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《5》南京大虐殺・ベイツレポート

2015年07月19日 | 南京大虐殺
最終更新:2017.12.21



南京大虐殺の真相を理解する上で、ベイツレポートの存在が欠かせないので、以下に全文を掲載する。
これは、ベイツが陥落2日後の12月15日に、南京を去る欧米記者たちに渡したレポートである。


《要点》

・市民が殺されたと書いているが、軍服を脱いだ敗残兵とも思える
・敗残兵の掃蕩および処断を残虐だと訴えている
・日本軍が組織的に掠奪を行っており、米国資産の建物も例外でない
・婦女強姦も多いとしながら、具体的事例に乏しい
・情緒的表現で日本軍を非難している
・後の虐殺報道を促す重要なレポートだが、被害の定量的記述はない



《ベイツレポート全文》

南京では日本軍は既にかなり評判を落としており、中国市民の尊敬と外国人の評価を得るせっかくの機会さえ無にしてしまいました。中国当局側の不真面目な瓦解と南京地区における中国軍の壊滅によって、ここに残った多くの人々は、日本側が高言している秩序と組織に応じようとしました。日本軍の入城によって戦争の緊張状態と当面の爆撃の危険が終結したかと見えたとき、安心した気持ちを示した住民も多かったのです。少なくとも住民たちは無秩序な中国軍を怖れることはなくなりましたが、実際には、中国軍は市の大部分にたいした損害も与えずに出て行ったのです。

しかし、二日もすると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な掠奪、婦女暴行をも含む家庭生活の勝手きわまる妨害などによって、事態の見通しはすっかり暗くなってしまいました。市内を見回った外国人は、このとき、通りには市民の死体が多数ころがっていたと報告しています。南京の中心部では、昨日は一区画ごとに一個の死体がかぞえられたほどです。死亡した市民の大部分は、十三日午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした。恐怖と興奮にかられて駆け出す者、日が暮れてから路上で巡警に捕まった者は、だれでも即座に殺されたようでした。その過酷さはほとんど弁解の余地のないものでした。南京安全区でも他と同様に、このような蛮行が行われており、多くの例が、外国人および中国人によって、はっきり目撃されています。銃剣による負傷の若干は残虐きわまりないものでした。

元中国兵として日本軍によって引き出された数組の男たちは、数珠つなぎにしばりあげられて射殺されました。これらの兵士たちは武器を捨てており、軍服さえ脱ぎ捨てていた者もいました。そういうわけで、略奪品や装備の臨時運送人として使役するためにどこかで拾い上げてきた男たちを除けば、実際にあるいは明らかに処刑の途上にある、このような集団以外には日本軍の手中には捕虜の影さえも見られませんでした。難民区内のある建物から、日本兵に脅迫された地元の警官によって、四百人が引き出され、五十人ずつひと組に縛られ、小銃を持った兵隊と機関銃を持った兵隊に挟まれて護送されて行きました。目撃者にどんな説明がされても、これらの人々の最期は一目瞭然でした。

目抜き通りでは、中国兵が主として食料品店や保護されていないウィンドウなどからこまごました掠奪を行っていましたが、それが、日本軍の将校の監視の下で店先から店先へと移る組織的破壊にとって代わられました。日本兵は、大荷物を背負って人を押分けてゆく手助けに運送人を必要としました。まず食料を求めたのですが、やがて、その他の日用品や貴重品もやられました。市内全域の無数の家が、人が住んでいようがいまいが、大小かまわず、中国人の家も外国人の家も、まんべんなく掠奪されました。次に述べるものは兵士による強盗の特に恥知らずな例です。集団捜査が行われるうちに、収容所や避難所の多数の難民は、わずかな所有物のうちからさえもお金や貴重品を奪われました。大学付属の鼓楼医院職員は直接、現金や時計を奪われ、また看護婦宿舎からもその他の所持品が奪いとられました。(これらの建物はアメリカ人資産で、やはり掠奪された他の建物と同様に、自国旗を掲げており、また大使館の布告が貼ってあったものです。)日本軍は旗を引き下ろしてから自動車や他の財産を強奪しました。

婦女強姦、陵辱の例も数多く報告されていますが、まだそれを細かに調査している時間がありませんでした。しかし次のような例は事態を示すに十分であります。私たちの外国人の友人の近くにある一軒の家から、昨日、四人の少女が兵士たちに誘拐されました。外国人たちは、市内の一般住宅から実際上放棄されてしまった場所にある、新たに到着した将校の宿舎に八人の若い娘がいるのを見ました。

このような状況下での恐怖状態は筆に尽くすことはできませんし、もの柔らかな将校たちが口にする「戦争をする唯一の目的は、中国人民を救うために圧制者である中国政府と戦うことである」という言葉を聞くと、まったく吐き気をもよおすほどです。

南京で示されているこの身の毛もよだつような状態は、日本帝国の最良の達成を示すものではないことは確かですし、これに対して責任を負う日本の政治家、軍人、一般市民が居るには違いありません。これらの人々は、ここいく日かが中国における日本の立場に及ぼした害悪を、自らの国益のためには即座に矯正することでしょう。職業軍人として日本帝国にふさわしい、紳士として振る舞った兵士や将校も個々にはおりました。しかし全体の行動はひどいものでした。


上記は次の書籍からの引用。

「南京安全地帯の記録」完訳と研究(冨沢 繁信)
http://www.amazon.co.jp/dp/4886562515




《ベイツが見た30%》

ここにあったグラフは次の記事に移動した。

《南京事件》グラフで見る城内掃討
http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/baa643515716ad661f2f8193d02942b2







《関連記事》

「南京大虐殺の真相」
http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/eaacb2fee7e20c9adc4799020776c9d1






改版履歴:
2017.08.19 《ベイツが見た30%》追記。
2017.09.10 紅卍字会・埋葬記録の集計ミスによる修正、に伴ってベイツのグラフを修正。
2017.12.21 ベイツの30%グラフを「《南京事件》グラフで見る城内掃討」に移動

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