第二の矢を受けず
このところ様々なレベルの虐待やいじめ・殺人など、心痛む事件が多い。心のちょっとした
波立ちが、悪感情を増幅させて悲惨な事態をひきおこしてしまうようだ。
仏教、とりわけ禅は「心を調(ととの)えよ」との教えである。たしかに、上手に心を調え
られたならば事件にまでは発展しなかった、と思われるケースも少なくない。
お釈迦さまは、実に多様なかたちで繰り返し、心を調えることを教えられた。
その中には、「調える」前に「心を乱さない」という手法もあった。
雑阿含経の第十七に、『箭経』と名づけられた短いお経がある。
......お釈迦さまが弟子達に尋ねられた。
「人は誰でも、美しいものに出会えば楽しいと思い、痛い目にあえば苦しいと感じるだろう。
それでは、仏教を学んだ人とそうでない人との差はどこにあるだろうか?」
弟子達は教えていただきたいと懇願した。
そのお答えの要点は「第二の毒箭(毒矢)を受けない」ということだった。
「仏教を知らぬ人達は、楽しい事に出逢うとそれに執着し、『もっと欲しい』と"貪(むさぼ)り"
の念をおこす。同様に、苦に出逢うと"瞋(いか)り"の感情にとらわれてしまう。そうして、いよ
いよ混迷していくのだ。
けれども、仏教を学んだ人は、外界の刺激でいろいろな感覚は触発されるが、いたずらに感情
を増幅させられることがない。それを、身受を受けても心受を受けずともいう。そこのところを、
第一の矢は受けても第二の矢は受けないと表現したのだ」......と。
沢山の経典の中に、心を調える法が種々説かれている。だが、乱れてしまってから調えるより
も、乱さないで過ごした方がいいに決まっている。
「第二の毒矢は受けない」と自らに言い聴かせながら、心の乱れを防いでいくことは、お釈迦さま
の大切な御教えである。
高橋 宗寛
このところ様々なレベルの虐待やいじめ・殺人など、心痛む事件が多い。心のちょっとした
波立ちが、悪感情を増幅させて悲惨な事態をひきおこしてしまうようだ。
仏教、とりわけ禅は「心を調(ととの)えよ」との教えである。たしかに、上手に心を調え
られたならば事件にまでは発展しなかった、と思われるケースも少なくない。
お釈迦さまは、実に多様なかたちで繰り返し、心を調えることを教えられた。
その中には、「調える」前に「心を乱さない」という手法もあった。
雑阿含経の第十七に、『箭経』と名づけられた短いお経がある。
......お釈迦さまが弟子達に尋ねられた。
「人は誰でも、美しいものに出会えば楽しいと思い、痛い目にあえば苦しいと感じるだろう。
それでは、仏教を学んだ人とそうでない人との差はどこにあるだろうか?」
弟子達は教えていただきたいと懇願した。
そのお答えの要点は「第二の毒箭(毒矢)を受けない」ということだった。
「仏教を知らぬ人達は、楽しい事に出逢うとそれに執着し、『もっと欲しい』と"貪(むさぼ)り"
の念をおこす。同様に、苦に出逢うと"瞋(いか)り"の感情にとらわれてしまう。そうして、いよ
いよ混迷していくのだ。
けれども、仏教を学んだ人は、外界の刺激でいろいろな感覚は触発されるが、いたずらに感情
を増幅させられることがない。それを、身受を受けても心受を受けずともいう。そこのところを、
第一の矢は受けても第二の矢は受けないと表現したのだ」......と。
沢山の経典の中に、心を調える法が種々説かれている。だが、乱れてしまってから調えるより
も、乱さないで過ごした方がいいに決まっている。
「第二の毒矢は受けない」と自らに言い聴かせながら、心の乱れを防いでいくことは、お釈迦さま
の大切な御教えである。
高橋 宗寛