こんばんは
月日が過ぎるのは早いもので、この仕事も3年目に入りました。
この2年とちょっとでそれなりにいろいろとありましたが、根っこはやはりそうそう変わるものではありません。
相変わらずリア充たちの会話にはついていけないし、職場の女性社員と話すのはいつも気を使うし、暖かくなってきて薄着の女性を見るとついガンミしてしまうし…
最後は男の子だから許してください(笑)それぐらいしか楽しみがないのです(泣)
でもまぁ意外となんとかなるものです。特別仕事ができるわけではないし、交友関係が広いわけでもないし、身なりがよいわけでもありません。
所謂「垢抜けない若者」というのが俺を表す最適な言葉と言えるでしょう。
でもそれでいいと思います。オシャレにはあまり興味がありません。見せる相手もないのに上等な服を着て外を練り歩く趣味はないのです。
着たい服があるかと問われればあります。ただし着方がわかりません。それに年中パーカーやらなんやら長袖のものを着ていると、いざ半袖や薄い生地のものを着た時に腹が冷えて辛いです(笑)
だからといって暑い中で長袖長ズボンでいるのはさらにしんどいですから、一番は無難な格好をすべきなのです。街に溶け込むような個性のない背景と同化するかのような服。
個性がないとは言ってもあからさまな単色では逆に目立ちます。美的センスを磨いてこなかった人生とはいえ、青一色になった自分の姿が「無難」でないことくらいは分かるのです。
では、何を着ればよいのでしょうか。答えは簡単、マネキン買いをすればよいのです。そして、マネキン買いのオシャレアイテムを省くのです。
俺が買いに行くような店は大衆店です。当然カジュアルな服装ばかりです。そして若者過ぎない格好もあるのが嬉しいところです。
そんな中でのマネキン買いは、一見して落ち着いているように見えて、今はもう夏を意識しているのか半ズボンであるなどということが多いです。
この半ズボンが曲者です。夏らしいのは見てわかります。しかし足が冷えると腹が冷えるのです。よってここを修正し、メンパンや暑くなさそうなズボンを見付けて履きます。それで大体大丈夫です。
というか大学生みたいな格好でいいのです。中学生みたいな格好にならなければ、それでいいのです。それが難しいんですけどね…
とはいえそこまで多くの服を持っているはずもありません。この前考えてみたら、俺の中では冬と夏しかないことがわかりました(笑)
ユニクロで買った裏地がモコモコのあったかパーカー×2、職場旅行のために買ったチェックのシャツとセーター(どちらもユニクロ)、いつぞや買ったユニクロの厚手&薄手パーカー。
そしてポロシャツとTシャツです。春は薄いパーカーで、秋はあったかスタイルで、なんとなくの格好をしていれば1年なんて2シーズンしかないようなものです。
よく見たらユニクロしかありませんね(笑)なんかGUとかって生地が薄すぎる気がして買わないんです。
最近のユニクロもそれに近くなってきていると言われていますが、そんなことよりも靴下パンツを買ったついでに服も買うくらいの気持ちですからちょうどよいのです。
出不精の俺がわざわざ服を買うためだけに出かけるなんてあまり想像が出来ません。裸でないだけましでしょって感じです。
さてさてそんなわけで服を買わないということはそれだけ出費が抑えられるということ。加えて交友関係が狭いということは飲みに行ったり飯食いに行ったり遊びに出かけたりしないということ。
そんなわけで安月給でもお金は貯まります(笑)
今時珍しく家賃手当もありますから、家賃がお安くなって更にお金が貯まります(笑)
同期の皆さんが口を揃えて「金がない」という理由が社会人になってからあまりピンとこないというのが正直なところです。
「お前そんなに金があるなら車買えば?」→すでにあります。
「彼女でも作ってみろよ」→そんな相手いないですよ~(煽ってんのかコラ)
「じゃあ飯でも食いに行くか?(飲み行くか?)」→あはは~(テメェと行きたいとは言ってない)
まぁこんな感じです。話すこともなく、近況報告と言っても内々の人間関係なんて危なすぎて人には言えないものばかりですから。
それになんだかんだ言って「仕事疲れた~」「だるい~」とか言い合ってるのがこの上なく無駄に思えてなりません。
正直そこまで大変な仕事なんてないんです。上司や先輩から心無い言葉をかけられることやお客様から無理難題でお叱りを受けることもあります。
でもそれは自分にそれだけの能力がないことが露呈しただけのことなんです。ただの事実です。今後頑張りましょう~ってだけです。
上司や先輩はすでに出来る人達なのですから、下の人間を暖かく見守るのも手厚くいじめるのも自由なんです。
それはただのモラルの問題です。口をついて汚い言葉や意地悪な言葉が出るのは日頃からそういう思考でいるからであって、その程度の人間だというだけなのです。
裏表がないなどという耳障りのよい言葉でまとめることなど出来ません。ただただ人間としての程度が低い人間だというだけなのです。
お客様の無理難題はいつの時代も存在する害悪ですからこの際無視しましょう。
そんなわけで仕事をする上では先に会社に入って先に仕事をこなしてきたというだけの上下関係と評価制度があるくらいで他人同士なんです。
他人同士好きで集まったわけでもないのですから、相性というものがあって気に食わないことがあるものです。
そこに上下関係や評価制度が加われば、会社という小社会の立場を利用して心理的優位に立ちたいだけのパフォーマンスが繰り広げられるのです。
なんと愚かな行為でしょうか。人間誰しも強い態度で人を征服したいであるとかパフォーマンスをして人から注目されたいという感情があるものなんですね。
たかが十数年早く生まれたというだけでそんな感情に突き動かされるというのも哀れなものです。
なんだか中二病患者みたいになってきたのでここら辺でやめておきましょう。
哀れに思う場面があっても先輩は先輩だし上司は上司です。会社という小社会の中の更にミクロな課や係の中にあっては、仕事という観点からして外せない人材というものが存在します。
実質その人達がいるから仕事が回っているのです。我々仕事ができない組はそういった存在に感謝しなくてはなりません。
だから敬うのだと言っても過言ではありません。自分に出来ないことが出来る、ただそれだけで特別だと言えるのです。
だからこそ多少扱いづらくても仕方がないのです。それを自覚したら気が大きくなるのも当然でしょう。言動が変わってくることも理解できます。
ですから、最初の話に戻るならば、どうせ仕事なんてできる人が回してできない人はへーこらひーこら頑張るだけのものでしかないのです。
評価されるのが実質仕事を回している人間なのは当然です。仕事ができない人間が認められることはありません。それはただの事実です。妬んだり僻んだりなんてすれば、途端に逆の立場で我々も人間以下となってしまうのです。
だから仕事はやればいいだけだと思えば大して辛くはありません。クビにならない程度に頑張り、ペコペコと頭を下げてヒーヒー言いながら働けばいいのです。
仕事ができない人間を必要以上に評価することはありません。そして華やかで皆から認められている人間とペコペコヒーヒーしている奴とでは人からの見た目も変るのです。
一人、同期で心を病みそうになった人がいました。その人は職場で頭を下げる度、職場の女性社員たちから見られていることがたまらなく恥ずかしかったそうです。
俺も、入った当初はそう思っていました。もしかしたら俺の活躍が認められてあの子ともお近づきになれたりして…と期待していたものです。
ですが数年もすれば否応なしに分かります。できる奴とできない奴というのがいるということです。
ただしそこで仕事自体へのやる気をなくすのはいけません。仕事をしてお金を稼いでおまんまを食うのです。そこに人から認められるかどうかなどということは関係ありません。
いわば仕事をして金を稼ぐことは程度の差こそあれマストなことです。しかし人から認められてちやほやされるのは仕事をする上での副産物でしかないのです。いわばおまけです。
仕事それ自体は肉体労働だったり精神労働だったりその両方だったりして辛いものですから、どうしても副産物に気を取られがちですが、あくまでも副産物なのです。
だから持つべき人は持っているし、持たざるものは持っていないのです。
俺は社会人になるまでに薄々感じていたそのモヤモヤを認めてしまうことにしました。そうしたら恥ずかしいという感情も薄らいでいきました。
理不尽に屈したわけではありません。当然に頭を下げるべき場面は仕事ができるやつよりも多くあるのは当たり前です。卑屈になる必要もありませんし、変に下手に出る必要もありません。
それこそがありのままなのです。無理に頑張って取り繕った姿は自分で考えても辛いものです。それこそが成長だという精神論もありますし、向上心は大切だと思いますがそれはそれです。
ありのままの自分を受け入れて、その上で頑張ろうと考えることが必要だと俺は思います。
それに仕事をしに来てかっこ悪い姿を晒しても、それは仕事をしているという、ある種そういう役になりきっているのですから単純に「かっこ悪い役なんだ」と思えば心が軽くなります。
誰だって主役になりたいのです。誰だってヒロインとイチャイチャしたいのです。それは分かります。俺もそうです。でもそれができないことは自分が一番よくわかっているはずです。
一番になるということはそれだけ輝き続けるという重責を背負うことにもなるのです。モテない人間にはわからない、モテすぎるがための苦悩とか正にそれです。
社会的に認められていていいな~と思うことは確かにありますが、自分がその立場にいることが想像できない内は考えるのをやめておいた方が身のためです。
久々で文量を調整することは出来ませんでした。
何か思うところがあればまた書きたいと思います。文章が暗くなっても、俺自身は何も病を抱えていないですから安心してください。予備軍かどうかは知りません。
俺からしたら現代人はみんな鬱予備軍です。いつ爆発するかもわからない爆弾をお互いに突き合っているそんな世の中だと思います。
そういうときはシンプルに「シコって寝る」。これに限ります。自分の性欲全開でシコりましょう。きっといい気持ちで眠れるはずです。
嫌なことなんて他人が絡めばその人が死なない限りなくなりません。無くならないことを嘆くより建設的に考えましょう。
俺がこの丸2年間変わらずいられたのはシコって寝るという究極のストレス解消法を使っていたからだと自負しています。
地方だと風俗も廃れていて魅力がないところもありますからね。そんなところに金を落とすくらいなら休暇を取って都会に行ったほうがよほどいい想いができます。
職場で女を漁るなんてやめておきましょう。小心者な俺は彼女ですら信用できませんから。自分のプライベートを職場で話されるような事態は絶対に避けたいと思っています。
日常生活で女に飢えているようだと仕事が手に付かないこともありますから、とりあえず1日の鬱憤は性欲全開シコりーで放出して翌日は目の保養(主に薄着女性に対して)に終始するのがトラブルもなく一番良いと俺は考えます。
他人が信用できないとおいそれと外で本音なんか言えませんからね。そういう時のためにこのブログがあるのかもしれません。それではまた


月日が過ぎるのは早いもので、この仕事も3年目に入りました。
この2年とちょっとでそれなりにいろいろとありましたが、根っこはやはりそうそう変わるものではありません。
相変わらずリア充たちの会話にはついていけないし、職場の女性社員と話すのはいつも気を使うし、暖かくなってきて薄着の女性を見るとついガンミしてしまうし…
最後は男の子だから許してください(笑)それぐらいしか楽しみがないのです(泣)
でもまぁ意外となんとかなるものです。特別仕事ができるわけではないし、交友関係が広いわけでもないし、身なりがよいわけでもありません。
所謂「垢抜けない若者」というのが俺を表す最適な言葉と言えるでしょう。
でもそれでいいと思います。オシャレにはあまり興味がありません。見せる相手もないのに上等な服を着て外を練り歩く趣味はないのです。
着たい服があるかと問われればあります。ただし着方がわかりません。それに年中パーカーやらなんやら長袖のものを着ていると、いざ半袖や薄い生地のものを着た時に腹が冷えて辛いです(笑)
だからといって暑い中で長袖長ズボンでいるのはさらにしんどいですから、一番は無難な格好をすべきなのです。街に溶け込むような個性のない背景と同化するかのような服。
個性がないとは言ってもあからさまな単色では逆に目立ちます。美的センスを磨いてこなかった人生とはいえ、青一色になった自分の姿が「無難」でないことくらいは分かるのです。
では、何を着ればよいのでしょうか。答えは簡単、マネキン買いをすればよいのです。そして、マネキン買いのオシャレアイテムを省くのです。
俺が買いに行くような店は大衆店です。当然カジュアルな服装ばかりです。そして若者過ぎない格好もあるのが嬉しいところです。
そんな中でのマネキン買いは、一見して落ち着いているように見えて、今はもう夏を意識しているのか半ズボンであるなどということが多いです。
この半ズボンが曲者です。夏らしいのは見てわかります。しかし足が冷えると腹が冷えるのです。よってここを修正し、メンパンや暑くなさそうなズボンを見付けて履きます。それで大体大丈夫です。
というか大学生みたいな格好でいいのです。中学生みたいな格好にならなければ、それでいいのです。それが難しいんですけどね…
とはいえそこまで多くの服を持っているはずもありません。この前考えてみたら、俺の中では冬と夏しかないことがわかりました(笑)
ユニクロで買った裏地がモコモコのあったかパーカー×2、職場旅行のために買ったチェックのシャツとセーター(どちらもユニクロ)、いつぞや買ったユニクロの厚手&薄手パーカー。
そしてポロシャツとTシャツです。春は薄いパーカーで、秋はあったかスタイルで、なんとなくの格好をしていれば1年なんて2シーズンしかないようなものです。
よく見たらユニクロしかありませんね(笑)なんかGUとかって生地が薄すぎる気がして買わないんです。
最近のユニクロもそれに近くなってきていると言われていますが、そんなことよりも靴下パンツを買ったついでに服も買うくらいの気持ちですからちょうどよいのです。
出不精の俺がわざわざ服を買うためだけに出かけるなんてあまり想像が出来ません。裸でないだけましでしょって感じです。
さてさてそんなわけで服を買わないということはそれだけ出費が抑えられるということ。加えて交友関係が狭いということは飲みに行ったり飯食いに行ったり遊びに出かけたりしないということ。
そんなわけで安月給でもお金は貯まります(笑)
今時珍しく家賃手当もありますから、家賃がお安くなって更にお金が貯まります(笑)
同期の皆さんが口を揃えて「金がない」という理由が社会人になってからあまりピンとこないというのが正直なところです。
「お前そんなに金があるなら車買えば?」→すでにあります。
「彼女でも作ってみろよ」→そんな相手いないですよ~(煽ってんのかコラ)
「じゃあ飯でも食いに行くか?(飲み行くか?)」→あはは~(テメェと行きたいとは言ってない)
まぁこんな感じです。話すこともなく、近況報告と言っても内々の人間関係なんて危なすぎて人には言えないものばかりですから。
それになんだかんだ言って「仕事疲れた~」「だるい~」とか言い合ってるのがこの上なく無駄に思えてなりません。
正直そこまで大変な仕事なんてないんです。上司や先輩から心無い言葉をかけられることやお客様から無理難題でお叱りを受けることもあります。
でもそれは自分にそれだけの能力がないことが露呈しただけのことなんです。ただの事実です。今後頑張りましょう~ってだけです。
上司や先輩はすでに出来る人達なのですから、下の人間を暖かく見守るのも手厚くいじめるのも自由なんです。
それはただのモラルの問題です。口をついて汚い言葉や意地悪な言葉が出るのは日頃からそういう思考でいるからであって、その程度の人間だというだけなのです。
裏表がないなどという耳障りのよい言葉でまとめることなど出来ません。ただただ人間としての程度が低い人間だというだけなのです。
お客様の無理難題はいつの時代も存在する害悪ですからこの際無視しましょう。
そんなわけで仕事をする上では先に会社に入って先に仕事をこなしてきたというだけの上下関係と評価制度があるくらいで他人同士なんです。
他人同士好きで集まったわけでもないのですから、相性というものがあって気に食わないことがあるものです。
そこに上下関係や評価制度が加われば、会社という小社会の立場を利用して心理的優位に立ちたいだけのパフォーマンスが繰り広げられるのです。
なんと愚かな行為でしょうか。人間誰しも強い態度で人を征服したいであるとかパフォーマンスをして人から注目されたいという感情があるものなんですね。
たかが十数年早く生まれたというだけでそんな感情に突き動かされるというのも哀れなものです。
なんだか中二病患者みたいになってきたのでここら辺でやめておきましょう。
哀れに思う場面があっても先輩は先輩だし上司は上司です。会社という小社会の中の更にミクロな課や係の中にあっては、仕事という観点からして外せない人材というものが存在します。
実質その人達がいるから仕事が回っているのです。我々仕事ができない組はそういった存在に感謝しなくてはなりません。
だから敬うのだと言っても過言ではありません。自分に出来ないことが出来る、ただそれだけで特別だと言えるのです。
だからこそ多少扱いづらくても仕方がないのです。それを自覚したら気が大きくなるのも当然でしょう。言動が変わってくることも理解できます。
ですから、最初の話に戻るならば、どうせ仕事なんてできる人が回してできない人はへーこらひーこら頑張るだけのものでしかないのです。
評価されるのが実質仕事を回している人間なのは当然です。仕事ができない人間が認められることはありません。それはただの事実です。妬んだり僻んだりなんてすれば、途端に逆の立場で我々も人間以下となってしまうのです。
だから仕事はやればいいだけだと思えば大して辛くはありません。クビにならない程度に頑張り、ペコペコと頭を下げてヒーヒー言いながら働けばいいのです。
仕事ができない人間を必要以上に評価することはありません。そして華やかで皆から認められている人間とペコペコヒーヒーしている奴とでは人からの見た目も変るのです。
一人、同期で心を病みそうになった人がいました。その人は職場で頭を下げる度、職場の女性社員たちから見られていることがたまらなく恥ずかしかったそうです。
俺も、入った当初はそう思っていました。もしかしたら俺の活躍が認められてあの子ともお近づきになれたりして…と期待していたものです。
ですが数年もすれば否応なしに分かります。できる奴とできない奴というのがいるということです。
ただしそこで仕事自体へのやる気をなくすのはいけません。仕事をしてお金を稼いでおまんまを食うのです。そこに人から認められるかどうかなどということは関係ありません。
いわば仕事をして金を稼ぐことは程度の差こそあれマストなことです。しかし人から認められてちやほやされるのは仕事をする上での副産物でしかないのです。いわばおまけです。
仕事それ自体は肉体労働だったり精神労働だったりその両方だったりして辛いものですから、どうしても副産物に気を取られがちですが、あくまでも副産物なのです。
だから持つべき人は持っているし、持たざるものは持っていないのです。
俺は社会人になるまでに薄々感じていたそのモヤモヤを認めてしまうことにしました。そうしたら恥ずかしいという感情も薄らいでいきました。
理不尽に屈したわけではありません。当然に頭を下げるべき場面は仕事ができるやつよりも多くあるのは当たり前です。卑屈になる必要もありませんし、変に下手に出る必要もありません。
それこそがありのままなのです。無理に頑張って取り繕った姿は自分で考えても辛いものです。それこそが成長だという精神論もありますし、向上心は大切だと思いますがそれはそれです。
ありのままの自分を受け入れて、その上で頑張ろうと考えることが必要だと俺は思います。
それに仕事をしに来てかっこ悪い姿を晒しても、それは仕事をしているという、ある種そういう役になりきっているのですから単純に「かっこ悪い役なんだ」と思えば心が軽くなります。
誰だって主役になりたいのです。誰だってヒロインとイチャイチャしたいのです。それは分かります。俺もそうです。でもそれができないことは自分が一番よくわかっているはずです。
一番になるということはそれだけ輝き続けるという重責を背負うことにもなるのです。モテない人間にはわからない、モテすぎるがための苦悩とか正にそれです。
社会的に認められていていいな~と思うことは確かにありますが、自分がその立場にいることが想像できない内は考えるのをやめておいた方が身のためです。
久々で文量を調整することは出来ませんでした。
何か思うところがあればまた書きたいと思います。文章が暗くなっても、俺自身は何も病を抱えていないですから安心してください。予備軍かどうかは知りません。
俺からしたら現代人はみんな鬱予備軍です。いつ爆発するかもわからない爆弾をお互いに突き合っているそんな世の中だと思います。
そういうときはシンプルに「シコって寝る」。これに限ります。自分の性欲全開でシコりましょう。きっといい気持ちで眠れるはずです。
嫌なことなんて他人が絡めばその人が死なない限りなくなりません。無くならないことを嘆くより建設的に考えましょう。
俺がこの丸2年間変わらずいられたのはシコって寝るという究極のストレス解消法を使っていたからだと自負しています。
地方だと風俗も廃れていて魅力がないところもありますからね。そんなところに金を落とすくらいなら休暇を取って都会に行ったほうがよほどいい想いができます。
職場で女を漁るなんてやめておきましょう。小心者な俺は彼女ですら信用できませんから。自分のプライベートを職場で話されるような事態は絶対に避けたいと思っています。
日常生活で女に飢えているようだと仕事が手に付かないこともありますから、とりあえず1日の鬱憤は性欲全開シコりーで放出して翌日は目の保養(主に薄着女性に対して)に終始するのがトラブルもなく一番良いと俺は考えます。
他人が信用できないとおいそれと外で本音なんか言えませんからね。そういう時のためにこのブログがあるのかもしれません。それではまた

