<264> 万葉の花 (4) あやめぐさ (安夜賣具左、安夜女具佐、菖蒲草、菖蒲)=ショウブ (菖蒲)
愛されて 来しを思へり あやめぐさ
霍公鳥(ほととぎす)待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日を未だ遠みか 巻 八 (1490) 大伴家持 霍公鳥今来鳴き始(そ)む菖蒲 蘰(かづら)くまでに離(か)るる日あらめや 巻十九 (4175) 同
このあやめぐさ(菖蒲草・菖蒲)は美しい花を咲かせるアヤメ科のアヤメ(菖蒲・渓蓀)やハナショウブ(花菖蒲)のことではなく、サトイモ科のショウブ(菖蒲・白菖)のことで、ともに初夏の今の時期に花を咲かせるが、サトイモ科のショウブはセキショウ(石菖)に似た肉穂花序に淡緑黄色の小花をびっしりとつけ、同じ名とも思えないほど地味な花である。
この地味な方がなぜよく採りあげられ、歌にも詠まれているのかということが思われるが、このショウブのあやめぐさを『万葉集』に見るとその疑問が解けて来るのがわかる。『万葉集』にショウブのあやめぐさが詠まれた歌は長短歌合わせて十二首あり、九首までが家持の歌で、上記一番目の歌に見えるように、一つには「玉に貫く」と詠まれているごとくショウブを薬玉にしたことによる。また、今一つには二番目の歌に見られるごとく「蘰く」ことに用いられたからである。
「蘰く」とは古語で、髪につけることを言う。この歌の場合は節供の五月五日(旧暦)の日に髪に飾って、厄除けをし長命を願ったということ。つまり、サトイモ科のショウブはこの時代から薬用にされ、長命を願い、その役を担って知られた植物だった。
このように、『万葉集』に登場する植物を見てみると、花を愛でた歌は案外少なく、前にも述べたが、染料植物のようにその植物の特性によって後に続く言葉を導き起こすために用いられているケースが目につく。このショウブのあやめぐさにもそれが言え、花に関係なく、用いられ登場しているのがわかる。
このショウブがあやめぐさと呼ばれたのは、葉が沢山集まって並び立つさまが文理、即ち文目に見えるからで、『万葉集』の成立ころはショウブと言わず、あやめぐさと呼ばれていた。平安時代になると、菖蒲を音読みにし、ショウブ(さうぶ)の名で呼ばれるようになり、現在に至っている。なお、菖蒲は本来セキショウ(石菖)の漢名で、ショウブは白菖が正しいと植物学者の牧野富太郎は指摘している。中国からその名が伝えられたとき混同し、誤認されたのだろう。また、アヤメ科のアヤメも菖蒲の字を用いるからややこしいが、これは花に関わらず、みな葉が似るからに相違ない。
『枕草子』には「節は五月にしく月はなし。菖蒲(さうぶ)・蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげく葺かんと葺きわたしたる、なほいとめづらし」とあり、この時代のころから五月五日の端午の節供にこのショウブのあやめぐさを軒や屋根に配し、後には風呂にも入れる風習が生まれたようである。
なお、上記の二首にも言えるが、このあやめぐさはホトトギスと抱き合わせに詠まれている特徴がある。その歌は十二首中十一首にまで及んでいる。これはウツギの卯の花にも言え、夏の到来を告げる。それもホトトギスはあの独特の鳴き声で登場するからおもしろい。 写真は左が花をつけたショウブ(奈良市の県新公会堂庭園で)。右は祠の屋根に揚げられたヨモギとショウブ。神前にはチマキやとれたての野菜が供えられている。(五月五日、御田植祭が行われた宇陀市大宇陀野依の白山神社で)。