
(筆者撮影)
ご病気で療養中だったぎよみさんが亡くなりました。
【家族よりご報告】令和3年9月17日午前8時15分頃、家族に見守られながら息を引き取りました。フォローして下さっていた方々や生前親しくして下さった皆様に、この場をお借りして深く感謝申し上げます。
— ぎよみどん-hinyata (@hinatanococo) September 20, 2021
ぎよみさんとは、もうかれこれ5年くらい歴史問題やら何やらでご一緒させていただきました。
ご生前の厚情に深く感謝するとともに、ご功績を偲び謹んで哀悼の意を表します。ぎよみさんとは歴史考察などで何年もご一緒させていただきました。ぎよみさんが発掘してくださった史料などの成果はこの先も多くの人に活用されるものと思います。ぎよみさん、これまで本当にありがとうございました。
— ZF ⚡ (@ZF_phantom) September 20, 2021
どこかに昇っていった本人に届くことを願いつつ、私の気持ちもツイートしました。
泣きながらブログの編集するのも初めてのことです。
本人から状況は聞いてたから覚悟はしてたし、知らせを見た時も堪えていた。でも、昨日くらいから悲しさが込み上げてきて、今日はもうボロボロになって泣いてた。もういないのかと気づいたら、耐えられなくなった。戦友を失った気持ちを正直に書いたから、天国でブックマークでもしといてください。 pic.twitter.com/QoI33aHXl6
— ZF ⚡ (@ZF_phantom) September 22, 2021
ぎよみさんと初めて会話したのはこの辺です。初めての会話が涙の場面というのは、何かの暗示だったのでしょうか。
当時はまだぎよみさんは女性であることを微塵も感じさせない雰囲気でしたので、女性だったことは知りませんでした。
微かな記憶では、この会話の前から似たようなベクトルの人がいるなと思って、相互フォローになってた気がします。
ぎよみさんとの会話量が増えるのはこの翌年からでした。
@ZF_phantom @catbsky 画像を有難うございます。これみたいですね。http://t.co/jFx3FgJe2M ”「第2次大戦中に戦死した英雄に言及したことに、本当に感謝している」との談話を発表した。”
— ぎよみどん-hinyata (@hinatanococo) May 1, 2015
私の歴史問題考察は主に南京ばかりですけど、ぎよみさんは南京はもちろん731や戦時プロパガンダ、そして今に繋がるユダヤ・イスラエル方面、陰謀論全般、さらには背後にある宗教関係まで幅広く調べられ、史料発掘されてました。
その意図するところは、おそらく次のツイートに集約されていると思います。
どうか皆さん、闘ってください。私など↑のような微力でしかないですが役に立てたとしたら、自分が生きた満足の証にもなります。
— ぎよみどん-hinyata (@hinatanococo) April 5, 2021
https://togetter.com/id/hinatanococo
ぎよみどん-hinyata / モーメント
https://twitter.com/hinatanococo/moments
私はぎよみさんに、ツイートだと埋もれちゃうから調べたことはブログにまとめてよ、と要望してたのですけど、ご本人曰く「機械オンチ」だそうでブログの編集にはかなり手こずってたようでした。
その悪戦苦闘の痕跡がブログに残っています。それで、なぜFC2とgooと2つあるかというと、元々はFC2だったのですが、私のブログを見てわかりやすくまとめてあるのでgooの方が使いやすいのかと思って試してみたのです。でも、結局どちらも難しくて、主に上記のTogetterがメインになったのでした。
ついでなんで別の自ブログ宣伝(^^;(鍵かけてる部分はプライベート面や単に怒りのw持論展開なので他人様の参考になるようなものはありません)https://t.co/YMECYu9ZKg
— ぎよみどん-hinyata (@hinatanococo) July 9, 2021
ぎよみさんの「願い」が綴られたツイートも貼っておきます。続きのツイートには、私のこのブログも紹介されています。
有志の方たちによって、当時の各国記事、各国(語)公文書館文書、国際法関係、画像映像資料、など史資料を使い、各方面から既に精緻な考察が為されています。保守陣営全体で認知周知できるよう、そういうものに到達しやすいインデックス的なものや方策があればいいのですが・・
— ぎよみどん-hinyata (@hinatanococo) July 18, 2021
ご病気が悪化してからは、残された時間と体力を趣味の音楽などに費やされたようでした。
ツイートの文面はいつもの調子ですけど、起きることもできず寝たままの演奏とか細い声は、見ているこちらの胸が締め付けられる思いです。それでも、こうやって最後まで挑戦することを諦めない方だったんですね。
https://t.co/5ufStzMYg0このギターを買ってたのも何かの縁か。これでなければ寝たままなんて弾けなかった。寝転がっても病人でも弾ける!ーーなんて宣伝はちょい縁起良くないだろうけど(^^;https://t.co/hxiT968UNb
— ぎよみどん-hinyata (@hinatanococo) August 10, 2021
ネットを介してのみのご縁でしたが、親しくさせていただいたこと、多数の教示をいただいたことに深く感謝します。
それとともに、かけがえのない仲間の足跡をここに記しておきたいと思います。
合掌。
2021年9月24日。

(いらすとや)
米国の大統領選論争を見てて不思議なのは、私自身はトランプ陣営目線で見ながら勝てるとは思ってるが、まともな論者なら「結果は不確定であり、いずれの可能性にも備えるべし」が妥当な論であると思うのだがな。著名な識者(らしき人々)が自分の名声をいずれかの勝利に賭けるのが不思議だ。w
そもそも、現在進行形の事案で部外者同士が『証拠!』といっても始まらない。所詮は誰も、トランプ法務チームほどの情報など持ち合わせていないし、短期間に1,000-2,000もの宣誓供述書が集まったらトランプ法務チームですら整理に相当な時間がかかるだろう。ここは、多くの史料が出揃っている歴史論争なんかとは違う。
というわけで、あまりムキにならず、反対側の論者を嘲笑したり恨みを買うようなことせずに、結果が出るまでゆるゆると成り行きを眺めてればいいんじゃないのかと思う。
日本側にできることはどっちに転んでもいいように、また付随して起きる可能性のある諸々のリスクに備えること。賭け事は要らんよ。
(この記事は、自分のツイートの転載。一部改変。)
(追記:2020.12.13)
上では少し客観的に書いたが、冒頭にあるように私自身はトランプ陣営が勝つだろうと思って見ている。その理由を少し書いておく。
現在進行形の事案で部外者同士が『証拠!』といっても始まらない、というのは上述した。そうなると、見るべきは、当事者がどれほどの覚悟と確信を持って取り組んでいるか。
たとえ話としては、新規事業を立ち上げる際にいかにもそれっぽい事業計画書を作ったところで、そんなものは当たるか外れるかは結局わからないのであり、最後は事業を立ち上げる本人にどれほどの覚悟と確信があるかが鍵になる。
今回の場合なら、報道の大勢的には負けたとされるトランプ陣営の面々にどれほどの覚悟と確信があるか。11/3の投票後にしばらく静観してたのは、その辺を観察していたため。選挙不正を暴いて結果をひっくり返すのはビッグプロジェクトである。
その結果、どうやらこの人たち(=トランプ陣営)は、まだ整理あるいは開示されていないにしても選挙不正の証拠があると確信し、こんな茶番(=選挙を盗んだ)は絶対に許さないという覚悟を持って取り組んでいそうだというのがわかったので、勝つと思ったのである。なにしろ、現職の米国大統領でもあるし、いざとなったら動かせる組織は多い。
ただし、これは私がそう「思った」ということであり、これ自体は何ら客観的論拠にはならない。だから、声高に主張するつもりはない。
トラックの車間距離について、次のようなツイートがあった。もっともな指摘と思う。
あのな、2tトラックはまだしも4t以上のトラックが空けてる車間に無理矢理入り込むな
それは安全に停止できるための車間だ
お前を入れるための車間じゃない
フル積載だと制動距離伸びるからお前はぺしゃんこになるぞ
分かったな
https://twitter.com/__Sileighty__/status/991609279571378177
そこで、これを啓蒙だけでなく、もう少しシステマチックに実現できないかということで以下のように考案した。
『トラック安全車間システム』
本考案の目的は、走行中のトラックに必要な前方車間距離を、他のドライバーにわかるように路上に明示することである。

本考案の構成要素は次の通り。
(1)トラックのキャビン前方上部に、路面へのレーザー照射装置を装備する。
(2)レーザー照射装置は、トラックの走行速度に応じて、安全のために必要な車間距離に対応する路面上に適切なメッセージを照射する。
本考案の効果は次の通り。
(1)進路変更等で、走行中のトラックの前方に入ろうとする他のドライバーに対して、その空間に入ることが適切かどうかを明示することができる。
(2)トラックを運転するドライバーが、自車の前方車間距離が十分かどうかを常に確認できる。
本考案の公開日(当ブログでの公開日)は、2018年5月4日。
以上。
(追記 2018.10.19)
どうやら、路上に情報を写すという動きは既に始まっていたようです。
Mercedes-Maybach DIGITAL LIGHT: The light of the future hits the road.
https://www.mercedes-benz.com/en/mercedes-benz/vehicles/passenger-cars/mercedes-maybach/digital-light-the-light-of-the-future-hits-the-road/

Volkswagen develop interactive headlight and taillights - pictures
https://www.autoexpress.co.uk/volkswagen/105019/volkswagen-develop-interactive-headlight-and-taillights-pictures


本件に関して、“セクハラ被害者”となった女性記者の雇用主であるテレ朝の対応が非常にお粗末に見えるので、以下に記す。
https://www.sankei.com/entertainments/news/180424/ent1804240009-n1.html
この騒動については論点がいくつかある。
(1)次官のセクハラとされる言動
(2)次官と女性記者が夜に1対1で酒の席に共にすることの是非
(3)女性記者による録音を自社で放送せず他媒体(雑誌)に渡したことの是非
(4)女性記者の雇用主であるテレ朝の対応
(5)社会問題としてのセクハラ
(1)(2)(5)は各方面の識者に任せるとして、テレ朝の記者会見の様子を見ると突っ込む側の記者も同じ業界の人であるせいか、(3)の話に終始している点が非常に気になる。ただし、(3)は所詮は業界内のルールとか仁義の話だから、そこは一般人にはある意味どうでもいい。
この記事に記すのは上記の(4)である。なぜか、ほとんど論点に挙げられていない。
だが、セクハラというのは一般企業でも発生し得ることだし、実際に時々発生していることであり、噂なども含めて人事的な処置が取られたことを聞いたことがある人も多いはず。
そもそもセクハラとは、モラルとかマナーとかのイメージで捉えられているかもしれないが、実は「男女雇用機会均等法」に雇用主の義務としてちゃんと規定がある。
第二節 事業主の講ずべき措置
(職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置)
第十一条 事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。

さらに、雇用主であるテレ朝自身も上記の「男女雇用機会均等法」と整合する形で「テレビ朝日行動基準」を策定し、以下のようにセクハラ対策を宣言している。
2.人権の尊重と差別的取扱いの禁止
人種・信条・肌の色・性・宗教・国籍・言語・身体的特徴・財産・出自・出身地などの理由で、採用を拒絶することはなく、また嫌がらせや差別を受けな い健全な職場環境を確保します。性的嫌がらせ(セクシュアル・ハラスメント) など職場におけるハラスメントに対しては、相談を受ける体制を整備して解決に向けて努力するとともに、迅速に調査し、被害者の救済と再発防止のために断固たる処置をとります。
テレビ朝日行動基準
http://company.tv-asahi.co.jp/contents/corp/koudou.html
http://company.tv-asahi.co.jp/contents/corp/koudou20130509.pdf

従って、女性記者がセクハラを認識し上司に相談した時点から、上述のように雇用主たるテレ朝に対処の義務が生じる。
おそらく、中堅規模以上の企業では人事部あたりにセクハラ相談窓口を設けているはず。テレ朝も自社で上記のように宣言までしているわけだから、社内にそういった相談窓口がないはずがない。
今回の場合に考えられる処置としては例えば次のようになる。
(A) 会社として、相手側(次官)にクレームを申し入れる
(B) 女性記者の担当を替える(その次官の担当から外す)
それにも関わらず、今回の場合にはそういった社内の仕組みが機能した形跡もなければ、その不備を問いただす様子もない。録音を報道するかどうか以前に雇用主としてやるべきことがあったのである。それを1年以上?も放置するとは論外である。
また、女性記者本人にしても、握りつぶそうとする上司を無視し社内の相談窓口に相談する方法もあったはず。
だから、今回の騒動には明白にテレ朝のコンプライアンス違反がある。
コンプライアンスというのは、企業活動において法令を遵守し、社会規範に反することなく、公正・公平に業務遂行することをいう。
この点について、もっと追求されるべきと考える。
(参考)上記の指摘とは全然次元の違う業界特有のお話。w
記者の仕事 by 福島香織さん - Togetter
https://togetter.com/li/1219751
以上。
鬼女さん作成のフェイクニュース啓蒙ちらしを配布しています。
身の回りの方に、最近のマスコミの異常さをお知らせしてください。
★PDF版ダウンロードページ★(4.33MB)
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予約番号 9QBB755E
カラー:120円、白黒:40円(プリント時に選べます)
ページ数:2
有効期限:2017/08/12
(もし有効期限が切れていたら教えてください→こちら)
★フェイクニュースちらしの画像★
(表/1枚目)

(裏/2枚目)

以上。
政治的テーマや様々な主張を俯瞰して見ていると、ある類型があることに気づいた。
それは、「モノゴトの外を見て判断する人々」がいるということ。

「外」という意味は、外見というだけでなく、それにまつわる歴史的経緯とか関連する出来事などを含む。
これが全ての真実でもないが、ひとつの切り口。以下に事例を示す。
事例1:教育勅語
外を見て判断する人々=戦争につながったからダメ
中を見て判断する人々=いいことが書いてある
事例2:原発
外を見て判断する人々=福島で事故を起こしたからダメ
中を見て判断する人々=対策も安全確認もした
事例3:安倍総理
外を見て判断する人々=世襲議員、社会経験が〜、戦犯の〜
中を見て判断する人々=経済の立て直しと外交・安保で実績がある
事例4:軍隊(または自衛隊)
外を見て判断する人々=軍国主義が〜、また戦争になる
中を見て判断する人々=日本に必要な組織
事例5:人物評価
外を見て判断する人々=彼は◯◯だからダメ
中を見て判断する人々=この主張には同意する、あの主張には同意しない
事例6:オスプレイ
外を見て判断する人々=事故が多く危険〜、構造的欠陥が〜
中を見て判断する人々=配備されてからの事故率は低い
他にも探せば事例はいくらでも出てくるだろう。
外を見て判断するというのは、つまり中身の改善や変化は一切評価しないということ。例えば、次のような変化。
・原発事故後の安全対策
・安倍さんが特に第二次安倍政権から実績を積み上げてること
・オスプレイの開発段階から配備開始後の安全性(または事故率)
中身の改善や変化は一切評価しないということは、どこかにマイナス評価点があった場合には、その後の一切の名誉回復も評価も拒絶し、ダメというレッテルを貼る続けることに他ならない。
さらにいえば、「外を見て判断する人々」はレッテルを貼った段階で評価が完了してる、あるいはそれ以降は思考停止に見える。
・「アベは極右」
・「戦争法案」
・「オスプレイは欠陥機」
レッテルを連呼してる人というのは、もはや自分でモノゴトを判断することを放棄し、誰かが貼ったレッテルに乗っかってるだけのスピーカーでしかない。
これは自分で考えたり判断する能力はありませんと自白してるにも等しい。
連呼したレッテルの理由を問われて答えに窮する場面もよく見かける。自分で考えたこともないからそうなるのだろう。
従って、「外を見て判断する人々」の方が、実態は差別的であり、非寛容であり、排他的であることは疑いない。
それで、不思議なことは、差別反対とか人権が〜とか寛容性が〜とか普段主張してる陣営ほど、傾向として「外を見て判断する人々」であるということ。それどころか、彼らは異様にレッテル創作に励むように見える。
これは大いなる矛盾である。
(余談)
韓国人がモノゴトを判断するには、「正統性」が重要らしい。
私には、この「正統性」がなんなのかはさっぱりわからないが、モノゴトの中身を吟味しての評価ではないことだけはわかる。
高齢者が運転する自動車による、ペダルの踏み間違いと思われる事故が相次いでいる。そこで、ペダルの踏み間違いでも事故が起きにくい工夫を提案する。

図のように、ペダル配置は通常と同じである。ここで特殊なペダル配置を採用すると高齢者も若年層も運転できなくなるからである。
アイディアの要点はアクセルペダルの開度に応じて機能を変えることにある。
1)浅いストロークで踏んでるうちは通常のアクセルとして機能する。
2)さらに踏み込むとアクセルが閉じていき、アクセルオフになる。
3)さらに踏み込むと逆にブレーキがかかるようにする。
すると、パニックになった場合などに、ブレーキと間違えてアクセルペダルを思いっきり踏み込むと、ブレーキがかかって止まれる。
停止した後に、アクセルペダルを戻すと(運転者はブレーキペダルを踏んでいると思っている)アクセルが開いてしまい走行し始めてしまうので、それを阻止する工夫もいる。
アクセルペダルを奥まで踏んだ場合のブレーキが起動した場合は、一旦エンジンオフにして再始動しない限りアクセルオンにはならないようにする、など。
なお、ブレーキペダルの方は通常と同一とする。
以上。
(このアイディアの開示日=本ブログへの投稿日は2016年11月18日)
欅坂46のコスチュームがナチスの軍服に似ていたとかなんとかで騒動になったことについての論点整理。
「ナチスが犯した歴史的犯罪」から「ナチスっぽいマークや衣装の吊るし上げ」に走るのは短絡的かつ歴史的教訓の無視に過ぎない。被害者の心情を慮ってある程度の配慮は要るにしても、そこは歴史的教訓の主題ではない。なぜならマークや軍服が歴史的犯罪を犯したわけではない。
ナチスの歴史的犯罪を絞り込めばホロコーストに尽きる。ホロコーストとは、ナチスドイツ占領下におけるユダヤ人の虐殺ないしは域外への移送である。これはナチスが立案した計画「ユダヤ人問題の最終的解決」に基づいて実行された。これは戦争の範囲内ではないし、戦争犯罪の概念からも逸脱している。
ところで、「ユダヤ人」とは人種ではない。ウィキでは「ユダヤ教の信者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(血統)によって構成される民族集団」と説明されている。そして民族とは、「特有の文化宗教言語などを共有する集団」とされている。2千年前のユダヤ人と今のユダヤ人は人種が異なる。
ユダヤ人の著書によれば、ユダヤ人の特徴はユダヤ教の信仰に加えて、知性を重んじる点にあるという。すなわち、国土を持たず、諸国で迫害を受けながら生き抜くには財産とて当てにならず、最後は自分たちの知性だけが頼りであると。それが金融その他のビジネス、科学などの分野での成功を生んだ。
一方で、ヒトラーも傾倒したと言われる反ユダヤ主義の中では「貨幣の権力、すなわち、自らは労働せずに、いわゆる営業の自由の利益を独り占めしている」と批判されている。なんのことはない、ユダヤ人が誇りとしている知性が生んだ金融業その他のビジネスでの成功の裏返しである。
ヒトラー自身は「ユダヤは宗教共同体ではなくユダヤ教徒による宗教同盟であり、実体としては、ほとんどユダヤ民族による一時的な統治システムである」と書いている。「ヒトラーはユダヤ主義的金融資本主義がもたらす金利奴隷世界の来ることを看破し、それを防ごうとした。」と説明した人物もいる。
実は、歴史上には似たような場面は他にもあった。例えば20世紀初頭のアメリカでの、日本人移民に対する排斥運動である。一説によれば、真面目に働きすぎて周囲の労働者から反感を買った、とか、日系人だけで閉鎖的コミュニティーを形成し地域に溶け込まない、などが理由とされる。
そして、今の日本にも同じ状況がある。在日韓国人である。日本で生まれ育った在日3世とか4世になっても頑なに日本国の一員となることを拒否し、「在日は日本人でも韓国人でもない」などと強弁している者たちが特にそうである。日本と共存するならともかく、反日カルト教的な言動は迷惑千万。
さらに、最も懸念すべきは中国。今まさに現在進行形でチベットとウィグルの民族浄化が進行中である。両自治区に大量の漢民族を移住させ、逆にウイグルの女性を自治区の外へ移住させて漢民族と結婚させたり、宗教や独自の言語を禁止するなど、両民族を歴史の彼方に消し去ろうとしてる。
従って、話を戻すと、隣国でまさに民族浄化が行なわれている最中なのに、それを批判することもなく「ナチスっぽいマークや衣装の吊るし上げ」などに走るのは的外れもいいところである。そして、日本も含めてこういった民族の衝突のような事態にどう対処するのかという点に知恵が必要である。
VWのディーゼル排ガス不正事件以降、欧州は業界も政府も電気自動車シフトを加速させているように見える。また、中国市場を考えても、電気自動車化は必須との指摘もある。
そこで、現有の自動車を全て電気自動車に置き換えた場合に必要となる発電量がどの程度になるかを概算。
自動車保有台数:
日本 7,500万台
米国 2億4千万台
欧州 3億5千万台
これらが、1週間で満タンの航続距離(300kmくらい)を走ると仮定する。電気自動車のバッテリーは30kWh程度。原発は1基で100万kW。
すると、これらの電気自動車の充電のために次のような原発の増設が必要となる。
日本 13基
米国 43基
欧州 63基
車の保有台数の中にはほとんど走らないものもあるが、反面、充電時間が夜間に集中するとなるとさらに発電量が必要だから、その辺りは相殺されるだろう。ともかく化石燃料でのクルマをやめるとそのくらいのインパクトがある。
そういう時代の到来を見据えた時、原子力発電(あるいは核融合発電)の技術を持っていないと、原油と同様にエネルギー安全保障が他国依存になってしまう。
しかも、それがもし中国のような対立国に一手に握られたら、生殺与奪権を明け渡したも同然の危機。
というわけで、原子力発電の技術は絶やさず、かつ核融合発電のような次世代技術もがんばりましょう。
グリーンエネルギーや地熱発電もいいですけど、それらは期待せずに待ちます。
(追記)
有益な情報をいただいたので、まとめてここに貼っておきました。
(1)増やす発電所を全て火力にしても効率は良くなる。
(2)日本の乗用車を全て電気自動車にすると総発電容量を10%増やす必要あり。
電気自動車と原発(補足) - Togetterまとめ
https://togetter.com/li/1134493
(おまけ)
電気自動車になんか負けるか、という某社さん。w
マツダ 人見光夫氏 SKYACTIVエンジン講演全再録:「SKYACTIVエンジン」は電気自動車と同等のCO2排出量を目指す - MONOist(モノイスト)
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1512/09/news029.html
サムスンスマホの発火問題。原因は判明してないようだが、バッテリー、充電回路、防水性ゆえの密閉性、などに原因を求めていっても真因にはたどり着かないと思う。どこかに技術的原因はあるだろうが、それを生み出したのは韓国企業の体質にあると考える。
韓国企業の体質とは、韓国人の行動文化そのものであり、今では韓国メディアでも報道されている。いろんな言い方があるが私に言わせれば「奴婢文化」。上位の者が下位の者に強権を持って奴隷の如く働かせる。韓国企業が外国で現地労働者を奴隷扱いしていた事件も多い。
スマホ黎明期に、自国民のみならず世界市場を相手に、億単位の数量を迅速に製造するにはこの奴婢文化が役に立ったと思う。日本企業に、スマホレベルの製品を億単位の数量で製造するノウハウはない。ガラケーなんてせいぜい数十万個という桁だった。
しばらく前から部品メーカーは部品を売るだけでなくリファレンスの設計図を併せて提案してくる。だから、単純に言うと部品屋さんの言うままに組み立てるとスマホくらいなら簡単に出来上がる。あとは、部品の大量発注でコストを下げ、安い賃金で大量生産させるだけ。
スマホでもテレビでもいいが、日本企業が韓国企業に負けた背景にはこういう得手不得手があったと思う。別の言い方をすると、日本企業はすり合わせ型は得意だが、モジュール型の場合は下手というやつ。韓国企業はその逆。結果的に、日本企業は部品供給がメインになった。
ところが、今のようにスマホも高度化してくると、設計も製造も困難。にもかかわらず、サムスンは開発のリードタイムが極めて短い。上層部からの強権的な命令と、現場レベルでの検証やバグ潰し作業がもはや両立しなくなったのだろうと思う。企業体質あるいは民族体質的にここから脱するのは容易でない。
おそらくは自動車も同じ。製品が高度化するほど、奴婢文化の企業では対応できなくなる。韓国が、宇宙開発や兵器開発が下手なのも同じ理由。その意味で、どの領域であっても韓国企業はもうダメだと思う。
この記事は「差別と母集団」からの続きです。
「差別は絶対ダメ」という正義感は全否定はしないが、その硬直した思考が一部で変な衝突や混乱を生み出してるように見える。また私の一連の差別論に脊髄反射で文句言ってくる人もいるので、もう少し平易に書いてみる。出発点は、辞書で「差別」という語句になんと説明してあるか。
私の手元の辞書にはこうある。どの辞書でも大差ないはずだ。
【差別】
① ある基準に基づいて,差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また,その違い。
② 偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益不平等な扱いをすること。また,その扱い。
頭の体操として、以下にいくつか例を挙げる。これらのうち、いずれが「差別」に該当するか考えてみたらいい。
1)合コンを企画し、A国の出身者だけで参加メンバーを固めた。
2)社内で昇進試験を実施し、成績優秀だった一部の者を昇格させた。
3)国際空港の入国ゲートで、日本人は1番ゲート、外国人は3番ゲートに振り分けた。
4)B国では、トラブルが多発したので、C国人との国際結婚を禁止した。
5)D市では、市民の出身地に応じて市税を減免した。
さて、以上5例のうち「差別」に該当するのはどれか。
正解は、5例全て差別である。嘘だと思うなら、辞書の記述に立ち戻れば良い。
もう少し細かく見ていくと、例1〜3は辞書の①に該当し、4と5はおそらく②に該当する。おそらく、と書いたのは4の「トラブルが多発」が②の「偏見や先入観」に該当するか怪しいからである。
また、例1〜3は辞書の意味では差別だとしても、許されない差別と思った人はいないはず。ならば、「許される差別」と「許されない差別」の間に境界を用意しなければならない。ここではとりあえず国連の「世界人権宣言(仮訳文)」を参照してみる。
世界人権宣言(仮訳文)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
すると例4も5も、世界人権宣言の第二条1に違反してそうなことがわかる。5は問答無用で許されないとしても、議論を招きそうなのは4。世界人権宣言に照らせば違反であろうとも、B国の社会正義としては国民を守るためにやむをえない措置とも言える。ここに葛藤がある。
さらに、例1〜3ももう少し詳しく見る。例1は極めて私的、2は公私半々(企業だから)、3は公的である。2と3を糾弾する人はいないと思うが、1はどうか。私的な飲み会のメンツ選びに限らず、日常的に、民族などを先入観としながら、招き寄せる人と遠ざける人を選り分けていないか。
ここで言いたいのは、以上見てきたように、「差別は絶対ダメ」という単純な言葉ほどには個別事例では是非が判断できない、ということである。特にグレーゾーンになるのは、私的な言動の領域と、例4のように別の社会正義と衝突するケースである。許されない差別の境界は実はそれほど明確ではない。
もっと生々しい事例を出せば、「朝鮮総連は出て行け〜」の類である。民族差別的な意味合いも含むであろうが(この要素だけ見ればNG)、拉致事件に関与した疑いがあり、集めた資金が北朝鮮の核兵器開発に使われたとすれば、日本国の安全保障の問題であり、差別問題だけでは片付けられない。
この記事は「反差別界隈の言論弾圧」からの続きです。
韓国人の言動は日本人からするとしばしば異質に感じるが、彼らの世界観の根幹にはいまだに「両班と奴婢」があると考えると辻褄が合うことが多い。「両班」とは李氏朝鮮時代の官僚であり、元々は科挙という試験に合格するとなれた身分だが、役職による特権を賄賂や誹謗中傷で奪い合うのが仕事である。
奴婢とは奴隷である。人権などあるはずもなく、所有者の財物であり、殺すも売るも勝手次第という身分である。奴婢の子供は生まれながらに奴婢だが、それ以外に上の階層の者が罪を犯すと身分刑として奴婢に落とされる刑罰もあった。詳細には立ち入らないが、概略の知識としてはこれで足りる。
《もう少し正確には、王族・貴族、両班(官僚)、中人、常民、賤民(奴婢はその一部)》
事例として、現代の韓国奴隷の報道を列挙する。
1)【新・悪韓論】知的障害者の塩田奴隷と黙認し続けた韓国社会のおぞましさ - ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140227/frn1402270826000-n1.htm
2)韓国、外国人労働者を奴隷化の実態!性暴力、賃金未払い、脅迫、長時間労働…
http://biz-journal.jp/2015/08/post_11299.html
3)NYタイムズが初めてハングル記事を掲載!韓国人経営者の人種差別を暴露=韓国ネット「初めての記事がこんな内容だなんて」「日本人を批判できない」
http://www.recordchina.co.jp/a108386.html
4)韓国人経営のメキシコ工場、労働者に“物理的・性的虐待”で摘発・・韓国ネット「一握りの人間が韓国に泥を」「世界では、アジア人のイメージって…」 - エキサイトニュース
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20150208/Xinhua_08780.html
結局、李氏朝鮮時代の身分制度に似た社会に戻ろうとしてるようにも見える。
5)【経済裏読み】韓国にも“カースト制度”? 上位10%への所得集中はアジアで首位…ドイツ人より3カ月余分に働いているのに - 産経ニュース
http://www.sankei.com/west/news/161003/wst1610030001-n1.html
これなどは罪を犯した両班を袋叩きにして奴婢に落とす身分刑であるかのようだ。
6)【ソウルから 倭人の眼】財閥憎し「世論」が裁いたナッツ姫 大韓航空裁判から見える韓国社会「国民は自分が土下座させられたように感じたはず」 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/premium/news/150223/prm1502230001-n1.html
両班は役職による特権を賄賂や誹謗中傷で奪い合うことに熱中する一方で自身は働かず、実労働は全て奴婢に押し付ける。歴史ネタで日本を誹謗中傷し、謝罪(=屈服)とカネを要求し、知財をタダでせしめて儲け、経済危機になれば通貨スワップを「受けてやる」と常に上から目線で来る背景がこれである。
また、韓国人が生まれながらに仕込まれる「日本=悪」と表裏一体の「韓国=善」とは、日本と日本人の奴隷化を正当化する思想であり(罪を犯した者を奴婢に落とす身分刑を思い出せ)、日本と日本人に悪さをすることに対する良心の呵責を消し去る仕掛けである。(良心の呵責があるのか知らんが)
さらには、韓国掲示板によく登場する「日本人の野蛮な精神を叩き直すために日本に核攻撃しろ」という意味不明な投稿(敵なら殺すだけでよく、精神の叩き直しは不要)も、奴婢なら殺すも罰するも勝手という思想に基づくものだとすると、初めて理解が可能となる。
そう考えていくと、慰安婦問題などの無限に続く強欲、諸外国での韓国人らによる卑日運動、折り紙や剣道などの韓国起源主張、厚顔無恥な通貨スワップ要求、李明博の政権末期の異様な発言の数々、狂気の反日デモパフォーマンス、そして昨今のわさび騒動やバスチケット騒動など、だいたい説明がつく。
すなわち、韓国人の世界観はいまだ中世の「両班と奴婢」のままであり、「反日」とは敵対という意味ではなく、日本と日本人を奴婢化し、カネと労働力を無限に搾取して貶め、利益と名声は独り占めし、未来永劫日本の所有者たる両班として君臨しようという欲望に基づく彼らの本能的な行動なのである。
(参考)
韓国は反日狂信カルト国家
http://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/9751b5354dda302e43ece99740584bf1
日本人なら知っておきたい「スヒョン文書」 日本国内で暗躍する売国政党と在日外国人の実態(なでしこりん)
http://ameblo.jp/nadesikorin-fight/entry-12075720080.html
この記事は「差別とは人の営み」からの続きです。
『差別』を国語辞書で意味をひくと次のように定義されている。
①ある基準に基づいて,差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また,その違い。
② 偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益不平等な扱いをすること。また,その扱い。
①には良いも悪いもない。ダメとされるのは②。
複数の辞書を参照しても、意味合いに大差ない。単語の用法は辞書で定義されている意味で使うのが基本である。そうでなければ会話が通じない。反差別界隈は「差別とはマイノリティに対して〜」などと力説しているが、辞書の記述には属性の母集団の大きさが条件化されているわけではない。
反差別界隈が、「差別」という語句にマイノリティ云々として母集団の大きさを条件化しようと画策しているのは、日本海を東海と書き換えさせようという企みと同種のものである。迎合してはならない。迎合すれば、日本で日本人に不利益不平等な扱いをすることを意味する単語が消滅してしまう。
例えばルワンダ虐殺で有名なルワンダの歴史では少数派のツチ族がかつて支配層だったことからわかるように、属性の母集団の大きさと権力の大きさは必ずしも一致しない。また、差別が行われる物理空間(部屋、居住区、自治体など)内での力関係や勢力図も属性の母集団の大きさとは関係ない。
さらには、国連の「世界人権宣言」を見ても「差別」と「属性の母集団の大きさ」を関連付けた記述はどこにもない。
世界人権宣言(仮訳文)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
従って、反差別界隈が連呼するマイノリティ云々は単なる詭弁なので無視してよろしい。
この記事は「差別とは人の営み」からの続きです。
話を少し飛躍させる。反差別界隈は、そう呼称されることはあっても、彼らの真の狙いは「差別のない社会」ではない。傍証はいくつもあるが、彼らが「日本人に差別されたことはない」と主張する在日を敵対的に排斥するのはよく知られている。「差別のない社会」が目的なら、本来は祝福すべきこと。
では彼らの真の狙いは何か。彼らの個々人がどれほど自覚的であるかは別にして、彼らが向かう先は金正恩率いる言論弾圧独裁体制そのものだ。書店でのサイン会やトークショーなどに圧力をかけて言論弾圧した事案もある。彼らがやっていることは異論に反論ではなく言論弾圧である。差別反対はその口実。
反差別界隈にとって、差別反対や人権は武器として使い勝手が良い。大義名分としてこれを掲げられると日本人は反対しづらいからだ。その戦術で一定の成果を得たから、気に入らない論者や店を気がむくままに潰しにかかる。中国や朝鮮半島でやるのは勝手だが、日本でこんな横暴を許してはならない。
言論弾圧とは、自らが認める思想や言論以外を不当な圧力で潰すことである。反差別界隈で内部抗争や離反が多いのもこの体質が原因だろう。「差別のない社会」とは思想も言論も単色で塗りつぶされた世界ではない。日本を軍国主義だのファシストだのと批判するが、彼らこそがファシストである。
反差別界隈による差別糾弾の対象は、人種差別の領域にとどまらず、今や人の感情やその表出の次元にまで拡大しつつある。彼らがマスコミやメディア界に強いのも、最初から日本国民の人心を管理下に置くことが狙いだったのかとも疑う。彼らは他人(あるいは日本人)を支配しようという欲が強すぎる。
では万が一、反差別界隈が日本を支配することに成功したらどんな世界が待っているのか。おそらくは、日本人は差別主義者、日本人は虐殺主義者などといういつも飛んでくる罵倒の思想が固定化され、贖罪と称して奴隷化することを夢見ているのだろう。要するに李氏朝鮮時代の両班と奴婢の再現である。
こんな話を聞くと、まさか、と思うだろうが、朝日新聞などの長年にわたる論調を振り返れば良い。歴史問題だろうが現実の外交面だろうが常に日本が悪く、謝罪とともに近隣国に譲歩せよ、と常に主張してきた。あれにやられて贖罪意識を持った日本人も多いはずだ。冗談のようで冗談ではない。