ハッチと私の日常

20年暮らした猫も亡くなり、25年以上連れ添った夫も病死、仕事も辞めて還暦過ぎた女性が被災猫ハッチと暮らす日々

現代語訳は、必要か?

2017年06月02日 15時51分40秒 | 古文書

 先日から、松尾芭蕉の「奥の細道」を読んでいます。地元の図書館で2冊、本を借りました。その後、リクエストした本が確保されたとの連絡が入り、その本を借りるからと、2冊のうち、1冊を返却しました。

 手元に残した本は、図説奥の細道です。返したのは、立松和平さんの奥の細道の本。現代語訳がついているのが、かえってうるさいと思ったのでした。

 古文や英文に現代語訳は必要でしょうか?私は、あまり意味がないと思うのです。原語の単語や語句の意味が分かれば、それをつなぎ合わせて自分で想像するのが勉強なんじゃないかと思います。

 昔、英語の授業で、単語の意味ばかり調べて、それだけで終わってしまうような学習をしていました。そのあとの自分で組み立てる作業までは行かなかったから、後悔があるんだと思います。

 もちろん、翻訳作品は、それ自体を読み物として読むから、かまわないのですが、原語で読むときに、ご丁寧な訳文があるのは、かえって想像力を眠らせてしまうのではと思います。

 英文も、意味さえつかんでいれば、それをどう表現するかは本人の問題です。押し付けの訳文を覚えるなんて、無意味です。

 芭蕉の俳句も、その時の様子とか、背景さえつかめていれば、鑑賞は本人次第でしょう。だからこその、あの短い文字での世界観を味わるうとができるんだと思います。

 便利になりすぎて、余計なお世話しすぎて、本当の鑑賞の力をそいでしまうのではと思います。文化とは、とっても奥が深いものですから。

コメント (2)
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