「何か」をするから生きている

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改めて考えてみる

2020年11月15日 01時20分59秒 | 世間話
こんばんは

今日は同期の結婚式でした。
俺はなぜ呼ばれたのか、それは同級生で同期だからです。
条件が他の人よりも重なってしまったから、優先順位が上がってしまったのだなと内心複雑な心境でした。
式自体は最高でしたね。お料理お酒もよかった。素直に末永く幸せになってほしいと思いました。他意はありません。
なんかこう幸せオーラというか、何かを決断した決意のようなものがやはりこういう儀式的なものにはあると思います。
別に婚姻届を役所に提出しさえすれば夫婦として扱われるわけですから、儀式的なものにどれだけの意味があるのかというのが現代的な考え方でしょうか。
それでもこうして若者が結婚式を行うのは、いろんな意味があるのではないかと式を見て感動しながら考えていました。
そもそもは対外的に「これは俺(私)の妻(夫)だ」と示す行為であるし、一種のイベントですよね。
みんなでイベントを盛り上げてくれよって感じですかね軽い感じで言えば。一緒に楽しもうぜって感じ。
でもまぁそんな軽いノリ者年長者を引っ張れないし、関係性が薄い人を呼ぶ大義名分もありません。
やはり若者が集まってわちゃわちゃするだけではたむろしているだけだと思われてしまいます。
そうならないためには肩書のある年長者だかなんだかを引っ張ってきてスピーチでもさせればよいのですよね。
で、そうなってくると職場の上司やらなんやらが来るわけですから、年長者への意思表示としては感謝の気持ちというものが使いやすいツールです。
実際感謝している場面が多々あると思いますし、イベントに花を添えるコンテンツとして感謝の気持ちアピールというものがありますよね。
で、ただ感謝の気持ちを述べるだけなら、なんかまぁ取ってつけたようなものになってしまいます。
儀式は一つの意味じゃないわけですし、親族方からお願いされて渋々やっている人もいるのではないでしょうか。
そんな儀礼的な意味で結婚式をやるのだとしても、職場とつなげるのであれば、よい動機付けがあります。
それは「今後もよろしくね」ということです。実際俺も「今後二人に何かあって困っていたら助けてあげよう」と思いましたしね。
まぁお二人が困っていて俺に相談が来ることは稀だと思いますが、味方は一人でも多い方がいいというのは政治的な判断でしょうか。敵じゃなきゃいいってことですからね。
式に招かれてイベントに参加して非日常を味わってなんか感動するコンテンツがある。これってテーマパークに行くような感覚でしょうか。なんか特別感ありますよね。
そして出席者の一人としてしか見られていないとわかっていながらも、出席したことに感謝されて新郎新婦の父母があいさつ回りをしてくる。挨拶を返す。
ただそんなことがあるだけなんですが、やはり袖振り合うも他生の縁というやつでしょうかね。何もないよりは見方が変わります。
こうして儀式的な結婚式を行うだけでも、そこに参加した人からは今後自分たちの助けになるかもしれない思い出として残せるわけです。
俺のようにふわっと生きている人間には特にこの非日常感というか特別感が刺さりますね。
自分の仕事としてもプラスになりそうなこのイベントはやはり誰かの助けなしには仕事ができないと思う人にとってなかなか面白いイベントだと思いますね。
俺も誰かの助けを借りながら仕事をしているタイプですからね。うまく活用したいものです。相手がいませんけどね…
とはいえ、普通のテーマパークに行けば入場料とか諸々で1万は確実にかかるわけですが、結婚式ではご祝儀を何万か包まなくてはなりません。
参加者は感謝のされぐらいに違いはあれど、一定のレベルで同じ待遇を受けることとなります。
それはコース料理、飲み放題のドリンク、引き出物、そして会場でのイベント演出です。
この内容を自分なりに計算すると、コース料理は飲み放題込みでおそらく7000円くらい、引き出物は3000円くらい、そしてイベント演出はプライスレスです。
つまり飯と酒とお土産で1万円という見込みです。後の数万はイベント参加費として主催者(新郎新婦)へ納入されます。
それでいいのか?数万払う価値があるか?そのように考え始めたらきりがありませんね。
つまりは、数万納入しながらも新郎新婦から今後も助けてくれよとイベントを通してお願いされるわけですね。まぁそれでいいような気がします。
そこで重要なのが冒頭の幸せオーラですよ。男と女のただの契約行為なんて言葉では片付けられない人間模様が見て取れるわけですよ。
それに会場内で流すムービーも、交際中の画像とか他人に見せるわけですから、恥部を見せてなんとなく親近感を湧かせる演出もにくいですね☆
とまぁこれまでの結婚式文化の中で育まれた感動演出により、俺も助けてあげちゃう☆側に立ったということですね。
不思議と数万納入しているのに嫌な気がしません。何か「生」を感じる。生きるというものを感じるよい機会になったと思います。



さて、自分は結婚式でどのようなことをしましょうかとも考えてみました。
答えとしては、気の進まない仕事をするときのような気が重い感じが心の奥からにじみ出てくる感覚がしました。
別に当たり障りのない内容にすればよいのでしょうけども、うーんまぁ固い内容になりそうです(笑)
エピソードでも盛ってやればいいのですからね。画像がないから信ぴょう性が薄いし、証人もいませんから、あの会場の雰囲気で漫談するのはどうかなぁという気がします。
それでも無いよりはいいかなという感じですかね。
一番の問題は余興ですね。俺側で余興やりそうな知り合いはいませんね・・・
というか式にお招きする人がいません。職場の同僚や同期くらいでしょうか。昔の友人というものをもっと大切にしていればよかったと思う瞬間ですね。
今はコロナがあるし、県外に出たであろう人を呼ばないという大義名分がありますが、それでも地元だと誰か呼ぶことになります。
うーん職場関係以外では誰もいない。大学の友人とやらもどうかなぁ。わざわざ呼ぶほどのものだろうか?
さっきまでの結婚式をやるメリットが、今現在何も関係がない職場ですらない昔友人だった人というのはどれほどの意味があるのでしょうかね。
そうなるとお相手が結婚式をしたいというかどうかですね。でもまぁやってみたいのではないでしょうか。なんかこう面白そうなイベントですしね。
たとえ陰キャだろうとも、人生で何度かしかないイベントで、他人を巻き込んでやるなんて不安半分期待半分のイベントです。博打を打つ感覚に近いでしょうか。震えますね。
というわけで親族のみという結婚式もあるわけですが、よく考えたら親類縁者だってどこまで親しいかと言われるとどうなんだろうか・・・
まぁ家のことですから、ある種他人ではないわけで、それだけでも儀式的なものをやる意義はあるのだとは思いますね。
てことはどうせ他人同然の親類に対して感謝の意を示さなくてはならないのならば、いっそのこと親類ですらない他人を呼んでも結果同じ感じになりますね。
そう考えると何か虚しさが残りますが、イベント自体にはわくわくするわけで、自分にどこまでの演出ができるのかという点では挑戦に近いものがあります。
いっそのこと余興という「友人力」を試される試練はなしにして、固く儀礼的なものを華やかに演出するというのも疲れなくていいのではないでしょうか。
お行儀よく楽しむというのは意外と難しいものですね。


さてそろそろ終了といたします。
最近はPS5抽選情報や結果情報の収集のためにツイッターを多用するようになりました。
そうするとアメリカの大統領選挙の話題も目にするわけですが、俺としては本当に他意はありませんが、これは広告合戦なのではないでしょうか。
要するにメディア、ここでは特にテレビの力を借りれば借りるほど印象操作はしやすく、政治に疎い連中を抱き込むことができ、結果として選挙に勝つわけですね。
今回はトランプ大統領でなければいい、という安直な流れの選挙だったようですし、なんだかバイデン氏の存在意義とは、バイデン氏でなくてはならない理由などはないのでしょうかね。
そのせいか、実際にバイデン大統領が誕生する流れになっても、これといってバイデン氏の政策を取り上げるテレビもなく、相変わらずトランプ大統領が権限を移譲しないから変だと報道するばかりですからね。
まぁ俺の見立てで言えば、広告合戦に敗北し、マスコミにネガキャンされ、印象操作されて負けたという展開ですし、なまじ民主主義なんですからしょうがない部分がありますよね。
バイデン陣営はそれが分かっていて「チェンジトランプ」なんて流れを作ったわけですしね。いろいろと大人の事情もあるのでしょう。
俺としてはどちらの政権がよかったのかという意見を言いたいのではありません。ただ、特別何も前情報がない状態でテレビだけを見ていたなら、きっとバイデン氏に投票することが「正義」となるのでしょうね。
これは現政権に対する多少の不満がそのまま悪印象につながるわけですし、テレビもそういう必ずある負の部分をつつけばよいとわかっているわけですからね。
そりゃ対立候補は現政権ではないわけですし、よほど有名人ということでなければ政治家であるということ以外は一般民衆は知りません。能力など図りようもないのです。
そうしたら対立候補の方がクリーンなイメージを持ちやすいですよね。
まぁこれは現政権の難しいところというのか、多少なりともある不満をどのようにそれ以外のことで好印象に持っていくのかということですよね。
考えてみれば、中国のような言論統制思想統制が現に行われているところですら民主主義の話があるわけで、それ自体が中国においてはそのまま一般市民の不満なわけですよね。
であれば、統制しない世の中というのは不満がなくならない世の中ということになります。皆がそれぞれ自由な考え方でいるのであれば、それぞれの不満があるわけですからね。
それを否定したら民主主義じゃないですし、うまく泳がせつつ、優れた指導者が国家をよりよい方向へ導くという理想論なわけなんですね。
とまぁそのように考えてくると、今回のトランプ大統領は正直可哀そうではあるけれど、そういう性質のゲームに敗れてしまったのだなと思うわけです。
こんな簡単に考えてよいのかと思うのですが、かつて日本で自民党じゃなければなんでもいい、だったら第2勢力の民主党でいいか、という時代がありましたね。
で、いざ民主党になったらあれよあれよという間に支持率が下がって次回の選挙でぼろ負け。民主党はなくなってしまい、自民党の対抗馬としては民主〇〇という政党だとあまり良くないイメージがついてしまいました。
これはまぁ一般的には経験不足ですよね。急に仕事のポジション変わって以前の担当者と同じ満足度を違ったアプローチで生み出していくなんてなかなか初年度からは難しいですよ。
とはいえチェンジ〇〇と銘打って宣伝し勝ったわけですから、前政権のやり方をそのまま使うわけにもいかず、結果として穴がある微妙な仕事ぶりになったのでしょうね。
なんだか一概に民主党が無能だと言えないなぁと思うのですが、長らく2番手の勢力だったわけですからね。一体その間どのような能力を磨いていたのか不思議なものです。
だからと言って返り咲いた自民党への文句は今も昔も変わりません。なんだか歴史は繰り返すようで、それが大国アメリカで巻き起こるのではないかと不安に思っています。
まぁ新人に仕事を振るときの、なんだか嫌な気分に似ていますかね(笑)
そうならなければいいですね。

さて、アメリカといえば人種差別問題ですね。
黒人への差別感情はかなり根が深そうですね。
でもまぁこれって悪口だいじめだ差別だと問題になるときって、すでに上辺では「よくないこと」として認識されている案件が多くないですか?
人種差別している人たちだって頭の中では良くないと思っているのはほぼ確実です。
それがなぜか良くないフィルターを通ったはずの感情が口から言葉で出たり、態度に出たりするわけなんですね。
これってどうすればいいのでしょうか?どうやって抑制すればいいのでしょうか?
俺がなんでそう考えるのかというと、最近ポリコレ問題というか、LGBT問題というのが俺みたいなやつのところにまで影響がきているからです。
その最たる例はゲーム「ラスアス2」ですね。
新作が出るからやってみようかなーと思ってレビュー動画を見たら、思わず笑ってしまったのをよく覚えています。
なんですかあのムキムキの女は。体は男じゃないですか(笑)
そんなキャラデザでストーリーまで改変して楽しいのでしょうか。
そりゃ現実問題、華奢な女がショットガンぶっ放すなんて肩が外れそうで危ないですが、そういう問題でないところに原因がありますよね?
そうですポリコレ問題です。
何を血迷ったのかプロデューサーがポリコレ信者だとか?
強い女がいてもいいじゃないか、か弱い女ばかりを見せられるのは差別だと訴えている頭のおかしい方がいらっしゃるらしいですね。
俺からしたらちゃんちゃらおかしな話ですよ。そんなものオナニーでもしながら自宅でぶつぶつ言っていればいいんですよ。恥ずかしくないんですかね。
思想信条に対して文句を言っているわけではないんですよ。どのような思想を持っていてもいいんです。
ですから、今回の結果だってうまいことプロデューサーの思想を変えられたからゲームの中身を改変するに至ったわけですし、ある意味で正規の手続きが踏まれているような気がします。
しかしながら、俺はあえて言いたい。それはニーズにマッチしていない。つまり金にならない。現に俺は買っていない。プレイしていない。
もうこの時点で機会損失ですよ。俺のように財布の紐がゆるい客ですらディスカウント中でも買わない事態になっているわけですからね。
要は思想的な活動をする、布教活動をするというのはさきほども言ったように民主主義の世の中では否定されるものではありません。
俺は差別だと思う、不快に思って傷ついている人がいると思う、と主張することは尊い行為だと言えます。声をあげられるだけ大したものです。
ですが、そこは金もうけと違う理論というものです。残念ながら今回問題になった思想は否定されるべきではありませんが、ニーズにはマッチしていませんでした。
すでに前作がある作品ですし、流れというものがあるのですから、そこに強い一方的な思想を取り入れたら、そりゃおかしな内容になりますよね。新規でゲーム出すならまだしも既存の人気にあやかるなんておかしな話です。
俺が一番不思議なのはそれで商品化することになったことなんですが、まぁ大人の世界にはいろいろあるということで納得しておきましょう。買っていないしね。
商品化までの権力的な経緯は置いておくとして、思想というものが世の中のスタンダードになるためには長い時間がかかると考えるわけです。
いろんな思想があってもいいのです。明日隕石が降ってきて地球が滅亡すると思うから、みんな好きなもの同士お外でセックスするのが正しい生物としての在り方だと主張することもギリギリおかしくはないです(笑)
もしかしたら、それが一般的な意識として定着してきたら、本当に地球滅亡が迫った時、全世界の国民に降りかかる多大なストレスを払しょくするよい方法になるやもしれません。
しかしおそらくそんな考え方がたとえ定着する未来があったとしても、俺が生きている間はないだろうと思います、なんとなく。
この話は冗談に聞こえるかもしれませんが、そのままポリコレ問題、LGBT問題に置き換えられます。
要は現在はマイノリティーだということです。多勢に無勢。ビジネス界隈ではまだまだこれまでと同じ思想で社会構造が出来上がっているのです。
ですから、ゲーム作りに特定の思想を無理矢理入れ込むことはニーズを無視しているようで腹が立ちます。
これは一般的な思想を裏切る行為だからです。反発は避けられないのです。未来においてスタンダードになるとしても、今は受け入れられないのです。
でも、きっと今回問題になった思想家の皆さんは自分の代で世の中を変えたい、もしくは私たちの理想とする社会こそが正しいと信じて疑わないでしょうね。
でもね、すでに人類何千年という歴史の中で育まれてきた一般的な思考というものは黒人問題が「良くないこと」だと頭では分かっていても行動に現れないようになかなか変わらないのですよ。
だからこそ当事者一人一人に訴えかけて少しずつ世の中を変えようとする中で、今回たまたまラスアス2のプロデューサーが引っかかってしまったのもある意味しょうがないと俺は考えます。確率論てきな話ですからね。
でも腹が立つ。俺は財布から出した金をもう一度しまうことになった。俺の気持ちはどうなるんだ。少女とおっさんが荒廃した世界で旅をするという設定が否定されるというのは、逆に思想家側に少女がおっさんと旅をするなんておかしいという偏った考え方があるのではないだろうか。
折衷案として少女とおっさんとムキムキ女さんで仲良く旅をしたらよかったのではないだろうか、なぜ既存の思想を否定するような観点で話をしてしまうのか。
このように、既存の考え方がたとえ女性が常に弱い立場にあって、強い男に助けられて媚びているような雰囲気こそヒロインという考え方があったとしても、それは確実におかしいとは言えないはずなのです。
女性が非力なのは体の構造上しょうがないことです。その事実を思想で覆すことはできません。現代における人間には体格差があるのは当たり前で明示的な事実です。
そして、そのような体格的な差があるために、より適した労働環境や人間関係が育まれてきました。これは効率を求めてのことなのです。文明レベルがある程度発展しないと、効率よりも優先される思想なんて出てこないのです。
効率を求めることがすでにビジネス的だというのなら、今の世の中が女性に優しくすることで女性の好感度を上げ、女性もまた優しくされることを望み、それがお互い気持ちのいいレベルでマッチしたら生物的なつがいとして子をなし育て、次の世代を作ってきている事実は変わりません。
つまり、民主主義の世の中ではこうだああだと自分の考えがあるのは良いことですが、自分の考えにより否定されるものがあるならば、それが否定されることにより傷つく人がいるのです。
しかしそれは一般的には問題になりません。なぜなら一般的な考え方があるからです。過激な思想はむしろ表に出ないことで解決されています。
この頃話題に上がってくるポリコレ問題やLGBT問題はそのまま男性蔑視、特定の思想を強制することに他ならないのです。強力に主張しすぎなのです。
女性を強くするために既存の男性を皆殺しにする必要はありません。既存の男性が強い女性を認めればよいのです。認め方は人それぞれ、決まりなどありません。決めてはならないのですよ?
同じようにLGBTだからと他とは違うねーと言われることに傷つくというのは、俺がイケメンではないだの運動があまりできないだのと言われて傷ついていますというのと同じレベルの話なのです。気が付いていますか?
イケメンではない、運動ができないなどの明示的な事実以外の、人の内面に関わる部分は本来自分でカバーするところなのです。他人に理解されようというのは万人受けしません、甘えなのです。
俺外見は男だけど中身は女だと思うの、だから女湯に入っていいかな?
=いけません。
だって中身は女なんだから男のアレとか見ると不快だし男と一緒に風呂に入るとかおかしいよね?
=あなたが女であることをどのように証明するつもりですか?男が女湯に入ることで性器を見せつける犯罪になるのですよ?女湯にいる全員の了承が取れなければ、逆にあなたが女湯の利用者全員から心無い言葉をかけられるかもしれないのですよ?
このように、すでにある常識に対して果敢に挑戦しようともがいているところは、さすが思想的な活動家だと感心するばかりですが、現代においては受け入れられるものではありません。
ですから、ゲイでもレズでもバイでもトランスジェンダーでもいいのです。誰も頭の中では「否定すべきものではないもの」として認識されています。
一般的な啓発活動というのは、そういった人を傷つけるようなことをしてはだめだよーという考え方を認識してもらうことに意味があります。
よってLGBTのような人が実際に存在し、そういった人に対して「おかしい」とか「変だ」とかいうことを「言うこと自体が良くない」というのはすでに常識なのです。
それでよいではありませんか?
俺からしたら、先ほどの例は極端ですが、自分の思想に対して過度に優遇を求めすぎです。傷つけられたくないことと優遇を求めることは全くの別のものですから。
俺にイケメンではないねーと言う人がいて、傷つくのでやめてくださいと言っているのと同じレベルの話なんですから、そんな話は日常茶飯事でしょう?
もしかしたらLGBTの方々だって冗談でそういう話をしているかもしれません。それぐらいよくある話で、よくある話だからこそそこまで深刻にならないのが今の常識でしょう?
イケメンでなかったらどうしようかと考えて、自分なりの答えにたどり着いていつか死ぬというだけのことではないですか。
ですからLGBTなんだねーと言われて過度に傷つくその認識を改めてください。
優遇されることを社会に強制する行為は、逆に強制させられたと感じたあなた以外の人にとって逆に傷つき不快だと感じることになるのですよ。
それに、そんな性の変化なんてものは人類がこれからも発展していく中における小さな変化に過ぎないのかもしれませんよ。
その内体は同じで女(オス)×女(メス)や男(メス)×男(オス)で生殖行為を行い、子が生まれるような、そんな人体の構造が変わる進化が人類に訪れるかもしれませんしね。
LGBTだからと不利益を被るのは良くないことなのですから、当事者同士がお互いの思想信条に照らして解決するしかないのです。解決できないならそれはよくある話だということです。別に活躍する場を探してみてはいかがでしょうか?あなたの人生は町1つで完結するようなものではないでしょう?
ヒステリックと同じで何でも過敏に反応するのはお互い疲れるでやめてくださいね。


それではまた。