大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年05月22日 | 万葉の花

<263> 万葉の花 (3) むらさき (牟良佐伎、武良前、紫草、紫)=ムラサキ (紫)

         むらさきと 言はれて見しが 白き花 などいふもまた 万葉の花

      紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)をにくくあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも            巻 一 (21) 大海人皇子

 この歌は天智天皇が蒲生野に遊猟したとき、額田王が詠んだ「茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」に応えて詠んだ相聞の歌として『万葉集』に仲良く並んで採り上げられ、世によく知られている恋歌である。だが、この二首は公の場で詠まれた歌であり、大海人皇子が三十八歳、額田王が四十一、二歳であると推定されることから、当時の事情に照らせば、額田王は既に老域の人であり、二人に恋の成り立つことは考え難く、今では、遊猟の際の余興において詠まれた座興の歌とする見方が定着している。

 それはさておき、ここはムラサキという植物についての話である。『万葉集』にはこの歌と長歌一首を含みムラサキの見える歌が十七首登場する。うち四首はムラサキという植物自体を詠み、紫色として詠んだものが五首、ほかには枕詞として用いたものなどがあるが、ここで主要なのはムラサキが根にシコニンと呼ばれる物質を含み、紫色の基になった紫根染めに用いられたという点である。大海人皇子の上記の歌もそこに意味が持たれている歌と解せられる。

 ムラサキはムラサキ科の多年草で、初夏のころから白い花を咲かせるので、遊猟を行なったとされる五月五日には「標野」で花が見られ、歌の背景に花盛りが重ならないわけではないが、歌が額田王の「紫野」を受ける形になっており、紫色が高貴な色であることから、最高の女性として相手を賛美する内容に至っているわけで、ここはムラサキの根から来る紫色を匂わせる用い方で歌が詠まれているということが出来る。

 それと、額田王の「茜さす」に対し、大海人皇子が「紫草の」と、ともに染料植物による色をもって歌を詠みかけている点があげられる。これも相聞歌として相手に和する心持ちがうかがえるところである。大海人皇子の「紫草の」は「茜さす」と同等の「くれなゐの」でもよいように思われるが、二人の年齢から言えば、やはりここは「紫草の」でなくてはならないということが言える。

                                          

 ところで、万葉植物には染色に用いた染料植物が多く登場するのが一つの特徴としてある点が指摘出来る。アカネ然り、ムラサキ然り、ほかにもクレナヰ(ベニバナ)、カキツバタ、ヤマアヰ(ヤマアイ)、ツキクサ(ツユクサ)、カラアヰ(ケイトウ)、ツルバミ(クヌギ)などよく知られたものだけでもこれだけある。

 なお、春日大社神苑の萬葉植物園(奈良市)では、今、このムラサキが白い花を咲かせ、見ごろになっている。ムラサキは全国的に分布すると言われるが、自生は限られ、個体数が少なくなって、絶滅危惧種としてレッドリストにあげられている。大和では自生する話を聞かない。 写真は左がムラサキ(春日大社神苑の萬葉植物園で)。右はアカネ(金剛山の登山道で)。ともに花の印象によるものではなく、根を染料にしたことによって歌にも登場し、その存在を今に知らしめている植物である。

                                                                                              


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