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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

9 051 司馬遼太郎「竜馬がゆく(六)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月30日 01時36分00秒 | 一日一冊読書開始
5月29日(金):  

421ページ       所要時間9:40         蔵書

著者40歳(1923~1996:72歳)。

キングダム実写版の放送録画(感想3+)を観ていたら、本書の感想を書けなくなった。キングダム実写版はいまいちだったが、映画化されたこと自体が嬉しかったのと信、政役の若手俳優がとても良かった。山の民の描き方は、ちょっとひどかった(特に野蛮な踊りが非常識だった)。

本書の感想は、書ければまた書くつもり。

【内容情報】幕府を倒すには薩摩と長州が力を合せれば可能であろう。しかし互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。奇蹟を、一人の浪人が現出した。竜馬の決死の奔走によって、慶応二年一月、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟は成った。維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。

※以下、200530 5月30日(土)追加して記す。

元治2年(慶応元年:1865)、前年末挙兵した高杉晋作のクーデターは、明けて正月5日絵堂太田で山県狂介率いる奇兵隊200人が俗論党上士による正規軍1000人を奇襲し、撃破することにつながった。これで日本史は大きく回転する。まさに歴史が動いた。尊王討幕の長州藩がよみがえる。

一方、幕府も小栗上野介が中心となり、野心家ナポレオン3世のフランスの援助を受けて急速に強化されつつある。徳川は自己保身のために日本を売ろうとしている。このままでは長州は滅亡を免れない。幕府は返す刀で薩摩など雄藩も倒してしまうだろう。竜馬が薩摩・長州を盛んに往来し始める。まず薩摩の援助で、長崎に亀山社中を作り薩摩の貿易を代行し始める。

第二次長州征伐を前に、同じ土佐の中岡慎太郎が西郷を馬関(下関)に連れてくることに失敗する。激怒する桂小五郎に竜馬は彼の亀山社中が、薩摩名義で最新式元込めせじょう銃(ライフル銃)のミニェー銃4300挺と蒸気船を買い込み、長州に横流しすることを約する。主義や立場ではなく、先ず経済からという竜馬独特の思考法で薩長の歩み寄りをめざす。当時世界ではアメリカの南北戦争が終わったばかりで大量の新型銃の中古が余っていた。

長州から伊藤俊介、井上聞多が長崎に派遣され、奔走する竜馬の代わりに土佐の近藤(饅頭屋)長次郎が、英国商人グラバーを通じて見事に周旋する。感激した長州藩からの感謝を長次郎は、のちに自己の手柄として英国留学を目指したが発覚し、竜馬不在の亀山社中で腹を切ることになる。

長州、薩摩、京都と竜馬の奔走の結果、ついに京都の薩摩藩邸で薩長同盟が結ばれることになる。命懸けで京都に潜入した桂小五郎が、薩摩藩邸で連日の馳走攻めを受けるが、両藩とも同盟の言葉をどちらが先に吐くかの面子にこだわり、様子見に来た竜馬に桂が悲壮な顔で「坂本君、僕はもう帰る」という。同盟締約破綻の危機に対して,怒った竜馬が西郷の下に直談判して「長州がかわいそうじゃなかか」とつげ、これを契機に慶応2年(1866)1月21日、薩長同盟は成立する。

幕府を倒す体制を築き上げ、大きな達成感とともに寺田屋に引き上げくつろぐ竜馬を、100人を超す幕府の捕り手が襲い掛かる護衛の長州藩士と立った二人で窮地を突破する。伏見の薩摩藩邸にお竜が急を告げる。連絡を受けた西郷は伏見奉行所との戦争を決意するが、その後無事を確認して竜馬を京都藩邸に迎え、保護する。

左手親指に深手(動脈断裂)を受けた竜馬に対して献身的な開放をし続けるお竜に対して、竜馬はひょんな気分になり、結婚を申し入れる。結婚とは好きなだけではできない。ひょんな気分が必要であるらしい。傷の回復後、京都の町中を不用心に歩き回る竜馬に手を焼いた西郷は、竜馬を鹿児島に迎える。この時、お竜が同行して、これが日本における新婚旅行の始まりとされる。

薩長秘密同盟締結後、薩摩藩は藩論を180度転換し、第二次長州征伐を義のない<徳川と長州の私闘>であるとして、反対・不参加を表明する。薩摩の支持を失った長州征伐は捗らない。やがて、長州に幕府軍が芸州口、大島口、小倉口、石州口から襲い掛かる(四境戦争)。長州では新式銃を調達して、各地で幕府軍を押し返す。大島口の幕府の大艦隊に対して、自身が”柴船”と自嘲する老朽艦オテントサマ丸(200トン)一艘で小倉から高杉晋作が夜襲を仕掛ける。恐慌状態に陥った幕府艦隊は大島口から撤退。

小倉口で高杉とともに長州海軍を率いて幕府大艦隊と対等以上の戦いを展開した竜馬は、わずか500人の長州陸軍(奇兵隊)が、無類の強さを発揮して小倉藩や幕府の正規武士団を圧倒する情景を見て「長州が勝っちょるのじゃない。町人と百姓が侍に勝っちょるんじゃ」(402ページ)と感動する。これが身分制を否定する竜馬の理想だった。「あれが、おれのあたらしい日本の姿だ」(403ページ)。

7月20日大坂城中で将軍家茂死去。7月30日、幕府軍現地総大将ともいうべき老中小笠原長行が小倉から脱出。九州探題ともいうべき小倉城落城。西国諸藩は幕命を聞かず不戦の態度をとる。事実上日本の政府が消滅した。

いま、「大ヒットしたドラマ『JIN-仁』は、この『竜馬がゆく』の世界に南方仁という現代の医師を放り込む形で作られたものであり、『竜馬がゆく』を再構成、アレンジし直した作品である。司馬遼太郎の世界観で創作されたものであり、それで良かった。」と改めて確認するような思いがする。
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200528 意固地と依怙贔屓 世界狭め、着けるは布マスク 高橋純子

2020年05月29日 00時08分00秒 | 時代の記憶
5月28日(木):  
朝日デジタル【多事奏論】意固地と依怙贔屓 世界狭め、着けるは布マスク 高橋純子
2020年5月27日 5時00分

 最近自覚したのだが、私はあの小さい布マスクを着けた首相に魅せられている。ジュディ・オングよろしく南に向いてる窓を開け、見ても見ても見慣れないバランスの悪さ。首相のどうにもしがたい幼さ、性(さが)が表れているようで目が離せない。Wind is blowing from the SAGA.おそらく首相の仲間内でそれは、純粋さのようなものとして感覚されるのだろう。
 あの小さい布マスクを着けた首相が国会答弁に立つ。下を向き紙を読み上げるたび、鼻とマスクの隙間が見える。意味なし。異議なし。しゃべっているうちにずり上がってくるから指で引き下げる。不便だろうと思う。それでも頑として着け続ける。自分で手洗いもしているらしい。
 首相はいったい何と闘っているのだ?
 布マスクの全世帯配布という下策は、首相が布マスクを着用し続けたところで上策に変わりはしない。未知の感染症に対応する中で、そりゃ間違うこともあるでしょう。批判が高まったなら失敗を認めて謝罪、撤回し、間違った地点からまた次につなげればいい。信頼は、そういう行ったり来たりのプロセスの中で醸成されるものだ。それをやらない、できないのは、首相が「国民の皆様」との関係のベースに信頼を定置していないからではないのか。
 政治家にとって意地は大事だが、意固地となると弊害が大きい。意固地は依怙地とも書く。そう、依怙贔屓(えこひいき)の依怙。依怙地は異論を遠ざけ、世界を狭くし、身内や味方への依怙贔屓を発生させる。ふたつは同じ成分でできているということが、首相を見ているとよくわかる。
     *
 さて、首相の依怙贔屓に端を発した典型的な依怙地案件・検察庁法改正案は、今国会での成立断念と相成った。
 少しく、意外だった。
 現政権は、民意に成功体験を与えないこと、数の力でねじ伏せ、無力感を植え付け続けることで7年半弱、権力を維持してきた。ゆえに反対が強い時ほど引かない。それがこの政権のやり方だった、のに。
 著名人を含む「ツイッター世論」の拡大がきっかけだったことは大前提として、何かほかに見るべき点はないか。そう問われれば私は、コロナ禍がもたらした、政治意識の「質」的変化に思いをはせる。
 民主主義には本来、時間が必要だ。情報を集め、自分なりに分析し、掘り下げて考える時間。よくも悪くも、そんな時間をいま多くの人が持っている。自分の生活さえ保守できればよく、誠実であるとか信頼に足るとかいった政治的価値は二の次と考えていた人たちが今回、「ん?」と考え始めた。差し出されたボトル水のメーカー名やパッケージ、宣伝文句をよりどころに判断するのではなく、水源をたどってどんな環境で採水されたかを探る。この水でいいのか、もっと自分がおいしいと思える水があるのではないかと見渡す。政治が、より広い地平で、生活と地続きのものとして捉えられるようになったのではないか――先走りすぎか。でも、鈍感よりはましだろう。
 ひりつくような生活不安にも、民意の微妙な変化の兆しにも、首相が注意を払ってきた様子はない。検察庁法改正案の成立を断念する3日前にはインターネット番組で櫻井よしこ氏を相手に、安全保障法制などを例に挙げ「政策の中身、ファクトではなく一時的にイメージが広がるが、時間がたてば『事実と違ったな』とご理解頂ける」と強気だった。真摯(しんし)な批判や懸念もまとめて「イメージ」とおとしめ、「事実」の専有者のごとく振る舞う。何様俺様首相様。私たちは、高をくくられてきたのだ。
     *
 コロナ禍という特殊状況下で何らか政治意識が変化しつつあるならば、それをどう現実政治の舞台で表現するか。政党やメディアの踏ん張りどころだ。マージャンしてる場合ではない。うん。自分に言ってる。 (編集委員)
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200524 山本太郎氏の「れいわ新選組」を強く支持する。一事が万事、誠実さを信用できる。

2020年05月25日 00時05分44秒 | つぶやき
5月24日(日):



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9 050 司馬遼太郎「竜馬がゆく(五)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月24日 18時00分08秒 | 一日一冊読書開始
5月24日(日):  

414ページ       所要時間9:50         蔵書

著者40歳(1923~1996:72歳)。

所要時間9h50mは少し異常だ。少なくとも半分の5h以内で読めなければいけない。その気になれば十分に可能だ。本書はそれほど難解に書かれていない。ただ楽しみながら、付箋をして、線を引いて、味わって読むとこうなってしまう。その代わりに、読書の苦痛は少ない。読みながら、大河ドラマの再放送を視聴しているような気分になっているのだ。

本書では元治元年(1864)のみの話になっている。長州藩で古武士の風韻のある木島又兵衛が「君辱めらるれば臣死す。」を呼号し、高杉晋作すら手に負えない。あくまで京都に残って長州藩の先兵となり、尊王攘夷、討幕を果たそうとする諸国の志士たちが池田屋事件で新選組の襲撃で壊滅する。この時、ただ一人参加していた長州人吉田稔麿(松下村塾)が、奇跡的に切り抜けて、長州藩邸に救援を求めた後、再び池田屋に戻って切り死にしたのは、長州への信頼をつなぎとめるエピソードである。

長州藩全体が発狂して2000の兵が京都を包囲し、御所をめざして薩摩・会津を中心とした幕府軍5万と激突(蛤御門の変)するが、当然敗れ去る。御所に弓を引き、「玉(ぎょく:天皇)の奪い合い」に敗れた長州は「朝敵」の汚名を着せられ、幕府の号令の下、征伐(Ⅰ)を受けることになる。竜馬の神戸海軍塾もあおりを受けて閉鎖・終幕を迎え、師匠の勝海舟も幕府からとがめを受けて罰せられる。

この時期、幕臣でありながら、日本全体のことを考える勝海舟がすごく魅力的で面白い。竜馬と西郷を「会ってみな」と会わせたのも勝である。俺は以前から勝海舟を<幕末の妖精>と他人に語ってきたが、その元はどうも「竜馬がゆく」をはじめとして司馬さんの作品の影響にあるらしいと分かった。

竜馬と西郷は私心・私欲がない点において極めて似ており、互いに強い信頼で結ばれた。「坂本竜馬とは、西郷を抜け目なくしたような男だ」(勝海舟)。神戸海軍塾を失った竜馬たちの庇護者として薩摩藩が手を差し伸べる。それは極めて手厚いものだった。竜馬の横には、紀州徳川藩を15歳で脱藩した陸奥陽之助がついている。

8月、京都で大敗した長州藩は、国元で四国艦隊(英仏米蘭)による下関砲撃事件でも大敗し、にわかに佐幕保守派が実権を持ち、尊攘過激派は三家老の切腹をはじめ関係者の処刑が行われるなど厳しい弾圧を受け、粛然、ひっそりとなりを潜めていた。

全国の尊攘派の希望の星だった長州が凋落して、幕府権力が再び息を吹き返そうとしている。師走、薩摩藩の大阪藩邸にかくまわれている竜馬一党の下に、長州で高杉晋作が単独で挙兵し、クーデターを起こそうとしている。それに奇兵隊が呼応し、三条実美らを担いで決起をしそうである、という噂が聞こえてくる。さて、情勢はどう動くのか。というところで本書は終わる。

【内容情報】池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。しかし幕府の屋台骨はゆるんだようにも見えない。まだ時期が早すぎるのだ…次々死んでゆく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。竜馬も窮迫した。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまい、かれの壮大な計画も無に帰してしまった。
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200523 1000超IP初めて? 訪問者 1,006IP:「9月入学論 いまじゃないだろう。」

2020年05月24日 11時54分08秒 | 閲覧数 記録
5月23日(土):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から3150日。

アクセス:閲覧 2,364PV/訪問者 1,006IP

トータル:閲覧 2,178,709PV/訪問者 595,851IP

ランキング:760位 / 2,930,287ブログ中   週別 1,782位

朝日デジタル今ではない、早期の学校再開へ力注げ  元文部科学事務次官・前川喜平さん
2020.5.10

 いまじゃないだろう。
 「コロナへの対応として学年の始まりを9月にずらしては」という記事を読んだとき、そう思った。「学校生活が休校のたびに減っていく」とツイートした高校3年生の気持ちはわかる。だが、それに知事たちや官邸が乗っかるのは情けない。世紀の愚策だと思う
 いま重要なのは、学校に行けていない子どもたちの学ぶ権利だ。オンライン授業を可能にしながら感染防止の対策を尽くし、学校をいかに早く再開するかに力を注ぐべきだ。
 政府は今月、緊急事態宣言を延長する際、博物館や美術館、図書館、公園について全国で条件付きでの再開を認めるとしたが、ならば学校が先だろう。
 小中高校が9月入学・始業となると、いまの1年生を9月まで待たせることになり、7歳5カ月で入学する子が出てくる。いまの小中高校生のうち9月1日以前に生まれた子は、16歳で中学を、19歳で高校を卒業して大学受験は1浪状態になる。また、新小学1年生には9月までに6歳になる子も含まれる。いまでも早生まれと遅生まれの発達の差の問題があるのに、17カ月の月齢差を乗り越えられるのか。さらに、いま幼稚園や保育園の子は、誕生日が9月1日以前か2日以降かで小学校入学時に別れ別れになってしまう。
 こうした問題を保護者は納得するだろうか。しかも全ての学校がずっと休校しているわけではなく、予定通り授業を受けている子どもたちがいるにもかかわらずだ。
 高校と大学はどうか。
 大学は学年の始まりは今でも学長が決められ、9月入学の定員も設けられる。今年の高校3年生のためを考えるなら、9月入学枠をもっと増やせばよい。ただ大学は受験料や授業料収入が後ろ倒しになるため、救済策として補助金を出し、減収分を補う必要がある。
 もっと高校生活の時間がほしいという生徒が多いなら、臨時的に高校に専攻科や別科を設けることも考えていい。その場合、問題になるのは入試だが、大学入学共通テストを1月と7月の年2回実施すればよい。大学入試センターは大変だろうが、小中学校の9月入学よりは簡単だ。
 私は実は9月入学・始業に反対ではない。高校生は海外の大学を受けやすくなる。就職時期が遅れ企業が困るといっても、既に新卒一括採用は揺らいでおり、通年採用にすればいい。もしやるなら入学時期を毎年少しずつずらし、5~10年計画で9月入学まで持っていけば、子どもに大きな影響を与えずにすむかもしれない。
 この改革は大変大がかりになる。「平時は難しいが非常時の今だからできる」というものではない。国民のよほどの理解がなければ、できるはずがない。
(聞き手 編集委員・氏岡真弓)
 
*1955年生まれ。東京大学卒。旧文部省に入省、初等中等教育局長などを経て文部科学事務次官。2017年、天下り問題の責任をとり退職。同年、加計学園をめぐる問題で「行政がゆがめられた」と証言した。現在は講演や執筆活動のほか、自主夜間中学の講師も務める。


東京新聞【社説】9月入学案 「特効薬」にはならない
2020年5月9日

 コロナ禍で休校を続ける自治体も多い中、入学時期を九月とする議論が浮上している。確かに利点もあるのだろうが、学びの保障ができない現状を一気に解消できる「特効薬」にはなり得ない。
 いつ学校を再開するかは感染状況などにより、自治体によって判断が分かれる。インターネットを通じたオンライン授業も一部で試みられているものの、パソコンなどの環境が整っていない家庭も当然あり、踏み切れるかどうかは自治体の財政状況にも左右される。
 九月入学を訴える知事らは、地域による学力格差の解消につながり、秋入学が主流の欧米に合わせることで国際化も推進できると主張する。高校生や、保護者の中からも待望論がある。政府も検討を進める考えだ。
 だが、まず足元で生じている学びの停滞を少しでも解消していくことが最優先のはずだ。学校を再開できることが一番望ましい。ただ休校が長期化したり再休校の事態を想定すれば、パソコンなどの貸与をはじめオンラインの環境整備は急いだ方がよいのではないか。国も全力で支援すべきだ。
 夏休みに授業や補習を行う場合は、猛暑対応や密集回避のため学校以外の場所も確保することや、外部からの応援をあおいで指導体制を手厚くするなど、柔軟な対応が必要となるだろう。自治体と国、民間が連携し、今からさまざまな事態を想定して、知恵を絞ってほしい。
 新型コロナウイルスの脅威と向き合う期間が長期化する可能性もある中で、入学時期をずらすことの効果は不透明だ。
 明治時代、国の会計年度が曲折を経て四月からとなり、それに教育制度も足並みをそろえていった。会計年度については、税収のもととなるコメの収穫時期などが影響したという説もある。
 四月入学である必然性があるわけではないが、長い慣習の中で定まっていったさまざまな制度との整合性を図っていくには多大な労力を必要とする。今、それが可能な時期だろうか。
 グローバル化をうたい、英語の民間試験導入などを柱とした大学入試改革が昨年、制度設計の詰めの甘さで事実上破綻したことも忘れてはならない。
 学ぶ内容は、一年単位でなく、もう少し長い期間の中で補っていく必要も出てくるかもしれない。難題ばかりだが、地道に一つひとつ解いていくしかない。
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200523 9月入学は是か非か @火事場(泥棒)の9月入学論!反対(もみ)

2020年05月23日 12時45分31秒 | 考える資料
5月23日(土):

朝日デジタル9月入学は是か非か
元文科次官・前川喜平氏「失政隠しの『教育の政治利用』 時間とお金をかけて議論を」

2020.05.04 山下 知子

多くの学校で休校期間が2カ月に及ぼうとしている。緊急事態宣言の解除の先延ばしで、休校は一体いつまで続くのか。先が見通せないなか、「9月入学」を求める声が現役高校生らから噴き出し、その是非をめぐり賛否両論が白熱している。自身のツイッターで「9月入学については、無責任な議論が横行している」などと発信した元文部科学事務次官の前川喜平氏に、5月初め、その真意を聞いた。(写真は、9月入学をめぐり賛否が割れた4月29日の全国知事会ウェブ会議)

話を伺った人
前川喜平さん 元文部科学事務次官
(まえかわ・きへい)1955年生まれ。東京大学法学部卒業。79年、文部省(当時)入省。官房長、初等中等教育局長などを経て、2016年に文部科学事務次官に就任、17年に退官。現在は現代教育行政研究会代表。
大学と義務教育は区別して議論を
――「9月入学制」の議論が盛り上がっています。どう受け止めていますか?
いま優先するべき話ではありません。失政を隠すための「教育の政治利用」ではないでしょうか。
9月入学論は、10年に1度ぐらいの周期で出てきます。中曽根康弘内閣の時の臨時教育審議会の答申(1987年)で提言があり、中央教育審議会の答申(97年)、2000年の教育改革国民会議でも出ました。12年には東大で秋入学導入の提言が出て、大きな議論を呼びました。文部科学省はすでに何度も検討しているのです。わかったのは、国民の合意を得たうえで、時間とお金をかけないとできないということです。
――9月入学制には反対の立場ということですか?
いま議論するのは反対という立場です。白紙から考えるなら9月入学には賛成ですよ。
学年の真ん中に夏休みがあるよりは、学年末にあるほうが子どもの生活リズムの点からもメリットがあります。海外では9月入学が多く、国際スタンダードにも合わせられます。入試も、インフルエンザが流行し、雪で公共交通機関が止まる冬より、夏のほうがずっといい。会計年度とずれても難しいことはありません。
――9月入学制を考える時、どんな視点が必要なのでしょうか。お金と時間をかけて議論すべきだと先ほどおっしゃいました。
大学の9月入学制と、義務教育を含めた学校全体の9月入学制は区別して考えるべきです。高校と大学の接続部分だけだったら、今も多くの大学が秋季入学を導入しており、さらに拡大していけばいいと思います。しかし、義務教育となると話は違ってきます。影響が大きいので国民的議論が不可欠です。
学校教育法では、義務教育開始の下限年齢は「6歳0カ月」となっています。その考え方のまま9月入学にすると、初年度は6歳0カ月から7歳5カ月で構成される、いびつな学年が生まれてしまいます。小学1年生で17カ月の違いは大きすぎるので、同じ学年にくくるのは無理です。
今年の4月2日から9月1日までに6歳になる子だけで一つの学年を作る手もありますが、同年齢の子を二つの学年に分けることになるので、これもかなり無理があります。
では、どうするか。
幼稚園・保育園の段階から、1学年で1カ月ごとスライドしていく方法があります。初年度は4月2日から翌年5月1日までの子どもを入学させ、2年目は5月2日から6月1日までの子どもを入学させる。そうすると、5年たてば9月でそろいます。半月ずつ10年かけてもいい。無理なく実施するには時間をかける必要があるのです。

優先すべきは学校の再開
――休校が続く中、いま優先すべき議論は何だと考えていますか?
学校再開に力を注ぐことです。首相は2月、一斉休校要請を行いましたが、学校は「休業補償」がいらないからと安易に考えているように感じます。休校は、憲法26条の教育を受ける権利が侵害されている状況。お金に換えられない損失が発生しています。学校は閉めるのは最後、開けるのは最初であるべきなのです。
学校保健安全法は、子どもたちの健康のために「休校」を規定しています。大人のためではなく、子ども自身の生存権を守るために学習権を停止することを認めているわけです。休校は、子どもの健康が危ないときにだけ、学校ごとに行うべきものです。緊急事態宣言が延長されたら休校も延長するというのはおかしい。政府専門家会議も学校再開の必要性を認めました。
地域や学校種によって状況は違います。感染者が多い地域なのか少ない地域なのか。電車通学が多い高校なのか、近隣から徒歩で通う公立小中学校なのか。各地の教育委員会も学習権を守るとりでとして、子どもの学習権を停止していい状況なのか、もっと主体的に判断し、開けていい学校は開けるべきです。
もちろん、感染リスクを下げる工夫は必要です。時差登校や分散登校に加え、何より先生が学校に持ち込まないようにしないといけない。消毒液やマスクを用意し、PCR検査も優先的に受けられるようにしたらいいと思います。
来年は7月にも大学入試を
――受験や就職を控えた高校3年生の一部から9月入学制を求める声が出るなど、不安は切実です。
この学年の気持ちに応える必要はあります。これについては、大学の秋季入学枠を拡充するのが策の一つとして考えられます。大学全体を秋季入学にする必要はありません。4月に進学したい生徒もいます。全体を秋季入学にすると半年間、新1年生がいないことになり、収入が半年途絶えます。その補償や補塡(ほてん)となれば、何百億円か必要でしょう。
今の高校3年生のみ7月末なり8月末なり、大学が始まるまで高校生活が続けられるようにするのはどうでしょうか。高校には別科や専攻科を設置できるので、臨時に設けて在籍させます。もちろん、3月に卒業し、4月から働いたり、大学に入ったりする選択肢も残しておきます。
そして、秋入学用の大学入学共通テストを7月ごろ行います。大学入試センターにとって試験を年2回行うのは大変ですが、やってできないことはないでしょう。長い目で見れば、こうした仕組みを恒常的に構築してもいいかもしれません。


朝日デジタル(社説)9月入学論 訴えの原点を大切に
2020年5月13日 5時00分

 新型コロナウイルスの影響で、学校の始まりを5カ月遅らせる「9月入学・始業」案が浮上している。積極的に支持する知事もいて、政府は6月上旬をめどに論点を整理する考えだ。
 背景にあるのは、長引く休校による勉学の遅れ、そして経済力や学習環境の違いによる教育格差の拡大への懸念だ。オンライン授業ができている自治体は全国で5%しかなく、「どっさり宿題が出たきりで、学校からほとんど連絡がない」などの不満が各地で聞かれる。
 朝日新聞が全ての都道府県や指定市、県庁所在市など121の自治体を取材したところ、約7割が今月末まで休校を続けると答えた。休校期間は実に3カ月に及ぶ。夏休みを短くして授業時間を確保することを考えているところが多いが、子どもたちが消化不良を起こさないか。教職員の過労も心配だ。
 9月入学にすればこうした問題の解消が期待できるとはいえ、ハードルは高い。たとえば一時的に17カ月分の児童生徒を受け入れる学年が生まれることになるが、その数に見合う教室や教員を確保するのは難しい。加えて「留学しやすくなるのでこの際9月入学に」といった、いわば便乗論への反発も持ち上がり、議論は錯綜(さくそう)している。
 思い起こすべきは、9月入学論が注目される直接の契機になった高校生たちの声だ。授業や友人と過ごす日がどんどん減っていくことに対する痛切な思いが込められたもので、だからこそ多くの人が共鳴した。
 この訴えの原点に立ち返り、授業や学校生活の時間をどうやって取り戻すかという視点から善後策を考えるべきだ。
 9月入学への大変革か、現行制度の維持かの二者択一ではないはずだ。まずは、指導要領によって定められている学習内容を削減できないか、文部科学省が検討する。それにも限界があるというなら、来春の始業時期を遅らせて今年度分の授業時間を確保し、2年間かけて影響を解消する。それくらいの柔軟な対応を考えてはどうか。
 どの子も困惑の中にいるが、とりわけ受験学年の不安は大きい。入試の実施時期などの基本方針を早急に示す必要がある。
 事態の長期化も考え、並行してオンライン学習の環境整備も急ぎたい。在宅勤務の広がりなどからIT関連機器が品薄になっており、準備が思うように進んでいない。必要な機材が子どもたちに速やかに行き渡るよう、政府はメーカーや自治体に働きかけてほしい。
 教育の機会均等は憲法に基づく国の責務だ。非常時でも、いや非常時だからこそ、不公平を放置することは許されない。


朝日デジタル(社説)学びの再建 受験学年への対応早く
2020年5月20日 5時00分

 コロナ禍による授業の遅れをどうやって取り戻すか。文部科学省が先週、基本的な考え方を全国の自治体に示した。
 積み残した学習内容を次年度以降に繰り越してもよい旨を明記した。年度内の完了が原則としつつも、柔軟な運用に道を開く内容だ。かねて社説で主張してきたこととも重なる。
 大半の自治体が夏休みの短縮を考え、なかには2週間程度にまで削る予定のところもある。真夏の教室で感染症と熱中症の双方に備えるのは容易ではないし、児童生徒や教職員の疲労も気がかりだ。今回の通知の趣旨を踏まえ、無理のない授業日程を組んでもらいたい。
 土曜授業や7時間授業を検討している自治体もある。やむを得ない場合もあろうが、過度な詰め込みは子どもたちの理解の深まりを害する。所定のコマ数を消化することを目的とするような編成は避けるべきだ。
 今回の措置でも残る大きな問題がある。「繰り越し」の利かない最終学年への対応だ。通知は、分散登校を行う場合には他学年より手厚くするよう求めるが、それにも限界がある。
 入試も立ちはだかる。文科省は高校入試について、▽地元の中学の授業進度をふまえて出題範囲を定める▽生徒が解答する問題を選べる出題形式を採り入れる、などの工夫を例示している。大学入試にも何らかの指針が必要ではないか。
 実施時期はどうか。窓を開けられない冬に密閉・密集を避けて長時間の試験を行うのは難しく、感染の第2、第3の波の到来もありうる。会場が用意できるかを早急に調べ、春先にずらすことも検討すべきだ。それは授業時間の確保にもつながる。
 大学の推薦入試などについては、萩生田光一文科相が選考を遅らせる必要性に言及した。そうでなくても現高3生は入試改革の迷走に振り回され、大きな負担を強いられた。一般入試を含む全体方針を速やかに示し、落ち着いて準備できる環境を整えるのが大人の責務だ。
 先週の文科省通知には、もうひとつ大きな特徴がある。
 授業は実習や協働学習に重きをおき、個人でできるものは家庭学習に回すとの考えを打ち出したことだ。時間数が限られるなか、内容の取捨選択が必要なのはわかる。だが、自学自習できるかどうかは家庭環境に大きく左右される。コロナ禍は経済の低迷をもたらし、多くの保護者は余裕を失っている。
 退職した教員や教育NPOの力を借り、インフラ整備を急いでオンライン学習も活用する。厳しい境遇にいる子を中心に、「学びの保障」を確実に実現しなければならない。
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200523 二年前:180518 132万PV超:【政治季評】忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子

2020年05月23日 09時50分41秒 | 一年前
5月23日(土):

180518 132万PV超:【政治季評】忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子  ※朝日新聞にも曽我豪というアベのアイヒマンがいる(もみ)
2018年05月19日 12時18分10秒 | 閲覧数 記録

2018年5月18日(金):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2414日。   

アクセス:閲覧 1,227PV/訪問者 316IP

トータル:閲覧 1,320,349PV/訪問者 339,679IP

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  ※朝日新聞にも曽我豪というアベのアイヒマンがいる(もみ)
朝日新聞【政治季評】忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く 豊永郁子 2018年5月19日05時00分
 アイヒマンというナチスの官僚をご存じだろうか。ユダヤ人を絶滅収容所に大量輸送する任に当たり、戦後十数年の南米などでの潜伏生活の後、エルサレムで裁判にかけられ、死刑となった。この裁判を傍聴した哲学者のハンナ・アーレントは「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を執筆し、大量殺戮(さつりく)がいかに起こったかを分析した。
 前国税庁長官・財務省理財局長の佐川宣寿氏の証人喚問を見ていて、そのアイヒマンを思い出した。当時、佐川氏ら官僚たちの行動の説明として「忖度(そんたく)」という耳慣れない言葉が脚光を浴びていた。他人の内心を推し量ること、その意図を酌んで行動することを意味する。私はふと、アーレントがこの日本語を知っていたらアイヒマンの行動を説明する苦労を少しは省けたのではないかと考えた。国会で首相の指示の有無を問いつめられる佐川氏の姿が、法廷でヒトラーの命令の有無を問われるアイヒマンに重なったのである。
     *
 森友学園問題――国有地が森友学園に破格の安値で払い下げられた件、さらに財務省がこの払い下げに関する公文書を改ざんした件――については、官僚たちが首相の意向を忖度して行動したという見方が有力になっている。国会で最大の争点となった首相ないし首相夫人からの財務省への指示があったかどうかは不明のままだ。
 アイヒマン裁判でも、アイヒマンにヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンがヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、ときに喜々として遂行していたことは確かだ。しかし大量虐殺について、ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか、それが抗(あらが)えない命令だったのかなどは、どうもはっきりしない。
 ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮部隊による虐殺も、彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。
 さて、他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は、一見、忠誠心などを背景にした無私の行為と見える。しかしそうでないことは、ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に、様々な個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例を見ればよくわかる。
 冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄(みえ)、ちょっとした意地の悪さ、復讐(ふくしゅう)心、各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑(みの)となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、役得を大いに楽しんだという。
 つまり、他人の意志を推察してこれを遂行する、そこに働くのは他人の意志だけではないということだ。忖度による行動には、忖度する側の利己的な思惑――小さな悪――がこっそり忍び込む。ナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの意志」を理由にするが、それは彼らの動機の全てではなかった。様々な小さなありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き、そうした小さな悪が積み上がり、巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容の見えないシステムだったろう。
     *
 このように森友学園問題に関して、ナチスに言及するのは大げさに聞こえるかもしれない。しかし、証人喚問を見ていると、官僚たちの違法行為も辞さぬ「忖度」は、国家のためという建前をちらつかせながらも個人的な昇進や経済的利得(将来の所得など)の計算に強く動機づけられているように感じられ、彼らはこの動機によってどんなリーダーのどんな意向をも忖度し、率先して行動するのだろうかと心配になった。また、今回の問題で、もし言われているように、ひとりの人間が国家に違法行為を強いられたために自殺したとすれば、そこに顔を覗(のぞ)かせているのは、犯罪国家に個人が従わされる全体主義の悪そのものではないか、この事態の禍々(まがまが)しさを官僚たちはわかっているのだろうか、と思った。
 以上からは、次の結論も導かれる。安倍首相は辞める必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだ。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだ。
 すなわち、あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき、彼はもはや国家と社会、個人にとって危険な存在である。そうしたリーダーは一見強力に見えるが、忖度がもたらす混乱を収拾できない。さらにリーダーの意向を忖度する行動が、忖度する個人の小さな、しかし油断のならない悪を国家と社会に蔓延(はびこ)らせる。 すでに安倍氏の意向を忖度することは、安倍政権の統治の下での基本ルールとなった観がある。従って、忖度はやまず、不祥事も続くであろう。安倍氏が辞めない限りは。
     ◇
 とよなが・いくこ 52歳(1966生まれ)。専門は政治学。早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」。

   アベのアイヒマン 曽我豪
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9 049 司馬遼太郎「竜馬がゆく(四)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月18日 01時15分16秒 | 一日一冊読書開始
5月18日(月):  

425ページ       所要時間8:40         アマゾン347円(97+250)

著者40歳(1923~1996:72歳)。

10年前にアマゾンで第4巻を取り寄せている。ということは、このブログを始める直前に俺は「竜馬がゆく」を読んでいるのかもしれない。であれば、3度目か、それ以上か?

文久3年(1863)5月、竜馬の神戸海軍操練所が、練習船のないまま開校する。土佐藩をはじめ諸国の脱藩牢人らを集めて一つの勢力をなすようになるが、竜馬自身は、「機は熟していない」と政治活動には関心が薄い。

とにかく日本全体にとって多事多難の時代に突入している。前半に政局の主導権を握ったのは長州藩と武市半平太の土佐勤王党の勢力だった。現実主義の竜馬は、観念論的な武市の路線には批判的で距離をとる。竜馬は練習船を幕府から借り受けるために奔走しているが、京都では清川八郎が暗殺され、会津藩預かりの人斬り警察”新選組”が活動を始める。その中には、北辰一刀流で竜馬と同門の藤堂平助や山南敬助もいた。

将軍家茂が京都に呼びつけられ、幕閣の首脳が皆京都・大阪に集まり、勢いに乗る長州は関門海峡で外国船に砲撃を加え、薩摩は鹿児島でイギリス艦隊と戦争を行っていた。

長州中心の政局を深く恨みとする薩摩と会津両雄藩が同床異夢のまま、8月18日の政変で一気に長州を京都から追放してしまう。長州はすでに長州だけの存在ではなく諸国・諸藩での尊王攘夷の政治活動に行き詰まった多くの志士たちにとっても頼るべき家であった。その長州が倒れると、長州の下に結集していた志士たちも非業の死を遂げていく。直接的には、土佐の吉村寅太郎の天誅組の変は壊滅、七卿落ちに付き添ったのも土佐の牢士たちであった。

藩政吉田東洋暗殺(1862年4月)後、土佐の藩政を握っていた武市半平太の土佐勤王党政権が前藩主山内容堂によって瓦解させられ、多くの志士たちが逮捕処刑され、ついには武市も逮捕・投獄される(9月)。多くの仲間が切腹・斬首される中、武市は1年以上抵抗を続けた末に壮絶な横三文字の切腹を遂げる(1865年閏5月)。

司馬さんは、山内容堂が嫌いなようで、「自称名君の容堂は、幕末で最もはなばなしい暗君だったとも言えるかもしれない。略。要するに政治家容堂の本質はお調子者なのである。略。英雄、容堂はひとり英雄的に悲壮がり、喜劇を演じつつあった。その喜劇のためにこれからも幾人もの人間が死んでゆく。貴族は馬鹿でいい。貴族が利口過ぎるのはかえって害が大きいことが多い。272ページ」と厳しく批判している。俺も土佐藩(上士、山内侍)は差別意識の強さで印象が暗くて嫌いだ。

多くの仲間の非業の死、逮捕、瓦解に悲憤しながら、竜馬はまだ動かない。勝の紹介で江戸に向かい幕臣大久保一翁(忠寛)に会い、ついに幕府艦の観光丸(400トン)を一介の脱藩牢人の身で神戸海軍塾に借り受けることになる。京都では、徳川氏と薩摩・会津が主導権を握り、一方で手負いの猛獣長州が京都への再起を狙っている。いよいよ時勢が煮詰まってきている。結局、この第四巻は、ほとんどを文久3年(1863)だけで終始した。

文久3年(1983)大晦日、竜馬は、幕府の観光丸に乗って江戸で抜錨した。超多難の元治(がんじ、げんじ)元年(1964)を迎える。大坂で勝にあった竜馬は、勝の外国艦隊の長州攻撃を抑える交渉に付いて長崎に行く。坂本竜馬と言えば、長崎だが、実はこの時が初めてである。長崎の向こうには上海がある。竜馬の目は海の向こうに向いている。

勝海舟大学の学生竜馬を育てるため、勝は竜馬を熊本へ連れてゆき横井小楠に会わせる。竜馬の視野は、単なる佐幕家や勤王家とまるでちがう、世界情勢の中から日本の置かれている位置を知りどうすべきか、という<世界観>を持つようになる。勝海舟、横井小楠、佐久間象山ら極めてまれな少数派になっていく。

【内容紹介】志士たちで船隊を操り、大いに交易をやり、時いたらば倒幕のための海軍にする―竜馬の志士活動の発想は奇異であり、ホラ吹きといわれた。世の中はそんな竜馬の迂遠さを嘲うように騒然としている。反動の時代―長州の没落、薩摩の保守化、土佐の勤王政権も瓦解した。が、竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れたのであった。
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200517 【社説】検察庁法改正 やはり撤回しかない ;【意見書全文】東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書

2020年05月17日 15時18分00秒 | 考える資料
5月17日(日):    

このまま、コロナ問題を前に茫然自失で有効な対処を何もできない、保身しか考えていない愚か者を頂いて、”第1波”よりも圧倒的に致死率の高いコロナ・ウイルスの”第2波”を迎えて、地獄絵図を目の当たりにするつもりなのか? アベの自民党と創価学会、インチキ維新を支持できる大勢?の連中は人生を台無しにされて、死ななくてもよかった病死、死ななくてもよかった経済破綻・自殺に追い込まれて、まだ支持してアベと創価学会を延命させるのか? 今は政権交代がどうしても必要な時だ、と思う。

朝日デジタル【社説】検察庁法改正 やはり撤回しかない
2020年5月16日 5時00分

 いったい何のために、そしてどんな場合を想定して、法律を変えようとしているのか。市民が抱く当然の疑問に、政府はまったく答えようとしない。いや答えられない。こんな法案は直ちに撤回すべきだ。
 検察庁法改正案を審議する衆院内閣委員会に、きのう森雅子法相がようやく出席した。
 検事長ら検察幹部を、その職を退く年齢になっても政府の裁量でとどめ置けるようにする。そんな規定を新設することの是非が、最大の焦点だ。
 野党は、法改正が必要な事情や政府が判断する際の基準を明らかにするよう求めた。だが法相から中身のある説明は一切されなかった。用意したペーパーをただ読み上げるだけで、約束したはずの「真摯(しんし)な説明」にはほど遠い答弁ぶりだった。
 戦後つくられた検察庁法は「検事総長は65歳、その他の検察官は63歳で退官」と定め、年齢以外の要素を排除している。政治が介入する余地を残すことで、職務遂行の適正さや検察の中立性が損なわれるのを防ぐためだ。このルールは、1月末に安倍内閣が東京高検検事長の定年延長を決めて留任させるまで、例外なく守られてきた。
 法案は今回の「特例」を制度化するもので、検察官のありようの根源的な見直しとなる。政府はその詳しい理由とあわせ、延長を認める具体的な基準も示して、国会の審議を仰ぐのが筋だ。だが法相は「これから適切に定める」と繰り返し、理解を求めた。そんな白紙委任のようなまねができるはずがない。
 法相に限らない。安倍首相は「検察官も行政官であることは間違いない」と述べ、内閣の統制に服するのを当然のようにいう。司法と密接に関わり、政治家の不正にも切り込む検察の使命をおよそ理解していない。
 時の政権が幹部人事への影響力を強めることが、検察をどう変質させ、国民の信頼をいかに傷つけるか。きのう松尾邦弘・元検事総長ら検察OB有志が、改正案に反対する異例の意見書を法務省に提出したのも、深刻な危機感の表れだ。
 与党の対応も厳しく批判されねばならない。答弁に不安がある法相を委員会に出席させず、野党欠席のまま審議を進めたり、「国民のコンセンサスは形成されていない」とツイートした泉田裕彦議員を、内閣委員会から外す措置をとったりした。
 国会は議員それぞれの視点をいかして法案を精査し、国権の最高機関として内閣を監視する責務を負う。異論をもつ者を排除し、政権に追従する姿は「言論の府」の正反対をゆく。
 このまま採決を強行するようなことは、決して許されない。


朝日デジタル【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿
2020年5月15日 16時14分

(写真)検察庁法改正案に反対する意見書を手に、法務省へ向かう松尾邦弘・元検事総長(右)と清水勇男・元最高検検事=2020年5月15日午後3時2分、東京都千代田区、林敏行撮影

 検察庁法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長(77)ら検察OBが15日、法務省に提出した意見書の全文は次の通り。
    ◇
 東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書
 1 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている。
 検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間である2年が終了する8月初旬までに勇退させてその後任に黒川氏を充てるための措置だというのがもっぱらの観測である。一説によると、本年4月20日に京都で開催される予定であった国連犯罪防止刑事司法会議で開催国を代表して稲田氏が開会の演説を行うことを花道として稲田氏が勇退し黒川氏が引き継ぐという筋書きであったが、新型コロナウイルスの流行を理由に会議が中止されたためにこの筋書きは消えたとも言われている。
 いずれにせよ、この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている。
 2 一般の国家公務員については、一定の要件の下に定年延長が認められており(国家公務員法81条の3)、内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定したものであるが、検察庁法は国家公務員に対する通則である国家公務員法に対して特別法の関係にある。従って「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される。定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。これは従来の政府の見解でもあった。例えば昭和56年(1981年)4月28日、衆議院内閣委員会において所管の人事院事務総局斧任用局長は、「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言しており、これに反する運用はこれまで1回も行われて来なかった。すなわちこの解釈と運用が定着している。
 検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。検察官の責務は極めて重大であり、検察官は自ら捜査によって収集した証拠等の資料に基づいて起訴すべき事件か否かを判定する役割を担っている。その意味で検察官は準司法官とも言われ、司法の前衛たる役割を担っていると言える。
 こうした検察官の責任の特殊性、重大性から一般の国家公務員を対象とした国家公務員法とは別に検察庁法という特別法を制定し、例えば検察官は検察官適格審査会によらなければその意に反して罷免(ひめん)されない(検察庁法23条)などの身分保障規定を設けている。検察官も一般の国家公務員であるから国家公務員法が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たないのである。
 3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
 ところで仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。
 加えて人事院規則11―8第7条には「勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の1に該当するときに行うことができる」として、①職務が高度の専門的な知識、熟練した技能または豊富な経験を必要とするものであるため後任を容易に得ることができないとき、②勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、③業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき、という場合を定年延長の要件に挙げている。
 これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。
 現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出される(会社法違反などの罪で起訴された日産自動車前会長の)ゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。
 4 4月16日、国家公務員の定年を60歳から65歳に段階的に引き上げる国家公務員法改正案と抱き合わせる形で検察官の定年も63歳から65歳に引き上げる検察庁法改正案が衆議院本会議で審議入りした。野党側が前記閣議決定の撤回を求めたのに対し菅義偉官房長官は必要なしと突っぱねて既に閣議決定した黒川氏の定年延長を維持する方針を示した。こうして同氏の定年延長問題の決着が着かないまま検察庁法改正案の審議が開始されたのである。
 この改正案中重要な問題点は、検事長を含む上級検察官の役職定年延長に関する改正についてである。すなわち同改正案には「内閣は(中略)年齢が63年に達した次長検事または検事長について、当該次長検事または検事長の職務の遂行上の特別の事情を勘案して、当該次長検事または検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日において占めていた官及び職を占めたまま勤務をさせることができる(後略)」と記載されている。
 難解な条文であるが、要するに次長検事および検事長は63歳の職務定年に達しても内閣が必要と認める一定の理由があれば1年以内の範囲で定年延長ができるということである。
 注意すべきは、この規定は内閣の裁量で次長検事および検事長の定年延長が可能とする内容であり、前記の閣僚会議によって黒川検事長の定年延長を決定した違法な決議を後追いで容認しようとするものである。これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)。検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。
 今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる。
 5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。
 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。
 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても(1954年に犬養健法相が指揮権を発動し、与党幹事長だった佐藤栄作氏の逮捕中止を検事総長に指示した)造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。
 事件の第一報が掲載されてから13日後の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。
 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は塩野宜慶(やすよし)氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣は三木武夫氏であった。
 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。
 しかし検察の歴史には、(大阪地検特捜部の)捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

 【追記】この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友のみに呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところをなにとぞお酌み取り頂きたい。

 令和2年5月15日
 元仙台高検検事長・平田胤明(たねあき)
 元法務省官房長・堀田力
 元東京高検検事長・村山弘義
 元大阪高検検事長・杉原弘泰
 元最高検検事・土屋守
 同・清水勇男
 同・久保裕
 同・五十嵐紀男
 元検事総長・松尾邦弘
 元最高検公判部長・本江威憙(ほんごうたけよし)
 元最高検検事・町田幸雄
 同・池田茂穂
 同・加藤康栄
 同・吉田博視
 (本意見書とりまとめ担当・文責)清水勇男

 法務大臣 森まさこ殿
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200515 再掲:150808 諸悪の根源は、橋下徹だ!次いで慎太郎、次いで野田と前原の民主党 下っ端安倍ガキと一緒に消えろ!

2020年05月15日 19時46分25秒 | 一年前
5月15日(金):    

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」(マハトマ・ガンジー)

200426 俺の<橋下徹>観:対策を語っているように見せかけて論点をずらし、本質的解決から目先のフェイクに人々の目を引き付ける。批判している振りをして、現政権に対して甘い有利な流れ・雰囲気を作って、権力者に阿っておこぼれをもらうのがハシシタ流の行動原理。ホンネを言ってるようでいて実は弱者を踏みにじって強者に存在感を示しながらゴマをする。そのために今日もキャンキャン、明日もキャンキャン、威圧的に大声で吠え続ける。権力者におこぼれをねだる。また、こんなクズに乗せられて付いていく馬鹿がいる。

150808 諸悪の根源は、橋下徹だ!次いで慎太郎、次いで野田と前原の民主党 下っ端安倍ガキと一緒に消えろ!
2015年08月08日 13時37分59秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

2015年8月8日(土):

長いつぶやきです。 毎日、少しずつ滓のように頭の隅に溜まっていく漠然と言葉にならない言葉を何とか言葉にしてみました。言い尽くせるわけはないですが、ご笑覧ください。

 世襲でない政治家が力を発揮できない仕組みが日本にはある。世襲なしに政治家になった連中が選べる道は、政治家としての延命よりも支持者の声に耳を傾け、誠心誠意、少しでもなすべきことをなす努力をして、だめなら潔く足を洗うか、表舞台から退場して同志を支える側に回る。もう一つは、徹底的に内向きになって、国民よりも党の世襲実力者の考えを忖度して阿り、その世襲門閥勢力の末席に入れてもらい上昇を試みるが、その際自己の政治家としての信念・信条を完全に放棄することが求められるのは当然と割り切って活動を続ける政治屋となる。

 プラスの中にマイナスがあり、被害者が加害者でもある。民主主義の中にも弊害はある。その弊害が顕著に表れたのが、内田樹師匠の言う「選挙で選ばれれば、それが民意であり、選ばれた自分は何をしてもよい。気に食わないなら、国民は自分を自由に落選させればよいのだから」という株式会社のCEO気取りの政治屋が蔓延したことだろう。しかし、この言葉にもまだ嘘がある。いったん権力を握ったCEO気取りの政治屋は、その権力を国民のためにではなく、自分のために全力で使い始め、守りを固め、正しい議論を言いくるめ、血祭りにあげてつぶし始めるのだ。

 こういった風潮のきっかけとなる最も大きな戦犯は、大阪市長の橋下徹だ。大阪府民も大阪市民も横山ノック程度だったらシャレで済んだのだが。見ての通り橋下は思想的背骨のない弁護士・法律屋という最も悪質な政治屋だったのだ。こいつは「自分の言ってること、やってることの間違いを十分に分かった上で、はじめはそろりそろりと安全運転、そして意外にも自分の扇動的なスタンドプレイが大阪府市民に「新鮮な政治」と勘違いされているのを確認。ジリノフスキー慎太郎がそれを利用しようとするのを逆に利用して急速に成り上がる。

 この辺は、株の売買という虚業で儲けた金を大急ぎで実のある企業活動に転換しようとする成り上がり実業家の姿を彷彿とさせる。ただそれ自体は悪いことではない、いけないのはその成り上がりが世のため人のためではなく自分の私利私欲に走りながら、結果に対する責任意識は「俺を(落選させられるものなら)落選させて辞めさせればいい。それで責任はとれる。」と単純に考えていることだ。しかし、これはたちの悪い居直りに過ぎない。

 選良たる政治家には、自己を犠牲にしてでも国や社会の未来への責任、反映されにくい地方や弱者の声をすくい取る責任があるのだ。換言すれば、橋下タイプの政治屋には「ノブレス・オブリージュ」意識が決定的に欠けているのだ。欧米では、貴族の子弟こそが戦場で最も危険なところに身を置き、率先して戦死するのが当然という「ノブレス・オブリージュ」の常識がある。この理念は洋の東西を問わないはずだ。しかし、今の日本の政治家には決定的に(意識的に)忘れ去られている。異常だ。

 やがて、知能も知性も低いが門閥意識とコンプレックスだけは強烈でカタカナ大好き「最も政治家になってはいけない」資質を持つ世襲バカ安倍が橋下の模倣を始めることで政治は大きくゆがみ始める。ノブレスに生まれながら、イエスマンのお友達(?低レベルには低レベルの類しか寄らない)しか周りに置かない安倍にとって、橋下が示した「確信犯的利己主義政治屋」像は、「ノブレス・オブリージュ」の呪縛から解放してくれる恰好の免罪符を与えることになった。

 かくして頭の中身がカオス(混沌)のまま、祖父への妄執だけしかない安倍が走り始める。言い訳と救いを求めて安倍が橋下に接近すると、橋下は「安倍応援団」を自称して急速に安倍との関係を深めていく。橋下にとって、安倍のファシズム的政治思想は何の障害でもない。橋下にあるのは、虚業的自己の存在を、実態ある権力に変換することだけが目的であって、当然国民生活や日本の未来に何の関心もない。「大阪都構想」なんて全くの方便に過ぎない。それは府知事の松井某も、大阪維新の政治屋どもも何ら変わらない。老舗の自民党に入りたいが、家柄も学歴も知性も足りない烏合の衆だ。

 安倍との関係を深めた橋下は、政治屋としての確信を深めて、扇動的言動をエスカレートさせていく。橋下の野心の中には国民生活にも日本の未来にも何の関心もない。しかし、大阪の人々や日々の生活に追われ、政治を深く考えられない「大衆」は橋下に実行力のある政治家の虚像を重ね合わせてしまった。昨日より今日、今日より明日の生活が良くなる政治を求めるべきなのに、日々の暮らしのきつさの中で政治に「変化」だけを求めるようになる。古代ローマのように政治家に「パンと見世物」だけを求めるようになる。地道に地方や弱者に寄り添い、見栄えはしなくても必要な取り組みを重ねていく政治がバカにされて、サーカスのように非日常的な空中戦を見せる橋下に期待が集まるようになった。

 橋下の敵と味方を分ける善悪二元論的な単純化された政治が支持を集める中で、「自分がやってることがまともな政治ではない」という自覚すらも持たない、または「そんな自覚は持つ必要ない」と考える追随者が、安倍晋三をはじめとしてどんどん増殖していく。地道なまじめさをバカにする政治とも言えないあさましい風潮の中で、政治家として時流に乗るためには「政治信念」なんて持ってはいけない。大切なことはいかにして権力者に気に入ってもらえるかだ、と考える安直な政治屋が巷に溢れていく。滋賀4区の恥部武藤貴也なども結局そういうあさましい文脈の中から現れた申し子である。我々国民の最大の義務は、こういった政治屋どもの普段の言動をしっかりと覚えておいて忘れないで選挙の時にしっかりと<落選運動>を起こすことだ。国民を舐め切った政治屋どもに「国民舐めんな!」としっかりレッドカードを示して退場させることだ!

 以上の中には、表に現れないもう一つの主役が隠れている。それが、野田汚物と前原詐欺師、長島戦争屋を隠して抱え込んでいる民主党だ。今の民主党は、<第二自民党>にしか見えない。共産党の支持率が以前より格段に上がっていることが、国民の中に自民・公明以外の選択肢を求める多くの声の表れであることは明白なはずだ。共産党が単独で政権をとることは不可能だ。連立も無理だろう。今、自民党以外で政権を担えるのは、民主党を中心とした連立政権のみだ。自民党の<分断と切り捨ての政治>に対抗して、なぜ今民主党は鳩山政権成立の原動力になった人間に優しい<包摂の政治>の原点に立ち返らないのか。

 <包摂の政治>の旗を掲げ、信頼されるようにきちんと説明責任を果たせば、まず間違いなく民主党主体の政権が成立する。英断をもって、小沢一郎の生活の党、社民党としっかり連立を組めば、間違いなく政権はとれる。そのためにやるべきは、松下政経塾の野田、前原、長島らとしっかり話し合って円満に手を切ることだ。早く彼らに維新の党に行っていただくことだ。どうしても彼らと手を切れないのであれば、もう一度「生活の党」の小沢一郎代表に頭を下げて手を組むことだろう。それが最低限の条件だ。できなければ、結局国民は民主党を信用できない。政治は混迷し、日本と国民は地獄に落ちる。

 政権を取れるのに、国民の声に応えて、政権をとれる体制を作るために誰も汗をかこうとしないリーダーシップ不在の民主党の迷走こそが、現在安倍・麻生や橋下をはじめ滋賀4区の恥部武藤貴也など信じられないほどの政治的外道が跋扈している元凶と言って間違いはない。第二自民党から脱皮できないのであれば、民主党は早急に解党すべきだ。橋下徹安倍晋三民主党(第二自民)の悪魔のトライアングルの中で日本は沈没していくのだ。

追記:ここまで書いて、橋下徹と堀江貴文の言動の近似性が強く思い起こされた。要は「ノブレス・オブリージュ」の自覚なき成り上がり者であり、自分に甘く他人に厳しく、冷たい人間である。
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9 048 司馬遼太郎「竜馬がゆく(三)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月14日 02時02分18秒 | 一日一冊読書開始
5月13(水):  

414ページ       所要時間8:40         蔵書

著者40歳(1923生まれ)。

昨日も今日も朝から夕方まで仕事に行っている。昨日3:20、今日5:20で一気に読み上げた。これは俺の努力ではなくて、作品の力である。速読にはならないが、本と向き合っているのが苦でないどころか、楽しいのだ。読みやすさもあって、ちょうどお気に入りのテレビ・ドラマを眺めているような気分というのか、こんな感覚はかなり珍しい。

文久2年(1862)の初め、土佐を脱藩した竜馬が京都に行き、島津久光の卒兵上京で起こった薩摩藩士同士の凄絶な寺田屋騒動に出遭う。出羽牢人清川八郎と江戸に下り、土佐藩邸そばの桶町千葉道場に逗留する。生麦事件の話、勝海舟のうわさなどを耳にしながら、やがて単純な尊王攘夷にかぶれた千葉重太郎と二人で勝海舟を斬りに氷川邸を訪ねていく。勝が語る話に魅了される。

斬りかかろうとする千葉重太郎の機先を制して竜馬が勝海舟に弟子入りをする。勝の口利きで夢にまで見た軍艦操練所に研究生として身を置く。そこで幕府教授方となっていた中浜万次郎にも出会う。万次郎も土佐の河田小竜(「漂巽紀略」)を通じて竜馬を知っていた。

勝の誘いで幕府艦船順堂丸に重太郎とともに乗船し、大阪に行き、そこで勝の警護を天下の千葉道場主の重太郎にやらせて、竜馬自身は京都に向かう。京都は、天誅の嵐とともに長州藩や土佐藩武市党がにわかに公家を掌握して京都政権の主導権を握りつつあった。一方で、面倒見の良い勝が、山内容堂に直談判して、盃を交わしながら竜馬の脱藩の罪を赦免する約束を取り付けてくれる。また、政治総裁職(幕閣の首相)松平春嶽にも竜馬を紹介してやる。

勝海舟との出会いで、急速に見えてきた竜馬独自の世の中(日本)を変える道、身分のない平らかな世をつくるために竜馬の私設海軍への第一歩、神戸海軍塾設立に京都・伏見や越前福井(殿様から5,000両を調達)、兵庫などを駆け回っていく。そんな中、京都で火事に会って家族離散の危機にあった”お竜(りょう)さん”に出会って電撃的恋に落ち、彼女の急場を助け、お竜さんを伏見の寺田屋のお登勢さんに預けたり、当時尊攘派の”人斬り”と恐れられた岡田以蔵に勝海舟の護衛をさせたり、と話題に事欠かない。。

いよいよ司馬さんが創り上げて、定着した<坂本竜馬伝説>の佳境が始まったのだ。事実に基づく創作だとわかっていても、司馬さんの紡ぎだす物語りは読んでいて実に爽快で楽しい。手元に歴史学研究会編「日本史年表」(岩波書店)を開きながら読んでいるのだが,400ページを超す本書一冊を読んでも文久3年(1863)の半ばであり、まだ長州藩の5月10日下関砲撃も、7月の薩英戦争も出てこない。残り5巻で文久3年(1863)半ば~慶応3年(1867)わずか5年弱が描き出されるのだ。まさに<竜馬伝説>ワールドのカーテンが揚がろうとしている。

ちなみにドラマ「JIN-仁1・2」の世界は「脱藩牢人の坂本龍馬」が活躍するこの第三巻以降と重なることになる。しかし、改めてこの本を読んで、坂本龍馬の忙しさを目の当たりにして、南方仁や花魁の野風らとあんなに濃厚な関係をむすぶ暇はとてもないと思ってしまうのだが……。と、つぶやくのも楽しみなのだ。

【内容紹介】浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。勝との触れ合いによって、竜馬はどの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始める。生麦事件など攘夷論の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならないとひそかに考える。そのために「幕府を倒さねばならないのだ」とも。
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9 047 司馬遼太郎「竜馬がゆく(二)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月12日 01時31分29秒 | 一日一冊読書開始
5月11日(月):  

425ページ       所要時間7:50         蔵書

著者40歳(1923生まれ)。

安政5年(1858)24歳の竜馬は、私費留学生としての江戸での期間を終え、土佐に帰る。すでに安政の大獄が始まっている。帰途の東海道で水戸家から三条家に宛てた密書を携えた公家侍の護衛をする羽目になるが、手紙を託されて公家侍は捕縛される。それをきっかけとして竜馬の国事への意識が具体的な形をとり始める。京都で三条家に仕えるお田鶴様と会い、国元に帰る。

土佐の山内侍の上士による長曾我部侍の下士(郷士)に対する差別意識の強さは、三百諸侯で土佐のみといわれるほど時代遅れでひどいものだった。そんな中でも武市半平太(瑞山)と坂本龍馬というリーダーを持った下士(郷士)たちは、武市の呼びかけによって土佐勤王党を結成する。竜馬もその中で、土佐を出て、丸亀藩や長州藩へ視察・政治活動の旅に出かけたりする。

土佐は藩政吉田東洋、長州は家老長井雅楽(うた)、薩摩は国父島津久光がいずれも佐幕派で、尊王攘夷運動は暗礁に乗り上げている。やがて土佐藩全体を勤王討幕に変えようと考える武市らは藩政吉田東洋の暗殺をめざし、文久2年(1862)実行するが、竜馬は土佐藩の上士・下士の協力の実現に見切りをつけて、それより半月前に土佐を脱藩をする。竜馬脱藩に際し、次姉お栄は自殺し、三姉乙女は離縁した。

司馬遼太郎の小説家としての能力が最も躍動している作品なのだろう。群像劇として非常に厚みと奥行きのある物語りに仕上がっている。何より後年の司馬さんの作品に比べて非常に読みやすい。長時間はかかっても、あくまでもそれは時間だけの問題であって、読み続けること自体には不思議なほど苦痛はない。楽しいドラマを見ているようだ。司馬さんの筆力は勿論だが、幕末は俺にとって本当にホームグランドなんだと思う。

【内容紹介】黒船の出現以来、猛然と湧き上ってきた勤王・攘夷の勢力と、巻き返しを図る幕府との抗争は次第に激化してきた。先進の薩摩、長州に遅れまいと、固陋な土佐藩でクーデターを起し、藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に、限界を感じた坂本竜馬は、さらに大きな飛躍を求めて、ついに脱藩を決意した。
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200510 #検察庁法改正案に抗議します(もみ)/政権を握る者の犯罪はすべて見逃されることになる(前川喜平)

2020年05月10日 23時05分07秒 | 時代の記憶
5月10日(日):  前川喜平氏     小泉今日子氏
デイリースポーツ前川喜平氏、定年延長で渦中の黒川氏に「辞めるに辞められぬ事情があるのでは」と推測
5/10(日) 13:14配信

 元文部科学事務次官の前川喜平氏が10日夜、ツイッターに新規投稿。黒川弘務・東京高検検事長(63)の定年延長を閣議決定し、今月8日から改正案の委員会審議が与党の強行で始まったことを受け、「政権を握る者の犯罪はすべて見逃されることになるだろう」と危惧し、黒川氏については「辞めるに辞められぬ事情があるのでは」と推測した。
 前川氏は「黒川氏が普通の常識人なら、これだけ批判を浴びれば自ら身を引くはずだ。辞めるに辞められぬ事情があるのではないか」と、その背景を指摘。その上で「アベ首相はどうしても彼を検事総長にしたいのだ。彼が政権の傀儡になってくれるからだ。政権を握る者の犯罪はすべて見逃されることになるだろう」とつづった。


SmartFLASH検察庁法の改正に抗議殺到…小泉今日子ら有名人の意見まとめ
5/10(日) 20:41配信

 現在、ツイッター上で「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけた投稿が相次いでいる。改正は、検察官の定年を65歳に引き上げ、内閣の判断で検察幹部の「役職定年」を延長できるようにするもの。2020年1月、検察トップで「政権寄り」とされる黒川弘務検事長を異例に定年延長させた経緯もあり、強い危機感が共有されているのだ。
 5月8日に審議が始まったが、9日夜から急激にツイート数が伸びた。ハッシュタグをつけた投稿は10日午後の時点で380万件を超えるなど、大きな広がりを見せている。普段は政治的な発言を避ける方向にある芸能人や有名人たちからも、次々に抗議の声が上がった。以下で、その内容を順不同で見てみたい。
※追加:その数は10日夜までに470万件を超えた。(朝日デジタル

■小泉今日子(女優) 自身の事務所「明後日」のアカウントで、《#検察庁法改正案に抗議します》と投稿。その後も《もう一度言っておきます!#検察庁法改正案に抗議します》などと、繰り返しハッシュタグを投稿している。
■城田優(俳優)《大事なことは、ちゃんと国民に説明してから、順序に則って時間をかけて決めませんか? そんなに急ぐ必要があるんですかね》
■井浦新(俳優)《もうこれ以上、保身のために都合良く法律も政治もねじ曲げないで下さい。この国を壊さないで下さい》
■松尾貴史(俳優)《明らかに自分とその周辺の訴追から逃れるためとしか考えられないコロナ場泥棒的悪辣をこれ以上許してしまったら、不可逆的に国が破壊されてしまいます。 なぜ法務大臣が「審議拒否」するような悪法を強行しようとするのかは明白》
■古舘寛治(俳優)《独裁国家よりも民主主義の方がずっとマシなので、どうあっても #検察庁法改正案に抗議します》
■西郷輝彦(俳優)《これはダメですよ》
■宮本亜門(演出家)《このコロナ禍の混乱の中、集中すべきは人の命。どうみても民主主義とはかけ離れた法案を強引に決めることは、日本にとって悲劇です》
■水野良樹(『いきものがかり』メンバー)《どのような政党を支持するのか、どのような政策に賛同するのかという以前の問題で、根本のルールを揺るがしかねないアクションだと感じています》
■SUGIZO(ミュージシャン)《検察庁法改正案、種子法種苗法、緊急事態条項。どれも恐ろしい。全く賛成できない。 けど、せめてそれらの討論は新型コロナ終息後にするべきではないの? 今じゃないでしょう?》
■村本大輔(芸人)《検察という番犬を飼い慣らして、自分達を逮捕できないような仕組みを作ろうとしてるとしか思えない》《しかもコロナで国民が生活という目の前のことに盲目になってるドサクサにまぎれてコソっと通そうとしてるところに姑息さを感じる》
■けらえいこ(漫画家、『あたしンち』作者)《ダメだと思う》というツイートとともに、『あたしンち』のキャラクターである母が「だめ!」と制止しているイラストを投稿。
■二ノ宮知子(漫画家、『のだめカンタービレ』作者)《これが通ったら政権はもう正しさを語れないんじゃないかな》
■俵万智(歌人)《#今日のアテ そんなんばっかりつぶやいていたかったけどこれはあかんわ》
 このほか、元AKB48で女優の秋元才加、俳優の浅野忠信、タレントの大久保佳代子、ミュージシャンのきゃりーぱみゅぱみゅ、漫画家の羽海野チカ、漫画家のしりあがり寿らが、ハッシュタグのみ投稿し、抗議の意を表明している。騒動はまだまだ収まりそうにない。
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9 046 司馬遼太郎「竜馬がゆく(一)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月10日 01時54分12秒 | 一日一冊読書開始
5月9日(土):  

430ページ       所要時間8:10        蔵書

著者40歳(1923生まれ)。

40年近く前(高校?大学?)に読んだ本の再読。改めて司馬遼太郎の小説の読みやすさ、醍醐味を感じることができた。時間をかけて読み返しながら、次の展開がすぐに頭に浮かんできて、自分が今もこの小説の内容をよく覚えていることが分かった。若い時代の読書というものは、影響も大きいが、内容も案外と忘れないもののようだ。

20代・30代の俺にとって坂本龍馬はまさに幕末の英雄だった。それが、仕事などで一通りの辛酸を経験し終えた40代頃から坂本ではなく、西郷隆盛に強く魅かれるようになった。それとともに、竜馬に対する認識は縮小しはじめ、司馬さんによって創作された英雄に過ぎない、と見るようになっていった。

最近、ドラマ「JIN-仁」(2009・2010)の再放送に刺激されて、DVD録画すべてを見直した。内野聖陽の坂本龍馬が実に魅力的に演じられていた。もう一度、坂本龍馬の存在に触れてみたくなった。であれば、もう一度司馬さんに戻ろう。どうせ騙されるのであれば、もう一度司馬さんに騙されよう、と思った。読んでみると、「こんなに面白かったのか。坂本龍馬が日本史の英雄になるのは当然だ」と思うほど、読みやすくて、面白い小説になっていた。

50代の名作、傑作を連発していた頃の作風が、社会状況、時代背景を克明に積み重ねることによって人物を浮かび上がらせ、登場人物のセリフを極端に省略していく司馬さん独特の手法だったのに対して、40代に書かれた「竜馬がゆく」ではセリフや余計な人物(ex.寝待ちの藤兵衛etc.)などもふんだんに登場して、まさに面白い歴史小説になっている。逆に、50代でセリフを極端に省略するようになったのは、まさにその作業自体が司馬さんにとって大きな負担になっていたのかもしれないと思う。

読みながら竜馬に内野聖陽(もう少し背丈が欲しいが…)、桶町千葉道場の道場主千葉重太郎の妹さな子を綾瀬はるかをイメージするとすごく楽しい気分で読むことができた。ドラマ「JIN-仁」の人物像の背景に「竜馬がゆく」の影響が濃厚であることはほぼ確信できる。

「竜馬がゆく」で司馬さんは彼の持つ当時の社会、各人物に対するイメージをセリフという形でわかりやすくするために落とし込む作業を非常に丁寧に行っている。セリフを通じて、その人物の人柄などを想像しやすい。その意味で、司馬さんの小説における創作は、創作であっても事実をより分かりやすく読者に伝えるための努力・工夫であり、創作を歴史的事実として覚え込む人がいても、あながちそれによって人物や事件に対する誤解につながらないでむしろ、深い理解につながる気がした。ある意味、司馬さんの非常に高度な創作の危険性はそういうところにあるのかと思う。

俺の坂本龍馬像の原点が本書にあることはほぼ間違いはない。俺の幕末のイメージは、「花神」「世に棲む日日」「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」「峠」「燃えよ剣」などにある。やはり、幕府側の視点が弱いことは否めない。俺の中には、今さら史実に迫る大変さを抱え込むよりも、もう一度司馬さんの小説を読み返して「司馬さんに騙されれば本望、悔いなし」というところがある。

第一巻の物語りは、嘉永6年(1853年)土佐の大金持ちの郷士坂本家の末っ子竜馬19歳が、故郷の土佐から剣術修行の私費留学生として江戸に行き、二度のペリー来航の黒船騒ぎに出遭い、北辰一刀流の大免許皆伝を受け、桶町千葉道場の塾頭となる。安政4年(1857年)諸流試合で23歳の竜馬が、25歳の桂小五郎を強烈な鉄砲突きで打ち破ったところまで。さて一冊400ページの全八巻、活字も小さく読みづらいが、読み終われるものやら、どうやら。

【内容紹介】幕末維新史上の奇蹟といわれる坂本竜馬。土佐の郷士の次男坊、しかも浪人の身でありながら、大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。 竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く、大歴史ロマン。全8巻。 たびたびドラマ化もされ、現在の竜馬像はこの本で形づくられたともいえる、累計2500万部の国民的ベストセラー。

ウィキペディア『竜馬がゆく』糾弾事件
代表作『竜馬がゆく』で坂本龍馬による罵倒語として数ヶ所ちょうりんぼう(馬鹿め)!」との表現を用いた[89]。この記述が1983年9月16日、京都新聞夕刊の広告欄における伏見銘酒会の「銘柄クイズ」に引用されたのを機に問題視され、司馬は解放同盟から糾弾を受けた。このとき、司馬だけではなく、京都新聞やKBS京都放送、コピーの下請け制作を依頼した電通京都支局、さらには電通本社までが突き上げを受けている。
司馬に対する糾弾会は、1983年12月12日、京都の解放センターで開かれた。司馬は「知らなかった自分が恥ずかしい」と釈明し、「土佐弁では『ちょうりんぼう』は単なる罵倒語になっていると思っていた。被差別者が『』と呼ばれていたことは古くから知っていた。日本語を考え続けているつもりながら、とちょうりんぼうがつながっていることに気付かなかったことは、限りなく恥ずかしい」と述べた。
この事件の後、問題の箇所は「ばかめ!」と改められて刊行が続いている。

きちんと謝罪のできる司馬さんを俺は尊敬・信頼できる。ただ、「ちょうりんぼう(馬鹿め)!」の記述は巻末に解説を付した上で残しておいて欲しかった。ちなみに俺が読んだのは、1979年版なので記述はそのままである。


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200508 一事が万事だ!:内田樹「『マスクを配る』って言ってからもう5週間。検査件数一日2万件にすると言ってからももう4週間。」

2020年05月09日 01時52分43秒 | 時代の記憶
5月8日(金):   神戸女学院大名誉教授の内田樹氏

朝日新聞を熟読しても時代の問題点が漠然としてあやふやになるだけだが、日刊ゲンダイやリテラ、他スポーツ紙などのコラム記事を読むと端的に今が如何なる状態なのかがよくわかる。これは案外、現代メディアにおける本質的問題なのかもしれない。一般の人々は、俺も含めて、大新聞の詳細だけど、不親切な繰り返し記事よりも、切り口鋭く「今はこうだ。これはダメだ。」と端的に知らせてくれる記事を求めている。一事が万事、今の日本はアベは勿論だが、野党のエダノも終わっている。俺は山本太郎のれいわ新選組福島瑞穂の社会民主党を支持し続けるのみ。願わくは、れいわ、社民と共産党、立憲民主党が本気で覚悟を決めた共闘をしてほしい

デイリースポーツ内田樹氏“届かないマスク”で指摘 医療体制への予算組み替えは「無理でしょう」
5/8(金) 21:47配信

 数多くの著作で知られる神戸女学院大名誉教授の内田樹氏が8日、ツイッターに新規投稿。有田芳生参議院議員が「届かないマスクの予算を医療体制整備などに当てるべき」としたツイートに「無理でしょう」と返答した。
 有田氏は「練馬区に住んでいますが『アベノマスク』はまだ来ません。新宿の知人も『もういらないよ』と怒っていました。安倍政権の大失態を象徴するマスク問題です」とし、「その予算を医療体制整備などに当てましょう」と投稿。内田氏は「マスク2枚を各戸配布することさえできないような行政機関に、予算を組み替えて、より優先順位の高い使途に充当するなんていう、高い見識と決断力と交渉力とを要する事務作業ができるはずがない…と思いませんか?」と反応した。
 そのやり取りに先立ち、内田氏は「『マスクを配る』って言ってからもう5週間。検査件数一日2万件にすると言ってからももう4週間。これは『やる気がない』とか『下心があって遅らせている』のではないと思います」と投稿。「『お前やっとけよ』が順送りされているうちにどこかで消えてしまう。マスクの時社名が出なかったのも、誰も知らなかったからだと思います」などと指摘した。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)