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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

190929 安倍政権の元内閣参与が玉川徹と意気投合し「老後2000万円報告書」隠ぺいと「消費税増税」を猛批判!「独裁者と変わらない」

2019年09月29日 20時30分33秒 | 考える資料
9月29日(日):    テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』番組サイトより
リテラ安倍政権の元内閣参与が玉川徹と意気投合し「老後2000万円報告書」隠ぺいと「消費税増税」を猛批判!「独裁者と変わらない」         2019.09.28 
  消費税増税の強行が目前に迫っているが、そんな中、安倍政権が国民を不安に陥れた都合の悪い事実をまたひとつ闇に葬り去った。25日に金融庁の金融審議会が総会を開催したのだが、そこで例の「老後2000万円報告書」問題について、「今後は報告書を議題としない」と決定したのだ。
  まったくふざけた決定としか言いようがないが、この決定について27日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)が特集。そこに専門家として登場し、怒りを露わにした人物がいた。
  それは、第二次安倍政権で内閣官房参与として安倍首相の政策を支えてきた、藤井聡・京都大学大学院教授だ。
  藤井教授といえば、思想的にも右派で安倍首相の有力ブレーンのひとりと目されていたが、一方で消費増税反対を主張。昨年11月には『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社)を出版し、さらに共産党の機関紙「しんぶん赤旗日曜版」(2018年11月18日付)にも登場して消費増税を批判。この「赤旗」登場がきっかけで、昨年末に内閣参与を実質「解任」に近い形で退職したが、その後も積極的に消費増税が経済に与える影響の深刻さを訴えつづけている。
  今回の『モーニングショー』のテーマは消費税ではなかったが、藤井教授は「老後2000万円報告書」を了承せずにお蔵入りした件についても、麻生太郎財務相が「誤解を与えた」という理由で報告書を受け取らなかった問題を「誤解された方が仮にいたとしたら、きちんと説明すればいいだけの話です。だから誤解だから受け取らないというのは論理としてはありえないです」と批判。さらにこうつづけた。
「(麻生財務相が受け取らなかった理由のもうひとつは)『スタンスが違うから受け取らない』。それって『科学的には正しいけれども、政府のスタンスでは都合が悪いから』というように聞こえてしまいます。スタンスがいかなるものであろうと、科学的な事実は事実として受け取って、それでどういう政策判断をとるのかが政府がやるべきことです。しかしながら『スタンスが違うから受け取らない』というのは、これは言語道断です。ありえない!」
  あまりに真っ当な怒りだろう。たとえばこれを年金ではなく災害にかんする被害試算に置き換えて考えてみればいい。そこでは「科学的に正しくても政府のスタンスとは違うから受け取らない」なんてことが通るわけがないからだ。
「科学的事実というのは政府のスタンスの上に立ちます。真実なんだから。それを無視して政治をやるんだったら、独裁者と何も変わらない」(藤井教授)
  さらに、ここで番組レギュラーコメンテーターの玉川徹氏もこう呼応した。
「これは政府のせいですから、いままでの。『自分たちのせいでみなさんが不安になるということは認められない』ということなんですよ」
  安倍政権に対する不満を引き出す“不都合な事実”は認めない──。藤井教授も、老後に2000万円足りなくなるという数字の根拠になっている“毎月の赤字額が約5万5000円”というものは「有名な数字で、ずいぶん前から使っている」「この数字自体は当然ながら以前の報告書のなかでも答申で受け取っている」「『5万5000円は足りません、そこは頑張ってください』っていうのが政府のスタンスだった」と指摘していたが、本サイトも当時いち早く報じたように「5万5000円の赤字」は金融庁独自の試算などではなくそもそも厚労省の提出したデータによるものだ。それを突如「受け取らない」とし、安倍首相も「不正確であり、誤解を与えるものだった」などと否定にかかったのは、参院選を控えていたからにほかならない。つまり、「政府のせい」と言われないように、自分たちが認めてきた事実さえなかったことにしてしまったのである。

■玉川徹の「安倍首相ってそういう人なんですか」という質問に元内閣参与の藤井聡は
  一体、この政権は同じことを繰り返すのか。森友問題では公文書を改ざんし、働き方改革ではデータを捏造した。そうした事実を踏まえ、コメンテーターの吉永みち子氏もこう言及した。
「やはりそうやって(都合が悪いから認めないと)やってゆくと、国民が著しく不安になる、不安を持つからそれを批判する、その道筋がなくなりますよね。そうすると、その不安を与えるようなことは一切隠蔽されると。そういうことになると、かつてのね、大本営発表と同じことになってしまうわけで、大変に由々しき事態。
  こればっかりじゃなくて。これ(2000万円報告書)はまだとりあえずHPで見られるわけですよ。だけども、いままでずっと見てると、『つくらない』とか『隠す』とか『あるべきものがない』とか、もっと言えば改ざんとか捏造とかも含めて、ここ数年すごく多いことが、国民としてはすごく気になっています」
  安倍政権にとって不都合なことがすべて隠蔽されていく──。吉永氏のこの指摘に対し、玉川氏もさらにこう言葉を重ねた。
「国民をね、舐めてるんだと思いますよ。政府は。はっきり言えば。『だって、いままでもいろんな問題があったけれども、支持率高いじゃねえか』と。『だから今回だって、なかったことにしても別に国民は怒んねえよ』と、麻生さんは思っていると私は思いますよ」
  そして、内閣参与として安倍首相のブレーンだった藤井教授に、玉川氏はこんな質問をぶつけたのだ。
 玉川「藤井先生にちょっと訊きたいんですけど、藤井先生は安倍内閣の官房参与をやっていたんですよね。安倍総理とも、何回も何回も経済の問題を話されてるわけでしょ? で、今回のこの問題っていうのは、2000万円問題じゃなくて、不都合な真実はないことにするということなわけですよ。今回のこの話は」
 藤井「国民にそう言われても仕方がない」
 玉川「そうでしょ? で、安倍総理って、そういう人なんですか? いわゆる、これ安倍内閣として受け取らないわけでしょ? さっきから麻生大臣、麻生大臣って言ってたけれども、結局、内閣のトップは安倍総理なわけだから。そういう人なんですか? 安倍総理って」
  安倍首相は不都合な事実はないことにする人なのか──。この直球の質問に対し、藤井教授は「そうじゃないと僕は信じたいですけれど」と回答したが、これにも玉川氏は「信じたいじゃなくて」と食い下がった。藤井教授は「そういうふうに見えてしまいますよね」と言うにとどまったが、一方でこうも指摘した。
「容易に想像できると思いますけど、これだけ(金融庁のワーキンググループの委員が)議論して報告書をまとめてHPに載せているのに受け取ってもらえなかったら、委員はやっぱり忖度、絶対します。これから。受け取ってもらえなかったら意味ないですから」
  政権にとって都合が悪いと判断されれば、いくらいままで認めていた数字でも受け取り拒否にする。その結果、引き起こされるのは忖度だ。つまり、安倍首相はやはり「不都合な事実はないことにする」張本人ということではないか。

■藤井聡が「消費増税で12%賃金が下がる 戦後、こんな総理大臣はいない」
  “安倍首相が主犯”という問題については直接言明しなかった藤井教授だったが、この「老後2000万円報告書」をお蔵入りにし、国民に不安が広がってしまったことがいかに経済に打撃を与えるかについては、鋭くその責任を追及した。
「これが、ものすごくいまの日本の経済を疲弊させるんですよ。なぜかというと、これからね、国民は不安になります。どうするかというと、たとえば給料30万円もらいました。いつも20万円使ってました。でも心配やから15万円にします。そうしたらその方の貯金は増えるかもしれないけれど、その方が使っている5万円が市場に回らなくなるんですよ。これ、1億人が5万円使わなくなったら、すさまじく経済、疲弊するんですよ」
「だからこれは“2000万円デフレ”を引き起こすんですよ。しかもこれで消費税、増税するんでしょ? 日本ぐちゃぐちゃになりますよ」
「みんなが貧乏になったら所得が減るから所得税も減って、政府の収入も減るんですよ。政府の収入が減ったらどうなるかと言うと、19万円の年金すら18万、17万円になるんですよ。これ、とんでもない悪影響をもたらします」
「(報告書をお蔵入りにしたことで)政府に対する信頼がなくなっただけじゃなくて、将来に対する信頼もなくなった。97年の消費増税以前ってインフレ、ようするに経済が成長していたんですよ。経済が成長しているときというのは、20歳の子とかは『30歳になったらこれくらいの給料やな』と。30歳の人は『40歳やったらこれくらいの給料になる』と。だから30代とかで家を買ってローンを組んで借金を返すとかできたわけですよ。だけど、いま景気がすごく悪い、で、将来2000万円足りないかもしれん、そうしたらいまどうしたらいいねんってことで、将来に対して不安だらけで、お金使わなくて、なけなしのお金を貯金して、自分は百均に行くと。極貧生活になって、みんな百均に行くからお金が回らないからもっと貧乏になる。で、政府に10%の消費税をぶっこ抜かれていくわけですよ。これはね、日本経済の地獄ですよ、これから」
  今後、日本経済は地獄になる──。さらに藤井教授はこうつづけた。
「資産を形成しないと、我々未来がないわけですよ。で、資産を形成するにはどうすればいいかというと、我々の月々の給料が上がることが必要なわけですよ。にもかかわらず、我々の給料は消費増税によって低減させられているんですよ。安倍内閣下でね、消費増税を3%にしたときに、サラリーマン給与って3%下がったんです。で、それからさらに3%下がって、今度の2%の増税によってさらに2%下がるんです。で、それを長期的にみると、1割から1割2分くらいの賃金が下がります」
  そして、藤井教授は強い口調で、このように断言したのだ。
戦後の総理大臣で、12%も賃金を下げた総理はいない! これは由々しき事態だと国民のみなさんに知っていただきたい。消費増税が原因です、これは
  予定どおりに消費増税を実施すると安倍首相が公表してから、ワイドショーでここまではっきりとした消費増税批判、さらには安倍首相の責任が言及されたことがあっただろうか。しかも、今回の番組の特集テーマは「老後2000万円報告書」問題だったが、これは結局のところ安倍政権の経済政策につながる問題なのだと藤井教授は指摘したのである。
  不都合な事実はなかったことにして、国民の不安や不満、さらには批判を封じ込め、玉川氏が言ったように国民を舐めきって「いろんな問題があったけれども、支持率高いじゃねえか」「なかったことにしても別に国民は怒んねえよ」と高を括ってきた安倍政権。その結果、来週にはついに消費増税が実施される。「不都合な真実はないことにする」安倍首相の一貫した姿勢が、ついに「地獄」に向けて動き出す──。この現実の切迫感を、一体どれほどの国民が認識しているだろうか。         (編集部)
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190928 (インタビュー)ポピュリストなのか れいわ新選組代表・山本太郎さん /※投票捨てた人こそ 一番リーチしたい そこが最大の票田

2019年09月29日 00時21分50秒 | 考える資料
9月28日(土):  
「政治家としては自分はたんつぼのような存在。たんつぼ上等ですね」=24日、札幌市内
 
朝日新聞(インタビュー)ポピュリストなのか れいわ新選組代表・山本太郎さん  2019年9月28日05時00分 
 消費税10%への引き上げを前に、れいわ新選組の山本太郎代表が消費税廃止を旗印に全国行脚を始めた。原発事故後に俳優から反原発運動に転じて注目されたが、今の訴えの中心は疲弊した生活の立て直しだ。「庶民」に聞こえのよい政策を声高に訴え、ポピュリストとも批判される山本さんに聞いた。何をしたいのですか?
 ――7月の参院選挙後初めての地方遊説を北海道でスタートしました。稚内や札幌などでの街頭演説や集会でも多くの人が集まっていました。気分いいですか?
 「もともと芸能人だったので、自分が『消費される』存在であることはよく知っています。政治家は芸能人と一緒ではないけども、似た部分はある。特に気分がいいとかはないですね」
 ――「れいわ新選組」は比例の特定枠で重度障害者の2人が当選して注目を浴びました。落選したとはいえ、「れいわ」の代名詞はやはり山本さんです。
 「よく街頭でも言っていますが、政治は宗教活動やアイドル活動とは違います。政治家は信じる対象ではありません。よく『信じていいんですか』と言われるんですが、今の有権者にとって政治とは裏切られるもので疑心暗鬼なのでしょう」
     ■     ■
 ――山本さんは2011年の原発事故で、福島などから避難しようとネットで訴え、その後政治の世界に入りました。最近は消費税廃止や最低賃金1500円の政府保証をはじめ「お金」の話が中心になっています。なぜですか?
 「確かに『反原発』のシングルイシューというイメージがあるけど、最初の選挙から、三つの柱を掲げてきた。人々を被曝(ひばく)させない、TPP(環太平洋経済連携協定)反対、そして飢えさせない、です。メディアは反原発の文脈で自分を取り上げてきた。貧困問題も議員生活を通じて掘り下げてやってきたつもりです」
 「もともと自分の経済についての考えは、ものすごくオーソドックスなものでした。税をいかに集めて分配するかが政治で、何かをするためには税でとるしかないだろう、と。ただ自分の経済政策は『弱い』と思っていました」
 ――「弱い」ですか。
 「『原発やめます』と訴えると、どうやってという話になる。日本は過疎地のほおを札束ではたいて全国に原発をつくり、引き受けさせてきた。だからやめるとすれば別にお金が回る仕組みが必要になる。社会保障関連費は削れないし、景気動向で税収は変わってしまう。原発問題にしろ、貧困問題にしろ何かするには財源がいるのだけど、それが税金だけだと相当にハードルが高い、と」
 ――今は消費税を廃止しても、国の借金でお金は調達できると訴えています。
 「日本経済について勉強し直して、消費税こそ日本経済を弱らせるトリガーになったと考えるようになった。財源として二つ挙げています。ひとつは税制改革、もうひとつは国債発行。税制改革は累進制を強化し、大企業を特別扱いしない。所得税の最高税率を上げる。20年以上デフレが続く日本では経済の底上げが欠かせない」
 ――消費税を廃止すればその穴は20兆円を超えます。できます?
 「むしろできない理由がわからない。これまでの消費増税分は結局どこに行ったのか。かなりの額が所得税・法人税の減税分の穴埋めにあてられている。つまりお金持ちを優遇するために使われてきた。だから金があるところからとる、と言っているだけです。消費税とは要するに消費に対する罰金です。罰金なくすよ、と。それによって消費を喚起してお金を社会に回るようにしようと言っているんです。消費に対する税の影響力は大きい。新聞だって部数が落ち込むのが嫌だから、軽減税率の適用を求めたわけでしょう」
 ――では、なんでこれまでできなかったんでしょうか。
 「誰が得しているのか。自民党の屋台骨です。企業経営者や組織票をくれる人は、自分たちの利益を大きくしてほしい。企業にとってのコストは、人件費と自分たちが支払う税金です。当然コストカットしたい。それを政治が忖度(そんたく)してきた。でも財源は必要だから。そこに消費税がでてきた。政権をとっている人たちがそういう人たちだった」
 ――国の借金は膨大です。民主党政権時代でも財政健全化が大きな問題でした。
 「財政健全化ってなんですか? 逆に聞きたいんですけど。ある程度景気が回復しないと健全化なんてしようがないわけですよ。20年以上もデフレで、人々の生活も追い詰められているのに『健全化』ってなんなんだ、と」
     ■     ■
 ――かつては今ほど消費税の話はしていませんでしたよね。
 「世論調査をみれば、有権者が投票先を選ぶときに何を重視しているのかはっきりしています。目の前の生活なんですよ。安保法制も憲法改正も重要ですが、この問題でピンときて『やはり野党だな』という人がどれほどいるか。私自身重要な問題と思っているので政権奪取できれば、安保法制はなくします。でも、原発でさえ争点にならなかったのが日本社会です。一方で、消費税は誰しもが毎日払っている。自分ごととして引き寄せやすい。これに野党が取り組まなきゃ何をやるんだろう」
 ――れいわは参院選比例区で228万票を獲得しました。ただ他の野党の票を奪って、選挙後も野党共闘の足を引っ張っているという指摘もあります。
 「もっともらしくそういうことを言う人がいるんですけど、何の根拠があるんですか」
 「そもそも野党票を削るなんて『せこい』ことは考えていない。そんなことで政権なんてとれるはずない。私が一番リーチしたいのは投票を捨てた人たち。そこが最大の票田ですから。その人たちに『もう一度かけてみないか』と
 ――野党共闘できないと、与党を利するだけではありませんか。
 「野党共闘して勝てるならとっくに政権奪取していますよ。『必ず投票に行きます』って層に野党が訴えるだけでは社会を変えられない。世の中が大きく変わるのは、今まで投票に行かなかった人が投票するときなんだから
 ――れいわが注目された参院選投票率は48・80%、有権者の半分超が投票に行きませんでした。
 「あきらめたくなるような世の中ですからね。ギリギリの生活をしていて、自分の人生でさえも逆転できる要素がないのに、世の中を変えるなんてできるはずがないと思い込んでしまっている。でもそれはとんでもないことで、その人たちこそが鍵を握っている。あなたがいなくちゃ始まらない、と訴えていくことです」
 ――関心を引くためにできもしないことをやれると言う政治家をポピュリストと呼ぶことがあります。山本さんにも批判が向きます。
 「生活困窮に陥っている人を何とか救うのが政治で、それを実現すると訴えることがポピュリストなら、間違いなく私はポピュリストですね
 「疑いの目を私たちに向けてくれていいんですが、他の政党に対しても、同じように厳しくチェックしていますか? デフレが放置され、人の命が奪われてきたと言って過言ではないのに、それにもかかわらずその責任がある自民党に審判が下されていない」
     ■     ■
 ――元々俳優でした。映画やバラエティー番組に出演していた。なぜ生活に苦しむ人たちのための政治にこだわっているんですか。
 「僕自身、生活に行き詰まったことは一度もありません。芸能事務所に入って、16歳のときから給料をもらい、同世代の中でも収入はずっと多かった。『やればできる、頑張ればできる』という世界観で生きてきたし、自分もそう考えてきた。今でも自分の人生だけ考えるなら別に政治に関わらなくてもやっていける自信がある」
 ――貧しい人の苦しみが自分はわかっている、と言っている印象があります。
 「原発事故があっていろんな人たちに会っていくうちに、貧困問題があったり、労働問題があったり、世の中は数々の問題であふれていたのに、何も知らなかった。自分はこの地獄のような世の中をつくった側の人間なんだと思い知らされました」
 「自分の力でやっていけると思っていても明日どうなっているかは本当にわからない。原発事故もそうでした。たとえどんな状況になったとしても、手をさしのべてくれるのが行政であり、国じゃないと生きていけない。これはみんなのための安全保障であり、自分に対する安全保障でもある」
 ――日本をどういう社会にしたいですか。
 「自助と共助というものを強調するような政治は変えなきゃならない。政治とは、人々が国のために何ができるという話ではない。国として人々の幸せをどう担保するのか。政府を小さくして自助と共助を強調してきて、日本は行き着くところまで行き着いてしまった。今必要なのは新しい大きな政府なんです
              (聞き手・高久潤、稲田清英)
     *
 やまもとたろう 1974年生まれ。91年に芸能界デビュー。2013年の参院選で初当選。「生活の党と山本太郎となかまたち」を経て4月に「れいわ新選組」を設立。
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190928 一年前:8 009 是枝裕和「万引き家族」(宝島社:2018)感想5

2019年09月28日 20時07分32秒 | 一年前
9月28日(土):
8 009 是枝裕和「万引き家族」(宝島社:2018)感想5
9月26日(水):          276ページ     所要時間4:00      図書館著者56歳(1962生まれ)。日本の映画監督、脚本家、ドキュメンタリーディレク......

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190927 世の中全体の保守・保身化、それはファシズム!今だけ金だけ自分だけが若い世代に浸透している。今さらだが「時代は(悪い方向に)変わった」と痛感する。それを自覚しなければ生きていけない時代だ。

2019年09月28日 03時45分03秒 | 日記
9月27日(金):    

表題「世の中全体の保守・保身化、それはファシズム!今だけ金だけ自分だけが若い世代に浸透している。今さらだが「時代は(悪い方向に)変わった」と痛感する。それを自覚しなければ生きていけない時代、悪い意味で大人にならねばならない時代になったのだ。恥ずかしい・・・」

愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」に対する謂われない圧力問題は他人事ではない。2年程前には超進学校での「学び舎」の中学社会歴史的分野の教科書使用をめぐって、これを潰そうという圧力問題があった。この時には灘中学・高校の校長先生の毅然たる態度表明が話題となり、何とかこの難は収まったかに見えた。灘の校長は立派だと讃えられたが、裏を返せばそんな<神>対応をできること自体稀なことであり、灘の場合私立学校ということも重要な意味を持つだろう。

愛知トリエンナーレが公費使用の部分を強く攻撃されたように、公立学校の場合にはその圧力に屈従してしまうのが当たり前だということだ。灘の校長の<神>対応を見て、他の教育委員会や中学・高校の校長が「あれをお手本にして我が校でも独自の教育を護るぞ」とは決してならない。あえて火中の栗を拾わず、翌年には教科書採用を変更してしまうだろうし、横目で騒ぎを観ている教育委員会や自治体などは公立学校での社会科教科書の採用に関して徹底的に神経質になるだろう。

しかし、本当に深刻な問題は、愛知トリエンナーレでは観客となる人々、公立学校では生徒や保護者の保守化であろう。「自覚なき保守化」と呼びたいが、アベ・アソウの7年に及ぶ長期政権は確実に学校現場や社会全体の意識を蝕んできているのだ。

考えてみれば、俺のように昭和の高度経済成長期から生きてきた世代には、社会主義陣営の崩壊、55年体制の崩壊、自社さ政権、日韓関係改善、小泉ポピュリズム、民主党政権、福島原発事故、アベ・アンダーコントロール詐欺発言によるオリンピック誘致、そして国民の棄民化(沖縄、福島、台風・地震の被災民)、子どもの貧困、そして静かに深化・深刻化した今35歳~45歳のロスジェネの貧困問題、目を覆うべき政治の私物化による劣化、深刻化する貧困格差問題を助長する超低賃金外国人労働者受け入れ、彼らの生んだ日本をホーム・グロウンとする憲法・法律に守られない外国人の子どもたちや若者の存在等々、社会の変化とともに価値基準の変化・劣化、一方で取り返しのつかない深刻化する諸問題に目が行って、その経験と視野の中で現アベ・アソウ・創価学会政権を批判的に観るのが当たり前になっている。

しかし、今20歳の大学生は、アベを13歳(中1)から見ている。選挙権を持つ18歳の高校生は、アベを11歳(小5)から見ている。15歳の中学生に至っては、アベを8歳(小2)から見ているのだ。つまり、今の若者たちが物心ついた時には、アベの存在は当たり前になっているのだ。さらにロスジェネ(35~45歳)と重なる彼らの保護者世代も弱者切り捨ての小泉新自由主義、民主党の挫折と変節・裏切りを経て、立憲主義を否定するアベの7年を目の当たりにしてきた。超就職氷河期の実害も含めて政治に対する不信、思考停止、無関心にさせられた“世代”と言える。同時に並行してアベと自民党はこの7年間ずうっと彼らの身勝手な政治手法を当たり前のことと受け入れられる雰囲気をテレビ、新聞、ネットを駆使して、さらには公共機関への不当な圧力を繰り返すことによって、子どもたちや若者、保護者世代(ロスジェネ?)の心の中に意識として築き上げてきたのだ。

その雰囲気の中では、政治について真面目に考えたり、語ることは「政治批判だ」「一方的なアベ批判だ」「政治的中立を犯す」「両論併記でなければ偏っている」という言葉が誰にも反論をゆるさない、如何にも正しい言動である(錦の御旗、黄門の印籠)という意識が醸成され、植え付けられていった。自ら考えることを辞めた人間にとって、これほど便利な言葉はない。何も考えていない人間が、真面目に世の中のあり方などさまざまなことを深く考え抜いて発言する人間の言葉や考えを、たった一言で一蹴し、相手引きずり下ろし、優位に立って追い詰めることができるのだ。何も考えないで発するその一言の無責任さ、卑怯さ、恥ずかしさへの自覚は全くない。相手が誠実に対応しようとすればするほど、その無責任な一言は威力を発揮する。そんな反知性主義的言葉は無視してしまうか、灘中学・高校の校長先生のように厳しく突き放せばよいのだ。しかし、現実社会では愛知トリエンナーレや公立の中学・高校、その他公共施設ではわざわざ説明責任云々でピリピリして、程度の低い無責任な発言者を増長させてしまうのだ。そして、世の中では議論すべきことが議論されず、当たり障りのない言葉が行き交うのみになってしまう。それで喜ぶのは、無法な権力者のみであり、社会全体が活力を失い沈没していくのだ。

すでにマスコミはアベ腐敗政権下で陥落どころか、協力者になり果てている。組合が衰退・形骸化し、連合のように本分を喪失して狭い自分たちの利益誘導団体化する今、それに対抗して上述したような世の中の多様性と変化の過程を正確に子どもたちや若者たちに教え、現代社会の有り様に批判的目を開かせることができるのは、中学・高校における社会科教育しかない。そして、まさにその社会科教育が激しい攻撃にさらされているのだ。

新聞・ニュースで普通に報道されていることや教科書に書いている事実を語るだけで、外から強い批判・圧力を受けるだけでなく、内である学校の中の生徒・保護者から「安倍さんの悪口を言うな」「政治的に偏ってる」と批判を受ける。組合の無い学校現場では教育委員会の下に束ねられた校長をはじめとする管理職が事なかれ主義で生徒・保護者からの謂われなき「政治的発言」「中立を守れ発言」批判に敏感に反応する。生徒・保護者からの幼稚な批判は内容を精査されることもなく「苦情が来ている」と現場の先生に伝えられ善処を求めるという形で単純な口封じが行われる。

こんな形で次元の低い批判が、学校を動かすことができるという成功体験は、引き継がれ強化されていく。いまや公立の中学・高校では「政治的発言」「中立を守れ発言」にピリピリしている。こうして、日本社会における草の根民主主義は枯れ果てて、草の根国家主義、自覚なきファシズム、無知なる正義感に支えられた日本全体の保守化?と言うか、アベ・自民党・創価学会によるファシズム支配が根付いていくのだ。

ごく一部の強者に富が集まり、それ以外の皆が貧しくなっていくが、古くからの弱者、外国人労働者などの新しく生まれた弱者が徹底的に劣悪な状態にとり捨てられることによって「上見て暮らすな、下見て暮らせ」「あいつらよりはましだ」という卑しい横並び意識と意見を言う人間への忌避が強化される中で日本社会全体が活力を失い、沈没していく。日本は空洞化した魅力の無い国になり果てる。

問題なのは、アベ長期政権の中で、アベさえ変われば世の中が変わる。悪いのはアベだ。と言い切れないほどに、若者やロスジェネ世代を中心に日本人が批判精神を失ってしまっている。見かけだけの安定に騙されて、憲法を踏みにじるアベの稚拙な独裁を受け入れてしまっている、ということだ。「今頃、何言ってんだ!」と言われるかもしれないが、もみのおじさんはようやくこの絶望的な事実に気づき始めたのです。批判する体力を失った社会はどんどん崩れていくしかない。

枝野の立憲民主党の保守・保身的スタンスが明らかになりかけている。山本太郎のれいわ新選組を警戒視して、山本氏のくみ上げた民意を無駄にしようとしている気がする。一方で、安倍政権の生みの親である野田汚物が出張ってきて明らかに山本太郎氏を敵視し、潰そうという意志を見せている。これで前原詐欺師まで出張ってきたら俺の忍耐の限界を超えるだろう。山本太郎氏をあだ花にして、アベ(日本会議)院政による長期自民・創価学会政権を続けるつもりなのか。枝野立憲民主党が選択を踏み誤らず、政権交代を実現し、その変化を若者たちに見せてほしいと心から祈念する。

山本太郎氏のれいわ新選組を見殺しにすれば、また日本は向こう10年間、道を見失うことになるだろう。オリンピック、(大阪万博?)のバカ騒ぎの後、再び強烈なデフレ、不景気に襲われ、国家的資産を失い、新たなロストジェネレーションを生み出し、どんどん右傾化と弱者虐待・見殺しに拍車がかかることになるだろう。

そうなれば、俺としても保身に回らざるを得ない。と言っても俺の寿命はそう長くはないだろうから、俺にとっての保身とは妻と幼い息子の人生だけは何とかして守れるように努力するしかない。具体的には、徹底的に教育に力を入れるしかない。こうして俺のような新中間層も保守化して「今だけ金だけ自分だけ」意識ばかりを強めて、日本社会全体のアベ化が進むことになる。

立憲民主党とれいわ新選組と共産党の大きな共闘が実現しなければ政権交代はあり得ない。できなければ、日本は右からか、左からかわからないが<革命>をもってしてしか変わらないだろう。そして、それはいずれにしても不幸な選択でしかない。バカ政治屋がほざいている<戦争>もそろそろ視野に入ってきている。しかし、アメリカの核は世界最強だからアメリカにさえついていれば安心だ、なんて寝言を言う奴もいるが、戦争は飛び道具(核兵器)だけで決まるわけではない。テロをはじめとする現実の地上戦で決まるのだ。大義の無い戦争をすれば、アメリカでも捨て身の地上戦を仕掛けられて敗れざるを得ない。ベトナム戦争、アフガン戦争、9.11、イラク戦争を思い出せば、飛び道具(核)で勝ったことなど日米線を除けば未だかってないのだ。

つくづく「日本は卑しくみすぼらしい時代になった」と思う。「今の日本は昔の日本とは違うのだ」「恥ずかしい時代を生きているのだ」「当然の如く正しい価値観を共にする仲間だと心を許していた人々が、実は決して仲間ではなかった。すぐ隣で目を光らせ監視している無知な大衆であり、最も警戒すべき存在(敵…)なのだ。もはや性善説は通用しないのだ」と、改めて強く自分に言い聞かせなければならない。これは本当に悲しくて情けない結論だが、そうしなければ思わぬところで足をすくわれることになるのだ。この自覚は本当に残念で恥ずかしいことだが、大切な家族や生活を護るためには必要なことなのだ。ため息の出る日々がこれからも長く続く。

昔読んだ小説に知性的で賢いが<目を開けながら、心を閉ざし何も見ないで生きる>登場人物がいたが、あれはこんな状況下なのだろうか。戦後に生まれて、それなりに厳しい状況も切り抜けて生きてきたつもりだが、まさかこんなひそひそ話をしないといけないような息苦しい時代に直面するようになるとは思いもしなかった。市民が監視し合い、特高警察の足音がもう少しで聞こえてきそうな気がする。あのような時代は、誰か特定の悪者がいて、人々を追い込んだというよりも、<無知な大衆>の正義感(全能感)と善意の中で形作られていったのだ、と今は思う。

最後にもう一度深呼吸をして気を取り直そう。そして、用心しながらも「前を向いて生きて行こう」と思う。

今日はすごく嫌なことがあった日だった。
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190926 れいわ新選組山本太郎代表の北海道遊説をユーチューブでずっと応援して観ている。中身の無いトートロジー小泉との落差を思う。

2019年09月27日 02時28分10秒 | 今、思うこと&意見
9月26日(木):


  れいわ新選組全国ツアー in 札幌
山本太郎代表の北海道遊説をほぼすべてユーチューブで観ている。全力で応援している。自宅にポスターを張りたいと思う。

 9月26日朝日新聞朝刊
職場のベテランの独身女性が「小泉進次郎を良い」というのを聞いて、「顔だけかよ」と白け切ってしまう日々である。
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190926 悪徳業者「BOOK王国」。まさか<アマゾン>でこんな被害を受けるとは?!。赦すまじ。

2019年09月26日 23時33分00秒 | 今、思うこと&意見
9月26日(木):

まさかアマゾンの業者で非常に不愉快な詐欺被害に引っかかった。「BOOK王国」。この業者はひどすぎる。 (*注意:book王国【バーゲンブックス】は全く別の業者です。)

電話をしても出ない。昨日25日夜、アマゾンに☆1つの評価とともに、「9月4日に注文・入金1329円、9月8日に商品発送済み、9月23日までにお届け予定となっている。しかし、9月25日現在商品が届いていない。何の説明もない。お金を返せ。失った時間を返せ。アマゾンを利用してきて、こんなことは初めてだ。これは完全な詐欺行為であり、悪質な犯罪だ。本当に怒っている。警察に被害届を出す!とともに、あらゆる手段をとるつもりだ。絶対に許さない。ネットでも「BOOK王国(運営責任者名:田中克憲)」を詐欺師として訴えを拡散する。」と書き込んだ。

その直後、「出品者BOOK王国からのメッセージ:評価より確認させていただきました。この度はご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございませんでした。お調べいたしましたところ9月6日にて配送の確認がとれました。ご住所は お届け先 (略)
こちらでお間違いがない際は返金の対応をとらせていただきますので、大変恐縮ではございますが、ご連絡をお待ちしております。」
とメールが送られてきて、一切説明の無いまま、一方的に返金の手続きが行われた。20日以上、客を放置したまま、商品を送らずに、こちらから厳しい評価を送ると「金さえ返せばいいんだろう」と一方的に返金する。肝心な品物は送られてこないのだ。散々待たせたこと、心配をかけたことに対する謝罪の言葉や説明は全くなかった。

そして、何より俺の方から動かなければ、このまま返金もなくそのままになったことを考えれば、多くの泣き寝入りに終わった被害者の損失額は相当な多額にのぼることは容易に想像がつく。むしろ、声を上げる人間の方が少なく、多くのアマゾン利用者が強い不信感とともに諦めてきたことだろう。今回俺がこの行動をとるまで、俺自身ずうっと不愉快さとともに「こんなこと(詐欺行為)は、アマゾンでの買い物ではありえない」と自問自答して思い悩み続け、抗議する方法もよくわからず、途方に暮れた挙句にほとんど諦めかけていたのである。この踏み倒された声なき被害者のお金でこの業者はずっと大きな利益を計上し続けてきていることになる。

今回の一件で、アマゾンでの買い物に対して大きな不信感と躊躇・恐怖を抱くようになった。市場にこのような不安を蔓延させる業者に対して厳しい対処ができないのであれば、今後アマゾンは評価を大きく失墜することになるだろう。自分だけの問題でなく、この「BOOK王国」という業者による被害者が日々大勢生まれていることが許せないので一日置いて今日経緯を掲載した。

俺には、証拠がある。また、俺の言葉を確かめたければ、この業者のアマゾン評価欄を確認すればよい。今日も多くの☆1つの被害者の長いコメントと、☆5つだがたった一行だけの虚偽の“さくら?”コメントが載っている。分かりやす過ぎて正直うんざりする。アマゾンさん、これでいいのですか?

追加:「アマゾン」から昨夜26日0:21に届いたメールは以下の通り。

Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

ご注文(注文番号:   略    )に対して、BOOK王国からお客様へ¥1,329の返金処理が完了しましたので、ご連絡いたします。

この返金は以下の商品に対する返金です。

商品: 人間・いのちの歴史 (小学館の図鑑NEO)
個数: 1
ASIN: 4092172133
理由: ご返品

返金の詳細は以下の通りです。

商品の小計: ¥999
配送料: ¥330

※返金の理由が、「ご返品」とはどういうことだ!? アマゾンは正確な日本語ができないのか? 俺は断じて「ご返品」などしていないぞ! そもそも商品は届いていないのだ!
 この対応を見る限り、「悪徳業者「BOOK王国」の詐欺行為をアマゾンは容認し、協力している」という事実を確認できる。アマゾンは不法業者と結託し、その詐欺行為をかばっている。アマゾンに対する信頼は失せた。
 皆さん、アマゾンも詐欺業者と同じ穴の狢です。ご注意下さい!
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190922 [寄稿]ナショナリズムという危険(山口二郎)

2019年09月22日 23時59分02秒 | 考える資料
9月22日(日):   山口二郎・法政大学法学科教授 
ハンギョレ新聞[寄稿]ナショナリズムという危険  9/22(日) 20:50配信
  日韓関係の険悪化は終息の方向が見えないままである。テレビや雑誌で韓国を批判する特集が続き、いたたまれない思いである。韓国に対する反感は、日本国内に子供っぽい自己中心主義を広めており、日本の対外政策を制約し、国益を損なう危険があると私は考える。
  現在の日本では、ナショナリズムは食事や景色の自慢にとどまらず、歴史の改変に向かっている。これは、日本の国際的信用にかかわる重大問題である。なぜなら、第2次世界大戦後の日本の民主主義は、敗戦によってもたらされたものであり、戦前の植民地支配や侵略戦争に関する認識は政治体制の正統性に結び付くからである。
日本の敗戦は、具体的にはポツダム宣言を受諾することであった。この宣言では、日本軍国主義が誤った戦争を仕掛けたことが明記され、日本はこの戦争を誤りと認めたうえで、民主主義国家を再建することを世界に対して約束した。朝鮮半島の植民地支配について、ポツダム宣言では、日本の領土は本州等の本来の領土に限定されると書かれているわけで、不当な植民地支配を否定することも、日本は約束した。
  日韓関係が険悪化する中で、日本の一部のメディアやネットでは、戦前の日本の政策や行動を正当化する議論が広がっている。関東大震災の時の朝鮮人虐殺はなかったとか、日韓併合によって日本は朝鮮半島に恩恵をもたらしたといったたぐいの、とんでもない歴史の歪曲も飛び交っている。
  日本のナショナリストは、日本の帝国主義や軍国主義がもたらした犯罪的行為を正当化することで、日本人の名誉を回復しようとしている。しかし、それは大間違いである。歴史を直視することを拒否し、過去を賛美するならば、現代の日本人は敗戦の時に日本が世界に行った約束を破ることになる。様々な問題はあるものの、平和国家として歩んできた戦後の70年の実績を否定し、外国からの日本に対する不信を招くことになる。
  安倍晋三政権は、さすがに非常識な歴史修正主義を唱えてはいない。しかし政府は韓国に対して「国際法を守れ」と主張することによって、別種のナショナリズムを振りかざしている。安倍政権がここでいう国際法は、1965年の日韓基本条約とその付属協定である。しかし、この条約や協定は日韓の大きな国力の差と冷戦時代の権力政治の必要性を反映したものであって、植民地支配を受けた側の権利を回復する内容ではない。
  安倍首相は、北朝鮮との国交回復に積極的な姿勢を示している。首相の意図通りに国交正常化交渉を進めるとき、北朝鮮は必ず植民地支配に対する補償を要求するだろう。慰安婦や徴用工だった人が今の北朝鮮にどの程度存在するかわからないが、この問題を持ち出すこともありうる。その時に、安倍政権は日韓基本条約の枠組みで北朝鮮を説得することなどできないだろう。今日の国際人権法や歴史の常識にそぐう政策を、日本は朝鮮半島の南北に対して公平に適用しなければならないはずである。今の韓国に、半世紀以上前の日韓基本条約を当てはめることは、実は道義や人権に背を向けた自己中心主義だと、私は言いたいのである。
  他国民や多民族をその属性によって否定する議論が、いかに大きな災厄をもたらすか、人類はホロコーストの経験によって学んだはずである。今の日本の嫌韓ブームの広がりは、人間の尊厳を守るという最も基本的な原理さえ打ち捨てることにつながるのではないかと、私は憂慮している。正気を取り戻せという声を少しでも上げていきたい。
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190922 “腐敗の象徴”勢ぞろい アベ「開き直り内閣」にひと安心 それでもバカとは戦え(適菜収)

2019年09月22日 16時08分41秒 | 時代の記憶
9月22日(日): 
日刊ゲンダイ“腐敗の象徴”勢ぞろい アベ「開き直り内閣」にひと安心 それでもバカとは戦え  2019/09/21 
  第4次安倍再改造内閣、どうなることかと不安だったが、まずは安心した。安倍がまともな人材を集めて組閣していたら目も当てられなかった。次の衆院選に向けて、国民の怒りも高まり、野党共闘の流れが出てきたのに、水を差されることになってしまう。
  しかし杞憂に終わったようだ。19人の閣僚のうち17人が交代、13人が初入閣にもかかわらず、なんの代わり映えもしないのは、安倍政権の腐敗の象徴が勢ぞろいしたからだろう。加計学園事件のキーパーソンで加計学園が運営する千葉科学大客員教授の萩生田光一を文部科学相にしたり、自身のウェブサイトが数カ月にわたり閲覧できなくなっている理由について「よくわからない」と答える78歳のおじいちゃんを科学技術・IT担当相にしたり、ネトウヨ路線に活路を見いだし、いつ暴発するかわからない河野太郎を防衛大臣にしたり、完全にカオス状態。衛藤晟一、加藤勝信ら、安倍友もしっかり入閣。雲隠れしていた甘利明は党税制調査会長にもぐりこんだ。なお安倍は「総理大臣になるには、どうしたらいいのですか?」という小学生の質問に「友達をたくさん作ること」と答えてる。
  一方で「外の目も入れていかなければ客観的な評価はできません」「今回の問題でなぜ近畿財務局の職員が自ら命を絶たなきゃいけなかったんですか」と公文書改ざん等を批判した石破茂および石破派は閣僚メンバーから完全にパージされている。わかりやすすぎる。
  誰もが笑ったのが小泉進次郎の環境相就任だろう。私がツイッターで〈以前、進次郎さんの発言をほぼすべて確認したのですが、批判する場所が一か所もなかった。内容がゼロだから批判しようがない。「砂糖は甘いんです。僕は昔からそう思っている」みたいなことを遠くを見つめながら言う。政治家にはあまり向いていないと思います〉と書いたら5日間で150万件を超えるインプレッションがあった。
  要するに多くの国民が呆れ果てているということだ。揚げ句の果てには内閣府政務官に今井絵理子を起用。この人、不倫以外になにかやったのか。しかも1期目。安倍は「安定と挑戦」と言っていたが、これはわれわれ日本人に対する挑戦だろう。
  役者は揃った。安倍政権はこれまでの路線を踏襲し、ぶれずに衆院選に突入してほしい。

適菜収 作家
1975年生まれ。作家。ニーチェの「アンチクリスト」を現代語訳した「キリスト教は邪教です!」、「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」など著書40冊以上。購読者参加型メルマガ「適菜収のメールマガジン」も始動。詳細は適菜収のメールマガジンへ。


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190921 一年前:8 008 国谷裕子「キャスターという仕事」(岩波新書:2017)感想5

2019年09月21日 12時45分23秒 | 一年前
9月21日(土):
8 008 国谷裕子「キャスターという仕事」(岩波新書:2017)感想5
9月19日(水):  256ページ      所要時間3:05      ブックオフ108円著者60歳?(1957生まれ?)。大阪府生まれ.1979年,米国ブラウン大学卒業......

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190921 二年前:180918 一年前:170918 「160802 戦後日本政治の<分水嶺>、2001年ナチス麻生の野中広務氏部落差別事件」

2019年09月21日 12時43分36秒 | 一年前
9月21日(土):
180918 一年前:170918 「160802 戦後日本政治の<分水嶺>、2001年ナチス麻生の野中広務氏差別事件」
9月18日(火):170918 「160802 戦後日本政治の<分水嶺>、2001年ナチス麻生の野中広務氏差別事件」9月18日(月):まだ見に来てくれる人がいるので、「160......

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190918 もはや政治ではない…すべてを諦めた社会/政界地獄耳

2019年09月19日 00時31分42秒 | 時代の記憶
9月18日(水):

今日も忙しい一日だった。日本はもう終わっている。

日刊スポーツもはや政治ではない…すべてを諦めた社会/政界地獄耳 2019年9月18日8時19分 
★閣僚の顔ぶれを見ても、千葉県を中心とした台風災害の対応を見ても、この内閣の水準の低さを感じることが多い。自民党はいつから国民の気持ちを第一に考えなくなったのだろうか。さまざまなスキャンダルを内閣の一員が起こしても説明しない、混乱をわびるだけで本質については謝罪せず、貫き通す姿勢を誰も咎(とが)めなくなった。簡単に辞任させず内閣改造で交代させる手法をとるなど、責任の所在をあいまいにさせる政治を実践してきた結果だろう。
★それは首相・安倍晋三の口癖でもある「責任は私にある。任命責任を含めて私にある」としながら、その恥ずかしい現実を聞き流すようになったからだ。森友・加計学園疑惑の関与者たちは、ほとぼりを冷ますように入閣するなど復権し、議事録を残さないという方針を固めて事実関係はすべて闇の中だ。骨のある閣僚はいないのかと探せば「所管外」を繰り返し、すべてはあいまいな政治を突き進める。
★安全保障を声高に叫ぶものの、政権の言う安全保障は軍事的要因のことばかり。子どもの7人に1人が貧困という数字が抱える問題や、食品や作物の安全はなかなか優先されはしない。だが、国民は怒りの矛先を政権には向けない。選挙ではその矛盾に気付いた有権者が与党議員を落選に追い込むが、野党に期待が募るからでもない。いずれの政治家も国民から見れば物足りない、優先順位も違っている。以前の与野党の政治家には威厳と緊張感があったが、正義感と庶民感覚がなくなったと言えまいか。まもなく消費税がアップするが、数カ月の軽減策は複雑すぎて怒る気も起きない。すると財務相らは「増税前の駆け込み需要はない。だから反動減もない」と何も問題はないとの認識だ。さびたアンテナで政治を進める、それを批判する者もいない。これは政治ではない。すべてをあきらめた社会ではないか。(K)※敬称略
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9 005 佐藤優「先生と私」(幻冬舎文庫:2014)感想5+

2019年09月16日 19時45分00秒 | 一日一冊読書開始
9月16日(月): 
 

413ページ       所要時間9:00      ブックオフ510円

著者54歳(1960生まれ)。

2度目。父母や母方の伯父、山田義塾⇒早慶学院の個性的な塾の先生と中学生時代の著者のやり取りが、非常に鮮明で明晰過ぎる記憶の中で再現されている。中学生と言えども実際に深く思索する子どもは恐るべき深さでものを考えているのだと知らされる。一方で、著者の反応や考え方は極めてまっすぐであり、ゆがみが無い。あるのは知性・感性の人並外れた深さである。著者は、絶滅危惧種化しつつある戦後日本の良質な知性の系譜に位置づけられる人間だと思う。

著者の本は自分の立場を決して誤魔化さない。明確に自身の思想的立場を、その生い立ちも含めて極めて明らかに示してくれる。すなわち、著者は日本資本主義論争における講座派(共産党)を否定し、労農派(社会党、現社民党)を自らの立ち位置としている。本書でも著者に影響を与える人々の多くが共産党に否定的、反感を持つ人々だった。

俺が若い時所属した職場の労働組合が共産党系で、俺は何度か強く異議を申し立てたが、執行部およびその取り巻き連中により「ガキの意見」のように排除された。孤立無縁の中で「この場で自分の頭でものを考えて意見を述べてるのは俺だけだ」と思い詰めていたが、著者の本を読むと「自分が間違っていなかった」ことを確認することができる。

あの時、俺を軽く扱い否定していた連中は自分の頭で考えていなかったし、共産党という大きな後ろ盾を得て、異端者をはじき出していい気持になっていたのだ。政界全体でみると共産党は少数派だが、その共産党の傘下の組合の中では多数派で少数派を一方的に潰しにかかっていたのだ。著者の共産党は自民党と同様に日本で最も保守的政党であるという言葉を俺は実感をもって同意できる。

俺は、人間の見えない講座派ではなく、人間の痛みや肌触りを大切にする労農派である。若い時、組合で排除されたのは俺が稚拙さではなく、自分の目で見、自分の頭で考えることを認めない講座派(共産党)の組織に巻き込まれていた結果だ。あの頃のことを思い出すと今も共産党を支持することはできないはずだが、トートロジー小泉を加えたアベ・アソウ腐敗政権の現状があまりにもひどいので<政権交代>を実現するための野党共闘に協力する限りで今の俺は共産党を支持することができる。

予想外に時間のかかる読書になったが、本書には俺にとってすごく大切なことがたくさん書き込まれていたと思う。多少は大人の著者による補足修正があったと思うが、「これが13~15歳の子どもの思索・読書の記録だ」と考えると改めて強い衝撃を受ける。浦和高校に合格してから後の北海道旅行の部分は余分かな?という印象だったが、それも現実の体験なので仕方がない。一つの青春文学たり得ていると思う。

【目次】僕の両親/あさま山荘/山田義塾/哲学と神様/スカウト/数学の先生/革命/進路相談/高校受験/春休み/塩狩峠/稚内/帯広/立席特急券/父の背中

【内容情報】モーパッサンの「首かざり」を教えてくれた国語の先生。『資本論』の旧訳をくれた副塾長。自分の頭で考えるよう導いてくれた数学の師。-異能の元外交官にして、作家・神学者である“知の巨人”はどのような両親のもとに生まれ、どんな少年時代を送り、それがその後の人生にどう影響したのか。思想と行動の原点を描く自伝ノンフィクション。

6 018 佐藤優「先生と私」(幻冬舎文庫:2014) 感想4
2017年01月05日 21時44分55秒 | 一日一冊読書開始

2017年1月5日(木):  

413ページ    所要時間1:50    ブックオフ510円

著者54歳(1960生まれ)。

 1ページ15秒の眺め読み。途中で集中力が切れなかったので、最後まで眺めることができた。この速度だと、筋を追いかけるのが精一杯で味わうところまではいかない。それでも、集中はできたことが大きい。味わいたいけど、味わえば本書とは縁を結べなかったのも確かなことだ。

 本書は著者が、生まれてから中学で地元の進学塾に通い、浦和高校に合格するまでの15年間に出会った人々との交流を書いたものである。以前に読んだ著者の『私のマルクス』が、同志社大学での学生時代が中心だったのに対して、本書は中学での受験勉強時代が中心だ。著者の早熟ぶりがわかるほか、『私のマルクス』でも興味深く紹介されていた塾の先生らの様子がより詳しく描かれている。

 ただ、内容的には『私のマルクス』より数段下がると思う。特に、浦和高校に進学が決まった後の北海道旅行は、著者にとっては大切な思い出なのかもしれないが、正直言って<蛇足>だと思う。もう少しで、感想3+にしそうになった。でも、もう一度ゆっくり読み直してみたいとも思う。

※こんな不十分な形の読書でも、本を読むと少しだけ幸せな気分になれますね。
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190912 190万PV超:多部未華子『これは経費で落ちません!』に第一話からはまってます。

2019年09月14日 00時24分42秒 | 閲覧数 記録
9月12日(木):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2897日。

アクセス:閲覧 1,045PV/訪問者 397IP

トータル:閲覧 1,900,288PV/訪問者 490,235IP

ランキング:2,549位 / 2,886,022ブログ中   週別 2,915位

※トートロジーの小泉進次郎に素朴な疑問がある。どうして偏差値47の関東学院大学からコロンビア大学の大学院に行けるのか。学位取得できるのか。アベと同じに見えるのだ。トートロジーとは、言葉を発しているが、何も語っていないこと。

  

多部未華子は当然だが、キャストすべてがいい。ドラマの醸し出す雰囲気が良い。特に佐々木真夕役の伊藤沙莉がとても良い。

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190912 一年前:8 004 司馬遼太郎「播磨灘物語(上)全三巻」(講談社:1975)感想5

2019年09月13日 01時03分00秒 | 一日一冊読書開始
9月12日(木):
8 004 司馬遼太郎「播磨灘物語(上)全三巻」(講談社:1975)感想5
9月10日(月):       二段組295ページ     所要時間8:00      図書館リサイクル本著者52歳(1923~1996:72歳)何度目だろう、NHK大......

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190911 壺井繁治の詩「十五円五十銭」:関東大震災と朝鮮人虐殺の記録

2019年09月11日 21時14分50秒 | 考える資料
9月11日(水):
今朝の朝日新聞「声」欄より転記:「虐殺の歴史から目を背けるな」
無職 上野 崇之(大阪府 77)

 私は日本統治下の朝鮮半島に生まれ育った最後の世代だ。かつて中学の教壇に立っていた頃、9月1日の始業式の日に、詩人壺井繁治の「十五円五十銭」をクラスの子供らに読み聞かせたことを思い出す。関東大震災と朝鮮人をテーマにした200行に及ぶ作品だ。日本の負の歴史を子供らとともに学び、胸に刻むことを自分に課して生きてきた。
 詩の中で、剣付鉄砲を持った兵隊が避難列車に乗っていた男に「十五円五十銭いってみろ」と怒鳴る。発音で朝鮮人かどうか確かめるためだ。
 96年前、関東大震災の混乱の中、多くの朝鮮人や中国人が住民の「自警団」や軍、警察に殺害された。1974年から始まった都立公園での追悼式への追悼文送付を、小池百合子知事が3年連続で見送った。震災の犠牲者を全てを対象とする法要で哀悼の意を示しているから、と。
 2008年の内閣府中央防災会議の報告書は「大規模災害時に発生した最悪の事態」と位置づけ、教訓とするよう訴えている。しかし小池知事は、虐殺について「様々な見方がある」などとあいまいな言い方をしている。加害の歴史からから目を背ける風潮に明確なノーを。


詩人壺井繁治の「十五円五十銭」

十五円五十銭

一九二三年九月一日
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう

その日の明け方
物凄い豪雨がやってきた
それは地上にあるすべてのものを
一挙に押し流そうとするほどの勢いで降りつづいた
すべてのひとびとがなお眠り呆けている中を
その眠りさえも押し流そうとするほどの勢いで
なにゆえか眠れず
夜中から朝へかけて
僕は詩を書きつづけた
売れるか売れぬか当てにならぬ詩の一行一行を
雨は一瞬の休みもなく降りつづいた
すべての物音をかき消して
ただ雨の音のみが全世界を支配するかのように
その中を
上野動物園のライオンの遠吠えがきれぎれにきこえてきた
今にして思えば
その野獣は
地震計よりも正確に
その鋭い感覚によって
すでにあの地震を予知していたのかも知れない
それとは知らず
未開の森林でひとり目を覚ましているような不安の中で詩を書きつづけ
ひとびとが目をさましはじめたころ
僕はやっと眠りについた

前後不覚の深い眠りから
僕をゆりおこしたのはあの大地震だった
僕が目をさましたとき
すでに部屋の壁は音を立てながら崩れ落ち
如何ともしがたい力をもって僕の全感覚に迫ってきた
僕を支えるものは
がたがたと激しい音を立てて左右に揺れる柱だけであった
-もうおしまいだ!
ただそれだけの絶望感だけだった
ひとしきり揺れに揺れた後で
地震はようやくしずまった
そのしずまりのすきをねらって下宿をとびだした
崖をおりるように壊れた階段を伝って
するとまたもや地軸を鳴らす大動揺がやってきた
往来の電柱がまるで箸を動かすように
左右に大きく揺れ動くのが錯覚のように映った

僕はその夜、上野の山で一夜を明かした
上野駅が見おろせる崖っぷちにたって
とめ度なくひろがってゆく火事を眺めていると
あまりに強い火の刺激に頭がしびれてきた
浅草・下谷の家並みをなめつくす火は
一里を先を燃えているように見えるのに
僕の頬っぺたにほてりをさえ感じた
どちらを眺めても
東京の街々はいつ消えるとも知れぬ火の海であり
それを眺める群衆のわいわい騒ぎにまじって
僕は何を考えるでもなく
ただぼんやりと炎の大群団から眼をはなすことができなかった
火、火、火…
ただそれだけの眺めなのに
僕の瞳はいつまでも
火の方へ吸いよせられていた

この火事がまだおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ
-横浜方面から鮮人が群をなして押しよせてくる!
-目黒競馬場附近に三、四百もの「不逞鮮人」があつまって
  何か不穏な気勢をあげている!
-鮮人が家々の井戸に毒物を投げこんでいるから、飲み水に気をつけろ!
-社会主義者が暴動を起そうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった
僕が友だちの安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕は壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは戒厳令であった
銃剣をもって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から
音羽へ通ずる橋の手前に設けられた戒厳屯所を通りすぎると
-こらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚ろいて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が
-貴様! 鮮人だろう?
と詰めよってきた
僕はその時、長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体であった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
-いいえ、日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

僕は兵隊に呼びとめられたときの恐ろしさよりも
その後の恐ろしさに魂までふるえる思いだった
-こんなところにうろうろしていたら
  いのちがあぶないぞ!
自分で自分にいいきかせながら友と別れた
僕はもう一人の友の安否をたずねねばならなかったから
僕は身をひそめるような思いで
わきめもふらずにすたすたと
護国寺の方へむかって道を急いだ
行先は滝野川であった
すると向こうからラッパの音を先頭に
騎兵の大集団が行進してきた
音羽八丁を埋めつくす騎兵集団の行進は
今にも市街戦でもはじまるかと思われる殺気だった雰囲気を
街中にまきちらした
この殺気だった雰囲気にさらに殺気をそえたものは
辻々に張りめぐらされた張紙あった
-暴徒アリ放火掠奪ヲ逞シフス市民各位当局ニ協力シテコレガ鎮圧ニ務メラレヨ
それは警察の掲示板にも張られてあった
僕はこのときはじめて確認した
どこからともなくまきちらされた流言蜚語の火元がどこであったかを

滝野川の友の家は幸い無事であったが
新たな災厄がその家のまわりをうろついていた
その友は社会主義者であり
日ごろから怪し気な人間が大勢その家に出入りするということで
近所から眼を光らされていたから
鮮人騒ぎ、社会主義者騒ぎは
刻一刻と市民の間にひろがる一方であり
僕はこの家にも安閑と腰をすえてはいられなかった
どこやらで朝鮮人の一団が
針金で数珠つなぎに縛りあげられ
河の中へたたきこまれたという噂をきいたのも
この友の家であった
僕は禍のもととなるだろうルパーシュカをぬぎすて
浴衣と袴と黒いソフト帽を借り
その帽子をまぶかにかぶって長髪をかくし
そしてふたたび
牛込弁天町の下宿へひきかえした

その途中、富坂辺で
野次馬に取りまかれ
鳶口を背中から打ちこまれ
みずからの血溜りの中に倒れてゆく朝鮮の人夫風の男をこの眼で見た
それはそこだけでなく
いたるところで行われたテロルであったのだ

災厄の上に新たな災厄の重ねられつつあった東京を後にして
田端駅から避難列車に乗りこんだのは九月五日の朝であった
ここでも野蛮な眼がぎょろぎょろ光っていた
-こん中にだって主義者や鮮人どもがもぐりこんでいるかも知れんぞ!
身動きもできぬ車中でのこの放言に
僕は胸のまん中に釘を打ちこまれる思いをし
思わずまぶかにかぶっている帽子のツバをさらにまぶかにひきおろした
髪の長いということが
社会主義者の一つのめじるしであったから

汽車が駅に着くたびに
剣付鉄砲がホームから車内をのぞきこんだ
怪し気な人間がもぐりこんでいないかと
あれは、いったいどこの駅だったろう
僕らの列車がある小さな駅にとまると
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやってきた
彼は牛のように大きな眼をしていた
その大きな眼で車内をじろじろ見まわしていたが
突然、僕の隣りにしゃがんでいる印袢天の男を指して怒鳴った
-十五円五十銭いってみろ!
指されたその男は
兵隊の訊問があまりに奇妙で、突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
-ジュウゴエンゴジッセン
-よし!
剣付鉄砲のたちさった後で
僕は隣りの男の顔を横目で見ながら
-ジュウゴエンゴジッセン
ジュウゴエンゴジッセン
と、何度もこころの中でくりかえしてみた
そしてその訊問の意味がようやくのみこめた
ああ、若しその印袢天が朝鮮人だったら
「チュウコエンコチッセン」と発音したならば
彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ

あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ土となっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に

君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知っている
「ザブトン」という日本語を
「サフトン」としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺ろされた朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば
君たちに代って語る者に語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代りに
奪いかえした
親譲りの
純粋の朝鮮語で

『壺井繁治詩集』 p.34~ (青木文庫)
※壺井繁治(つぼい しげじ、1897年(明治30年)10月18日 - 1975年(昭和50年)9月4日)。日本の詩人。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)