「何か」をするから生きている

社会人の気ままな日記
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平等とはなんだろうか

2021年04月12日 22時22分33秒 | 世間話
こんばんは

特別何か思想めいたものを思いついたわけではないのですが、仕事も早く終わってまったりしていたので書いてみようと思い立ちました。
最近はコロナショックともいうべき時代の変化によりさまざまなものが変化してきていますね。
そんな中で就活生や個人事業主などのお店や女性の社会進出・平等なんて言葉を最近よく耳にするなぁと思っているのです。
それぞれいつも思うことがあるので、暇ですし語ってみようかなと思います。

まずは就活生ですね。
というか大学生のことですね。
リモート授業がつまらないから休学したいとか退学するだとかいうのは目的を見失っているだけだと思います。
大学は高校生とは違って割とガチなバイトができたり、酒が飲めるようになったり、危ない遊びができるようになったり、女性と大人なことができたりして人生の中でも発見の多い瞬間なのではないでしょうか。
その後の何十年かは、結婚して次の世代を育てるだけの作業ゲーですからね。せいぜいこの瞬間を楽しむべきだと心底思うわけです。
で、楽しむのはいいのですが、縛りがないと案外その自由もつまらないものになってしまうというのがなかなかに面白いと俺は思います。
どういうことかというと、何か目的があるなら大学なんてどうでもいいはずです。何も目的がなく、上記のようないろんな偶発的発見を体験経験してみたいと思う人が大半ですから、そういった偶発的事由が起こりそうなイベントが起こらなくては始まりません。
そして、偶発的な事由を求めている人は、自らイベントを起こす気力はあまりないのです(体感)
ですから、大学のダラダラ授業でもちゃんとした意味があるのです。高い金を出して偶発的なイベントを求めていっているのです。
誰が好き好んで飲んだ翌日の1限にあくびをしながら行くのでしょうか。それは義務感だけではなく、「昨日酒飲んでまじつれーわー」と仲間に言いたいからですね。
たったそれだけのことで社会の一員になった気がして、自分のすべてが肯定されたような気がして、あぁ俺って生きていると実感するというわけなんですよ。
そういう観点からしたらリモート授業はつまらないかもしれないですね。すみません。
でもまぁ大学生という肩書でいる間は本当に遊んでいてもわからないのですから、大いに遊んでいればいいんじゃないかと思うんですよね。
金がないからそんなことは無理よというのも十分理解できるのですが、それは外的要因なのであって学生自らが休学退学するというのとは別問題ですよね。
とにかく肩書がある間はリモート授業の間ずっと株をやっていてもいいし、オナニーしていてもいいし、ゲームしていてもいいし、バイトしていてもいいのです。
社会人かフリーターという身分になったら、そんな気軽にあれこれできるほど余裕はなくなりますからね。フリーターであっても任される仕事の内容によってはそれに集中しないといけなくなりますからね。
それに、やっと就活生の話になりますが、大学なんて「大卒」の肩書を手に入れるためのイベントでしかなく、私立で4年制なら400万円くらい出して「大卒」という称号をもらうイベントなわけですよ。
超有名大学でもない限り大卒なんてみんなどんぐりの背比べですよ。でもそんな当たり前の称号すら持っていないとしたらどれだけこの社会で微妙な目にあうのか想像できるのでしょうか。
何度も言いますが、金がないから高卒でもしょうがないじゃないかというのはごもっともです。それは今回の問題の例外になります。しょうがないものはしょうがないのです。来世で頑張りましょう。
で、結局何が問題なのかというと、就活なわけですよ。
大学生が自分のやりたいことをやるというだけで就活に失敗しているという特集を最近よく目にするのですよ。
俺はこれをみていつも不思議になります。就活なんて面接で演技するだけの簡単なお仕事じゃないですか。
人事が欲している言葉を出して、グループディスカッションでは必要な態度を取り、他と差別化できるようなエピソード(嘘)を用意して披露するだけでいいのですよ。裏取りなんてコスパ悪いことしませんよ。
それで落とされる企業は自分の能力では入れない企業。セリフや演技で通用しない企業や特殊な採用方法をしてくる企業は、もはや普通の人が採用されるのは難しい企業。
それこそ一部の秀才や企業が求める特定の技能を図るためのもので、普通に普通のことができる普通の人間が欲しい企業は、そんな普通の演技をする大学生がいれば採用してくれるのですよ。
そして、そういう企業を探さないのが問題なのです。面接で言うセリフや演技、エピソードなんてみんな似たようなものですよ。自分のキャラに合わせて楽しい系かじっくり系かみたいな差しかないですよ。
そんなほぼ同じレベルの奴らが同じステータスで殴り合う戦場では、より戦いやすいフィールドを選ぶべきだということは明白だと思います。
この時点で超有名企業は候補から外れますよね。記念受験くらいはいいかもしれないですが、ほぼ間違いなく筆記か書類審査で落ちますよ。落ちないとしたら遊ばれているだけです。それかあなたがハイパー可愛いかです。まぁ可愛い時点でレアキャラですがね。
でも就職してすぐにブラックだったり倒産したりするような会社は嫌ですよね。男ならどうせ営業職みたいなものしかないでしょうし、辛いのは最初から分かっていますよね。
何せ我々は普通の人ですから、体を張るくらいしか取り柄というかできることがないわけで、技術があったらそっちで就職できるわけですからね。
そうなってきたら腹を決めて「売りやすいものを売りたい」となるはずです。誰もが欲しがるものほど売りやすいし、自分の能力や運に左右されにくいと考えるはずです。
とくれば、選ぶべきは業界No1ですよ。言うまでもなく引く手あまたで売りやすいでしょ。何の興味もなくたっていいじゃないですか。どうせ売ることに変わりはないんですから。
熱意で売るなんて「売れないから」やっているだけですよ。押し売りのさわやかバージョンみたいなものです。
売れるというぁ業界No1の営業には余裕があります。何せ商材がみんな欲しがっているものだからです。
四季報でしたっけ?それを開いて探すのは業界No1、これだけです。後は勤務地と給料そのた諸々でしょうかね。あまり高望みしないのがいいと思いますよ。どうせそういうところには入れないですからね。
ですから、就活に失敗するなんてほとんどの場合あり得ないと思うわけですよ。一つも内定が無いなんてありえないのです。
もしもそうなるとしたら、必要な演技ができていないだけです。受けるべき企業を受けていないだけです。
社会に出たら演技なんてレベルではなく、社会人という皮というかキャラを被って生きていくのですよ。その予行演習みたいなものです。人事の採用担当に精一杯の演技を披露してやりましょう。
そこで得た経験がその後の社会人生活の糧になりますからね。そういった経験もなく、もしくは不十分な経験しかせず、結果内定もなく非正規労働者に落ち着くとなれば、自然と微妙な人になっていってしまうのはもはやしょうがないことなのではないでしょうか。
目的をもって長い間準備をして羽ばたくような人以外は、みんなどこかの企業の歯車の一つですからね。その中にも入れず、働き盛りにパートのおばちゃん達と同じ仕事をしているのだとすれば、それは仕事ではなくバイトの延長なのだと考えてもらいたいものです。


1つの話題に時間をかけすぎていますが久々に語っていきましょう。本当にこの手の話題が多いし、特集するだけして投げっぱなしなのは問題提起というのではなくやけ酒して叫んでいるようなものですよねまったく。
次は事業主というかこのコロナ禍で被害を受けているお店ですね。
大変だと思いますよ。お客さんが来ない、出歩かないというのは、そもそも金を落としてくれる人が来ないわけですからね。
もはや不況ともいうべき状態でしょうね。というかみんなそう言ってますね。
で、感染が拡大して今巷を騒がせているような変異ウイルスなんて目じゃないくらいの凶悪変異ウイルスが発生するのは怖いのですが、これも時代の流れなのではないでしょうか?
どうみたってコロナに関係なく倒産や閉店している店がありますよね?これは緩やかな死を迎えるはずだったお店が、急な逆風でたちまちお陀仏になっただけではないでしょうか。当然の帰結というものでしょう。
当然事業主からすればたまったものではないでしょうから、援助しろしろとうるさいわけですが、もはや焼石に水状態なわけで、どうにもならないでしょうということなんですよ。
政府も緊急で対策を打たなくてはならないから、そんな酒だかギャンブルだかに消えるような金を事業主と言われる人たちに配りまくるわけですね。
俺も仕事柄いろんな事業主の方と話をしますが、本気で生き残りをかけている人はそうでない人とは全然違いますよ、雰囲気から違います。
ネットでもなんでも自分の能力を最大限使おうとして奮闘しておられますよ。そういう人にこそ金を配分するべきですよ。
寝て起きて困ったーというだけの個人事業主の価値なんてどこにあるのでしょうか。この効率化が叫ばれる時代に中途半端な事業を行う事業主と呼ばれる人たちは一体何なのでしょうか。
あんなに頑張っている本物の事業主を見た後では、なんちゃって事業主にしか見えず、もっと言えばサラリーマンにもなれないような中途半端な人間なのではないかとすら思えます。
もう還暦を迎えたような人は年金の積み立てがなければ辛い老後を送るだけですから自業自得ですが、40代くらいで行き詰っているおじさん達は何がしたいのかよくわかりません。早めに見切りをつけてサラリーマンにでもなればいいのにと心底思います。
まぁでもそれは田舎だからなのかもしれませんね。都会で一旗あげようと思えば、ロマンもあるかもしれませんしね。散ればそれだけいい思い出かもしれません。どうせ20代以降は一種の作業ゲーですからね。
そんなわけで事業主と呼ばれる人たちのピンキリぐらいを目の当たりにすると、本当に救う価値があるのか?死ぬ気でやっているのか?と考えないわけにはいかない今日この頃なわけですよ。


それでは最後に男女の平等について。そろそろ手が疲れてきたので手短に。ほんとはこの話題が主だった気がするけどね。
男女平等というのは究極的な理想だといつも思います。感覚的な分かりそうなものですが、現実的ななかなか難しいですし、思想的な面からもいろんな平等があってバランスが難しいのだなといつも思います。
世が世ならそんな自由な議論なんてできなかったかもしれませんし、思想信条の自由で頭の中だけで展開されていればよかったような思想もちらほら散見されるくらい今は自由な世の中です。
アホも秀才も同じ話題で同じ土俵(SNS)で議論というか意見を叫びまくるというカオスが日々繰り返されているわけですね。
俺が思うにどれも正しいですよ。ネットで叫ばれているポリコレ思想や過激なフェミニストたちの意見にだって一定の正しさがあると思っていますよ。
でもね、俺の考え方はより消極的だと思っています。結論を言えば、そんなん無理じゃねってことです。本質的にも実質的にも平等なんてないのですよ。
俺が思うに人間は脳が発達した動物ですよ。生まれて大きくなってつがいを見つけて交尾して子をなして育てて死ぬ、ただそれだけの動物ですよ。
その輪廻の中でたまたま今はつがい同士がちょっと発達した頭で死ぬまでの一時をどのように過ごすのか考えてみているだけのことですよ。
一部の過激なポリコレ思想やフェミニストたちが言う差別された女性というのは一体どのような場面の誰のことなのでしょうかね。
俺は人間皆動物という思想ですから女性がーとか男性がーという議論はどうせ平行線だろうから遊びでやっているんだろうと思っているのですが、少し真面目に考えてみようと思います。
まず、家事育児を女性に押し付けがちというのは男性のよくないところです。子供から好かれるのはお母さんと決まったわけではないでしょう?育児は死ぬまでに行うべき動物としての使命ですよ。
ですから、仕事が忙しいと言っても育児や家事に積極的に参加することには意義があります。疲れすぎて体調を崩すようではおかしな話ですが、動物としての使命の前では趣味だのなんだのに費やす時間なんて究極的には意味がないと思うのです。
それは同時に女性にも当てはまります。育児をするために子を孕み産むというのは女性にのみ与えられた使命というか技能です。未だ人類は機械の中で人間を培養することは倫理的に許されていませんからね。
となれば、その大事な動物的使命の前では、男性がどうだのこうだのというのは些細な問題なのです。
よってお互いの主張は甘えに他なりません。どちらかがどちらかに寄りかかろうとすればするほど議論はこじれるのです。
とはいえ子を産み育てるのは男性の精子と女性の卵子なしでは成り立ちません。となれば、肉体的にも有利な男性が仕事をして金を稼ぎ、女性がうまくそれを使うことで子育てを行うという構図は効率的な構図ではないでしょうか。
そしてこれは男女を逆転させても同じなのです。結局のところ子を産み育てることに意味があるのであって、男性と女性が社会においてどちらが活躍し金を稼ぐかなど些細な問題なのです。
もっと言えば男性と女性がケースバイケースにおいてお互いの役割を理解し、子を育てるという共通目標に向けて、お互いがお互いの利益を考えるべきなのです。
そういった動きを考えれば、思想家の皆さんがなんとかパターン化しようとしているこの男女平等という問題はあまりにもケースバイケース過ぎてパターン化したそれが誰にでも当てはまりそうで当てはまらないものになってしまうのです。
1つの場面はどのような切り口から論じても同時に別の切り口から補うことで解決してしまうというのが人間なのです。
そう考えれば、男性社会であれ女性社会であれ能力は正当に評価されるべきですね。活躍しようとして能力を示せば当然に評価され、その機会が与えられる。それが正しい世の中ですよね。
というか、俺の究極的な思想である人間皆動物の考え方からしたら、どう気持ちよく生きるかなんてことを考えだしてしまっている時点でなかなか収拾は難しいと思いますよ。
何せ傲慢になってしまった人は、実は自ら機会を捨てていたにも関わらず、自分が欲しいと思ったときに機会が与えられないことに不平不満言い出すのですからね。
例えばよくある例として、もっと自分のことを評価して欲しいと願う女性がいたが、女性だからと軽視されて評価されなかった選ばれなかったということがあったとします。
これを見てフェミニストたちは「女性蔑視」だとか「不平等だ」とか言いますが、すべてにおいて上記なようなことが起きているのでしょうか?自分はそうは思いません。ケースバイケースです。
なぜならその前後の文脈がないからです。なぜ軽視されたのでしょうか?1つしか選ばれないとしたら、なぜその1つになれなかったのでしょうか?
それは女性だからという理由だけなのでしょうか?自分のプレゼンに問題はなかったか?成果物が誰もが称賛するほど優れたものであったのか?
世の中において評価されるというのは一概に言えないことが多いと思います。自分の会社もそうです。明らかに有能な人よりも会社の在籍年数が長いだけの無能が上司になることが多いです。
つまり、評価されるだけの要素を積み重ねなければ、他者との競合に勝てないということなのです。女性だから勝てないというのではありません。男性だから勝てないこともあるのです。
求められるその「1つ」にはどれだけの要素が詰まっているでしょうか?それを正しく見定めていますか?性別の問題だけで片付くような問題ではないのです。選ばれなかったのはきっと勝てるだけの要素が足りなかったのです。
あなたが普通に仕事に行って業務時間内で仕上げた成果物よりも、目の下にくまを作りながら寝る間も惜しんでその「1つ」について考え続けた末にできたフラフラの相手の成果物とどちらがよりその「1つ」に対して熱意を込めているでしょうか。その熱意の時点で要素の一つに劣っています。
もしくは、時間内で成果物を仕上げたこと自体が評価される場合もあるでしょう。今後もコンスタントに良案を持ってくる可能性があると思われれば残業している相手よりも要素の1つで勝っています。
もしくはどうしても評価して欲しいから権力者に実力以外の部分で要素を勝ち取ろうとする輩もいるかもしれません。色仕掛け、賄賂、七光り、考えただけでも裏の要素はいっぱいあります。
しかしながら、どれもこれもケースバイケースです。自分が入った会社の評価に携わる人たちがどのような要素を求めているかに対し、自分がどれだけ応えられるかによってどれだけ素晴らしいと自分が考える良案も凡案になってしまいます。それは「合っていない」だけなのです。
それを「女性だから」「女性蔑視だ」と声高に叫ぶことがどれだけ愚かで滑稽なことか分かるはずです。差別されるような職場は論外です。自分から辞めるべきなのです。そういった職場では男女に関係なく誰かが誰かに虐げられているはずです。健全ではありません。
そうはいってもこの世の中簡単に職を変えられるものではありません。先ほども言いましたが、訓練した演技でようやく入れた会社なのです。まぁまぁの待遇だしどうしたものかと考えて、個々が折り合いをつけていくものでしょう。外野がギャーギャー騒ぐものではないのです。
ましてや自分の能力が足りないことは棚に上げて女性蔑視だなんだと叫ぶようではあなたが害悪になってしまいます。
どのような状況であれ、抑圧された環境でなければ、ほんの些細なことであっても評価される機会はあったのです。その時の自分が関係ないことを考えていたか何かでそれに応えていなかったことを今更後悔しても遅いのです。
それに、本当に実力がある人は人から持ち上げられなくても頭角を現すものです。誰でも容易に想像できるはず。あなたにそれがありますか?
今の環境では無理だと思うのであれば、頭角を現せる環境へ行くべきですし、そこまでのやる気がないのなら素直に平凡でいるべきです。
ただ、平凡であれば何かで評価されるために他とは違う要素が必要になります。それは女性だ男性だという話以前の問題だというのは明白なのです。
最近実によく思います。女性を起用しようとする流れは本当に女性側が求めているものなのかと。政治家にしろそこらへんの上司にしろです。
ですが、周りから持ち上げられただけだとしても、信念をもってその企業の利益を追求したりする実際に実績を作れればそれは能力があるということになります。
きっかけは些細なことなのかもしれません。能力さえあればきっかけは何でもよくて、結局は評価されるということなのでしょう。
ですから、平凡な人がさも能力があるかのような立ち振る舞いをするのは限界があります。過激な思想にまみれても中身は平凡。当たり前の体格差やセンスの違いで吹き飛ばされてしまうような個性なのです。
もっと分をわきまえるべきですね。自由な世の中になって誇大妄想を現実だと誤認識してしまっているのでしょう。
所詮は人間も動物です。できることには限りがあります。普通のことを普通にやるのが人間の一生です。そこに+α人間の社会をよりよくする働きができるのは長い長い人の世にあっていつも一握りの人間たちなのです。
能力があるなどと、評価されるはずなどと過信しないことです。自分が逆の立場だったらどうでしょうか。逆に女性を優遇したら男性蔑視にあたらないのでしょうか?やはり優れているであろう要素を探すものではないでしょうか。
その時相手が男性だろうと女性だろうとより多くの要素を積み上げてきた方に仕事を任せるものではないでしょうか。それが普通でしょう。
言ってしまえば今の男性たちが担っている社会的責任を女性の皆さん全員が負いたいと思っているのか甚だ疑問だと思います。
一部の野心家女性はそれこそが生きがいで楽しみであると答えるかもしれません。ですがそれは男性の側にしたって同じこと。野心家以外は普通を望んでいるのです。
お互いに普通を望み合う男女は自然とお互いのことを考えるはずです。きれいごとで終わらせておくべきなのです。体格差において女性は男性の性のはけ口にされやすく被害に合いやすいです。
しかしそれはDVに出た男性を厳罰に処せばいいだけのこと。女性の立場を優遇しすぎることとは根本的に考え方が違うのです。
弱きものを守るというのは古い考えでありながら、今の男女が本質的に持っている思想であると言えます。
それは体格差からおのずと明らかなのですが、極端なケースバイケースに心を痛めすぎた過激なフェミニズムやポリコレ思想は一種の病気ではないかと思います。
この社会の裏の顔。人間の良くない部分がたまった吹き溜まりのような部分を長く見つめすぎてしまったのです。もはや嫌うことでしかコミュニケーションが取れないかまってちゃんかもしれません。
俺が思うに病気の一種とされる性同一性障害はどういったメカニズムなのでしょうか。女性ホルモンが分泌されている男性だとかそういうことでしょうか。憶測でものを語るべきではありません。
しかし、物理的に女性とされるものや男性とされるものが分泌されているから女性だ男性だというのならまだしも、ゲイやレズはただの変態性の一種ですし、本来口外せず自分の中だけで楽しむべきものだったはずです。
男性だと勘違いした女性、女性だと勘違いした男性というのは、生まれてきた後の思想形成において何らかの要因があるのではないでしょうか。
それを病気だなんだと言ってしまえばそれまでですが、男性だと勘違いしてしまった女性はどうすればいいのでしょうか。
しかしそれは悲観することではないと思いますし、口外して理解を求めるというのもおかしな話だと思います。
それは「変態」だからです。おっぱいが好きーとかおしりが好きーとか言っているのと同じです。
オナニーのおかずを教えられて「どう?」って言われても返答に困りますよね?そりゃあなたがいいと思うならそれでいいよって思いますよね。
それと同じですよ。「俺は男性が好き」「私は女性が好き」「俺は女性だと思うわ」「私は男性だ思っている」これらはすべてその手のオナニーをしていますと言っているようなものです。
オナニーのネタを教えて「気持ち悪い」と言われてもやっぱり~と思うのに、ゲイだレズだを自分からカミングアウトして理解されないから傷つくなんていい迷惑です。
もっといえば自分の性癖を明かして相手を困らせた挙句自分が望む答えを出してこないからお前が悪いと言ってくる姿勢は、さながら露出狂が急に飛び出してきて全裸を披露して去っていくような気持ち悪さを感じます。
相手が見たいと思っていないものを無理矢理見せて、社会的な勢いをかさに着て、相手に同情やそれらしい発言を求めるのがやりたかったことなのでしょうか?
そんなオナニーで興奮しているのなら今すぐやめるべきです。そんなやり方は不健全ですし、オープンな変態と変わりない、露出狂のそれと同じだと思います。



いやーすっきりしました。
自分の考えだって偏っていますからね。やっぱり誰かしらから批判されるのは当たり前の持論だと思います。
でもまぁこういった持論を頭の中ではなくてこうしてブログに書き込めるなんて日本はいい国ですよね。
誰かに伝えたくて書いているわけではないので、偶然ここにきてしまったひとがいたら、ここで読んだことは忘れてもらいたいと切に願っています。


それではまた次回。


改めて考えてみる

2020年11月15日 01時20分59秒 | 世間話
こんばんは

今日は同期の結婚式でした。
俺はなぜ呼ばれたのか、それは同級生で同期だからです。
条件が他の人よりも重なってしまったから、優先順位が上がってしまったのだなと内心複雑な心境でした。
式自体は最高でしたね。お料理お酒もよかった。素直に末永く幸せになってほしいと思いました。他意はありません。
なんかこう幸せオーラというか、何かを決断した決意のようなものがやはりこういう儀式的なものにはあると思います。
別に婚姻届を役所に提出しさえすれば夫婦として扱われるわけですから、儀式的なものにどれだけの意味があるのかというのが現代的な考え方でしょうか。
それでもこうして若者が結婚式を行うのは、いろんな意味があるのではないかと式を見て感動しながら考えていました。
そもそもは対外的に「これは俺(私)の妻(夫)だ」と示す行為であるし、一種のイベントですよね。
みんなでイベントを盛り上げてくれよって感じですかね軽い感じで言えば。一緒に楽しもうぜって感じ。
でもまぁそんな軽いノリ者年長者を引っ張れないし、関係性が薄い人を呼ぶ大義名分もありません。
やはり若者が集まってわちゃわちゃするだけではたむろしているだけだと思われてしまいます。
そうならないためには肩書のある年長者だかなんだかを引っ張ってきてスピーチでもさせればよいのですよね。
で、そうなってくると職場の上司やらなんやらが来るわけですから、年長者への意思表示としては感謝の気持ちというものが使いやすいツールです。
実際感謝している場面が多々あると思いますし、イベントに花を添えるコンテンツとして感謝の気持ちアピールというものがありますよね。
で、ただ感謝の気持ちを述べるだけなら、なんかまぁ取ってつけたようなものになってしまいます。
儀式は一つの意味じゃないわけですし、親族方からお願いされて渋々やっている人もいるのではないでしょうか。
そんな儀礼的な意味で結婚式をやるのだとしても、職場とつなげるのであれば、よい動機付けがあります。
それは「今後もよろしくね」ということです。実際俺も「今後二人に何かあって困っていたら助けてあげよう」と思いましたしね。
まぁお二人が困っていて俺に相談が来ることは稀だと思いますが、味方は一人でも多い方がいいというのは政治的な判断でしょうか。敵じゃなきゃいいってことですからね。
式に招かれてイベントに参加して非日常を味わってなんか感動するコンテンツがある。これってテーマパークに行くような感覚でしょうか。なんか特別感ありますよね。
そして出席者の一人としてしか見られていないとわかっていながらも、出席したことに感謝されて新郎新婦の父母があいさつ回りをしてくる。挨拶を返す。
ただそんなことがあるだけなんですが、やはり袖振り合うも他生の縁というやつでしょうかね。何もないよりは見方が変わります。
こうして儀式的な結婚式を行うだけでも、そこに参加した人からは今後自分たちの助けになるかもしれない思い出として残せるわけです。
俺のようにふわっと生きている人間には特にこの非日常感というか特別感が刺さりますね。
自分の仕事としてもプラスになりそうなこのイベントはやはり誰かの助けなしには仕事ができないと思う人にとってなかなか面白いイベントだと思いますね。
俺も誰かの助けを借りながら仕事をしているタイプですからね。うまく活用したいものです。相手がいませんけどね…
とはいえ、普通のテーマパークに行けば入場料とか諸々で1万は確実にかかるわけですが、結婚式ではご祝儀を何万か包まなくてはなりません。
参加者は感謝のされぐらいに違いはあれど、一定のレベルで同じ待遇を受けることとなります。
それはコース料理、飲み放題のドリンク、引き出物、そして会場でのイベント演出です。
この内容を自分なりに計算すると、コース料理は飲み放題込みでおそらく7000円くらい、引き出物は3000円くらい、そしてイベント演出はプライスレスです。
つまり飯と酒とお土産で1万円という見込みです。後の数万はイベント参加費として主催者(新郎新婦)へ納入されます。
それでいいのか?数万払う価値があるか?そのように考え始めたらきりがありませんね。
つまりは、数万納入しながらも新郎新婦から今後も助けてくれよとイベントを通してお願いされるわけですね。まぁそれでいいような気がします。
そこで重要なのが冒頭の幸せオーラですよ。男と女のただの契約行為なんて言葉では片付けられない人間模様が見て取れるわけですよ。
それに会場内で流すムービーも、交際中の画像とか他人に見せるわけですから、恥部を見せてなんとなく親近感を湧かせる演出もにくいですね☆
とまぁこれまでの結婚式文化の中で育まれた感動演出により、俺も助けてあげちゃう☆側に立ったということですね。
不思議と数万納入しているのに嫌な気がしません。何か「生」を感じる。生きるというものを感じるよい機会になったと思います。



さて、自分は結婚式でどのようなことをしましょうかとも考えてみました。
答えとしては、気の進まない仕事をするときのような気が重い感じが心の奥からにじみ出てくる感覚がしました。
別に当たり障りのない内容にすればよいのでしょうけども、うーんまぁ固い内容になりそうです(笑)
エピソードでも盛ってやればいいのですからね。画像がないから信ぴょう性が薄いし、証人もいませんから、あの会場の雰囲気で漫談するのはどうかなぁという気がします。
それでも無いよりはいいかなという感じですかね。
一番の問題は余興ですね。俺側で余興やりそうな知り合いはいませんね・・・
というか式にお招きする人がいません。職場の同僚や同期くらいでしょうか。昔の友人というものをもっと大切にしていればよかったと思う瞬間ですね。
今はコロナがあるし、県外に出たであろう人を呼ばないという大義名分がありますが、それでも地元だと誰か呼ぶことになります。
うーん職場関係以外では誰もいない。大学の友人とやらもどうかなぁ。わざわざ呼ぶほどのものだろうか?
さっきまでの結婚式をやるメリットが、今現在何も関係がない職場ですらない昔友人だった人というのはどれほどの意味があるのでしょうかね。
そうなるとお相手が結婚式をしたいというかどうかですね。でもまぁやってみたいのではないでしょうか。なんかこう面白そうなイベントですしね。
たとえ陰キャだろうとも、人生で何度かしかないイベントで、他人を巻き込んでやるなんて不安半分期待半分のイベントです。博打を打つ感覚に近いでしょうか。震えますね。
というわけで親族のみという結婚式もあるわけですが、よく考えたら親類縁者だってどこまで親しいかと言われるとどうなんだろうか・・・
まぁ家のことですから、ある種他人ではないわけで、それだけでも儀式的なものをやる意義はあるのだとは思いますね。
てことはどうせ他人同然の親類に対して感謝の意を示さなくてはならないのならば、いっそのこと親類ですらない他人を呼んでも結果同じ感じになりますね。
そう考えると何か虚しさが残りますが、イベント自体にはわくわくするわけで、自分にどこまでの演出ができるのかという点では挑戦に近いものがあります。
いっそのこと余興という「友人力」を試される試練はなしにして、固く儀礼的なものを華やかに演出するというのも疲れなくていいのではないでしょうか。
お行儀よく楽しむというのは意外と難しいものですね。


さてそろそろ終了といたします。
最近はPS5抽選情報や結果情報の収集のためにツイッターを多用するようになりました。
そうするとアメリカの大統領選挙の話題も目にするわけですが、俺としては本当に他意はありませんが、これは広告合戦なのではないでしょうか。
要するにメディア、ここでは特にテレビの力を借りれば借りるほど印象操作はしやすく、政治に疎い連中を抱き込むことができ、結果として選挙に勝つわけですね。
今回はトランプ大統領でなければいい、という安直な流れの選挙だったようですし、なんだかバイデン氏の存在意義とは、バイデン氏でなくてはならない理由などはないのでしょうかね。
そのせいか、実際にバイデン大統領が誕生する流れになっても、これといってバイデン氏の政策を取り上げるテレビもなく、相変わらずトランプ大統領が権限を移譲しないから変だと報道するばかりですからね。
まぁ俺の見立てで言えば、広告合戦に敗北し、マスコミにネガキャンされ、印象操作されて負けたという展開ですし、なまじ民主主義なんですからしょうがない部分がありますよね。
バイデン陣営はそれが分かっていて「チェンジトランプ」なんて流れを作ったわけですしね。いろいろと大人の事情もあるのでしょう。
俺としてはどちらの政権がよかったのかという意見を言いたいのではありません。ただ、特別何も前情報がない状態でテレビだけを見ていたなら、きっとバイデン氏に投票することが「正義」となるのでしょうね。
これは現政権に対する多少の不満がそのまま悪印象につながるわけですし、テレビもそういう必ずある負の部分をつつけばよいとわかっているわけですからね。
そりゃ対立候補は現政権ではないわけですし、よほど有名人ということでなければ政治家であるということ以外は一般民衆は知りません。能力など図りようもないのです。
そうしたら対立候補の方がクリーンなイメージを持ちやすいですよね。
まぁこれは現政権の難しいところというのか、多少なりともある不満をどのようにそれ以外のことで好印象に持っていくのかということですよね。
考えてみれば、中国のような言論統制思想統制が現に行われているところですら民主主義の話があるわけで、それ自体が中国においてはそのまま一般市民の不満なわけですよね。
であれば、統制しない世の中というのは不満がなくならない世の中ということになります。皆がそれぞれ自由な考え方でいるのであれば、それぞれの不満があるわけですからね。
それを否定したら民主主義じゃないですし、うまく泳がせつつ、優れた指導者が国家をよりよい方向へ導くという理想論なわけなんですね。
とまぁそのように考えてくると、今回のトランプ大統領は正直可哀そうではあるけれど、そういう性質のゲームに敗れてしまったのだなと思うわけです。
こんな簡単に考えてよいのかと思うのですが、かつて日本で自民党じゃなければなんでもいい、だったら第2勢力の民主党でいいか、という時代がありましたね。
で、いざ民主党になったらあれよあれよという間に支持率が下がって次回の選挙でぼろ負け。民主党はなくなってしまい、自民党の対抗馬としては民主〇〇という政党だとあまり良くないイメージがついてしまいました。
これはまぁ一般的には経験不足ですよね。急に仕事のポジション変わって以前の担当者と同じ満足度を違ったアプローチで生み出していくなんてなかなか初年度からは難しいですよ。
とはいえチェンジ〇〇と銘打って宣伝し勝ったわけですから、前政権のやり方をそのまま使うわけにもいかず、結果として穴がある微妙な仕事ぶりになったのでしょうね。
なんだか一概に民主党が無能だと言えないなぁと思うのですが、長らく2番手の勢力だったわけですからね。一体その間どのような能力を磨いていたのか不思議なものです。
だからと言って返り咲いた自民党への文句は今も昔も変わりません。なんだか歴史は繰り返すようで、それが大国アメリカで巻き起こるのではないかと不安に思っています。
まぁ新人に仕事を振るときの、なんだか嫌な気分に似ていますかね(笑)
そうならなければいいですね。

さて、アメリカといえば人種差別問題ですね。
黒人への差別感情はかなり根が深そうですね。
でもまぁこれって悪口だいじめだ差別だと問題になるときって、すでに上辺では「よくないこと」として認識されている案件が多くないですか?
人種差別している人たちだって頭の中では良くないと思っているのはほぼ確実です。
それがなぜか良くないフィルターを通ったはずの感情が口から言葉で出たり、態度に出たりするわけなんですね。
これってどうすればいいのでしょうか?どうやって抑制すればいいのでしょうか?
俺がなんでそう考えるのかというと、最近ポリコレ問題というか、LGBT問題というのが俺みたいなやつのところにまで影響がきているからです。
その最たる例はゲーム「ラスアス2」ですね。
新作が出るからやってみようかなーと思ってレビュー動画を見たら、思わず笑ってしまったのをよく覚えています。
なんですかあのムキムキの女は。体は男じゃないですか(笑)
そんなキャラデザでストーリーまで改変して楽しいのでしょうか。
そりゃ現実問題、華奢な女がショットガンぶっ放すなんて肩が外れそうで危ないですが、そういう問題でないところに原因がありますよね?
そうですポリコレ問題です。
何を血迷ったのかプロデューサーがポリコレ信者だとか?
強い女がいてもいいじゃないか、か弱い女ばかりを見せられるのは差別だと訴えている頭のおかしい方がいらっしゃるらしいですね。
俺からしたらちゃんちゃらおかしな話ですよ。そんなものオナニーでもしながら自宅でぶつぶつ言っていればいいんですよ。恥ずかしくないんですかね。
思想信条に対して文句を言っているわけではないんですよ。どのような思想を持っていてもいいんです。
ですから、今回の結果だってうまいことプロデューサーの思想を変えられたからゲームの中身を改変するに至ったわけですし、ある意味で正規の手続きが踏まれているような気がします。
しかしながら、俺はあえて言いたい。それはニーズにマッチしていない。つまり金にならない。現に俺は買っていない。プレイしていない。
もうこの時点で機会損失ですよ。俺のように財布の紐がゆるい客ですらディスカウント中でも買わない事態になっているわけですからね。
要は思想的な活動をする、布教活動をするというのはさきほども言ったように民主主義の世の中では否定されるものではありません。
俺は差別だと思う、不快に思って傷ついている人がいると思う、と主張することは尊い行為だと言えます。声をあげられるだけ大したものです。
ですが、そこは金もうけと違う理論というものです。残念ながら今回問題になった思想は否定されるべきではありませんが、ニーズにはマッチしていませんでした。
すでに前作がある作品ですし、流れというものがあるのですから、そこに強い一方的な思想を取り入れたら、そりゃおかしな内容になりますよね。新規でゲーム出すならまだしも既存の人気にあやかるなんておかしな話です。
俺が一番不思議なのはそれで商品化することになったことなんですが、まぁ大人の世界にはいろいろあるということで納得しておきましょう。買っていないしね。
商品化までの権力的な経緯は置いておくとして、思想というものが世の中のスタンダードになるためには長い時間がかかると考えるわけです。
いろんな思想があってもいいのです。明日隕石が降ってきて地球が滅亡すると思うから、みんな好きなもの同士お外でセックスするのが正しい生物としての在り方だと主張することもギリギリおかしくはないです(笑)
もしかしたら、それが一般的な意識として定着してきたら、本当に地球滅亡が迫った時、全世界の国民に降りかかる多大なストレスを払しょくするよい方法になるやもしれません。
しかしおそらくそんな考え方がたとえ定着する未来があったとしても、俺が生きている間はないだろうと思います、なんとなく。
この話は冗談に聞こえるかもしれませんが、そのままポリコレ問題、LGBT問題に置き換えられます。
要は現在はマイノリティーだということです。多勢に無勢。ビジネス界隈ではまだまだこれまでと同じ思想で社会構造が出来上がっているのです。
ですから、ゲーム作りに特定の思想を無理矢理入れ込むことはニーズを無視しているようで腹が立ちます。
これは一般的な思想を裏切る行為だからです。反発は避けられないのです。未来においてスタンダードになるとしても、今は受け入れられないのです。
でも、きっと今回問題になった思想家の皆さんは自分の代で世の中を変えたい、もしくは私たちの理想とする社会こそが正しいと信じて疑わないでしょうね。
でもね、すでに人類何千年という歴史の中で育まれてきた一般的な思考というものは黒人問題が「良くないこと」だと頭では分かっていても行動に現れないようになかなか変わらないのですよ。
だからこそ当事者一人一人に訴えかけて少しずつ世の中を変えようとする中で、今回たまたまラスアス2のプロデューサーが引っかかってしまったのもある意味しょうがないと俺は考えます。確率論てきな話ですからね。
でも腹が立つ。俺は財布から出した金をもう一度しまうことになった。俺の気持ちはどうなるんだ。少女とおっさんが荒廃した世界で旅をするという設定が否定されるというのは、逆に思想家側に少女がおっさんと旅をするなんておかしいという偏った考え方があるのではないだろうか。
折衷案として少女とおっさんとムキムキ女さんで仲良く旅をしたらよかったのではないだろうか、なぜ既存の思想を否定するような観点で話をしてしまうのか。
このように、既存の考え方がたとえ女性が常に弱い立場にあって、強い男に助けられて媚びているような雰囲気こそヒロインという考え方があったとしても、それは確実におかしいとは言えないはずなのです。
女性が非力なのは体の構造上しょうがないことです。その事実を思想で覆すことはできません。現代における人間には体格差があるのは当たり前で明示的な事実です。
そして、そのような体格的な差があるために、より適した労働環境や人間関係が育まれてきました。これは効率を求めてのことなのです。文明レベルがある程度発展しないと、効率よりも優先される思想なんて出てこないのです。
効率を求めることがすでにビジネス的だというのなら、今の世の中が女性に優しくすることで女性の好感度を上げ、女性もまた優しくされることを望み、それがお互い気持ちのいいレベルでマッチしたら生物的なつがいとして子をなし育て、次の世代を作ってきている事実は変わりません。
つまり、民主主義の世の中ではこうだああだと自分の考えがあるのは良いことですが、自分の考えにより否定されるものがあるならば、それが否定されることにより傷つく人がいるのです。
しかしそれは一般的には問題になりません。なぜなら一般的な考え方があるからです。過激な思想はむしろ表に出ないことで解決されています。
この頃話題に上がってくるポリコレ問題やLGBT問題はそのまま男性蔑視、特定の思想を強制することに他ならないのです。強力に主張しすぎなのです。
女性を強くするために既存の男性を皆殺しにする必要はありません。既存の男性が強い女性を認めればよいのです。認め方は人それぞれ、決まりなどありません。決めてはならないのですよ?
同じようにLGBTだからと他とは違うねーと言われることに傷つくというのは、俺がイケメンではないだの運動があまりできないだのと言われて傷ついていますというのと同じレベルの話なのです。気が付いていますか?
イケメンではない、運動ができないなどの明示的な事実以外の、人の内面に関わる部分は本来自分でカバーするところなのです。他人に理解されようというのは万人受けしません、甘えなのです。
俺外見は男だけど中身は女だと思うの、だから女湯に入っていいかな?
=いけません。
だって中身は女なんだから男のアレとか見ると不快だし男と一緒に風呂に入るとかおかしいよね?
=あなたが女であることをどのように証明するつもりですか?男が女湯に入ることで性器を見せつける犯罪になるのですよ?女湯にいる全員の了承が取れなければ、逆にあなたが女湯の利用者全員から心無い言葉をかけられるかもしれないのですよ?
このように、すでにある常識に対して果敢に挑戦しようともがいているところは、さすが思想的な活動家だと感心するばかりですが、現代においては受け入れられるものではありません。
ですから、ゲイでもレズでもバイでもトランスジェンダーでもいいのです。誰も頭の中では「否定すべきものではないもの」として認識されています。
一般的な啓発活動というのは、そういった人を傷つけるようなことをしてはだめだよーという考え方を認識してもらうことに意味があります。
よってLGBTのような人が実際に存在し、そういった人に対して「おかしい」とか「変だ」とかいうことを「言うこと自体が良くない」というのはすでに常識なのです。
それでよいではありませんか?
俺からしたら、先ほどの例は極端ですが、自分の思想に対して過度に優遇を求めすぎです。傷つけられたくないことと優遇を求めることは全くの別のものですから。
俺にイケメンではないねーと言う人がいて、傷つくのでやめてくださいと言っているのと同じレベルの話なんですから、そんな話は日常茶飯事でしょう?
もしかしたらLGBTの方々だって冗談でそういう話をしているかもしれません。それぐらいよくある話で、よくある話だからこそそこまで深刻にならないのが今の常識でしょう?
イケメンでなかったらどうしようかと考えて、自分なりの答えにたどり着いていつか死ぬというだけのことではないですか。
ですからLGBTなんだねーと言われて過度に傷つくその認識を改めてください。
優遇されることを社会に強制する行為は、逆に強制させられたと感じたあなた以外の人にとって逆に傷つき不快だと感じることになるのですよ。
それに、そんな性の変化なんてものは人類がこれからも発展していく中における小さな変化に過ぎないのかもしれませんよ。
その内体は同じで女(オス)×女(メス)や男(メス)×男(オス)で生殖行為を行い、子が生まれるような、そんな人体の構造が変わる進化が人類に訪れるかもしれませんしね。
LGBTだからと不利益を被るのは良くないことなのですから、当事者同士がお互いの思想信条に照らして解決するしかないのです。解決できないならそれはよくある話だということです。別に活躍する場を探してみてはいかがでしょうか?あなたの人生は町1つで完結するようなものではないでしょう?
ヒステリックと同じで何でも過敏に反応するのはお互い疲れるでやめてくださいね。


それではまた。

久々にタイピングの練習とか

2020年10月11日 04時10分20秒 | 世間話
こんばんは。いや、早朝だからおはようございます?

昼間に昼寝して、夕飯で酒を飲んで寝たのでこんな時間です(笑)

何で起きたかと言えば、ホラーゲーム実況の音で起きました(寝覚めが悪い)

まぁそれはいいとして、たまにはタイピングの練習がてらブログでも書こうかと戻ってきました。

取り留めないのことを書いていこうと思います。


最近は新しい職場も安定してきました。

特別面白いこともないけれど、窓口業務と事務仕事で暇はありません。暇がないから一日が早いです。

人によってはこれが嫌だと感じるかもしれません。確かに、気が休まらないし客はみんな自分勝手なので困ります。

今日やろうと思った仕事ができないことも多々あります。午前中でやることなくなるかもと思った日ほど業務終了ギリギリまでその仕事が終わらないことも多いです。

そんな他人に振り回される仕事にウンザリしたことなんて何度もあります。他人が嫌いで客はみんな知的障害者か何かだと思っている時もあります。

たまに人格者みたいな客が来ると何か嬉しくなりますね。そういう人は話が分かる人が多いです。電話で終わることも多いしこっちが心配してあげることが少なくて素晴らしいです。

思うに、どのような場面であっても「甘える側」と「迷惑する側」がいると思います。

そしてどちらの立場にもなりながら俺だって誰だって生きているんじゃないかと思うのです。

窓口であれはどうすればいいかどうした方がいいかと聞いてくるご老人や腑抜けた若者がいますが、このような人たちは「甘える側」でしょう。

本来手続きが済みさえすればいいというのが窓口というものです。必要な書類や印鑑、身分証など通常必要とされるものをただ用意して持ってくればいいだけなのです。

ですから選択的な場面になって「どうしたらいいか」なんて聞いてくるのは本来間違いですし、それを聞いてどうするのかこちらが聞きたいくらいです。

参考にしたいというのならざっくりで話すこともできるでしょう。一応その内容で仕事していますからね。

ただし、本当にその人にとって有意義な選択であるか、後悔しない選択であるかは自分で決めなくてはなりません。

自分がいいと思ったから、周りがそれは悪手だと言っていてもやる、というのが本当の選択です。

そうはいっても誰だってより良い選択をして幸福になりたいと思うはず。俺だってそうです。

俺だっていろんな場面で相手に質問をします。その答えを聞いて考えて、答えを出します。時には聞いた答えそのままを自分の答えにすることだってあります。

ただし、それは自分の選択です。発生するリスクも自分が背負わなくてはなりません。当たり前のことです。

とはいえ、発生する大きなリスクは大抵事前にわかるものです。考えればわかるものです。だからある程度予測して回避したり耐えたりできます。

というもの、相手に質問をするのは「自分にないものを知りたいと思うから」です。漠然と「どうしたらいいか」なんてアホな質問をしたいのではありません。

自分が理解したいと思い、理解するには自分で調べ切れないほど知識が足りないから、申し訳ないけど知らない部分を教えて欲しいということです。

となれば質問の仕方や中身も変わってきます。「どうしたらいいか」ではなく「〇〇はできるか」と具体的な質問になるはずなのです。

それにズバリお答えするのが窓口の担当者です。その仕事をきちんと行えないなら3流の担当者にあたってしまったのだと思います。若いお姉ちゃんなら大目に見てやってください。

さらに、選択の結果幸福になれるというのも幻想です。選択は次の選択につながるのです。生きるか死ぬかと同じ。死ぬという選択をしたくないから生きる中で新たな選択をしているだけです。

我々のような窓口担当者は必ず幸福にしてくれる神様ではありません。言ってしまえば窓口に来た人をルールに収めるように導くだけです。幸福などではありません。

窓口に来るにあたって自分をルールに収めたいが、収め方が分からないという人のために我々窓口はあるのです。オンライン化したらBot化してしまうかもしれませんよ。

それぐらいドライでやることも決まっているところなのです。どのような内容であれ、そのための窓口とは本来そういうものなのですよ。

ですからまぁ世間話や世の中の愚痴を言いにくるところではありません。それは何も生み出さない無駄な時間です。

無駄な話を仕事中にされるのは「迷惑」です。「甘える」だけに飽き足らず「無駄な時間」まで強いてくるなんて「迷惑」以外の何物でもありません。

義理人情と言いますが、それはお互いのリスペクトがあってこそ。我々が挙動の遅いご老人に合わせてゆったり対応したり大声で話してあげるのも我々なりの敬いです。

ただしそれに驕って不遜な態度を取るのは一番みっともないです。みっともないし、我々からしたらゴミみたいな奴だなとしか思われないですよ。

先ほども書きましたが、窓口は手続きをするところです。手続きをしたいから来ているのであって「やらされている」という態度はそもそも間違っているのです。

国や企業が決めたルールだから従わなくてはいけない、でも面倒だ、窓口までは来てやった、書類をそろえろとは何事だ、というのは典型的なゴミ野郎です。

来てやったとは何事ですか。ルールに収まりたくないならそれでもいいですよ。どこへなりと行って鳥の餌にでもなったらいいのです。

ルールに収まることが嫌だけど、社会に反抗する気概はないから、駄々をこねて窓口で騒ぐというのは、本当にゴミと同じ価値しかないと思います。

ルールそれ自体がよくない、俺にここまでさせるのは世の中が悪い、そういう人もいます。偉い人になって世の中を変えてください。世の中が変わったら窓口も変わります。

そんな力はないでしょう?できるとも思わないでしょう?だったら潔くルールに収まるのです。なんか嫌だなんて言っていいのは子供の間だけですよ。社会に出て学ばなかったのでしょうか?

もしもそんな常識は知らんというのであれば、そんな当たり前の一般常識を教えてやる義理もないので、用が無いなら帰ってください。

窓口の人間が下手に出て「やってください」という態度に出るのは何も心から「やってほしい」と思っているわけではありません。

どうせルールに収まるしかないのですから、窓口の人間からしたら「ほら、やれよ」でもいいですし、「よろしくお願いしますね」と丁寧にやっても結果は変わらないのです。

結果は変わらないけど、仕事の仕方は評価されますから、接客態度がいいのは客のためではなく上司や同僚のためにやっているのです。

というわけで、窓口に来るときはネットでも駆使して何をやるか調べてきてください。ネットが使えないというのなら図書館にでも言って本を読んだらどうでしょうか。

そんな時間もないというのなら、せめて「教えてください」という態度で来てください。不遜な態度で成立する関係なんて本来無いのです。甘えた態度を取るのはやめましょう。



いや~時間が時間なだけに穏やかな文章になりましたね(笑)

他にもLGBTとかいろいろ書きたいことはありますが、肩が疲れたので寝ようと思います。

今週は月曜日が平日ということでちょっと損した気分ですが、すでにその分休んでいるわけですから文句は言えませんね。それが「ルール」ですからね。


それではまた次回です。

夏ですね、暑いですね

2020年08月21日 00時09分56秒 | 日記
こんばんは

夜も遅いですが、俺は明日一日だけ夏休みをもらったので気分はハイです。

まぁ翌週の月曜は金曜分も働かなくてはならないため、逆にブルーな要素もありますが…

上司が休め休めとうるさいので休んでやっただけのことです。休め早く帰れと言いつつ仕事は終わらせろとはなんという矛盾か。

俺の実力が他人よりも劣っていることを浮き彫りにさせたいのかと、情けない方向でイライラしたりします(笑)

まぁ自分の仕事を誰も手伝わないし、俺だって周りの人の仕事にまで手が回らないし、定時で帰るやつらばかりのなか、上司は一人残って大変そうだし・・・

そんな苦労が多そうな上司を労わりたい気持ちでいっぱいなのですが、いかんせん俺にも実力がなく、足を引っ張らない程度についていくのがやっと。

経験を早く積んである程度のことができるようにならないと、頭の回転や知識量では古参に勝てないし、センスがある後輩にはついていけませんですよ^^;

最近は昔ひどい目にあった先輩となぜか今も飲んだりしているわけですが、仕事で一緒でなければただの飲んだくれで変態野郎なので、面白いキャラではあります。

そんな先輩は絶倫の巨根で、最近10歳も下の20台の彼女ができて、同時期に別の職場の20台の女性をセフレにしたとか自慢してきて、正直すげぇと思いました。

さらにその二人は自分も知っていて、何ならその一方とは仕事でご一緒したことがあるというから驚き。

そこまで可愛くなくても、若くて知人だというだけでなんだかエロく思えてしまうのは、素人AVの見過ぎか、自分にも可能性があったと思えるからか(遠目)

可能性は0ではない!なんてよく言われますが、限りなく0に近いものは、もはや誤差。0と考えてみる方が気が楽というものです。

社会に出てすでに片手では数えきれない年数に入ってきていますが、年々感じるのは年下と女性に対する接し方の難しさです。

上司や先輩などの年上というのは、そもそも特別関係性がなければ親しくなることもないし、敬語で喋れば問題ないし、敬っていれば万事解決します。

が、後輩や同期、女性に対してはなかなか普段通り接することが難しいように感じるのです。

後輩はため口で話せばよいと思うのですが、世間話するほど興味もないし、先輩面しても仕事じゃセンス負けするかもしれないしで複雑な感情です。

同期はもちろんため口なのでしょうが、これまた興味がないので話すことが浮かばないですね。仕事の話ならまぁできるのですが、俺の上下左右のつながりは顔見知り程度ですからね。

大して話は盛り上がりませんよ。これが最近は問題ですね。

特に問題になるのは女性関連です。女性関連でなぜ問題になるかって?俺もそろそろいい歳ですからね。

結婚とか考えて、次の子孫を残していくことも考えないといけないと思うわけですよ。

ここ数年で急にそんなことを思うようになりましたね。俺だってまだ20台後半ですが、なんだか最近体の衰えを感じるんですよ。

仕事で残業するのも前より疲労感が翌日抜けないことが多くなりましたし、体の不調が出やすくなったり治りにくくなったり、すでにおじさんの兆候が見られる気がします。

ここで追い打ちをかけるように例の絶倫先輩ですよ。20台前半の彼女?セフレ?うらやま!

俺なんかわざわざ東京の風俗まで旅行がてら足を運んで若い体を触るくらいしか接触の機会がないというのに、先輩は連絡があれば2人の若い女性とムフフなことができるですって!?やっぱり羨ましい!

今はコロナ禍で他県への移動は控える時期ですし、万が一俺が感染して症状が出たりしたら職を辞さないといけない可能性があります。つまり、風俗にはいけません(号泣)

地元の風俗はババアか中国人ババアしかいなくて金を払う気にもなりません。俺は若い体に触りたいの!

ここでポイントになるのは3つだと考えています。

まずは第一、実は俺EDなんですよ。ただし風俗とか金が絡むと急にやる気になるタイプですけどね(笑)

周りからは「それEDじゃなくねww」とか言われますが、びっくりするほど女性を口説く気にならなくて困ってます(笑)

ED薬をもらえば解決ですけどね。多分立ちますよ。わたくしの愚息もね。

ただねぇ別にオナニーや風俗では立つわけですし、現在結婚相談所の紹介でお会いしている人がいるくらいで、あまり使わない()ですからね。

まぁ普通の人は普通に立つのでしょうから、勇気を出して口説いた結果、ベットインできればその後続かなくてもいいんでしょうけど。

俺はその前にED薬を飲まなくてはならないでしょうし、高いですからね。服とか一式そろえられる値段しますよあれ。

そして第二のポイントはやはりやる気ですね。あっちが立つ方のやる気()ではなく、普通に他人を求める方のやる気です。

で、この話はポイントの3つ目にも影響するのですが、要は「結婚」と「恋愛」は違うということですね。

俺みたいな経験が浅いやつが何を言おうと様になりませんが、どうか言わせてください。

「結婚」はこの先も顔を突き合わすパートナー。同居しても、毎日顔を見ても、毎日声を聞いても、毎日においをかいでも、まぁ気にならないという人を探すことだと思います。

「恋愛」はズバリ「気持ちいい」ことがすべて。要はエロいことを最終目的にして、気持ちよく過ごせればそれでいい。後先のことなんて実はどうでもいいというわけです。

そこにきて俺は思うのです。あの絶倫先輩はどちらなのかと。俺が思うに「恋愛」だと思います。

大人の余裕と衰えることのない胆力で女性を満たすことができるだけでもすごいことだと思いますし、実際に2人も抱えてそれでも仕事をこなす器用さや元気さには驚くばかりです。

とはいえ、先輩ももう30台半ば、その女性たちは果たして今後どうなるのでしょうか?

セフレが長続きして、女性の方に穴兄弟ともいえる男性ができて関係がなくなるのか、はたまた結婚するのか。俺の予想ではお互いに飽きたら分かれるのではないかと思います。

正直、羨ましいのでどちらの結末でもいいとは思うのですが、俺にはそう器用なことはできないと、やってもいない前からなんか悟ってしまうんです。

当然愚息にあまり元気がないことも要因の一つです。立たないのに女性にがっついてもなんか空しいという気持ちが強いし、酒の席で楽しく会話できているならそれでいい思い出です。

とはいえ、昔ある可愛い後輩が入ってきたとき、絶倫先輩とともに飲みに何度も行き、今でも3人で飲んだりすることもあるのですが、今思えばもっと積極的になるべきだったなと後悔しています。

当時の自分は仕事のできなさに自信を失い、職場では味方がいないのだから、どのような恥をかいても関係ない。会社は地元にあるわけじゃないし。と半ばやけくそで残業の日々を送っていました。

そんな仕事とアパートの往復が日課になっていた俺でも女性と接点がなかったわけではないのです。職場の若者が参加する飲み会も半ば数合わせで参加させられたりします。楽しいです。

しかしながら俺には当時職場に関連する人すべてが恐ろしく見えていて、逆にそれらを憎むことでやる気をだしてがむしゃらに働いていたので、彼女を作る気にはならなかったのです。

その結果がむしゃらに働いたとはいえ経験を普通に積んだだけの男が出来上がったのは笑い話なのですが、そこはもう俺の実力だからと今はとりあえず仕事を全力でやる方向に切り替えています。

そうやって意識は変わってきているのですが、いかんせん女性には積極的になれません。だってエロいことしたいから話しかけるとかどうなんですか?

若い男としてはそれでいいと言われるのかもしれませんが、それはつまりその先で結婚も見据えることができるからでしょう?

確かに体の相性がいいなら結婚だってできるでしょうけど、何か自分としては腑に落ちません。

まだ迷っているのですかね。他人に関わることで自分が否定されるのが怖いとか、関わった結果自分の時間が奪われるのが不安とか、仕事の比重はまだまだ重いとか、ダメな理由は星の数ほどあります。

時々寂しくなって彼女がいたらなぁとか思いますし、エロいことになったらと、そっちは割と頻繁に妄想しますが、どうにもリアリティがあるように思えません。

そんなことを考えていると、後輩や同期で女性に積極的に話しかけ、人から「あいつ〇〇と付き合ってるらしいよ」とかささやかれても、なんとなく「いいなー」と思われる人たちってすごいと思います(小並感)

その人たちだって最初から女を引っかけるすべを持っていたわけではないと思うのです。何度も試行錯誤した末に自分を否定されたりする恐怖に打ち勝ち、結果女を捕まえることができたのでしょうね。

俺にはまだその経験が足りません。仕事をやってきて実力がない俺でも社会で通用すると思えたのは経験だけです。持って生まれたステータスやセンスじゃ太刀打ちできません。

上には上がいますからね。恋愛においても、自分が手を出した相手が自分よりもより魅力的なやつに口説かれたら、そりゃそっちになびきますよね。立場が逆なら俺でもそうします。

では今の俺の実力ってどんなもんなの?通用するの?全く分かりません。

じゃあやってみれば?どうにも億劫で行動できていません。というのが現状なんですよね。

にもかかわらずエロいことはしたいから、賢者モードの時は「結婚相手」を探して、ムラムラしたら「恋愛相手」を探しているみたいで、自分の中で方針がブレブレです。

でもねぇなんだか決めきれないんですよね。エロいことしたい人と「この人でいいや~」と思える人って違うと思いますしね。

今現在結婚相談所の仲介で知り合った人はエロいことをしたいと思わないですが、まぁ一緒にいてもいいかなって感じです。

でもなぁ結婚というと何かな~というのも本音。正直めんどくさいです。

ここまで考えて、やっぱり俺はまだ若いのかな~と内心思いつつ、仕事で疲れているところで女漁りして経験をこれから積むのも面倒だし愚息も元気ないしでやっぱりおじさんかな~とも思うのです。

やってみればいいんですけどね。これに気づくのが後数年早ければいろんな飲み会やイベントがあったように思いますが、今はなんだか若者たちの催しに参加するのも億劫です。

おとなしく結婚相談所でも駆使して女性と会うということを続けていくべきですかね。会い続けるのも面倒くさい時はありますが^^;

手続き上でお会いしている点が、なんだか金払って女性と話しているようでやる気にもつながりますし、野に出て自分に興味がない人に尽力するより手間がかからないかなとも思います。

ウダウダ言ってますが、要はまだどうしたいかが決めきれていないんですね。田舎はコミュニティが限られていてこういうとき困ります。




そんなこんなで日付も変わりましたが、今日は休日、夏休み!

最近痔が悪化して酒とかの暴飲暴食をやめ、食物繊維や乳酸菌など体にいいものだけとろうとしているので、休日と言えども仕事をしていないだけでシステマティックな生活に変わりはありませんねww

こういう時に趣味とか見つけるといいと思うのですが、三日坊主ですからねぇ。憧れるものは星の数ほどありますが、どれもこれも妄想するだけでお腹いっぱいです。

あ~ゲームするのも楽しいけど、この老いていく体と精神をどうにかしないと、ただ干からびるだけなんですけどね~

いや~もういっそのこと子供を作ってそのために金を稼ぐこと、つまりは血を絶やさないことだけ考えて後はオナニーでもしていればいいですかね。

結婚相談所経由で女性とお会いすると、普通の女性が多いし、結婚は勢いともいいますから、結婚してしまえばいいんですかね。

エロいことは風俗で、家庭のことは妻と、(とりあえず子作りするためにED薬飲んで、)それならお金も無駄にならないし、我が家系を絶やした大罪人にはならないかもしれませんね。

結局は↑のような人生をみんな歩んでいるのでしょうけど、そう考えて実行に移し、最後は死ぬという風に切り替えるのは一体いつのタイミングなのでしょうか。

これが分からない。いや考えたくないのかもしれません。それは死ぬことをゴールにしている道。これまでの人生とは異なる、終わりの未来を考えることですからね。

どんな言葉で言い繕うとしても、結局は「死ぬ」というだけのこと。その間に自分に残された使命はただ「子孫を残すこと」。その使命がどれだけ安定して達成できるかが勝負なのでしょうね。

思えばここまで「高校生になったら」「大学生になったら」「社会人になったら」「仕事に慣れたら」と未来を輝かしい何かだと思って、それを希望に生きてきました。

しかし当然のことですが、変わらない日常に変化などなく、希望が妄想に変わり、結果使命だけが残され、今後数年の間に決断を迫られているように思います。

自分は一人でいることが好きですが、最後まで一人でいられる自信はありません。使えない、いらない、と言われて最後に死ぬことになっても、子孫さえ残せばその子孫が新たな希望になるのでしょうね。

自分にはもう見ることはできないであろう遠い未来。その未来に自分の血を受け継いだものが立っているだろうという果てしない希望。それを考えると不思議と頭と体が軽くなるような気がします。

やっぱり「結婚」がしたいですね。「恋愛」はもう遅すぎました。今の俺には風俗で十分です。金で買える快楽に慣れきってしまったので、一から積み上げることが億劫で仕方ありません。しかも自分の欲望のためだけになんて。とてもじゃないけどモチベーションが保てません。

そこにきて「結婚」ならば、子供を養うことに意義を見出すことができます。未来があるのです。

どうせ趣味なんて見つからないでしょうし、ゲームもその内ついていけなくなります。それと同時に社会のお荷物である「老人」になり果てるでしょう。

そんなどうしようもなく暗い未来を怖がるのは不毛です。不毛だけど立ち止まってしまうのが人間です。それでも決断しなければ。自分がこれから先「死ぬ」のだということを。

どれだけ楽しそうで羨ましい生活を送っている人でも、同世代の人たちは同時期に死にます。もったいないことも多々ありましたが、すでに終わったイベントを回想しても何もなかった回想しか出てきません。

選ばなくてはならないんですね。これだけの長文をダラダラ書いていてやっとそれらしい方針にまとまりそうです。

ただ、これだけはどうしても言っておきたいのですが、ムラムラしたら「恋愛対象」を探してしまいますので、それはすみませんwww不完全な人間なんです。


それではまた次回

コロナでも底辺は変わらない

2020年07月04日 23時53分33秒 | 日記
こんばんは

今日は酔い酔いで書いていきますよ。
とはいえ、まだ缶ビール3本開けた程度なので、普通に正気ですけどね。
それこそ飲み会だったら上司がセクハラ発言やセクハラ自体をしているのを横目に「アレやばくない?」とか言って新人に話しかけて逆にセクハラするレベルですよ。
これはもうわからねぇなとかいうやつです。自分に自信がなくてできないですけどね(笑)


それはさておき、酔ってないと正気が邪魔して書き込めないので書いていきますね。
普通ならあえて言わないことなんでしょうけど、なんか仕事してて思うので書いていきます。

皆さんコロナってどう思います?この先も続くと思います?てか治る兆し見えないですよね。
多分ですけど、えらい先生方があれだけ頑張ってやっと治験をやってみようかなレベルってことは相当やばいですよ。
今じゃソーシャルディスタンスなんて言って職場の窓口にもアクリル板が設置されましたよ。
コロナなんてことが無ければ即クレームものですよ。時代ですかね。世相ですかね。クレーマーすら黙らせるコロナって奴は相当のやり手ですね。
で、税金系で仕事をしていると税金が払えないとか言ってくる奴がいるんですよ。いいんですよ。陳情してもらうのは逆にありなんですよ。
でもね。俺らだって雇われ役人ですよ。別に力なんて何もないですよ。マニュアル通りにというか制度の通りに税金かけてるだけですよ。
それなのに俺らに怒りをぶつけてくるのは何か違いませんか?あなたたちは誰を相手にしているのですか?はけ口が欲しいだけなら金を払って風俗にでも行けって話ですよ。
本当に市役所ってところは底辺がうろうろしているどうしようもないところです。
普通のサラリーマンの方が言っていましたよ、「あんなこと言う人がいるんですか?まともに働いているんですか?・・・あーやっぱり、うちにもああいう”どうしようもない人”来ますよ。大変ですね」ってね!
その人もネバネバした人でしたけど、それにしたってクレーマーは困る!お前ら暇かよ。クレーマーの暇つぶしをした時間分だけ通常業務で残業してんだぞ!税金の無駄だろ帰って寝ろ。それしかできないんだから!
こっちだって毎年の制度改正を理論武装しながら頑張って通知出して頑張ってるんだよ。お前らの”面倒くさい”のためにどれだけ努力してると思ってんだよ。
過剰サービスだと思うよ。制度上はマイナンバー確認しろって言ってんだから書けよ、示せよ、確認させろよ!なに無くしてんだよ!何がいらないよね?だよ!お前日本国民なら法律に従えよ!
じじいばばあはそりゃ死期が近いんだから理解できないだろうけどね!まぁ国もおざなりだからマイナンバーなんてあってないようなものとか貧民は思ってますよ!そもそも知識がないからね!
これは国が悪いのか?何かやるなら貧民にいきわたるように活動しないとダメだろ。とは思うけど、反面、貧民のアホっぷりには反吐が出る。お前ら今の俺からしても動物にしか見えないぞ?
安倍政権を批判してる歯が抜け落ちたじじいどもは選挙権を持ってるだけの死骸だぞあれは。あんなもののために政治家の偉い先生方が耳障りの良い高齢者対策を考えているのかと思うと吐き気がするよ。
仕事で自分の食い扶持を稼ぐために良い大学出た素晴らしい才能をこんなどうしようもないやつらの人気取りのために使うなんて間違っている!
本来は淘汰されるべきだと思う。選民思想と表裏一体だけど。
戦後の話を勉強する機会が多いけど、それは単に自分のことで精いっぱいというだけで、火垂るの墓みたいに駅で野たれ死んだ奴を回収する駅員の構図なんて誰も見たくないだろ。
今はこれだけ恵まれているんだから物乞いに金をやる制度はすでにあるんだよ。
少ない年金で小汚い恰好しかできないやつはもう少し申し訳ない態度をしろよ。お前が役所に来た理由はなんだよ。税金は十分安いんだよ。税金の中身が聞きたいなら教えてやるよ。それが仕事だからな。なんだその態度は!
教えてもらうのが当たり前みたいな尊大な態度を取っていいのはちゃんと納税している奴らだけだからな!払えない事情があるやつ以外はみんなクズだぞ!陳情にこい!そしたら考えてやる!
たかだか数万の税金でクレーム言ってきてんじゃねぇよ!お前の相手する時間の方が無駄なんだよ!木にでも話かけていろよ!お空に話しかけてる方が気分も晴れていい感じだぞ!
もうね、本当に無駄。なんで人間て歳を重ねると「できた人間」と「勢いだけで生きてきた人間」の差がこんなに出るんだろうね。残業代出るけど上司の目が厳しいんだよ。窓口なければ終わってるのにね!
積み上げてきた人はちゃんと「考える」んだよ。これもネバネバさんと表裏一体だけど。まだいいよ。頭使ってる様子があるから。
だけど積み上げがない人って恥ずかしくないのかな?何も知らないのは環境のせいだからしょうがないんだよ。無知を恥じて、頭を下げて、知ってるやつに教えを乞えよ。
知らなくて、聞きたくて窓口来ているんだよね?聞きたいんだよね?何その態度?アクリル板がなかったら「え…何この動物」って感じだよ?お前相当かっこ悪いけど大丈夫?
俺だって税金払ってるんだよ?若いし配偶者もいないから控除だって全然ないよ?お前らの下手したら10倍以上の税金納めてんだよ?日本の未来を背負ってるんだよ?お前ら何?老害?
は?税金が払えない陳情じゃなくてクレーム?は?お前自分がいかに無駄なことしてるか分かってる?お前は何が目的なの?
目的なんて無いわけ?口じゃ仕事が忙しいとか言いながら酒のにおいがプンプンするけど?酒を飲む時間と金があるのに税金払えないわけ?は?お前言ってることとやってることが矛盾してますけど?
え?健康で文化的な最低限度の生活?は?お前ら何か意味をはき違えてない?お前が今ここで服を着て息をして話せているだけで最低限度の生活はできてるからね?
酒は嗜好品だよ?金があるやつが嗜む品なのご存知?普通に考えたらそんなことしているから税金が払えないんだよ?お前普通以下だからね。
普通以下の自覚がありながら普通以下だと認めるのが怖くて悔しくて、おまけにこの先の人生でやり直したりする時間もなくて、ただ老いただけの自分に苛立って、それで窓口に来たの?可哀そうにね。
そんなどうしようもない人間、いや俺からしたら”人間のくせに人間的な思考ができない動物”の皆さんは食用にも向かないので、精神科の先生に貢いだらどうですか。税金も払えないその少ない年金でね、まぁ治らないでしょうけどね(笑)
こんな若いやつにこんな風に思われて悔しくないですか?俺なら悔しいですよ。なにくそって思いますよ!プライドってものはないんですか?
それなのになんでそんな惨めな態度を取るんですか?クレームなんか言って恥ずかしくないですか?大人の威厳はどこにいったんですか?
俺みたいなチャラチャラした若者に日の丸魂というものを見せつけてくださいよ。税金払って仕事して、貧しい生活するのも真っ当な生き方ですよ?俺はおかしいとは思いませんよ?
稼ぎが少ないんだから、普通のリーマンよりよっぽど少ない税金ですら負担感がありますよね?だから何なんですか?資本主義ですよ?あなたが今の地位を築いたんですよ?
毎日木に釘打ったり、物運んだりするだけの、”機械でもできるような単純労働”ばかりでロボットアームと大して変わらない技能しか身に着けていないから、老いた後に”価値”が付かないんでしょう?
それを当時は”これでいいんだ”とか無理矢理自分を納得させてお空を眺めていたんじゃないですか?時代が違いますよ。今じゃそんなことしていたら池沼と間違えられますよ。
今は機械とのいたちごっこの時代ですよ。機械ができるようになれば、人間側がより複雑な作業をこなさなくてはならない。常にロボットを操作する立場にいなくては価値を創造できないのですよ。
その時代の流れを感じ取れていますか?現状維持すらできていませんよね?それはなぜですか?考えたことがありますか?己の生命の危機を己が招いたんですよ?
日本という国は年金制度や医療体制が整っていてみんなそれなりに幸せで安心した生活が送れます。アフリカみたいに生まれた後1年生きられるかどうかみたいな博打はないですよ。
ですがね、人間が腐ってはだめですよ。アフリカの人を見て何も言えないですよ?日本という国が無かったらあんた死んでますよ。それか草食って生きていますよ。
戦時中の世なら草食って生きていたって誇らしかったでしょ?生きているだけで嬉しかったでしょ?その感情はどこに行ったの?
”生かされている”って気づいていますか?ロボットアームでもできるような仕事で社会を回した気になって呑気に酒を飲んでいた自分を客観的に見ていましたか。
俺はいつも悲しいです。大人って奴は最後は腹をくくって死ぬ誇り高い存在だと思っていました。時代劇の影響ですかね。
それがそこらへんの小学生でも言わないようなことを平気で大声で喋りちらして不機嫌さをアピールするなんてまるで赤子ですよ。
人間は死ぬ前に赤子に戻るのですか?無駄に年を食った赤子とか冗談じゃないですよ?
赤子がかわいいかわいいと言われるのは未来への希望に溢れているから、輝いているからですよ。後10年も生きればいいような棺桶に足を突っ込んでいる人に誰が興味を持ちますか。
興味を持たれるとしてもそれは金をもぎ取ろうというビジネスの話だけですよ。誰も興味はありません。仕事を通してなら話す気にもなるけれど、それ以外で話す価値がないのですよ。それが分かっていますか?
”価値”がないのですよ。若者が恋愛をしなくなった理由と同じで”価値”がないなら衰退していくのですよ。下に見られてしまうのですよ?どうして自分に価値をつけないのですか。
いや、老い先短い中で価値なんて無理かもしれません。それならせめて”普通に”生きてください。納めるものは納める。ただ余生を過ごすこと、それで寿命を迎えること、自然界の摂理じゃないですか。
結婚していたら奥さんや旦那さんが寄り添ってくれるかもしれませんね。結婚をしてこなければ誰からも興味を持たれずにビジネストークが嬉しくて余生を過ごすのでしょうね。
そのどちらだって誇り高く生きればそれでいいじゃないですか。酒飲んだっていいじゃないですか。よく考えれば、税金は払えない額ではないレベルに設定されているのです。社会参加したみたいで気分がいいでしょう?
現実に金の出入りが激しい我々若者世代でも、税金払えないのなんて貯蓄がないアホリーマンか事業に失敗したアホ個人事業主くらいですよ。どちらも話せば分かるくらいにくだらない人生を歩んできています。
結局のところ我々の窓口は底辺の愚痴のはけ口なのでしょうけど。俺はあえて”年老いた人間の低能ぶり”に喝を入れたい。
若者に甘えるなよ。制度についていけないならついていけるところまで自分を持って来いよ。他人の言いなりになるなよ。それで怒るなよ。意味すらわかっていないのに怒るなよ。
会話はお互いをリスペクトしてやるものだろう?俺はこんなに長文で嫌味を書いていても、話をした当初はお前のこと”立派な大人”だと思ってるよ?それが礼儀だろ?
それを無礼な態度でこられたら、俺がお前に愛想よくするのなんてサービス業なりの積極対応以外ないぜ?まさか俺がお前のことを本気でリスペクトしているとでも?
お前は俺が「あなたのこと本気でリスペクトです!いろいろ教えてください!」とか言って頭下げてきたら「応!任せろ」と言えますか?本心で言えますか?
そんなわけないでしょ。お互いにそんなわけないんですよ。お互いに大した人間じゃないんですよ。
一部の優れた人によって社会は”回されている”だけなんですから。もしかしたらここで俺が嫌味を書き込んでいるのですから誰か頭のいい人の策略かもしれませんよ。
それぐらい俺とあんただってどんぐりの背比べなんですよ。それをあんたが一方的に”動物的な”態度でくるからこっちも”動物用の”態度で接しなくてはならないのですよ。
どちらがより優れているかなんてどんぐりの背比べと同じで差があるようでないのですから。
せめてお互いに節度を持って話をしましょうよ。でなければあなたは死んだ後もその家族が”老害の家族”だとレッテルを貼られるのですよ。
田舎のレッテル貼りがどうしようもないほど強力なのはご存知でしょう?それが怖いと感じるなら家族の命運すら背負っているつもりで生きてくださいよ。
それで死期が早まるなら所詮それまでですよ。あんたには荷が重すぎただけです。それでも確かに誇り高く生きたなら、俺はあんたをリスペクトしたいと思っていますよ。


それではまた次回

職場環境は大事だよね

2019年12月17日 22時44分44秒 | 世間話
こんばんは


今日は外作業だと決まっていたのですが、運悪く雨が降り無駄に濡れることになりました…
ただまぁ事務仕事ばかりをやっているので、たまにこうして肉体労働をするのも悪くないかなと思いましたね^^


さて、今日は仕事と職場環境についてです。
労働者ですからね。職場環境、とりわけ労働環境についてはいろいろと考えさせられる現場にいます。
また、若いからと組合の活動に従事させられることもあり、いろんな意見があることを知って面白い世の中だなぁと思っている今日この頃です。

つい先日組合の活動があり参加してきました。
しかし、驚いたことに内容は中立ではなく、左寄り…
「あなたは戦争をしようとする憲法改正は必要ないと思いますか?」なんていう誘導尋問が出される始末です。
俺も一応組合員として参加させられていますから、所属組合の意見を知らないのに個人的な意見を出すわけにはいかず、渋々「分かりません」という頭の悪い回答をしてきました。
なんだかお偉い方の熱気が安倍政権批判で始まり安倍政権批判で終わるところを見ると、それを糧に生きている人たちなんだなぁとしみじみ思います。哀れです。
「戦争をしようとする憲法改正」?ちゃんちゃらおかしいですね。被害妄想も大概にしてもらいたいものです。
これで人心を操れるとでも思っているのでしょうか?憂さ晴らしならオナニーでもしててください。と言いたいです。
これは「分からない」が正解でしょうが、個人的な意見はここで述べさせていただきます。
まず、俺も一介の国民です。政府の考えなど分かりませんし、表立って述べられている政府見解を鵜吞みにするわけでもありません。
ただ、だからといって左寄りの意見を真に受けるわけもありません。
ただ、すべてがおかしい主張でもなかったところが面白いと思いました。
それは労働環境についての主張ですが、それはおいといて先に憲法改正について。
憲法改正は、個人的には、やってもいいと思います。戦争をしたいのではありませんし、武器かっけーってなっているわけでもありません。
これは国政なのです。民草の意見など関係ありません。国としてどうするかを考えるのです、左寄りの意見がのさばっているのは政府の説明が足りない気がします。
民草はそりゃ家族という小単位で生きていて、労働力を失えば生活が立ち行かなくなる危険性があるのだから、それにつながるようなものには嫌悪感を抱くのは当たり前です。
それは変わりません。代わりにAIで戦争をしますとでもいえば、他国の人間がいくら死のうが関係ないとかいう人も出てきそうですが、そんな未来は俺が生きている間に実現するかどうかも怪しいです。
今もまだ人と人が戦っています。だからややこしい。
俺も戦争は嫌です。戦争体験の話を聞くと胸が苦しいです。
ですが、憲法改正=戦争ではないと思っています。これは政治なのですから、戦争をしようなどというところなどありません。
面白半分に戦争するなどということは通常あり得ません。それは器の小さい戦国大名か何かです。
だから、憲法を改正することで必ず戦争が発生するかのような左寄りの言葉は逆に国民に対して不安を抱かせる害悪なのです。
ただ、いくら言葉を並べても、憲法を改正した結果、「戦争ができる状態」になることは間違いありません。
しかし、「戦争できる状態」なのであって「戦争する状態」ではないのです。キャンとマストは全然違いますよね。
ですから、私たちが考えることは、なぜそうしなくてはならないのか。安倍首相の気まぐれなのか、本当の意味で日本が危険なのかを知るべきなのです。
そして自分の頭で考えて答えを出すべきです。誰かが答えを出してきたら疑うべきです。自分の答えは自分だけのものですから。
そして憲法改正が必要だと思ったのならば、「いかに戦争をしないか」を考えるべきです。平和的な交渉は、何も憲法を改正したらできなくなるわけではありません。
だから俺は「憲法改正=戦争」という左寄りの意見は論外だと思います。それは国のことを考えていません。
ただ、「戦争をしたくない気持ち」に対して政府が「日本がいかに危険な状態にあるのか」を説明しない間は憲法改正に賛成することもできないのです。
このまま憲法改正論議を続けることは、結局安倍政権の批判を強めることになると思います。大半の国民は俺を含め世界情勢など分かりませんからね。
憲法改正の必要性について考える情報が足りないのです。そこにきて左寄りの意見が多数入ってくれば、うまく政府批判に扇動されることは容易に想像できます。
その政府批判への扇動が割と露骨に行われていたのが、先ほどの組合活動だったので、驚いてしまったという話です。


さて、戦争についての議論は感情的になる人がいるのであまりしたくないものですね。大局を見るか個人を見るかというだけのことなのにね。
それはそうと労働環境についても語りたいと思います。
先ほどの組合活動に参加し、素直に「その通りだ」と思ったことも多くあります。
政治的な思想を出してこなければ、労働者として、組合活動を通じ企業や政府に要求をしていくべきだと思うことはたくさんあります。
その最たるものが「賃金」と「労働時間(環境)」ではないでしょうか。
「賃金」は言わずもがな、金がなくては生きていけませんから欲しいです。
「労働時間(環境)」はそのままプライベートの時間に直結します。働く時間が長ければ長いほど、プライベートはなくなるわけです。
個人でものを考えた時、金と時間があるかないかで行動の選択肢が決まることもあると思います。
例えば「婚活」です。婚活は金と時間がかかります。見てくれを良くしたり、出会いの場に参加したり、コンスタントに金と時間がかかります。
少子化を嘆くのであれば、若者が”生殖行為”を行える時間を増やすべきです。
確かに働き盛りです。体力もあります。しかしながら、俺よりもひどい労働環境の話を聞くと、それでよくち〇こが立つな、疲れマラというやつか?と心配になります。
1日は24時間しかないのです。その中で仕事とプライベートを両立させ、さらに国の新しい礎を生み出せというのはデイリーミッションが多すぎやしないでしょうか?
昨今は人件費を削減するつもりで非正規労働者が増えてきて、現場の正規は正直困っています。
有能な非正規は正規に格上げされるなどということもありますが、労働時間と責任の違いが正規にとっては重荷なのです。
無能が無能と言われるのは当たり前なので、非正規にしかなれないような人たちはどこかで何かを失敗しているのかもしれません。
ただ、非正規はパートではないのです。主婦がお手伝いしているのとは意味が違います。正規未満の給料で働く準正規なのです。
そこにきて責任ある仕事を非正規がやらない場合、その重い仕事はすべて正規がやることとなり、結果そこまで優秀ではない正規は残業することとなるのです。
俺は非正規を増やして責任ある重い仕事を正規がやった結果、1.25倍の残業代を付けなくてならないのなら、非正規を雇うことにメリットがあるのか疑問です。
非正規程度の仕事しかできないのなら、非正規などと言わずにアルバイトと言えばよいのです。仕事ができていないことについては本人が一番よく理解しているでしょう。
パートは主婦やらなんやらのお手伝いさんです。アルバイトとパートの線引きはここでは語りません。ややこしいです。
とにかく、正規を潤沢に用意して仕事に備える構えを見せないと安定などしません。安定がないところに余裕のある思考は生み出されません。
そのギリギリを狙って日夜考えるのが総務や人事や社長の仕事だと思います。
そこにきて「残業は20時からだ」とか「残業代は上司がつけてよいという時だけつけるもの」という誤った認識を植え付けて乗り切ろうとするのは詐欺と同じです。
このSNSが発達した世の中で↑のような労働環境に甘んじている人たちは知ってて働いているのか知らずに働いているのか分かりません。知らずに働いているのなら石器時代の人なのでしょうか。
大半は知っていてその状況に苦しんでいます。だから徒党を組んで要求を出すのです。この姿勢というかやり方は歴史が長くてなかなかに感動しました。
労働者一人一人は弱い存在ですからね。クビにされて終わりだと思うと声を上げ辛いものです。


さてさて、徒党を組んで要求しようとする姿勢に感動したところなのですが、何か違和感がありました。政治的なものではありません。
ここからは俺の個人的な意見ですが、労働者は「要求」するばかりなように見えるのです。
確かに要求をする立場からすれば、「無能な経営者が無理を強いている。直せ!金を寄越せ!」という構図なのでしょう。
しかしながら、労働者一人一人は「最大限の努力」をしているのでしょうか?
業務時間内に業務を終わらせられるようにマニュアル化や効率化を図っていますか?段取りよく計画していますか?これ以上ないほど努力していますか?
今の日本は「なぜ人件費の高い日本人を雇用しなくてはならないのか」という背筋も凍るような思想が出てきています。
どうせ物を作って売って金にするというだけであれば、言葉など通じなくてもよいのです。マシンのように動いてくれればよい。
そうした「脳死状態」で仕事をする人たちを「非正規」と呼ぶのなら、(アルバイトと呼んでもいいと個人的には思いますが)まぁ納得です。
しかし今はそこも曖昧です!日本の経営者は機械的な作業しかできない人間に何を求めているのでしょうか!考えることは正規にしかできないのですよ!責任取れないんだから!
つまり、今正規として雇用されている日本人は「脳死状態」ではいけないのです。「生み出す側」でいなくてはいけないのです。
「高い人件費」に見合うだけの「成果」を出しているでしょうか?「成果」とは何もとびっきりクリエイティブな発想をしろとは言っていません。ケースバイケースです。
常に「高い人件費」に見合うだけの仕事をしようとしているのであれば、傲慢な経営者でもない限り、社員に還元しようとしてくれるはずです。
中小企業の特集で「この社長思いやりがあるなぁ」と思うのは、小さい会社だから成果が見えやすいだけです。それかパフォーマンス。
いずれにしても最大限努力していると思っている人は要求を出すだけの価値があるのではないでしょうか?
それか、実力がないことを自覚して唇を噛みしめながら毎日を生きているという人も、生活苦を訴えることができると思います。
要は、クレクレと言うだけで「どうするのか」を考えているのか疑問に思ったのです。それが違和感の正体です。愚痴を言うだけならわざわざ組合活動になんて参加しません。
どちらかというと俺は唇を噛みしめて生きている派ですが、職場環境として人が足りないという問題に対しこのような意見を出してみました。
「職場に人が足りないのに、これまで通りの仕事に加えて新たな仕事も被さってくるのなら、仕事の質を落とすしかないのではないでしょうか?」
「お客さんに「前はここまでやってくれた」と言われても「現在はそこまでできないこととなりました」となれば経営者として対処しないわけにはいかないですよね。」
「それに、今は過剰サービスの時代でもあるので、お客さんが自分で自分のすることをある程度理解することが必要なのではないかと思います。」
「そういったお客さんも主体的に考える姿勢を促すことで、結果的に自分たちの仕事を減らすことになるのではないでしょうか。」
「これは便利削減というのではなく、それはクレームの一種であって、本来は自分でもなんとかするという世の中を作っていかなくてならないのではないでしょうか。」
会場「シーン…」
俺「あ…(的外れなことを言ってしまったか)」
と正直言ったことを後悔しました。俺の意見は「大変だよね~」で軽く流されてしまったので、聞いてもらった尺が無駄になっただけでした。
もっと大人な意見があるのかもしれませんが、俺としてはもうそういうことでしかやれないとすら思っています。
客もまたただのクレクレなのです。自分でできないことを他人に任せることは契約をして成立するものです。それは仕事になります。
しかしながらよく考えもせず必要なものも調べず、自分が今どのようなサービスを受けているのかも考えない姿勢はサービスを受ける資格があるのでしょうか。
自分で理解できない、理解しようとしないサービスについては、客が積極的に利用しない方向にするべきです。
そうすることで、生活の質が落ちるとしても、理解できない人はそのことに触れないという意識があればクレームは減ります。
クレームは甘えなのです。「自分でどうにかしよう」と思って「こうしたいけどもどうか」という問いに対し「そこまでするのはやめてください。ついていけません」と回答されたら「俺についてこれないだけか」と妙に納得すると思います。
そういう人は電話で話していても話が早いです。自分でどうにかしようとする姿勢があるかどうかで話の展開が違うのです。
これがクレームの場合は「こうするべきじゃないか(自分ではできないけど)」と突然電話してみて「そうですか」と言われて「そうですかじゃないだろ!どうにかしろ!(俺は何もしないけど)」と自分がその物事に参加しない構図で話を進められると、着地点は「こちらが何かする」か「落ち着いてもらう」しかなくなります。
「こちらが何かをする」ことを期待している人たちは「何か」をしてもらってもそれが「どういう意味なのか」すら説明されないと分かりません。なぜなら頭から理解していないからです。
希望を伝えるだけ、相手に動いてもらうだけ、この姿勢では印象も悪いし良くないと思います。
だから俺は組合活動の中身がもっと「こうしよう」とか「ああしよう」とか「そのためにこうしよう」とかいう場になるかと思っていたのですが、結果は「ああして欲しいこうして欲しい」という愚痴を言い合うだけの現場になってしまったのはガッカリでした。
クレクレだけで活動した気になっている人は、その内左寄りの人たちにうまく扇動されるのではないでしょうか。自分以外の何かを標的にする思想が似通っていますからね。


そんなところでおしまいにします。
憲法の問題は国を考える問題なので、まだ若いとはいえ俺のようなたかだか100年も生きられない生物に答えが出せるようなものではないような気もします。
政府を批判したいわけではないですが、今は介護士と保育士にもっとお金を出してあげて欲しいですね。
幼保無償化したのはいいけど保育士が過酷な労働環境で人が集まらないという昔からある問題を最近見て、まだ解決していないのかと思いました。
それをビジネスにして保育士を確保するところもありますが、税金を財源にした保育士の給料は低すぎます。もっと上げるべきです。
俺の個人的な意見は介護士よりも保育士に金を回すべきです。国の礎は子供ですから。生産力を無くした老人に未来はありません。
何も生産できない老人に金をつぎ込むことは無駄です。有権者で扇動しやすいからと安易に金を使うべきではありません。
彼らはすでに年金で暮らしています。年金で医療費が賄えない人たちのことを考えるよりも、未来の労働力の担い手を養う若い親(労働力)の確保に金を向けるべきです。
未来の労働力は保育士が面倒を見る、今の労働力(若い親世代)は子供を預けて仕事をする。これで誰も困らないですよね?
国のこれからを考えたら簡単な話だと思うのですが、増えていくであろう生産力のない老人たちの問題で頭がいっぱいなのでしょうか。
俺に何かできることがあればよいのですがね。一介の国民にはなかなか難しいですね。


それではまた次回です

最近思うこと(政治)

2019年11月17日 10時36分53秒 | 世間話
こんにちは

今日は晴れると予報があったので、午前中から洗濯物を干しております^^
こんな感じで土日は休み、平日は仕事をするという一般的といえば一般的な生活がこれからも続くといいですね(願望)


さて、今日はちょっと難しい、というか実際のところ誰も答えを知らないのではないかという「政治」について考えてみたいと思います。
別に、今日いきなり書きたいと思ったわけではありません。
以前からなんだか変だな~と思っていて、今回「桜を見る会」問題で追及を受けている与党の様子を見ていろいろ思うことがあっただけです。
ちなみに俺は自民党員ではないですし、特定の政党を支持している信者でもありません。ただ、基本的には実際に政治を動かしている人たちに任せればいいんじゃない?ってことで自民党でいいかな~と思っているくらいです。
てわけで政治の知識は皆無に等しいです。この記事を読んでそれは違うよと思った方はそっとページを閉じてください。

さて、まずは結論から。
俺は結局のところ自民党、もしくは安倍首相のイメージを低下させたいだけの野党やマスコミの政治活動なんだと感じています。

自民党が、というか安倍首相がこの度「桜を見る会」の中止を決定したわけですが、発表されているその理由うんぬんはどうでもいいのです。
問題は今野党とマスコミから桜を見る会を「私物化」しているという、この「私物化」というワードだけが独り歩きし始めているということです。
野党の目的は政権の奪取、もしくは自政党の議席の確保にあると思います。
そしてマスコミはスポンサーの意向に沿って、現在は時の政権を批判する報道が多くみられます。
その中で巻き起こった、というか野党が巻き起こした今回の「桜を見る会」問題、皆さんはどのように感じているでしょうか?
与党である安倍首相が自分の支持者を増やすために「桜を見る会」でいろんな「接待」をしていた、なんてこれはもう「私物化」じゃないか!って思いますか?
それとも俺と同じように重箱の隅をつつくような問題だと思っているのでしょうか?
ネット上では「民主党時代にお前らもやっていたじゃないか!」という批判が飛んでいますが、俺はいまいちそれも違うなと思います。
この問題のややこしいところは、おそらく「桜を見る会」のような「催し」において「接待」が行われたという事実が「あったかもしれないし、なかったかもしれない」ということです。証拠がないのです。
間接的な証拠はあるかもしれません。リストやら領収書やら急に出てきた証言者やら何かしら野党は出してくるでしょう。
しかし、それを「あった」とみなすのは一体誰なのでしょうか?野党ですか?マスコミですか?ネットですか?
いいえ、誰にも答えなど出せないのです。強いて言うなら各個人、我々有権者なのです。
野党の目的、マスコミの姿勢、ネットの意見、どれも「特定の目的」をもって行われています。
誰も「どうするべきか」なんて考えてはいません。すべてが「自分の目的のために情報発信している」のです。
だとしたら、特定の誰かを信じる信者でもない限り、自分で考える以外に「答え」など出るわけがありません。
それなのになぜ国会で大きな声を出してアピールしている野党やそれを報道するマスコミの意見が「国民の意見」かのように感じてしまうのでしょうか?
それは私たち各個人が持つ情報があまりにも少ないからです。そして判断した経験がないからです。
判断する経験など普通誰もしたことはないでしょう。政治判断は政治家の仕事なのですから。
では、情報が少ないとはどういうことでしょうか。我々は政治に興味がないのです。
結局のところどの政権でも同じ生活をするということです。急に出兵したりしなかったりなんてことにはならないのですから。
政治に興味がないため情報を集めることをしません。そこにきてテレビやラジオ、お父さん方が毎日読む新聞などには興味がなくても政治のことが書かれていて、嫌でもその情報が入ってきます。
そうして情報を得るツールがテレビや新聞に限定されてくると、「情報の真意」を確認したり疑ったりすることが少なくなり、テレビやマスコミの「意見」が「刷り込まれる」のです。
だからマスコミの力は偉大だとかなんとか言われる世の中になるわけですね。
ですが、もしもテレビや新聞等のマスコミが存在しないとなれば、時代劇のような世界になってしまうので、それはナンセンスです。
マスコミは情報を伝えてくれる大切な存在なのです。無くなっていいわけではない。
しかし、気を付けなくてはならないのは、マスコミは何も「善良な市民」ではないということです。
先ほども言ったように、マスコミも会社ですから、スポンサーの意向に沿って情報発信をしています。
「誰が〇〇した」という単純な事実も、スポンサーの意向次第で「誰が〇〇した。これは私物化か?」なんて報道になってしまうのです。
これは事実をありのまま伝えているのとは違いますよね?何か特定の「意向」が加わって何かしらの「方向性」が示された「意見」になっているのです。
テレビや新聞ではその「意見」が垂れ流されている。この事実を念頭に置いて今回の問題を考えなくてはならないと思います。
そうでなければ、「意見」が我々に与えたいこと、すなわち「与党のイメージ低下」「安倍首相のイメージ低下」をそのまま真に受けてしまうことになるからです。
それでいいのですか?マスコミが言っていることが真実だと思っていいのですか?マスコミが報道する野党のあの追及だけを見て安倍首相や与党が「ダメな奴らだ」と批判してよいのでしょうか?
それは早計ではないでしょうか?自分でそう感じていますか?誰かが言っていたからとか適当に思っていませんか?
俺はこう思います。
野党やマスコミの「意見」には、ある程度の信ぴょう性があるのです。ですから間違ったことを言っているわけではないのです。
ですが、そのままその「意見」を真に受けてはなりません。それはマスコミや野党の思う壺です。
とはいえ、自分で今回の問題を調べるすべもないし、興味もそこまでないし、時間もありません。
だから、「答えなんかない」と思うのが一番です。
これならマスコミに踊らされている感が薄れると思います。
俺はいつもテレビで与党批判の報道が出るたびに、「マスコミや野党はそういう意見なんだな~」と思うことにしています。
そう考えなければ、簡単に「自分の意見=マスコミや野党の意見」に刷り込まれてしまうからです。
ですが、そんなことを言っていると「自分の意見がない軟弱者!」と批判をどこかで受けるかもしれません。
では、どのように自分の意見を持つか。
俺の答えは冒頭で書いているように「与党のイメージを低下させたいだけの野党やマスコミの政治活動だと思う」です。
なぜその答えにたどり着くのか。割と簡単です。俺がそんな難しいことを考えられるわけがありません。
俺が思うにどこが政権を取っていても俺の生活にあまり大きな影響があるとは思えません。
まぁカジノができたり、風俗がもっとオープンになったり、そんなことがあれば日本が変わるかもしれませんが。
であれば、これまでの実績で判断するのがよいでしょう。
自民党が長らく政権を維持してきました。その長い政権下において、今の俺の生活が築かれています。
であれば、自民党でよいでしょう。違いますか?
前に民主党に政権が移った時、あれよあれよという間に選挙で敗れてやっぱり自民党に戻ってきました。
そして、その後「民主党」という看板を下ろして分裂分裂の後に、今のような勢力図になっています。
そして、俺がまだ子供の頃は「政権奪取!」と叫んでいた野党も、今そのようなワードを大っぴらに聞くことはなくなりました。
昔は与党の批判をした後、「やはり政権を変わっていただいた方がよいのではないかと」とか冗談交じりに言っていたのをよく覚えています。
今そのような言葉が聞こえてこないのは、議席数も足りないのでしょうが、自分たちに「政権を運営する能力」がないと分かってしまったからではないでしょうか。
何も自民党に優秀な人ばかりいるわけではないと思いますが、「政権を運営する」とは「無能も有能もそれなりに仕事をすることで社会が回る状態」を持続的に維持することだと思います。
政治家だけで世の中を「創る」ことなどできはしません。
自民党の政権が長く続いているのは、国民もどこかで「自民党政権下を想定した生き方」をしているからです。
だから、野党やマスコミが与党を批判するのを生きがいにしているのは、そんな「圧倒的優位にある与党」が「傲慢」にならないようにするため、という考え方もできるわけです。
「政治は腐敗する」とどこかの教科書で見た気がしますし、自民党万歳の姿勢では、本当に催しを「私物化」することがあるかもしれません。
なので、我々も自分が政治について「どう感じるか」について「なぜそう感じるのか」ということをよく考える必要があると思います。
野党の仕事が「政権の奪取」から「与党批判」に変わり、それでおまんまが食えているのであれば、世の中の仕事としてはまぁありなんじゃないかと思います。
「世の中を作り、運営する仕事」と「その仕事を監視(本当にしているかは誰にもわからないけど)し批判する仕事」、そして「その批判する仕事を(スポンサーの意向を加味して)国民に伝える仕事」、いろんな仕事で世の中回っているんだなと思います。
誰が有能で誰が無能かなんてわかりませんが、みんな有能無能を区別せずに仕事をしているわけですから、それで世の中が回っているのならそれでいいのではないでしょうか?
結論、自民党でいいんじゃないか?ってことです^^



ずいぶん長くなり、洗濯機が先ほど回り終わったので急いで干さなくてはなりません。
何度も言いますが、俺は特定の政党を支持したいわけではありません。
でも結局のところ今の現状で選べる政党なんて自民党くらいだと思うだけです。
この社会にあって「消費税は増税しません!」とか言っていても、「は?無理っしょ」って感じです。
低所得者には受けがいいのかもしれませんが、それは単に低所得者が考えることを放棄している、もしくは考える時間もないほど大変な生活をしているだけだと思ってしまいます。
それよりか現実を見て、「高齢者医療はすべてロボット管理された社会を目指します」とかにした方がまだ期待できると思います。
要は人間が新しい世界に合わせていかなくてはならないのです。それができない人はお荷物になります。
一般的にはそれが高齢者です。敬いながらもお荷物だということです。それは金を生み出せないからです。
日本という国からすれば、個人的な敬いの感情だけで社会が回るわけがありません。
だからこれからの社会は、担い手の少ない介護職や建設業、運送業などにロボットを投入し、ロボットありきの生活に人間が合わせていかなくてはならないのです。
「まごころ」とは直接人間が触れなくては実現できないものではありません。人間の脳がロボットを介していても、その先に人間の優しさを感じることができれば、それは「まごころ」なのです。
同じことが少子化にも言えると思います。子供を作るのに恋愛に任せているのは非効率です。
遺伝子レベルで親族でない他人と交配することに意味は大いにあるのですが、それを自由恋愛に求めるには無理がある時代が来た気がします。
日本は恵まれすぎているのです。発展途上国で育てられないのに子供を産むのは貧しいからです。
でも日本は恵まれていていいと思います。過ごしやすいの大賛成です。
単に子供が生まれないからと言って日本を貧しい国にしてはいけません。その考え方は間違っています。
じゃあ、子供は国で産めばよいのです。要は卵子と精子を提供して子供を産めばよいのです。
子供を産む産業なんてものができてもいいかもしれません。女性にしかできない仕事です。
子供を産むことに意識を集中すると↑のような偏った意見になりがちですが、俺としては国レベルで考えれば有効だと思います。
これが各個人にまで下りてくると、自由恋愛して子供を産んでもいいし、精子だけ提供して後は風俗でも恋愛でもなんでもしていればいい。
それが「今は」おかしいと思いますが、人間の意識が変わればそれが「普通」になると思います。
しかし、こういった意識の変化は時の権力者にいいように使われやすいとも思います。
力がなくてはなしえないだろうけど、みんなが幸せな世の中になって欲しいなと思うのです。



極論ばかりで気分を害した方がいたら申し訳ありません。
しかしそういった偏った考えもありながら、その間の「ちょうどいい」を探すのがよいのではないでしょうか。
そういった考えを持とうとせず、昔は~とか言っている人を見るとそれが何?って思います。
生い先短いから考えることを放棄しているのだとしたらそれは大きな間違いです。静かにしていて欲しいです。
皆さんはどのような考えをお持ちでしょうか?
俺の考えはクレイジーだと思ったでしょうか?そういう意見があってもいいかもしれません。
それとももっと偏った意見をお持ちでしょうか?
こういったことは職場や家族であっても話す機会がないので、実際のところその人がどんな思想を持っているかなんてわかりませんよね。
それが逆に面白い時もありますが、大抵は怖くて聞けない案件だと思います^^;


長くなりすぎました。
それではまた次回

週末お掃除(仮)

2019年11月13日 23時07分52秒 | 世間話
こんばんは

寒い日が続きますね。
そんな中でもプレミア12は熱いですね。
野球はもともと好きで、特に横浜ベイスターズが好きですので、今日の今永やヤスアキの活躍は嬉しいです^^
アメリカに負けてしまったのが後々響きそうですが、今度の土曜の韓国戦は全力でやってほしいですね。そうじゃないと決勝はメキシコと韓国になってしまいます(´・ω・`)
そして明日はサッカー!今週は帰宅後のテレビが飽きさせませんね。酒が進みます!

さてさて、そろそろタイトルに戻ります。
このところ「金がないから何もできない!」という状況が続いておりまして、何か変化が欲しいのです。
しかし相変わらず金はない。先日貯蓄について考えてしまったので、さらに金が使えない(´・ω・`)
今年のコミケは行けないかもしれません…
と、それはさておき「金がなくてもできる“意味のあること”」というところで出てきたのが、そうです掃除です!
きっかけは部屋で洗濯物を干そうと思ったからです。洗濯物を部屋干しするための器具(Xに開く物掛け?)はあるためスペースさえあれば実行できます。
ついにコインランドリー代すら惜しくなってしまった自分に虚しさを覚えていますが、こういうときこだわってしまうのが俺です。
しかしスペースがない。もともと1Kですからそんなにスペースがあるわけではありませんが、田舎の1Kは都会のそれより倍ぐらい広いです。
そこにもう何年も住んでいますから大体の物が固定のポジションを取っています。これを打開したい!改革じゃ!
というわけでやるわけですが、大きく3工程に別れるかと思います。
まず、ゴミを捨てます。
決してゴミ屋敷ではないのですが、捨てにくいからと酒瓶が立っていてスペースを取っています。これを捨てます。
加えて、可能であれば粗大ごみになりそうなものも業者に持ち込みます。
そして、次は固定ポジを取っている家具たちをどかします。
具体的にはタンスです。実はこのタンス服が入っているのに、その目の前に段ボールを山積みしているので機能していないのです(笑)
そのタンスの上に適当な物を積み上げて全体が一つの物体になってしまっている。
俺は、この状況を、変えだい!(記者会見で号泣しながら)
段ボールは畳んで捨てる。しばらく使っていないものは捨てる。タンスの中の服は使えそうなもの以外は実家に持ち込む。
タンスについては、現状でこのタンス抜きでも生活が成り立っているので、可能であれば実家に持ち込みます。
とにかく部屋から物を減らすのです。改革です!
そして最後の工程、見える範囲の“必要なもの”をしまう、です。
最近1Rのこじゃれた部屋を見るのがなんとなく好きなのですが、そもそもアイテム一つ一つが我が家にはないので比べようもないのですが、とにかくごちゃごちゃしている!
これまでは使いやすさ重視できましたが、これからはここに誰か()を呼ぶかもしれない!
そうなったとき、単に掃除していないだけとは違う不潔さを感じさせたくない!
てわけで、具体的にはベット下収納とかクローゼットとかにしまいます。どうしても手元に置いておきたいもの以外は実家に移します。
これで物が減ってだいぶましになるはずです。これを土日に実行したい。


最終的には物を地べたに置かないように設計したいものです。
こたつ生活ですから地べたに座らないとかではないのですが、地べたの物が多いと片付いていない印象になりますよね。
床を這うコードとか、バッグとか、諸々細かいものをしまって壁にかけていろいろしたいです。
まずはその準備から!てわけで週末お掃除です!(`・ω・´)


それではまた次回です

次は何をやろうかな

2019年11月10日 13時17分00秒 | 世間話
こんにちは

いい天気ですね。
休日ということで、ちょっと遅めに起床しました。
休日ですからね。少し気の抜けた感じでいいと思います。

さて、昨日ツタヤでブルーレイを借りてきました。
しかもなぜか5本。多すぎです。
3本でよかったのですが、店員さんが5本パックの方がお得とか言い出して渋々選んできたのです。
とりあえず昨日の内に3本は見ました。残りは後2本。
万引き家族とアラジンです。なんか有名な作品ですよね。
既に見終わった3本はMIBインターナショナルと名探偵ピカチュウとケサリです。
ケサリ?と思った方は「21人の勇者たち」で検索してください。インド映画です。最後の戦闘シーンだけ見れば大体満足できます^^
インド映画って何となく好きで、大ヒットしたというバーフバリはインド映画らしく歌って踊ってアクションして面白かったです。
なので今作もそういう感じかと思ったら、歌はよかったですが、踊りとか一切なくて普通にアクション映画でした。
まぁ日本やアメリカみたいに最後抱き合って終わるとかではなく、宗教的な、信仰心があれば!みたいな感じが日本でいうところの大和魂的なものを感じてなぜか感動します。
そんなところです。たまに映画が見たくなる気持ちわかりますよね^^

さて、万引き家族とアラジンですが、できたら日が高い内に見ておきたい。
というわけで洗濯ものとかはこの陽気に任せて外干ししようかと思います(普通か)
普通じゃん!て思った方にご説明いたします。俺は普段コインランドリーなのです。
それはなぜか?干すのと虫が嫌だから!特に虫が嫌だから!
子どものころに黒いズボンに蜂が潜んでいるのを知らずに履いて刺されたのがトラウマなのです!それにちっちゃい虫とか入ってくるし!
意外とそこらへんは繊細なのです。蟻さんが歩いているのはなぜか許せるのですがね^^;
まぁでも寒くなってくると虫も少なくなるし、いっちょやろうと思います(`・ω・´)

そんなこんなで今日も終わっていきそうですが、最近どうしても成功しない料理があります。
ズバリ「オムレツ」です。
なぜかボソボソになります。解説動画をちゃんと見たのに!
難しいのはバター溶かして卵を入れてかきまぜた後の状態です。動画と同じ動作しても同じ状況にならない!
詳しく言うと、動画ではかきまぜてある程度まで固まったら(上半熟下固まってる)クレープの皮みたいに折りたたんでいたのですが、俺はそこでうまくたためる状態になっていない!
なぜだ?卵が多すぎるからか?2個で作ってもやっぱり変わらん。
というわけでお手上げです/(^o^)\
材料費もばかになりません。俺は金欠なのです。卵を2個も3個も使っていたら金が持ちません。
こんな時地元に戻ってきているのは良いことがあります。ズバリ母から教わればよいのです。
真面目に頼めば教えてくれるはず。先人に学べ。実力者に学べです。
あわよくば材料は実家のものを使えばいいですしね!(それが狙い)
早速お願いしましょう。善は急げ、です!(`・ω・´)


それではまた次回

PS. 日記を毎日更新するのは更新することがないので諦めました。以後は不定期にします。

婚活について考える

2019年11月04日 11時31分47秒 | 世間話
こんにちは


結局職場旅行中は日記投稿できませんでした(´・ω・`)
まぁずっと飲んでいたからなんですけどね(笑)
職場旅行中の詳細はあまり書きませんが、参考になることがあったので書き残しておこうと思います。


内容は、最近自分の中で話題の「婚活」についてです。
ちょっとエグイ話もありますから、あまり見ない方がいいかもしれませんね^^;


さて、俺のこれまでの婚活具合は前回かそこらの日記で書いた通りです。
今のところ婚活初めてまだ数か月程度なので、急によい結果はでないかと思います。
しかし、ほとんど恋愛経験もない俺からすれば、さらにその先を見据える婚活はなかなかイメージができないものでした。
現に今も自分ならどうなのかという点ではあまりイメージを持てているわけではありません。
しかし、今回既婚者である諸先輩方からいろいろと話を聞いてきました。
まず、俺の疑問を整理します。ちょっとエグイから見ない方がよいかもですよ。
1、奥さんと今もHをしているか(していないならなぜしていないのか)
2、彼女を作る際には、どのタイミングでHに持ち込んでいるのか。
3、結婚のタイミングは?
4、俺ってEDじゃね?
とまぁこんな感じですかね。
結局のところ俺は「Hを満足にできる自信がない」にも関わらず「恋愛を進展させる過程ではHに持ち込む必要がある」という、まさに「苦手に挑む」という精神が必要になると思っているわけです。
しかして仕事のように1度うまくやれれば後はなんとかなるなんて簡単なものではないとも思っています。
Hに持ち込んだタイミングでは成功するかもしれません。しかしそれが毎日とかになれば話は別。俺の息子がそんなに元気だとは思えないのです。
さて、そんな感じの心境で話を聞いてみると、面白いことがわかりました。
まず、「1」については、
「毎日するなんてことはしてないよ」「子供を作るタイミングで“作業”的にやった感じ」
というリアルなご意見を賜り、「なぜしていないのです?それで奥さんもいいんですかね?」と聞くと、
「奥さんがどうかはわからない。自分の中では“そういう存在”ではなく“家族”だからね」とのこと。
ふむ、「家族」ですか。例えがアレですが、母親に欲情しないような思考回路と同じでしょうかね?
家族以前に彼女をそういう存在だと思っている内は会えばHもするしいろいろと考えるけど、それも長く付き合うとそうでもなくなり、さらに長くなると結婚にいたるらしい。
ふむふむ非常に興味深い。こちらが女性にもてなす姿勢は持ちつつも、自然と一緒にいるのが当たり前になり、そういうことを日常的に考えるような間柄ではなくなってくるということか。
確かに、これは例えが悪いですが、風俗嬢と1日中一緒に生活するとなれば、最初はエロいことばかり考えるだろうけど、それをずっと続けるのは疲れるし、見慣れてくるとちょっとやそっとじゃ欲情しなくなるかもしれない。なんとなくイメージができた。例えはよくないけども^^;
では「2」についてはどうか。そもそも俺は結婚以前に長く女性と付き合った経験がない。
その理由は生活をはじめる前からいろいろ考えすぎて疲れてしまうということと、どこまで相手にもてなせばいいのかわからないこと、そして唐突に時間がもったいないと思ってしまうことだ。
それで結婚を考えるのか?と思われるかもしれないが、人間年を重ねると意見が変わるものだと思う。
ちょうど2年位前まではそう思っていたけど、今はそうでもない。仕事をするだけの人生に飽きてきている。
自分の趣味も大体やったし、今の所得水準で手を出せる範囲では創意工夫でいろいろやってきた。楽しかった。
しかしふと考えてみれば、この歳で婚活を始めなければ30代ではより難易度が高くなるだろう。
結婚することが目的となり、子作りも難しくなるだろう。
そうなれば家のためにも子孫を残すという人生全体での目標の一つが達成されないこととなり、死ぬまで後悔すると思う。
大したことはできないのだから、せめて子孫を残すくらいのことはしないとダメかなという精神ですね。
ただまぁ冒頭でも言ったみたいに「恋愛」は「人付き合い」ですから、俺にとっては一番時間もかかって結果が見えにくく、金もかかるし考えることも多くて、それなのに仕事は全力でやらないといけないという状況。
昨今は恋愛を義務的に考えつつも、趣味であると定義することが多いですが、俺はこれに大いに賛成です。
ゲームやスポーツなんかの趣味と恋愛は根本的には違うものだけれども、日常生活において行う行為としては趣味と変わらない。
趣味をするだろう時間に恋愛をして、趣味に使うであろうお金を恋愛に使う。これで趣味とは違うというのは難しいだろう。
ただ、少子化と言いつつも恋愛が消えないのは三大欲求的な側面もありながら、やはり普通の趣味とは根本が違うと本能的に分かっているからだと思う。
趣味みたいなものだけど、その成功の先には子孫を残すことができるという生物として当たり前の目的を達成できる未来がある。
ただし、やっぱり結果が見えにくく時間がかかることに、俺も含めて現代人がその趣味を続けられるかどうか。
昔のように何もないから悶々と彼女のことを考えるとかそういう時代じゃないからこそ、どのようにして生身の女と関係を続けられるかが課題だと思う。
……
…………
………………え?
途中が長くなりましたすみません(´・ω・`)
さて「2」についてです。
女性と知り合うことは結婚相談所を駆使すれば簡単に出会うことができますが、食事等に行くだけで彼女にできるわけではありません。
こちらないしあちらから「彼氏彼女」の関係になろうと打診しなくてはならないのです。
その過程において、何度か食事等に行ってから「付き合ってください」的なことを言うだけでも事は成立します。
しかし、俺としては個人的にそこら辺でHに持ち込みたい(`・ω・´)
というわけで諸先輩方に聞いてみると、そもそも持ち込むタイミングで「キスしていいか」とか聞いてみるのがよいらしい。
それで「嫌です」とか返ってこなければまぁよいということらしい。
後はキスしてちょいちょいしていれば自然とする方向になるらしい。よし、なんかわかっていたのにやらなかったような心境だ。
恥ずかしいことだし、一歩踏み込むことは判断を相手に委ねてしまい、自分が不利になる可能性があるからあまりしたくないのが常だと思う。仕事は大抵先に手を出した方が裏を取られる。
しかしながら仕事もそうだが手を出さないと事業が進まない。恋愛においては「聞いてみること」をしないと相手の意向を聞くことができない。
よく考えれば、聞いてダメならその先もダメなのだ。そうすれば余計な経費をかけずに済むだろう。
なんか分かっているようで、周りも同じようにしているかどうかを気にしてしまう典型的な日本人なんだなと改めて実感した。
今後の婚活はもっとそこら辺を意識して、食事をして楽しく、少ししたら聞いてみる、という流れでやってみようと思います。
「4」についは、現状の自家発電談義をしていたら「間違いなくEDじゃない」と言われました。



ざっとこんな感じです。
職場の女性にアタックするのはやはり抵抗感があるので、今回のことがあっても手を出そうとは思わないですね。
それよか結婚相談所で知り合った女性たちともっと仲良くなろうという気持ちがわいてきました。
なんか迷っていたと思います。結局ここまで自分で進んでおきながら、その先どうするか迷っていて、判断できなかった。
自分の気持ち通りに動くことが、相手にとって不快であるなら、それを受け止めるしかない。
恋愛経験が不足しているとどこまで好感度を上げればよいのかと考えてしまいますが、好感度なんて見えないものなのです。言い訳です。
ある程度の作法があるにせよ、何度か会えばいくらか答えが出ているものだそうですから、聞いてみてダメならそれっきりでよいと思います。
丁度別の人ともマッチングしてもらって結果連絡待ちですし、今後はもっと頑張ろうと思いますね(`・ω・´)
今これぐらいの時期に恋愛という趣味をしっかりやっておこうと思います。


それではまた次回