大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年06月13日 | 写詩・写歌・写俳

<1315> 大和の山岳行 (4 )  二 上 山

         ささゆりや 神話の国の 大和かな

 ササユリが咲く二上山に登った。今日は青空が広がり、土曜日とあって多くの人が訪れ、ササユリの花を愛でていた。二上山は馬の背の鞍部を挟んで北の雄岳(五一七メートル)と南の雌岳(四七四メートル)からなり、ササユリは雌岳の草原や笹原に見られ、今が花の盛りである。

             

 ササユリは葉が笹に似るのでその名があるが、一枝に三花を咲かせるのが普通で、古名は三枝(さゐくさ)と呼ばれ、『古事記』の神武天皇の条に、天皇と皇后伊須氣余理比賣命が出会った三輪山の麓の佐韋河(現在の狹井川)の畔に三枝の佐韋(さゐ)、即ち、ササユリが沢山咲き乱れていたとある。言わば、二人の出会いを寿いだ象徴の花となっている。

 二上山は太陽の通り道に当たると考えられ、古代から太陽の沈み行く山として重要視されてあった。雄岳の山頂近くに謀反の嫌疑をかけられ、死にやられた大津皇子が移葬された墓所があるのもこの太陽の道と関わりがあるようにも言われる。金剛葛城山系の中では低い山ではあるが、その由緒は大和平野を挟んで見える三輪山との古代における相関に興味の惹かれるところである。

 因みに、三輪山は二瘤駱駝の二上山に対し、円錐形の山であり、この二つの山の太陽の運行に関わる相関で言えば、陰と陽、もしくは死と生を表すもので、その間に大和の国は納まり、展開している図が想像出来る。 雌岳山頂の広場からはわずかであるが、東の大和と西の河内の眺望が得られる。しかし、今日は黄砂の影響によりその眺望は全く利かなかった。 写真はササユリの花を囲んで愛でる登山者らとササユリの花。

 


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