もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

8 103 児玉幸多・宮沢嘉夫「ジュニア日本の歴史〈5〉武家と町人」(小学館:1978)感想特5

2019年08月31日 18時53分38秒 | 一日一冊読書開始
8月31日(土):  

274ページ      所要時間4:40      蔵書

児玉幸多 69歳(1909~2007:97歳)。
宮沢嘉夫 46歳(1932生まれ)。

読み返したのは何度目だろう?わからない。ジュニア版と侮ることなかれ! 基本テキスト

【目次】はじめに
第一章 将軍と大名の政治 :将軍とその家来/慶安の変と明暦の大火/元禄時代の世相/新井白石の改革/産業の発達/ゆたかな町人文化
第二章 幕府政治の立てなおし :享保の改革/飢饉と農民一揆/あたらしい思想/寛政の改革
第三章 武家社会のゆきづまり :文化文政時代/天保の改革/黒船の来航
世界の歴史(清帝国の成立から市民社会の発達まで)

【内容紹介】鎖国下の日本では、江戸幕府のもと、商人が力をつけ、町人による独自の文化がさかえる。しかし、しのびよる農村経済の変化と藩の財政難のさなかに、黒船が開国をせまる。
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190831 崩れていく日韓関係に想う。誰が悪いのか?→日本のアベとカスメディアが70%、韓国文在寅政権が20%、アメリカが10%悪い!

2019年08月31日 15時02分42秒 | 今、思うこと&意見
8月31日(日):

戦後最悪となった日韓関係の最大の原因が、アベという頭の悪いわがままで努力・勉強嫌いのガキンチョが7年間も政権にしがみつき続けてきたことにあるのは間違いない。

このガキの特に悪いところは、自分勝手なウソとゴマカシを平気でやり続けることだ。この政権下ではもはや日本のいかなる立て直しも不可能である。自民党・創価学会から政権交代した新たな政治勢力の政権は、創価学会の協力も得ながら、特にアベの不正とウソを徹底的に追究・断罪することによって一つずつ間違った政策を是正して、日本国の正常化、建て直しを図っていくしかない。前首相アベの膨大な不正・犯罪を素通りして日本の再興はあり得ない。

今回の状況について韓国に責任が全くないと俺は思はないが、それよりもやはり今の韓国を非常に気の毒に思っている。植民地支配の歴史をいじめに例えることの妥当性の是非はわからないが、植民地被害を受けた韓国と日本の関係を、いじめを受けた子といじめた子の関係に置き換えると俺には非常に整理しやすいので書いてみる。

まずいじめ(植民地支配)について、いじめを受けた子はひどく傷つき、死を考えるほど(実際、死んだ子も大勢いる)に追いつめられる。いじめた子は自らのいじめを大して自覚していない。場合によっては、自分が助けてやってるんだという気分になってる場合もある。やがて、いじめた子が叱られ、厳しい仲裁者(アメリカ)が間に入って、無理やり仲直り(日韓基本条約)をさせられる。本当はいじめた自覚も薄く、反省も十分できていないいじめた子は、ゴメンナサイと謝罪させられ、自分のおもちゃをいじめられた子に渡し(日韓請求権協定)、仲直りが成立する。

いじめた子は、自発的でないにせよ謝罪と賠償の手続きをしたことで、「このいじめの一件は清算された。もうこれで終わり」といじめの記憶を日常から早く消してしまおうとする。しかし、いじめによって一時は死をも考えるほど心に深い傷を受けた子には強いトラウマが残り続ける。いじめられたという記憶は、トラウマとしていつも傷口はジュクジュクとして乾かない。何かのきっかけでいつでも傷口はぱっくりと開く状態が強制的な仲直りの後も続く。いじめた子の記憶はすぐに消えても、いじめを受けた子の記憶は、死ぬまで消えることはない。

大事なことはいじめた子といじめを受けた子が仲裁を受けて仲直りをした後、空間的に離れてしまい日常的に接することが無ければそれで何とか済ませることができるのだが、皮肉にもこの二人は隣同士で毎日顔を合わせるどころか、お互いに助け合わねばならない関係にある。

欧州にもドイツという腕力の強いいじめっ子がいたが、叱られた後この子は塗炭の苦しみを与えた周りの子の痛み・苦しみと真摯に向き合い丁寧に謝罪を行った。そして、謝罪を誠実なものとするために「私はいじめた事実を決して忘れません。忘れないことこそが皆さんに対する私の真実の謝罪です。ごめんなさい。」と膝まづいた。周りの子どもたちは、当初疑いつつもドイツがいじめの事実を忘れない努力をすることが真実の謝罪だという努力を続ける姿を見て、彼を今度は自分たちの本当のリーダーと考えるようになる。

振り返って東アジアを見ると、心に深い傷を負い、トラウマに苦しんでいるいじめを受けた子は、それでもお隣さん同士協力して様々な問題を解決しなきゃいけないからと努力してきたが、やはりいじめた子の方が腕力は圧倒的に強いし、勝てない。くやしい。しかし、自分も努力して十分強くなってりっぱになってきたはず・・・。そんな中、かってのいじめっ子が勝手に「あの時は、いじめないと俺の方がいじめられたかもしれんし、仕方ないやろ」という本音もちらちら見えて、「あれは、ほんとにいじめやったんかなあ。まあ、謝った(謝らせられた)のは事実やし、もうええわ。おまえもいつまでもいじめられてたて引きずるなよ。俺も気分悪いし。」と無神経に言ってくるようになった。

いじめられた子は、いじめられたことを死ぬまで忘れることはできないが、自分では何とか「前を向いて仲良くしなければ」とガマンしてきた。けれど、相手が無神経に「いじめなんてもう昔のこと。もう忘れて前向きになろうぜ」などと上から目線で言ってくると、トラウマの心の傷がパカリと開いてしまう。そして、ガマンできない気分(文在寅政権)の時もある。それで、「君が、忘れても自分はやっぱり忘れるわけにはいかないこともあるんだ!」と言い返した。

すると、今のいじめっ子は勉強と努力が大嫌い。自分は平気でウソをついて卑怯なズルをするが、他人の苦労や心の痛みなどは小賢しく理屈をこねてはねつける。俺がいじめたのは確かだが、(いやいやだったが)きちんと「ごめんなさい」と謝罪して、おもちゃもあげたんだからもうあのいじめは終わったことだ。いつまでも「いじめられた、いじめられた」とぐじゅぐじゅひつっこく言われ続けるのは納得できない。そして、事もあろうにいじめを受けた子に対して「おまえひつこいねん。もうあやまったやろ。ええかげんにせえよ」と逆切れしたのだ。

いじめを受けた子は、いじめた子が強い者(米・中・露・欧)には卑屈な態度をとる様子も見ていて、自分に対する相手の露骨な見下した態度に納得がいかない。心の底に「がまんすべき」という自制心はあったが、それを振り切って口げんかがはじまる。いじめをした子は、勉強と努力が嫌いでウソを平気でつき、自分の卑怯さ・卑劣さがわからない。

ここで悲しい事実として、いじめを受けた子は人間として非常に立派であるか、という問題。いじめを受けた子も人間の弱さを持っている。双方ともに、相手に対するとめどないののしり合いとなって全く終わりが見えなくなってしまった。ドイツを中心にまとまった欧州と反対に、東アジアでは強固なブロックの一つが崩壊の危機に瀕し、周辺諸国を喜ばせるが、やがて混迷はその周辺諸国も巻き込んで深まっていくだろう。

結論、いじめた子の悪さが70%、いじめを受けた子の悪さが20%、そして腕力の強いボスの悪さが10%だ、と俺(もみ)は思うのだ。安倍政権と日本のマスゴミの煽りが悪いのは全くまちがいがない。これについては戦後74年で史上最低・最悪と言っても過言ではない。しかし、韓国と日本双方の国民が比較的冷静なのに政権延命の目的利用なのか?、殴り合いに応じてしまった文在寅政権にもちょっと納得できかねる。そして、アメリカのトランプというのは、もう政治的大事故に遭ったようなものである。大事故は必ず起こるのだから、トランプのような不測の政治屋がアメリカの大統領として現れた場合の政治的安全保障関係をこそ日本と韓国は作り上げておくべきだったのだ。

とりあえず、日本としてやるべきことは、政権交代と前アベ政権に対する<徹底的な断罪>を通じた<日本国の再建>である。

※最近、毎日忙しくて何となく浮かんでは消える想念を言葉にまとめられないまま、強いストレスになっていた。今日は何となく指に任せてキーボードにたたき続けてみた。特に推敲もせず心の赴くままの書きなぐりである。乱文失礼m(_ _)m。気づいたことがあれば、また少し手を入れます。 約3300字 2.5h

※それにしても、ネットの夕刊フジとデイリー新潮の記事内容の悪意と低劣さは、何とかならないものか。何も知らない子どもや大人が見た時の悪影響を考えるちょっと恐ろしくなる。
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8 099~8 102 みなもと太郎「風雲児たち13~16 第四期<憂国苦闘編>」(希望コミックス:1987~89)感想4+

2019年08月30日 21時57分36秒 | 一日一冊読書開始
8月30日(金):   
第四期<憂国苦闘編>

自由闊達で皆がのびのびと羽を伸ばし始めた田沼の時代が終わり、視野の狭い松平定信のせせこましい狭量な政治が始まる。杉田玄白のように世渡りのうまい一部例外を除き、風雲児たちの多くは否応なく息苦しい状況に落とされていく。俺は松平定信が大嫌いだ!

最上徳内。林子平。高山彦九郎。大黒屋光太夫一行の日本帰国への苦闘、横死、ラクスマン父͡子(キリルとアダム)らをはじめ多くのロシアの人々との交流、光太夫と若い磯吉のみ。桂川甫周との意外な出会い。etc.

◎8月11日(日):「風雲児たち13 脳天気定信」(希望コミックス:1987)感想4+/著者40歳(1947生まれ):
183ページ  所要時間2:30  蔵書
【目次】第一章:婆コン彦九郎 /第二章:生か死かカムチャツカ /第三章:脳天気定信 /第四章:果てなき旅路 /第五章:寛政改革総覧 /第六章:騒乱!エゾ&エゾ /対談=みなもと太郎VS呉智英

◎8月12日(月):「風雲児たち14 待つ女 行く女」(希望コミックス:1987)感想4+/著者40歳(1947生まれ):
188ページ  所要時間2:00  蔵書
【目次】第一章:蝦夷地隠密行 /第五章:行き止まりイルクーツク /第六章:在露邦人 /第七章:オエ オエ オエ /第八章:妻たち /第九章:再会二百余里 /随想ふーうんじたち

◎8月12日(月):「風雲児たち15 ロシア彷徨」(希望コミックス:1988)感想4+/著者41歳(1947生まれ):
203ページ  所要時間2:00  蔵書
【目次】第一章:カレンデ /第二章:ペテルブルクへ /第三章:ルグロ夫人 /第四章:緑毛亀 /第五章:女帝エカテリーナ /第六章:ソフィアの歌 /第七章:子平入牢 /随想ふーうんじたち

◎8月25日(日):「風雲児たち16 尊号問題興亡」(希望コミックス:1989)感想4+/著者42歳(1947生まれ):
205ページ  所要時間2:30  蔵書
【目次】第一章:尊号一件・上 /第二章:尊号一件・下 /第三章:根室越冬 /第四章:奇人逝く /第五章:日露交渉 /第六章:おらんだ正月 /第七章:生きている死人 /随想ふーうんじたち
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190830 アベの7年間は致命的!:<働き方改革の死角>日本、続く賃金低迷 97年比 先進国で唯一減

2019年08月30日 18時16分46秒 | 時代の記憶
8月30日(金):     
東京新聞<働き方改革の死角>日本、続く賃金低迷 97年比 先進国で唯一減 
2019年8月29日 07時03分

  時間あたりでみた日本人の賃金が過去二十一年間で8%強減り、先進国中で唯一マイナスとなっていることが経済協力開発機構(OECD)の統計で明らかになった。企業が人件費を抑制しているのが主因だが、「働けど賃金低迷」の状況が消費をさらに冷え込ませる悪循環を招いている。賃金低迷は現役世代の困窮を招くだけでなく、年金の支給額の低下にも直結する賃金反転に向けた政策を打ち出せるかが、日本経済の大きな課題として浮上している。
  OECDは残業代を含めた全労働者の収入に基づき、「一人当たりの賃金」を各国通貨ベースで算出、指数化している。
  二〇一八年時点での日本人の一時間あたりの賃金は一九九七年に比べ8・2%減少。これに対し、英国(92%増)、米国(81%増)などは軒並み増加している。物価上昇分を差し引いた実際の購買力である実質賃金でみても日本は10%下がったが、英国(41%増)、米国(25%増)などは上がっている。
  経済成長が続けば物価や賃金も連動して上がるのがこれまでの経済の基本。それだけに日本だけが下がる理由について専門家の意見は分かれる。ゴールドマン・サックスの元アナリストで、賃金に詳しいデービッド・アトキンソン氏(現・小西美術工芸社社長)は日本が先進国中、最も急速に少子高齢化が進んでいるのが要因の一つと分析する。
  日本の生産年齢人口(十五~六十四歳)は九五年の八千七百万人をピークに二〇一五年には七千七百万人と一千万人も減った。これに伴い、企業の国内売り上げも減少に転じたが、各社は利益を確保しようと、人件費を抑制。「これが消費低迷を招き、企業が人件費をさらに絞る悪循環に陥っている」(同氏)とみる。
  政府も労働者派遣法改正などの規制緩和で企業の人件費削減を容易にした。賃金の安い非正規雇用の比率は九七年の23・2%から、二〇一八年の37・8%に上昇した。
  賃金低迷は年金支給にも悪影響を与える。会社員が賃金額に比例し保険料を支払う部分も大きいためだ。
  政府が二十七日に公表した新たな年金財政の標準的なケースの見通しでは四七年度の年金の給付水準は、現在より二割近く目減りする。厚生労働省は、ここ数年実質賃金上昇率がほぼ横ばいにもかかわらず長期間にわたり毎年1・1%の上昇が続くことを前提に置く。第一生命経済研究所の熊野英生氏は「これまでの賃金低迷状況をみれば、賃金が長期的に上がり続けるとの見通しは非現実的だ」と指摘。支給額のさらなる低下は免れないと予測する。

<解説>金融緩和不発 ため込む企業 「人への投資」急務
  賃金低迷は現役世代のみならず引退世代の生活も不安定なものにする。生産年齢人口は二〇六五年までに現在より四割少ない四千五百万人まで減り経済の足を引っ張る。従来の安い賃金で安いモノを作る体制から、高賃金で付加価値の高いモノやサービスを生み出す経済への転換が喫緊の課題だ。
  政府は長年のデフレから脱却させるため日銀に大規模な金融緩和を続けさせてきた。一時的な景気低迷なら刺激策が効果を発揮することもあるが、人口減少で構造的に消費が縮小していく状況への処方箋にはならなかった。円安で見かけ上、輸出企業を中心に企業利益は増えたが、人件費の抑制姿勢は変わらずお金は内部留保として企業内に滞留。一九九〇年代後半に百三十兆円だった内部留保は二〇一七年度には四百四十六兆円にまで積み上がった。一方、円安で輸入物価は上昇し、家計の負担となっているため消費者の購買力は縮小している。
  政府は一九年度の最低賃金を全国平均で二十七円上げると決定。全国の時給は初めて九百円台に乗り東京では千円を超える。だが、根本的には一人当たりの生産性を上げ、日本経済の生み出す付加価値を増やさないと、賃金上昇は続かない。
  非正規社員の割合が増え、十分なスキルを身に付けられない人が急増する。企業が賃金とともに社員教育費を削減していることも生産性低下に拍車を掛ける。職業訓練や能力開発のテコ入れ策など「人への投資」の促進策や、賃上げの余裕のない中小企業再編支援策などあらゆる角度からの政策検討が求められそうだ。 (池尾伸一)


※「181201 山田洋次監督映画「学校」(1993)を観た。日本は25年前より貧しく卑しくなっている。」も読んでみてください。
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8 098 網野善彦+宮田登「歴史の中で語られてこなかったこと」(洋泉社:1998)感想特5

2019年08月30日 02時17分23秒 | 一日一冊読書開始
8月29日(木):    ※副題:おんな・子供・老人かららの「日本史」

285ページ     所要時間3:15     古本市場216円

著者 網野善彦70歳(1928~2004:76歳)。山梨県生まれ。東京大学文学部卒業。都立北園高校教諭、名古屋大学助教授、神奈川大学短期大学部教授、同大学経済学部特任教授を歴任。専攻は日本中世史・日本海民史。
   宮田登 62歳(1936~2000:64歳)。神奈川県生まれ。東京教育大学大学院修了。東京教育大学助手、東京学芸大学助教授、筑波大学教授、神奈川大学経済学部教授などを歴任。専攻は民俗学。

1ページ30秒のペースで眺め読みながら無数の付箋をし、時に線を引いた。戦後の日本史学に最も大きな書き直しを迫った巨人の一人が網野善彦氏である。氏の業績は仰ぎ見られつつも、今だに十分な評価、反映が行われていないと思う。また、宮田登氏は、網野氏の盟友ともいえる存在のようだ。東大・京大を中心とする歴史学の主流の流れに対して、傍流ながら「常民」の視点から大きな見直しを迫る碩学二人による談論風発的でいて、正当な学者的良心と分厚い実証的研究に裏打ちされた内容豊かな対談集である。

面白い内容を書き出せば、すべてを書き出さねばならないぐらいに、今も十二分に新鮮な驚きを与えてくれる内容である。正直、相当日本史に強いと自信を持つ俺の足元を根本的に揺さぶるパワフルな内容の本であった。本書に感想特5を付けられるのは、俺の喜びであり、矜持でもある。

【目次】第一部 歴史から何を学べばいいのか? :歴史からヒントを得る“文学や映像の世界”/「農業中心史観」が隠蔽した女性の役割/女性史の常識を覆す“桑と養蚕の世界”/“女性と織物の歴史”を民俗学が解き明かす/“老人の役割”を認める歴史を発見する/古い伝統に裏付けられた「接待」と「談合」の歴史/日本人の国家意識を作った「地図の思想」/歴史家・清水三男の足跡をたどる/「従軍慰安婦」問題をめぐって/『日本社会の歴史』を読みなおす///第二部 歴史研究家と民俗学者の対話(1982年~1995年) :歴史と民俗の十字路/<衣装>の再発見/渋沢敬三の仕事と意義/コメと日本人/新しい日本像を求めて-歴史と民俗のあいだ

【内容情報】歴史民俗的な視点で日本列島の歴史を遡っていくと、養蚕と織物の世界では女性が、未来を予見する民俗行事では子供たちが重要な役割を担っていた。さらに、社会の調整役としての「老人力」が、陰から歴史を動かしていたのだ。彼女、彼らの存在抜きには、もう歴史を語ることができない。歴史学と民俗学の泰斗が語り尽くした目からウロコの歴史世界。
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8 097 渡邉義浩「始皇帝 中華統一の思想」(集英社新書:2019)感想4

2019年08月29日 00時23分33秒 | 一日一冊読書開始
8月28日(水):    副題:『キングダム』で解く中国大陸の謎

205ページ      所要時間3:20      図書館

著者57歳(1962生まれ)。

中国について明確な問題設定の上で詳しく解説されている。若い頃から漠然となかなか言葉にならないまま感じていたことが、「やっぱりそうだったんだ」と納得させられるとともに、豊かに知識の肉付け、増大を果たすことができた。

人気漫画「キングダム」の物語りに引っ掛けながら説明される内容はわかりやすかった。

50近い多民族で14億の人口を持ち、中国大陸が丸ごと一つの国になっている中国という国のあり様は決して当たり前の自然な存在ではない。数千年のスパンの世界史的に観ても唯一中国だけである。

そしてそれは、戦国時代の信賞必罰、郡県制の法家<商鞅の変法>によって七雄の内で唯一<秦>だけが、他の六国とは全く異質の国となり、その秦によって中華の統一が行われ、法家の郡県制が中国全土に広がったからである。ただし、始皇帝の郡県制は性急で厳正に過ぎたので、一旦<漢>の劉邦によって郡国制が布かれ、時間をかけて7代武帝に至って実質郡県制に近く、徹底される。さらに、法家の存在は漢で採用された儒教の思想に吸収され、漢字とともに<古典中国>の原型を形成し、その後このモデルが繰り返されることによって中国の歴代王朝は広大な中国を一つにまとめ上げ続けた。これはECやEUよりも2000年以上早い達成である。

現代において東アジア共同体が成立するとしたら、日本や韓国、ベトナムといった国々が「中国大陸帝国」にのみ込まれる形でしかありえないだろう。一国だけ、人口や国土が大きすぎるのだ。これが、東アジアで地域連合体が成立しない最大の理由である。204~205ページ

・<山の民>はチベット族である。被っている面は、弓矢除けのためで史実。

【目次】第1章 『キングダム』前夜ー春秋戦国時代はなぜ550年も続いたのか?(『キングダム』以前の歴史 周~春秋戦国時代/氏族制とはなにか)/第2章 法家と秦の大改革(秦の歴史1 起源から変法へ/商鞅の変法)/第3章 中華統一と空前の権力(秦の歴史2 「戦神」昭王と始皇帝/秦帝国の中国大陸統治)/第4章 始皇帝はなぜ儒家を憎んだのか(奇妙な儒家)

【内容情報】現代中国の力の源泉は、十四億という膨大な人口にある。では、なぜこれほどの人が暮らす広大なエリアを、中国の歴代帝国は何度も統一し支配することができたのか?そのような場所は、人類史上、中国大陸以外に存在しない。答えは初の統一帝国・秦にある。秦が採用した「法家」の思想と統治のノウハウが二千年にわたって引き継がれたために、中国は繰り返し統一されたのだ。では、法家とはどのような思想なのか。漫画『キングダム』では法家改革後の秦が見事に描かれている。本書では、『キングダム』に流れる地下水脈を、二十五点もの名場面を引用しながら縦横に解説する。

◎出版社より:
【『キングダム』から、2000年間、中国を「影」から支配してきた原理を読み解く! 】
・秦の統一は400年早かった。秦を「異常な国」に変えた法家の思想 /・媧燐も李牧も呉鳳明も、なぜ「他国を滅ぼして中華統一する」と言わないのか? /・なぜ鄴の城主は難民を受け入れたか? 背後にあった氏族制社会 /・李牧の「七国同盟」は、既得権者たちの抵抗の象徴 /・2000年間、中国大陸を規定してきた国家モデル「古典中国」 /・中国人はなぜこれほど「自信満々」なのか?
【本の内容】
●秦は「ベンチャー的体質」ゆえに中華統一できた●
初の中華統一を成し遂げた秦は、もともと「田舎の小国」に過ぎなかった。しかし、既得権者も少数だったため、リーダーが「抵抗勢力」を封じ込めることができた。「技術革新」にいち早く対応し、新たな社会体制を構築できたのだ。一方の六国は、フットワークが重く、テクノロジーがもたらす「新しい秩序」に背を向けたことで、秦に敗れた。
●法家は歴代帝国に引き継がれた●
秦が社会体制変革を行なう際に、理論的支柱となったのが「法家」の思想だった。これにより、国内の全リソースを「君主」一人が管理・収奪するシステムを作り上げる。秦の滅亡後も、法家は形を変え、歴代国家に引き継がれた。結果、人類史上、中国大陸でだけ、繰り返し統一帝国が興ることとなった。中国大陸の帝国が、広大な領土を中央から一律に支配し続けたのは、「始皇帝の遺産」を引き継いだからなのだ。そして、法家は現代中国でよみがえりつつあるように見える。
●『キングダム』で通奏低音のように流れる法家●
原泰久氏の漫画『キングダム』では、法家改革後の秦と、旧式の社会体制である六国の対比が見事に描かれている。本書では、『キングダム』という物語に流れる地下水脈を、25点もの名場面を引用しながら縦横に解説する。
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8 096 酒井敏「京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略」(集英社新書:2019)感想4

2019年08月27日 22時38分27秒 | 一日一冊読書開始
8月27日(火):      

248ページ     所要時間1:30      図書館

著者62歳(1957生まれ)。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。静岡県生まれ。専門は地球流体力学。「京大変人講座」を開講し、自身も「カオスの闇の八百万の神ー無計画という最適解」をテーマに登壇して学内外に大きな反響を呼んだ。「フラクタル日除け」などのユニークな発明で、京大の自由な学風を地でいく「もっとも京大らしい」京大教授。92年、日本海洋学会岡田賞受賞。

最小限の付箋をしながら、1ページ15秒の眺め読み。俺はこの著者の考え方が好きだ。感想5を付けないのは、こんな雑な読み方で「わかりました」というのは失礼に当たると思うからだ。実際、各ページの細かな理論の紹介や説明はほとんどが十分にはわからないかった。しかし、それでも著者が240ページを超える本書の中で訴えようとしていることは非常にシンプルでわかりやすい真理なのだ。真理というのもはばかられるほどの学問における<かつて(戦後の昭和)の常識>である。

バブル崩壊後、平成不況の中で、「選択と集中」の号令の下、一貫して否定、弾圧されてきた<学問・研究におけるムダ>の復権である。これを著者は<京大的アホ>と呼ぶ。能率や利益ばかりを目指す世の中の風潮が大学という研究機関に入り込んでくる中で、1990年代における2年間の大学教養部の廃止をはじめとして、目的や効用のはっきりしない研究や学問、教養は否定され、消されていった。

学問・研究の発展は99%の失敗の上に1%の成功がある。間口の狭い<専門>ばかりが叫ばれて、99%の失敗を否定して、成功だけを求めるのは一見すると能率的に見えるが、そういった「選択と集中」は学問・研究の滅びの道である。生物学的にも目的の無い「発散と選択」こそが発展への道なのだ、と説く。

では、想定外の変化に備えるにはどうすればいいのか。早い話、生物の真似をしてみればよいのです。それは「選択と集中」ではなく、いわば「発散と選択」です。未来のことはわからないのだと割り切って、公立や短期的な合理性をあまり気にせず、いろいろなことをやってみる。そのなかで、うまくいきそうなものを、「ゆるく」選択する。あまりきつく選択して「集中」してしまうと、次の選択肢がなくなってしまいます。それが「生物的」なスタイルにほかなりません。68ページ

本書の内容は、小泉・竹中の新自由主義の中で脅され、追い立てられて日本社会全体が無理やり走らされて競争させられていく中で植え付けられた能率主義によって忘れられていた<戦後昭和の正気>を思い出させ、「やっぱりあれが正しかったのだよ」と繰り返し繰り返し語りかけるものなのだ。世の中で、そして学問の分野で、<アホなこと>、<ムダなこと>が実は大切なのだ。すそ野を広げる多様性こそが成功への真の近道なのだ。急がば回れ。近道ばかりに気をとられてるとネズミの集団自殺みたいになってしまうぞ。現に今の日本の学問・研究はかつてなく急速に衰退し通あるぞ、と警鐘を鳴らしているのだ。

本書は、逆転の発想(実はそれが正気)で、「真剣に不真面目なアホになる<覚悟>を決めろ」と呼びかけているのだ。俺は、この著者の言葉が正しいと思うし、この著者の考え方が好きだ。

【目次】序章 京大の危機は学術の危機/第1章 予測不能な「カオス」とは何か/第2章 カオスな世界の生存戦略と自然界の秩序/第3章 イノベーションは「ガラクタ」から生まれる/第4章 間違いだらけの大学改革/終章 アホとマジメの共同作業

【内容情報】知の根幹が揺らいでいる。背景には、学問に対する社会の無理解・誤解・偏見があるのではないか…。現代人は何でも予測できると思いたがる。しかしながら、自然界は予定調和ではなく、予測不可能なカオスであり、生き延びるには「非常識なアホ=変人」が必要なのだ。「京大変人講座」が大反響を呼んだ「もっとも京大らしい」京大教授が、カオス理論やスケールフリーネットワークといった最先端の理論から導き出した驚きの哲学と「アホ」の存在意義、「変人」の育て方を披瀝する。
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8 095 佐藤優「君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話」(新潮社:2016)感想4

2019年08月26日 22時22分52秒 | 一日一冊読書開始
8月26日(月):  

238ページ        所要時間4:25       ブックオフ200円

著者56歳(1960生まれ)。’85年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、’95(平成7)年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。’05年2月執行猶予付き有罪判決を受け’13年執行猶予期間を満了。’05年『国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。主な著書に『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)などがある。

【目次】真のエリートになるためにー2013年4月1日(日本のエリートは後進国型/私はどんな高校生だったか/受験失敗、そして神学の世界へ ほか)/戦争はいつ起きるのかー2014年4月5日(エリートとしての問題意識/大英帝国の歴史教科書/日本の負うべき責任 ほか)/僕たちはナショナリズムから逃れられないー2015年4月1日(ナショナリズムはどこからやって来る?/やしきたかじんの民族意識/右翼と左翼 ほか)

本書は西日本の超進学校灘高校生たちが予め著者の本を読み込んだ上で、著者のいる東京の仕事場を訪れて著者に質疑応答をした記録である。とは言うものの、内容的には天下の灘高生たちも著者の前では一読者であり、対等に論戦を闘わせるのは不可能、高校生たちに対して噛んで含めるように知見を披瀝し、すそ野を広げ、高みに引き上げるが如きゼミナールが開かれている感じである。

言い換えれば、灘高生の意見はほとんど無くて、彼らに語り続ける著者の言葉がずっと続く内容である。その内容が非常に奥深く、興味をかきたてるものだった。感想4は、あくまで俺の力不足である。見開きページのほとんどすべてに付箋をしているが、それぞれについて立ち止まって考えを味わっていたのでは終わりまで読み終えることができない。

多くの思いを残しながらではあるが、それなりのスピードで読まねばならない。必然的に本書の感想が薄くなってしまったということだ。3年間、3回にわたる質疑応答の記録であるが、3回目の部分(第3章)が、一番こなれた感じのやり取りが行われていて面白いと感じた。
 
著者は、真のエリートは、総合的教養が重要だと主張する。理系であれば、歴史、人文、地理を、文系であれば数学Ⅲ、物理・化学などを身につけることが非常に大事である。そして、そのために高校での教科を文理の別なくしっかりとやっておき、その知識・能力を社会に出ても維持し続けることが重要だと述べる。

【目次】まえがき
真のエリートになるために 2013年4月1日
日本のエリートは後進国型/私はどんな高校生だったか/受験失敗、そして神学の世界へ/「受験勉強は役に立たない」はウソ/受験勉強はなぜ重要か/恐ろしくレベルが低い日本の大学院/アメリカとヨーロッパ、その教養の差/鳩山元首相の「マルコフ連鎖」/決断の専門家が見えなかったこと/民主制の起源/後進国だからできたドイツの知的革命/官僚や新聞記者を目指す人へ/対照的な二人の政治家/リエゾンの流儀/官僚は聞かないことも能のうち/政治家の引力/間違いだらけの外交教科書/権威に惑わされるな/なぜ信頼し、順応してしまうのか/「パンをよこせ」に至る歴史/民主主義政治はフランス革命をなぞる/ナポレオン政策で潜水艦を売る/反知性主義に「上から目線」で対抗する/ニヒリズムとは/女性問題は文学に学べ/人の気持ちになって考えること/自分の思考の鋳型を知ろう/受験を人生の目標にしない/〈永遠の椅子取りゲーム〉にハマるな/国家の崩壊を目の当たりにして
戦争はいつ起きるのか 2014年4月5日
エリートとしての問題意識/大英帝国の歴史教科書/日本の負うべき責任/基本は徹底暗記。ロシアの教育/海外で分かる日本教育の弱点/情報は事実・認識・評価/外務省が私を処分しなかった理由/オシントには経験が欠かせない/一般社会と政界は原理が違う/「俺の言うとおりにやれ!」/論理力をつけよう/「理系の時代」の真実/教養を身に着けるには/インテリジェンスの二大派閥/日本版NSCの目的は?/インテリジェンス人材は大学院を狙え/サイバー最強国・北朝鮮/第一次世界大戦のインパクトとアメリカ/近代の矛盾が凝縮するウクライナ/遠距離ナショナリズム/世界のトレンドは戦争へ向かう/戦争は阻止できるのか/国家が牙を剥くとき/国家と通貨の説明不能な関係/情報の真理は細部に宿る/危機を前にした僕らは
僕たちはナショナリズムから逃れられない 2015年4月1日
ナショナリズムはどこからやって来る?/やしきたかじんの民族意識/右翼と左翼/二級エリートとナショナリズム/他者の視点を獲得しよう/知識がなければ始まらない/「東大首席弁護士」の問題点/英露のトップエリート教育法/「陶片追放」が息づくロシアの選挙/教養の伝達は人から人へ/教養人、吉野文六/ベルリンの鹿児島弁/教養は重大局面でモノを言う/「イスラム国」のゲームのルール/中東全域が核保有する日/イランとイラクを指せますか?/ロシアがシリアに肩入れするわけ/アメリカン・エリートは一人五〇〇〇万円/アメリカの大学を勧める理由/「語学は複数習得」が国際基準/危うきに近付き、踏み込まない/競争が好きな自分を認めよう/軌道修正も想定する/良心と愛国心が衝突したら/「話者の誠実性」を見極めよ/海外の大学に進む人へ
あとがき
本書に登場した書籍一覧+α

【内容情報】日本中の秀才を集める有名難関高校の生徒から、ある日著者に呼びかけが届いた。偏差値上位0.1%の日常を生きる彼らは、大学で何を学ぶべきなのか。暗記偏重型の旧来型の指導者モデルが、各所で機能不全を起こすいま、未来のエリートに必要な歴史観や情報収集力をどう養えばよいのか。自ら長期にわたり企画を温め開講を提案した、次代を担うエリートに必要な教養と人間力を授ける特別講座。/こんな大事なこと、誰も教えてくれなかった! 「真のエリート」を目指す若者たちに送る渾身の授業。
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190825 一年前:180824 146万PV超:「8月24日のページごとの閲覧数50」 ※最近、ブログ来訪数のペースが速くて違和感。

2019年08月25日 18時40分00秒 | 一年前
8月25日(日):
180824 146万PV超:「8月24日のページごとの閲覧数50」 ※最近、ブログ来訪数のペースが速くて違和感。
8月24日(金):  記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2512日。アクセス:閲覧 2,551PV/訪問者 314IPトータル:閲覧 1,461,343PV/訪問者......
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190821 意外と?面白かった!「英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」感想4

2019年08月21日 22時11分08秒 | 映画・映像
8月21日(水):      

「どうせ大したことない内容だろう…」とチャンネルを合わせ、英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」見るともなく見始めたが、最後まで観切ってしまった。2020年の教育改革、すなわちアクティブラーニングを大正時代にあだ花のごとく先取りし、戦争で潰え去った与謝野晶子らの私立文化学院の運動、雑誌「青い鳥」による自由作文運動や及川平治による子どもたちの生活格差の大きい公立小学校の実践について、そのあり様を知らしめてくれるだけでなく、生徒の家庭環境(特に経済的)の格差の拡大の中で大きな矛盾が生まれそれを抱え込み、さらに受験競争の激化の中で詰め込み教育とのはざまに苦しむことになったことなど、戦後70年を過ぎた現代日本にもそのまま通じる非常に貴重な教育面での社会的実験だったことを知った。

2020年の教育改革の行方について、出演者が「うまくいくかどうかは、まあ運を天に任せるようなものだ」と述べ、一同苦笑して終わったのを見て、ある種の我が意を得たりと思った。その意味で、案外、面白かった!

アクティブ・ラーニングは、子どもの家庭教育でこそ効果を発揮するという磯田氏の指摘は正鵠を射ている、と思う。

【内容紹介】目前に迫る2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしている。今から100年前、それを先取りするような改革があった。大正新教育運動だ。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍した。しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにする。2019年8月21日(水)20時00分~21時00分放送。
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】高橋源一郎,小針誠,山辺恵理子,【語り】松重豊
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190819 再掲:120929① 安倍政権というパンドラの箱を開いた責任は誰にあるのか? ※忘れないことが我々の闘いだ!

2019年08月20日 01時28分10秒 | 一年前
8月19日(月): 

120929① 安倍政権というパンドラの箱を開いた責任は誰にあるのか?
2012年09月29日 14時59分20秒 | 国家の信頼メルトダウン。民主党を打倒せよ

2012年9月29日(土):

 この2ヶ月間ほど、どんどん壊れていく日中・日韓の関係を観ていて、野田内閣の出来の悪い優等生の仮面を被って、真の泥を被る勇気の無い拙劣な外交に絶望的な気分になっている。野田内閣の政治に通底する姿勢は「私たちは、当り前のやるべきことを政治家としてやっているのだから絶対に引かない。どうしてみんなこんな当り前のことをやらずに避けて来たんだろう。ぼくは避けないでやっていくよ。みんなきっと本音では褒めてくれてるにちがいないさ」という意識だ。野田が本当に広い知見と奥深い洞察力と実力をもった政治家なら、それでも良かったかもしれない。しかし、彼はそうじゃない。端的に言えば、自民党右派にいても不思議でない松下政経塾出身の知恵の浅い、視野の狭い保守的我意の持ち主に過ぎなかった。三角大福中を始めとして、野中広務氏、河野洋平、村山、橋本、小渕、そしてサメの脳みその森、強かな小泉ですら、用心に用心を重ねて進めてきた東アジアの外交、国内政治に対して、野田が自覚すべきだったのは、彼よりも数段上の過去の老練でてだれの政治家たちが慎重に慎重に取り組んできた問題を扱うことに対する畏怖の念だっただろう。

 その後の安倍、麻生らの愚か者たちが総理をやるのを観ていて、野田は「それなら俺でもできる」と勘違いをしたのかもしれない。出発点から彼の狭小な保守的我意に基づく常識?を押し通すことで「俺は今までの誤魔化しの政治に対して「王様は裸だ!」と言っているのだ。本当は簡単なことなんだ。公式通りに、言うべきことは言う。やるべきことはやる。それで何の問題があるの? みんなきっと喝采を贈ってくれるさ」と勘違いし続けた。結局今日、彼自身が戦後稀に見る愚かな「裸の王様」になってしまい、雪隠詰めになった今も自分の誤りを認め、泥を被る勇気が無いまま、肩肘を張って、東アジアのナショナリズムを煽り、日本という国が戦後営々と積み重ねてきた民主主義の伝統に、右翼を呼び込み衆愚政治を生み出し、東アジアの国際関係でパンドラの箱を開けて日本を危機に陥れている。

 そもそも政治の基本中の基本は、虚心坦懐に相手の話をよくよく聴くことだ。自分の主義主張はあって当然だが、あくまでも相手の立場に立って、想像力を精一杯に働かせ、表からだけでなく、裏からも何本ものパイプを作って、二枚腰、三枚腰、いやもっともっと先を見据えて読みながら、慎重に前に進めていくのが常道だろう。その点から見ると、野田内閣の政治は、全くもって素人であって児戯に等しい。まず、民主党が政権をとれた原点は、自民党とは明らかに違う政治を行うことを約束したからだ。それは、マニフェストであり、国民の声を丁寧に聴く姿勢そのものだったはずだ。

 野田は、その国民との約束を反故にしてでも、コンセンサスの無い自らの狭小な保守的我意に基づき政策実現に突き進むことを「決められる政治」、「本当の政治をすることだ」と完全に勘違いしてしまった。国内では、マニフェストの最大のセールスポイントを次々と撤回し、国民との距離を生み出し、それを埋めるために官僚・財界との関係を深め、事実上の<官僚・財界言いなり内閣>となって、マニフェストと真逆の消費税増税を行なった。

 3.11の未曾有の震災と原発事故は、日本国民が全身全霊で乗り越えねばならない国難であると同時に、日本という国を大きなビジョンで生まれ変わらせる千載一遇のチャンスでもあった。最大の不幸は、菅内閣のあとを引き継いだ首相が、コソ泥のようなこの男だったことだ。原発問題と、今後の日本の将来を日本人自身が決めるべき最も大切なこの時期に、野田内閣は、保守的我意と功名心で塗り固められた厚顔で国民の声を全く無視して「消費税増税」を推し進め、民主党の内紛を引き起こし、下らない政局ごっこにうつつを抜かし始めた。そして、東北被災者たちの苦しみから、国民の目が逸らされ、被災者と原発問題に対する関心が薄められていった。将来のエネルギー問題に対するグランドビジョンを指し示して国民を導くこともできないまま、目先の支持率低下に汲汲とし、大飯原発を再稼働させる姿を通して、この男の目が、財界と官僚とアメリカにしか向けられていない自民党右派と全く同じであり、野田民主党は、出来の悪い<亜流の自民党>であることが国民に広く知らしめられた。全国で盛り上がる脱原発の声に耳を傾けることもせず、周囲の側近政治屋(前原・仙石)と経済官僚や恐い財界の親分たちの声しか信じられなくなったこの男に、われわれ国民は失望し、日本人としての誇りを深く深く傷つけられた

 ふと、もしも3.11のとき、日本の首相がF.D.ローズヴェルトだったら、どうだろうと夢想する。ニューディールのような根本的で雄々しく国民を奮い立たせるような地に足のついた力強く聡明な政治が行われていたら、今頃日本人は一生懸命に働き、前進し、誇りに満ちていただろう。失敗によって誇りを失うのではない。失敗から学べないことが誇りを奪うのだ。ドジョウのように厚かましく保守的我意を推し進め、国民の声に耳を傾けない訓練を自らに課したこの男は、やがて外交で同じ事をしでかしてしまう。

 東京都民最大の過ちは、自らが自立できない存在であることを埋め合わせるため、家父長的指導者を求めるあまりに石原慎太郎を都知事に選んだことだろう。石原は、文弱の徒に過ぎないのに、妙に威張り散らし、ナショナリズムを刺激し、自らの指導力の強さを見せるパフォーマンスだけは長けている。しかし、その実態が、三文芝居に過ぎないことは、彼自身の身内に対する甘さ、都政の失敗に対する強弁、何よりも国政に対する言いっ放しの無責任と「戦争を辞さない」内容の強弁で明白だ。

 その石原が、性懲りも無く持ちだした東京都による尖閣諸島買い取り問題で、野田内閣は過去の老練な政治家たちの積み上げてきた外交努力に学ばず、安易に政府による尖閣諸島買い取りが事態を穏便に済ませる最良の方法だと単純に決定してしまった。それ自体は、悪くは無い。ただその後、中国はあらゆるルートを通して裏から「尖閣国有化」の不都合さを日本側に伝えて来ている。この時、この男は、小沢グループの離党問題を抱え、脱原発を求める国民の声を「大きな音だね」と振り切って強引に「拙速な原発継続」路線を推し進めていた。当時のこの男の国民に対する原発継続必要性に関する恫喝のような説明のウソの白々しさは、今も怒りと共に鮮明に覚えている。そして、自民・公明との三党合意による消費税増税をめぐる民主党内外の政局にばかり情熱を注ぎ、中国からの声やシグナルを無視し続けた。外交を、つまみ食いの片手間程度にしか考えていない軽率さに驚かざるを得ない。自らの保守的我意を形にする小さな功名心を実現することに集中するあまりに恐ろしく視野狭窄状態になって気が付かないでいた。まさに、大局を過ったのだ。

 やがて、野田内閣の足元を見透かすように、退任後の保身を考えるイ・ミョンバク韓国大統領の竹島(独島)上陸・天皇謝罪要求問題が発生した。竹島問題の根の深さを慎重に考える余裕も無く、この男は、「竹島は日本の領土である」ことを国際社会に訴える、と言いだす。そんなことは誰でもわかるし、誰でもできる。野田が考えるべきことは、どうして過去の首相たちは、その誰にでもわかることを敢えてしてこなかったのか?ということを深く再検討し、慎重に取り組むべきだった。そして、何よりも、歴代韓国大統領の退任後の末路が、悲惨であり、イ・ミョンバク大統領の退任後も危険水域にあり、彼が韓国国民に向けて何らかの派手なパフォーマンスに出るであろうこと、そして最も効果的なのは竹島問題であることにどうして気が付かなかったのか?ということだ。分からなかったとは言わせない。超優秀?なはずの外務官僚たちが野田政権を背後から支えていたはずだ。要するに、その問題の重大さに対する想像力が野田内閣にあったかどうかの問題なのだ。

 そして、中国からは、国連で胡錦濤主席から直接対面で「尖閣国有化をしないように」という事態の深刻さを知らせる最後通告があった。その二日後に、尖閣諸島の国有化を強行して、中国との関係を国交正常化以来40年間で最悪と言わしめる事態にまで陥れた。「国有化の方が問題が穏便に済むと思ってました」とは、迂闊にもほどがある。結果的に、この男は石原慎太郎との対決で弱腰と呼ばれる泥を被ることを避けるあまりに、日中国交40年の努力を破壊してしまったことの重みを自分で認めることができないのだ。

 昨夜の国連での日本代表と中国代表とのむき出しの罵り合いは、見ていて心が冷え切ってしまった。絶対に観たくない風景だった。江沢民による反日教育を受けた小皇帝の若者たちによる反日デモは本当にひどかった。日本人のナショナリズムにも火がつき、日本の右翼までが勢いづいたのが、これまたひどい。韓国との対立も、きっかけはイ・ミョンバクの軽率な振る舞いであったとは言え、日本国内での弱腰という泥を被ることを恐れて、売り言葉に、買い言葉で、「日本としては冷静に対処する」という意味の無い言葉を繰り返しながら、実際には見通しの立たないその場しのぎの国際司法裁判所提訴を持ち出して、あたふたしている。その挙句に、韓国・中国に「過去の歴史問題」というカードまで切らせてしまったのは、どう考えても、こちらの負けだ。俺は、今回の韓国・中国の歴史問題カードの使い方を正当だなどと決して思ってはいない。しかし、それを両国に使わせてしまうようなところまで低次元の子供じみた争いを続けていることに大きな不満と不安を覚えるのだ。

 この男の政治を見ていると、通奏低音のように「僕は、政治家としてやるべき当り前のことをやっているんだから、ほめられこそすれ、絶対に批判なんてできないはずだ。公式通りに押し通していけばいいんだよね」という模範解答を書いてるから褒めてよ!と言いながら、実際には目先の毀誉褒貶に右往左往している心理がずっとつきまとう。表面的な模範解答ならば、誰でもできる。それこそ官僚に任せておけばよい。政治家は不要だ。一筋縄ではいかない問題を、国内政治でも、外交でも、とにかくよく相手の言い分に耳を傾けつつ、自らの信念も捨てずに針の穴にラクダを通すような困難さを抱えながら、一歩ずつ進めていくのが政治家だ。この男の、視野はあまりにも狭く、近視眼的で言い訳が多過ぎる。目先のことにしか反応できず、しかも自己の冗舌さに酔っているのが、見てとれてなんとも稚拙である。

 結果として、自民党では、谷垣総裁という最も知性的なベテランが退けられて、どう見ても見劣りのする石原伸晃という口の軽い安っぽい男がとって代わり、しかも総裁選で惨敗して、開けてビックリの<首相施政方針演説2日後にお腹痛いので辞めまちゅ君>が、総裁に選ばれた。しかも、幹事長は石破茂防衛オタク君である。どう考えても、次期自民党政権は、強烈なナショナリズム政権として、戦後民主主義を否定し、現憲法を毀損する方向に邁進し、選挙の洗礼を受けたとして「原発政策継続」、「沖縄普天間基地移設強行」へ舵を切るだろう。開けてビックリである。そして、韓国、中国も野田内閣の稚拙な外交を攻撃していたはずが、日本人に対して徒にナショナリズムを刺激することになり、ウルトラ右翼政権樹立に期せずして協力することになってしまったのは、皮肉としか言いようがない。

 日本では、少なくとも、中国や韓国が現実に今行っているような<歴史教育の政治利用>は行なわれてこなかった。これだけは、断言できる。不十分だと言われれば、それまでだが、むしろ人権教育、国際教育その他で、日本の行なった侵略戦争・植民地支配への反省は、確実に進められてきていた、と思う。しかし、今回の自民党谷垣総裁失脚、安倍・石破ウルトラ右翼体制の成立で、これから5年、もっとかもしれない。もう取り返しはつかないかもしれない。日本は右傾化していくだろう。

 その責任は、誰がとるべきなのだろう…。俺は、やはり国民の声にも、近隣諸国の声にも、誠実に耳を貸さなかった<野田コソ泥・アマチュア内閣>石原慎太郎・伸晃親子の罪深さに帰さずにはいられない。野田ほど、雄弁の虚しさを思い知らせてくれた政治家はいない。麻生のような言葉を知らない馬鹿も困りものだが、虚しい雄弁さも見苦しすぎる。二人に共通しているのは、引き際の見苦しさで国民をうんざりさせていることだけだ。そして石原慎太郎・伸晃親子も日本の歴史を大きく歪めたと言わざるを得ない、と思う。

 次の総選挙では、やはり民主党には責任をとってもらうべきだ、と思う。マニフェストなんて言葉は、もはやどうでもよい。民主党は、国民との約束をはっきりと破って、無視したのだ。日本国民は、とりあえず次の総選挙では、民主党に投票してはいけない。かといって、「原発継続」の右翼自民党に圧倒的多数を取らせては危険すぎる。橋下維新は「脱原発」を標榜している限りでは、選択肢として有り得るだろうが、俺には橋下維新を信用することができない。日本共産党は、生理的に受け付けない、この政党もある意味、根本的ウソつき政党だから。誇りをもって投票することのできるリベラル勢力、3年前の鳩山民主党のマニフェストには、俺は大人気も無く熱狂した。候補者事務所までマニフェストのパンフレットをもらいに行った。もう二度としない。政権を取れなくても良いから、3年前の鳩山民主党と同じレベルの内容で「ウソをつかない」政治勢力が結集して欲しい。少なくとも、もう「民主党」という名前の政党には、決して投票しないので、名前だけは別の名前にして下さい。特に、現民主党内の原口グループの政治家たちには、詐欺師政党を早く飛び出して、内閣不信任案を可決させて欲しいと思う。

 俺は、支持政党は、福島党首の社民党だが、小選挙区では非共産のリベラル政党に投票するつもりなのだ。


※もう少し、文章を整えるつもりですが、とりあえず掲載します。すみません。
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190816 琉球新報:れいわ旋風が吹いた沖縄 山本太郎代表が語る辺野古問題と次期衆院選の戦略

2019年08月16日 16時21分54秒 | 沖縄と共に生きる
8月16日(金):    山本太郎氏の<れいわ新選組>を強く支持します(もみ)。
琉球新報れいわ旋風が吹いた沖縄 山本太郎代表が語る辺野古問題と次期衆院選の戦略  2019年8月15日 07:30 
  7月の参院選で山本太郎代表率いる「れいわ新選組」が2議席を獲得し、政党要件も満たした。都道府県別でみると沖縄でのれいわの比例得票率(7.28%)は東京(7.95%)に次いで全国2番目に高く、その旋風が沖縄県内でも巻き起こったことを裏付けた。「消費税廃止」や「奨学金チャラ」など大胆な公約を掲げ、マスメディアに取り上げられないなかで奇策を駆使して話題をさらったれいわは今後も台風の目となり続けるのか。山本代表に基地問題の考えや次期衆院選での沖縄での対応などを聞いた。(聞き手 當山幸都) 

 ―沖縄の現状をどうみてきたか。
 「今の日本を知るのに一番分かりやすい形で存在している場所ではないか。米軍基地が集中し、それに対し沖縄県としての民意が示されても権力で踏みにじられる。沖縄以外に住む方々には、これが自分たちに向けられている乱暴狼(ろう)藉(ぜき)だという共通認識がなかなか持てない状況がある」

 ―東京選挙区では沖縄の創価学会員を擁立した。
 「れいわ新選組を旗揚げした時点で沖縄の方に絶対入っていただきたいと考えていた。権力による暴力を受け続けている地域に生きる人にも出てきてほしいという思いからだった」

 ―沖縄でのれいわの比例得票率(約7・3%)が高かった。
 「なぜ東京で沖縄のことをと思われたかもしれないが、本気で取り組むメッセージは伝わったのではないか。その意味で沖縄でも支持をいただいたということもあると思う」

 ―今後、辺野古の問題にはどう取り組むか。
 「そもそもなぜ辺野古なのか、本当に海兵隊のための基地は必要なのかという重要な大前提が共有されないまま、ふわっとした日本の安全保障に絡め取られ、致し方なしと議論がスルーされている部分がある。自分事として捉えられない人が多く、一番手の問題として旗を振ることは難しい。私たちが政権を取って新基地建設は当然中止であろうと交渉することを、日米同盟や日本の自主独立の問題まで考え、保守層を含め納得のいく進め方を提示する必要がある」

 ―次期衆院選で100人擁立する考えも示した。
 「単独で第一党になるのは容易ではなく、野党が固まって政権交代を進めることが現実的なラインだ。全国的に人々がピンとくる政策を共通の武器にしなければならない。それが消費税だ。5%への減税が担保されるなら野党共闘を深く進めるつもりだ。担保されないなら単独でも準備する

 ―沖縄ではどう戦うか。
 「単独なら当然候補を立てるが、沖縄ほど(野党が)調整できている地域はない。向こう側(与党)を利することだけは避けたいが、沖縄でも(参院選で)7・3%の方に託してもらったのでチャンスはある」

 ―れいわが巻き起こした現象は「ポピュリズム」(大衆迎合主義)と指摘されている。
 「全国の子どもの7人に1人、高齢者の5人に1人、1人暮らし女性の3人に1人が貧困とされ、生活を立て直すには国が大胆な投資をする以外ない。苦しんでいる状況を何とか打破したいということに対し、『あいつはポピュリストだ』と言われるなら『そうです、私がポピュリストでございます』と言っていきたい。何か問題でも?
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8 094 重松清「ステップ」(中公文庫:2009)感想4+

2019年08月15日 23時43分48秒 | 一日一冊読書開始
8月15日(木):  

366ページ      所要時間6:50      ブックオフ108円

著者46歳(1963生まれ)。岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。

時間のかかり過ぎる失敗読書だった。涙を流すことはなかったが、読んでいて気持ちが安らぐ優しい物語である。子どもを産んでほどなくいきなり妻が亡くなる展開は過酷だが、それなりに長い物語りの中に悪い人は一人も現れない。主人公とその娘、そして亡くなった妻の義父・義母と子どもの無い義兄夫婦が主要メンバーである。特に義父が魅力的な存在である。

突然妻を喪っても、幼い娘がいる。悲しみにふける余裕はない。保育園、七五三、日々の生活に追われながら、懸命に生きる父͡と娘の歩みを亡き妻の実家の人々が支える。「とんび」は父子家庭でも息子だったが、今回は娘である。我が子を愛し、人として真っ当に生き抜こうとする主人公の本質は変わらないが、女の子の父親の「僕」は、随分と違った落ち着いた人柄に描かれていた。その点で少し刺激が少なくて物足りない感じで、涙が流れることにはならなかったが、静かに丁寧に紡がれる物語りは温かだった。

そして、終わりに形は違えど悲しみを忘れるのではなく、悲しみを大切に抱いたままの生き方を肯定し合える女性が現れる。新たな妻として、娘の母として。亡き妻の実家の人々に祝福されながら新たな家族が生まれる。再婚しなかった「とんび」のやっさんとは違う物語りである。

「会ってやってください」/「つらい思い出を増やすのはかわいそうだろう」/「つらくても……大切な思い出になります」/僕たちはそうやって生きてきたのだ。/僕の胸の奥にはずっと、朋子を亡くした悲しみがあった。美紀はママのいない寂しさと一緒に大きくなった。/悲しみや寂しさを早く消し去りたいと思っていたのは、いつ頃までだっただろう。今は違う。悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、付き合っていくものなのだと--誰かが、というのではなく、僕たちが生きてきた日々が、教えてくれた。/悲しみを胸に抱いたまま生きていくのは、決して悲しいことではない。その人がいないという寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった瞬間よりも、本当は幸せなのかもしれない。343~344ページ

俺は重松清の作品が好きだ。次回は、もっと一気に読み切ってしまおうと思う。

【目次】ケロ先生/ライカでハロー・グッドバイ/あじさい/キュウリの馬に乗って/サンタ・グランパ/彼岸過迄/バトン/ホップ、ステップ/ジャンプ/文庫版のためのあとがき

【内容情報】結婚三年目、三十歳という若さで、朋子は逝った。あまりにもあっけない別れ方だったーー男手一つで娘・美紀を育てようと決めた「僕」。初登園から小学校卒業までの足取りを季節のうつろいとともに切り取る、「のこされた人たち」の成長の物語。悲しみを胸に少しずつ「育って」いく父と娘とやさしい人たちの、ささやかで確かな歩みを描く連作長編。人の優しさと強さを、季節のうつろいとともに描く。
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190814 一年前:180809 翁長雄志知事の死を悼む…沖縄の声:琉球新報&沖縄タイムス<社説>

2019年08月14日 13時39分50秒 | 一年前
8月14日(水):
180809 翁長雄志知事の死を悼む…沖縄の声:琉球新報&沖縄タイムス<社説>
8月9日(木):  琉球新報:<社説>翁長知事が死去 命懸けで職務を全うした  2018年8月9日 06:01  膵臓(すいぞう)がんの治療を続けていた翁長雄志知事が8日、死去......

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8 093 杉山登志郎「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書:2007)感想5 ※3度目

2019年08月14日 02時46分40秒 | 一日一冊読書開始
8月13日(火):  

238ページ      所要時間6:40       ブックオフ105円

著者56歳(1951生まれ)静岡市生まれ。久留米大学医学部卒。名古屋大学医学部精神科、愛知県心身障害者コロニー中央病院精神科医長、静岡大学教育学部教授などを経て、現在はあいち小児保健医療総合センター保健センター長。日本小児精神神経学会常務理事、日本発達障害学会理事などを務める。専門は児童青年期精神医学。

3度目である。最初は図書館の本として、2度目は6年前ブックオフで買った本を読んだ。当時、すでに印象的だったが、今回必要もあって読み返した。意外と時間がかかった。理由は明らかで、内容的に非常に意欲的で盛りだくさんであり、かつ著者の臨床例をたくさん載せてくれているからだ。

ただ本書の内容について、きちんとマスター、習得できたかと言われれば、これは怪しくなる。理由は前記したことに加えて、発達障害の症例を説明する用語が非常に難しく長いのと、多岐にわたり、複雑であるということだ。さらに、その複雑多岐な用語が、定着し切れず流動化している現状もわかりにくさに拍車をかけている。現に、本書で一章を設けている<アスペルガー>という用語は、その症例がなくなったわけではないが、今はASD(自閉症スペクトラム)と呼ばれることが多いようだ。

本書をテキストとしてきちんと読み切れば、発達障害に関する概略はわかる建て前になってはいるが、実際には頭のなかで抽象的概念がぶつかり合って実像を結ばないまま途方に暮れそうになる。しかし、逆に気になる子どもや人物を理解するために「この子は、あの人はどのタイプだろう」と具体的な対象を思い浮かべながら本書を読むと、途端に本書の記述は生き生きとしたイメージを伴なって読者を教え導いてくれるようになる。

その意味では、本書はまさに臨床に基づく説得力のある本である。理屈を闘わすだけの空中戦のために読めば空回りするだけかもしれないが、具体的目的・目標をもって本書を読むと相当レベルの説得力で唸らせてくれる本だと考える。

非高機能、高機能を問わず広汎性発達障害に共通の対人関係の発達について触れておきたいが、略。同じ自閉症という診断でも、ずいぶん様子が異なる。略、対人関係で自閉症を孤立型、受動型、積極奇異型の三つに分けている。略。孤立型の自閉症とは、略。受動型とは、略。一般に、早期療育を行うと孤立型であった子どもも、徐々に受動型にタイプが変わっていくのが認められる。実は知的障害が若干あるくらいの受動型の自閉症は、一番仕事が出来るタイプでもあるのだ。積極奇異型とは人に積極的に、しかし奇異なやり方で接する自閉症である。知的な障害は軽いものが多いが、マイペースで、基盤に注意の障害を持っていて、多動であることが大きな特徴である。このグループも、小学校高学年になると多動が治まっててきて、人とのかかわりが進んでくると徐々に受動型に近いタイプに変化していく。89・90ページ

具体的な対象を思い浮かべながら読むと、あちこちの一節が深い味わいを持つ。また、世の中で出会ったり、起こっている様々な出来事や事件、いじめや校内暴力などを発達障害という視点から見れば、随分違って見えてくる。少なくとも印象は相当変わると言える。解決策も根本的に変わることになる。正直、ちょっときつい内容だなと思える部分もあった気がする。本書は理屈もしっかりしているが、より現実的な対応や取り組みを求める内容の書だと思う。

【目次】第1章 発達障害は治るのか/第2章 「生まれつき」か「環境」か/第3章 精神遅滞と境界知能/第4章 自閉症という文化/第5章 アスペルガー問題/第6章 ADHDと学習障害/第7章 子ども虐待という発達障害/第8章 発達障害の早期療育/第9章 どのクラスで学ぶかー特別支援教育を考える/第10章 薬は必要か

【内容情報】言葉が幼い、落ち着きがない、情緒が不安定。そだちの遅れが見られる子に、どのように治療や養護を進めるか。長年にわたって子どもと向き合ってきた第一人者がやさしく教える。

6年前の記事を載せておく。
0053 杉山登志郎「発達障害の子どもたち」(講談社現代新書;2007) 感想5
2013年04月07日 02時41分10秒 | 一日一冊読書開始

2013年4月6日(土):

238ページ  所要時間3:30      ブックオフ105円

著者56歳(1951生まれ)。精神科医。「アスペ・エルデの会」(軽度発達障害の会)創設者の一人。2007年は、特別支援教育の完全実施元年である。 

※「特別支援教育とは通常教育で行う特殊教育のことと考えるべきである」212ページ

本書を読むのは、2度目である。前回は図書館の本だったが、その後ブックオフで105円で購入してあった。

今回の読書は、体調不良と読書開始時間の夜遅さで、失敗読書だった。しかし、立花隆が、「読むのをやめたくなっても、とりあえず最後までページだけはめくり続けろ。意外な収穫があるものだ。」と書いているのを思い出して、何とかページをめくり、線を引き、ページの耳を折って最後まで行けた。最後まで読めて良かったと思える。

知識の定着という点では難があったが、展開されている話は、医療現場、医療政策、発達障害の子どもたちと保護者、学校現場に対して、実践に裏打ちされた地に足のついた論が展開されている。それが巷間流布されている思いこみ・俗説の間違いを指摘し、正しいあるべき理解に無理なく導いてくれている。恐らく本書は、「発達障害の子どもたち」に関する正しい理解と認知を広げる最もスタンダードなテキストになるべき良書だと推奨できる。

著者は、発達障害の児童・生徒の置かれている通常学級や特別支援クラス、特別支援学校の事情に非常によく通じている。そして、思い込みや俗説に対して明確な指針を出してくれる。選択の基準は、あくまでも「障害を持つ子供自身にとってプラスなのか、マイナスなのか」に尽きる。そしてその答えは、その時点の目先のニーズではなく、子どもたちが成人後にどういう結果になるかから逆算して今の選択を考えるべきだと説く。

一般に小児科医は通常学級が好きであるが、これは成人になるまで子どもたちをフォローアップしていないからであると思う。これまで述べてきたように、成人に達した状態から逆に、今、何が必要かを考えたとき、通常学級に固執することは意味をなさない201ページ

※一世を風靡したスウェーデンなどのインテグラル教育(統合教育)も、古い考え方になってしまった感がある、ように感じたが…、その理解でよいのか。本書が、発達障害者に対する<排除の論理>につながるのは、著者の本意ではない、と思う。統合教育との整合性を整理して欲しい

【目次】*コピペです。
第1章──発達障害は治るのか
第2章──「生まれつき」か「環境」か
第3章──精神遅滞と境界知能
第4章──自閉症という文化
第5章──アスペルガー問題
第6章──ADHDと学習障害
第7章──子ども虐待という発達障害
第8章──発達障害の早期療育
第9章──どのクラスで学ぶか―特別支援教育を考える
第10章─薬は必要か
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)