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プロパガンダ画像

2019年03月22日 | 南京大虐殺
最終更新 2020.09.01



南京戦での日本軍の蛮行として今も英語圏を中心に流通している《赤子を刺し殺す日本兵》の写真だが、やはりニセモノだった。

The source of the photograph of “Japanese soldiers slaughtering babies”, which circulates mainly in the English-speaking world as a Japanese army in Nanking, is on the cover of the magazine appearing in the 1984 Hong Kong movie “Hong Kong 1941”.
Don't be fooled.




(クリックで拡大)




《要点》

(1)南京戦での日本軍の蛮行として流布されている画像の出典は1984年の香港映画『等待黎明』の作中に登場する雑誌だった。
(2)『帽垂布』の採用は南京陥落翌年からなので南京戦で使われてるはずがない。
(3)さらに、よく観察すると『帽垂布』の構造が異なるのでそもそも日本兵ではなくニセモノと思われる。




《画像の出典》

問題の写真は、1984年制作の香港映画『等待黎明』(邦題:風の輝く朝に)の作中に登場する雑誌の表紙だった。映画制作は第一次教科書問題の頃であり、対日情報戦の一環と思われる。




等待黎明 1984年 周润发 万梓良 叶童 国语 2战香港沦陷题材
https://youtu.be/RpaBl_MAJUU?t=3318

原題:『等待黎明』
英語題:『Hong Kong 1941』
邦題:『風の輝く朝に』
1984年制作 チョウ・ユンファ主演の香港映画。問題のシーンは55分付近。
香港が日本軍に陥落し、主演の中国娘がふとこの雑誌の表紙を見て驚く場面に登場する。悪役日本軍の心象的象徴として使われている。また作品の終盤に日本軍将校と格闘になり、この娘が奮起する場面にも挿入されている。




右側に雑誌を持つ娘の指が写っている。出回っている画像はこの場面を切り取ったと思われる。



娘が手に持つ雑誌の全景。



雑誌の上部の文字列拡大。


この「雑誌」の上部の文字は次のように読める。

天下亊
德國實力究如何 ★ 義大利會不會參戰


訳すと次のようになる。

世界
ドイツの強みを学ぶ方法 ★ イタリアは戦争に参加するか?


しかし、日本兵の蛮行らしき写真を前面に掲げながら、文字ではそれに触れずにドイツとイタリアだけを持ってくるのは雑誌の構成としては不自然。やはり映画撮影用に製作した小物と思われる。

但し、その下にある『Dorothy Thompson』と『Otto D. Tolischus』と読めそうな人名は、いずれも同時代(1941年頃)の実在するジャーナリストである。





なお、アマゾンでも日本語字幕版が視聴できる。


風の輝く朝に(字幕版) Prime Video ~ レオン・ポーチ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00G5WBD30/


余談:
映画自体はぼちぼち面白かった。日本軍の侵攻による香港陥落と英軍撤退で街中が大混乱になり、暴徒が富裕層の屋敷に乱入して略奪、警官は娘を襲って強姦。そして一部の富裕層中国人は日本軍の到着を待ちわび(規律が戻ることを期待)、住民は日の丸を振って日本軍を歓迎。という場面もあった。伝えられてる南京陥落時の状況と同じ。無秩序の大混乱よりは、次なる権力者が来て秩序が戻ることを歓迎する気質が感じられる。

余談2:
上述の混乱については史実としてWikiにも説明があった。《日本軍による陥落直後にイギリス植民地政府の警察力が停止した香港市内は、それまで潜んでいた中国人の暴力団や犯罪組織が闊歩し、略奪や強奪などを行い、一時的に治安が悪化したが、日本軍による軍政が整備されるにつれて治安は回復した。》(Wiki:香港の戦い https://ja.wikipedia.org/?curid=745133






《採用は南京陥落翌年》

しかし、この『帽垂布』を日本陸軍が正式採用したのは昭和13年5月。つまり南京陥落翌年なので、南京戦ではまだ使われているはずがない。

陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件(アジア歴史資料センター)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C01001561600





(参考)南京陥落1週間後に南京城内で撮影された写真。帽垂布は無い。


(昭和12年12月25日 朝日新聞/12月20日 林特派員撮影)






《本物とは異なる構造》

日本兵がかぶっていた帽子の日除けのひらひらは正式名称『帽垂布』というが、これは4枚の布から構成されている。ところが、問題の画像を見ると1枚ものにしか見えない。本物なら両脇の2枚が耳を覆うように垂れ下がってくるが、そうなっていない。従って、問題の画像のものは撮影用に用意したニセモノだと思われる。



なお、『支那事変でも非制式の部隊調達装備として帽垂が存在』したり、『制式化以前に試験運用として』形状の異なる帽垂布を使った部隊もあるので、形状からのみの断定は難しい場合があるとの指摘をいただきました。詳細はコメント欄の「旧軍マニア」さんからの投稿を参照ください。

また、『銃剣を持つ役者さんの顔も南方系(香港・広東あたり)やね…。』という指摘も。






《流布の事例》

事例的には、次のサイトのような形で《南京戦での日本軍の蛮行》として使われている。あるいは、ツイッター上の英語での南京論争で問題の画像が使われたりしている。







《定番の戦時プロパガンダ》

なお、《赤子を刺し殺す敵兵》というのは敵を悪魔化する戦時プロパガンダとして昔から定番らしい。
関連するキーワードの例を示す。

- Soldier bayonet a baby
- Anti German Propaganda
- Rape of Belgium
- Atrocity Propaganda



その一例を示す。



画像は、1641年のアイルランド革命のもの。(上記Wikiより)






《研究論文》

また、こういった日本軍に対する戦時プロパガンダについての研究論文があったので紹介しておく。








《追記1 映画『南京!南京!』》

これも“南京大虐殺”の一場面としてネットで流布されることがある画像。映画『南京!南京!』(英題 City of Life and Death、2009年、中国)から切り取ったものである。





nakingnaking(南京!南京!)
youtu.be/5Yqo-hgpCcw




《追記2 台湾セクシー女優》

時々見かけるこれも実は捏造だった。

日本軍の蛮行とされるよく使用される写真は実は台湾エロビデオの合成写真だった
https://togetter.com/li/1483464


(クリックで拡大)




《追記3 関東大震災》

中国は関東大震災の写真まで悪用していた。


(クリックで拡大)

UHM Library Digital Image Collections
Hifuku-sho. Tokio
https://digital.library.manoa.hawaii.edu/items/show/27111

問題の China Xinhua News のツイート(アーカイブ)
http://archive.today/r77xv




《追記4 台湾・第二霧社事件》

これも“南京大虐殺”として誤用(or 悪用)されることが多い写真。実際は、1931年に台湾で起きた第二霧社事件


(クリックで拡大)




《追記5 その他画像》

「南京虐殺」ニセ画像・映像と、元ネタのソース - Togetter
https://togetter.com/li/1521376

「南京事件」映像・プロパガンダ Atrocity Propaganda - Togetter
https://togetter.com/li/1330535

【閲覧注意あり】日中戦争中の写真、写真帖、アルバム(海外のも) - Togetter
https://togetter.com/li/1318855

日本軍への冤罪・ニセ写真を中心に Fake photos of 'Japanese war crimes during WW2' - Togetter
https://togetter.com/li/1316165

「南京大屠杀」だとされる写真 、「日本軍の仕業」だとされる写真、又は「通州事件」だとして拡散される写真....だが - Togetter
https://togetter.com/li/1116855




《関連記事》


The Fake of “Nanking Massacre”
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b9fce6b774ed768149eb86f4ddb29ad9

★南京大虐殺の真相(目次)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/9e454ced16e4e4aa30c4856d91fd2531



以上。









コメント (4)
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《英国公文書館》南京陥落まで

2019年03月07日 | 南京大虐殺


英国公文書館で南京戦の関連資料を見つけたということで資料提供をいただきましたので、共有すべく公開します。

1937年10月5日から南京陥落日の12月13日までの複数の電文があり、戦況等に関する情報の報告や、自国民保護についての緊迫したやりとりがあったことがわかります。
南京攻略戦に至るきっかけになった第二次上海事変が1937年8月13日〜10月26日であり、10月5日というとまだ上海を包囲する国民党軍に対して日本軍が苦戦を強いられていた頃です。






SECRET
Report No.94, dated 5.10.37.
Far Eastern Department.
Question of removing Chinese Government offices etc.

It has been learned on very good authority that T.V. Soong, at the end of September, told the following to a Chinese confidant:

The head offices of all the Government banks were to be removed to Hankow. The question of moving certain Ministries to Sian - the important archives of most had already been removed either to Sian or to Changsha - was under discussion. The removal of Ministries, if decided upon, would not affect the status of Nanking as capital, although it would in point of fact be really the military capital.

Copies to: Mr. Norton.
Service Departments.
Treasury.
Department of Overseas Trade.
H.M. Chargé d'Affaires, etc, informed.


秘密
レポートNo.94 1937年10月5日
極東部
中国政府事務所などの閉鎖についての疑問

非常に良い権威である宋子文が9月末に中国の親友に次のように語ったことについて学んだ。

すべての政府銀行の本社は漢口に移されることになっていました。 特定の省庁を西安に移転させるという問題が議論されていました。(ほとんどの重要な公文書は、西安または長沙のいずれかに既に移動されています。) もし決定されたとしても、省庁の閉鎖は首都としての南京の地位に影響を及ぼさないであろうが、実際には本当に軍事首都になるでしょう。

コピー宛:
ノートン氏
サービス部門
財務省
海外貿易省
英国代理公使などが伝えた。


(注記)最後の一文。H.M. は His/Her Majesty=英国、chargé d'affaires(仏語)を代理公使と訳した。






This Document is the Property of His Britannic Majesty's Government, and should be returned to the Foreign Office if not required for official use.

FROM CHINA.
Decode, Mr. Howe (in H.M.S. BEE) (Nanking en route Hankow) 24th November, 1937.
D. (BY W/T) 24th November, 1937.
R. 6.00 p.m. 24th November, 1937.
No.687. (R).

An attempt is being made by an unofficial Sino-foreign committee to establish a safety zone for refugees in Nanking similar to that which was so successful in Shanghai (Nantao).
United States Ambassador and I have given the scheme our blessing and undertaken to assist by acting as channel for communication with Japanese authorities.
Addressed to the Foreign Office No.687 November 24th; repeated to Nanking, Shanghai, Tokyo, Peking (Shanghai please pass to Tokyo as my telegram No.277).


この文書は英国国王陛下の政府の所有物であり、公的使用に必要でない場合は外務省に返却する必要があります。

中国から
ハウ(砲艦BEE)(南京から漢口)1937年11月24日
発信 無線           1937年11月24日
受信              1937年11月24日 午後6:00
No.687. (R).

上海(南市?)で成功したのと同様に、南京で難民のための安全地帯を設立しようとする非公式の中国外交委員会による試みが行われています。
米国大使と私はこの計画に私たちの祝福を与え、日本の当局とのコミュニケーションの場として行動することによって援助することを約束しました。

外務省宛 第687号 11月24日:南京、上海、東京、北京(上海は私の電報No.277として東京に渡してください)に転送。


(参考)
インセクト級砲艦BEEについて以下のサイトに情報がある。

HMS Bee – February 1918 to January 1923, China Station
https://www.naval-history.net/OWShips-WW1-11-HMS_Bee.htm

HMS Bee (1915)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Bee_(1915)








From CHINA
Decode and Decypher. Mr. Prideaux Brune (Nanking). 28th November, 1937.
D. (Via W/T.) 28th November, 1937.
R. 6.10 p.m., 28th November, 1937.
No. 1A. and 2.

IMMEDIATE.
[Beginning of "R".]
Adressed to Embassy, Hankow, No. 6.
Following from Military Attaché.

A. On evening of November 27th General Tang Sheng-chi addressed foreign residents in Nanking as follows:-
1. It was his intention to defend Nanking to the last man.
2. It was most likely that Nanking would become a battle ground very soon.
3. Foreigners would therefore be in danger and he advised them to leave Nanking. He would do his best to safeguard those who remained and foreign property.
4. He anticipated that in a few days it would be necessary to shut the city gates. If necessary he would devise means of getting foreigners through or over the city gates but danger might lie on the other side.
5. Nanking itself would be defended by well organised troops and special steps had been taken to deal with lawless military both within the city and within fifty kilometres of Nanking.

[ End of "R".]

However he added significantly that troops employed around Nanking came from many provinces and it might not be possible for him to prevent disturbances in the city.
In subsequent conversation General remarked that should Japanese succeed in taking Wuhu then Chinese troops in Nanking area would be trapped and would have to fight it out.
B. For a Chinese the speech was particularly frank and it is difficult to assess the amount of bluff that should be attached to General's remarks. Speech was obviously inspired and meant for world and Japanese consumption. In my opinion it was meant to imply that Nanking would be razed to the ground should the Japanese attempt its capture. This would be accomplished by opening the gates and letting in the retreating troops.

Embassy Hankow to repeat to Tokyo if considered necessary.
Repeated to Foreign Office, Peking, Commander-in-Chief and General Officer Commanding.


中国から
プリドゥ-ブルーン(南京)  1937年11月28日
発信 無線         1937年11月28日
受信            1937年11月28日 午後6:10
No. 1A. and 2.

至急
[受信開始]
漢口大使館宛 No.6
駐在武官から

A. 11月27日の夕方、唐生智将軍は南京の外国人住民に次のように語った。
1. 最後の一人まで南京を守ることが彼の意図でした。
2. 南京が間もなく戦場になるだろうと思われました。
3. そのため、外国人は危険にさらされることになり、南京を去るように彼らに勧めました。 彼は、残った人々と外国の財産を守るために最善を尽くします。
4. 彼は数日で市の門を閉めることが必要になるだろうと予想しました。必要ならば、彼は外国人を市の門を通り抜けさせたり越えたりさせる手段を考案するでしょうが、危険は反対側にあるかもしれません。
5. 南京自体はよく組織された部隊によって守られ、市内と南京の50キロメートル以内の両方で、無法軍に対処するための特別な措置が取られていました。
[受信終了]

しかし彼は、南京周辺で雇用されている部隊が多くの州から来たものであり、彼が都市の混乱を防ぐことは不可能であるかもしれないと大いに付け加えた。
その後の会話の中で、将軍は、日本人が蕪湖を取ることに成功すれば、南京地域の中国軍は閉じ込められ、戦わなければならないだろうと述べた。
B. 中国人にとってスピーチは特に率直であり、将軍の発言に添付されるべきブラフの量を評価することは困難です。 スピーチは明らかにインスピレーションを得ており、世界と日本の消耗のためのものでした。 私の意見では、それは日本が攻略を試みれば南京は地面に討ち滅ぼされることを意味しました。 これは門を開いて退却軍を入れることによって達成されるでしょう。

漢口大使館は必要であれば東京に転送してください。
外務省、北京、総司令官、および司令長官に転送。


(注記)「プリドゥ-ブルーン」という人物は「④ベイツからティンパレーへ」(南京事件資料集アメリカ編P359)にも登場する。






From CHINA
Decode. Mr. Prideaux-Brune (Nanking). 28th November, 1937.
D. By wireless 29th November, 1937.
R. 5.45 p.m. 29th November, 1937.
No.4. (R).

Addressed to Embassy Hankou telegram No. 9.
I am arranging evacuation of British subjects and hope that it can be completed tomorrow except for Military Attaché and myself who will remain in the Embassy for the present.
There are 21 British subjects of whom 5 will be accommodated on the gunboat and the remainder on Jardine Matheson hulk. At my German colleague's request I am admitting to the hulk himself, 2 members of his staff and 11 others under protection of the German Embassy. At my United States colleague's request I am admitting 5 American ladies and possibly several other Americans. Three Dutch nationals are also being admitted.
Unless outlook improves Butterfield and Swire's s.s. "Whangpoo" due here November 30th will be detained and lie near the hulk to relieve congestion on the latter which will be acute. The hulk lies four miles up the river from Nanking bund. It is inevitable that a certain number of Chinese craft will collect in its vicinity. I suggest that Japanese authorities be informed of location of the hulk and of the fact that it is serving as a place of refuge for British and other nationals as described above and that they also be informed that at present the members of your staff are remaining in the Embassy and one of H.M. Ships is lying off Nanking bund.

Repeated to Foreign Office, Peking, Commander-in-Chief and Shanghai.


中国から
プリドゥ-ブルーン(南京) 1937年11月28日
発信 無線        1937年11月29日
受信           1937年11月29日 午後5:45
No.4.(R)

漢口大使館宛 電信 No.9
私はイギリス人の避難を計画しています、そしてそれが明日のために大使館に残るであろう駐在武官と私自身を除いて明日それが完了されることができることを願っています。
21人のイギリス人被験者がいて、そのうち5人は砲艦に収容され、残りはジャーディン・マセソンの廃船に収容されます。私のドイツの同僚の要求で、私は彼自身、彼のスタッフの2人のメンバーとドイツ大使館の保護の下で11人の他の人に船に入ることを認めています。私のアメリカの同僚の要求で私は5人のアメリカ人女性そしておそらく他の数人のアメリカ人を認めています。 3人のオランダ人も認められています。
ここ11月30日までにフィールド&スワイヤーの蒸気船"Whangpoo"が見通しを改善しない限り、拘束され、遅くなるほどひどくなる混乱を緩和するために廃船の近くに横たわるでしょう。廃船は南京埠頭の上流4マイルに横たわっています。一定の数の中国の小型船(?craft)が近くに集まることは避けられません。
私は日本当局に、件の廃船の位置とそこが上記のように英国および多国籍な人々の避難所になっていること、現時点であなたの部下も大使館にいること、英国艦船が南京埠頭に一隻停泊していること等を知らせるべきだと提案いたします。

外務省、北京、総司令官、および上海に転送。


(注記)Wiki:ジャーディン・マセソン・ホールディングス(英語: Jardine Matheson Holdings Limited, 中国語: 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィス(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン)を置くイギリス系企業グループの持株会社。
(注記)Wiki:スワイヤー・グループ(英語: Swire Group、中国語簡体字:太古集团、中国語繁体字:太古集團)は、香港の本部を置く国際企業グループ。海運、空運、貿易や不動産、その他製造販売事業等様々な事業を展開している。…1866年 R. S. バターフィールドとの共同経営を開始。上海租界に「バターフィールド&スワイヤー社(Butterfield & Swire(B&S))」を設立。
(注記)「s.s.」とは、steam ship 蒸気船か。すると、"Whangpoo"は船名か。


(参考)
なお、上記の電文が米国にも伝わっていて、次の文書に紹介されている。

The Ambassador in China (Johnson) to the Secretary of State
https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1937v04/d462






From CHINA.
Decode. Mr. Prideaux-Brune (Nanking). 28th November, 1987.
D. By wireless 29th November, 1937.
R. 7.15 p.m. 29th November, 1937.
No. 3. (R).

Addressed to Embassy at Hankow No.8 November 28th.
My telegram No.6.
Address in question was given in the course of daily reception to press correspondents and other foreigners. I was not present as I and my American and German colleagues were calling at the time on Chiang Kai-shek obtaining authoritative information regarding arrangements at Nanking. He said nothing of particular significance beyond confirming report that local administration is being placed entirely in military hands under defence Commander and no civil officials will remain except minor staff required to maintain essential municipal services.

Repeated to Foreign Office, Peking, Comander-in-Chief and General Officer Commanding.


中国から
プリドゥ-ブルーン(南京)  1987年11月28日
発信 無線         1937年11月29日
受信            1937年11月29日 午後7:15
No. 3(R)

漢口大使館宛 No.8 11月28日
私の電報 No.6
問題の住所は記者会見の記者や他の外国人への毎日のレセプションの過程で与えられました。 私と私のアメリカ人とドイツ人の同僚が、蒋介石が南京での取り決めに関する権威ある情報を入手するよう呼びかけていたので、私は出席しませんでした。 彼は地方行政が完全に防衛司令官の下で軍の手に置かれているという報告を確認することを除いて特に重要なことは何も言わず、重要な自治体サービスを維持するために必要な少数のスタッフを除いて公務員は残りません。

外務省、北京、総司令官、および司令長官に転送。






* AMENDED COPY. *
SECRET.

From:- Military Attaché, Nanking.
TO: The War Office.
Desp. 1305 30.11.37.
Recd. 1400 30.11.37.

M.A./94 Cipher 28/11.

Nanking 0600 hours 28th November. Situation Nanking fast deteriorating. Evident all with means deserting city. Ministers War and Navy, General Chang Chun, all responsible members of Foreign Office, Mayor and "Bankers" already left.
Garrison (repeat Garrison) Commander (not Tang Sheng chi) sick. Commissioner of police wavering. Freely rumoured when necessary police will go first followed by gendarmerie then military. Streets full of nondescript soldiers and authoritative control gradually becoming weaker.

Position will be critical when Japanese reach Chingkiang. Considered main Chinese forces will be able to slip away south westwards before Japanese reach Wuhu. Remainder will be faced with necessity of crossing Yangtaze river. No light task in face of heavy aerial bombardment.
Chiang Kai Shek still in (Nanking ?).

*When he leaves possibility of disturbances* in city cannot be regarded lightly. Except for radio and official wireless we are out of touch with events outside Nanking.
I am moving Archives ciphers and clerks aboard H.M.S Cricket.

C.4.(Telegrame).
Copies to:
S.of S.
C.I.G.S.
P.U.S
D.M.O & I.
D.D.M.O.
D.D.M.I.
M.O.1.A. 2. 2A.
M.I.1. 1.B. 2. 2C.
S.of S.(F.O.)
Mr.Orde (F.O.)
Cdr.Adams (Admiralty).
Sqdn.Idr.Pelly (Air Ministry).


*修正コピー*
秘密

From: 駐在武官、南京
TO: 戦争省
送信 1937年11月30日 13時05分
受信 1937年11月30日 14時00分

M.A./94 Cipher 28/11.

11月28日の南京06時00分。南京の状況は急速に悪化しています。明らかに全ては市を放棄することを意味します。戦争と海軍大臣、長春将軍、外務省の全責任者、市長、そして「銀行家」はすでに去っています。
守備隊(繰り返すが守備隊)の司令官(唐生智ではない)は病気。警察長官は動揺している。警察が先に行き、次に憲兵、それから軍が行くと噂されています。(注釈:「行く」と訳したが、意味としては「脱出」と思われる)道路は得体の知れない兵士(nondescript soldiers)で満たされ、権威ある統制は徐々に弱まりつつあります。

日本軍が鎮江に到着したときの位置が重要になります。日本軍が蕪湖に到着する前に、考えられている中国の主要部隊は南西に滑り落ちることができるでしょう。(注釈:日本軍が蕪湖を占領する前に中国軍は蕪湖に脱出できるだろうという意味と思われる)残りは揚子江を渡る必要性に直面するでしょう。重爆撃に直面し軽い任務ではありません。
蒋介石はまだいる(南京に?)。

*彼が都市に混乱の可能性を残すとき*は軽く見なすことはできません。ラジオと公衆無線を除いて、我々は南京以外の出来事と連絡が取れていません。
私は暗号文資料と書記官を砲艦クリケットに乗せています。

C.4(電文)
コピー宛:
S.of S.
C.I.G.S.
P.U.S.
D.M.O&I.
D.D.M.O.
D.D.M.I.
M.O.1.A. 2. 2A.
M.I.1. 1.B. 2. 2C.
S.of S.(F.O.)
Mr.Orde (F.O.)
Cdr.Adams(提督)
Sqdn.Idr.Pelly(空軍省)


(参考)
インセクト級砲艦クリケットについて以下のサイトに情報がある。

HMS Cricket (1915)
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Cricket_(1915)






SECRET.
From: Military Attaché, Nanking. Desp.1745 3.12.37.
To: The War ofl'ice, Hong Kong and Shanghai. Recd.1000 4.12.37.

M.A./99 Cipher 3/12.

1. Secret. German Ambassador accompanied by Hsu Mo vice Minister of Foreign Affairs arrived Nanking by Customs sloop from Hankow morning December 2nd. After interview with Chiang Kai Shek they left for Hankow same evening.
2. Situation in city remains quiet. All city gates are being prepared for defence. Underground (?telephone) wires (?are) (?being) installed. Knife rests in large quantities being made. Large quantities military stores and motor transport being transported north bank of river. At conference night of December 2nd, Mayor (who has left) categorically denied authorities intended to (?destroy) city (?by) fire. Japanese have refused to agree an international zone within city but state (?they will) (?do) their best to respect it. Arrangements are (?going) forward under foreign committee to prepare zone (?for) occupation by refugees.
Commissioner of Police has been dismissed.

C.4.(Telegrams).

2 advance copies to S.O. to D.D.M.I. for return with distribution to C.4.(Telegrams).


秘密
From:駐在武官、南京    発信 1937年12月3日 17時45分
To :戦争省、香港、上海   受信 1937年12月4日 10時00分

M.A./99 Cipher 3/12.

1. 秘密。 徐謨外務大臣を同伴したドイツ大使は、12月2日の朝、漢口から特別仕様の船で南京に到着しました。 蒋介石とのインタビューの後、彼らは同日の午後漢口に向かいました。
2. 市内の状況は静かなままです。すべての市の門は防衛の準備ができています。地下電話線が設置されました。拒馬(注釈:Knife rests=拒馬、バリケード)が大量に作られています。大量の軍用装備と自動車輸送が川の北岸を輸送しています。 12月2日の会議の夜、市長は当局が火災によって都市の破壊をするつもりであることを断固として否定しました。日本人は市内の国際安全区に同意することを拒否したが、それを尊重するために最善を尽くすだろう。国際委員会の下で、難民による占有を準備するための手配が進められている。
警察長官は解任された。

C.4.(Telegrams).

2 advance copies to S.O. to D.D.M.I. for return with distribution to C.4.(Telegrams).


(注記)Wiki:拒馬(きょば)は、敵の通過を防ぐために主に道路などの封鎖の目的で用いられる移動可能な障害物である。…現代の拒馬は主として木材と有刺鉄線とから成る。その障害力は大きくはないが、移動性を有し、運搬、設置が容易である。






From CHINA.
Decypher Military Attaché (Nanking), 10th December, 1937.
D. W/T 10th December, 1937.
R. 7.10pm 10th December, 1937.
No.103

In continuation of my telegram M.A./102 Nanking situation sixteen hours December 9th, (1) Consul informed by Chinese authorities that all gates would be permanently closed at fifteen hours today. (2) Reliable information Japanese have occupied military aerodrome and are now attacking Kuanghuamen south-east of the city. (3) Fires were started in Hsiakwan at eleven hours this morning. Up to the present fires have been restricted to the area east of Creek running north and south about half a mile west of the city wall.


中国から
駐在武官(南京)   1937年12月10日
発信 無線      1937年12月10日
受信         1937年12月10日 午後7:10
No.103

私の電信 M.A./102 南京の状況の続きで12月9日16時、(1)総領事は、中国当局から、本日15時にすべての門が恒久的に閉鎖されることを通知しました。 (2)信頼できる情報 日本軍は軍用飛行場を占領し、現在は市の南東にある光華門を攻撃している。 (3)今朝11時、下関で火災が発生した。 現在までの火災は、市壁から西に半マイルほどの南北に走るクリークの東の地域に制限されてきました。






From CHINA.
Decypher. Mr. Brune (Nanking), 10th December, 1937.
D. W/T 11th December, 1937.
R. 6.00 p.m. 11th December, 1937.
No.9.

Nanking City and Hsiakuan shelled by Japanese who appear to have surrounded the city except from the west. It is considered general assault imminent and extremely probable that Japanese will effect an entry into south-east part of the city within twenty-four hours. Fires are raging on all sides but apparently not in the city. Large fire has [grp. omtd.] vicinity of Pukow railway station. The Bridgehouse Hotel in Hsiakuan property of Mrs. Sim, a British subject, destroyed by fire. All safe including I.C. Smith, Reuters correspondent, who is remaining in the city in spite of warning and at his own risk.

中国から
ブルーン(南京)  1937年12月10日
発信 無線     1937年12月11日
受信        1937年12月11日 午後6:00
No.9

南京市と下関は西側以外では市内を取り囲んでいたと思われる日本軍によって砲撃された。一般的な攻撃が差し迫っていると考えられており、日本人は24時間以内に市の南東部に入ることになるでしょう。 火は四方八方に猛威を振るっていますが、明らかに市内ではありません。大火事が(対岸の)浦口駅周辺にあります。下関にある The Bridgehouse Hotel は、英国臣民のシム夫人の所有物で、火事で焼失しました。 警告と危険にも関わらず市内に残っているロイター通信スミス特派員も含めて全員無事。


(注記)原文中の [grp. omtd.] については意味がわからず。推測では [集団については省略] のような意味合いか。当時の状況的にはあちこちで同時多発的に火災が発生しているはずなので、浦口駅付近の大火災以外は省略、ということなら意味的に通じる。






From CHINA.
Telegram (en clair) from Mr. Young. (Peking). December 13th, 1937.
D. (by wireless) December 13th, 1937.
R. 4.50.p.m. December 13th, 1937.
No. 882.

Addressed Shanghai for Mr. Howe No. 852.
My telegram No. 847. Japanese military spokesman here informed press correspondents evening 13th December that Nanking was now considered officially occupied and that announcement regarding new régime would be made following day.
Repeated Foreign Office No. 882, Tokyo and Tientsin.

中国から
ヤング氏(北京)からの電報(平文)  1937年12月13日
発信 無線              1937年12月13日
受信                 1937年12月13日 午後4:50
No.882

上海のハウ氏宛 No.852
私の電信 No.847、ここで日本の軍事スポークスマンは12月13日夕方に記者通信担当者に南京が現在正式に占領されていると考えられていて、新しい政権に関する発表が翌日行われると伝えました。

外務省から転送 No.882、東京と天津


(注記)最後の一文、どこからどこへの転送なのかいまひとつ読み取れず。Telegram No. も 847/852/882 と複数登場し、因果あるいは転送関係が複雑。







資料提供、翻訳の助言など皆さまにご助力をいただきました。ありがとうございました。





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米朝交渉は概ね順調

2019年03月02日 | 安保・国益


この記事は「朝鮮半島不可侵条約?」の続きです。



歴史的イベントとなった2018年6月シンガポールに続いての2回目ベトナム・ハノイでの米朝首脳会談は“決裂”に終わった。

焦点:米朝首脳、「特別な関係」では克服できない決裂の裏側
https://reut.rs/2EEsn2d
[ハノイ 28日 ロイター] - トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長がベトナムで開いた2回目の首脳会談では、結局、限定的な合意にすら達することができなかった。


世間ではマスコミも含めて、米朝交渉の進展を悲観したり、トランプ大統領は北朝鮮の核武装を容認してしまうのではないか等の雑音が飛び交ってるが、何ら気にする必要はない。
今回の米朝ハノイ会談で出てきた米国・北朝鮮両政府の発言をよく観察すれば、前回のシンガポール合意の範囲内での個片の交渉不成立に過ぎない。

米朝交渉の全体像を以下に図示する。





続いて、以下に上図の論拠となった記事を挙げていく。



「寧辺の核施設の解体」と「経済制裁の解除」の取引は不成立に終わった。ハノイ会談の結末はこれ。

米朝首脳会談、合意に至らず トランプ氏「北朝鮮が制裁解除要求」
https://reut.rs/2Nxwgci
トランプ大統領によると、会談では寧辺の核施設の解体を協議し、金委員長も意欲を示したが、委員長は制裁緩和を望んだという。
ポンペオ米国務長官は会見で「(金委員長に)一段の措置を求めたが、彼にはその準備ができていなかった」と語った。



もう少し生々しいやりとりは、次の記事にある。寧辺の核関連施設の廃棄だけでは取引できないということだろう。上の記事の「一段の措置」とは、米側が発見した寧辺以外の核関連施設の廃棄を指すものと思われる。

米国「寧辺以外に大規模な核施設ある」 北朝鮮との首脳会談終え
http://yna.kr/AJP20190228008300882
ベトナム・ハノイで北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)と2回目の首脳会談を行ったトランプ米大統領は28日午後に記者会見を開き、会談で北朝鮮・寧辺の核施設に関して具体的に議論したかとの質問に「そうだ」と答えた。また、米国は寧辺核施設の廃棄プラスアルファの非核化措置を望んでいたとし、寧辺の施設以外に「われわれが発見したものがあった」と述べた。
追加で発見された施設はウラン濃縮施設のようなものかと問われると「そうだ」と応じ、「われわれが知っていたということに北朝鮮は驚いていたようだ」と明かした。




しかし、北朝鮮側もシンガポール合意に留まり、今後も交渉を継続する意思があることはこの応答からもわかる。ゆえに、大筋としては心配は無用。

北朝鮮の金委員長、非核化の用意あると表明
https://reut.rs/2NvoBek
[ハノイ 28日 ロイター] - 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は28日、朝鮮半島の非核化を推進する用意がなければ、ベトナムでトランプ米大統領と会談していることはないと語った。




また、交渉“決裂”後の深夜に急遽行われた北朝鮮側の会見でも、リ・ヨンホ外相は次のように述べている。この部分の要点は3つ。これらもシンガポール合意に立脚している。

1)「寧辺の核関連施設の廃棄」と「経済制裁の一部緩和」を取引したかったが失敗した。
2)「より重要なのは、安全の担保という問題」だが、米側の準備に時間がかかることを承知している。
3)北朝鮮の非核化措置は、(米側からの)安全保障の提供と引き換えになる。


「キム委員長は意欲失うのでは」北朝鮮の会見全文 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190301/k10011832741000.html

アメリカが国連制裁の一部、すなわち民需経済と特に人民生活に支障をきたす項目の制裁を解除すれば、われわれは、ニョンビョン(寧辺)のプルトニウムとウランを含んだすべての核物質生産施設をアメリカの専門家の立ち会いのもとで、両国の技術者が共同作業で永久的に完全に廃棄するということです。

われわれが要求したのは、全面的な制裁解除でなく、一部の解除、具体的には国連の制裁決議、合わせて11件のうち、2016年から17年までに採択された5件、そのなかで民需経済と人民生活に支障をきたす項目だけ、まず解除せよということです。

これは朝米両国間の現在の信頼基準でみる時、現段階でわれわれができる最も大きい非核化措置です。われわれが非核化措置に出るにあたり、より重要なのは、本来、安全の担保という問題ですが、アメリカにとっては軍事分野での措置を取ることはまだ負担だとみて、部分的な制裁解除を相応の措置として提起するものです。

今回の会談で、われわれはアメリカが感じる懸念を減らすために核実験と長距離ロケット発射実験を永久に中止するという確約も、文書の形で表記することも表明しました。




次の記事では「寧辺の核関連施設の廃棄」と「経済制裁の緩和」が取引として受け入れられない理由を米政府高官が説明している。これは、経済制裁解除は最終的な核廃絶との交換になるという米国政府の方針を示したものと考えられる。

北朝鮮、制裁解除へ核施設の一部閉鎖を提案=米国務省高官
https://reut.rs/2NzyDv3

[1日 ロイター] - 米国務省のある高官は、北朝鮮は、大量破壊兵器を直接対象としたものを除くすべての国連制裁の解除条件として、寧辺の核施設の一部閉鎖を提案したと述べた。

高官は記者団に「われわれが直面した問題は、現時点で北朝鮮が大量破壊兵器プログラムの完全な凍結に前向きではなかったことだ。制裁解除で多額の資金を与えることは、実質的に大量破壊兵器の開発を手助けすることになる」と述べた。


なおこれは、米朝交渉期間中は、北朝鮮が核兵器の製造を今後も継続することを米国側でも承知していることを示しているとも言える。北朝鮮側としては、シンガポール合意が最終的に破棄される将来リスクを考えたら軍備強化を放棄するわけにはいかないわけだから仕方がない。
逆に「核兵器の製造が続いているから北朝鮮に核廃絶の意思はない」などと騒がなくて良い。モノゴトには順序がある。



…ということで、以上の情報を俯瞰すると、冒頭に掲げた図のような取引構造となる。



また、ハノイ“決裂”後の安倍総理のコメントは次の通り。悲観などしていない。逆に歓迎し、そして次の一手に踏み出そうとしていることがわかる。

安倍首相「次は私が向き合う」 トランプ氏の妥協せぬ姿勢歓迎
https://www.sankei.com/politics/news/190228/plt1902280027-n1.html
安倍晋三首相は28日夜、トランプ米大統領と電話会談し、米朝首脳会談の報告を受けた。首相は会談後、トランプ氏が非核化で妥協しない姿勢を示したことについて「安易な譲歩を行わず、北朝鮮の具体的な行動を促していくトランプ氏の決断を全面的に支持する」と記者団に語った。トランプ氏が拉致問題を提起したことを評価し「次は私自身が金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と向き合わなければならない」と言及した。


シンガポール合意文書にある《北朝鮮に安全保障を提供=原文:President Trump committed to provide security guarantees to the DPRK.》の正体は、周辺大国による朝鮮半島不可侵条約ではないかというのが私の読みだが、その場合は日本も調印国になり、その条件の筆頭に拉致被害者の帰国が来る。故に、そろそろ日朝交渉を開始すべく上述のコメントになったのだろう。



それで、この一連の米朝交渉がいつまでかかるのかを考えると、例えば今年中などというような短期には終わらないものと予想する。
歴史に類例を求めると米ソの「第一次戦略兵器削減条約」が参考になるかもしれない。交渉開始は1982年だが、冷戦が緩和した1985年頃から交渉が加速し、1991年に締結。6年も要している。
これを米朝交渉に当てはめると、米朝敵対緩和が2018年として6年かかるとすれば2024年。これより早まるか遅くなるかはわからないが、ともかくそんな短期には終わらない話。



最後にハノイ“決裂”後のトランプ大統領のツイートを紹介。

"we know what they want and they know what we must have." と書いているが、ここはシンガポール合意での双方の取引項目を暗示してると思われる。続けて「関係は良好だし、何が起こるかまぁ見ててよ」と締めくくっている。








(参考)
2018年6月シンガポールでの米朝署名文書の全文:

Trump and Kim's joint statement(英文)
https://reut.rs/2l1Q5e6

情報BOX:米朝首脳会談、共同声明の全文(日本語訳)
https://jp.reuters.com/article/us-nk-summit-joint-statement-idJPKBN1J80RF





以上。








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