お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

笑顔の卒業・・・山形東高等学校同窓会

2016年10月30日 11時50分06秒 | Weblog

 山形東高等学校同窓会は平成28年10月28日(金)、時雨を心配する天候のなか同窓生に来賓の方々のご臨席を賜り、ホテルメトロポリタン山形で開催されました。

 母校の名前も鮮やかな馬が迎えてくれます。東鳩会員は本日の同窓会喜寿者表彰を受けて、同窓会を卒業することになります。

 同総会終了後直ちに同ホテルにおいて「東鳩会喜寿を祝う会」を開催します。

 総会の後表彰式が行われます。浜田同窓会長から、東鳩会喜寿者71名を代表してノリちゃんが記念品を拝受いたします。

 東鳩会喜寿者代表としてハチヤくんが挨拶します。「母校で活躍するフェンシング部は我が学年が三年生の時、部に昇格させたものです。また、女性20名で構成する元気な群竹会の1名の方が、先ごろ不慮の事故で鬼籍に入られ残念に思っています。ありがとうございました」

 安孫子まつり実行委員長(共一会)が開会の挨拶をして‘まつり’が幕を開けます。

 校歌斉唱です。

 応援団・チアリーダーによるエールが送られます。「若いっていいな~元気貰ったみたい」と喜寿者席から溜め息にも似た声が漏れます。

 浜田同窓会長の挨拶です。「今年の新入生は女子生徒の方が多くなり、教頭、PTA会長、生徒会長、同窓会事務局長もすべて女性です。同窓会維持会費の納入率が悪く同窓会活動の先行きが懸念されます」

 菅間学校長が祝辞を述べます。「生徒の男女比率は男56%、女44%です。平成30年を目途に探究科2クラスの編成を準備しております」

 記念演奏として、佐久間聡一(東暁会)広島交響楽団第一コンサートマスターのバイオリン演奏「チャールダーシュ」に耳をジャンボにします。

 佐藤東京同窓会長の音頭で乾杯し、祝宴となります。同窓会卒業といえど、喜寿の祝いに東鳩会員は笑顔で酒を酌み交わします。祝宴も終わる頃、参会の皆さんの拍手に送られて退場し、同ホテルの「東鳩会喜寿を祝う会」に会場を移します。

  東鳩会の出来事を別紙のとおり作成し、同窓会の資料として同封させていただきました。    

(別紙)             東鳩会(昭和34年 第9回卒業)あれこれ

 出会いはここから

 ・昭和31年入学 同期の桜328名(うち女子19名)

 ・担任の先生は奧山常夫 遠藤來二 東海林春朗 原田英治 河田利夫 関根喜内の各先生。なお東海林先生はご病気で長期休養となり、以後吉田宗元先生に代わられた。また二年次から吉田、原田両先生に代わり誉田慶恩、海老名八郎両先生が担任となる。

 ・旧市内中学出身者が3分の2を占め、中でも附中と一中の2校だけで約100名と一大勢力を誇り、地方出の各校首席組は学力差とカルチャーショックに打ちひしがれたと言う。しかしそれをバネにして卒業時にはほぼ上位を独占し、街衆のアガスケ共を見返した。

 ・何の理由か女子のいないクラスが二年まで二つ存在した。そのクラスは他のクラスに比べ成績が悪かったとの噂が根強い。不幸にも(それとも幸運か?)二年まで一度も女子と机を並べる機会のなかった男子は52名を数える。

 

一年坊主の奮闘

 ・体育部に入った連中は、先輩の花街通いの武勇伝を聞きながら、合宿時の朝夕の練習、下働きに秘かな喜びを感じていた。

 ・恒例のクラス対抗駅伝は旧市街地を周回するコースで、西高のグランドを望む区間には選手の応募が殺到した。自転車の伴走飛び入りもあって交通混雑に配慮して、翌年から馬見ヶ崎川橋と二口橋を回るルートに変更され、全員参加型のクラスマッチとなった。

 ・一つ上の学年には英語の名物先生がいたため運動部員が少なく、一年生が自由に活躍できた。

 

最上級生としての自覚

 ・我が学年も先輩方の伝統を受け継ぎ、県総体総合優勝を堅持しインターハイ全国大会にも数多くの部が出場した。

 ・ただ残念だったのは、野球の甲子園予選が40回記念大会の為、一県一校出場の恩典がある中、我が校は決勝まで駒を進めたが南高に惜敗し、12年ぶり6回目の出場を逃したことである。

 ・もう一つ特筆すべきは、現在母校で数少ない全国総体出場を果たしているフェンシング部を我が学年が愛好会から部に昇格させ、高校は勿論、県フェシング競技の嚆矢となった。

 ・文化部では文化祭開催の賛否が生徒会の代議員会に諮られたが、紛糾して生徒会長が辞表を出してお流れ。割を食ったのがフェンシング、数学愛好会のクラブ昇格案とスキー、弁論クラブの廃止案の議題。その後、会長が辞表を撤回して生徒会総会で全議案が可決され、すったもんだもチョンとなった。

 ・また、この年から教育内容の充実を理由に従来の50分授業が65分に延長され、僅か15分の長さに苦痛を味わうとともに、汽車通学生からは苦情も寄せられた。この成果が出たのは数年後と聞いている。

(裏へ)

ハプニング事件の数々

 ・仄聞したところによれば、担任予定のある先生がクラス生徒の顔ぶれを見て恐れをなし固辞したため、やむを得ず一番若かった体育の河田先生がそのクラスを引き受けたというのだ。

 ・あるクラスで試験の際、難問をほぼ全員が正答したため、直ぐカンニングがばれて再試となったが、何とまた同じ問題が出題され、今度はほとんどが白紙提出となった。

 ・また試験勉強と称し天童温泉に集まったワル共が、芸者を揚げてドンチャン騒ぎ、何処からバレたのか今でも定かでない。

 ・更に、クラスの女生徒に先生が言い寄ったと聞き及び、義憤の士がその先生を吊るし上げたこともあった。後に、その先生を離散会へ誘ったが断られた。

 ・またサッカー部員4人が夏休みを利用してママチャリを駆って、8日間で十和田湖までの往復を走破した。7か所の泊まりはすべて小・中・高の学校で、顧問海老名八郎先生直筆の身分証明書は黄門様の印籠以上のものがあった。今だったら、刺股の的にされただろう。

 

卒業後の団結

 ・まず一番結束の強かった河田先生学級が卒業式当日、先生の奥様の名前を頂いた「東照会」を立ち上げ、以後毎年1月3日に先生のお宅まで押し掛けていたが、先生の没後は8月の命日に開催し、今年で58回を重ねた。

 ・「東照会」に遅れること数年、学年全体の「東鳩会」を発足させた。東高9回卒からとったこの名は暫く“トーハト キャラメルコーン”と揶揄された。またこの名を聞いたある先生は“あのとんでもない学年が平和のシンボルの鳩になったか”としみじみ述懐したそうだ。

 ・それでも、それだからこそ我が「東鳩会」は実に纏まりがあり、現在も221名と音信が可能であり、周年記念事業の寄付金等は同窓会の中でもトップクラスを誇っている。

 ・行事参加者も還暦祝い78名、古稀祝い83名、バスによる東京修学旅行31名、12年前に立ち上げた月一回の例会は今月で131回を数えた。

 ・中でも、女性だけの「群竹会」も毎年数回開催し、海外旅行や温泉巡りを続け楽しんでいる。

 

終りに

 ・本日の同窓会に71名ものご招待を頂き感謝している。これも偏に、諸先輩始め同窓会、学校当局のご指導、ご協力の賜である。

 ・今日を以て、この会に出席が叶わなくなることは残念だが、今後は陰ながら応援させて頂く。

 ・今後益々、学校、同窓会のご発展を願って結びとする。

 

                                                             東鳩会広報担当  奧山孝雄 記

                                                    東鳩会のホームページ「お爺さんは山へ柴刈りに」http://blog.goo.ne.jp19400513/e/                                                 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿