淡路交通が運行し、津名港~震災記念公園前間を運行していた
西浦・一宮線
が2019年9月末で廃止されました。西浦・一宮線はかって岩屋から西海岸に沿って津名まで運行されていましたが、2013年に震災記念公園前以北が廃止され、津名港~震災記念公園前での運行になっていました。
側面行先表示です。途中の北淡ICでは高速バスと同じバス停に発着しているので、高速バスとの乗り換えがすぐにできるような感じでした。
津名港ではターミナルから一番離れた5番乗り場から出ていました。ただ、5番乗り場に発着している路線は西浦・一宮線だけなので、廃止となったあとはバス乗り場自体も休止という感じなんですかね・・・。
震災記念公園前
バス停です。元々終点ではなかったため、道路上にあり、バス停ポールも木製になっていました。バスは降車扱いの後すぐに北方面へ向かい、折り返しの出発時刻になってやってきたので、どこで待機しているのかは不明ですが・・・。
本数は昼間に3時間空く時間帯があるものの、そんなに少ないという感じでもなかったし、乗客も10人程度はいた感じだったので、廃止は驚きでした・・・。
バス停の名前にもなっている
震災記念公園
です。施設の中には入りませんでしたが、ここを訪れるのは震災から1年後の1996年以来23年ぶりです。当時は公園として整備される前で、震災によってできた活断層はビニールハウスによって覆われていました。活断層を見学するために施設の管理者に依頼してビニールハウスを開けてもらった記憶があります(ビニールハウスなので当然狭かったですが・・・)。
当時は活断層見学に向かうために淡路交通のバスに乗りましたが、当時は明石大橋が出来る前なので、明石から船で岩屋へ行き、ここから西浦線に乗って向かいました。見学後は再びバスに乗って洲本へ向かいました。当然、今より本数は多く、バスの車内は活気はありました。今回の西浦・一宮線乗車はあの時以来23年ぶりになったわけですが、当時の記憶は少なく、これだっ!という感じはあまりありませんでした・・・。でも、旧洲本バスターミナルの記憶はもちろんあります。
以上です。
西浦・一宮線
が2019年9月末で廃止されました。西浦・一宮線はかって岩屋から西海岸に沿って津名まで運行されていましたが、2013年に震災記念公園前以北が廃止され、津名港~震災記念公園前での運行になっていました。
側面行先表示です。途中の北淡ICでは高速バスと同じバス停に発着しているので、高速バスとの乗り換えがすぐにできるような感じでした。
津名港ではターミナルから一番離れた5番乗り場から出ていました。ただ、5番乗り場に発着している路線は西浦・一宮線だけなので、廃止となったあとはバス乗り場自体も休止という感じなんですかね・・・。
震災記念公園前
バス停です。元々終点ではなかったため、道路上にあり、バス停ポールも木製になっていました。バスは降車扱いの後すぐに北方面へ向かい、折り返しの出発時刻になってやってきたので、どこで待機しているのかは不明ですが・・・。
本数は昼間に3時間空く時間帯があるものの、そんなに少ないという感じでもなかったし、乗客も10人程度はいた感じだったので、廃止は驚きでした・・・。
バス停の名前にもなっている
震災記念公園
です。施設の中には入りませんでしたが、ここを訪れるのは震災から1年後の1996年以来23年ぶりです。当時は公園として整備される前で、震災によってできた活断層はビニールハウスによって覆われていました。活断層を見学するために施設の管理者に依頼してビニールハウスを開けてもらった記憶があります(ビニールハウスなので当然狭かったですが・・・)。
当時は活断層見学に向かうために淡路交通のバスに乗りましたが、当時は明石大橋が出来る前なので、明石から船で岩屋へ行き、ここから西浦線に乗って向かいました。見学後は再びバスに乗って洲本へ向かいました。当然、今より本数は多く、バスの車内は活気はありました。今回の西浦・一宮線乗車はあの時以来23年ぶりになったわけですが、当時の記憶は少なく、これだっ!という感じはあまりありませんでした・・・。でも、旧洲本バスターミナルの記憶はもちろんあります。
以上です。