ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

今まで、ありがとう。矢野貴章。今度は、世界を相手に成長を続けてほしい。

2010-08-27 20:49:43 | アルビレックス新潟
そうか。ついに矢野貴章がドイツに渡るか。
今度はしようがないな。一度しかない人生だものな。
ドイツでがんばってほしい。
今まで、新潟で、よくがんばってくれたよ。
新潟のみんなが、貴章のがむしゃらに走る姿、好きだった。

W杯が終わってから、確かに貴章のプレーは、ひと皮むけた。
ゴールへの意欲がむき出しになった。
打つシュートに強引さが出てきた。
以前なら打たなかった姿勢で、振り抜く。
それが実っての今季初ゴールは、鹿島戦。
遠目だけど打ってみたのがよかった。
相手選手に当たって、コースが変わり、待望の今季初ゴールを生んだ。
その試合から5試合で3得点。
ゴールへの渇望。
新たな覚醒を見た気がした。
そんな中で、貴章のこれからが気になっていたのも確かだった。
去年、一度はあきらめた海外でのプレー。
今年はW杯に出場し、さらに高いレベルでの環境を求めているのではないか、と。

例年夏になると、勝てなくなっていたのに、今季は勝利が多いアルビレックス新潟。
好調が続くチームの裏側には、代表経験を通じて、プレーが一層磨かれた選手たちの存在があった。
日本代表として、カメルーン戦に途中出場した矢野貴章選手。
日本代表に帯同したバックアップ・メンバーの酒井豪徳選手。
先日初めて韓国代表チームに召集されたチョ・ヨンチョル選手。
皆、プレーが以前より積極的になった。
動きに自信とキレが出てきた。
アルビの試合を見ながら、何かに飢えているようにさえ見えた。
やはり世界を経験すると、さらに上を目指して成長するものだな、と思った。

ドイツのチームからオファーを得て、「来るべき時が来た。」と思ったのは、矢野貴章本人だけではない。
新潟の、彼を応援するすべての人が、そう思ったのではないだろうか。
新潟の人々は、貴章が新潟に来てから、ずっと彼の成長を見てきた。
柏から来た翌年は、まだひょろひょろで細くて、接触プレーでは簡単に倒されたものだった。
今は、がっしりしてなかなか倒されなくなった。
攻撃に出たかと思うと、危険なところでいち早く味方陣内に戻って体を張ったプレーは、私たちの心を震わせた。
今まで、ありがとう。矢野貴章。
今までどおりの泥臭いがむしゃらさで、今度は、世界を相手に成長を続けてほしい。
今回の決断が、すばらしい未来につながることを祈っている。

オレたちとともに 戦おう
矢野貴章 矢野貴章
オメ キメレ 貴章!

このチャントは、新潟の皆が、ずっとずうっと応援して歌い続けるからね。
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猛暑の中、下見登山に登る

2010-08-24 21:33:29 | 「育」業
五頭山は、912mの山である。
山頂に当たる峰が5つある。
だから、五頭山。
912mという手ごろな山なので、新潟県内のいくつもの小学校が、ここの登山を行う。
私の勤務する学校でも、秋に全校登山を予定している。
秋に登山する学校の多くは、事前に職員が下見の登山をする。
秋に行うのだから、下見登山は秋に行えればいいのだが、そういう訳にはいかない。
平日は、授業を行って子どもたちを教えなければいけない。
仮に、午前上がりの短縮授業を行ったとしても、午後だけで頂上までの下見登山を行うにはかなり厳しい。
そんな事情もあって、暑い夏に下見登山を行わざるを得ないのである。

50代の女性職員は、この下見登山に耐えられるだろうかと自問し、先週友人と登ってきたという。
しかし、その無理がたたり、翌日以降体調を崩してしまい、肝心のこの下見登山に参加できなくなってしまった。
ああ…。

先日、その下見登山に私も行ってきた。
新潟県内の天気予報には、「熱中症警戒警報」が出ていた。
屋外での運動は慎んでください、とお天気キャスターは言っていた。
でも、下見登山ができる日は、行事予定や天候を考えると、そうそうよい日があるものではない。
レッツ、ゴー!である。
「絶対に急がない」と決めて、登った。
ところが、ある50代の男性職員は、最初こそ元気だったが、途中から目まいを訴え、ついに30代職員に付き添われながら、下山するはめになってしまった。
確かに、急がなくても、私自身流れる汗は尋常ではない。
8合目で、2本目のペットボトルを開けてのどを潤さざるを得なかった。

ゆっくり3時間かけて山頂到着!
山頂を吹き渡る風は、実に心地よかった。
しかし、元気なはずの30代男性職員1名が、頭痛を訴え、横になってしまった。
その彼がなんとか回復するのを待って、下山開始。

下りは、登りほどきつくはない。
でも、ひざや足首がやたら疲れる。
ペットボトルも、ついに水不足になる。
去年は2本で足りたのに、今年は足りない。
暑さを少し甘く見た。
ちょっとくらくらしてきた。
水がほしい。
早く山を降りてしまいたい。
しかし、なかなか登山口には着かない。
時折立ち止まり、息を整え、また歩き出す。
その繰り返し。

結果、なんとか登山口にたどり着き、水分を採り、事なきを得た。
とはいうものの、同行した皆さんも、本当に疲れたと言っていた。
私自身も、飲んでも飲んでも水分がほしく、しばらくぼうっとしていたくらいであった。

猛暑の中での下見登山。
ある種、命がけだったかもしれない。
以前に夏の山を登ったことがあったが、あのときよりもつらい気がした。
年齢、気温、時期、体力…。
様々な要素があるが、気をつけなくてはいけない。

表には出なくても、これだけ苦労していることだってある。
今日は、隣の学校の職員の皆さんも、全員で下見登山をしているのに出会った。
お互い、ご苦労さま。
事前準備も大変だね。
下見登山をしたこの準備活動が、秋の登山当日の成功につながることを祈りたい。
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槿、木槿、無窮花…夏さわやかに咲く花、ムクゲ

2010-08-20 17:17:48 | 草木花
数年前から、夏に咲くこの花が、きれいだなと思うようになった。
「ムクゲ」である。
あちらこちらで咲いているのを見かける。
色は、白のほかにピンクっぽいものや紫っぽいものもある。
個人的には、白い花びらで、中心部が赤く染まっているように見えるものが好きだ。

広辞苑によれば、もともとは、インドや中国から来た花だそうだ。
今は、韓国の国花になっているとのこと。
この花は、昔はアサガオと言われていたそうだ。
咲き終わって、落ちている花を見ると、咲いてしぼんだアサガオと似ていると言える。

漢字の辞典を調べてみると、
「槿」「木槿」。
そうか、木の菫(スミレ)かあ。
こんな書き方やこんな書き方があると言う。
「無窮花」
「困ることが無い花」だと。
それもそのはず、この花は胃腸薬や皮膚炎の薬にも使われていたそうだ。
なるほどねえ。

夏の花。夏真っ盛りのときに咲いている花。
アサガオやヒマワリもいいが、夏の樹木の花では、何と言ってもムクゲがいい。
やがて夏も終わるのだろうが、今年は暑さのせいなのか、ずうっと美しく咲き続けている。
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地元のチームが強いのは、やはり、いい。

2010-08-19 21:53:05 | アルビレックス新潟
この夏、野球やサッカーといった、メジャーな(?)スポーツでも、新潟が活躍している。
高校野球は、昨年準優勝した日本文理高に続き、今年も新潟明訓高ががんばった。
残念ながら、本日、兵庫県代表の報徳学園に1-2で惜敗してしまい、ベスト4入りは逃してしまった。
しかし、2年連続して、新潟県代表がベスト8入りである。
何せ、過去91回の大会で、県勢のベスト8入りは2度しかなかったわけだから、2年連続は、県にとって初めての偉業である。
北信越BCリーグでは、後期、新潟が首位である。
サッカーは、言うまでもなく、アルビレックス新潟がいい。
開幕直後は最下位であったが、前半戦終了時点で、11試合連続で負けなしであった。

先日、京都・奈良方面に旅行に出かけたとき、実は、京都サンガ対アルビレックス新潟のサッカーの試合も見に行ったのだ。
会場は、西京極陸上競技場。
今は、東北電力ビッグスワンスタジアムがホームの新潟も、以前は、新潟市陸上競技場が、試合会場であった。
同様な会場で試合をしていたのであった。
久々に屋根のない陸上競技場での試合、新鮮な気がした。
選手の出す声が身近に聞こえてきた。
西日をもろに浴びながら、提供された「冷えピタシート」をおでこや首筋に張りながら、声援した。
試合は、動きのいい新潟が、韓国代表に初選出されたチョ・ヨンチョル選手の活躍で、先制。
楽勝ムードになりかけたら、後半早々にミシェウ選手が1発レッドをもらって退場。
一人少なくなった新潟だが、よく守り、終了間際にさらに1点追加。勝利した。
アウエーの試合を応援に行ったのは、今回が初めて。
遠くに行っても、自分の応援するチームが期待通り勝つ。
うん、気持ちよい勝利であった。

試合前には、かつて新潟に在籍していた鈴木慎吾選手の握手&撮影会が行われていた。
我が家のミーハー娘は、わざわざ並んで握手してもらいに行き、興奮しながらそのことを教えてくれた。
試合後は、隣が西京極野球場なのだが、女子プロ野球の対戦がまだ行われていた。
帰路につく客たちに、「まだ野球の試合やっています。今なら無料ですからそのまま入ってご観戦ください。」と、呼び込みをしている人たちが結構いた。
新潟なら、プロ野球独立リーグ北信越BCリーグが行われていることを知っている人は多いだろうが、女子プロ野球があることを知っている人は少ない、というかほとんどいないだろうなと思った。
近畿周辺の人には応援する人も、結構いるのだろうなと思った。
いずれにしても、サッカーにせよ野球にせよ、近くに応援するチームがあるというのは、いいものだ。

京都戦後、サッカーアルビレックス新潟は、山形戦で0-1と久々に敗戦を味わい、次のホーム清水戦では、4-1と快勝した。
高校野球も、大会終了まであと2日という時に、新潟県勢ががんばっている試合を見ることができてよかった。(勝てば、もっとよかったけど…。)

地域に根付いたスポーツの応援、スポーツの観戦っていいな、と思った京都・西京極行であった。
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ついでに「ひこにゃん」にも会いに行こう!

2010-08-18 19:23:02 | お出かけ
全国に、いわゆる「ゆるキャラ」ブームの火付け役となったのが、「ひこにゃん」だと言われている。
本来は、平成19年の彦根城築城400年祭を祝うために作られたキャラクターだったようだが、人気が出て、その後も彦根城等の観光のシンボルとなっているようだ。
せっかく近くを通るのだから、「せんとくん」だけでなく、このゆるキャラの元祖(?)ひこにゃんに会いに行かなくては!!

奈良から半日がかりで彦根城になんとかたどり着いた。
時節柄道路が渋滞で大変だった。
入り口近くの彦根城博物館には、この日のひこにゃんのスケジュールがちゃんと貼ってあった。
10:30〜11:00 
13:30〜14:00 
15:00〜15:30 
ふむふむ。それならば、今は、13:10。この博物館に入って、ひこにゃんを見よう。
すでに、2列で並んで待っている人たちがいた。
私たちも、その後に続いて並んだ。
そして、ある部屋に案内され、ひこにゃんの登場を待つ。
担当者の説明によれば、今日は、最低4分以上はパフォーマンスをしてくれるとのこと。
その「最低4分以上」の時間が終われば、部屋の外で待つ次の人たちと交替になるそうだ。
出てきた、出てきた。着ぐるみひこにゃん。
頭のかぶとが大きすぎて、入退室の際は横向きでないと出入りできない。
様々なポーズをとってくれ、かわいらしい。
でも、さすがに複雑な姿勢はとれないので、首の鈴をさわってみたり、ちょっとした小道具をいじってみたり…。
その辺の1つ1つのポーズが、いじらしく愛らしく目に映る。
さすが、元祖ゆるキャラ。勘どころを知っている。
あっという間に、「最低4分以上」が過ぎてしまった。
また体を横にして隣の控室に戻り、すぐ次の出番に備えにいったひこにゃんであった。

その後、彦根城に登る前に、彦根城博物館内を見て回った。
彦根と猫がどう結びつくのか。
ひこにゃんは、どこからこのキャラクターができたのかがわかった。

昔、江戸郊外の武蔵国荏原郡世田谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で彦根藩2代目藩主の井伊直孝が、にわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた時のこと。
手招きをする白猫を見て近寄ったところ、その大木に落雷があった。
命拾いした直孝はこの猫に感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。
この白猫の伝説(いわゆる、招き猫発祥伝説)にプラスして、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたのが、キャラクター「ひこにゃん」である。

なるほど。
ゆるキャラではあるが、しっかりした歴史的背景があるわけだ。

感心した後、坂道の階段を登り、彦根城の天守閣にも登った。
その途上、右太ももに痛みが!
体重をかけると痛い!
どうやら、前日・前々日と1万歩以上歩いたから、太ももが疲れて肉離れを起こしたようだ。
情けな~い!
しかし、痛いものは痛い。

この太もも痛、発症してから1週間以上たつのに、まだ改善されない。
おお、さすが50代。治りが悪い…。
助けておくれ、ひこにゃ~ん…。
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「せんとくん」に会いに行こう(2)

2010-08-17 12:58:53 | お出かけ
平常宮跡は、世界遺産にも登録されている、120万平方メートル余の広大な土地である。
南端中央に、朱雀門が再建されてある。
北端中央に、この遷都1300年祭に合わせ、第1次大極殿が建てられている。
朱雀門では、午前9時から毎日開門の催しを見せてくれている。
太鼓の音で、門扉が開く様子、衛士の儀式的な動きなどを見ることができた。
朱雀門の西側の方には、平城京歴史館が建てられ、そのそばには遣唐船が再現されてあった。
歴史館は、奈良時代の平城京の都のことや遣唐使などのことについて、スクリーン映像でわかりやすく学ばせてくれる場所だった。

その後は、真新しい大極殿に向かった。
これがまた、遠い。
朱雀門から800mほどあるとか。
そこを歩くしかなく、ひたすら歩く。
おっと。途中で、場違いなように古い都の跡を、右から左から電車が走り過ぎる。
跡地を斜めに横切って、レールが通っている。
そこを、上り・下りの近鉄の電車が走っていくというわけだ。
そのたび、通行者は、踏切で待たされる羽目になる。

夏の陽射しの下、汗をかきながら、ようやく大極殿の前庭へ。
ここもだだっぴろい。
たくさん歩かされてへばる人が多いせいか、熱中症予防のため、大極殿入口近くでは、無料で飲料水が提供されていた。
大極殿内から、前庭を、そしてはるか向こうの朱雀門を望む。
今は、単なる原っぱとなっている土地。
遺構も多いが、まだまだ発掘調査できていないところが多いと言う。

途中で、急速に広がった黒い雲。
にわか雨にたたられたが、場内をよく歩いた。
この日は、おかげで、1日1万5千歩を歩き、ぐったり。

でも、これだけ歩いたのに、何か足りない。
本来の目的を達していないような…。
そうそう。まだ「せんとくん」に会っていないじゃないか!
「あおによしパレード」にもいなかったし、どこかにいるのかな?
場内のあちこちに、紙の絵のせんとくんやマネキン人形のせんとくんはいたけれど、「着ぐるみせんとくん」には会っていない。
「交流広場」のレストランで、昼食を食べて外へ出ると、いた、いた!
「まほろばステージ」にいるではないか、着ぐるみせんとくん!
急いで近寄り、カメラを向けると、たくさんの子どもが、せんとくんにさわろう、握手しようと追いかけていた。
そこはせんとくん、愛想よく子どもの相手をしながら、ステージ裏の控室へ消えていった。
ゆるキャラの割には、動きがすばやいぞ、せんとくん。
まあ、暑いから出番が少なくても許してあげよう(!?)

初期の目的を達して、ほんわかした気分であった。
奈良公園のそばを車で通ったら、なんと数頭の鹿が横断歩道を渡っていた。
人と鹿が共生する街、奈良であった。
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「せんとくん」に会いに行こう!(1)

2010-08-16 17:42:56 | お出かけ
 夏季休暇を利用して、家族で京都・奈良に行って来た。
 今年は、平城京遷都1300年祭。
 「せんとくん」に会いに行こう!
という単純な動機付けがきいてか、今や20代真っ盛りの娘・息子たちも、珍しく我々夫婦に同行した。
 運転に自信のある娘は、高速走行に大いに役立った。
 息子は?「運転?パス!」であったが。
 向こうへ行くと、意識しなくても、見るもの会うものに歴史を感じた。
 平城京遷都は、「なんと 大きな平城京」で覚えた710年。
 ついでに、平安京遷都は、「なくよ うぐいす 平安京」で794年。
 今思うと、どちらも8世紀のできごとなのだ。
 奈良時代は、84年しかなかったのか!?と改めて認識したしだいである。
 それなのに、受験生時代(遠い!)は、覚えるだけで必死であった。
 「古事記」・「風土記」編纂、「日本書紀」撰上、三世一身の法、聖武天皇、長屋王の変、薬師寺東塔、興福寺五重塔建立、国分寺建立の詔、墾田永年私財法、盧舎那大仏造立の詔、 行基、日光・月光菩薩像、「懐風藻」、鑑真和上来日、唐招提寺金堂、講堂、正倉院、養老律令、長岡京遷都、薬師如来像…。
 84年と言うと、今では、人1人の一生分でしかない。
 平城京歴史館では、新しい都への期待や遣唐使の苦悩なども知ることができたが、今の時代とは違う「一生懸命学ぶ姿勢」を知ることができたような気がする。
 遣隋使・遣唐使に代表されるように、遠い異国から優れた文化を吸収しようとしたこと。
 律令制など国の制度を整えようとしたこと。
 仏教の教えがさらに広められようとしたこと。
 和歌などで自分の思いを表現しようとしていたこと。
 その時代の熱気のようなものを感じてしまった。
 今、人生80年の時代。
 80年余だった奈良時代。
 時代自体が、一人の人間の人生のように、生き生きと生まれ成熟しやがて活気を失っていったようにも感じたのである。
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40年前にマンガで見たことが現実化している怖さ

2010-08-05 17:37:00 | ひと
最近、自分が中学生の頃見た、ある読み切りのマンガを思い出すことが多い。
タイトルは、もう忘れてしまったが、永井豪氏が描いたものである。
確か、テーマが決められて毎回2人ずつの競作で発表されていたものであった。
その時のテーマは、「もし、○○がなくなったら」。(だったと思う。)
永井豪氏のマンガでは、突然、考えられない「もの」がなくなったとして、描かれていたのである。
永井豪氏が描いていたのは、「本能」がなくなったら…ということ。
特に、「親が子を育てるという本能」が突然なくなった、という想定で、ストーリーを進めていたのである。
親が突然、子どもの世話をしなくなる、ひどい場合には、親が子の命を奪う。
そんなシーンもあった。
当時まだ子どもだった自分には、「子育ての本能がなくなるなんて、そんなバカなことがあってたまるものか!」と思ったものだった。
あまりにも唐突なストーリーだったから、忘れられなかったのである。

あれから40年くらいの時間が過ぎ、今、そのストーリーと同じような話が実際に起こっている。
子どもをせっかんして、殺してしまう親。
子育てがわずらわしくなって、子どもに食事を与えず放置する親。
そういったことの1つ1つが、あのマンガと重なって見える。

ここ数日は、今度は、それとは逆のことも起こっている。
子どもの方から、親のことを見捨てる。
親がどこにいるのか知らない。
親の年齢は、生きていればすでに100歳を超えているはず。
だけど、子どもは親と30年以上あっていず、親の生死も不明である。

親子の絆が、急速に極端に弱くなっている。
40年前は異常だったことが現実になっている。
バカにしていたマンガと同じことが起きている。
怖さを感じる。
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