もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

7 104 樋口毅宏「タモリ論」(新潮新書:2013)感想2

2018年07月30日 19時39分39秒 | 一日一冊読書開始
7月30日(月):  

191ページ     所要時間2:00      古本市場86円

著者42歳(1971生まれ)。小説家らしい。

俺は「ブラタモリ」が好きだ。昔からタモリさんにはインテリジェンスを覚えて「センスのいい人だ」と思っていた。それ故に本書を読んだ。

読み難かった。独りよがりで散漫で、読者を置き去りにして。もう少しきちんとかける人に書いてほしかった。もう一度読めば、本書の感想は上がるのだろうか?

【目次】第1章 僕のタモリブレイク/第2章 わが追憶の「笑っていいとも!」/第3章 偉大なる“盗人”ビートたけし/第4章 明石家さんまこそ真の「絶望大王」である/第5章 聖地巡礼/第6章 フジテレビの落日、「いいとも!」の終焉

【内容情報】タモリの本当の“凄さ”って何だろう。なぜ三十年以上も毎日生放送の司会を超然と続けられるのか。サングラスの奥に隠された孤独や絶望とはー。デビュー作でその愛を告白した小説家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、この男の狂気と神髄に迫る。出生や私生活にまつわる伝説、私的「笑っていいとも!」名場面、ビートたけしや明石家さんまとの比較等、読めばあなたの“タモリ観”が一変する、革命的芸人論!
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7 103 養老孟司「死の壁」(新潮新書:2004)感想4

2018年07月30日 02時16分44秒 | 一日一冊読書開始
7月29日(日):  

191ページ     所要時間2:55      ブックオフ350円

著者67歳(1937生まれ)。神奈川県鎌倉市生まれ。1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年東京大学医学部教授を退官し、2017年11月現在東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』『形を読む』『唯脳論』『バカの壁』『養老孟司の大言論I〜III』など多数。

ふと思い出した。若かった時、読書家ですごく知的に見えた先輩たちが「一体、何を考えているのだろう」「どういう風に世の中を観ているのだろう」とよく思った。そして、彼らに尋ねたいと思った。しかし、何をどういう風に聞いたらいいのかもわからず、彼らも饒舌とは反対の、どちらかと言えば、口数の少ない人たちだったので、やり取りは断片的なものとなり、先輩たちが考えていることの全貌は全く霧の中だった。

著者の語り下ろしの本書は、東大医学部教授(解剖学)という当代の最高の知性の人が、「これで自分の中に溜まっていたものは、ほとんどすべて吐き出したと思います。逆さに振っても、もうなにも出ない。」というぐらいに普段考えていることを語り尽くしたものになっている。ある意味、若い時の俺の願いがかなえられた内容と言える本なのかもしれない。あの寡黙で知的に見えた先輩たちも意識的、無意識的にこんなことを考えてたのかなあと垣間見えたように思えた。

本書の内容は、決して難解ではないが、大切なことが語られている気がした。著者は、科学者でありながら、「世間」に強いこだわりを見せ、これとどう折り合いをつけるか、つけてきたかについて語る。様々な興味深い視点が提示されていたが、俺には著者が「世間」との折り合いの付け方の部分が最も印象に残った。

俺も「自分の死」を嫌でも意識する年齢になってきたが、著者は「自分の死(一人称の死)」を考えるのは無駄だ、と述べ死を目覚めない眠りに例えて、それほど心配する必要はないとする。一方で、周りの人々を巻き込む「二人称の死」や、「世間」の中での「三人称の死」について様々な対処の必要性、不必要性を説く。

4歳の時に亡くなった父に「さよなら」を言えなかった記憶が、30歳代まで心に影響を与えていた話は印象的だった。

本書で繰り返し用いられた「非人」という言葉の定義が狭く語られているのが気になった。「非人」という存在の多様性が無視されている気がして不安な気分になった。

【目次】序 章 『バカの壁』の向こう側 :どうすればいいんでしょうか/わからないから面白い/人生の最終解答/人が死なない団地
第一章 なぜ人を殺してはいけないのか :中国の有人宇宙船は快挙か/殺すのは簡単/あともどりできない/ブータンのお爺さん/二度と作れないもの/人間中心主義の危うさ
第二章 不死の病 :不死身の人/魂の消滅/「俺は俺」の矛盾/「本当の自分」は無敵の論理/死ねない/死とウンコ/身体が消えた/裸の都市ギリシャ/死が身近だった中世/死の文化/葬式の人間模様/実感がない/宅間守の怖さ/派出所の不遜/ゲームの中の死体
第三章 生死の境目 :生とは何か/診断書は無関係/境界はあいまい/生の定義/クエン酸回路/システムの連鎖/去年の「私」は別人/絶対死んでいる人/生きている骨/判定基準/誰が患者を殺したか/規定は不可能
第四章 死体の人称 :死体とは何か/一人称の死体/二人称の死体/三人称の死体/モノではない/解剖が出来なくなった頃
第五章 死体は仲間はずれ :清めの塩の意味/なぜ戒名は必要か/人非人とは何者か/江戸の差別問題/この世はメンバーズクラブ/脱会の方法/「間引き」は入会審査/ベトちゃん、ドクちゃんが日本にいない理由
第六章 脳死と村八分 :脳死という脱会/村八分は全員一致で/イラン人の火葬/靖国問題の根本/死刑という村八分/臓器移植法の不思議/「人は人」である/大学も村/ケネディは裏口入学か
第七章 テロ・戦争・大学紛争 :戦争と原理主義/正義の押し付けがましさ/戦争で人減らし/学生運動は就職活動/反権力と反体制/敗軍の将の弁/軍国主義者は戦争を知らない/イラクの知人/国益とは何か/ものつくりという戦争
第八章 安楽死とエリート :安楽死は苦しい/エリートは加害者/産婆の背負う重荷/つきまとう重荷/エリートの消滅
銀の心臓ケース/解剖は誰がやったのか/天の道、人の道/ルールの明文化/人命尊重の範囲/役所の書類が多い理由/自分への恐怖/解剖教室の花
終 章 死と人事異動 :死の恐怖は存在しない/考えても無駄/老醜とは何か/悩むのは当たり前/慌てるな/父の死/挨拶が苦手な理由/死の効用/ただのオリンピック/生き残った者の課題/日々回復不能

【内容紹介】ガンやSARSで騒ぐことはない。そもそも人間の死亡率は100%なのだから――。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。死の恐怖といかに向きあうべきか。なぜ人を殺してはいけないのか。生と死の境目はどこにあるのか。イラク戦争と学園紛争の関連性とは。死にまつわるさまざまなテーマを通じて現代人が生きていくうえでの知恵を考える。『バカの壁』に続く養老孟司の新潮新書第二弾。
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180729 ねじれニッポン万歳!B層万歳!:(再掲)170507 3年前の記事ですが:【日刊ゲンダイ】東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている」

2018年07月29日 13時02分58秒 | 時代の記憶
7月29日(日): 

もう4年前の記事ですが、読み直してほしい記事です。俺は、政治家とは最低限「頭の良い、国民のために取り組み、自分の言葉に責任を持つ人間」「国民の保護者を志す人間」がなるものだと思っていた。しかし、アベ・アソウの自民党は全く違った。このままで良いわけはない。

アベはどこを向いて政治をしているのだろう。誰から褒められたいのだろう。少なくとも、日本国民ではない。あからさまに言えば、「アメリカ、それもアメリカの保守層(トランプであって、オバマではない!)に褒められたい。そのために日本国も、国民の血税も、国民の生命・財産も差し出そうとしている」としか考えられない。一体この男は、何をしているのだろう。

そして、この卑怯・卑劣なウソつきを国民の30%前後がコアとなって固く支持し、過半数近くが今の危機的状況に無関心である。皮肉なことにこの連中(B層)こそがアベノミクスをはじめとするインチキ政策によって明確に不利益を被っている人々なのだ。一方で、俺のように目を怒らせて本気でアベを批判している層の多く(C層)は、それなりに学歴が高く、それなりの大企業、公務員で正規労働者として働いているため、<未来>は別にして、<現状>ではほとんどマイナスを被ってはいない。損をしていない。正直に言えば、ひょっとしなくてもむしろ得をしている気がする。本当に皮肉なことだ。

アベ・アソウと創価学会は、このねじれを利用して、極めて杜撰だが、分かりやすいだけの中身のないマイナスな政策を断行(?)し、去勢されたメディアを使って印象操作して見せることによってB層を味方につけて支持率を維持している。日本人の多くが今、自分で自分たちの首を絞め、殺そうとしている敵を無邪気に支持しているのだ。皮肉な国ニッポン!チャチャチャ!

170507 3年前の記事ですが:【日刊ゲンダイ】東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている」
                   2017年05月07日 18時12分48秒 | 時々刻々 考える資料
(2017年)5月7日(日):    東大名誉教授・石田雄氏  

日刊ゲンダイ東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている」 2014年7月7日 
  学徒出陣した私には首相のいかがわしさがすぐ分かる
  先月、朝日新聞の「声」欄に、人殺しを命じられる身を考えて」という投書が載った。末尾には大学名誉教授 石田雄(東京都 91)とある。この投書が話題になったのは、石田氏は戦争の生き証人であるだけでなく、その生涯をかけて、「どうしたら、二度と戦争を繰り返さないか」を研究してきた学者であるからだ。投書した老学者の目に、いまの安倍政権はどう映っているのか。

――なぜ、投書を書かれたのか。やむにやまれぬものがあったのでしょうか?
  私は軍国青年だったんですよ。自分がなぜ、そうなったのか。それを明らかにするために研究者になったんです。二度と戦争を起こさせないために政治学、社会科学を研究してきたつもりでしたが、こういう時代が来ちゃった。

――こういう時代とは?
  戦前、戦争に向かっていった時代と非常に似ていますね。しかし、この年ですから、デモにも行けないし、官邸前で大きな声を出すわけにもいかない。社会科学者として何ができるか。切実に考えて、やむなく、朝日新聞に投書したのです。

――具体的には、どの部分が戦前と似ているのでしょうか?
  私は「日本の政治と言葉」という本を書いた際、「平和」という言葉が歴史上、どういうふうに使われたかをフォローしたことがあるんです。平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に「平和」という言葉が利用されてきたのです。唯一の例外がナチス・ドイツの侵略ですね。こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える「積極的平和主義」という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ。

――平和という言葉の使い方がまず、そっくりだと。
  それと排外的なナショナリズムのあおり方ですね。積極的平和主義と排他主義が重なり合うと、非常に危険な要素になります。平和とは非暴力であり、非暴力とは敵を憎まないことです。敵を理解することで、問題を解決しようという考え方です。しかし、今の安倍政権は中国、韓国を挑発し、緊張をつくり出している。そこに積極的平和主義が重なるものだから、危ないのです。

■もう一度「国のために死ね」と言うのか

――靖国参拝がいい例ですね。
  論外です。戦争体験者として、個人的な意見を言わせてもらえば、誰がお国のため、天皇陛下のために死んだものですか。みんな無駄死に、犬死にだったんですよ。歴史学者の藤原彰氏の調査によれば、戦死者の6割が餓死だったという。特攻隊だって、どうせ死ぬなら、美しく死のうとしたわけで、誰も喜んで死んだわけじゃない。それを美化し、首相が「尊崇の念を捧げる」などと言うのは「もう一度、国のために死んでくれ」という宣伝だと思う。死んだ人の霊を慰めたいと言うのであれば、それは二度と戦争を起こさないことなのです。

――政府は集団的自衛権の行使についても、限定的であって、戦争する国になるわけじゃないと主張しています。
  海外の邦人を保護するため、と言っていますね。この理屈も戦前と似ています。1932年の第1次上海事変の直前、日本人の僧侶数人が殺傷される事件が起こった。日本政府は邦人の生命を守るという名目で、上海の兵力を増強し、戦闘が拡大。その後、本格的な日中戦争になりました。個別的自衛権であれば、「日本の領土内に攻め込まれたとき」という歯止めがかかりますが、邦人保護という名目で海外に出ていけば、歯止めがなくなってしまうのです。

――駆けつけ警護はどうですか?
  アフガニスタンで援助活動をしているペシャワール会の中村哲代表「自衛隊が邦人救助に来るのは危ないからやめてほしい」と言っています。実際、ペシャワール会は日本がインド洋の給油活動をする前は、車両に日の丸を掲げて活動していた。それが守り札になったからです。しかし、給油活動を境に日の丸を消した。米国と一体と見られる懸念があったからでしょう。集団的自衛権による武力行使や集団安全保障による制裁措置に自衛隊が参加すれば、ますます、憎悪と攻撃の対象になる。もうひとつ、集団的自衛権で海外に出ていけば、おそらく、米軍の傘下に入る。邦人がいなくなったから帰ります、なんて言えるでしょうか。米軍は無人機で攻撃する。一般市民が巻き添えになれば、その恨みは陸上で展開している自衛隊に向く。こうなる可能性もあるわけです。 

――戦後70年間、せっかく平和国家としての地位があるのに、あえて、それを捨てて、恨みを買う必要があるのか、ということですね。
  言葉がわからない地域で武力行使をするのがいかに危ないか。イラクに駐留する米軍が「止まれ」という制止を振り切った車両を攻撃したら、殺されたのは、お産が近づき、病院に急ぐ妊婦だったという報告もありました。相互理解がなければ、どんどん、紛争は激化してしまう。それよりも、日本は戦後一人も海外で人を殺していないというプラスの遺産を生かすべきです。非武装の支援に徹すれば、外交的パワーもついてくる。その遺産を今、食い潰してしまうのは誠に愚かなことです。
  首相は他者の気持ちが分からない人

――先生は殺せと命じられた身にもなってみろ、と投書で書かれましたね。
  私の父親は二・二六の直後に警視総監になったものだから、寝るときも枕元に拳銃を置いていた。父親は神経がもたず8カ月で辞任しましたが、私も武器恐怖症になって、不眠症が続いた。学徒出陣となって、徴兵検査のときは兵隊に行くべきだと思っていたが、人を殺す自信がなかった。東京湾の要塞重砲兵に配属になったのですが、軍隊というのはいつでも誰でも人を殺せる人間を作る。そういうところなんですね。敵を突き殺す訓練をやらされ、「そんなへっぴり腰で殺せるか」と殴られる。命令があれば、それがいいか悪いかを考えちゃいけない。なぜ、それをやるのかを聞いてもいけない。幸い、負け戦でしたから、敵が攻めてきて殺されるのを待っているような状況でした。そんな中、東京空襲に来た米軍の戦闘機が東京湾に墜落して、パイロットが泳いできたんですね。捕まえて司令部に報告すれば、「殺せ」と命令されるかもしれない。捕虜を殺すのは国際法違反です。しかし、命令に背けば、陸軍刑法で死刑です。これは大変なことになったと悩みました。

――しかし、命令する側は平気で「殺せ」というわけですね。憲法解釈を変えれば同じような境遇に自衛隊員も置かれる。殺される方もたまらないが殺す方も大変だ。そういう国に戻そうとしている安倍首相という政治家をどう見ていますか?
  自分よりも不利な人の立場で物事を考えられないのだと思います。他者感覚の欠落共感能力の欠如というか、ずっとチヤホヤ育てられると、そうなっていくのかもしれません。デンマークの陸軍大将、フリッツ・ホルンは戦争絶滅法案なるものを提唱していて、開戦後10時間以内に元首、首相、閣僚、議員を最前線に行かせる。そういうことを決めれば戦争はなくなると言っています。そういう立場に立たされれば、積極的平和主義なんて、簡単に言えるわけがないのです。

――国民も正念場ですね。
  一番恐れているのは沈黙の螺旋です。出る杭は打たれるからと黙っていると、その沈黙がだんだん広がって誰も声を出せなくなる若い人の方が「出る杭は打たれる」と心配するでしょうから、ここは年長者が声を出さなければいけないと思います。
◇いしだ・たけし 1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から東北帝国大学法文学部へ。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊。復員後、東大法学部へ。東大社会科学研究所教授・所長、千葉大法経学部教授などを歴任。著書多数。
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180728 142万PV超:烏合の衆「国民党」は消滅しろ!:(再掲)171005 高野孟「民進党をブチ壊し 前原代表の政治的幼稚さは万死に値する」(永田町の裏を読む )

2018年07月29日 11時36分02秒 | 閲覧数 記録
7月28日(土): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2485日。

アクセス:閲覧 752PV/訪問者 234IP

トータル:閲覧 1,420,505PV/訪問者 360,754IP

ランキング:4,607位 / 2,834,132ブログ中   週別 4,113位

前原詐欺師と恥知らずにも組むことができる烏合の衆<国民党>は、邪魔!以外の何物でもない。早急に消滅しろ!

171005 高野孟「民進党をブチ壊し 前原代表の政治的幼稚さは万死に値する」(永田町の裏を読む )
                      2017年10月05日 18時01分57秒 | 時代の記憶
(2017年)10月5日(木):    
日刊ゲンダイ高野孟「 永田町の裏を読む 民進党をブチ壊し 前原代表の政治的幼稚さは万死に値する 」 2017年10月5日
  私は8月10日付本欄で民進党の代表選について、「前原が勝てば同党は破滅に向かうしかなく、枝野が勝つことでかろうじて蘇生への活路を開くことができるだろう」と予測した。ところが案に相違して前原が勝ってしまって、その直後の9月7日付では、早くも取り沙汰され始めた前原と小池百合子都知事との連携話に関して「戯言」と断定し、その理由について次のように述べた。
  前原は代表選を通じて、安倍のそれとうり二つの「9条加憲論」を封印して党内リベラル派からの批判を回避したが、ホンネがそこにあることには疑いがなく、もし小池と結べば「手に手を取り合って剣呑な方向に転がり込んで」いって、「安倍改憲路線への対抗軸になるどころか、大政翼賛会のようになって、民進党は死ぬ」と。
  まさに前原の迷妄によって民進党は死に、そのがれきの中から枝野による「リベラル新党」結成という「かろうじて蘇生への活路」が切り開かれることになった。
だから私が言ったように、初めから枝野を代表に選べばよかったのだ。彼の下で、2015年安保法制反対の国会包囲デモの統一戦線から16年4月北海道5区の衆院補選と同年7月参院選、そして今年7月の仙台市長選での野党プラス市民の選挙協力へという積み重ねを正しく継承しつつ深化させていく方向に踏み出せばよかった。そうすれば、党内の保守派や改憲派はいたたまれずに出て行って、何もこんな恥ずかしいドタバタ劇を演じなくとも、民進党はリベラル路線ですっきりまとまって総選挙に挑むことができたはずなのだ。
  直近の代表選にはそのような党の方向性が懸かっていることを、どうも民進党の皆さんの大多数は理解していなかったらしく、安易に前原を自分らの代表に選んで酷い目に遭うことになった。
  それにしても、前原の政治的幼稚さにはあきれる。06年の「偽メール」事件で代表を辞任した際には、鳩山由紀夫幹事長、野田佳彦国対委員長が芋づるで辞任して執行部が崩壊したくらいで済んだけれども、今回は自分が代表する党そのものをブチ壊そうという話で、現職の国会議員だけでなく立候補予定者や地方議員、支援団体関係者まで含めて、何とかこの党をもり立てようと頑張ってきた何千何万という人たちの生き方を愚弄した。しかも、蓋を開けてみれば「全員が離党して希望に移行する」というのは真っ赤な嘘だったのだからお話にならない。万死に値しよう。

高野孟 ジャーナリスト:1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。


日刊ゲンダイ地元京都でも批判噴出 前原民進代表を追い込む“落選運動”  2017年10月5日
  小池知事に騙され、民進党を解体してしまった前原誠司代表。驚くのは、党を潰しておきながら「私の判断は正しかった」「すべてが想定内だ」と、平然と自分を正当化していることだ。
  さすがに、党内だけでなく有権者からも批判が噴出している。前原氏のツイッターには、<このクズが。何が想定内だ?仲間を売り、騙したことが狙ってたということか??政治家以前に、もはや人としても見れない>といった書き込みが殺到している。
  4日、地元の京都で演説した時も、罵声が飛び交った。演説中、「裏切り者」「恥ずかしないんか」「よう来られたな」「詐欺師が」とヤジが飛び、「帰れ」のプラカードも掲げられた。地元でも完全に嫌われている。
  とうとう、ネット上では「人間のクズ前原誠司を落選させよう!」と、落選運動の呼びかけまで始まった。
■公明票の動きも懸念
  前原氏は、自民党候補をダブルスコアで圧倒するほど選挙が強い。落選する可能性はあるのか。
  「京都はもともと革新の強い地域です。中でも前原さんの選挙区は、教授やインテリの学生が多く住んでいるためか、リベラルが多い地域です。野党の前原さんが当選8回を重ねてこられたのも、そうした地域事情があるからです。でも、10・22総選挙では、地域事情が裏目に出る可能性があります。今回、前原さんはリベラル勢力を冷酷に切り捨てた。これまで前原さんに一票を入れていた野党支持者は、もう入れないでしょう。共産党も本気で打倒前原に動いています」(県政関係者)
  前原陣営が密かに恐れているのは、公明票の動きだという。
  「自民党と連立を組んでいる公明党の票は、自民候補に流れるのが普通です。でも、前原代表の妻が“創価短大卒”のため、2万票とも3万票ともいわれる京都2区の公明票は、前原さんに流れているとみられています。ところが、今でも京都政界と公明党に影響力を持つ野中広務さんが、公明票の引きはがしに動いているという話が流れているのです。前回、前原さんは6万6000票VS3万7000票で勝利しています。公明票2万票が動けば、選挙情勢は大きく変わります」(政界関係者)
  たとえ当選しても、国民も政界も前原氏のことは二度と信用しない。選挙に出馬せず、潔く引退すべきだ。


やっぱり前原誠司は、安倍晋三の双子の兄弟である。分かっていたことだが、最悪のかたちで的中したようだ。
「170923 この期に及んで共産党を批判する前原詐欺師は、未熟な中高生のガキであり、国民に対する犯罪者だ。まず政権交代を見せろ!」 2017年09月24日 00時57分44秒 | 徒然・雑感  の一節を以下に再掲しておく。

この選挙は勝ち負けしかないのだ。 前から思っていたことだが、前原詐欺師の今、現時点の姿は安倍晋三の双子の分身に見えてくる。この二人は、真逆のように見えるかもしれないが、「自分の思い込みに固執し続けて、周りが見えていない。周りからどう見られているかがわかっていない。自分の思いが一番。」という点でそっくり同じである。そして、そのことは、ことごとくアベの側を利することになってきた。安倍晋三自民党の最大の協力者は前原詐欺師である。民進党は最もふさわしくない詐欺師を代表に選んだようだ。これは犯罪に近い。

離党した細野豪志を通じて、小池百合子と組もうと考えているというニュースを今日聞いて、耳を疑った。あまりにも矜持が無さ過ぎる。

心ある民進党員は全力で、自由党、社民党、共産党との協力体制の確立し、有権者・国民への宣伝をしっかり行い、自民党との1対1の対決姿勢をしっかりとアピールして迷いなく反自民党4野党連合に投票できるように全力で努めてくれ。

「170919 イライラする!御託は無用!前原は一瞬でも早く小沢一郎に頭を下げて共産党の固定票を頼れる相互協力体制を作って、選挙に勝てる形を国民にアピールしろ!」  2017年09月20日 00時58分38秒 | つぶやき

9月19日(火):

民進党代表の前原は無駄口が多過ぎる。安倍の解散批判なんて要らない!選挙まで日がないのに、イライラする!離党した細野が小池とつながったのだから、この短期で民進党が小池と結ぶことは不可能なのは明らかだ!御託や理屈は無用だ!前原民進党は一瞬でも早く小沢一郎に頭を下げて共産党の固定票を頼れる相互協力体制を整えてもらえ!<選挙に勝てる形>を早急にしっかり作って、一瞬でも早く国民にアピールしろ!できないなら代表を辞めろ!負ける闘いはするな!枝野に土下座して謝罪して、後を託せ!
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180728 映画「青い鳥」(2008:重松清原作、阿部寛主演)感想5

2018年07月29日 00時33分45秒 | 映画・映像
7月28日(土):    

上映時間1:46。 何度目だろう。ただ久しぶりに観て、やっぱり良い作品だと改めて思った。重松清の原作も読んでいる。ちょっと琴線に響いたのでよしなしごとを書く。
 
いじめ自殺騒動(未遂、本人は転校)が一段落した中学の2年1組に代用教員のムラウチ先生(国語)が担任として着任する。彼は、極度の吃音だった。開口一番「卑怯だな。忘れるなんて。先生はどもります、あんまり上手にしゃべれません。でも、本気でしゃべります。だからみんなも本気で聞いてください。本気の言葉を本気で聞くのは当たり前のことです。みんなはそれができなかったから先生はここに来ました。」と言い、撤去されていた生徒の机を教室に戻す。「○○君、お帰り」と。

それだけでなく、毎朝「おはよう、○○くん」と声をかけ続ける。クラス全体が戸惑い、一部の生徒は激しい反発をするが、ムラウチ先生の言葉には表面だけを繕う建て前が無く、その本当の声は徐々に生徒たちに届き始める。本当の声とは、いじめを反省するというのは、整った反省文を書いて、あとは忘れてしまうことではない。本当の反省とは、その事実を忘れないで覚えていることであり、それは<罰>ではなく、<責任>である、ということ。
 
先生の思いが浸透するにつれて、クラスは混迷を深め、保護者からの突き上げも強まっていくが、ムラウチ先生は意に介さない。これは期限のある代用教員だからできることでもある。いじめを形式的に処理しようとして始まった「青い鳥」の悩み投書箱や原稿用紙の枚数(5枚以上)にこだわって書かせられる反省文のウソ臭さも際立っていく。生徒たちが、級友を自殺未遂に追い込んだことを自らの問題として考えることができ始めたとき、休職していた担任の復帰でムラウチ先生は学校を去る。たった一つのことでも生徒たちに伝えることができれば、それは立派なことだと思う。

「0067 重松清「青い鳥」(新潮社;2007) 感想5 」
「130805 念願のBSシネマ「青い鳥」(2008)の録画ができた! 横目で観終わった。 感想5 」

阿部寛は、いい俳優である。モデル出身なのに?一体、彼はいつの間にこんな良い俳優になっていたのだろう。是枝裕和監督の映画との親和性も納得できる。「坂の上の雲」の秋山好古も良かった。

ここから先は、俗な言葉だが、いじめを忘れようとする学校の教師集団や生徒の様子は、本質に向き合おうとしない姿そのものであり、それは過去の侵略戦争の歴史や差別の歴史を見つめずに、忘れ去ろうとし、実際忘れてしまっている今の日本の姿に重なる。歴史は良いことだけではなく、醜く悪いこともきちんと忘れずに覚え続けることこそがあるべき真実の解決策である。今の日本は「無かったことにする」ばっかりだが、それがいちばん歴史から厳しい仕返し(しっぺ返し)を受けることになることすら思い至らなくなってしまった。今はアベ・アソウ・創価学会政権の下で醜い腐臭のする時代を生きている自覚すら失った時代なのだ。
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180727 枝野幸男代表の内閣不信任決議案演説をNHKはなぜ流さない 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」

2018年07月27日 23時20分35秒 | 時代の記憶
7月27日(金):    
          内閣不信任決議案の趣旨弁明をする立憲民主党の枝野幸男代表(C)日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイ枝野幸男代表の内閣不信任決議案演説をNHKはなぜ流さない 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」 2018年7月27日 
「(中略)安倍総理と、クソとミソを一緒にしないでいただきたい(立憲民主党代表・枝野幸男)
  これは20日に衆院本会議で行われた内閣不信任決議案の賛成討論での、枝野代表の発言。
  マジで、この日のエダノンの、3時間近い熱が込められた演説はかっこよかった。
  もちろん、あたしは彼の訴えは見る気でいたが、見る前からすでに見ていた人びとに「感動するから見たほうがいいよ」と連絡をいただいたくらいだ。
  てか、見る前にネットメディアの「リテラ」の記事を読んだんだよね。

【枝野幸男が2時間45分怒りのフィリバスター! 自民議員のヤジも「安倍首相のようなクソと一緒にするな」と一蹴】という。

  まさか~ん。本当にエダノン、安倍さんのことウンコと言った?
  疑いながら話題のエダノンの演説を聞いてみた。期待していたのとはちょっとニュアンスが違ったが、リテラの記事、ほんとだったわ。
  エダノンが、国会で聞かれたことに正面から答えず、聞かれてもいないことをダラダラしゃべる安倍首相の姿勢を批判したとき、自民党議員から、「おまえもダラダラしゃべるな」と言ったヤジが入った。すると、すかさずエダノンは、
「私は安倍内閣がいかに不信任に値するかということを発言する機会を得てここで発言している」
  と説明した。そして、ウンコと一緒にすんな……いいや、クソとミソを一緒にすんな、と言った冒頭の言葉を述べたのだった。
  それにしても、エダノンのこの演説で、安倍政権のいかがわしさが、よく分かった。NHKはどうしてこういう重要なものを流さないのかね?
  自民党や公明党の安倍友じゃない人たちは、なぜ立ち上がらない?
  ウン〇の近くに寄りすぎて、鼻がバカになり、その異臭にも気付かなくなるっていうやつか?
室井佑月 作家
1970年、青森県生まれ。銀座ホステス、モデル、レースクイーンなどを経て97年に作家デビュー。TBS系「ひるおび!」木曜レギュラーほか各局の情報番組に出演中。著書に「ママの神様」(講談社)、「ラブ ファイアー」(集英社文庫)など。
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180726 前原詐欺師のいる国民党は邪魔、消滅しろ!:【永田町の裏を読む】支持率低迷の野党はどう立て直して来夏の参院選を戦うのか 

2018年07月27日 00時13分02秒 | 時々刻々 考える資料
7月26日(木):      左から枝野幸男立憲民主代表、小沢一郎自由党代表、志位和夫共産党委員長(C)日刊ゲンダイ  

前原詐欺師と恥知らずにも同居する国民党は、早急に消滅しろ!
日刊ゲンダイ支持率低迷の野党はどう立て直して来夏の参院選を戦うのか 永田町の裏を読む  2018年7月26日 
  通常国会が終わって、自民党は安倍3選の是非を懸けた総裁選に向かうが、対する野党は来春の統一地方選、夏の参院選に向けて反転攻勢の態勢を取れるのだろうか。
  とりわけ問題は国民民主党の存在で、ともかくも野党第2党で、参院では立憲民主党の23議席をわずか1議席ながら上回る第1党でありながら、直近の共同通信調査では立民の支持率12.4%に対し0・9%、コンマ以下を切り捨てた日経の数字では同じく12%に対し1%と、全く存在感がない。野党の消息通に聞くと……。
  「国民民主自身もこのままでは先行きがないと見てかなり焦っていて、先日は玉木雄一郎代表が参院選に向けて『一緒に戦う旗印を明確にしたい』と呼びかけたが、立憲民主の枝野幸男代表に『現時点で政策のすり合わせは考えられない』とにべもなく断られてしまった。そりゃそうでしょう、国民民主が自分の旗印がハッキリしないのに、他党と一緒になって統一政策、スローガンを作ろうと言っても相手にされないのは当たり前だ」
  それでは、参院選に向けての野党の選挙協力、統一候補擁立は実現しないのか? 
「そんなことはない。小沢一郎がこのところ枝野や共産党の志位和夫委員長らに会って言っているのは、まず立憲民主と自由、社民が一緒になる。それでも衆院で4、参院では6(沖縄の2人まで入って8)しか増えないが、これが実現すれば岡田克也、江田憲司ら無所属の会の衆院13人も動くだろう。その“拡大立憲民主”と共産とが協議し、32の1人区の可能なところで統一候補を立てるというのが小沢構想」と彼は見ている。
  つまり、国民民主は相手にしない?
「おそらく、党としての国民民主とは組まずに、選挙区の実情によってはすみ分けをするだろう。国民民主の参院議員で選挙区で通ってきて来年改選を迎えるのは、愛知の大塚耕平代表や長野の羽田雄一郎元国土交通相ら5人ほどで、そこでは立憲民主も共産もあえて競合を避けるかもしれない」
  それにしても枝野も小沢も国民民主にずいぶん冷たいではないか。
「彼らから見れば、旧民進党の分解過程でいちばん右往左往して、原発推進賛成を条件に連合労組の組織支援をもらおうとした人たちが中心の党ですから。そうでないのに成りゆきで行ってしまった人は、いずれ立憲民主に合流してくるでしょう」
 さて、小沢工作の行方を見極めたい。
高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。
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7 102 佐々木正美「子どもへのまなざし」(福音館書店:1998)感想特5

2018年07月26日 00時40分01秒 | 一日一冊読書開始
7月25日(水):  

324ページ      所要時間6:05      ブックオフ200円

著者63歳(1935~2017:81歳)。児童精神科医。

あまり余裕がないので、簡潔に書く。数日前の晩、幼い息子に少し「キレ」て、厳しい態度をとってしまい、我知らず本棚の本書を読み始めた。そうしたら、ますます落ち込んでしまった。しかし、こういう気付きがなければ、かけがえのない息子との関係を見失ってしまうところだった。

本書は、理屈云々を超えたところにある本である。『聖書』まさに<福音のような内容>であり、読むこと自体が<祈り>であり、<懺悔>になった気がする。乳幼児期に与えられた人間と社会への信頼感が、その人間の人生を決定するほどの影響力を持つ。著者のまなざしはあくまでも子どもの立場に立っているが、同時に「幸せな親によってしか、子どもを幸せに育てられない」という時に絶望的に響く厳しい観点から、「子どもよりもあえて親の幸せを優先する」とも語っている。

読んでいて、何度も期待を裏切られるようなことが書かれていた。親や保育士・幼稚園教員をはじめ子供に関わる大人に対して根本的な考え方の変革を求める内容が記されていて「はっ!?」とさせられるのだ。ある時には、本書の内容のが重松清の作品と重なり、「とんび」のやっさんが立ち現れて戸惑った。内容が非常に良識的でありかつ、優しさに満ちているからだろうと思った。

本書は、テキストであり、付箋をたくさんしたので、今後折にふれて何度も読み返そうと思う。これから読んでみようと思う人には、お子さんが乳幼児の内に読まれることを勧める。ただ、本書は児童書の枠を越えて、人間観・哲学の領域に入っているので、子どもの有無にかかわらず人生について、社会について考えるよすがになると考える。

【目次】乳幼児期は人格の基礎をつくるとき/子どもをとりまく社会の変化/人と育ち合う育児/こんな気持ちで子育てを/生命との出会い/乳児期に人を信頼できると子どもは順調に育つ/子どもの望んだことを満たしてあげる/幼児期は自立へのステップの時期/しつけはくり返し教えること、そして待つこと/思いやりは身近な人とともに育つ/子ども同士の遊びのなかで生まれるもの/友達と学び合う時期/思春期は自分さがしの時期/豊かな社会がもたらしたもの/保母さん、幼稚園の先生へ/お母さんへ、お父さんへ

【内容情報】*子どもにとっての乳幼児期は、人間の基礎をつくるもっとも重要な時期です。児童精神科医の著者が、臨床経験をふまえて乳幼児期の育児の大切さを語る、育児に関わる人の必読書です
*乳幼児期は人間の基礎を育てる大切な時期だと、乳幼児期の子育てに重点を置いている1冊。 著者は30年以上、子どもの臨床に携わってきた。さらに診察室だけではなく、保育園や幼稚園、学校、児童相談所、養護施設、家庭裁判所などさまざまな場所で数多くの子どもや親に出会ってきた。 社会の変化に伴い、育児方法や育児の考え方は大きく変化した。育児不安を持つ母親はますます増加し、近年問題になっている過干渉や放置、虐待など、社会のゆがみは、そのまま子育てに影響している。著者は、子どものありのままを受け止めることが大切だと強調する。十分な受容や承認を受けた子どもは、安心して社会に出ることができる。子どもにとって、最大のサポーターであり、理解者であるのが親なのだ、と。育児の喜びは、子どもに期待できる喜び、子どもを幸せにできる喜びの二つあると著者はいう。そして、子どもの笑顔や喜ぶ姿に、自分自身が喜べる親であってほしいと願う。 自分が望んだとおりに子どもが育つ姿を見て、満足する。そういう「条件つきの愛」ではなく、無条件に子どもを愛することの大切さは、きっとだれでもわかっていることなのだろう。本書に書かれていることは、ごくごくあたりまえのことばかりだ。しかし、忙しい毎日に追われ、そんなあたりまえのことをつい忘れてしまいがちになる。本書は、自分の子育てをあらためて見つめ直すきっかけになりそうだ。(町場キリコ)
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180725 一年前:170724 お薦めTV:NHK「亜由未が教えてくれたこと」(170722:再放送)感想5

2018年07月25日 19時25分56秒 | 一年前
7月25日(水):
170724 お薦めTV:NHK「亜由未が教えてくれたこと」(170722:再放送)感想5
7月24日(月):   NHKの若手製作者が、自分の家族に対する取材だから実現した、ある意味で奇跡的なドキュメンタリー。世間で東大理Ⅲに4人兄弟を送り出した母親が注目されている......

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180725 一年前:170725 【平成と天皇】首相経験者に聞く:1 退位、政治家もっと謙虚に 福田康夫氏

2018年07月25日 19時05分29秒 | 一年前
7月25日(火):
170725 【平成と天皇】首相経験者に聞く:1 退位、政治家もっと謙虚に 福田康夫氏
7月25日(火):  21世紀の歴代総理の中で、福田康夫氏と鳩山由紀夫氏の二人だけが人格、識見ともにまともな首相だったと思っている。正直言って、まともな総理大臣ほど潔すぎる早期......

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180724 一年前:170723 特別対談 政治家の言葉:上 保阪正康さん、斎藤美奈子さん

2018年07月25日 01時06分26秒 | 一年前
7月24日(火):
170723 特別対談 政治家の言葉:上 保阪正康さん、斎藤美奈子さん
7月23日(日):      朝日デジタル:特別対談 政治家の言葉:上 保阪正康さん、斎藤美奈子さん  2017年7月23日05時00分 <国民への誠意欠く失言>  <行動伴っ......

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180723 「西郷どん」26話、27話を見た。幕末史の矮小化、幼稚化、極まれり。混乱を流布するだけ、もはや有害無益。

2018年07月23日 18時04分29秒 | つぶやき
7月23日(月):

「西郷どん」録画(26話「西郷、京へ」、27話「禁門の変」)を見た。幕末史の矮小化、幼稚化、ご都合主義、ここに極まれり。思わせぶりだが中身が全くないおちゃらけたおままごとストーリー。西郷個人だけのメロドラマになっている。

その他の人間はことごとくのっぺらぼうか、善悪二元論のステレオタイプの無個性人間ばかりだ。一橋慶喜もあり得ない。せっかくの大河ドラマが、群像劇として成り立っていない桂小五郎・久坂玄瑞を粗末に扱うな。長州が攻めてきたから、木島又兵衛は長州力か…、あほか!

あり得ない設定も含めて、この番組で幕末史に初めて触れる人間は、どんな歴史観を身に着けるのだろう。誤解と混乱を流布するだけ、もはや有害無益。
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7 101 池田清彦「真面目に生きると損をする」(角川新書:2016)感想4

2018年07月22日 22時56分09秒 | 一日一冊読書開始
7月22日(日):  

199ページ      所要時間3:20       ブックオフ108円

著者69歳(1947生まれ)。東京生まれ。生物学者。早稲田大学国際教養学部教授。構造主義生物学の立場から科学論・社会評論等の執筆も行う。出身校、東京教育大学(学部)、東京都立大学(大学院)。

養老孟司の著作に昆虫愛好家仲間としてよく登場する。互いに影響し合ってもいるようなので、ブックオフで昨日、本書を見つけて、即買った。読んでみると確かに、養老と近い考え方、スタンスの持ち主だった。アベとハシモトトオルを徹底的に批判する考え方には共感を覚えた。

近年、俺は世の中で当然のように使われる言葉の論理の立て方の前提に対して根本的疑問を感じている。例えば、「<国民>や<日本人>とは一体誰のことか」「<国益>とは、一体誰の利益か」「<愛国心>とは、一体誰のための精神か。そもそも<国家>とは、誰のために、何のために存在しているのか。5W1Hが知りたい!」「政治的<中立>とは、どうやって測るのか。<中立>の両端は誰が決めるのか」「<普通>とは、<正義>とは、そもそも誰が決めるのか」

他の動物に比べて弱い人類が生き残り、さらに繁栄できた条件は、できるだけ大きな群れを維持する<集団化>であった。そのため、他者との同調・共同を維持するためにミラー・ニューロンを発達させてきた。日本では、<世間>という極めて強い同調圧力を求める社会の中でミラー・ニューロンがフル回転している。

先述した根本的疑問を俺が他人に口にすれば、今の日本では「うるさい奴」「うっとうしい奴」として敬遠されるのが落ちである。国民をなめ切って、民主主義の弱点を最大限利用しているアベ・アソウ・創価学会の疑似独裁政権が高をくくって目指している思うつぼの社会になっている。

著者は、さまざまな通俗の論理の前提に対する根本的疑問を学者の立場から明確に「おかしい」と口にしてくれている。この点では、同根であっても養老さんより随分明確でわかりやすい。良く物が見えている人だと思う。

ただ歯に衣着せぬ、明け透けな物言いはアクが強くて上品な物言いとは言いがたい。読んでいて不快を覚えるところもあって感想3+にしようか、と思った時もあった。ただ、喫煙者に対する国家ぐるみのいじめ・差別などについては、元喫煙者である俺自身がふだんから感じていたことであり、そのほか多様性に対する配慮を強く求める一方で、違う存在同士が理解し合えない部分は尊重して残すべきだという考えなど、やはり《加減》《塩梅》を考えているところなど共感できるので、感想4にとどめた。

言ってることは正しいんだけど、この人もうちょっとものの言い方を変えれば、読みやすいんだけどなあ。まあ、それも含めてのひとりの人格ということか…。

【目次】1 ジタバタしない生き方・死に方 :人生に生きる意味などない/日本人の死について/祖父母はなぜ孫を可愛がるのか/老人になって考えること/医療費はなぜ増大するのか/がんになったらどうするか?
2 日本の教育と知性について :小保方さんの学位取り消し騒動に思う/大学研究費問題/先生の尻を叩けば叩くほど教育は疲弊する/反知性主義と国民の政治離れについて(1)/反知性主義と国民の政治離れについて(2)/「絶滅危惧語」について
3 国家と資本主義のワナ :「温暖化真理教」に席巻された日本国/ペテン国家・日本の環境行政/原発は人類史上最悪の道具/少子化とグローバル・キャピタリム/資本主義は生き延びるか? /コンピュータ化とベーシックインカム
4 マイノリティを叫び格差社会を生きる :民度が低くて民主主義が機能しない日本/同調圧力とミラーニューロン/異質な他者を認めよう/「地方創生」と高級官僚の地方移住/拡がる所得格差を是正しよう

【内容紹介】「正義」と「善意」はウソばかり!? どうせ死ぬから、言わせてもらおう。
正義と善意はウソばかり。屁理屈を信じるのは、もうやめよう!/長生きは良いことか。地球温暖化は本当か。働き者はナマケモノよりも偉いのか――病気と医療、教育や環境、格差社会ほか避けられない身近な諸問題を、独自のマイノリティ視点で一刀両断。いい加減くらいが、ちょうどいい!? もっともらしい「正論」や「常識」のウラに隠された世の偽善を見抜き、ジタバタせず楽しく生きる心構えを教える。
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7 076~7 100 二ノ宮知子「のだめカンタービレ 全25巻」(講談社コミックスKiss:2002~2010)感想は勿論5!

2018年07月22日 02時16分17秒 | 一日一冊読書開始
7月21日(土):                    

各巻182ページ前後   所要時間、各巻1:30~2:00   全25巻所有

ブログの読書部分が明らかに伸び悩んできている。言い訳はいくらでもできる。今春、職場が変わって新たな環境に対応するのに必死であること。実際、子育ても含め公私にわたり忙しくなったこと。老眼の進行による明らかな読書のし辛さ。さらに加齢に伴う気力体力の衰え。昔のように高橋和巳『邪宗門 上・下』、井上ひさし『吉里吉里人 上・中・下』、大岡昇平『レイテ戦記 上・中・下』を読み通すような離れ業は相当の覚悟がなければやり切れなくなってきている。

また、加齢に伴う体質の変化によるのか、近年俺の体はお握り一個でも食べ物を口にすると、急速に胃腸に血流が集中して、全身を動かさないデスクワークなどで、じっとしていると必ず!30分以内に猛烈な睡魔に襲われて1~2hの睡眠を余儀なくされる体質になっている。

しかし、それらの言い訳をいくら並べても、本を読めない真の理由とはならない。読書家業界の人々(?)からは必ず「それじゃあ、あなたは忙しくなったら毎日ご飯を食べないのですか。忙しければ夜寝ないのですか」という問いが返ってくるはずだ。即ち、読書とは寝食と同じで、本当に読みたい意思があれば必ず読めるはずだということである。

そこで敢えて、この6月・7月という限定付きで言い訳をさせてもらうと、疲れて帰宅すると緊張から解き放たれるせいか、すぐに強い食欲を覚えて、メインの前の(腹の)虫休めの仮食として食事を始めてしまうようになった。そして、それはほぼ必ず「もっと食べてしまいたい」という食欲に負けてしまってメインの食事に変わってしまうのだ。そのあとはお約束の猛烈な睡魔に襲われて仮眠ぐアウト!(冗談言ってる場合か!?)。

夜9:00なら良い方で、10:30などとんでもない時間に目覚めて、途方に暮れてとりあえず、ニュースの録画や録り溜めた録画DVD(ブラタモリなど)を観ながら日記を書いて(俺は40年近く日記を書いている)、9%チューハイとウィスキー角ビンをがぶ飲みして寝てしまう日々(俺はアル中です)が続いているのだ。

仕事から帰ってすぐに読書に入れれば良いはずなのだが、それができずとりあえずダイニングのいつもの席に陣取ってほっと一息つく。その横には、小さな本棚があり、二ノ宮知子「のだめカンタービレ 全25巻」や、ほったゆみ原作・小畑健漫画「ヒカルの碁 全23巻」、吉田秋生「海街diary 全8巻」などが並べられている。また、近くの他の本棚には、小学館「漫画 日本の歴史 全20+1巻」と集英社「漫画 世界の歴史 全16+2巻」が置いてある。そして、今回ある意味必然的にだが、不覚にも!、「のだめカンタービレ」に手を出してしまったのだ。

帰宅してすぐ食欲が出て仮食をすると言っても、子育て真っ最中の俺の奥さんにも都合というものがある。1~2hはすぐに立つ。その間に「のだめカンタービレ」をランダムに手を出して読み始める。全体の筋は、ほぼ頭に入っているので、どこから読んでも迷うことはない。面白い!。以前に見落としていたところに気づく。面白かったところに再度はまる。前が読みたくなる。後が読みたくなる。

いつのまにか、何度目かの「のだめカンタービレ」のマイ・ブームが訪れ、あの世界にはまり込んでいく。また、俺は「のだめカンタービレ」のアニメ、ドラマ、映画をすべてテレビ放送で録画撮りし、CMを抜いてきれいにDVD保存してある。特に、アニメDVDの出来は超素晴らしい。このアニメDVDを以前から何度もマイ・ブームで見直しているので、コミックだけでは再現できないクラシックの名曲すべてを頭の中で再現しながら、俺は読み通すことができる。

十分に読書が捗らなかった背景の一つに、6月・7月の「のだめカンタービレ」ブームがあったことは間違いない。そして、音楽を頭の中で再現しながら読み直す中でこの作品の素晴らしさを再認識する日々が続いている。

俺の作品に対する評価の基準は、①知ることのできない世界をトータルにまとめてわかりやすく切り拓いて、追体験できるように紹介して見せてくれること。②群像劇として登場人物ひとりひとりに行き届いた魅力があること。③第一段階から、第二段階への展開で、第二段階で失速することなく、さらに面白い展開を見せてくれること。④メインキャラクターの位置づけにどんでん返しがあること。のだめを海外に導くために千秋は日本に釘付けされていた。ヒカルの才能を引き出す研ぎ石となるために塔矢アキラがいた。そう考えると、塔矢アキラは、ヒカルを“陶冶する(育成する)”ために設定された“陶冶アキラ”とも読めるだろうか。

そして、何といっても、⑤メインキャラクターは一人よりも複数が良い。「キングダム」の信、政(始皇帝)、姜かい、蒙恬(てん)、王噴(ほん)。他、歴代大河ドラマの中の名作群「花神」(6月にどはまりしていた)、「翔ぶが如く」(実は今、どはまり中である。明治六年の政変の西郷・大久保の葛藤は胸ふさがれる思いになる)、「太平記」(尊氏・直義、後醍醐、正成・正季、道誉、師直:「父上、母上-、弟を殺した-」)、『軍師官兵衛』(7月初にどはまりしていた。「その時、家康はどちらの手を握った。」「右でございます。」「そのときお前の左手は何をしていた!」)etc.まあ、切りがない。

「のだめカンタービレ」は、俺のクラシック音楽への憧れを十二分に満たしてくれる作品だった。しかも、アニメ録画で俺はその曲を追体験できている。群像劇としてもよくできてるし、1~9巻までの国内編から10巻~23巻の巴里編、さらに24・25巻のアンコールオペラ編まで内容豊かでゆるみがなく発展形で、俺の知識欲を十分に満たしてくれた。特に、外国での音楽活動の様子をきちんと描き出してくれたことはこの作品の最大の価値だろう。音楽の持つ国際性を感じさせてもらえた。

のだめに振り回されながら自らの人生が開かれていく千秋の姿を見ながら、外形的な評価に惑わされることなく、自らの判断基準・能力を優先させることでのだめを選び取ることができた千秋自身の才能の高さも表現されている。自分の目を信じる」「自分の判断基準を大切にする」ことの大切さにも気づかせてもらえた気がしている。

音楽に携わる人々の姿、彼らにとって、コンクールとは。国内コンクールと国際コンクールの違い。オーケストラとは。コンマス・コンミスとは。コンチェルト(協奏曲)とは。オペラとは。オケピとは。悲しい曲を悲しく奏で過ぎてはいけない、とは。パリ、ウィーン、ベルリン、ロンドン、ニューヨーク:イタリアなど音楽の本場とは。ロシア人ターニャ嬢とセ・グローク(青緑)な黒木君の恋愛事情、国際結婚と言っても特別なことではなく、国境を越えて男女を結ぶ強い絆があるということ。ステージママの存在。表現力の多様さ。

少し考えて振り返っても、このシリーズから様々なことを学べたと思うが、実際のところ最後に、本音を吐けば「ひたすらゲラゲラ、クスリと笑えて面白かった!」のだ。絶妙の間合いで展開される笑えるシーンの連続、知性とともに作者のセンスの良さが光り輝き続けていたのだ。やはり「のだめカンタービレ」の魅力を一言でいえば、大変センスの良い作品だった!ということに尽きる。

さて、ここまで書いてきて、顰めっ面で読ませるのが、良い作品とは限らない。むしろ笑いこそが人々の耳目を引き付け、人々を高みに引き上げる原動力ではないか、と考えるに至った次第である。ってことで、6月・7月の読書に「のだめカンタービレ 全25巻」を読書に加えない方がおかしい!。カウントに加えるべきである!、と結論付けさせて頂きましたm(_ _)m。

今、一番恐れているのは、先述のアニメ版「のだめカンタービレ」全DVDのマイ・ブームに再突入する可能性である。『翔ぶが如く』DVDのマイ・ブームが終われば、『のだめ』DVDブームが始まるのか。これはやばいことになっている。まあ、それにしても考えてみれば、我ながら、それなりに楽しい人生を送らせて頂いている。感謝しながら、家族を始め周りの人たちのために生きさせて頂こうと心から思うm(_ _)m。有難や、有難や。      以上6004文字。
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180719 141万PV超:山本太郎の追及にシドロモドロの安倍晋三!/K君とY君(斎藤美奈子) *後世への記録。

2018年07月20日 21時30分44秒 | 閲覧数 記録
7月19日(木): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2476日。

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後世に残しておく。今がどれほど愚劣で醜悪な時代であったか。未来の日本が迷路にはまり込み、衰亡していたとしたら、その原因はアベ・アソウ・創価学会の時代であった、と。

半歩前へ山本太郎の追及にシドロモドロの安倍晋三!  2018/07/19 00:41 
▼山本太郎の追及にシドロモドロの安倍晋三!
  安倍晋三は1999年、自派の下関市長の再選のために暴力団「工藤会」を使って対立候補への誹謗中傷をやらせた。
  首尾良く仲間の市長を再選させることに成功したが、「工藤会」に約束した500万円の支払いを300万円に値切った。
  アタマにきた暴力団は安倍の自宅に火焔瓶を投げ込んだ。
  バクチ法案に絡み山本太郎が安倍晋三と暴力団の関係について17日の参院内閣委で問いただした。
  晋三はシドロモドロで応え、何を言っているか意味不明。出席者は全く理解できなかった。ヤクザを利用した「暗い闇の過去」を暴露され、晋三はまともに応えられなかった。
*****************
  柘植参院内閣委員長が「安倍内閣総理大臣」に発言を促した。晋三がしぶしぶ答弁に立った。
  「これ、あの、今、委員が、例として挙げられた件でございますけれども、いずれにせよ、この件はですね、有罪判決が下っているわけでありまして、被疑者は処罰されたものでありまして、私どもは、これ被害者でございます。
  そして、資料の4を読んでおられましたが、それは、この有罪判決が下った人物、この下った人物は恐喝をしですね、これは、私どもだけではなくて、えー、あの、様々な、そういう、えー、過去も指摘されているわけでございますが、
  その人物がですね、こう言っていたということを紹介をして頂いたんだろうと、えー、思うわけでございまして、私は、一切こういう恐喝には屈しなかった中において、先方がですね、えー、私が寝ている、車庫というご指摘がございましたが、
  私の家自体、私も妻も寝ていた家屋にですね、火炎瓶を投げ入れたわけでございまして、投げ入れさせたわけでありまして、暴力団に依頼をして、そういう行為をさせたわけでありまして、
  えー、そういう、向こう側からのですね、いわば、恐喝ゆすりには私は一切屈しなかったから、このようなことが何回か起こったわけでございますが、幸いですね、えー、この、首謀者も、えー、捕まり、
  えー、これは、判決が下り、処罰がなされたと、いうことだろうと、思うわけでございまして、これは、むしろ、私が関わりがあるということでは全くなくてですね、私は一切の関わりを断ってきた中において、発生した事件であるわけでございます。
  そして、既に、判決が下り、本人は処罰されているということでございます」
**********************
  何を言っているのか理解不能だ。
  これに対し、山本太郎が追い打ちをかけた。
  「暴力団員とつながりのあるような人間に対して民主主義の根底を引っくり返すような選挙妨害を発注する。大問題じゃないですか、これ、当たり前ですよ。
  そのような汚れ仕事を堂々と発注できるような人間が、この国の総理であり、そして、このバクチを解禁するということにおいて、それをしっかりと監視する役、その総元締めであるカジノ監視委員会を任命する立場にあるなんて、笑い話でしかないですよ。
  現実なんですから、悲劇でしかないですね」-。
詳しくはここをクリック
https://ameblo.jp/tiger-mask-fighter/entry-12391454225.html

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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)