰ってきた。
勝ち点3は持って帰れず、代わりに一口サイズのタコ焼きせんべいを職場の人々に持って帰って来た。


最終節を迎えて、2016J1リーグの年間順位は、以下のようになっている。
13位 磐田 勝ち点33 得失点差-14
14位 甲府    31     -25
15位 新潟    30     -15
16位 名古屋   30     -18
17位 湘南    24     -28
18位 福岡    19     -36
すでに、福岡、湘南のJ2降格が決まっている。
残る1チームの降格が、明日の最終戦で決まる。
ついにここまで来てしまった。

名古屋が敗れれば、新潟は大敗しない限り残留が決まる。
しかし、新潟が敗れた場合、名古屋が引き分け以上で新潟の降格が決まってしまう。
勝つしかないのだ。
ところが、前節のガンバ大阪戦では、主審の誤審もあって、主力2選手の退場処分をはじめ、警告による赤や黄色のカードが乱れ飛んだ。
FWの点取り屋ラファエル・シルバは、完全な誤審で退場処分。明日の最終戦は出られない。
MFのボランチ、「新潟の心臓」とも呼ばれるレオ・シルバは、抗議した際の手が審判の腕に触れてしまい、主審の怒りを買い一発退場。明日の最終戦は出られない。
守りを統率するCF舞行龍は、イエローカードをもらってしまい、累積3枚となり、明日の最終戦は出られない。
決定力のあるMF野津田は、対戦相手の広島からの期限付き移籍ということで、明日の最終戦は出られない。
なんと、攻守のレギュラー4人が出場できなくなってしまった。
それなのに、対戦相手は、昨年優勝の広島。
今季は6位に甘んじているとはいえ、強い相手だ。

片渕監督、どう戦う?

残留を争う自他のチームの対戦相手を見てみよう。
13位 磐田  アウエー仙台(現在12位)戦
14位 甲府  ホーム鳥栖(現在11位)戦
15位 新潟  ホーム広島(現在6位)戦
16位 名古屋 ホーム湘南(現在17位)戦
こう見ると、新潟が戦う相手が最も強敵ということになる。
それなのに、レギュラー抜きで勝てるのか?
「心臓」や「点取り屋」や「ゴール前の壁」たちがいなくて、勝てるのか?
…という懸念でいっぱいになってしまう。

しかし、最終戦は、延期になることはない。
延期になったって、出場停止の選手たちは出場できないことに変わりはない。
先日以上の薄い首の皮1枚を残す、絶体絶命のピンチである。

私たち応援する側は、勝利を信じて祈るばかりである。

主将の小林 裕紀は「出られない選手もたくさんいるし、病気の選手もいる。そういう人たちの分も背負って、必ずJ1にいなければいけない」と言っていた。
その思いを信じて応援したい。
明日の最終戦は、幸いなことにホームで行われる。
スタジアムに行き、応援の声を出し、選手たちの背中を押していきたい。
2012年には最終戦で奇跡の残留を果たした新潟には、今季も底力が残っていると信じている。

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