斬剣次郎の鉄道・バス斬り2

管理人が撮影した鉄道・バスの写真をUPします。

田上車庫前~信楽線

2024-04-21 16:51:06 | バス
 3月末で帝産バスの
 信楽線
 が廃止されました。戦前から長い歴史を持ち、かっては京都の三条大橋から運行されていたという歴史のある路線でしたが、1990年代の三条大橋~石山駅が廃止され、2016年7月末に石山駅直通が廃止され、末期はに田上車庫前~信楽が朝夕に運行されるだけでした。
 田上車庫前~信楽が出来た2009年12月以降を取り上げます。


 田上車庫前~信楽が出来た当時は草津からローザを転属させて充当していました。あの歴史のある信楽線がローザなんて驚いた記憶があります。とはいえ、ローザでもガラガラなほど乗客が減っていたのです。とはいえ、田上はそれまで全て大型車で揃えていたのですが、信楽線をきっかけに中小型車が再び配置されるようになります。



 とはいえ、信楽線用の小型車は1台のみと数に限りがあったため、1時間ヘッドで運行されていた頃は大型車による代走も行われていました。その時の画像です。大型車のLEDでは石山駅直通と同じスタイルですが、経由地表示が「黄瀬・信楽駅経由」で、石山駅直通と少し違いがありました。あと、幕車も充当実績があり、その時は信楽だけの表示が使われていました。


 そして、ローザが撤退し、リエッセに交代しました。ただ、そのリエッセも草津からの転入になります。リエッセが務めていた2016年8月ダイヤ改正が行われ、信楽駅~信楽案内所が廃止され、信楽駅までに短縮されると共に石山駅直通も廃止されました。本数も朝の田上車庫前行きと夕方の信楽駅行きに削減されました。
 そのリエッセだけでなく、元南海の日野HRも務めていたのですが、撮影できず。これらの2台は石山駅に姿を見せたこともポイントです。



 そして、最晩年になってリエッセから元南海のエアロミディの769に交代し、それで廃止を迎えています。田上車庫前発が出来てから小型車が本務を務めてきましたが、廃止直前になって中型車に代わったとは驚きでした。とはいえ、769も草津からの転入だけど・・・。
 因みに769は信楽線廃止前は信楽線専属で走ってましたが、その間は1回だけ石山駅に来ているのを見かけています(夜だったから信楽線は916だったのでしょうね・・・)。そして、廃止後はお役御免とならず、他の路線に充当されるようになっているようです。(何度か石山駅で見かけています)



 信楽駅止まりになったことで、行先表示でも「信楽駅」と表示されるようになりました。信楽線といえば長らく信楽だけの表示だったし、昔は信楽駅非経由だっただけに信楽駅表示を見るだけで違和感を感じたものです。その代わり、陶芸の森表示が小さくなってしまいました・・・。昔は1時間ヘッドだったから価値はあったのかもしれませんが、晩年は朝夕のみの運行だったから大きく表示させる意味が無かったのかもしれませんね・・・。
 とはいえ、田上車庫前~信楽になっても系統番号は10を維持していることもポイントです。系統番号の下1桁が発着駅を示していて、0は石山駅なのですが、石山駅を発着しなくても維持していたとは驚きです。



 田上車庫前~信楽線の廃止と同時に廃止された
 ミホミュージアム~信楽線
 です。ミホミュージアムの客を信楽へ案内するために出来たようなもので、歴史はそんなに古くありません。ルートも田中車庫前発着とは大きく異なり、田代を経由します。なので、経由地表示にも反映されています。この系統は昼間のミホミュージアム→信楽駅の2本だけ運行されるので、ミホミュージアムで乗り換える形で一応昼間に石山駅~信楽のルートが出来ていました。とはいえ、やや時間がかかり、乗り継ぎ割引が無いので少し高くなっていましたね・・・。
 とはいえ、系統番号はやはり10でした。石山駅~信楽の末裔でないにもかかわらず10を名乗るなんて違和感ありましたけどね・・・。信楽駅発着を示す「7」を設定して17系統でもよかったような気が・・・。



 信楽駅
 バス停です。信楽営業所の廃止と同時に経由するようになったため、歴史はそんなに古くないですが、最晩年は起終点として機能していました。なので、バス停ポールは比較的新しいものが立っていました。
 最晩年は起終点としていたのですが、全て回送として折り返していたこともあり、バス停での待機はほとんどありませんでしたね・・・。


 実をいうと、平日の1回に限って石山駅~田上車庫前~信楽駅~大石小学校~石山駅でバスの乗り継ぎが出来ました。帝産バスと甲賀市コミュニティバスではルートが全く違う上に景色も大きく違うので、その違いを楽しむことが出来ました。とはいえ、信楽駅での乗り継ぎが2分しかないので際どかったけど・・・。
 ただ、信楽線の廃止と同じタイミングで甲賀市コミュニティバスもダイヤ改正が行われ、夕方の大石小学校行きが宮尻止まりに変わってしまい、完全に過去入りしてしまいました。(乗車時、信楽から大石地区まで乗車した高校生がいたのですが、高校生にすれば1時間以上早くなってしまった感じですが・・・)



 帝産バスのバス停ポールはいくつかのタイプがあるのですが、その中で白百合型のものはバス停名称が手書きのものが多く、それぞれ味があります。
 そこで、信楽線沿線のバス停ポールでは小型のタイプが大半を占めており、白百合型は2ヶ所ありません。
 このうちの1つが、
 陶芸の森前
 です。もちろん、手書きです。案内では陶芸の森前と出ていますが、バス停ポールには近江化学前がメインになっていました。とはいえ、近江化学は正確には近江化学陶器(株)で主にタイルを製造している会社だそうです。1970年の大阪万博の太陽の塔の一部がここで製造されたのだとか。
 一応、陶芸の森と近江化学は道路を挟んで隣り合っているので間違いはないけど・・・。



 もう1つは
 伝統産業会館前
 です。伝統産業会館は信楽焼の歴史や作品などを展示している会館です。このバス停は信楽駅から2つ目のバス停で、信楽駅口交差点のすぐ近くにあります(信楽駅行きのバスが国道307号線から曲がる交差点です)。ここでもきちんと手書きになってました。
 因みに伝統産業会館は施設の老朽化に伴い、2020年に信楽駅の近く(信楽駅~信楽支所の間)に移転し、最寄りバス停が信楽駅または信楽支所に変わったのですが、バス停名称は最後まで変わりませんでした・・・。
 伝統産業会館前は太文字、陶芸の森は細文字と文字のスタイルが異なっているのが面白いですね・・・。

 信楽に営業所を置くほど歴史のある信楽線が廃止になり、信楽から帝産バスが撤退してしまうなんて、想像もしなかったです。となると、信楽から路線バスが完全になくなってしまうことになるのか・・・。(コミバスだけに・・・)
 以上です。

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