里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

第16回里山フェスタ近づく

2018-09-24 04:19:20 | Weblog

10月7日に予定されている第16回「里山フェスィバル」が近づいている。 じわじわと準備をしているが、かなり煩雑で、精神的な苦痛を伴う。このイベントの責任者として、長らくやってきたが、少し疲れてきた。 

約18年前(平成12年)里山を守る会が発足し、この会の活動と里山(五郎助山)という場所を知っていただこうと、当時の関城町生涯学習課長(現・当会の監査役)富田氏より提案があった。いきなりの提案で、無謀とも思えたが、話し合いの結果、とりあえず「やってみよう」ということになった。

トンボ池のほとりに舞台を設置し、中秋の名月(9月)を鑑賞しながらの「お月見コンサート」という形式になった。舞台づくりも会員が行い、その準備と後片付けに多くの労力を費やした。コンサート出演者は地元の団体(アマチュア)にお願いし、夕方から夜にかけてのイベントを盛り上げるため、会場までの道路にはキャンドルを設置し、照明の効果で闇夜に浮かぶ舞台は、幽玄で美しい舞台となった。

 7年前のお月見コンサート

その形式で10年ほど行ったが、終了するのが、夜の8時を過ぎ、それからの後片付けが大変だった。年を重ねるほどにきつくなり、また出演者も同じような顔ぶれとなり、観客数も減っていった。「何とかせねば・・・」という焦りが募った。

ちょうどそのころ、森の中にツリーハウスとターザンロープが出来上がり、子供たちが10数人乗れる、かなり広い舞台空間が出来ていた。この場所を利用してコンサートが出来ないものかと考え、さらに舞台に手を加え、広げることによって十分可能であることが分かった。

さっそく理事会に提案し、「お月見コンサート」から「森のコンサート」に衣替えし、開催時間も午前9時から午後3時とした。 午前中は子供たちを対象とした様々な自然体験、模擬店を開き、午後からはコンサートという形式が出来上がった。 また、出演者も一部プロを招き、耳の肥えている人たちにも、満足してもらおうと考えた。

会場を森の中に移した最初の年(平成25年)。予算も限られているのであまり有名な人は呼べない。また、どんな演奏家がいいのかまるで見当がつかなかった。森の中で映える音?・・・いろいろ頭を巡らせた。どういうわけか、NHKの番組「シルクロード」に流れていた なんとなく物悲しい音源を思い出した。調べてみると「二胡」という楽器だった。

二胡奏者? 知らない。まったく未知の世界だった。この地域で二胡を弾いている人なんて全く耳にしていなかった。そこでインターネットを駆使し、あまり売れてなさそうな(安そうな)二胡奏者を探した。 今となっては全く失礼な動機であるが、それが二胡奏者「酒井和嘉子さん」との出会いだった。

彼女のHP 「演奏依頼の方はこちらへ」という欄を見つめ、自己紹介と里山フェステイバルの趣旨を説明し、「田舎で、森の中の舞台で、予算は少なく、お昼だけはご用意しますが来ていただけますか?」と清水の舞台から飛び降りるつもりでクリックした。

後日返事が来た。

「ご要望にお応えいたします。音楽仲間でフルート奏者を存じてますのでよろしかったらお話を通してみますが いかがでしょう?」というメールが届いた。

急いでメールを返した。「本当ですか?ありがとうございます。その方を含めてその値段で良いのでしょうか?」

「いえ、さすがにそれでは・・1万円を加えていただけないでしょうか?、東京からの往復交通費、更に2日間(雨の場合、翌日)拘束されますので・・・」 言われてみればその通りで、こちらの希望をあっさりかなえてくれたのでつい調子に乗ってしまった。「はい、それでお願いします。」と返信した。

その後、打ち合わせを含め、何回となく連絡を取り合ったが、その文章がとても謙虚で、誠実で、読む側が心地よくなるものだった。当日、初めてご本人とお会いしたが、イメージ通りの方で、司会を務めた幸田さん(わんぱく塾塾長・女性)もその人柄に触れ、たちまちファンになったと後述している。

彼女はご両親が海外滞在が長く、帰国子女で幼いころからバイオリンを習っており、6,7年前まで有名な外資系のホテルマンだったという。どの時期に二胡と出会ったかは聞かなかったが、二胡に魅せられ、今はプロの二胡奏者として、現在3か所の教室で二胡を教えながら、全国で演奏活動をされている。

当会のフェステイバルに初めて出演頂いてから今年で連続6回となる。 彼女から森のコンサートにお似合いだと推薦を頂き、招いた演奏者(お二人)の時は予算がかさむからと自身の出演料は受け取らなかった。 そんな方である。

現在、日本の二胡奏者の中で もめきめき と人気が上がり、各演奏家から共演の声がかかり、全国を飛び回っている。それでもこの里山フェステイバルを大切に思い、この時期だけは空けてくれている。 私たちの活動に共感しているとも言ってくれている。

今年は2回目の森のコンサートに共演したチェロのあっこさん(山崎明子さん)を伴い駆けつけてくれる。

  昨年のコンサート風景

このブログを見てくださる皆様も、是非10月7日(日)(雨天10/8)は里山(五郎助山)においでになり、森のコンサートをお楽しみください。

入場は無料です。

 

 


9/9(日)わんぱく自然塾(3回目)開催

2018-09-19 05:17:17 | Weblog

9/9(日)わんぱく自然塾(3回目)が開催された。

今回の出し物は「木こりの親方」「竹の器、はしづくり」「君は流れるソーメンを捕まえられるか!」の3本立てである。幸田塾長は娘さんの運動会で本日お休み。宮本副塾長の進行で始まった。

まず、ネイチャーゲーム「木こりの親方」をスタッフの間々田さんの指導で行った。

4班に分け、班長が親方となり、指導者があらかじめ4本の木に色違いのバンダナを結び、その木を親方が見つけ出すというゲームである。

親方は木に背を向け、どんな木にバンダナが結ばれたかは知らない。弟子たちに1問づつその木の特徴(太さ、高さ、木肌、葉の特徴、)そしてどの方向にどれくらいの距離にあるか、調べさせ、メモする。

 バンダナは弟子たちの報告がすべて終了すると外され、親方はその報告をもとにいよいよその木を探しに行く。

 

報告された距離が調査した弟子との歩幅の違いから、行き過ぎてしまうこともある。周りに似たような木があり、大いに悩む。そしてこの木と確信したら、バンダナを結ぶ。正解なら弟子たちから盛大な拍手が起こる。外れたときはさらにヒントを出し、当ててもらう。

すべての班が見つけられたら、各班ごとに調べてくれたメモを改めて見直し、どのメモが決め手になったのか、悩んだ個所などを話し合う。指導者も加わり、正式な木の名前、特徴などを話し合う。

いかにその木の特徴を相手にわかりやすく伝えるか、むずかしいこともこのゲームの面白さで、子供たちの人気も高い。

遊びながら、さりげなく木の名前、その木にまつわる話をすると、意外に子供たちの心に残るものである。

 

その後は流しソーメンに使う竹の器づくり、はしづくりに挑戦。 ノコギリ、ナタ、小刀の安全な使い方を指導し、マイ器、マイ箸を作って行く。

塾生2年目、3年目になると、ノコギリ、小刀、の使い方もかなりうまくなり、ハラハラすることが少なくなった。 削ることに夢中になり、竹ひごのような箸になってしまった子もいた。

 

各自、出来上がった製品に名前を書き、いよいよ流しソーメンである。

すでに里山キャンプで体験した塾生もいたが、毎度子供たちの旺盛な食欲には脱帽する。

今回は幸田塾長の発案で、ソーメン時々ミカンが流され、思いがけない展開に子供たちから歓声が上がった。 「ミカン、ミカン」と取り合いになり、多いに盛り上がった。

塾長から遊びごごろの大切さを学んだ。次回はまた新しいアイデイアをスタッフが持ち合い、子供たちに楽しいサプライズを提供したい。

次回のわんぱく自然塾は11月11日(日)である。


筑西市「観光梨園」スタート

2018-09-10 05:06:27 | Weblog

8/29日(水) 筑西市 実験的「観光梨園」がスタートした。 この日JTBが主催した東南アジアの留学生を対象にしたモニターツアーがひまわりフェスティバル会場にほど近い、明野地区の松本梨園で午前10時から行われた。この日、市観光資源発掘協議会の渡辺会長をはじめ、JTB、観光課、農政課の担当者もツアー客を迎えるため、その準備に追われた。及ばずながら、私、そしても小島梨園のご家族もお手伝いに伺い、初めてとなる観光梨園の門出を見守った。

関係者は午前9時に集合。梨狩りに必要な備品(収穫かご、芯切り挟み、手洗い容器、等)を揃え、園主である松本さんのご家族も総動員でこの日を迎えた。予定通り、午前10時にJTB添乗員(協議会のメンバー)とツアー客(男女18名)を載せたバスが到着し、待ち受けた関係者より熱烈歓迎を受けた。

渡辺会長から今回の筑西市での梨狩り体験をSNSを使い、母国、友達へ積極的に発信してほしいとお話しがあり、まずは試食用の梨を食べていただいた。「甘い!」「おいしい!」と声が上がった。 期待感が高まったところでいよいよ梨狩りに・・・・

あらかじめ園主である松本さんの息子さんから、梨(豊水)の特徴、もぎり方の説明があり、4班に分かれ、各班に梨農家のプロが付いた。私も台湾の留学生3人組(女性2、男性1)を担当した。

 渡辺会長からのお話し

 松本さん(若き後継者)

適塾の梨を指差し、この色の梨を収穫してね。と言った。一人3個~6個までもぎることが出来る。

 初めてもいだ梨を見つめる

 とったどー 

参加者全員が初めての体験だと、はしゃいでいた。もいだ梨は箱に詰めてお持ち帰りとなる。約1時間、和気あいあいのうちに梨狩り体験は終了し、どの顔も笑顔で、バスに乗りこんだ。そして次の目的地(廣澤シテイ)に向かった。

 お見送り

官民共同、初の観光梨園の開設は 関城梨選果場の理解と協力を得てやっとたどり着いた。 筑西市観光資源発掘協議会の一員として観光梨園は一つの夢だった。 過去に何度も観光梨園の話は持ち上がったが、実現することはなかった。それは一元出荷という大原則。並行出荷は組合員からの除名を意味した。 それが観光梨園や梨オーナー制度に挑戦する機会を阻害していたことも事実だ。

一方で梨農家は、後継者不在、生産者の高齢化等により年々減少し、このままでは江戸時代から続く梨産地が消滅するとの危機感が募っている。関城梨選果場においても62名の組合員中、後継者(30代から40代)はわずか数名である。

梨栽培は年一作で、ほとんどが手作業。販売単価はここ十数年変わらない。一方、経費(資材費、運賃、薬剤費、等)は上昇し、所得は減少している。こうした背景も梨離れが進んだ一因だ。

所得向上のためには販売戦略の見直しが必要で、観光梨園はその意味でも挑戦する意義があると感じていた。観光課の担当者より、関城梨選果場の協力を得て、筑西市に観光梨園の創設が出来ないものかと相談を受けていた。

実現には大きなハードルがあり、まず、役員会に諮り、特例として観光梨園を認めていただき、さらに支部長会議で報告・承認を得る必要があった。現在、選果場の役員でもある私にその任が回ってきた。 選果場役員のみの市場訪問の機会があった。道すがら、これまでの協議会内部のお話をし、地域活性化、梨産地存続のためにも特区として条件を付け、認めてはどうかとお話をした。

色々な意見が出たが、役員会として最終的に認めようということになった。

一方、観光梨園としての適地選考に入り、対象となる樹園地は①二車線以上の道路に接続、または至近距離にあり、大型バスが駐車できるスペースが至近距離にあること。②多目的防災網が設置してある園地であること。③園主が相応の栽培技術を有していること。の条件を付けた。

数ある園地から候補地が絞られ2か所の園地が残った。偶然にも二か所とも数少ない若い後継者を擁する栽培農家であった。それぞれの園主さんにこれまでの経過を報告し、筑西市の地域活性化、新たな販売戦略としての観光梨園への協力をお願いした。あくまでも特区として、また実験的な取り組みであることもお話しした。幸いお二人ともご理解を頂き、協力いただけることになった。

後日、支部長会議において、経過報告。反対意見は出ず、承認された。

また、観光資源発掘協議会の幹事役でもある観光課の職員と選果場の役員が初めて会合し、観光梨園創設の足がかりが出来たことのお礼と今後のスケジュールについて話し合った。

観光梨園という未知の世界へ踏み出すにあたり、担当課も当事者の農家もほとんどそのノウハウを持たず、手探りのスタートとなる。さしあたり、先進地研修ということで、県内の観光果樹園に研修を兼ね、見学に行くことになった。

協議会会長の渡辺さん(つくば銀行役員)の人脈を通じ、大子町の観光リンゴ園、そしてかすみがうら市(旧・千代田村)の観光梨園を視察することになった。1回目の大子町の観光リンゴ園には選果場役員、観光梨園に取り組む2家族、観光課、農政課の職員、JTB職員、渡辺会長、現地のつくば銀行職員など、15名を超える関係者が参加した。

時を移さず、2回目は旧千代田村の観光梨園2か所を視察し、ノウハウの蓄積に励んだ。

そしてついにこの日を迎えた。 手探りの初体験であったが、参加したツアー客のアンケートもまもなく観光課に届くことになっている。 ひまわりフェスティバルの開催時期と豊水の収穫時期がうまくリンクし、「ひまわりを見て、帰りに梨狩りツアー」、「梨狩りをした後、ひまわりフェステイバル」どちらでも良いが、観光の目玉としての素質は十分あると思う。

園主も関係者も筑西市ならではの観光果樹園を目指し、これからが正念場となる。是非、成功モデルを実現し、新規就農者が観光梨園をやってみたいと思えるような魅力的な経営形態を確立できればと願っている。