もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

220731 記者座談会 安倍晋三は神様なのか? やるなら統一教会葬でどうぞ 英雄扱いする報道の異様さ(長周新聞)

2022年07月31日 16時00分00秒 | 時代の記憶
7月31日(日):  統一教会の関連団体・UPF(宇宙平和連合)の大会に送られた安倍晋三元首相のメッセージ    統一教会の機関紙の表紙を何度も飾っていた
長周新聞記者座談会 安倍晋三は神様なのか? やるなら統一教会葬でどうぞ 英雄扱いする報道の異様さ
2022年7月21日
 
 カルト宗教である統一教会への恨みから、その親派として元首相が射殺されるという衝撃的事件から1週間以上が経過した。その後、メディアは気味悪いほど元首相である安倍晋三の神格化に勤しみ、お涙頂戴キャンペーン一色に染まっている。問題の宗教団体と自民党の癒着やその構造、戦後からこの方に至る歴史的な経緯、政教分離の実態について迫るものは乏しく、むしろ亡くなった途端に生前の数々の疑惑は帳消しとなり、まるで国家の英雄であったかのような持ち上げっぷりである。そして、岸田政権はあろうことか吉田茂以来、55年ぶりの国葬(開催費用はすべて国家負担)を実施するなどといい始め、その是非を巡って波紋が広がっている。各種媒体や関わってきた弁護士等々の努力によって、徐々に明るみになってきた自民党と統一教会の関係やその実態について見ながら、記者たちで議論を深めてみた。

 A その後のメディアの扱いがあまりにも酷すぎると各所で話題になっている。異様さを感じとっている人は少なくない。こぞって「悲しみに暮れる日本国民」みたいなものばかりを強調し、泣きながら献花を捧げる人にインタビューしたりして、まるで「安倍晋三天皇」の如く偶像崇拝しているのに特徴がある。突然射殺されて、それ自体ショッキングな事件であることは疑いないが、「日本国の父・安倍晋三様の逝去」みたいな世界観が滲み出ていて、極めて宗教的であるし気色悪さすら感じる。

 淡々と事実報道に徹すればいいのに、同調圧力をともなったプロパガンダを仕掛けている。ウクライナを巡ってもそうだが、異論は許さぬといわんばかりに染め上げていく。ファッショ的だ。小学生が「安倍元首相は天に昇られるのだと思います」とインタビューに答えているのを見て、「天に昇る」ってまさに統一教会の教えじゃないのか? ひょっとして信者に動員かかってるんじゃないの? と鳥肌が立ったほどだ。いったい延々と何を見せられているんだろうか…と思う。「鬱陶しいからテレビを消す」という人も多い。

 B 何年か前に選挙の街頭演説で「安倍帰れ!」コールをくらって、「あんな人たちに負けるわけにはいかない!」と叫んだ後の街頭演説を東京で取材していた際、アンチに対抗して脇を固めるように応援部隊として動員されていたのは明らかに宗教団体だった。今思うに統一教会だったのではないかという気がしてならないが、一般人ではない人々、勢揃いするように目つきの厳しい集団が一群を占めていて、異様な光景だったことを思い出す。安保法制を巡って国会前に群衆が押し寄せていた際も、それに対して統一教会の学生組織が安倍晋三支持でデモを仕掛けるなど、きわめて戦闘的な印象がある。統一教会が安倍親衛隊として動いていたのだろう。

 いずれにしても、その後のキャンペーンはあまりにも安倍晋三を持ち上げ過ぎで、生前の実態についてかき消すように神様扱いしていて驚かされる。日本会議とか統一教会、あるいは安倍晋三教団の信者でもない者としては、事件そのものへの衝撃こそあれ涙を流すほどの感情もないし、そこに同調せよと迫られても正直引く。偶像崇拝したい人々がいるなら勝手に崇拝すれば良いしそれは自由だと思うが、周囲に迫ってくる圧がそれこそ統一教会ではあるまいか? と思うほど強引なのだ。「立派な政治指導者だった」「国のために尽くした偉人だった」と思わない人々は、サタンにとり憑かれているとでもいい出しかねない空気が煽られている。個人崇拝も大概にしなければならない。

 C とはいえ、世間はメディアが思うほどプロパガンダに染まっていないし、冷静に眺めている人がほとんどだと思う。国葬についても「やるならホテル・ニューオオタニで会費は5000円。サントリーが酒を無料提供し、統一教会葬として実施したらよいのではないか」と桜を見る会の前夜祭に重ねて提案する声だってある。それに共感する人々も意外に多い。本当にその通りだなと思う。死に様が衝撃的だったとはいえ、それだけをもってどうして国家あげて葬儀する必要があるのかと――。

 国葬に法的根拠もないが、どうして統一教会との密接な関係があったが故に狙われた一人の政治家に対して、統一教会の信者でもない者までが「一億総喪中」をしなければならないのかだ。ボスを失って安倍派とか清和会が悲しいというなら、彼らが政教分離など知ったことかと宣言して、統一教会や日本会議などといっしょに身内でやればよいだけで、国家あげて天まで持ち上げて葬儀をあげるなどどうかしている。吉田茂以来55年ぶりというが、だいたい吉田茂の国葬そのものがおかしいのだ。アメリカの対日支配に協力した為政者ほど崇め奉られるようなのが伝統なのかだ。

 D 国費を投じた国葬といっても、どうせ電通とかパソナが請け負うんだろうと思うとゲンナリする。なんのことだか。それで国をあげてのお涙頂戴キャンペーンが秋になってもまだくり広げられ、「一億総号泣」でもしろというのだろうか。いい加減にしてもらいたい。

 A 今回の事件は、自民党のなかでもとりわけ清和会と宗教団体との歴史的なつながりが仇になったもので、日本の政治の裏側を引きずり出すものになった。日本の独占大企業や資本家にとって、またその上段に君臨して戦後の対日支配を実行してきたアメリカにとって、岸信介(CIAのエージェント)から安倍晋三につながる政界の権力というのは、彼らが与えて育んできた権力にほかならない。いわゆる戦後の冷戦期から今日に至る右の軸なわけだ。そこにカネが集まるから最大派閥というものができあがり、日本の政界において隠然たる地位を築くことができたのだ。

 自民党の結党資金をCIAが提供していたことなども既に周知の事実ではあるが、親米右派であったり、親米左派をも培養し、いわば右手と左手を使いこなしながら対日支配を実行してきたのがアメリカだ。そのなかで、統一教会や勝共連合も右派運動の一翼として存在を認められ、右派政治家たちと密接な関係を切り結びながら今日に至るも活動をくり広げているに過ぎない。「神様のご加護」ではなく「為政者及び権力者のご加護」、力添えのおかげで統一教会みたいな宗教団体がのさばり、どれだけ信者が苦しもうが存在を許されてきたのだ。

 C 「統一教会はCIAがカネを突っ込んでつくった右派セクター」という指摘もあるが、教祖の文鮮明とつながってその設立に関わった岸信介自身がCIAのエージェントとして戦後の歩みを進めたわけで、まったく無関係とも思わないし、特にビックリ仰天するような話でもない。60年安保とか70年安保など、冷戦期の激動の時代にあって、対日支配の道具として過激な右側である国際勝共連合は育まれたし、その必要から笹川良一や岸信介が立ち上げたのだ。

 だいたい世界中で宗教組織、テロ組織を培養して政権転覆なり恐怖支配をくり広げてきたのがCIAで、謀略などなんでもあり。その基準は民主主義の実現とか善悪ではない。アメリカにとって都合が良いなら恥も外聞もなくテロ組織だろうが宗教団体だろうが培養するのだ。戦犯の岸信介だろうが手先として使う。その岸信介をルーツとした統一教会についても、政治的な存在として捉えないといけない。信者を塗炭の苦しみに追い込むほどカネを巻き上げるひどいカルト宗教であるが、そのようなものがどうして自民党政治と癒着し、存在を許されてきたのかだ。

 D 統一教会そのものは朝鮮動乱を経た50年代頭に韓国で産声を上げ、アメリカが作り上げた韓国の軍事独裁政権ともつながって、まさに右派セクターの一翼として出発している。日本と韓国の戦後出発は、ともにアメリカの軍事支配から始まった。韓国ではアメリカ仕込みの李承晩が送り込まれて軍事政権で国内を抑え込み、一方の日本では天皇のみならず岸信介をはじめとした日本軍国主義の為政者や統治機構が丸ごとアメリカに屈服して武装解除をやり、戦後の地位を保証されたもとで占領統治が実行された。つまり、日本の独占企業なり為政者はアメリカに屈服したもとで首の皮をつなぎ戦後出発したのだ。

 官僚機構もそのまま。大本営を主導した朝日新聞の緒方竹虎や読売新聞の正力松太郎などもCIAのエージェントとなってメディアの世界に居座り続けた。先程から論議になっているように、岸信介もCIAのエージェントだったことが明らかになっているし、笹川財団の笹川、右翼のドンといわれた児玉など、アメリカの占領支配に協力するものはみな抱えられ、戦後もポストを与えられた。いわば間接統治の駒として機能していく。アメリカが最上段に君臨したもとで、それら対日支配の協力者の国内での権力は与えられたのだ。

 A 一方で、統一教会と日本国内の右派がズブズブだった関係と関わって韓国でどうだったかというと、これもあまり日本国内では報道されないものの、日本の占領統治に協力していた朝鮮総督府の面々や日本陸軍士官学校関係者などが復職を許され、アメリカはおおいに統治に利用した。それこそ徴用工問題と関わって1965年の日韓請求権協定を結んだ朴正煕は日本陸軍士官学校卒の軍人で、昵懇(じっこん)の関係を結んでいた岸信介などは占領時代の上司みたいなものだ。

 それで8億㌦の経済支援で戦後賠償は終わったみたいなことをいうが、要するにODA方式で三菱重工業はじめとした大手企業が地下鉄工事その他の事業を請け負い、日本にバックさせる、自民党政治家にバックさせるという手法だった。総元締めにいたのが岸信介であり、脇を固めたのは満鉄調査部の幹部だった連中など植民地支配を実行していた面面だ。満鉄調査部の人員は戦後、電通がごっそりとひきとり、それがメディアを支配する電通の今につながるルーツでもある。その電通に首根っこを抑えられたメディアが「安倍晋三様のご逝去」報道をくり広げているのだから笑えない。

 D 岸信介といえば韓国利権で有名だが、いわゆる韓国の保守というのが、日本の旧植民地主義者たちにとってはかつての目下の部下であり、彼らは深くつながりを持ちながら共にアメリカの支配下で戦後出発を迎える。日米韓を又にかけて宗教活動をくり広げた統一教会も反共右派の一翼だったというだけだ。アメリカにも拠点がある。そうして、日本国内から巻き上げた信者からの多額の献金によって、韓国では財閥のような存在となり、系列の有名な飲料会社がサッカーチームを持っていたほどだ。

政治と宗教の解明必須 統一教会野放しの背景

 A 『週刊文春』が山上某の伯父へのインタビューを掲載していたが、まことに過酷な人生を歩んでいたことがうかがえて、ちょっと言葉がない。詳しくは『文春』を読めばいいが、宗教団体に家族を狂わされた二世の気持ちを想像すると、どうしてこのような宗教団体が野放しにされてきたのかと心底思う。弁護士たちものべていたが、このような社会悪がとり締まられることなく、むしろ政界にも侵食していたのだから異常事態だ。それこそ民主主義への挑戦だろう。

 なぜ安倍晋三を狙ったのか本人が理由にもあげていた統一教会の関連団体であるUPFの大会メッセージを見てみたのだが、「ご出席の皆様、日本国前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPF主催のもと、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のために、およそ150カ国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で、世界平和を共に牽引してきた盟友のトランプ大統領と共に演説機会を頂いたことを光栄に思います。特にこの度出帆したシンクタンク2022の果たす役割は、大きなものであると期待しております。今日に至るまでUPFと共に世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁(統一教会総裁)をはじめ、皆様に敬意を表します――」の挨拶に始まるメッセージは、広告塔としても十分過ぎるが、単純に広告塔だったというだけでは済まない。

 D この間の報道で明らかになったことを見てみると、統一教会のイベントに祝電を送ったり、講演したり、来賓挨拶したり、機関紙のインタビューに応じたり、公に関係を持っている政治家だけあげつらっても相当数にのぼる。安倍晋三に始まり、菅義偉、麻生太郎、下村博文、高市早苗、稲田朋美、細田博之、加藤勝信、萩生田光一、岸信夫、平井卓也、山谷えり子、猪口邦子、逢沢一郎、衛藤征士郎といった清和会を中心としたメンバーの他に、野党関係者のなかでも前原誠司、細野豪志なんかも関係がとり沙汰されている。竹中平蔵も日韓トンネル財団の関係の催しで挨拶している。まだまだこんなものではないのだろう。統一教会が姿を変えるのを得意技とし、企業に扮したり様々な業態に七変化することから分かりづらいものの、「政治と宗教」の関係がどうなっているのか実態解明は必要だ。

 B 残酷な献金や詐欺まがいのカネ集めはどう見ても反社会的なもので、オウム真理教と同じように犯罪捜査の手が及ばなければならないのに、2006年の第一次安倍政権のもとで公安が統一教会を重点監視対象から外し、第二次安倍政権下の2015年には、1994年から認めてこなかった統一教会の名称変更を文科省が承認した。あの宗教団体の衣替えを公認したのだ。当時の大臣は清和会所属の文教族・下村博文だ。そして安倍晋三の私物化疑惑と同じように同教団のおこないは厳しく報道されることもなく、むしろ闇の勢力として政界でも存在感を強め、暗躍していたのが実態なのだろう。政治家がこぞって統一教会とつながり、隠すことなくメッセージを寄せたりするのが常態化し、むしろ統一教会にすり寄った者ほど安倍政権のもとで大臣に出世したのだ。

 信者からの激しい献金の巻き上げで悲劇がいくつも起きていることは霊感商法対策弁護士連絡会の会見でも浮き彫りになったが、そのカネは政界にも流れていたことは容易に想像がつく。それが自民党だけでなく民主党にも及んでいる。国会議員の秘書として三桁に届くくらい統一教会から送り込まれているというが、これをズブズブといわずしてなんというのだろうか。

 A 国際勝共連合の運動方針を見てみると、第一次、第二次安倍政権で安倍晋三やそのとり巻きたちが力を入れてきた政策とぴったり符号するものばかりだ。非核三原則の改廃、日本版NSCの設置、集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の改廃、防衛産業を成長戦略に盛り込む、宇宙の軍事利用促進、緊急事態基本法の制定、憲法改正、男女共同参画社会基本法の改廃、青少年健全育成基本法の制定、勝共思想の定着、共産主義の脅威から国を守る、ジェンダーフリーや過激な性教育の廃止、夫婦別姓の阻止などがテーマとして掲げられている。家族の絆云々をことのほか強調するのも特徴だ。まあ、山上一家みたく家族を切り裂いておいて何をかいわんやでもあるが、日本会議とか自民党右派の特徴ともかぶる。

 C 軍事的な要求としては、アメリカの対日政策ともぴったり符号するもので、まさに安倍政権の8年で実現してきたことばかりなのだ。日本版NSCを発足させ、特定秘密保護法を制定し、消費税は二度の増税を実施し、内閣人事局を発足させて官僚支配を強めたり、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案を成立させ、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法を成立させ、一方ではモリカケ桜、お気に入りのブレーンを検事総長につけようとしたり、河井案里事件があったり大暴走をくり広げてきた八年といえる。それ自体前代未聞の権力の私物化がとり締まられることなく黙認されたり、何もなかったように誤魔化されてきたのも、対中国の軍事的拠点としてアメリカの盾となる道を進み、そのための法整備を大暴走してでもやり遂げる駒だったからであり、独占資本にとっては大企業天国を保証してくれる政策の実行者だったからにほかならない。

 A 安保法制などが最たるものだが、それはすなわち自衛隊の米軍の二軍化であり、一連の法整備や安倍政権のもとで進んだ軍事戦略・配置は、アメリカの盾となって日本をウクライナのように最先端の戦場にしてしまいかねないものだ。それらは強面の右傾化勢力にガッチリと支えられ、自民党内でも他がチンとおとなしくなるような力でもっておし進められた。最終的に改憲で戦争できる国作りの総仕上げにかかっている。口先とは裏腹に「日本を守る」ではなくミサイルの標的に立候補して「アメリカを守る」をやっているわけだ。鉄砲玉になる道に誘っているのだから売国奴といわなければならない。そのような政治を実行してきた者を、なぜ神様の如く国葬で一億総号泣して送らなければならないのかだ。

 B 安倍晋三の射殺事件後、なぜかネトウヨが統一教会には寛容でおとなしいことが不思議がられている。実はこの何年来かの右傾化の主体的勢力だったのではないかという見方もされているが、過激で戦闘的な宗教団体が組織的にこの数年来の右傾化なるものの担い手となり、安倍晋三親衛隊として支えていたとしても何ら不思議ではない。それはもう、お爺さんの代から密接なのだ。統一教会と自民党及び政治の関係について、引き続き報道の手を緩めてはならないし、依存している政治家の存在に光を当て、一人残らず引きずり出すことは重要だ。依存しているとは要するにカネもかかわった話であろうし、それは統一教会信者たちへの残酷な搾取の賜であることからも許しがたいものなのだ。号泣するどころか、むしろ激怒しなければならない性質の問題だ。
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220730 旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党議員との癒着 ※俺にも原理研の怖かった記憶はある。

2022年07月30日 21時41分42秒 | 時代の記憶
7月30日(土): 

7月28日(木)日刊ゲンダイ<反省どころか「知らなかった」と噓の上塗り>こりゃ地獄に落ちるぞ 自民党“の見苦しさ、浅ましさ
※文字起こし
  まさに“総汚染”である。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党議員との癒着が次々に明らかになりはじめている。現職大臣だけでも3人が旧統一教会と関わっていたことが発覚している。
  二之湯国家公安委員長は、2018年に旧統一教会の関連団体が開催したイベントの実行委員長を務めたことを会見で明かした。
  末松文科相は、教団関係者にパー券を買ってもらっていた。さらに、岸防衛相も「選挙のお手伝いをいただいている」と会見で認めている。
  旧統一教会との関係が発覚した自民党議員の大半は、「統一教会とは知らなかった」などと釈明しているが、さすがに誰も信じないのではないか。
  過去50年間、自民党と旧統一教会が二人三脚でやってきたことは公然の秘密だ。カルト宗教に詳しいジャーナリストの鈴木エイト氏によると、現職だけでも98人の自民党議員が、旧統一教会系団体のイベントに参加したり、関係団体から献金を受けているという。いまさら、「知らなかった」は通じないだろう。仮に、どんな団体か知らずにイベントに参加したり、献金を受け取っていたとしたら、それはそれで政治家として問題があるのではないか。
  旧統一教会と自民党は、どんな関係なのか。自民党議員の“選挙の裏部隊”となってきたのが旧統一教会だ。
  その一端が明らかになったのが、7.10参院選の比例区で当選した井上義行議員のケースだ。前回2019年にも立候補した井上は約8万8000票で落選したが、今回は16万5000票を獲得して当選している。全国に7万票あるとされる旧統一教会票が丸ごと上乗せされた形だ。選挙期間中、井上は旧統一教会の集会に出席し、教会幹部から「井上先生は信徒となりました」と紹介されている。
  政治部記者として長年、永田町を取材してきた政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。
「統一教会の信者はさほど多くないので“票田”としては期待できません。でも、自民党議員にとってありがたいのは、ビラ配りやポスター張りなど人手と手間がかかる作業を一手に引き受けてくれることです。とにかくよく働く。しかも、カネもかからない。選挙を手伝った信者は、そのまま私設秘書となるケースも多い。これまで相当数の信者が自民党議員の秘書になっているはずです」
  自民党の茂木幹事長は、「党として組織的な関係はない」などと、旧統一教会との関係を否定しているが、なにを言っているのか。

50年続く旧統一教会との関係
  自民党の中でも旧統一教会の“巣窟”になっているのが、最大派閥の安倍派だ。旧統一教会に恨みを持ち、安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者は、安倍のことを「統一教会に最も影響力あるシンパ」と評していたが、まさにその通りである
  なにしろ安倍派の幹部の多くに、旧統一教会の毒が回っている。
  前の派閥会長だった細田博之衆院議長は、19年に関連団体が主催する会合に出席し、「韓鶴子総裁の提唱によって実現したこの国際指導者会議の場は大変意義が深い」と教祖夫人を持ち上げている。安倍の秘蔵っ子だった稲田朋美元防衛相も09、10年と関連団体のイベントで講演。もちろん、安倍の首相秘書官だった井上義行も安倍派だ。
  下村元文科相は教会関連の媒体のインタビューに複数回登場し、講演にも登壇。関連団体から献金も受け取っていた。旧統一教会にとって20年来の悲願だった「世界平和統一家庭連合」への名称変更は、下村が文科相時代の15年に認められている。当時、旧統一教会のために文科行政が歪められた疑惑がくすぶっている。
  そもそも、旧統一教会が日本の政界に侵食するキッカケも、安倍の祖父である岸信介元首相がつくっている。1960年代にまで遡る話だ。岸信介は旧統一教会の政治団体「国際勝共連合」の設立を支援。脱税で米国で実刑を食らっていた旧統一教会の教祖・文鮮明の釈放を求め、当時のレーガン大統領に嘆願書を送るほどの関係だった。
  旧統一教会との結び付きは、娘婿の安倍晋太郎元外相、さらに安倍晋三にまで引き継がれたというわけだ。安倍の実弟・岸防衛相が旧統一教会との関係について「選挙の手伝いをいただいている」と認めたのは、3代にわたる深い関係を否定しきれなかったということだろう。
「安倍元首相は官房長官時代の06年、教会の友好団体に祝電を送った際は、〈誤解を招きかねず担当者にはよく注意した〉とコメントし、距離を置いていました。ところが、昨年9月には同じ団体に平気でビデオメッセージを送っている。安倍一強が長く続いたことで、気にも留めなくなったか、もしくは完全に開き直ったのかもしれない。いずれにせよ、統一教会の窓口は安倍さんでした」(政界関係者)

理念や政策も一体化
  信じがたいのは、選挙だけではなく、とうとう自民党は、理念・政策まで旧統一教会と一体化してしまっていることだ。最近の自民党の訴えは、「選択的夫婦別姓」や「同性婚」への反対姿勢、さらに戦前の家父長制に回帰するような理念など、旧統一教会の主張とほぼ一致している。
  来春設置される「こども家庭庁」という名称も、旧統一教会の働きかけで決まったと囁かれている。もともと名称は「こども庁」で決まりかけていたのに、旧統一教会に近い自民党議員の反対により覆されてしまった。
  この名称変更について勝共連合は、ホームページで<心有る議員・有識者の尽力によって、子ども政策を一元化するために新しく作る組織の名称が『こども庁』から『こども家庭庁』になりました>と成果を誇っているのだ。恐らく、旧統一教会が自民党議員を動かしたのだろう。
  選挙を手伝い、信者が秘書として入り込んだことで、旧統一教会は自民党の奥深くまで浸透している可能性がある。
  ジャーナリストの有田芳生氏は、旧統一教会の政界工作についてこう語っている。
「統一教会の女性信者のチームがロビー活動で国会を回るんです。そして、統一教会の教えを自民党の国会議員さんたちに広報して(中略)日常的に回っているんです」
  こうなると、多くの自民党議員が、気づかないうちに旧統一教会にマインドコントロールされている可能性も捨てきれない。
  立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)はこう言う。
「安倍政権の10年間で自民党が右傾化した原因が、統一教会にあるとしたら納得がいきます。世界中が、夫婦別姓の容認、性的少数派の尊重に動いているのに、自民党だけが逆行しているのも、統一教会との関係が影響しているのかも知れません」
  岸田首相だって、旧統一教会がどんな団体なのか、分かっているはずだ。なのに、その旧統一教会と手を握ってきた安倍の葬儀を「国葬」にしようとしているのだから、どうかしているのではないか。本当に国葬がふさわしいと思っているのか。
「ただでさえ国葬は、国家が国民に弔意を強制する民主主義と相いれない儀式です。もし、国民に喪に服すことを求めないなら、そもそも国葬にする必要がない。いまからでも国葬について考え直すべきです」(本澤二郎氏=前出)
  大手メディアも野党も、旧統一教会と政界との闇について徹底的に解明すべきだ。
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220715 再掲:「 4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5 」

2022年07月15日 23時55分50秒 | 一年前
7月15日(金): 再掲する。

特に、以下の部分は、今の時代に読み返されるべきだと考える。

・この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇う他はあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。171ページ 」

4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5
2014年10月17日 01時16分29秒 | 一日一冊読書開始

10月17日(木):

189ページ  所要時間 3:30    ブックオフ50円

著者42歳(1909~1988;79歳)

大変な地雷を踏んでしまった。既に日付をまたいでしまって感想を書く時間が限られてるのが悔しい。

戦場はレイテ島である。「レイテ戦記 全三巻」の下巻をまだ読めていないが、作中のレイテ島について土地勘が働き、読み易かった。本書は、ちょうど下巻と重なるあたりの内容だと思う。即ち、オルモックの陥落前後から、日本軍が潰走し、総退却のためにパロンポンに集結しようとするところである。

主人公は、小泉兵団村山隊歩兵を結核のため追放された田村一等兵である。作中では、一人称の“私”で語られる。日本軍崩壊前後から、ひりひりするような死の気配の中、逃げまどう主人公が、敵の陰に怯え、飢えに苦しみ、山中を彷徨するなかで、無辜の比島女性を撃ち殺し、原罪を背負い込む。手に入れた塩と引き換えに、小部隊に拾われてパロンポンを目指すが、米軍の圧倒的武力を前にして“降伏”を念慮するが、敗残の日本兵同士が互いを監視し合い、また何者かの目を感じて実現しない。

出会った多くの日本兵が次々と死ぬ中で、パロンポン行きを諦めて、逆方向の山中に逃れた“私”は、そこらじゅうにある日本兵の死体のなかに、臀部などを齧られたものがあることに気付く。「山中には、死肉をあさる犬もいないのに…」。やがて、“私”は、多くの日本兵たちと同様に、極限の飢餓状態に陥るが、互いが相手の弱り方(「もうちょっとで死ぬかどうか」)を窺い合ってしまう。

人肉食への誘惑を嫌悪し排除しようとしながら、格好の死にかけた将校と出会い、その死に立ち会う。その将校は、亡くなる間際、締まった筋肉の胸をさして「食べてもいいよ」という。しかし、その言葉がかえって“私”にブレーキをかけるが、山ビルたちが、その将校の死体にたかって吸った血を、狂ったように引き剥がした山ビルを絞ってその血をすすってしまう。もはや、間接的には人肉食をしてしまっている。

いっそ、直接食べてしまおうと、右手に軍刀をかざした時、不思議なことが起こる。左手が勝手に右手首を持って、人肉食を止めたのだ。大いなる何者か(神か?)の意志を感じ、敢然と人肉食を放棄するが、その後には、死の覚悟と極限の飢えの苦しみによる彷徨の果てに死を迎える。

しかし、その直前に、永松に助けられ「猿」の肉を与えられる。本当は、何の肉なのか(つまり、さ迷う日本兵を狩りした人肉)を知りながら、“私”はそれを食べて回復する。永松が大勢の日本兵を殺して肉に捌くキル=サイトを発見した“私”は、永松から同行の安田との殺し合い(その後、人肉食)を持ちかけられる。安田を殺した永松を、“私”は殺すが、肉は食べなかった。

その後、記憶が無くなり、10日後気付いたときには、比島ゲリラにつかまり、頭蓋骨折で米軍の医療を受け、捕虜となり日本に送り届けられ、妻と再会するが、5年後、精神病院で治療の一環として、この作品を書いている。

極限の場での「人肉食」をこれほどまでに描き切った作品に出会うのは、戦場ではないが、竹田泰淳の「ひかりごけ」以来であり、本書はそれをはるかに凌駕する作品になっている。戦場でカニバリズムがあったことは、漠然と知識では知っていたが、これほどリアルで、切迫した事実を教えられた作品は初めてだ。

本書は、現代日本人が読むべき必読の書だ。「レイテ戦記 全三巻」が、俯瞰的な戦争(負けいくさ)の記録であるとすれば、レイテ戦記は、時と場所と戦死者の数字で示された記録だとすれば、「野火」は、レイテ島で存在した兵士たちの単に数字で示すだけではいけない、疎かにされてはいけない無数の顔と意志を持った兵士一人一人の記録である。

司馬遼太郎の「坂の上の雲 全八巻」を読んで熱くなった人は、必ず、大岡昇平の「レイテ戦記 全三巻」、「野火」、「俘虜記」を読んで、バランスをとるべきだという言葉が、今はとても良く分かる。

・この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇う他はあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。171ページ
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220715 れいわ新選組【声明】安倍元総理の葬儀を国葬で行うという政府の決定について

2022年07月15日 23時42分26秒 | 時代の記憶
7月15日(金): 以下の提言に全面的に同意する(もみ)。

【声明】安倍元総理の葬儀を国葬で行うという政府の決定について(れいわ新選組 2022年7月15日)
投稿日: 2022年7月15日 投稿者: れいわ新選組

凶弾に倒れた安倍晋三元総理大臣に改めて哀悼の意を表します。
言論に対する一切の暴力行為を許容しない、とれいわ新選組は宣言する。

本題に入る。

元総理大臣の葬儀を国葬で行うという政府の決定について、私たちは強く反対する。その理由は大きくは2点に集約できる。

理由の1つ目は、

現在の日本において、国葬を実施する法的根拠が存在していないことである。
1947年に「国葬令」が失効して以降、国葬を行う法的根拠はない。
仮に政府が「国民葬」のようなものを提案するのであれば、国民全体が納得いく根拠を示し、
国会においても議論を行うことを大前提にすべきである。

一方で、 安倍元総理の政策について肯定的に評価する意見があることは理解する。
安倍元総理の功績を評価する方々が、葬儀の場でその功績をたたえることは広く認められるべきであろう。

しかし、それを国葬として行うことは筋違いである。
支持者や、特定の宗教団体や党の関係者主催の葬儀を行えばよく、
国葬という形をとる必要は全くない。

理由の2つ目は、
岸田総理が閣議決定で国葬を決定するとした理由の具体的な内容である。
岸田総理は
「日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開、東日本大震災からの復興」
の3点を上げている。

しかし、安倍元総理が日本経済の再生を実現したとは到底言えない。
長引く不況のさなか、2度に渡る消費税増税を断行したのは安倍政権である。
最も大きな声で主張してきた、「徹底した財政出動」が実際は十分に行われなかったことで、
より格差を拡大することになったのは残念でならない。

また、日米関係を基軸とした外交の展開については、安倍政権が長期間続いたことにより、
日米同盟の強化が実現されたが、一方で、強硬な国会運営で、
憲法上疑義のある集団的自衛権行使を可能にしたほか、
日本の周辺諸国との距離も拡大した。

震災復興についても実際は未だ道半ばだ。
事故原発の廃炉完了に向けた道筋も見えず、避難指示解除された自治体でも、
住民の多くにとって地元での生活再建の展望が描けない状況が続く。
国葬とすることで、これら評価の大きく分かれる政策を「レガシー」(遺産)として正当化することは許されない。
政治家の非業の死と、生前の政治的評価とは分けて論ずるべきである。

だからこそ、国葬という形でこれまでの政策的失敗を口に出すことも憚れる空気を作り出し、神格化されるような国葬を行うこと自体がおかしい、と私たちは考える。
加えて、今回の事件は霊感商法などで社会問題化した新興宗教と
自民党政治との密接な関係から生み出された悲劇とも言える。
政教分離の徹底が必要であることも申し添えておく。

以上

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220710 安倍元首相銃撃事件でジャーナリスト・青木理氏が感じた「不気味な兆候」とは

2022年07月10日 01時05分24秒 | 時代の記憶
7月9日(土):
© AERA dot. 提供安倍元首相銃撃事件でジャーナリスト・青木理氏が感じた「不気味な兆候」とは
2022.7.9. 13:22

安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃され、死亡するという前代未聞の事件から一夜が明けた。犯行の動機や背景はいまだ謎に包まれているが、「安倍三代」(朝日新聞出版)の著書があるジャーナリストの青木理氏は今回の事件をどう捉えたのか。緊急インタビューした。

 ジャーナリストの青木理氏
*  *  *
 まず大前提として、どのような政治信条があろうと、その政治家にいくら批判があろうと、今回のようなテロを断じて容認することはできません。改めて言うまでもないことであり、問題はその先にあります。

 そのうえで元首相が凶弾に倒れた衝撃的な事件を考えると、これはやはり不気味な兆候と捉えるべきなのか。だとすれば、なんとしてもそれを押しとどめる必要があります。

 昨年亡くなったノンフィクション作家の半藤一利さんと生前対談した際、半藤さんが「社会が戦争に向かう危険な兆候」をいくつか挙げていたのを思い出します。(1)被害者意識と反発が国民に煽られる、(2)言論が不自由になる、(3)教育が国粋主義に変わる、(4)監視体制が強化される、(5)ナショナリズムが強調される、そして(6)テロの実行が始まるーー。

 当時は重大テロなど起きていませんでしたが、その他の要素はかなり揃ってしまっているのではありませんか、と尋ねる私に、半藤さんはこう即答しました。「ええ、しかもそのスピードは戦前より速い」と。

 私もそうですが、昭和史の探索に生涯を捧げた半藤さんは、皮相なナショナリズムや排外的風潮が強まる昨今のこの国の政治を危ういものと捉え、強く憂いていました。今回はそうした風潮を煽る側だった元首相がテロの凶弾に襲われたわけですが、それはいったいなぜだったのか。現時点では判然とせず、犯行の動機や背景の解明を待つしかありませんが、少なくとも半藤さんのいう「危険な兆候」の最後のピースを埋めてしまうような結果につなげるわけにはいきません。

 ですから、今回のテロに政治やメディアは決して萎縮せず、と同時に犯行の動機や背景の解明を急いでそれと向き合い、テロの土壌となった課題や問題点が浮かびあがったなら、その改善に全力で取り組むべきでしょう。

 拙著「安倍三代」でも記しましたが、安倍氏は少なくとも政界入りする前の青年時代には、強い政治信条や信念を持っていた形跡はまったくありません。母方の祖父である岸信介氏に強い敬慕の念を抱いているようでしたが、しかし戦前に特高警察に抗った父方の祖父・安倍寛氏のような胆力や反骨心、あるいは戦中に特攻隊を志願しながら生きながらえた父・安倍晋太郎氏のような歴史観もバランス感覚もなく、名門政治一家の跡取りとして生を受けた“おぼっちゃま”にすぎないという印象を持ちました。

 これは妻の昭恵さんも言っていましたが、その期待に応えるため、自らが描く偉大な政治家像を「演じていた」側面もあったでしょう。そんな安倍氏は、首相として7年8カ月という歴代最長政権を成し遂げましたが、客観的に見てそれに見合う“レガシー”を遺したとはいえません。だから首相退任後も影響力を保持しようと躍起になり、自らの政権を否定するような動きには公然と横槍を入れたのかもしれません。

 その振る舞いは見苦しいものだったと私は思いますが、そうした途次、しかも重要な国政選挙の最中、まさかこのような形で命を奪われるとは、誰一人として想像していなかった。凶行の動機や背景に重大な意味が潜んでいるのか、それとも突発的で政治的背景の薄い単独犯なのかはともかく、首相の座を目前にしながら病に倒れた父・晋太郎氏と同じ67歳で世を去ったことに、奇妙な符合のようなものも感じます。

 繰り返しますが、今回のようなテロは決して容認できません。ただ、人の衝撃的な死は、時にすべてを一色に塗りつぶしてしまいかねない力を持ちます。過去は美化され、冷静な批評や批判を許さない風潮にも覆い尽くされてしまう。それもまた極めて危険なことであり、今回の事件をそういう意味での社会の“曲がり角”にしてもならず、安倍氏の政治姿勢や政治手法がもたらした「功罪」の「罪」がなんであったかも、あらためてきちんと見つめ直されなければならないと思います。

 また、今後は「テロ対策」などが声高に叫ばれることも予想されますが、それを契機として例えば警察による監視体制ばかり強まれば、それもまた自由な社会を窒息に追い込んでしまいかねません。投票日が目前に迫った参院選を「弔い合戦」のように矮小化することも避けるべきです。元首相の死を悼むことと、政治への評価は分けて考えなければならない。そのためには、まさに言論の砦たるメディアとメディア人の役割が問われています。(構成=AERA dot.編集部・作田裕史)
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220708 参院選挙:東京選挙区は<山本太郎>、全国比例区は<れいわ>でお願い申し上げますm(_ _)m。

2022年07月09日 02時09分21秒 | 今、思うこと&意見
7月8日(金):

夜8:00頃帰宅して、テレビのニュースをサーフィンしました。
改めて、この国のマスコミ、マスメディアの犯罪的放送・報道姿勢に恐怖を覚えました。恐ろしい国になってしまった。
「いくら殺人の被害者だからと言って、どうしたら、これまでの安倍政権の所業をこれほど一方的に肯定、礼賛できるのか、
安倍政権の不正義の数々、膨大な数に上る政治の被害者、端的に改ざんを強制された近畿財務局の良心的ノンキャリア官僚の
自死問題等、無数にあるじゃないか?!」「政治家以前に人間として最低だったではないか!」
都合の良い映像しか流されない。死者を少しでも批判する者は<非国民>とでも言うかのごとき脅しがマスメディアを通して
<真の売国奴>どもの意向として、見る者に一切の異論を許さぬ大変な圧力を伴ってこちらに押し付けられてくるのを感じた。

今回の参院選挙、何とかして<れいわ新選組>を勝たせてください。少なくとも負けさせないでください。
東京選挙区は<山本太郎>、全国比例区は<れいわ>でなにとぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。


参院選後に立憲民主党が分裂するように、泉健太のような賢くない小者のリーダーを引きずり下ろすために
今回の選挙では、<立憲>に投票しないで、負けさせましょう。<れいわ>か<共産党>に投票しましょう。
<維新>は全く論外です。日本が貧しい途上国になってしまいます。

以上、宜しくお願い致します。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)