5月15日(金):
「
あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」(マハトマ・ガンジー)
200426
俺の<橋下徹>観:対策を語っているように見せかけて論点をずらし、本質的解決から目先のフェイクに人々の目を引き付ける。批判している振りをして、現政権に対して甘い有利な流れ・雰囲気を作って、権力者に阿っておこぼれをもらうのがハシシタ流の行動原理。ホンネを言ってるようでいて実は弱者を踏みにじって強者に存在感を示しながらゴマをする。そのために今日もキャンキャン、明日もキャンキャン、威圧的に大声で吠え続ける。権力者におこぼれをねだる。また、こんなクズに乗せられて付いていく馬鹿がいる。
150808 諸悪の根源は、橋下徹だ!次いで慎太郎、次いで野田と前原の民主党 下っ端安倍ガキと一緒に消えろ!
2015年08月08日 13時37分59秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
(2015年)8月8日(土):
長いつぶやきです。 毎日、少しずつ滓のように頭の隅に溜まっていく漠然と言葉にならない言葉を何とか言葉にしてみました。言い尽くせるわけはないですが、ご笑覧ください。
世襲でない政治家が力を発揮できない仕組みが日本にはある。世襲なしに政治家になった連中が選べる道は、政治家としての延命よりも支持者の声に耳を傾け、誠心誠意、少しでもなすべきことをなす努力をして、だめなら潔く足を洗うか、表舞台から退場して同志を支える側に回る。もう一つは、徹底的に内向きになって、国民よりも党の世襲実力者の考えを忖度して阿り、その世襲門閥勢力の末席に入れてもらい上昇を試みるが、その際自己の政治家としての信念・信条を完全に放棄することが求められるのは当然と割り切って活動を続ける政治屋となる。
プラスの中にマイナスがあり、被害者が加害者でもある。民主主義の中にも弊害はある。その弊害が顕著に表れたのが、内田樹師匠の言う「選挙で選ばれれば、それが民意であり、選ばれた自分は何をしてもよい。気に食わないなら、国民は自分を自由に落選させればよいのだから」という株式会社のCEO気取りの政治屋が蔓延したことだろう。しかし、この言葉にもまだ嘘がある。いったん権力を握ったCEO気取りの政治屋は、その権力を国民のためにではなく、自分のために全力で使い始め、守りを固め、正しい議論を言いくるめ、血祭りにあげてつぶし始めるのだ。
こういった風潮のきっかけとなる最も大きな戦犯は、大阪市長の橋下徹だ。大阪府民も大阪市民も横山ノック程度だったらシャレで済んだのだが。見ての通り橋下は思想的背骨のない弁護士・法律屋という最も悪質な政治屋だったのだ。こいつは「自分の言ってること、やってることの間違いを十分に分かった上で、はじめはそろりそろりと安全運転、そして意外にも自分の扇動的なスタンドプレイが大阪府市民に「新鮮な政治」と勘違いされているのを確認。ジリノフスキー慎太郎がそれを利用しようとするのを逆に利用して急速に成り上がる。
この辺は、株の売買という虚業で儲けた金を大急ぎで実のある企業活動に転換しようとする成り上がり実業家の姿を彷彿とさせる。ただそれ自体は悪いことではない、いけないのはその成り上がりが世のため人のためではなく自分の私利私欲に走りながら、結果に対する責任意識は「俺を(落選させられるものなら)落選させて辞めさせればいい。それで責任はとれる。」と単純に考えていることだ。しかし、これはたちの悪い居直りに過ぎない。
選良たる政治家には、自己を犠牲にしてでも国や社会の未来への責任、反映されにくい地方や弱者の声をすくい取る責任があるのだ。換言すれば、橋下タイプの政治屋には「ノブレス・オブリージュ」意識が決定的に欠けているのだ。欧米では、貴族の子弟こそが戦場で最も危険なところに身を置き、率先して戦死するのが当然という「ノブレス・オブリージュ」の常識がある。この理念は洋の東西を問わないはずだ。しかし、今の日本の政治家には決定的に(意識的に)忘れ去られている。異常だ。
やがて、知能も知性も低いが門閥意識とコンプレックスだけは強烈でカタカナ大好き「最も政治家になってはいけない」資質を持つ世襲バカ安倍が橋下の模倣を始めることで政治は大きくゆがみ始める。ノブレスに生まれながら、イエスマンのお友達(?低レベルには低レベルの類しか寄らない)しか周りに置かない安倍にとって、橋下が示した「確信犯的利己主義政治屋」像は、「ノブレス・オブリージュ」の呪縛から解放してくれる恰好の免罪符を与えることになった。
かくして頭の中身がカオス(混沌)のまま、祖父への妄執だけしかない安倍が走り始める。言い訳と救いを求めて安倍が橋下に接近すると、橋下は「安倍応援団」を自称して急速に安倍との関係を深めていく。橋下にとって、安倍のファシズム的政治思想は何の障害でもない。
橋下にあるのは、虚業的自己の存在を、実態ある権力に変換することだけが目的であって、当然国民生活や日本の未来に何の関心もない。「大阪都構想」なんて全くの方便に過ぎない。それは府知事の松井某も、大阪維新の政治屋どもも何ら変わらない。老舗の自民党に入りたいが、家柄も学歴も知性も足りない烏合の衆だ。
安倍との関係を深めた橋下は、政治屋としての確信を深めて、扇動的言動をエスカレートさせていく。橋下の野心の中には国民生活にも日本の未来にも何の関心もない。しかし、大阪の人々や日々の生活に追われ、政治を深く考えられない「大衆」は橋下に実行力のある政治家の虚像を重ね合わせてしまった。昨日より今日、今日より明日の生活が良くなる政治を求めるべきなのに、日々の暮らしのきつさの中で政治に「変化」だけを求めるようになる。古代ローマのように政治家に「パンと見世物」だけを求めるようになる。地道に地方や弱者に寄り添い、見栄えはしなくても必要な取り組みを重ねていく政治がバカにされて、サーカスのように非日常的な空中戦を見せる橋下に期待が集まるようになった。
橋下の敵と味方を分ける善悪二元論的な単純化された政治が支持を集める中で、「自分がやってることがまともな政治ではない」という自覚すらも持たない、または「そんな自覚は持つ必要ない」と考える追随者が、安倍晋三をはじめとしてどんどん増殖していく。地道なまじめさをバカにする政治とも言えないあさましい風潮の中で、政治家として時流に乗るためには「政治信念」なんて持ってはいけない。大切なことはいかにして権力者に気に入ってもらえるかだ、と考える安直な政治屋が巷に溢れていく。
滋賀4区の恥部武藤貴也なども結局そういうあさましい文脈の中から現れた申し子である。我々国民の最大の義務は、こういった政治屋どもの普段の言動をしっかりと覚えておいて忘れないで選挙の時にしっかりと<落選運動>を起こすことだ。国民を舐め切った政治屋どもに「国民舐めんな!」としっかりレッドカードを示して退場させることだ!
以上の中には、表に現れないもう一つの主役が隠れている。それが、
野田汚物と前原詐欺師、長島戦争屋を隠して抱え込んでいる民主党だ。今の民主党は、<第二自民党>にしか見えない。共産党の支持率が以前より格段に上がっていることが、国民の中に自民・公明以外の選択肢を求める多くの声の表れであることは明白なはずだ。共産党が単独で政権をとることは不可能だ。連立も無理だろう。今、自民党以外で政権を担えるのは、民主党を中心とした連立政権のみだ。自民党の<分断と切り捨ての政治>に対抗して、なぜ今民主党は
鳩山政権成立の原動力になった人間に優しい<包摂の政治>の原点に立ち返らないのか。
<包摂の政治>の旗を掲げ、信頼されるようにきちんと説明責任を果たせば、まず間違いなく民主党主体の政権が成立する。英断をもって、小沢一郎の生活の党、社民党としっかり連立を組めば、間違いなく政権はとれる。そのためにやるべきは、松下政経塾の野田、前原、長島らとしっかり話し合って円満に手を切ることだ。早く彼らに維新の党に行っていただくことだ。
どうしても彼らと手を切れないのであれば、もう一度「生活の党」の小沢一郎代表に頭を下げて手を組むことだろう。それが最低限の条件だ。できなければ、結局国民は民主党を信用できない。政治は混迷し、日本と国民は地獄に落ちる。
政権を取れるのに、国民の声に応えて、政権をとれる体制を作るために誰も汗をかこうとしないリーダーシップ不在の民主党の迷走こそが、現在安倍・麻生や橋下をはじめ
滋賀4区の恥部武藤貴也など信じられないほどの政治的外道が跋扈している元凶と言って間違いはない。
第二自民党から脱皮できないのであれば、民主党は早急に解党すべきだ。橋下徹と安倍晋三と民主党(第二自民)の悪魔のトライアングルの中で日本は沈没していくのだ。
追記:ここまで書いて、橋下徹と堀江貴文の言動の近似性が強く思い起こされた。要は
「ノブレス・オブリージュ」の自覚なき成り上がり者であり、自分に甘く他人に厳しく、冷たい人間である。